ちびどもが起きて、5時半。雨はすっかり上がり、気温が高くなりそうな朝です。[テヴノー v]
テヴノーの『不思議な多くの旅行記集成』ですが、目次と照合しながら、ウェブを見ていると、様子がわかってきました。
第1巻は、1部と2部を含み、全部で819頁です。(書き込みによれば、35点の記録からなります。)
第2巻は、3部、4部、5部を含み、全部で729頁です。
心つもりとしては、明日から、新学期の準備にウェイトをおきます。まったく新しい授業を今年は何種類か行うので、その準備作業にとりかかります。話すテーマを絞り込んだあとは、まる一日あれば、1回の授業の準備はできますが、それまでけっこう時間がかかります。
ちびどもを連れて、サンシャインの水族館に行って来ました。そもそも大学が引っ越してから池袋のまちにでるのははじめてかも知れません。おねえちゃんは、小さい鮫やマンタの泳ぐ最初の大水槽のところで、立ち止まって見ています。小さい方は、あっち、こっちと落ち着きがなく、走り回っていました。性格の対照が歴然。開館とほぼ同時に着くように、家を9時過ぎにでて、10時過ぎに水族館につきました。12時前には、水族館をでて、食事の場所へ。帰りは、噴水を見たり、お猿さんの芸を見たりしながら、何とか3時ぐらいには家に帰り着きました。ちいさいちびはすぐに歩かなくなるので大変ですが、家から1時間程度のところであれば、外出できることがわかりました。
ひとりで5時半。お昼から雨が降ってきそうな天気。どんよりとした春の曇り空です。→午後4時頃から雨が降り出し、日が暮れてから本格的な雨降りとなりました。[ももちゃん2号の死]
昨日買ってきたももちゃん2号も今朝お陀仏していました。水が濁っていたので、水か中に入れた石がよくなかったのかもしれません。[テヴノー iv]
昨夜遅く、ウェブで、『不思議な多くの旅行記集成』の目次を見つけました。これで、少しすっきりしました。
こうした方面に関して日本語の先行研究がどのくらいあるのか、あるいはないのかわかりませんが、このテヴノーの『不思議な多くの旅行記集成』のメリットは、オーストラリアや日本の地図を含むということだけではなく、全世界、全地球を意識して収集・作成されていることにあるようです。
第1巻に収録されている第2部の終わりの方で、日本についての報告記が48頁にわたり採録されています。その次にはたった4頁ですが、日本の北方、蝦夷地の発見記というものも付けられています。今月は、ここまで、88枚。無理すれば、今月も100枚を突破できますが、その必要もないでしょう。
ウイルスは、ほんとうにすごいことになっています。へたをすると1日に200通を超えるかも知れません。
3月25日に買ってきた、西村三郎『文明のなかの博物学:西欧と日本』(上・下、紀伊国屋書店、1999)を読み始めています。とてもわかりやすくて、読みやすい本です。
ちびどもが起きて、5時45分。このぐらいなら仕方がないでしょう。[ももちゃんともんちゃんの死]
ちびどもに各自1匹ずつ買ってきた金魚ですが、どうも調子が悪いようで、ちいさいちびようのももちゃんが今朝、お陀仏。かわいそうだからと、ももちゃん2号を買ってきましたが、夕方今度はおおきいちびようのもんちゃんが昇天。ちびどもは金魚をとても喜んでいましたが、やはり大きな水槽としっかりした浄化装置がなければ、なかなかうまく飼うのは難しいようです。[テヴノー iii]
テヴノーですが、私自身、調べたい点が何点かあります。しかし、大苦戦。3つめ(Troisième partie)は、目次がでるので、どういう内容か検討がつくのですが、1つめ(Tome Premier)と2つめ(Tome Second)が目次さえもでないので、頭から、あるいはお尻から順番にダウンロードしていくしかありません。しかも、通しノンブルがないので、目的の箇所に飛ぶことができません。無表示、無表示、・・、page 1, page 2, page3, ....,page 20, page 1, page 2,..... page120, page 1... というふうにページ表示が変わるのにつきあって、ひたすら根気よくダウンロードし続けるしかありません。私の環境では、1頁をダウンロードするのに、クリックやキーボード入力等6回程度、アクションが必要です。長く続けていると、このアクションにエラーが生じ、そうすると、パソコンがフリーズ。再起動したときに、前の箇所に飛ぶことはできませんから、また1から根気よく行うことが必要になります。
一応、目的のものはゲットできたのですが、1つめは731頁、2つめは362頁でパソコンがフリーズして、あとどのくらい残っているのかもわかりません。
救いは、図書館員またはもとの所持者が、収録されている旅行記毎に(つまりページが1から再スタートするごとに)、no.1, no.2 というふうに書き込みをしてくれていることです。これを見ることで、今表示されているページ数が、何番目の旅行記のものであるのか、わかります。
原則、すべてフランス語または、フランス語訳ですが、1つめの第13掲載論考は、まるまるギリシャ語です。これには少し驚きました。ということで、規模はそれほど大きくはないが、英国のパーチャスの旅行記集成に匹敵するフランス語の旅行記集成と見ておけばよいことがわかりました。
なお、私の目的のひとつは、ボイルがここからポトシ銀山の話を引いていて、その箇所を見つけることでした。お暇な方は、この課題にチャレンジしてみてください。私の苦労を再現することができます(微苦笑)。ネットワークを跋扈しているウイルスですが、一時小康状態になったと思ったら、今日あたりからまたすごい勢いで増殖しています。ウイルスNetskyの最新亜種 「Netsky.Q」ということです。
おおきいちびが起きて、5時。昨夜は遅かったので、早すぎます。[テヴノー ii]
サットンさんの貢献に少しでも追加するために、昨日のテヴノーについて補足しておきましょう。ガリカに対するアクセスを、ほぼサットンさんの形式に近い形であげておきます。
Auteur: THEVENOT , Melchisedec(h)(c.1620-1692)
Titre: Relations de divers voyages curieux ,Tome Premier
Paris, 1696
Gallica :http://gallica.bnf.fr/scripts/ConsultationTout.exe?O=n057789
Auteur: Melchisedec(h) THEVENOT (c.1620-1692)
Titre: Relations de divers voyages curieux ,Tome Second
Paris, 1696
Gallica :http://gallica.bnf.fr/scripts/ConsultationTout.exe?O=n057790
Auteur: Melchisedec(h) THEVENOT (c.1620-1692)
Titre: Relations de divers voyages curieux ,Troisième partie: contenant la relation de l'Indostan, des nouveaux Mogols et des autres peuples et pays des Indes
Paris, 1696
Gallica :http://gallica.bnf.fr/scripts/ConsultationTout.exe?O=n086648
Auteur: Melchisedec(h) THEVENOT (c.1620-1692)
Titre: Voyages de Mr de Thévenot contenant la relation de l'Indostan, des nouveaux Mogols, et des autres peuples et pays des Indes
Paris, 1696
