夜半に目覚めてすこし仕事。雨音が聞こえます。2回目の起床は、新幼稚園児が起きて、6時15分。昨日より気温が数度下がるということです。このぐらいの気温だと涼しくて、たすかる。まだまだ残務整理。今月中には無理のようです。
雨は上がっています。8時半武蔵境発の電車で大学に向かいました。大学に到着してから、8時過ぎまでずっと仕事。こういう仕事の仕方は、ふだん、することがありません。3時過ぎからは腰痛と闘いながらでした。無理をしすぎると反動が怖い。100%は完了しませんでしたが、8時過ぎた時点で帰宅することとしました。
わー、疲れた。
→何がそれほど大変か? 登録学生数が264名います。1回1回の講義にレスポンスシートを提出させています。講義そのものは12回。レスポンスシートが総数3168枚。それに期末レポートがあります。あわせて、総数3432枚。もちろん、途中で投げた学生が1割弱いますから、この9割程度ですが、それでも3千枚は越えています。
あらかじめ学生諸君に手伝ってもらって、ほぼ学籍番号順に並べ替えてもらっていましたが、あるひとりの学生に関するレスポンスシートと期末レポートをそろえるだけでもすごい手間がかかります。
作業としては、あるひとりの学生に関するレスポンスシートを集め、数を数え、出席点を確定し、期末レポートの点数と足しあわせる、これをやります。
本日の作業量を評価しましょう。この枚数があれば、ほぼ学籍番号順に並べ替えていてさえ、6時間で終了しなかったということになります。
(実は、並べ替えが不完全な場合の訂正処理にも相当の時間がかかりました。並べ替えは100%でなければならないことがわかりました。)
[晴れ]
新幼稚園児といっしょに7時40分。よく寝ました。新幼稚園児は、またまた体の諸処に虫さされ。痒がっています。この子は、虫に刺されるとひどく腫れます。見ていてかわいそうです。
ちびどもは7時前後に起きたのでしょうか。二人は朝からプールです。
今日は暑くなりそうな好天です。朝から大学に出て、成績関係の仕事。今年は私の担当する全科目についてレスポンスシートを取りました。人数が多いと、これを個人別に集計するのが(覚悟はしていたとは言え)相当に大変です。
まず、3限終了の時刻までに、昨日残した仕事の継続、それから4限の時間帯に、学生に手伝ってもらって、未整理のレスポンスシートを学籍番号順に並べ替える仕事と、ある程度整理されているレスポンスシートを個人別に集める仕事を行いました。100%とは言えませんが、一応ここまで出来ていれば、あとはなんとかなるだろうというラインまで進めることが出来ました。
この暑さだと帰ってきてぐったり。新幼稚園児といっしょに寝てしまいました。
[曇り、のちむしむし]
ひとりで6時。夜半に降り始めた雨は、朝方は上がっていました。おおきいちびがウサギの世話のために、8時20分に家を出ると言います。ちょうどよいので私もいっしょに家を出て、大学へ。
コピーセンターで4限の準備をしたあと、研究室で採点の仕事。かなり頑張りましたが、量が多く、おそらく3分の1程度までしか進めることができませんでした。11時半から12時に昼食を取り、お昼休みに再度いくらか採点の仕事に着手しましたが、1時からの会議の準備が先決だと考え直し、急いで1枚の文書を作成。
午後1時から、総合科目推進室会議。私が司会を務めるのは、今回が最終回になるかと思います。来年度の授業編成と次期室長の選出。次期室長の選出がいちばん気になっていたのですが、すんなり受けてくれて、大助かりです。
会議は40分で終わったのですが、事務と頭の痛い件で打ち合わせ。金曜日にまた出勤することとなりました。こういうのはなんともいたしかたなし。
2時から、後期に非常勤(月曜日2限)をやっていただくOさんの案内。ぴったしの時刻に来てくれました。研究講義棟の2階の手前から、非常勤講師控え室、AV支援室(教室のAV関係の鍵から設備まで総合的に世話する窓口)、印刷センターを案内し、おそらく割り当てられるであろう教室を覗いてみました。今日はまだ授業日程です。授業をされていました。
図書館まで送ってから、私は、4限の期末レポートの準備。3限終了とともに教室に入りました。学生達は、ぞろぞろとゆっくり入ってきます。ほぼ教室が埋まりました。教室のキャパシティに対して、9割弱の学生が来ていました。教室にエアコンは入っているのですが、暑い。蒸し暑さが体を襲ってきます。
こういう日に無理をすると体調を壊します。室長としての最後の連絡事項を数件メールしてから帰途へ。
ちょうどよい時間帯に帰れるなと思ったら、いきなり三鷹駅で電車がストップ。中央線快速電車が東中野駅の近くで人身事故に遭遇したのだそうです。
この蒸し暑さですから、事故も起きやすくなることは理解できますが、待たされる方はたまったものではありません。私の身体には、蒸し暑さのせいで、頭の後部から背中にかけて軽い蕁麻疹が出ました。こういう場合の判断はなかなか難しいのですが、事故の起きた快速ではなく、総武線の方が早く動き始めるだろうと予想して、総武線の方に乗り換えました。東西線直通の電車が止まっていたので、そちらに座ってただただじっとしていると、運転の再開の目処がつかないので、この電車は車庫に入れるというの放送。嗚呼! 向かいに来ていた黄色い電車(総武線)に乗換ました。こういう場合、焦っても仕方ありません。汗を拭きながらひたすらじっと座っていました。武蔵境駅を電車が出たのがたぶん5時12分。三鷹駅で電車が動き始めたのが、5時45分。約30分待ったことになります。
この気候だと、列車を止めたことで、熱中症がひどくなり、ダウンする人が出てくる恐れがあります。事故が一度起きるとかなりやっかいな事態が惹起される可能性が高い。
[曇り]
新幼稚園児が起きて6時15分。新幼稚園児は昨夜寝てすぐに虫に刺されました。数カ所かなり腫れています。→ほぼ曇りのまま推移してくれました。何もしないでいれば、大丈夫な程度の暑さです。ただし、仕事を始めると汗が滲み出します。
