ひとり遅れて8時。今月は、115枚。この忙しさのなかで、100枚を超えたのは上出来かもしれません。
今日は、幼稚園でちいさいちびの誕生会。朝から楽しみにしています。→先生方全員のメッセージ・コメントの付された絵はがきを各自がもらいます。家でもよく話す子ですが、幼稚園でもよく話しているようです。面倒を見てくれている先生がみんなそういうふうにコメントをしてくれていました。
[年次改革要望書]
アメリカが進める日本改造や、駐日アメリカ大使館「年次改革要望書」翻訳で、「年次改革要望書」の内容を読んでみました。こうまでストレートに要望しているとは。[紫の謎]
先週のゼミで、紫色が話題になりました。そのとき、紫色とはどんな色なんだろうという根本的疑問が生じました。その疑問とは、次のものです。
:紫は、スペクトル(虹の7色)の一番端に位置づけられている。(つまり、紫外線の前の、人間の眼に見える最後の色。)しかし、普通、学校の美術の時間では紫色は、(虹の7色の逆の端の)赤色と青色の絵の具を混ぜて作る。
:紫色は、赤と青の中間なのか? それとも、青より青よりなのか?色覚モドキソフトを作る その7というサイトでその謎が3分の1ぐらいは解けました。
第1に、そもそも、印刷によってもコンピューターのモニターの画面によっても、自然の虹の色は、まったく再現できていない、ということです。
目で見た虹の色と、書物や雑誌に出ている虹の色は、違うな、と思っていたら、そういう事情がありました。
第2に、色相環では、青-青紫-紫は、円によって赤に接している。つまり、極性の2つの端のように、赤と紫は存在しているのではなく、円環によって隣接している。しかし、では、どうしてこういう色相環が成り立つのか? そこまではまだわかっていません。
ちびどもはたぶんいつもとおり。私は、8時20分。雨は降っていませんが、気温は12時でも17度。そろそろ11月です。[落ちる]
昼食後、一休みしてから、ちびどもを近所の公園に連れていってやりました。ちいさいちびは、最近は、どこかにでかけるとき、ずっと走っています。
公園ではただ休んでいるつもりでしたが、かくれんぼとおにごっこにつきあえというちびどもの要望。あまり走れませんが、まあ、すこしだけつきあってやりました。
そうこうしているうちに、小学3年年の男の子のコンビがちびどもにいっしょに遊ぼうというお誘い。ちいさいちびの場合、かくれんぼといって実はきちんとしたかくれんぼになっていません。いっしょに遊べるのか疑問だったのですが、本人達が OK ということで鬼ごっこをすることとなりました。おじさんも参加しろ、とのこと。あきらめて参加しました。鬼ごっこにも流行、ないし、ローカルルールがあるようで、こおりおに、がどうのこうの言います。(うちのおおきいちびも、そのおにいちゃんたちも。)
しばらく走り回って喜んでいましたが、ちいさいちびが喉が乾いた、お茶が欲しいと言うので、そのおにいちゃんに案内してもらって一番近い自動販売機のところまで行きました。お茶といったいたちいさいちびは、迷いなく、ポカリスエットを指さします。ちびどもにひとつずつ買ってやって、公園にもどるとおにいちゃんたちはなにかいろいろやっています。そろそろ疲れていたちいさいちびは、塀のところを柵につかまって移動するという遊びを開始しました。で、ばたり。地面にうつぶせに落ちました。高さは50センチ程度なので、たいしたことはないのですが、本人はショック。
だっこして自宅まで帰ってきました。
落ち着かせるために、テレビを見させました。朝録画したばかりのマイ・メロディー。2回目の途中で、静かになったと思ったら、寝ていました。この子がこういうふうに昼寝をするのは非常に珍しい。走り回ってかなり疲れたのでしょう。
あまり長く寝てしまうとリズムが崩れて夜大変ですが、うまいぐあいに30分程度で目覚めました。すぐにお風呂にいれ、夕食を食べ、いつも通りの時間に寝させました。公園からの帰り道、郵便物を出しにでかける伊東先生に出会いました。そういえば、前に出会ったときにもちびをだっこしていた記憶があります。
ちびどもが目覚めて、6時半。ちびどもも、私も、最近よく咳をします。寒くなったせいでもありますが、乾燥がよりおおく効いていると思われます。[ソーンダイク第9部 ii ]
昨日届いた、Lynn Thorndike, History of Magic and Experimental Science Part 9New York: Comunbia University Press, 1941, Reprinted by Kessinger ですが、巻末にアペンディスが3つついています。その3つ目が、「錬金術の文献 Alchemical Bibliography」と称して、G. B. Nazari, Della tramutattione metallica sogni tre, Brescia, 1572 から pp.135-44 を採録しています。
ナザリはガリカにあるので、そのページだけプリントアウトして、比べてみました。
確かにこれは有用なリストです。1572年という時点において、ナザリの知っていた(持っていたのかどうかはわかりません)錬金術文献が一覧できるのは、ある種の基準線になります。便利なので、ここに採録の作業を開始しましょう。
(ナザリの通りに採録します。)A
Albertus Magnus de mineralibus et rebus metallicis.
Alphidii quidam tractatus.
Aurora consurgens.
Antonius de Florentia.
Antonii de Abbatia Epistolae due de lapide philosophorum
Arnoldus de Villanova
1. Rosarium philosophorum.
2. Tractatus perfecti magisterii.
3. Epistola ad regem Neapolitaum.
4. Tractatus parabolarum.
5. Rosa novella prima.
6. Rosa novella secunda.
7. Flos florum prima.
8. Flos florum secunda.
9. Liber de secretis naturae.
10. Tractatus ad Iacobum de Toleto de maximo secreto medicinae.
11. Recepta de compositione lapidis philosophorum.
12. Doctrina nova.
13. Lucidarium.
14. Liber artis.
15. Aurea rosa prima.
16. Aurea rosa secunda.
17. Compilationes philosophorum.
18. Novum testamentum.
19. De sublimatione mercurii epistola ad regem Robertum.
20. Quaestiones essentiales et accidentales.
Aristoteles
1. Ad Alessandrum tractatus de arte alchimiae.
2. Sphera de octo figuris lapidis philosophici.
3. De mutatione naturae.
4. De secretis secretorum.
5. Superadditio optima et perutilis.
6. Liber perfecti magisterii sed tenetur fuisse Rasis.
Albertus Magnus
1. Semina recta.
2. Opus optimum et verissimum de secretis philosophorum.Aldemari canonici Carthusiensis et Guielmi Glosa super librum perfecti magisterii Geberis.
Accursus glosator super rosarimu Arnaldi.
Andreae Omnisnboni liber de auro potabile.
Alboales Avicen Albiscenus Arabicus
1. Super operationem artis.
2. Super lapide naturali.
3. Super lapide vegetabili.
4. De re recta ad regem Nasen.
5. De anima.
6. Conclusiones duodecim.
7. Addita super quarto Methaurorom Aristotelis.
8. De mineralibus.
9. Decem capitula aquae.
Alexandri regis Persarum Epistola docta.
Apollonii de Polonia verbum abbreviatum.
Allani quaedam dicta perpulcra.
2. De rotatoine elementorum.
Archilaus
1. Turba.
2. Opus de corporibus.
Albumasaris opus valde pulcrum.
Antonii de Parisio via vilis.
Alberti de Padua tractatus.
Albertus Magnus
1. Ars aclhimica.
2. Opus de lapidibus.
3. De sigilis lapidum.
4. De generatione lapidum.
5. De mineralibus.
6. De comestione.
7. Semita semitae.
Alexandrinus ad Theo(do)siam sororem.
Artis philosophus de secretis naturae.
Artis regis liber de re philosophica.
Andreae Albi medici Bononiensis de aquis dialogi.
Alemanni de Bohemia de lapide philosophico ad Bonifacium VIII.
Auctoritates quaedem contra Ioannem Bracescum Urciensem.
Augustini Pantei ars transmutationis metallicae.
Ars foelix et secreta et naturalis magia pro sanandis matellis.
Adabeis tractatus de quo sit alchimia solis et lunae.
Argumenta collecta ex dictis philospphorum contra dicentes argentum vivim esse lap. phil.
Arbor philosophiae secretae una cum principiis naturae.
Alphabetum artis alchimiae.
Armani de Pistoia quidam libellus.
