おおきいちびといっしょに7時半。ちびを連れて、すぐゴミ出し。
昨夜は少し早く寝たちびどもが朝3時頃に目覚めて騒ぎ出したため大混乱。→3時から5時まで妻が相手しました。9月20日の会議で決まった仕事は、一応、ドラフトを書き上げました。あす、ワーキンググループで集まって、点検確認のうえ、明日までに上の委員会に提出します。かなり手間がかかりました。
101教室(外語でもっとも大きくもっとも設備の整った部屋)に遠隔講義設備が入り、器機の操作法が少し変わるということで、今日3時から説明会。実質は、納入業者のソニーブロードバンドの方が説明役でした。ビデオ等の操作は、直感的にわかる範囲なので安心しました。ぱっと見て一番良かったのは、画面が明るくなったこと。以前の2倍程度明るくなったようです。遠隔講義の際の操作法は、また機会を改めて説明会を催すということでした。→ということで、明日から2学期が開始。私の授業は、木曜日からになります。休みで長く間が開くと何となく心配なもので、今日はゼミの学生達にリマインダーを出しました。
ちいさいちびと妻が6時前。私と大きいちびが7時過ぎ。昨夜もかなり腰が痛かった。風邪がまだまだというしるしでしょう。エネルギー切れのまま。お昼過ぎ、気がつくと机の上に最新号のISIS があったので、目次を打って、kagakusi@ml.hokudai.ac.jp に投稿。この役目はMLで別の方が手を挙げたように記憶していますが、迅速ではないので、私が勝手にやっています。ISISはあまり私の関心にぴったりの論文が出ることはないのですが、情報源としては非常に有用です。今回も99件の書評が出ていますし、出版広告も有用です。
3時過ぎて、やっと少し動けるようになったので、昨日持ち帰ったカバンを開け、編集委員会の宿題をこなしました。今回は量が少なく、夕食まででほぼ片づきました。
[ちびの進歩]
そろそろ1歳の誕生日を迎えるしたのちびは、歩く距離が伸びています。風邪を引いているあいだに、5メートル程度は歩けるようになりました。また、ことばも、いないいないばーの「ばー」の部分と、知っているものを見つけたときの「あった」は、はっきり発音するようになりました。大きいちびがはじめて発したことばは、「わんわん」でした。私は、「まま」や「うまうま」が最初だと思いこんでいたのですが、ちびによって結構差が大きいことがわかりました。
大きいちびの方は、お手洗いが使えるようになったあとも、実はうんちだけはトイレに入りたがらずに、わざわざおしめにはきかえてうんちをしていたのですが、この1週間ぐらい自分からトイレでうんちをするというようになりました。どういう心情の変化があったのかはわかりませんが、これでおねえちゃんの方のおしめの使用量はぐっと減ることになります。
ちいさいちびと妻が6時。私が7時過ぎ。大きいちびは、よく寝ています。理事会・編集委員会のために午後から青山へ。完全にエネルギー切れのままでした。会場の近くのスターバックスで、カフェモカをいっぱい飲んで糖分とカフェインを補給してから理事会へ向かいました。
帰宅後もエネルギー切れのまま。ほとんど横になっていました。大きいちびを風呂に入れて、そのまま就寝。
おおきいちび、ちいさいちびといっしょに7時。ちいさいちびの風邪はまだまだです。私も就寝中、かなり腰が痛かったので、まだのようです。
今日は、朝のうちに本棚が届きます。→10時に届きました。おおきいちびに棚を一つあげると言ったら、大喜びで自分の本を居間から運んできました。こっちは、風邪が治らず、半分程度でばてましたが、ちびは行ったり来たり、走りながら引っ越し作業を行っていました。私は11時で一度ダウン。→一応床に置いていた分は、棚に戻しました。本格的には元気になってからにします。→お昼過ぎは、おおきいちびといっしょに昼寝。私は1時間、ちびは3時間。おおきいちびの風邪は完全に直ったようです。私はぼちぼちです。明日は学会の理事会と編集委員会。編集委員会の資料は、今日中に用意する必要があります。
大きいちびは、寝てしまうと、風邪のせいでいびきをかきつつも少々のことでは起きないので、安心です。したのちびは、38度近い熱が出たせいでしょうか、ごく短い間隔で目覚め、そのたびにとんとんをしてやったり、だっこしてやったりしなければなりません。昨夜就寝時間あたりから、哺乳瓶でミルクを飲むことができるようになって、その点は安心したのですが、少しですがもどすので、それも苦しいようです。私はかなり回復してきました。おおきいちびももう一歩です。小さいちびは、熱は7度台まで下がりましたが、鼻水がおさまらず、いちばん大変。朝一番で妻が近所の小児科医に連れていきました。
完全に回復というわけではありませんが、買い物程度なら問題はありません。昨日との差は、作業のエラー率です。今取り組んでいる作業は、ほとんど同じ操作の繰り返しです。元気なときはあまり起こさないエラーを、昨日はかなり高率で、今日は昨日よりは低い率で起こしています。エラーのパターンは全く決まっており、最後に確認をしているので、最終結果にはほとんどエラーはないと思いますが、途中で、あ、エラーをした、と何度も思うのは楽しいことではありません。しかし、そういうので疲れていてはこの種の作業は進みませんから、気にせずただただ進めることにしています。
回復はしていませんでした。日が暮れると、完全にエネルギー消失状態。寝転がって、ちびどもと遊んで、一番先に就寝。
ちいさいちびによって6時前。おおきいちびは、昨夜風邪薬を飲んで爆睡中。いびきの音がなかなかすすごいものでしたが、寝てくれると安心です。私は、睡眠中の体の痛さによって、これは風邪ということがはっきりしました。今日はうちで一日休みます。→ちいさいちびといっしょに8時半すぎに昼寝(?)。9時過ぎにちびが起きたので、目覚めましたが、朝ご飯を食べてまた休みます。
昼寝もちいさいちびといっしょでした。その昼寝のころから、ちいさいちびも風邪の症状を見せ始めました。鼻水が出てきました。起きて、風邪だとはっきりしました。話にはよく聞いていたのですが、子どもの風邪はよくうつります。妻を除き、我が家は3人がほぼ同時に風邪を引いてしまったことになります。こうなると大混乱です。とくに小さいちびの方は、鼻がつまって、哺乳瓶からうまくミルクが飲めなくなりました。急いでお粥を作って食べさせましたが、やはり、暴れます。ちび同士は、お互いまねしあうことによる感染力(共感力とも呼べるでしょう)が強く、どちらかが泣くと、もう一方も泣く、という親も泣きたくなる状況が出現します。年齢が十分離れていればそういうことはあまりないようですが、2歳以下だと、大変だということです。うちは、年齢の間隔が1歳8ヶ月なので、年子ほどではないにせよ、そういう状況がよく出現します。
私は、そんなにずっと寝ているわけにもいかない(寝ていることができない)ので、起きている時間は、ちびの面倒を見るか、先週の金曜日の会議であたってしまった大学の仕事を継続しています。仕事は、データの整理とカウントが主なものです。これが簡単なように見えて、時間がかかります。1点のデータの整理に仮に2分かかるとして、処理すべきデータ数が150点あれば、300分=5時間かかります。それがたとえば5件あれば、25時間。今、日本中の大学には、私がやっているのと同種の仕事で、多大なエネルギーと時間を費やしている方が、大勢いらっしゃるに違いありません。(最低でも千人はいるでしょう。)
ひとりで6時50分。昨夜から、大きいちびと私が風邪気味。昨夜は寝付かないちびどもに大苦戦。→大きいちびは、昨夜からの鼻水が止まりません。私は、夜の鼻水は止まりましたが、ぼーとして体が重い。体が重いまま、昨夜の続きの作業。その件で、午後3時から大学で打ち合わせ。出来るだけ作業を進めておこうと思います。→現時点で、この作業のために作成したファイル数を数えてみました。30に達していました。提出しなければいけないファイル数は32点。
打ち合わせを終えて帰宅したら、以前アメリカのアマゾンに注文していた次の4冊が来ていました。アマゾンの包装は巨大ですが,どれもパーパーバックなので嵩はあまりありません。とくに、『科学革命再考』は、予想の半分ぐらいの薄さでした。
Margaret J. Osler ed.,
Rethinking the scientific revolution ,
Cambridge University Press,2000
