ひとりで5時30分、室温15.2度。遠征で遠くにいくちいさいちびを5時50分、小学生最後の記念旅行に行くなおを6時20分に起こします。→ちいさいちびは6時25分過ぎ、小学生は5時50分頃でかけていきました。
身分上、おおきいちびは高校生最後の日、小学生は小学生最後の日。ちいさいちびは春休みに入って部活がいきなりブラック化したといって怒っています。花粉症がつらいせいもあります。昨夜は鼻がつまって眠れなかったそうです。
ちいさいちびは聖母学園に行きます。そうとうに遠い。小学生は八景島シーパラダイスに行きます。10人ぐらい、お母さん3人アテンドしてくれるそうです。
11時半頃、お弁当の買い出しにでました。駅前のコンビニでお金を降ろして、ガード下のいつもの弁当屋。
2時頃、妻とおおきいちびが吉祥寺に買い物にでました。おおきいちびは誰かと夕ご飯を食べてくるそうです。
小学生は7時過ぎに帰ってきました。3体のぬいぐるみをもっていました。UFO キャッチャーでとったおみやげだそうです。UFO キャッチャーで景品をとったのはもしかしたらはじめてかもしれません。アームのバネが強ければ、初心者でも取りやすい。八景島はサービスとしてとりやすい設定にしているのかもしれません。
ちいさいちびはよれよれになって8時前に帰ってきました。コンタクトをはずして眼鏡にしています。目が爆発したので、最後の試合は見学していたそうです。目だけではなく、喉も鼻も痛いそうです。おおきいちびが今日は爆発するのではないかと言っていました。自分の花粉症の感じでなんとなくそう思ったのだそうです。ちいさいちびが夕食を食べているあいだ、私も手羽先の唐揚げにかぶりついていました。すると前歯に違和感があり、前歯が一部ずれました。はずれたとまではいきませんが、プラスティクで断片をくっつけてもらっていたところが動きました。なんとも言えない違和感。
片づけは少しずつすすめていますが、ほんとうに少ししか進んでいません。
ひとりで5時30分、室温18.0度。[国府台キャンパス見学]
おおきいちびがキャンパスを見てきたいと言います。自転車通学の可否・様子を確認したいそうです。ついていってやることにしました。
10時21分西荻窪発の総武線。電車のなかで長女はプレイスメントテストの勉強をすると言っています。私は、『百科全書の時空:典拠・生成・転位』を読むことにしました。11時13分市川着。
北口に降りて、まず、バス停を探しました。系統の異なるバス停が3つぐらいありました。病院前で降りればよいそうです。数分でバスは来ました。沿線では桜が満開です。天気もよいし、絶好の行楽日和。
右手に病院が見え、左手に大学が見えたら、すぐに停留所がありました。100メートルほど戻って大学の入り口。まず、駐輪場。一定数自転車が停めています。人もわずかですが、います。
キャンパスのなかに入ってみました。まんなかに古墳がありました。これは予想外です。古墳が中心をしめるキャンパスというのははじめてです。小さな大学ですが、グランドもちゃんとありました。古墳に接した中心の広場はなかなかよい雰囲気です。教室のある建物はたぶん2つ。
途中で見えた公園に行ってみたいというので、キャンパスの横を通る桜並木を歩きました。地元の人が集まるきれいな公園に辿り着きました。桜と花が見事です。(里見公園というようです。)
公園の端まで行くと、川が見えます。降りる道があったので、降りてみました。江戸川の川岸にでました。川岸の道を歩いてみることにしました。
20分ほどで京成線の国府台駅に着きました。駅近くの蕎麦屋さんで昼食。
昼食後、駅近くの和菓子屋さんで、いちご大福を一個買いました。ちいさいちびも小学生もあまり大福は食べません。おおきいちびように一個だけ買いました。
そこから市川駅までやはり徒歩。駅の自転車置き場はすぐに見つかりました。地下にかなり広いスペースがあります。一ヶ月2100円の掲示があります。
ネットで調べると千葉街道沿いに自転車屋さんが2軒見つかると言います。と思ったら、駅前にある古着屋さんに入って、物色。やすいー、と喜んでいます。やすいのを確認してから、遠い方の自転車屋さんへ。そこから舞い戻って、オリンピックの自転車屋さんも見ました。様子を見てから、駅。
駅ビルのなかの店もざっと見てみました。それから総武線。2時2分中野行きがすぐに来ました。お茶の水で中央線快速に乗り換え。特別快速だったので、次は中野で乗換。買い物を頼まれています。駅前のセイユーで牛乳、卵、鶏肉を買ってから、自宅へ。
3時過ぎに帰宅。
ひとりで4時20分、室温18.5度。午後、本郷サテライトにて、編集委員会&理事会。
いつもよりすこしはやめにでかけました。ちょうど1時に御茶の水駅に着きました。記帳のため、銀行へ。なんとできませんでした。窓口に行っている時間はありません。そのまま本郷サテライトへ。1時半ぐらいに着きました。
係の方に挨拶をして、5階へ。ひとりで部屋のセッティングを開始しました。そうこうするうちに古川先生、田中さんが見えました。古川先生は、明日の送別会が最後の仕事になるそうです。田中さんは、新しいプロジェクターを背負ってお見えになりました。5階のあるものより、ずっと明るい。予定通り、2時にスタート。
理事会が3時から。案件が多く、5時45分まで。急いで、部屋の現状復帰を行い、また係の方に挨拶して、帰途。
私はそのまま帰りましたが、残りのメンバーは、食事に行かれました。帰宅すると、ちいさいちびの目が今日は爆発したそうです。花粉症による、どうも浮腫ということのようです。私も今日はずっと左目が痛い。鏡で見ると、ものもらい、めばちこができていました。ちびどもの、パパ、うつさないで、の合唱をあびました。
宿題をちょっとだけすませて、いつもの時刻に就寝。
ひとりで5時20分、室温17.9度。午前中に会議、午後に面談。
→8時半、武蔵境発の西武線。大学前のコンビニ(3月8日からローソンにかわっています)で朝食を買ってから、キャンパス内へ。メールボックスに次の本が届いていました。
[『百科全書の時空:典拠・生成・転位』]
逸見龍生・小関武史編著『百科全書の時空:典拠・生成・転位』法政大学出版局、2018
出版されたばかりの書物です。ご高配いただいた逸見龍生さん、小関武史さん、ほか、執筆者のみなさま、ありがとうございます。
目次は次です。
逸見龍生「はじめに」
第一部 『百科全書』における〈借用〉の思想とその言説戦略
マリ・レカ=ツィオミス「『百科全書』は啓蒙思想の陰謀か」
オリヴィエ・フェレ「借用の哲学──『百科全書』におけるスペイン史とジョクール」
フランソワ・ペパン「哲学の哲学的歴史とディドロ」
逸見龍生「〈意志〉論の神学・政治的布置──ディドロ執筆項目「政治的権威」におけるパウロ解釈」
第二部 テクストの分析──本文典拠とその編集史
小関武史「地名学から自然地理学へ──十八世紀フランスの辞典類はどのような地理知識を伝えようとしていたか」
井田 尚「『百科全書』の制作工程──ダランベールと引用の系譜学」
イレーヌ・パスロン「アブラカダバクス──項目「アバクス」、「地球の形状」における翻訳、再構成、革新」
アレクサンドル・ギルボー「ダランベールの項目「河川」──項目の制作工程と河川の運動への数学の応用」
小嶋竜寿「消費から制作へ──項目「ガーゼ」をめぐる『百科全書』と『商業総合辞典』の比較」
第三部 諸学の交叉と転位
寺田元一「中国伝統医学とモンペリエ生気論──モンペリエ学派による中国伝統医学の受容と生気論の確立」
井上櫻子「サン=ランベールと『百科全書』──項目「メランコリー」を中心に」
川村文重「物質と精神のあいだ 十八世紀化学における活力概念の両義性 」
飯田賢穂「自然法は拘束力をもつか──ルソー『ジュネーヴ草稿』葉紙63裏面に書かれたディドロ執筆項目「自然法」批判」
補 論 『百科全書』典拠索引目録研究
淵田 仁「『百科全書』項目の構造および典拠研究の概要」
