ひとりで5時45分。昨日の夕刻には止んでいた雨がまた降っています。どうも梅雨入りではないでしょうか。そういう降り方です。そして、寒い。最高気温で15度とでています。
6時15分。ちびどもは6時半。雨は上がっています。今日は、このまえ延期になったちいさいちびのピクニックの日。雨は上がっていますが、地面はまだ濡れています。あとは学校側の判断です。→朝方また雨が落ちてきました。かわいそうですが、今日は中止でしょう。体調が戻ってきたので、昼食後すぐに家をでて、駒場図書館で作業をすることとしました。
まず、次のものをコピー。
『自然』昭和53年(1978)12月増刊号「理化学研究所60年の歩み」
そのあと、何点かコピーを取ると、すこし喉が乾いてきました。図書館の近くのイタリアン・トマトでコーヒー。
コピーを取ったものを折ってから、先ほど取った『自然』の理化学研究所の特集を読んでいました。よい特集です。雑誌の特集はこういうのがよい。雑多にいろんな情報が載せられています。今回の調査にとくに関係するのは、p.21. 菅義夫氏と佐々木次郎氏の次の発言。
管「1号館は、ドイツのマックス・プランクのデッドコピーだといううわさを聞いています。田丸節郎先生が設計委員だとか。」
佐々木「田丸先生は、ドイツからとてもいい寒暖計や、当時、日本にないパイレックス管とか、シリカのチューブとか、メルクやカールバウムの純薬品等、いいものを多種類持って帰られました。」
「特集・理化学研究所60年の歩み」は、大きくは、3部構成です。
0.グラビア
I. 理化学研究所・五大座談会
(1)理化学研究所の原風景―大正末期から終戦まで
(2)化学者の創り出したモノ―理研ビタミンから合成酒まで
(3)仁科研究所の黄金時代―サイクロトロンとその周辺
(4)女性科学者の自由な世界―女性の目からみた理研
(5)研究水準を支えた工作陣―伝統を形成した技術者集団
II. 60年の諸断章
(1)大正リベラルの時代
(2)戦前昭和の時代
(3)戦後苦難の時代
(4)工作の現場から
(5)旧理研から新理研へ
(6)特別長編記録
□ 資料・理研のあゆみ
帰宅すると次の本が届いていました。
藤井 省三
『東京外語支那語部:交流と侵略のはざまで』
朝日選書、1992
[理化学研究所]
理研のことが気にかかるので、すこし調べています。まず、住友文庫の購入にかかった6万円ですが、今の物価に換算するとどのくらいになるのでしょうか?
理研の歴史を記した文書(『理研精神八八年』)に、理研の設立は2000万円(米価換算で現在の320億円に相当)で計画されたとあります。これだと、当時の1円は今の1600円に当たることになります。
これで計算すると、約6万円は約9600万円、丸めて言えば約1億ということになります。
ひとりで5時半。夜半から雨。気温が下がりました。疲れがピークの直前まで来ています。肩凝りがひどい。私は30歳ぐらいまでは肩凝りの記憶がありません。ほんと、ひとはかわればかわるものです。すこし無理をすると、途端に肩凝り。目と肩にきます。
そうは言っても今日は3コマの授業。いつも通り出かけました。
帰宅すると、次の本が届いていました。
栗原彬、小森陽一、佐藤学、吉見俊哉編
『越境する知(6) 知の植民地:越境する』
東京大学出版会、2001
おおきいちびといっしょに6時。今日もまだ晴れ。授業日程を見ると今日は休み。何かと思ったら、ボート大会の日でした。戸田で行われる外大の伝統行事です。全学休講。ただし、会議はあります。今のところ、お昼の遅くから2つ。
3時〜4時20分:講座会議。
4時半〜5時40分:大学院改編部会
6時半には帰宅できました。
最近のあかんぼうは睡眠のリズムがずれています。昼寝をするのはいいのですが、昨日は5時間近くも寝ました。さすがに夜になってもなかなか寝てくれません。昨夜は、11時40分頃にやっと寝付いてくれました。こういうときは、比較的大人しくひとりで遊んでいます。その間に、ずっと電車のなかで読み続けていたホームズの『18世紀化学史』を読み終わりました。とてもよく書けています。今、18世紀化学史を新たに勉強しようと思う人がいたら、最初に読むに値します。先行研究の整理・紹介が適切です。ラヴォワジェの影になって無視されやすい領域の化学の営みを的確に描写しています。もちろん、5回の講演をまとめたものなので、包括的ではありませんが、18世紀化学史で包括的な著作を目指せば、浩瀚なものにならざるを得ない。それは、最初読むものとしては相応しくありません。
Frederic Lawrence Holmes,
Eighteenth-Century Chemistry as an Investigative Enterprise
Berkeley: University of California Press, 1989第1講演「18世紀化学の見通し」
第2講演「塩の化学」
第3講演「植物界の化学者」
第4講演「化学と産業」
第5講演「化学革命」
ひとりで4時15分。やっと休めます。[田丸節郎と住友文庫]
次のコピーを受け取りました。松永俊男 「住友文庫の生物学書 (住友文庫について)」 『大阪府立図書館紀要』24(1988): 1-3
後藤邦夫 「住友文庫の物理文献と別刷リファイル (住友文庫について)」 『大阪府立図書館紀要』24(1988): 1-3
森中和子 「住友文庫の資料調査について (住友文庫について)」 『大阪府立図書館紀要』24(1988): 13-16
これで、18日に記した疑問そのものは解消しました。住友文庫の購入に当たって、田丸節郎が実際にドイツに渡って購入したのか、日本にいてリストから選んだのかがわかりました。
1.端的に第1次世界大戦前の間違いである。
2.第1次大戦後もういちど田丸がドイツに行った。結論は、上記の2つの選択肢のうち、2.でした。第1次大戦後(大正8年、1919年)、当時理化学研究所員であった田丸節郎がドイツでフォックス書店より購入したとあります。重要なので、その箇所を引用しておきましょう。
「田丸氏は、同研究所[理化学研究所]のために関係図書を購入する用務を持って渡欧されたが、当時ドイツに於いては、戦後の混乱期で学者戦死等により、その所蔵図書を売りに出すものが多く、その中には同国の最長所とする理化学に関する書籍、雑誌等用意に得難き貴重な資料が多い。出来るだけ多数のものを求めたく、しかし独り研究所の所蔵とするには余りに多量すぎ、さりとて、これを求めなければ更に遺憾なりと、三菱及び住友に交渉して購入し、これを三部して所蔵し、我国理化学界のため完全貴重なる図書を備えたく企画された。
丁度同じ時期(1919)に、住友家総理事の鈴木馬左也氏が、外遊の途上欧州におられ、博士より交渉を受けられた。我国産業の発展に貢献すること大なるを想い、ただちに社長に連絡をとられ、巨金(約6万円)を投じて購入された。この資料が後に住友家より当館に寄贈せられることとなり、「住友文庫」の蔵書となる。」(p.13)著者の森中和子さんは、p.15 で田丸の伝記について、佐藤一夫「日本の化学を築いたひとたち 37 田丸節郎先生」『化学』19巻2号(昭和39年2月):24-27 よりいくらか補足されています。
田丸節郎の帰国は、大正6年(1917年)。帰国後、桜井、長岡、鈴木と協力して、理化学研究所の設立に尽力。
田丸が第1次世界大戦直後のドイツにわたったのは、理化学研究所の設備上必要な諸物品の調査のためとあります。帰国にときには、寒暖計や当時の日本にはなかったバイレックス管とかシリカ・チューブ等よい器具・装置を持ち帰ったとあります。これで、田丸の渡欧の理由もよく理解できます。ドイツには設立なったばかりの理化学研究所で使う科学器具・道具と科学文献を選定(あるいは購入)するために旅だった。そこにあまりにすばらしいアーカイブが売りに出されていたので、住友家から約6万円のお金を出してもらって、そのアーカイブを丸ごと買い取ったということです。
もちろん、この森中さんの記述ですべてがわかったということにはなりません。「これを三部して所蔵し」という言葉があります。すなわち、住友文庫になった蔵書は、購入した蔵書のほぼ全体であるのか、3分の1であるのか、ということです。可能性としては、現場の科学研究で使うものは理化学研究所へ、そうでないものは住友文庫へという分割が考えられます。しかし、それを分けるのは専門知識を持った者の多大な労力を要します。
ともあれ、これを確定させるためには、理化学研究所の蔵書も調べてみる必要があります。
なお、田丸節郎はドイツの購入旅行から帰ってきて10年後(昭和4年=1929年)に新設なった東京工業大学物理科学教室教授となっています。このことと関係して、後藤邦夫氏のこの文庫のルーツの推測が興味深い。後藤邦夫氏は、スイスのETH(チューリッヒ工科大学)のシラバスが1867年から1908年の分まで収集されており、ETH に関係する学校または研究機関に由来するのではないか、と推測しています。さらに、工科大学に関する文献が非常に多いことから、「日本側の収集者に工科大学設立の意図があったのではないか」と書かれています。
その時代の田丸と周辺の人物のことを調べないとわかりませんが、「工科大学設立の意図」はあったと言ってよいのではないでしょうか。[ドルバックの化学/鉱物学関係の翻訳]
Neri, Antonio, (d. 1614.) Art de la Verrerie de Neri, Merret et Kunckel
Paris,1752M. Jean Gottschalk Wallerius, Minéralogie
(1756)Henckel, Introduction à la Minéralogie
Paris, 1756Gellert, Christlieb Ehregott, (1713-1795). Chimie métallurgique
(1758)J.G. Lehmann, Traités physique, d'histoire naturelle, de minéralogie et de métallurgie
(1759)J.G. Lehmann, L'Art des Mines; ... avec un Traité des exhalaisons minérales ou moufettes et plusieurs m&eaucte;moires sur différens sujets d'histoire naturelle. ..
