ちびどもが起きて、6時。ゴールデンウィークにふさわしい好天。夏日とまでは行かないまでも、気温が上がる様子が朝からありあり。
4月の最終日。[芋蔓]
24日の書物の芋蔓を記しておきます。
H. J. Jackson
Marginalia: Readers Writing in Books
New Haven: Yale University Press, 2001
Barney, Stephen A. (ed)
Annotation and its Texts
New York : Oxford University Press, 1991Erasmus
Collected works of Erasmus
Toronto ; Buffalo ; London : University of Toronto Press, c1974-
エラスムスの英訳全集(著作集)です。きちんと調べていませんが、100巻近いものとなっているようです。James Raven, Helen Small, and Naomi Tadmor (eds.),
The Practice and Representation of Reading in England
Cambridge: Cambridge University Press, 1996Greetham, D.C.
The Margins of the Text
Ann Arbor : University of Michigan Press, 1997妻があかちゃんをだっこしちびどもを荻窪に連れていってくれているあいだに、仕事をいくぶんか進めることができました。5月3日からは本格的な連休となるので、連休前の仕事は5月1日または2日までにすませておく必要があります。
もちろん、相手がお休みをとっていれば、5月8日を待つしかないというものもあります。
ちびどもが起きて騒いで、7時前。土曜日は休みなのでその実感はありませんが、今日からゴールデンウィークのようです。雨はまだ降っていません。雨はたぶんそんなには降らない空模様です。ちびどもが「ラブ&ベリー」とうるさいので、朝一番でユザワヤに連れていってやることにしました。電車に乗るといつもの土曜日より子どもが多いように感じました。私と同じ状態の人が子どもを連れていってやっているのでしょう。
ユザワヤの「ラブ&ベリー」がすこし知られるようになったようです。1台に一人ないし二人が並んでいました。私は、後ろの方でただ立っているだけ。することがありません。2人で6回までという約束なので、そうはいってもすぐに終わります。
終わった後は、昨日記した番組「私のこだわり人物伝 詩人の魂―柳田国男―」のテキストを探すために地下の本屋さんへ。見あたらず。
ちびどもがお腹が空いたようなので、そこから一番近いファミレスで昼食。ちびどもはオムライス。私はスパゲッティ。ちびどもは二人でちょうど大人一人分食べます。
昼食後はさっさと帰ってきました。
ひとりで5時45分。朝は雲一つない快晴。ゴールデンウィークの到来を告げているのでしょうか。ふとテレビをつけたら、次の番組がありました。
NHK「私のこだわり人物伝 詩人の魂―柳田国男―」
ウェブで調べると、3月に教育テレビで放映したもの(4回シリーズ)の再々放送のようです。よい番組です。
案内人は、詩人の吉増剛造氏。金曜日の午前10時からという時間帯に見ることができる方は限られるでしょうが、ビデオをとって見る価値があると思います。
番組のサイト
関心を引かれたので、『故郷70年』を早速注文しました。
→吉増剛造氏は、去年、東京外国語大学総合文化研究所主催水曜文化講座でお話を聞いています。所作と声は、今でも鮮明に記憶しています。
講演の直接のテーマではなかったので、そのときには気がつかなかったのですが、今回調べてみて、声とテキストの問題、著述の場面では自筆か口述筆記かという私の今の問題の核心に触れる探究をされています。
昨年から外語の同僚となられた文化人類学者の今福龍太氏がこの点について興味深いエッセイを公開されています。
今福龍太が読む 15 吉増剛造『生涯は夢の中径』(思潮社)
吉増さんの本『生涯は夢の中径』は、詩人としての折口信夫の評伝の試みです。今福氏のまとめによれば、折口のテキストそのものが「自筆原稿か、草稿か、口述筆記か、あるは誰かによるノートか判然としないまま」渾然一体となった種類のものであったことを出発点に据え、詩人が詩人の声・耳・思考に迫った評伝だということです。
わあ、すごいな。
そういえば、本放送を見逃したNHKの「そのとき歴史は動いた」のガリレオも、再放送を偶然見ることができました。ガリレオ裁判を、イタリア人の科学史家は「科学と政治の関係」として語っているのに、番組が100年前の「科学と宗教の対立」図式でナレーションしていたのは気になりましたが、ガリレオの天文対話の直筆原稿を映してくれたのは勉強になりました。紙を貼り付ける、削除線を入れる、そうした原稿操作がよくわかりました。この時代の原稿はこう書いたであろうというまさにそういう自筆原稿でした。
ひとりで5時15分。授業の日。この時間だと、新聞配達より早い。机に向かっていると新聞配達の人がバイクや自転車でやってきて投函する音が聞こえます。
朝から雨、今日は一日雨という予報。
→予報ははずれて、お昼頃から雨は上がり、好天となりました。3限、4限、5限と授業。当たり前ですが、3コマ連続だと、スタートしたあとはほとんど余裕がありません。
4年生の学生諸君は就活の真っ最中です。5限のゼミにリクルートスーツのままあらわれる子がいます。面接の帰りです。
先週の学生は、就活中に座礁したと言っていました。何度座礁しても体勢を立て直して再出航。それしかないでしょう。
ひとりで5時。会議の日。大学について2点書類を提出。しばらくは大学に提出しないといけない書類はないと思います。5月になったらまたけっこういろいろやってきそうです。
→2時半から5時前まで、大学院教授会。
→5時半から6時半まで、科研費の打ち合わせ。
思ったよりも順調に進みました。[レンブラント生誕400年]
明日3限の授業でレンブラントに触れます。(話のイントロに使う。)明日の講義ノートを見ていて、そういえば、今年はレンブラント生誕400年(誕生日は1606年7月15日)だったと思い出しました。ウェブで検索をかけてみると、オランダではすでに2005年からレンブラント生誕400年記念行事がはじまっています。そして2006年にはかなり数多くのイベントが計画されています。
日本でも展覧会か何かやるのではと期待して調べてみましたが、今のところ、ハウステンボスでレンブラントの版画展をやる以外の情報は見つかりませんでした。
レンブラントはいっときとても気に入って、大きい画集を買いました。授業で使うこともあるので、研究室においています。
来週の授業で扱うフェルメールにも特有の魅力がありますが、暗闇の描写と人物の彫りによって、個人的にはレンブラントに引かれます。集中さえできれば、1時間でできる書類作成の仕事を朝のうちにすませました。ちょっとだけほっとします。疲れが身体に残っているときには、頭にアイディアはあっても、実際にそれを形にする、つまり文書にする気力が欠けます。
日本語には、「精神力」という言葉があり、多くの場面で使われますが、個人的にはむしろ身体の力ではないかと思っています。たとえば、肝臓。肝臓の病を患ったことがあるものはよく知っていることですが、肝臓が悪いときにはほんとうに簡単なことをやるのが億劫になります。私も、病気とまではいきませんでしたが、相当程度機能低下したとき、おしっこに行くのも面倒くさく感じたことがあります。(なお、最近定期的に受けている健康診断の数値を見る限り、肝臓の機能は普通に快復しています。)朝一番の宅配便で、編集委員会の仕事が届きました。第2号のゲラです。64頁を1号の基準に発行していますが、ほぼ予想通り、全体で60頁となっていました。まずまずです。順序を決め、柱に赤字を入れ、間違えてはいけない箇所(タイトル、著者名、ページ数、日程の数字等々)をとくに注意して読みます。
集中すれば、数時間の仕事です。今月は、ここまでで400字詰め原稿用紙換算100枚に達しました。別にそれで何、というわけでもないのですが、1カ月に100枚を超えればこのページはよしとしています。一種の意地みたいなものでしょうか。
ひとりで6時15分。雨は小雨。すぐに上がるでしょう。→予想とおり、ちびどもが出かける頃には上がっていました。と思ったら、正午前から、雷雨。音が大きいので、小学1年生たちには怖がっている子もいるでしょう。うちのちびもその筆頭です。→雷雨は、1時間もしないうちに止みました。春先は、気温の変動がはげしい。大人はそれでもなんとか対応できますが、子どもたちは、暖かくなって急に寒くなるときに風邪をひきやすい。幼稚園ではその現象が端的に見られます。そして、子ども同士はくっつくので、風邪がうつる。
