ひとりで5時25分、室温18.1度。雨。昨夜降り始めた雨が降っています。予報では今日一日雨で、明日には上がるようです。→雨は降ったり止んだりです。おおきいちびは中京地区に旅行に行くそうです。残りはたぶんお休みで家にいると思われます。
正午、マンガアクション(No.9 2019年5/7号 )とおおきいちびのノートパソコンのケースが届きました。ケースは娘に頼まれたもの。マンガアクションを買うのは、ものすごく久しぶり。矢作俊彦・大友克洋『気分はもう戦争3(だったかもしれない)』をアマゾンが推薦してきたので、つい買ってしまったものです。連載開始かと思うと、まあ、そのうちに次があるかもしれないというのりでした。「ペンが使えなくてこんなに時間がかかってしまいました。」と大友氏の弁。期待せずに待っているしかないようです。
ノートパソコンケースは小さいかもと思ったのですが、ぴったりでした。確かにこういうものはぴったりにつくるのがよいのでしょう。小雨のなか、散歩にでました。お店には入らず、純粋に散歩。3時半から4時。傘は半分さして、半分とじていました。ジャスミンの香りが漂うところがありました。庭に植えているようです。
夕食後、ちいさいちびの先日の試合シーンを見ました。ちいさいちびがスマホをテレビに接続して、鑑賞。ちいさいちびの試合をまるまる1試合見るのは、はじめて。ちいさいちびは左利きなので、右サイド。あいては守備が強い。観戦していた者のほとんどがどうして審判は反則をとらないのだろうと思ったそうです。ちいさいちびたちのチームのエースは、左から切り込んで左3分の1からセンターでシュートというパターンです。このパターンの攻撃は、かなり抑えていました。左サイドにパスしたときには、左サイドはシュートに成功していました(6点入れたそうです)。ちいさいちびとパスを交換する子がなかに入ろうとすると、3人に囲まれ、ほぼ潰されていました。
ちいさいちびのチームも守備は頑張っていました。キーパーはシュートをかなりとめました。
延長戦後も引き分けで、ペナルティースロー合戦になり、5対6で負けたということですが、誰が見ても、あいての強い守備を崩す、あるいはかいくぐる、新しい攻撃パターンが必要です。
引退試合の2試合目で再戦だそうです。偶然ですが、また同じチームと当たった。そのことが判明した昨夜は、この子にしては非常に珍しいことですが、夜、寝ているところに報告に来ました。
ひとりで4時55分、室温15.8度。本日は曇りで最高気温19度の予報。ちいさいちびは試合の見学。昨日より遠くにでかけます。おおきいちびは午後にバイト。
妻と中学生と朝一人カラオケに行ったおおきいちびは、駅前の回転寿司屋。中学生のご褒美。なんのご褒美だったかは忘れました。おおきいちびは現地で集合するということです。私は、ちいさいちびが帰ってくるかもしれないので、お留守番。
3時過ぎに散歩。妻から牛乳を買ってくるように。すこし大回りして、セイユウで買い物。いつも行かない場所を通ると、更地がありました。
6月27日の授業(講義)に関して、ほぼ目処をつけることができました。画像はあとで作業します。
ひとりで4時45分、室温14.3度。2日間寒い日が続いたので、室温もかなり下がりました。
久しぶりに晴れ。朝日が玄関に射し込んでいます。最高気温も19度まで上がるという予報。ちいさいちびは試合。妻は応援。中学生は友達と遊びに。おおきいちびは不明。→おおきいちびはゆっくりめで起きてきて、3時からバイトだそうです。それまではレポートをすこしやったり、休んだり。
昼食時、おおきいちびのサラダと冷凍食品を買いに、セブンイレブンに。外出はこれのみ。
ちいさいちびたちは都ベスト4のチームに健闘して、引き分け、その後のフリースロー合戦により1点差で負けたそうです。負けてみんな泣いていたそうです。
妻、ちいさいちびの順に帰ってきました。ちいさいちびは、悔しいとは言っていましたが、立ち直っていました。去年と比べて、チームの状況がほんとよくなったそうです。
ずっとやっていた学会誌2号の最終作業ですが、表紙の写真を残し、送り出しました。印刷所がいつ仕事をしているのかわからないので(印刷所は休みは基本休みです)、返信の要求をつけて送り出しておきました。プリントアウトしたものは、週明けに投函しておきます。
ひとりで3時40分、室温17.3度。
昨日はずっと疲れが残っていました。今朝目覚めて、やっと疲れが抜けた感じがあります。
4時を過ぎた頃、雨の音が聞こえるようになりました。今日も昨日と同じような雨模様。ちいさいちびは午前練。おおきいちびは茨木県の有名な場所に遊びに行くそうです。
昨日、9割方すませたと書いた学会誌2号の最終作業ですが、残り1割がなかなかに手間でした。細かい作業がけっこうある。一個一個はたいしたことがないのですが、ひとつひとつたいしたことのない作業が積み上がると、トータルではけっこうたいへんです。ですが、ほぼ終えたと言えるところまで来ました。あとは、送り出し作業です。
履修登録者数最終。先週履修登録の修正期間が終わりました。すなわち、最終的な人数が確定しました。
月曜日2限101名、木曜日3限143名、木曜日5限(101)は160名。すべて100名超えとなりました。
ひとりで3時55分、室温22.1度。目覚めた頃、雨の音が聞こえはじめました。今日はまた雨の模様。→天気予報を見ました。今日は弱い雨が降ったり止んだり、そして最高気温が16度。昨日から10度近く下がります。朝のうちに次の2冊が届きました。
スティーブン・ワインバーグ『新版 電子と原子核の発見:20世紀物理学を築いた人々』本間三郎訳、ちくま学芸文庫、2006
ジェイムズ・ブラッドリー、ロン・パワーズ『硫黄島の星条旗』島田三蔵訳、文春文庫、2002
ともに授業の材料です。おおきいちびはゆっくり目ででかけました。今週唯一の2限だそうです。お昼過ぎに帰ってきて、横になってから、2時20分前に出かけました。バイトだそうです。
おおきいちびが出かけてから買い物。セイユー。買い物をすませ、セイユーから100メートルほど歩いた頃、妻に渡されたメモのうち、煮干しを買い忘れていることに気付きました。戻る気はしません。一度家に戻り、買ったものを玄関に置いてから、Y’sに行くことにしました。
Y’sマートで煮干しのおいているところがわからない。3周ぐらいしました。うーん、ここかというところに置いていました。煮干しに鰹節も買って、帰りました。運動にはちょうどよかった。学会誌2号の最終作業。9割ぐらいまではできました。
ひとりで5時5分、室温22.3度。雨はほぼ上がっています。ちいさいちびは問題なく自転車で行けるでしょう。昨日のパスワード変更に関するばたばたに関して、大学の担当事務から朝メールがありました。パスワード流出ではなかったそうです。よかったというべきか、やれやれというべきか。
木曜日の授業の4回目。私にとっては、10連休の前の最後の授業になります。未決の案件があるので、ほんとうは10連休は迷惑ですが、仕方ありません。
10時18分武蔵境発の西武線。
3限4限5限と授業。木曜日の授業は、久しぶりに講義に立つ3限がどうしても中心になりまう。準備と現場でかかるエネルギーが違います。実は、今日の3限の話は、次回と2回連続の話しなのですが、どこで分けるか、すこし考えていました。偶然ですが、ちょうどよいところで切ることが出来ました。19世紀末の医学を扱っています。本日は、コッホとパスツールによる病原菌の発見。来週は、その治療法、という分け方になりました。新札に決まった北里柴三郎にもほんのすこし触れました。
今年度の4限は、なかなかよい感じでスタートしました。ゼミなので、どういう学生が集まって、どういう発表をしてくれるのかでずいぶん変わります。