すばらしい書物に仕上がっています。→ 18.3.31 川村文重さん、井田尚さん、マリ・レカ=ツィオミスさん、オリヴィエ・フェレさん、ペパンさん、寺田元一さんまで読みました。
→→ 18.4.1 この著作は内容的にも方法的にも、 吉本秀之「ハリス『技術事典』の起源」『化学史研究』第41巻(2014): 20-36 に重なります。必要なので、上記の私の論文を読み直しました。10時半から会合。11時半過ぎまで。ほぼ大学院の打ち合わせでした。生協で昼食を取ってから、キャンパス内をすこしだけ散歩。桜が満開でした。
机の上の片づけ。書類が層をなしています。2月末から残っています。1時半から学生との面談。松浦先生転出に伴うものです。学生を待っているあいだに、パソコンのモニターの下にあった、吉本秀之「日本におけるカメラ・オブスクラ=写真鏡」『Perception in the Avant-Garde アヴァンギャルドの知覚』(ed. Hiroyuki YAMAGUCHI, 東京外国語大学、2016),pp.125-135 も読みました。
2時40分多磨駅発の電車で帰途。暖かくなりました。
夕刻、科博の「人体展」に行っていたおおきいちびと久しぶりのオフで家でのんびりしていたちいさいちびが駅前で落ちあい、カラオケに行きました。10時前に帰ってきました。
ひとりで5時5分、室温16.1度。ちいさいちびは6時。今日は南越谷に行きます。遠征は疲れるようです。
妻が部屋の片づけに着手。私も机のまわりから、片づけに着手しました。片づけは疲れるので、ぼちぼちです。
片づけていると次の論文のゲラがでてきました。
吉本秀之「初期のカメラ・オブスクラの批判的歴史:暗室、玩具、人口眼、写生装置?」『総合文化研究』第19号(2015)(2016.2):189-209
今回用意したものは、これと次、吉本秀之「日本におけるカメラ・オブスクラ=写真鏡」『Perception in the Avant-Garde アヴァンギャルドの知覚』(ed. Hiroyuki YAMAGUCHI, 東京外国語大学、2016),pp.125-135 の続編となります。ちょうどよいので読み直しました。よく書けています。観光のための部屋型カメラ・オブスクラをケプラーとボイルの証言によって、17世紀初頭まで遡らせたところなど、もうすこし注目されてもいいのではないかと思っています。
つまり、覗き眼鏡に焦点をあわせます。→百科事典的著作の記述を調べる必要があることがわかりました。単純に忘れていました。
ひとりで5時35分、室温15.5度。ちいさいちびの遠征ですが、今日は、8時に起きれば間に合うということです。→本日は遠征ではなく、自分の高校でした。
おおきいちびは夜桜を友達と見ると言って、正午すぎにでかけました。千葉の柏にある公園まで行くそうです。私の行ったことのない世界です。(千葉県はあまり行ったことがない。)
午後一度近所のコンビニに買い物にでかけました。一番近いコンビニでお金を降ろし、2番目に近いコンビニでアイスを買って帰りました。
3時過ぎ、出来上がった仕事を1点投函するために外出、ついでに駅前の本屋さんに行って、週間朝日を買ってきました。
A4で1枚の予稿ですが、なんとか作成しました。ずっと準備していたものとは大きく違うものになりました。ずっと準備していたのは、読み上げ原稿(スクリプト)です。これはあと2ヶ月ぐらいで仕上げます。
ひとりで5時25分、室温14.8度。ちいさいちびと妻を6時に起こしました。ちいさいちびは、遠隔地に遠征。1時45分かかります。春休みのあいだは、そういう日が続きます。花粉症でシヌと言っています。
→日が沈んでから帰ってきました。おなかがすいたと夕ご飯をゆっくり食べて、おなかいっぱいと食べ終わると、ねむい、といってソファーで寝てしまいました。10時前に自分で起きて、お風呂に入り、就寝。ほんとうに疲れたようです。息子はカラオケに行きたいと言っています。昼食後、ママに連れていってもらいました。カラオケ終了後は買い物を手伝う約束です。2時間ちかくあと、大きな袋をもって帰ってきました。
ひとりで5時、室温14.1度。雨は上がっています。ちいさいちびは、ハンドのOB・OG 会。8時に起こして欲しいという書き置きがありました。
妻がダウン気味なので、午前中に一度、午後に一度、セイユーにお買い物。
午前中は、息子といっしょにカレーを作ることにしました。カレーを嫌がっているちいさいちびがいません。チャンスです。チキンカレーとポークカレーの両方を作れるように買い物をしてきました。息子がポークカレーを選択したので、2人で、ポークカレーを作りました。息子にはタマネギを切るのを頼みました。かなり目と鼻にくるようです。固いのは私が担当。そして、炒めるのは、8割ぐらい息子にまかせました。
11時半頃妻が起きてきました。11時45分頃、昼食となりました。夕食に関しては、妻が生姜焼きにすると言います。材料の豚肉と生姜とパン類を買ってきました。妻は5時頃、生姜焼きをつくりおきしました。
妻は、夕刻に、おおきいちびのバスケ部の3送会。気乗りはしないが、キャプテンの母がいかないわけにはいかないといってでかけました。
妻がでかけたあと、ちいさいちびの花粉症が悪化。目が痛いと叫んでいます。目薬を差したのが、痛みを悪化させたようです。冷やしたタオルを目にあてて、ともかく、炎症をおさめるようにしました。小1時間で痛みは収まりました。テレビの天気予報では、今年飛ぶ量の7割程度はもう飛び終わった、あと3割です。もうしばらくのしんぼうですというコメントがありました。ちいさいちびにはそのもうしばらくが遠征での練習試合が続き、つらいものになります。
レジメ作成に着手。1枚なので、すぐに仕上げることもできるのですが、実際の発表内容をつくりつつ、1枚に絞ることにしました。29日締切と言われています。そこまでには仕上げます。世界を写す平面、系譜と分類、みたいな話をしたいのですが、その前段階の発表を今回は目指します。
ひとりで5時10分、室温13.6度。暖かいというほどではありませんが、寒くもありません。もう一度冬は舞い戻ってくることはないかと思います。[息子の小学校の卒業式]
息子の小学校の卒業式。私はお留守番。妻が参加します。おおきいちびはディズニー、ちいさいちびは終了式。おおきいちびは6時半前に自分で起きて、7時10分過ぎにでかけました。しかし、しばらくすると電話。チケットを入れてポーチを忘れたそうです。私、息子、妻の順で探しましたが、見つかりません。しばらくすると本人が戻ってきました。ソファーの下に落ちていました。ぴーぴー、きゃーきゃーいいながら、またでていきました。
ちいさいちびは、7時半に起きて、いつもの時刻です。ねむいーといいながら準備。こちらは出かけたと思ったら、1分以内に、ディンドン。マスクをするのを忘れたそうです。花粉症をかかえていますから、この時期マスクは必需品です。
息子は自宅前で写真を撮ってから、8時半ごろでかけていきました。友達がランドセルを背負っているのを見て、ぼくもランドセルにするといって戻ってきました。ランドセルのなかみをざーざーざーと床にばらまき、空のランドセルを背負っていきました。妻はその10分後にでかけていきました。
お昼過ぎに帰ってきました。そして、夕刻、吉祥寺で、卒業祝いの食事会があるそうです。こちらもママとでかけます。
→2時に公園に集合ということで、着替えて出かけていきました。食事会(卒業式の2次会)には自分たちで行くそうです。つまり、母親とは別行動となりました。
自宅での夕食は私と昼過ぎに帰ってきたちいさいちびの2人。妻が出かける前、ちいさいちびが疲れてソファーで寝込んでいるあいだの3時半頃、近くのセブン・イレブンに行って、お金を降ろし、レトルト食品と冷凍食品を一式買ってきました。
私の夕食は、昨日ちいさいちびが帰ってきてほとんど手をつけなかった鶏肉をもったいないので食べることとしました。
