昨夜は9時半に就寝して、今朝は6時半に起床しました。いよいよ明日から通常営業にもどります。仕事に必要な資料を探し出すことから出発です。午前中は、妻が上のちびを連れて、阿佐ヶ谷の区役所に出かけたので、下のちびとお留守番です。ミルクが終わるとすぐにおとなしく寝てくれたので、昨日買ってきた3冊の総合雑誌(『中公』『現代』『論座』:私の田舎では中央公論さえ見つけることが出来ませんでした。)を読んでいました。9/11の直後に書かれた記事が多く、興奮さめやらぬ様子の文章が目立ちました。
疲れたせいか、ちびは二人ともよく寝てくれたので、こちらもよく眠れました。6時起床。朝のうち、少し片づけができます。ちびをつれて、8時過ぎにアパートを出て、9時前に大学に着きました。ちょうど通勤ラッシュの時間帯でしたが、方向が都心から郊外へと、ラッシュとは逆向きだったので、その影響は受けずにすみました。メールボックスにたまっていた郵便物を処理したあと、台車にちびを乗せて、2カ所、必要な書類の処理に出向きました。ちびは、台車を気に入って、書類を書いている間もおとなしく一人で遊んでくれたので、大助かりでした。普段はあまりまだ一人では遊ぶことが出来ません。10時ぐらいに一応処理を終えて、帰ってきました。
3時半ぐらいに、アパートの大家さんの関連する会社の方が来てくれて、壊れている窓ガラスを入れ替えてくれました。(昨夜は応急処置として、割れて切る箇所に新聞紙を張り付けていました。まだ気温がそれほど低くはなっていないので、まあとくに寒くもありませんでした。)窓ガラスを入れ替えてくれたお兄さん(そういう仕事は多く体験しているのだそうです)によれば、素人ぽい割り方だそうです。ドアストッパーをつけるなら、しっかりしたものをつけた方がよいとのことでした。アドバイスに従って、もっとしっかりしたものを買ってこようと思います。
今日東京に帰ります。当分少し大変かなと思っています。→ちびが静かに寝てくれたので、ちびと荷物の両方をもって電車の乗り換えをするのが少し重かった点を除けば、道中はまず順調でした。しかし、帰り着いてからが大変でした。
留守中に南側のガラス窓を破って、泥棒が侵入した後がありました。用心のためにとプラスアルファでつけたドアストッパーも割れたガラスとともに窓の下に落ちていました。ざっと見たところ、ものに触った後はなく、私の机の上に置いてあった学会の預り金約1万6千円だけがなくなっています。すぐに警察と部屋を管理している不動産やさんに連絡をしました。警察の方は、3人、すぐに来てくれました。泥棒にとっては一番侵入しやすい場所から侵入したようです。
日本の治安が最近かなり悪くなっていることは承知していたので、外部に面している窓にはドアストッパーをつけるという対策を施したのですが、割られてしまうと意味がなくなります。今後は、もう一ランク上の安全対策が必要なようです。→これを読まれている方にも、もう一段上のセキュリティ対策をお勧めします。
一人増えた家族のための寝場所をつくり、7つ田舎から送った荷物を片づけたら、相当疲れました。家族揃って9時過ぎに寝ました。本日の朝日新聞朝刊の「ひと」欄には、このページでも何度か紹介している山内一也(東大名誉教授)さんが取り上げられています。やはり、ホームページのアドレスぐらい何とか明記すればよいのにと思います。(新聞は、ホームページが嫌いなのでしょうか?)
今朝は曇り。全国的に雨模様の天気になるようです。最後の荷物を出してきました。明日いよいよ帰京です。おちびは近所の方にすっかりなじみ、帰りを惜しんでくれる方もいます。
田舎にいる間に、読んだ日本語の本は結局1冊のみでした。つまり、マイケル・ハンター『イギリス科学革命:王政復古期の科学と社会』(大野誠訳、南窓社、1999)だけです。(英語の本や論文は、数えていませんが、結構読んでいます。)近所の本屋さんには、私の読むような本はほとんど置いていないということもありますし、新聞の本の広告欄を見ていても私の読もうと思うような本がほとんど出ていないということもあります。→出版厳冬時代は、人文系に深刻な影響を与えているのではないでしょうか? 若手の育成が心配です。
今朝も朝7時からちびに引っ張られて散歩。かなり寒く感じましたが、日が昇るとともに暑く感じるようになりました。→荷物は、出発の当日送るもの1個を除き、6個になりました。近所の運送屋さんに頼むと、3620円でした。大きなところと比べると、半額以下です。遅くなりましたが、今週号の『アエラ』を買ってきました。アルカイダをオウムと比較する特集が組まれています。そのなかに密かに、Kabul Note Homeの著者、山本芳幸氏の短いコメンタリーが載っています。ごく押さえた筆致で、よく考えられたコメントです。しかし、ここでも、上のカブール・ノートのホームページはあげられていません。偏見の渦にあるアフガニスタンを知るには、日本語で読める最適のサイトのように思われます。
ちびの絶え間ない襲撃を受けながら、次の論文を読みました。
Jole Shackelford,
"Seeds with a Mechanical Porpose: Severinus' Semina and Seventeenth-Century Matter Theory",
in A.G.Debus and Michael Walton,eds.,
Reading the Book of Nature: The Other Side of the Scientific Revolution,
Truman State University Press; 1998, pp.15-44
セヴェリヌスの重要性は、BHの平井さんが強調するところで、この論文もかなり期待して読んだのですが、素直に語れば期待はずれでした。論点は、セヴェリヌスの「種子」の概念が、17世紀後半の英国で成立した機械論、とくにボイルの機械論哲学に組み込まれている、ということです。ガッサンディに関してならば、平井さんの優れた博士論文に明白なように、その論点は成り立つと言えるでしょう。しかし、ボイルに関しては、微妙です。そもそも、セヴェリヌスのボイルに対する影響は、たった1カ所の引用(「ソッチーニ、カルヴァン、ベラルミーノ、パドレ・パウロ、アルミニウス等の著作は、テレジオ、カンパネッラ、デンマーク人セヴェリヌス、マグネンその他の自然哲学の革新者の著作よりも有名であり、よく研究されています。」)という裏付けしか与えられていません。
しかし、もう1点のポイント、すなわち「機械的 mechanical」 という当時の用語には、「mechanic (機械工、職工の、あるいは、技師の、職人の)」に由来する意味が含まれており、セヴェリヌスの「種子」やパラケルススやヘルモントの「アルケウス」は、自然の職工的(必要なプロセスの知識=scientiaに基づく機械的な)な働き、を示す言葉とも解釈される、というポイントは重要だと思われます。
なお、この論集の目次と簡単な紹介は、平井さんのサイトにあります。
今朝はかなり寒くなりました。朝ちびと散歩に出るとき(7時です)、いつもの格好ではちょび寒かった。
おじいちゃんは、朝8時前に粗大ゴミを役場前に出しに行き、8時半からはゲートボールの試合だといって出かけました。2年ほど前には、庭にゲートボールの練習場をこしらえていましたが、今はとっています。田舎ではゲートボールは男性の社交場のようです。もちろん、女性(おばちゃん達)には特に社交場は必要ないようです。科学史の部屋をバージョンアップしつつあります。
この田舎にもいろんな変化が訪れています。普段目にする鳥たちも、子どもの頃からかなり変わっています。すずめ、ツバメは明らかに減少しました。たぶん、水田の激減によるのだと思われます。村一面が水田であった頃には、夏にはこちらの言葉で「よこばい」というのがいつも雲のように発生していましたが、この夏ほとんど見かけませんでした。代わりにもっとも目立つようになった鳥は、都会と同じく、カラスです。ついで、河原や田圃でめだつのが、昔はほとんど見かけなかった白い大型の鳥です。近づいて確認したわけではありませんが、鷺の類でしょう。鷺は、きれいな水よりもある程度濁った水の場所を好むということで、川が汚れたしるしだと思われます。ヒヨドリとつぐみも昔よりも増えたように思われます。そして、子どもの頃ほとんど見かけなかった名前の知らない鳥が結構います。今日は、おなかの部分がオレンジ色で背中の羽に大きな白のスポットがあり、尾をぴちぴち動かす鳥が家のまわりを飛び回っていました。鳥に詳しいひとであれば、あるいは鳥類図鑑があれば、名前はすぐにわかると思いますが、私の知識にはない鳥です。今日残りの荷物をまとめようと思っています。
昨夜下のちびがなかなか寝付いてくれない上に、今朝上のちびが早く起きたので、寝不足です。→ちびより先に昼寝をしてしまいました。
片づけを続行中。→荷物をひとつ送りました。[カラスは河原に集結する] 村の小学校のすぐ近くを川が流れています。その河原は結構な広さがあります。村のカラスたちは、活動しない時間帯はそこで休んでいるようです。ざっと目の子で勘定したところ、数十羽のカラスが休んでいました。等間隔とは言えないまでも、くっついているのはほとんど見えません。よく観察すれば、何らかの法則性が発見できるかも知れません。→おじいちゃんによれば、カラスの集結地は、前より100メートルほど下流に移ったのだそうです。カラスはどういう理由で集結地を選んでいるのでしょうか? 知りたいと思いますが、動物行動学にそこまでの知見の集積はあるのでしょうか?