5限は、人数はすくなかったのですが、とても貴重な話し。3人中、大阪人一人、京都出身者一人。
5時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。息子がひとりで留守番をしていました。暑い一日でした。帰り道は上着を脱ぎ、腕まくりしていました。
ひとりで4時10分、室温22.0度。予報では夜になってから、雨。5時半、ゴミを出すために外にでると、すぐにでも雨が降ってきそうなどんよりとした曇り空。週間天気では、水、木、金、土と4日続いて雨マーク。正午に面談、午後に会議。3つ連続。3つ連続する会議に出るのは、ほんとうに久しぶりです。たぶん、ほとんど一言も発することなく座っているだけだと予想されます。
明日は、午後ずっと授業です。スケジュールを確認すると、確かに、そのあと10日間、大学の仕事はありません。世間様は、10連休、10連休と言っていますが、私も10連休でした。子どもたちは、部活があるので、適当に学校には行くと思います。私がどうするのかはまだ考えていません。講義の授業の春学期の分、ほぼ準備をすませることができれば最高ですが、どうでしょうか。なお、外語の図書館は閉まります。駒場の図書館はあいているので、必要ならば、駒場にでかけようと思っています。
10時6分武蔵境発の西武線。同僚の先生といっしょになりました。2限の授業だそうです。遠くから来ていて、電車が遅れたそうです。
11時に生協で昼飯。その後、図書館に行って、次の2冊を借りました。5月27日の講義の材料です。
ケネス・フット『記念碑が語るアメリカー暴力と追悼の風景』名古屋大学出版会、2002
マリタ・スターケン(岩崎稔他訳) 『アメリカという記憶―ベトナム戦争・エイズ・記念碑的表象―』未来社、2004正午に面談。学生が部屋を勘違いしていて、実際に到着したのは、12時7分ぐらい。話を聞いて、手続きを急ぐよう伝えました。
1時10分から会議。30分程度で終わりました。
次の会議は2時20分から。会議のはじめに、緊急の連絡があり、パスワードを変更してほしいということでした。研究室に戻り、パスワードの変更。ちょっと時間がかかりました。3時10分から会議は再開。
案件が少なかったせいで、スタートがかなり遅れましたが、終了は予定通り、5時半。5時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。雨は降っていませんが、また夜にでも降り出しそうな雰囲気です。→8時頃から降り始めました。9時を過ぎると、けっこう強く降っていました。
ひとりで3時50分、室温21.6度。午後に歯医者。
歯医者さんは3時45分からの予定。35分に家をでました。やはり、50分ぐらいに名前を呼ばれて、1時間ぐらい。町を4分の1ぐらいまわる感じで帰ってきました。
ひとりで4時50分、室温20.1度。とうとう朝の室温が20度を超えました。月曜日の授業の3回目。来週(4月29日)は休み、しかし再来週(5月6日)は休日ですが授業があります。
8時42分武蔵境発の西武線。この時刻だと、1限の授業に走る学生はほぼいません。
10時10分から2限の講義。本日は、新興・再興感染症の話し。麻疹(はしか)から話をはじめました。
3限の授業。「福島県磐梯山」を院生が読めませんでした。「会津磐梯山(あいづ ばんだいさん)」という民謡を知らないか?と聞くと、みんな知りませんでした。私は、どうして知っているのかわかりませんが、耳の奥に残っています。子どものときに、身の回りでよく流れていたのでしょう。「会津磐梯山は宝の山よ」という出だしのところは覚えていました。
私が自分の書き物で「磐梯山」に触れることはまずないと思いますが、若い世代に読んでもらうためには、最低限、ルビが必要だとは言えます。4限発表の院生が(たぶん)風邪でダウン。自然休講。疲れているのではやく帰ることにしました。
2時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。予報通り、暑くなりました。最高気温が25度を超えたそうです。
西荻で降りてから、今朝ちょうど切れたアレグラを購入し、セブンイレブンで明日の歯医者さんのためのお金を降ろし、ちょっとだけアイスを買って帰りました。今日の帰宅は私が一番でした。帰宅してから、4月25日と5月9日の授業の準備をおおよそのところすませました。もうすこし手を入れますが、骨格の部分は完成です。建物に喩えれば、あとは内装だけといったところでしょうか。
[黒瀬陽平「他の平面論」]
大山顕さんが『ゲンロン』で連載した「他の平面論」は傑作です。こちらも一部、月曜日3限の授業で使おうと思っています。調べがついた範囲で連載テーマをまとめておきます。
黒瀬 陽平「他の平面論(第1回)「無意識」と釣り人 ?」『ゲンロン』1(2015): 136-151
黒瀬 陽平「他の平面論(第2回)歴史画と「違和感」 」『ゲンロン』2(2016): 217-228
黒瀬 陽平「他の平面論(第3回)怨霊たちの風景」『ゲンロン』4(2015): 250-263
黒瀬 陽平「他の平面論(第4回)ふたつの「日本文化論」批判 」『ゲンロン』5(2017): 223-239
黒瀬 陽平「他の平面論(第5回)「受け入れ」と「持ち出し」の美術史 」『ゲンロン』6(2017): 208-224
黒瀬 陽平「他の平面論(第6回)外側の眼が見る」『ゲンロン』7
黒瀬陽平「現代美術の起源――二重化された視覚の系譜」『ゲンロン 8 特集:ゲームの時代』ゲンロン、2018
黒瀬陽平「他の平面論第7回 土木の神が支配する」『ゲンロン9 第I期終刊号』ゲンロン、2018
黒瀬 陽平「「ポスト」モダニズムのハード・コア : 「貧しい平面」のゆくえ(第1回) 」『ゲンロンβ』(2016): 8-14
黒瀬 陽平「「ポスト」モダニズムのハード・コア:「貧しい平面」のゆくえ #14」『ゲンロンβ』8(2016):
黒瀬 陽平「「ポスト」モダニズムのハード・コア:「貧しい平面」のゆくえ #15」『ゲンロンβ』9(2016):
黒瀬 陽平「「ポスト」モダニズムのハード・コア:「貧しい平面」のゆくえ 第20回」『ゲンロンβ』17(2017):
黒瀬 陽平「「ポスト」モダニズムのハード・コア:「貧しい平面」のゆくえ 第21回 何とどのように「コミュニケーション」するのか?」『ゲンロンβ』18(2017):
黒瀬 陽平「「ポスト」モダニズムのハード・コア:「貧しい平面」のゆくえ 第22回」『ゲンロンβ』20(2017):
ひとりで5時10分、室温19.1度。ちいさいちびは試合。中学生は女子の試合の応援。
私は朝一番で区議会選挙の投票へ。7時開場で1~2分まえに子どもたち全員が通った小学校に着きました。4番目。投票をすませて、コンビニですこし買い物をしてから帰ってきました。
ちいさいちびは7時20分に起きて、8時に出かけていきました。比較的近い会場です。妻も9時を過ぎたら応援に行くそうです。差し入れ隊の仕事があるそうです。
おおきいちびは8時半現在起きてきていませんが、今日もいろいろ忙しいそうです。買い物にまわるそうです。
2時半、中学生が帰ってきました。相手が強く、女子は負けたそうです。その10分後、妻が帰ってきました。ちいさいちびのチームは大勝の雰囲気で、2年生に出場機会を与えたそうです。3時過ぎ、ちいさいちびが帰ってきました。
ちいさいちびはしばらくテレビを見たあと、ソファーで爆睡。最近は疲れたら、眠くなって眠ります。そうなっていないのは、息子だけです。老眼を駆使して、安彦良和『虹色のトロツキー』全8巻をキンドル上で読み通しました。ぎりぎり読み通せましたが、目の調子がわるいときにはもう無理でしょう。