社会学者宮台真司氏のサイトで紹介されている坂之上洋子さんのブログ「犬も歩けば 渋谷にあたる」を読みました。やるな、オバマさん。自宅の鍵をなくして、自宅のドアをがちゃがちゃしていた黒人(教授)が白人警察官に逮捕されてしまった件に関するオバマ大統領の対応が書かれています。
まるで日本人のやりそうな対応です。(たぶん、俗に大岡裁きと呼ばれる対処方に入るかと思われます。)オバマ大統領の国民統合にかける本気度が伝わってきます。
妻がちびどもをお台場に連れていきました。私は、まだまだ仕事が残っています。今週はなにか残務整理のような感じです。
→4時半過ぎに、帰ってきました。新幼稚園児はベビーカーで寝ていました。帰りの総武線で寝たということです。楽しかったが、すごく歩いたと言っていました。子供用のサスケがよかったようです。
[晴れ、のち俄雨]
新幼稚園児が起きて、6時30分。昨日に続き、夏の朝。玄関に差し込む日射しがまぶしい。2限に期末レポート。
その後、採点が待っています。水曜日にも期末レポートが待っています。今週いっぱいはそれに追われます。いつもの月曜日と同じ時間にでかけました。郵便局に寄ってから、大学へ。机の上を片づけ、採点に入りました。
途中で、教室へ。わけあって、いつもと違う教室。思ったより小さく、しかもクーラーの効きがとても悪い。急遽、隣の部屋を確保し、そちらでもレポートが書けるようにしました。小教室がちょうど2室満杯になりました。
→さて、わけというのは、教室の確保を忘れていたというものです。27日は期末試験日程に入っています。私の授業では、試験ではなく、期末レポートだと位置づけていたので、事務からの問い合わせに対して、回答するのを忘れていました。結果、この日2限の107教室は、別の方の試験教室になっていました。
ああ、しまったと思い、教務課と交渉して、急遽隣の部屋106教室を確保しました。
そして、今朝106教室に入ると、教室が小さい。試験時の教室表は持ち歩いていたので、また急遽105室を第2のレポート執筆室として確保した次第です。私は、両方の部屋を行ったり来たりしていました。
←最後の学生が提出したのが12時5分。紙袋にたくさんの紙を入れたまま、特別食堂へ。私が食べ始めた頃、どどっと大勢の人が入ってきました。ふだん大学で見かけない方々です。仕事に来ている集団がいるのでしょうか。
部屋に帰って、採点を再開。
採点は、やはり疲れます。完了はしていませんが、5時になったところで一度うち切って帰宅。私は気付きませんでしたが、採点の途中から雨が降り始めたようです。いっときかなり強く降ったということです。雷も鳴ったようです。
[晴れ]
新幼稚園児が起きて、6時45分。夏の朝。日射しがまぶしい。晴れて気温も上がり、梅雨明け後、はじめての本格的な夏。昼食は、吉祥寺へ。東急裏の台湾料理屋が目的地でしたが、着いたとき、まだ店は開いていませんでした。方針を転換して、すぐ隣のパスタ屋さんへ。私はピッツァ。残り4人は、スパゲッティ。満足できるものでした。しばらく、東急とロフトでうろうろしてから帰宅。
[雨、雨、雨 5]
夜中に目覚めてすこし仕事。かぞくそろって7時40分かと思ったら、おおきいちびはひとりで先に起きて、新聞を見ていました。読んでいたのかどうかは不明です。朝は曇り。→時間が経つと日が射してきました。久しぶりの日射しです。ただし、空には雲が濃いので、夏の晴れ、という感じではありません。→と言っていたら、かなり晴れてきました。からっとはしていませんが、青空は青空となりました。
昼食後、おおきいちびはお友達二人と関根プールへ。ちいさいちびと新幼稚園児は、ママに荻窪に連れていってもらいました。昨日と攻守交代です。
[雨、雨、雨 4]
ひとりで5時40分。小雨。新聞を取るために玄関を開けると、わが家の自転車が3台ともに倒れていました。一番考えられる原因は、ネコです。家のまわりをうろうろしているネコが何匹かいます。ほんとうに梅雨が戻ってきたかのようです。例年だと梅雨の終わりの集中豪雨のような雨の降り方です。降ったり止んだり、そして、ときに非常に強い雨足。
昼食後、ちいさいちびと新幼稚園児を連れて、荻窪へ。ちょうど雨はほぼ止んでいました。セイユウの屋上で、まずピンポン。ちいさいちびがやりたがりました。それから、ゲームセンターでしばらく遊ばせました。すこし獲物をゲットしたので満足したのでしょう。次に、おもちゃ売場。新幼稚園児は、プラレールのコーナーが気に入っています。ちいさいちびが面倒を見てくれました。
階をひとつ上がった100円ショップでわずかに買い物をしてから、帰途へ。B1で、新幼稚園児はおむすび、ちいさいちびはたいやきをお土産に買い、帰宅。帰途はちょうど雨が上がったところでした。
(別件で)いろいろあってたいへんだったのですが、なんとか『化学と教育』の原稿の修正をすませることができました。
→紙幅の関係で書けなかったことを記しておきます。知っている方には常識に属しますが、日本語で残しておくことにすこし意味があるかと考えました。
[ランビキ 蘭引]
(アクセント記号は全て無視して書きます。)
もとはギリシャ語の ambix ambik-に由来します。ギリシャ語では、蒸留のための皿、カップを意味します。これがアラビア語に入って、定冠詞がつき、alambicとなり、それがラテン中世に導入されて、alembicum となり、英語では、alembic となります。
もともとは蒸留器の上部(頭部)を指しますが、拡張的に蒸留器そのものを指す用法が一般化します。
江戸時代の日本語には、ポルトガル語のalambique から入って、訛ったようです。(ちなみに、スペイン語でも、alambique のスペルのようです。フランス語では alambic。)
[雨、雨、雨 3]
ひとりで5時50分。曇り。天気が悪くなったせいで涼しい。月曜日の授業の振替日。2限に期末レポート。
妻の状態を確認してから、大学へ。
月曜日2限の期末レポート提出は、本日(月曜日の振替日)でも、来週の月曜日でもどちらでもよいと通知しています。今日来ていたのは、3分の1程度でしょうか。