Paris, 1759.HENKEL, Johann Friedrich. Pyritologie, ou histoire naturelle de la Pyrite,
Paris, 1760.Johann Christian Orschall, Oeuvres métallurgiques...Contenant I. L'art de la fonderie; II. Un traité de la liquation; III. Un traité de la macération des mines; IV. Le traité des trois merveilles
Paris, 1760Recueil des mémoires les plus intéressants de chymie, et d'histoire naturelle, contenus dans les Actes de l'Académie d'Upsal, et dans les Mémoires de l'Académie Royale des Sciences de Stockholm
Paris, 1764Stahl, Georg Ernst, (1660-1734). Traité de soufre
(1766)Stahl,Georg Ernst, (1660-1734). Traité de sels
(1771)M. Jean Gottschalk Wallerius, L'agriculture réduite a ses vrais principes
(1774)この翻訳の数はすごい。独立した扱いの価値があるように思われます。
ひとりで6時前。好天。暑くなりそうです。さて、今日も2限、3限、4限と3コマの授業。その前にすこしコピーを取らなければなりません。
帰宅すると次の本が届いていました。
栗原 彬、小森陽一、佐藤学、吉見俊哉
『内破する知:身体・言葉・権力を編みなおす』
東京大学出版会、2000栗原彬「水俣病という身体:風景のざわめきの政治学」
佐藤学「 交響する学びの公共圏:身体の記憶から近代の脱構築へ」
小森陽一 「起源の言説:「日本近代文学研究」という装置」
吉見俊哉 「メディアを語る言説:両大戦間期における新聞学の誕生」
座談「挑戦するダイアローグ」
月曜日4限のゼミの学生が、吉見俊哉 「メディアを語る言説:両大戦間期における新聞学の誕生」を発表してくれました。とてもよくできています。日本のメディア論・メディア史に関心を持つ者には、必読文献でしょう。多くのことを考えさせてくれます。
この本のシリーズ、「越境する知」については、東大出版会のサイトをご覧下さい。
かぞくそろって6時半前後。まだ雨は降っていますが、すこし空が明るくなりました。止んでくれるとよいのですが。今日も昨日とほぼ同じ時間に出かけました。お腹が空いていたので、調布駅前で牛丼を食ってから会場へ。
T氏の発表に間に合いました。昼食の時間は会場に残っていました。お弁当の方が二人いらしたので、すこしお話していました。紹介された方を紹介するということをしていました。
午後もずっと同じ会場(B会場にいました。今回はずっとB会場でした)にいました。 いつも思うことですが、質疑応答の時間を入れて一人20分というのはやはりあまりに短すぎます。質問・コメントしようと思う発表に限って、時間切れになっています。
もちろん、いちばんそうだったのが、シンポジウム。「旧植民地帝国大学の科学史をどう考えるのか―1945年以降の歴史も射程に入れて」。よい企画です。
しかし、純粋のフロアーからの質疑応答の時間がないまま、会場の終了時刻5時半を迎えました。私が質問しようと思ったのは、ホン・ソンジュク氏の「京城大学理工学部:京城帝国大学とソウル大学間の関係」の発表原稿に「米軍政」というあったからです。
日本のGHQ統治期間が1945年から52年までの7年というのは、記憶にあります。しかし、韓国の戦後史のことは迂闊なことにきちんと勉強した記憶がありません。早速ウェブで検索をかけてみました。韓国で、米軍は、3年間軍政をしいています。
日本軍からの解放は、ただちに、民族自決=韓国人の主権国家の確立とはならなかったわけです。
このあとはゆっくり勉強していきますが、すくなくとも韓国に関しても日本と同じく、アメリカ軍の統治政策から第2次世界大戦後の動向を理解する必要があることははっきりしました。(当たり前と言わないで下さい。朝鮮戦争(1950-53)のことは意識していましたが、アメリカ軍が韓国の戦後にどうかかわったかについては、意識の前面に登ることはありませんでした。)
ちびどもといっしょに6時過ぎ。今日明日と科学史学会。ゆっくりめででかけ、はやめに帰ってくるつもりです。
→ちびどもがピアノの練習に行くのにあわせて家を出ました。10時前。
会場の電気通信大学へはいろんなルートがありえます。吉祥寺→井の頭線→明大前乗換→京王線→調布、というルートを選びました。電通大は調布駅からはすぐにわかる場所にありました。11時前に着。3番目の発表から聞くことができました。午後は、3時20分まで話を聞いて、今日は終了としました。
調布駅前に近づくと、吉祥寺駅行きのバスが停まっています。ちょうどよいので乗り込みました。バスに乗ると、普段見ることのない都市の風景を見ることができます。西荻でも相当再開発が進行中ですが、バスの窓から見える場所でも、更地等再開発中の場所が少なくありませんでした。都会は、いつでもいくらかは再開発中なのかもしれませんが、波はあると思われます。今は顕著なような気がしましたが、正確なところはわかりません。吉祥寺駅でパンを買ってから帰宅。ちょうど雨が降ってきました。
ひとり遅れて7時半。今日は朝から暑い。昨日に続き夏日になるという予報です。午前中に散髪。
駒場図書館で次のものをコピー。
「大阪府立図書館所蔵住友文庫目録」 『科学史研究』21(1952): 42-48
住友文庫の蔵書から、18世紀のものを中心に150点を記載したものでした。山崎俊雄氏の作。次の参考図書に目を通しました。
A classified catalogue of books on science and technology : Sumitomo collection of the Osaka Prefectural Library, donated by Kichizaemon Sumitomo
2 vols., Osaka Prefectural Library, 1963-1964,
1963年3月付けの序(中村祐吉図書館長)に次のようにあります。
「大正12年8月20日付で、同家から一括寄贈され、本館ではこれを“住友文庫”として一室に蔵するものである。
総数21,563冊、主として自然科学、工学に関するものであり、科学史技術史の資料としてきわめて珍しいものを含んでいる。第1次世界大戦後ドイツで購入され、その選択は現京都市立音楽短期大学学長理学博士堀部信吉氏および故東京工大教授理学博士田丸節郎氏の尽力によるものである。
内わけは、単行本9,633冊、紀要、雑誌類288種、10,200冊、学位論文その他小冊子数万冊を合本したもの1,700冊である。」
→これで以前の疑問がいくらか解消しました。ここには、田丸節郎氏の留学のことはまったく触れられていません。ドイツ留学中に選書されたわけではなく、送付されたリストから選んだということだと推測されます。→お金を寄付した人間、住友 吉左衛門の方から調べがつくかと思い、ウェブで調べてみました。なんと、住友 吉左衛門と言う名前は、住友家当主が3代目から襲名(!)する名前だとあります。考えませんでした。住友文庫を寄贈したのは、15代目住友 吉左衛門友純(ともいと)だとあります。兄の一人が、西園寺公望。
帰宅すると次の本が届いていました。
梅原 猛(編) 『「脳死」と臓器移植 』 朝日文庫、2000
三井 美奈 『安楽死のできる国 』 新潮文庫、2003
町野 朔 『脳死と臓器移植[第2版追補] (資料・生命倫理と法)』 信山社、1998
本日:5月23日、金曜日5限駒場の授業に、ゲストをお呼びします。
ゲスト:Mr. アダム・タカハシ
次のニューマン氏の論文をねたに、タカハシ氏自身の研究について語ってもらいます。終了後は、送別会(あるいは尻叩き会)を予定しています。ご関心のある方は、5月23日(金曜日)4時20分に東大駒場キャンパス14号館308号室においで下さい。
William R. Newman, "Art, Nature, Alchemy, and Demons: The Case of the Malleus Maleficarum and Its Medieval Sources," in Bernadette Bensaude -Vincent and William R. Newman (eds.), Artificial and the Natural: An Evolving Polarity (Cambridge,MS.: The MIT Press, 2007), pp.109-133.ご本人のサイトにも情報が出ています。
6時すぎ。好天。暖かくなるようです。昼寝をしたあかんぼうは昨夜もひとりでがちゃがちゃがちゃがちゃ遊んでいました。たまに私のところに来ましたが、それまではビデオをひとりでがちゃがちゃがちゃがちゃさせて遊んでいました。そして、ソファーの上で毛布に寄っかかっているうちに寝入りました。10時45分。あかんぼうの寝る時間としては遅すぎます。
昨日に続き、いつもよりずっとはやく家を出ました。西武多摩川線武蔵境駅で小学生の集団に遭遇。ピクニックです。おお、先頭に知っている子がいます。ちいさいちびが幼稚園のときによく遊んでくれた子です。おかげで桃一の小2だとすぐにわかりました。
小学校軍団は同じ電車で同じ駅で降りました。私はその足で図書館へ。次の3点を受け取りました。
島尾永康「住友文庫の化学書-1-」 『大阪府立図書館紀要』9(1973): 180-186
島尾永康「住友文庫の化学書-2-」 『大阪府立中之島図書館紀要』11(1975): 80-68
島尾永康「住友文庫の化学書-3-」 『大阪府立中之島図書館紀要世界最初の化学専門誌Crell′s Annalenについて〔含 住友文庫の化学雑誌〕』13(1977): 88-72
これで、おおよそ「大阪府立大学住友文庫」に含まれている書籍の様子がわかりました。とくに、「住友文庫の化学書-3-」において島尾永康氏はよい仕事をされています。折りを見て、一度現地調査に赴きたいと思います。
ちびどもといっしょに6時。このサイトからウィリアム・ヘンリーについての部分を切り出しました。
ウィリアム・ヘンリー
午後に会議。今のところ、把握しているのは2つ。
会議は、午後ですが、富士通 ScanSnap FI-5510(Univ.モデル)も気になるので、いつもよりはやく家を出て、ちょうど10時ぐらいに大学に着きました。
セットアップは簡単でした。まずは手元にある授業の資料で試してみました。
感動的!
何が感動的といって処理が速い。20枚をほぼ1分でスキャンしてしまいました。古いスキャナーはメインのマックに接続してあります。その速度と比べると天と地。別世界です。
書類の片づけと部屋の片づけを平行して行いました。
いつも通り、ちょうど11時に特別食堂へ。やはりしばらくは貸し切り状態。11時半にごちそうさまをしたときにも、私の他には3人しかいませんでした。
書籍部で、『ニューズウィーク』と、大澤真幸『不可能性の時代』(岩波書店、2008)を購入。研究室に戻ってからは、『ニューズウィーク』を読んでいました。
6時半。あかんぼうとおおきいちびはすぐに起きてきました。雨。激しい雨。ピクニックどころではもちろんありません。強い風が吹く中、8時にでかけたちいさいちびがしばらくして帰ってきました。かさがこわれた! 風も強かったのでしょうが、傘が弱かったというのもあります。幸い雨足は弱まっていたので、ひどいことにはならずにすみました。
9時半に一度雨は止みました。その間に、クリーニング等の用事。自転車でさっと行ってきました。おお、10時半にまた雨が降り始めました。
今日の夕刻に開かれる駒場の大学院生たちの新歓コンパに来てくれませんか、というメールをもらいました。純粋に時間だけを考えれば、行くことは行けるのですが、机の上にまだ処理をしていない書類が残っています。あるいは、書類の地層に埋もれて処理を忘れたものもあるかもしれません。夏までの体調と仕事の量を考えて、今日の夜のお誘いはお断りし、力の範囲で片づけに専念することとしました。
午前中に、部屋の反対側に3つ山をなしている書類に関しては、2つまでは片づけました。そして、ぐったり。私の部屋にもスキャナーを入れることができるように、スペースを作る必要があります。ともかく書類を処理しないと、ただ忘れて迷惑をかけることになりかねません。
片づけをしていると、次の本が届きました。
泉美治・小川雅弥・加藤俊二・塩川二朗・芝哲夫・牧野正久(監修)
『第4版 化学文献の調べ方:ケミカルアブストラクツ、バイルシュタイン、グメリン』
化学同人、2002(初版、1983)
バイルシュタインですが、もとは、1881: Beilsteins Handbuch der Organischen Chemie.