トロツキーは、実際にはほとんど出てきません。最後がノモンハンで終わるとは思っていませんでした。[大山顕「スマホの写真論」]
大山顕さんが『ゲンロンβ』で連載している「スマホの写真論」は傑作です。月曜日3限の授業で使おうと思っています。連載テーマをまとめておきます。(第5回は編集部のミスによる欠番)
「第1回 記憶は場所にある」『ゲンロンβ』13
「第2回 片目とスクショとパノラマ写真」『ゲンロンβ』14
「第3回 自撮りのスマホは人工衛星」『ゲンロンβ』15
「第4回 自撮りと心霊写真」『ゲンロンβ』16
「第6回 スマホがもたらす写真の「小ささ」」『ゲンロンβ』17
「第7回 ラスベガスにて」 『ゲンロンβ』18
「第8回 証明/写真」『ゲンロンβ』19
「第9回 自撮りを遺影に」『ゲンロンβ』20
「第10回 航空写真と風景」『ゲンロンβ』21
「第11回 写真と影と妖精」『ゲンロンβ』22
「第12回 写真は自撮り」『ゲンロンβ』23
「第13回 4人称論」『ゲンロンβ』24
「第14回 写真に姿を現すスマホのカメラ」『ゲンロンβ』25
「第15回 スマホとSNSによって溶ける撮影行為」『ゲンロンβ』27
「第16回 家族写真のゆくえ」『ゲンロンβ』28
「第17回 「見る」から「処理」に変わった写真」『ゲンロンβ』30
「第18回 写真を変えた猫」 『ゲンロンβ』31
「第19回 ドローン兵器と「卑怯」なSNSの写真」『ゲンロンβ』35
「第20回 Google があなたの「思い出」を決める」『ゲンロンβ』36
ひとりで4時40分、室温19.5度。たぶん本日も晴れ。最近あまり雨が降っていません。中学生とちいさいちびは午前練。おおきいちびは聞いていません。→おおきいちびは昼前にフットサル。帰ってきて、バイト。
お昼前に散歩を兼ねてセイユー。肉2枚と妻に頼まれたサランラップと子どもたちのお菓子類。
月曜日2限と木曜日3限のシラバスを手元において、アップデートが必要な箇所、新規作成が必要な授業の準備をランダムに行っています。思い出したところから、情報を追加しています。ついでに、月曜日3限の大学院ゼミについても、進行表を作り、6月中盤以降をどうするか考えました。院生ゼミなので、こちらで決めるところと、相談しつつ決めるところと両方です。
今年は久しぶりに東京国際ミネラルフェアーに行ってみようかと思い、スケジュールを調べました。
2019年6月7日(金曜日)から10日(月曜日)の4日間です。場所は、いつもの、ハイアット・リージェンシー東京/小田急第一生命ビル1F スペースセブンイベント会場で変わりなし。
ひとりで3時55分、室温19.9度。ちいさいちびは夜友達と焼き肉。おおきいちびはたぶんバイト。妻は、午前中、おおきいちびの服の買い物、夕刻ちいさいちびの保護者会。
3時前、妻は保護者会にでかけました。高校まで歩くそうです。その少し後、私は、コンビニとガード下のスーパーに行って来ました。ちょっとだけ子どもたちのおやつを買ってきました。本日の外出はこれのみ。キンドルで『虹色のトロツキー』を読み始めました。面白い。私の老眼には、もうすこし大きな画面の方がよいな。(ずっと以前から、子どもたちが買ってくる、ちいさなマンガ単行本の活字が辛くなっています。理解不能というほどではないのですが、ああ、こんな小さな活字はやだというふうにはなります。)
十分な休憩をとりつつ、春学期の授業の準備。まったく新しい話をする回があります。まずは、概念(全体構成)と材料を探す必要があります。ふるい話しの場合には、4年間授業にかけていなかったので、いろいろアップデートをする必要があります。とくに月曜日2限の「科学技術と社会」の場合、現代の問題を扱います。最新の情報が必要です。できるだけ最新の情報を盛り込むようにしています。
ひとりで4時15分、室温18.2度。木曜日の授業の3回目。昨日木曜日3限の配布物に印刷をしなかったので、今日は、その作業がまず必要です。
履修登録は、昨日で一応の締切。一応というのは、修正期間があって、そのときに修正がきくからです。
月曜日2限は99名、木曜日3限は139名、木曜日5限(101)は158名。
大学院も出席者は全員、登録してくれました。9時18分武蔵境発の西武線。印刷センターでコピー。2×150=300枚。
3限の講義。最近また花粉症が悪化しています。鼻にきています。鼻水と鼻づまり。軽い風邪の症状です。3限の講義は、途中で、エネルギー切れの症状を起こしました。無理をせず、いくらかはやめに終えました。
4限5限とゼミ。5時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。今日は、疲れました。
ひとりで3時45分、室温18.4度。早朝新聞をとるため、郵便受けをあけてみると、『週刊 東洋経済』2019年4月13日号が届いていました。昨夜のうちに届いたのでしょう。特集は「AI: AI 時代に食える仕事、食えない仕事」。
朝一番で我が家の財務的用件。
新学期はじめての会議の日。2時20分から学部教授会。ひとつだけ。
駅前にすこし前にできた廻転寿司屋で妻と昼食をとってから、大学へ。息子を連れてくるにはちょうどよいかなという結論。
11時54分武蔵境発の西武線。
[職場で誰とも話をしない一日]
会議の日は、ほぼ誰と話すこともありません。教授会で目の前に座った佐野先生と簡単に挨拶しただけ。今日、授業はないので、学生と話すこともありませんし、教授会はほぼ座って話を聞いているだけなので、学校に行って帰ってきても誰とも話していません。役職がないときは、これが普通でした。久しぶりにこの普通を思い出しました。
役職者のときは、半分ぐらいは、ちいさな会議なので、話をします。会議ですが、普通の会話も混じります。教授会レベルになると、司会か発言になるので、話をしている感じではありません。
もちろん、講義の授業も、話すのは話しているのですが、一方的に話しているので、もちろん会話的に話しているわけではありません。
そう、大学教師は、日常的に、大学に行って仕事をしていても、話をしていないな、と久しぶりに気付きなおした一日でした。
ほかの職業はどうでしょう。一日、実質的な会話のない仕事もすくなくないような気がします。新執行部によるはじめての教授会。普通に進行して、4時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。
帰宅すると次の本が届いていました。
東京科學博物館編『江戸時代の科學』名著刊行会、平7(初版は昭和9年です)履修登録は、今日が最終日です。月曜日2限は、96名、木曜日3限は130名となっています。木曜日5限(101)は150名。もうすこし増えるかもしれません。
ひとりで3時25分、室温17.3度。こどもたちは、いつもとおり、学校にでかけました。快晴。5月のような陽気です。
午前中に、机の横にかけているカレンダーに会議の日程を書き入れました。すぐに済みました。こういうとき、すくなくなったことを実感します。
正午、DVDの『ボヘミアン・ラプソディ』と次の本が届きました。
西尾成子『こうして始まった20世紀の物理学』裳華房、1997
20世紀の物理学史は離れて久しい。(もしかしたら、院生以来かもしれません。)ともあれ、西尾さんのこの本をまず読み通しました。内容的には薄い新書程度です。すぐに読み通せます。1時間程度でしょうか。夕食前、月曜日に生協で買ってきた『中央公論』2019年5月号をパラパラと読みました。安彦さんのインタビューを読んで、つい、『虹色のトロツキー』を買ってしまいました。キンドルです。ともかく一度キンドルで読んでみようと考えました。