我が家の小学生は、幼稚園からのお友達が今朝は8時まで寝ていた、土曜日には10時まで寝てしまった、と話してくれたと報告してくれました。運動能力的にはクラスで一番、二番という子です。やはり、新しい環境に緊張し、疲れたのでしょう。
もちろん、それがいいことなのかそうでもないのか見方は別れると思いますが、ほとんど緊張しないで、ほとんどいつも通りという子もいます。下校時にも疲れをまったく見せない、にこにこ顔を見せてくれます。
おおきいちびが起きて、6時過ぎ。雨は上がっています。4月の最後の週。来週は、ゴールデン・ウイーク。子どもたちは楽しみにしていますが、せっかく学校や幼稚園がはじまったのに、親にとっては頭が痛いことがらです。
1日に4コマの授業はさすがに疲れます。講義は2限だけで、3,4,5限はゼミですが、それでも帰り着いたときには、おなかがぺこぺこで、かなり疲れを感じました。
アメリカのアマゾンから次の2冊が届きました。
H. J. Jackson
Marginalia: Readers Writing in Books
New Haven: Yale University Press, 2001
Chuck Zerby
The Devil's Details: A History of Footnotes
New York: Touchstone, 2002
→注だけ読みました。グラフトンの『脚注』に対する脚注のような書物です。グラフトンの書物はなかなか変な(不思議な)書物なので、つっこみどころがすくなくない。その何点かに関してつっこみを入れた書物のようです。ジャクソン女史の書物は、チャック・ザービーのものよりアカデミックな書物です。これもまずは文献リストだけを読みました。きちんと先行研究があげられているので、すくなくとも芋蔓の芋の葉にはなってくれる書物です。
なお、この2冊は、amazon.com が推薦してくれたものです。www.amazon.com にアクセスしたときに、推薦書物として出てきたので、ちょうどよいと思い発注しました。あらかじめ知っていたわけではありません。
→東氏の「情報自由論」を繰り返し読んだものとしては、複雑な思いがあります。しかし、たしかにアマゾンが勝手に私の個人情報=講読履歴を分析し、推薦してくれるものは有用です。
かぞくそろって6時50分。ちいさいちびの風邪がうつってあかちゃんも軽く風邪気味。なおるまでしばらくたいへんです。
曇り。天気予報では、雨。ちょうどよいので今日はちびどももお休みの日。(お休み=外出しないでおうちでゆっくり)
→日中の雨はわずか。夜半からまたすこしですが雨が降り始めました。4月9日に記した次の本ですが、目次をとっておきます。
A Treasure House of Books. The Library of Duke August of Brunswick-Wolfenbüttel.
Herzog August Bibliothek Wolfenbüttel, 1998Table of Contents
William T. Bruce, III: The Grolier Club of New York,......7
Helwig Schmidt-Glintzer: Wolfenbüttel Profiles: Collectors in a Library.....9
Jill Bepler: Hte Herzog August Library in Wolfenbüttel: Foundation for the Future.....17
Werner Arnold: Brunswick-Wolfenbüttel and the Thirty Years War.....29
Werner Arnold: Libraries in the Seventeenth Century....... 43
Maria von Katte: The Bibliotheca Augusta as a Growing Universe from 1586 until 1666 .... 53
Nicholas Pickwoad: Bookbindings in the Bibliotheca Augusta.... 65
Helmar Hätel: Duke August and his Book Agent ....... 105
Wolf-Dieter Otte: The Hunting Collector .........119
Jill Bepler: Cultural Life at the Wolfenbüttel Court 1635-1666 ....131
Wolf-Dieter Otte: Duke August and his Revision fo the Holy Bible..... 147
Jill Bepler: Herzog August and the Hartlib Circle ......165
Wolf-Dieter Otte: The Unknown Collector: Duke August and the his Cabinet of Art and Curiosities ...... 173
Illustrations ....... 193
ご覧の通り、ジル・ベプラーが3点、ヴォルフ-ディーター・オッテが3点、ヴェルナー・アーノルトが2点書いています。
ざっと読んでいます。ベイコンで出会って、訳語に悩んでいた事項に関して、いくらか参考になることがありました。それは、tituli の訳語です。ヴェルナー・アーノルトは、「トピカの方法に従って、図書が分類された。・・・内容に関する分類の論理を表示する専門的概念(loci communes) に対して、カテゴリー(tituli) が割り当てられた」(p.49) と記しています。カテゴリーがいつでも適切な訳語というわけではないでしょうが、参考になります。
ノートを取る(コモンプレイスブックにメモを取る)シーンを考えれば、tituli はノートの背表紙や表紙に書かれる大分類項目(だからタイトル)、loci communes はページのトップ等に記されるそのノートのなかの分類項目と考えれば、いいのではないでしょうか。
→参考文献を見ていて強く感じるのは、ドイツ語圏の学問がどうも鎖国とまではいかないまでも、たとえば7〜8割といったレベルで閉ざされた世界を作っているのではないかということです。(日本語圏の場合には、いわゆる輸入超過)
参考文献としてあげられるのが、この展覧会カタログを除けば、ドイツ語ばかりという例が目立ちます。
かぞくそろって6時40分。ちいさいちびが鼻風邪。夜中苦しそうにしていました。ちいさいちびは風邪気味ですが、天気がよいのは今日までということで、午後ちびどもをどんぐり公園につれていってやることにしました。歩けない距離でもないのですが、あまり疲れさせると逆効果なので、自転車の前後に乗せて行きました。
滑り台、岩上り、としばらく二人で遊んでいましたが、途中からおおきいちびのクラスメートがおばあちゃんに連れられてやってきました。その後は、3人であっちこっち動きまわっていました。
休んでいると、お父さん、だんごむしをとってください、との依頼。十数匹集めてやると、だんごむしを閉じこめるお家作りにいそしんでいました。
おともだちが運動得意、ムシも平気のタイプでした。ずいぶんよろこんでムシの相手をしていました。
空気が冷えてくるのが感じられた4時前に帰宅。ちょうど帰る前に、近所に住むお友達も顔を出しました。その子が携帯をもっているのが、ちびどもにはうらやましかったようです。1時間ほど、自分にも携帯が欲しい欲しいと言っていました。夜、アマゾン日本から次の2冊の本が届きました。
藤岡 高弘『C型肝炎といわれた人へ 改訂版』小学館文庫、2005
栗原 毅『C型肝炎―わかって治す最新インターフェロン治療』小学館、2005
ちびどもが起きて、7時前。昨日記した通り、小学1年生は今日から給食がはじまります。最初のメニューは、こどもたちがたぶんもっとも好きなカレー。楽しみにしています。
まだ1年生ですから、給食を食べて片づけてそれから下校します。
赤ん坊が泣くので、抱っこしたまま外に出て待っていたら、1年生が数珠のたまのようにつながってわらわらと帰ってきました。集団下校は昨日までという通達でしたが、おじさんたちが最後までおくってくれるようです。我が家の前を通過する1年生も6人ぐらいはいました。1年生は1年生とはっきりわかる格好をしています。(黄色いお帽子にランドセルの黄色いカバー)。
ちびによれば、給食がおいしかったので、おかわりをしたということです。私の体験した給食におかわりというコンセプトはなかったのですが、私の頃よりずっと進歩しているのでしょう。1年生のクラスの最初の給食ですから、皿を割ったり、牛乳を落としたり、いろいろ「事件」があったようです。ちびは、4つ「事件」があったと報告してくれました。夏休みまでの予定をしっかり決める必要があります。
私は日常的に手帳も携帯も持ち歩きません。机の右上に掛けているカレンダーだけでスケジュール管理をしています。
