お姉ちゃんの咳で、ちいさいちびが起きて、みんな5時前。30分ほど遊んでやって、何とか6時頃にふたりとも寝付かせました。歯医者の日。アア。→舌にあたる部分を削ってもらって、歯石除去。歯石除去のために麻酔をかけるので、2〜3時間は、左下顎がしびれたまま。
亀山郁夫氏の大佛次郎賞受賞式(朝日賞の4氏、大佛次郎賞の2氏、大佛次郎論壇賞の1氏、あわせて7名の受賞式)に出るために、家を3時過ぎに出ました。本当に久しぶりにワイシャツにネクタイ姿をしました。会場は、帝国ホテル。有楽町にすこし早く着いたので、駅前の巨大ソフマップ店舗を見学しました。手ぶらで出ていたので、ちょうどポケットにはいるだけのちいさな買い物をしました。フロッピーケース9箱とカラープリンターのブラックトナーです。それをポケットにつっこんで、帝国ホテルに向かいました。一度も行ったことがない場所ですが、日比谷公園の向かいということですぐにわかりました。われわれのような出席者は、椅子に座り、笑って拍手するのが仕事だろうと予想し、1時間半、辛抱してお座りしていればいいのだろうと思っていました。
ですが、選考過程を説明した井上ひさし氏のスピーチや、受賞者の短いスピーチが案外面白いものでした。とくに長部日出雄氏が、非常にしっかりしたスピーチ原稿を用意され、間断のない演説で、大変勉強になりました。太宰の文体が口述筆記によるものであるという点は、私にもおおいに参考になりました。(私のずっと研究してきているボイルがある時期より基本的に口述筆記でほぼ1年に1冊の本を出している。)大佛次郎氏の仕事と自己評価を的確に紹介された上で、その軸に対して、自分の仕事を位置づけるという見事なものでした。その次の亀山氏はさぞや話しづらかったのだと思います。本当に、「せりふを覚えないまま舞台にたった役者」のように緊張されていました。スピーチ原稿はやはりしっかり用意されていましたが、少し「かんでいました。」しかし、その緊張感が、他のひとにはない若々しさを醸し出しており、よい演説だったと思います。10歳は、若く見えました。
記念パーティには、200人を超える人が集まっていたのではないでしょうか。盛況に驚きました。(私はもうすこし小さめのパーティを予想していました。)
本日5限シンポジウム開催
「《越境》のアポリア、反グローバリズムの可能性」
講演者:
沼野充義(東大)
小谷真理(批評家)
野谷文昭(立教大学)
亀山郁夫(東外大)
司会:吉本秀之(東外大)
沼野充義氏は、『徹夜の塊 亡命文学論』(作品社) にて、2002年度サントリー学芸賞受賞。亀山郁夫氏は、『磔のロシア』(岩波書店)で2002年度大佛次郎賞受賞。
日時:本日(2003年1月30日木曜日)午後4時半〜6時
場所:東京外国語大学研究講義棟1階101教室
(研究講義棟の入り口をはいってすぐ右手の部屋です。)
どなたでも無料で自由に参加できます。関心と時間のある方は是非!
→終了時間がほぼ1時間延長してしまったにも関わらず、9割方の学生は残ってくれて、大盛況でした。ちいさいちびが起きて、6時半。大きいちびが一人寝ています。
昨夜就寝前にかかってきた電話で、土曜日の仕事がなくなりました。おおいに喜ぶ。
3限の講義「科学思想史」2002年度最終回。先週は、白川静大博士の仕事に基づき、漢字の起源の話をしました。白川氏の仕事は、漢字の世界の背後に潜む世界像と、漢字という文字システムのシステム性をはじめて明らかにしたものと言ってよいでしょう。最初に読んだときの感動はいまだに新鮮です。今週は、主として網野善彦氏の仕事に基づき、日本文字社会の特徴、を話します。どうしてマンガで、「ガ」、のような文字が半ば絵画的要素として(吹き出しのなかではなく)地の絵の部分にかかれる理由も一部わかるようになります。
ちいさいちびが魔人化せず、平和な朝。妻とちいさいちびは6時。私は7時。大きいちびはまだ寝ています。午前中に、2月3日(月曜日)、本年度最後の講義の準備をほぼすませました。これは話す内容が決まっていて、講義ノートを作成するだけだったので、素早くできたものです。不妊は病気か?不妊治療とは?という問題、並びに、ヒト・クローンの問題を扱います。
今日は会議の日。午後2つあります。
来年度のシラバス(学部)を提出。以前ホームページにアップしたものから、若干変更しました。
ちび魔人が騒いで、朝5時。ちび魔人は、妻と大きいちびが起きてくるまでに、ミルクを2回のみ、うんちを1回しました。不思議なことにまったくねむそうではなく、元気いっぱいです。朝一番で歯医者さんに電話し、11時45分に診てもらうことになりました。→取れた詰め物を着け直すのにそれほど時間がかかったわけではありませんが、レントゲンをとったり、くっつくのを待っていたりで、半時間以上歯医者さんにいました。歯石を取る作業がこのあとに続きます。歯医者通いの開始です。
詰め直してもらった歯ですが、ほんの少し下に当たり、食べたり話したりに差し障りがあります。もう少し様子をみて、対応を考えます。卒論、井堀ひろみ「ウディ・アレンの映画について」を読了。 卒論、品田敬子「早期英語教育―バイリンガル教育は可能か、また必要か―」を読了。これにて、卒業論文は全部読み通しました。あとは修士論文2点。
ちびどもとともに7時過ぎ。大きいちびは昨夜、息がとても苦しそうでした。もともといびきを割とかくのですが、いびきをかいて寝ていればましな方で、本当に苦しそうに呼吸を確保していました。熱は朝起きた時点で、37度。昼間は37度7分ぐらいまで上がったようです。元気にはしていますが、本調子にはまだもう少しといった感じです。2限の総合科目III「科学技術と社会」は、生殖医療の問題を話します。クローンベービーが話題になっており、タイムリーなテーマではあります。