ずっと先ですが、月曜日2限(STS)でリスクの話をするときの出発点に廣野さんの本(廣野喜幸『サイエンティフィック・リテラシー : 科学技術リスクを考える』丸善出版、2013)を使うことにしました。
第3章「人災リスクと数値較正」で廣野さんは、100万分の1を基準にとると書いています。ざっと読んだときにはそれでいいかなと思ったのですが、学生に話すつもりで読んでみると、決してわかりやすくは書かれていません。手元で計算をし直して、やっと彼の数字が理解できました。
日本人の平均寿命をかりに80年とする。すると、80年×365日/年=2万9200日となる。(閏年は無視)
1日に1回使う装置で、1万回に一度致命的な故障を起こすとすると、その装置を使い続けると、一生のうち、確率的には3回程度、致命的な故障に直面することになる。(耐用年数が80年という装置はあまりないと思いますが、ここはその想定で行きます。)
同じく、1日に1回使う装置で、10万回に一度致命的な故障を起こすとすると、その装置を使い続けると、一生のうち、確率的には1/3回程度、致命的な故障に直面することになる。あるいは、3人に1人程度は、致命的な故障に直面する確率になる。
同じく、1日に1回使う装置で、100万回に一度致命的な故障を起こすとすると、その装置を使い続けると、一生のうち、確率的には1/30回程度、致命的な故障に直面することになる。個人的には、 一生で1/30なら、許容範囲かもしれません。30人が80年使うと、誰か一人は致命的な故障に直面することになります。これをその程度なら仕方がないととるのか、やはりまだ大きいととるのかは、考えが分かれるところだと思います。
廣野氏は、フランスの数学者のボレル(Justin Emile Borel)の議論に依拠しています。ボレルは、「人間的尺度において無視できる確率」という考え方を使っています。
パリという都市で外で働く人がいるとすると、その人がその日に交通事故で亡くなる確率はおおよそ100万分の1だそうです。
もうひとつの100万分の1は、上の計算です。(廣野氏とはかなり違ったやり方をしました。)
ともあれ、100万分の1という基準は、使える基準と言えるでしょう。Facebookに[ラヴォワジェ『化学原論』再訪]ということで3点の図版をアップしておきました。
メートル法導入前のフランスなので、単位は pied (ピエ)です。ほぼフィートに等しいが微妙に違うそうです。ややこしや! (ネットのよれば、1 foot-2.12mm, 1pied=2.25m)
棚から引っ張りだしたのは、科学の名著第II期4『ラヴワジエ』(朝日出版、1988)です。第3部に「化学の実験装置と操作法の説明」(pp.185ff.)がまとめられています。図版はほんとうに最後の最後、pp.301-316です。図版1は、受け器等の容器が中止です。図版の13は炉です。
説明文と図版がこれだけ離れていると、とても読みづらい。ラヴワジエは意地悪ではないかと思うぐらいです。
ひとりで4時50分、室温17.3度。玄関のドアをあけると、地面が濡れていました。昨夜雨が降ったようです。まったく気付きませんでした。月曜日の授業の2回目。
8時42分武蔵境発の西武線。まず、印刷センター。2限の配布物をコピーしました。240枚。
人数はほぼ固まったようです。初回と見た目、同じぐらい。
授業終了後、お弁当。3限のゼミの資料のコピーとスキャン。DropBoxで配布するためです。3限の授業は、ひとり増えて3人。たぶん、3人のままでしょう。
TA の井伊さんがそろえてくれた木5(101)の授業のコメントシートをスキャナーにかけました。189枚のコメントシートが提出されていました。登録者数は、190前後でおさまるでしょう。生協でちょっとした買い物をしたあと、2時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。
今日はなにかとても眠い一日でした。夕刻、おおきいちび、ちいさいちびの順に歯医者さん。矯正治療を受けてから、一月に一度歯医者さんに通っています。ふたりとも一度家に帰ってきてからでかけました。おおきいちびは自転車、ちいさいちびは自転車で駅に行ってそれから電車。このあたりは、考え方の差がでます。
ひとりで4時25分、室温15.1度。天気は下り坂の予報。東京でも遅い時間帯に雨が降るかもしれません。中学生は午後に比較的近所の学校(歩いていける距離)で試合。ちいさいちびは、調布か府中の学校で行われる男子の試合の応援。おおきいちびは不明。
おおきいちびは友達と映画。ちいさいちびは本を買ってから応援に行くと言って出かけました。中学生は簡単な昼食を食べてから、妻は中学生の応援に、でかけました。
そういうわけで午後は私一人で留守番。
妻、ちいさいちび、中学生、おおきいちびの順に帰ってきました。大学の履修登録ですが、先週の木曜日にスタートし、週明けの水曜日に閉め切られます。現状、月曜日2限が71名、木曜日3限が88名、木曜日5限(101)が99名です。現実の数をおおよそ反映しています。登録期間はあと半分残っています。あと2~3割は増えると予想します。
ひとりで4時50分、室温12.4度。中学生は土曜日学校、帰宅してすぐに午後練。ちいさいちびは午前練。おおきいちびはゆっくりめに起きてきて、お昼は蕎麦を食べに行き、夕刻からバイトだそうです。
朝一番でクインーズ伊勢丹に行ってきました。リニューアルしてからは9時半開店です。10時前に到着するとお客さんが少ない。10時開店のイメージが残っているのでしょう。いつもと違い、カゴを手渡してくれ、持っていった買い物袋に買ったものをつめてくれました。
晴れて暖かい春の日。もう冬に戻ることはないでしょう。
授業の準備のため、橋本さんの本と廣田さんの本(廣田襄『現代化学史』京都大学出版会、2013)を探し出して、読んでいます。
廣田さんの本はわかりやすくて、使いやすい本だと思います。
→廣田さんは年表を3種類用意されています。pp.159 に「近現代の化学と科学・技術(~19世紀)」、pp.398 に「近現代の化学と科学・技術(20世紀前半)」、pp.640 に「近現代の化学と科学・技術(20世紀後半)」です。
廣田さんの本は、20世紀以降の歴史に主眼を置きますから、前史、20世紀前半、20世紀後半という分け方です。
20世紀前半は、1895年から始まっています。そして物理学の項に次の4つを記しています。
X線の発見(レントゲン、1895)
放射線の発見(ベクレル、1896)
ゼーマン効果(1896)
電子の発見(トムソン、1897)
化学の項には、次。
ラジウム、ポロニウムの発見(キュリー夫妻、1898)
ネオン、クリプトン、キセノンの発見(ラムゼー、1898)
私はこれでよいと思います。20世紀の科学技術はX線から始まると言ってもよいと思います。
廣田さんは次のように表現されます。(p.165)「19世紀の後半まで化学は順調に発展してきたが、世紀の終わりに物理学と化学を根底から変えることになった3つの衝撃的発見が相次いだ。これらの発見は直接あるいは間接に、真空放電管を用いた研究に由来した。そしてその背景には真空ポンプの技術的改良があった。まず、1895年にヴィルヘルム・レントゲンによってX線が発見され、ついで1896年にアンリ・ベクレルによって放射線が、さらに翌1897年にはJ.J.トムソンによって電子が発見されたのである。そして20世紀になると、原子は電子と原子核から成り、ほとんどの化学現象では電子が主役を演じていることが明らかになった。19世紀の化学は原子の概念を中心に発展してきたが、20世紀の化学では電子の挙動に基づいて化学が語られるようになった。また、X線の利用で化学者は分子や結晶の構造を原子レベルで正確に知る手段を得た。こうして、電子の挙動と原子、分子の構造の基づく新しい化学が発展し始めた。・・・さらに放射能の発見は核化学、放射化学という新しい分野を生み出した。」