Arnolphini Lucensis epitome.
Artis discursus.
Anaxagoras.
Aros Philos.
Almeon.
Albubechar.
Albuezar.
Ahabas.
Arsimeles.
Abagazel.
Aros Rex.
Aristus.
Aristeus.
Aristanus.
Astanus.
Africanus.
Albenagrus.
Apulens.
Arislesu.
Ambigadaxar mag. Platonis.
B 以降は、いずれまた。
ちいさいちびが朝方ミルクと言ってミルクを飲んだ途端、咳をしてもどしました。久しぶりです。それで全員目覚めて6時半。朝はもうひんやりしています。
疲れが蓄積しています。今朝はあきらかに睡眠不足。ちびどもがでかけてから、1時間半寝ました。これですっきり。[「蔵書の荷解きをする」]
目覚めて最初にしたのが、一昨日届いたばかりの『ベンヤミン・コレクション2』(ちくま学芸文庫、1996)から、「蔵書の荷解きをする」を読むことです。
こういう文章を書く新人作家を、編集者は、発掘しなければなりません。[荒俣宏氏ブログ]
たぶん、今日はそんなにまともな仕事もできないので、ブログからブログを見て回っていました。なんと、荒俣宏氏がブログを開設されていました。
荒俣宏のオークション博物誌
初回が「死ぬまで買うぞ」。
いいな、こういうの。
群馬県立自然史博物館で開かれている「ニッポン・ヴンダーカマー 荒俣宏の驚異宝物館」の紹介もありました。11月27日まで。富岡。行きたいな、行けるかな。
群馬県立自然史博物館
群馬県立自然史博物館:第25回企画展「ニッポン・ヴンダーカマー 荒俣宏の驚異宝物館」
日本大学芸術学部:ニッポン・ヴンダーカマー
→群馬には行ったことが(たぶん)ありません。調べてみると、新幹線を使っても、現地到着までに3時間かかるようです。[ソーンダイク第9部]
おやつの時間に、アマゾンからソーンダイクの第9部が届きました。
Lynn Thorndike,
History of Magic and Experimental Science Part 9
New York: Comunbia University Press, 1941, Reprinted by Kessinger
Part 9 は、16世紀。695頁で、\6062。1頁あたり、およそ10円の計算がなりたちます。少し気になったので、Kessinger Publishing のサイトを見てみました。History of Magic and Experimental Science に関しては、第5部から第8部は未刊行でした。一気に全部リプリントするのではなく、少しずつリプリント出版の作業を進めているのでしょう。
ボイルに関しては、Seraphic Love, Sceptical Chymist, The Works (1744) の3点を出しています。『全集』は、全集の初版です。入手の難しかったものです。第1巻と2巻の合冊で32ドルは安い。場合によってはもっておいてもよいかもしれません。
ファーガソンの Bibliotheca Chemica もあります。錬金術では、158タイトル。
哲学のジャンルには、4995タイトル。ニュートンの『プリンキピア』もこのジャンルに収められています。(つまり、自然哲学を含むということでしょう。)
おおきいちびといっしょに6時30分。昨夜お酒を飲んだせいなのか、リズムが正常化したのか、どちらかわかりません。3限、4限、5限の授業。
[文学力と立ち止まるレッスン]
昨日の奥泉光氏の講演の主題「文学力」と、本日の朝日新聞の記事「今こそ立ち止まるレッスンを」(斎藤美奈子氏)は、偶然の一致で、同じ主旨です。
今の日本の言葉のありように対する、危機感で、共通するものがあるのだと思います。私も、これではやばい、と思います。
おおきいちびといっしょに6時45分。私はこれで正常化。ちいさいちびは寝息をたててよくねています。
仕方がないのですが、学期がはじまるとどんどん忙しくなります。予定していなかった会議や打ち合わせがどんどんはいってきます。[いくつかの忘れていたことなど ]
5限の時間帯に、奥泉光氏による「読むことの想像力」という講演会があることを忘れていました。お昼の講座会議のときに気付きました。
「文学力」というキーワードで展開される講演は、ユーモアと元気にあふれ、大変面白いものでした。放課後、メヒコの現役詩人3人を呼んで開かれる「もうひとつの声を聞く」という水曜文化講座があるのを忘れていました。大学に着いて、気がつきました。奥泉さんの講演会のあと駆けつけました。私はスペイン語はわかりませんが、3人の詩人によるスペイン語のリズムは堪能しました。今年入学したばかりの学生がスペイン語でしっかりとした質問をして、教師連中を感動させていました。積極的に使う姿勢がよし。
[いくつかの届いたもの]
大学図書館に、科研費で発注したデカルト全集の CD-ROM が届いていました。朝大学について真っ先に取りに行きました。意外なことに図書館は月末休館となっており、本の貸し出し等の業務はお休みでしたが、私の行き先はカウンターではなく、事務室の奥なので問題なし。
研究室で早速使ってみました。まず、昔論文で書いた事柄、すなわち、デカルトは「一次質 primae qualitates 」というスコラ哲学の用語を一度も(!)使っていないことを確認しました。この辺が、デカルトの意地悪さ=一貫性です。
また、キミアの人名で検索してみましたが、パラケルススの名前もファン・ヘルモントの名前も一度も出していません。見事です。打上飲み会のあと、帰宅すると、2点の郵便物が届いていました。
一点は、夏に書いていた書評の掲載されている『科学』(2005年11月号)です。金子務氏の『オルデンバーグ―17世紀科学・情報革命の演出者』の書評です。編集部の都合で掲載号が1号あとになっています。忘れかけていました。
もう1点は、ちくま学芸文庫の『ベンヤミン・コレクション2』です。「蔵書の荷解きをする」が収録されています。
ちびどもはたぶんふだんとおり。私は、少し遅れて、7時50分。今日はおおきいちびの遠足。電車に乗って、鉄道公園に行くとのこと。ちいさいちびもいっしょに行きたいと昨夜からいっています。科研費の書類の処理のため、ちびどもといっしょに家をでて、大学へ。今日はおおきいちびの遠足でいつもより30分早く家をでました。大学には、9時過ぎにつきました。明らかに1限に出席する(つまり、遅刻する)学生諸君といっしょでした。
書類の処理は、提出し、確認してもらえばそれで終了。後は、研究室で、「千のキミア」プロジェクトで積み重なったCD-R の整理をしていました。たぶん、80枚前後。何とか目につくものは全部整理することができました。
整理しないといけないものは多くあるので、年末にかけて、ギアチェンジします。昨夜から肩が痛いな、と思っていたら、重い荷物を運んだせいでした。昨日、今日とかなり重いカバンを持っていきました。筋力が低下しているのに、それが自分でしっかりと把握できていないため、つい、重すぎるものを持ってしまいます。
→肩こりが頭痛に繋がることが実感できました。大学をでるあたりから、体調がよくないな、と思っていたら、肩と頭に来ました。やはり年齢を考えて、荷物は少な目にしなければならないようです。仲正昌樹
『日本とドイツ 二つの戦後思想』
光文社新書、2005
駅前の本屋さんで購入して読み始めました。ほとんど100%賛成できます。
ちびどもはたぶんふだんとおり。私は、すこし遅れて、7時20分。これならまずまず。晴れ。今日は幼稚園の芋掘り会。ちびどもは朝から踊っています。大学から帰り着くと、次の本が届いていました。
Guglielmo Cavallo and Roger Chartier (eds.),
A History of Reading in the West
(Studies in Print Culture and the History of the Book)
Boston: University of Massachusetts Press, 1999
Histoire de la lecture dans le monde occidental, 1995 の英訳です。『読むことの歴史』はフランス語から訳されたようですが、この英語版も参照したとあります。もとのことばを知りたくて、買っておきました。値段は、この英語版の方が、邦語版より安い。他に、編集委員会宛の郵便物が2点来ていました。
ちびどもはたぶんふだんとおり。私は、ひとり遅れて、9時。これでも昨日よりはまし。やっと晴れ。体のなかに疲れがたまっています。今日はゆっくり休んで、明日からの仕事に備えることとしました。
ちびどもはたぶんふだんとおり。私は、ひとりずいぶん遅れて、9時40分。これは、明らかに疲れています。
→昨夜は、本を繙く気になれず、ディスカベリー・チャンネルを見ていました。トロイの町の発掘、並びにO-157 に襲われたカナダの町、という2本を見ました。カナダの町では、水道水が O-157 に汚染され、住人の半数が感染し、7人が死去しました。O-157 の集団感染がどれほど恐ろしいものかよくわかりました。(O-157に対しては、直接的な療法がない。)[積み木 ]
これまであまり遊んでいなかった積み木でちびどもが遊ぶようになっています。ドミノは私が買いましたが、積み木はもらったもので、数があまりありません。すこし買い足してやることとしました。
妻の運転で、吉祥寺のユザワヤへ。まず、地下の本屋さんでちいさいちびはジグソー・パズルを選びました。選択にかかった時間、1秒。おおきいちびはおおいに考えています。いつもかなりかかるので、おおきいちびが悩んでいる間に、ちいさいちびを連れて積み木のある場所へ。ドミノも近くにおいています。ちいさいちびに、普通の積み木とドミノとどちらがよいか聞くと、ただちにドミノ。結局、ドミノ(70枚組)と、4歳用ジグソー・パズルと、たまごっちの解説本の3点を買ってやりました。
私と妻は、コーヒー、ちびどもはチョコレート・ケーキを食べてから、帰宅。
