7時過ぎ。昨夜は、台風による風が終夜吹いていました。雨が降るかと思ったのですが、雨はほとんど降らず、断続的に強い風が吹いていました。遠くでこの風ですから、台風が近づいた場所では、かなりのものだったのではないでしょうか。
というわけで、8月は、台風とともに去っていきます。ここ1週間ぐらい妻が歯が痛いと言っています。どうも歯茎がばい菌で化膿しているようです。ともあれ、歯医者さんということで朝一番で歯医者さんへ。やはり虫歯ではなく、ばい菌による歯茎の化膿のようです。
今月は、ここまでで100枚です。
ちびどもが昼寝をしている間に、日本のアマゾンより次の本が届きました。
Marina Fransca-Spada and Nick Jardine (eds.),
Books and the Sciences in History,
Cambridge University Press, 2000.
\4528.
駒場にでかけたおりに、読んでいたものです。私には必要な本なので、すぐに発注していたものです。4点の論文をすでに読んでいます。科学史と書籍史の関わる領域に関心をもつものには必携だと思われます。(なお、メールでの発送通知を受け取るよりもさきに実物を受け取りました。アマゾンは仕事が速い。)夕食後ちびどもが外に遊びに出たいというので、「猫の公園」に連れていってやりました。ちびどもはブランコで喜んでいます。私には、蚊の襲撃。家に帰り着いて数えてみると左足の膝より下だけで9箇所刺されていました。かゆいわけです。指など敏感な部分もかなり刺されたので、気も狂わんばかりにかゆかった。私は途中で、近所の本屋さんに行って、ドラエモンの雑誌(おまけにDVD がついています)と次の本を購入しました。
山口泉『宮沢賢治伝説―ガス室のなかの「希望」へ』河出書房新社、2004
昨日は一日中雨。ずっと家のなかにいると、ちびどもがよくけんかをします。晴れたら外に連れだしてやるつもりでしたが、まあ仕方ありません。雨のせいでしょうか、けっこう寒く感じたので、長袖のシャツを着ていました。ちびどもはたぶん6時。私は、ひとりだけ遅れて、7時過ぎ。晴れてはいませんが、雨は止んでいるので、また資料収集にでかけようと思います。→雨は少々降っていましたが、予定通り、朝一番ででかけました。
部屋についた後は、先客のN君と挨拶した後、定番のダウンロード。大きなファイルをいくつかダウンロードしたので、その間に、まず次の日本語の論考を読みました。
橋本毅彦「科学と技術の交流」『岩波講座 現代思想11 精密科学の思想』(1995),pp.257-289
古川安「化学研究におけるアメリカニズム」『岩波講座 現代思想11 精密科学の思想』(1995),pp.291-315
それでもまだ時間があったので、例の本から、2点の論文を読みました。
Marina Fransca-Spada and Nick Jardine (eds.),
Books and the Sciences in History,
Cambridge University Press, 2000.
Sachiko Kusukawa, "Illustrating nature", ibid.,pp.90-113
Lauren Kassel, "Reading for the philosophers' stone", ibid., pp.132-50.
借りていた本から一部コピーをとって図書館に返却し、遅い昼食をとってから帰ってきました。帰りは暑くなっています。帰り着くと、ちびどもは昼寝中でした。ちょうどよいので、土曜日の編集委員会の宿題をその間にこなしました。今回は、郵便3通ですみました。
ちびどもが起きて、7時過ぎ。半袖では肌寒く感じます。たぶん、すぐに気温は戻るでしょうが、曇りや雨が続きますし、深い秋のようです。気楽な話題を。
田舎で電車が猪をはねたという記事です。私の帰っていたところから1時間ばかり南です。約2時間半電車が止まったとありますが、そのときの乗客数が17人。まあ、そんなものでしょう。[メルキオール・アダム]
必要があって、メルキオール・アダム (Melchior ADAM)の著した伝記を捜していました。17世紀初頭までのドイツ語圏の伝記としては、いまあまり知られていない人物まで取り上げているもので、利用できれば有用な情報が得られる可能性があります。捜したのは、次のものです。
Vitae Germanorum philosophorum. 1615
Vitae Germanorum medicorum, 1620
あまり期待せずにグーグルで検索をかけてみると、何と、メルキオール・アダムの伝記5作品がテキストファイルと画像イメージの両方そろった形でありました。すばらしい。
メルキオール・アダムの5伝記作品
5つというのは次のものです。
Bd. 1: Vitae Germanorum Philosophorum
Bd. 2: Vitae Germanorum Medicorum
Bd. 3: Vitae Germanorum Jureconsultorum et Politicorum
Bd. 4: Vitae Germanorum Theologorum
Bd. 5: Vitae Theologorum exterorum principum
しかも、この5伝記作品でとりあげられている人物の索引(きちんと作品の当該箇所にリンクされています)まであります。ルネサンスから初期近代のドイツ語圏の、基本的な人名辞書として使えます。
このすばらしい仕事は、マンハイム大学のマテオ・プロジェクトによるものでした。私の分野に直接関わり作品は少ないのですが、テキストファイルと画像の両方がわかりやすくリンクされた形であるのはとても使いやすい。
様子を見るために、私は、Barth, Caspar von (1587-1658)の作品をダウンロードしてみました。
Amabilivm libri IV : Anacreonte modimperante decantati. Hanau, 1612
Opuscula varia. Hanau, 1612
Soliloquia rerum divinarum. Zwickau, 1655
Amphitheatrum Sapientiae, Quae Ex Libris Hauriri Potest: Cuius Decem Libri Puris Choliambis Scripti nunc primum prodeunt. Hanau, 1613
Amphitheatrum Gratiarum: Libris XV, Anacreonte Modimperante constitutum. Hanau, 1613
Amphitheatrum Seriorum Jocorum: Libris XXX Epigrammatum constructum. Hanau, 1613
バルトの名前は、おそらく、『知の円形劇場』か『真面目-冗談の円形劇場』のいずれかで覚えていたのだと思います。
→平井さんが、上記のメルキオール・アダムの5伝記辞典のサイトから、ドイツ語圏の基本人名辞典をあわせた有用なサイト、ADB/NDB Deutsche Biographie Digitales Registerを見つけてくれました。
フランスには、ガリカがあり、英語圏ではEighteenth Century Collection OnlineとEarly English Books Online があって、私の研究分野で見たい本があるときにはまずこうしたサイトで検索をかけて調べます。分野は限定されますが、スペイン語圏ではBIBLIOTECA DE LA UNIVERSIDAD COMPLUTENSE DE MADRIDがあります。しかし、ドイツ語圏では、まずこのサイトで検索をかければよい、というふうなサイトを発見することができていません。日常的にルネサンスから初期近代のドイツ語圏の著作を読んでおられる方でどなたか、ここだというサイトをお教えいただけないでしょうか?
久しぶりに、深夜に起きています。ねむい・・。最後に7時15分。さすがにいちばんあとになりました。
今日はほんとうに涼しい。夏からいきなり晩秋になったような冷気です。冷たいのが気持ちよくて、夏とおなじ、Tシャツに短パンの格好でいるとおなかをこわしてしまいました。ああ苦しい。
昨日、小田急に乗っている最中に、6月に買った次の本を部分的に読みました。
Marjorie Swann
Curiosities and Texts: The Culture of Collecting in Early Modern England,
Philadelphia: Univsertity of Pennsylvania Press, 2000
最初から英国に限定して、大陸の状況を同時に探究していないのは不満ですが、文学史のなかで、収集文化(研究)がどのように位置づけられているのか、だいたいの見通しが得られました。[Error vs. Cruor ]
ボイルは、ファン・ヘルモントに256回言及しています。(新しい『ボイル著作集』の一般索引でカウントした。)ボイルの化学の出発点がファン・ヘルモントにあることは今では学説史の常識に属することがらです。しかし、私には見落とされているところがあるような気がしてなりません。 ということで、ともかく、ボイルの言及を確認する作業をはじめることとしたわけです。
ある時期までは、日本語で読める唯一のボイルの作品であった『懐疑的化学者』(1661)ですが、ボイルはファン・ヘルモントの名前をただあげるだけではなく、『医学の曙』(1648)から明示的な引用を数多く行っています。4部の欄外で、ボイルは、ファン・ヘルモントの「生命空気」から次のラテン語を引用しています。
Error vero per distillationem nobis monstrat etiam Spiritum salinum plane volatilem odore nequicquam ut nec gustu distinguibilem a spiritu Urinae; In eo tamen essentialiter diversum, quod spiritus talis cruoris curat Epilepsiam, non autem spiritus salis lotii.
