1998年11月ニュース

 1番目のインテリア関係は最近の私の趣味で、ほしかったのですが、大きな本屋さんではどこにおいてあるのかわからず、やっとここ(ABC)で探し出すことができたものです。
 2番目のエルンスト・ヘッケルの『自然の芸術形態』は、知る人ぞ知る大変美しいうっとりするような図版の書物です。駒場(東大駒場、教養学科図書室)に実はヘッケル関係の図書は、1次資料を中心にかなり集まっています(1階の不思議な場所にそろえておかれている)。僕の探し方が悪かっただけかも知れないのですが、そこでこの本の原典( Kunstformen der Natur ) だけは探し出すことが出来ず、ずっと図版だけでもまとめて出してくれないかな、と思っていたら、昨日、ABCにあるではありませんか。手持ちのお金は少し心配でしたが、迷わず買いました。出版社は、プレステル。荒俣宏の本の読者(観者)の方は、とうに、ご存じのことだと思いますが、かのアンドレ・ブルトンが「生きているシュールレアリスムの実例だ」と評したというのも全く大げさではないと納得できる図版です。それが、5000円以下なのでこれはお買い得だと私は思います。
 私にとっては少し早い今年のクリスマス・プレゼントといったところでしょうか。

 次に私が『外大ニュース』に書いたゼミ紹介を載せます。
科学思想史ゼミ紹介
趣旨は、簡単です。ゼミナールの意義を説いて、学生諸君にゼミをとりましょう、とすすめる文章です。不思議に思われる方もおられるかもしれませんが、外大は、ひとつのゼミをとらなくても卒業できる仕組みになっています。そのためにわざわざこういうことを書いたものです。
 

  • 1998.11.18
     次は、僕が今日買った雑誌と本のリストです。
    1. 『ブルータス』1998年12月1日号:スタイルのある集合住宅情報(3)、
       460円。
    2. 『日経エンタテインメント』1998年12月号、480円。
    3. 『Mac Fan Intenet』1998年12月号、1180円。
    4. 『gap』11月号、住むとは?、800円。
    5. 『Franc franc autumn winter 1998』(商品カタログ)300円。
    6. 『TN Probe』第3巻(1996)世界の建築美術館・ギャラリー、
        1000円。
    7. 『THE WASEDA etcetra』98年4月創刊号、宮台真司という人生、450円。
    8. 20世紀建築研究編集委員会編(にじゅうせいきけんちくけんきゅう)
       『20世紀建築研究』INAX出版、1998、3200円。
    9. 高橋弘子編(たかはしひろこ)
       『オイリュトミーの世界』水声社、1998、1500円。
     1番目の雑誌は、はじめて買う雑誌です。日経がアイドル研究雑誌か、とちょっと不思議な気がしましたが、結構面白かったです。この1年ぐらい日曜日の午後9時には、東京12チャンネルの『アサヤン』というテレビ番組をだいたい見ていました。ナインティナインの司会はうるさく、作り方もかなりあざとい番組ですが、オーディションの中継がかなりおもしろくて、ずっと見ていました。95年の1月にイギリスから帰国して以来、日本の音楽シーンに全くついていけていなかったのですが、この番組を続けてみることで、少し、わかってきました。帰国当初は、反感の対象でしかなかった小室哲哉もこの番組で見ることで、少し理解できるようになりました。(小室哲哉の音楽が好きになったりはしていませんが。)
     第3曲目のCDでオリコンの一番をとった「モーニング娘。」は、今の音楽=アイドルシーンを代表するグループと言っていいでしょう。以前の女の子アイドルは、男の子たちが支えていた。それに対して、最近のアイドルシーンの一部は、女の子(中学生から高校生の女の子)たちが支えています。自分もなれるかもしれないという近さと親しさの感覚がポイントのように思われます。
     1番、4番、5番、6番、8番目のものは、建築やインテリア関係のもので、近い将来の自分の部屋をどうするかということを含めて、最近、建築やインテリア関係のものにイマジネーションをかきたてられます。自分の部屋に関しては、こうしよう、ああしようと考える(imagin )のは、大変楽しいことです。こういう方面に関してまとまったものができたら、このホームページでも公開できることがあると思っています。(年内には少し出来ると思います。→My Bookmarks に11のリンクを張っておきました。少しは役に立つかと思います)

