ひとりで5時前。起きる直前ちびが少し騒ぎました。→やっと春らしい、暖かい日。桜もかなり咲き始めました。ぱっと見たところ、3分という感じでしょうか。→3月は、103枚強でした。[ウイルス&スパム]
17/20. これは、この土日、大学のアドレスに来たメールのうち、ウイルスないしスパムメールの割合です。たとえば、その日に来た10通のメール全てがウイルスないしスパムメールということはままあります。大学のトップページに出ているアドレスが、その運営に関わるMLになっており、私のところにもそれが転送される仕組みになっています。それ故に、これほどの数のウイルスとスパムメールがやってくるわけです。暇なときには削除をしていますが、放っておくことも多い。[おまぬけ]
もしやと思い、朝一番で大学に出かけました。ありました。ファン・ヘルモントの英訳Oriatrike, or Physick refined,London,1662 をマイクロフィルムから紙焼きしたものがありました。1994年にロンドンに留学していますが、そこで記憶の線が細くなっています。1994年以前については、引っ越しもあって、記憶があやふやになっています。BHの平井 博士の呼びかけで、平井さんの入手したマイクロから紙焼きを共同作業で作って分けようというプロジェクトが進行中でしたが、一番大変な部分は実は済んでいたわけです。いつだかしかとは覚えていませんが、この紙焼きを発注したときにできてきた紙の厚さ(8センチ近くなっています)にびびって、綴じるのを忘れ、そのまま放置していたのです。今回は、綴じていないのが幸いして、必要なコピーを取る手間は軽減されます。何ともおまねけでしたが、コストも手間もずいぶん節約になったわけです。[Newman(1994)]
ニューマンのスターキー伝、すなわち、
Gehemical Fire: The Lives of George Starkey, an American Alchemist in the Scientific Revolution,
Cambridge,Mass.: Harvard University Press,1994
のパーパーバック版が届きました。(University of Chicago Press: Chicago,2003) 27.5ドル。送料を入れて、約4千円強といったところです。このペーパーバック版には新しい序文がついています。12ページの短いものですが、20世紀の最後の10年間に生じた錬金術研究のルネサンスの様子が、的確に描かれています。
ひとりで5時半。今朝は少し寒い。28日に外出したのがいけなかったようで、花粉症がかなり辛くなっています。→100枚を超えました。(ちなみに、1月は72枚、2月は81枚でした。)[ごまかす]
何も教えていないのに、ちびどもはごまかしが結構上手です。お姉ちゃんは、大人が聞いてもびっくりするぐらい巧妙な言い訳を考え出します。叱っていても、あまりにうまいと笑ってしまうことがあります。小さい方は、まだ単語しかしゃべれないので、ことばによる言い訳は出来ません。それでどうするか。笑顔で人の顔を見て、目が合ったら完爾とします。ちいさいちびは相当のやんちゃるもんちゃなので、ダメ、と言わないといけないことが多いのですが、これをうまくやられると、こっちがやはり笑ってしまいます。
親の言うことをどれだけ聞くかは、ちびの言葉の能力に比例するんだそうで、ちいさいちびは最近やっと少しは、ダメと言ったら、聞きます。ただし、少しです。
お姉ちゃんは、ダメな理由をゆっくりしっかり言って聞かせると、数分してから、こちらの言った理由を繰り返して、まあ、それで納得します。(納得と言うより、模倣しているだけですが。)だから、妻に何か叱られたら、その後、妹に同じことばで叱っていることがよくあります。私を叱りに来る場合もあります。
ということで、ちびには、自分がダメ、ということがもともとないようです。親に叱られてダメがわかったように見えるときでも、ダメを別の誰かや何かに転化しているようです。自分がダメと最初から思っていたら、生きる力が失われますから、自分にダメはないという前提は、生命に必須の健全なエゴだと見なすべきなのでしょう。
よくよく考えてみれば、大人もほんとうはそうかもしれません。誰だって、自分の知っている人間を思い出せば、そのなかに自分は少しも悪くない、と本音の部分では思い続けている人をひとりやふたりは必ず、思い浮かべることができるはずです。
ユング心理学の用語を借りれば、自分のダメを知るということは、自分の影(シャドー)と向き合い、それをより大きな自己(セルフ)のなかに統合するということですから、簡単には行かない、ということでしょう。開き直りであれ、何であれ、この世では、自分の悪を自覚している悪人の方が、普通の善人よりもずっと強いことも事実です。
話を戻して。まことにまことに、子どもは親の鏡です。
ひとりで5時半。昨夜お酒を飲んだのと、花粉症のせいです。ともかく鼻がつまって苦しかった。現在原稿用紙換算95枚。3月は、本気で100枚を目指そうと思います。[地下の樹=金属樹]
地上の星をみたいというリクエストがありました。準備が出来たら、リクエストにお答えしたいと思います。まずは、「地中の樹」を科学史のページのトップ画像に採用しました。これは Native Copper の図ですが、金も銀も「地中の樹」をなします。今となってはほとんどありえないこととなりましたが、地中で、こうした金属樹に出会った人の感動はいかばかりだったかと考えます。アンデスでは、人間の大きさほどの銀樹が地中から掘り出されたという報告をボイルが引用しています。こうした金属樹が、鉱物がある種の生命をもっていて、地中で生長する徴ととらえられました。
標本としても、金樹や銀樹は手元にもっておきたいのですが、さすがに手が出ません。銅樹なら、なんとか。[マイクロの紙焼き]
昨日研究室で、つぎのものに関して、マイクロフィルムからの紙焼きを持っていることがわかりました。どれもBritish Library から取り寄せたもので、出来るだけ初版に近いものを注文した覚えがあります。(これだけではありませんが、きちんと製本しているので、使いやすいと思われるものです。紙焼きだけして、綴じていないものもあります。)
J.Magirus, Physiologiae Peripateticae Libri Sex
S.Basso, Democritus Reviviscens Sive de Atomis
S.Basso, Philosophiae Naturalis adversus Aristotelem Libri XII
Theatrum Chemicum Britanicum
W.Charleton, The Darkness of Atheism
最初のマギルスは、ニュートンが使ったことで知られているペリパトス派の自然学集成です。バッソは、あまり研究されていませんが、17世紀においては原子論の復興者として有名だった人物です。Philosophiae Naturalis adversus Aristotelem Libri XIIは、浩瀚な書物です。たぶん、ガッサンディのAnimadversionesに匹敵する大きさではないかと思います。
平井博士のbibliotheca hermetica のページをよく読んでらっしゃる方はご存じでしょうが、平井さんがBritish Library より取り寄せたファン・ヘルモント全集の英訳を有志で協力してプリントアウトしようという計画があります。
ここにリストアップした紙焼きですが、もし使いたいという方がいらしたら、私宛一報下さい。必要度に応じて、お貸しするなりなんなり、対応を考えます。
以前も記しましたが、マイクロの形で、6巻本のTheatrum Chemicum も持っています。(マイクロフォルムで3巻のロール。)
ひとりで5時半。昨日風が強かったせいか、花粉症もいつもよりきつかった。喉の奥がかなり痛い。目が早く覚めたのはそのせいもあります。本年度の仕事は、一応今日の会議3つで終了。提出すべき書類等も、出来はともあれ、作成しました。4月に入ったら新年度の授業の用意も必要となります。
会議は、午前11時から、午後2時半から、そして最後は会議ではなく夕食会ですが午後7時からありました。最初の会議と2番目の会議の間に少し時間があったので、武蔵境のイトーヨーカドウに買い物に出ました。今年は花粉症は軽症だとなめていたら、武蔵境についたあたりで、目が辛抱できないぐらい痒くなりました。イトーヨーカドーにほしいものはなく、イトーヨーカドーの4階でそばを食べ、1階で目薬を買い、スターバックスでカフェモカを飲んでから大学に帰りました。空いている時間は、物理的と情報的の両面で片づけを行っていました。→うちに帰り着くと、お腹の調子が少し悪いのと、鼻がつまったのが重なって、すぐには寝付けなかったので、情報の整理をしています。[ガリカ]
私のケーブル接続の環境では、ガリカからのダウンロードがどうもあまりうまくいきません。それで、大学に出たときに、大学のLANにつながったウインドーズマシーンから少しずつダウンロードを行っています。現時点では、次のものをpdfファイルで持っています。
P.Gassendi, Animadversiones in decimum librum Diogenis Laertii, qui est de vita, moribus placitisque Epicuri , Vol.1,Vol.2, Vol.3, Lyon,1649
J.J.Becher, Physica subterranea profundam subterraneorum genesin, e principiis hucusque ignotis ostendens,Leipzig,1733
H. Boerhaave, Index alter plantarum quae in horto academico Lugduno-Batavo aluntur ,Leiden,1727
Eirenaeus Philalethes, Iatroitus Apertus ad Occulsum Regis Patatium, Amsterdam, 1667
Francis Bacon, De augmentis scientiarum
Francis Bacon, The Works,Vol.1