帰京のために荷物の片づけをはじめました。→まず、本を中心に段ボール箱1箱を作りました。→現時点でのパソコンのデータのバックアップをとりました。CD-R は 簡単で便利ですが、若干時間がかかります。[都会と田舎の相対論] :田舎にいると本当に時計の進行が遅くなった気がします。こちらに来る前に切った髪の毛もあんまり伸びていませんし、もともと濃い方ではないとは言え、ひげの伸びる速度も遅くなったように感じます。人間に感じられる時間は、たぶん、生じる、あるいはかかわる出来事の数に関係するのでしょうから、当然といえば当然なのですが。東京に帰ったときは、東京の速度についていくのに精一杯かも知れません。
去年、うちの前のうちでは、苺泥棒もあったんだそうです。自転車で村役場に行って、戸籍謄本を2通とってきました。そろそろ帰京準備です。一番の大事業は、1歳8ヶ月のちびと1ヶ月弱のちびを無事、東京のアパートまで連れていくことです。飛行機に乗っている時間そのものは1時間弱ですが、羽田に着いてからが少し大変です。上のちびを弟の結婚式のために3ヶ月で連れてきたときは、羽田からの帰途、新宿までリムジンバスを選んだら、道が混んでおり、途中から飽きたちびが泣いて、結構大変でした。今回は休みながら、電車で帰ることになりそうです。
母の実家(私の生まれた場所です)の庭先に柘榴の木があります。おじいちゃんがその実を3つほど、とってきました。ちょうど食べ頃で、まるまるひとつ食べてしまいました。町の八百屋さんでは、1個300円程度で売っているんだそうです。→ちびが気に入ってよく食べています。柘榴は私も好きな味で、ほとんどがタネですが、ぷちぷち食べるのが楽しいのでしょう。
うちの前に、隣家の柿の木があります。今年は豊作で、柿の実がとてもよくなっています。その柿を朝の6時前に、バイクで盗みに来た泥棒さんがいるようです。お隣のおじさんが朝が早いので、起きて外に出ると柿泥棒が仕事の最中。おじさんを見るとバイクでぴゅーと逃げた由。おばあちゃんによれば、何年か前にも、我が家の柿を含め、そこいら中から柿を泥棒したひとがいるんだそうです。泥棒さんがどういう人間か、おじんちゃんとおばあちゃんでいろいろ議論していましたが、結局不明。→目撃者の証言によれば、泥棒さんはおじいさんのひとだったようです。昨夜は、爆睡してしまいました。温泉から帰ってきて、すぐ(7時半ぐらい)に寝てしまいました。30分程度のつもりでしたが、起きると朝。ちびよりも長く寝てしまったことになります。
今日もよい秋の日。→近所の子どもたちが、裏山に遠足に来ていました。付き添いの父兄が数名、子どもたちがおそらく20〜30人。裏山には金比羅宮の小さな分社と岡山公園という名のちょっとした広場があります。たぶん、そういうところに行ったのだと思います。
昨日、おじいちゃんは畑に行ったとき、道の側のアケビを10ほどとって食べたら飽きたと言っていました。10も食べれば当たり前だというのがおばちゃんの声。ちょうど朝日新聞の第1面に「あけび」の記事が出ていました。昔は薬に使ったようです。
昨夜、田舎のうちのファックスの調子が悪くなったので、ひっくり返して見てみました。故障個所はわかりましたが、勝手になおしていいのかどうかわからないので販売店に見てもらうことになりました。その最中に一つ発見がありました。電話機に、モデムポートがあることがわかりました。それまでは、振り分け機がうまく働かない(5回に1度くらいはうまくいくがたいていはうまく働かない)ので、電話線コンセントにいちいち差し替えて使っていました。あれ、あれ!ほとんど2ヶ月間気がつきませんでした。→修理の方が見えて、故障の原因がおじいちゃんが途中で挟まった紙を無理矢理引き戻したことにあることが判明しました。
昼間はかなり暑かったのですが、日が暮れるとともにずいぶん冷え込んできました。一日中好天で、秋らしい一日でした。
今朝は曇り。朝、ちびをつれておばあちゃんに教えてもらった近所のポストにゲラの入った郵便を出しに行きました。集配時間を見ると、何と1日に1回でした。午前11時だけ。久しぶりに、山内一也(東大名誉教授)さんの「連続講座 人獣共通感染症」のページで、最近の狂牛病騒動がどう扱われているのか、見てみました。9月24日付けの文章で、雑誌『科学』の記事が転載されていました。プリオン病についてのまとめです。現在までに得られている科学的知見の整理と紹介記事ですが、私個人にとって新しい情報がありました。それは、私の場合、献血も臓器移植も拒否されるという事実です。
1980年から1996年まで英国に半年以上滞在した人物からは、献血を拒否する(1999年暮れの日米での決定)ことがきまり、2000年6月には臓器移植も拒否することが決まったということです。私は、1994年に10ヶ月間英国にいましたから、上の拒否事項に当てはまります。1996年以前英国に留学していた知り合いの科学史家は結構いまして、たとえば、設立集会のもたれたばかりの科学技術社会論学会の会長、事務局長はこれに当てはまります。