ちいさいちびは8時頃、冷凍食品の焼きそばを食べました。量的には私にちょっとすくないのですが、中華の焼きそばです。おいしくて気に入っています。卒業式組は、食事会のあと、みんなでカラオケに行ったそうです。雨のなか、10時過ぎに帰ってきました。おおきいちびはその15分後ぐらいに帰ってきました。
視覚文化史2014-17、2017年12月まで更新しました。情報を付加しました。
ひとりで4時55分、室温10.6度。雨。昨日からの雨がまだ降っています。予報によれば、雨は午前中に上がって、18度まで気温が上がるということです。ちいさいちびは午前中授業。授業が終わってすぐに、練習試合にでかけるそうです。東村山まで。
ずっと先延ばしにしてきた散髪に行くことにしました。9時。一番近いセブン・イレブンでお金を降ろしてから、たぶんそのお店の今日1番の客として、いつもの散髪屋さんへ。以前からずっと左肩が痛いのですが、理髪店の台の上で上向きになって顔を剃ってもらっているときにも耐えられないというほどではないのですが、左肩の痛みがやってきて、けっこう困っていました。わずかに姿勢を変えながら、耐えました。
おおきいちびが生協の加入と保険の手続きが今日までだと言います。医者になるわけでも看護士になるわけでもありませんが、医療関係者。本人が不安がるので、保険にも加入しておくことにしました。3時過ぎ、朝と同じ我が家から一番近いセブン・イレブンに行って、必要なお金を降ろしてきました。おおきいちびはそのお金を受け取って、郵便局で支払い。各年払いの保険料もあります。口座にお金が残っているようにしないといけません。
なお、おおきいちびは、今日の夕ご飯は友達と食べるそうです。吉祥寺に行きました。明日は、やはり1年生のクラスメートの友達とディズニーに行くそうです。あそびおさめだそうです。
ひとりで6時10分、室温11.9度。→週間天気によれば、本日は、雨で、最高気温も最低気温も2度。明日は、最低気温7度で最高気温19度です。休日。おおきいちびは、OB/OG戦。妻も参加するようです。
10時前、お昼と夜の材料を買うため、雨のなか、セイユーへ。妻には、ちいさいちびと小学生とパパのお昼と夕ご飯は任せると言われています。お昼は、冷蔵庫にある(以前私が買ってきた)焼きそばにすることにしました。お肉だけ買い足せばよい。夕ご飯は、今日だけ真冬に戻ることを考え、冬の定番、鍋にすることにしました。
駅前のコンビニでお金をおろして、3千392円分の買い物をして、帰途。帰り道、雨はみぞれに変わりました。そして、お昼前、みぞれは雪に変わりました。しばらくすると、雪が積もっています。明日まではたぶんもたないと思いますが、春分の日に雪が積もっている光景を見るとは思っていませんでした。妻はお昼に一度帰ってきました。妻は寒い体育館が苦手です。寒い、疲れたといって帰ってきました。お弁当を食べ、一休みしてから、3時頃また出かけていきました。
夜は6時過ぎに帰ってきました。おおきいちびもすぐあと帰ってきました。おおきいちびはバスケ部の卒業文集をもってかえっています。最後は1年生にやってもらったようですが、製作のかなりの割合をおおきいちびが担っています。一部私が手伝いました。70期の女バスはもめていました。衝突があったことがこういう文集には逆によくでていると言えるところもありました。
ひとりで4時50分、室温15.1度。→週間天気によれば、本日は最高気温も最低気温も7度、明日は、最低気温が2度最高気温が4度です。なんか、寒さがつよくなっています。木曜日からはもとにもどります。さて、本日は会議だらけ。午前中に2つ連続。午後に2つ続き、5時半から定年退職される先生方の送別会があります。
駅前のパン屋さんで昼食のパンを買って、9時18分武蔵境発の西武線。
研究室のメーンのプリンターの調子がずっとおかしかった(全体的に文字や画像がかすれる)のですが、トナーを替えてみました。問題は解消しました。スキャナーの機能もそなわっていて、最近はもっぱらスキャナーとしてだけ使っていました。
中会議室で10時から会議。この会議は司会を務めました。5階に上がって10時半から次の会議。11時半ごろ終了。
中会議室で3時から会議。すこし待たされました。隣の大会議室で待機。30分強で終了。メールボックスを見て、研究室に戻りました。教務課記録係から処理すべき書類が入っていました。すぐに処理しました。
処理した書類を記録係に渡して、アゴラグローバルでの4時からの会議。退職される先生方の挨拶。おふたりは、定年退職。おふたりは、他大学への転出。難しい案件はなく、1時間以内で終了。
[退職教員送別会]
5時半から送別会。こちらも司会を任されました。7時半で一度中断。2次会に参加して10時前まで。10時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。
定年退職されるのは、金井光太朗先生と相馬保夫先生のお二人。お二人とも役職経験者です。
比較的近所の大学に移られるのが、松浦先生。松浦先生は、実は、私が7月1日に着任した同じ年の10月1日に着任されています。外語の教員としては、私の方が3ヶ月だけ先輩ということになります。もちろん、松浦先生は、外語出身の方なので、私よりもずっと外語のことは詳しいのですが、教員歴は私の方が長いということになります。
ちょっと遠目の大学に移られるのが、博多先生。博多先生は、まだお若い方なので、教授会での挨拶もごく短いものでしたし、送別会は欠席されました。
ちなみに、送別会の最中鈴木茂氏と話していて、外語にもっともながくつとめている方は誰だろうか?という話題になりました。鈴木茂氏は、1983年着任です。35年目になりますが、林先生の方がはやいと気付かれました。林先生は、1980年着任です。26歳のときの着任ですから、最後までおつめになると、ほぼ40年です。最後まではおつとめにならず、1年はやく退職されるそうですが、それにしても、今後は、ありえない長さになると思われます。
数えてみると、私より先に着任されてまだ在職されている方は、林先生を筆頭に10人です。なんと、私も11番目のベテラン教員ということになります。今井先生と同着です。おどろきいがいのなにものでもないといえます。
ひとりで4時20分、室温14.9度。午後に会議が2件。
今日は、ずっと曇りで夜になって雨の予報。週間天気によれば、今週はずっと曇りと雨。21日春分の日は、最低気温5度、最高気温6度。春分の日に、真冬の寒さが舞い戻ります。
10時半武蔵境発の西武線。
1時40分から会議。2時前に終わりました。
2時半から会議。4時過ぎまで。4時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ちいさいちびは部活がはやくおわったといってもう帰ってきていました。小学生は2階で友達と遊んでいました。おおきいちびは、私より30分から1時間程度あとに帰ってきました。
ひとりで5時20分、室温12.8度。おおきいちびは卒業旅行、ちいさいちびはオフ。
おおきいちびは9時新宿のバスタ集合と言っていました。バスの予約はおおきいちびが担当しています。8時33分で間に合うと言っていましたが、はやめに行って待っていればと、10分程度はやく送り出しました。昼下がり、ちいさいちびが撮り溜めたテレビ番組を見ている最中に、買い物にでました。お餅、卵、焼きそばに、何種類かのソースを近所のコンビニで買ってきました。夜のお好み焼きの追加材料です。
ひとりで4時25分、室温13.1度。気温の上下動が激しい。来週には最高気温が10度に達しない真冬日があるようです。→週間天気によれば、本日の最高気温が12度、20日(火曜日)が12度、21日(水曜日)が8度です。水曜日だけ真冬が舞い戻ります。息子はいつも通り7時前後に起きてきました。晴れ。
昨夜、息子の制服ができあがったという連絡がありました。息子は寿司を食べたがっています。ちょうどよいので、駅前の回転寿司で昼食に寿司を食べて、服をとってくることにしました。正午頃、ふたりで出動。