月曜日の授業は、あと2回あります。2月3日と2月10日です。ですが、2月4日から期末試験期間がはじまります。その点を考えて、2月3日に、前回と今回で話せなかった点で、補足しておきたいことがらを補っておこうと思います。たとえば、クローンの話をしておこうと思っています。大学に向かう電車で偶然いっしょになった同僚の先生と話していました。70歳過ぎまでローンを組んでいるとのことでした。前に教授会で隣になった同僚の先生からも、70歳までローンを組んでいるという話を聞きました。東京外大は現時点では62歳が停年です。私には考えられないローンの組み方です。&脱線ですが、そのお二人の別の共通点。ともにインフルエンザでダウンしたばかりということです。
午後、土曜日から持ち越した宿題はなんとかこなしました。
[ハ、ハ、ハ]
ハ、ハ、ハ、といって、笑っているわけではありません。夕食後田舎のおじいちゃん・おばあちゃんから送られてきたばかりのお餅をちびどもといっしょに食べていると、口に何かかちんと当たるものがあります。急いでお餅を口から出すと、案の定、昔詰めた歯がとれています。ショック!ここしばらく歯医者の世話にならずにすんでいて、当分なりたくないなと思った矢先だけになおのこと。当分、歯医者通いの日々です。気が重い。
[ちび魔人]
昨夜はお姉ちゃんに熱があったので、ちいさいちびとお姉ちゃんを離し、調子のよい方のちいさいちびは、私が横について面倒を見ることになりました。寝付きが悪いちびは、手を握っていないとぐずります。仕方がないので、半ば身を乗り出して、手を握ってやったまま私の方も寝こんでしまいました。ずっと両手に何かを持って回っている夢が続きました。次に泣いたときに、起きるのが少し辛かったので、寝たままとんとんしてやりましたが、泣き声は大きくなるばかり。ちびの方を見ると、立ったまますごい形相で私をにらんでいます。起きている時は、遊んでくれる人であれば誰にでもにこにこしているちびですが、怒った時には、すごい怒り顔をします。大魔人を思いだしてしまいました。
こういう状態のなるともう私が抱っこしてもダメなので、妻に渡しました。妻とちびに遅れて、7時半。大きいちびは、熱のせいかよく寝て、8時45分。いやがるのを何とか説得して、熱を計ってみると、37度の半ば。昨夜のように真っ赤にはなっていないので、少し安心ですが、何による発熱かは明日お医者さんのところに連れていかないとわかりません。→なかば予想していたことですが、熱は上がったり下がったりです。昼寝をするとそのあと上がっています。早めに寝てくれたのが救いですが、さてあすどうなっていることやら。
朝方、昨日の編集委員会から持ち帰った宿題をこなしていました。半分は処理できたと思います。残りは、明日に回すかも知れません。
ちびがさわいで6時前。居間に連れていくと、すぐに、大量のうんちをして、ミルクを飲み、落ち着きました。昨夜は、2時過ぎから1時間おきに目覚めて騒いでいました。下痢でおしりが赤くなっており、たぶん、おしっこをするとお尻がすこししみるのでしょう。今日は、神田で編集委員会。→新しいメンバーでの編集委員会。終了後、近所のファミレスで少し早い夕食。→うちに帰ってくると、大きいちびが昼寝のあと、熱を出したということで、元気のない顔になっていました。39度を超える熱なので、仕方ありません。風邪は直っていたと思ったので、どういう熱か不明です。インフルエンザでなければよいのですが。
卒論、蓑田亮平「美術(1950- )における写真の受容過程―ベッヒャー作品を通して―」を読みました。
これで、4点読んだことになります。あと2点。1月中に読んでしまいます。編集委員会に出かけたとき、お茶の駅前の丸善で次の3冊の新書を買いました。
アマルティン・セン『貧困の克服―アジア発展の鍵は何か』集英社新書、2002
池内了『物理学と神』集英社新書、2002
粥川準二『クローン人間』光文社新書、2003
ひとりで6時半。ちびは夜も目覚めると泣き、抱っこしてやってもなかなか泣きやまず、やっと眠ったと思って布団におくと、再度怒って泣く、の繰り返しでした。朝は、7時から8時まで抱っこしてやっていると、目が覚めたようで、にっこりします。そのまま床に立たせてやると、ひとりで喜んで遊んでいます。もう、ほんとに。アメリカで誕生した7つ子についてテレビが報じていました。幼稚園ぐらいの年齢になっていました。不妊治療の結果と報じていましたが、要するに体外受精児だということです。7人を同時に育てるのは、想像を絶しています。
机の上を片づけていたら、雄松堂がアメリカ学位論文(人文・社会科学系)の唯一の代理人になったというパンフがありました。それに伴い、アメリカ学位論文検索サイトを3月から稼働させるとありました。
卒論、外山佳代子「美容外科に対する一考察―その代償と報酬は同等か―」を読みました。
ひとりで6時前。今日も色々あって、忙しい日になります。試験日程をカレンダーに書き込みました。これから学年末までは本当に忙しい日々となります。年々この時期の忙しさが加速しているように思われます。
本日の5限に講演していただく、奥泉光氏には、自作のしっかりとしたホームページがあります。
奥泉光氏ホームページ
なお、奥泉さんは、『石の来歴』で、第110回(1993年平成5年度・下半期)芥川賞を受賞されたミステリー純文学作家です。
講演会は、無料で参加自由です。時間と関心のある方は是非外語大へ足をお運び下さ い。
時間:2003年1月23日(木曜日)午後4時半〜6時
場所:東京外国語大学外国語学部研究講義棟1階 101教室
→大好評のうちに終了しました。奥泉さん、ありがとうございました。昨日読み始めた修論を午前中で読み終わりました。残りあと2点。