Gallica :http://gallica.bnf.fr/scripts/ConsultationTout.exe?O=n083763
Auteur: Melchisedec(h) THEVENOT (c.1620-1692)
Titre: Bibliotheca Thevenotiana sive catalogus impressorum et manuscriptorum librorum bibliothecae viri clarissimi D. Melchisedecis Thevenot
Paris, 1694
Gallica :http://gallica.bnf.fr/scripts/ConsultationTout.exe?O=n057923
Auteur: Thévenot, Jean (1633-1667)
Titre: Relation d'un voyage fait au Levant
Paris, 1664
Gallica :http://gallica.bnf.fr/scripts/ConsultationTout.exe?O=n106525
Auteur: Thévenot, Jean (1633-1667)
Titre: Relation d'un voyage fait au Levant
Paris, 1665
Gallica :http://gallica.bnf.fr/scripts/ConsultationTout.exe?O=n085317
Auteur: Thévenot, Jean (1633-1667)
Titre: "Suite du Voyage de Levant"
Paris, 1674
Gallica :http://gallica.bnf.fr/scripts/ConsultationTout.exe?O=n085318
なお、ガリカは少し模様替えし、以前、http://gallica.bnf.fr/scripts/ConsultationTout.exe?O=n085318 の形式ででていたダウンロードのスクリプトが、今は、 http://visualiseur.bnf.fr/Visualiseur?Destination=Gallica&O=NUMM-85318 となっています。しかし、以前のものでアクセスしても、新しい下のスクリプトに変換されてでますから、問題はありません。なお、テヴノーのファイルに関しては、一括ダウンロードできるものは少数で、1ページ1ページ見ていく(ダウンロードしていく)しかないようです。(準備が整っていないだけかもしれませんし、方針かもしれません。)1ページ1ページのダウンロードは面倒ですが、必要であれば、根気強く行うしかないと思われます。
(でも、一括ダウンロードの味をしめてしまうと、ほんとうに面倒だと感じます。とくに、叔父テヴノーの『不思議な多くの旅行記集成』のように、ひとつひとつの旅行記毎にことなるページ付けがなされていたりすると、目的のものに辿り着くまでが、まさに旅になってしまいます。)叔父のテヴノーについては、Westfall on Thevenotの記述が科学史的にはもっとも簡便なものでしょう。この最後の文章が面白いので、適当に訳してみましょう。
「テヴノーは私には謎である。テヴノーは17世紀半ばのフランスの学術団体の解説にはどこにでも顔を出す。テヴノーは、傑出したパトロンであった。しかし、その富の起源または源泉について私は何も見つけることができなかった。私は、諦めた。テヴノーの生涯に触れる2次資料は、どれも、自伝的記述(Bibliotheca thenvenotianaに含まれる)によっているが、それは私には明らかに自らの出自を隠しているもののように見えるのである。」
もうすこし、プライマリーなデータも紹介しましょう。彼の築いた国際的な通信網は、オルデンブルグ、ホイヘンス、オーズーを含むもので、オルデンブルグを通して、ボイルのラテン語訳をすぐにもらっています。さらに、オルデンブルグからテヴノーに贈られたボイルの1672年の論文集のラテン語訳は、現在、イェール大学の医学史図書館が所蔵しています。
欧米でも、テヴノーをテーマにとりあげた研究は、ほとんどないようなので、本気で取り組めば新しい資料の発掘等、けっこう面白い事実を掘り起こすことができるかもしれません。少なくとも、書簡集を出版する価値はあるでしょう。天気がよく、気温があがったので、朝からちびどもを連れて、井の頭公園へ。桜が6〜7分咲きといった感じで、花見で人がごった返していました。あまりに混んでいるのはちびどもにはよくないので、すぐに動物園に切り替えました。鳥園、水生園から、本丸の動物園へ。先ず、モルモットに触ることができるスペースで遊んで、それからはなこさんの前を通って、遊園地へ。一通り乗り物に乗ったあと、滑り台やブランコのある子供用の遊び場へ。そこで、井の頭団子とおむすびを買って、簡単な昼食。
動物園にも、桜は咲いていました。とくに猿の近くに、なかなか立派な桜の木が並んでいました。こどもたちは、花より団子、花より遊園地ですが、動物園の入場料は400円なので、井の頭公園に花見に日中行くなら、よいスポットかもしれません。花見のメインステージは、いまごろ、どんちゃん騒ぎなのではないでしょうか。
ちびどもが起きて、5時40分。昨夜は早く寝たので、これで、十分。5月の学会発表のレジメですが、ヴァージョンの30 で終了とし、郵送しました。自宅で使っているプリンターが経年劣化で印刷品質が落ちているので、研究室にファイルをもっていってプリントしようかとも思ったのですが、十分読めるのは読めるし、そこまでするのも面倒だと思い、終了としたものです。
午前中に、昨日届いていた『科学史研究』のうち、次の記事を読みました。
<論文>山田俊弘「ウァニレニウス『一般地理学』(1650)と17世紀地球論」
<研究ノート>本間栄男「ステーフィンとデカルトを繋ぐベークマン―流体静力学のパラドクスの起源―」
<科学史入門>坂野徹「坪井正五郎と日本における人類学研究のはじまり」
<紹介>梶雅範「島尾永康『人物化学史―パラケルススからポーリングまで』」
とくに、憂鬱なピサ大生の桑木野氏によれば、篤学の士、山田俊弘氏のウァニレニウスに関する論文が、今私の行っている作業に関わります。山田氏はウァニレニウスの地理学書のソースの探究を行われています。それが私の行っていることに重なっています。たとえば、山田氏は、p.6でテヴノーに言及されていますが、3月なかばにガリカからテヴノーの著作をダウンロードしたばかりでした。[テヴノー i]
テヴノーは、ややこしい点があるので、少し解説しておきましょう。17世紀フランスで旅行記に関わったテヴノーは、2人います。
Melchisedec(h) THEVENOT (c.1620-1692) と Jean de THEVENOT(1633-1667)の2人です。叔父と甥の関係のようです。Melchisedec(h)の方は、第1にはパリの科学アカデミーにつながったひとつの会合場所を提供し、メルセンヌやオルデンブルグほどではないにせよ、この時代の知識人と非常に広く手紙のやりとりをしたことで有名です。一般向けの著作には『水泳術』(1696)というものがあります。旅行記では、何をおいても、Relations de divers Voyages Curieux(Paris,1663-72) が有名ですが、ウェブの解説には、「挿絵付の旅行記集成のなかでは、もっとも複雑な出版史をもつもののひとつである。30年間にわたり、編纂・出版が行われ、版毎の異動が非常に大きい。」とあります。しかも、集められ合綴された、それぞれの旅行記がそれぞれ独自のページ付けをもっています。ヨーロッパ人が、オーストラリア、フィリピン、その他太平洋の諸地域に関してまとまった知見を得た最初の書物であったようです。ほぼ全世界に関する情報が集められた点が特徴のようです。