まず、授業のスケジュールを書き込み、次のワールドカップの日程を書き込みました。予選が重要です。初戦のオーストラリア戦(6月12日)、2戦目のクロアチア戦(6月18日)は、現地時間午後3時開始とあります。時差7時間として(正確に調べているわけではありません)日本時間午後10時ですから、問題なく見ることができます。
第3戦のブラジル戦(22日)は現地時間午後9時開始とあります。日本時間では翌日の午前4時。こいつは頑張らないと見ることができません。決勝戦は7月9日。
ひとりで5時30分。雨。起きてしばらくすると、雨音が聞こえはじめました。→雨は1時間ほどで止みました。
ちょうど私が大学に着く頃、強い風を伴うにわか雨となりました。おおきいちびの下校時間と重なっています。大人の私でも、風で傘が飛ばされそうになりましたから、おおきいちびには大変だったと思われます。今日から幼稚園はお弁当。小学校の給食は明日から。つまり、今日は小学生の方が先に帰ってきます。幼稚園児の帰宅はその約2時間後。
給食がはじめると小学生の下校時間は1時15分となるので、差は30分から40分となりますが、やはり小学生の方が先に帰ってきます。1点、書類を処理。科研費の提出書類は、研究室の机の上に出しっぱなしで、帰宅しました。大学に到着したのが12時15分頃。それから、3限、4限、5限と授業。そんなにいろいろ処理する時間はありませんでした。
5限の卒論演習の時間に、この春大学院を卒業してT社に入ったS君が本を返しにきてくれました。ちょうどよいので、いままさに就活中の後輩たちに檄を飛ばしてもらいました。ともかくめげずに前向きにがんばれ。ひとことで言えば、そういうことです。4月10日に授業がはじまってから、2回の授業がおわりました。ほぼ順調にスタートできたと思います。
この春から、一階のガレリア(通路)の部分に、机と椅子が10組ほど置かれています。よいことです。上から見ると、学生たちもよく活用しています。
昨日歓迎会の最中に聞いたところでは、学部長の裁量で行ったことだということです。良きかな! 私はずっと以前からそうしたものがあればよいなと思っていました。こうしたちょっとした工夫が使い勝手のよいキャンパスに繋がります。
ひとりで5時15分。曇り。会議の日。メアリー・カラザース『中世ヨーロッパの情報文化 記憶術と書物』から非常に印象的な一節を引用しましょう。トマス・アクイナスの著述の習慣について。
「夜、・・・短い眠りをとった後、トマスは起き上がると、地面に伏して横たわり、祈った。彼が昼間書いたり、口述したりすることがひらめくのは、こうした祈りの夜だった。これがトマスの日常生活である――睡眠や食事の時間はできるだけ切りつめ、残りの時間はすべて祈りと読書と思考と著述と口述にあてていた。」(323頁)
トマスの口述筆記についての記述がとても印象的なので、その部分をもう少し引用しましょう。
「ソキウス(同僚)のレギナルドゥスや弟子たちや口述筆記にあたった人たちはみな、もっと有力な証言をしている。トマスはよく僧坊で、一度に三人の(ときには四人もの)書記に異なる題材を口述筆記させていた、という。
・・・
トマスは論点を検討したり議論するときにも、また講義をしたり著述や口述をするにあたっても、題材を理解し適切なことばで表現できるようにと、まず必ずそっと心の中で(とはいっても、涙は見せるのだが)祈りを捧げるのだった。困難に直面して当惑したときには、ひざまずいて祈りを捧げる。それから再び著述や口述を始めると、たちまち思考は明晰になって、必要なことばが、あたかも書物に書かれているかのように頭に浮かんでくるのだった。」(13〜14頁)
科研費の内定通知がありました。2年計画で出した申請の2年目ですから、内定とは言わないのかもしれません。予算がつくことがきまった、という趣旨です。他にも私がいくばくか関わったものが通っていました。
チームを組んでのものなので、研究代表者の方にはたいへんですが、申請が通ったのはめでたいことです。1時10分〜3時:講座会議
5時半〜9時:研究所の総会・新人歓迎会。ピアノあり、所長の歌あり、図書館長の歌あり、の多文化的な歓迎会となりました。
ひとりで5時半。
ちびどもは6時過ぎ。学校や幼稚園がはじまるのが待ちきれないようで、小学生は8時前、幼稚園生は9時前に飛び出していきます。アマゾンのマーケットプレイスで発注した次の書物が今朝届きました。
メアリー・カラザース『中世ヨーロッパの情報文化 記憶術と書物』別宮貞徳監訳、工作舎、1997
出版されたときに、本屋さんで見て、あまりの高さ(定価8千円)に怖じ気づいてそのままにしてありましたが、今回やっぱり手元に欲しいと思ってアマゾンのマーケットプレイスで購入したものです。
→少し読みました。これは、すばらしい本です。オングのOrality and Literacy に並ぶ、新しい分野を切り開く書物です。お昼過ぎに新しい ISIS が届きました。Volume 97, Number 1, March 2006 の号です。
おおきいちびを歯医者に連れていったあと、駅前の本屋さんで、『ニューズウィーク日本語版』4月19日号を買ってきました。
「個人情報はググられている。「欲しい情報を欲しいときに」の利便性と引き換えにプライバシーが損なわれる不気味な未来」
「ウェブ2.0で稼げる企業」
「輸入再開は農水省天下りのため:北米産牛肉輸入を望む畜産官僚の「隠れ予算」の裏事情」
を読みたくて買いました。ググられる個人情報は、東浩紀氏の情報自由論を読んでいれば、ほとんど周知の事柄です。
ひとりで6時。好天。2限からはじまり、4コマの授業。
結局月曜の午後の授業は、参加者が少しずつ増えて、次の通りとなりました。
3限は、6名。
4限は、3名。
5限は、3名。
ちょうどよいぐらいの人数でしょう。7時に帰宅すると、妻がやってしまった、との弁。何かと思ったら、小学生が12時10分に下校するのを忘れて、ちいさいちびの幼稚園でおしゃべりをしていたのだそうです。おおきいちびは家に帰り着いて、誰もいないので家の前で泣いていたら、お隣さんが気付いてお隣さん家で面倒を見てくれたそうです。ありがたや、お隣さん。
おおきいちびが先、私は6時40分。居間に降りると、室温が5度前後。明日からはまた暖かくなるようですが、今日は10度ぐらいまでしか気温が上がらないようです。明日の講義のために情報のアップデートをしました。体外受精児の数を調べました。
私の手元には、1999年度の数字がありました。1万1929人/年。
ウェブで調べると、2002年には、1万5223人/年。
2003年には、1万7400人/年、とあります。65人に一人という割合になります。1999年の時点では1%、2003年には1.5%。着実に増えています。
ひとりで6時。と思ったら、すぐに我が家の小学生が起きてきました。我が家の幼稚園生よりも1時間前後早く起きます。わ、さむ。昨日はかなり暖かくなっていましたが、今日気温が下がりました。予報によれば明日はもっと下がるということです。暖かさに身体が慣れると、わ、さむ、となります。
アメリカのアマゾンより次の本が届きました。
William R. Newman
Atoms and Alchemy : Chymistry and the Experimental Origins of the Scientific Revolution
Chicago: University of Chicago Press, 2006
予約注文していたものです。こんなに早く届くとは思っていませんでした。
目次は次の通りです。
Introduction: The Problematic Position of Alchemy in the Scientific Revolution | 1
ONEThe Mise en Scène before Sennert
1. The Medieval Tradition of Alchemical Corpuscular Theory | 23
2. Erastus and the Critique of Chymical Analysis | 45
3. Aristotelian Corpuscular Theory and Andreas Libavius | 66
TWO Daniel Sennert's Atomism and the Reform of Aristotelian Matther Theory
4. The Corpuscular Theory of Daniel Sennert and Its Sources | 85
5. The Interplay of Structure and Essence in Sennert's Corpuscular Theory | 126
THREE Robert Boyle's Matter Theory
6. Boyle, Sennert, and the Mechanical Philosophy | 157
