ちいさいちびも私も、風邪気味のまま。少し悪くなった感じがします。朝は、昨日とほぼ同じく、6時40分。寝る前はつらかったのですが、朝は楽になっています。このぐらいの風邪だとその繰り返しです。→うーん、ちょっと調子が悪い。起きていると、くらくらします。授業の始まる2日までには直さないと。[公的な自己紹介]
迷っていた『研究者総覧』の自己紹介ですが、このサイトをレファーすれば、それだけで十分以上かとも思ったのですが、軽く次のように書いてみました。やっていることをリストアップするという形式です。
1) http://members.jcom.home.ne.jp/hide.yoshimoto/
上記のホームページをご覧下さい。私も忘れた私についての情報がたくさん見られます。出版物のリストはもちろん、持っている本のリストもあります。また、日々の活動や思考について、詳しい記録があります。
2) 教育活動
学部の専門教育としては、科学思想史というタイトルで、講義、演習、卒業論文演習を担当しています。正統的な科学史の内容のほかに、次のような広く思想史・文化史と呼ぶべき内容の講義や演習を行っています。
「近代における視覚文化について」「近代における音声文化について」「文字という技術と印刷文化について」「天文学と機械について」「蒸気機関とエネルギーの学について」「歴史における錬金術について」「想像力の概念の歴史について」等々。
いわゆる教養教育としては、「科学技術と社会」という授業題目のもと、一つの柱としては科学技術というシステムや制度の歴史、もうひとつの柱としては現代社会と安全の問題に焦点をあわせて、講義を行っています。具体的には、「大学と科学の制度化の歴史」「宇宙開発の歴史」「アメリカの科学技術政策の特質」等々や、「脳死臓器移植問題と先端医療の問題」「狂牛病と食の安全の問題」「サーズやエイズ等の新興・再興感染症とグローバリゼーションの問題」「ヒト・クローンの問題」「遺伝子組み換え食品の問題」「情報化とセキュリティの問題:すなわち、自由と安全のトレードオフの問題」等々を取り上げています。他にも、総合科目という名称の科目のなかで、人口減少の問題や、グローバリズムの正負の側面といった問題を取り上げています。
3) 研究活動
私の専門分野をもっとも狭く表現すれば、科学史ということになります。学部時代から科学史を専門とする機関で勉強し、その分野の大学院で科学史の研究者としての訓練を受けています。修士論文でロバート・ボイルを取り上げたのがきっかけで、ずっと、ボイルを中心に、17世紀の科学革命期の思想家を扱ってきています。名前を挙げれば、ベイコン、デカルト、ガッサンディ、ファン・ヘルモント、ニュートン、ライプニッツ等です。
学会活動としては、化学史学会の編集実務をたぶん10年近く担当しています。その関係で、化学の歴史に関してはかなり広く勉強しています。化学史の基本的な情報を整理し、ウェブに公開する仕事も継続的に行っています。
DNA,RNAという言葉に代表される遺伝・発生・進化という側面だけではなく、同化や異化といった代謝の問題、生命と非生命の区別の問題という、生命現象全般に関心があり、そういう分野の研究にも着手しています。
→最後は、ちょっと誤解を与える表現かも知れません。生物学史ということですが、生物学のようにもとれる表現になっています。直す機会があれば、直しておきます。 →一言、「グーグルで、科学思想史、または名前で検索してみよ。」と書くと、格好良かったでしょうね。なかなか、そこまでやる勇気がありません。
風邪気味のちいさいちびが起きて、6時半。私もすこし風邪気味です。就寝中にすこしの咳と、喉痛。朝方、科学技術社会論学会から『科学技術社会論研究』第2号(2003)が届きました。特集は、知の責任、です。まだ学会のホームページに目次は出ていませんが、すぐに出るはずだと考えて、ここに目次を打ち出すことはしません。
1点だけ希望を! 書評だけ、2段組で、残りはすべてべたの1段組です。個人的には全て、2段組の方が読みやすいように思います。責任者の方々、よろしく。アマゾンより、次の本が届きました。
Allen G. Debus
Chemistry and Medical Debate: van Helmont to Boerhaave
Science History Publication, 2001
論文集かと思ったら、そうではありませんでした。材料としては、かなり過去のものを利用したが、一応、まとまった1冊の本に仕上げた、ものということです。[キルヒャー・プロジェクト]
ピサ大学の桑木野氏より、キルヒャー『マグネス』が届きました。A4の用紙1枚に2頁が入って、340枚です。本文、618頁、前に16枚、後ろに15枚です。活字はきれいに出ているので、文字の解読に困ることはないと思います。→キルヒャーのこの著作に関心のおありの方は、平井博士によるbibliotheca hermetica のホームページをご覧下さい。キルヒャー専用のページも設けられています。