わけあって、教卓に座っている間、内田さんに借りたAMBIXの最新号を読んでいました。全部を抜かりなくきちんと読んだわけではありませんが、全体に目を通しました。書評は、平井さんの『ルネサンスの物質理論における種子の理論』をレミくんが、『言葉と世界:聖書解釈の伝統と初期近代科学』をジャクリーンが、ファン・ヘルモント息の『自然のアルファベット』(英訳)をジャクリーヌが、そして、プリンシーペ編の『18世紀化学の新叙述』をテイラーが書いています。
特集は、古代と中世の錬金術。テキストの話が中心です。
卒論のゼミ生と最後の書類の処理を済ませた後、帰宅しようとメールボックスを見ると、大きな荷物が入っていました。電車のなかで開封すると、次の書物が2冊入っていました。
Myriam Dennehy et Charles Ramond (eds.),
La philosophie naturelle de Robert Boyle
Paris: Vrin, 2009朝方は割と天気がよく、午後雨という天気予報がはずれたかと思っていたら、午後になって激しい雨が降ったようです。私は研究室のなかにいて気付きませんでした。その後も、強く降ることはあまりなかったのですが、やはり雨。
[雨、雨、雨 2]
ひとりで5時20分。まだ雨が降っています。東京はしばらく梅雨が戻ってきたような天候が続くということです。日蝕はとても見られないようです。会議の日。午後会議が続きます。
→成績の記入のために、早めに家を出ました。10時半には大学に到着しましたが、書類を整理しているうちに11時。成績は付けています。出席回数(レスポンスシートの枚数)と最終レポートの評点を合算する必要があります。
これがなかなか手間のかかる作業。88名で、結局2時間かかりました。これが一番短いものです。このあとが思いやられます。
4限目に、研究科教授会。こちらは何事もなくスムーズに終了しました。
3時40分から、研究院教授会。こちらに関しては、私にも臨時の委員長として報告の仕事があります。口内の状態が思わしくなかったこともあり、きちんと発音できかい箇所が数カ所に登りましたが、全員の手元にある書類を読み上げたので、問題とはなりませんでした。
とりあえず、OK でした。
ほっとしていたら、終了間際(私は終了したと思い、ドアのそばのいつもは事務の方の座る椅子のところまで帰りかけていました)、頭の痛い問題が報告されました。後処理のために、すこし時間がかかるかもしれません。
それでも、十分5時28分多磨駅発の電車に間に合う時間には終了しましたが、駅の階段のところに近づいたあたりで、がつんという音と、女性の声。杖をついたおじいちゃんが階段から落ちて頭を強打していました。すれ違った女性が声をあげ、階段の上のたぶん外語の学生が119番しました。70歳?80歳?という感じのおじんちゃんで、頭から血を流しています。通りがかった数名が見守るなか、救急車は10分程度で着きました。ひどい出血ではないので、適切な治療を迅速に施せば、怪我そのものは割とはやく直るのでは、と推測されます。むしろ、超高齢社会に突入した日本社会では、こういう事故が頻発するであろうということを思っていました。
医療体制の充実こそもっとも重要な課題だと思われますが、日本社会はしばらく逆方向に進んでいたと言えます。
無事に救急車に乗せられたのを確認して、帰宅。妻がダウンしかけていました。疲れがまだまだ残っています。
[雨、雨、雨]
ひとりで6時40分。雨模様ということで、最低気温は22度らしい。今日から子どもたちの本格的な夏休み。今日の特徴は、雨、雨、雨、と言えるでしょう。
ちびどもが買いたいものがあるというので、朝の電車で新宿に出かけました。小雨のなか、新幼稚園児だけベビーカーに傘をさして移動。
できるだけ外にでないように動きました。用事は、高島屋と東急ハンズですみます。まず、高島屋。ちびどもがついたとたん、お腹が空いたと言います。ちょうどよいので、開店直前にレストラン街へ。子どもたちが喜んで食べる店となると限られてきます。昔、おじいちゃん、おばあちゃんと来た洋食屋さんへ。
食後は二手に分かれました。私が、ちいさいちびを東急ハンズに連れていきました。妻が、おおきいちびと新幼稚園児を高島屋のディズニーランド(新幼稚園児の表現です。正しくは、ディズニーグッズのお店)に連れていきました。
ちいさいちびは、樹脂粘土と和紙を購入。夏休みの工作に使うのだそうです。虹色発光ユニットというのは、店員さんに苦労して捜してもらいましたが、見つかりませんでした。たぶん、光ファイバー系の照明具ではないかと踏んでいましたが、わからないということでした。ちいさいちびはまたでもよいというので、そのまま帰宅することに。2階で待ち合わせをして、帰途に。
西荻の駅に着くと、雨がしとしと降っています。折り畳み傘を持ってきていました。傘をさして帰宅。
NHKをつけると、ちょうど河野衆議院議長が衆議院解散の宣言をしていました。この冷たい盛り上がりに欠ける雨は、今回の衆議院解散にぴったりな気がします。日本社会に百万人のアソウソウリがいるかどうかはわかりませんが、無意識なアソウさんがそこここにいるような気がします。
個人的な心情を言えば、アソウソウリだけではなく、そこここに繁茂するアソウさんにも可能な限りご隠居してもらいたいところです。
持って帰ったレポートは、全て読み切りました。あと2つ、レポートがあります。今週の木曜日ならびに来週の水曜日。この採点が終わって、私の夏休みはやっと始まる。
ひとりで6時40分。曇っていて、すこしだけ気温が下がりました。最高気温30度の朝でしょうか。残りのメンバーは、夏祭りの疲れで、よく寝ています。妻の仕事はまだ終わっていません。今日は、拭き掃除ということです。朝早くから出かけます。→9時20分にでかけました。12時に終了したようです。
子どもたちも私のお腹がすいたので、11時半過ぎにガード下のめんめんやさんに昼食に。おおきいちびは大人用のラーメンを完食。ちいさいちびは8割まで食べました。それに対して、新幼稚園児は、直前にミルクを2杯も飲んだので、2口囓っただけで、あとはパパ食べろ、でした。