居間でさっそく買ってきたばかりのドミノを開け、遊びはじめます。私が、ドミノだからドミノ倒し用に並べていると、やるなと怒ります。ちびどもは、色ごとに整理して、並べて遊びはじめました。もちろん、それは、それで OK なので、あとはちびどもに任せました。
→そう言えば、積み木(ブロック)は子どもの頃、私が大好きなものでした。こどもたちにつきあっていると、今でも想像力の部分に刺激を受けます。ドミノはそもそも子どもの頃は身近になく、ずっと欲しくて、機会がなかったのが、ちびどもが生まれてから、意識の前面にのぼり買ったものです。
どの家庭でもそういう点があると思いますが、こどもに買ってやるおもちゃは、親がこどものとき欲しかったものが半分まじっているのでしょう。
ちびどもはたぶんふだんとおり。私は、ひとりずいぶん遅れて、9時20分。寝ようとしたときに、ちいさいちびがおもらしをして、うまくねつけなかったせいです。ちいさいちびは、寝る前、水分を取りすぎです。しばらく、また夜はおしめ生活に逆戻り。[日々の満足 ii ]
なにかひっかかるものがあったので、駅前の本屋さんでベンヤミンの「蔵書の荷解きをする」(『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』所収)がないかどうか見てみましたが、おいていませんでした。大きな本屋さんに行けばすぐに入手できると思いますが、それほど急いでもいないので、アマゾンに発注しました。来週には読めるでしょう。
ついで、グーグルで検索してみました。「蔵書の荷解きをする」を引用している方々の文章には、自然な共感を覚えます。そうした人たちがあげる本については、読んだ記憶があるものがあります。ベンヤミンその人のフックス論は興味深く読んで覚えています。 清水徹『書物について』 は大昔に読んだ記憶があります。今は、書棚のどこにあるのかまったくわかりませんが、大学が引っ越す前の研究室のどの位置に置いていたかの記憶はあります。実はある種の書物に関しては、大学院生時代の下宿における配置を覚えています。
→こうして、私の読書論・史に関する関心は、実は昔からのものだということに今日気付きました。ここんところ、すっかり忘れていました。
→『読むことの歴史』において、焦点化されている1つのテーマ、音読と黙読の差については、実はずっと前から大学の授業で話しています。
ちびどもはたぶんふだんとおり。私は、8時。久しぶりに晴れました。布団がほせる。→昨夜、ちょうど私が布団にもぐろうとしたころ、ちいさいちびはすこし目覚めていました。寝る前にポカリをたくさん飲んでいたことが気になっていました。動き方がちょっと変なのでもしやと思って、お尻の部分に触れてみると、少し濡れています。ちょびっともらしています。すぐにお手洗いに連れていきました。ある程度は我慢していたようで、自分でちゃんとすわっておしっこをしていました。ポカリは、帰途、あまりに喉がかわいたので、駅のキオスクで私が買ったものです。理由はよくわかりませんが、昨日はなぜかとても喉がかわいた。どうもちいさいちびも喉がかわいていたようで、夕食の前後から寝るまでにいろんな水分をたくさんとっていました。すっきり晴れた日は、気分がよい。最低気温も10度近くまで下がりました。学生たちは、来月後半の外語祭に向けて動き始めたようです。
木曜日は、3コマの授業。大学に行ってからはばたばたしてしまいます。5階と1階を上がったり、降りたり。→その場はまったく平気ですが、帰宅すると疲れがでてきます。
[日々の満足]
昨夜は、会議の疲れが抜けた後、『読むことの歴史』からロジェ・シャルティエの「 読書と「民衆的」読者―ルネッサンスから古典主義時代まで」という一編のみを読みました。満足。一日にひとつ、こういう論文を読むことができたら、満足です。
そこで、シャルティエは、16世紀から17世紀にかけて、とくに1570年から1630年にかけて出版された「オカジネル」という冊子ジャンルについて記述しています。形式的には、8つ折り版のパンフレットです。つまり、8ページまたは16ページのもの。流通は、最初はパリのみ、ついでその他の都市。売り歩いたのは、行商人や移動商人。大多数のものは、「物語」または「論」として提示された。
テキストの構造は、1.神学的ないし道徳的な一般的真実、2.その真実を例証する物語、3.読者がそこから導くべき宗教的教訓。
ロレーヌ・ダストンによれば、オカジネルは、秘伝書と同じく、科学的事実という近代的概念の起源のひとつとなった。
さて、この論集におけるグラフトンの書き物は、ベンヤミンの「蔵書の荷解きをする」というエッセイを引用しています。
→さて、シュルティエのグラフトンも引用する次の論文は、取り寄せて読みます。
L. Jardine and A. Grafton, "Reading for Action: How Gabriel Harvey Read his Livy", Past and Present, 129 (1990), pp.30-78.
さらに次のものも。
W. J. Ong, "Commonplace Rhapsody: Ravisius Textor, Zwinger, and Shakespeare", in R.R. Bolgar (ed.), Classical Influences on European Literature, A.D. 1500-1700, Cambridge University Press, 1976, pp.91-126.
Lorraine Daston, "Marvelous Facts and Miraculous Evidences in Early Modern Europe", Critical Inquiry, Vo.18, No.1 (1991), pp.93-124.
おおきいちびがおしっこと言って起きるのと、ちいさいちびがおしっこをもらしているのに気付くのとほぼ同時。6時45分。ちいさいちびはおしっこをもらしても目が覚めないようです。会議の日。朝10時からと午後2時半から。
10時開始の教室の点検作業は、11時10分ぐらいに終了。
2時半開始の大学院教授会は、開始が20分程度遅れたのにもかかわらず、4時頃に終了。
駅前で用事をすませても、5時前に帰り着きました。[ソーンダイクのリプリント]
大学から帰ってくると、大きな箱。開けてみると、キーシンガーによる、ソーンダイクのリプリントが出てきました。
Lynn Thorndike,
History of Magic and Experimental Science Part 12
New York: Comunbia University Press, 1958, Reprinted by Kessinger
Part 12 というのは、17世紀でもとの最後の巻です。Kessinger のは写真復刻なので、問題なく使えます。もとのものより幾分か大きいのが老眼の進んだ目にはありがたい。
全部で14冊。厚さによって値段はかわりますが、まあ、1冊数千円といったところです。平均をかりに5千円としたところで、合計7万円。少しずつ買いそろえていきたいと思います。[Critical Inquiry ii ]
昨日報告した Critical Inquiry ですが、ざっと目次を追ってみました。私は、実物をどこかで見た記憶がありますが、どこかは定かではない。
アカデミックでおしゃれな『現代思想』といったところでしょうか。カルロ・ギンズブルグ、デリダ、クリステヴァ、ジジェック、ネグリ、パノフスキー、サイモン・シェーファー、ロレーヌ・ダーストン、ピーター・ギャリソン、等々の名前に出会います。
最近(ここ10年間ぐらい)のものは、ウェブ上で直接論文を読むことができるようになっています。(古いものは、目次のみ。)
表紙のデザインも凝っていて、いつかこういう雑誌も作ってみたい、というそういう雑誌になっています。
第21巻(1994)第1号の最後の3つは、次の通りです。
ロレーヌ・ダーストン「啓蒙主義の計算」
サイモン・シェーファー「バベッジの知能:計算機と事実のシステム」
ピーター・ギャリソン「敵の存在論:ノーバート・ウィナーとサイバネティクスのヴィジョン」
ちびどもはたぶん普段通り。私は、電話で、8時。電話がなければ、もうすこし寝ていたでしょう。[Critical Inquiry ]
昨日大学院の授業の学生に、Critical Inquiry, Vol.31, No.1(Autumn 2004)の存在を教えてもらいました。この巻の掲載論文が全部読めるようになっています。アン・ブレア、ロジェ・シャルティエ、ロレーヌ・ダーストン、ピーター・ギャリソン、フリードリッヒ・キトラー等々が論考を寄せています。
昨夜は、早速、アン・ブレアのものを見ていました。(見る、すなわち、本文はまだ読まずに注だけ読んでいました。)
この特集は、デジタル・テキストの問題を視野に収めています。[千のキミア]
ガリカでどのぐらいオイラーがダウンロードできるのだろうと、試してみました。1911年に刊行の開始されたオイラー全集はその原稿量のあまりの多さにまだ完結していません。Series 1 は、数学著作集で、全29巻(30冊)。これは完結しています。そのうち、8点がダウンロードできました。Series 2 は、力学・天文学著作集で、全31巻(32冊)。未完結。ここからは1点のみダウンロードできました。
Series 3 は、物理学著作集・雑録で、全12巻。完結。Series 4A は、書簡で4冊出版されています。Series 4B は、手稿で出版準備中=まだ何も出版されていません。
アカデミー版のライプニッツも完結していませんが、オイラーは、その上を行きます。Euler, Leonhard (1707-1783)
Introductio in analysin infinitorum
Tomus 1
Lausanne : apud Marcum-Michaelem Bousquet, 1748
Introduction à l'analyse infinitésimale
T. 2
Paris : chez Barrois, 1797 Leonhardi Euleri opera omnia. Series I, Opera mathematica.