7時。ちいさいちびは、風邪気味です。→快晴!26日に紹介した、Mainichi INTERACTIVE DIGITALトゥデイ「IT記者の目」のバックナンバーを読みました。1ヶ月に平均して4回程度掲載されているコラムです。太田記者のものは、新聞で読むならこういうコラムを読みたいという、そういうこころのあるコラムです。(ここの「こころのある」は、良心的という意味ではなく、文学の精神のある、という意味です。あんまりこういう使い方はしないと思いますが。)とくに、最後のあの子にメールを送りたいは、よいコラムです。
気がつくと、今週から授業が始まります。私の勤める東京外語は、おそらく、普通の私立より半月ぐらいスケジュールの進行が遅いので、普通の大学の人からは、何て遅い2学期のスタートか、ということになるかと思います。その分、8月頭まで1学期が残ります。
昨夜、久しぶりに、グーグルで、“科学思想史”と“科学史”で検索をかけてみました。大学でどの程度、この名称の授業が開かれているのかわかります。最後まで丁寧に見ていくと、結構意外な発見があります。(研究者仲間に関して、具体的にどういう授業を行っているのかは、実はあまり知りません。そういうわけで、授業の様子がわかるのはなかなか興味深い。)
ここ2〜3日、睡眠が不安定になっていたちびが起きて騒いで、5時。久しぶりにきちんと晴れた一日になりそうです。
朝から、大学の研究者総覧に載せる資料の作成をしていました。フォームは送られてきましたが、合計1600字以内の新しい作文があって、これが結構時間をくいます。実は、もう1点、必要があって、業績表を作成しましたが、そちらは、作文なし・リストのみで、約2時間かかりました。ホームページに基礎となる資料はアップしていますが、もちろん網羅的でも完全なものでもないので、たとえば、過去の学会発表の発表会場や発表日時を調べるのに時間がかかります。
1600字の作文は、400字が「最近5年間の研究」、1200字が「自己紹介」です。「最近5年間の研究」は、簡単です。実際に行ったこととその継続でこれから行うことを短くまとめれば、ちょうど400字ぐらいになります。頭をひねっているのが、「自己紹介」で、誰に向けて、何を紹介するのか、考えています。よくわからないので、詩によるフィクションでも書こうかとおもったぐらいです。あんまり考えても仕方がないので、学生と学生の背後に控える人向けに書くことにしようかと思います。(外部の知らない一般の人向けの紹介文というのは、書きづらいという点もあります。)
自己紹介と言うことであれば、ほんとのはなし、このサイトを紹介しておけば十分だという気がします。本棚を見ることもできますし、日々の公的私的活動と思考も見ることができます。私自身忘れてしまったことも記録されています。むしろ、十分以上と言うべきでしょう。
なお、送られてきたフォームがエクセルで、結構苦労しています。私は、エクセルはただエクセルのファイルの内容を見るためだけにインストールしています。まったく使い慣れていないので、回答事項は、いつも使っているエディターで打って、エクセルの該当個所にコピー・ペーストをしています。お昼から、学会の編集委員会。準備は昨日のうちにすませたので、今日は、資料をもって出かけるだけ。→開始時間を間違えて、30分早く着きました。理事会と編集委員会と続きましたが、ちょうど6時には終わりました。たぶん、半日分の宿題を持ち帰りました。
7時前。雨です。→雨は割とすぐに上がりましたが、蒸し暑く感じる一日になりました。[執筆作業]
今度の論考には、表を4つ付けます。昨夜は、その作成作業をやっていました。PageMakerで作成しようと思ったら、このマシーンにはインストールするのを忘れています。(ハードディスクを入れ替えたり、システムを入れ替えたりを繰り返していると、忘れるのも出てきます。)ではと思い、イラストレーターで作成を試みました。イラストレーターでははじめての作業なので、少し苦労しましたが、わかってしまえば、なんてことはありません。あとは、見栄えをよくするための工夫をどこまでするか、です。
当たり前といえば当たり前ですが、表作成にはかなり手間取っています。何度も何度も細かくチューニングしています。まあ、どこかでうち切りますが、なれるためにももう少し粘ってみようと思っています。おねえちゃんの運動会が来月の3日にあります。ということで、幼稚園ではもう最終段階の準備に入っています。当日は、ちっこいほうのちびも参加する機会があるようです。今朝はおねえちゃんの練習風景を見学して、自分もやりたかったようです。とくに、お猿さん運動が気に入ったようです。
最近愛読している(こういうのを愛読とはいわないのかもしれませんが、ほかに適当な言葉を思いかないので、仕方なしに使っておきます。)東浩紀氏のはてな日記で、高木浩光さんのはてな日記をしり、スイカに関する、はじめて納得できる説明を読みました。「CLIE PEG-NZ90」という携帯を利用すれば、スイカの入退場履歴を表示させることができるとあります。スイカは電波を利用するので、他人のスイカでもある距離まで近づければ、そこに記録されている入退場履歴が読みとれることになります。私が降りる駅は、一切のカードに対応していないので、通勤には役に立たないのですが、授業で学生に示す必要があって、スイカ(イオカード)を買って利用しています。(大学に行くときは、このスイカで切符を購入。帰りは、多磨駅で現金で切符を購入。つまり、改札にタッチすることがない!)ちびを連れて電車に乗るとき、ちびどもは必ず、カードをやりたがります。旧式のイオカードよりもスイカの方がちびどもに使わせるのが簡単というメリットがあります。(こんなメリットは、たぶん、私しか指摘していないことかも知れません。開発者も、プライバシーの侵害を問題にされる方も、そういう場面は想像されないのではと思います。)