[ついていない日]
1)講演会に配布する紹介パンフをバージョンアップしようと思って、少し早めに大学に向かい、研究所のマシーンの前に席をとりました。起動しない。よく見ると、電源コードがはずれています。電源コードをつけて、起動させると、システム不在、のメッセージ。どうしてもそこから動かないので、自分の研究室に行って、OSX のシステムCD=ROMをとって来て、CDから起動させると起動はするが、HDを認識しない。ちょうどシステムエンジニアの過去をもつコンピュータの達人(院生)が見えたので、手伝ってもらいつつ、いろいろ試すと、HDは何とか認識するようになりましたが、どうもHDからシステムが消えている模様。このマシーンの管理をしているF君が到着したので、あとは、彼に任せて、作業はあきらめました。紹介パンフのファイルは、このマシーンで作成し、バックアップを取っていませんでした。普段私は、かなり律儀にバックアップを取りますが、取らなかったときに限ってこういう目にあいます。
2)講演会も無事終了し、武蔵境の駅に7時過ぎに到着しました。そこで、アナウンス。「(武蔵境のひとつ手前の)東小金井駅を出てすぐの踏切で人身事故があり、中央線は全線とまっています」とのこと。駅を出て、三鷹までバスまたはタクシーで行き、そこから総武線というオプションも考えたのですが、それほど時間がかからないだろうと予想して待ってみることにしました。8時に運転が再開になりました。寒いプラットフォームで約50分待っていたことになります。当事者のJRにも運転再開までの時間の予想がつかない状況ですから、乗客にはまったく判断する材料がありません。西武線への振替輸送を行っているというアナウンスがあって、そっちを選ばれた方もかなりいましたが、結果論から言えば大多数の方は待っていた方が早く目的地に着いたのでは、と思われます。
3)やっとの思いで家に帰り着いてみると、ちいさいちびが下痢になっていました。昼間8回うんちをしたそうです。そのうち1回は少しもれてきたらしい。調子が悪いとちびは、抱っこしてやらないと怒ります。そのせいで、妻がダウン気味。
こういう日もある、ということですかね。
一人で6時半。ちびどももほぼ同じ時間に起床。昨日読み始めた修論を1点読み終わりました。>朝読み始めた別の修士論文もお昼すぎに読み終わりました。今日は、もう1点読めればと思います。→事務処理で大学内を走り回り、その余裕がなくなりました。研究室に行く時間もなく、帰宅しました。嗚呼!
午後は大学院関係の会議。
試験日程が判明しました。
木曜日3限「科学思想史(講義)」2月13日(木曜日)227教室
月曜日2限総合科目II「科学技術と社会」2月17日(月曜日)101教室
なお、2月13日の午前中は、修論審査。忙しい日になりそうです。
一人で6時半。大きいちびはすぐあと、小さいちびは7時に目覚めました。昨夜はちいさいちびの泣き声で起こされることがなかったので、調子はかなりよくなったと言えます。
風邪はかなりよくなったようですが、ちいさいちびが眠いのになかなか寝付いてくれなくて、疲れました。寝かせようと思って、1時間ほど抱っこしてやると、復活するというパターンが続きました。復活するとにっこり笑うので怒れなくなりますが、腰と腕がずいぶん疲れます。次の2点の卒論を読みました。
瀧谷幸「Cadavre Exquis (甘美なる死骸)」
長瀬明子「臓器移植技術にみる日本人の身体論:臓器移植技術に操られる「生」「死」」
ついで、修論を読んでいます。修論には審査があるので、具体的な名前は出しません。
一人で6時半。ちびどもはあいかわらずですが、妻の調子は、まずまず。6〜7割の回復といったところ。ぎりぎりまで家にいて、まあなんとかこれだと大丈夫、ということで大学に行きました。今日の2限の授業「科学技術と社会」は、「脳死・臓器移植問題」。技術的なポイントを割と丁寧に解説しました。
講義終了後はすぐに帰宅。コーヒー豆とお弁当3つとちびどもの飲み物を買って帰りました。昨日は固形物を一切とっていない妻がお腹がすいた、というので、よくなってきたしるしでしょう。ちびどもは食べるというより、散らかしただけですが、よくはなってきています。咳が残っており、すっきり回復というわけにはいきませんが、一安心、という状態には達しています。やれやれ!けっこう疲れました。[成長するちび]
おねえちゃんは、どうしてだかわかりませんが、成長曲線の上限を超えそうなぐらいよく成長しています。まだ3歳になっていませんが、見た目は4歳から5歳。服もその年齢向きのものを買っています。おばあちゃんは「石のように重い子だ」と表現していました。昨夜、風呂で、湯船に入れてやろうと持ち上げたとき、力が足りず、やり直しました。腕が覚えていた体重よりも少し重くなっていたのだと思います。
3時過ぎ、夕ご飯の買い物に一番近いお店に行こうと妻がちびを連れだした、と思ったらすぐに帰ってきました。くつが痛くて歩けない、ということです。風邪で1週間ほどうちのなかにいる間に、少し足が大きくなったようです。びっくりします。
夕食の買い物は私が自転車でさっと行ってきました。靴は風邪が直ったら、もう一回り大きいものを買いに行くことになるでしょう。卒論を受け取って来ました。合計6点。卒論演習は7名いました。1名は、大学院再チャレンジによる離脱。提出した6名は全員、春に提出した題目を幾分か変更していました。東京外大の仕組みでは、春に提出した題名をわずかでも変更するときには指導教官のはんこが必要だということで、今年は全員にはんこを押したわけです。こういうのも珍しいのではと思います。修士論文は5点読まないといけないんで、今年は、空いた時間をうまく使って、てきぱきと読み進める必要があります。