Stuart Clark ed.,
Languages of Witchcraft: Narrative, Ideology and Meaning in Early Modern Culture,
Macmillan,2001
Pamela H. Smith & Paula Findlen eds.,
Merchants and Marvels: Commerce, Science, and Art in Early Modern Europe
Routledge: London,2002
Paula Findlen
Possessing Nature: Museums, Collecting and Scientific Culture in Early Modern Italy (Studies on the History of Society and Culture , No 20)
University of California Press, 1994
注文し忘れたものを注文したつもりですが、来てみると、出版年はつい最近のものがほとんどでした。私が大学に行っているあいだに、妻はちびをお医者さんに連れていっていました。風邪をひいた子どもがいっぱいいた、ということでした。うつされなければいいのですが。
ひとりで5時。昨日の夜やっていた仕事のことが気になったのでしょう。ずっと作業。作業のあいまに、気分転換を兼ねて、コーヒーとパンを買いに出ました。その途中、UFOキャッチャーに挑戦。400円で3体ゲット。タオル2枚と、マグカップ。ほぼ思ったとおりアームをコントロールできました。
昨日よりの作業は、相当時間がかかります。もらったデータをいちいちチェックする必要がありました。最低限のチェックは一通り済ませましたが、それだけで数時間かかりました。明日は、午後からその作業に関する打ち合わせ。
小さいちびによって7時。おおきいちびと妻は、8時20分。金曜日の委員会であたってしまった仕事で、資料としてCD-RWを一枚借りてきました。半ば予想していたとおり、マックではマウントできない形式でした。仕方がないので、1時過ぎに大きいちびを連れて、大学に行って来ることにしました。研究室には DOS/V機を一台そなえています。そのCD-RWの内容を6枚のフロッピーに落として、帰ってきました。ついでに、別の仕事で必要な資料(最近はどこの大学でも作成発行している『研究者総覧』という分厚い資料)を持って帰ることにしました。ちびは2台のマックで勝手に遊んでいたので、こちらはそのPC恐竜時代の作業に集中することが出来ました。
いつものことですが、ちびは行きはしっかり歩いてくれますが、帰りは歩かないというのでベビーカーに載せて、4カ所の階段を上り下りしなければなりません。これが結構な重労働。妻は、二階の真ん中の部屋にあるもろもろ(美術書と妻の本の他は、ぬいぐるみとおもちゃ)を今日の時点で全部端の部屋に移していました。ということで、端の部屋はぬいぐるみが壁を三面占める見事な子ども部屋となりました。妻の予定では、この部屋が将来の子どもの勉強部屋と決まったようです。
おおきいちびといっしょに7時10分。ちいさいちびは8時。水曜日の教授会の合間は、『近代医学の史的基盤』を読んでいましたが、昨日の教授会の最中は、ボイル・ペンズロープ『大航海時代』(筑摩書房、1985)を読んでいました。とくにその最終章(17章)「大航海時代に関する地理文献解題」が私の作業にぴったりの情報を与えてくれます。これを読むと、ホーイカースがその著のテーマをポルトガルに絞った理由がよくわかります。
昼食後、家族そろって近所の公園に行きました。ちいさいちびは、滑り台を下から上まではい上がります。おねえちゃんは、2歳になっても怖がっていたのに、まだ10歩しか歩けないちびが全く怖がらずに、何度途中ですべり落ちても気にせずに登っていきます。性格の対比は見事です。
一昨日の日記にあるとおり、この部屋に新しい本棚を入れます。そのために今ある背の低い棚2つを2階の端の部屋に持って上がりました。かなり重い棚でしたので、妻とふたりで持ち上がりました。そこまでは普通のことですが、(昨日)私のいない間に、妻がひとりで(ちびに邪魔されながら)2階の真ん中の部屋に置いてあった普通の本棚3つもその端の部屋に移していました。ひとつは、スチールのものなので、男手でも結構大変なのですが、ひとりで動かしたようです。そして、そのなかの重い本(本屋さんでも一番重い種類の美術書)も動かしていました。見た目は華奢ですが、こういうのは頑張ってやってしまうようです。
ちいさいちびといっしょに7時過ぎ。まだ夏布団のせいか、涼しいというより寒いぐらいです。→もうすぐ1歳をむかえるちいさいちびは、数日前から、10歩程度、1メートル前後は歩けるようになっています。おねえちゃんがおどると、そのよちよちした格好でまねしておどります。今日は、午前中に会議2つ、午後会議1つ。ずっと会議です。→最後の大学院の教授会のあとに、もうひとつ会議が入ってしまいました。ですが、それも、7時すぎには終わったので、8時前にはうちに帰り着きました。珍しいことに、ちびはふたりとも寝ていました。きちんと昼寝をしなかったようです。
会議のあいま、時間があったので、再度ガリカに挑戦。さすがにメインテナンスは終了しており、普通に使えました。レムリの『化学教程』(1675)、『万有薬局方』2巻(1764)、並びにnouveau recueil de curiositez rares & nouvelles des plus admirables effets de la nature & de l'art. 1 (1685)を無事ダウンロードすることが出来ました。一度失敗しましたが、どこかで速度が遅くなって、シェイクハンドが途切れることにあるように思われました。(日本語OSの問題ではないように思われます。)
昨日の simple の語義ですが、ノートが見つかりました。
OEDには次のようにあります。
A medicine or medicament composed or concocted of
only one consitituent, of one herb or plant (obs)
; hence, a plant or herb employed for medical purpose.
In common use from c.1580 to 1750; chiefly in pl
Dictinnaire Alphabetique et Analogique de la Langue Francaise,par Paul Robertには次のようにあります。
Medicament simple (II)
forme d'une seul substance ou qui n'a pas subi de preparation;
plante utilisee comme remede
OEDにあるとおり、1580年から1750年にかけてよく使われた用法です。
ひとりで7時半。ちびどもは8時。昨日大学でガリカの作業を行おうと思ったら、まだ休業中。日本の図書館も調べてみることにしました。
ピエール・ブロンのものは、3点、日本の図書館にあります。すべて復刻版です。ロンドレのものは1点も見つかりませんでした。ゲスネルは、人気があるようで、18点ありました。やはり全部復刻です。Culture et civilisation に [Collecti a Conrado Gessnero]というのがあるのがわかりました。Historia plantarum は、Urs Grafが復刻していました。人気のある図版は、Dover pictorial archive series にも収録されていました。
吉祥寺の大塚家具で、本棚を2本見つくろってきました。来週の金曜日に配送してくれるということです。これで一応この部屋は片づくかと思います。→本棚を置く場所には、現在、背の低い棚(1メートル程度の高さ)を置いています。その片づけを開始して、次のコピーを見つけました。
Ana Maria Alfonso-Golefarb and Patricia Aceves, "History of Medicinal and Chemical Studies of Minenal Waters", Physis, 30(1993), pp.513-6.