ほぼ食べ終わった頃、妻が来ました。連絡はおおきいちびが取っていました。新幼稚園児が公園公園というので、妻の昼食はお弁当を買って公園で。久しぶりにみんなそろって公園なので、新幼稚園児はうれしいようです。
しばらく遊んだあと、おおきいちびが藤木、藤木(と言う名前の文房具屋さん)というので、みんなで文房具屋さんへ。徒歩7分といったところでしょうか。おおきいちびは前から Hello Nature のイルカの絵がついた色鉛筆セットが欲しいと言っています。こうした場合、おおきいちびだけに買ってやることはできません。ちいさいちびの分も必要になります。(新幼稚園児はまだよくわかっていないので、ぼくもほしいとは言いません。)藤木のあるというのをおおきいちびはお友達に聞いていました。
新幼稚園児は、店頭においている水鉄砲で満足してくれました。
そこから99ショップに寄って、ミルク等必要なものを購入し、帰宅。
[夏祭り2]
ひとりで3時45分。昨日の疲れのせいでしょう。さすがに一度寝ました。起きて、7時40分。ちびどもも昨日の夜で疲れていたのでしょう、ほぼ同じ時間に起きてきました。
お昼ご飯は駅前の天丼屋さん。おおきいちびはそのまま小学校に向かい、ウサギの世話。3人で組んでやっていました。
ちいさいちびは、昨日と同じお友達のお母さんが3時から面倒を見てくれるということです。ついでに、新幼稚園児も面倒を見てくれるそうです。そこまで世話になってもよいのかということもあるのですが、しかしこれはたすかる。3時過ぎにちいさいちびのお友達といっしょに送り届けました。
新幼稚園児は、空のベビーカーを押して5時45分に迎えに行き、そのまま小学校に行きました。雲行きが非常に怪しかったのですが、本格的な雨は降りませんでした。雨量としてはたぶん0。しかし、服には雨滴が100粒以内でヒットした、そのぐらいの雨でした。
新幼稚園児は、さすがに昨日の今日で、疲れていた模様。7時過ぎに地面に座り込み、疲れた、帰ると言います。7時過ぎというのはありがたい。
チキンナゲットを二切れ食べさせたあと、ミルクを飲ませ、それから入浴。頭を洗うことはできませんでしたが、わりとしっかりお風呂には入りました。寝そうになったところで、おねえちゃんたちが帰ってきました。しばらくいっしょに遊んだあと、ちびどもがお風呂に入るころに寝付きました。
妻は、10時過ぎに、ああ、つかれたと言って、帰ってきました。
ほとんど何もできないかと思っていたのですが、すこしレポートを読みすすめることが出来ました。
新幼稚園児が起きて、6時。曇り。少しでも雨が降ってくれると楽なのですが・・・。8時過ぎに新幼稚園児を連れて、駅へ。帰省のチケットを購買。5人いっしょに帰るとそれなりの金額になります。飛行機もオプションとしては検討したのですが、ほぼ倍近くかかります。競争のない不採算路線なのだと思います。
その後、駅のセイユウで、ミルクとちびどものおやつを買って帰りました。ちびどもは今日が終了式。給食を食べてから帰ってきます。新幼稚園児は夏休み。どうして、と言っています。
[夏祭り1]
夕刻から小学校の夏祭り。妻は、早めに行って、準備と応対。→妻は、委員なので、1時前に出ていきました。ちびどもは、1時半から2時の間で帰ってきました。
小学校の夏祭りは、午後6時から8時までの2時間。ちいさいちびは近所のお友達といっしょに別のお友達のお家に行きました。5時前。そのおうちで夕食をごちそうになってから、3人いっしょに夏祭りに行くそうです。
おおきいちびも近所のお友達と5時35分に待ち合わせして、出かけました。私と新幼稚園児は、ベビーカーで5時50分に家を出ました。ヨーヨー釣り、ホットドッグ、綿アメ、コロコロ、コロコロ、ソースせんべい、ジュース・・・・。
お手洗いの近くで幼稚園の友達に会いました。追いかけっこして遊んでいます。途中から小学校のお兄さん達にも相手してもらいましたが、途中で怖くなって、帰ると言います。ベビーカーのところに戻ると、まだ帰らない、と言って、コロコロの所へ。コロコロというのは、ビー玉を使った幼児用パチンコと言えばよいでしょうか。幼稚園の先生がたぶん幼稚園の子どもを念頭に出してくれている遊戯です。気に入ったようで、何度も並びました。そして、走り回って疲れたのでしょう、8時10分前に帰ると言ってくれました。ちびどもは、8時10分に帰ってきました。何と妻はその数分後に帰宅。ポップコーンが早く売り切れたので、早く片づけができて、帰ることができた、ということです。寝付きそうだった新幼稚園児がママを見て、復活。
ひとり遅れて、7時20分。雨。久しぶりの雨です。気温が下がるので助かります。週末は、妻の夏祭りの仕事がピークです。私が新幼稚園児の面倒を見てやる必要があります。雨がもうすこし降ってくれると、楽になります。
午前10時半、新幼稚園児を迎えに行きました。今日が最後。明日から夏休みです。割と早めに帰ると言ってくれたので助かりました。自転車に乗せて、スーパーに行き、おむすびとおかずとブアを買いました。ブアは買ったと言うよりももちろん買わされました。
迎えに出るときには、もう雨は上がっていました。雨が上がると、暑くなります。
期末レポートを少しずつ読み進めています。授業をやった甲斐はあったようです。
ひとり遅れて、6時40分。朝から真夏の暑さ。大学で検索をかけているときに、次の論文にヒットしました。
嘉陽英朗
「畑の錬金術―16-17世紀イギリス農学と錬金術化学―」
『経済論叢別冊 調査と研究(京都大学)』第25号(2002), pp.49-67
とてもよくできた論文です。これは、しっかりとした専門雑誌に掲載すべきものでした。(16世紀17世紀の植物成長論について、きちんとした思想史が書かれています。)→嘉陽英朗氏の他の論文を調べてみました。CiNii でキャッチできる範囲では、他には次のものだけです。まだ若い研究者の方でしょうか。
嘉陽英朗
「『マルサス北欧旅行日記』とウルストンクラフト (特集 近代ヨーロッパの社会思想を再考する) 」