ひとりで6時過ぎ。昨夜ロフトにおいてあった加湿器を引っぱり出して、寝室に設置しました。ちびどもの風邪には、冷たい乾いた空気がよくないんだろうと考え、エアコンと加湿器を併用してみることにしたものです。少しは効果があったかもしれません。[嵐の一日]
ちびたちの風邪が直らない上に、妻が風邪でダウン。監督業務は午前中で勘弁してもらって、お昼休みに急いで帰宅。まず、動けなくなってお地蔵さんのようになっている妻の前で泣いている小さいちびをあやし、何とかねかしつけました。ついで、お姉ちゃんに少しでもよいので、ともかくご飯を食べさせました。ちいさいちびが寝ている間、お姉ちゃんの遊び相手をしてやりました。小さいちびが90分で目覚めたあとは、大混乱の2時間。4時過ぎにおねえちゃんがおかあさんといっしょにねんねするというので、今度は居間で小さいちびの遊び相手。調子が悪いときはともかくよく泣く子なので、苦労しましたが、6時過ぎに風呂に入れ、8時前にミルクを飲ませ、8時過ぎに寝かせつけました。おねえちゃんの方は、ちいさいちびが風呂に入る音で目覚めましたが、ちいさいちびの次に風呂に入れてやり、居間で一休みしているとまたおかあさんといっしょに寝るというので、7時前後に就寝。
夜がどうなるかは、わかりません。明日は授業に出るつもりにしていますが、朝起きたときに妻の状態で決めるので、明日になってみないと確かなことはわかりません。
センター試験の監督業務はまずは無事に終わりました。今年は風邪の人が多いぞ、と思っていたら、監督の先生方にも受験生にもかなり広がっているようです。私の担当した部屋のヘッドは、お昼過ぎに熱を出して帰られました。受験生の間でも、咳をしている学生がけっこう目立ちました。
朝の8時過ぎから夕方の6時まで、ほとんどの時間何もすることもなく、受験生を見ていたり、外を見ていたりすると、ふだんあまり感じない一日の動きがよくわかります。とくに部屋に西日が射し込むようになってから、日がだんだん低くなり、外が暗くなる様子をこういうふうに感じることは、こういう機会でもないと、まずありえないことなので、新鮮さを覚えます。だんだん外より部屋の中の方が明るくなり、日が暮れたと思ったあたりで、試験業務が終了です。
明日も同じような1日。
おおきいちびといっしょに7時前。ただし、ちいさいちびが4時前後に咳をして、少し戻し、なかなか寝付かなかったので、正確に起きた時間は何時とも言えません。→ 大きいちびの風邪も直ると言うよりも、悪化しているようです。ちいさいちびは今日も数回咳とともに戻しました。大混乱です。嫌だけれども、仕方のない学会関係の仕事を1日がかりでやっていました。
明日からはセンター試験。
大きいちびといっしょに7時前。最近はやっとリズムが固まってきたようです。小さいちびは昨夜、就寝直前に戻しました。授業再開。3限の「科学思想史講義」は文字の話。文字の技術が人間にもたらしたもの、というテーマで話しました。
5限の「表象文化とグローバリゼーション」では、一回限りで「生と死の表象:グローバリゼーションとの不思議な関わり」という話をしました。年末年始ずっと準備をしていた話です。他のリレー講義で同僚の先生がよく使われるので、今日はじめてレスポンス・シートというものを配布し、回収しました。今日の話はなにぶん1回限りなので、わかりやすく話すことを心掛けましたが、学生諸君は内容をしっかりとわかってくれたようです。
「1年の講義を通してもっとも印象深かったこと」という質問項目も入れましたが、これで他の先生方の講義の様子がかなりわかりました。この質問への回答から、授業全体としては、リレー講義の目的を十分果たしたと言えるようです。
高橋世織先生、南泰裕先生、小谷真理先生、野谷文昭先生、いつもほんとうにありがとうございます。
大きいちびといっしょに7時前。小さいちびは昨夜、3度戻しました。咳き込むと戻す癖がついたようです。今朝の様子を見て、医者に連れていきます。→朝も戻しました。医者はいつも通り混んでおり、2時間かかりました。会議はじめ。学部教授会が午後3時からあります。もしかしたら、その後も会議があるかもしれません。その後は、センター試験に関する説明会。終了して、7時半。
大きいちびといっしょに7時前。大きいちびは風邪ですごいだみ声です。→おおきいちびは朝一番で妻がお医者さんに連れていきました。→ちいさいちびも、かすかにですが、風邪かもという兆候を見せています。やはり咳です。本格的にひかしてしまうと大変なので、気をつけないといけません。
あまりに伸びていたので、夕食後、散髪屋さんに走りました。一番近いと思われる散髪屋さんを選びました。帰ってくるとちびどもが少し驚いていました。昨夜から今朝にかけて、次の2点の論文を読みました。
A. Clericuzio, "Gassendi, Charleton and Boyle on Matter and Motion", in Christoph Luthy, John E. Murdoch, & William Newman (eds.), Late Medieval and Early Modern Corpuscular Matter Theories(Brill: Leiden, 2001), pp.467-482
William. R. Newman, "Experimental Corpuscular Theory in Aristotelian Alchemy: Geber to Sennert", in Christoph Luthy, John E. Murdoch, & William Newman (eds.), Late Medieval and Early Modern Corpuscular Matter Theories(Brill: Leiden, 2001), pp.291-330