よく目にするお店ですが、私がなかに入るのははじめて。息子はママとよく来ています。息子は、まぐろを中心によく食べました。
お店が開くのは1時からだそうです。まず、妻に頼まれた買い物をするためセイユーへ。息子がカゴを持つというので、持たせました。ゆっくりめに買い物をすませ、お店に。指定された時刻の5分前ですが、こういうお店はだいじょうぶなことが多い。細長いビルの4階へエレベーターで上がりました。すぐになかからお姉さんがドアを開けてくれました。
一応、試着。丈も裾も長い、ガクラン姿の息子が現れました。まあ、こんな感じでしょう。室内運動靴と合わせて、46,805円。夏服は、5月になってから、またとりに来るそうです。控えを受け取って、帰途へ。
途中ガード下のお弁当屋さんで、おおきいちびの弁当を買って帰りました。制服と靴は息子本人が持ちました。
帰宅すると、おおきちびはソファーの上で、すやすや寝ています。ちなみに、おおきいちびは明日から、バスケ部で卒業旅行に行くそうです。バスで、富士のふもとにいくようです。はじめて全員が揃ったと言っていました。その旅行代金、13,120円も払ってやりました。
ひとりで4時55分、室温18.8度。おお、朝の室温が18.8度。ほんとうに夏のようです。予報ではお昼前後に雨で、最高気温が17度。明日は13度ですから、季節がもとに戻ります。午前中に会議。
午前中にすこしだけ大学の仕事をしてから、出かけました。9時30分武蔵境発の西武線。大学前のコンビニで朝食を買ってから、事務棟メールボックスへ。郵便が4通届いていました。それから研究室へ。すこし片づけをしているうちに、会議の時刻。10時半から11時半まで。いつもの場所です。
研究室に戻り、荷物をもって、生協へ。クイックランチ。今日はもう大学に用はありません。1時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。
帰途、駅前のコンビニで財務的用件の処理。今学期、残るは、月曜日と火曜日の会議です。火曜日の研究院教授会終了後は、定年退職される先生方の送る会があります。
ちいさいちびは雨のなか、レインコートを着て自転車で帰ってきました。駅伝は補欠の方にかわってもらったそうです。なお、クラマの成績はブービー賞だったそうです。
Facebbook で米本昌平氏のブログ「ニセ仙人山籠り」に遭遇し、米本氏が『中央公論』1997年12月号に掲載した評論「スウェーデン断種法とナチス神話の成立―戦後精神史から近未来への視程を求めて」をダウンロードし、プリントアウトして読みました。優生保護法、20世紀の優生学を知る上で、必須の歴史的前提が記されています。米本氏の指摘する通りです。
「優生学とは結局、19世紀末から20世紀全般を貫いた、自然を科学技術を動員して改良しようとする広義の現代化精神の一部として、必然的に繰り返し出現してきてしまうもの、と言ってよいだろう。」ナチスに限定される悪などではまったくない。
ここで「自然」とは、外部環境としての「自然」だけを指すのではなく、「遺伝物質や遺伝子という、内なる自然」をも指した。そして、人間集団の改良もしくはその劣化を免れようとして、科学技術を用いたのである。
「地球環境問題の領域でしばしば、「未来世代への責任」が力説される。しかしこの表現は、優生政策を駆使して人種主義的な千年王国を構想したヒトラーが強調したスローガンであった。」
ひとりで5時5分、室温15.7度。いきなり春を超えて、初夏に達したかのような朝の室温です。昨日届いた雑誌の発送の仕事があります。
9時過ぎに郵便局に行って、2点の封筒を出してきました。1点は国内、1点はアメリカです。ついでにセイユーで昼食と夕食の材料を買って帰りました。
今日はちいさいちびの部活のない日です。4時過ぎに帰ってきました。昨日よりずっと落ち着いていました。テレビの前に座り、ハムとウインナーソーセージを食べ、しばらくテレビを見ているうちに、ソファーに横たわり、寝てしまいました。クラマの疲れがたまっています。実は、明日、最終日の駅伝があります。でるかどうか、迷っていました。明日の朝の体調で決めることにしたようです。
午後、次の本が届きました。小松美彦氏の配慮による献本です。小松美彦さん、ありがとうございます。
香川 知晶、斎藤 光、小松 美彦、島薗 進、安藤 泰至、轟 孝夫、大庭 健、山極 壽一
『〈いのち〉はいかに語りうるか?─生命科学・生命倫理における人文知の意義─』(学術会議叢書24) 日本学術協力財団、2018(3月12日)
2016年11月26日、日本学術会議講堂で開かれたシンポジウム「〈いのち〉はいかに語りうるか?─生命科学・生命倫理における人文知の意義─」の書籍化です。
目次は次です。
発刊に寄せて / 日本学術会議会長 山極 壽一
発刊にあたって / 第23期日本学術会議哲学委員会、いのちと心を考える分科会委員長 香川 知晶
はじめに─〈いのち〉、人文知からのアプローチ / 山梨大学名誉教授、日本学術会議連携会員 香川 知晶
1 「 遺伝子」概念・「細胞」概念のゆらぎと拡散 / 京都精華大学ポピュラーカルチャー学部教授 斎藤 光
2 〈 いのち〉はいかに理解されるか─科学的生命観と人生論的生命観 / 武蔵野大学教養教育部会教授 小松 美彦
3 医学・医療領域におけるゲノム編集の倫理問題─人をつくりかえる技術は許容できるか? / 上智大学大学院実践宗教学研究科教授、日本学術会議連携会員 島薗 進
4 生命操作システムのなかの〈いのち〉─生の終わりをめぐる生命倫理問題を中心に / 鳥取大学医学部准教授、日本学術会議連携会員 安藤 泰至
5 〈 いのち〉はいかに語りうるか─ハイデガー技術論の観点から / 防衛大学校人間文化学科教授 轟 孝夫
6 技術と欲望─ニーズに応えるという陥穽 / 専修大学名誉教授 大庭 健
付論:生命倫理の倫理性─学際領域と人文知の現在 / 山梨大学名誉教授、日本学術会議連携会員 香川 知晶
香川 知晶さんによる終章、「付論:生命倫理の倫理性─学際領域と人文知の現在」だけまず読み通しました。 終刊することになった『状況』における斎藤 光の論文に大きく依拠して書いたとあります。見通しのつく、論考になっています。
ひとりで6時20分、室温14.0度。すっかり春。午前中に会議。
9時30分武蔵境発の西武線。
会議は10時半から12時過ぎまで。会議終了後、生協で昼食をとってから、帰途。12時40分多磨駅発の電車。
セイユーでアイスを買ってから帰宅。
帰宅すると、『化学史研究』の最新号、第45巻第1号(2018)(通巻162号)が届いていました。目次は次の通りです。
第45巻1号(2018)目次 [論文] ジェフリー・アラン・ジョンソン「 生物有機化学から分子生物学と合成生物学へ―エミル・フィッシャーの夢の実現― 」第45巻(2018): 1-14
[解説] 佐藤正弥 「 ハーバー博士と日本 前編―駐日ドイツ大使ゾルフと共に 日独学術・文化交流に遺した足跡―」第45巻(2018): 15-26
[解説] 佐藤正弥 「 ハーバー博士と日本 後編―駐日ドイツ大使ゾルフと共に 日独学術・文化交流に遺した足跡―」第45巻(2018): 27-39
[広場] 新井和孝 「2017年度年化学史研究会発表会(化学史年会)報告 」第45巻(2018): 40-42
[紹介] 山田俊弘 「ガリレオ・ガリレイ『星界の報告』講談社学術文庫、2017 」第45巻(2018): 43-44
[紹介] 升元健太郎,齊藤万丈,藤本大士, 片岡雅知,住田朋久 「ISIS 特集「なぜ科学博物館が重要なのか」 」第45巻(2018): 44-47
[紹介] 大野誠「Agusti Nieto-Galan, Science in the Public Sphere: A History of Lay Knowledge and Expertise, 2016 」第45巻(2018): 43-44