Georgius Agricola, De re metallica (with a preface by Erasmus), Paris,1541
Henricus Cornelius Agrippa,De Nobilitate et praecellentia foeminei sexus,Antwerp, 1529
R.Descartes, Principia Philosophia
R.Boyle, The Works ,Vol.2, Vol.3
少し注が必要です。アグリコラの De re metallica は、実はBermannus, sive de re metallica, Parisiis, 1541です。平井さん情報によれば、対話編ということです。ガリカはこういうふうに、必ずしも正しいタイトルがついているわけではありません。現実にダウンロードしてみないと、100%正確な中身は分からないという点があります。
ベイコンの『学問の進歩』は、3つの論考が合冊になっています。イギリス人Merucurio の「別の世界と同じ世界」;カンパネッラの「太陽の都市」;そしてベイコの「ニュー・アトランティス」です。ですから、『学問の進歩』ではないわけです。最初の論考が何か、私の知識では分かりません。(調べれば、わかるかと思います。)
ガッサンディの『ディオゲネス・ラエルテォオス10巻本の注釈』は、原本が、東大本郷の図書館にあります。院生の時に、書庫をうろうろして見つけたときはびっくりしました。これは必要だろうと思い、佐々木先生に言って、全巻のコピーを科哲図書館に入れてもらった記憶があります。原典からの引用に次ぐ引用、注釈に次ぐ注釈というルネサンス人文主義の迫力にびびった記憶があります。チャールトンの有名な『エピクロス-ガッサンディ-チャールトンの自然学』は、原則、ガッサンディのこの著作に基づいています。ただし、デカルトから引っ張ってきている箇所もありますから、単純な翻訳書ではありませんが、本体部分をガッサンディの『ディオゲネス・ラエルテォオス10巻本の注釈』に依拠していることに間違いはありません。この日記のページですが、3月は、これまでに400字詰め原稿用紙換算87枚(57K)。 いっそのこと、100枚を目指しましょうか。
ちびが目が覚めてしきりに遊べとうるさいので、5時。5時は、ちょっときつい。→ちびは全員のリズムを狂わせて、いつもより早めに昼寝しました。睡眠不足だと、ちびたちはちょっとしたことで泣きます。一人がなくと、もう一人もなくという、こちらも泣きたくなる状況になります。ちびの昼寝に合わせて私も少し(15分〜30分)寝ました。それでやっと何とか普通になりました。[ラオックス1店]
吉祥寺のパソコンショップですが、せっかく進出したツクモがたぶん1年もしないうちに撤退し、頑張っていたT-ZONEも閉店になりました。一定規模以上のパソコンショップとして現在残るは、ラオックス1店と言ってよい状態です。(数は少ないが、キムラヤにも幾分かあります。)ブロードバンドルーターの販売実態を知りたくて、夕食の前に見に行きました。5千円前後から3万程度まで、かなりの数おいています。多いのは、無線ランのためのものでした。ちびどもが小学生か中学生になって、自分の部屋でインターネットがしたいと言うようになったら、無線も考えますが、セキュリティのこともありますし、私が線をつなぐのが好きだということもあって、当分はケーブルでつなぐ種類のものにします。→インターネットでいろいろ調べると、ブロードバンドルーターでは苦労している方が結構いるようです。5年前は、ネットワークの素人がルーターの設定をするなんてことは考えられなかったので、致し方がない点があるのかもしれません。ラオックスの帰りに、三越の1階のドイツパンやさんで、一袋5百円のパンを買って帰りました。一袋に5つ、はいっていました。前にもこのページに書きましたが、日本のパンは菓子パンがほとんどで、飽きてきます。そう言う意味で、三越の1階のドイツパンは飽きのこない美味しいパンだと思うのですが、そんなに売れているようではありません。夜、ちびどもも喜んで食べていました。
妻は、子どもの頃日本式の甘いものを食べる習慣がなかったようで、あんこの入ったもの、生クリームの入ったものをほとんど食べません。大きいちびも妻の舌を受け継いだのか、あんこと生クリームを食べません。その方が歯と健康のためにはよいでしょう。[ワークショップ作業の残余]
ここに古い化学用語や化学器具(何と言っても絵がついています)についての、とても使いやすい用語集(グロッサリー)がありました。たとえば、「腐敗」を翻訳してみましょう。
腐敗:暖かく湿ったもののなかでの、時には純化による、物質の分解;金属が見た目に不活性な塊や粉に変成すること;ある物体のもともとの古い本性を壊し、新しい本性を導き入れることは腐敗の特質である;錬金術においては、カラスの頭、カラスのくちばし、ヘルメスの樹の灰、地のカエル、死体、小麦の粒の死、身体の殺害または切断、真っ暗闇で、表象される。
発酵:発泡をともなう化学変化。しばし、炭水化物を含んだ物質が、酸素の関与なく分解する変成。錬金術的には、「賢者の石」が他の物質に働きかけ、金に変える、物質変成を例示する多くの過程のひとつ。よく次の形で表象される。パン種でパンを作ること;哲学の王と女王の上昇あるいは浮遊;有翼の哲学の王と女王が、時に交合しつつ、飛翔すること。
ひとりで6時。昨日、NTTドコモを解約したついでに、私がインターネットに手を染めて以来使っていたリムネットの方も、メールだけに契約変更しました。ケーブルに加入するまでメインにしていたホームページが消えたわけです。→と思ったら、現時点ではまだありました。でも近々消滅するでしょう。→ついでに、当分使うことのないNTT電話加入権を売ることが出来ないかと思い、ネットで見てみると、現在2万2千円で買い取るとありました。原則不要だと思うので、そのうちに売るかもしれません。
暖かくなったので、冬物の片づけと部屋の片づけ。少しは進みました。
気がつけば、今日は卒業式でした。高校の卒業式も出ませんでしたし、卒業式とかにはあまり出たことがありません。
ひとりで6時半。暖かい夜でした。大きいちびは何度も何度も毛布を蹴飛ばしていました。[ワークショップ作業の残余]
ミドルトンの本のリストを科学史のページにアップしました。その作業の最中に、光と色の科学史に関して非常にすぐれた文献リストを見つけました。Bibliographie chronologique sur les theories de la couleurです。プラントの『ティマエオス』から始まり、WRIGHT(1949)まで(ここまでが第1部)年代順に288点が上がっています。もっとも網羅的なリストではないかと思います。→1950年からの第2部では、417点が上がっています。日本語のものも拾われています。私も、学生諸君にそんなもの見たことがないと言われる何世代か前の携帯をもっています。ただし、日常的にはほとんど電源をオフにしていて、電話をかけるときだけオンにします。まあ、ですから、移動式公衆電話とほとんど変わらないわけです。これで、だいたい月々4千円強の料金を支払っていました。いまどき高いかなと思い、本日、吉祥寺のドコモショップにでかけ、解約してきました。
家族の間の連絡に携帯は必要なので、それはプリペイド方式の携帯で対応することにしました。うちの近くのコンビニで、本体約1万円、まずはカード千円を買いました。我が家の電話の使い方から言えば、4ヶ月でもとがとれると思います。吉祥寺に出たついでに、次の本を買ってきました。
村上陽一郎(対談集)『安全学の現在』青土社、2003
荻野美穂『中絶論争とアメリカ社会:身体をめぐる戦争』岩波書店、2001
ちびが騒いで、7時前。時間的に問題はないのですが、昨夜も相当暴れてくれました。昨日処理した土曜日の編集委員会の宿題が、郵便物5つになりました。朝一番で郵便局に行って、合計2060円の郵便代となりました。重い郵便が多くて、この金額になりました。
学会のレジメですが、A41枚に「カメラレディー」で作成せよとあります。「カメラレディー」という言葉ははじめて目にしますが、要するにそのまま写真にとって版下とするという意味です。余白の指定が、最低でも上下25ミリ、左右20ミリとれ、とあります。普段はあまりこういうことは意識せずにプリントしていますが、イラストレーターで処理するのが一番自由度が高いのではないかと思い、はじめてチャレンジしてみました。ちょこまかやっているうちに、定規をセンチかミリの単位で出してやればごく簡単に設定できることがわかりました。これは、今日中に仕上げることが出来るとおもいます。
自宅のプリンターでは出来上がり品質がいまいちなので、大学に出て、PS Printerでプリントアウトすることにしました。使う活字も少し変えて、見栄えをいくぶんかよくしました。印刷したときどうなるかはわかりませんが、まずまずでしょう。
[ワークショップ作業の残余]
私が持っているミドルトンの本は、晴雨計(気圧計)に関するものだとわかりました。すなわち次のものです。
W. E. Knowles Middleton, The History of the Barometer, Baltimore,1964
買って持っている本はすべて記録し、リストに作成してあったはずなのですが、稀につけ忘れがあり、これがそのひとつでした。研究室においていたことは記憶にあったので、 実物を見て思い出しました。温度計の歴史もほしいので、うちに帰ってきて早速アマゾンに発注しました。ペーパーバックで20ドルですから、割と気楽です。
ひとりで5時45分。昨日は疲れて、ちびどもの30分後に寝たせいです。天気予報によれば、今日からは暖かくなるんだそうで、助かります。ちいさいちびは空気が冷たいところで咳をすると、すぐに戻します。昨夜も、お風呂に入る前、騒いで大量に戻しました。本人はどれだけ戻しても、けろっとしています。[ワークショップ作業の残余]
部屋の片づけをしていたら、つぎの本が出てきました。
B.J.T.Dobbs
Alchemical Death and Resurrection: The significance of alchemy in the age of Newton,
Washington D.C.: SmithsonianInstitution Libraries,1990.