物理学の分野に視点をあわせると、X線は、核物理学を生み出す最初のおおきなきっかけということができます。
利用も華やかです。
まずは、医療分野。X線撮影は、診療に非常に大きな新しい可能性を開きました。
そして、X線の回折を利用した結晶構造解析。そのなかではなんといってもDNAの2重螺旋構造の解明が20世紀の科学を特徴づけるでしょう。
材料の内部の非破壊検査
微量元素の検出(蛍光X線分析)
搭乗口の手荷物検査。
生活の場面から考えると、X線は、身近です。X線胸部検査。健康診断でだれもがほぼ毎年受けます。歯医者さんの虫歯検査。私は、ここのところずっと歯医者さんに通っているので、3ヶ月に一度から半年に一度の頻度で、顔面にX線を浴びています。
骨折の際のX線。大学院修士2年のときにサッカーの試合で右足を骨折しました。その際に何度かX線を撮っています。
最近は受けていませんが、バリウムを飲んで行う胃のレントゲン検査もありました。
最近は飛行機に乗っていませんが、飛行機に搭乗したときには、手荷物がX線検査を受けています。人間の方は金属感知器でしょうか。
X線の話は、身近な話からはじめることもできます。胸部X線と飛行場の手荷物検査はほぼ全員が体験しているからです。被曝の話しに繋げると、つかみとしてはつよいかもしれません。
そう言えばX線天文学というものもありました。カーオ『20世紀物理学史 上下』も一部読んでみました。安心して読める記述です。ヒスとリオグラフィーも賛成できます。たった1点、図版があればもっとよかった。数式がないのはかまわないのですが、理解のためには、図版が役にたったと思います。
ひとりで4時35分、室温12.8度。
ちいさいちびと中学生は通常営業。おおきいちびは2限目から。今年は1限目からの日が多いと愚痴を言っていました。朝のうちに、次のDVDが届きました。木曜日3限の講義授業の資料です。
クリント・イーストウッド監督「父親たちの星条旗 (特別版) [DVD]」午前10時頃、散歩を兼ねて、買い物へ。セブンイレブンによってから、Y’sマートへ。すこし大回りにまわりました。頼まれたのは、蜜柑(オレンジ)と卵。
昼食後、いくつもある本の山のひとつから、次の2冊を引っぱり出しました。
新しい授業のためです。X線を話します。
ヘリガ・カーオ『20世紀物理学史 上下』岡本拓司監訳、有賀暢迪・稲葉肇他訳、名古屋大学出版会、2015
レントゲンによるX線の発見以降の物理学の展開は、怒濤です。スリリングで興味深い。ただし、文系の学生に話すためには、見やすい筋をつくってあげる必要があるでしょう。
ひとりで3時20分、室温10.8度。木曜日の授業、2回目。
中央線が朝方止まり、その後も乱れていたので、少し様子を見てから始動。10時30分武蔵境発の西武線。
いま大学でやっているのは、授業の準備と科研費の研究(画像科学技術医学史)。授業の方は文献調査からです。3限講義、4限5限ゼミ。
5時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。3コマきっちりやると相当の疲れ。
[19世紀の画像]
今回授業でも自分の研究でも19世紀を扱います。Album of Science の19世紀を取り出しました。
L. Pearce Williams, Album of Science: The Ninteeth Century, New York: Scribner, 1978
ぱっとめくると、実験室の画像が数多く掲載されています。19世紀は、6章に分けられています。第1章:科学の環境、第2章:19世紀の科学の世界、第3章:人間、第4章:生命の世界、第5章:原子と分子と力、第6章:科学の驚異。第1章の5つ目が「自然の研究:ラボラトリー」、第5章の最初が「ラボラトリーとその器具」、というふうにラボラトリーが2箇所でフィーチャーされています。
19世紀の科学を特徴づけるひとつがラボラトリーだと言ってよいと思われます。
個人的には、電気研究、電気と化学に期待したのですが、扱いは小さかった。これは、仕方ありません。19世紀の科学の全分野を取りあげると、1冊に収めることは困難だったことはすぐに推測されるからです。
しかし、個人的関心としては、19世紀初頭の電気研究の進展(ボルタ電堆が発明されてからの電気研究の進展はめざましいと思います)、19世紀末のX線発見からの多様な展開を見たかったので、すこしがっかりしたことは否めません。
ひとりで4時30分、室温13.9度。外は冷たい冬の雨。机に座っていると、雨音が強くなりました。
ちいさいちびはさすがに自転車ではなくバスで高校に行くそうです。月曜日2限と木曜日3限の講義の授業ですが、これまでやってきたもののアップデートですむものもありますが、一から新しい話を用意するものもあります。
月曜日2限でまったく新しく準備するのは、「リスクと社会」です。リスク論の基本を話そうと思っています。
木曜日3限の方は、けっこうあります。5月に入ってすぐに、「X線:内部を透視する」と「電子顕微鏡、MRI、」、6月に入ってから、「メモリアルの画像」と「スマホの写真論」を新しく準備します。
ルーティンをこなしつつ、新しい授業の講義ノートを作成する必要があります。少しずつ進めます。9時半武蔵境発の西武線。
まず、印刷センター。明日の配布物をコピー。けっこうな量になりました。授業がスタートしたばかりです。印刷センターは、混んでいました。
新しく話す講義の準備作業。予備的にまず文献を探します。たとえば、宮下晋吉「RöntgenとX線の発見」『日本物理学会誌』Vol.51, No.4, 1996, pp.292-294
ヘンリーを出発点にして、最近すこし調べ直している宇田川榕庵。たとえば、
Eikoh Shimao, "The Reception of Lavoisier's Chemistry in Japan," Isis, Vo.63(1972): 308-320 この時期に Isisにちゃんと論文を発表している島尾さんは立派です。宇田川の舎密器械図彙から図版を2点引用しています。まさにラヴォワジェの『原論』の図の模写です。
Jean-Gabriel SANTONI,"De la notation des éléments chimiques à l'époque d'Edo -chez Udagawa Yoan et Ueno Hikoma-,"『広島大学フランス文学研究』32号(2013): 81-130 このフランス語論文は私の名前(ホームページ)もきちんと出してくれています。お昼に面談、3時半にも面談。
5時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ひとりで5時35分、室温13.3度。
本日の予報は、最低気温5度、最高気温16度。明日は、最低気温4度、最高気温7度で雨です。一日だけ、冬の雨が舞い戻ります。中学生と高校生は入学式。中学生は入学式に列席します。高校生は出ません=すなわち、休み。大学生はふつうに授業。
→中学生はお昼に帰ってきました。部活の担当の先生が異動になり、部活のスケジュールが不明だそうです。とりあえず、今日は、お休みで、夜になって塾。
→高校生は、私が朝の散歩から帰ってくるといませんでした。友達から呼び出しがあり、急遽、塾の体験授業に参加することにしたそうです。3時からのと、夜のと、2回受けるそうです。お昼ご飯を食べてから自転車ででかけました。木曜日の配布物は、朝のうちに、準備できました。来週の月曜日の準備も見ています。本格的に準備するには、片づけが必要です。片づけは元気なときでないと難しいので、タイミングをみはかっています。