7. Boyle's Use of Chymical Corpuscules and the Reduction to the Pristine State to Demonstrate the Mechanical Origins of Qualities | 190
A Concise Conclusion | 217
Bibliography | 227
Index | 241
寒いので、居間で昨日買ってきた総合雑誌を読んでいました。テレビより新聞より週刊誌よりもよくわかります。
ジャーナリズムと言うことでは、マスメディアがほとんど「へたれている」状況下、『現代』が頑張っていると思います。
魚住昭「問題摘出レポート 置き去りにされた「住の安全」 追及! 耐震偽装問題
“悪人”をでっち上げた霞ヶ関の迷走と悪智恵」
七尾和晃「安倍晋三が封印した「乳母の記憶」(上)」
平井美帆「ある夫婦の闘い 代理出産 見捨てられた現実」
は面白い記事でした。
平井美帆「代理出産 見捨てられた現実」から数字を紹介しておきましょう。アメリカ等にわたり、代理出産で子どもを授かった日本人夫婦の数は400組から500組と推測される、とあります。事柄の性格上、正確な統計の取れないことがらですが、ルポを読むとほぼ妥当な推測だと思われます。
判明している数は、『サロゲート・ペアレンティング・センター(CSP)』(アメリカ最大手の代理出産エイジェンシー、ロサンゼルス)では21組の日本人夫婦の代理出産に成功。
『卵子提供・代理母出産情報センター』によれば、これまで51組が成功し、71人の子どもが誕生した。
『中央公論』では、次のもの。
ベ・ヨンホン「ルポ●韓国ES細胞論文捏造事件の核心:黄ウソク神話を支えた卵子売買の深い闇」pp.146-152
(名前は漢字ですが、このワープロで出ないので、カタカナにしています)
ヘッダーに、「報告書によると、研究に使われた卵子の総数は1600個から2000個と言われている。その卵子は、どのようにして黄博士に提供されたのか」とあります。
2005年11月に、若い韓国人女性の卵子を日本人女性の不妊治療のために200件以上売買した業者が摘発された事件と今回の黄博士の件が関連しているとあります。黄博士の共同研究者が理事長を勤める病院が卵子の採取・提供に関わったようです。
ここでこのルポによって、情報を整理しておきましょう。
黄(ファン)ウソク氏は、当時ソウル大学獣医学部教授。無名だった彼が、一躍世界に知られるようになるのは、2004年2月アメリカの科学雑誌『サイエンス』にヒトクローン胚からES細胞を培養することに成功したという論文を出版してから。このES細胞こそが21世紀の再生医療の切り札とされるものであった。
ではその卵子はどこから入手したか? 論文は、約10名の自発的提供者から242個の卵子の提供を受けたと記している。242個からたった1つES細胞を作成することに成功したということなので、成功率はいたって低い。
黄氏は、翌2005年5月再び『サイエンス』に老若男女11人(難病患者)からクローン胚を作成し、ES細胞を培養するのに成功したと発表。18人の女性から185個の卵子を提供してもらい、11株のES細胞を作った。
もしこの2005年論文が本当であれば、夢の再生医療への大きな前進と評価される業績であった。
その5月の発表のあと、すっただもんだがあったあげく、(11月22日放映のテレビ番組で)黄氏の共同研究者ノ理事長が11株のES細胞というのは嘘(そうしたものは存在しなかった)と暴露。論文の捏造が当事者の一人の口から明らかにされた。
ノ理事長は、12月20日のテレビ番組で、1200個以上の卵子を実験用に提供したと答えた。(ソウル大の調査では、1600個から2000個)
黄氏は、韓国初のノーベル賞を国中から期待され、常套句を使えば、湯水のような研究費を国から与えられた。
ということで、これは重要なルポです。周辺情報もきちんと取材して、新書にしてもらうと一番よいかと思います。
ひとりで5時20分。日本のアマゾンから次の本が届きました。
『障害学研究1』Journal of Disability Studies 2005、明石書店、2005
目次は次の通りです。
創刊の言葉 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石川 准 3
特集 障害学とはなにか ── 障害学会第1回大会企画から
《シンポジウム「障害」概念の脱構築》
【メイン報告】
「障害」概念の脱構築──「障害」学会への期待・・・・・・ 杉野昭博 8
【コメント】
杉野「障害概念の脱構築」へのコメント・・・・・・・・・・ 森壮也 22
わかりやすさとあやうさ──杉野報告へのコメント・・・・ 倉本智明 26
《対談》
「見えないものと見えるもの」と「自由の平等」・・・・石川准×立岩真也 30
論文
遺伝子介入とインクルージョンの問い・・・・・・・・・・ 堀田義太郎 64
障害者運動と「新しい社会運動」論・・・・・・・・・・・ 田中耕一郎 88
障害と身体の「語り」・・・・・・・・・・・・・・・・・ 田中みわ子 111
「障害児の親」が感情管理する主体となるとき・・・・・・・ 堀智久 136
障害者家族の父親のケアとジェンダー――障害者家族の父親の語りから・・・ 中根成寿 158
聞こえる人々の意識変容――手話学習者の語りから・・・・・ 澁谷智子 189
障害者と健常者、その関係性をめぐる模索――1970年代の障害者/健全者運動の軌跡から 山下幸子 213
エッセイ
ユニークフェイスとメディア・・・・・・・・・・・・・・・ 石井政之 240
情報倫理的ディレンマ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 蝙翔武夜 250
よくある反省文・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 二階堂(角野)祐子 257
「暗闇」と「視覚障害」の狭間で考える――ダイアログ・イン・ザ・ダークの経験から・・・ 伊藤丈人 263
駅前の本屋さんで次の2冊の総合雑誌を買ってきました。
『月刊現代』『中央公論』2006年5月号。
おおきいちびは幼稚園時代のお友達のお家、ちいさいちびはお友達3人で別のお友達のおうち、そして妻は小学校のはじめての保護者会。私は、ベビーカーに赤ちゃんを乗せて、西荻をぐるっとまわってみることにしました。まずは、3日前になくなっていた金魚の餌を買いました。それからすこし大回りにまわって、いつもはほとんどでかけない南口の方へ。お店がいっぱい変わっていました。新装開店の食べ物屋さんが数多くありました。それに数多くの更地。西荻は、小さな再開発が諸所で進んでいるようです。
ひとりで6時。
3限、4限、5限と授業。木曜日は、今日がスタートです。
4年生の卒業論文演習ですが、部屋に行ってみると、あれ少ない。見えている学生諸君もリクルートスーツ姿が目立ちました。そうです。欠席した学生諸君は、就活(しゅうかつ:就職活動をこのように略すのは学生ではすっかり定着したようです)の真っ最中ということのようです。就活ならば、頑張るしかない。ともかくめげずに頑張るように。我が家の小学生は、入学式があったのが先週の木曜日ですから、今日が1週間目。緊張しやすいタイプの子ですが、ずいぶん慣れてきたようです。今朝は、途中までの見送りはいらない、ひとりで出かけるといって、ひとりで出ていきました。
夜、新しいお友達の名前を聞くと、10名近く言ってくれました。隣のクラスの子とも知り合いになったようです。
さて、私が大学で初回の授業をしているあいだ、ちびどものお友達が我が家に遊びに来ていたということです。小学生のお友達が二人、幼稚園児のお友達が一人。
小学生のお友達が DSを持ってきて、やらせてもらったようです。DS、DSとうるさいことうるさいこと。妻は2年生になってから相談しようと小学生に言い聞かせていますが、この子の性格からいって、しばらく言っていることと思われます。[本の冊数 ]
昔の人がもっていた本の冊数を調べています。
『知識の社会史』によれば、モンテーニュが隠遁したとき用いた本の冊数は、271冊であった(290頁)。
モンテスキューは、書斎に3000冊の本を所蔵していた(291頁)。
17世紀だと、この3千冊というのがよい数だと思います。(モンテスキューは18世紀の人ですが。)
前にこのサイトで紹介した数字もあげましょう。
フックの蔵書:3380冊
オルデンバーグの死のときに残された冊数:331冊
ニュートンの死に際して残された冊数:2千冊近く
ニュートンの入学したトリニティ・コレッジの蔵書数:3千冊近く
ボドリアン・ライブラリー:2万5千冊(1620年);4万5千冊(1674年)
ひとりで6時40分。昨日降り始めた雨がまだ降っています。会議の日。午後1時からはじまって、おそらく6時ぐらいまで。 →午後1時開始の会議は、40分ほどで終了しました。ありがたい。