ワークショップの当日、これをお見せしようとおもって1ヶ月ぐらい捜していたのですが、見つからず、終わったあと出てきたわけです。スミソニアンが希望者に無料で配布していたパンフレットですが、非常にきれいなカラー印刷のリプリーが折り込まれています。錬金術をやっているとこんなことはよくあります。→本当は、整理ができていないだけですが、。。。- 2003.3.22
ひとりで7時20分。ちびは昨夜も少し暴れました。まったく、いつになったら平和に寝てくれるのでしょうか。学会編集委員会の日。今日は駒場の先端研です。→編集委員会の前に少し時間があったので、久しぶりに下北沢の古本屋さんによりました。私の知っている頃と比べて、駅前のお店がかなりかわっていました。古本屋さんでは次の1冊を買いました。
トマス・J・ロンバード『ギブソンの生態学的心理学:その哲学的・科学史的背景』古崎敬+境敦史+河野哲也監訳、勁草書房、2000
[体温計 clinical thermometer (ii)]
そう言えば、グーグルの検索は、日本語のページで行ったということに気がつき、"invention clinical thermometer"で検索してみました。日本語で検索したときよりずっと確かな情報が得られました。
1)最初の温度計の発明。ガリレオが発明したものは、片方の端が開いており、大気圧の影響を簡単に受ける種類のものであった。それゆえ、誰が最初の温度計の発明者であるかについては論争が存在すると言うことです。>それはそうでしょう。
2)人間の体温測定のための温度計の発明。1866年アルバット説が最も多く引用されていました。ただし、「1861年、J.J.ヒックスがはじめて体温計を作った」という説もありました。( In 1861, James Joseph Hicks from Roscarberry, Co. Cork, made the first clinical thermometer.)これは、アイルランドのAGB科学博物館の主張で、博物館にはヒックスの作った「海洋温度計」の実物があるんだそうです。現時点で、これについてはこれ以上のことはわかりませんが、体温計をヒックスが作った可能性そのものはかなり高いと思います。恐らくポイントは、現在使われているような(あるいは10数年前までもっとも一般的に使われていたような)形態の水銀体温計を作ったのは、誰かということだと思われます。問題は、後に受け入れられ、普及するタイプを作ったかどうかということだと思われます。
http://www.tecsoc.org/pubs/history/2002/feb22.htm には、1870年のアルバットの言葉が引用されています。興味深いので翻訳して示しましょう。
「普通に使うには、水銀温度計が一番適していることがわかった。...私は、ハーヴィ氏とレイノルズ氏と協力して、新しい形態の正確な温度計を製作しようとした。..こうした道具[これまで使われていた温度計]がすべてファーレンハイトの目盛りで作られていることは大変に残念なことであった。...それは、イギリスでの観測と外国での観測を相互に理解不能にした。...私は自分をはかる場合は、ほとんど口にくわえていた。...患者に対してはいつも脇の下を利用した。...もし患者が一度は直腸の観測を許してくれたとしても、何度も繰り返すことは必ずや拒否するであろう。」(Allbutt, Thomas Clifford. Medical thermometry. Br Foreign Med-Chir Rev. 1870; 45:429-41.)
これは非常に有用な情報を与えてくれます。最も大切なのは、18世紀なかば過ぎのイギリスでは、普通ファーレンハイトタイプの温度計をおそらくドイツから輸入して使っていたということです。それが体温測定に不便ということで、アルバットが今使われているようなタイプの短い水銀温度計を開発したということでしょう。
いうまでもありませんが、1次資料がわかるともっとも正確なことがわかります。日本語の書籍で調べていて、アルバットのこの情報に辿り着くのは相当に大変(たぶん、医学部の図書館で作業する必要があるのではと思われます)でしょうから、ウェブの力がこういう点にもよく示されていると言ってよいでしょう。- 2003.3.21
ちいさいちびが3時前に起きてぎゃーと騒ぐので、抱っこして寝かせつけようとしましたが、目が覚めてしまったようです。仕方がないのでつきあってやっていました。やっと寝てくれたのが5時。ということで、今朝は、8時45分。[子育てマンガ ]
ケーブルテレビが入って以来、この春から幼稚園に通うおおきいちびは、「おジャ魔女どれみ」と「あしたのナージャ」という2つの女の子向けアニメが気に入っています。ちびは気に入るとビデオにとって何度でも見るので、主題歌は私の頭のなかでもたまに鳴っています。「おジャ魔女どれみ」は少し前に放映されたアニメのようですが、ケーブルのアニマックスというチャンネルで昨日から再スタートしたようです。魔女修行をしている人間の女の子(小学生)数名が、魔女の赤ちゃん(青いバラから誕生した未来の魔女王、はなちゃんという名)を育てつつ、いろんな試練を乗り越えていくというストーリーのようです。1回目は、魔女の国で、主人公がはなちゃんの育て親に選ばれてしまったこと、2回目は、人間の国で、子育て開始というはじまりです。男の子は見ないアニメでしょうが、うちのちびは多いに気に入っており、ドレスや魔法の杖がほしいと言います。クリスマスや誕生日がありますから、結局買わされるはめになるかもしれません。[最終教授会 ]
本年度最後の教授会の日の昨日、アメリカはとうとうイラクに開戦を宣告してしまいました。1995年、今から8年前、神戸大震災のあと、イギリス留学から帰ってきてまだ呆けがなおっていない3月の最後の教授会の日、地下鉄サリン事件がありました。1994年はイギリスにいたので、まわりで、オームだという声が挙がっていたのが何のことだかわからないまま、呆けた頭で聞いていました。年度の最後の教授会の日は、不吉な日かもしれません。
3月中に残るは、会議が2つと、作文が2ないし3点です。[体温計 clinical thermometer から体温測定へ]
昨日の体温計の話が気になるので、川喜田愛郎氏の『近代医学の史的基盤』を見てみました。川喜田さんは、体温計という項目はたてず、代わりに体温測定という項を立てています。それもひとつの見識です。体温測定ということで言えば、17世紀初頭のサントリオが寒暖計で体温測定を試みたのが、温度計による体温測定の最初といってよいようです。17世紀に、その体温測定がどうであったかはほとんど記述がありませんが、当時の医学理論や臨床実践に定位すると、ほとんど体系的にはなされなかったと言ってよいのではないでしょうか。
その後に関しては、18世紀にブールハーヴェの弟子のデ・ハエン(Anton de Haen, 1704-1776) が、体温計による体温測定を励行したという記述があります。
また、パリ学派ではピオリー( Piere Adolphe Piorry, 1794-1840) が臨床的体温測定で先駆者の一人としての役割を演じたが、1830年代にアンドラール、ガヴァレ、ビイヨーその他の医師が体温測定に力を入れたとあります。
しかし、何と言っても体温測定を体系的に研究したのは、19世紀ドイツのヴンダーリッヒ(Carl Reinhold August Wunderlich, 1818-1877) であるとあります。ヴンダーリッヒの『病気における体温の動き』(1871)は、近代医学の古典に数えられるということです。
現時点でのもっとも合理的推論は、次のようになると思われます。
寒暖計で体温を測定した最初は、17世紀初頭のサントリオである。しかし、それは体温計の発明といったようなものではなかった。(当時の医学に、体温測定をルーティンとする理論も発想もなかった。)18世紀に入って、病気の種類やあり方と体温の変化の仕方の関係が注目されはじめ、ちょうどファーレンハイトやセルシウスが開発した・しつつあった信頼できる寒暖計(温度計)を、患者の体温測定に用いる医者達が増え始め、体温測定が1830年代のパリ学派では重要なテーマとなっていた。そうした研究を組織化し、まとまった知見を生みだしたのが、ドイツ人ヴンダーリッヒの19世紀後半の仕事である。
このヴンダーリッヒの仕事とほぼ同じ時期に、人間の体温測定のための特別な寒暖計(温度計)の必要性が感知され、一説にはイギリスの内科医アルバットが1866年に体温計 clinical thermometer を開発した。
一次資料はもちろん、ミドルトンの研究書も見ていませんから、1866年と確かに言えるかどうかはわかりませんが、体温計の発明が19世紀後半だということはほぼ間違いないように思われます。- 2003.3.20