また、高木さんの紹介されているMainichi INTERACTIVE DIGITALトゥデイの記者さんの文章(IT記者の目)もたいへんおもしろく読みました。明らかに、新聞に出るサイバースペースの記事は、ほとんど「とんでも」のことが少なくありませんが、彼女(太田 阿利佐さん)の記事はほんとうに久しぶりに腑に落ちました。いざとなったら、アナログ、です。
ちびどもはそろって、夜中の3時半過ぎに目が覚めました。苦労して5時前にやっと寝かせつけました。ということで、起床は7時半。話を聞くと、おねえちゃんの幼稚園のお友達4名が昨日の昼食後、はじめて、遊びに来て、5時近くまでおおはしゃぎで(大混乱で)遊んでいたようです。疲れで、ちびどもは、お友達が帰ったあと、すぐに眠ってしまったのだそうです。ちいさいちびは、お昼寝をせずに、しかもあくびひとつせず遊んでいたので、昨夜はリズムが崩れたようです。おねえちゃんは、大変、楽しかったと言っています。まだあまりルールがわかっていませんが、ともかく、かくれんぼや鬼ごっこをしたようです。
本日は、お友達のおうちに遊びに行きました。4時半にうちに帰り着いたときにはずいぶん疲れていました。うちのおねえちゃんは、2月生まれです。クラスには、4月生まれの子もいます。つまり、3歳と4歳というほぼ1歳差になります。この時期の1歳差はわりと大きく、わがやのおおきいちびは、その4月生まれの子に遊んでもらっているようです。昨夜、会議が終わって家に帰り着くと、アマゾンより次の2冊が届いていました。
Donald Kelley,(ed.)
History and Disciplines: The Reclasification of Knowledge in Early Modern Europe, New York: University of Rochester Press,1997
Barbara Maria Stafford and Frances Terpak,
Devices of Wonder: From the World in the Box to Images on a Screen,
Los Angeles,2001
今月は、ここまでで、400字詰め原稿用紙換算68枚。春先の3月の100枚超えがいかにすごいか今更ながら実感しています。
[執筆作業]
完成作業に入りました。→表を除き、形式としては完成させました。推敲はまだまだ繰り返しますが、新しい論点を付け加えることはもうしません。
3日前に届いた次の本を3分の1ほど読みました。
Anthony Grafton,
The Footnote: A Curious History,Cambridge,Mass. : Harvard Univesity Press,1997
意外で、面白い話です。今回の私の論文の関心に重なります。グーグルで検索する限り、日本語ではこの話題のものを見つけることができませんでした。(日本語に限定しなければ、当然、あると思いますが、そこまでは作業していません。)→03.9.26. 英語圏で検索してみました。すぐに的確な書評記事が数点見つかりました。変な仕方ですが、そこから事実だけを1点だけピックアップしましょう。
1.1743年、 Gottlieb Wilhelm Rabenerという人物は、Hinkmars von Repkowについて、本文なしの脚注からだけなる学位論文を提出した。(一度でよいから、そういうことをやってみたい!)
→日本語でも”グラフトン、脚注”で検索し直してみました。あの本間博士の地獄の読書録に16行の紹介があり、これが日本語での唯一のものでした。日本史を専攻している方がこういうものを読んでコメントするとか、文学をやっているかたがパロディをぶつけてみるとか、もっといろいろあってもよいと思うのですが、。。。
03.9.27 ついでに別のコメント。Jerry Stannardという中世の自然誌(とくに植物誌やMateria Medica )の研究者がいます。グーグルの検索を日本語のサイトだけにして、"Jerry Stannard"を入力してみると、やはり、上述の本間博士のサイトだけが出てきます。これにも、寂しいものを感じます。ちなみに、現在、ジェリーの本では次のVariorumの論文集成の2点が入手できます。
Jerry Stannard, Herbs and Herbalism in the Middle Ages and Renaissance (Variorum Collected Studies Series.),Ashgate, 1999
Jerry Stannard, Pristina Medicamenta: Ancient and Medieval Medical Botany (Variorum Collected Studies Series.),Ashgate, 1999
中世をやっている方は、あまり、ウェブを利用しないのでしょうか?