→午後2時半開始の学部教授会は、4時には終了しました。5月はそんなわけにはいかないでしょうが、とりあえず、ありがたい。
その間に、忘れていた報告書を1点、書き上げました。この忙しさのなかだと、全部をしっかり記憶してこなすのは、なかなかに難しい。
6時から、新人の先生の歓迎会。「新しい先生というのは、それだけでも善である」。
ひとりで6時。昨夜、読めないまま積み重ねていた雑誌のなかから『トリッパー』を取り出し、大塚英志を読みました。インタビュー「セカンドチャンスとしての近代をいかに生きるか」、並びに「イーヨーはいかに作家となったか」。
とくにインタビューが面白かった。大塚英志をなめてはいけない。
インタビューでは柳田國男の方法について触れています。これがぴったりでした。月曜日3限の大学院の授業で、佐藤健二氏の『読書空間の近代』(弘文堂、1987)という本を取り上げますが、これがやはり「柳田國男の方法」を柱とするものです。
人文系においても方法は重要です。[5月27日科学史学会シンポ ii ]
コモンプレイスに関して、私が今一番気になってるのは、ベイコンの方法との関係です。ベイコンは、コモンプレイス的なものに批判的であったと記す2次文献が多いのですが、そしてその理由も理解できるのですが、でも、ベイコン自身の「探究のトピクス」がコモンプレイスに似ていることも否めません。
まずは、ベイコン自身がコモンプレイスについて述べている章句をじっくりと検討してみましょう。
1605年に発行された『学問の進歩』(英語で出版された)の第2巻15.1でベイコンは次のように記述しています。"The custody or retaining of knowledge is either in writing or memoir; whereof writing hath two parts, the nature of the character, and the order of the entry; for the art of characters, or other visible notes of words or things, it hath nearest conjugation with grammar; and therefore I refer it to the due place: for the disposition and collocation of that knowledge which we preserve in writing, it consisteth in a good digest of common-places; wherein I am not ignorant of the prejudice imputed to the use of commonplace books, as causing a retardation of reading, and some sloth or relaxation of memory. But because it is but a counterfeit thing in knowledges to be forward and pregnant, except a man be deep and full, I hold the entry of commonplaces to be a matter of great use and essence in studying, as that which assureth copie of invention, and contracteth judgment to a strength. But this is true, that of the methods of common-places that I have seen, there is none of any sufficient worth; all of them carrying merely the face of a school, and not of a world; and referring to vulgar matters and pedantical divisions, without all life or respect to action."
"it consisteth in a good digest of common-places"の部分:成田成寿氏の訳は、「主題をうまくあんばいすることが大切である」。服部英次郎・多田英次両氏の訳は、「それは、われわれがたえず使う論題を手際よく整理することである。」
"the use of commonplace books" の部分:成田成寿氏の訳は、「主題に関しての覚え書きなどを使用する・・」。服部英次郎・多田英次両氏の訳は、「備考録を用いること」となっています。(成田成寿氏の訳は、中央公論世界の名著より。服部英次郎・多田英次両氏の訳は、河出書房世界の大思想より。)
これは明らかに、服部英次郎・多田英次両氏の訳の方が意をよく捉えています。
本を読んでいるときに、コモンプレイス毎に、つまり一般項目(一般的な、あるいは普遍的な主題、テーマ)毎にノートを取る習慣をベイコンは指示しています。(ラテン語を学ぶ学校で教えられた基本でもあった。)
確かに、いちいちノートを取ると、読書の速度は遅くなります。その弊害を指摘する声は知っているとベイコンは述べます。
しかし、そうしたコモンプレイス毎にノートに蓄積された抄録の集積体が研究に大いに役立つことも確かだと言います。
再度しかし、私の知るそうしたコモンプレイスの方法に、十分役立つものがないことも真実だと述べます。現状のコモンプレイスの方法は、学校の勉強では役立つ。しかし世界(自然)の解明に向くものに仕立てられてはいない。
もちろん、ベイコンの方法は、自然の解明に向かうものです。
1605年にはじめ英語で出版された『学問の進歩』は、1623年にラテン語で増補番が出版されます。(『学問の進歩と尊厳』)
そこでは、第5巻第5章に上記の内容が収録されています。表現はいくらか変えられています。"Verum missa Interpretatione Naturae, quae doctrina nova est, etiam ad veteres et populares scientias haud quicquam fere utilius esse possit quam Memoriae Adminiculum solidum et bonum; hoc est Digestum probum et eruditum Locorum Communium. Neque tamen me fugit, quod relatio eorum quae legimus aut discimus in Locos Communes damno eruditionis ab aluquibus imputetur, ut quae lectionis cursum remoretur, et Memoriam ad feriandum invitet. Attamen quoniam adulterina res est in Scientiis praecocem esse et promptum, nisi etiam solidus sis et multipliciter instructus, diligentiam et laborem in Locis Communibus congerendis magni prorsus rem esse usus et firmitudinis in studiis iudicamus; veluti quae Inventioni copiam subministret, et aciem Iudicii in unum contrahat. Verum est tamen inter methodos et syntaxes Locorum Communium quas nobis adhuc videre contigit, nullam reperiri quae alicuius site pretii. " (Works, vol.1, p.647. English Translation, vol.4, p.435.)
さて、話は幾分か飛んで、アン・モスは、ベイコンにおける loci=places 概念の変容について語っています。ベイコンにおいて新しいものは、探究のloci=places だと言うわけです。(上の言葉で言えば、自然の解明に向けてのコモンプレイスの方法の改鋳=再構築です。)
自然誌と実験誌においては、収集した事例をよく整理された表(存在表、不在表、程度の表)にまとめます。収集する事例は、1.孤立的事例、2.移動的事例、3.明示的事例、・・・、8.逸脱的事例、9.境界的事例、・・・、14.道標の事例(決定実験)、・・・、27.魔術的事例に分類されます。
では探究はどうするのか?