「生命空気」は『医学の曙』でたった6頁分です。"Error " で捜せばすぐ見つかると思ったら、第1回目は失敗。次は、"Epilepsiam" で捜したら、726頁の右のコラムの下方でみつかりました。しかし、文章の始まりは、"Error vero " ではなく、"Cruor vero " です。これだけだと、直ちにボイルの引用ミスだとは断定できないのですが、同一内容(血液の精が癲癇を癒すのに、尿の精は癲癇を直さない)が『人血の自然誌』(1684)でも言及されています。そこでははっきりと、"the Spirit of Cruor (though that be in his sense of the Word, not yet fully elaborated Humane Blood) against the Epilepsy" と表記されています。
これで、間違いなく、この欄外注の "Error" は、正しくは、"Cruor" (ラテン語の辞書によれば、「傷から流れ出る血」とあります。ボイルの注記にあるとおり、ファン・ヘルモントは「十分に処理=蒸留されていない人間の血液」の意で用いているようです)だとわかります。
さてこうなると、他の版ではこの箇所がどう扱われているのか気になります。まず、新しい『ボイル著作集』がでるまでずっとボイル全集として使われてきたバーチ版全集第2版で見てみました。"Error" のまま。次は、エブリマンやドーヴァーのリプリント版を見ました。こうした版はそもそもボイルの欄外注を省略しています。省略されたしまったのでは仕方ありません。Eighteenth Century Collection Onlineで捜すと、バーチ版全集の初版(1744)も見ることができるので、そちらも見ましたが、当然、"Error" 。ついでに、ショーの縮約版ボイル著作集でも見てみましたが、これも原注をそもそも省略しています。(なお、ショーの縮約版の欄外をしっかり見たのは今回が初めてでしたが、ショーは化学的事項については、ホンベルグで注釈をつけています。)
つまり、これまでボイルの編纂に関わってきた誰も、このミスに気付いていない、ということがわかったわけです。それは、この箇所について、引用箇所の照合作業を行った者がいなかったということです。
以上、ほんとうに些細な発見ですが、実際に照合作業をしてみないと見えてこないことの一例です。
→思うところがあって、ディーバス『近代錬金術の歴史』の関連箇所を読んでみました。「化学と血液」pp.464-470 に予想通り、ボイルからの引用がありました。ディーバスはボイルの『人血の自然誌』の"The IV. (Secondary) Title"(New Works, vol.10, p.48) を引用しています。そこでボイルは、「(場所を覚えていないし、また手元にヘルモントの本がない)」と記している。しかし、少しあとの、"The XVI. (Secondary) Title"(New Works, Vol.10,p.73 ) では同じ内容のことを述べた上で、ファン・ヘルモントからの引用箇所を欄外注で次のように記している。
* Spiritus Vitae N.16. Pag.M. 122.
つまり、「生命精気」論考の方を引用している。これは新しいボイル著作集の編者が場所(引用箇所)を "Ortus, pp.198-9 "と探し出してくれている。その引用箇所のファン・ヘルモントのラテン語は、「生命空気」でのラテン語と(ある意味で当然ながら)ほとんど同一です。
Cruor quoque per distillationem, dat hunc spiritum salsum, plane voltatilem, ac ne-quicquam a spiritus urinae distinguibilem. In eo tamen essentiali ambos proprietate, differre consideravi, quod spiritus salis cruoris, curet epilepsiam, etiam adultorum, non item spiritus salis urinae.
さて、今一度、ボイルが欄外注で引用するラテン語と、もとのファン・ヘルモントのラテン語を一文字一文字比較してみました。もとのラテン語は次の通りです。
Cruor vero per distillationem nobis monstrat etiam spiritum salinum, plane volatilem, odore nequicquam, ut necque[nec] gustu distinguibilem a spiritu urinae. In eo tamen essentialiter diversum, quod spiritus salis[talis] cruoris curet[curat] epilepsiam, non autem spiritus salis lotii.
[ ] の中は、ボイルの引用するラテン語です。
大文字・小文字の別、読点・句点・セミコロンの別は無視しました。つまり、最初の"Cruor" だけではなく、少々不正確な引用になっていることがこれでわかります。しかも、 "," の付け方もファン・ヘルモントの原文の方がずっとよくわかります。
以上、ボイルのラテン語の引用は、一文字一文字確認しないと危ないことがあるということがわかったわけですが、私にとっては、むしろボイルの具体的な本の利用の仕方が見えてきたことの方が重要です。
同一の著作のなかで、「4番目のタイトル」を書くときには、ボイルがいつも使っていたファン・ヘルモントの『医学の曙』(1648) が手元になく記憶で記したのに、「16番目のタイトル」を書くときには、『医学の曙』(1648)ではなく、ファン・ヘルモントの別の版(個人的には、Opera Omnia, 1658 ではないかとにらんでいますが、実物で確かめないと確実なことは言えません)を入手して、利用しています。そして、『懐疑的化学者』で同じ内容の部分をファン・ヘルモントから引用したことを思い出している様子はありません。(思い出して、自著『懐疑的化学者』を見ていれば、本文そのものも別様になった可能性がありますし、少なくとも注記は違ったはずです。)
おおきいちびが起きて、6時15分。曇り。また台風が近づいているようです。[千のキミア]
「千のキミア」ですが、数は、作業さえ継続すれば達成できる目処がつきました。ということで、数よりも、必要な資料の探索を優先しようと考え、ほしいがまだ入手できていないもののいろんなサイトで捜すこととしました。昨日は、UCM で検索をかけて、リバヴィウスを見つけました。フランクフルト、1597年の『アルケミア』です。862ショット。頑張って全部ダウンロードしました。この長さだとやはり、ふー・ふー。ページは、[18], 424, [20]; [8], 392 となっています。つまり、2冊の合本の形をとっています。 最初は、I: Alchemia。
次は、II: Epitome metallica.
- Dialogus de Mercurio philosophorum.
- De azotho et aqua permanente.
- De lapide philosophorum.
- Ars probandi duobus libros comprehensa.
- Tractatus de iudicio aquarum mineralium
です。
1606年の版もありましたが、そちらは、手をつけていません。
今回は、後半の方の、最後の論考「鉱水論」を使います。残りの部分が必要になるかどうかはわかりません。ついでにもう1点。私のデスクトップに、"N0053925_PDF_1_990.PDF"というファイルがあります。田舎に帰る前にダウンロードして、そのままデスクトップに残っていたものです。これは、次のものです。
Valles, Francisco,
Francisci Vallesii De iis quae scripta sunt physice in libris sacris, sive de sacra philosophia liber singularis ,
Lyon, 1592
この版には、2点の附録がついています。
Lemnius, Levinus
Similitudinum ac parabolarum quae in biblis ex herbis atque arboribus defumuntur dilucidia explicatio
La Rue, Francois (1520-1585).