ちいさいちびが騒ぎ、いつもは起きないおねえちゃんが起きて泣くので、午前2時。ちいさいちびを私が寝かせつけ、お姉ちゃんは妻に任せて、なんとかふたりとも寝てもらいました。それで少し目が覚めたので、若干仕事(連絡等)を行っています。
4時前後に寝て、7時前。ゴミ出しは私の役目なので、ちびどもが生み出す大量のゴミを出してきました。といって、2袋ですから、少ない方です。ちいさいちびのおしめが取れるまでは、それなりの量が続くでしょう。3時から6時まで学部教授会。6時から7時前まで大学院教授会。7時ぐらいから7時半ぐらいまで、講座会議。これで春休みとならないところが最近の大学の悲しい点です。
[体温計 clinical thermometer ]
昨日のワークショップで非常に興味深い発表をされた杏林大学の原田範行氏から、会場で体温計について質問を受けました。信頼できる寒暖計(温度計)が、18世紀だという記憶はあった(ファーレンハイト、セルシウスの仕事が18世紀前半)のですが、体温計については全く知識がありませんでした。恐らく19世紀ではないかと思われます、と直感でお答えしましたが、きちんとわからないと科学史家としては気持ちがすっきりしない。まずは、ネットで調べてみました。
体温計の英語ですが、clinical thermometer で間違いないでしょう。
時間的に早いのは、サントリオ・サントリオ(1561年〜1636年)がガリレオの寒暖計の発明を受けて、体温計を発明したという記述です。これがかなり多い。1612年という具体的数字を挙げているものもあります。1609年という数字をあげているのもあります。「体温計が発明されて、病気の診断に的確さをくわえた」のは、17世紀なかばという記述もあります。
19世紀のものでは、1858年にドイツ人医師カール・ウンデルリッヒが、病気による熱型の違いを発表したという記述があります。また他に、体温計の発明が1866年という記述もありました。
日本人では、1883年(初代)柏木幸助氏がどうもはじめて作って販売されたようです。
ということで、相当混乱しています。ウェブ以外に、基本的なレファレンスも見てみました。アシモフの『科学と発見の年表』には、1866年、イギリスの内科医アルバット(Thomas Clifford Allbutt, 1836-1925 )が、それまでの長く、結果が出るまでに20分もかかる不便なものにかえて、長さ15センチ足らず、5分で結果のわかる体温計を発明し、この体温計のおかげで患者の体温測定が一般化したとあります。
『科学史技術史事典』には、やはりサントリーオ・サントリオが目盛り付き体温計を発明したという記述があります。(サントリーオの項)。また、ブールハーヴェ(Herman Boerhaave, 1668-1738)が体温計を用いる厳密な体温計測、を臨床に導入したという記述があります。(ブールハーヴェの項)。日本語でもっとも手頃に温度計や寒暖計の発明の問題を読めるのは、次の書物の第5章「問題としての普遍化 あるいは寒暖計の緩慢なる発明」だと言ってよいでしょう。
*エンゲルハルト・ヴァイグル、
『近代の小道具たち』三島憲一訳、青土社、1990
温度計の発明史に関して、もっとも詳しいのは、この本の注にも上がっている
W.E.Knowles Middleton,
Inventions of the Meteorogical Instruments
Baltimore, 1969
だと言ってよいでしょう。
ミドルトンのものを見ないままに、この時点で言えることをまとめておきましょう。確かに、17世紀初頭に寒暖計は出来ています。そして、おそらく、サントリーオ・サントリオがその長いガラス管にアルコールを詰めた寒暖計の片方の端を口にくわえ(あるいはくわえさせ)体温の測定を試みたこともかなり確度の高い事実でしょう。しかし、ヴァイグルが明白に書いているとおり、17世紀において寒暖計は、信頼できる道具とはなっていません。一つの寒暖計と、別の寒暖計の目盛りは、別々に切られており、信頼しうる換算方式はありませんでした。標準化のために必要な基準の定め方さえ、合意されていませんでした。ということで、手元にある寒暖計を使って、体温を測定した医師(あるいは医師以外の人物)は、存在したと言って間違いではないでしょうか、そのことと体温計の発明は別の事柄です。誰か一人に医師が、まるで秘技のように、自分の手持ちの寒暖計で体温を測定したところで、それが他の多くの医師に共有されなければ、医学の知識とはなりません。『科学史技術史事典』に名前の出てくるブールハーヴェは、18世紀前半に活躍した医師で、一体どういう寒暖計を使ったのか、はっきりするまでは正確なことは何とも言えません。
標準化された正確な(道具として信頼できる)寒暖計=温度計の開発は、華氏に名を残すファーレンハイト、摂氏になお残すセルシウス、の時代です。すなわち、18世紀前半。他にレオミュール、レーマーの名前を挙げることも出来るでしょう。
いずれにしても、体温計clinical thermometer の発明と呼べることがらは、ファーレンハイト、セルシウスのあとでなければなりませんから、上にひいた数字のなかでは1866年というのが最有力候補かと思われます。- 2003.3.19
ひとりで5時半。ちびは、前の晩よりましになったとはいえ、昨夜も少し暴れました。[ワークショップ作業の継続]
集中的に作業をすると、どんな小さなものであれ、いろんな発見があります。科学史誤謬誌に記したことですが、日本語の3次文献には、ボイルが王立協会会長をつとめたという誤った記載がまま見られます。慶応大学図書館貴重書、ボイル『空気の弾性に関する自然学的新実験』(1662)の解説部分に、それがありました。さらに、Invisible College が王立協会の中核であり、という記述もあり、さらに王立協会が1645年設という珍説までありました。金沢の曙文庫もそうですが、せっかくよいコレクションなのですから、解説もすこし信頼できる科学史家に書いてもらえばよいのにと思います。大学図書館の解説文が、まちがいの標本として取り上げられるのは、うれしいことではないと思われます。[地上の星]
慶応の身体医文化研究会ワークショップは、非常に面白いものでした。各人ほぼ90分の持ち時間で、土曜日に5人、日曜日に5人というすごいワークショップです。仕事を残しているので、5時過ぎで帰ってきましたが、聞いた発表はどれも興味深いものでした。私の発表は、授業で行えばゆうに2回は話すことができる量のドラフトを持参したのですが、パラケルススやファン・ヘルモントからの引用の読み上げ等はすべて省いて、ほぼちょうどよい時間に収まりました。「腐敗と再生」という統一テーマに、発酵の科学史を持ち込むのは面白いだろうと思っていたのですが、納得できない点を含めて、関心はもってもらえたようです。私も個人的には相当面白いテーマだと思って、準備をしていました。
ほんの少しの心残りは、アンチモン鉱と金属アンチモンのサンプル、少なくとも迫力のある写真をもっていくことが出来なかった点です。イラストレーターのファイルとしては用意したのですが、カラープリンターで印刷する余裕がありませんでした。
金属アンチモン、すなわちアンチモンのレグルスは、星の王、ですが、まさに地上の星でもあります。その結晶の美しさをお見せできなかったのが少し残念です。
- 2003.3.18
ひとりで7時前。ちびは、昨夜はかなり暴れました。どうもよくわかりません。『化学史研究』の最終校正で、午前中飯田橋に出かけます。→約1時間半で終了しました。2時前に自宅に帰ることが出来ました。
明日の身体医文化研究会ワークショップは、慶応で開かれます。慶応のキャンパスには足を踏み入れたことがないので、地図ソフトで調べてみました。西荻の駅から、東横線日吉駅までは、50分強かかります。歩く時間をいれて、1時間強を見ておけば、会場にたどり着くと思われます。朝一番の発表なので、久しぶりにラッシュの中央線に乗ることになります。(いつもは、ラッシュの向きとは逆向きの電車です。)一人あたりの持ち時間75分。大学の授業並の時間がありますから、かなりのことが話せます。
なお、正確には、会場は、慶應義塾大学日吉キャンパス・来往舎2階大会議室です。
発表原稿は、原稿用紙で約50枚程度になりました。大学の授業で話すときの約倍の量です。話し方が違いますから、7〜8割は話すことが出来るのではと思っています。科学史の部屋の整理を行っています。自分でも忘れていたファイルが見つかります。もう少しきれいに整理した方がよいと思いますが、うまいカテゴリーが思いつきません。
- 2003.3.17
ひとりで5時45分。ちびは、また、夜中少し暴れました。[ワークショップ作業の継続]
午前中に、一応レジメは作成しました。関連する論点で記載していないことはまだいくつかありますが、全部を載せるとオーバーしますから、このあたりでよいかな、というとことです。
ISIS Current Bibliography 2001 を読んでいたら、今回の発表に関係するものとして、次のものが目にとまりました。