[紹介] 橋本毅彦「水沢光『軍用機の誕生―日本軍の航空戦略と技術開発』吉川弘文館、2016 」第45巻(2018): 49-51
金曜日はまた午前中に会議がありますが、明日はなし。やっとひとやすみできます。
ちいさいちびはいつもよりいくらか遅く帰宅。つかれたー、といって入ってきました。それからしばらくして泣き崩れました。学校のクラスマッチで負けたのがくやしかったということです。負けたあとも泣いたが、3位決定戦には勝って、3位になったそうです。それよりなにより、準決勝で負けたことが悔しかったそうです。
クラマでこんなにくやしくて泣くことになるとは思ってなかったそうです。そうです。もちろん、誰もそんな予想をすることはできません。
ひとりで4時10分、室温12.6度。昨日からの続きの仕事。たぶん、10時から6時ぐらいまで。すこしはやめに終わって、明日に持ち越すかもしれません。
駅前のパン屋さんですこしだけパンを買って、8時42分武蔵境発の西武線。
10時前に集合場所へ。
ほぼ4時に終了。
4時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。暖かい。帽子もマフラーもとって、途中からコートも脱ぎました。
駅から家の中間ぐらいの場所で、自転車に乗っている荒先生とすれ違い、しばらく立ち話。お元気そうでした。すこしまえに、沓掛さん、上村さんといっしょに飲んだそうです。すごいメンバーです。
ひとりで4時55分、室温12.4度。最高気温の予報は、15度。寒くはありません。一年で一番長い日。午前中は、後期日程入学試験。監督業務。午後は、学部生と大学院生の終了進学判定の会議が続きます。大学院専攻会議、学部(旧学部、新学部)、そして研究科教授会と連続します。順調に推移して終了が5時半。研究科は案件が多いので、もうすこし延びると予想しています。その後、総合文化研究所で今年他大学に移られる先生の送迎会。私は明日も一日仕事なので、途中でおいとまするつもりです。
最後を中途退席してさえ、大学に12時間以上滞在することになります。お弁当をカバンにつめて、我が家で一番に家をでました。7時54分武蔵境発の西武線。大学前にリニューアルしてローソンとなったコンビニで、簡単な朝飯と夜の氷を買って、講義棟に。約1時間、ちょっとしたこなし仕事をすることができました。
9時過ぎに集合。後期日程なので、半分ぐらいは欠席します。実際に来ていたのは、3割から4割といったところでしょうか。1時過ぎに、解放されました。
1時半から会議が連続します。最初の方の会議はどれも順調に進行しました。つまり、はやめに終わりました。
4時から始まった研究科教授会は、案件が多く、予想とおり、予定の5時半ではとても終わらず、6時をおおきく過ぎてから終了。
一度自分の研究室に戻り、それから総合文化研究所へ。おふたりの先生の送別会。
十数人が集まりました。持ち寄りの会合。私は明日があるので、9時前にお暇しました。同じく明日仕事のある岩崎務先生といっしょに9時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ホテルの部屋で5時前後。旅先でもいつもと同じぐらいの時刻に目覚めます。月、火、水と重要な仕事があります。橋本さんと河野さんは京都近辺を旅行して帰られるようですが、私は、まっすぐ帰ることにしました。
始バスの時刻をネットで調べました。百万遍で5時45分、京大正門前で5時46分です。ゆっくりと身支度をして、5時半前にホテルをチェックアウトしました。
百万遍近くのコンビニでコーヒーを頼みました。紙コップをもったまま、バス停にならびました。もちろん、私の他に並んでいる人はいません。早朝です。まだ暗い。自転車で疾走する人はすこし見かけますが、歩いている人はほとんどいませんでした。
車の通りもすくなく、バスは時刻通りに来ました。私が8番目か9番目の乗客でした。満員になるほどではありませんが、けっこう、乗り降りがあります。30分程度で京都駅に着きました。
まず、みどりの窓口で、新幹線の切符を購入。起きてから帰るつもりだったので、新幹線の切符は買っていません。買い物に30分を計算して、6時48分京都発ののぞみ102号にしました。
空いているお店もないようなので、新幹線ホームに入りました。お店は、6時半開店とあります。仕方がありません、15分待ちました。開店と同時に、お土産をさっさと買って、ホームに上がりました。10分ほど待機。
全席が埋まっていたわけではありませんが、かなり混んでいました。私は、お土産と同時に買ったサンドイッチを食し、休憩。8割方寝ていました。
9時10分頃、東京駅到着。中央線快速に乗車し、日曜日なので、荻窪で鈍行に乗り換え、10時前に家に帰り着きました。
ちいさいちびは眼が腫れたせいで、今日の部活を休んだそうです。花粉症が眼に来て、かわいそうなことになっていました。睡眠不足もあるのでしょう、しばらく休むことが大切です。帰宅すると、次の本が届いていました。村上師匠からの献本です。
村上陽一郎『<死>の臨床学:超高齢社会における「生と死」』新曜社、2018私は荷物を片づけてから、アンナチュラルを見ました。
2時過ぎ、ちいさいちびが眼の痛みを訴えているので、日曜日もやっている眼科医に女性陣3人ででかけました。私と小学生で留守番。花粉症の時期は部活できない、とちいさいちびは言っています。→眼科医が混んでいるということで、5時過ぎにやっと帰ってきました。ちいさいちびはお風呂に直行。妻は買い物をしてくるそうです。
夕刻、ちいさいちびがパパ、おかねー、と叫びました。聞くと、2年生の教材費の支払いが明日なんだそうです。1万9千円。手持ちにはありません。妻に、任せました。
ひとりで4時55分、室温12.8度。6時前に家をでて、京大人文研に向かいます。朝10時から夜6時までの橋本科研に参加します。私の発表は準備しきれていませんが、できたところまでをもってでかけます。
パソコンは持っていくので、大学のアドレスに連絡してもらえば、夜には返事できるのではないかと思います。→グーグルの案内に従い、5時45分に家をでました。5時55分西荻窪駅発の中央線。この時間帯の電車は、総武線ではなく、中央線です。つまり、東京駅に着きます。6時30分に東京着。6時47分東京発のぞみ295号です。座席は、7号7番D。
新幹線ホームに上がると、のぞみはすでにドアをあけて待機中でした。
のぞみのなかでは9割方寝ていました。9時8分に京都駅着。
バス乗り場に向かいました。この時期なのにすごい人が並んでいます。案内の方に、京大行きのバスの乗り場を教えてもらい、向かいましたが、人数が多くて、次のバスになりました。道路がすごく混んでいるという感じでもありません。つまり、渋滞はなし。
百万遍に10時に着きました。そこから歩いて、人文研まで。本館3階セミナー室についたときには、10時10分。つまり、10分の遅刻です。
夜まで延々やる研究会です。開始の10分の遅れはおおきくはありません。予定通り、午前中は田中さん、午後は橋本さん、河野さん、吉本の順に発表しました。私の発表が終わって、6時半過ぎ。急いでホテル(田中さんにとってもらっていた京大の附属施設、芝蘭開館別館です。橋本さん河野さんといっしょにチェックインし、ホテルの部屋に荷物を置いてから、7時10分に田中さんと合流。タクシーで予約してもらっていた飲み屋に向かいました。
ホテルに帰り着いて、11時前後。私は、すぐに風呂に入り、そのまま就寝しました。
私の発表そのものですが、結局、「東大駒場画像文化論・画像文化史の授業(2015-17)のレビュー」を行いました。東大駒場の橋本さんの依頼で、2010年以降、駒場で科学史特論の授業を比較的長く、継続的に行いました。
2011年度 ロンドン王立協会・パリ科学アカデミー再訪:科学革命の見直しに向けて