1984からは、Beilstein Handbook of Organic Chemistryグメリン。もとは、1817: Gmelins Handbuch der Anorganischen Chemie.
1990からは、Gmelin Handbbook of Inorganic and Organometallic Chemistry.
以前は、化学の研究に欠かせないものとして各研究グループごとに備えられていたが、最近は冊数も増え高価になったせいで、大学や研究所などの大きな機関で1組が購入されている、とあります。そんなに高いのか。
ともあれ、19世紀のドイツに源を発する伝統がまだ続いているということです。さて、現在は、なんと言ってもケミカル・アブストラクツ:Chemical Abstracts(CA). 1907年創刊。
最近の年間抄録数は70万件(抄録が約6.5万ページ、号末・巻末索引の総計が9.9万ページ)を越えるとあります。古いところでは、次のもの。
Chemische Zentralblatt (CZ), 1830-1969.
British Absracts, 1926-1953
『日本化学総覧』1927-1963. 1877- から遡及収録。真島利行主幹の日本化学研究会による創刊。
1箇所、違和感があったのは、参照図書の章で、「全書(Treatise)」とあったことです。Treatise は、もともとは今のモノグラフに近い意味です。特定のテーマに関する(比較的長い)論考です。Comprehensive Treatise であれば、確かに、全書に近い意味になると思いますが、Treatise その語に全書に意味はないので、ミスリーディングです。
なお、「講座」というのは日本独特の出版形式だとあります。さもありなん。
あかんぼうは、3時過ぎから7時前までほぼ4時間の昼寝。さすがに眠くならないようで、10時過ぎてからはひとりでビデオを見て、ひとりで積み木で遊んでいました。そろそろ寝させようと思い、ねんねしようかと言うと、お片づけをすると言います。積み木をひとりで片づけていました。プラレールを片づけるから手伝えと言います。二人でプラレールを収納箱にもどしてから、おんぶして2階へ。
上の二人はほとんど片づけようとはしませんでした。今もあまりしません。こういうのも生まれつきの性格だとよくわかりました。そういえば、私の4人兄弟のうちで片づけ好きだったのは弟一人でした。そんなものなのでしょうか。
6時半。まだ晴れ。身体の奥に疲れが眠っています。去年より一本だけはやい電車で大学へ。まずは、2限の授業の資料をコピー。それから研究室で片づけ。
10時15分に生協の方が次の物品を納入してくれました。
富士通 ScanSnap FI-5510(Univ.モデル)
5月15日に事務に発注したら、なんと翌日に入荷の知らせがありました。金曜日に大学に出るのはつらいので、納品を今日にしてもらったものです。このはやさは画期的です。
箱から出してみると、小さい。感動的に小さい。3コマ授業が続くとセットアップしている時間の余裕がありませんでした。水曜日または木曜日にセットアップしようと思います。(重さも、2.3キロとありました。昔のノートパソコン並に軽い。)帰宅すると、次の本が届いていました。
Reaumur's Memoirs on Steel and Iron
. A Translation from the Original Printed in 1722
Anneliese Grunhaldt, trans., ed. Sisco;
Chicago: University of Chicago Press, 1956
イギリスのアマゾンの古書からです。(洋古書によくある、図書館で使ったいたものです。ですから状態はそれほどよくはありませんが、問題になるほどひどいわけではありません。)明日は嵐だそうです。8時ぐらいから強い雨足の雨が屋根と戸をたたきます。ちいさいちびは明日がピクニック。リュックサックを背負って学校に行き、学校でお弁当を食べることになりそうです。
あかんぼうがおきて、6時前。昨日の夕刻から降り始めた雨は、きれいに上がっています。しばらくこのまま晴れていて欲しいな。ああ、いろんなことがまにあわない。なんとか、がんばりますが、・・・。
朝のあいだに、上記のニューマン論文「技術(人工)、自然、錬金術、デーモン:『魔女の鉄槌』の場合と、その中世における起源」並びに次のジョリーさんの論文を読みました。
Bernard Joly, "Quarrels between Etienne-Francois Geoffroy and Louis Lémery at Académie Royal des Sciences in the Early Eighteenth Century: Mechanism and Alchemy", in Lawrence M. Principe,ed., Chymists and Chymistry: Studies in the History of Alchemy and Early Modern Chemistry( Sagamore Beach: Watson Publishing, 2007), pp.203-214.
レムリ息子とジョフロワの割と有名な論争を扱っています。夏までにまにあうかどうかはわかりませんが、18世紀の化学史をつかまえるためには、その出発点のひとつを与えたジョフロワの化学の流れと背景を正しくおさえておく必要があります。
(私には意味のある論文でした。惜しむらくは、短いことです。20〜30ページの本格的なものを読みたかった。)朝方に次の本がアマゾンより届きました。
宮下晋吉
『模倣から「科学大国」へ 19世紀ドイツにおける科学と技術の社会史』
世界思想社、2008
第1章 ボイトとプロイセン産業助成協会の設立
第2章 模倣―プロイセン王国の技術導入
第3章 懸賞問題―自立への模索
第4章 新産業・新協会・新科学―ドイツレンガ、陶器、石灰、およびセメント製造協会
第5章 リューローと産業助成協会の新展開
第6章 品質問題と試験研究所の設立
第7章 科学装置万国博覧会と科学器具学、専門協会
第8章 企業と研究所―アッベ、ショットとガラス技術研究所、顕微鏡とガラス開発
第9章 帝国物理技術研究所の設立
本間さんのサイトで、出版を知って、すぐに注文したものです。→「はじめに」に、大阪府立中央図書館「住友文庫」についての言及がありました。私の探している資料がここにいくらか所蔵されている可能性があります。まず、グーグルで検索。次の説明がありました。
住友文庫
住友家が5万円の資金を提供し、留学中の田丸節郎が第1次世界大戦後のドイツで収集したとあります。大正12年(1923)寄贈。全部で21,563冊。→ここで、田丸節郎(たまる・せつろう)の名前が出てくるとは。こういう意外な繋がりが歴史の醍醐味です。
→手元に田丸謙二氏による評伝「田丸節郎」『化学史研究』27(2000): 16-22 があります。せっかくですので、読み直しました。田丸は、1908年ハーバーの研究室に留学し、第1次世界大戦の勃発に伴い、ドイツを逃れて、最初ラムジーのところ、ついでニューヨークに渡り、ハーバード大学、高峰研究所と経て、1917年(大正6年)帰国とあります。上記のように、大阪府立図書館のサイトには、「第1次世界大戦後」「留学中の東京工大教授田丸節郎氏が選択にあたった」とありますが、田丸の伝記とあいません。
1.端的に第1次世界大戦前の間違いである。
2.第1次大戦後もういちど田丸がドイツに行った。このいずれかです。(ちなみに、東工大の設立は、1929年=昭和4年ですから、「留学中の東京工大教授田丸節郎氏」は、正しくはすくなくとも「後の東京工大教授田丸節郎氏」でなくてはなりません。
田丸節郎氏の年譜がないので、すぐに確実なことは言えませんが、上の1.の可能性が高いのでは、と思われます。
ウェブで検索をかけると、上記の田丸謙二氏による評伝「田丸節郎」が掲載されていました。雑誌に掲載されていなかった資料も付加されています。
→3月20日に記した「阪府中央」にだけ所蔵されている18世紀化学史の原典(1次資料)ですが、この大阪府立中央図書館「住友文庫」であることが判明しました。何となく字面から、大阪府立大かな、と思っていたのですが、思い違いでした。
ひとつ疑問が解けて、ちょっとすっきりしました。
ちびどもといっしょに6時過ぎ。おおきいちびははやくおきて、本を読んでいました。晴れ。昨日電車のなかで読み始めた、『私のこだわり人物伝 2006年2-3月 柳田国男 詩人の魂(語り手 吉増剛造)』 (日本放送出版協会、2006)ですが、読み通してしまいました。1回目読んだときには、見逃していたいろんなポイントが見えてきました。忘れている生活に生きた記憶の糸をたらすのは、こういう文章です。
[デジタル化の新潮流 ii: Google Book 調査継続中]
しばらく、Google Bookの調査をつづけます。ベリマン(Torbern Bergman)については、9点がダウンロードできます。ガリカよりもずっと多い。(ガリカの点数は、6点。ただし、フランス語版が中心です。Google Bookはいろんな言語にわたります。その方がありがたい=使い勝手がよい。)
Bergman, Torbern
A Dissertation on Elective Attractions
Translated from Latin by Thomas Beddoes,
London, 1785Bergman, Torbern
Opuscula physica et chemica
Vol.6, Lipsiae, 1786Bergman, Torbern
Physical and chemical essays
tr. by E. Cullen
Vol.1, London, 1788Bergman, Torbern
Descrizione compendiosa del regno minerale secondo i principi prossimi
Bergamono, 1783Henrik Teofilus Scheffe and Bergman, Torbern
Essai sur l'art de la teinture
Paris, 1803Bergman, Torbern
Manuel du minénalogiste
Vol.1, Paris, 1792ウェブキャットでは、6点出ますが、ベリマンの著作は、実質的に1点だけ。(親和力に関する著作の英訳だけです。)
[ヴィークレープ]
ヴィークレープ(Johann Christian Wiegleb)については、3点。他にはほとんどないので、あるだけずいぶんましです。Wiegleb, Johann Christian
Geschichte des Wachsthums und der Erfindungen in der Chemie, in der Neuern Zeit
1790Wiegleb, Johann Christian and Johann Christian Polykarp Erxleben
Anfangsgründe der Chemie
Goettingen, 1775Bergman, Torbern and Johann Christian Wiegleb
Geschichte des Wachsthums und der Erfindungen in der Chemie in der Ältesten ...
1792もうすこしきちんと数字を出しておきましょう。
ガリカにはまったくなし。
ウェブキャットでは、2点。
Die naturliche magie aus allerhand belustigenden und nutzlichen Kunststucken bestehend : erstlich zusammengetragen
von Johann Christian Wiegleb ; fortgesetzt von Gottfried Erich Rosenthal
Berlin ; Stettin : F. Nicolai, 1801
(BA73745140)Historisch-kritische Untersuchung der Alchemie, oder der eingebildeten Goldmacherkunst
Leipzig : Zentral-Antiquariat der Deutschen Demokratischen Republik, 1965, Repirnt of 1777 edition.