過去4年間、火曜日と水曜日は会議の日でした。今年は、火曜日はまったくなし(なにか特別な行事がなければ)。水曜日には、教授会だけがあります。
月曜日講義を含む授業、火曜日自宅、木曜日講義を含む授業、金曜日自宅、という1週間のリズムになります。
水曜日は会議のためにでることが多いと思います。
まだスタートして9日ですが、過去4年間と比べると、ずいぶん余裕があるように感じられます。→夜になると、なんか日曜日のような気がしてきます。これまでずっと会議があったリズムがまだ身体に残っているのでしょう。散歩を兼ねて、朝一番でリニューアルしたクインーズ伊勢丹に行ってきました。買い物は、パンと牛乳。よく晴れていますが、風が強い。帰りはいつもと違う道を通りました。こうやって違う道を通ると、ちょくちょく更地に出会います。東京は一定ペースで更地になっているのだと思われます。
ひとりで4時40分、室温18.1度。
午前6時、新聞をとるために玄関を開けると、弱い雨。月曜日の授業が始まります。
8時42分武蔵境発の西武線。
2限の授業ですが、52人のキャパの教室が割り当てられていました。木曜日3限の感じからすると、たぶんオーバーします。2限にあいている大きな教室を大学の学務システムで探しだし、あらかじめ教務課教務係に、人数がオーバーしたら226教室に移動してよいか聞いておきました。2限開始10分前に問題なしの回答がありました。
226教室があいていることを確認してから、2分ぐらい前に223教室に入り、スタートいきなりですまないが、椅子が足りないので、226教室に移動しますと伝え、板書しました。
移動による時間のロスは最小ですませることができました。
あとから、コメントシートをスキャンし、コンピューターに数を数えさせると81人でした。本日、コメントシートの書き方がわからないといって来た学生がいます。2週目から参加する学生もわりといます。まあ、でも、多くて、90名でしょう。
ちなみに、木曜日3限の授業のコメントシートも数えさせました。111枚。感覚とほぼ一致しています。ともあれ、木曜日3限の講義、月曜日2限の講義、と4年間別の方にお願いしていた授業に5年ぶりに復帰しました。まあ、無事に復帰できたのではないでしょうか。
3限は2人、4限は1人。今年はこのぐらいの数だろうと予想していました。1名とは打ち合わせをすませて、本日は、終わりとすることにしました。
3時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。
花粉症の薬、アレグラが今朝切れました。武蔵境駅内のマツモトキヨシで購入するつもりがすっかり忘れて、中央線に乗車。西荻駅前のドラッグストアで探しましたが、見つからず。いつも使っている調剤薬局にあるかもしれないと思い、そちらに。ありました。値段もマツモトキヨシをほぼいっしょです。これが今期最後のアレグラにできればよいのですが、もう一度購入する必要があるかもしれません。日が暮れる頃に、大きな雷の音。一時的に強い雨も降ってきました。部活をしていたちいさいちびは、自転車通学ですがあまり濡れずに帰ってきました。
ひとりで5時15分、室温16.7度。薄曇りの晴れ。おおきいちびはバイト、あとはオフ。
[Amazonのわな]
アマゾンから『ボヘミアン・ラプソディ』DVD・ブルーレイ予約開始の案内が来ました。娘達は、映画館に見に行っています。しかし、私は、気持ちと時間がなかなかあわず、行くことができていませんでした。そこに、アマゾンのメール。誘惑に瞬殺されました。実際にいつ届くのかはわかりませんが、連休中には見ることができるのではないでしょうか。
ひとりで2時55分、室温17.1度。昨日の暖かさが残っています。昨日強風のなか外出したせいか、花粉症がまたひどくなりました。鼻づまりと鼻水。けっこうくるしい。ふとカレンダーを見ると、今日は、大学の入学式の日でした。木曜日に授業は始まっていますが、入学式は今日の土曜日です。暖かくて、桜も残っているので、お天気はよかったと思います。
中学生は始業式。ちいさいちびは午前練。おおきいちびはお昼練。
ひとりで4時35分、室温13.3度。本日の最高気温予報が23度。一気に初夏です。おおきいちびは2限から。ちいさいちびは練習試合。中学生はママといっしょにバッシュを見に行きます。ちいさくなったかのかもしれません。
月曜日2限と木曜日3限の授業(講義科目)は、4年間、お休みしています。木曜日3限の講義授業は、教室変更のおかげもあり、なんとか無事に漕ぎ出せたと思いますが、月曜日の授業の準備も必要です。過去の授業ノートの所在を確かめることからスタートです。探し出すだけで、数分はかかりました。
4月8日にはじまる授業ですが、最初のドラフトは作りました。あとは、これに推敲を加えていきます。2回目、3回目のものもすこしずつ見ています。2時すぎ、リニューアルしたクインーズ伊勢丹に行って来ました。妻の依頼は、明日の昼食のカレーのための豚肉、ちいさいちびの要望は、阿蘇牛乳のミルクパン。暖かく、強い風が吹くなか、帰ってきて、レシートを見ると、「当店は改装のため3月17日20時をもちまして一時閉店させて頂きます。4月5日朝9:30にオープン致します。」とありました。朝早く来ていたら、記念品をもらえたかもしれません。よくある配置換え以外に私が気づいた変化は、ワインコーナーが広がったということと、専門パン屋さんがなくなり、まんなかに広いパンコーナーができたことぐらいです。
[12例目]
今朝の新聞に埼玉県で6歳未満女児が脳死判定され、臓器移植に繋がったという記事が掲載されていました。日本では、12例目ということです。親族12名の総意とありました。
ひとりで4時5分、室温11.0度。いよいよ新学期がはじまります。私は3限4限5限。
おおきいちびも新学期始動。1限からだそうです。ちいさいちびはオフなので病院に行くそうです。中学生はやすみ。10時6分武蔵境発の西武線。
授業の準備と片づけ。12時40分から4年間のブランクを経て、思想文化概論の講義。教室を227教室に変更しておいてもらってよかった。人数が予想の上限のあたりになりました。100人前後。
4限は、予想とおり、ひとり落ちて、7人。5限は、どうもみんな就活の真っ最中の模様。かろうじて顔をだした2人と雑談。
5時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。今の体力だと、このあたりで限界です。帰宅すると次の2冊が届いていました。
R. J. Forbes, Short History of the Art of Distillation: From the beginnings up to the death of Cellier Blumenthal, Leiden, 1948
Charlotte Klonk, New Laboratories: Historical and Critical Perspectives on Contemporary Developments, Berlin, 2016
フォーブズの蒸留術小史は見覚えがあります。この部屋のどこかにあるはずですが、探すよりも、新しく発注した方がはやいと思い、2冊目を購入したものです。図版がとても充実しています。具体的には203点のイラストつき、とあります。一部図版が薄れているのが含まれるのが、すこし残念な点です。[再びヘンリー]
(めでたく継続が決まった橋本科研では、河野さんの仕事だと思いますが・・・。私が昔まとめたものについてはウィリアム・ヘンリーを見て下さい。)