De gemmis aliquot, iis praesertim quarum divus Joannes Apostolus in sua Apocalipsi meminit
最後のものに用がありました。11時から、日大藤沢で編集委員会。2時間で大丈夫だと思ったら、小田急の待ち時間が予想以上にあって、2時間少しかかりました。駅から江ノ島の見える、真新しいキャンパスでした。編集委員会そのものは無事すみましたが、帰りの電車の接続が悪く、大和という駅で20分程度急行を待ちました。遠かった、というのが正直な感想です。
涼しくなったのはよいのですが、頭痛が。妻も調子が悪いようですし、やれやれ。おおきいちびが起きて、6時過ぎ。昨夜は遅かったので、もうすこし寝ていたかったのですが、、、。
[ガリカ]
436点まで整理しました。その場で整理しなかったつけはかなり大きかった。ふー。ついでに、紙の整理もはじめました。ひとつのファイルにまとめておくべきものが、あっちのファイル、こっちのファイル、机の上、机の下、というふうに分散していたものをひとつにまとめました。これでかなり仕事がしやすくなります。明日は、藤沢で編集委員会。まず、アクセスを調べました。我が家からはほぼ2時間かかります。私が用意すべき資料は、午後用意しています。
ちびが起きて、6時半。暑さがもどったとは言え、夜クーラーは不要でした。朝方は窓があいていると肌寒く感じます。→8時半頃から雨。かなり強く降っています。台風の影響なのでしょうか。雨が上がってから、家族揃ってでかけました。ちびどもはイトーヨウカドーへ。私は大学へ。大学では、郵便物のチェックとメールのチェックと、それから封印を解きました。1994年に購入してそのままにしていた王立協会ボイル草稿のマイクロフィルムのパッケージをとき、まずは、3つのリールだけを取り出しました。ぼちぼちプリントアウトして読んでいこうと思います。
就寝中に、足の敏感な場所を3箇所、蚊に刺されました。あまりのかゆさに目覚めたので、仕方なしに、情報の整理の作業を行っています。ガリカからダウンロードしてそのままにしていたファイルを整理しています。その場でやっておかないと、こういう作業はかなり手間がかかってしまいます。
昨夜は夜の早い時間帯から雨。すずしくなったのはよいのですが、急激な気温の変化はちびどもには問題で、ちいさいちびは午後一度と就寝中に一度の計2度もどしました。ご飯を珍しくよく食べたときに限って、もどすことが多い。ひとりで5時15分。朝方、突然、ネットワークの接続が途切れました。モデムのランプを見ると、ケーブルの部分が点滅しています。2度ほどモデムそのものを再起動してみましたが、効果なし。J-COM の側の問題だろうと考えて、帰ってきてからまた様子を見ることとしました。→せっかく涼しくなったのに、今日またあの暑さに逆戻り。
昨日と同じように、ちびが幼稚園に行くのにあわせて家をでて、駒場へ。昨日は楽でしたが、今日はさすがに暑さがこたえます。でもまあ、ほぼ昨日と同じくらいの時間作業をして、生協により、図書館で本を返し、駅前のラーメン屋さんで昼食を食べて帰ってきました。今日最大のファイルは200Mを超えていました。待っている間、昨日と同じく、
Marina Fransca-Spada and Nick Jardine (eds.),
Books and the Sciences in History,
Cambridge University Press, 2000.
から、Adrian Johns, "The physiology of reading", Ibid.,pp.291-314 を読み通しました。これは、スターキーとJ.S.ミルの読書体験の生理学解釈を比較するという驚きの論文でした。
今回、サッカーが予選リーグで終わったあと、あまりしっかりとオリンピックを見ていませんが、野球の準決勝、日本対オーストラリアは、時間帯もちょうどよかったので、見ました。1対0でオーストラリアの勝ち。負けるときは、こういうふうに負けるという試合でした。
ひとりで5時40分。昨夜は涼しかった。ここ何日かは日中もクーラーをつけずに済んでいますが、昨夜は、途中から窓を閉めました。このまま秋になってくれると助かります。→牛乳が切れかけていることに気付き、おおきいちびが6時頃に起きてきて、すぐにコンビニに買い出しに。外は寒い。ちびには、上着を着させ、私はTシャツの上にもう一枚シャツを着ました。
月曜日、火曜日とちびの幼稚園があります。ありがたい。都合がよいので、いっしょに出て、駒場で一仕事してこようと思っています。寒いと言うこともあり、久しぶりにちゃんとした格好で外にでることにしました。
iBook をカバンにつめて、ちびが幼稚園に行くのと一緒に家をでて、駒場に向かいました。駅前のマックで定番のフィレオフィッシュとアイスティーを買い、それをもって駒場の部屋に。EEBO で必要なファイルをダウンロードするのが今日の目的です。実はこれまでは、一括ダウンロードの仕方がわからず、ワンショット、ワンショット、ダウンロードしていたのですが、今日は最初から説明をよく読みました。ちょっと手間のかかる独特な方式を採用していました。しかし、たいした手間ではないので、必要なものをpdf ファイルでどんどんダウンロードしました。(今日は、合計17点。)EEBO は、私には本当に資料の宝庫です。速度は、70Kから110Kぐらいの間を頻繁に上下していました。まあ、平均で、我が家のケーブル環境と同等の速度です。100Mを超える大ファイルもあったので、院生室の本棚にあった次の本を待ち時間の間、読んでノートを取っていました。
Marina Fransca-Spada and Nick Jardine (eds.),
Books and the Sciences in History,
Cambridge University Press, 2000.
読んだのは次の論文。
Ann Blair, "Annotating and idexing natural philosophy", Ibid.,pp.69-89.
これは、まさに、私が読むべき本でした。
12時半を過ぎたあたりで、おなかが空いてきたので、生協でちょっとした文房具を買った後、図書館で小さな本を1冊借り、昔東大楼があった側の喫茶店で昼食をとりました。駒場の駅前は、わずかに様子が違っていました。矢内原門を出て、階段を下りてすぐの場所にあったソバ屋は消滅しており、一戸建てに変貌していました。まわりを見ると、そういうふうにできたばかりの一戸建てとマンション形式の建物が目に付きました。
都合がつけば、明日も、同じ作業をします。1点のみ、今行っている作業のひとつを紹介しましょう。7月にでた「ロバート・ボイルの読書/引用/執筆―ボイルのマージナリアの分析―」(『東京外国語大学論集』第68号)の続きです。
ボイルは、『形相と質の起源』の終わりの方で、ルブランの旅行記から次の英文を引用しています。
"There were (says he) other sorts of Fruit, which I never saw but there, and one among the rest leav'd like a Sycamore, with fruit like the Golden Apple, but no Gall more bitter, and within five Kernels, as big as Almonds, the Juice whereof is sweet as Sugar, betwixt the Shell and the Nut there grows a thick Skin of a Carnation colour, which teken before they be throughly ripe, they preserve with Date Vinegar, and make an excellent Sweetmeat, which they preserve to the King as a great Curiosity"+(Works, vol.5, p.390 ; 邦訳『形相と質の起源』(朝日出版社)では、pp.122-123 にあります。)
そして、この部分に対する欄外注で次のように記しています。
+ Vincent de Blanck's Survey of the World: Part. 2. p.260.
このボイルの原注に対して、編者が次の注記を付加しています。
[Les Voyages Fameux du sieur Vincent le Blanc, Marseillais, qui ...(1649), by Vincent le Blanc (1554-c.1640). Boyle is probably referring to the English edition, The World Surveyed (1660).]
ボイルの引用する英語から言って、この編者注は、まずその通りだろうと推測されます。しかし、推測は推測なので、実際に、Le Blanc, The World Surveyed (1660) の260頁に、ボイルの引用する箇所がボイルの引用するとおりにあるかどうか調べてみているわけです。今日ダウンロードしたルブランの『世界総覧』の260頁を見ると、確かに、ボイルの引用する箇所がボイルの引用するとおりにありました。つまり、この作業そのものの効果は、編者注の "probably" をとることができる、たったそれだけのものです。しかし、この地道な作業を継続することで、たまに意外な発見があります。もう一例。ボイルは『王立協会紀要』No.197(1693) で発表した論文「鮮度と塩分に関して水を検査するロバート・ボイル氏の方法の説明」(死後出版)の最後で、やはりフランス人旅行家タヴェルニエから、アフリカのある地方の水の話を引用しています。
"That the Water of their Country is very bad, which is (says he) the reason that their Thighs do swell, and it is wonder to see any one of them free,". .."The Natives never live long, by reason of the badness of the Waters in the Country. For at the Age of Twenty Five they begin to be Drospical, so that 'tis a great wonder if any among them live above Forty Years."