Hermann von Helmholtz, "On the nature of Putrefaction and Fermentation", Sci. Context, 2001,14: 499
[ISIS]
ISIS Current Bibliography の最新号2001が届きました。この種の情報とコメントは、科学史のページをご覧下さい。[総合雑誌]
昨日やっと、新しい『文芸春秋』と『中央公論』を買ってきました。『文芸春秋』では東大総長、佐々木毅氏の「国立大学法人化雑感」を読みました。国立大学法人化がもつ問題の大きなところは、指摘されています。法人化が国立大学の「独立」をもたらすのではなく、官僚組織への「隷属化」をもたらすものである点、500人以上の役員を生みだし「天下り先の宝庫」となりうる可能性、評価し評価される活動にエネルギーを多大に取られることが教育・研究活動への桎梏となりうる可能性、等々が指摘されています。
『中央公論』ではずっと読んでいる東浩紀氏の「情報自由論(9)」。匿名概念の見直しという難しい問題に取り組んでいます。- 2003.3.16
ひとりで5時20分。昨夜、一昨夜同様、花粉症で鼻がつまりました。→ここ2〜3日ちびはまた夜中すこし暴れます。風邪が完治していないのかもしれません。[ワークショップ作業の継続]
あまり長く書きすぎて、ポイントが分かりづらかったかも知れないと思い、昨日のニューマン・プロジェクトのページについて、ポイントをいくつか簡単にあげておくことにしました。
・ニュートンの実験の再生は、BBCのテレビで番組として放映予定であること。
・アンチモンと銅からスターキーが作り出した、非常にきれいな紫色の合金「ネット」
・アンチモン鉱(硫化アンチモン)から金属アンチモンを還元する作業は、千度以上の高温を要し、相当丈夫なるつぼでなければ持たないこと。
・金属樹の実験。発表会場で配る配布物ですが、まず、文献表だけ作成しました。可能であれば、カラープリンターを使ったものも用意するつもりです。
- 2003.3.15
ひとりで6時すぎ。やはり、花粉症で鼻がつまりました。[ワークショップ作業の継続]
そう言えば、ウェストフォールのニュートン伝(Never at Rest,邦訳『アイザック・ニュートン』平凡社)にニュートンの錬金術に関するかなりの情報があったな、と思い出して、関連する部分はしっかりとその他の部分はざっと読んでみました。ニュートンは、ボイルよりもずっと頻繁に「発酵」や「腐敗」という用語を使っています。だったら、ウェブでも何か情報が得られるはずだと思い、google で、"Newton, ferment"で検索してみました。トップに、ウィリアム・ニューマン(ビル・ニューマン)のニュートンプロジェクトのページが出てきました。ビルの顔が出ています。それよりもっと重要なのは、スターキー⇒ボイル⇒ニュートンのラインの錬金術の「鍵」となる操作を再現していることです。その模様が、写真で示されています。輝安鉱(stibnite)から鉄を用いてアンチモンのレグルス(アンチモン金属のこと、鉄は還元剤として使う)を作り、それをすりつぶして水銀と混ぜ、アマルガムを作り、何度も蒸留することで「哲学者のスイギン」を作るプロセスがよくわかります。アンチモンのレグルスを作るところまでは、スターキー以前にも知る人には知られていましたが、当代随一のキミスト・スターキーのイノヴェーションは、その次のプロセス、つまり金属アンチモンと水銀のアマルガムを作るときに、仲介者=媒介者を用いる点です。スターキーは、この媒介者として純粋の銀を使っています。そして、そこまでは、出版物に記しています。(『王の閉ざされた宮殿の開門』)現場のキミストであったスターキーはのちほど、財政的な問題(要するに銀は高い)と、操作の制御の問題によって、その銀を銅に置き換えます。18世紀初頭にパリの科学アカデミーの筆頭化学者になったヴィルヘルム・ホンベルグは、ソースは明かさないまま、このプロセスを記しています。スターキーは、パトロン(正確にはパトロンと言えませんが、財政支援はしています)に近い存在のボイルには、こうしたイノヴェーションをオープンに伝えています。ニュートンは、出版物から知識を得ていますから、銀までは知っても、銅までを知ることはありませんでした。
この操作こそ、かのドッブズの名著『ニュートンの錬金術の基盤』(邦訳は『ニュートンの錬金術』平凡社、1995)の第5章で、ニュートンの錬金術操作のピークとして記述されているものに他なりません。ウェストフォールは、上述のニュートン伝で、この操作は、錬金術師にはありえない具体性と詳細さで記されている故、ニュートン自身が開発し行ったものだと述べています。ドッブズは、『ニュートンの錬金術の基盤』第5章でこの点に触れ始める部分では非常に慎重な言い回しをしていますが、結局、ニュートン自身のものだとして、5章の残りを記述しています。
そのニュートンの資料そのものは、ラテン語でClavis(鍵の意)というタイトルがつけられていました。
このニュートンの錬金術のピークだとされていた『鍵』が、実は、ニュートン自身の著作ではなく、スターキーの著作(Eirenaeus Philalethes という名前で出された著作)をニュートンが筆写しただけであることを、文句なく証明したのが、ビル・ニューマンです。
ということで、ウィリアム・ニューマンは、ゲベールに帰されていた『完成大全』の真の著者を同定するという大発見をしたのみならず、エイレナエウス・フィラレテス=スターキーの同定を行い、さらにニュートンの最高の仕事とされてきたものがスターキーのものに他ならないことを証明するという、ほんとうに大きな仕事をしたわけです。こういう発見は、歴史学の発見としては、あとに非常に大きな影響を与えます。その効果をひとつだけ記せば、要するに、ニューマンの仕事をフォローしていない人の書くものは、ものすごく古くさいものという印象をもたらすもの、あるいは憐憫の情をもたらすものにしかならないということです。
自然誌的な部分を現代の科学教育は、非常に切りつめているので、科学者となっている方でも詳しくない方は多いのですが、スイギンがそもそも非常に不思議な金属です。常温で液体でしかも比重が非常に大きいのみならず、化学反応でも周期律表で同族の元素、亜鉛やカドミウムとは大きく異なる特異な挙動を示します。天然には、ほとんど辰砂(硫化スイギン)の形態で存在します。近代初頭までに知られている元素のうち、そのスイギンと非常に似ていると思われたものに、砒素(アルセニック)とアンチモンがあります。砒素、アンチモン、燐、ビスマスをあわせて、錬金術師の元素と呼ばれることがあります。砒素は、非常に有名な「由緒正しい」毒物ですが、天然には2種の硫化物(鶏冠石と雄黄という見るからに有毒な物質)として存在します。この硫化物から金属砒素を得た最初はものの本にはアルベルトゥス・マグヌスではないかと記されています。ともあれ、かなり早い時期に知られていたということは言えます。その金属砒素ですが、すぐに昇華する点、他の金属とすぐに合金を作る点、また鶏冠石が辰砂と見た目非常に似ていることなどから、錬金術師は多くスイギンの一種と見なしていたようです。アンチモン金属の方は、見た目は黒く鉛の仲間と思われていたようです。しかし、スイギンと同じく、いろいろな金属を容易にとかします。『元素発見の歴史 I 』から、17世紀後半代表的化学教科書を著したことでしられるレムリの言葉を引用してみましょう。「大げさな名を好む錬金術師たちは、それが火中で金属の大部分をむさぼり食うので、“赤い獅子”とか“狼”とか呼び、多くの金属がこれに由来するとして“金属の根源”とも呼び、また、それがさまざま な形状と色とをとるので“プロテウス”と呼ぶこともある。さらに、この鉱物が多くの金属を犯すので、多数の金属物質と結合する鉛と関係あるに違いないと考えて“聖なる鉛”とか“賢者の鉛”と呼ぶこともある。(p.109)」
こういうわけで、ルネサンスから近代初頭の錬金術師=キミストたちは、このアンチモンに多大な関心を寄せています。もちろん、アンチモンの金属結晶が示す特有の星形に非常に魅了されたという事情もあると思います。
話が逸れてしまいましたが、17世紀の現場のキミストたちがどういう操作を行っていたのか、上記のニューマン・プロジェクトを、是非一度ご覧下さい。- 2003.3.14
ひとりで6時前。昨夜と同じく、花粉症で鼻がつまったせいです。
一昨日は学部教授会。本日は大学院教授会。一昨日も、今日も多磨駅6時52分発の同じ電車で帰ってきました。今日はもう少し早く終わると思っていたのですが。→まだ、3月20日に学部教授会と、臨時の大学院教授会が残っています。つまり、3月には5回の教授会![ガリカ]
水曜日、木曜日と一日中大学に張り付いていて、少し開いた時間があったので、研究室からガリカにある原典のいくつかをダウンロードしました。