短いものなので、さっと読みました。第19回(国際)科学史学会における「16世紀から19世紀における鉱水の医学的化学的研究の歴史」というシンポジウムの報告ですが、簡単な鉱水研究史のレビューを行っています。レビューはレビューとして役立つ部分がありますが、次のディーバスの言葉が印象的でした。
「誰も≪ヴィトリオル≫や≪アルム≫が現実に何からなっていたのか確かに知るものはいない。」
(ヴィトリオルは、礬類と訳されます。現在の化学では硫酸銅や硫酸鉄を含む重金属の硫酸塩と説明されますが、原義はガラス(vitrum)状のものの意です。多くの場合、ヴィトリオルは硫酸鉄(緑礬)にあたりますが、ほんとうのところ、昔の人がどの範囲のものをヴィトリオルとして扱ったかのか正確に確定することはできません。)
もちろん、この研究は、古代から知られていた鉱泉療法や温泉療法の医学的化学的分析を含むものです。
ちびといっしょに7時半。久しぶりに晴れて、さわやかな日。空気も乾燥しており、涼しい秋風。
昨夜、ちびふたりを妻のノートパソコンで遊ばせていたら、ちいさいちびがキートップを1個とってしまいました。ゼットライトを近づけ、ピンセット2本で何とか修理しました。うちのパソコンにはちいさいちびが一番危険人物です。思いきり、たたきます。見ていてこわい。今日は教授会の日。→5時50分頃終了しました。私は、6時35分にはうちに帰り着き、7時には夕ご飯をすませました。
科学史と文化史の部屋の 科学史誤謬誌で、ルネサンスから17世紀ぐらいにかけて、simple という単語には 英語でもフランス語でもラテン語でも「薬草」という意味があると記しました。 ところが、Culture of Natural History 所収の「医師と自然誌」におけるハロルド・クックが、simple という単語を、「単一成分からなる医薬」あるいは「単一薬元からなる医薬」ぐらいの意味で、薬草だけではなく鉱物起源の化学的調合薬にも当てはまる言葉として数多く使っています。当時の文献にはあまり見たことのない用法だったので、不安になって、大学図書館で、OED , Oxford Latin Dictionary, ロベール仏語辞典を引いてみました。OED, ロベールともに明確に、「薬草から抽出された医薬品、またはその薬のもととなった植物、薬草」と定義しています。これで、クックが当時の用法からすれば拡張した用法で使っているということがわかってほっとしました。(とったノートを持った帰ってくるのを忘れたので、正確な表現は今は再現できません。)→ということは、クックはあまり誉められない使い方をしている、と言えます。
大学の研究室で、9月以来の作業に必要な本はないかと探してみました。一定の数は見つかったのですが、そのなかで、日本語における医学史の金字塔である川喜田愛郎氏の『近代医学の史的基盤』上・下(岩波書店、1977) 、シッパーゲスの『中世の医学』、ならびにラウォール『世界薬学史』を持って帰ることにしました。川喜田愛郎氏のものは以前も部分的には読んでいたのですが、記憶にしっかり定着していなかったので、もう一度読むことにしたものです。教授会が、私のしっている報告事項がほとんどだったので、教授会の最中読んでいました。いろいろ勉強になりました。
小さいちびといっしょに7時半。このぐらいの時間だと楽でよいです。→8時半ぐらいに起きた大きいちびは、目が腫れています。昨夜11時過ぎまで寝なかったせいです。ルネサンスから初期近代の人文主義的自然誌については、本棚から格好の書物が見つかりました。
R. Hooykaas, Humanism and the Voyages of Discovery in 16th Century Portuguese Science and Letters, Amsterdam,1979
このホーイカースの著作のポルトガルが全ヨーロッパであり、16世紀が15世紀から17世紀をカヴァーするものであったら、文句なし、だったのですが、そこまで期待するのは過剰でしょう。ともあれ、人文主義と旅行記を科学史の観点から探究するモノグラフが出版されている、ということが重要です。そういえば、荒俣宏の本は、その『世界大博物図鑑』を含め、おおかた(たぶん8〜9割)持っていたことを思い出しました。現在の日本で自然誌(博物学)についての書物といえば、荒俣でしょう。荒俣宏の本に出ているリストから、ボイルやガリカとの照合作業をすればよいと気付きました。
この時代の代表的自然誌としては、ゲスナー『動物誌』、ブルン『鳥類誌』、アルドロバンディ『動物誌』、チェザルピーノ『植物論』、ブルンフェルス『植物生図説』、ボック『草木誌』、フックス『本草誌』、コルドゥス『植物誌』、ロンドレ『魚類誌』、ムフェット『昆虫の劇場』、ヨンストン『動物図説』等があげられています。
代表的な自然誌著作家のガリカとボイルにおける在非『世界大博物図鑑』各巻の冒頭につけられた「総説」を読んでいます。直接この作業に役立つ情報はあまりありませんが、とても面白い記述です。まるでルネサンスの人文主義的自然誌の精神が荒俣に宿ったかのようです。(人間の生活や文化との関わり合いのなかで、自然の事物を記述していく。したがって、民話や寓意、あるいは薬効が重要な位置を占める。)
この作業のあいまに、ガリカ他にあるゲスネルの22作品、ガリカにあるキルヒャーの5作品ならびにガリカにあるジョン・レイの8作品を作成し、アップしました。
ところで、日本で一番自然誌の著作を持っているのは、荒俣宏だと思いますが、ここいらのものはどの程度持っておられるのでしょうか? 日本中の図書館をあわせたものより持っておられると思いますが、ガリカと比べてどうか、を知りたいところです。
したのちびとほぼ同時に、7時。大きいちびと妻は7時半。ちびはふたりとも、涼しくなって、昼寝をちゃんとするようになりました。ご飯もよく食べます。昼寝をしっかりしている分、夜寝るのが少し遅くなり、昨夜はちいさいちびでも10時。ということで、朝が少し遅くなりました。28日以来の作業の継続。
28日以来の作業の継続として、ボイルの読書を少し体系的に調べようと思いました。前に「ボイルは、16世紀17世紀の科学史において名前が出るような著作家であれば、ほぼ100%に近いといってよいほど、入手して読んでいることがわかりました」と記しましたが、とくに力を入れた分野ととりあえず扱った分野、という差はあったはずです。ぱっと見て、化学関係、医学関係(とくに化学に関係する薬品の調合法)と自然誌関係(これも本草学と同じく薬の材料という観点が強い)に力を注いだことは明かです。これまで医学史についてはそれほどきちんと勉強しておらず、知識が欠けている私なので、まずは本棚から医学史関係の本を集めることにしました。
The Medical Revolution of the 17th CenturyやHarvey and the Oxford Physiologist 等はすぐに見つかったのですが、Medieval and Early renaissance medicineが見つかったのは、探しはじめてから5時間後でした。これは引っ越し以来手をつけていなかった本棚の体系的整理をしないと、仕事の能率上かなりマイナスだと思い、窓を1面あきらめて大きな本棚を購入し、それと同時にともかく作業に必要なものを集めてくることにしました。(雨でなければ、今日本棚を見に行く予定でした、あきらめました。)ボイルが読んだものは、ほぼ100%ではあっても、もちろん100%ではないでしょう。ベイコンの自然誌では、こういう場合、現存表の他に、不在表を作成します。それに倣ったというわけでもないのですが、古典古代、中世、ルネサンス、初期近代(ボイル1627-1691 なので、1650年誕生前を大まかな基準としておきます)の有名な著作家でボイルが全集でも書簡集でも一度も言及していない著作家のリストを作成することにしました。古典古代、中世、ルネサンス、初期近代の有名な著作家のリストをどう用意するかですが、あまり頑張っても仕方がないので、W.F.Bynum, E.J.Browne and Roy Porter (eds.), Dictionary of The History of Science, Macmillan: London,1981 の巻末pp.452-494 についている Biographical Index に依ることとしました。結果は次の通りです。