この部分に対する欄外注は次のとおり。
* Tavernier's Travels. Part II: Book II. chap.23, pag.156
編者の注は、[Jean-Baptiste Tavernier (1605-89), Les Six Voyaged de J.-B. Tavernier, qu'il a fait on Turquie, en Perse, et aux Indes pendant l'espace de quarante ans et par toutes que l'on puet tenir (2 vols., 1676-7); Eng. trans. as The Six Travels of Jean-Baptiste Tavenier through Turkey (1677).] です。
これもボイルの引用の仕方から言って、まず間違いなく、編者の挙げる英訳からです。ということで、英訳と実際に比較してみました。すると、確かに、英訳The Six Travels, p.157 に当該箇所がありました。つまり、ボイルの挙げるページ数の1頁あとに引用箇所はありました。この程度の差は、我々の時代にもままあります。見開きのページの左側の数字をノートにとったものでしょう。実際に見ることで私の得られた有用な情報は、 Part II: Book II. chap.23 の章題が「アフリカとアメリカで金が見つかる場所」というものであり、金の話、すなわち鉱物誌をテーマとする文章のなかの情報であったという点です。ボイルは漫然と旅行記を収集し、読んでいるのではなく、明らかに、鉱物誌を求めて旅行記を読んでいます。(もちろん、鉱物誌だけを求めているわけではありませんが、ノートを取るときの第1のヘッドが鉱物誌であるのは、間違いありません。) このことを支える一つの材料が得られたこととなります。その点がひとつの小さな収穫でした。
ちびどもが目覚めて、6時。夏の暑さに慣れた体にはちょうどよい涼しさ。たぶん、25度前後。昨日届いたゲラは、3度、気持ちを集中して見ました。これで校了とします。最後に入れた赤は、ファン・ヘルモントの主著『医学の曙』の出版年でした。死後出版と記しながら、よく見ると、死ぬ前の年号になっていました。
[千のキミア]
300に達した後の整理だけで、数時間かかりました。大学で行った作業分は未整理のままですから、整理できたのは8割程度ではないかと思います。(整理の結果は、科学史の部屋に反映しています。現時点で、整理できている総数は、394点。すぐに400点を突破します。)
夜半、手足を数カ所蚊に刺され、かゆさで目が覚めました。仕方がないので、1時間程度仕事をすることとしました。→といいつつ、オリンピック女子サッカー、日本対アメリカの試合をしていることがわかったので、途中からテレビを見ていました。男子サッカーと比べると、スピードで劣る点があるとはいえ、今回の日本女子チームはなかなかによいチームにしあがっています。前向きなよいゲームをしています。試合そのものは、ああ、危ない流れになったなと思った時間帯に、1点を失点して、前半はアメリカが1点リードで折り返しました。まだ逆転のチャンスはあります。→結局、2対1でアメリカの勝ち。ちびどもが起きて、6時過ぎ。いくらか睡眠不足。
[千のキミア]
帰省中、一休みしていた「千のキミア」プルジェクトを再開しました。木曜日、金曜日は、ガリカがメインテナンス中なのか、8割から9割方のファイルが「アクセスできない」という返事を返してきました。原因を調べることはせず、そういうときもあるということで、またいつかしっかり動き始めてから再開しようと考えました。そして、今日、いくつかのファイルをダウンロードしてみると、順調に動きます。メインテナンスが終了したと勝手に解釈して(ほんとうは別の理由かもしれません)、「千のキミア」プルジェクトを本格的に再開しました。
今日ダウンロードしたもので、有名な著者は、ブルーノ(全集の半分ぐらい)と、パスカルです。[腐敗/発酵理論]
「腐敗/発酵理論」の再校が本日とどきました。これが最終校ということです。論文完成後、関連する1次資料をかなり読んだので、本格的に書き直したい誘惑にかられますが、迷惑を考えて、今回は原則最初に出した原稿のままで戻します。表現と言葉遣いのみ 赤を入れます。→ちびどもが寝た後、一通り、目を通し、赤を入れました。注の形式の統一のために入れた赤がもっとも多かった。
この原稿が出版されると、ゲラの状態の原稿がなくなります。出版待ちの原稿がゼロというのはなんともさみしいので、2学期が始まるまでに、何とか100%ととはいかなくてももう1本、論文を執筆したいと思っています。悪くても、2004年中には、完成したものに仕上げようと思っています。
ちびどもが起きて、6時前。昨夜は、台風の影響でしょうか、ずっと強い風が吹いていました。今朝は弱くなっています。朝一番で、ちびどもはプールに。帰ってきてから、かなり早めの昼食をとり、私は久しぶりに大学へ。郵便物の確認と図書館で本を借りるためです。
メールボックスには、著者の金森さんから、次の本が届いていました。金森さん、ありがとうございます。
金森修『科学的思考の考古学』人文書院、2004
図書館では、チャールズ・シンガー [ほか] 編 『技術の歴史』第5巻と6巻(ルネサンスから産業革命へ)の2冊を借り出しました。これで本日の用は終了。帰りの電車で飛嶋君と偶然会いました。もともと痩せていますが、ますます痩せて見えました。どういうわけか、夕方から涼しくなりました。気持ちのよい風が吹きます。体感で言えば、35度から、28度くらいまで下がった感じです。風が体感温度を下げているので、ほんとうは30度を少し下回った程度かもしれません。我が家には気温計がないので、正確なことはわかりませんが、昼間出歩いたときとは雲泥の差です。助かります。
どういうわけか、涼しくなると、ラーメンが食べたくなります。ちびどもが昼寝から目覚め、風呂にはいったあと、吉祥寺まででかけて、ラーメン屋さんに。その後、隣のユザワヤに入り、A2 サイズのホワイトボードを買いました。
ちびどもは、テレビのハム太郎よりも、ホワイトボードに夢中になっています。そうこうしているうちに、妻が2階からイーゼルをもってきました。かなり昔に買って、お蔵入りになっていたものです。さて、ホワイトボードをこれに載せるつもりが、イーゼルの組立かたがわかりません。ふと思いついて、グーグルで検索をかけると、すぐにわかりました。ちびどものお絵かきボードとして買ってきたものですが、伝言ボードにもなりました。
おおきいちびが起きて、5時15分。ちょっと早すぎますが、仕方ありません。パソコンで1時間ほど遊んでから、近所のコンビニに。ちゃっかり自分のものを買います。今回はシールセット。
猛暑
昨日、ニッポン(おおきいちびは東京のことを何を思ったのか、ニッポンと呼んでいます)に帰り着いたときも、暑い、と思ったのですが、今日は8月上旬の暑さが回帰したかのような猛暑。テレビでは、最高気温が36度と連呼しています。町にでても、人の数が少なく感じました。留守中に、筑波大学の院生のS氏より、『イン・コンテキスト』を頂きました。ありがとうございます。「Epistemological Framework と英米文学」研究会が科研費を取得して、作った雑誌のようです。コメントはおってまた。
午前中にちいさいちびが昼寝。おおきいちびが本屋さんに行きたいと言うので、近所の本屋さんに行って、ちびどもの絵本2冊と、私のために次の本を買ってきました。
金森修『科学的思考の考古学』人文書院、2004
小林よしのり『ゴーマニズム宣言 EXTRA 1』幻冬舎、2004
『新潮45』(2004年9月号)
『サイゾー』(2004年9月号)
『東京生活』2004年第1号(吉祥寺大特集)
最後の『東京生活』ですが、吉祥寺のおまけに西荻も取り上げられています。最近できたお店には何軒か知らないお店がありました。その他は、たぶん、定番を取り上げています。