P.Gassendi, Animadversiones in decimum librum Diogenis Laertii, qui est de vita, moribus placitisque Epicuri, Vol.1-Vol.3, Lyon,1649
G.Starkey= Eirenaeus Philalethes, Introitus apertus ad occlusum regis palatium ,Amsterdam,1667
J.J.Becher, Physica subterranea profundam subterraneorum genesin, e principiis hucusque ignotis ostendens,Leipzig,1733
A.Sala, Angeli Salae Vicentini chymiatri candidissimi et archiatri megapolitani opera medico-chymica quae extant omnia, Rouen,1650
H.Boerhaave, Index alter plantarum quae in horto academico Lugduno-Batavo aluntur ,Leiden,1727
以上の通り、合計7点をダウンロードしたことになります。何度かダウンロードを試してみて、うまく行かないときにはうまく行かないという感を強くしました。まず、ネットワークが混み合っているときには、うまく行きません。そうした場合「アクセス過多により現在接続不能」という表示が出ることがあります。第2に、不明な技術的理由によりうまくいかないことがあります。速度も重要な要素です。大学のLANからだと、ずっと20Kの速度は出ていました。このぐらい出ていれば、大丈夫なようですが、数Kレベルで大きなファイルをダウンロードしようとすると、タイムアウトになることもあるようです。もちろん、時間帯も重要です。日本からのアクセスでは早朝がつながりやすいようです。2001年の夏学期、東京外国語大学総合文化研究所主催・国際言語文化振興財団後援 で行った連続講演「文化は都市を結ぶ―<大きな戦争>から第2次世界大戦へ」の記録が本になりました。
荒このみ編『7つの都市の物語―文化は都市をむすぶ』NTT出版、2003
目次は次の通りです。
松山巌「東京:四割のモダン、六割のぬかるみ」
川口健一「ハノイ:西欧化と民族文化の創出」
篠原琢「プラハ:亡命者の交差点」
川島英昭「ローマ:ファシズムの野望、建設という名の破壊」
小池滋「ロンドン:ミステリー小説と大衆文化」
増田義郎「ブエノスアイレス:ガルデルとボルヘスの町」
荒このみ「ニューヨーク:ハーレム文化とプリミティヴィズム/エグゾティシズム」
値段は、2000円。今の時代に、この値段はありがたい。- 2003.3.13
ひとりで4時。花粉症で、鼻がつまったせいです。ちなみに今のところ今年の花粉症は軽症ですんでいます。目が少し痒いのと、夜寝ているとき鼻がつまって苦しいのと、症状はほぼそれだけと言ってよい状態です。鼻水は少し出ますが、昔のようにティッシューの箱を抱きかかえている必要はありません。
今日は、一日中、大学で、昨日の続きの業務。昨日と同じぐらいの時間には帰ってこれるのではと思っています。→見通しが甘かった。遅くともこの時間までには終われるだろうと思っていた時間からさらに1時間かかりました。[ワークショップ作業の継続]
昨日は、研究室の片づけをしたので、かなり関連する資料を見つけることができました。とくに、昔、William Andrews Clark Memorial Library が出していたSeminar Papers のシリーズで今回の作業に関連するものが6冊見つかりました。
Smith,Cyril S. and John G.Burke,
Atoms,Blacksmiths,and Crystals,
W.A.Clark M.Library,U.California Pr.,Los Angeles,1967.
Lawrence,George H.M. and Kenneth F.Baker,
History of Botany,
W.A.Clark M.L.,Los Angeles,1965.
Reti,Ladsilao, and William C.Gibson,
Some Aspects of the Seventtenth Century Medicine and Science ,
W.A.Clark M.L.,U California,Los Angeles,1969.
Bodemer,Charles W. and Lester S.King,
Medical Investigation in 17th Century England ,
W.A.Clark M.L.,LosAngeles,1968
Dewhurst,Kenneth,
Thomas Willis as A Physician ,
W.A.C.M.Library,Los Angeles,1964
Sellin,Paul R. & Stephen B.Baxter,
Anglo-Dutch Cross Currrents in the 17th and 18th.century ,
W.A.C.M.Library,U.California,Los Angeles,1976.
中を見ると、最後のものを除き、ほぼ読んでいます。それと、次の大冊。
Michael J.B. Allen and Valery Rees with Martin Davis (eds.),
Marsilio Ficino: His Theology, His Philosophy, and His Regacy
Lieden: Brill,2002
Hiroshi Hirai, "Concept of Seeds and Nature in the Works of Marcilio Ficino" の含まれている論文集です。- 2003.3.12
ひとりで6時。今日は、入試の日。そして、一日中、会議。
入試の業務も無事終了したようです。会議も、4時スタートで、2つ目のものが7時前に終了しましたから、上出来です。私は6時52分の電車に間に合ったので、7時25分には家についていました。待ち時間0の最短で帰り着きました。8時には、夕食と風呂を終了しました。今日は早めに休んで、明日の続きの業務にそなえることにします。入試業務が終わって会議まで、約4時間あまり時間が空いたので、研究室の片づけをしていました。片づけは私の場合すぐに行き詰まるのので、気分転換に、できたばかりのグランドを一周してみました。誰もいないグランドをひとりで歩くのは、悪くない気分です。400メートルのトラックのまわりに、少し広めに取られていますから、恐らく1週600メートルあまりだと思われます。速歩で数周すると非常によい運動になるのではと思います。
- 2003.3.11
ひとりで7時前。今日は午前中に会議があるかも知れません。→会議はありました。8名のうち、5名が参加。会議の帰り、吉祥寺によって、次の2冊を買ってきました。
岡本裕一郎『異議あり!生命・環境倫理学』ナカニシヤ出版、2002
資料集 生命倫理と法編集委員会編『資料集 | 生命倫理と法』太陽出版、2003
岡本裕一郎氏の本は、けっこういろんなところで評判になっているものです。まだ読んでいませんが、感覚的にはよくわかる話です。本間さんから、次の論文を送ってもらいました。
本間栄男「16-17世紀のルネサンス生理学と機械論的生理学の構成」『東京大学教養学部 哲学・科学史部会 哲学・科学史論叢』第5号(2003),pp.1-36.
フェルネルを中心とするルネサンスの生理学がどういうものか、概観を知るのに最適です。>ありがとうございました。[ワークショップ作業の継続]
カリフォルニア大学古典学教授Dana F. Sutton 氏のサイトで、スターキー/エイレナエウス・フィラレテスの作品がガリカにあるかどうか見てみました。フィラレテスの非常によく読まれたIatroitus Apertus ad Occulsum Regis Patatiumがスターキーの名前のもとにあることがわかりました。→自宅からダウンロードを試みましたが、最初は、90%ぐらいに達した時点でタイムアップ、2回目はダウンロードそのものには成功したが、ftp ソフトがpdf を text としてダウンロードしてしまったために、使えませんでした。ということで、今日大学に出たときに、ウィンドーズマシーンで、ダウンロードしました。大学から次の本を持って帰りました。
Frederic Lawrence Holmes,
Claude Bernard & Animal Chemistry,
Cambridge,Mass.:Harvard University Press,1974.