T. 3, 6, 8,17, 19, 20, 21,
Lipsiae ; Berolini : B. G. Teubneri, 1913-
Opera mechanica et astronomica. Series secunda. Volumen primum, Mechanica sive motus scientia analyticae exposita
Lipsiae ; Berolini : B. G. Teubneri, 1912
Nardo Antonio Recchi, Johannes Terrentius Lynceus, Francisco Hernández
Rerum medicarum Novae Hispaniae thesaurus
Rome, 1651
Grew, Nehemiah
Musaeum Regalis Societatis
London, 1686
Ascanius, Peder
Inones rerum naturalium
おおきいちびはいつもとおり。私は7時過ぎ。ちいさいちびは明け方おもらしをして、再度寝付いたために、8時現在、まだ就寝中。でもまあすぐに起きるでしょう。まだ雨。→8時半まで寝ていました。記録です。ふだんももうすこし長く寝てくれると助かるのですが。
朝方に強い雨。帰ってきてからも一時的にかなり強い雨。ちびどもの幼稚園で明日予定されていた芋掘り会は今日中止が決まったと言うことです。まあ、これから晴れてもどろだらけですから、妥当な判断です。→パリーグ優勝決定戦を見ている頃から、雨足が強くなっています。また台風が近づいているのでしょうか。[パリーグ優勝決定戦 ]
最近プロ野球は見ていないのですが、今日のパリーグプレーオフ最終戦マリーンズ対ホークスは後半から見ました。緊張感の持続するよい試合でした。
これで日本シリーズは、タイガース対マリーンズ。卒業生の赤坂氏より、特定非営利活動法人失敗学会『失敗年鑑2003』(失敗学会、2005)を一部お送り頂きました。ありがとうございます。図式化がわかりやすい。
[ゲッチンゲン大学デジタルライブラリー iii ]
ゲッチンゲン大学デジタルライブラリーですが、昨夜ダウンロードを試みたものは、久しぶりにタイムアウトとなりました。つまり、失敗しました。ファイルがかなり大きく、十分な速度がでていなかったせいです。(その著作は、マッティオリ編のディオスコリデスです。これはもちろん十分長大です。)
ということで、失敗したものを今日大学でリトライしてみました。今度はうまくいきました。大学のネットワークは、100Kから200Kの速度がでていました。平均値で150K程度でしょうか。このぐらいの速度があると、最後までダウンロードできるようです。
ちびどもはたぶんいつもとおり。私は、ひとり遅れて、9時20分。どんどん遅れています。昨夜は、『読むことの歴史』の文献表と注を読んでいました。だいたい、重要な論文、著作がどれだかわかりました。
昨日は日が暮れてから、雨。その雨がまだ降り続いています。[パン作り ]
ちびどもはたまにパン作りをします。一番は、小麦粉を捏ねるのが楽しいというものですが、割とよくやっているので、最近は手慣れてきてきます。今日は、妻がお昼ご飯を作っている最中、ちびどもはパン作りをしていました。いつもは見ないのですが、今日は見てやりました。けっこう上手に捏ねています。イーストを入れるので、2〜3時間ほどねかして、おやつのときに小さな電子オーブンで焼きます。
これがけっこういける。
自分たちでもよく食べていました。[ゲッチンゲン大学デジタルライブラリー ii ]
ゲッチンゲン大学デジタルライブラリーを見直してみました。
数学のモノグラフ(単著)で392点があります。
動物誌は、モノグラフで112点。
旅行記は、モノグラフで449点。
利用条件に合意すると、pdf でのダウンロードもできます。CD-R を購入することもできます。
ちびどもはたぶんいつもとおり。私は、ひとり遅れて、9時。つい遅くまで本を読んでいたせいです。約束だったので、午後2時前に、ちびどもを近所の児童館に連れていきました。小学生達が大勢集まり、なにかのイベントをやっています。すぐに児童館はあきらめて、近所のタンポポ公園に。
タンポポ公園は誰も来ておらず、まあ、貸し切りのような形で、ちびどもは遊んでいました。遊んだと言っても、時間の9割は、他にはあまりないシーソーに乗っていました。3時頃、おなかがすいたというので、近所のコンビニでおやつ。ちいさいちびは、雪見大福。おおきいちびは、(アイスクリームを欲しがりましたが、おなかを壊して冷たいものを食べさせるわけにはいかないので)ジャガリコ。私は、ホット缶コーヒー(エスプレッソ)。
慣れたもので、ちびどもはすぐにコンビニのなかの飲食コーナーに陣取りました。お茶が欲しいというので、お茶を買い、おおきいちびが私もお餅、お餅、というので、冷たくない普通の大福を買い、そして、雪見大福の皮(すなわちお餅の部分)だけを食べてみたものの、まだ満足できないちいさいちびがチョコレートというので、茸の山を買って、と続々継ぎ足していきました。食べるのに飽きたちいさいちびがお店のなかで隠れん坊をはじめそうだったので、お店を退散し、自転車ですこし散歩。池の金魚を見たり、体操教室を覗いたりして、駅前の八百屋さんで蜜柑を購入し、99円ショップで牛乳を買って帰宅。4時半。
2時間半の外出でした。[Musaeum Wormianum]
去年出版した論文の作業の継続です。ボイルの引用箇所の照合です。
おお、またやってくれていました。『ボイル著作集』第4巻の299頁で、ボイルは、『ウォーム博物館』の pag.122 から数行引用しています。これは、ボイルの引用する通りにありました。
しかし、同じく第4巻の195頁で、ボイルは、『ウォーム博物館』の pag.186 と pag.99 を引用しています。『ウォーム博物館』pp.186, 99 をどう探してもボイルの引用する箇所はない。前後を見てみて、ボイルが pag.186 と記しているのは、pag.106 の誤記だとわかりました。また、pag.99 は pag.96 の誤記でした。
念のために、初版のリプリントも見てみましたが、この誤記は、そこにもあります。
誤記の原因は何通りか考えられます。
1.ノートをとった写字生の写し間違い。
2.そのノートから原稿を作成するときのボイルのミス。
3.印刷所のミス。
もしこれが写字生のミスだとしたら、かなり不注意な写字生です。
(186と106;99と96は、理解できる数字の誤記です。)
ちびどもといっしょに7時。
最近は夜、外で食べたり、飲んだりすることはまずありません。それが、昨日&一昨日と2晩続きました。すこし疲れました。そして、いくらか睡眠不足。疲れと睡眠不足は今日補うつもりです。[ゲッチンゲン大学デジタルライブラリー]
サットンさんのサイトで、新規追加項目を追っていたら、 ゲッチンゲン大学デジタルライブラリーに行き着きました。一昨日記した『ウォーム博物館』はここからダウンロードしました。動物誌と旅行記の分野に関しては、とても充実しています。
ジャンル分けは次のようになされています。