不在表
すぐに気がつくことですが、不在表にある名前は、およそ次の5種類に分類できるように思われます。1)現在有名だが当時においては有名ではなかった人物(その重要性の発見が18世紀以降の人物)(クレモナのジェラルド、グロステスト等中世の著作家の一定割合はここに含まれるでしょう。);2)芸術家(レオナルドやデューラー);3)数理科学の深い専門家(ヴィエタ、カヴァリエリ、ネイピア等の数学者;ラインホルト、レティクス、オシアンダー、レギオモンタヌス、ディグズ等の天文学者;古代ではクニドスのエウドクソス);4)深いヘルメス主義者(ブルーノ、クサーヌス、ジョン・ディー);(5)辞書がマイナーに過ぎる人物を取り上げている場合)、という5種類です。
これを逆に見れば、化学=錬金術師、医学史、自然誌、生物学史関連の有名な著作家をほぼもれなくボイルは言及していると言うことになります。この辞書は旅行記の作者をあまり取り上げていないので、ボイルが旅行記のどの程度をカヴァーしているかは別のものと対照しなくてはなりませんが、それにしても、ボイルの読書について、これは相当重要な特徴と言ってよいでしょう。ロンドレ、ブロンですが、私が知らないだけで日本でもこの方面の愛好家はいるのではないかと思い、googleで検索をかけてみました。ありました。
プリニウスの世界
西洋古代〜中世の博物学・旅行記について、有用な表を作って紹介してくれています。
新宿3丁目
(日榮さんでしったっけ?)による「海坊主=イルカやアザラシ、セイウチ」のお話。
カリフォルニア大学古典学教授Dana F. Sutton 氏のサイトのリストから、タイトルだけをとりだしたリストを作成しました。同じく、著者名だけを取り出したリストを作成しました。前者が308K、後者が196Kとなっています。ただし、著者名だけのリストは、同じ名前が複数回出てきますが、それは、その著者のタイトル数を示します。(これを一括して処理するうまい方法を考えつかないので、原始的にそのまま提示します。)私のマシーンの性能の問題もあるのでしょうが、デスクトップにあるこのファイルをブラウザーで表示させると10秒以上かかります。へたな画像より時間がかかり、びっくりします。
妻とちいさいちびがさきに起きたあと、大きいちびとともに7時半。昨日朝早すぎた反動でしょうか。気温は昨日に続き、22〜23度のままです。曇っていますから、ほぼこの気温で推移すると思われます。→正確には20度前後のようです。最高気温が23度程度の模様。→昨日の反動は、お昼過ぎにも来ました。ごく短く休むつもりだったのですが、1時間以上昼寝してしまいました。午前中で昨日の編集委員会の宿題をほぼ終えました。ほぼというのは、数十枚コピーをとらないとできない作業が残ったからです。来週はじめ大学に出たときにでも処理するつもりです。ついでに、『化学史研究』のサイトをかなり更新しておきました。結構時間のかかる仕事でした。
今週の後半、次の4冊の本を受け取りました。全てアメリカのアマゾンからです。
・Marie Boas Hall, Henry Oldenburg: Shaping the Royal Society Oxford: Oxford University Press, 2002
・Stephen Gaukroger, Descartes' System of Natural Philosophy Cambridge: Cambridge University Press,2002
・Sandra R. Patterson, Lawrence S. Thompson, Medical Terminology from Greek and Latin, The Whiston Publishing Company: New York, 1996 (first 1982)
・Oscar E. Nubakken,Greek and Latin in Scientific Terminology Iowa State Press: Ames, 1985 (first 1959)
本棚を見ていたら、昔工作舎が出したキルヒャーの本が見つかりました。
*ジョスリン・ゴドウィン、
『キルヒャーの世界図鑑』川島昭夫訳、工作舎、1986
書き込みからして、図版の解説部分と第3部だけ読んでいる様子です。これで、9月28日以来続けてきている作業のなかで、地下世界に関する著作に一定数出会ったことを思い出し、まずDana F. Sutton 氏の文献表で調べてみました。キルヒャーのもの (Mundus subterraneus)はありませんでしたが、ベッヒャーの『地下世界の自然学』の他に、
Ludvig Holberg (1684 - 1754), Nicolai Klimii Iter Subterraneum (1741)
がありました。
今度は、ボイルの引用索引で調べてみると、キルヒャーのものも、アグリコラのもの(De ortu et causis subterraneorum & De animantibus subteraneorum)の他に
Jean-Baptiste Morin, Relatio de locis subterraneis
Gabriel Plattes, A Discovery of Subterraneal Treasure
という著作があることがわかりました。
ボイル自身の著作で、この方面にもっとも関係しているのは、『宝石の起源と効能に関するエッセイ』(1672)という書物です。この書物は、その300年後に、「地質学史シリーズ ( Contributions the History of Geology) 」の第7巻としてリプリントが出されています。(このシリーズでは、第4巻でステノのプロドロムスの英訳がリプリントされています。)ボイルの書物のタイトルは、別種の本を想像させるかも知れませんが、現在で言えば、地質学や地球化学と関連する鉱物化学や結晶化学に属するもの、と言うことが出来ます。(宝石学の書物ではありません。)
ちいさいちびが目覚め、その音で大きいちびが起きてしまったため、家族全員4時50分。早すぎますが、仕方ありません。→真夏の格好、すなわちTシャツに半ズボンのまま寝ていましたが、起きると寒く感じます。天気予報によれば、本日の最高気温は22度とのこと。長袖を引っぱり出してきました。今日は、編集委員会の日。午後、お茶の水に出かけます。→少し早めについて、駅前のUFOキャッチャーで、キャラクターつきのタオルを3点ゲットしました。その後、三省堂で、次の3冊の講談社現代新書を購入しました。
東浩紀『動物化するポストモダン:オタクから見た日本社会』2001
大塚英志+ササキバラ・ゴウ『教養としての<まんが・アニメ>』2001
畑村洋太郎『失敗を生かす仕事術』2002
捜していたのは、最初のものですが、近くの本屋さんでは見つからず、結局三省堂まで行ったわけです。あとの2冊は、そのときに気付いて、いっしょに買ったもの。
編集委員会は早めに終了しました。うちに帰って、一休みして、夕食を食べて、風呂にはいったあと、『化学史研究』の最新号が届きました。目次等の情報は、『化学史研究』のサイトで見ることができます。
なお、私はこの号に「 相馬伸一『教育思想とデカルト哲学』」に関する紹介記事を寄せています。直接本の紹介ということの他に、ハートリッブ・サークルの研究史、ならびにハートリッブ・サークルと化学=錬金術史の関わり合いを簡潔にまとめておきました。そういう方面に関心のある方には有用な記述を含むと思われます。編集委員会に出かける前に、本棚の上を見ていたら、昨日読んだモランの別の本が見つかりました。94年の七夕の日に、イギリスで買ったものです。
Bruce T. Moran,
The Alchenical World of the German Court: Occult Philosophy and
Chemical Medicine in the Circle of Moritz of Hessen(1572-1632),
Stuttgart:Franz Steiner,1991.