ジャン・テヴノーの方は、自身旅行者であって、ヨーロッパ内部だけではなく、中東からインドにまで旅行しています。トルコ語、アラビア語、ペルシャ語に堪能で、植物観察に秀でていたとあります。その旅行記は、Relation d'un voyage fait au Levant (Paris, 1664)として出版されています。
この書に関しては、ガリカに、1664年版、1665年版があります。Melchisedec(h) THEVENOT ,Relations de divers Voyages Curieuxについては、ガリカに、1696年パリ版があります。N057789 が第1巻、N057790 が第2巻、N086648 が第3部です。
おおきいちびが起きて、5時40分。昨夜はいつもより遅かったので、もう少し寝ていたかった。
昨夜から降っている雨が、まだ降り続いています。今日は、大学の卒業式。午後は、オブザーバー参加する、全学将来計画検討委員会。(私は出ませんが、その後に評議員会。)ともに、会議そのものが国立大学とともになくなりますから、その名称の最後の会議となります。→仕舞った! 日時を間違っていました。一昨日の24日水曜日に会議はありました。普段水曜日にある会議なのですが、年度末の最後だけ、金曜日に変更になるのかと思ったのですが、何かの資料を見間違えたようです。仕方がないので、若干の書類を処理して、帰ってきました。
今日は、いろんな雑誌や本が届いていました。
西條敏美『東国科学散歩』裳華房、2004
『科学史研究』第43巻(No.229)2004年春
『スピノザーナ』第5号(2004)
『科学史研究』には、次のものが掲載されています。
<論文>山田俊弘「ウァニレニウス『一般地理学』(1650)と17世紀地球論」
<研究ノート>本間栄男「ステーフィンとデカルトを繋ぐベークマン―流体静力学のパラドクスの起源―」
ひとりで、5時。ちびどもは昨夜、ずいぶん咳をしてました。夕方から、卒業生たちの追い出しコンパ。新宿ですが、夜新宿にいるのはほんとうに久しぶりのことになります。→6時半から10時半の穏やかなコンパでした。西口からでて、私がこれまで一度も足を踏み入れたことのない、北口(?)方面でした。
2時間ほど前に新宿について、紀伊国屋書店で本を見ていました。次の3冊を購入しました。
西村三郎『文明のなかの博物学:西欧と日本』上・下、紀伊国屋書店、1999
Cassell's Latin Dictionary, New York: Wiley, 1968
新宿の紀伊国屋をゆっくり見て回るのは久しぶりでしたが、洋書のコーナーは、位置も変わっていましたし、なによりも、かなり縮小していました。
おおきいちびが起きて、5時。もう少し寝ていたかったのですが。ちびは、1階に降りるとまっさきに、金魚のところに駆け寄りました。名前をつけたようです。一昨日からはじめた学会講演要旨の推敲作業ですが、バージョン数にして、12まで達しました。金曜日にはファイナルにしようと思います。
お昼過ぎから、再度、雨。春らしいめぐるましい気候となりました。
サットンさんのサイトを覗いてみました。現時点で、9369点がリンクされています。この数は着実に増えていますから、近々1万点に達するでしょう。とても貴重な仕事をしてくれています。
吉祥寺にでたときに、駅ビルの本屋さんで次の本を買ってきました。
武藤 浩史 + 榑沼 範久 (編)
『運動+(反)成長―身体医文化論〈2〉』
慶応義塾大学出版会、2003
時間ができたときに、目次は作成しますが、歩くことの運動生理学の論文は、非常に興味深い内容でした。自然科学系と人文系の架橋ということは、掛け声としてはよく発っせられますが、実現できていることは稀です。その稀なことが、部分的とはいえ、実現されている姿は、なかなかのものです。
ちいさいちびが起きて、でたらめな歌を歌ったため、全員5時。ちびどもには早すぎます。昨日、大学にでかけるまでの時間で、今年度5月の科学史学会の発表レジメを一応書き上げました。カメラレディーの指定があるので、エディターで本文を用意し、イラストレーターで仕上げました。3月31日締切のものです。ともあれ、できるとほっとします。→ヴァージョンは、00 からはじめて、 03 にまで達しました。
今月は、ここまで64枚。
午後、会議が2つ。国立大学が国立大学であるのは、あと1週間あまり。午後12時からの会議は、そのための準備のひとつ。→会議は、午後12時〜1時半(会議というより説明会です)、午後4時〜6時でした。その間に、このところずっと行っている作業で小さな発見がありました。多くの点で非常に優れた新『ボイル著作集』の編集者注と一般索引の一部があきらかに、ゲス・ワークであることがはっきりしました。
6時の会議のあと、1時間ほど打ち合わせをし、昨日とおなじく駅前で夕食を食べて帰ると、何と金魚が私を出迎えてくれました。金魚鉢は今朝届いたのですが、今夕金魚が出迎えてくれるとは予想していませんでした。&ピアノの上の小さな明かりが灯っているので何かと思えば、ちびどもの写真でした。おおきいいちびの七・五・三のときに写真をとってもらった写真屋さんが、チャリティでいつもの約一〇分のぐらいの価格で写真を撮ってくれる機会があったので、妻が写真を撮りに連れていっていたものです。それが出来上がってきていました。写真に撮ると、こんな顔だったんだと、再発見でした。
ひとりで4時半。
ちいさいちびに寒さは大敵です。昨日は、外で1度、部屋のなかで2度戻しました。夕方は4時過ぎから眠くなって、5時には寝てしまいました。Jリーグ、レッズ対セレッソの後半のごく一部とそのあとの速報Jリーグを見ていたら、ソファーでお姉ちゃんがぐーぐーいびきをかいていました。それが5時40分。見事なねっぷりです。ちいさいちびは夜も短い間隔で目覚めていました。鼻がつまり、息が苦しいようです。[Gallica → UCM]
ガリカ・プロジェクトが一応300点を超えたので、次の焦点は UCM としました。1昨日からスタートしました。
Joanne Zwelfer
Pharmacopoeia regia seu Dispensatorium novum locupletatum et absolutum : annexa etiam Mantissa Spagyrica... Bini Discursus Apologetici
Nüremberg,1668
フォリオで、 [22], 418 p. [i.e. 408], [28]; [12], 267 ページからなります。つまり、700頁を超えています。何とかこれは完了。
せっかくですから、つぎのものもダウンロードを開始しました。
Joanne Zwelfer
Animadversiones in Pharmacopoeiam Augustanam et annexam ejus Mantissam sive Pharmacopoeia Augustana reformata
Nüremberg,1661
これもやはりフォリオで、[22], 468, [20]; [16], 80, [4] ページ。昨日の時点で3分の1程度まで進むことができています。
さらに、アグリコラの『デ・レ・メタリカ』を除く鉱物学的著作のスペイン語訳も昨日ダウンロードを開始しました。→午前11時過ぎに終了。ふー。
Agricola, Georg
Di Georgio Agricola De la generatione de le cose, che sotto la terra sono e de la cause de'loro effetti e nature : recato tutto hora dal latino in buona lingua volgare
; De la natura de quelle cose, che da la terra scorrono.
De la natura de le cose Fossili e che sotto la terra se cauano.
De la minere antiche e moderne.