『調査と研究』32(2006/4 ): 57-683限は期末レポート提出、4限は最終発表、5限も期末レポート提出、そして、その後打ち上げコンパ。コンパは吉祥寺になります。
ひとりで6時30分。水曜日ですが、金曜日(駒場)の授業の最終日。
図書館で少し作業をしようと思い、正午前に図書館に着きました。あれ、必要な雑誌の最新号が配架されていません。届いているのは、届いていると思います。まあ、しかし、ないものを見ることはできない。
諦めて、DSB のベイコンの項を読んでおくこととしました。今となっては懐かしいメアリー・ヘッセが書いています。量的な制限があるので、深みのある記述はできませんが、全体として非常に明晰によく書けていると思います。明晰な頭脳により、明瞭でよく構成された記事となっていました。
5分前に教室に行き、しばらく休んでいました。
ほぼいつも通りに院生諸子は集まりました。今日は、最終回です。担当者なしで、フリー・ディスカッションとしてありました。駒場の状況は、私が学生・院生だった時代とは様変わりしています。教育行政の歪みと一言で片づけては、現場で頑張っている方々にはかわいそうという気もしますが、歪みは歪みとして認識しておかないと、回復もないと思います。実は、朝方、NKくんのブログによって、次の論文を読んでいました。
藤崎衛「ラテン中世の「寿命の延長」(prologatio vitae)について―ロジャー・ベイコン、錬金術、教皇宮廷―」『死生学研究』9(2008), pp.224-246
アルテフィウスの名前が出てきたり、昔OHさんと少し話題になった事柄を扱っています。内容的には面白いものを提示できていると思います。
しかし、たとえば、OHさんとか、詳しい方に一度目を通してもらってから、出版していると、見違えるほどしまったものになったと思います。知っている人間からすると、とくにいくつかの用語とその背後に関して、確認をしてもらいたかったように思います。駒場に向かう電車のなかでは、ダウンロードしたばかりの次の論考を読んでいました。
伊野連「F・ベイコンの「オルガノン」研究 : 新全集『オックスフォード・フランシス・ベイコン』を用いて」『横浜商大論集』40(1/2)(2007), 29-59
「新全集『オックスフォード・フランシス・ベイコン』を用いて」とあるので、オックスフォードが出版しつつある新しいフランシス・ベイコン全集について、有用な情報があるかと期待したのですが、その種の論考ではありませんでした。
著者の方はまったく知りませんが、年長の哲学者の方ではないかと想像されます。カント、フッサール、ヤスパース、そして、アリストテレスの著作が引用されます。
役に立つ情報は含まれていますが、典型的に日本人の書くエッセイだと思います。英語やフランス語やドイツ語で、この種の論文を見ることはまずないと思われます。
ひとりで6時40分。編集委員会の仕事。計算違いが発覚し、一部構成を変更することになりました。
ひとりで4時50分。子どもたちは、夏休み前最後の週。私は、終了処理が開始します。月曜日の授業はこれが最終回。
3限の大学院の授業では、Wさんに英語で発表してもらいました。Good English ! ちょうど時間内に読み上げ原稿を読み上げてくれました。
院生と打ち上げコンパ。武蔵境の飲み屋に行きました。予約なし。
飲み屋の前の道路は、見事な「木のトンネル」でした。手前には、桜の大木もありました。住人にとっての住み心地はわかりませんが、車を運転する人にはオアシスのような道路だと思われます。
かぞくそろって7時前。このぐらいが楽。私は朝方一度足がつって目が覚めました。足がつるなんて、久しぶりです。妻を起こして、足を延ばしてもらいました。朝一番に子どもたちはプール。4年生のおねえちゃんは、友達と待ち合わせして行くようです。2年生と新幼稚園児は、ママに連れていってもらいます。朝からおおはしゃぎ。子どもはほんとうに水遊びが好きです。親の立場からは、疲れる、これが最初に来ますが、子どもにはほんとうにうれしいことのようです。(子供時代、夏休みは毎日川に泳ぎに行っています。行ったことは覚えていますが、そのときの気持ちまではなかなか思い起こすことができません。)
その間、昨日の編集委員会の宿題をこなしていました。メールを5件、書類を数点、処理しました。完了というわけではありません。一服といったところです。
1学期の完了処理が来週からスタートします。月曜日と水曜日は、授業の最終回。木曜日は、期末レポートの提出。
月曜日は、大学院の打ち上げコンパ。木曜日は、学部ゼミ生の打ち上げコンパ。
新幼稚園児が起きて、5時半。うたっています。この子は、早起き鳥です。4時から東工大にて編集委員会。何だか忙しい。連続すると、ちょっときついかな。
→体の調子を考えて、夕食会には付き合わず、そのまま帰宅しました。子どもたちは、ママに遊びに連れていってもらいました。新幼稚園児に、どこに行ったの?と聞くと、しばらく考えてから、オギクボ。わかっていたわけです。
ひとりで6時10分。夜中中、ずっと強い風が吹いていました。朝になっても止んでいません。3限の駒場の授業。
今日は、5限の古川先生の授業に、CHF ( Chemical Heritage Foundation) から帰ったばかりの菊池博士がゲストスピーカーとして出演するということです。
5限の話を聞き、その後の食事会に参加することにしました。久しぶりの菊池博士は、元気そうでした。本人の弁によれば、時差ボケがまだ残っていて、朝の5時に目覚めるということですが、5時ならOKです。
ゲスト講演の内容は、CHF の紹介ならびに菊池博士の今の関心(consulting chemists)についてでした。なお、菊池博士はほぼ1ヶ月日本に滞在したあと、ハンガリーで開かれる国際学会に参加し、それから次の赴任地のMIT に向かわれるということでした。アメリカからは、地球を1周するチケットをとったということです。なるほど。食事会には、橋本教授、菊池博士の奥さんも参加して、総勢9人となりました。