- 2003.3.10
ひとりで7時前。昨夜、小さいちびは、就寝前にもどし、夜もすこし暴れました。[ワークショップ作業の継続]
17世紀後半の化学=錬金術(キミア、あるいはキミアストリー)をリードしたひとり、ジョージ・スターキーの略伝と著作をまとめました。
発表は来週の水曜日ですが、今週の水曜日から入試関係の業務でかなり忙しくなるので、今日から発表ノートの作成にかかりました。頭のなかで考えていたことの一定割合は、話す時間がないようです。
配布する予定の文献表をまとめていて、そういえば、スターキーとエイレナエウス・フィラレテスの論考のリプリントは、数冊持っていたな、と気付きました。すっかり忘れていました。数冊と言っても、ごく短いパンフレット形状のものなので、ともあれ次の2冊を読んでみました。
Preparations of the Sophic Mercury
The Secret of the Immortal Liquor called Alkahest or Ignis-Aqua
いくつか専門用語が使われていますが、とても読みやすい英語で非常に明晰に書かれています。分かる人にはほんとうにわかりやすいマニュアルになっています。蒸留する回数、反応させる物質の重量割合がしっかりと記されています。17世紀後半に、こうしたスターキーの筆になる化学文献を読んだ者は、これで自分もできるという気になったのではないでしょうか。- 2003.3.9
ひとりで7時。昨夜からネットの調子がおかしい。時間がかかりすぎます。→接続が切れてしまいました。ケーブルをつけなおして、再起動したら接続できました。原因等は不明。J-COMの引っ越しでアカウント継続ができなかったのは、パスワードのせいだとわかりました。電話で教えてもらい、解決しました。昨日の午後3時から、今日の12時までほぼ15時間、科学史&化学史研究サイトは消えていたことになります。
サーバースペースの引っ越し作業の間、(といっても、外から見たURLは同一ですから、なんか変な感じがしますが、古いサーバー上のディレクトリーは削除され、次に前と同じ名前で新しいディレクトリーが作成されていますから、データは引っ越し作業をしなければなりません)、科学史と化学史研究あての未読メールが相当数たまっていたことに気付きました。この間、科学史と化学史研究あてにメールを出してくれた方には一定割合返事をしていないことになります。今更返事を出すのも間抜けですから、その件は、ご容赦下さい。
これでやっと落ち着いて仕事に戻れます。この種の問題が解決できないままだとどうも気になって、仕事に集中できません。[こわすちび]
朝方小さいちびが本棚に置いているフロッピーを取り出して何か言っています。何をしたいのかずっと理解できなかったのですが、そのうちに、「あけて」と言っていることがわかりました。実際、自分で遊んでいて、フロッピーの窓の部分をとってしまいました。まだ「あけて」というので、3分の2程度2面に割いて、渡すと、喜んでなかの磁気シートを取り出していました。これを見ていたお姉ちゃんも加わり、結局、7〜8枚壊してしまいました。たぶん、大人でもあの窓の部分を取ったことのある方は少数だと思われます。ちびは、ばかにできません。[総合雑誌]
木、金、土と外出していなかったので、4日ぶりに外出して、雑誌を3冊買ってきました。『現代』『論座』『インターネットマガジン』の3冊です。
『インターネットマガジン』は、ブロードバンドの特集を読みました。現在我が家は、私のみケーブルのインターネットに接続していますが、前は妻のものも接続していました。そのときは、月千円をプラスして、IP address を2つもらっていました。今回もそうするつもりだったのですが、ブロードバンドルーターの値段によっては、そっちを導入してつないだ方が安くなるかと思い、ブロードバンドルーターの値段を見てみました。1万数千円でありますから、ブロードバンドルーターを導入してもほぼ1年でもとがとれる勘定になります。春になるのか、夏になるのかわかりませんが、そのうちにブロードバンドルーターを買ってきて、ちびどものマシーンも接続してやるつもりです。- 2003.3.8
ひとりで5時半。昨夜、ちびどもといっしょに寝てしまったせいです。[ワークショップ作業の継続]
気になったので、ホンベルグを調べてみました。Wilhelm Homberg, 1652-1715。生まれは、ジャワ島のバタヴィア(ジャカルタ)です。30年戦争で財産を失った父が、オランダ東インド会社に希望を見出して、ジャワに行っていたせいです。思春期の時期に大陸に戻り、ホンベルグはイエナとライプチッヒで法学を学んでいます。1674年マグデブルグで法律家として働き始めるが、すぐに法律に関心を失い、マグデブルグ市の有名人、オットー・フォン・ゲリケと接触し、ヨーロッパ各地を旅行するようになる。
1677年から78年にかけては、イギリスに滞在し、その間ボイルに協力しています。その後、オランダに出かけ、ヴィッテンベルグで医学博士号を取得し、1691年にパリ科学アカデミーの主席化学者となり、1704年にはフィリップ2世の主席侍医になっています。ホンベルグが原質説に関してもっとも信頼した著者は、エティエンヌ・ドゥ・クラーブ、トーマス・ウイリス、ニコラ・レムリであった。
(以上、Principe(2001)より。)
= Lawrence M. Principe, "Wilhelm Homberg: Chymical Corpuscularianism in the Early Eighteen Century", in Christoph Luethy, John E. Murdoch, & William Newman (eds.), Late Medieval and Early Modern Corpuscular Matter Theories(Brill: Leiden, 2001), 535-556
あとへの影響ということで言えば、彼は、ブールハーヴェに多大な影響を与えており、また親和力表で有名なジョフロワの先生であった。[やっとケーブルii]
ケーブルテレビの工事は、朝方1時間弱で終了しました。こちらは立ち会うだけで特に何もすることがなく、あまりに散らかっている机の上の片づけをしていました。テレビの方は最初から全く心配していなかったのですが、インターネットの方は少し心配でした。しかし、付け替えはまったくスムーズに行きました。次の心配は、このホームページそのものです。当分は続くでしょうが、新しいアカウントとパスワードをくれたので、もしかしたら、そのうち切り替えになるかもしれません。難しい作業ではないのですが、インターネット上のアドレス url をあまり動かしたくないので、今のところ説明はありませんが、継続できるよう交渉して見るつもりです。
結局古いディレクトリーは消去して、新しく同じ名前でディレクトリーを設定せよと言うことのようです。バックアップをとって、新しく設定することは簡単だったのですが、その新しく設定したアカウントでのログインが30分経っても、1時間経っても、3時間経ってもできません。この時間のかかり方はサーバーの設定の問題なのではないかと思うようになりました。もう少し様子を見て、ログインがずっとできなければ、明日の朝、メールか電話で問い合わせて見るつもりです。心配していたことが生じたわけですが、回復できる可能性もあり、後一日は待ってみます。- 2003.3.7
7時半。ちいさいちびは、やっと、夜騒がなくなってきたようです。ほっとします。そのかわりなのかどうか、昨日は昼間かなり暴れていました。何か気に入らないと、あるいは思ったようにできないと思い切り泣いていました。
朝から本格的な雨降り。冷え冷えとしていますが、冬の雨ではなく、どさどさ降る春の雨です。[やっとケーブルi]
今朝、J-COMの方が来て、まず、電話だけケーブルテレビのものに変える工事をしてくれました。テレビとインターネットの工事は明日です。この家に引っ越してから、足かけ3年目、正確には1年と2ヶ月と2週間かかったことになります。電話は、NTTの番号をそのままケーブルテレビが引き継ぐので、引っ越し通知のようなものが一切不要です。そうした通知は結構面倒なので、同じ番号を引き継げるのはありがたい。明日、ケーブルでのインターネットの接続を確認できたら、給料も下がったことですし(2月27日を参照)、携帯電話もコストを調査した上で、別のものに変えようと思います。[ワークショップ作業の継続]
3月2日に読み始めた次の本を読み終えました。ちびどもの絶え間ない襲撃を受けつつなので、少々時間がかかったのは仕方ありません。
William R. Newman, Lawrence M. Principe,
Alchemy Tried in the Fire: Starkey, Boyle, and the Fate of Helmontian Chymistry,
Chicago: University of Chicago Press, 2002
これは、本当にすごい本です。17世紀後半における化学者の実験行為の実状がはじめて明らかにされた、と言ってよいと思います。思想的側面に関しては、先行研究にもよい研究が数多くありますが、だれかひとりのキミストの研究の具体的な手続き、とくに実験の具体的な進め方がわかったことは、画期的です。それは、スターキーが17世紀のラヴォワジェと呼びたくなるほど、反応の前後での反応に関わる物質の重量を常に正確に計量し、しっかりその実験ノートに記録していたおかげです。そもそも、17世紀において、そうした実験ノートが残されていたこと自体が、そしてニューマンとプリンシーペによるそのノートの発見が、科学史における大スクープと言ってよいでしょう。
ラヴォワジェの世紀の前に、一種の文学的表現としてではなく、具体的な実験の操作と進行を記した化学文書を読むことができた、のは本当の驚異です。
ボイル化学の解釈としては、私はニューマンとプリンシーペとは違った意見を持っていますが、それもこれも、彼らが明らかにした事実の重要性を減ずるものではまったくありません。