おじいちゃんとおばあちゃんが、上のちびを「とれとれ」という市場に連れていってくれたので、久しぶりに5時間ほど自由な時間があります。まず、着手できないでいた論文の英語レジメを作成しようと思いましたが、眠くなって1時間あまり寝てしまいました。→ちびは、1時過ぎに車のなかで寝たまま帰ってきました。「石のように」重いちびをへやにだっこして動かしましたが、ぴくりともせずによく寝ています。→英文レジメは、長く書く根性が今はないので、10行程度でごく簡単に書きました。本日の朝日新聞朝刊の「ひと」欄で、山本芳幸さんが取り上げられています。この日記ページの10月12日に紹介したKabul Note Homeの著者です。さすがに朝日新聞にも、彼の書いていることの重要性に気付いている記者がいるということでしょう。でも、それがほとんど記事に反映されていませんし、この「ひと」欄にも、その点が触れられていません。せっかく山本芳幸さんを取り上げるのなら、特集を組んで、ポイントだけでも伝わるようにすべきでした。例えば、「ひと」欄の隣の記事にパウエル米国務長官とムシャラフ・パキスタン大統領が並んでいる写真があります。ムシャラフ・パキスタン大統領は、欧米が軍事クーデータによって政権についたとしてずっと批判していた軍人出身の大統領です。最近の報道は、そういう点にも全く触れていません。要するにすごいご都合主義。しかも、観点と情報源が全くアメリカ側に偏っています。
一時日本の報道でも、タリバン以降のアフガニスタン政権構想について、北部同盟を支持して云々、というしたり顔の解説が跋扈していましたが、そういう現地の人間の意向を全く無視した勝手な政権構想が、植民地主義の亡霊そのものです。アメリカの CIA が冷戦下の状況のなかで、彼らが現在アフガンのテロリストと呼ぶ聖戦士を支援していたことと、どこが違うのでしょうか。日本の報道が、そうしたアメリカの観点に何の疑いもなく、従ってしまうことは、政府だけではなくマスメディアにも実は日本の植民地主義についての反省というより意識が欠けている印のように思われます。(もちろん、ヨーロッパが植民地主義を脱しているというわけではありません。しかし、日本の政府もマスメディアもあまりに無自覚です。)
(なお、「ひと」欄に隣接する「国連押し立て反米封じ」という記事をよく読み直しました。「タリバン穏健派」という表現で、100%の植民地主義の記事からは少し遷移しています。しかし、「タリバン穏健派」という表現が、アメリカの情報戦略のように思われます。)かなりの大雨。台風の端っこの雲のせいのようです。
昨夜、『化学史研究』のページの表紙を入れ替えようと、最新の『化学史研究』を取り出してみたら、目次の載せている表表紙には、ちびの落書きが全面にありました。仕方がないので裏表紙の英文目次の方をスキャンし、トップページの画像としました。
『文芸春秋』最新号(11月号)を買ってきて、立花隆「自爆テロの研究」を読みました。西側だけの情報に基づく、しかもいつものルポルタージュと言うより、エッセイでした。しかし、結論は妥当なもののように思われました。→特集は、「テロ・報復、漂流する日本」です。特集のその他の記事も読みました。どうも「日本人はテロがわかっていない」というのが共通の結論のようです。まあ、その通りだと思いますが、そう言われてもなあ、というのが感想です。意見よりも分析を求めたのですが、それほど深い分析は示されていませんでした。久しぶりに雨。
家の前を通る車の運転手を見ていると、かなりの確率で携帯電話で話している最中です。東京よりも、携帯で話しながら運転している人の割合が相当高い。あんまり予想していない事態でしたが、あり得る話だと思います。もうひとつ、やめた方がよいと思われる田舎のドライバーの風習に、運転手が窓の外に右手を出す、というのがあります。これは、都会ではほとんど見かけない光景です。
今日も快晴。昨夜2時頃、地震がありました。かなり強い感じの地震で、震源が遠いと大きな地震だなと思って、今朝インターネットの新聞サイトで見ると、震源地で震度4、私のいる場所で震度3とありました。
昼間は、すごい快晴で、これが10月かという気温になりますが、夜はずいぶん寒くなります。昨日とってきたアケビを食べてみました。自然のものの淡い甘さ。そう言えば都会でときにアケビを果物として売っているのを見ることがあります。結構いい値段がついていました。ご近所の方が、次女の出産祝いをもってきてくれます。どうして、今日、みんな一斉にもってきてくれるかわからなかったのですが、おばあちゃんによれば、大安だからだそうです。田舎に18歳までいましたが、そう言う風習を全く知らないので、おばあちゃんに言われるままに対応しています。
昨日、おじいちゃんが20万円で買ったという畑を見に行きました。農協の人にモノラックという荷物搬送用の小型モノレール(?)をつけてもらっていました。その費用が60万強ということです。まわりの畑を見回すと、みんな捨てています。もともとは梅畑で古いモノラックがちゃんとついていましたが、今は梅の木と同じ高さに草が茂っていました。おじいちゃんがうれしそうにモノラックの試運転をしている間に、近所を見て回りました。案の定、道のすぐそばに熟れたアケビが見つかったので、4つほどとってきました。子ども時代、秋は、アケビとりに山を奔走していたことを思い出しました。たぶん、最近の子どもはアケビなんてとりに行かないのでしょう。ぱっとみたところ、10や20は簡単にとれそうでした。少し遅くなりましたが、今週号(10月15日号)の『アエラ』の「羊の狂牛病、農水省隠す」という記事はよい記事でした。日本のお役所はいつまでこういうことを続けるのでしょうか?