昨日はばてたので、7時に横になったら、そのまま寝てしましました。起床はちびどもが騒いで、6時半。つまり、12時間近く寝たことになります。軽い風邪&腰痛でした。目覚めたときも腰が痛かったので、疲れがたまっていたのだと思います。速度アップのためのJ-COMの作業ですが、予定では2時過ぎでした。しかし、予定変更で11時半ぐらいに来てくれました。モデムを付け替えるだけですから、15分程度で済みました。ほんとうに速度がアップしたかどうかは、マシーンの性能を上げないとわからないかもしれません。これで、お昼の会議に十分に間に合います。→速度アップが実感できる場面がありました。ftp での上がりは、明らかにずいぶんスムーズになっています。体感では、2〜3倍速くなった感じです。下りは、今のところ少し速くなったかなというぐらいです。
[執筆作業]
今回行っている作業は、6月8日に神戸大で開かれた日本科学史学会での発表「ボイル思想の自然誌的背景」を論文化することです。まとめの考察を除き、形になってきました。
構成はつぎのようになります。
序
問題意識
研究史
課題
ボイル著作集と書簡集の引用分析
不在表
存在表
ボイルと自然誌
ボイルの日誌と略伝
自然誌の引用方式
ボイルの自然誌的スタイル
全体としては、60枚前後のものになりそうです。午後は、会議が2つ。
ちいさいちびといっしょに、7時過ぎ。今朝は晴れています。気温も昨日より少しですが、上がりそうです。次の本が届きました。
アグネス・アーバー『近代植物学の起源』月川和雄訳、八坂書房、1990
もともとは、Agnes Arber, HERBALS: Their Origin and Evolution,2nd.,1938です。古い本ですが、この分野の基本書です。ヨーロッパにおける本草書の起源と展開を1470年から1670年にかけて追っています。20日に着いていてもよかった本ですが、その日はうまく受け取ることが出来ませんでした。[執筆作業]
本文の完成作業に入る前に、注の作成作業を行っています。注そのものは9割方できたように思われます。BHの平井博士の紹介で、ピサ大生の桑木野幸司氏の留学日記を通読しました。留学の熱が伝わってきます。
おおきいちびとほぼ同時に6時20分。台風は、あまり接近しなかったようです。風も雨も昨夜はあまりつよくありませんでした。そして、今朝は、寒い。気温が14度ということで、ちびは、さむい、さむい、と繰り返していました。9月15日にアマゾンに発注した次の3冊が、本日届きました。
Jill Kraye(ed.),
The Cambridge Companion to Renaissance Humanism, Cambridge, 1996
Anthony Grafton,
The Footnote: A Curious History,Cambridge,Mass. : Harvard Univesity Press,1997
Anthony Grafton,
New Worlds, Ancient Texts: The Power of Tradition and the Shock of Discovery, Cambridge,Mass. : Harvard Univesity Press,1992
[執筆作業]
たぶん、10枚は進めることができたようです。→まだ完成していませんが、完成の作業に入る準備として、パート毎に執筆していたものを1つのファイルにまとめてみました。約43枚です。削るところは削り、もっと展開すべきところは展開して、最終形を作ります。学会発表のときとは、かなり違ったものになってきました。
おおきいちびがめざめて、6時40分。→昨日からの雨が降り続いています。しかも、寒い。金曜日には30度を超えていたのがウソのような寒さです。→最高気温が19度ということです。金曜日から比べると、10度以上下がったことになります。寒く感じるわけです。[執筆作業]
ちいさいちびの襲撃を受けつつ、作業を継続しています。→おそらく、今日は10数枚進めることができました。今やっているのは、この春に学会で発表したテーマの原稿化です。学会発表は15分ですから、400字詰め17枚程度の発表用原稿を用意しています。15分で話せる量は、400字詰めで10枚程度です。ここから、40枚〜60枚の原稿を作るには、少なくても30枚以上を新たに作文しなければならない計算になります。3月の慶応のワークショップのときには、発表時間が1時間近くあったので、ほぼ50枚の発表原稿を用意しています。そこから、50枚の原稿を作るのと、今回の作業の差を痛感しています。結局今回は実質部分を新たに作文しています。しんどく感じるのも当然かも知れません。授業がスタートすれば、細部を直すことしかできなくなりますから、今月いっぱいが勝負です。
雨の降り出しとほぼ同時に目覚めました。6時40分。気象庁の予報では、今日から気温が下がるということです。→夏の格好のままだと寒い。風呂のあと、全員、長袖のパジャマにしました。さすがにこれで、30度を超える日は終了ではないかと期待しています。Early Science and Medicineを個人的に持っている本間博士より、次の論文のコピーを送ってもらいました。ありがとうございます。
Ku-Ming (Kevin) CHANG,
"Fermentation, Phlogiston, and Matter Theory: Chemistry and Natural Philosophy in Georg Ernst Stahl's Zymotechnia Fundamentalis,"
Early Science and Medicine,Vol. 7 (February 2002), pp. 31-64