ひとりで6時前。ちいさいちびは目覚めてはいます。空には晴れ間が見えますが、全般的に曇り空。帰京日。午前11時白浜空港発、12時過ぎ羽田空港着の便。飛行場には1時間ほど前に着きました。一休みしてからゲートの中に入ると、ちいさいちびが泣きました。おおきいちびも2歳のときには、おじいちゃん・おばあちゃんと別れたくないと言って泣きました。3歳になったらふつうにバイバイをしていました。ちいさいちびは出発直前におともだち(同じぐらいの年齢のこども)がもっていたパンダのぬいぐるみがほしいと暴れはじめ、離陸後もしばらくは大音量で泣いていましたが、10分ぐらいで泣き寝入りしました。おおきいちびもよく見ると涙を流していて、どうしたのかと問うと耳が痛いと言います。お茶を飲ませたり、ご飯(おむすび)を食べさせたり、深呼吸をさせたりしながら、なだめていました。ともあれ、12時15分過ぎに羽田空港に着。ゲートのすぐそばにあったカレー屋さんで、昼食をとってから、お昼寝から目覚めてもパンダ、パンダとちいさいちびがうるさいので、飛行場内のお店を見て回りました。どうもパンダの人気は落ち目のようです。すぐには見つかりそうになかったので、ともあれ、モノレールで浜松町へ。浜松町につくと、空港でおしっこをしたばかりなのに、おおきいちびもちいさいちびもおしっこというので、貿易センタービルのトイレにはいってから、東京駅へ。東京駅でパンダを探すという話だったのですが、捜すのはとてもたいへんそうだったので、荻窪で捜そうというふうに納得させて、電車へ。降りるすこし前ぐらいに、ちびはパンダをあきらめてくれました。その代わりに、駅前の小さなおもちゃやさんで好きなものを選んでよいとしたら、二人ともおもちゃのサングラスで満足していました。もっとも安くあがりました。
暑い東京の途を、ちびふたりはおもちゃのサングラスをかけて、てくてく家へ。
シャワーを浴びてから、留守中の処理をしたら、空腹に。疲れていたので、中華の出前をとり、7時前にはちびどもはふとんにつきました。やれやれ。留守中に、アマゾンのマーケットプレイスで発注した次の本が届いていました。
John Webster,
Metallographia, or, An History of Metals,
London, 1671; Reprinted by Arno, New York, 1978
私には非常に重宝する本です。パソコンの画面上では正確には読みとれなかった部分も紙の上だとかなりの割合で読みとれます。
夜半にまとまった雨。おおきいちびが起きて、6時半。午前7時に村内放送でラジオ体操。せっかく寝ていたちいさいちびも、その音量で目覚めます。
雨が降ったり止んだり。気温は30度そこそこですが、湿度が高く、暑く感じます。夜、近所のお寺で盆踊りがありますが、夜はどうも雨の模様。午前2時〜4時という時間帯は普段起きていることはまずありません。たまに起きていると、次の日に頭痛が生じます。昼寝を含め、2〜3回寝るとほぼ回復します。
昨夜は夕食時に弟夫婦が来ました。ちびどもは遊んでもらえると言うことで非常に喜んでいました。とくに下の子は、遊んでもらうとすぐになつきます。
午前0時半に目覚め、サッカーオリンピック予選リーグ、日本対イタリアを観戦することに。音量0で1チャンネルをつけると、卓球の女子シングル、福原愛ちゃんの試合を放映していました。相手の選手との力はほぼ拮抗していましたが、愛ちゃんの方がわずかに気持ちが強かったようです。ぎりぎり4対3で勝ち抜きました。
日本対イタリア。前半は、3対1でイタリア。イタリアのフォワードを相手にしたときに、日本の守備陣に決定的な守備力がないことがよくわかりました。それでも、この試合展開なら後半に追いつくことは不可能ではありません。まずは流れから1点をとってほしいと思います。→結局、3対2でイタリアの勝ち。選手は、イタリアのトップ選手との力の差を肌で感じたと思います。アトランタ・オリンピックのときのように、ブラジルに勝って燃え尽きるよりも、未来に繋がるでしょう。選手個々の課題は明らかになりました。たとえば、松井。松井はなかなかによい選手です。でも、判断とプレイの速度をもうワンステップあげる必要があります。やはり、J2 でプレイしていてはいけないのではないでしょうか。たとえば、守備陣。守備力そのものを中澤・宮本のレベルまであげる必要があります。
ちびが騒いだので7時半。
午前中は少し涼しく、室温で29度。午後は日射しが戻って、暑さも戻り、室温で31度。田舎の変貌。
高速道路は、昨年の秋に開通したということです。以前一面の水田だったインターチェンジのあたりは、コンビニが新しく何店か開業し、郊外の雰囲気になっています。そういえば、高速道路だけではなく、以前一面の水田(八丁田圃)は、かなりの割合が、水田以外のものに変わっています。畑に変わっているところと、宅地に変わっているところがあります。割合そのものは正確にはわかりませんが、ざっと見渡した印象で言えば、50%以上です。ということで、気が付いて見れば、昔は夏の風物詩だった蛙の大合唱も、蝉の大合唱も今年の夏にはありませんでした。
ひとりで6時15分。曇って幾分か涼しくなったせいか、ちびどもはよく寝ています。→8時半頃ににわか雨。雷の音が聞こえたと思ったら、すぐに大粒の雨。でも、10分程度で降り止みました。見事なにわか雨でした。我々が寝泊まりしている部屋には、弟のマンガ・ライブラリーがあります。昨日、ふと、諸星大二郎の『諸怪志異(三)鬼市』を手にとって読んでいたら、ちびどももお化けを見たいと言って、諸星大二郎の別のマンガを取り出して見ていました。
寝る前には、山松ゆうきちの『万病マージャン』。弟のマンガを読んだら、弟が来ました。お昼間前。おねえちゃんはちいさいときは、たくやおじさんを怖がっていましたが、妹が慣れて遊んでもらうと、自分も遊んでもらって慣れました。抱っこしてぶらぶらするというだけですが、その遊びが気に入ってまとわりついていました。ちびどもの昼寝の時間が少しずつ早くなっていて、当初は3時だったのが今日は1時半。2時半には、そのたくやおじさんの連絡で、私のいとこ、あしべおじさんとその奥さんが山奥からやってきました。ちびどもは3時半には昼寝から目覚めました。目覚めてすぐは寝ぼけていましたが、お土産のケーキを目にすると、むしむしと食べ始め、食べ終わった頃にはしっかり目が覚めていました。おじさん、おばさんにいろいろ遊んでもらって、上機嫌。
昨日からちいさいちびにジンマシンが出ています。それほどひどくはありませんが、お昼寝から目覚めると足首から太股の部分にぶつぶつがありました。顔にわずかの赤い発疹を残し、30分ほどでそのつぶつぶは消えましたが、睡眠からさめるとちょびちょびジンマシンが出ています。いろいろ考えましたが、原因物質はまだよくわかりません。
おねえちゃんもやはり2歳の時、ごく短い期間(おそらく1週間以内)ですが、ジンマシンが出ていた時期があります。そのときお医者さんは、チョコレートのようにカカオ豆を使ったもの、カレーのように香辛料を使ったものを食べさせないように言っていました。
おおきいちびが目覚めたので、6時前。暇だというので、ワンワンを見に行ったあと、近所の公園に。雑草が生えていて、歩くと足がくすぐったいので、いくらか草むしり。昨日の金魚を水槽に移しました。虫入れを兼ねる、50センチ×30センチぐらいの小さな水槽がありました。たぶん、虫の好きな甥っ子たちのために、おじいちゃんが昔から用意していたものです。
庭の片隅には、メダカが火鉢に飼われていました。そこから2匹、金魚の水槽に移してやりました。メダカは縄張り行動が激しいようですが、いまのところ、金魚と平和に共存しています。昨夜は、一日延期された田辺の花火大会にでかけました。田辺市内に家を構える親戚んちに車を置かしてもらい、そこから歩いて浜へ。夜店がいっぱい大通りにでており、ちびどもは花火よりもそっちに気を取られていました。
近くで花火を見ると、音がすごい。音に驚いて泣いているちいさな子どもがいっぱいいました。おそらく3ラウンドある打ち上げのうち、1ラウンド終了だけで戻ってきました。帰り道、金魚、金魚というので、1回500円の金魚すくいを3回。さすがにちびどもでは無理で、9匹金魚をもらって帰ってきました。ちびが見たい見たいというので、まずはバケツに入れて廊下に置いておきました。和金という種類で丈夫なんだそうです。元気に泳ぎ回っていました。
車で気分を悪くしたおおきいちびはおじいちゃん家に帰り着いた途端、少しもどしました。田辺は、南方熊楠が晩年に住んだ昔の城下町です。私も小さい頃祖母に連れられて世話になった親戚ん家から大浜までの道は、昔の街並みの小道です。軽の車が1台やっと通れる2メートル前後の幅の小径です。実際、軽自動車がたまに通って来ていました。妻は子どもの頃の台北の街並みにそっくりだと言っていました。地元の人は多く、浜には行かずに夕涼みを兼ね、家の外に出て、屋根越しに見える花火を見学していました。東京ではそういう街並みは絶滅とまでは行かなくても、天然記念物的存在になっています。武家屋敷の街並みが一部残っている場所があるようですが、私は足を運んだことがありません。
0時前に目覚めました。オリンピックサッカーの予選、日本対パラグアイを見ようと思います。女子サッカーは結果だけインターネットで確認し、テレビ放映は見ていません。男子の第1試合の放映開始は、午前2時過ぎからです。