ちびは、田舎生活にすっかり慣れました。まわりの人にもなれました。私にとっては少し困ったことに、遊んでくれる人のお家のなかに平気で入っていきます。ちびが入るのは問題ないのですが、私の手を引っ張っていくのが、困っています。
それほどひどいものではありませんが、上のちびの混乱は続いています。赤ちゃんが起きていると、寝てくれません。昨夜は、いつもよりも1時間半近くまで起きていました。今朝は普段通り、6時過ぎに起きましたから、お昼寝で爆睡するかもしれません。アメリカ軍のアフガン攻撃ですが、マスメディアの報道は本当に嫌になります。どうしてあのようにうれしそうにアメリカの攻撃宣伝を流すことができるのでしょうか? 国会審議は、私には聞くに耐えない部分がほとんどですし、新聞はテレビよりましとは言え、知りたい情報に焦点をあわせてくれません。そうした状況のなかで、次のホームページのアフガニスタンに関する情報は、私にとっては初めて現地のリアルな情勢の一部を知らせてくれました。
Kabul Note Home
以上の情報は、JMM = Japan Mail Media から得たものです。ニューヨークの普通の人々の反応に関しても、JMM におけるニューヨークに住む作家・冷泉彰彦氏のレポートが数少ないリアルな感覚を与えてくれます。
上記のホームページに掲載されているカブール日記を読んでいます。著者の言いようのない怒りが私のなかにも生じてきます。日本のマスメディアの報道に違和感を覚える方は、是非、ホームページを読んでみて下さい。
今日こどもの出生届を村役場に出してきます。
いろいろ心配していた上のちびと下のちびのファーストコンタクトですが、まずまず無事にすすんでいます。ちびには赤ちゃんがすごく不思議なようで、食い入るように見ています。お母さんを取られたと思うのか、最初病院で会ったときはかなり情緒不安定になって(大泣きして)いましたが、昨夜は夜中に1時間起き出して来た意外は、まずまずです。そのせいで、今日は、いつもより1時間以上長く昼寝をしました。そのおかげで、今日送られてきたゲラをしっかり読む時間がとれました。
お昼下がりに、妻と子どもが無事退院してきました。ほんと、ほっとしました。夜半から小台風のように雨風が強くなりましたが、最初の村内放送が流れる頃にすっかり上がりました。→南の海から暑い空気を運んできたようで、とても10月とは思えない暑さです。あまりに暑いので、半ズボンにしました。
村を山の上から見ると、ビニールハウスが半分を尽くしているように見えます。(実際の面積は、半分にはいかないかもしれません。)夏の間は、梅干しを干すのに使われるのが多いようですが、この時期からは本来の使い方になっているようです。すなわち、夜光がともっているものが目立つようになりました。何を栽培しているのかは、未確認です。→おじいちゃんによれば、エンドウだということです。→新聞報道によれば、「ウスイエンドウ」で、作付け面積は約10ヘクタール。
村祭りの日。天気予報では、ほぼ日本全国雨のようですが、空を見ると、どうも降らないですみそうです。(おばあちゃんの判断)→3時前後に少し雨がぱらつきましたが、その後回復し、ほぼおばあちゃんの判断が当たったことになります。我が家はお祭りが始まる前にでかけ、参拝をして、ちびの風船だけを買って帰ってきました。
子どもの頃、お祭りの日は、学校がお休みになりました。一番の楽しみは、たこ焼きでした。40年近くも前の話です。→そう言えば、お祭りには子どもの時しか行っていないので、最後がどうなるか知りません。明日朝の診察の結果が順調であれば、妻の退院は予定より1日早まり、明日の午後になるとのことでした。今日見に行ったときは、母子ともに健康で元気そうだったので、一安心です。
昼間、FTPが効かなくなりました。メールもウェブの問題なかったので、どこに原因があるのか考えあぐねたのですが、ちびがコントロールバーをうれしそうにいじっていたことを思い出して、いろんな設定が変更になっていないか関連しそうな場所をすべて見てみました。結構苦労しましたが、結局セキュリテイの設定が変更になっていました。ということで、コントロールバーを隠すことにしました。卒業生からのメールで、アメリカの軍事行動が始まったことを知りました。ちびの相手をしていると、テレビをゆっくり見ることがほとんどなくなりました。
昨夜、次の本をやっと読み終えました。
William Newman,
Gehennical Fire: The Lives of George Starkey, an American Alchemistin the Scientific Revolution,
Cambridge,Mass.: Harvard University Press,1994
ちびが昼寝をしている間と、夜寝た後の時間しか読む時間がなかったので、ずいぶん日にちがかかってしまいました。
この本のメリットですが、17世紀の錬金術=化学のいろんな流派(あるいは、学派)が非常によくわかることです。スターキーの前後の錬金術師が多く引用されており、スターキーの変名のエイレナエウス・フィラレーテスが「金属の水銀」学派のいわば一つのピークであることがよくわかります。対極としては、同じくフィラレーテスの変名を持つエウゲニウス・フィラレーテス(トーマス・ヴォーン、有名な形而上詩人ヘンリー・ヴォーンの兄弟)がいます。(17世紀末のエイレナエウス・フィラレーテスの作品集の編者が両者を混同して以来、19世紀末に至るまでその混同が受け継がれます。)トーマス・ヴォーンの方は、いわばヘルメス主義的錬金術の典型で、宇宙のなかの普遍的精気(生命の塩=硝石空気と後に同一視される)の循環に重点をおくコスモロジカルな見方をしていました。一般的に錬金術は、こちらのイメージで見られることが多いのですが、エイレナエウス・フィラレーテスの学派は、金属の変成に重点をおき、ヘルメス主義やルネサンスの自然魔術に由来するコスモロジカルな側面にはほとんど関心を示していません。ボイルやニュートンは、この「金属の水銀」学派に所属していました。
ちびと一緒に6時に起床。テレビが連休というので、カレンダーを見てみると、月曜日は、体育の日で休日でした。我が家の誰も気付いていませんでした。
ともあれ、朝は、普通に起きました。丸一日ちびの面倒を見るのは、初めてです。結構疲れます。→ちびと一緒に8時半に寝てしまいました。
ちびといっしょに6時半に起床。パジャマを着替える暇がないまま、小さな散歩につき合いました。午後2時45分、次女が無事に生まれました。妻の入院中は、僕が、上のちびの世話をします。いろんな応対等遅れますが、ご勘弁を。
今朝も近所のわんわんがやってきて、ちびがついていくので、犬の散歩についていきました。犬の散歩にはいくつかのバリエーションがあるようで、この前より大回りに字(あざ)を一周しました。村内に飼われているほかの犬を見て回るので、近所にどんな犬がいるのか、よくわかってきました。よく晴れていたので、裏山に咲いている野花を撮影してきました。田舎シリーズの第2弾と言ったところです。田舎の風景2
テレビチャンピョンを見ました。恒例の大食い選手権。いつ見ても不思議な感動があります。
近所を散歩していると、金木犀の香りが漂ってきます。東京はこの時期、そこいらじゅうに金木犀の香りが満ちていますが、田舎にも金木犀が植えられているとは思っていませんでした。子どものころにはなかったように思いますから、最近植えられたものでしょうか? (子どもの頃のしっかりした記憶があるわけではないので、ただ忘れているだけかも知れません。)昨日に続き、今朝も100%の快晴。→昼間は、30度近くまで気温が上がり、とても暑い。
今週号のアエラを買ったら、また奈良美智の特集をしていました。現代の肖像の欄で、執筆者は速水由紀子氏。情報は豊かですが、速水氏の文章は悪達者に感じました。