| Autobiographica | Itineraria/Travelbook | Maps | Mathematica | Early North-Americana | History of Humanities and Sciences | Sibirica | Varia | Zoologica |
時間に余裕があれば、リストを作成してもよいのですが、当分は無理です。けっこうよいコレクションだと思います。新規追加項目アルピーノの『エジプト自然誌』があったので、喜んでみてみました。
Aboca Museum
作品全部ではなくて、表紙、目次、図版が中心に一部のページの画像がアップされていました。もちろん、本の様子がわかるだけでも、まったくわからないよりずっとましなのですが、でも内容を調べることができないのも事実です。他になく、本の様子を知りたいときに使うというのが、まあ正しい使用法でしょう。[読むことの歴史]
水曜日に届いた『読むことの歴史』を少しずつ読み進めています。わあ、これは、面白い。広い意味での人文学や人文主義にすこしでも関心がある方すべてにとって必読文献だと言ってよいぐらいです。本当に面白い。ごく短く引用。 "dulce bellum inexpertis" 「戦争は経験のない者には楽しい。」
エラスムスの『格言集』からです。(265頁)グァリーノ・ダ・ヴェローナからレオネッロ・デステ宛ての手紙。(1435年)
「何を読む場合でも、雑記帳を用意して、気に入った章句を書き留めておきなさい。
(一部略)
書き留めるのが面倒で、読書の妨げになると思うのなら、賢く教育もある少年にその役目を任せればよいのです。」(261頁)
「人文主義者は、読書に際して常にペンを手に持ち、テクストを読むにつれて書くことも同時に行っていた。」(275頁)。
一言で言えば、「ペンを持って読む」。これが人文主義者の読書だったということです。ペンを動かす場所は、1に本の欄外のスペース、2にノート。
そして、身分によっては、読書ノートを取るときに、写字生を使うこともあった。(172頁)アルファベットを利用して、欄外注に参照位置を連続的に示すシステムは、10世紀末北フランスのベネディクト会修道院の書物のなかにはじめてあらわれ、その後法律書で利用された。14世紀末には、文学作品の注釈にも使われた。
(147頁-8)スコラ哲学の時代、学生たちは、原典を読むことはあまりなく、「詞華集と要旨を嬉々として利用」した。
ちびどもはたぶんいつもとおり。私は、8時。今日は良い天気。起きると次の本が届いていました。
I. Bernard Cohen & Richard S. Westfall (ed.),
Newton: Texts Backgrounds Commentaries (Norton Critical Editions)
New York and London: Norton, 1995
いろいろあって、大学に着いたあとは、走り回っていました。
5限終了後、「イスラームと文学」という研究所主催のシンポジウムに参加。3人の演者の二人目のまんなかぐらいに間に合いました。予想よりずいぶん盛況で、部屋にはいった瞬間イスが見つかりませんでした。5分ぐらいほどたったまま見て、一番前に席が空いているのがわかり、一番前で話を聞いていました。
私のまったく知らない世界で、貴重な体験でした。
その後、簡単な夕食会。遠くから見えた方に、15年前に先生の授業をとっていましたと声をかけられてびっくりしました。講義の授業では、出席者の方を覚えていることは多くはありません。でも、向こうは確かに記憶してくれており、なんというのでしょうか、不思議な感覚を味わいました。
→18年の歴史というのでしょうか、18年たしかに働いてきたのだということを感じました。
ちいさいちびがおきてあばれて6時半。朝方はかなりひえこんできました。[千のキミア]
昨日のサットンさんの続きで、次のものをゲット。
Ole Worm
Museum Wormianum Seu Historia Rerum Rariorum
Lugduni Batavorum, 1655
1時から委員会。すこし休憩して、2時半から教授会のはずが、ほぼ30分遅れて3時スタート。すこしもめましたが、でもまあ、5時過ぎには終了。
その後、夏のシンポジウムを手伝ってくれた院生の慰労会に突如参加することとなりました。吉祥寺のベトナム料理屋。
エスプレッソを飲んで帰ってきました。[読むことの歴史]
帰宅すると、アマゾンより次の本が届いていました。
ロジェ・シャルティエ/グリエルモ・カヴァッロ
『読むことの歴史―ヨーロッパ読書史』
田村毅・月村 辰雄・浦 一章 ・横山 安由美・片山 英男・大野 英二郎・平野 隆文訳、大修館書店、2000
これは、大ヒットです。たぶん、一般的にもとてもよい本でしょう。しかも、私の今の関心にぴったりです。
序章、田村毅+浦 一章
第1章 アルカイック期と古典期のギリシャ―黙読の発明、ジュスペル・スヴェンブロ
第2章 巻子本から冊子本へ―ローマ世界における読書、グリエルモ・カヴァッロ
第3章 テクストの読解、筆写、解釈―中世前期における修道院の習慣、マルカム・バークス
第4章 スコラ学時代の読書形式、ジャクリーヌ・アメス
第5章 中世後期の読書、ポール・サンガー
第6章 ユダヤ人社会の読書―西ヨーロッパ中世における、ロバート・ボンフィル
第7章 人文主義者が読む、アンソニー・グラフトン
第8章 宗教改革と読書、ジャン・フランソワ・ジルモン
第9章 読書と反宗教改革、ドミニック・ジュリア
第10章 読書と「民衆的」読者―ルネッサンスから古典主義時代まで、ロジェ・シャルティエ
第11章 十八世紀末に読書革命は起こったか、ラインハルト・ヴィットマン
第12章 十九世紀の新たな読者たち―女性、子供、労働者、マーティン・ライオンズ
第13章 読書のための読書―読書の未来、アルマンド・ベルトリッチ
訳者あとがき、月村辰雄
参考文献
原注
索引
ちびどもはたぶんいつもの時間。私は、ひとり遅れて、8時前。科研費の書類の処理のため、10時前に家をでて、大学へ。ちょうど2限開始に間にあう電車に乗りました。私がいつも使っている時間帯と違い、大勢の学生。同僚の先生お二人と偶然乗り合わせて、世間話をしながら、キャンパスに向かいました。
手続きは、学生たちに作業(資料やデータの整理)をしてもらいます。その準備です。[おどる、おどる]
ちびどもは、今日からまた幼稚園。運動会が楽しかったようで、自分たちで、音楽MDをかけて、踊っています。運動会のダンスの振り付けが基本ですが、途中で、奇怪なステップ(?)を入れます。
機嫌がよいのは、何よりよいのですが、たぶん、今日は張り切りすぎて、ばてて帰ってくる可能性が大です。[現代住居コンセプション]
監修者のおひとりの南泰裕さんから次の本を大学宛て送ってもらいました。南さん、いつもありがとうございます。
プロスペクター[南泰裕+今村創平+山本想太郎]監修
『現代住居コンセプション―117のキーワード』
INAX出版、 2005
[千のキミア]
久しぶりにサットンさんのサイトを見てみました。16,390点まで増えています。新しく追加された文献のリストを見ていると、ずっと欲しかった2点が見つかりました。そのなかで、
Bontius, Jacobus
De Medicina Indorvm Lib. IV.