最後の章で、化学の精確な定量的方法に関して、彼らは、スターキー→ホンベルグ (Wilhelm Homberg, 1652-1715: フランスの科学アカデミーで活躍したので、オンベールとでも呼ばれたのでしょうか?)→ラヴォワジェという直線を引いています。ラヴォワジェの先駆者探しとしてもそれは、非常に興味深い流れです。
ともあれ、私は、スターキーの実験ノートの記述の部分では、パストゥールやラヴォワジェを読んでいるかののような印象を受けました。- 2003.3.6
昨夜、50度を超える中国の銘酒を飲んだせいでしょう、4時前に目が覚めました。どうせまた眠くなりますが、カバンの中に持ち帰った仕事をこなすことにしました。→6時半に寝て、7時半におき、ゴミを出してきました。その後は、ちびどもの相手をして、再度10時に寝て10時半に起きました。今日は、何とかこれでやっていけそうです。[ワークショップ作業の継続]
ニューマンの著作・論文のリストを、本、雑誌論文、論文集という3つのジャンルに分けた上で、年代順に並べ替えました。- 2003.3.5
8時。昨夜いつもより遅くまで起きていたせいです。3時から教授会。6時から講演会。7時半から研究所打ち上げコンパ。→講演会は、ハンブルグに住み、日本語とドイツ語の両方で小説を発表されている多和田葉子さんに、わざわざドイツからお越し頂いて、お話ししていただきました。ジンバブエ、カリフォルニア、パリでの体験をもとに、非常に興味深い講演でした。総合文化研究所の部屋からはみ出すほど人が集まる大盛況でした。私には鴎外の話が印象に残りました。→その後、研究所の打ち上げコンパ。講座長が中国の銘酒を2種差し入れてくれました。度数は強いものの、よい味のお酒でした。10時で散会。→10時15分多磨駅発の電車には、たった4人しか来ていませんでした。残りの方々は2次会、またはタクシーで帰られたのでしょうか。
[ワークショップ作業の継続]
私の所持している本と論文のカード、平井さんのサイトでのすばらしいリスト、ならびにニューマンとプリンシーペの新著の文献表によって、ニューマンの著作・論文のリストを作成しました。- 2003.3.4
ちびとともに6時。昨夜はすごく強い風が吹いていました。→あまりに腰が痛いので、朝方いつも世話になっているマッサージやさんにいってきました。涙がこぼれるほど痛かったのですが、かなりすっきりしました。要するに、背中全体が肩こりになったような状態でした。→マッサージを受けると、すごく眠くなります。ということで、今日は、ちいさいちびのすぐ後に就寝することにしました。→あまり早く寝ても、寝てしまうことはできませんでした。30分で目覚めて、あとは、ニューマンとプリンシーペの本を読んでいました。→6章中、4章読了しました。これは本当にすばらしい研究書です。狭く化学史に関心があるものだけではなく、一般的に科学史家という自負があるのであれば、読むべき本です。- 2003.3.3
ひとりで7時過ぎ。2夜続きでちびは静かです。こいつはありがたい。→暖かい日になりました。最高気温が17度、春一番が吹いたそうです。夕方から雨になりました。明日はまた冬に戻るということで、体調管理に気をつけないといけません。とくに風邪の完治していないちびには気をつけてやらないと。[ワークショップ作業の継続]
昨日から、次の本を読み始めました。
William R. Newman, Lawrence M. Principe,
Alchemy Tried in the Fire: Starkey, Boyle, and the Fate of Helmontian Chymistry,
Chicago: University of Chicago Press, 2002
ディテールがすごい。今考えられる最強タッグで、ボイルとその周辺のキミアを追いかけただけのことはあります。プリンシーペはもともとは、練達の士バレンティノスの研究からスタートしており、また、ニューマンは言うまでもなく、ゲベールの真の著者を突き止めた上で、中世から近代錬金術におけるゲーベルの伝統(粒子論的錬金術の伝統)を明らかにした人物です。ととえば、科学研究を始めたばかりのボイルが、まずはセンデイヴォギウスの錬金術に接し、ついで、すぐにバミューダ生まれのアメリカ人アデプト、スターキーに直接教えてもらうことでヘルモント=スターキー流の伝統に属することになる、この点が、典拠となるテキストを具体的に提示して、説得的に論証されています。17世紀後半における錬金術的研究において、ただアイディアということではなく、具体的なプロセスやテクニックの開発を誰がどういうふうに行い、それがどういうふうに着服されたのか、この点を知るために必須の書物となっています。
錬金術は、良かれ悪しかれイマジネーションに働きかける力が強く、その歴史は長い間イマージュの覆いのもとに隠されていたと言えるでしょう。しかし、20世紀後半から、ニューマンやプリンシーペ達の努力により、歴史が姿を現しつつある、と言ってよいかと思われます。- 2003.3.2
ひとりで7時。ひさしぶりに静かな夜。ちいさいちびの鼻風邪もほぼなおったようです。やれやれ。→鼻風邪は8割方なおっていますが、まだよく咳をします。咳が収まって快復ということになるでしょう。→私は花粉症のせいで、少し頭が痛い。
お風呂の後、みんなであいちゃんをみていたら、ちびがやってくれました。咳が続くな、と思ったら、バケツをひっくり返すように戻しました。たぶん、数百ミリリットルを10秒から20秒の間に戻しました。これだけ戻しても本人はいたって平気で、その後すぐにいろんなものを食べていました。[ワークショップ作業の継続]
本棚を見ていると、『科学の名著第2期9 ベルナール』(朝日出版、1989)が目に付きました。今やっている作業に関係していると思い、取り出して読んでみると、非常に面白い内容でした。ほとんど記憶はありませんが、書き込みからすると以前読んでいます。収録されているのは、クロード・ベルナール『動植物に共通する生命現象』(1878)です。生理学の領域を画定するねらいがある書物です。イントロの部分に、学説史があります。最近の本では失われた習慣ですが、ある時代までの科学の著作には、学説史を整理し、課題をはっきりさせる序がつくことが珍しくありませんでした。
私にとくに面白かったのは、次の言葉です。「注意すべきことは、ここで我々が日常的な錯視にとらわれており、生命の現象を規定しようとして、実は死の現象を指示していることでろう。」(訳,p.39上)。この言葉の背後には、生物現象を2つの局面にわけて考えるベルナールの発想があります。
1.生の局面。生命的創造。有機的構成化的総合。
2.死の局面。有機的崩壊現象。
1.の局面は、生命体に固有で特有の現象であり、2.の局面は物理的化学的現象であり、おおくは燃焼、発酵、腐敗の帰結である。一言では、分解ないし複分解という化学現象であり、こういう化学現象が有機体に向けられたものが死という現象である。こういうふうにベルナールは言います。- 2003.3.1
とうとう3月。昨夜も、その前の夜とほぼ同じ経過を辿りました。ちいさいちびが暴れて大混乱。朝の10時過ぎに雨が降り始め寒い一日。小さいちびの風邪はあいかわらず。
[ワークショップ作業の継続]
パーゲルが次の使徒の言葉を引用しています。「一粒の麦、地に落ち、死すなら、多くの実りをもたらす。」非常に有名なことばなので、聖書の引用句の辞書(もってはいるのですが、行方不明。たぶん、研究室にもっていたのかもしれません。)をひけばすぐにわかるのですが、聖書のどこに由来するのか正確に知っておきたいと思いました。こういう場合は、グーグル。“麦、死、使徒”ですぐに出てきました。まずは、ヨハネ福音書12章24節にあります。ついで、コリントの使徒への手紙のなかに似たフレイズがあります。イエスは、種の比喩(聖書学の方々は、「譬」という言葉を使うことが多いようです。)を多く使います。有名なのは、からし種の比喩とパン種の比喩でしょうか。
からし種の比喩は次の通りです。
「神の国を何に比べようか。また、どのような譬でこれを示そうか。 それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、どんな種よりも小さいが、まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣をつくることができるほどになる」(マルコ福音書4章30〜32節。)
なお、からし種は、日本語では「山椒の粒」や「芥子粒」にあたるものです。およそ1ミリぐらいの大きさで、生長すると2メートル半から3メートルぐらいの大きさになります。小さなものが大きく生長するという典型的事例として、こういう文脈でよく使われるようです。
パン種の比喩は次の通りです。
「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」 (マタイ福音書13章)
どちらも、たぶん、現在の説教でもよく使われる比喩なのだと思いますが、ある意味では非常に錬金術的な比喩でもあります。文学作品でも、そうとうよく使われているのではないかと思います。我が家でもっともよく上演されるものでは、ピクサーがつくったCGアニメ『バグズ・ライフ』に、この比喩があります。この作業中、面白い記述を見つけました。http://members.shaw.ca/competitivenessofnations/698.6%20NeoPhysiocrats%201.htm.というぺージによれば、バイオテクノロジーbiotechnologyという術語は、1919年ハンガリーの技術者Karl Erekyによって、つくられたものであり、生きている有機体の補助によってある物質材料から目的産物がつくられるあらゆる過程に当てはまるものとして、つまりはでんぷん等からアセトンを生み出す発酵過程をモデルに考えられた言葉だということです。このエレッキーは、石器時代や鉄器時代と同じ意味で、バイオテクノロジー時代というのを予見していたということです。→ところで、バイオテクノロジーに日本語の定訳があるのでしょうか?
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