昨夜から今朝にかけて読みました。シュタールの最初の出版物である『発酵術の基礎』1697 (Zymotechniaという用語は、明らかに、Pyrotechnia を意識して造られた言葉です)を主題的に扱ったものとしては、これが唯一のものではないかと思われます。この論文は、著者のドイツ語圏での博士論文執筆の成果のようです。ちょうど研究史において欠けていた部分に光を当てている論文として、有用な情報や見解を多く含みます。ここでは私がもっとも意外だと思ったただ1点だけ紹介しましょう。それは、あのヨハン・ベルヌーイが1690年、バーゼル大学の医学生だったときに、発酵に関する学位論文 ( Dissertatio de effervescentia et fermentatione 「発泡作用と発酵作用について」)を出しているということです。しかも、アメリカ哲学会の会報で英訳が出版されています。
→ライプニッツも若いときに、当時の発酵論を取り上げています。つまり、17世紀後半においては、ファン・ヘルモントやトマス・ウイリスの発酵論が非常に広い範囲で注目を浴びていたということだと思われます。[執筆作業]
表を2つと、約7枚の原稿。表の作成にずいぶん時間を取られました。
執筆作業に入ってから、教授会を除き、外出をしていません。従って、交通費以外の出費はゼロ。(ただし、アマゾンで結構本を注文してしまいました。)今回の作業の間に、トマス・ブラウンの Religio Mediciが邦訳されていることがわかりました。わかってすぐに日本のアマゾンに発注しましたが、それが、今晩届きました。
サー・トマス・ブラウン『医師の信仰・壺葬論』生田省悟・宮本正秀訳、松柏社、1998
よくこんなものを訳したな、と思います。帯には「際限もなく迸る激しくも密やかな情熱/疾走と迷走を繰り返す比類なき文体と修飾/ブラウンが思いのたけをこめて紡ぎ上げた<知>の果てにあの錯綜した時代<一七世紀>が見えてくる」とあります。
ちびどもが5時半ぐらいに起きて、6時前。→少し早すぎたようです。とくに小さいちびは睡眠不足で、機嫌が悪く、おえねちゃんが幼稚園に出かける前に、30分あまりまた寝ました。今日は、大学院教授会の日。→教授会の前にコース委員会というのがありましたが、30度を超す気温のなかで、冷房のはいっていない教室で行われました。ただじっとしていました。4時開始の教授会は、5時半前には終了。もう少し長くかかるかと思っていたのですが、このぐらいにで終わってくれればおんのじです。
[執筆作業]
本日の執筆量はゼロ。まとまった時間がとれなかったこともありますが、資料の見直しをずっとしていました。
朝4時に目が覚めてしまいました。ちょうどよいので、少し仕事をすることにしました。→昨日に続き、今日も少し暑さを感じます。おそらく最高気温が30度を超えるのだと思われます。[執筆作業]
いろいろ読むのは一度休止し、9月6日から開始した作業のまとめに入りました。すなわち、論考の執筆です。若い頃は、120枚程度のものを実質2〜3日で書き上げたこともあります。今は、ちいさいちびが目覚めて、隣の部屋にいると、一定間隔でかならず遊びに来ます。あと何年間かは仕方がないので、諦めて、相手をしています。かかりきりになることが出来れば、今回も、実質は2〜3日で書き上げることが出来ると思いますが、この調子だとたぶん1週間はかかるのではないかと踏んでいます。
ちなみに、本日の進行量は、10枚。大学基準協会のホームページに平成15年度「特色ある大学教育支援プログラム」の審査結果、採択理由がアップされています。書類作成に苦労されたみなさま、ご苦労様でした。→新聞は、19日(金曜日)の朝刊に記事を載せています。
7時15分。昨日と同じ。→朝は涼しかったのですが、日が上がるにつれ、気温も上昇してきました。教授会の日。→6時50分に大学を出て、7時半にうちに帰り着きました。急いで夕食をすませ、風呂にはいって、Under22 の日韓戦の前半30分ぐらいに間に合いました。結果は2対1で韓国の勝ち。韓国の選手ひとりひとりのフィジカルの強さと技術が目立った試合でした。日本選手は、韓国の選手と比べると、強さと速さの点で、負けていました。一言では、大人と子どもの差がありました。
お腹が空いていたようで、夜半に目が覚めてしまいました。少し仕事を進めることにしました。やっと少し涼しくなりました。部屋にはいってくる風に冷たさを感じるようになりました。
7時15分に起床。夜少し雨が降っていました。[ムーニーマンオンナ]
ちいさいちびは、おしめを大量に消費します。とくに夜中、ちょっとでもおしっこをすると、気持ち悪いのか目が覚めて、ぎゃーぎゃーいいます。明らかにおねえちゃんのときよりも1日あたりの消費量が多い。ということで、階段下に、おしめの段ボール箱があります。たぶん、テレビを見る人はどこかで聞いたことがあるはずの、「ムーニーマン」という製品を使っています。おむつにも男の子用と女の子用があって、うちのは女の子用です。その段ボール箱に会社の整理用の略称だと思いますが、「ムーニーマンオンナB30」という文字がついています。女の子用おしめ、というのと、[ムーニーマンオンナ]という言葉には、もたらすイメージに大いなる差があります。[ムーニーマンオンナ]には何かビクッとさせるものがあります。[カラスの仕業]
朝ちびどもが出かけるときに、お隣さんに聞いた話です。自転車に乗って走っていると後ろからカラスにぶつかられたのだそうです。相手が小さい子どもだとけっこう危険です。お隣さんの家の屋根や樋に、ネズミやカエルの死骸を蓄えておいているのもカラスの仕業です。
我が家の屋根か、お隣さんの屋根のうえで、カラスが騒いで、みんな目を覚ましました。ほんとうにうるさいカラス。眠かったので、起きあがったのは7時。Ingentaの雑誌論文通知サービスにより、 新しいAnnals of Science, Volume 60(2003), Number 3に次の論文が出版されたことがわかりました。
Michael Hunter & Lawrence M. Principe ,"The Lost Papers of Robert Boyle",Annals of Science,60(2003),pp.269-311.