今朝は、台風一過のような快晴で、気持ちよい風が吹きます。昨日の半分台風のような強風雨ですが、今朝の朝日新聞に海の面した場所(南道)で朝方竜巻がおこり、数十軒が屋根の瓦が飛ぶ等の被害があったという記事がありました。
今日は一日、涼しい風が吹くもっとも過ごしやすい日でした。
昨夜から暴風雨。9月の台風のときはなんてことはなかったのですが、今回はかなりの暴風雨です。雨も風もかなり強い。数百メートル先が見えない状態です。→裏山の山道で、立木が一本倒れていました。台風並の力と言えるでしょう。→倒れた木は、お隣のご主人が道路担当ということで、すぐに、切り分けて片づけていました。中秋の名月の日。お昼頃雨は上がりましたが、夜、月見ができるかどうかは怪しい。でも、はぎ+すすき+お月見団子は、玄関に飾ってあります。→温泉から帰ってくると、部屋に月明かりがさしています。雲はまだ残っていますが、3分の1ぐらいの時間は、月が見られそうです。
43歳になりました。
今日の日曜日は、田舎の小学校の運動会。でも「天気がはっきりしないので、運動会と勉強の両方の準備をして登校して下さい。」と朝の7時に村内放送がありました。まだ雨は降ってませんが、天気予報は雨なので、なかなか判断の難しいところでしょう。→11時過ぎに雨が降り出しました。結構本格的な雨です。運動会は残念でした。朝起きてすぐ、ちびが近所の老犬の朝の散歩について行こうと手を引くので、パジャマを着替える暇がないまま、村内(字のなか)を犬について一周してきました。約1キロ。田舎に来て、ちびの歩いた最長記録です。放し飼いの犬の散歩コースなので、他人のお家の庭を通ったり、田圃のなかを通ったりしました。
何と、明日で43歳になります。
今朝は、寒い。せっかく田舎にいるので、田舎の小さな風景を作ってみました。
昨日、ごくわずかに、今朝も10分程度雨が降りました。でも、今日はこのまま晴れそうです。→すごい快晴になりました。この前東京に帰ったら、ケーブルのインターネット接続サービスが幾分か値下げになっていました。昨日、ずっと使っているRimNetから実質値下げの通知が来ていました。ADSL の常時接続の値段を考えたら、値下げせざるを得ないのでしょう。
かなり前に買っていた次のニューマンの『地獄の火:科学革命期におけるジョージ・スターキー、アメリカ人錬金術師の生涯』という本を読み始めました。17世紀の最も有名な錬金術師エイレナリウス・フィラレーテス=スターキーの伝記です。いろんな方面から興味深い内容の書物です。
William Newman,
Gehennical Fire: The Lives of George Starkey, an American Alchemistin the Scientific Revolution,
Cambridge,Mass.: Harvard University Press,1994
朝6時。東の空がとてもきれいな朝焼け。天気が悪くなりそうです。デザインはさておき、まず、科学史の部屋を独立させました。バージョンとしては、マイナス2ぐらいです。 html の辞書が手元にないので、思ったようにはいきませんが、それでも少しずつ進化させます。
今朝は7時起床。やっと普通の時間になってきたようです。あまり朝が早いと昼間しんどくなります。東京滞在中に科学史の部屋を独立させるつもりでしたが、時間不足でした。10月半ばまでには、独立させるつもりです。
朝方はかなり寒い。朝だけ冬物を着ています。今朝玄関を出ると、ウグイスのちびがじっとしていました。あまり動く様子がないのでつかまえて、箱に入れておきました。草と水を入れてやると、どうも、元気になった様子で、別の場所に動かしてやろうとちょっとあけてやると、元気に前の梅畑に飛び出していきました。その間、約1時間弱でした。
幾分か風邪気味。夕方になってほぼ回復。でも、今日は早めに休みます。
授業再開(冬学期開始)まで、あと1週間。今朝も6時前に目覚めました。昨夜、8時過ぎに偶然NHK教育をつけたら、金曜日9時「だれでもピカソ」の再現でした。村上隆氏と奈良美智氏の活動を紹介していました。解説は、「だれでもピカソ」のイトイさんとたけしの方が、的をついていたように思います。展覧会に再び行けるようになるのは、いつになるやら。
中田のパルマが終了間際の中田の得点で、勝ったというニュースを朝の asahi.comで見ました。何だかほっとしました。ジダンも新しいチームとかみ合いが悪いようで、どれだけ力があってもサッカーはチームでするものなので、うまくいかないときはうまくいかない、ということでしょう。
ちびは、今、1歳7ヶ月です。東京のアパートにあったキッドピックスを持って帰り、インストールすると非常に喜んで遊んでいます。まだ絵というようなものではありませんが、お絵かきは大好きで、マウスをうまく扱って、「抽象画」を書いています。(そのせいで、私の仕事が結構始終中断されます。)
夕食時、魚の骨が喉に刺さりました。食事終了後痛みが去らないので、鏡に向かい懐中電灯を口の中にむけると、右の奥にしっかりと骨が刺さっているのが見えました。おじいちゃんにピンセットを出してもらって、自分で抜きました。2センチぐらいの骨が、1.5センチぐらい入り込んでいました。
9月24日は、パラケルススの命日。460年前のことです。
今朝も5時45分に目覚めました。寒い。田舎も寒いかも知れないと思い、急いで、少し冬物を出してきました。お昼の飛行機で田舎に帰ってきました。すごい快晴で、飛行機のなかに備え付けの飛行ルートの地図を見ながら、日本地図の再勉強をしました。子どもの頃、社会の時間に地図でだけ知った川や湾が空から見るとすごくよくわかります。大井川や天竜川などの大きな川は上空から見ても、迫力があります。海に流れ込んだ後の、濁った水の筋も大きな川はずっと先まであり、川の力みたいなものがよくわかります。
田舎で夕焼けを見ながら、これを書いています。アパートを出る直前まで、仕事をしていましたが、!--ここでちびの邪魔がはいりました--、何とか東京でこなすべき仕事はこなして帰ってきました。
うーん、朝が早かったせいでしょうか、温泉に行って帰ってくるとすごく眠い。ちびより先に寝てしまうかも。→番組内容とはあわない地元のCMの入ったアサヤンを見て、10時に寝ました。ちびはアサヤンの始まる前に寝てしまいました。
昨夜は、本当に久しぶりに普通の掛け布団を掛けて寝ました。パジャマもちゃんと着ました。今朝は、やっと普通に7時に起きましたが、寒く感じます。(→朝の気温は14度だったようです。寒いのも当たり前です。)もうお彼岸ですし、さすがに夏は去ったと言ってよいようです。今日は、午後から学会の編集委員会。→2時から5時まで。それからみんなで6時過ぎまでお茶を飲んでいました。話題の大半は、アメリカの同時多発テロ。編集長は、なくなったビルの最上階に昇ったことがあるのだそうです。全員の意見が一致したことがあります。ブッシュ大統領では心配だ!東京滞在ですが、もう少し余裕があるかと思ったのですが、用件を処理することで精一杯でした。新聞も、今日だけ駅で買ってきて読みましたが、それまではスポーツ新聞でしょうもない記事だけ見ていました。こういう大きい事件があったときの、日本の大きなメディアの対応は、本当に嫌になります。
せっかく東京に帰ってきたことですし、朝、ちょっとだけ(数分間)UFOキャッチャーにチャレンジしました。体がコントロールを思い出すまでに少し時間がかかりました。結局キティちゃんのカバンを1つゲット。田舎にいるちびへのお土産。
今朝も5時45分に目覚めました。昨夜寝たのは、11時過ぎぐらいです。