Wiki の「宇田川榕菴」に次の記述があります。「舎密開宗の原著はイギリス の化学者ウィリアム・ヘンリーが1799年に出版した Elements of Experimental Chemistry をJ・B・トロムスドルフがドイツ語に翻訳、増補した Chemie für Dilettanten を、さらにオランダの Adolf IJpeij がオランダ語 に翻訳、増補した Leidraad der Chemie voor Beginnennde Liefhebbers, 1803(『依氏舎密 )である。」
ヘンリーの『実験化学初歩』の初版を1799年としています。アイドや日本科学史の研究家が1960年代まではそういうふうに書いています。
もうしばらくは通用すると思うので、イッコーさんの表現を使うと、これは「ま・ぼ・ろ・しー」です。
その時代、『舎密開宗』の典拠を一番よく研究された坂口正男氏は1966年の論文で、この間違いに気づきます。それまではアイドや田中実(『日本科学技術史』朝日新聞社、1962, pp.134-140.)に従って、1799年と記されていました。
ヘンリーに関する基本書は手元にあります。
Wilfred Vernon Farrar, Chemistry and the Chemical Industry in the 19th Century: The Henriys of Manchester and other studies, Aldershot: Variorum, 1997 。Variorumは、ひとりの研究者の研究論文を雑誌出版の形態のまま収集採録しています。
この第5論文が、W.W. Farrar, Kathleen R. Farrar, and E.L.Scot, "William Henry: Contagion and Cholera; The Text Book," Ambix, 23(1976), pp.27-52 です。pp.40ff. に The "Epitome" and the "Elements" という節があり、ここで、書誌学的基本を整理してくれています。
ヘンリーの「化学概要」(An Epitome of Chemistry)の初版と第2版は1801年に連続して出版された。初版の序文の日付は1801年3月9日、第2版の序文の日付は1801年6月26日。第3版までは12折版300頁弱。
第4版(1806)と5版(1808)で根本的な変化をみせる。オクタヴォで400頁を超えるようになる。解説付きの8つの図版(plates)が付加され、炉や装置を図で示した。
つまり、ヘンリー自身の版においては、図がつくようになったのは、第4版(1806)からということになります。
ヘンリーの『実験化学初歩』(はじめ『化学概要』)は版を重ねます。そして、非常に興味深いのは、時代の化学の変化にあわせる努力をそれぞれの版でヘンリーがしていることです。その変化をW.W. Farrar, Kathleen R. Farrar, and E.L.Scotの論文は追いかけてくれています。初期の特徴は、ドルトンの原子説の採用だということですが、ほかにもいろんなおもしろい変化を示してくれています。
この論文には、Appendix II: The "Epitome" in Japan という付録がついています。
"There was most concern with medicine and astronomy, and chemistry came rather late on the scene. The first real text-book of chemistry in Japanese was pruduced by Yoan Udagawa in 1837, entitled Seimi Kaiso (roughly, Principles of Chemistry, the first word being an approximation to Chemie). This book has recently been studied by Japanese historians of science. Although at least 30 sources, mostly Dutch, have been traced in its composition, the backbone is provided by Adolphus Ypey's Chemie voor beginnende liefhebbers (Amsterdam, 1803). This was a translation of J. B. Trommsdorff's Chemische Probirkabinet (Erfurt, 1801) which was in turn a translation of William Henry's Epitome (2nd edition, London, 1801). Thus Henry, by this circuitous route, and quite unknown to himself, played a signifcant part in spreading a knowledge of chemistry in Japan." (p.49)
坂口さんの1965年の研究によっています。すぐにわかるように、トロムスドルフの書誌が違っています。正しくは、Chemie Für Dilettanten(1803) です。
Chemische Probirkabinet (1801)自体はとても面白い書物ですが、ファーラーさんもここは、2次文献をそのまま写したということのようです。日本人の研究によれば、という記述なので、仕方がないところです。
ちなみに、その日本人の研究というのは、第1に島尾永康さんのISIS, 63(1972)論文(日本におけるラヴォワジェ化学の受容)、第2に坂口正男さんの科学史研究の論文No.73(1965)をChem.Abs.が抄録したものです。
島尾さんは、ISIS論文のちょっと前に、『科学史研究』(1971)に「Lavoisier化学命名法の日本における確立」という論文を発表されています。
ひとりで4時55分、室温10.1度。ちいさいちびは遠征。中学生は午前練、午後塾。私は準備のため、今日は一度大学に行こうと思います。会議はまだなし。
9時42分武蔵境発の西武線。副研究科長の仕事を引き継いでもらった澤田先生と多磨駅でいっしょになりました。これから大学院新入生に向けてのオリエンテーションだそうです。30分前に着くつもりが、中央線が四谷で20分近く止まったのだそうです。
私はメールボックスに荷物を受け取り、印刷センターに行って、明日3限の配付資料をコピーしました。人数がまったく読めないので、予想の最大値を印刷しておきました。研究室でまず、単位の認定書類をチェックしました。3枚に可をつけ、判子。それから3月の勤務表。そして、科研費の出張報告書。事務の方と2~3回やりとりして完了。
[那須敬さんから新著]
那須敬さんから新著が届いていました。
那須敬『イギリス革命と変容する〈宗教〉:異端論争の政治文化史』岩波書店、2019
博士論文の研究テーマに、最近の教会音楽や議会史の考察をあわせて論じたとあります。
那須敬さん、おめでとうございます、&ありがとうございます。ある程度書類の処理が済んだところで、提出に行きました。3階研究院事務室と事務棟1階教務課です。帰り、研究所で数枚のA3 のコピー。
11時半、生協で昼食。おやつもすこし買いました。12時過ぎ、研究所に行って、挨拶&書類渡し。TA の採用書類を手渡しました。