2013年度 初期近代の生理学史・医学史・生物学史:ハーヴィーを中心に
2014年度 2013年度の継続 (田中祐理子さんの『科学と表象』を使う)
2015年度からテーマを画像文化史に変更、2017年度までの3年間継続。
そう、2015年度から今年度まで3年間連続して、画像文化史/画像科学技術史をテーマに取りあげました。
授業のレビュー(一種のFDに当たると思われます)として、私は3点を指摘しました。
1. この年からの授業の工夫:参加者全員による15分以内の画像提示(授業時間が90分+15分となったことへの対応を兼ねる。開始15分をこれにあてた。)
アメリカの画像文化史家ヴァネッサ・シュヴァルツさんの授業シラバス(2010年度視覚研究入門)を参考にして、導入した。具体的には次の通り。参加者全員が順番に1枚の図像・イメージを授業に持参し、その画像の基本(1.何なのか。2.どうしてその画像を選んだのか。3.出典)を説明する。
この種の授業ではとても有意義な試みであった。こういう分野の授業を行う際には、取り入れてもらうとよいと思う。
なお、どうしたものを探せばよいのかわからないという学生には、I.B. Cohen(ed.), The Album of Science (New York, 1978-89) 邦訳『「マクミラン」世界科学史百科図鑑』(原書房、1992-4)を繙くことを奨めた。
2.*教訓1
具体的な画像・イメージに注目して分析するのが目的の一つであったが、画像0での発表も少なくなかった。歴史学だけではなく、人文学はテキストの学として成り立っている。画像・イメージが視野からはずれてしまうことがあることに注意しておくべき。
論文中に、必要な画像を必要な仕方できちんと取りあげなければならない。
注の形式が人文社会系の学問でだいたい決まっているように、画像についても、それがただの装飾・挿絵でない場合には、利用の仕方について一定の共通了解があるべきだと思われる。
たとえば、クレーリーが『観察者の系譜』で行ったように、掲載する図像の典拠(ソース)を示さないのはまずい。すくなくとも画像が意味をもつテキストにおいては、ソースをしっかりと示す習慣が形成されるべきだと言える。
また小さすぎる図版もあまり意味がないと思われる。図版に重要な意味がある場合、一定の大きさを確保すべきだと思われる。
まとめると、適切な大きさ(解像度)と正確な典拠の明示は最低限必要だと言える。
3.*教訓2
レビューの必要性。
橋本毅彦(2008)と田中祐理子(2013)を複数回使っていることからわかるように、この分野における欧米の新しい研究や研究動向を日本語で紹介するものが教育目的だけではなく、研究を先に進めるためにも必要。
とくに、橋本さんによる、Klaus Hentschel, Visual Cultures in Science and Technology: A Comparative History, Oxford: Oxford University Press, 2014 のレビューは必須であろう。
日本語の研究動向をまとめたものもあった方がよいだろう。文献としては次のことを指摘できる。
画像文化論・画像文化史の分野の基本的な参考文献
どの分野から参入するにせよ、基本文献として指定できるものはほぼ共通する。
ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜:視覚空間の変容とモダニティ』 遠藤知巳訳、十月社、1997以文叢書、2005
長谷正人・中村秀之編訳『アンチ・スペクタル:沸騰する映像文化のアルケオロジー』東京大学出版会、2003
ジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー BURNING WITH DESIRE』前川修・佐藤守弘・ 岩城覚久共訳、青弓社、2010
青弓社が出した視覚文化叢書の5冊は、視覚文化研究書として貴重。
視覚文化叢書 1 :ジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー BURNING WITH DESIRE』前川修 , 佐藤守弘 , 岩城覚久訳、青弓社、2010
視覚文化叢書 2 :長谷正人『映画というテクノロジー経験』青弓社、2010
視覚文化叢書 3 :佐藤守弘『トポグラフィの日本近代 江戸泥絵・横浜写真・芸術写真』青弓社、2011
視覚文化叢書 4:大久保遼 『映像のアルケオロジー 視覚理論・光学メディア・映像文化』青弓社、2015
視覚文化叢書 5:増田展大『科学者の網膜: 身体をめぐる映像技術論:1880-1910 』 青弓社、2017
ひとりで5時10分、室温13.4度。雨。まだ雨が降っています。ちいさいちびは7時。
ちいさいちびは今日は家には戻らず、友達のお家でお泊まり会。ソファーの上に荷物が用意していました。
午後一番で会議。
午前中に確定申告の書類を作成。一番重要な源泉徴収票が見つかりません。半時間ぐらい、部屋を整理しつつ探しました。
ここに入れたらわからないという場所に入れていました。
今は昔と違って、パソコンに向かい、言われるままに数字やデータを入力するだけです。11時頃なんとかおわりました。封筒に詰めて、投函すれば完了。
おおきいちびの大学から、保険料やらなんやら、入学金や授業料ではカバーできないお金を15日までに入金するよう報せが入っていました。ちょうどよいので、おおきいちびを連れだし、まず郵便局。確定申告書を投函しました。
それから駅前に。先に別の銀行でお金を降ろして、必要なお金(8万7千円強)だけ渡して、自分で入金させました。私は振替用紙で払うつもりだったのですが、大学から来た書類には、 ATM等で支払うようにと指示があります。 ATMで支払うというので、入力を任せました。受験番号が必要になって、一度ママに電話するうちに、タイムアウトで最初うちこんだものは無駄になりました。
でも、一度やっていれば、2度目は簡単です。すぐに完了。
私はそのまま大学へ。おおきいちびは買い物のため、セイユーへ。12時6分武蔵境発の西武線。そのまま生協に向かい、簡単な昼食。
一度研究室にいって、すこしだけパソコンに向かい、1時から会議。2時40分程度まで。その後、シンガポール経由でインドネシアから今朝帰国されたばかりの研究科長と情報交換。3時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。
ひとりで4時50分、室温10.9度。[長女の高校卒業式]
おおきいちびの卒業式。5時に起こします。妻も5時。→おおきいちびはなんと自分で起きていました。興奮してあまりよく眠れなかったそうです。妻は眠そうでしたが、5時15分には起きてきました。→おおきいちびは5時40分、妻は8時前に出かけていきました。こんなに朝が早いのは、荻窪にでかけて、袴を着付けてもらってからでかけるせいです。荻窪のお店からは、友達といっしょに学校に行くそうです。
なお、おおきいちびは一度家に帰ってきて、夜は、打上だそうです。焼き肉に行くと言っています。お昼ご飯を食べる余裕は毎年ないのだそうです。この時期はちょうど国立大学前期日程の合格発表があります。外語は6日でしたが、一番遅い10日の東大まで連続します。卒業式の最中に、合否が明らかになります。(最近は、ホームページに合格者番号を掲載するのが普通になっています。そうじゃないところもあります。)K高校は、すべての発表が終わってから、卒業式をするそうです。私は、そちらの方が理に適っていると思います。(3月8日合格発表は、近場では、千葉大、御茶ノ水大、東工大等、3月9日発表もけっこうあります。一番遅いのは、東京芸大の3月13日ですが、ここはいずれにせよ特殊です。)