Lugduni Batavorum, 1642
をゲットすることができました。もう1点は残念ながらリンク切れでした。[イギリス思想の流れ]
中世哲学史を調べていたときに、ああそういえば買うのを忘れていたと次の本を想起しました。さっそくアマゾンのマーケットプレイスに発注したところ、おやつのあと、郵便で送られてきました。
鎌井敏和・泉谷周三郎・寺中平治編著
『イギリス思想の流れ:宗教・哲学・科学を中心として』
北樹出版、1998
→一部ですが、読みました。(10月4日に記した)『中世哲学を学ぶ人のために』と同様の欠点があります。初心者用の教科書として計画されたようですが、計画が間違っていると思われます。たぶん、出版不況のなかで、大学生に買わせるためにともかく値段をおさえようということで、紙幅を制限したのでしょうが、虻蜂取らず、に終わっていると思います。すなわち、初心者が読んでも満足できない、専門家が読んでも満足できない本になっていると思います。少なくとも、この数倍の紙幅が与えられるべきだと思います。この紙幅だと、個別のエピソードには記憶に残るものがある、というだけになってしまうでしょう。初心者の学生が読んで、流れをつかむことはとうていできないものです。
ちいさいちびが起きて、さわいで、6時半。秋の雨が続きます。体育の日で休日。しかも、雨。ずっと家のなかだとちびどもがどうせもちません。スポーツセンターのキッズルームに連れていこうかと思ったのですが、そう言えば、体育の日だから、イベントで混んでいます。高井戸のスーパーヴァリューに行くこととしました。(私には、紙を買う用事もありました―学会の編集の仕事は、かなり多量に紙を消費します。)
ちょこまか動いているので、妻は車の運転にかなり慣れてきたようです。
ちびどもは、システム・キッチンのところで、料理ごっごをして遊んでいました。すると、ちょうど歩き始めたばかりの1歳前後の赤ちゃんがやってきました。そのまわりをくるくるくるくるまわって遊んであげていました。ちいさいちびは、人見知りせず、本気で遊んであげるので、自分よりちいさいこどもにどうもなつかれるようです。その子のお母さんがバイバイと言ったとき、まだまだ遊んでもらいたい様子でした。
ちいさいちびは、うちのなかでは甘えん坊、外では親分肌、という性格がはっきりしてきました。[小泉総理]
やはり気になるので、総合雑誌でも、今回の総選挙の総括の記事であれば読みました。小泉さんが本当のところ何をしたいのか、実はまだよくわかりません。郵政民営化は、昔からの主張なので、一応わかります。(でも、内容の検討をすると、本で書いたことと、今回の法案はけっこう違っているようですが。。。)
もうひとつ、特攻隊で散った青年兵士に強い共感をもっていることも彼の行動からはわかります。
さらに、郵政大臣になったのに、大臣をシカトした元郵政省(のお役人たち)に恨みをもっているのもわかります。
しかし、それ以上が実はわからない。
もしかしたら、シングル・イシューのプライマリー・ミニスター?さて、小泉総理の次の総理がものすごく大変な役回りなのは、これはよくわかる。消費税アップが必要だと考えているのに、自分の任期中はやらない、なんていう方針をぬけぬけと言い立てるのは、あまりにも厚顔ですが、次の総理は、そのつけを支払わなければならない。そして、選挙では必ず負ける。つまり、議席を減らすことになるでしょう。
現実的な可能性はきわめて低いのですが、小泉さんは心情的には前原さんに後継者をやってもらいたい気持ちがあるのではないでしょうか。次期総理候補と言われている人よりも、前原さんの方が好きなのではと私には見えます。
ちびどはたぶんいつもとおり。私は、ひとりずいぶん遅れて9時。昨夜の作業で目が疲れたせいです。
さて、やっていた作業は、Hyle の雑誌コンテンツサービスのページによって、化学史の論文を抽出する作業です。これは、100に1つ、50に1つを探し出す作業です。パソコンの画面をにらみつけていて、目が疲れました。[はしる、はしる]
ずっと家のなかにいると、ちびどもが切れそうになります。私の散歩を兼ねて、おやつの時間に、外に連れ出しました。まずは、駅前の本屋さん。なんと、家をでた途端、ふたりでかけっこをはじめました。金曜日の運動会の後遺症(?)です。とくに、ちいさいちびはやる気満々。またかけっこをやりたいと言います。
ちなみに、ちいさいちびは4人で走って1番、おおきいちびは3人で走って3番。ちいさいちびが1番だったのは、先頭を走っていた子がまわりのことが気になって横・後ろを見たときにスピードが落ちたせいです。2番目を走っていたちいさいちびは、それでゴール前逆転しました。おおきいちびの3番は、クラスで最も速い子と2番目に速い子と組みになったからです。見ていると、おおきいちびは、走る速さでは、2番手のグループです。ちいさいちびに関しては、まだわかりません。年少だと、まだ客観的な比較をすることがそもそも難しい。
交差点では、必ず止まるように言い聞かせて、出発しました。すぐにおおきいちびがおしっこと言ったので、最寄りのコンビニでお手洗いを借りてから再出発。本屋さんでは、ちいさいちびはすぐにプリキュアのシールブックを選びました。おおきいちびは、ずっと迷っているので、カウンターの上にある「たまごっちの解説本」でどうだと提案すると、OK とのこと。ふたりもとまだ力が余ってそうだったので、大回りで99円ショップに向かいました。野菜、果物、お肉がおいてあるのは、たいへん便利。ちびどもはおやつをひとつずつ買って満足しました。
ちなみに、妻によれば、99円ショップのすぐ近くの八百屋さんは、値段を下げたということです。商売をやっていればそれは当然でしょう。ただし、99円ショップにはそもそもおけないものも多いので、ただちにどの程度影響があるのかは不明です。
ちびどはたぶんいつもとおり。私は、8時。夜から雨が降っていました。今朝は晴れてはいませんが、雨は止んでいます。[未来からのメール]
たまにやってしまいます。必要なメールをジャンクメールと間違えてゴミ箱行きにしてしまいます。
標本の保管を目的として、ある時期から全てのジャンクメール、迷惑メール、ゴミメールをゴミ箱に飼っています。間違ってゴミ箱送りにしたメールを救出するために、ゴミ箱を開けてみました。そろそろ1万5千件に近づく量です。オープンにずいぶん時間がかかりました。そして、開けてみると、未来からのメールがけっこう数多く来ていることに気付きました。2005年の11月のものも12月のものも、けっこうありました。もちろん、ありえない大過去(私の生まれる前)からのメールもごく少数ですがありました。
私のようにメールボックスの昇降順を、新しいものから古いものへ下る方式にしている人は少なくないでしょう。そう言う人の目にとまるように、意図的にパソコンの日付を1カ月から2カ月未来の日付にして、ジャンクメールを送っているのでしょう。
ともあれ、ジャンクメール、ゴミメールの送出者は、いろいろ考えています。[総合雑誌]
ちびどもが遊びから帰ってきてから、駅前の書店で、3冊の総合雑誌を買ってきました。『中央公論』2005年11月号、『文芸春秋』2005年11月号、『論座』2005年11月号です。
いつもと違い、今回は、誰が読むのであろうといつも不思議に思っている総合雑誌の巻頭グラビア記事について。『文春』には、今はもう絶滅寸前の大判のグラビア雑誌にこそふさわしいグラビア記事が9点連載(?)されています。写真としては、少なくとも倍以上の大きさがないと意味がないように思われます。しかし、どういう経緯からか、相当量のページが割かれています。
例えば、「世界遺産の旅」という記事があります。今回は、ヨセミテとバースを取り上げています。実は、バースには行ったことがあります。写真にもほとんど見覚えがあります。"The King's Spring" という鉱水の蛇口の写真には、18世紀の貴族は、医者に勧められて一日3杯の鉱水(温泉水)を飲んだ、というキャプションがつけられています。もちろん、この習慣は、18世紀の貴族に限らず、ヨーロッパではルネサンスの時代からかなり広まった風習です。この点は、日本の温泉療法とヨーロッパの温泉療法の最大の差とまでは言わないまでも、大きな差でしょう。
ところで、しばらくどうして私がバースに行ったのか思い出せなかったのですが、15分ほどして記憶が甦りました。古本屋さんに行ったのでした。ロイヤル・クレセント・ホテルのすぐ近くにとてもよい古本屋さんがありました。
かぞくそろって6時半。今日は、ちびどもの運動会。雨は降っていないので、なんとかできそうです。いつもこの時期は空模様がはっきりせず、朝方、空を見て、あるのかないのか悩むことになります。岩波書店より、郵送にて次の2冊の『思想』が届きました。
2005年第8号 No.976:医療における意思決定
2005年第9号 No.977:メタ・バイオエシックス
サラリーマンで言えば、必要経費にあたる資料です。論文の著者は、およそ半分は知っている方、残り半分ははじめて知る方です。[『思想』2005年第8号目次]
加藤尚武「思想の言葉」 1
清水哲郎「医療現場における意思決定のプロセス――生死に関わる方針選択をめぐって―― 」 4
立岩真也「他者を思う自然で私の一存の死」 23
柘植あづみ「終末期医療をめぐる諍い――テリ・シャイボの事例が映すアメリカの現在――」 45
中山茂樹「法における 「尊厳死」 の捉え方」 62
鎌江伊三夫「患者中心医療における意思決定――ベイズ主義の適用と限界――」 78
鈴木利廣「医療上の選択と日本法――医療裁判の現場から判例の紹介を中心に――」 97
一ノ瀬正樹「ベイズ的認識論の可能性――医療的意思決定を視野に入れて――」 106
[『思想』2005年第9号目次]
島薗進「思想の言葉」 2
香川知晶「「新しい死の基準」 の誕生――臓器移植と脳死、その結合と分離――」 6
小松美彦「「有機的統合性」概念の戦略的導入とその破綻――脳死問題の歴史的・メタ科学的検討――」 24
M. ポッツ「全脳死への鎮魂歌――アラン・シューモン「脳と身体の有機的統合性」 への応答――」 52
R. ワイツ「死にゆくブライアンを前にして――インフォームド・コンセントのレトリックと現実――」 65
中島理暁「「倫理委員会」 の脱神話化」 88
市野川容孝「ドイツにおける医療倫理と医療プロフェッション――歴史社会学的考察――」 109
田中智彦「「命のリレー」 の果てに――日本へのバイオエシックス導入 「前史」 から――」 137