予想はしていませんでしたが、ありえる展開で、前半は3対1でパラグアイ。最初の失点は那須のミス。3点目もなかば那須のミス。この展開ならば、追いつくことは可能ですが、後半に立て直せるかどうか。→結局、4対3でパラグアイの勝ち。守備に関しては日本チームの弱点をつかれていました。きちんと研究されたせいかもしれませんし、前線からの早いチェックに弱点が現れただけかもしれません。
ボールが軽い、芝が滑りやすい、レフェリーがファールを厳しくとる、強豪とよばれるチームでもこの点に対する対応を間違えると、簡単に負けるという展開がけっこう生じそうです。4時過ぎに就寝したので、8時過ぎまで寝ていました。
室温は、午後の時点で、昨日が33度、今日が32度あります。風がはいってくると大丈夫ですが、風がやむと仕事を続けるのは辛い。[打ち込み作業]
昨夜は目覚めてから、サッカーの中継まで2時間の時間がありました。その間に、242頁まで進めることができました。実質量は、65頁。→ちびどもが昼寝をしている間に、一応最後の388頁まで到達しました。ざっとやったので、見直し・修正・注釈の作業が残っています。
おおきいちびといっしょに6時前。昨夜は涼しい夜でした。[高速]
田舎に帰ってくると、ずっと工事をしていた高速道路が開通していました。紀南と大阪を南北につなぐ道路です。将来的にはもう少し先まで予定しているようですが、とりあえず、八丁田圃のまんなかにインターチェンジができていました。このお盆休みの時期にはかなり利用客が多くなっています。南部-御坊間が15分で、700円とのこと。おじいちゃんは緊張するので高速はあまり運転したくないと言っていました。
大阪方面から、紀南に車で観光に来るには便利なのではないでしょうか。[粉飾国家]
日垣氏の本といっしょに持ち帰った次の新書を読み通しました。ちびどもが昼寝をした間にちょうど最後まで読むことが出来ました。
金子勝『粉飾国家』講談社現代新書、2004
国民の誰もがおかしいと思っている年金財政の仕組みを解き明かしてくれています。小泉構造改革の実態がよくわかります。[打ち込み作業]
最初に打ち込み作業に取り組んだものが、全部で139頁の小品でした。今取り組んでいるのが、388頁の著作です。当然、倍以上の時間がかかっています。本日は、177頁まで。
おおきいちびはおそらく5時半。私は6時半。睡眠のリズムがあわず、頭痛。目の奥が痛い。打ち込みで見づらい文字を凝視していたせいもあります。暑い、と思ったら、室内の気温が33度ありました。昨日は、31度。外はおそらく35度を超えているのではないでしょうか。昨夜はかなり涼しかったので、落差が大きい。昨夜は曇りがちで、今日はまた快晴ということもあるのでしょう。
画面上では読みとれない文字のある文書の打ち込みを継続中。プリントアウトはもってきていませんし、こちらにプリンターもありませんから、東京に帰ってから、プリントアウトをにらみつけ、さらに周辺情報から読みとれない文字は埋めて行くしかありません。
帰省前に読み始めた次の本を本日読了しました。
日垣隆『現代日本の問題集』講談社現代新書、2004
おばかさんの実例として、知り合いの名前がでてきて、笑いました。知り合いでも友人でもおばかさんはおばかさんです。仕方のない事実です。海の近くの温泉に。先に砂浜に行ってみました。波が割と大きい。裸足になって波打ち際を歩き始めると、すこし強めの波がやってきました。おおきいちびはそれが怖いと言って泣いたので、貝殻だけ拾って、海辺の公園に。30分ほど遊んでから、温泉に。ホテルの温泉を開放している温泉です。ホテルはほぼ満室に近いにぎわいでした。
おおきいちびは5時半。もう少し寝ていたかったのですが、あきらめて6時にはつきあってやることにしました。
東京と田舎で最高気温にはそれほど差がないようです。しかし、車で動いていても山道に入った途端わずかに涼しく感じます。昨夜も温泉に行く道中は、ひんやり感がわずかですがありました。緑の量の差がありました。ちびどもがやっと3時に昼寝してくれました。その間に、打ち込み作業をある段階まで進めることができました。こちらには当然のことながら手元に資料がないので、資料がなくてもできる作業を継続しています。将来のことを考えれば、必要な作業です。
白浜の花火大会を対岸の田辺から見る予定でしたが、温泉のあと、おじいちゃんが指をつめて、予定をキャンセル。かわりに近所のスーパーで花火を買って、庭で小さな花火。ちびどもは蝋燭の炎から自分で花火に火をつけることができるようになって、満足。
ひとりで6時半。夜は涼しくなってきました。[帰省]
帰省の日。10時前に家を出ました。羽田空港には11時半すぎ。去年とは違って、ちびどもはふたりで遊べるようになっています。いろいろ物珍しいのがうれしいのか、ふたりではしゃぎ回っていました。搭乗券の手続きが済んだ後は、すぐに昼食。ちびどもはパフェ。飛行機は1時55分なので、時間に余裕がありました。待合室で遊び回っていました。
理由は不明ですが、離陸が20分ほど遅れ、予定より10分以上遅れて、南紀白浜空港に到着。はしゃぎまわって疲れたせいでしょうか、もともと車の苦手な大きいちびが車のなかでもどしました。再度乗車したあと、泣いていましたが、おじいちゃん、おばあちゃんちに着いた途端に、復活して、用意してくれていたお土産にとびついていました。
村の温泉に出かける頃にはすっかりいつもとおりになっていました。
私も、疲れたので、9時前には就寝。
おおきいちびといっしょに6時。夜は雨が降っていました。昨日のアサヒ新聞夕刊に出生率の話題がでていました。香港:0.94。台湾:1.24。シンガポール:1.25。韓国:1.17。確かに、日本の1.29以下です。出生率は、その社会の深層の価値観を反映すると言えるでしょう。そう、こうした諸国は、どこかで通底しています。
帰省のための、ものの片づけは1時間もかかりませんでした。ものの10分。しかし、情報の整理をしようと思ったら、すぐには終わりそうにありません。とくに、「千のキミア」プロジェクトでダウンロードしたファイルの整理に着手しましたが、こういうことはその日のうちにすませるべきでした。なにをどうしたのか、ほとんど忘れています。
吉祥寺啓文堂オープンの日に買ってきた次の本を読み始めました。
日垣隆『現代日本の問題集』講談社現代新書、2004
日垣氏は私と同い年です。そういう同じ世代としての関心はこのさいおくとして、ジャーナリズムの仕事をしっかりと続けられている、信頼できる筆者です。(新聞記者やテレビ記者のなかにもジャーナリストと呼んでよい仕事をした人もいますが、実に少数。)最近の日本のマスメディアの些末主義(ことがらの一番重要な部分からすぐに目をそらして、些末なことばかり大挙して追いかける)は、末期的ですが、独立自営でやっている方々には、見るべき仕事をしているジャーナリストがいます。日垣氏はそのひとりです。[本日のガリカ]
30点ほど。ダウンロードの速度がアップした(7月24日、100Kを超えた)ので、以前ダウンロードを試みて、ダメだったものもたぶんだいじょうぶになりました。1000頁程度のものを今日ダウンロードしてみて、うまくいくことを確かめました。いろんな単語で検索をかけて、検索結果をよく見る、ということを繰り返しています。地道にこの作業を繰り返していると、たまに、ちょっとした発見(自分にとってうれしい)があります。
おおきいちびといっしょに7時前。曇り気味なのに、暑い。このまま曇っていれば、最高気温はそれほど上がらないかもしれません。→気温はそれほど高くなったわけではありませんが、湿度が高く、かなり暑く感じました。[アジアカップ決勝]
日本対中国。前半は1対1。静かな、あるいはむしろやや鈍い展開。後半どう動くか。→中田と玉田がゴールをあげて、結局3対1で日本の勝ち。中国は、個人の身体能力には高いものがありましたが、攻撃に意外性はありませんでした。地力から言って、日本の方が上回っていたと思います。今大会、個人的には、中澤、宮本、玉田がとくによかった。昨夜から今朝にかけて、1892ショットのものを1ページ、1ページダウンロード中。今日中に完了するのでしょうか。→ちびどもに邪魔されつつも、午後1時20分に完了しました。ふーふーふー、でした。とったのは、UCM (DIOSCORIDES) から、次のものです。
Manget, Jean-Jacques, (1652-1742) ,
Io. Iacobi Mangeti... Bibliotheca chemica curiosa seu Rerum ad alchemiam pertinentium thesaurus instructissimus,
Geneve, 1702