帰宅すると、『化学史研究』3号のゲラ並びにEX-ICカードが届いていました。EX-ICカーですが、電話の方は2週間と言っていたので、半分で来たことになります。もちろん、大阪からはとっくに帰ってきているので、しばらく使う機会はありません。
夜半に目覚めてすこし仕事。新幼稚園児が目覚めて、6時。ちびどもは6時20分。このぐらいがちょうどよい。曇り。
3限、4限、5限の授業。
帰宅して、ぐったり。リレー講義の3回目が無事終了したので、これで仕事のピークは越えたことになります。やれやれ。
新幼稚園児が起きて、4時40分。はやすぎます。12時半からスタートして、4つの会議。
系列会議:12時半〜12時50分
大学院企画運営室会議:1時〜2時10分
学部教授会:2時50分〜5時半。
カリキュラム委員会からの説明会:5時半〜6時
本日、化学史研究編集委員会宛てに次の本が献本されていました。ご高配いただいた、西條さん、恒星社厚生閣の編集者の方、ありがとうございます。
西條敏美
『単位の成り立ち』
恒星社厚生閣、2009
定価2,835円
ひとりで5時50分。ほぼ正常化でしょうか。曇り。晴れて暑くなるという予報です。
午後に室温が31度を突破しました。風が吹くので少し楽ですが、本格的な夏の到来です。しかし、梅雨明けはいましばらく先になるようです。
ひとり遅れに遅れて、7時50分。下に行ってすぐに、ちびどもがでかけました。7時55分と56分。おおきいちびは、そういう性格なのですが、ずっと忘れ物がないか、忘れ物がないか点検をしていました。小雨。
新幼稚園児が出かける頃には、しっかり降っていました。しばらくこういう天候が続くようです。大阪では、傘が必要だったのは、小一時間でした。残りの時間は晴れというほどではありませんでしたが、雨は降りませんでした。
役目かと思い、総会が終わるまで会場にいました。予定では2時に終わるはずでしたが、15分ほど延びました。新幹線の切符は、3時半をとっています。大阪大学ははじめのての場所で時間の感覚がありません。ぎりぎり間に合うだろうと思いましたが、早足で、石橋駅に向かいました。ちょうど、急行が来ました。急行だと15分程度で梅田に着きます。その先もルートに迷ったのですが、わかりやすさを優先して、JR西日本の京都線で新大阪に向かうこととしました。新大阪駅には、3時前に到着しました。うまく接続すれば、新大阪から阪大まで45分ということがわかったことになります。
ジュースを飲み、お土産を買ったあと、プラットホームの椅子に座り、早足のせいでほてった体を冷ましながら、新幹線を待ちました。100%確かというわけではないのですが、おなかま(学会の最後を見ずに帰途に着いた人々)を二人見ました。疲れていたので声をかけることはしませんでした。
新幹線のなかでは、ほとんど寝ていました。乗車時間の8割は寝ていたと思います。元気が残っていたら、すこし仕事をしようと思っていたのですが、そもそもパソコンをカバンから取り出すこともしませんでした。
午後7時、無事帰り着きました。
[忘れた! 2]
朝はいつもの時間に目覚めました。動く気にならないので、休んでいると、電話。借り出してきたちいさいちびの携帯に、新幼稚園児から電話がありました。目を覚まし、パパがいないことに気付いて、ママに電話をしてもらったようです。ともあれ、声だけ交換しました。お腹が空いたので、下のコンビニまで買い出しに行こうと思うと、入れたはずのシャツがありません。ドアノブにかけたまま、カバンに入れるのを忘れてきました。コンビニに何かあるだろうと思い、朝食だけではなく、シャツあるいはその代わりになるものを買い出しにコンビニに。
いろいろ考えたあげく、黒のTシャツにしました。今日は朝一番に司会の仕事があります。白よりも黒の方がフォーマルに見えるだろうと考えました。
昨日の理事会・評議員会の打ち合わせでは9時に集まって会場設営の準備のお手伝いをしようということでした。
西梅田から阪急の梅田までの乗り換えは、ちょっと距離がありましたが、とくに問題なし。阪急で石橋駅で降りて、15分歩いてもよかったのですが、ちょっとモノレールの様子も見ておきたかったので、石橋のひとつ手前の蛍池で乗り換えて、モノレールの芝原駅から歩きました。阪大のキャンパスそのものはすぐにわかりましたが、キャンパスに入ってからがけっこうありました。目的のビルは、キャンパス内の案内板には名前が出ていませんが、まわりのビルの名前から場所には辿り着きました。
最近よくあるカード式の入ビル者管理システムがあり、中に入れません。と思ったら、T君がすぐあとに来ました。法科大学院の方が何か(模擬裁判でしょうか)をやっています。彼らに着いて中に入りましたが、会場校の方々はまだ見えていません。教室の前で待っていましたが、教室の前よりも建物の前で待った方がよいだろうとT君と意見が一致し、建物の前で待ちました。会場校のN氏が学生を連れてやってきました。カードをT君が預かり、N氏は会場設営のために中へ。発表は10時から始まりますが、9時過ぎからすこしずつ参加者が現われています。参加者の案内のためい、私とT君はしばらく下で待つこととしました。おお、さすが、フランス帰り、警備員のおじさんを見つけるとT君は交渉にでかけ、建物の入り口のドアを解錠のままに変更してもらいました。快挙。これで、下に人を張り付ける必要がなくなりました。
私は、最初の司会なので、早めに教室に上がり、一番前に司会席を作り、待っていました。受付の設営が遅れて、予定より10分遅れて開始。10分程度は遅れても大丈夫なように時間割を組んでいます。私の座長は、10時10分から12時10分まで。時間配分の点でも問題なく進行しました。
最初建物のなかで待っているときに、T君から次の本を頂きました。
松山壽一監修、加國尚志・平尾昌宏編著
『哲学の眺望』
晃洋書房、2009京大の哲学概論の授業は、いまだに、千人規模の学生相手にやっていて、その教科書として作ったそうです。T君、ありがとうございます。
せっかくですから、目次を取っておきましょう。
第泄 哲学と科学
平尾昌宏「哲学と科学の見取り図」
鈴木竜雄「第一章 古代ギリシャの自然思想」