(BA5987755X)つまり、錬金術史の著作だけが日本の図書館には所蔵されていることになります。
ひとりで5時半。晴れ。今日は小学校の学校開放日、昔の授業参観日です。どの程度いけるかはいちにあかんぼう次第です。
あかんぼうは、やっと風邪から脱しました。わずかに咳は残っていますが、元気いっぱいです。おねえちゃんたちが小学校に行った後、割と早い時間にそと、そとと言い出したので、そのままベビーカーに乗せて連れ出しました。駅まで出かけて、銀行やクリーニング屋さんにより用事をすませて帰りました。その間に妻は、授業参観に。
帰宅したあと、あかんぼうはしばらくビデオを見ていました。
ママ、ママと言い始めてから、歩いて小学校へ。できるだけゆっくりと行きました。校門のところに着くと、警備員の方がつい今し方出て、駅の方に向かったと教えてくれます。校門のすこし先で、ちびの幼稚園のときの知り合いのお母さんが二人でおしゃべりをしてます。あかんぼうはそれを見て、私のお尻の後ろに隠れて、二人の前を通過。3メートルも離れると出てきました。駅に向かったのは買い物に行ったのでしょう。探しに行っても見つけられる可能性は低い。うまく話して、(帰る道にある)ブアーのお店に行こうと誘うと行くと言います。残念ながら、ブアーのお店(模型店)は閉まっていましたが、隣のコンビニでブアーを一台買ってやると満足しました。そして、歩かなくなります。あきらめて、おんぶして帰宅。1分後妻が自転車で帰宅。2時過ぎにちいさいちびが汗をかいて帰ってきました。友達3人で、別の友達のお家に遊びに行く約束をしたと言います。しかし、友達のお母さんとうまく連絡がつかない。
妻があっちこっち連絡して、話をまとめました。あかんぼうはいくらか眠くなっています。連れていくと混乱を引き起こしかねません。私が、住所をもらって、ちびとちびの友達を連れていくこととしました。二人で走る! ついていけません。
はじめてお伺いするマンションでしたが、名前に見覚えがあったので、迷わず見つけることが出来ました。よろしくお願いします、と頭を下げて、そのまま駅まで歩き、電車に。
吉祥寺で降りて、銀行で手続き。ちょっとした買い物をしてから、駒場へ。『私のこだわり人物伝 2006年2-3月 柳田国男 詩人の魂(語り手 吉増剛造)』 日本放送出版協会、2006
電車のなかでは、この本を読んでいました。今の生活のなかで忘れてしまっていることを、ふとしたことで思い出させてくれます。学問的著作であれば、主題に取り上げるような事柄がさらっと一言だけ触れられていたりします。奥深い。
忘れているのは、子ども時代のいなかの未知の世界への感覚です。人間社会の奥深さと怖さと言えばよいでしょうか。非常勤講師室のあと、今日は、図書館には寄らずに、生協購買部だけ一周してから科哲教室に向かいました。
授業では、科学者の方が発表してくれました。日本では、実は、社会学者でさえもかなりは人文系であることがよくわかりました。(私は個人的には、人文系 humanity のどまんなかだと思っています。)
→科学の世界と人文系の世界の差に、いろいろ思うことがありました。今月は、16日目で、100枚を突破。
ひとり遅れて6時半。ちびどもは6時前後。晴れ。数日続いた低温ですが、今日からはやっと普通に戻るようです。[デジタル化の新潮流 ii: Google Book ]
Google Book での調査を継続中です。並び順は実はまだよくわかりません。また、スキャンも粗っぽいのがすくなくありません。さらに例えば、10巻の全集があるとして、第3巻のみが出てくるという不思議さもあります。しかし、意外なものがスキャンされており、検索結果を最後まで見てみる価値があります。具体例が必要でしょう。
[アルベルトゥス・マグヌス]
まず、トップのアダム・タカハシ氏のアルベルトゥス・マグヌスから。
ガリカでは26点ダウンロードできています。(なかなかの充実ぶりです。)
Google Book では著者検索で7件でてきます。うち、ダウンロードできるのは、次の2点です。(1点は、別)Alberti Magni ... De vegetabilibus libri VII, historiae naturalis pars XVIII.
Karl Friedrich Wilhelm Jessen, Ernst Heinrich Friedrich Meyer eds., 1867L'Albert moderne ou nouveau secrets éprouvé et licites recueillis d'après
1769ということで、Albert the Great, Albert le Grand に関しては、ガリカの圧勝(?)。
[ボイル]
ロバート・ボイルでは、著者検索で19点ヒットします。(別人のも少し混じります。)ダウンロードできるのは、次の6点。ボイルの時代にラテン語訳された『懐疑的化学者』を除けば、18世紀、19世紀のリプリントです。宗教関係のものがリプリントされたことがよくわかります。Occasional Reflections Upon Several Subjects
1848The Philosophical Works of the Honourable Robert Boyle Esq.: Abridged ...
Vol.2, 1725Love and Religion Demonstrated in the Martyrdom of Theodora, and of Didymus
1703Treatises on the High Veneration Man's Intellect Owes to God
1835Opera, en anglois, avec notes par P. Shaw
1738Chymista scepticus vel Dubia et paradoxa chymico-physica ...
1677[アグリコラ]
ゲオルグ・アグリコラでは。著者検索で、7点ヒットします。(ただし、最後の2点は、Georg Andreas Agricolaのもの)次の3点がダウンロードできます。De animantibus subterraneis liber
1549Georg Agrikola's Bermannus
Translated into German by Friedrich August Schmid, 1806Georgii Agricola De peste libri tres
1554[クレル]
ローレンツ・クレルでは、次の1点。Neues chemisches Archiv
1784[トロムスドルフ]
トロムスドルフは、次の2点。Allgemeine chemische Bibliothek des neunzehnten Jahrhunderts
1804Ueber die Bereitung des Bleiweisses im Grossen
1837[グメリン]
グメリン (Johann Friedrich Gmelin, 1748-1804 ) では、3点。A Botanical Nomenclator: Containing a Systematical Arrangement of the Classes, Orders, Genera, and Species of Plants, as Described in the New Edition of Linnaeus's Systema Naturae, By Dr. Gmelin, of Gottingen.
By William Forsyth, Junior
London, 1794Caroli a Linné... Systema naturae per regna tria naturae, Secundum Classes, Ordines, Genera, Species; cum Characteribus, Differentiis
Cura Jo. Frid. Gmelin,
Tomus Primus, Lugduni, 1789
Tomus II. , Lugduni, 1796
Tomus III. , Lugduni, 1796
Carl von Linné, Johann Friedrich Gmelin
Natursystem des Mineralreichs
1778
ちいさいちびといっしょに7時10分。雨。強い雨。
あかんんぼうの咳はひどくなっています。30秒とおかず、といった感じになりました。妻が雨のなか朝一番で近所の小児科に連れていきました。喉はまっかだが、気管支は大丈夫との診断でした。疲れていますが、午後は、会議。
1時〜2時半:大学院企画運営室会議
2時半〜5時35分:学部教授会
はやめに家を出て、まずは図書館で次の本を受け取りました。相互貸借で頼んでいたものです。
サバドバリー
『分析化学の歴史 : 化学の起源・多様な化学者・諸分析法の展開』
阪上正信 [ほか] 訳、 内田老鶴圃, 1988
全体としては、とても良くできています。普段あまり注目されない化学の基礎的部分、分析法、分析技術そのものの発展を追ったよい本です。
ただし、細部においてはいくらか問題があるかもしれません。例えば、ボイル。「王立協会の会長になった」という記述があります。別の場所に記したように、ボイルは選ばれましたが、固辞しています。つまり、会長にはなっていません。また、ボイルの最初の著作の出版年を1660年としていますが、実際は1659年です。
ちびどもといっしょに6時40分。朝のあいだに、日曜日の宿題を2点こなしました。日曜日の夜から月曜日の朝にかけて3点処理しています。いちおうこれで宿題は処理を終えました。残るは、ルーティンワークです。これももうしばらくかかります。(手をつけようとするとあかんぼうがやってきて邪魔をするという泣きたくなる状況です。)
もしかしたら、落としたことがあるかもしれませんが、一応、ルーティンワークの方も処理できました。約3時間。細かい作業が多いので、気持ちの負担が大きい。疲れているときにはどうしても見落としが多くなります。ゲラがときに、きちんとチェックしようと思っています。
おおきいちびは、昨夜からジンマシン。朝もすこし残っていましたが、元気だったので学校に行かせました。帰ってきてまたすこしジンマシンがでてきました。疲れでしょうか。
あかんぼうは、しばらく前から咳。昨日当たりから明らかに風邪の咳に変わりました。気をつけないといけないなと思っていると、夕食前に、どばーともどしました。本人はいたって元気で、やんちゃをしています。ああ、やれやれ。こういうときの相手が一番疲れます。
せっかく7時半頃ソファの上で寝付いたと思ったら、30分もしないうちに、咳をして目覚め、もどしました。ちいさいちびほどではありませんが、ちいさいちびの2歳のときのことを思い出します。実は、私もあかんぼうと同じく咳。たぶん、同じ風邪にかかったのでしょう。もちろん、大人ですから、日常生活に支障を来すことはないのですが、ふとしたきっかけで、しばらく咳が止まらなくなります。
夜半に目覚めて、すこし仕事。ながく起きていたせいで、ひとり遅れて、6時40分。
2限3限4限と3コマつづけて授業。3コマ続くと余裕がありません。あれもしよう、これもしようと思っていても、あっというまに4限の終了を迎えます。
帰るときに図書館に寄って、次の論文を受け取りました。
内田星美
「技術史の原典(22)--フランス科学アカデミー「工芸叢書」--ドマシー「硝酸の蒸留ほか」(化学工業)」
『東京経大学会誌』202(1997.3): 149-186John G. McEvoy,
"The Chemical Revolution in context,"
The Eighteenth Century, 33(1992): 198-216内田星美さんのものは、何かと思ったら、翻訳でした。フランス科学アカデミー「工芸叢書」のシリーズの今のところ唯一の翻訳かもしれません。細部に有用な情報があります。
マカヴォイ氏の論文生産量もすごい。18世紀化学史(化学革命論)を中心に歴史記述の問題を扱った多数の論文を著しています。
[ウィリアム・ヘンリー翻訳 ]
坂口正男氏は、ウィリアム・ヘンリーの『化学概要』(すぐに『実験化学入門』と題名変更)の5カ国語(ドイツ語、フランス語、オランダ語、デンマーク語、イタリア語)の翻訳版のうち、イタリア語を除き、参考にしたと書かれています。研究室で、HDの中を見ていると、坂口氏が分析されたManuel abrégé de chimie... traduit de l'anglais de W. Henry, par Bornot,(Paris : Humbert, an XI-1803) とは別のフランス語版の翻訳をダウンロードしてストックしてありました。
Élémens de Chimie Experérimentale, par M. William Henry...Traduit de l'Anglois Sur la sixième Edition, dédiée à M. Dalton, Par H.F. Gaultier-Claubry
2 vols., Paris, 1812
さすがに最初の部分に、先行するボルノの翻訳との差について弁明があります。ボルノは第2版から翻訳されたが、ヘンリーの著作は、版を重ねる毎に、大幅な追補があり、倍以上に膨れあがっている。ドルトンに捧げられている第6版から新たに訳した、という趣旨です。[デジタル化の新潮流 ii ]