クレリクチオの論文は、原子論の部分はありきたりです。平井さんの博士論文によって、あるいは歩調をあわせて、種子(種子原理)を記述している部分だけが有用でした。
ニューマンの論文は、彼の強みが遺憾なく発揮された最高の論文です。仮に1冊の本にまとまれば、エマートンのものに次ぐ、新しい視野を切り開く著作となっていたでしょう。しかし、この論文だけでも十分、この高価なブリルの本を買う理由になると評してもよいぐらい、傑出した内容を誇るものです。これまで質的原子論とだけ規定されてきたリバヴィウスとセンネルトゥスの粒子論の内容が、とくに『気象学』に表現されたアリストテレス的粒子論とゲベル的錬金術の合流する伝統のなかにしっかり位置づけられています。科学史家の必読文献でしょう。
1点だけ具体的なポイントを上げましょう。
17世紀、分解と結合(分析と合成)をあらわすギリシャ語起源の用語としては、analysis - synthesis の対の他に、diakrisis - synkrisis の対が使われる場合が少なくありません。私の用語カードには、DSBにおけるHans Kangro の説明として、これはセンネルトゥスが1619年にその『化学派とアリストテレス派の一致と不一致』で採用した用語だとあります。
その用語のちゃんとした起源が、ニューマンの記述からわかりました。(p.308) diakrisis - synkrisis の対は、アリストテレスがもともと、デモクリトスとレオキッポスの原子論を論駁するために、原子の離合集散をさす術語として使ったものでした。これまであまり注目されてこなかったが、アリストテレスは、diakrisis - synkrisis の対を『気象学』で記した物理現象を説明するために広く使用している。この用語を、リバヴィウスが(その『アルケミア』1606において)デモクリトスに好意でありつつ同時にアリストテレスの権威を保持する用語として採用した、とあります。
私のカードには、ラスヴィッツの原子論史から、デモクリトスの原子論の用語として、この対が使われたという指摘も拾っています。ラスヴィッツは同時にユンギウスがこの対を使っていることを記しています。しかし、アリストテレスが『気象学』において広く使ったということは、今回のニューマンの論文ではじめて知りました。
ニューマンも、リバヴィウス→センネルトゥス→ユンギウス、という線を引いていますから、17世紀の物質理論においてこの対が使われている場合には、リバヴィウス→センネルトゥス→ユンギウスの線のどこかに由来すると見てよいでしょう。
なお、ニューマンがあまり得意ではないボイルもセンネルトゥスはとてもよく読んでおり、重視しています。(リバヴィウスはそもそもボイルの著作にはあまり顔を出さない。)新しいボイル全集の索引も、グロッサリーも、新ボイル書簡集の索引も、"diakrisis - synkrisis"を拾っていませんが、非常に重要な著作においてこの語を使っています。12日の検索ですが、せっかくですから日本語でもやってみました。”ヘルモント 醗酵”という検索語をグーグルに入力してみました。結果は2点。ひとつは、「「塩」から塩化ナトリウムへ」と題された化学史関連のページ。もうひとつは、新宿3丁目の日榮さんのページでした。ちょっとびっくり。
大きいちびといっしょに7時前。ちびの風邪はぼちぼちです。昨夜あった熱は下がりましたが、咳はまだしています。顔もまだ風邪っぽい。昨夜家捜ししたあとが残っています。そう、部屋中に資料が散乱しています。→何とかしないといけないなと思って、夕食前、吉祥寺のユザワヤに整理用のボックスファイルを買いに出ました。人出の多さに少し驚きました。ついでに、駅前の本屋さんで次の本を買いました。
ジョージ・リッツア『マクドナルド化する社会』正岡寛司監訳、早稲田大学出版会、1999
ちいさいちびが騒いで、家族全員6時。→ちいさいちびの風邪は直りましたが、次はお姉ちゃんの方が咳をしきりにし、声がかすれ、顔から生彩がなくなる、という本格風邪状態です。今日は少し回復しているでしょうか?→薬のせいか、咳はかなり収まってきました。しかし、体力はまだまだ。昼間ちびどもを散歩に連れていっただけでとても疲れました。
この3日間で、4冊の総合雑誌を買いました。『論座』『中央公論』『文春』『現代』です。
[読んで忘れていた論文にグーグル検索で出会うこと]
3月19日のワークショップの準備を開始しました。まず、関連する資料を部屋のなかから探しだし、集める作業をやっています。→それが一息ついたところで、google で検索してみました。検索語は、"fermentation helmont"です。まず日本語のページだけでやってみると、平井さんのBHサイトの国際会議『物質と生命』のページ1つだけがヒットしました。ついで、全世界でやってみると、200件以上のヒットがありました。けっこう有用な情報がありましたが、129番目に私のこのサイトが出てきました。何かと思ったら、1994年の時点で作成した「所持全研究論文リスト」のなかにある、次の論文でした。
Allen G.Debus," Edward Jorden and the Fermentation of the Metals: an Iatrochemical Study of Terrestrial Phenomena,"In C.J.Schneer(ed.), Toward a History of Geology(Cambridge,Mass.,MIT Press,1969),100-121.