但馬亨「第二章 ギリシャ的精神の末裔としての西洋数学史」
武田裕紀「第三章 物理概念形成における哲学的契機」
加國尚志「コラム1 近代科学への批判について」
第部 宗教と芸術
平尾昌宏「宗教と芸術の見取り図」
後藤正秀「第一章 哲学と宗教」
浅沼光樹「第二章 哲学と神話」
高梨友宏「第三章 西洋近現代美学の一概観」
藤井俊之「コラム2 アドルノの啓蒙批判」
第。部 倫理と社会
平尾昌宏「倫理と社会の見取り図」
平尾昌宏「第一章 古典的倫理学」
平尾昌宏「第二章 功利主義から現代の応用倫理学へ」
樋口善郎「第三章 法と市民社会」
河村克俊「コラム3 カントの倫理学」
第「部 哲学と日本
平尾昌宏「哲学と日本の見取り図」
守津隆「第一章 西田幾多郎の哲学」
竹花洋佑「第二章 田辺元の「種の論理」」
菅原潤「第三章 「近代の超克」をどう読むか」
大西光弘「コラム4 現象学と仏教と西田哲学 」
大阪大学総合学術博物館の見学の時間を含めて、お昼休みは2時間取っています。T君、S氏ととものカフェレストラン「宙(そら)」で簡単に昼食をとってから、総合学術博物館の見学に向かいました。歩いて10分の距離にありました。なかなかよく出来ています。予想よりずっと興味深いものでした。
ただし、帰りは登り道を歩いて、10分。暑いときに急いで帰ると汗ばみます。そこが唯一の欠点でしょうか。
午後は、大阪の化学史ということで、特別講演とシンポジウム。大阪という町がすこしだけ見えてきました。
6時から8時で懇親会。7時半の時点でもまだ明るい。西に位置するということもありますが、関西の夏の夜は遅い。8時前ぐらいまで明るさが残っていたのを思い出しました。
明日があるので、梅田駅でそれぞれの宿へ。
宿は、リーガ中野島イン。2泊で1万1千円。私にとっては、机があって、インターネットへの接続ができれば、あとは普通のサービス・備品でまったく問題ありません。 今回は、これでちょうどよかったと思います。(さすがにいつもこの値段であるわけではないようです。)
ひとりで4時45分。曇り。化学史学会で、大阪に行って来ます。しばらくネットに接続できないかもしれません。日曜日の夜に帰ってきます。
[忘れた!]
新幹線は、エクスプレス予約というので、ずっと前に(6月10日!)予約してあります。チケットレスで利用できるとあります。エクスプレスカードだけあればよいと思っていたのですが、ふと不安になってexpy.jp のページを見てみました。大きな→が4つ印字された EX-IC カードというのがどうも必要な模様です。サイトの説明を良く読むと、チケットレスのためには、やはり EX-IC カードが必要です。スイカとエクスプレスカードだけで全部すませるつもりだったのですが、目算違いです。
EX-IC カードそのものは見た記憶がありません。どうすればよいのか? 電話して聞いてみました。東京駅の新幹線乗り場の八重洲口で、ふつうに乗車券兼新幹線特急券を発券して乗って下さい。また同じエクスプレスカード対応の発券機で、西荻から東京までの清算をして下さい、ということでした。
EX-IC カードそのものはもしかしたら送られてきたのかもしれませんが、外に出さないままどこかにしまった可能性があります。捜す根性がありません。問い合わせの電話で、担当者と話していて、再発行してもらうこととしました。もちろん、今回には間に合いません。でも、今後のことを考えて再発行してもらいます。2週間かかるということです。
朝大阪に向かう新幹線は、東京8時50分発ののぞみ105号を予約しています。この点も心配だったので、ちびどもよりも先に家を出ました。
清算が面倒だといけないので、東京駅までは普通の切符を買いました。390円。以外に高い。エクスプレスカード対応の発券機での発券はスムーズに行きました。ついでなので、帰りのチケットも発券しておきました。
ということで、30分程度は余裕をもって乗り込むことができました。
新大阪は、11時26分着。そこから先の乗車券の扱いも心配だったのですが、JRの外に出てしまいました。地下鉄で梅田に出ることとしました。地下鉄の券売機の前に立って唖然。私は当然スイカが使えると思いこんで、スイカにかなり多めのお金をチャージしてきていました。しかし、スイカと**は使えません、という表示が目に飛び込んできました。まったく予想していませんでした。しばらく唖然として立ちつくしていたら、係の方が声をかけてくれました。係の方の案内に従い、梅田まで200円の券を購入しました。梅田からは、阪急に乗り換えます。二つ目の十三に、1時待ち合わせになっています。十三は、ジュウソウと読みます。知っている人以外には読めない地名です。十三の駅について、時間は十分あります。まず、駅前のラーメン屋に入り、昼食。九州ラーメンでした。食べ終わって、1時間ほど時間があります。屋根のある商店街をすこしぶらぶらしてみることしました。しかしよく考えると、あとでもかなり歩くかもしれません。疲れるといけないので、喫茶店を見つけて一休み。20分ほど休んでから、やはりぐるっと駅のまわりを散策してみました。まったく知りませんでした。繁華街、というより、正確には風俗街でした。風俗街のなかに、親子で遊べるボーリング場やカラオケ一体型の総合エンターテイメントビルもありました。わー、不思議な光景。
すこしはやいのですが、集合場所の十三西口に舞い戻ってみました。おお、もう数名人が集まっています。
1時に集合して、20人余りで、大阪の化学史史跡を見て回るエクスカーションです。知っている顔が3分の1ほど。案内役は、もと化学史学会会長(8年勤められたようです)で、たぶん、80数歳になられた芝先生。昼間から飲んでいるような人がいる路地の飲屋街を通って、武田の杏雨書屋へ。駅から徒歩5分といったところでしょうか。
立派なアーカイブです。宇田川榕庵の資料(原稿、稿本、刊本)をもっとも多く所蔵しています。それだけではなく、医学史の資料を収集し、展示会も企画しています。