持っていって電車のなかで読み始めました。
今朝は、妻と小さいちびが6時前後。私と大きいちびが6時45分。涼しい風が入ってきます。
今日の夕方、小さいちびは、はじめて、階段を2階から1階まで後ろ向きで下りることができました。数歩なら歩くようになっています。冬には歩けるようになっているでしょう。郵便物の確認のために、朝一番で大学に行って来ました。論文1点を受理。事務処理のあいまに大学のネットワークで、ガリカから少しダウンロードをしておこうと思ったら、ガリカはメインテナンスのため、17日までお休みとのこと。
28日以来の作業の継続。
昨夜、部屋でミスの訂正作業をしていると、おおきいちびとちいさいちびがふたりとも入ってきました。(うちは、トイレとお風呂以外に鍵がありません。)そのとき本棚から何冊か本を出していました。今朝、その本を戻すと、次の本が目に付きました。
Bruce T. Moran, Chemical Pharmacy Enters the University: Johannes Hartmann and the Didactic Care of Cymiatria in the Early Seventeenth Century,Madison,Wisconsin, 1991.
リストの修正作業の際に、Johannes HartmannのBasilica chymicaeというタイトルが気にかかっていました。ということで、ハートマンの名前が頭にあったのですが、本棚にあったこの本がハートマンをテーマとしていることに気付き、大学に行くときに持って出ました。100頁に満たない小さな本ですが、私にとても役に立つ内容の書物でした。ハートマン(1568-1631)は、マールブルグ大学ではじめて公式に化学Chemiatria の教授に就任した人物です。(ヘッセ方伯モリッツの強力な後押しがあってのことです。)ボイルは、ハートマンの名を全集と書簡集あわせて14カ所であげています。Basilica chymicaeは、クロルのBasilica chymicaに対するハートマンの注解書でした。ボイルは、ハートマンを、「最も経験に富み幸運な化学の著作家」と呼んでいます。
この本の主眼は、そのハートマンのマールブルグ大学の化学講義のノートが残っており、その分析・記述ですが、リバヴィウスとの論争の部分や、化学の教科書の伝統の部分が私の今行っている作業にとくに有用でした。講義ノートとは、大学の実験室で、具体的な化学薬品の調合法を学生(最初のタームは13人、次のタームは16人)に教えるときのもので、この種のものがこの時代に残っていることはすごいことです。化学の実践(薬品調合)と化学教育の具体的姿がわかるからです。しかし、一般にはその他の部分が有用で面白いのではと思います。
今朝は珍しくおおきいちびといっしょに5時。ちいさいちびを起こすといけないので、すぐに買い物を兼ねて散歩に出ました。蚊がすごい。[ぬいぐるみ]
妻とちびがふたり、昨日、買い物の出たとき、ぬいぐるみを5体もらってきました。ちびを連れていくと、いろんなおまけやおもちゃをくれる店はいっぱいあります。食事をするお店はかなりの確率で、ちびようにおみやげのおもちゃを用意しています。そうでなくても、販売促進グッズからちょっとしたおもちゃをくれるお店は少なくありません。
私が去年、UFO キャッチャーにはまって数多くとってきたぬいぐるみとあわせて、我が家にはいまや非常に多くのぬいぐるみがあります。数を数えていませんが、100を超えているかも知れません。
いまちいさいちびが、そのぬいぐるみを気に入っています。自分と同じ大きさのぬいぐるみをだっこしては、喜んでいます。鼻にかみつく(あるいは、キスをしているのかもしれません)のもお気に入りです。28日以来の作業の継続。
本間さんから、へヴェリウスに関しては、実は邦訳があることを教えてもらいました。あの藪内先生によるものです。私は、日本語を調べてみることは考えもしなかったので、意外でした。
藪内清訳・解説『ヘベリウス星座図絵』地人書院1977
(ただし、星座図だけということです。だから、正しくは翻訳とは言わないのでしょうが。)
リストの訂正作業をやっています。あと2〜3回やれば、ほぼ完全なものができると思います。大きなミスとしては、3件。一つは、タイプのときにホームポジションがずれていました。残り2件は、意識のなかには残っていましたが、現実に作成したリストにはありませんでした。理由は不明ですが、飛ばしたものでしょう。細かいミスタイプも少し見つかりました。(見つかった時点で訂正してアップしていますから、ここで見られるものは最新バージョンです。)
ちびが4時前に起きて、寝てくれません。あきらめて、4時半から遊んでやっています。→5時前にうんちをして、その後すぐミルクを飲み、5時半に寝てくれました。こういう時間帯は勘弁してほしいのですが、ちびに言っても仕方なし。→眠いのでもう一度寝ます。→ちびといっしょに9時過ぎに目覚めました。[水道管破砕]
9月7日にはじまった裏となりのおうちのアパート解体工事ですが、建物はなくなりました。今日は、片づけと地面の工事をしています。
私がおおきなちびを昼寝させようと散歩に連れていって(結局昼寝はせず)帰ってきたら、妻が、家の入り口で、水道、水道と言っています。何のことかと思うと、裏となりのおうちの主人が、工事の最中に、水道管を引っかけて、水が噴出したので、バルブを止めた、もしかしたら、お宅も水道が止まったかもしれません、ということを垣根ごしに話してくれました。うちはタンクがあるので、バルブが止まってもすぐに水は止まらないので、いまうちに来ている水道が止まっているかどうかわかりません、と回答しました。少し経って、そういえば、引っ越しのときに水が出ないというトラブルがあって、そのとき水道局がくれた近所の水道の図面があったことを思い出し、それをもって裏となりのお家に出向きました。工事の方とも話しましたが、図面はあってもすぐには分からない、ということで待つしかないかとなりました。
水道が止まると、やはりかなり困るので、水を使いながらメーターを見てみることにしました。メーターそのものはちょっと使った程度で動くことはないのですが、よく見ると、小さなコマみたいなものが回っています。水を止めると、それが徐々に止まります。ということで、うちに来ている水道は大丈夫だと判断しました。
のちほど、裏となりに水道修理の方が来て、水道管は、裏となりのお家、その持っていたアパート、そして我が家と3本別々に通っているので、大丈夫だということがはっきりしました。結局、図面通りでした。
一人で6時半。雨は上がっており、涼しい朝。→したのちびが、おねえちゃんのもっているおもちゃを欲しがって大暴れ。いつまでも暴れるので、散歩に連れ出し、お風呂に入れ、しましたが泣きやまず。ミルクをあげると落ち着きました。結局お腹がすいていたようです。1時間半前に飲んだばかりだったので、まさかお腹が空いているとは思いませんでした。大泣きするときはお腹、というのはよくわかっていたのですが、まさかまだお腹は空いてないだろうと私も妻も思ったのです。大暴れをした2時間後にまた暴れて、今度はすぐにミルクを作ってやりました。ちびは、ミルクを飲んで、すぐに寝ました。
昼寝の少し前に、ちいさいちびを散歩に連れ出しました。裏の細道で、近所の保育園のちび軍団と出会いました。たぶん2歳前後の子どもが8人と、先生が2人の集団でした。挨拶をしているとおちびたちが寄ってきて、とっていた紅花をくれました。何人かのちびには、蚊に刺された痕が大きく出ていました。こういう天気の日には、蚊が非常に活発に活動しているので、気をつけてやらないと。ちび軍団が帰るとき、したのちびは、手を振ってバイバイをしていました。[ISIS Current Biblligraphy]
"ISIS Current Biblligraphy 2000"のイントロには、科学史の情報源として次の4冊の雑誌があげられています。院生時代、東大科哲の図書館にはなかったように思います。今はいれてくれているのでしょうか?