Topica Inquisitionis (Topics of Inquiry ) or Articuli inquisitionis (Articoles of Inquiry) 探究のトピクス、探究項目という形で Head や Title が立てられます。
実際ベイコン自身には、Articuli inquisitionis de metallis, & mineralibus.(金属と鉱物に関する探究項目)、Topica inquisitionis de luce, & lumine.(光に関する探究のトピクス)という論考があります。
モスはベイコンにおけるこの変化・変容を指して次のように表現します。ベイコンは、「コモンプレイスブックを捨てたわけではない」。ベイコンにとってそれは花(詞華集)ではなく種子であった、と。
これはなかなかにうまい表現だと思います。
おおきいちびは7時前後。私は7時半。曇り。今日から、授業開始。月曜日は、2限から5限まであります。
同時に、ちいさいちびの幼稚園もはじまります。我が家の小学生は、8時5分、ちいさいちびと私は9時前に家をでることになります。2006年夏学期の授業は、とりあえず無事スタートしました。
2限の講義の途中、右方の耳の鼓膜の位置がずれて、自分の声の聞こえがおかしくなって困りましたが、何とか最後まで話し続けることができました。なかなかに不思議な感覚でした。
3限は、5名。
4限は、2名。
5限は、1名。
おそらくこのぐらいの数でしょう。3月にひとりで頑張って製作した『総合文化研究 ブックレット』の2冊を受け取りました。
第6号:授業事例
第7号:総合科目の検討のために―基礎データの収集
第6号は、私が行った授業から3点を引き出して、読みうる形になおしました。「食べ物におけるグローバリズム」「情報技術とグローバリゼーション」「インターネットの歴史と展望」の3点です。すべて、グローバリゼーションの功罪に関わる内容です。
大学、あるいは高校で授業案を作るときの参考にはなるかもしれません。必要な方はご一報くだされば、差し上げます(郵送します。)
第7号は、私自身が室長を務める学部の総合科目推進室で、総合科目を運営・改善するために必要な基礎的データと資料を集めたものです。主として学内の委員会で使うことを考えて作成しました。
ひとりで5時半。いよいよ明日、新学期、授業開始。
準備にかかります。2006年度のシラバスですが、今年度とくに新しい部分のみ先に掲げておきます。最初のものは学部の授業です。2つめと3つめは大学院。
学部「思想史特殊研究演習1」(月曜日5限):数学史概観
ヨーロッパ歴史文化論(月曜日3限):知識・学問の現場
思想文化論研究=人類文化研究(月曜日4限):安全と自由
[本日の科学ニュース]
ヨミウリに次の記事がありました。
日本移植学会が海外での移植の実態を調査。
海外に渡航して移植を受けた日本人は、これまで少なくとも453人が知られている、とあります。
国内での脳死・臓器移植の10倍程度はすくなくともある、と言えます。[5月27日科学史学会シンポ i ]
5月27日に東洋大で開かれる科学史学会シンポ(「近代における知とその方法―宮廷、サロン、コレクション」)の準備作業を記していきます。
「百科事典 Encylopedia」
『科学革命の百科事典』におけるアン・ブレアの記述を紹介します。
「百科事典 Encyclopedia = Encyclopaedia」という用語は、16世紀にはじめて使われたが、内容的に「百科事典」的な書物はそれ以前にも存在した。
もっとも有名なのは、プリニウスの『自然誌 Historia Naturalis (博物学)』だが、中世にもその種のものは数多く作成された(代表的なのは次のもの。Vincent de Beauvais (1190?-1264?) = Vincent of Beauvais, Speculum maius (Bibliotheca mundi seu Speculi maioris Vincentii Burgundi)『大きな鏡』。13世紀に執筆され、1624年までに6回印刷された。1624年の版では約2000頁の大冊となっていた。)
ルネサンスの時代に、新しい知識の爆発的増加があった。1.人文主義者による古代のテキストの発見。2.新世界の発見。3.自然現象に対する新しい関心。4.新しい活版印刷術による出版物の増加と普及。
さらに、古い統一は、キリスト教においても、スコラ哲学においても破れつつあった。そうした状況で、16世紀の学徒は、古い知と新しい知のコンパクトな概要を必要とした。
そうした需要に応えるものとして、一方では、もと「知の円環」を意味したギリシャ語から1500年前後に造語された「 Encyclopaedia」的なもの、すなわちばらばらに見える知識の統一性を示すもの、あるいはペトルス・ラムスの方法のようにひとつのシェーマによってすべての知識を整理するものが出現してきた。
もう一方では、"Encyclopaedia" とは名付けられなかったが、浩瀚な参考書群、すなわち、劇場 Theatrum、宝庫 Thesaurus、体系 Systema、森 Sylva などの名前をもつものが出現した。このジャンルには、古くからあるものとしては、アルファベット順に並べられているが、厳密には言語的な説明にとどまならない Ambrogio Calepino, Dictionarium,1502 のような、辞書 Dictionarium が含まれる。新しいものとしては、コンラート・ゲスネルの『万有文庫 Bibliotheca universalis』(1545) のようなビブリオグラフィー、テオドール・ツヴィンガーの『人生劇場 Theatrum humanae vitae』(1565) のようなコモンプレイス・ブック、またアルドロヴァンディやジョンストンのような自然誌の特定の分野に関する百科事典的書物がある。
"Encyclopaedia" と名乗るものでは、アルシュテットのEncyclopaedia(1630) が哲学的組織的図式と個々の学術分野の詳細な紹介を兼ねるものとして特筆される。
こうした百科事典的著作は、科学史における豊かでほとんど手付かずの資料である。
→まったくアン・ブレアの言うとおりです。豊かでほとんど未開拓のジャンルです。
(参考文献:アン・ブレアは次の3点を上げています。
Robert Collison, Encyclopedias: Their History Throughout the Ages, New York, 1964
Frank Kafker (ed.), Notable Encyclopedias of the Seventeenth and Eighteenth Centuries, Oxford: Voltaire Foundation, 1981.
L. Loemker, Struggle for Synthesis, Cambridge, M.A.: Harvard University Press, 1972
私が持っていて読んだことがあるのは、最後のレムカーのライプニッツ研究だけです。)さて、Loci Communes というタイトルの書物を捜索してみましょう。
こうした書物は、職業上のアンチョコ(手引き、マニュアル)の意味を持ちます。大学を基盤とする知的世界において、専門職は、まずは神学、医学、法学です。(大学の3上級学部)。
神学においてもっとも成功したその種の書物は、メランヒトンによるものです。
Melanchthon, Philipp, 1497-1560
Loci communes rerum theologicarum seu hypotyposes theologicae
Wittenberg, 1521
カソリック側の同様の書物としては、スペイン人ドミニコ会士カノーによるものがあった。
Cano, M
Epitome locorum theologicorum,
Cologne, 1602
次の書物のタイトルは、主旨を端的に語っています。
Labata, F.
Apparatus concionatorum seu loci communes ad conciones ordine alphabetico digesti ... Cum triplici indice
Lyons, 1615
ラバタ『説教師の道具、あるいはアルファベット順に整理された説教のためのロキ・コムーネス(コモンプレイス)』ぐらいでよいでしょうか。
自分が仮に中世やルネサンスの時代に神学部を出て、聖職者になったと想像してみます。そうすると、この種の本のありがたさは、たぶんすぐに理解できると思います。
もし仮に医者になったとして、あるいは法律家になったとしても、やはりこの種のアンチョコは欲しいと思います。
手元にちょうどよい2次文献がないので、検索をかけたものから適当に選んでいくつか医学のコモンプレイス本を挙げておきましょう。
Valleriola, Francois, 1504-1580
Loci medicinae communes, tribus libris digesti : quibus accessit appendix, universa complectens ea, quae ad totius operis integritatem deesse videbantur
Lugduni : Apud haeredes Sebastiani Gryphii, 1562
Brunfels, Otto
Theses seu communes loci, totius rei medicae : Item. De usu pharmacorum, deq[ue] artificio suppressam aluum ciendi, liber
Argentorati : Excudebat G. Ulricher, 1532
Joannes Munterus編の次のものを含むようです。
Alexandri Benedicti ... Sententiae medicinales.
Sententiarum medicinalium Arnoldi Neocomensis de morborum curationibus, Liber primus.
Sententiarum medicinalium Arnoldi Neocomensis de singulorum moroborum remedijs, & methodo curandi eos, Liber secundus.
Arnoldi Nouicomensis De morbis uestigandis, Regulae.
Eiusdem Arnoldi De curatione Febrium, Regulae quadraginta
Bolduan, Paulus
Bibliotheca philosophica :
sive: Elenchus scriptorum philosophicorum atqve philologicorum illustrium, qvi philosophiam ejusq;
partee aut omnes aut praecipuas, quovis tempore idiomaté
ve usque in annum praesentem Redemptionis M. DC. XIV descripserunt, illustrarunt & exornarunt, secundum artes & disciplinas, tum liberales tum Mechanicas earumque titulos & locos communes, autorumque nomina ordine alphabetico digesta.