今日も会議が1時からあります。やれやれ! →今日は、3時で帰ることが出来ました。ほっとしました。毎日会議だとばててきます。コードレッドの活動は、1ヶ月田舎にいて、東京に帰ってきても、少しも衰えていませんでした。ほとんど同じぐらいの頻度でアクセスがあります。時間帯によってはネットワークが動かなくなる時間帯があります。再起動してやれば、動くようになりますが、こちらがネットに全くアクセスしていない時間にも、ほんとうに頻繁にケーブルモデムが点灯しています。 それなのにまた新しいウイルスです。nimda(ワーム)というやつ。結構いろんなところが被害を受けているようです。大学でも、緊急警報が出されていました。
そのウイルスのせいなのかどうかは不明ですが、大学に作業途中のファイルをメールに添付しておくって、会議の合間に作業を継続しようとしたら、送ったアドレスのメールサーバーが動いていませんでした。しかたがないんで、一からやり直し、事務に書類を提出し終わったら、メールサーバーが再度動き始めていました。これも「マーフィーの法則」でしょうか。久しぶりに、東京12チャンネル金曜日午後9時の「たけしの誰でもピカソ」を見ました。今日は、奈良美智(なら・よしとも)氏が出ていました。ああ、いいな、と。こういう気持ちも久しぶりです。やっぱり委員会続きでは、だめですね。
田舎にいるときに身についた習慣で、5時半に目が覚めました。
打ち合わせは、1時半からで、30分程度で終わりました。それから、別の打ち合わせに出るように指示され、何と終わったのが5時過ぎ。どんなに長引いても3時には帰れると思っていたので、ああしんどでした。田舎で作成した論文の調べものですが、自分のところの図書館に必要な辞書( Dictionary of National Biography)があることが、webcat.nacsis.で分かったので、大学に出たときに図書館によって見てみました。私が見るページは、これまで誰も一度も開いたことがなかったページで、切られていませんでした。図書館の受付で、ペーパーナイフを借りて、3カ所ナイフを入れた後、結局私の求めているものはないことがわかりました。そういえば大学院生時代(大昔です)デカルト全集を借りて、読もうとすると同じことがありました。私が読もうとしたところは、その大学ではそれまで誰も読もうとしたことがないことがわかり、びっくりしたことを覚えています。→そういえば、ペーパーナイフを使う必要のある本をはじめて買って、ペーパーナイフを買いに行ったときのことを思い出しました。奇妙にうれしいものでした。もしかたら、部屋中探し回ればまだどこかにあるかもしれません。→と言って、目の前のペンたてを見たら、そこに入れていました。ステンレス製でまだ十分使えます。なお、外大の図書館に備え付けてあったペーパーナイフは竹製でした。実用的には竹製で十分です。
昨夜からの頭痛が残っています。そんなに激しいものではありませんが、夏の間一時期かかっていた状況と同じです。蒸し暑さがこたえるようです。
今日は、教授会の日。午前中に、講座会議があるので、一日中会議の日になります。せめて昨日のように暑くならないことを祈りたいものです。
結局、教授会は7時に終了しました。久しぶりで慣れていないので、相当疲れました。軽い頭痛も残っていますし。大学に長く滞在すればするほど、仕事が増えてきます。せめて涼しくなってくれるといいのですが。
結局明日は1時半から、明後日は1時から会議や打ち合わせが入りました。本当に久しぶりに本を買いました。(田舎には、私の読むような本を売っている本屋さんは、悲しいかな、ないので。)最相葉月『青いバラ』(小学館、2001)と、『現代思想』(9月号、特集:写真論)の2冊です。最相葉月さんの前著『絶対音感』は非常に面白い本で、以前大学のゼミで取り上げましたが、好評でした。(私のゼミでも、子どもの頃の訓練により絶対音感を身につけていた学生がいて、体験談としてもおもしろかったようです。)
今日は、帰京の日。朝一番の飛行機で帰りますが、その1番が10時50分発なので東京に着くのはほぼ正午。仕事があるので、そこから大学に直行する予定です。
羽田空港到着は定刻通り、11時55分。東京駅に着いたのが、午後12時45分。大学に直行しようか、一度うちによってから大学に出ようか迷って、西荻窪駅に1時15分以前なら一度うちに帰ってから大学に出かける、1時15分を過ぎていたら大学直行と決めたら、ちょうど1時15分に西荻駅につきました。一度うちに帰ってから、大学に行くことにしました。暑い!狭い!というのが、東京のアパートに帰り着いての感想です。田舎のうちにずっといると、東京の住まいは本当に狭く感じます。
大学の仕事は、学長室管理のホームページ担当者(学長補佐と言う名称ですが、副学長のように公的な身分ではありません。学長を助ける者ぐらいの役目です)になったので、新学長や他の補佐の方々との打ち合わせです。3時にスタートし、ほぼ5時半ぐらいまで打ち合わせしていました。夏休みの間に、かなりいろんな進展があったようです。田舎ではあまり体験しない暑さの中で、動き回っていたので少々頭が痛くなりました。(仕事の内容とは関係ありません。念のため。)こちら(田舎)の作業結果をどうやって東京にもっていくかですが、こちらがケーブルやADSLならば、ネットワーク経由で全て送るのですが、アナログモデムなので、CD-ROMに焼いたのと、Flash Media の2通りで持って帰ることにしました。このiMacに附属のCD-Rは昨日初めて使いましたが、バックアップをとるだけならばほかのメディアと全く同じ用に使えます。→と言って、東京に持ってきてみると少し調子が悪い。少しはマニュアルを読む必要があるのかもしれません。
ちびが5時45分に目覚め、つき合っていると睡眠不足になり、朝一番でもう一度寝てしまいました。(約1時間ほど)今朝も昨日に続き、雲一つない好天。日が射してくるとすぐに気温が上昇します。たぶん、昨日と同じぐらいの最高気温(30度を少し越えたあたり)になりそうです。
教授会等の会議があるので、明日からほぼ1週間東京に帰っています。会議、打ち合わせ、学会編集委員がかなりありますし、調査すべき事もけっこうあるので、忙しい東京滞在になりそうです。
最近サイトが非常に遅くなっている大学・大学院の後輩の林真理氏のホームページで、次のサイトが紹介されていました。
これから人文系大学院へ進む人のために
人文系の大学院に進学するのは、よほど、進学先の大学院の教育・研究体制をしっかり調べてからにしないと、危険にすぎる、という警告を自分の体験にもとづき発するサイトです。彼が警告するような事態は、全国の人文系の大学院で結構起きているのではと思われます。
私自身は理想の大学院教育を受けたなんて、もちろん言いませんが、彼が記すようなひどい事態は、体験がありません。故大森荘蔵師や、故廣松渉師のような今の日本の哲学界から消えてしまった大哲学者に直接教わったことは、(私は結局哲学を専攻しませんでしたが)非常に大きなものを私のなかに残してくれています。その意味では幸運だったと思います。私の専攻した科学史については、幾分差し障りのあることを述べざるを得なくなるので、詳しく書くことはここでは差し控えますが、大切な訓練は受けられたと思っています。その中で特に重要だと思っていることは、量を勉強することの意味です。自然科学のように、専門分化がすすんで、ディシプリンが明確になっていない人文系では、修士論文の時点で、自分の選んだテーマに関しては先行研究を完全に網羅する気概が必要です。先行研究に十分な蓄積がないテーマを選ぶのはチャレンジングでいいのですが、相当危険です。科学技術に関しては、いろんな指標を見る限り、日本の研究は(わかりやすく言えば)ノーベル賞レベルの極めて独創的な部分では見劣りするとはいえ、一般的には欧米にほぼ並んでいます。しかし、人文系に関しては、今でも蓄積に圧倒的な差があると言ってよいと思います。輸入学問だからどうのこうの、言っているレベルではまだないと思います。ともかく、欧米の人文研究の厚みを実感し、先行研究をしっかり吸収することが先決だと思います。(その必要を感じていない分野も一部にはあるようですが、それは、その分野が自然科学に近づいている、つまり、日本のなかで専門化が進んでいるせいです。人文系である以上、そのことの是非は別に問われなければならないと思います。)