フォリオの2巻本ですが、両卷ともに900頁を超える大冊です。見たい論考があります。リプリントが出ているので、日本のどこかの大学に入っていないかと調べましたが、見つかりませんでした。(ウェブキャットでは把捉できないだけで、どこかにある可能性はあります。)リプリントなら、古書で買うこともできるであろうと、まず、ベルギーの古書店に発注したら、売り切れ。次に、イタリアの古書店に発注したら、音沙汰なし。イタリアは連絡が付かないかもな、と思っていた通りでした。値段ですが、日本円に直して5万円ぐらいからです。状態のよいものだと10万近くします。フォリオで2000頁に近い大冊ですから、新刊でもそのぐらいの値段にはなります。とくに高いわけではない。
ということで、どうしようかな、と思っていたのですが、ふと、マドリッド大学デジタルライブラリー「ディオスコリデス」には可能性があるのではと思い、検索をかけるとありました。実際にダウンロードしてみると、画像の品質が低いかな、と思ったのですが、新しいプリンターで印刷すると、ぎりぎりですが、読むことができます。ということで、えいや、と全巻ダウンロードすることにしたものです。ああ、でも、この枚数はしんどかった。
まお、levity.com に『キミア図書館』の目次があります。正確には、第1巻は、 [20] + 936 pp.、第2巻は、[2] + 904 pp. です。第1巻の最後に、図版が多く収録されています。第1巻には、ルルス、ヴィラノヴァ、アヴィセンナ、ロジャー・ベイコン等、いわゆる古典的なものが多く収録されています。第2巻には、センディヴォギウスやフィラレテスが採録されています。[帰省準備]
妻は帰省の準備をほぼ整えたようです。私は、いまはじめました。いつもそうですが、まず、コンピュータの環境を整えます。もって帰る iBook をアナログのPPP 接続ができるように設定します。今の我が家の環境は、ケーブルでブロードバンドルーターを使っています。その場合、DHCP にすれば、何の設定をすることなく、インターネットに接続できます。この状況から、アナログの PPP はおそらく数世代遡ります。いつもうまくできるのか少し不安ですが、実際にやってみると、まったく問題なく接続できます。我々のようにインターネットの商業普及の初期(つまり、1995年)にインターネット接続で苦労した記憶がある者は、どうしても心配しすぎる傾向があるようです。
おおきいちびといっしょに7時。ちびどもは最近、よく昼寝をしています。そのせいで、夜寝るのがいつもより2時間ほど遅くなっており、朝起きるのも1時間以上遅くなっています。
今朝は快晴。また暑くなりそうです。朝の新聞の折り込み広告に、本日、ユザワヤ地下に啓文堂オープンの知らせがありました。ちょうどよいののでちびどもを連れて、朝一番で見に行きました。これなら、使えます。人文社会系の書物もまずはあります。所持金が少なかったので、次の3冊の新書を買いました。
五十嵐太郎『過防備都市』中公新書ラクレ、2004
日垣隆『現代日本の問題集』講談社現代新書、2004
金子勝『粉飾国家』講談社現代新書、2004
ちびどものためにも1冊ずつ買ってやって、ラーメン屋さんで一番目の客となって、ゆっくり昼飯を食って帰ってきました。今日は、暑い! 暑いとクーラーをがんがんにかけている場所がありますが、そうした場所ではちいさいちびが咳き込みます。とっとと帰るのがいちばんです。[昨日のUCM (DIOSCORIDES)]
Solenander, Reiner ,
De caloris fontium medicamentorum causa, eorumque temperatione libri duo,
Lugduni : apud Ioannem Franciscum De Gabiano, 1558
Norton, Samuel ,
Metamorphosis lapidum ignobilium in gemmas quasdam pretiosas,,
Frankfurt,1630
Hartmann, Philip Jacob ,
Succini Prussici physica & civilis historia cum demostratione ex autopsia [et] intimiori rerum experientia deducta,
Frankfurt,1677
[本日のUCM (DIOSCORIDES)]
Hollandus, Isaac ,
Opera mineralia siue De lapide philosophico, omnia duobus libris comprehensa,
Middleburg,1600
ついでに、この間にダウンロードしたファイルとリストを 科学史の部屋において、整理しました。30点強。整理だけで1時間半ほどかかりました。ふー。
ひとりだけ遅れて、8時。どうも疲れがでたようです。ちびどもは、おそらく6時半には起きていたようです。風が吹いて、クーラーなしでも何とか大丈夫です。台風の影響でしょうか。家族揃って帰省のためのチケットを購入しました。4名が往復して、13万4千円。お盆の期間に動くため、割引が効かず、高いなと感じます。飛行機ではなく、電車でも帰ることはできるのですが、ちびどものことを考えたら、電車はこわい。
体調もいまいちなので、休み気味にと思っていたら、いくつか仕事が飛び込んできました。ひとつは、学会誌の2校。これは仕方がないので、2時間ほど集中してチェックし、ただちに印刷所に返送しました。あとは、細かい書類の処理。面倒ではあれ、簡単なものなので、こちらもただちに処理して、返送しました。
夕方、アマゾンより次の本が届きました。
Ann Moss
Printed Commonplace-Books and the Structuring of Renaissance Thought
Oxford: Clarendon Press, 1996
憂鬱なピサ大生の紹介・推薦による購入です。桑木野君、情報、ありがとうございます。この本は、7月24日に発注しています。それが8月5日に着きました。はやい! もちろん、はやいのには理由があります。今回はじめて、Priority International Courier というのを利用しました。8月4日に送ったという通知がありました。それで、翌日につきます。たしかに、速達です。
帰省先にはどの本を持って帰ろうかなと思案していたのですが、ちょうどよいので、この本を持って帰ろうと思います。オリンピックとちびどもの相手で多くの時間が消えるでしょうが、それでも、一定の時間はとれます。一昨日から、別刷りの発送作業をしています。関心を持ってくれる方には、お送りしますので、ご遠慮なさらずに、どうぞ。(送付先をメールでお知らせ下さい。)
おおきいちびといっしょに6時。昨夜は、また、むしむししていました。夕方には風が吹いて気持ちよかったのですが、風が止んでからむしむしが再び襲ってきました。前からの約束だったので、ちびどもを映画に連れていってやりました。アンパンマンのシリーズです。題して「夢見の国のニャーニーちゃん」。ちいさいちびがホームページで見つけて、ニャーニーちゃん、ニャーニーちゃんというので、連れていってやることにしたのですが、ドラエモンのムービーとは違って、都内の数軒でしかかかっていません。いちばん近いのが新宿なので、新宿に行ったのですが、44席の非常にちいさな映画館で入口を探すのに苦労しました。我が家の生活パターンだと朝一番が最善です。上演は10時からだったのですが、映画館にたどり着いたのが10時5分。2本立てでしたが、一本目がごく短く、11時15分には終わっていました。大人が1900円払ってみるには、もちろん物足りないのですが、ちびどもにはあのぐらいがちょうどよいようでした。終わったあと、近くのハンバーガー屋さんで、お昼を食べて帰ってきましたが、ちびどもが途中から歩かなくなったので、妻はぐったり。
映画そのものは、幼稚園児対象といったところでしょう。一時の猛暑は去ったとはいえ、最高気温33度前後で推移しています。しかし、日照時間にはあきらかに夏の終わりが感じられます。いま7時ですが、そとはもう暗い。子どもの頃の記憶では、水泳、とくに海水浴はお盆までが時期で、お盆がすぎると、秋の気配が感じられたものでした。東京も熱は去りませんが、蝉の鳴き声や日照時間に、秋の気配が感じられるようになっています。そのくせ、暑さがまったく去らないというのも、嫌なものですが。
ということで、作業は途中ですが、気分は夏休みといったところでしょうか。
かぞくそろって、6時半。昨夜は風が吹いて、涼しく感じました。久しぶりにクーラーをつけずにすみました。いつも配置換えをしていた吉祥寺のユザワヤ地下ですが、今週金曜日から本屋さんになうるようです。「8月6日、啓文堂」という文字が昨日吉祥寺駅を通ったときに目に飛び込みました。吉祥寺は本屋さんにかんしてはぱっとしなかったので、どんなものができるのか、楽しみです。
[『文筆生活の現場』]