Il Bermanno o de le cose metallice, dialogo
Venetia, 1550
こちらは、4つ折り版です。ページの表記は、[27], [1] en bl., 467, [1]。これを見ると、500頁弱の本に見えますが、実は、ページ数は見開きにしたときに、右ページの右上にのみついています。この時代にはよくあるページの付け方です。(100a, 100b あるいは 100r ,100v というふうにあらわします。)つまり、1ページ1ページショットをとるとほぼ1000ショットが必要になります。フォリオの1000頁ではありませんが、それでもかなり大部の本です。
諸所にもともとの所持者の書き込み(アンダーライン)が見えます。また、重要な段落に縦の線で示す書き込みもあります。この書き込みがこの時代の人の手によるとしたら、我々と同じような書き込みをしていたということが言えます。(その点を確定するには、マドリッド大学がこの書をいつどこからどのように入手したのか、そのときの本の状態はどうだったのかという情報が必要です。)
実は、教授会の日。今週は、あと、火曜日と金曜日に会議があります。→教授会は、もしかしたら最短記録で、5時前に終了。私は、西荻駅前のラーメン屋でラーメンを食べ、パン、卵、牛乳を買って帰宅。寝ていると思っていたちびどもは、起きていました。一歩も外出しなかった日は、仕方ありません。ちいさいちびが、トイレと台所で戻したということで、トイレには強い臭いが残っていました。
おおきいちびといっしょに5時前。私は仮眠を取ったあと仕事をするつもりで、昨夜、ちびどもといっしょに就寝して、そのまま朝まで寝てしまいました。なにはともあれ、会議が一番疲れます。その疲れが出たようです。読むのを忘れていたライプニッツの『プロトガイア』を、工作舎の『ライプニッツ著作集10:中国学・地質学・普遍学』(1991)で読んでいます。翻訳には不満な点が残りますが、有益な観点や情報が得られます。いま私がずっと行っている作業の種類を示すためと、今後のライプニッツ研究にわずかに貢献するために、ライプニッツの引用する箇所を以下に示してみましょう。
邦訳の163頁-164頁でライプニッツは、「ストランバイト」と呼ばれる巻き貝の化石を扱っています。164頁の第1行目に( )があり、そのなかに、次の記述があります。「(後者はケントマンのドイツ語の33頁のより高く浮き上がった渦巻き型の石であり、・・・)」訳注はこの典拠を正しく、Gesner編の De omni rerum fossilium genere...(1565) に収録されている Johannes Kentmann のCatalogus rerum fossilium のことか」と推測しています。
まさしくその通りで、33頁に次のことばがあります。
5. Strombites brevis. Ein zusamen gedruckter Scheckenstein.
(短ストロンビテス。凝集した蝸牛石)
(ドイツ語は、押し潰された蝸牛石かもしれません)
邦訳は、図版の存在を示唆していますが、現実には、ラテン語で2語、ドイツ語で4語あるだけです。
同じく164頁でクテニテスを扱っています。その最後の行は次の通り。「同じくクジラの口の形をしてクテニス・ヒルデスハイメニシスがゲスナーの165頁に見られる。」
これについても訳注は、「Gesnerの、De rerum fossilium のことか」と推測していますが、その通りです。現実に、Conrad GESNER, De rerum fossilium, lapidum et gemmarum maxime, figuri set similitudinibus liber non solum medicis, sed omnibus rerum naturae ac philologiae studiosis utili set iucundus futurus (Zürich 1565)の165頁には、次の図版と文章があります。
そして、次の文字があります。
なお、ゲスナーのこの編纂書は、ずっと以前に記した通り、8つの異なる書物を1巻にとじたもので、その最初がケントマンのNomenclaturae Rerum fossilium、そして最後の8つめがゲスネルの De rerum fossilium, lapidum et gemmarum maxime, figuri set similitudinibus liber non solum medicis, sed omnibus rerum naturae ac philologiae studiosis utili set iucundus futurusです。ライプニッツがここでこのゲスネルの書物を使っているということは、17世紀の末になってもゲスネルのこの『鉱物誌』(簡単にこう略しておきます)が辞書のようにかなり広範囲に使われていたことを示唆し、興味深い。
ちびどもが起きて、5時過ぎ。ちびどもには少々早すぎます。朝から雨が降り始めました。本格的な雨降りです。と同時に気温が下がったようで、かなり寒く感じます。テレビの報道によれば、正午の気温が4度前後。早く起きすぎたちいさいちびは、正午前にひとしきり暴れてから、昼寝をしました。約1時間。
家族のだれも、一歩も外にでなかった日です。こどもたちは、お友達のうちにいく約束が楽しみだったのですが、寒さと雨を考えて、取りやめとしました。
おおきいちびが起きて、5時40分。ちびは、15分ぐらい前に起きていたようです。会議の日はつかれるので、もう少し寝ていたかったのですが仕方ありません。ちびの幼稚園の終業式。寒い!朝、昨日と同じ服でいたら、すごく寒い。真冬の寒さではありませんが、暖かいと思っていたので、寒さがこたえます。
終業式のあと、おおきいちびは、お友達を二人連れてきました。男の子ひとりと、女の子ひとり。1年経ってやっと男の子にも慣れてきたようです。最初のころは、とても男の子とはうまく遊べそうになかったのですが、おとなしい子とは大丈夫になったようです。一緒に遊ぶときのルールがまだしっかりとは飲み込めていないちいさいちびが、こうしたときは、いちばんうるさい。思うようにならないといって、よく大きな声で叫びます。
よく遊びに来て、私に慣れている子の場合、私の部屋を覗きに来ることがありますが、今日の子どもたちは、まだ慣れていなかったので、入ってきませんでした。かわりにというわけでもないのですが、発表原稿の下書きにはいっている私が、よくうろうろしていました。[ガリカ・プロジェクト]
科学史の部屋でガリカ・プロジェクトの整理を行いました。この時点で、春までの数値目標であった300点を突破しました。それにあわせて、もう少し整理の仕方を工夫しようとおもいます。
ひとりで5時。暑さのせいで寝苦しい夜でした。天気予報によれば、今日は、時間が進むにつれて、気温が少しずつ下がっていくのだそうです。昨日から続けていた作業は、7時までには終了しました。出来上がったのは、プリントアウトしてA4で4枚のリストですが、こうしてできたリストを見ていると、意外な事実が見えてきます。
午前中に2つ、午後3つの会議があります。コースの長は、おそらく、7つまたは8つの会議があるのでしょう。ともあれ、会議だらけの日。→最後の大学院教授会は、6時半過ぎに終了。6時40分の電車に間に合い、7時過ぎに帰ってきました。夕食を食べながら、日本対UAE戦を見る。今日はよい試合でした。3対0で日本が勝利し、次はアテネ。
日本対UAE戦のあと、一息入れてから、大学のアドレスに来たメールを受信すると87通。たぶん、数通を残しあとはウイルスです。他の方に話を聞いても、最近相当数のウイルスが跋扈しているようです。
ひとりで5時。昨日から実際の講演内容の執筆作業を開始したせいです。どういうふうに書こうか、いつも頭のなかにあり、アイディアが浮かぶと目が覚めます。→片方は一通り最後まで仕上げました。小さな修正はまだ行うと思いますが、大筋は、これでいきます。