昨日の平井さんの読書日記を受けて、そういえば、グーグルブックをきちんと調査するのを忘れていたことに気付きました。(ニュースがあったときに試してみましたが、そのときにはあまり使い勝手がよくなかった。)見違える充実ぶり。
今行っている作業で言えば、ヘンリーの化学教科書の第4版(ニューヨーク、1808)、並びに第11版(フィラデルフィア、1831)がありました。もとの版と比べると、倍近くに膨れあがっています。
大学にでかけてからも調査を続行しました。トロムスドルフ。ドイツ語のものもかなりあります。ドイツ語のものには苦労してきたので、これは助かる。フランス語のものもかなりあります。
そして、何と言ってもうれしいのは、ダウンロードの速度。我が家の環境でも、200K 超の数字が出ていましたが、大学の環境だと、700K を越えていました。800K を越えた瞬間もありました。もうすぐ、1M の世界です。接続先によっては、いまだに、20K程度の速度で我慢しないといけません。1M近くの速度があれば、びゅんびゅんです。
6時10分。予報とおり雨。あかんぼうはすぐに起きてきました。午後遅くに東工大にて編集委員会。
いつもより40分はやく家を出て、東工大図書館に寄りました。次の2点を見ました。(閲覧し、ノートを取った。)
坂口正男「Adolphus Ypey のこと」『化学と工業』19-1(1966): 79-81
「彼がライデンで教えた広義の資料は、オランダ医学会の図書館に収められている。」(p.87)坂口正男「Johann Bartholmaus Trommsdorff(1770-1837)略伝」『化学と工業』35-4(1982): 262-263
「祖父の始めた薬局の長男として、1770年5月8日 Erfurt に生まれた。12歳のときに Erfurt 大学医学教授であった父を失った。・・・14歳のときギムナジウムを退学して、Weimar 侯の宮廷薬剤官 Buchholz(, W.H.S.)の下で徒弟の修行を始めた、きびしい奉公の暇を盗んで宮廷薬局のおびただしい蔵書に挑戦し、重要な化学教科書からの抜書に励んだ。この徒弟時代に書いた最初の論文が Helmstedt 大学の Crell (,L.F.von) 教授の目にとまり、Crells Chemische Annalen(1787, Bd.1) に掲載された。・・・1789(19歳)帰郷し、薬局の経営を継いだ。」(p.262)
「ドイツ語版が仲立ちになって、オランダ、フランス、イタリア、デンマークの各国語に移された。・・・筆者はこの稿を、彼の著作や J.G.W. Mensing のTrommsdorff伝(1839) などを参考にして記した。」(p.263.)
2頁と3頁のものです。坂口氏のせいではありませんが、物足りないのは致し方なしか。編集委員会はほぼ予定通り、2時間すこしで終了し、そのまま取って返しました。7時に駅に到着。セイユウで紙とドリンク剤を買ってから帰宅。
[デジタル化の新潮流 i ]
今渡英中の那須敬氏の4月30日の日誌に、デジタル化の向かう先に関する考察があります。私も同じ悩みを持っています。(きちんとした記憶はありませんが、このページにも似たようなことを書いたと思います。)今日話題にしたいのは、次の文章です。
「富士通のScanSnapという高速スキャナに出会ってから、コピーした論文はどんどんスキャンしてPDF化するようになった。」そして、必要なものには、OCR をかけておく。
私自身はまだそういう体勢になっていません。整理できないで部屋のなかに山脈を作っている紙の資料と格闘しています。しかし、そろそろ、保存の基本は pdf とした方がよいか、と考えていたところだったので、まさにぴったりの情報提供でした。
(そういえば、口頭で EEBO の存在を教えてもらったのも、那須敬さんからでした。那須さん、いつも貴重な情報、ありがとうございます。)ネットで値段とウィン&マックの差を調べてみました。
Mac専用モデルでは、「検索可能なpdf変換」と「e-スキャン」の項目に「×」がついています。これは、ウィンモデルを選ぶしかありません。
値段は3万弱のものと、5万前後の2つに別れます。たぶん、速さの差が中心でしょう。もうすこし検討してから、遠からず、どちらかを購入しようと思います。(最初は研究室に導入することも考えます。)EEBO も ECCO も研究環境を一変したと言えるデジタルライブラリーです。ダウンロードは EEBO の方が楽ですが、トムソン&ゲイルの運営する ECCO はなんと言っても、全作品を対象とする検索がかけられます。用語/術語の調査には、絶大な威力を発揮します。そう、一度使うと後戻りできない世界です。
6時前。あかんぼうはとっくに起きていました。ちびどもは6時過ぎ。雨。週末は雨の模様。昨日、駒場図書館でコピーをとったものです。
坂口正男
「W. Henry の Epitome of Chemistry のフランス語版についての覚え書き」 『科学史研究』No.95(1970): 139-150.坂口正男
「『測山説』について」 『科学史研究』No.96(1970): 185-190.矢島祐利
「物理的科学に関する渡来外来書―オランダ書の部―」 『科学史研究』No.1(1941): 111-114.矢島祐利
「本邦における究理学の成立(II)」 『科学史研究』No.8(1944): 150-177田中実
「化学」 『日本科学技術史』朝日新聞社、1962, pp.125-152.→上記の文献に目を通しました。坂口正男氏の研究の出発点が確認できました。
矢島祐利氏は、両論文において、『舎密開宗』の直接の原本は、Adolphus Ypey, Sijstematische Handboek der beschouwende en werkdadige Scheikunde 9 vols., 1804-1812 としている。
また、イペイの原著は、W. Henry, Elements of Experimental Chemistry 1803 としている。記述は、「といふ書らしいが筆者は未見である。」(p.170)田中実氏は、「『舎密開宗』の原著は「序例」によると、イギリス、マンチェスターの化学者ウィリアム・ヘンリー(W. Henry, 1774-1836) のElements of Experimental Chemistry (1799) である。この本は広く普及し30年間に十一版を重ねた。その再版をドイツのエルフト大学教授ですぐれた薬学者であったトロムスドルフ(J.B. Trommsdorff, 1770-1837) を独訳したものから「和蘭ノ医学教頭兼舎密教諭、亜独 布斯・依百乙」が重訳し、1808年アムステルダムから出版した蘭書が『開宗』の直接の原書である。」(p.135)としている。
この田中実氏の記述が、坂口正男氏の研究の出発点だったと言えるでしょう。さて、坂口正男氏の「W. Henry の Epitome of Chemistry のフランス語版についての覚え書き」は、可能性を秘めた論文です。
p.141 に「この論文のために、筆者はイタリア語版を除いた5カ国語のEOC翻訳版を参考にしたのである。」とあります。立派です。
中心的に検討しているのは、Capitaine Bornot, Manuel abrégé de chimie... traduit de l'anglais de W. Henry, par Bornot,... Avec de nombreuses additions tirées des auteurs francais,Paris : Humbert, an XI-1803です。この書の紹介・分析が面白い。
ざっと調べたところ、欧米の科学史研究ではこの書物を分析の対象にしたものは、まったくないようです。(まったくないと断言できるまでは調べていませんが、私が日常使っている検索エンジンではまったくひっかかりません。上の書誌も、BNのサイトでやっと見つけたものです。)
18世紀から19世紀への世紀の転換点における各国の化学教科書の比較とその背景(national context)というふうな論文に発展させることができれば、大ヒット論文になることができるでしょう。「5カ国語のEOC翻訳版を参考にした」(5カ国語とは、ドイツ語、フランス語、オランダ語、デンマーク語、イタリア語の5言語)というのは、具体的にはどうされたのでしょうか? Manuel abrégé de chimieは入手されたようですが、その他のものはどうしたのでしょうか? 注にも一切どういう経路でどういう形のものを入手したのか書かれていないのは、かえすがえすも残念です。
[ヘンリーの化学教科書:目次]
手間はかかりましたが、ヘンリーの化学教科書の目次を table tag で作成しました。
William Henry, An Epitome of Chemistry(1801), Table of Contents
(実際のものより、見やすくしています。同頁の意味の"ib" は具体的な数字に置き換えています。省略された文字を補足したバージョンも作った方がよいかなと思っています。)[ヘンリーの化学教科書:序文]
序文もテキスト校正しました。THE small volume, which I now offer to the public, is one of humble pretensions : yet its plan and objects appear to me sufficiently distinct, from those of every other compendium of chemistry to authorize the addition of one more to the extensive list of elementary works. The " Chemical Pocket Book" of Mr. Parkinson, and the " Description of a Portable Chest of Chemistry," translated from the German of Gottling, and published in the year 1791, might, perhaps, from the similarities of title and size, be supposed to have precluded the necessity of this publication. A very cursory comparison, however, of Mr. Parkinson's work, with this manual, will evince that the plan and objects of the two books are totally different. To the work of Mr. Gottling, the present bears, indeed, a nearer resemblance , but the coincidence is not such, as to supersede the utility of this epitome. The enumeration of tests for minefal waters ; the instructions for applying these reagents ; and the rules for detecting adulterations, are subjects common to both. But the progress of chemical knowledge, during the last ten years, has been so rapid, as to enable me to make numerous additions to the information of Mr. Gottling ; and to induce me materially to vary the arrangement, under which it was offered. It may be added, that the ancient nomenclature of chemistry, employed throughout Mr. Gottling's work, must render it nearly unintelligible to students of the reformed system.注目に値する多くの点はすでに坂口正男氏が分析しています。The arranged series of experiments was suggested to me as proper for publication, by a written catalogue, which I drew up, more than two years ago, of the experiments performed during my course of chemical lectures. This I deem it necessary to state; because something similar is to be found in an excellent manual, lately published by Bouillon la Grange.