息子はいつもと同じ時間に起きて、いつもと同じ8時5分に出かけていきました。試験から解放されてのんびり寝ていたちいさいちびですが、集合がかかって、9時半に起き、10時前に急いで用意をして出かけていきました。昨夜は花粉症がひどくなり、眼が真っ赤になっていました。今朝はかなり収まっていますが、それでもまだ眼に赤みが残っています。花粉より寒い方がましだといって傘をさしながら走っていきました。
私は、泥縄ですが、土曜日の発表の準備に集中します。つまり、ひとりお留守番。出入りする家族を出迎え、送り出します。
妻は3時過ぎにさむいさむいといって帰ってきて、お弁当を食べ、4時前にまた出かけていきました。
小学生はいつも通り3時40分頃帰宅。
妻は9時半頃、おおきいちびは10時前に帰ってきました。今日は一日冬の雨が降っていました。最高気温も6度ぐらいだったようです。
[長女の大学受験]
朝一番で、長女宛に大学から「平成30年度入学手続き書類看護学専攻」が届きました。3月15日9(木曜日)提出締切とあります。簡易書留で郵送するように指示があります。おおきいちびは、ずっと御茶の水女子大学の食物栄養学科を志望していました。ここは他の国立大学にはあまりないということもあり、東大並みの偏差値が要求される学科です。しかし、おおきいちびは、秋頃、保健師を目指すと進路変更。受験科目がそれなりに変更になるので、通っている塾には反対されたそうですが、高校の先生もわれわれ親も、行きたいなら必要な勉強をすればよいと言いました。
保健師になるための学科は、あまり知られていませんが看護学科です。
どの大学にするかはいろいろ悩んでいましたが、結局、第一志望を東京医科歯科大学保健衛生学科看護学専攻としました。近隣の国公立では、千葉大、横国、首都大学等にあります。私立では、慶應や聖母を吸収合併した上智。首都圏の看護学では千葉大がよいそうです。我が家からは、しかし、医科歯科が便利。
高校3年生のクラスは生物クラス。
秋の終わり頃、推薦入試を受ける資格(5段階評価の成績の平均値が4.*以上という条件があります)があることが判明。資格があればチャレンジしてみようということで出願。12月上旬、論理思考力の筆記試験、小論文作文、集団討議、個人面接の試験に臨みました。論理思考力の筆記試験はほぼ何もできなかったそうです。小論文は普通にはできた、集団討議では笑いをとり、個人面接はあっと言う間に終わったそうです。
比較的数多く(20人程度)とり、志願者数は2倍強でした。
センター試験と違って、こういう試験の合否予想は難しいのですが、基本5割の確率で受かることがあるだろうと思っていました。
12月18日(月曜日)合格発表。ネットに合格者の受験番号が掲示されます。私は大学の授業がありましたが、3限と4限のあいだに、研究室にもどり、医科歯科のサイトを見ました。合格者を掲示しているページにアクセスできた瞬間、おおきいちびの番号が目に入りました。半々かなと思っていたところ、合格の方の半分でした。これは、たすかるー、というのが親の正直な感想です。何がたすかるって、財政的に非常にたすかる。
妻と長女は、スマホで確認したようです。
翌日の夜、通知書が送られてきました。その翌日、駅前の銀行で入学金を支払い、授業料振替の書類に銀行印をもらいました。あとは、長女が自分で大学に行き、入学金支払いの領収書と授業料振替書類を入試課に渡せば、ひとまず、合格手続きは完了です。さて、自分は受かりましたが、友達のほとんどは当然のことながらまだ受験生。おおきいちびは受験の緊張が解けてから、ずっと、ひまだ、ひまだと言っていました。
→18.3.16 ちなみに、東京医科歯科大学は1年だけ教養課程があります。東京から一番近い千葉県、すなわち、市川市の国府台(こうのだい)キャンパスに通います。「国府台」の文字から普通は、「こうのだい」とは読めません。古くは「鴻之台」とも書かれ、下総国府が置かれたとあります。「鴻之台」であれば、読み方に納得がいきます。
基本、国府台(こうのだい)キャンパスですが、1年のときも、御茶の水キャンパスに行くことは少なくないようです。ちなみに、こちらも、医科歯科の方は「湯島キャンパス」と呼び、御茶の水とは呼ばないようです。入学式も「湯島キャンパス」です。私がいつもMMA でお世話になっている MD タワーの2階にそれようの部屋があるようです。
このようなローカルルールは、どこにでも少しずつあります。
ひとりで4時25分、室温11.0度。午後に会議。ちいさいちびは定期試験最終日。おおきいちびは卒業式前夜祭。お弁当をもって出かけます。高校生活最後のお弁当だと言っていました。小学生は、謝恩会。午後に1時間、ママといっしょに体育館。今日は寒いのですが、こればかりは仕方なし。
私は、土曜日の準備に専念します。あと、確定申告。
1時18分武蔵境発の西武線。
会議は2時40分から3時半までの予定でしたが、4時過ぎまで。4時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。寒いのは寒かったのですが、真冬の寒さというほどの寒さではありませんでした。
ひとりで5時35分、室温15.4度。朝一番から会議。午後一番まで。
8時18分武蔵境発の西武線。多磨駅前のローソンで軽食を購入してから、大学へ。会議は9時から10時まで。
次の会議は、同じ建物の3階上。研究室に戻っても、何もする時間がないので、5階前で待機。理事と簡単な打ち合わせ。ちなみに理事はひどい花粉症を発症していました。
10時10分から学長室の会議。11時40分過ぎまで。それから理事室で打ち合わせ。春からの授業体制について。合格発表の掲示板に、学生諸君(とくに運動会の現役学生諸君)が集合しているのを脇目に、帰途。10時発表なので、まあ、まだ見に来る人はいると思います。12時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。
おおきいちびの友達が合格していたそうです。夕刻、いっしょにカラオケに行きました。
週間天気における、明日の最高気温8度、明後日の9度はかなり目立ちます。ちいさいちびは明日まで定期考査。
ひとりで6時、室温15.6度。気温的には、いきなり春本番。ちいさいちびは定期試験2日目。
夕刻に院生諸君との飲み会。
雨のなか、傘だけさして(カバンをもたず)、でかけました。5時30分武蔵境発の西武線。大学ではメールボックスから封筒を1点受け取り、トイレに入って、キャンパス入り口の集合場所へ。2人来ていました。他の院生は待つ必要はなかろうということで、そのままお店へ。8人の予定が6人に。ひとりは自国に帰国中だそうです。もうおひとりは面接だそうです。
9時半まで。私は9時40分の電車で帰ってきました。院生諸君はもうすこし飲むそうです。
ひとりで5時25分、室温13.3度。息子は6時半に起きてきました。
そして、8時半がすぎて、上に上がり、ママを起こしました。ついで、おおきいちびがおなかすいたといいつつ降りてきました。ちいさいちびは最後になるでしょう。
気温が上昇してきました。予報では、本日は20度まで上がるそうです。明日の最高気温が18度、6日の火曜日が13度、7日の水曜日が8度、8日の木曜日が9度、そして9日の金曜日が再度18度です。水曜日と木曜日だけ真冬に戻ります。花粉もまっかになっている(大量飛散の警報がでています)うえに、この寒暖差。体調管理がなかなか大変な時期です。
懸案だったファイルしている紙の資料の片づけに着手。ゴミ袋にして3分の1程度は進めました。
ひとりで6時、室温10.6度。気温の上下動がはげしい。午前8時現在、家族の誰も下に降りてきません。まあ、でも、そろそろ、息子が駆け下りてくると思います。→8時半に降りてきました。妻は9時。ちびどもはもしかしたら目覚めているのかも知れませんが、10時半になっても降りてきません。
土日のあいだに息子を散髪屋に連れていきます。