もう一方については、もう少し基礎的作業を続けてから、来週中に仕上げたいと思っています。午前中に20度を超え、強風。お昼過ぎに外出して帰ってきたら、私道をはさんでむかいのお隣さんの塀が倒れていました。我が家の干していた布団も1枚風で飛ばされていました。
ひとりで5時過ぎ。昨日眠くて眠くて、早く寝たせいです。大学の紀要に出した論文ですが、意外なことに、第2校を大至急というメールが昨日届きました。学会誌では普通、著者校正は、初校のみです。2校まで見せてくれるとは予想していませんでした。他にもちょっとした用事があるので、今日大学にでて、ささっと校正をすませてきます。
大学で校正をしているあいまに、我が家のiMacでダウンロードを試みて失敗したファイルのダウンロードをしようとガリカに接続しました。インターフェイスがいくぶんか変更になっていました。慣れの問題かも知れませんが、前の方が扱いやすかったように思います。サットンさんのリストはまだ有効ですが、変更に伴う技術的理由でしょうか、うまくダウンロードできないものが一定割合ありました。
メールボックスに、新しい『総合文化研究』が入っていました。第7号(2003年度)です。特集は、「越境性のアポリア」。帰りの電車のなかで、前書き、後書き、書評を読みましたが、なかなか面白い。[オリンピック最終予選]
バーレーン対UAEは、2対0でバーレーンの勝ち。バーレーンのゲームプランが今回はうまく当たっています。
日本対レバノンは、2対1で日本の勝ち。あと90分気持ちを強く持ち、集中を切らさないことです。
6時45分。おおきいちびは昨夜少し咳をしていました。今朝も起きてから咳。
ちびの幼稚園では、今週から、午前中のみになりました。春休みモードに入ったというこです。木曜日が休みで、金曜日が終業式。土曜日が春分の日ですから、昔の暦では、1年の最後に終業式ということになります。ちょうどよいのかもしれません。気象庁の予報では、昨日より気温が低くなるということでしたが、割と朝の早い時間に天気が回復して、暖かくなりました。日の当たる場所では、コートは暑く感じます。
昨日から始めた学会発表の講演要旨作成を続行中。要旨の内容よりも、分析をできるだけ先に進めておこうと思います。
[総合雑誌]
妻がどうしても必要な用事で遠くまで外出し、大きいちびの出迎えは私の役目となりました。ちょうどよいので、お世話になっているシェアウェア「DCさくら」の代金(2000円)を銀行に行って振込み、その後本屋さんで『中公』と『文春』を買ってから、ちびの出迎えに行きました。
午後は、作業の傍ら、買ってきた総合雑誌の軽いページを読んでいました。エッセイや書評等。
6時40分。おおきいちびは少し前に起きていた様子です。今週木曜日に、大学院教授会、来週月曜日に学部教授会がありますが、それまでは大学の業務はなし。今年の初夏に学会発表する2つの講演要旨を準備します。
2日間大学につめている間に、一定数の著作をダウンロードすることができました。整理にも時間がかかるので、現時点では、科学史の部屋で、267点をリストアップできています。この調子で行けば、新学期がはじまるまでに、300点に達することができそうです。今回主にダウンロードしたのは、ガリカにあるゲスネルとロンドレの著作です。自然誌関係、薬物誌関係はほぼすべてダウンロードしました。
下村寅太郎文庫の行方について、望月さんが情報をくれました。望月さん、ありがとうございます。
洋書は、関西の大学に、和書は関東学院大学に収納されたとのことです。http://lib.kanto-gakuin.ac.jp/no_10.pdf に、濱田洵子氏の「下村寅太郎文庫と原佑文庫のこと」という1頁のエッセイがおさめられています。
ざっと捜してみましたが、ともに、目録を見つけることができませんでした。場合によっては図書館に問い合わせてみるつもりです。オリンピック最終予選の2試合、UAE対レバノン、日本対バーレーンを見る。UAE対レバノンは、2対2で引き分け。日本対バーレーンは、0対1でバーレーンの勝利。これで、日本、UAE、バーレーンが横1線(勝ち点7)で並んだことになります。あと2試合を強い気持ちで戦うしかないでしょう。
ひとりで6時前。ここ数日、朝はウグイスの鳴き声がします。どなたか飼っているのでしょうか。それとも、野生?業務は、7時過ぎに無事終了。やれやれ。→Jリーグの開幕戦。ジュビロ対ヴェルデイの後半戦に間に合いました。
ひとりで5時45分。午前中は入試業務。午後は、教授会。→帰宅は、8時前。ちびどもはすやすやと寝ていました。
明日も仕事が続きます。
ひとりで5時45分、と思ったらちびどもがすぐに起きてきました。昨日の暖かさが続いています。早朝でも寒さを感じません。→明日は、いきなり10度ほど気温が下がるとのこと。体調管理が難しい気候です。今日は、ひたすら、入力作業。A4の紙にプリントアウトして、10数枚。
お昼前、おなかを少しこわしていました。夕方、おおきいちびがおなかが痛いと泣きました。症状は私と全く同じでした。寝ついたあと1時間もしないうちにまたおなかが痛いと泣きました。そのときに出すものを出しておさまったようです。私の場合も泣きたくなるぐらい痛かったので、ちびが泣いても当然でした。
おおきいちびがおとうさん、もうしたにいこうといって、6時半。ちびは6時過ぎに目覚めていたようです。午前中に、出張校正。飯田橋に出かけます。→11時から12時過ぎで無事終了。お昼ご飯を食べたあと、「大至急」と言われたゲラを提出するために、大学に出向きました。初校をもらってから3回はきっちり目を通したので、ほぼ問題ないところまで行ったのではと思います。注の部分は、少し多めにエラーがありました。
大学にいる間は、昨日増設したHDへのバックアップ作業、2台のノートパソコンをフルに活用してのダウンロードを平行して行っていました。ガリカプロジェクトでダウンロードした総数は、おそらく250に達したように思われます。そのうち、245までは科学史の部屋のファイルに整理できました。
飯田橋についたあたりから、ああ、もうコートは要らない、という暖かさになっていました。さすがにこのさき、1月や2月のような寒さに戻ることはないでしょう。
ちいさいちびが目覚めて、6時。朝は曇っています。[二人のアコスタ]
たぶん、アコスタという表記だけでは混乱しやすいと思われるので、注記しておきましょう。ルネサンスのイベリア半島で有名はアコスタは2人います。クリストバル・アコスタ(Cristóbal Acosta, ca.1525-ca.1594)とホセ・デ・アコスタ(Joseése De Acosta, 1539-1600) です。ここしばらくこのページで取り上げているのは、前者のアコスタです。後者のアコスタの著作は、『新大陸自然文化史』として邦訳されています。DSBによれば、最初の真のアメリカ研究者Americanistsと呼べるとあります。私も、全部は目を通していませんが、非常に興味深く読みました。
ポルトガル出身で、自然誌家のクリストバル・アコスタは、(コロンブスの発見したインドではなく)本当のインドでダ・オルタと知り合いになり、その地の本草の研究をしています。DSBによれば、ド・レクリューズによりラテン語訳された論考の他に、重要な2つの重要な論考の原稿は失われたのだそうです。
クリストバル・アコスタに関しては、ユダヤ人の両親から生まれたとか、ホセ・アコスタの兄弟であるとか、事実に反する伝説が広まっているようです。入試関係の業務で大学へ。千葉大の大学院に合格した学生と話したあと、昨日秋葉原で買ってきたハードディスクの取り付け作業。結局、ハードディスクを支えている金具をどう本体から取り外すかで一番時間がかかりました。たぶん、それに20分ほど。残りはすぐでした。IDE(ATA)のハードディスクの取り付けは実ははじめてで、ディップスイッチによるマスター、スレーブの設定もはじめてでしたが、ハードディスク本体に印刷されている小さな文字の説明を読むと、出荷段階でスレーブでした。ということで、買ってきたそのままの形で取り付けました。