部屋中から本を集めた時点で、実は、論文としてはまずこの論文を入手しないといけないなと思ったまさにその論文でした。もっていることをすっかり忘れていました。そこから再度部屋中の論文(コピーを製本したもの。知らない方はノートに見えるよう)を探し回りました。論文を積み重ねている段のなかで、最後に捜した段に見つかりました。なかを見てみると、1992年4月6日に読んでいて、かなり丁寧な書き込みをしています。この時代はまだカードを使用していたので、カードを繰るか、あるいはHD内の検索をかけてやれば、50分もかけた google 検索は必要なかったということになるのかもしれませんが、google 検索は、google 検索で有用なサイトを見つけましたし、家捜しは家捜しで存在を忘れていた多くの論文を見出すことが出来たので、合計2時間のサーチはムダではなかったわけです。
こういうふうに家捜しをするたびに、資料をわかりやすく配置し直さないといけないなと思うのですが、こういうときに出してきた資料を同じ棚または近接する棚に配置し直すということしか結局やっていません。グーグル検索から見つかった有用なサイトをひとつだけ示します。
・フランス語の化学史のサイト。Histoire de la chimie。化学者リストには206名の化学者が紹介されています。
風邪気味でもあり、ゆっくりめでそろって8時。→昨日、今日とわりと暖かめです。ずっと家のなかだとちびどもが騒ぐので、暖かめの日に外に連れてやります。→ちびといっしょに昼寝し、ちびといっしょに疲れました。こちらの体力が落ちているとき、ちびに騒がれるとくたくたです。アマゾンより次の本が届きました。なんか見覚えがあるなと思い、HDに検索をかけるとやはりありました。重複したことになります。本体15ドル、送料11ドル、あわせて26ドルですから、よしとしましょう。
Betty Jo Teeter Dobbs and Margaret C.Jacob
Newton and the Culture of Newtonianism (The Control of Nature)
New York,1995
大きいちびといっしょに7時過ぎ。ちいさいちびは7時半。来年度のシラバスですが、ひとまず、大学院のものを作成しました。
2002年度大学院シラバス
前期「ヨーロッパ歴史文化論 I 」月3/研究室
後期「ヨーロッパ歴史文化論 I 」月3/研究室
前期「思想文化論1」月4/研究室
後期「思想文化論1」月4/研究室
非常に不思議なことに、事務からはまだシラバス作成通知が来ていませんが、すぐに必要になるので、学部のものも作成中。→まだ修正の可能性が残されていますが、一応作成しました。
総合科目III 「科学技術と社会」月2/
「科学思想史(講義)」木3/
「科学思想史演習」木4/425
「科学思想史卒論演習」木5/研究室
再度風邪気味。小さいちびも風邪気味。私は、今回は、咳です。特に就寝中、咳が頻繁に出ます。最近、咳ぐらいではちびでもは簡単には起きませんが、試験監督等で咳は学生諸君に迷惑です。ということで、判子が必要だという院生のT君と西荻窪の駅で待ち合わせしたあと、いつものお医者さんのところに行って、咳を止める薬をもらってきました。
年末年始にアマゾンに注文していた次の本が届きました。
Pamera O. Long,
Openness, Secrecy, Authorship: Technical Arts and the Culture of Knowledge from Antiquity to the Renaissance,
Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2001
文献表だけで51頁もあります。かなり広範囲に探索した様子がうかがえます。
一人で6時半。ちいさいちびは5時過ぎに一度起きて騒いでいましたが、妻が何とか寝かしつけました。→あれま、小さいちびは7時に、妻とお姉ちゃんは7時15分に起きてしまいました。朝一番で大学に行って来ました。やはり、郵便を受け取るためと、若干の事務処理のためです。大学には8時45分ぐらいに着きました。さすがにほとんど人がいませんでした。普段使っているパソコンから印刷をすると、用紙が汚れたので、そろそろトナーの寿命かと思い、プリンターのトナーを交換しました。2年間はもったように思います。
ここしばらく、ガリカからのダウンロードに成功してませんでした。マックからの方が調子が悪いという情報があったので、ウィンドーズマシーンで試してみました。全く問題なくダウンロードが出来ました。ダウンロードしたのは、Acta eruditorumの第1巻です。3つ目の講義の準備も量的には一応のラインに達しましたが、内容的には7割といったところです。
今日は珍しくおおきいちびが先に起きて、6時半。小さいちびは7時半。小さいちびは最近本当にやんちゃるもんちゃです。昨夜も寝る前にミルクを飲まし、自分で哺乳瓶を持ちたがるので、ちょっと目を離した隙に、哺乳瓶の蓋をはずして、まわりじゅうをミルクびたしにしてしまいました。けっこう蓋を開けるのは上手で、いろんなビンの蓋を開けていましたが、哺乳瓶まであけるとは予想していませんでした。
今日は少し寒さが緩む、すなわち例年並の気温に戻るそうです。寒いと外出がおっくうになるので、仕事が進むと言えるかも知れません。ちびどもと吉祥寺に出て、次の本を買ってきました。
伊豫谷登士翁編『グローバリゼーション』作品社、2002
立山龍彦『自己決定権と死ぬ権利(新版)』東海大学出版会、2002
『ユリイカ』2002年12月号、特集:ベンヤミン
伊豫谷登士翁編『グローバリゼーション』は、電車で偶然いっしょになった外大のある先生から勧められたものです。巻頭の山之内靖さんと伊豫谷さんの対談だけ読めばよいとのコメントでしたので、まだ巻頭しか読んでいません。(他の部分も少しは読みます。)山之内先生の話は、科学史家の私には非常によく分かる話です。山之内先生は、科学史の著作として、モーリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ:世界の再魔術化』;シェイピン『「科学革命」とは何だったのか』;長尾伸一『ニュートン主義とスコットランド啓蒙』の3冊を誉めています。バーマンの本は、邦訳が出た直後、ちょっと誉め過ぎかもしれないと自分で思う書評を書いたことを思い出します。
→残りも少し読みました。本全体としては、今グローバリゼーションが問題になっていることに関する焦点化が足りていないと思います。私にはまったく満足できるものではありません。