Bibliographia Italiana di Storia della Scienze (Firenze, Olschki)
Bibliography of the Hisoty of Medicine, (Betheda, MD.: National Library of Medicine. Availabel online through MEDLARS. )
Current Bibliography of the History of Technology (Technology and Culture)
Current Work in the History of Medicine (London, Welcome Institute of the History of Medicine, )
[総合雑誌]
本日は、『中公』と『文春』の発売日。今月分は、既に買ってあった『現代』と『諸君』とあわせて、これで4冊。今回は、『中公』の特集「情報管理社会はここまで来ている」をまずは読みました。
一緒に買ってきた日垣隆『エースを出せ』(文芸春秋、2002)を読み始めたので、総合雑誌は少し中断。今日、固定資産税の2期分23000円を払ってきました。去年までは無縁だった支出なので、なんか悔しいですが、仕方ありません。(日本の税制に関してはいろいろ矛盾を感じますが、あまりきちんと考えたわけではないので、追ってまたにします。)
28日以来の作業の継続。
Culture of Natural History を読んでいたら、ブロンとロンドレの名前が並んで出てきて少しびっくりしました。(p.30) (専門的な自然誌の作者として、アッシュワースが取り上げています。)ロンドレの名前は、ハロルド・クックの論文にも出てきて(p.104)、それによれば、「ロンドレは、1545年から死の年までモンペリエ大学の医学欽定教授をつとめ、解剖に力を入れ、多くの医学的著作を著したが、後の世には、魚類に関する浩瀚な自然誌によって有名となった。そのLibri de piscibus marinis (1545-5 )はその後100年以上、魚類に関して権威ある書物をして扱われた」とあります。ついでにサットンさんのサイトで調べると、10点がガリカでダウンロード出来ます。『科学史技術史事典』が独立した項目としては採用していないロンドレに対して、10点という数はかなりすごいです。
ガリカで入手できるブロンの著作7点も作成し、アップしておきました。
昨夜、おおきいちびが寝付かずに、2時間ほど居間でビデオを見るのにつきあってやって、今朝はその大きいちびとともに8時過ぎ起床。小さいちびと妻は6時。我々が居間に降りていくとちょうど小さいちびが寝付いていました。今日は二度昼寝をしてくれるでしょう。また、雨。郵便物の確認のために、お昼ご飯のあと、大学に出かけました。大きいちびが大学で仕事をするというので、雨が止んだことを確かめて連れていきました。大学の事務棟の入り口で、まず、学長に会いました。ちびはふつうに挨拶をしていました。その後、結構多くの先生方とあいましたが、喜んでバイバイをしていました。この前大学を去るときに、ダウンロードをスタートさせていた古いボイル全集第4巻は、無事ダウンロード出来ていました。そのほか、大学で処理すべきことを処理して、また雨が降り出しそうな雰囲気だったこともあり、すぐに帰ってきました。
大学から帰ってくると、雑誌が3つ届いていました。
長らく編集・発行の遅れていた"ISIS Current Biblligraphy 2000"がやっと届いていました。"ISIS Newsletter" で遅れる言い訳は読んでいたのですが、実物を手にとってみて、遅れただけではなく、かなり薄くなってしまったことにもがっかりしました。私が第1にする作業は、巻末の Index で、ボイルを引いてみることです。ボイルに関してはなんと言ってもハンターのボイルホームページの情報がほぼ網羅的なのですが、ISIS の方がどの程度拾えているのか確認しようと思ったのです。正直、今回の Index はがっかりです。ボイルについては 1213 -1219 まで7つが続けて索引化されていましたが、全部、新しいボイル全集です。(ボイル全集の前半の7巻)。ついで行う作業は、ルネサンスから17世紀までの部分を鉛筆を片手に読むことです。すると、ボイルに関しては、1159, 1180,1209, 1210, 1235, 1257, 1297, と後7点の研究論文・研究書があることがわかりました。一つの項目からだけ判断するのは早急かもしれませんが、今回の Index は、著者情報からだけ拾っている可能性があります。タイトル欄をまったく見ないで、索引を作ったように思われます。それでももちろんないよりはずっとましですが、過去のものとの継続性の点、読者の期待することがらという点において、とても残念です。
ルネサンスから17世紀の部分ですが、もちろん、これは入手しておかなければ、これは読もうとおもう文献はかなり数多く拾えました。しかし、どう考えても、量が少ない。それで序を読んでみると、2000 では取り上げることの出来なかった雑誌がかなりあり、その分は2001 で補うとありました。仕方がありません、2001を待つしかないようです。
文献リストそのものですが、( Index にはありませんが)キルヒャーについてのものが目に付きました。また、9月7日に言及したヘヴェリウスですが、次の論文があることがわかりました。
1222. Cook, Alan. Johann and Elizabeth Hevelius, astronomers of Danzig. Endeavour,2000,24: 8-12.
17世紀の部分に関しては、Margaret J. Osler, Rethinking the scientific revolution , Cambridge University Press,2000 に収録されている論文がいちばん目に付きました。(単純に数が多い。)それで、この本を見直してみようと思って、HDのなかをどう検索しても見つからず、それなら実物を捜そうとおもい部屋中の本棚を2度サーチしました。買っていたように思っていたのですが、それは、似たようなタイトルの Reappraisal of the scientific revolution と混同していたことがわかりました。ということで、あわてて、amazom.com でこの本ならびに、やはりbibliography を読んでいて気付いた、Stuart Clark, Thinking with Demons: The Idea of Witchcraft in Early Modern Europe ,1997 を注文しました。アマゾンの画面ではもう一冊スチュワート・クラークの魔術関係の本が表示されていたので、それもついでのことに発注しました。
本棚のサーチは効果があって、ずっと行方不明になっていた M.Hunter, Letters and Papers of Robert Boyleが本棚の奥の方から見つかりました。これは、ボイル草稿のマイクロフィルムの解説本です。ちょっとした手違いがあって、この本は3冊もっています。捜していたのは、昔読んで書き込みをしてあるものです。(書き込みをしていないものは、目の前にあったのですが。)
ちびによって、6時40分。夕方からまた降り始めた雨は止んでいました。大きいちびは爆睡中です。[希有の時間]
お昼過ぎ、大きいちびが昼寝をし、妻がしたのちびを遊びに連れていきました。子どもに邪魔されない希有の時間です。ほんとうは仕事をした方がよかったのかもしれませんが、偶然つけたテレビで映画を放映していました。東京12チャンネルが流した「サイダーハウス・ルール」という映画です。2時間枠の映画ですから、実質1時間30分強の放映かと思います。映画を一本見るのは、ほんとうに久しぶりのことでした。→こころに残る映画でした。28日以来の作業の継続。