初期化すると、75Gの表示。だいたいそんなものです。中心的にはガリカプロジェクトをここにまとめるつまりです。ということで、少し、ガリカからダウンロードしたファイルをバックアップしてみましたが、もともとのHDよりも、スムーズに動く感触でした。入試業務が終わって、帰る直前、以前大学の紀要に出した論文「ボイル思想の自然誌的背景」の初校ゲラをメールボックスに入れたので、大至急、校正をすませて戻して欲しいとのメールが来ていました。3月末発行なので、もしかして、著者校正なしにでるのかと心配していたのですが、著者校正はちゃんとありました。一安心。提出時に完成稿で出したつもりだったのですが、数カ所、ワープロミスがありました。
ちびどもが起きて、6時半。朝はまだまだ寒い。午前11時から東工大でうち合わせ。ちょうどよいので、ちびが幼稚園にでかけるのにあわせて、出かけました。東工大には、数年に1度程度しか行っていないので、昨夜、地図で場所を確かめました。約束の40分ぐらい前に到着したので、駅前の郵便局で昨日済ませた編集委員会の宿題を発送したあと、はじめて東工大の図書館に入ってみました。1階は、ほぼ見て回ることができました。片隅のコーナーに Chemical Abstract が揃っていたのが印象的でした。それほど時間はなかったので、DSB から数点、下に名前が挙がっている自然誌関係の人物の記事をコピーしただけで終了。
K研で1時間半打ち合わせをし、近くの中華料理屋で昼食をとったあと、めったにない機会なので、大岡山から大井町にでて、京浜東北線に乗り換え、秋葉原で下車しました。研究室でメインに使っているマシーンにハードディスクを増設しようと思っていて、そのための内蔵HDを買い出しにでました。昔よく行っていたお店の場所が変わっていて、捜すのも面倒だったので、まったく名前もなにも知らないDOS/Vのパーツ屋に入り、シーゲートの80Gのものを7300円で購入しました。もっと安いのもあったのですが、シーゲートのものはなじみなので、それにしました。途中で、CD-R50枚組を1780円で購入し、秋葉原での買い物は完了。
買い物が終わったあと、お目当てのお店の引っ越し先がわかりました。一応、中を見るだけは見てきました。
帰ってきてすぐにこのページを見ると、77774。ということで、77777は、3月8日夕刻に通過したことになります。さて、今週は入試関連の業務が複数あり、ずっと忙しい週です。今週が終われば、個人的には2003年度の学年が終わったという気分になれます。秋葉原から帰ってくる電車のなかで、K研でいただいたMesci(ミーサイ)という日本科学未来館(あの宇宙飛行士の毛利さんが館長をしている博物館です)の雑誌を読んでいました。専門的なものではありませんが、この種のパンフレットとしては割と面白く読めました。
[ドドエンス=ドドネウス]
イタリアの大橋氏から、日本におけるドドエンス(日本では、ドドネウスと通常呼ばれているようです)について何点かの情報を頂きました。ありがとうございます。
私もドドネウスについては、日本の科学史で読んだ記憶がかすかにあり、ウェブで「ドドネウス」と入力してサーチしてみました。熊本大学図書館が、ドドネウスのオランダ語訳の第2版(1618年)を入手したときの解説文を便利なのでそのまま引用しましょう。「日本へ入ってきたオランダ語版は1618年と1644年に刊行されたものである。1659年に長崎商館長ワーヘナールによって、この1618年のオランダ語版が幕府に献上されて以来、西洋書物のなかでも最も多くの人によって利用された。野呂元丈等によって、我が国最初のオランダ本草書の研究「阿蘭陀本草書和解」(1742〜1750)として出版されたことはよく知られている。」(樋口康夫氏の解説。http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/tokogen/dodon.html)。
松田清氏等、日本の蘭学研究の最前線の方々も、日本におけるドドネウス(ドドエンス)の受容の研究をされていますから、信頼できる情報をゲットすることができます。
私は普段は日本のことはあまり気にせずに、サーチ、またはリサーチしていますが、どうもルネサンスの時代に話題になったいろんな事柄が、江戸の日本でも話題になったようです。非常に不思議な感覚を覚えます。ソーンダイクが初期近代で取り上げているトピクスが、江戸のにほんで再現されているのは、盲点をつかれたといいましょうか、なんだ、なんだ、といったところでしょうか。
ちびどもが起きて、6時過ぎ。午前中に、昨日の編集委員会の宿題をすませました。今回は難しい課題はなく、すべて通常の事務ですんだので、簡単にいきました。
ちびどもを連れて、朝から荻窪へ。少し買い物をし、昼食をすませたあと、西友の屋上で遊ばせましたが、寒い! ちびどもは走り回っていましたが、一瞬雪もちらつく寒さにすぐに退散。明後日からは、春の暖かさにもどるということです。
最近の寒さと疲れのせいで、妻が風邪。ダウンはしていませんが、鼻がつまってかなり苦しいようです。&おおきなちびが就寝後、30分間ほど激しい咳。やはりかなり苦しそうに息をしていました。
おおきいちびが起きて、6時半。学会の理事会・編集委員会の日。午後駒場先端研。→6時過ぎに終了し、7時過ぎに帰宅しました。先端研のあるキャンパスではどんどん新しい建物が建っています。現在も建設中でした。東大の普請ぶりには、くらくらします。
木曜日、大学にいる間に、ボーアンの一般植物誌をガリカからダウンロードしました。
Jean Bauhin and Johann Heinrich Cherler
Historiae plantarum universalis
Yverdon,1651
ファイルは全体で5つに分かれています。巻1,巻1-2,巻2,巻3,巻3-2です。最後のものを除き、巨大ファイルです。600Mを越えるものもありました。CD-R1枚をまるまる使う容量です。こういうのは、「DCさくら」の助けがなければ、とても最後までダウンロードすることができなかったでしょう。
ついでに、ドドエンスの植物誌の英訳もダウンロードしました。これは、仏訳からの翻訳です。
ちびどもが起きて、6時半。3月3日に記した、蘭学者の語学力ですが、メールで情報を頂きました。Tさん、憂鬱なピサ大生の桑木野 幸司 さん、ありがとうございます。
英語、フランス語はそれなりにできる人がいたようです。
ラテン語は、西村三郎『文明の中の博物誌』によれば、リンネの高弟ツュンベリーが来日したとき、かなり熱心にラテン語を教えたようです。リンネは、ドドエンスを使っていますから、ドドエンスそのものもこういうルートで運ばれたのでしょう。[ブックレット]
『総合文化研究ブックレット』の第2号と第3号が昨日できあがりました。
第2号は、「アジアの文化と文学 アジアの作家たち」というものです。
第3号は、「世界の神々」。次の6点が収録されています。
西永良成「キリスト教の光と影」
水野善文「神も悪魔も人間も:インドの場合」
岡田知子「やおろずの神:カンボジア都市生活者の信仰」
栗田博之「ヒトと精霊の世界:文化人類学から見たパプアニューギニアの<神>」
八木久美子「神とはどこで出会えるのか:イスラム教徒の場合」
渡辺雅司「湖底の教会:キーテジ伝説とロシアの神」
本誌の『総合文化研究』第7号も昨日、見本刷りが来ていました。遠からず完成すると思われます。ドドエンスの大著『ペンプタデス植物誌』のダウンロードをやっと終了。954 Images は、さすがに手間がかかります。そのうち、最後の50頁以上は、インデックスです。とても充実した索引でした。
充実した索引や目次ということでいえば、エルナンデスの『新ヒスパニアの植物、動物、鉱物誌』が傑出しています。
Image 7 に目次があります。次の通りです。
Liber Primus. Prolegomena Praemitit. fol.1.
Lib. Secundus. Aromata promit. 27.
Lib. Tertius. Arbores describit. 44.