立山龍彦『自己決定権と死ぬ権利(新版)』の立山氏を私は全く知りませんが、自己決定権という考え方に基づき、たとえば、現在の日本の臓器移植法の家族同意の部分を削除せよ、とか、移植臓器の根底的不足状態に鑑み「臓器市場創設」を提案するなど、自己決定権という考え方を貫徹する方向での変化を推称しています。私のよく知っている科学史家は、最初からそういう方向性を疑問視する性向をもった方ばかりですから、こういうストレートな意見はとても参考になります。日本はアメリカではありませんから、アメリカほど自己決定権という考え方が広まっているわけではありませんが、生死のクリティカルな場面で、自己決定という考えに引かれる心情は、多くの人のなかにあるのではないかと思われます。それが、脳死を人の死として認める日本人はせいぜい4割程度なのに、脳死からの臓器移植に賛成する日本人が約4分の3もいる(朝日新聞、1988年世論調査)という一見かなり不思議な数字の背後にある心情ではないでしょうか。そろそろ来年度のシラバスの作成に取りかかる必要があります。
ひとりで7時。→残り3人は、7時半過ぎ。→今日も少し買い物に出る以外は、うちに閉じこもり準備に専念します。生殖技術に関する講義の準備は、半分には達したと思います。文化系の学生のために丁寧に話すと、恐らく数回は必要なテーマなので、技術的細部は今回は思い切って省略しますが、来年度の授業でそこは補いたいと思っています。→とりあえず、8割方は出来ました。これも完成させずに、次の準備に入ります。どこまで出来るのかわかりませんが、最近こうした分野で切り札として出される「自己決定(権)」という概念を見直したいと思っています。(かなり難しい課題であることが予想されます。)
ちびどもが寝たあと、林真理『操作される生命―科学的言説の政治学』を最後まで読み通しました。詳しいコメントは時間がとれればしますが、ともあれ、脳死・臓器移植、先端生殖技術、ヒトクローン技術に何らかの関心があれば、読んでみて下さい。新しい視野が開けると思います。一息ついたところで、近所の本屋さんに出かけ、2冊の本を買ってきました。
ジョセフE.スティグリッツ『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』鈴木主税訳、徳間書店、2002、1800円
デイヴィッド・ライアン『監視社会:電子情報システムと日常生活』河村一郎訳、青土社、2002、2400円
ちびが起きて6時前。新年最初のゴミの日。おじいちゃん、おばあちゃんが来ていて、人数が増えていたせいもあり、通常のゴミが6袋。年末年始に家のまわりの木や落ち葉を処理したものが6袋。合計12袋のゴミ袋を出しました。郵便物を取りに行くためと、研究室においてある脳死・臓器移植関係の本をもってくるため、大学に出ました。武蔵境までちびどもといっしょに行き、妻とちびどもをイトーヨーカドウに残して、私だけ大学に出かけました。ついているはずの郵便はまだメールボックスには入っていませんでしたが、少し処理すべき事柄があり、それが終了したあと、再度ヨーカドウで合流し、昼飯を食って帰ってきました。お姉ちゃんが、ウルトラマンや怪獣等、男の子用のおもちゃを怖がって、お家に帰ると泣いていたようです。小さいちびはそういうのは一切気にせず、あっちにうろうろこっちにうろうろしていたということです。それにしても恐がりのおねえちゃんでした。
講義の準備ですが、生殖技術の方に着手しました。今日の新聞にクローン人間の二人目が誕生という記事があり、時宜に適したテーマではあります。(しかし、クローン人間はかなり誤解されています。誤解の最大の要因は、ドラエモンではないかと踏んでいます。もっと正確に表現すれば、ドラエモンに代表されるSF的物語と科学の成果の混同です。現実のクローン人間は、SF的想像力が描き出したものとは微妙に、しかしはっきりと違うものになっています。林真理氏の本に的確に記述されているように、「生殖権」の行使として、あるいはここでももっと正確に表現すれば「生殖権」を口実にクローン人間は生まれてきています。SFを全て知っているわけではないのですが、恐らく、SFに「生殖権」という発想はなかったと思います。→よく考えたら仕方ないということになるのかもしれませんが、私はまだ「生殖権」という発想に違和感を感じます。)
[リムジンバス]
吉祥寺駅からも羽田行きのリムジンバスが出ていることは知っていたのですが、時刻表がわからなかったので、昨日のおじいちゃん、おばあちゃんの羽田行きは、通い慣れた新宿駅のものを使いました。その昨日、リムジンの発券場所でもらってきた時刻表を見てみると、吉祥寺駅からは、1日に10本、羽田行きのリムジンが出ています。5時0分、40分;6時20分;7時0分;8時0分;10時15分;16時45分;18時45分;19時45分;21時0分です。ちなみに、成田空港行きは、1日に12本で、5時半;6時半;7時半;10時;11時半;12時半;13時半;14時半;16時;18時;19時;20時です。
ちなみに羽田行きリムジンバスは、調布駅北口、中野駅北口、国分寺駅北口・府中駅、からも出ています。
我が家はちびどもがもう少し大きくならないと使えませんが、子連れでない方にはけっこう使えるのではと思います。
一人で6時。おじいちゃん、おばあちゃんが田舎に帰る日。→ちびどもが落ち着かなくなるので、新宿まで全員揃って見送りに行きました。外に出られるとわかると、とくにちいさいちびが早く行こうといろいろごねるので、余裕をもって十分という時間のさらに30分ほどはやくうちを出ました。おじいちゃん、おばあちゃんは、新宿発10時20分のリムジンバスに乗り込みました。おねえちゃんが見送りの時泣きましたが、2〜3分で、泣きやみ、まずまずでした。去年の夏、白浜空港から我々が帰るときには、大泣きされて結構困ったものでした。講義の準備を続行中。ちびどもが邪魔に来るので、順調に進める、ということがなかなかできません。→脳死・臓器移植問題の方は8割方出来ました。完成させずにつぎのものにかかります。
ちいさいちびは、夜の間ずっと一定間隔でわーわー言っていましたが、起きたのは私とほぼ同時で7時15分。昨夜早く寝ていた大きいちびもすぐに起きました。昨日よりは寒さが緩むようなので、今日はちびどもを外に連れ出します。講義で話すためには正確な事実を押さえておく必要があります。日本の脳死・臓器移植については、(社)日本臓器移植ネットワーク・ホームページに必要な統計データがあります。日本の脳死・臓器移植は、脳死・臓器移植を行っている国の中ではもっとも慎重に行われており、1997年の臓器移植法の制定以来、23例にとどまります。ちなみにアメリカは年間5千件程度、ドイツ、イギリスは数百件です。
そうした統計的事実は、このホームページに、pdfの形で置かれている「トランスプラント」という小冊子に整理されて示されています。このパンフレットは、主張はしていませんが、背後に「日本は脳死・臓器移植」においては先進国に遅れている、という前提をもっており、少しでも推進したいという意思が暗示的に表現されています。講義のために、次の本を読み始めました。