土井健司「ヒト胚研究と妊娠中絶の是非――神学的眼差し論の試み――」 154
金森修「生命倫理学――ヤヌスの肖像」 170
ちびどもは6時半。私は、8時。秋雨前線による雨はまだ降っています。木曜日の授業は、後期、今日が初日。へたすると3カ月ぶりです。学生諸君はどんな顔をしているでしょうか。
[Lessico Intellettuale Europeo]
今日はまず図書館。Lessico Intellettuale Europeo のシリーズの1冊、
Experientia. 10。 Colloquio internazionale (Roma, 4-6 gennaio 2001)
Leo S. Olschki Editore, 2002
を借り出しました。ちゃんとはチェックしていませんが、このシリーズはほぼ揃っている感じでした。
目次は次の通り。
Tulio Gregory, "Apertura dei lavori",
W. Belardi, "Il costituirsi del campo lessicale dell'experientia in greco e in latino," 1-
J. Pépin, "Experimentum mali. Saint Augustin sur la connaissance du mal," 63-
J. Hamesse, "Experientia/experimentum dans les lexiques médiévaux et dans les textes philosophiques antérieurs au 14e siècle," 77-
C. Leonardi, "L'experientia del divino in Francesco d'Assisi," 91-
R. Busa, "Experientia, experimentalis, experimentum, experior, inexpers nell'Aquinate e negli altri autori censiti nell'Index Thomisticus," 101-
G. Spinosa, "'Empeiria/experientia': modelli di 'prova' tra antichità, medioevo ed età cartesiana," 169-
M. L. Bianchi, "Il tema dell'esperienza in Paracelso," 199-
G. Stabile, "Il concetto di esperienza in Galilei e nella scuola galileiana," 217-
M. Fattori, "Experientia - experimentum: un confronto tra il corpus latino e inglese di Francis Bacon," 243-
J.-R. Armogathe, "Sémantèse d'experientia/experimentum/expérience dans le corpus cartésien," 259-
A. Robinet, "Expérience dans l'oeuvre de Malebranche," 273-
P. Totaro, "Experientia nella filosofia di Spinoza," 287-
R. Hall, "The Role of Experience in Locke," 303-
A. Lamarra, "Raison e expérience nei Nouveaux Essays di Leibniz," 315-
R. Palaia, "Expérience, experientia, experimentum in Leibniz dagli scritti giovanili alla Théodicée," 333-
M. Veneziani, "Vico e la scienza sperimentale," 347-
P. Pimpinella, "Experientia/ Erfahrung in Chr. Wolff e A. G. Baumgarten ," 367-
G. Gorcy, "Expérience dans la base FRANTEXT du 16e à la fin du 18e siècle," 399-
N. Hinske, "Wandlungen in Kants Verständnis der Erfahrung," 425-
F. Moiso, "Experientia/ esperimentum nel Romanticismo," 435-
V. Verra, "Esperienza fenomenologica, esperimento, empiria ed empirismo in Hegel," 523-
昨日見た、Historia の文献表から存在を知ったものです。
ちいさいちびとつまは7時前。おおきいちびと私が7時半。小雨。ちいさいちびの4歳の誕生日。この子も4歳になったか、親としては感慨があります。→自分の誕生日だというのに、2度暴れました。ご飯をちゃんと食べるという点等では、成長はしています。謝ることも覚えた。しかし、まだまだ、かな、です。
ニュートンが入学したトリニティ・カレッジの図書館には当時3千冊の本があったということです。
ニュートン自身が亡くなったとき、残された本は2千冊近くということです。8月31日に記したように、フックの蔵書は3380冊。オルデンブルグの蔵書冊数は331冊。この時代の人は、千のオーダーに達するとたいへんな蔵書家ということになるようです。
現在の日本では、どのくらいなのでしょうか?[Historia]
一昨日届いた次の本ですが、文献表 (Bibliography) がとても充実しています。pp.399-472 すなわち、74頁の厚さです。ちいさいちびに邪魔されながらも、文献表は全部目を通しました。有用な先行研究をかなりの数見つけることができました。
Gianna Pomata & Nancy G. Siraisi (eds.),
Historia : Empiricism and Erudition in Early Modern Europe
なお、なかの論文はまだ読んでいません。
ちびどもはたぶんふだんとおり。私は7時半。いくらか雨。昨日、電車で読むために、『SPA ! 』を買いました。「災害心理学大全」が意外によくできていました。
突発的な事故や災害にあったとき、人はどう行動するのか? ある記事によれば、パニックになる・ヒステリックになるひとは全体の15%以下、冷静に対応できる人がやはり約10%から15%。残りのほとんどの人は、フリーズ状態になる、要するに何もできない、ということのようです。
よくわかる数字です。
差は、気質や性格によるものではなく、常日頃の心構え、自己訓練によるようです。[ニュートンの海]
一昨日後半だけを読んだ『ニュートンの海:万物の真理を求めて』ですが、ほんとうによくできています。今日、残りを全部読みました。
ニュートンの人生について、とくに科学者ニュートンについて詳細を知りたいのであれば、ウェストフォールの大著『アイザック・ニュートン』(上下、平凡社、1993)が最適です。しかし、科学史研究の成果を取り込みつつ、一晩で読めるニュートン伝ということで言えば、私は、今はこの書物を推薦します。
ニュートンの裏面と公的な達成を非常にうまくバランスをとって描いています。一般の方が読んで面白いのはもちろん、ニュートンのことなんかよく知っているという専門家が読んでも面白く読めると思います。[中世の自然哲学]
次の3冊を買って帰りました。
週刊誌『アエラ』
月刊誌『en-taxi』2005年11月号
中川純男/加藤雅人(編)『中世哲学を学ぶ人のために』世界思想社、2005
最後の『中世哲学を学ぶ人のために』ですが、まずは、第5部「自然と宇宙」に収められている2本、すなわち、土屋睦廣氏の「プラトンの系譜」と中村治氏の「アリストテレスの系譜」のみを読みました。とくに、土屋氏の整理はわかりやすく見事です。しかし、やはり、この紙幅の数倍の量が与えられるべきだったのではないでしょうか。
そもそも中世哲学を勉強しようとする読者を想定したとき、もうすこし読み甲斐のあるものを計画すべきであったと思います。
ちびどもはたぶんふだんとおり。私は7時半。雨は降っていませんが、変な天気。昨夜、授業の準備のあいまに、買ってきたばかりの『ニュートンの海:万物の真理を求めて』を手に取りました。ニュートンの造幣局長としての仕事を知りたいと思ってページを繰りました。そこから最後まで一気に読んでしまいました。
これは、ニュートンについてとてもよくできた伝記です。ニュートン産業と称されるニュートンに関する先行研究をしっかりおさえています。しかも、書きすぎずに、うまくまとめてくれています。非常に上質なジャーナリストの仕事です。
→1693年50歳になったニュートンは、「食事も進まず、不眠に苦しんでいた。」(209頁)
「性的妄想もまた、ニュートンの夜を苦しめた。禁欲を奉じてもう長いことになる。」(210頁)。
ニュートン自身の言葉では、「体の方も正常な気分が失われ、睡眠不足のせいかきっかけがあれば、たちまち空想が刺激されて、ついにはあらぬ妄想に耽りがちになる。」
いよいよ授業開始。
→まあ、無事スタート。いつもそうですが、はじまるまでが一番緊張(ほんとうは緊張とはちょっと違います。うまいことばを思いつかないので、とりあえず緊張と言っておきます)します。はじまってしまったら、自動的、というと言い過ぎですが、動いていくものです。(そろそろ20年目のベテラン?になってきたわけですし。)帰宅すると、次の本が届いていました。
Gianna Pomata & Nancy G. Siraisi (eds.),
Historia : Empiricism and Erudition in Early Modern Europe
(Transformations: Studies in the History of Science and Technology
Cambridge, Mass.: The MIT Press, 2005.