Another object, which I propose to be fulfilled by this epitome, is, that it may serve as a companion to the collections of chemical substances, which I have been induced, by the repeated applications of students of this science, to fit up for public sale*. The utility of these collections has, hitherto, been limited, by the want of a concise but comprehensive code of instructions for their use. With the concurrent aid of the first part of this work, and of a corresponding chest of chemical re-agents,
* See the advertisement at the end of the work,
the labours of the student cannot fail to be much facilitated: for one of the principal difficulties in studying the science of chemistry, experimentally, is the acquisition of a great variety of substances, many of which are not easy of attainment. The directions for analyzing waters, and mineral bodies in general, I shall enable any one to apply practically, by corresponding collections of chemical tests, of so small a bulk, as to add, in the least possible degree, to the incumbrances of the traveller.
In a work, professedly compiled from others, new and original information is not to be expected ; and it cannot be necessary to quote all the authorities for facts. If there be any one author, to whom I owe most, it is certainly to Mr. Kirwan, whose interesting and masterly Works comprehend almost every subject of chemical enquiry. The directions for analyzing minerals are translated, with considerable additions and alterations, from Vauquelin's paper, in the 30th volume of the Annales de Chimie.
I have now only to intreat the candid indulgence of the reader towards the errors and omissions which will doubtless be found in this work ; and in apology for which, I have to allege, that on undertaking the publication, I had a prospect of considerably more leisure, than fell to my lot in the prosecution of it. This apology, I am under the necessity of prefixing, also, to a second edition ; the rapid sale of the first having allowed me no time for material alterations, and having limited me to a few verbal corrections.
Manchester,
June 26, 1801.
ひとり遅れて6時40分。昨日こどもたちは全員髪を切っていました。帰宅したときにはもう寝ていて見ることができなかったあかんぼうもずいぶん短くなっていました。アンパンマンカットだそうです。ますますやんちゃぼうずの顔になりました。実際ほんとうにやんちゃぼうずです。ときについていくのがしんどい。[ヘンリーの化学教科書:文献]
せっかくH氏に教えてもらって、pdf とテキストファイルがあることなので、何点か紹介しておきましょう。(ただし、テキストファイルの方は、明らかにOCR をかけてそのままアップしています。認識率はかなり高いので使い物にはなりますが、実際使うときには画像ファイルと対照ししつ使わなければなりません。)
(OCR を使われたことがない方は、pdf とテキストファイルを見比べてみて下さい。OCR をかけた場合、どういうテキストが生成されるかの生の事例を与えてくれます。)
まずは、最後に掲げられている「化学の基礎的書物のリスト」。一般読者の便のために、少数の化学の基礎的書物のリストを掲げようとあります。12点。1. Lavoisier's Elements of Chemistry, 8vo.
2. Lavoisier's Works, from the French, by Henry, 1 vol. 8vo. and a pamphlet.
3. Chaptal's Elements of Chemistry, 3 vols. 8vo.
4. Nicholson's First Principles of Chemistry, 8vo.
5. Nicholson's Chemical Dictionary, 2 vols. 4to.
6. Thomson's Translation of Fourcroy's Chemistry, 3 vols. 8vo.
7. Gren's Principles of Chemistry, 2 vols. 8vo.
8. La Grange's Manual of Chemistry, 2 vols. 8vo.
9. Pearson's Chemical Nomenclature, 2d edition, 4to.
10. Parkinson's Chemical Pocket Book.
11. Nicholson's Philosophical Journal, published monthly.
12. Philosophical Magazine, published monthly.
以上12点に付け加えて、最近フランスで出版されたフルクロワの大型本。これは今ニコルソンが翻訳している最中であり、タイトルは、『化学知識の体系』となろう。
こう付言されています。→こういうふうになるのかというリストです。ヘンリーはなによりもカーワンを重視していますが、一般的にはこういう書物を参考書として推薦しているわけです。
そして、もっと興味深いのは、その次の出版広告です。
William Henry,
A general View of the Nature and Objects of Chemistry, and of its Application to Arts, and Manufactures
Thomas Henry
An Account of a Method of preserving Water at Sea
Thomas Henry
Experiments and Observations on the following subjects
1. On the preparation, calcination, and medicinal use of Magnesia
2. On the solvent qualities of calcined Magnesia.
3. On the variety in the solvent powers of quick-lime, when used in different quantities.
4. On various absorbents as promoting or retarding putrefaction.
5. On the comparative antiseptic powers of vegetatable infusions prepared with lime, &c.
6. On the sweetening properties of fixed air.M. Lavoisier
Essays Physical and Chemical
translated from the French, 8vo. 7s.M. Lavoisier
Essays on the Effects, produced by various Processes, on Atmospheric Air, with a particular View to an Investigation of the Constitution of Acids
translated from the French, 8vo. 2s. 6d.ラヴォワジェの2点の英訳に関しては、次のNB(注記)がついています。「この2点の著作が与えてくれるのは、空気化学の進展に関する歴史的な見通しであり、また、驚くべき着想のもとなされたラヴォワジェ氏の精確な実験の十全な実に興味深い展開である。そうした実験が改革された化学体系の基礎を与える。」
Memoirs of Albert de Haller 12mo. 3s.
そして、最後のページに「ウィリアム・ヘンリーの携帯化学箱」の宣伝があります。
DESCRIPTION AND PRICES OF THE PORTABLE CHEMICAL CHESTS,
INVENTED BY WILLIAM HENRY,
And sold by him at his Laboratory in Manchester,
No. 1. A large double mahogany chest, with folding doors, containing eighty-six strong square bottles, with ground and cut stoppers, filled with tests, &c. and so arranged that the labels may be seen at one view ; together with five drawers, in which are various articles of apparatus; accurate scales, decimal weights, improved blow-pipe and spoon, complete ....... 15 guineas.
No. 2. A chest of similar construction, but smaller; containing fifty-two bottles, with other articles, as in No. 1 . ..... 11 guineas.
No. 3. An upright chest, box shaped, intended chiefly as a travelling companion ; holding thirty-six bottles, with a drawer, containing articles and apparatus, as in the two foregoing ones .................6 guineas and a half.
N.B. Any one of the foregoing chests may be had either with or without the scales and blow-pipe. If sold without scales and weights, 16 shillings may be deducted from the foregoing prices ; and 14 for the blow-pipe and spoon.
The tests are all prepared with the most scrupulous attention to accuracy ; and supplies may be obtained, by purchasers of the chests, when the stock they contain is exhausted.
Letters, containing orders for the chests, which will be sent, carefully packed, to any part of Great-Britain, to be post paid, and a remittance of the value will be expected before the chest is delivered to the carrier.
→これは、実に興味深い。
実は今回坂口氏の研究を読んで、もっとも面白いと思ったのは、(目的外ではあるのですが)次の記述です。NO.80(1966), p.172.
(トロムスドルフのCFD(1803)から引用して。)
「さいごに、実験に必要な化学薬品を手に入れたい人は、私の店で、廉価に手に入れることができることを申し添えておきたい。また Chemische Probierkabinette (化学実験用の器具や薬品を備えた小箱)も私の店で買うことができる:値段は1部なら41/2 Friedrichsdor, 2部なら8 Friedrichsdorである。」
坂口氏は解説して、「と商売上の宣伝もしていることはおもしろい。けだし彼の家は、祖父の代から続いた薬局であったことを思えば当然のことでもある。さらにそれについての参考書として彼の著書Trommsdorff's Chemische Probierkabinette, oder Nachricht von dem Gebrauche und den Eigenschaften der Reagentien. Zweite Ausgabe. Erfurt, 1806を紹介して、1807年2月の日付と署名で結んでいる。」さて、ヘンリーの推薦する12点の正確な書誌を記しておきましょう。
Chaptal, Jean Antoine Claude, Count de Chantelou
Elements of chemistry
3 vols., London, 1791Nicholson, William The first principles of chemistry
London, 1790.Nicholson, William.
A dictionary of chemistry, ... with a considerable number of tables, ... Illustrated with engravings.
London, 1795.Fourcroy, Antoine-Francis de, comte
Elements of natural history, and of chemistry: being the second edition of the elementary lectures on those sciences, first published in 1782, ...
4 vols., London, 1788 / orFourcroy, Antoine-Francis de, comte
Elements of natural history and chemistry. By M. Fourcroy; ... Translated from the last Paris edition, 1789, being the third,
3 vols., London, 1790Gren, Friedrich Albrecht Carl
Principles of modern chemistry, systematically arranged, by Dr. Frederic Charles Gren, ... Translated from the German; with notes and additions
2 vols., London, 1800Bouillon-Lagrange, Edme Jean Baptiste, 1764-1844.
A manual of a course of chemistry : or, A series of experiments necessary to form a complete course of that science
Translation of Manuel d'un cours de chimie.
London, 1800[Pearson, George 1751-1828].
Guyton de Morveau, Louis Bernard baron A translation of the Table of chemical nomenclature, proposed by de Guyton, Lavoisier, Bertholet, and de Fourcroy; with additions and alterations : to which are prefixed an explanation of the terms, and some observations on the new system of chemistry
London, 1794Parkinson, James
The chemical pocket-book, or memoranda chemica; arranged in a compendium of chemistry, according to the latest discoveries, with Bergmanユs table ...
London, 1800
5時半。昨日お昼の3時半から爆睡したあかんぼうは、起きています。まだ好天。ちびどもは、6時過ぎ。午後に3コマの授業。
ああ、やばい。4限の途中からふらふらしはじめました。2回失神したときの感覚からすれば、ここで何か無茶をするとダウン寸前という感じです。たぶん、1時間睡眠をとると回復するのでしょうが、授業中に寝るわけにはいかない。
つらいかんじはなかったので、そのまま授業を続行。状態を確かめ確かめ、ゆっくりめで帰ってきました。
(歩いてみて、くらーが激しいとタクシーを使うことも考えたのですが、まあ、そこまでは激しいくらーではありませんでした。)帰宅後は、ご飯を食べて、さっとお風呂に入り、すぐに横になりました。
1時間ぐらい横になっていたら、8〜9割までは回復しました。原因は疲れではないかと思われます。よれよれになって帰宅すると次の本が古書店より届いていました。
ジョン・フェザー
『イギリス出版史』箕輪成男訳、玉川大学出版部、1991
次のものをダウンロードしました。
Naigeon, Jacques-André(1738-1810)
Encyclopedie méthodique. Philosophie ancienne et moderne
3 vols., 1791Kirwan, Richard
An essay on the analysis of mineral waters
London, 1799Kirwan, Richard
Additional observations on the proportion of real acid in the three antient known mineral acids, and on the ingredients in various neutral salts
Dublin, 1799Kirwan, Richard
Index to Mr. Kirwan's Mineralogy
[London], [1785?]