ボイルの全集と書簡集で、共通してタイトルが引用されているのは、古典作家がほとんどです。すなわち、アリストテレス、キケロ、ホメロス、ホラティウス、プラトン、プリニウス、ヴェルギリウスという古代ギリシャ・ローマの作家と、近代の巨人ベイコン、デカルト、ガリレオ、ヘルモント、ホッブズ、ホイヘンス、キルヒュー、パラケルススが半分以上を占めています。昨日のヘヴェリウスですが、google で検索をかけてみました。国会図書館の貴重書コーナーにその『月面学』(1647)の原典があることがわかりました。またどういう機関かよくわかりませんでしたが、山上企画というサイトに、この時代の天文学者についての短い紹介がありました。アピアヌス、バイヤーという私のあまり知らない人物も紹介されていました。上位10位しか見なかったのですが、そこに科学史のサイトはありませんでした。ちょっと寂しいことです。
昨日に続き、したのちびが夜中の2時半に目覚め、約2時間わーわーと遊んでいました。疲れていたので、つきあわず。おとなしくなったと思ったら自分で寝たようです。その次が7時。そのときは私も一緒に起きて、居間に連れていってやりました。
こういう日は、ちびのリズムが崩れやすい。大きいちびは結局昼寝をせず、小さいちびは朝方1度(1時間程度)しか昼寝をしませんでした。睡眠不足のちびがふたりいるとトラブルが多くなります。親としては、あちゃちゃ、の状況となります。
朝から工事のような音がします。何かと思ったら、裏となりのお家の方のもっているアパートを取り壊す作業がはじまっていました。息子一家に家を建ててあげるか、2階に息子一家のスペースを作り、1階部分はアパートとして貸す、という形か、どちらかではないかと勝手に推測しています。28日以来の作業の継続。
新しいボイル書簡集の引用著作リストを作成しました。ちびの絶え間ない襲撃を受けつつの作業でしたが、何とか最後まで辿り着きました。こっちは、全集の約2割の95名の著作家が上がっていました。(全集の方は、470名です。ちなみに、95名のうち、重ならないのが66名ですから、全集と書簡集あわせて536名の著作家をボイルは引用していることになります。)
両方を作ってみて、ボイルは、16世紀17世紀の科学史において名前が出るような著作家であれば、ほぼ100%に近いといってよいほど、入手して読んでいることがわかりました。ということで、ボイルの引用索引リストは、17世紀科学革命の鏡、あるいは定点観測点として使えるといってよいでしょう。
今となってはあまりよいとはいえない事典ですが、『科学史技術史事典』を利用してみましょう。コペルニクス革命に関わる天文学者として名前が挙げられているのが、コペルニクス、レテイクス、ケプラー、ガリレオ、シャイナー、ホイヘンス、ボレッリ、フック、ニュートンですが、レティクスを除き、その全員の著作が引用されています。それだけではなく、(私もほとんど知らない著作家ですが)ムリエ、マニリウス、ランスベルヘン、ダシポディウス、ドゥハメル等の天文学書も引用されています。また「17世紀半ばにおける天文学の第1人者」(『科学史技術史事典』の記事)と称されるヘヴェリウスについても、『月面誌』『彗星誌』ならびにプロドルムスが引用されています。(ヘヴェリウスに関して、サットンさんのサイトで検索をかけてみました。『恒星誌』=Firmamentum Sobierscianum sive Uranographia (1690) がミラノ大学の次のサイトにアップされていました。http://mahler.brera.mi.astro.it/HEAVENS/ATLAS/hevelius.html )
医学、化学=錬金術、自然誌、地誌、旅行記については、『科学史技術史事典』に名前が取られているものの、恐らく一桁上の著作家がボイルにより取り上げられています。
したのちびが3時に起きてしまいました。仕方がないので、机の上に載せ、私はパソコンに向かっています。ちびは財布の中身を出して遊んでいます。→5時にやっと寝てくれました。すごい量のうんちをし、ミルクを半分飲んだ後、少し暴れて寝ました。
久しぶりの本格的な雨降り。こういう日は、こどもたちがぐずることが多く、大変です。→したのちびが昼寝をしたすきに、妻が大きいちびを吉祥寺まで買い物に連れていきました。何と、帰り着いたときには大きいちびは昼寝をしていました。(雨のなか、あの重いちびをだっこして、妻はバス停から帰ってきました。それを見て、昼寝から起きていた小さいちびは自分も遊びに出たいと、結構ぐずります。)28日以来の作業の継続。
新しいボイル全集の引用作品リストを作成しました。問題点は多々残されていますが、98%程度は大丈夫だと思います。
問題点の解消は後回しにして、せっかくですから新しいボイル書簡集についても同じ作業を行います。
ちびによって5時半。夜半または朝方、雨が降ったようです。地面が濡れていました。ちびは少し寝不足のようで、朝からあばれます。28日以来の作業の継続。
学術的な全集編集の見本になるような、新しいボイル全集ですが、やはり少しエラーはあります。一般索引に、処理ミスが何点か見つかりました。(この程度のミスは、人間が作業する以上避けられないもので、全集の価値を損なうものではまったくありません。ただ、こちらとしては、少し安心します。)
そういえば、「ボイル全集の引用索引」『化学史研究』Vol.17,No.3には、スキャンに基づく e-text を作成していたな、と思い出して、まず、引用作品のみのリストをそこから作りました。何を思ったのか、1頁スキャンをし忘れており、そのページは打ち込みました。しっかりとした校正は行っていませんが、だいたいは大丈夫だと思います。
「ボイル全集の引用索引」解説部も作りました。
ちびによって6時前。朝の騒乱が一息ついた後、ビデオの交換をしました。居間のビデオは、昨日、したのちびがこわしました。ちょうど立って操作しやすい位置にビデオを置いていたため、全面のスイッチをでたらめにおしまくったものです。妻がもう7〜8年前に買っていた古くて大きくて少し重いビデオをしまってあったので、それを出してきて、今度はちびの手の届かないところに設置しました。最初、それもビデオを吸い込まず、あちゃーと思ったのですが、なかを調べたところ、ちびが昔スプーンを入れていました。それを出すと、ちゃんと動き、これで一件落着。28日以来の作業の継続。
全く完全ではありませんが、「ボイル全集の引用索引」で取り上げた著者名リストに基づき、その著者がガリカにあるかどうか調べてみました。ボイルが引用する著者のうちガリカにあるもののリスト。セネカやプルタルコスやヴェルギリウス等古典作家の場合どうするか少し迷っています。
私が「ボイル全集の引用索引」を作ったのは、修士論文を終了した次の年度(博士の1年目)でした。全集に全部目を通し、引用をカードに書き写す作業そのものは、それほど大変ではなかったのです(要するに時間をかければできる)が、その同定作業には、非常に苦労しました。基本的には、アメリカ議会図書館のThe Natiola Union Catalugue, Pre-1956 Imprints(補巻をあわせて、全754巻)、パリのビブリオテーク・ナショナールの 『一般カタログ』(231巻)、大英図書館の『一般カタログ』を使いました。(もちろん、書誌の専門書も使いましたが、ほんとうにマイナーなところは、そういう専門書にも出ていない。)もちろん、最終的には実物を確認したかったのですが、日本の図書館に所蔵されているものは、そのなかのほんとうにわずかでした。といことで、実物を確認できたのは、ベイコン、デカルト、ガッサンディ、等というほんとうに有名な大作家だけでした。「ボイル全集の引用索引」の分析部分でも書きましたが、ボイルは当時の自然誌や旅行記は、ほんとうに広範囲に収集し、よく読んでいます。そのなかで、アコスタの『新大陸自然文化史』(もとのタイトルに素直に訳せば、『インディアスの自然誌ならびに文化誌』)が偶然(幸運にも?)岩波大航海叢書に訳出されていましたが、その他の大半は日本国内では影も形もありませんでした。たとえばそのひとつに、Guillaume Rondeletの『海魚誌』がガリカにはあって、ダウンロードすればみることが出来ます。もう1種類、ボイルが非常に熱心に収集したのが薬物誌です。こちらでも一例だけ挙げれば、初版がゴアで出版されたGarcia d'Orta の『薬草とアロマの誌』もガリカで見ることができます。
次の作業としては、新しいボイル全集の一般索引との突き合わせ(照合作業)をやっています。「ボイルの読書体験」というようなテーマで考えた場合、ボイルは、(もちろんボイル以降は除いて)科学革命期に名前の挙がるような著作家はほぼすべて目を通していると言ってよいようです。古典作家についても、ボイルはかなりの割合で読んでいる様子です。