いつ注文したのか覚えていないと思ったら、4月15日でした。夏休みを挟んでしまうと忘れてしまう確率が高くなります。
Gianna Pomata and Nancy Siraisi, "Introduction," 1-
1. Anthony Grafton, "The Identities of History in Early Modern Europe: Prelude to a Study of the artes historicae," 41-
2. Brian Ogilvie, "Natural History, Ethics, and Physico-Theology," 75-
3. Gianna Pomata, "Praxis historialis: The Uses of historia in Early Modern Medicine," 105-
4. Ian Maclean, "White Crows, Greying Hair and Eyelashes: Problems for Natural Historians in the Reception of Aristotelian Logic and Biology from Pomponazzi to Bacon," 147-
5. Martin Mulsow, "Antiquarianism and Idolatry: The historia of Religions in the Seventeenth Century," 181-
6. Donald R. Kelley, " Between History and System," 211-
7. Laurent Pinon, " Conrad Gessner's Historia animalium and the Historical Depth of Renaissance Natural History," 241-
8. Ann Blair, "Historia in Zwinger's Theatrum humane vitae," 269-
9. Chiara Crisciani, "Histories, Stories, Exempla, and Anecdotes: Michele Savonarola from Latin to Vernacular," 297-
10. Nancy G. Siraisi, "Historiae, Natural History, Roman Antiquity, and Some Roman Physicians," 325-
11. Peter N. Miller, "Description Terminable and Interminable: Looking at the Past, Nature and Peoples in Peiresc's Archive," 355-
ちびどもはたぶんいつも通り。私はひとり遅れて8時10分。本日も秋の快晴。
→気温が30度近くまで上がったようで、久しぶりに暑い。→都心で最高気温が、31.7度まで上がったとのこと。10月ですから、暑く感じました。明日からいよいよ後期の授業が始まります。授業の準備をはじめると、新しい天文年鑑と理科年表が手元にほしくなりました。
ということで、ちびどもが吉祥寺に遊びに行くのといっしょに吉祥寺に行って、駅ビルのなかの啓文堂で、『天文年鑑2005』『理科年表2005』並びに次の本を買ってきました。
ジェイムズ・グリック『ニュートンの海:万物の真理を求めて』大貫昌子訳、NHK出版、2005年、1800円『天文年鑑2005』から抽出した情報は以下。
2003年7月から2004年7月までの人工衛星打ち上げ数。国別。総数81機中
ロシア(CIS):24
アメリカ:21
中国:10
日本:5
インド:2
カナダ:2
ヨーロッパ宇宙機構:2
アルゼンチン:2
サウジアラビア:2
イギリス、トルコ、ナイジェリア、イスラエル、台湾、ウズベキスタン、インテルサット、フランス、イタリア、中・欧、SKOR、CHEZ:各1
ということで、久しぶりにロシアの打ち上げ数がアメリカを超えました。
人工衛星の打ち上げ数は、冷戦時代ずっとロシアが1年に約100台前後、アメリカが20〜30台だったのですが、1995年にほぼ同数(38台)となり、それ以降は、アメリカがロシアよりずっと数多く打ち上げていました。とくに2000年前後壮大な失敗に終わったイリジウムの衛星を数多く打ち上げた。それが、2003年-2004年度でまた逆転したわけです。(授業のために毎年この作業はやっています。しかし、カウントした紙が必ずしもすべては見つからない。見つかった範囲で、経年変化を記しておきましょう。
2002年8月1日〜2003年7月31日、アメリカ25対ロシア17
2000年8月1日〜2001年7月31日、アメリカ33対ロシア26
1998年8月1日〜1999年7月31日、アメリカ96対ロシア19
1997年8月1日〜1998年7月31日、アメリカ111対ロシア30
1996年、アメリカ41対ロシア27
1995年、アメリカ38対ロシア37
1993年、ロシア83対アメリカ34
1990年、ロシア79対アメリカ33
1989年[ベルリンの壁崩壊]、ロシア99対アメリカ24)また、ロシア、アメリカに次ぐ、第3番目の宇宙開発先進国としての中国の台頭がめだちます。日本はずっとこのぐらいの感じです。
惑星軌道は2機。ひとつは、アメリカの打ち上げた Mars Explorer Rover B。もうひとつは、ヨーロッパ宇宙機構が打ち上げた ロゼッタ。
打ち上げ失敗は、中国の PS2 (2003.9.16)。そして、日本の IGS-2A と IGS-2B (2003.11.29)。種子島宇宙センターから H2-A ロケットで打ち上げられた偵察衛星2機です。補助ロケットが分離できず、地上からの指令で爆破されたものです。
ちびどもはたぶんいつも通り。私はひとり遅れて8時20分。本日も秋の快晴。午後3時から理事会。5時25分終了。5時半から編集委員会。7時前に終了。残った5人で先端研の近くの寿司屋で夕食。9時前に帰宅。
先月は、結局201枚。当分、こういう数字を見ることはないでしょう。
[旅行記集成 ii ]
9月28日に記した18世紀初頭の旅行記集成ですが、やはり、気になります。
第1に、ヒートンの本の出版が1707年ですから、1732年の版をあげるのは当然おかしい。ということで、まず、版を調べてみました。
初版は1704年に4巻で出版されています。1732年には、1704年の4巻はそのまま第5巻第6巻を付加して、全6巻で出版されています。
もうひとつ最初から残っていた疑問は、Dr. Hayley's Collection のヘイレイ博士の部分です。この旅行記の編者は、 ジョンとAwnshamのチャーチルです。そもそもHayley で検索をかけても、何も出てこない。これが非常に不思議だったのですが、今回調査をやり直してみました。
そうすると、大英図書館の蔵書の説明の最後に、[With "The Catalogue and Character of most Books of Travels" by Edmund Halley.] とあることに気付きました。
これでたぶん解決です。ヒートンが、この「エドモンド・ハリーによる多くの旅行記のカタログと特徴」を見て、このコレクションをハリーのものと思ったものでしょう。(もちろん、このハリーは、ハレー彗星のハリー=ハレーです。さらに言えば、旅行記全体の一般序文はジョン・ロックに帰されています。)
大英図書館の記すフルタイトルを引用しておきましょう。A Collection of Voyages and Travels, some now first printed from original manuscripts. Others translated out of foreign languages, and now first publish'd in English. To which are added some few that have formerly appear'd in English, but do now ... deserve to be reprinted. With a general preface [attributed to John Locke], giving an account of the progress of navigation ... The whole illustrated with a great number of useful maps, and cuts, etc. [With "The Catalogue and Character of most Books of Travels" by Edmund Halley.]
さて、初版4巻組の方は、MOME (ゴールドスミス&クレス・ライブラリー)にあります。確認のために見てみました。予想通り、1732年版の1〜4巻とは、いくらか版組が違いました。1704年版の方が、1732年版よりもいくらか厚い。つまり、1頁あたりでいえば、後の版のほうが詰めています。
さらに、ロックによるとされる、"An Introductory Discourse, containing The whole History of Navigation from its Original to this time", ix-lxxvi がけっこう有用な案内であることがわかりました。以前から、いつ、どういう旅行記が出版されたのか、見やすいサーベイが欲しいと思っていましたが、これでほぼ用が足ります。
この序文のあとに、"The Catalogue and Character of most Books of Travels", lxxvi-c が来ます。本文中には作成者・執筆者の名前は記されていません。再度、さて、ヒートンの引用するボスマンの西アフリカ旅行記が MOME にありました。
Bosman, Willem.
A new and accurate description of the coast of Guinea, divided into the Gold, the Slave, and the Ivory Coasts.
London, 1705
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