→何件か、反響がありました。思い当たる節があるというものです。1件は、 Bibliotheca Hermetica の平井さんのページです。平井さんは、日本の人文系の大学院の指導体制を以前から問題にされています。海外留学したからと言って、自動的に全て問題が解決するというわけではありませんが、海外留学のことは視野に入れておいた方がよいと思われます。欧米のすぐれた学者がどういうふうに研究しているのか、一度触れるだけでも全く違うと思います。同じ関心を持つ研究者と議論してみるだけでも全く違うと思います。
日が低くなりました。朝日が寝ている部屋に直に射し込みます。ちびが1時過ぎに目を覚まし、2時半までつきあっていたので、少し寝不足気味。村では彼岸花(曼珠沙華)が、今、満開です。正確にいつ、お彼岸かは知りませんが、来週はお彼岸の週にはいるので、ちょうどよい時期に咲いているのでしょう。秋、です。しかし、今日は、雲一つない晴天になり、気温が相当上がっています。お昼で30度を超えており、夏の残りが感じられます。
科学史の部屋の整理・独立を計画しています。その準備としてまず、科学史にかかわるファイルやリンクを整理したサイトマップを作成しました。
疲れていたのでしょうか、昨夜は、温泉から帰ってきてから(午後7時過ぎ)ちょっと休むつもりで横になったら、そのまま寝てしまいました。ちびが4時に目覚めたので、4時にいちど目が覚めて、1時間あまりつきあっていましたが、再度寝て、結局起きたのは、7時半頃でした。本日は村の中学校の体育大会。中学校のスピーカーから逐一進行状況が流されてくるので(全村内に届く音といえば、大げさですが、数キロ四方には届いているのではないでしょうか)、台風の影響で練習がきちんと出来ていないとか、いろいろわかります。
遠くないうちに、科学史の部屋をわかりやすく整理して、独立させようと思っています。
田舎に来て、初めてテレビでJリーグの中継を見ることができました。ジュビロ対レッズ。レッズのエメルソン、ツットのフォワードコンビは非常に魅力的ですが、チーム全体としてはジュビロの方が力が上です。藤田のVゴールで、結局ジュビロの勝ち。レッズには中盤の組織が見えませんでした。
論文は、注も含めて一通り最後まで到達しました。見直し作業をやっていますが、英語のスペルや数字等、細かいミスはやはり結構出てきます。→東京で調べないといけないな、と思ったことがらのひとつが、実はこの私のホームページにありました。Johann Moriaen という人物の生没年が知りたかったのですが、科学史の部屋にありました。( c.1591-c.1668)アメリカの同時多発テロについて、2名の卒業生の方からメールを頂きました。(ありがとうございます。)お二人ともアラビア科卒の方で、中東情勢に一定の知識と関心をもっていられる方です。こういう大きな事件、とくに映像的に迫力のある事件があると、テレビをはじめとするマスメディアがはしゃいでいるのが、ちょっと嫌だったのですが、先ほど親が見ていたので偶然お昼からのテレビ朝日の中継で、舞台芸術家の宮本亜門さんが話しているのを聞いて、はじめてリアリティの感じられるコメントがありました。当日、ニューヨークはすごい好天気だったこと、ニューヨーク市民がすごいショックを受けていることがよくわかりました。
田舎に帰ってきてそろそろ1ヶ月。田舎の生活が身に付いてきました。じいちゃんとばあちゃんが毎日、NHKの朝の連続ドラマ「ちゅらさん」を見るので、東京では一度も見たことのない連続ドラマを、つい、見るようになってしまいました。このドラマのたぶん一番の力は、沖縄のことばでしょう。感情を表現するには、標準語よりも方言の方がずっと向いています。
といって、オングが示したように口頭表現はすぐに定型化してしまうので、批判的散文のためには方言から離れたことばが必要です。私も方言でおしゃべりする場合、その間合いのよさに快感を覚えつつも、自分の感情が定型化されたような気がして、居心地の悪さも同時に感じます。
論文執筆作業は、まずまず順調に進んでいます。→本文は一応完成しました。後は、本文の見直しと注の作成作業です。→ちびにしょっちゅう邪魔されながらでしたが、ともあれ一応は最後まで到達できてほっとしました。→田舎では調査が完成しません。東京に戻ったときにすぐに大きな図書館に行って何点か調べものをする必要があります。(一部は、インターネットで調べがつきました。常時接続環境の東京の自宅だともっと落ち着いて調べられるのですが、電話回線を通したアナログ回線で接続していると、どうしても時間が気になり、見切りが早くなります。)みんな、そうだと思いますが、アメリカの同時多発テロには、驚きました。ビルに飛び込む2機の飛行機の映像は、すごい迫力でした。→ブッシュ大統領でアメリカは本当に大丈夫なのかとテレビを見ていて心配になりました。器が小さいように感じられてなりません。
9日の日曜日から、論文執筆に入っています。頭のなかでいろいろ考えているので、つい寝ているときにも目が覚めてしまいます。今朝は4時に目が覚め、鉛筆でアイデア・ノート(執筆項目と記述すべき観点)をつけていました。ある種のドラフトには、真っ白の紙に鉛筆が向くように思います。
台風はゆっくりと近づいてきているようです。朝一番の村内放送で、今日の学校(小学校、中学校)は臨時休校とすると連絡していました。しかし、テレビの情報を除けば、台風の接近を感知することはできません。(昨夜から雨が降っていましたが、今=朝9時=は上がっています。)
午後からはさすがに台風の接近を感じます。雨も断続的に降ります。ですが、結局紀伊半島の西側(紀伊水道側)は直撃を免れたようで、特に強い風はこれまで(午後5時)まったく吹いていません。台風の吹き返しが吹くなか、今夜も一家で温泉に出かけました。露天風呂は、結構強い風が吹く位置にあり、寒く感じました。
昨夜から今朝にかけて、昨日引用した本の、まだ読んでいなかった部分を読みました。とくにボイルの序文(現在の読者には異様に感じられるほど、いろんな言い訳や弁解を記している)の分析が面白いものでした。
Michael Hunter,
Robert Boyle, 1627-91 : Scrupulosity and Science
ちびが朝4時半に目覚めて、30分ほどつきあってやったので寝不足。夜はやはり4時50分ぐらいにあけるようです。鳥の声がその時間帯から聞こえはじめます。
今朝は打ってかわって快晴。さて、今度の台風はどう動くのでしょうか?Michael Hunter,
Robert Boyle, 1627-91 : Scrupulosity and Science
Woodbridge: Boydel,2000
ISBN 085115798X
の第2章「ボイルのどのようにして科学者になったのか」という論文を読みました。実は、イギリス留学時代にハンターさん本人から出版される直前の論文をもらい、コメントを求められました。ノートを丁寧にとって、コメントしたことをよく覚えています。出版された論文では、私の名前も謝辞のなかに入れてくれていました。本当に親切なハンターさんの心配りです。さて、今回、この論文を2回目で読んでみて、驚きました。私にくれたときのバージョンから相当増補しています。その増補している部分が今私の仕事をしていることがらに非常に有用でした。ハンターさんは科学史家のなかではもっともプロパーの歴史家に近い仕事をしている方で、彼の書くものはともかく安心して使えます。ボイルの知的発展に関して、新しい知見が多く示されています。ボイル学者は言うまでもなく(日本でボイル学者と呼べる方は、たぶん私の他にいないとは思いますが)、科学革命期の思想史に関心をもっている方すべてに必読文献だと言ってよいでしょう。