Acceserunt graecae latinaeqvu lingvarum tum profarum tum ligatarum autores classici, illorum aetates atq; interpretes, ac inde extructa variarum linguarum lexica, loci communes, apophthegmata, colloquia, phrases &c.
additis ubivis loco, tempore & forma impressionis. Universis et singulis omnium artium & scientiarum studiosis, ad studia sua commodius formanda, masimè utilis & pernecessarius
Jenae : apud Joannem Weidneru, impensis haeredum Th. Schureri, 1616
次には、アルシュテットのもの。
Alsted, Johann Heinrich, 1588-1638
Methodus ss. theologiae in sex libros tributa.
In quorum
I. Theologia naturalis.
II. Theologia Catechetica.
III. Theologia Didactica, seu loci communes.
IIII. Sotirologia seu scholae tentationum, & casus conscientiae.
V. Prophetica, ubi rhetorica & biographia ecclesiastica.
VI. Theologia acroamatica
Offenbachi : Typis Michaelis Fabritii, impensis; Antonii Hummii, 1611
Alsted, Johann Heinrich, 1588-1638
Triumphus Bibliorum Sacrorum seu Encyclopaedia Biblica exhibens triumphum philosophiae, iurisprudentiae, & medicinae sacrae, itemq[ue] sacrosanctae theologiae ... ex Scriptura V. & N.T. colliguntur.
Francofurti : apud Bartholomaeum Schmidt : Anno 1625
アルシュテットの百科事典についてのおさらい。
Alsted, Johann Heinrich, 1588-1638
Johannis-Henrici Alstedii Encyclopaedia septem tomis distincta :
I. Praecognita disciplinarum, libris quatuor.
II. Philologia, libris sex.
III. Philosophia theoretica, libris decem.
IV. Philosophia practica, libris quatuor.
V. Tres superiores facultates, libris tribus.
VI. Arte mechanicae, libris tribus.
VII. Farragines disciplinarum, libris quinque
Serie praeceptorum, regularum, & commentariorum perpetua.
Insertis passim tabulis compendiis, lemmatibus marginalibus, lexicis, controversiis, figuris, florilegiis, locis communibus, & indicibus; ita quidem, ut hoc volumen, seconda cura limatum & auctum, possit esse instar bibliothecae instructissimae
Herborn, 1630
古書で注文した次の本がとどきました。
A Treasure House of Books. The Library of Duke August of Brunswick-Wolfenbüttel.
Herzog August Bibliothek Wolfenbüttel, 1998
HAB=Herzog August Bibliothek で開かれた展覧会の英文カタログです。カラー写真が多く掲載されており、きれいな本です。
→Jill Bepler, "Herzog August and the Hartlib Circle", の部分だけまず読みました。ボイルの縁戚であり、オルデンバーグの義父でもあるデュアリがアウグスト侯に直接会っています。p.169 に当時英国でもっとも有名な図書館、ボドリアン・ライブラリーの所蔵冊数についての記載がありました。1620年の時点で2万5千冊、1674年の時点で4万5千冊とあります。アウグスト侯の図書館は、優にその3倍の蔵書数を誇っていたことになります。北ヨーロッパにおける最大のコレクションとあります。
そしていくらか興味深いのは、アウグスト侯その人は12万冊を超えるビブリオテークの分類カタログを持っていたが、それを秘法・秘伝として誰にも見せなかったということが記されています。Secret 秘伝・秘法の実態は得てしてそうしたものです。
今となってはまったくありきたりであたりまえ。でもそれが存在しない世界・時代において、それを独り持つものは圧倒的に優位な立場に立つことができます。
ちびどもが起きて、7時前。曇り。午後は雨の様子。[人口減]
ヨミウリとアサヒに、日本社会の自然人口減は、2005年11月からという記事がありました。
ヨミウリ
アサヒ
2004年12月から2005年11月まで、出生数は106万7504人、死亡数は107万5844人ということです。106万7504人のうちの1人は、我が家のあかちゃんです。ちびどもが「ラブ and ベリー」「ラブ and ベリー」とうるさいので、昼食後、ユザワヤに連れていってやりました。一人3回の約束。私は、新学期に必要なファイルと昨夜の仕事でインクがなくなったボールペンを購入。ユザワヤで時間を費やすといろいろうるさいので、ただちにとって返しました。「ラブ and ベリー」に夢中になっていたちょうどそのあいだに、雨が降って上がったようです。きれいな青空。帰途は、小学校の前を通る道を選びました。ちょうど校庭開放をしています。
しばらく遊ばせてやりました。ポリウレタンのフリスビーを二人で楽しそうに遊んでいました。途中から、パパも加われということで、3角形でフリスビーを回していました。
我が家の小学生は、遊びに来ていた先輩小学生ともわりと普通に話していました。
肩、腰、目に疲労が蓄積しています。おやつを食べてからまた来ようと言って連れ帰りました。
おやつのあとは、再度にわか雨。すぐに止みました。今度は、あかちゃんを連れて妻がちびどもを校庭に連れていってくれました。
幼稚園の知り合いが遊びに来ており、4人で走り回って遊んでいたようです。ずいぶんお腹を空かせて、帰ってきました。
あかちゃんをふくめ、そとで十分遊んでかえってくるとちびどもは機嫌がよい。
ひとりで4時40分。小学校は、8時10分から20分のあいだに登校して下さいとのことです。我が家は8時5分に家をでることとしました。家の前の道まででると、小学生達がわらわらと歩いていました。我が家の小学生も、ランドセルがうれしいようで、30分前からランドセルを背負っていました。見送っていると1分もしないうちに走り出しました。早く学校に行きたくて仕方がないようです。
10時半下校、10時40分帰宅。
来週は、11時半下校。
その次の週は、12時10分下校。
さらにその次の週から、1年生の普通の下校時間となるようです。
私自身は、自分の小学1年生のころのことをあまり覚えていません。気がついたら、約1キロを歩いて小学校に通っていました。校舎のことは覚えていますが、いまはもう跡形もなし。夜の8時半ぐらいに大学から仕事が飛び込みました。立場上、仕方のないことです。約2時間半ほどかけて処理しました。ファックス用紙がほぼ一巻なくなりました。これほど大量のファックスを受信したのはうまれてはじめてです。
ひとりで5時半。雨は止んだようですが、風が強い。おおきいちびの入学式。小学校は通っていた幼稚園の隣なので、迷う心配はないでしょう。(聞いた話では、毎年、新1年生には帰り路で迷う子がでてくるのだそうです。)
9時20分〜40分:受付。
10時〜10時50分:式。
10時50分〜11時半:教室見学。写真撮影。
小学1年生ですから、さすがに長い挨拶はありませんでした。上級生の子がいろいろ手伝ってくれていました。
あかちゃんがやってくれました。クラスを見学しているときに、いきなりぷーの感触が手にありました。臭いをかぐとうんちでした。ベビーカーを置いた体育館まで妻が連れていっておしめがえ。少しのうんちということでした。