サマリーは公開されているので、自由訳でそれを紹介しておきましょう。
「現存するボイル草稿は、量的に相当なもの(2万リーフを超える)であるが、1691年のボイルの死に際して残されたかなりの資料はボイルアーカイブには残されていない。この論文は、ヘンリー・マイルズが、トーマス・バーチのボイル全集(1774)とボイル伝の準備作業の手伝いのため、ボイル草稿の収拾・整理をしていた1740年代に作成した草稿目録を利用して、その失われた草稿の規模と内容を探るものである。マイルズの作成した目録(この論文に付している)と、他の資料を照合してみると、故意のもの、偶然のもの、さまざまな理由による草稿の紛失が見えてくる。失われた草稿には、一方で18世紀においてボイルアーカイブには些末なものだと判断された資料が含まれ、他方で皮肉なことにボイルの手によって完成された原稿が含まれている。完成稿はおそらくバーチの全集版に組み込まれたのであろう。こうした紛失は、ボイル草稿の性格を実質的に変更した。その結果それに由来するボイル像も実質的な変更を被ったのである。」
なお、この論点そのものは、ハンターによってかなり以前に出されています。(たとえば、私の翻訳した、ハンターの次の論文をお読み下さい。マイケル・ハンター「新しいボイル像」『化学史研究』Vol26,No.3 (1999),pp.125-141)今回の論文のメリットは、失われた草稿の規模とその内容を詳細に確定しようとしたことにあるでしょう。
ゆっくりめで、7時過ぎ。風がつよいので、最高気温が34度を超えた昨日より少し涼しく感じます。数日前から読み始めていた次の本を読了しました。
ハンス・フィッシャー『ゲスナー:生涯と著作』今泉みね子訳、博品社、1994
細部の記述にじゃっかん気になる点がありましたが、全体としては大変面白い読み物です。貧しさに苦しめられながら、書物の世界と自然の世界に関して、網羅的な目録を作成しようとしたゲスネルの活動がいきいきと叙述されています。
なお、この翻訳書の出版社、博品社は、<博物学ドキュメント>という大変興味深いシリーズを2期にわたって出版しています。詳しいことはわかりませんが、どうも博品社は現在解散しているようです。残念なことです。
なお、不完全ですが、このシリーズでは次のものが出版されていました。
第1期
ルーシー・W・クラウセン『昆虫のフォークロア』1993
ノイロニムス・N・フリーゼル『ランゲルハンス島航海記』1992
ブレンダン・ルヘイン『ノミ大全』1993
R.H.ファン・フーリク『中国のテナガザル』1992
ベルトルト・ラウファー『サイと一角獣』1992
ウィルマ・ジョージ『動物と地図』1993
P・アンセル・ロビン『中世動物譚』1993
ベルトルト・ラウファー『キリン伝来考』1992
ジェイムズ・E. ハーティング『シェイクスピアの鳥類学』1993
ジョン・アシュトン『奇怪動物百科』1992
第2期
オットー・ゼール『フィシオログス』1994
ヘンリー・リー/ベルトルト・ラウファー『スキタイの子羊』1996
ベルトルト・ラウファー『ジャガイモ伝播考』1994
ベルトルト・ラウファー『飛行の古代史』1994
ベルトルト・ラウファー『鵜飼 中国と日本』1996
ゲインズ・カンチー・リュウ『中国のセミ考』1993
ピエール=ジョゼフ・ビュショ『害蟲記』1995
ギャビン・デ・ビーア『ハンニバルの象』1996
ハラルト・シュテュンプケ『鼻行類 : 新しく発見された哺乳類の構造と生活』1995
カール・D.S.ゲーステ『シュテュンプケ氏の鼻行類』1996
(順番は、ランダムです。1期2期の別もこれでよいのかどうかわかりません。)
どこにおいているのかすぐにはわかりませんが、この中で私は数点もっています。なんと言っても傑作なのは、『鼻行類』です。本屋さんで初めて見たときの驚きを今でも記憶しています。
そろそろ普通の秋に戻ってくれないかしら。ここ数日は、夏の復讐のようです。
ちびどもはたぶん6時半。私は7時過ぎ。目覚めてすぐに、暑い、ほんとうに夏が回帰したかのようです。マウスを子分のねずみとして遊んでいた小さいちびに、とうとう、マウスを壊されてしまいました。おねえちゃんは、そんな乱暴な扱いはしなかったのですが、iMacのキーボードのUSBポートからマウスを抜き差しして遊んでいます。抜き差しだけだと問題ないのですが、ケーブルをもってマウスを引きずられると、マウス本体に強い衝撃が与えられることがあります。どうも光学センサーの部分に物理的な変形があったようです。ほとんどカーソルが動かなくなりました。やれやれ。ネットで調べると、3千円ぐらいでまずまず使えるマウスはあるようですから、ちびどものiMacを使えるようにするには、購入するしかないようです。(もともとついていたPro Mouseというのは、単品で買うと7千円弱と高い。)
我々の夕食後、おねねちゃんが昼寝から起きてくるのを待って、マウスを買いに出かけました。家を出たのが7時前。外はもう暗く、ちびどもにはそれが新鮮だったようです。吉祥寺のラオックスに行きましたが、結局一番安い、ロジクールの2千円のものを買いました。その後、まだ夕食を食べていなかったおおきいちびのためにその隣のファミリーレストランで、一服。ずいぶん混んでいました。ちびたちには限界の時間だったようで、そそくさと退散し、バスで帰ってきました。