今回、とくに目に付いたのは、当時のフィロロギーにボイルが目覚めた部分です。大主教ジェイムズ・アッシャーの影響で、ギリシャ語からはじめ、ヘブライ語、シリア語、アラビア語まで勉強しています。ボイルは、貴族として必要な一般的知識を越えて「批判的学問」に入っていったわけです。
また、台風が近づいているようです。うちのじいちゃんの予感では、今度の台風の方がまえのよりも大変になるんだそうです(なお、おばあちゃんの話ではおじいちゃんの予感はいつも当たらないので、安心してよいと言うことです)。気の早いじいちゃんは、昨日のうちに家のまわりの片づけをほぼすませています。
雨は昨夜から断続的に続いています。風もたまにですが、割と強く吹きます。土砂降りの雨の中、一家で露天風呂に。
今朝はすごく早く目覚めました。そのおかげで、鶏が朝を告げる声を久しぶりに聞きました。時間は、4時50分でした。
朝が早いと一日が長い。現在夜の9時過ぎですが、朝はもう前の日のような感覚です。
秋はいきなり訪れます。昼間どんなに晴れていても、朝方はかなり寒い。今日は、病院の日。朝一番で出かけます。→8時10分前に着きましたが、すでにかなり大勢の方が待っていました。田舎の朝は早い。東京もかなりカラスが多いですが、この田舎にも驚くほどのカラスがいます。家は、山の麓にあり、1年前帰ってきたときには、海の方から空を埋め尽くすほどのカラスが家の裏山に飛んできて、驚いたことがあります。今回は、そのカラスの群は、どっかにいったのでしょう、見かけることはありませんが、定着した(?)カラスが近所に数羽います。
近所の山奥に、鶴の湯という温泉があります。この夏こちらに来てはじめて家族全員で出かけました。温泉といっても正確には冷泉で、それを沸かして温泉として提供しています。多分、山道の入り口から車で、7〜8分の場所にありますが、今回すごく立派な道が出来ていて驚きました。車があれば、悪くない山奥の温泉場だと思われます。車がなければ交通の便は非常に悪い、あるいはアクセス不可能と言ってよいので、一種の秘湯と言ってよいのでしょうか。
今朝はうってかわって快晴。久しぶりにボイルのホームページを見てみました。8月22日に更新されていました。半年に一度ぐらいのペースで更新されています。今回は、ボイルの作業日誌の転記・html化の作業が最終段階に入った旨の通知がありました。今年の10月には完成し、ボイルの資料のうち最後まで印刷されなかった部分が、だれもが入手できるホームページ上のデータとして公開されます。現時点でも、相当量の資料を見ることができます。詳しくは、The Robert Boyle Workdiaries Projectをご覧下さい。
昨夜、「モーニング娘。」の追加メンバーを決める番組を見ていました。その前に、田舎のおじいちゃんが、今回の追加メンバーは3名で、一人は新潟出身だと発言して、おおいに驚きました。あばあちゃんも、当たり前という口調で相づち。なるほど、「モーニング娘。」は、国民のアイドルになったようです。それにしても、おじいちゃんからそういう情報を聞けるとは意外でした。朝起きると雨がかなり降っていて、寒い。天気予報によれば、今日、紀伊半島にはずいぶん雨が降るようです。1時間に50ミリを越えるところもあるということです。ここも、朝8時の時点ですでにどさどさ降っています。→お昼前に完全に上がりました。
途中までしか読んでいなかった次の本の読み残しを読み始めました。
Lawrence M. Principe,
The Aspiring Adept: Robert Boyle and his Alchemical Quest
Princeton University Press, 1998
ボイルの錬金術師(達人)との接触の事例や、変成の事例の直接的目撃談が十分な資料で示されています。
ちびに邪魔されながらも、読み終えました(9月5日)。ボイルの錬金術の探究を内的にはその思想と実験研究の発展・進化史のなかに位置づけ、外的には汎ヨーロッパ的な金生成錬金術のコンテキストのなかにしっかりと位置づけています。マイナーな錬金術師(特に大陸の)とボイルの交流を非常によく調べていて、とても勉強になりました。
ごく一部を紹介しましょう。ボイルの錬金術関連の著作に、1)『逆エリクシルによる金の腐敗について』(1678)という著作と、2)「金によって熱くなる水銀について」in Philosophical Transactions (1676)という論文という2点があることは結構よく知られていました。しかし、この2点は、例外的著作と言うことで十分には研究されずに来ていました。プリンシーぺは、「金によって熱くなる水銀」というのが、ボイルの他の著作で「過激溶媒」と呼ばれているものに他ならず、しかも、「哲学者の石」にいたるプロセスの出発点となる「金属の水銀(あるいは、哲学者の水銀)」に他ならないことを示してくれています。さらに、 Philosophical Transactions に発表された論文としてはただ1点、英語とラテン語の平行テキストで出版されたこの論文が、実は目的とスタイルの点でまさに錬金術的論文に他ならないことも十分示してくれています。つまり、「金属の水銀」の製法そのものには口をつぐみ、その結果だけを示して、ヨーロッパ中のアデプトに対して、「哲学者の石」への出発点となる物質を獲得したから、その先の秘法を教えてくれないか、と求める文書になっているわけです。それゆえ、本当に重要な情報は暗号や符丁の形で、隠されており、しかも一切の質問(直接訪れての、あるいは手紙での)には応えられない旨明示されていたわけです。ニュートンはこのボイルの秘密主義が気に食わず、ボイルの成果を疑っていますが、実はボイルがなくなった後、ボイルの化学の一部を託されたロックから、より詳しい情報を得て、評価を変えています。
「金属の水銀」の製法そのものは、実は、バミューダ島出身の錬金術師で、エイレナレウス・フィラレテスの変名でこの時代の非常に有名な錬金術文書を著し、1650年代初頭若きボイルと共同研究した(むしろボイルに化学=錬金術を教えた)人物、スターキーのもの(『鍵』というテキスト)です。スターキーは例外的にボイルには製法のある範囲を手紙で教えています。そして、この『鍵』というテキストが、ニュートンの錬金術の核心だとドッブズが見なしたものに他なりません。画期的なのは、ジョンズ・ホプキンズで化学を現在も教授しているプリンシーぺが、この製法そのものを再現し、現実に(手のひらにのせたときに)金によって熱くなる水銀を作ったことです。
8月が終わり、9月になりました。今朝は最低気温が20度近くまで下がり、本当に久しぶりに夜布団を掛けて寝ていました。→曇っているせいで、日中でもそれほど気温は上がっていません。最高気温は27度前後の模様です。→2時半頃に雨が降りはじめました。学会のために行った翻訳のゲラが郵送されてきました。こういうときだけ、東京の仕事場とつながっているという感覚がもどります。もちろん、古い郵便でも、電話でも、メールでも連絡を取ることそのものは出来るのですが、現実の物理空間を流れている時間が別物に感じられます。そういえば、東京に居るときは毎日とは言わないまでも、かなりの頻度で郵便を出していましたが、こちらにきてまだ一度も郵便を出していません。このゲラの返送が最初に出す郵便になりそうです。