ちびどもといっしょに6時すぎ。連休があけました。まだ好天。小学校と幼稚園のほぼ中間の時間にでかけました。まず、大学へ。連休前に着手して半分で終わっていた書類の処理にかかりました。ほぼ1時間。
そのまま今度は駒場へ。駅前のマックでいつものフィレオフィッシュとアイスティー。近所のコピー屋さんに製本を3点依頼してから、図書館へ。図書館では、次のコピーを取りました。
坂口正男
「「舎密開宗」における化学親和力の観念」『科学史研究』通号 67(1963): 113-120坂口正男
「「舎密開宗」の研究-2・3-」『科学史研究』通号 72(1964): 145-151, 151-156坂口正男
「Adolphus Y peyのChemie voor Beginnende Liefhebbersと「舎密開宗」-」『科学史研究』通号 73(1965): 24-29坂口正男
「Chemie voor Beginnende Liefhebbersについて二・三のこと」『科学史研究』通号 78(1966): 49-53坂口正男
「ふたたび「舎密開宗」の原本について」『科学史研究』通号 80(1966): 171-178坂口正男
「「舎密開宗」における化学親和力の観念-2--」『科学史研究』通号 83(1967): 124-132坂口正男
「「舎密開宗」の薬学関係引用書について」『科学史研究』通号 86(1968): 49-56坂口正男
「明治前日本化学史」『科学史研究』通号 130(1979): 105-121山根正次
「レオミュール「鉄鋼論」の金属学史的意義」『科学史研究』通号 67(1963): 106-112
(→レオミュール「鉄鋼論」に関して、基本的な2次文献は、Cyril Stanley Smithの編になる、次の書であることがわかりました。
Reaumur's memoirs on steel and iron
a translation from the original (L'art de convertir le fer forge en acier, et l'art d'adoucir le fer fondu, ou de faire des ouvrages de fer fondu auffi finis que de fer) forgeprinted in 1722, by Anneliese Grunhaldt Sisco ; with an introduction and notes by Cyril Stanley Smith
Chicago : University of Chicago Press, 1956)山根正次
「古典金属学の起源」『科学史研究』第1巻第3部(1962): 105-109肱岡義人
「Philosophical Transactionsに見る18世紀前半の化学と社会(1)&(2)」『科学史研究』通号 130(1979): 35-47, 74-79John G. McEvoy,
"Modernism, Postmodernism, and the Historiography of Science," Historical Studies in the Physical and Biological Sciences, 37(2007) : 383-408私のカードで10冊借りることができるということです。『舎密開宗 研究』とOSIRIS Second Series, Vol.4: The CHemical Revolution: Essays in Reinterpretation(1988) の2冊を借り出しました。
『舎密開宗 研究』は電車のなかで読み始めました。坂口正男氏の論考のみまずは目を通しました。なるほど。→私の関心は、坂口氏がどういうふうに資料を扱ったかということです。
0.前提:1960年代から70年代にかけてなされた日本化学史の基礎的な仕事です。その価値は十分理解しています。また、今日簡単にできることから、過去において困難であったことを断罪するつもりはまったくありません。しかし、今日的観点から足りないと思われる点を指摘することには、(もしかしたら坂口氏のあとほとんど止まっているかもしれない)研究を進展させるために必要なことだと考え、敢えてあと智恵の批判をしてみます。1.海外の図書館・アーカイブに直接赴くことをしていない。
(BLやBN等、西欧の大きな基幹的図書館に調査に赴いていれば、簡単に解明できたことがあります。)
(坂口氏の活躍された時代に、子供時代を過ごした私には、その当時海外が如何に遠かったか、財政的にも心理的にも壁が高かったかは理解しています。でも、欧米に調査旅行に赴くことは可能であった。)2.ウィリアム・ヘンリーの化学教科書(最初は『化学概要』、すぐに『実験化学初歩』と改名)について、どういう仕方でどういう酒類の資料を入手されたのか、明示されていない。
(研究は、人文系であれ、検証のために開かれているべきです。科学の場合には、追試が可能なように、実験手法を明らかにします。それと同じように、貴重な資料であれば、所在や入手経路を明示すべきだと考えます。そうすれば、別の研究者が内容を検証したり、別の観点から見直したりということができるようになります。もちろん、研究者集団のあいだに十分な共通理解が存在する場合には、その必要がないでしょう。)
本文の記述から判断すると、入手されたのは、Epitome of Chemistry(1801) ならびにElements of Experimental Chemistry(6th ed., 1810) の2点のようです。『実験化学初歩』については、「筆者が見たのは1810年刻の第6版」(3頁下)と明示されています。(この書き方からすると、入手されたのわけではなく、どこかの図書館で閲覧した、あるいは誰か持っている人に見せてもらっただけかもしれません。)
(さて、坂口氏の時代、コピー機は普及していなかったはずです。青焼きがやっとあったでしょうか。マイクロフィルムはあったと思われます。この辺は、年代がはっきりしないので、調査してみます。)(私が、書誌学の調査のために1980年代によく使ったアメリカの議会図書館のThe National Union Catalog は、本編が1968-80、補遺が1980-81出版です。ちなみに、大英図書館の『一般カタログ』は、1979-、フランス国立図書館の『一般カタログ』は1897-1981です。坂口氏の時代には、フランス国立図書館の『一般カタログ』だけが使えたことになります。もちろん、使われた形跡はありません。)
→08.5.8 昨日取った論文のコピーを読みました。事情がもうすこし見えてきました。
2”.ヘンリーの化学教科書
N.67(1963), p.113 には次の記述があります。
「筆者は幸にも、田中実先生の好意あるご教示によって『舎密開宗』訳述の原本となった Adolphus Ypey の Sijstematische Handboek der beschouwende en werkdadige Scheikunde 全巻に接することができた。」
(9巻構成、1804-1812)
この時点では、坂口氏は、『舎密開宗』の原本をイペイの『体系的ハンドブック』(1804-1812)の方だと考えていたことがわかります。(それまでの研究史がそういうふうに位置づけていたようです。特に田中実『日本科学技術史』朝日新聞社、1962, pp.134-140.)注1)(p.120)に次のようにあります。
「訳述の原本は イギリスの W. Henry の Elements of Experimental Chemistry(1799) をJ.B. Tromsdorff がドイツ訳したものを、さらにオランダのAdolphus Ypey が蘭訳した Sijstematische Handboek der beschouwende en werkdadige Scheikunde (1804-1812)全9冊のものだ・・・」
ヘンリの原本も、1799年刊の『実験化学初歩』を挙げています。
これが研究の出発点における坂口氏の認識でした。No.72(1964), p.145,146 に次の記述があります。
「『開宗』訳述の原本は現在Adolphus Ypey 著の Sijstematische Handboek der beschouwende en werkdadige Scheikunde (1804-12) ) Vols. (これをSHS と略記する)であるとされている。」
「しかるにSHS の原本となったとみられる W. Henry(1775-1836) のElements of Experimental Chemistry (筆者のみたものは1810年刻の第6版である。それより前の版は本国において散逸して無いよしである。)(ECCと略記する)」
そして、内的証拠から、「SHSは訳述の直接の原本とは別の本で、参考書として挙げている『依氏広義』ではないかと推論した。」同じく、No.72(1964), p.151に「『開宗』の究極の原本である W. Henry(1775-1836) のElements of Experimental Chemistry の第2版は本国においても散逸していて資料が入手できないが、資料が残っている第6版(1810刻)には」という記述があります。
また最後に「おわりに Ypey の本についてご教示頂いた矢島祐利、田中実両教授ならびに漢文の読解に対してご指導を仰いだ本学岡田武彦教授、那須清助教授に深く感謝の意を表する。」とあります。イペイの書について進展があったのは、No.73(1965) です。最初に次のようにあります。P.24.
「筆者は前報において『舎密開宗』訳述の直接の基本原書は 1803 年初版の Ypey による Chemie voor Beginnende Liefhebbers (CBL)であることを推定しておいた。ただ執筆当時国内においてこの本の所在を確認するに至らなかったので断定することができなかった。しかしオランダ本国にこの本が残存していることが分かったので、その内容を詳細に調べたところ筆者の推論に間違いのなかったことを確認することができた。」
表紙の写真を貼付しています。
さて、この坂口氏の記述からは、どういう形で入手されたのか、はっきりとしません。コピーでしょうか、マイクロでしょうか。あとがきには次のようにあります。
「またこの機会に玉虫文一先生のご助言と筆者のささやかな研究のための文献の検索と複写に協力いただいた九州大学附属図書館の堺弘氏らおよび東京大学附属図書館の鈴木潤二郎らおよび国立国会図書館の皆様に感謝の意を表しておきたい。」No.80(1966), p.171 に次の記述があります。
「この考えのもとに、Trommsdorff (以下、T. と略記)のドイツ語訳本の探索をはじめたのであった。西ドイツから東ドイツへと、その所在をつきとめるのに相当の時間を要したが、その甲斐あって筆者は、CBL のドイツ語原本のコピーを手にすることができた。その書名は Chemie Für Dilettanten(1803年初版、以下CFD と略記)というものであった。」
「そしてさらに、Henry の英語版の原著名は、EECではなくて、An Epitome of Chemistry(1801年初版、以下EOCと略記)という title であることがわかった。」
この記述によって、やはりコピーで入手された可能性が最も高いことがわかります。[追記]p.178 に次の言葉があります。
「その構成といい、文章のスタイルといい、また対応のみごとさからいってEOC とEEC は同じ本としか考えられないので、筆者の意見をそえた上で大英図書館の書誌部を煩わし、その間の事情の調査に協力を依頼していたのであったが、このほど筆者の推論に間違いのなかったことがわかった。すなわち、Dictionary of National Biography に、W. Henry のElements of Experimental Chemistry(EEC) ははじめAn Epitome of Chemistry(EOC)の title で1801年に出版され、あとで増補増訂されてEEC のtitle に変わったことが記されてある。・・・・
また以上のことから、Ihde の『化学史』などに書いているEEC 初版の発行年1799年あるいは1796年というのは誤りであって、1801年でなければならない。ここで訂正しておきたい。」86(1968), p.50 には次の言葉があります。
「さきに本誌 No.67 の報告で付記しておいたように、筆者は当時佐賀県の武雄文庫で見た T. の Leerboek der Artsenymengkundige, Proefondervindelijke Scheikunde(LAPS, 第3版、1832)が、あらゆる点から見て、この『合薬舎密』原本(1815)と同じものであろうと推測した。。。」
「幸いにもドイツ語原本の T. 著 Leerbuch der pharmaceutischen Experimentalchemie( LPE, 第2版、1803)を探し出すことができた。」→以上の記述を総合すると、坂口氏が「見た」と書かれた場合、図書館や文庫で閲覧したという意味のようです。そして、海外の図書館の蔵書に関しては、所蔵を手紙で問い合わせているようです。そして、可能であれば、コピーを入手している。(コピーを入手したと明示されているのは、Chemie Für Dilettanten(1803) のみですが、論述の様子からすると、ほかにもコピーで入手されたものはあるかもしれません。ともあれ、ウェブキャットの検索範囲に入っていない機関に所蔵されているものを利用(現地に行って閲覧)されたのも少なくないようです。
ひとり遅れて7時過ぎ。昨日すこし遅くまで起きて仕事をしていたせいです。好天。ちびどもを公園に連れていきます。先週の金曜日、仕事からの帰り道、駅前の本屋さんで、6月号の『論座』『月刊現代』『ニュートン』を買ってきています。時間の隙間に少しずつ読んでいます。雑誌が雑誌なのは、ちいさな記事にけっこうよいものがある点です。
『論座』では、グラビアの「欲望の惑星(3) コモンズの悲劇」(写真と文:桃井和馬)pp.179-182が秀逸です。
さらに、ふるいよしこさんが聞き手となっている、「シリーズ中国アップデート」pp.166-171もよくわかる記事です。台商から見たアジアの現状認識です。10年のスパンで考えれば、こうなるしかない、そうするしかない、という現状認識=向かうべき進路が示されています。東アジアの国際関係について、体験値と見通しの両方を備えた人はいる。しかし、日本のマスメディアはそういう人の声を取り上げていません。
無知の声だけを拡声しているように私には見えます。
6時半。曇り。
朝ご飯を用意しているあいだに、残り全員起きてきました。そういえば、子どもの日です。[18世紀化学史]
一昨日の続き。エチエンヌ・ジョフロワ。Geoffroy, Étienne-François, 1672-1731
私が検索できた範囲では、nii に1次文献も2次文献も全くありません。なんという貧しさ。(動物学者エチエンヌ・ジョフロワ・サンティレールについてはそれなりの数あります。)彼の提示した「親和力表」は非常に重要なのに、このていたらく。Geoffroy, Étienne-François
A new treatise on British and foreign vegetables, which are now constantly used in the practice of physick,
London, 1751A table of affinities between several substances: by Mr. Geoffroy.