Lib. Quartus. Frutices, atq. suffrutices exponit. 101
Lib. Quintus. Acres herbas habet. 131.
Lib. Sextus. Amaras herbas continet. 181.
Lib. Septimus. Salsas, & dulces herbas profert. 220.
Lib. Octavus. Acerbas, & acidas herbas prodit. 259.
Lib. Nonus. Anamalia exhibet. 313.
Lib. Decimus Minaralia explanat. 134.[sic]
SEQUUNTUR
Aliorum novae Hispaniae Plantarum Nardi Antonij Rechi imagines, & nomina, cum Ioannis Terrentij Lyncei annotationibus. 395
Aliorum novae Hispaniae Animlium Nardi Antonij Rechi imagines, & nomina, cum Ioannis Terrentij Lyncei expositone. 460.
Fabii Colunae Liyncei in Nardi Antonij Recchi Montecoruinatis Medici Regij Rerum Medicarum novae Hispaniae volumen annotationes, & additiones.841.
PARS PRIMA
Phytosophicarum Tabularum ex frontispicijs Naturalis Theatri Principis Federici Caesii Lyncei S. Angeli, & S. Poli Princ. I. March. Montis Caelij II. &. c. Baroni Romani desumpat, In stirpium scientiae, ad studiorum institutionem, totiasq. Herbariae Syntaxis prospectum, nunc primum à Lnyceis edita. 901.
Historiae Animalium, & Mineralium novae Hispaniae liber unicus, in sex tractatus divisus Francisco Ferhandex Philoppi II. primario Medico Suthore.1.
もちろん、第10書「鉱物」の134 というのは、334ですが、もとのものの印刷ミスです。
そして、最後のものが再び、1 となっているのは、間違いではなく、別の1冊の書物がこのおなじ書物にとじられていることを示します。
Image 8-21 には、「植物、動物、鉱物の索引」があります。
Image 22-25 には、「著者名索引」があります。
Image 28-35 には、「新ヒスパニアの医薬品名索引」があります。
本文は、image 36 から始まります。目次にある"Phytosophicarum Tabularum"というテーブル(表)は、すごいものです。ラムス主義の表が進化して、絶頂に達したものとも言えますし、あるいは、熱帯雨林の鳥たちのように、過剰な進化のはずれ道を極めたものとも言えるものです。
この種の本は、辞書のように使用するということを考えれば、この目次・索引・表は、極めて有用な道具となってくれます。オリンピック最終予選、日本対UAE戦を見ています。前半は0対0。→後半に2点を入れて、日本の勝ち。勝てば良し。
一昨日に続き、オリンピック最終予選、日本対レバノン戦を見ました。4対0で勝利。今回はまずまずですかね。次のUAE戦を見て、判断したいと思います。ちびが起きて、6時半。寒さは少し緩んだ気がします。
せっかくなので、ドドエンスの大著(『ペンプタデス植物誌』)とエルナンデスの大著(『メヒコの植物、動物、鉱物新誌』Nova Plantum, animalium et mineralium mexicanorum historia,1651)をダウンロードしています。ドドエンスは、全部合わせて954頁、エルナンデスは全部合わせて軽く千頁を超えます。ちょびちょび時間を見つけ、JPEGファイルを1枚1枚ダウンロードしています。
それにしてもこの時代の自然誌の浩瀚さはすごい。フォリオで千頁前後のものがごろごろあります。
ダウンロードしているときに文書は読みませんが、図版は見ます。この時代の人は、かなり平気で図版の使い回しをしています。アルマジロの絵は、同じものを何度も見ました。たぶん、5回以上。タバコ草の絵も同じくらい見ました。[アコスタ]
こうなったら、アコスタも調べないわけにはまいりません。UCMには次の5つがありました。
1. Aromatum, et simplicium aliquot medicamentorum apud indos nascentium historia, 1593
2. [Christophori a Costa]... Aromatum et medicamentorum in Orientali India nascentium liber,1582
3. Tractado de las drogas, y medicinas de las Indias Orientales, 1578
4. Traicté de Christophle de la Coste ... Des drogues et medicamens que naissent aux Indes, 1619
5. Trattato di Christoforo Acosta... Della historia, natura, et virtu delle Droghe Medicinali, & altri Semplici rarissimi, che vengono portati dalle Indie Orientali in Europa,Venetia,1585
学部教授会の日。お昼ご飯を食べてから大学にでて、いろんな事務処理を行いました。3時〜5時半と教授会。その後、リュドミラ・ウリツカヤ氏講演会、さらにその後懇親会。家に帰り着くのが10時を過ぎるという、最近ではとても珍しい日となりました。ウリツカヤ氏の講演はロシア語でしたが、同時通訳につかれた吉岡さんが、瞬時に非常にこなれた、よくわかる日本語に直されていて、感心していました。
ちびがおきて、6時。3月3日、雛祭り。2月は暖かかったのに、3月に入って寒い日が続きます。ふと思いついた疑問です。ドドエンスの大きな植物誌は、蘭学者のなかに所持していた者があるとウェブで調べてわかりました。さて、その江戸時代の蘭学者の語学能力ですが、オランダ語の他に、どの程度の言語ができたのでしょうか? 英語とフランス語を十分に読める蘭学者はいたのでしょうか? そして、ラテン語。ラテン語を読める蘭学者は当時の日本にいたのでしょうか?
どなたか、ご存じの方、お教えいただければ幸いです。[ドドエンス ]
せっかくですから、ドドエンスも調べてみました。ガリカには、英訳と仏訳(Histoire des plantes)があります。UCMには、次の5冊があります。
1. Stirpium historiae pemptades sex siue libri XX. 1616
2. Purgantium aliarumque eo facientium, tum et radicum, conuoluorum ac deleteriarum herbarum historiae. 1574
3. Florum, et coronarium odoratumque nonnullarum herbarum historia. 1568
4 . Frumentorum, leguminum, palustrium et aquatilium herbarum, ac eorum, quae eo pertinent historia. 1566
5. Histoire des plantes. 1557
5. は、昨日でてきた、ド・レクリューズによる仏訳です。本文584頁。1. は、フォリオで本文872頁;2. は4折り版で本文505頁;3. も4折り版で本文307頁;4. も4折り版で本文271頁です。出版年代からいっても、浩瀚さからいっても、1. がドドエンスの集大成です。アーバー『近代植物学の起源』では、『ペンプタデス植物誌』と訳されています。
ついでに、『近代植物学の起源』で「出版界のあの大御所アントワープのクリストフ・プランタン」も調べてみました。UCMでは、43点が出てきます。プランタンはもともとは製本業者で、製本ができなくなってからは印刷業者となっています。今のことばに直せば、大成功した出版者ということになるかと思います。[ダ・オルタ]
ついでにダ・オルタも調べました。UCMには次の5つ。
1. Aromatum, et simplicium aliquot medicamentorum apud indos nascentium historia,1593
2. Caroli Clusii... Aliquot notae in Garciae Aromatum historiam,1582
3. Aromatum, et simplicium aliquot medicamentorum apud indos nascentium historia,1579
4. Tractado de las drogas, y medicinas de las Indias Orientales , 1578
5. Aromatum, et simplicium aliquot medicamentorum apud indos nascentium historia,1574
1 .は、他にアコスタとモナルデスを含みます。表題のダ・オルタは224頁までで、ついでアコスタ:A Costa,Aromatum & medicamentorum in Orientali India nascentium liber, pp.225-312 .つぎに、モナルデス:Monardes, Simplicium medicamentorum ex nouo orbe delatorum, quorum in medicina usus est, historia, pp.313-407。最後もモナルデス:Simplicium medicamentorum ex nouo orbe delatorum, quorum in medicina vsus est, historiae liber tertius,pp.409-456.