夕食時も私の膝の上で、ぷー。今度は、本格的なうんちでした。[論証のレトリック]
アマゾンのマーケットプレイスに発注した次の本が届きました。
浅野 楢英 (あさのならひで)
『論証のレトリック―古代ギリシアの言論の技術』講談社現代新書、1996
ピサ大生桑木野氏の推薦によります。
はじめに 「言論の技術」とは何か
第1章 レトリック(レートリケー)事始め
第2章 アリストテレスのレートリケー理論
第3章 ロゴスによる説得立証に役立つ固有トポス
第4章 エートスまたはパトスによる説得立証に役立つ固有トポス
第5章 さまざまな共通トポス
第6章 レートリケーとディアレクティケー
第7章 レートリケーと論理学
→古代ギリシャについてはわかりやすく整理されています。中世からルネサンスの展開については、仕方のないことですが、ほんのすこし触れただけにとどまります。[千のキミア・プロジェクト]
更新内容を全ファイルリスト(06年版)に反映することができました。総数1519点。
千を目標にスタートした計画ですが、千を突破したあとの目標は、3千です。期限は設けていません。何年かあとには到達すると思います。
全員、7時20分から40分のあいだ。よく寝ました。
天気予報によれば雨のはずですが、ほんのおしめり程度しか降っていません。→気象庁の予報より雨雲の動きが遅かったようです。朝が進むと本格的な雨降りになってきました。さて、ちいさいちびは生まれてはじめてお友達のうちに遊びに行きます。幼稚園で一番仲良くなった子のお家に行きます。
おおきいちびには、お友達が遊びに来てくれます。
二人ともうれしいようで、朝から、その話ばかりしています。そういえば、午前中にピアノの調律。子どもたちが使っているとどうしても不調な箇所が多くなります。雨のなか、いつもの方が見えて、1時間20分ほどで調律してくれました。
5時。昨日は、2010円分の郵便、本日は、160円分の郵便を用意して、土曜日の編集委員会で持ち帰った宿題はほぼ完了しました。
荷物を受け取りに、大学へ。ちびどもは、武蔵境までいっしょにいって、ヨーカドウへ。(ちびどもは相変わらず「ラブ and ベリー」)
私は、郵便物とシラバスを受け取ってきました。学部のシラバス(正確には授業科目概要)は660頁の大冊。A4ですからこれが重い。
とりあえず、私の担当する授業について確認しました。(今年からウェブ登録というはじめての試みでした。どうなっているのか少し心配でした。ほんとうは改行してほしいところがなされていない点を除き、大きな問題はないようです。)[本日の科学]
ヨミウリに次の記事がありました。
科研費「繰り越し」緩和
これはすこしよい報せです。科研費はこれまで他の役所の予算と同じく単年度決算でした。ですから、年度末にはどうしても数字あわせが必要となります。次年度への繰り越しができるようになると、使い勝手がよくなります。
なお、私も2005年〜06年度で科研費を取っています。科研費は、若い頃2度もらいましたが、今回は久しぶりでした。1年使ってみて、やっとどう使うと効果的かわかってきました。
申請のときにはわかっていなかったので仕方ありませんが、2年度目を小さく押さえすぎたと反省しています。→しかし、これは、どうやっても仕方のない点が残ります。研究の進展につれてウェイト付けが動くのは避けられない。同じくヨミウリに次の記事。
インドネシアで、鳥インフルエンザによる24人目の死者
まだパンデミックという状況ではないようですが、少しずつ死者が増えています。[千のキミア・プロジェクト]
やっと「千のキミア・プロジェクト」の整理をする時間が持てました。お正月以来少しずつ作業をしていたのですが、整理する時間がもてず、ウェブの更新も滞っていました。 整理できたところまでで、1341点です。
同時に、全ファイルリストを05年版から06年版に更新しました。
追加1
追加2
追加3
追加4
追加5
追加6
追加7
追加8
4時半。頭痛はほぼおさまったようです。
昨日は夕刻から雨。家のなかにいても雨音がはっきり聞こえるしっかりした雨でした。おおきいちびは、身分としては、一昨日から小学生。ここしばらく虫歯の治療に通っています。今日の分からは、窓口で現金の支払いが生じます。(杉並区は、小学生になるまでの乳幼児の医療費を負担してくれます。)
JRも調べたところ、4月1日から子ども料金(大人の半額)が発生します。便利なので子ども用のスイカを買ってやろうと思ったら、不正使用の恐れがあるので、JR東日本では子ども用のスイカは発売しないということでした。理由はわかるが不便。またまた強風。春にはよく強い風が吹く、とはいえ、今年はとくに目立ちます。
4時前に目覚めました。昨夜疲れてこどもたちといっしょに寝てしまったせいです。今はだいたい8時に布団に入らせています。あかちゃんが目覚めて騒がなければ、6時から7時の間でちびどもは起床します。HDはまだ回復していません。こんなに長い作業になるとは。
状況ですが、正確にはHDは認識はしているがマウントできないという状況です。
DiskFirstAid では、「重大なエラーがあります。DiskFirstAidでは修復出来ません。」と出ます。
HardDisk Toolkit でも、いろいろ試しましたが、マウントできません。
TechTool Pro も、いろいろ修復してくれたようですが、やはりマウント出来ません。
Norton Disk Doctor を2度目かけています。延々と作業をしています。
→2時間近くかかりましたが、ノートン先生がなおしてくれました。朝の6時半。やっとマウント出来ました。さまざまなエラーが山積していました。まるで私の身体のようだと思いながら、ノートン先生の修復の模様を眺めていました。
結局、各種の修復ソフトを合計で20回以上かけたことになります。コンピュータが再生したので、昨日の編集委員会の仕事にかかりました。今回は処理すべき案件が多いので、時間がかかります。緊急性のないものは2〜3日後にまわして、緊急性の高いものは、今日と明日で片づけます。
忘れていました。4月です。カレンダーをめくりました。
4月6日の長女の小学校入学式以外は、第2行が空白です。そうした空白は久しぶりです。4月10日から授業が始まるので、空白行(週)は1行(週)です。ここんところ、変な時間帯に起きているので、頭がすこし痛い。あるいは、幾分調子が悪いので変な時間帯で寝たり起きたりしているわけですが、とくに目の奥が痛い。
午前中に、家族そろって吉祥寺にでかけ、次の3冊の雑誌を買ってきました。
『別冊日経サイエンス:人体再生、幹細胞がひらく未来の医療』2006
『小説トリッパー』2006年春号
『クォータリーあっと』2号(2005年12月)
ちびどもはまだ「ラブ and ベリー」と言っているので、ユザワヤでひとり3回ずつゲームをさせて、その後地下の本屋さんで買いました。
ユニクロの下のファミリーレストランで昼食を食べてから帰宅。12時。
わあーたいへん。いつも使っているコンピュータのHDが不調です。物理的な損傷ではありませんが、認識しなくなりました。最近調子が少し悪かったのですが、忙しさにかまけて、きちんとしたメインテナンスもバックアップもしていません。
トラブルが多かった頃は、トラブル対応にも慣れていて、すぐに必要な処置が取れました。最近は大きなトラブルはほとんどなくなっていたので、トラブル・シューティングもけっこう忘れています。トラブル・シューティングに必要なツールも手元に揃っていません。
この作業そのものは、第2マシーン、すなわちウインドーズ・モバイル・マシーンを入手するまで帰省するとき、EEBO のために駒場にでかけるとき持ち歩いていたiBook で行っています。最低限のことはこちらでも出来るようにしていますが、なんと言っても、いつも使っていたHDに蓄えられたいたデータ、とくに自分で作成したファイルは貴重です。
本日東工大で開かれる編集委員会の後、ノートン先生を買ってHDの復旧につとめますが、うまくいかなかった場合には・・・・。
→苦労している最中です。編集委員会には、10時前に家を出て、4時半に帰ってきました。
東工大には、花見のための板張りのステージが出来ていました。すばらしい。何日か一般市民のために開放すると言うことで、家族連れが大勢花見に見えていました。近所に住み人には絶好の花見場所です。桜の木も、樹齢のいった立派な木でした。
予定通り、帰途、新宿で降りて、ノートン先生を買いました。ソフマップにしようかと思ったのですが、カードが行方不明。ヨドバシで購入しました。ヨドバシでの買い物は2年ぶりということでした。カードを出したときに、前回利用は2年前なので、ポイントは失効していますと教えてくれました。夕刻アマゾンより次の本が届きました。
河合幹雄『安全神話崩壊のパラドクス:治安の法社会学』岩波書店、2004
中村真一郎『木村蒹葭堂のサロン』 新潮社、2000
後者は、松岡正剛氏の千夜千冊の紹介によります。値段が高いな(5600円)と思ったのですが、取り寄せてみてその理由が分かりました。とても立派な装幀の本です。758頁の大冊。箱入り。
前者は、事実を知っておきたいという理由です。
2005年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
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