今日はこのぐらいでよいでしょう。12時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。気温はまだそこまで上がっていませんが、日射しがあると暖かく感じます。最高気温は14度だったそうです。明日の予報は16度。今日よりはいくぶんかまし。
ひとりで5時35分、室温11.3度。4月なのに、かなり寒くなりました。その上、夜は雨が降っていました。中学生は午前練、午後に塾。ちいさいちびは練習試合。おおきいちびは不明。
居間のLED電球のひとつがちかちかしています。どうもLED電球の寿命1万時間というのは嘘のようです。ちかちかは目によくないので、替え玉を買ってくることにしました。9時40分ごろ出かけました。ヨドバシカメラ。同じメーカーのものを選び、ついでに地下の文房具売場で、今年度の授業ファイルを2点買いました。これまで使ったことのない新しい色にしました。
ちなみに居間のLED電球を購入したのは、2014年7月1日。初期不良(?)で4つを交換したのが、2014年11月5日。そのときのものが、Hitachi LDA15D-G 広配光タイプ。今回のが、Hitachi LDA11D-G/100C 広配光タイプ。同じ製品の後継だと見てよいでしょう。真っ白で明るい光です。5年もたなかったことになります。残りは、どうなるのでしょうか。
ヨドバシカメラから徒歩で帰宅。荻窪への道の方が歩きやすい。五日市街道は、横道との交差が多く、横道からやってくる車にいつも気を付けておかなければなりません。セイユウで頼まれた卵、ナン、ウインナー、焼きそば等を買って帰りました。10時40分ぐらいに帰り着きました。ちょうどよい運動になります。帰り着いて、電球を替えてから、すぐに月曜日の授業ファイルと木曜日の授業ファイルを作りました。
木曜日から授業が始まります。実は、木曜日3限の授業(思想文化概論:講義をします)の教室が懸案でした。アゴラグローバル3階のプロジェクトスペースというのが当初割り当てられていた教室です。普段鍵がかかっていますし、図書館の隣なので、私の部屋からは遠い。変更をお願いできないか、教務課教務係にお願いしていたところ、先ほど、スタートの時点から227教室を使って下さいという連絡が来ました。216名収容の教室です。登録者/履修者数は予測するのが難しいのですが、50名を中心に数割の上下かなと思っています。キャパは余りますが、使い慣れた教室なので、設備に慣れがあります。
最悪、アゴラグローバル3階プロジェクトスペースのままでもなんとかしようと思っていました(それに代わりがなければなんとかするしかない)が、助かりました。2019年春学期私の担当の授業は次のようになります。
木曜日3限 思想文化概論 227教室
木曜日4限 本ゼミ(専門演習) 420教室
木曜日5限 卒論演習 512教室月曜日2限 人間と環境A1 223教室
月曜日3限 大学院「画像文化論」 512教室
月曜日4限 大学院「リスク論」 512教室
月曜日5限 大学院「修論指導」 研究室月曜日に4コマ、木曜日に3コマが春学期の基本開講形態です。(秋はすこし変わります。)
2019年度東京外国語大学春学期木曜日は次。
4月 4日
4月11日
18日
25日
5月
9日
16日
23日
30日
6月 13日
20日
27日
7月 4日
11日(最終日)
6月6日は木曜日ですが、学内ボート大会のため全学休講です。2019年度東京外国語大学春学期月曜日は次。
4月 8日
15日
22日
5月 6日
13日
20日
27日
6月 3日
10日
17日
24日
7月 1日
8日(最終回)
休日だが、授業を実施する日があります。
ひとりで4時25分、室温12.8度。おお、もう、4月。新年度の始まりです。ちいさいちびも中学生も部活から始まります。おおきいちびはお台場に行くと言っています。
おおきいちびが10時半頃でかけて、我が家の子どもたちは全員でかけました。正午頃、すこし雨がちらつきました。が、本降りににはならず、晴れました。
夜の8時頃からまた雨が降り始めました。不安定な天候という予報通りでした。正午頃、次の本が届きました。重い本です。
Pamela H. Smith, The Body of the Artisan: Art and Experience in the Scientific Revolution, Chicago and London, 2004
絵だけを見ていました。テキストにふと目を落とすと、知っている名前がいっぱい。パラケルススとかグラウバーのラボが観光名所と化していたとか、デューラーとか。著者名を見て、納得。パメーラ・スミスです。これまで4年間は、4月1日からスタートしました。今年は、4月4日からなんと授業スタートです。今日から授業の準備に本格的に取り組みます。
ちなみに新入生は、4月1日トイックの試験。4月2日健康診断。4月3日オリエンテーション。そして、4月4日から授業スタートです。入学式は、授業がスタートしたあとの土曜日、4月6日になります。昔と比べるとずいぶん変則的です。私の仕事はまずは机の上の片づけ。昨日から着手しています。3月30日の発表のためにけっこう印刷したプリントや、引っ張りだしてきた書物が多くあります。昨日一日では完了していません。今日中には完了させたい。→片づけそのものは完了しませんでしたが、授業スケジュールを作成することはできました。とくに講義の授業は、こちらの準備が死活的に重要です。
2時半前に、散歩を兼ねて、荻窪まで歩くことにしました。20分で着きます。ドンキホーテでちいさいちびのマスクを頼まれています。それから、タウンセブン地下のセイユウへ。卵と豚バラ肉500gも頼まれています。歩いていたら、鯛焼きがあったので、3個買い、さらにパン屋さんでおいしいカンパーニュを買って帰りました。
一駅歩くのは、ちょうどよいぐらいの運動になります。[他人のふんどしでまたまた相撲]
夜になって駒場の橋本さんから、科研費が通ったようだという連絡がありました。平成28年度~平成30年度 2016-2018 の間、「科学技術医学における図像の制作と利用に関する歴史研究」というタイトルで研究を行ってきました。一昨日はその最後の研究発表会で「ラボラトリーの起源:画像と言葉と実態」という発表を行いました。
橋本さんは今回はあまり自信がないとおっしゃっていましたが、通ったということです。
私は3年間に7回発表したことになります。1度は、駒場で3年間続けた授業のレビューのようなことをしました。それを除けば、異なる発表内容では6回です。
2期目は、1期目の発表の原稿化の作業をしつつ、同時に、一昨日の発表内容をもうすこし広げ深めようと思っています。(準備したが、発表では触れることのできなかった論点が少なからずあります。)たぶん新しい研究題目は「近代以降の科学技術医学の学術文献に掲載される図像に関する歴史研究」です。2019-2021年度の3年間。
タイトルにまたまた他人褌相撲としたのは、2014年度から2016年度の3年間は山口科研(「西欧アバンギャルド芸術における知覚のパラダイムと表象システムに関する総合的研究」)の研究分担者、2016年度から2018年度の3年間は橋本科研(「科学技術医学における図像の制作と利用に関する歴史研究」)の研究分担者、さらに2019年度から2021年度まで再度橋本科研の研究分担者ということで、研究代表者にはならずに、9年間、科研費の研究を続けることを指しています。圧倒的に楽をしています。お世話になった方々にほんま感謝です。
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