ひとりで6時。昨日昼寝をしなかった大きいちびは、爆睡中です。→大きいちびはほぼ12時間寝ました。小さいちびは、6時半起床。せめてもう30分寝てくれるともう少し仕事がこなせるのですが。→昨日に続き、小さいちびは1度しか昼寝せず、大きいちびは一度も昼寝しませんでした。普段は小さいちびは、1日2回、大きいちびは1日1回昼寝をします。昼寝をしてくれないと、こちらは自分の時間がうまくとれず、いろんなトラブルが生じます。28日以来の作業の継続。
昨日報告した6千点以上のe-textのリストをアップしているeee.uci.edu/~papyri/ですが、カリフォルニア大学古典学教授Dana F. Suttonさんの作です。サイトの名前は「ウェブにある新ラテンテキストの分析的文献表」というものです。アクセスカウンターは2万2千でしたが、一桁上の数字でもおかしくない充実した内容のサイトです。収録されている作品は、ルネサンスからそれ以降のニューラテンのテキスト(近代のラテン語のテキスト)です。 ラテン語と言っていますが、ラテン語以外の作品もリストアップされています。ともあれ、ガリカ本店を除けば、ルネサンスから近代(19世紀途中ぐらいまで)の科学史・思想史・哲学史にとってはもっとも充実したリストを用意してくれています。サットンさんのリストより、ざっと気付いたものをサンプルとしてあげます。
・数学史から
アイザック・バロー:2点(『幾何学講義』『数学著作集』)
クラヴィウス:4点(『サクロボスコ注解』ほか)
ウォリス:1点(『数学著作集』)
・化学史から
ブールハーヴェ:2点
クロル:2点(『バシリカ・キミカ』他)
ヘルモント:2点(『全集』他)
・ルネサンス思想史
ピコ・デラ・ミランドーラ:11点
フィチーノ:25点
・科学史一般
ケプラー:12点(『天文学全集』8巻を含む)
レーウェンフック:3点(『全集』の3巻)
大きいちびといっしょに6時40分。大きいちびは、全身を走る謎の発疹に襲われ、夜中じゅう、体を掻いていました。何かの感染症かと思いますが、今朝も残っているので、朝一番で近所の小児科医に診てもらいます。→ジンマシンとのことです。原因はすぐにはわからないということで薬だけもらってきました。さっと出て、さっと引くのが不思議です。28日以来の作業の継続。
「ボイル全集の引用索引」で取り上げた著者名リストに基づき、ガリカの検索作業を続けています。Caelius Aurelianusが4点とか、ピエール・ベロンが16点とか、結構意外なところが多くあります。
「ボイル全集の引用索引」は、全部で161名の著者を取り上げています。そのなかで、ガリカにあったのが91名(57%)、なかったのが70名(43%)でした。半分以上があるというのは相当使えるということです。
こういう作業を進める前に、ガリカについてきちんとした説明を読むべきだと思って、google で "Gallica, text, pdf, tiff" で検索をかけてみました。必要な情報が得られました。
ガリカ(ビブリオテーク・ナショナールのデジタルライブラリー)は、1997年にスタートしてプロジェクトの結果です。現在は、 Gallica 2000 という名称で、イメージファイルの形で3万5千タイトル、テキスト形式で千タイトルがあるということです。すぐに1万5千タイトルを増やす作業を継続中だとのこと。ガリカは、ビブリオテーク・ナショナールに所蔵されている図書だけではなく、他の機関の協力のもと、国立自然史博物館や、オルセー大学、エコール・ポリテクニーク、聖アンヌ病院図書館に所蔵されている科学関係の図書も利用可能となっている。総ページ数は、150億にのぼる。Cf.ガリカの説明(最終更新2002年9月2日)
世界は広いから、誰かガリカにある作品のリストを作っているはずだと思ったら、上の検索の結果、やはりありました。eee.uci.edu/~papyri/で、著者のアルファベット順に6253タイトルがリストアップされていました。(acta eruditorum 等の雑誌を含まず。)これがガリカの全てを尽くしているわけでもありませんし、このリストはガリカにあるものだけに限られるわけでもありませんが、ルネサンスから近代を専攻するものにとっては非常に役立つリストとなっています。(具体的には、6253タイトルのうち、 4045タイトルはガリカのものです。→ただし、全集は何巻あっても1タイトルと数えています。)
(ここのファイルは、a.html から z.html ,anon.html28ファイルに分かれています。作業の便宜上、全部をひとまとめにしたファイル a-z.txt を作成しました。このファイルの容量がなんと 1.5M. 純粋な1つのテキストファイルが、フロッピー1枚に収まらないというのはすごいことです。)
このファイルをざっと調べてみました。すばらしい。今後は、e-textのサーチはこのリストから始めるのがもっとも適切だということになるかと思います。
(eee.uci.edu/~papyri/ の発見以前、もっとも数多くe-textをリストしていたアテナは、295名の著作家、574作品をリストアップしています。これと比べると10倍以上ですから、まさに一桁上の作業です。)
ちびといっしょに5時40分。今日も暑い日のようです。→ちびは眠いのに寝たくない、というので暴れて大変でした。うんちをしたところで、シャワーを浴びさせることにしました。その準備をしていると大きいちびもやってきて服を脱いでしまったので、あきらめて、ふたりいっしょに風呂に入れてやりました。湯船にちびふたりを向かい合わせで座らせ、体温程度のぬるめのお湯を30センチ弱はりました。あとはふたりで勝手に遊んでいました。これでやっと機嫌が戻り、あとは妻に任せました。28日以来の作業の継続。
ガリカのリスト作成作業に最初に着手された本間さんから連絡を頂きました。ボイル全集の場合、オルムズによるリプリント版が使われています。作業の便を考えればそれはそれで全くかまわないのですが、第1巻が検索画面に出てきません。私は勝手に、ftpサイトに入ってファイル名で捜してやれば検索画面には出てこなくてもあるに違いない、と思いこんでいたのですが、ガレノス全集の場合もところどころ欠けていると本間さんの連絡です。もしかしたら、ほんとうに欠けているのかもしれません。(全6巻の全集のうち、第1巻だけを残すというのは考えづらいので、私は、まだ捜せばある可能性があると思っています。→02.9.3 リストをよく見てみると、確かにある巻だけ利用できないと言う場合が一定の数見つかりました。ガリカの方針かも知れませんし、ただ作業の都合かも知れません。)
もう少しどうなっているのか知りたくなり、調査作業を継続しています。せめて、17世紀科学史に出てくる名前は網羅しようと思います。さて、その際、何に基づき網羅するかですが、私が昔作成した「ボイル全集の引用索引」『化学史研究』Vol.17,No.3 ( 1990年9月)、129−141頁、によることにしました。もちろんこれを用いるとボイル後が落ちますが、それは別の事典等によればいいでしょう。以下はその1結果です。
アコスタ 1点(『新大陸自然文化史』の仏語訳)
ベガン 0
ボート 0
クラーブ 0
ドゥハメル 2点
ハーヴィー 0
キルヒャー 4点
メルセンヌ 5点
パスカル 12点
サラ 2点
ステヴィン1点
ズフテン 0
ゼツネル 0
ザバレッラ 2点
ヘルメス・トリスメギストス 6点
デラポルタ 4点
リンスホーテン 1点
オルデンブルグ 0
フック 1点
ボレール 0
ヘルモント 3点(全集含む)
ウィルキンズ 1点
ジョン・ロック 2点
シルヴィウスJacques Dubois (1478-1555) 41点
最後のシルヴィウスは、医化学派の代表者に数えられるシルヴィウス( Franciscus de le Boe Sylvius, 1614-1672)ではなく、ヴェサリウスの論敵となった解剖学者のシルヴィウスです。そもそもそのシルヴィウスにこれほど多くの著作があることを知りませんでした。これだけ数が多いと言うことは、この時代の医学(とくに外科学)にとって非常に重要な人物だったと言うことかも知れません。
「ボイル全集の引用索引」で取り上げた著者名リストも作成しました。