芝先生は、杏雨書屋の理事を長く勤めています。特別に、会議室に宇田川榕庵の資料を並べて置いてくれていました。芝先生が説明をしてくれます。文字がきれいで鮮明なのが印象に残りました。赤字も鮮明です。原稿から刊本になるまでのプロセスがよくわかります。
武田のビタミンC入りの飲み物を頂き、2階で開催されている第52回杏雨書屋特別展示会「渋江抽斎資料展」を見ました。鴎外の『渋江抽斎』は学生時代に読んだことがあります。係の方の説明を聞きました。なかなかに面白い。
入り口で、写真撮影をしてから(梶さんはいつも三脚とカメラを持ち歩いておられます)、地下鉄の駅に戻り、それから淀屋橋へ。駅前にある適塾の見学です。
若き頃の芝先生の尽力で、昔の適塾がもとの場所にほぼそのままの形で保存されています。大阪の昔の町屋です。間口約12メートル、奥行き約40メートルです。俗にウナギの寝床と称される細長いつくりです。
これもやはり、芝先生の説明を聞きながら、案内してもらいました。もちろん、一番贅沢な解説です。
2階は窓が開けっ放しになっていて風が入ります。私は途中から大部屋の窓辺に座り、ちらつく小雨を見ていました。福沢諭吉もこうしていたことがあるのではないでしょうか。
次も地下鉄で3駅ほど移動しました。大阪の地下鉄は、ロンドンの地下鉄を思い出させます。同じ駅での乗換だと高を括っていたら、かなり歩くはめになります。
たぶん、大阪城の方に行ったのだと思います。3つめどこに行くかは忘れていたのですが、舎密局址でした。そこに、これも芝先生の尽力で2000年に建造されたハラタマ胸像があります。大きなクスノキの下に、ほとんど埋もれかけの形でありました。
本来あった元の位置に戻す交渉を20年間やったけれども、埒があかなかったということです。知っている人はほとんどいないのでしょう、通行人も不思議そうな顔をして通り過ぎていきました。
芝先生の薦めで、元の駅には戻らずに、別の地下鉄の駅に行きました。ここで、エクスカーションは終了。
我々、理事・評議員は、夜6時から理事会・評議員会が大阪駅前第2ビルの6階(市大の梅田サテライト)であります。ともあれ、東梅田まで戻りました。おお、まだ5時過ぎ。時間が1時間ほどあります。ここで各自ばらばらに行動することとなりました。
ちょうどよい、私はホテルに一度入ってチェックインをし、荷物をおいてこようと思いました。かといって駅の位置がわからない。インフォメーションの方に聞きました。阪神百貨店を通りすぎてから西梅田という駅がある。そこから四ツ橋線に乗って下さいということでした。これも意外に遠い。しかし、ホテルそのものは、西梅田から一駅、肥後橋を出て0分の所にとっています。入り口がわからず、ホテルのまわりを1周しましたが、無事チェックインをすますことができました。
15分ほど休んでから、書類だけをもって理事会・評議員会の会場へ向かいました。
わー、場所が難しい。私の場合、ちょうど地下街に案内のサイン・ボードを見つけ、地下2階からエレベーターで6階の会場に着くことができましたが、ちょっとずれると、捜すのがかなり難しいところにあります。
私と東梅田で別れた方は、結局ホテルに戻って、タクシーで来られたそうです。(それで15分ほど遅刻。)
理事会・評議員会とはいえ、メインは1年に1度しか開かれない評議員会。私、総会はいつものように土曜日ではなく、日曜日ですよ、と発言した他は、一番後ろの席で進行をただウォッチしていました。評議員会で、何点か総会資料に関し、実質的な変更がありました。
理事会・評議員会は、8時半頃終了。目の前の飲み屋に連れ去れれたメンバーもいましたが、スタッフ側の一部は、コーヒーだけ飲んで帰ることとしました。しかし、そのコーヒー屋が見つからない。大阪駅のなかにある、東京で言えば、スターバックスのようなコーヒー屋で、2組に分かれることとしました。
編集の打ち合わせをすこししてから、10時前に帰途へ。
もう、東梅田や大阪から西梅田への通路を捜す気がしなかったので、今度は御堂筋線で淀屋橋で降りて、10分程度歩くこととしました。住友の大きなビルがいくつも並んでいました。
ホテルの1階にはコンビニが入っています。コンビニですこしおやつと飲み物を買ってから部屋へ。
相当の距離を歩いたと思います。足が疲れています。まずはお風呂。
エクスカーションのときに次の資料をもらいました。
芝哲夫「杏雨書屋蔵宇田川榕庵資料(1)化学」『杏雨』創刊号(1998)別刷り
『杏雨』第12号(2009)
453頁の立派な雑誌です。簡単に目次を取っておきましょう。古泉圓順 「(杏雨書屋蔵)『香要抄』二 凡例、釈文・校異、解題 」
古泉圓順 「杏雨書屋所蔵 *砂版大蔵経の刊記」
芝哲夫「日本の化学を創めた宇田川榕庵と杏雨蔵書」
宮下三郎「『水谷本草』とアジアの進化論」
松田清「江戸時代の薬物辞典レキシンコンとドロゲレイン」
松本明知「エドワード・ジェンナーと牛痘種痘法」
町泉寿郎 「江戸期名医たちの書翰 」
他
ひとりで4時45分。小雨。3限、4限、5限の授業。3限と5限が講義です。こういうときには、リズムを保つことが重要です。
帰宅すると、次の写真集が届いていました。
『東京 一九四五年・秋 Tokyo Fall of 1945』
日本の古本屋より、海外の方がいくらか安かったので、海外から取り寄せました。
若いアメリカ兵の笑顔。英語の道路標識。ジープの並んだ道。なるほど、とても、印象深い。
半日はやく着いていれば、本日の授業で見せることもできたのですが、こういうのは仕方ありません。
ひとりおくれて6時45分。曇り。晴れてくるそうです。九州は豪雨という報道。おお、7月になりました。
今日は午後5時から会議。日程の調整を行ったところ、夕刻からしか集まれる時間がありませんでした。明日、明後日のことを考えると、ちょっとしんどいのですが、致し方なし。
→2時間は覚悟していましたが、1時間以内で終わりました。助かります。
7時前には帰宅できました。ちびどもがお風呂に入っている最中。私もささっと汗を流し、夕食。昼寝をしていた新幼稚園児も元気にいっちょうまえに食べていました。
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