→お昼ご飯のあとということになりました。午後1時に息子を連れて散髪屋に。余裕があれば、私も散髪をしたいところですが、息子だけ私が普段お世話になっている散髪屋で散髪をお願いしました。どうするかは本人の口に任せました。終わってから、靴屋さんへ。コンビニでお金を降ろしてから、駅前の靴屋さんに行きましたが、ちょうどよいサイズが切れていました。吉祥寺に行けば、確実にあったのですが、息子が行きたがりません。諦めて自宅に戻りました。やっと、南後由和(なんご・よしかず)『ひとり空間の都市論』 (ちくま新書、2018)を読み通しました。とても興味深い本でした。
出版社が扉に用意した本の趣旨が次。まるまる引用します。
「同調圧力が強い日本社会における「ひとり」。彼らが異質な存在としてみなされる一方で、現実の日本の都市には、カプセルホテル、ひとりカラオケ、ひとり焼肉店など、ひとり客向けの商業施設が溢れかえっている。そもそも孤独と自由が背中合わせの都市生活では、「ひとり」でいることこそ、歴史的にも“正常”だったはずだ。今日ではさらに、「ひとり」が存在する空間は、モバイル・メディアの普及を受けて増殖し、新しい形態へと進化を遂げつつある。その新しい特性とは何か。「みんな・絆・コミュニティ」へと世論が傾くいま、ひとり空間の現況と可能性を、いまいちど問い直す。」
目次は次。
序章 『孤独のグルメ』の都市論
第1章 ひとり・ひとり空間・都市
第2章 住まい―単身者とモビリティ
第3章 飲食店・宿泊施設―日本的都市風景
第4章 モバイル・メディア―ウォークマンからスマートフォンまで
終章 都市の「ひとり空間」の行方
ひとりカラオケ店、カプセルホテル、コンセプト型ホステル、多機能型トイレ、存在は知っていても私自身は利用したことがない都市のひとり空間です。
今、日本に増えている外国人旅行者は、カプセルホテルに代表されるこうした空間を体験する目的で来ている方もいるようです。私も体験してみようという気持ちはありますが、実際に体験に動いたことはありません。
半個室型ラーメン店だけは、吉祥寺にあったので、一度行ったことがあります。
ネットに上がっている書評を見ると、たとえば、台北には、こうしたひとり空間が少なく、ほんのすこしものたりない気がしたというコメントがありました。
よくわかるのは、第2章の住居です。私自身は、厳密に4畳半は体験がありませんが、4畳半的空間に住んでいたことはあります。大学院修士課程のあいだです。池の上と下北沢から歩いて25分ぐらいの場所、3畳+3畳の6畳の下宿屋に住んでいたことがあります。私の人生のなかで、もっとも、ひとりの空間、ひとりの時間が多かったときです。修士論文を執筆するあいだ、朝日が差し込むのを確認して、就寝するという、今では考えられない夜昼逆転生活を送っていました。もちろん、ずっとではありませんが、そういう時期が比較的長く続きました。午前2時の東京を自転車でうろうろすることがよくありました。そのときの不思議な感覚は、記憶に残っています。
4畳半の次の形態、ワンルームマンションの体験はありません。後輩の住んでいるワンルームマンションにお邪魔したことはもちろんあります。昭和の人間である私は、これはいいかなと思ったことを覚えています。
ひとりで5時50分、室温13.4度。朝の6時代に昨日飛び込んできた宿題をこなしていました。メールを4件、送り出しました。
お昼に面接1件。
10時18分武蔵境発の西武線。
11時半から面接。12時10分まで。生協で昼食をとり、購買部で雑誌とお菓子を買って、12時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。
今日から1年生最後の定期試験期間にはいったちいさいちびは、2時前にお弁当を買って帰ってきました。学校で勉強するつもりだったのが、やめたようです。住田氏のところで、情報をみて、つぎの論文をダウンロードし、プリントアウトし、読み通しました。
近藤和敬「金森修の科学思想史と哲学研究にとっての科学思想史の役割」『鹿児島大学法文学部紀要人文学科論集』85(2018): 99-112
故金森修さんの、科学思想史関係の著作のレビューです。「金森修の科学思想史」が哲学研究にとってどういう意味があるのか、ということを中心に据えて、考察されています。とてもよくまとまっています。しかし、科学思想史家である私には、ぐっとくるものはありません。哲学の自己弁護のように読めます。
おお、とうとう3月。ひとりで4時40分、室温13.4度。雨。短い時間ですが、早朝に春の嵐が日本列島を通り過ぎるようです。ちいさいちびの自転車通学がどうなるのか、微妙なところです。→高解像度降水ナウキャストを見てみました。4時50分現在、大学のあるあたりで強い雨が降っているようです。杉並区で強い雨が降るのかどうかも微妙なところです。→6時頃雨足が強まりました。7時過ぎ、雨はほぼ止みました。午前7時から8時のあいだ、杉並区は、ほんのすこし弱い雨が降る時間帯があるようですが、その後は雨雲は通過しないようです。ちいさいちびは、傘をさしているひとが半分ぐらいという雨のなか、自転車ででかけていきました。バスよりも自転車の方が圧倒的に便利です。
お昼前から会議が連続します。11時半から12時まで。12時40分から2時10分まで。ここまでは大学院の会議。1時50分から2時10分まで(重なっています。こちらは欠席せざるを得ません)。14時20分から15時50分まで学部教授会。
10時18分武蔵境発の西武線。多磨駅前のファミマで、お昼ご飯を買ってから、大学へ。
11時半からの会議の準備をすこし。11時25分に会議室に行きました。事務の方が頼んでいた資料を用意してくれていました。私が用意した資料も6人分配布しました。15分程度で終了。
午後の会議(大学院企画運営会議)も順調に推移しました。2時に終わりました。
一度研究室に戻り、帰り支度をすませて、大会議室へ。2時10分。すでに3人の方がお見えでした。2時20分から3時過ぎまで。これも順調に進みました。
3時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。天気予報通り、20度越え。とても暖かく感じました。
帰宅すると次の本が届いていました。
甲斐 義明編訳『写真の理論』月曜社、2017
ジャン・シャーカフスキー、アラン・セークラ、ロザリンド・クラウス、ジェフ・ウォール、ジェフリー・バッチェンの論文を訳出したものです。編訳者による、解説(pp.185-282)、あとがき(pp.283-296)、さらにブックガイド(pp.297-306)がついています。
この本は、半分以上は、 編訳者の 甲斐 義明氏の本です。論文を選び、訳出し、それぞれの著者に関して、解説を施し、ブックガイドまで用意されています。ほぼ100頁にのぼる解説の長さをご覧ください。なお、目次は次。
1 ジョン・シャーカフスキー(John Szarkowski, 1925-1997) 「『写真家の眼』序文」1966年
2 アラン・セクーラ(Allan Sekula, 1951-2013) 「モダニズムを解体し、ドキュメンタリーを再創案する(表象の政治学についての覚書)」1978年
3 ロザリンド・クラウス(Rosalind E. Krauss, 1941-) 「写真とシミュラークルについての覚書」1984年
4 ジェフ・ウォール(Jeff Wall, 1946-) 「「取るに足らないものの印」――コンセプチュアル・アートにおける/としての写真の諸相」1995年
5 ジェフリー・バッチェン(Geoffrey Batchen, 1956-) 「スナップ写真――美術史と民族誌的転回」2008年
解説(甲斐義明)
ジョン・シャーカフスキー
アラン・セクーラ
ロザリンド・クラウス
ジェフ・ウォール
ジェフリー・バッチェン
あとがき(甲斐義明)
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