こういうふうに、ド・レクリューズによるラテン語訳で、ダ・オルタ、アコスタ、モナルデスを1冊に綴じる巻本は少なくないようです。
オリンピック最終予選、日本対バーレーンを見ています。→結果は、0対0の引き分け。
ちびどもは6時過ぎ。私は7時。[ド・レクリューズ ii ]
昨日の、ラテン名Carolus Clusius ,フランス名Charles de L'Ácluse, (1526-1609)については、アーバー『近代植物学の起源』に記述がありました。
普通は、シャルル・ド・レクリューズ(またはクルシウス)として知られています。1526年当時フランドル領であったアラース生まれ。晩年はライデンで過ごす。いろんな大学で学んだあと、モンペリエにおもむき、ギョーム・ロンドレの弟子となる。(ロンドレの兄弟子、弟弟子には、フラッター、ド・ロベール、プナ、ボーアン、ダレシャン、デスムーランがいた。)語学の才にとみ、ギリシャ語、ラテン語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、フランドル語、ドイツ語が得意だった。
ド・レクリューズの最初のオリジナルな著作は、『スペイン稀産植物誌』(Rariorum aliquot stirpium per Hispanias observatarum Historia,1576)で、二人の弟子と行ったイベリア半島旅行に由来する。
1573年、マクシミリアン2世に呼ばれ、ウイーンに14年間。晩年には、ライデン大学教授。そこで、スペイン、ハンガリーその他の植物誌を1冊にまとめあげた『稀産植物誌』(Rariorum plantarum historia, 1601)を出版。『菌類誌』(Fungorum historia)も出版。ド・レクリューズですが、『近代植物学の起源』には、書誌情報が足りません。それで、ウェブで捜してみました。Clusius で検索すると、サットンさんのサイトでも、UCMでも引っ掛かりません。しかし、Ecluse で検索すると、何点か見つかりました。
サットンさんのサイトでは、 Charles de l' Ecluse,Rariorum Plantarum Historia Antwerp,1601 がhttp://caliban.mpiz-koeln.mpg.de/~stueber/ecluse/index.htmlにあるとありました。
UCMで検索すると、次の11点が出てきました。
1. Curae posteriores seu Plurimarom non antè cognitarum aut descriptarum stirpium,1611
2. Exoticorum libri decem : quibus animalium, plantarum, aromatum, ... 1605
3. Aromatum, et simplicium aliquot medicamentorum apud indos nascentium historia. 1593
4. Aliquot notae in Garciae Aromatum historiam, 1582
5 . Simplicium medicamentorum ex Nouo Orbe delatorum, quorum in medicina vsus est, historiae liber terti, 1582
6. Aromatum, et simplicium aliquot medicamentorum apud indos nascentium historia, 1579
7. Simplicium medicamentorum ex Nouo Orbe delatorum, quorum in medicina vsus est,1579
8. Rariorum aliquot stirpium per Hispanias obseruatarum historia libris duobus express, 1576
9. Aromatum, et simplicium aliquot medicamentorum apud indos nascentium historia, 1574
10. De simplicibus medicamentis ex Occidentali India delatis, quorum in medicina vsus est, 1574
11. Histoire des plantes. 1557
この2. が昨日の『異国産物十書』です。
3. は、ダ・オルタの翻訳・注解、モナルデス、アコスタの同じく翻訳・注解、その他です。
4. も、ダ・オルタの翻訳・注解、その他。
5. は、モナルデスの翻訳・注解。
6. は、ダ・オルタの翻訳・注解。
7. は、モナルデスの翻訳・注解。
8. は、上に記した『スペイン稀産植物誌』。
9. は、ダ・オルタの翻訳・注解。
10. は、モナルデスの翻訳・注解。
11. は、盟友ドドエンスの翻訳・注解です。
つまり、ダ・オルタ、モナルデス、アコスタによるスペイン語の東インドや西インドの植物誌や薬草誌をラテン語に訳して、ヨーロッパ世界に広めたのが、ド・レクリューズということになります。
なお、ド・レクリューズは、ジャガイモをドイツ、オーストリア、フランス、ネーデルランドに紹介した人物ということになるようです。また、ネーデルランド(オランダ)の特産品、チューリップなどの球根栽培の創始者に位置づけられています。ウェブでは、この種の情報が取り上げられやすい。
それにしても、植物誌に関するUCM(マドリッド大学デジタルライブラリー)の充実ぶりは、目を瞠るばかりです。
大きいちびは、5時半。私は、6時前。今日はまた冬に戻るということです。[ド・レクリューズ i ]
昨日UCMからダウンロードした次のブロンの『観察』は、別の著作に含まれるものでした。
Belon, Pierre (1518-1564) ,
Observationes,
Leiden,1605
内容をあらわすページは、15枚目にあります。
SERIES TOTIUS OPERIS
Sex proores Exoticorum Libros variam materiam continentes,
Carolus Clusius nunc prium in lucem profert.
Quartuor autem reliquos ejusdem paenè argumenti, videlicet.
GARCIAE AB ORTA LIBROS II.
CHRISTOPHORI A COSTA LIB.I.
NICOLAI MONARDI LIB.1.
idem Clusius Ltionos olim faciebat 6 aliquoties evulgavat: at
nunc quintum recensitos, & locupletioribus Scholis illustratos
publici juris denuò facit.
Iis adjunctae Clarissimi cujusdam viri utilillsimae in GARCIAM Notae.
Accessere
NICOLAI MONARDI LIBRI III.
CAROLO CLUSIO jam recens Latini facti,
De Lapide Bezaar, & Herba Scorzonera.
De Ferro , & ejus facultatibus
De Nive, & ejus commodis.
Praeterea
PETRI BELLONII OBSERBATIONUM Libri III.
DE NEGLECTA STIRPIUM CULTURA Lib. I.
è Gallico sermone olim in Latinum conversi à CAROLO CLUSIO:
jam verò ab eodem diligentiore curá recogniti & Scholiis illustrati.
Additae etiam Claris. cujusdam Viri In Observationes Notae.つまり、本来の著者(あるいは訳者&編者)は、ラテン名Carolus Clusius , (たぶん)フランス語名Charles de L'Ácluse, で、タイトルは『異国産物十書』(もしかしたら、ただ珍奇なるものについての十書かもしれません)。表紙には次のことばがあります。
Exoticorum libri decem : quibus animalium, plantarum, aromatum, aliorumque peregrinorum fructuum historiae describuntur ; Item Petri Belloni Obseruationes, eodem Carolo Clusio interprete, Leiden, 1605
ご覧のように、(ダ)オルタ、アコスタ、モナルデス、ブロンと、この時代の自然誌の重要著作が含まれます。もしかしたら、かなりお得な(あるいは便利な)書物だった可能性があります。図版も豊富です。大型本(フォリオ)です。ページは、[16], 378, [10], 52, [28] ; [12], 242, [2] p., [3]。全部を数えれば、七百数十頁の浩瀚な書物です。