林真理『操作される生命―科学的言説の政治学』NTT出版、2002年9月、本体2800円、329Pp,ISBN:4757160089
まず、脳死・臓器移植を扱った部分(第1章「読み替えられる問題」)だけ、読みました。非常に勉強になります。日本で、どういう筋道で「死の自己決定」という考え方が出現し、強力な(それが説得的に提示された場合反対しずらい、という意味で)概念となったかがよくわかります。
第1章のまとめの部分をそのまま引用します。
「脳死移植を日本で実現する」――この課題を解決するために、医学・医療、政策決定における言説編成の戦略は、このように刻々と変化を遂げてきた。はじめは、専門家の判断する科学的「事実」として脳死が人の死であるという認識を社会が受容するというあり方が求められたがうまくいかず、次に、脳死はむしろ社会的な受容の問題とされて「社会的合意」が求められることとなったが、これは脳死臨調の答申で方針変更を余儀なくされ、結局「死の自己決定権」という論理によって脳死を人の死であると認めたい人だけ認めるというところに落ち着いた。(p.079)
2章も読みました。2章は、「変わりゆく解釈:生殖補助技術」です。ちなみに、3章は「禁止は歯止めになるのか:ヒトクローン技術」、4章は「生命科学・技術はどこへ行くのか:科学論の立場から」です。
あけましておめでとうございます。
ちいさいちびが起きて6時前。天気予報によれば、今日はかなり寒いようです。→雪か霙が舞っています。最高気温が予想で3度ということで、12月9日(最高気温2.8度)とどちらが寒いかという日になりました。<結局、1.8度で、12月9日より寒く、東京はこの冬一番の寒さだったと言えます。>年賀状の返事は書いても出しに行くのは明日になるかもしれません。→昨日で懲りたので、ちびを連れての外出は今日はなし。おじいちゃん、おばあちゃんが足りない食料品を買い出しに出ただけです。年賀状を頂いた方、ありがとうございます。自分んちにちびがいると他の方のちびの様子が結構気になります。頂いた年賀状から判断する限り、今、3人の子どもがいる家庭はかなり珍しい。カウントしたわけではありませんが、めのこで判断すれば、8割方二人のようです。
あけましておめでとうございます。
ちいさいちびが起きて騒いで、6時半。ちびは、みんなを起こしたあと、自分はまだ眠いのでまた騒ぎます。とほほ。
ちびどもが外に出たがるので、昼食後、おじいちゃん、おばあちゃんもいっしょに総勢6名で吉祥寺東急に出かけました。いつもの約3倍程度の人混みでした。混むだろうというのは予想していたのですが、その人出の一定割合がバーゲンセール目当てというのは意識のなかにありませんでした。人が多いと、お姉ちゃんの方が気持ちが不安定になります。ということで、帰り道、暴れて、疲れ果てて家に辿り着きました。本日から、授業の準備を開始しました。1月中に3つ、新しい講義を行う予定です。全く新しい内容の講義をするためには、ひとつにつき丸3日はほしいところですが、今回はテーマが重なるので、3つあわせて丸1週間は必要です。ちびどもの今の状態だと、今日ぐらいから準備にかからないと十分満足のいくものにならない、という判断で、スタートしたものです。授業がはじまってしまうと、入試があったり、会議が重なったりで、ゆっくり準備をする余裕がなくなります。授業開始までの時間がクルーシャルです。
テーマは、「生と死の表象」ということで、脳死・臓器移植問題と、生殖医療の問題を扱います。→ということで、森岡正博氏の本『生命学に何ができるのか』(勁草書房、2001)を読んでいます。年末年始で次の5冊を発注しました。
Laura J. Rosenthal,
Playwrights and Plagiarists in Early Modern England: Gender, Authorship, Literary Property,
Ithaca: Cornell University Press, 1996
Pamera O. Long,
Openness, Secrecy, Authorship: Technical Arts and the Culture of Knowledge from Antiquity to the Renaissance,
Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2001
Berthold Heinecke,
Wissenschaft und Mystik bei J.B. van Helmont (1579-1644)
Betty Jo Teeter Dobbs, et al
Newton and the Culture of Newtonianism (The Control of Nature)
Bern: Peter Lang,1996
Harris L. Coulter,
The Origins of Modern Western Medicine: J.B. Van Helmont to Claude Bernard
あけましておめでとうございます。
ひとりで6時。昨日の夕方、私がこちらで作業しているとき、みんなそれぞれすることがあり、ちいさいちびは居間でひとりでビデオの箱で遊んでいたようです。ちびは何でも出し入れする遊びが気に入っています。そのとき、ビデオのちょっとかたい透明な箱が目にあたったようで、大泣きしました。痛いせいか、ショックのせいか、目を開けようとせず、泣き続けるので、外に連れだしてやりました。すると予想通り、少し目をあけ、まわりを見ています。めんたまには怪我はなく、瞼かそのうえあたりを打ったようです。帰ってきて妻が抱っこし、2度目の昼寝をさせました。
昼寝からは40分ほどで目が覚め、やはり目を開けずに泣いています。今度も泣きやまないので、コートのなかに抱っこして、近所を一周散歩してきました。やはり外に出た途端、泣きやみ、まわりを見回しています。結局眼球の上の打撲ということのようです。
こういうふうにショックを受けると、夜の就寝も手間取ります。私と妻がかわりばんこに抱っこしてやり、1時間以上かかってやっと寝てくれました。年賀状の返事を書いて郵便局に行った以外は外出せず。おじいちゃん、おばあちゃんが来ているので、埼玉の住む妹夫妻と、近所に住む妹夫妻がお昼にやってきました。ちびは男の子が3人。うちは女の子2人で合計5人。私が子ども時代、お正月は母方の祖母のうちに、12人の孫が集まっていました。さぞや、にぎやかだったことでしょう。
ちびはちびが来るとうれしいようで、普段口にすることのないものまでいっしょにまねをして食べていました。「つれそばえると、よくたべる」。うちのおばあちゃんの言葉です。