     今日は、教授会の日でした。教授会の最中には、『大航海』の最新号(12月号。特集:マルクスの考古学)を読んでいました。吉見俊哉氏の「30年代日本における唯物論的メディア論の射程」と、川本三郎氏の「物食う女 林芙美子と昭和」と、今村仁司氏の「思想の現在とマルクス」を読みました。吉見氏のものは、まとまって本になったときを期待させる論考でした。川本氏のものは、大変面白いエッセイですが、食べるのが楽しい、食べると元気になる、という林芙美子の体質に川本氏の文体がついていっておらず、材料のおもしろさと、書き手の文体の齟齬が興味深かった。僕は個人的に林芙美子の体質がわかるので、川本氏の文章でも気取りすぎということが言えるのですが、彼のような文学者(?)には、全く気取りのない子どものような文章を書くのはかなり難しいことだろうと同情します。今村氏のものは、一番大切な点で、まだしっかりとは考え切れていない、というふうに感じました。今村氏でさえも、そうか、というのか僕の素直な感想です。私的所有と共有的所有の問題につきあたったのは正解だと思いますが、そもそも、ある個人が何かを所有するということがどういうことなのか、この一番の核心部分がほとんど手つかずのまま残されていると感じました。(マルクスの思想的影響関係のマップ化の部分は、うまく整理されていると思いますが、・・・。)

     
  • 1998.11.17
     大学(学部)の英語ページの作成に力を注いでいます。
     とうわけで、こちらはどうしても、まばらになります。
     東京外語は大変ありがたいことに、19日(木曜日)から23日(月曜日)まで大学祭です。準備と後かたづけの日をあわせて、18日(水曜日)から24日(火曜日)まで丸々1週間臨時休講となります。この休みは、本当にありがたい。もちろん我々には会議というものがあって、18日(水曜日)は教授会、19日(木曜日)は終日自己点検委員会です。でも、この大学祭に伴う休みには、ずいぶん助かります。
     10年前はじめて外語に着任したときには、大学祭で1週間も休みになってよいのかと信じられない思いでした。(私の出身大学では、授業は、準備のために半日、後かたづけのために半日、合計丸1日休みになるだけでしたから。これが普通だと思います。)
     このページでは何度も触れているように、外語は、2000年に夏に移転します。現在の西ヶ原のキャンパスに残るのは、後1年と9ヶ月ほどです。現在のような外語祭も来年限りになります。移転すれば、現在のような各国料理店中心の大学祭は開くにも開けなくなります。外語関係者でなくても、学生たちが開いているエスニックな各国料理店はなかなかのものなので一度尋ねてみられると面白いと思います。
  • 1998.11.6
     昨日(11月5日木曜日)大学の5限の授業(総合科目「20世紀表象文化の世界」)で、四方田犬彦氏をお呼びして、「メロドラマの論理」について話してもらいました。
     大成功でした。
     この企画は、春一番に中沢新一氏をお呼びしてお話ししてもらったものと同一線上の企画で、各界の第1線で活躍されている方を1回でよいからと説得して、講演していただいているものです。(世話係は、外国語学部「総合文化研究所」)
     四方田犬彦氏は、声がよく、しかも、往年の無声映画の弁士を彷彿とさせるお話のうまさで、200人以上つめかけた聴衆をわかせていました。
     一番柱となるテーゼは、よい映画が多く作られる場所には、大衆演劇という基盤が存在していることが多い、というものです。Aという国で大変面白い映画がたくさん作られていても、そのお隣のB国ではてんでだめ、あるいはCという都市でいい映画がたくさん作られていても、そのお隣のD都市では全然ダメ、ということが平気で生じている、その差は、その場所に、大衆演劇の基盤があるかないかが決め手だ、というものです。そして、近代の大衆演劇を支える基本的ドラマトロジーが「メロドラマ」です。フランス革命の時に生じたあるメロドラマが、20世紀初頭のハリウッドで最初の変容を受け、それがまた、戦争前後のアジアで、見事に換骨奪胎されていくありさまを、まるでその場に立ち会ったかのような見事な描写力(弁士的才能)で語っていく有り様は圧巻でした。聞いていた学生諸君には大きな影響を残したと思います。
     私としては、彼の講演に触発されて、特にアジアの映画やマンガを含む大衆芸能をしっかり研究しようという学生が出てくればすごくいいな、と思っています。
     大変印象深い話だったので、ほとんど記憶力ゼロの私でさえ、知らない固有名詞を除きほぼ記憶できました。(直接講演を聞いていない方に、後で話の内容をかなり正しくお話しすることが出来ました。)
  • 1998.11.4
     とうとう11月になりましたね。

     『現代思想』の最新号(11月号)「特集:サイエンス・ウォーズ」を読み進めています。9月にも「サイエンス・ウォーズ」については、感想を書きましたが、重要な問題だと思うので、論点をこのページ上で少しずつ整理していこうかと思っています。私の見るところ、人文系の著作における科学用語の使用に関しては、一番重要な論点がまだ触れられていないように思われるからです。私の尊敬する科学哲学者渡辺博氏の論考での議論と比較しながら考察すれば、科学者から見れば本来誤解が必然であって、しかも、それは、人間の認識の根本様式に関わる点が言えると思っています。
    to be continued below....

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