ひとりで6時前。暑い! ちびといっしょに家を出て、大学に行って来ました。3点の事務処理。ちょうど11時に帰り着きましたが、なによりも最初に、シャワーを浴びました。暑い!少々暑いのは覚悟していたのですが、ここまで暑いとは思いませんでした。→テレビの報道によれば、3日続けて、最高気温が33度を超えたのだそうです。なお、今日は34度を超えるのだそうです。
ブックマークに ICUの那須敬さんのサイトを追加しました。那須さんがICUで開講されている歴史学の講義の参考資料が有用です。手元の本では、「病としての異端―17世紀内戦期イングランドにおける神学と医学」『身体医文化論:感覚と欲望』(慶応大学出版会、2002),pp.67-90という論文を書かれています。学位論文は、2000年にイギリスのヨーク大学で、取られています。タイトルは、"Heresiography and the Idea of 'Heresy' in Mid-Seventeenth-Century English Religious Culture"。簡単には17世紀中頃の英国の「異端論」とまとめてもよいでしょう。私のやっている時代に重なり、研究分野は接する方です。→と書いたら、ご本人からメールを頂きました。感謝!何度かメールのやりとりをしたあと、博士論文そのものを送ってもらいました。序と文献レビューからなる第1章を読みましたが、非常に面白い、英語で言えば exciting な論文です。→第5章&結論も読みました。アレキサンダー・ロスという科学史の世界では反動的な討論家としてのみ知られている多作で不思議な著作家の再評価をされています。ロスの『パンセベイア:世界の全宗教の総覧』(ロンドン、1653)が反-異端論という枠組みを離れて、宗教的複数主義にむかう意味をもった点を、時代の文脈において、指摘されています。
大学に行った折り、研究室から次の本を探し出し、持って帰りました。
『大航海時代叢書 別巻 大航海時代 概説 年表 索引』岩波書店、1970
飯塚浩二「大航海の時代」pp.5-82
泉靖一「大航海時代直前の世界」pp.83-136
井沢実「大航海時代文献解題」pp.137-172
岩生成一「オランダ・イギリス両国人の初期探検航海とその資料」pp.173-234
各巻別索引(人名・地名・事項),pp.1-207
基本文献、pp.209-234
年表、pp.235-335
(同じページ数が2度出てくるのは、索引以下が後ろから横組みでページが付されているせいです。)
電車のなかで読み始めると、膝の上に白いものが落ちてきました。何かと思ったら、背表紙が壊れてきたものです。よく見ると、ぼろぼろという感じです。中の書き込みを見ると、解説文の約半分ぐらいを昔読んでいます。今回、まだ目を通していなかった部分を読みます。
ひとりで5時半。おおきいちびも目覚めましたが、早すぎるので、もう一度寝るように言ってから、1階へ。今日も暑い一日になりそうです。9月8日に読み始めた次の本を読了しました。
C.S.ルイス『廃棄された宇宙像―中世・ルネサンスへのプロレゴーメナ』山形和美監訳、小野効生・永田康昭訳、八坂書房、2003
広い意味で思想史に関心を持つ人ならば、読んで、絶対に得られるものがある本です。
おおきいちびは6時。私は7時前。やはりコンビニ、コンビニというので、起きてすぐにコンビニに。昨日に続き、暑くなりそうな1日です。午後1時から、臨時教授会。その前に一つ会議。大学に出る途中、『中央公論』10月号を買って、東浩紀氏の連載「情報自由論」の最終回を読みました。オーウェルの『1984年』から、ハックスリーの『すばらしい新世界』に戻って、考察を進めています。
なお、最近、東浩紀氏のはてな日記を興味深く読んでいます。東氏ご本人は「日記と呼ぶべきものではありません」とされていますが、形式としては掲示板付の日記です。夜、日本対セネガルを見る。1対0でセネガルの勝ち。この前のワールドカップでフランスを破ったセネガルの選手達の運動能力は、いまさらながら、圧倒的でした。そうは言ってもサッカーは、チームゲームですから、何とかするめもあったと思いますが、決定機をあのように逃したのでは、勝てません。柳沢という選手は、ほんとうによい選手だと思いますが、運の悪さを私は感じています。勝負事ですから、運の要素も重要だと思っています。
2日続けて、いつもよりずっと遅くまで起きていたせいかと思いますが、頭痛が出ました。ということで、昨夜は、いつもの時間に就寝。私の場合、睡眠不足だととたんに調子が悪くなります。大きいちびと妻が居間に降りてずいぶん経ってから、ちいさいちびといっしょに7時過ぎ。幼稚園に行くちびといっしょに出て、駒場の図書館に出かけました。駒場の新しい図書館を訪れるのはこれが2回目です。地下1階に、昔教養学科図書室にあった科学史・科学哲学関係の専門書・専門雑誌がまとめられています。地下1階に降りるには、身分証明書と交換に、書庫入庫カードをもらう必要があります。この図書館に出かける主たる用事は、専門雑誌の必要な論文をコピーすることですから、建物のなかにコピー機が設置されている現在のような形式の方が、結局便利かも知れません。
ちょうどコピーカード1枚分(約100枚)のコピーを取りました。
帰りに生協で次の本を買いました。
広井良典『生命の政治学:福祉国家・エコロジー・生命倫理』岩波書店、2003
呉智英『犬儒派だもの』双葉社、2003
『岩波講座世界歴史 (12) 遭遇と発見 異文化への視野』岩波、1999