昨日読み始めた『文筆生活の現場』ですが、石井政之・粥川準二・佐野真一・早坂隆・森健・烏賀陽弘道・林克明氏の順序で読み通しました。一二人ですから、もちろん、いろいろです。同年齢の方が、武田徹・江川紹子・斎藤貴男氏と三人います。まえから、同年齢の方がどういう仕事をされているのか、知りたいという欲求があり、感じるところがありました。転機というのも、いろんな形で訪れるものでしょう。しかし、ある共通のパターンというものも確実にあるように思います。ひとつは、留学を含め、海外生活だと言ってよいでしょう。
私も、1994年3月末から95年1月までロンドンに留学していて、この体験は大きかったと思います。
もっと知りたいと思っているのは、同業者の方々、すなわち大学教師です。大学教師で『文筆生活の現場』に類似の本が出版されれば、まっさきに読みます。いつも思っている素朴な疑問ですが、同業者の方々は、普段何を考え、何をしているのでしょうか? 先週本を下さった亀山氏のように、著述の女神にとりつかれたかのように多く執筆されている方は、ほとんどの時間が執筆活動であろうという推測は簡単にできます。しかし、日常生活がまったく謎の先生方も多い。[日本対バーレーン]
アジアカップ準決勝、日本対バーレーン。前半は1対0でバーレーン。しかも遠藤が退場になって、11人対10人。足が止まってスピードがないという、今大会のいらいらの原因が再度現れています。後半45分、10人でがんばれるかどうか。みていて、ほんとうにじりじりします。→中澤の1ゴールと玉田の2ゴールで、延長戦日本の勝ち。4対3。これも、ほとんど奇跡に近い勝利でした。前回のヨルダン戦といい、今回のバーレーン戦といい、こんなことがあるんだな、という試合が続きました。
ちびどもは6時20分頃。私は、6時40分。学期中よりも遅くまで起きているので、目覚める時間も遅くなってきています。予定通り、ちびが登園するのといっしょにでかけ、そのまま駒場に向かいました。駅前のマックで腹ごしらえをしたあと、図書館へ。マイクロフィルム・リーダープリンターを借りられるかと聞くと、ちょっと条件があったのですが、借用できました。2台ある片方の調子が悪く、世話をしてくれたお兄さんには苦労をかけましたが、もう片方がうまく動いて問題なし。(そっちも途中でトナー切れを起こして、今度はおじさんに支援してもらいました。)とまれ、今行っている作業で必要な部分のコピーを取ることはできました。とった枚数は全部で180枚ちょい。本を1冊借りて、駅前のソバ屋に。学生時代の定番、冷やしタヌキソバを食べてから、外大に向かいました。春にだした論文の別刷りをくれるというので、それを受け取り、少し事務処理をして、西荻に。駅前のパン屋さんでパンを買い、本屋さんで、石井政之編著『文筆生活の現場』(中公新書ラクレ、2004)を買って帰ってきました。2時半。予想とおり、ちびどもは昼寝をしていました。まずはシャワーを浴びてから、戦利品の整理をしています。
別刷りの書誌は次の通りです。
「ロバート・ボイルの読書/引用/執筆―ボイルのマージナリアの分析―」『東京外国語大学論集』第68号(2004年7月), pp.129-151.
必要な方、住所を連絡していただけば、お送りいたします。ちびどもがよく昼寝をしているので、買ってきたばかりの『文筆生活の現場』を読み始めました。大泉実成・斎藤貴男・藤井誠二・江川紹子・武田徹氏の文章をこの順に読みました。武田氏のものを読んでいる最中にちびどもが目覚めて、下に降りてきたので、残りはまたにします。
夕方、古書で注文していた本がデンマークから届きました。デンマークとの取引ははじめてです。
H.D. Schepelern
Museum Wormiarun,
1971
ところどころ、カラー写真が貼り付けられていて、美術書のようなつくりです。原典そのものを期待したのですが、これは、原典とその解説ではなく、Museum Wormiarunの概説書(デンマーク語)でした。デンマーク語なので、読むためにはデンマーク語を勉強しなければなりませんが、注や索引は利用できます。→後ろについている目次を見ると、英文サマリーがあります。pp.367-382. オレ・ウオーム(Ole Worm, 1588-1654) の研究史ならびに『ウォーム博物館』の概要でした。ウォームの伝記的事項は有用でした。
『科学史技術史事典』を引いてみました。1度も名前があげられていません。驚嘆。前回のエルカーといい、オレ・ウォームといい、何なんでしょうか、この事典は。
ひとりだけ遅れて7時。ちびどもは6時過ぎには起きたようです。ついに8月。仕事ではないのですが、今継続している研究で、今週は2回ほど大学に行こうと思っています。ちょうど、月曜日、火曜日と幼稚園の登園日があるので、そこいらがちょうどよいかな。
10時過ぎぐらいからちびどもは妻にプールに連れていってもらったので、上機嫌です。私は、その間に、先延ばしにしていた編集委員会の作業をこなしました。邦語目次と英文目次の作成、奥付の作成、会報や会告の作成、埋め草の指示等です。雑誌の目次を間違えるのは致命的ですから、一番気を使って作業します。でも、量的には2時間でできます。
阪大と大阪外語の統合の話(アサヒ)がまた出ていました。記事によれば、アジア圏との交流を深めたい大阪大学に熱意があり、大阪外語の方では教授会の議題にも上がっていないということでした。
昨夜は久しぶりに辞書や辞書的書物以外のまっとうな2次文献を読みました。
Pamela O. Long, Opennes, Secrecy, Authorship, (2001) の第6章、"Openness and Authorship I: Mining, Metallurgy, and the Military Arts" です。それから、『科学革命のエンサイクロペディア』の "Mining and Metallurgy" の記事を読みました。見事に同じです。ロングさんは、明らかに、『科学革命のエンサイクロペディア』では、自分の書いた論文をただ短くまとめています。ピサ大生の桑木野幸司氏の留学日記、すなわち「ピサ大生の憂鬱(軽度)」の7月のテーマは、コモンプレイスブックでした。すべての人文系の人間の想像力を刺激する内容でしたが、最後(31日)が傑作でした。私はコリー女史の古典的名著『パラドキシカ・エピデミカ』を思い出しました。
[ラザルス・エルカー ]
昨日調べていた、ラザルス・エルカー (Lazarus Ercker, ca. 1530-1594) ですが、『科学史技術史事典』にもまったく言及がありませんし、グーグルで検索しても日本語では検索にかかりません。簡単に紹介しておきましょう。
16世紀前半のヨーロッパには鉱山ブームが起こっています。そうした経済状況に一部刺激される形で、鉱山関係の技術書、冶金術のマニュアル的書物が出版されています。最も有名なのは、邦訳もあるアグリコラの『デ・レ・メタリカ』ですが、ビリングッチョ(Vannoccio Biringuccio, 1480-1538(9))の『火工術 Pirotechnia』(1540) も有名です。しかし、自身、冶金技術者であり試金官(貨幣検質官)でもあった中部ヨーロッパ生まれのラザルス・エルカーも重要な仕事をしています。『価値ある鉱石と鉱山業に関する論考』(1574) はあきらかに、アグリコラの『デ・レ・メタリカ』の成功に刺激されて執筆されています。冶金と試金の現場にずっといた者ならではの、長い体験に裏付けられた技術書です。実践的冶金の化学の最初のもっとも重要な論考のひとつです。
もとはドイツ語です。Beschreibung der allervornehmsten mineralischen Erze und Bergwerksarten。1683年に王立協会の後援のもと、英訳が出版されています。
また20世紀半ばに、アンネリーゼ・グリュンハルト・シスコとシリル・スタンリー・スミスの手で、英訳が出版されています。『ラザルス・エルカーの鉱石と試金に関する論考』(1951) 。昨日は、まずはこの著作を入手しようと思ったのです。このぐらいのものであれば、たくさんの図書館にあるに違いないと思って、Webcat で検索をかけると、九大六;室工大;梨大のたったの3図書館しか所蔵していませんでした。
もう1点、神戸松蔭が、1683年に出版された Fleta minorのどうも2部のみ(2部は、鉱物用語辞書です)所蔵しているようです。(実物を見せてもらえば、1部=エルカーの英訳、もちゃんとそろっている可能性があります。実物を見ないと何とも言えません。)
アグリコラ、ビリングッチョ、エルカーは、いわば3点セットでそろえておきたいので、古書で入手することにしました。本体のみで75ドルのものを注文したので、来月頭ぐらいには届くかも知れません。