[London], [1780?]ギトン・ド・モルヴォ(Guyton de Morveau, Louis-Bernard , 1737-1816)
日本語の2次文献は nii では見つかりません。1次文献はわずかにあります。どういう経緯か不明ですが、専大図書館が5点、下のRapport等を所蔵しています。
こちらも経緯は不明ですが、筑大図情が次の6巻本を所属しています。 Encyclopédie méthodique: Chymie, pharmacie et métallurgie
化学の項目をギトン・ド・モルヴォが書いています。薬学は、M. Maret。冶金学の項目は、デュアメル。
→自己レスです。平成13年度の「大型コレクション」予算で、全200巻を購入したとあります。パンクック『系統的百科全書』と表示しています。"méthodique" は、この場合には、もとの『百科全書』がアルファベット順だったものを、要するにジャンル別(分野別)に整理し直したということです。(「系統的」はあまりよい訳ではないと思われます。)Guyton de Morveau, Louis-Bernard (1737-1816)
Défense de la volatilité du phlogistique
[S.l.] : [s.n.], [1772]Mémoire sur l'éducation publique
s.l., s.n., 1764Mort aux tyrans : programmes des cours révolutionnaires sur la fabrication des salpêtres, des poudres et des canons
[S.l.] : [s.n.], [an II, 1794]Opinion de M. L. B. Guyton, concernant la retenue des impositions sur les intérês des capitaux liquidé
[Paris] : [de l'Impr. nationale], [1791]Rapport fait au nom du Comité de salut public, par L. B. Guyton
[Paris] : [de l'Impr. nationale], [an III, 1795].Rapport fait à l'Institut national, classe des sciences physiques et mathématiques, sur les résultats des expériences du citoyen Clouet sur les difféfents états du fer et pour la conversion du fer en acier fondu,
[Paris] : [Impr. de la République], [1798].Traité des moyens de désinfecter l'air, de prévenir la contagion et d'en arrêer les progrès,
Guyton, Louis-Marie (1794-1869)
Topographie et statistique médicales de la ville et de la commune d'Autun,
Autun : impr. de M. Dejussieu et L. Villedey, 1852Académie royale des sciences
The philosophical history and memoirs of the Royal Academy of sciences at Paris: or, an abridgment of all the papers relating to natural philosophy
5 vols., London, 1742
ECCO『科学史技術史事典』の問題点。
なんと、フルクロワもギトン・ド・モルヴォも立項されていません。(他の項目において言及はされています。)
せっかくですから私の気付いた範囲で、欠けている項目を記しておきます。
ラルフ・バサースト、ジャン・ベガン、ビリッヒ、デュアメル、ジョン・デューリー、エルカー、テオドール・ハーク、ジョン・ペル、は、人名索引にも取り上げられていません。人名索引がきちんと作られていると前提すると、この辞書のなかでは一度も言及されていないということになります。
記述内容としても、故坂本賢三氏のように、DSBの記述内容をまとめてくれているものは有用ですが、どうしてこの記述? と思われるものが少なくありません。日本語で唯一の科学史技術史に関わる包括的な事典です。新しいDSBも出版されたことですし、根本的に作り直す必要があると考えます。
5時50分。曇り。連休中は予報が変わり、ずっと天気がよくないようです。ゆっくり休むのにはちょうどよいのですが。。。連休中しかないと思い、積み重なっている紙の地層を片づけはじめました。コピーをとったまま放置しているものがかなりあります。やっと半分ぐらいを製本/バインドできたでしょうか。
論文は、製本セットで製本します。食卓にもっていって作業をしているとちいさいちびが自分も欲しいと言います。2〜30枚の紙を綴じて、ノートのようなものを作ってやりました。2冊。しばらくしてからおおきいちびもやってきて、自分も欲しいと言います。日記を書くのだと30枚の紙を持ってきました。これも2冊作ってやりました。
おおきいちびはしばらくは日記を書くでしょう。ちいさいちびはただお絵かき帳として使うと思われます。
クリアファイルに保存している新聞の切り抜きは、こういう仕方で、スクラップブックを作ってしまうという手もあるな、と思いつきました。冊子の形に綴じてしまうのが、一番使いやすい。
6時。雨。のんびりとした連休にしたい。。。今日はあかんぼうが最後で、7時20分。
朝方に、あかんぼうの襲撃を避けつつ、昨日コピーをとった次の論文を読みました。
Jonathan Simon, "The Chemical Revolution and Pharmacy: a disciplinary perspective," Ambix, 45(1998): 1-13.
フランスにおける化学と薬学の関係の変化を扱った論文です。資料提示の点では、十分満足できるものではありませんが、重要な論点を提示しえています。(著者の博士論文の一部ということです。)
フルクロワも欲しいと思い、次のものをダウンロードしました。Fourcroy, Antoine-Francois (1755-1809)
Philosophie chimique, ou Vérités fondamentales de la chimie moderne
Paris, 1792Rapport et projet de décret sur l'enseignement libre des sciences & des arts
Paris, 179-?Discours sur l'état actuel des sciences et des arts dans la République francaise
Paris, 1793Système des connaissances chimiques et de leurs applications aux phénomènes de la nature et de l'art
11 vols., Paris : Baudouin, an IX-X[1800-1802]
夜半に目覚めて、すこし仕事。6時半。あかんぼうは5時とのこと。おおきちびは6時か。ちいさいちびは7時過ぎ。 曇りから雨へ。
お昼に次の本が届きました。たぶん、アマゾンのマーケットプレイスから。
Wilfred Vermon Farrar,
Chemistry and the Chemical Industry in the 19th Century: The Henrys of Manchester and other Studies
Varioum ,1997→ヘンリー親子についての研究ではなく、14番目の論考「科学と1790年から1850年にかけてのドイツの大学システム」から読み始めました。これがなかなかよい記述です。特徴付けの仕方がユーモアがあってうまい。著者のファーラーさんは、現場のキミストを長くつづけたあと、化学史の研究者になった方です。Chemist-Historian としては最良のモデルのおひとりでしょう。
やはりいつもより1時間はやく家を出ました。
非常勤講師室によってからすぐに図書館へ。いろいろ調べものをしながら、結局次の1点のみをコピー。Jonathan Simon,
"The Chemical Revolution and Pharmacy: a disciplinary perspective,"
Ambix, 45(1998): 1-13本としては、ベックの『鉄の歴史』のIIIの(2)。
急いで、教室へ。日本の資料保存の状況について、参考になるいろんな話を聞くことができました。
アジア歴史資料センター(アジ歴)
「アジア歴史資料センター(アジ歴)は、近現代の日本とアジア近隣諸国などとの関係について、当時の内閣、外務省、陸軍、海軍の公文書等の原本画像を世界でも類を見ない規模でデータベース化し、このサイトで公開することで歴史事実を共有しようとするデジタルアーカイブです。」
正式にスタートしたのは、2001年11月です。噂に聞いていたのですが、サイトを実際に見るのははじめてです。「デジタルアーカイブ」だったとは。JST Jounal@rchive
『植物学雑誌』『東京化学会誌』『日本物理學會誌』『藥學雜誌』『日本金屬學會誌』『地質学雑誌』『電氣學會雜誌』等を閲覧&ダウンロードできます。
明治の雑誌を見られるようになったことは、福音です。
ひとりで4時過ぎ。このぐらいであれば、大丈夫かもしれません。もう、5月。あかんぼうとおおきいちびは6時過ぎに起きてきました。ちいさいちびは、6時半。今日も好天。暑くなりそうです。
午後3コマの授業。
いつもよりもおよそ1時間はやく大学に出かけて、書類処理の作業。大学からの要求でウェブ上で入力します。仕方がないとあきらめてやっていますが、ほんとうに面倒な作業です。半分すこしのところで、どうしても文字化けが解消できず、残りは連休明けの水曜日に処理することとしました。嗚呼、肩凝るな!
3コマ続きの授業ははじまってしまえば、ばたばたです。他のことを行う余裕はなくなります。
帰宅すると、科学史学会第55回年会の案内が来ていました。
5月24日(土曜日)&5月25日(日曜日):電気通信大学
シンポジウムは3件。
土曜日午後「日本のコンピュータ史―研究開発における諸機関の連携」
日曜日3時過ぎから「旧植民地帝国大学の科学史をどう考えるのか―1945年以降の歴史も射程に入れて」
日曜日3時過ぎから「関孝和を巡る諸問題―関孝和没後300年―」さて、どうしようかな。
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