なお、最後の本は、今行っている作業に必要なので、日本のアマゾンに発注してあったものです。自宅に帰ってきて、急いで、キャンセルしました。発送前ならキャンセルできるので、そういう点も便利です。[Simples=単味薬]
図書館では、和書としては『ディオスコリデスの薬物誌 』(エンタプライズ、1983)とその研究書、大槻真一郎『ディオスコリデス研究』(エンタプライズ、1983)を調べてきました。(手元においておきたいのですが、古書店でも簡単には見つかりません。)この『ディオスコリデス研究』の中に、「単味薬」という単語が出てきました。ガレノスの薬剤学書 De simplicibusは、単味薬の効能についての書物だとあります。
ということで、一般的に単一成分の薬剤は、「単味薬」と薬学の分野では呼ぶ習慣があるのだろうという推測が成り立ちます。
自宅に帰り、google で調べてみるとまさにそうでした。この単語そのものは、漢方薬(本草ともいう)の伝統に由来する言葉のようです。
漢方では、一つ一つの生薬を「単味」と呼び、複数の生薬を配合したものを「方剤」と呼ぶそうです。漢方薬の特徴は、この方剤にあるということです。
科学史の部屋の誤謬誌でも、OEDの記述から、次の文章を紹介しています。「Simple とは、単一の成分からなる、あるいはひとつの薬草や植物から調製された医薬品。転じて、医薬品に用いられる植物や薬草を指すこともある。」 一昨日読んだフィンドレンは次の説明を与えています。「"Simples"とは、前近代の医薬品の基本成分をなした自然物体を指すことばであった。」Paula Findlen, "The Formation of a Scientific Community: Natural History in Sixtennth-Century Italy", Anthony Grafton& Nancy Siraisi (eds.), Natural Particulars: Nature and the Disciplines in Renaissance Europe (Cambridge, Mass.: MIT Press,1999), pp.370-400, on p.394.
ということで、一般的には、"Simples"は「単味薬」と訳すのが適切でしょう。ただし、ルネサンスから初期近代にかけては(OEDはc.1580 to 1750と指摘している)、そうした生薬のもととなる植物や薬草を指している場合があり、その場合には、「薬草」でなければならないでしょう。
もう少し親切に説明すれば、ガレノスやディオスコリデス、テオフラストス、プリニウスに由来する伝統のなかでは、ほぼ「単味薬」で問題ないでしょうが、ルネサンスから初期近代にかけては、生薬のもととなる「薬草」そのものを指している場合が多くあり、そうした場合には、「薬草(薬剤)」と訳すべきでしょう。
大きいちびは6時に目覚めましたが、誰も起きないので、おとなしくしていました。私が6時半。居間に降りると、パンのかおり。涼しくなったということで、パン焼きを再開したものです。なお、パンを引き出すとき、まだ寝ぼけていたせいで、親指をわずかにやけど。8月20日に新宿紀伊国屋で買ってきた次の本を読むことにしました。
C.S.ルイス『廃棄された宇宙像―中世・ルネサンスへのプロレゴーメナ』山形和美監訳、小野効生・永田康昭訳、八坂書房、2003
有名な中世科学史家のリンドバーグが、その動物寓話の部分を参照していたからですが、読み始めると、実に面白い本です。私にとってのルイスは、なによりも高校生のときに本当に一気に読んだ『ナルニア国年代記』の著者ですが、ほんとうに力のある詩人・文学者・批評家・思想史家です。もし、中世思想史を無味乾燥と感じられる方がいれば、その感性を湿らし、溶かすことのできる最良の薬(解毒剤)となることができます。
訳は全体的に読みやすく、よくできていますが、1点気になった点があったので指摘しておきます。それは、「現象を救う」という言葉です。訳者たちは、これを、「現象を保持する」と一貫して訳しています。これで、科学史の勉強をされなかったことがばれています。本の内容は科学史に重なるので、誰か科学史家に目を通してもらえば、防げた過ちです。近所の本屋さんで、『新潮45』9月号と、日垣隆『裁判官に気をつけろ!』角川書店、2003を買ってきました。
いつもよりずっと遅くまで起きているので、明日の朝が心配です。ちびどもは待ったなしですから、一度つきあって起きて、ちいさいちびといっしょに昼寝をすることになりそうです。
ちびどもといっしょに7時過ぎ。寝るときは暑かったのに、朝方は寒くなっています。雨の降りそうな湿って冷たい風が吹きます。ちびが投げて、いつも使っている電動シェーバーの外刃(肌に接する網の部分)が破れていました。そのまま使っていたのですが、ひげ剃りあとがかなり痛くなるので、吉祥寺まで外刃(網)を買いに出ました。ラオックスで買おうと思ったら、まだ、開店時間になっておらず、道を挟んで向かい側の西友で探しました。税込みで、1500円近くしました。どうしてただの小さな網がこれほど高いのか、納得は出来ませんでしたが、買い換えるよりは安いので、諦めて買ってきました。もしかしたら、そろそろ内刃も替えた方がよいのかもしれません。
ちびが寝た後、フィンドレンの論文を1本読みました。マッティオリに関するものです。なんとも不思議な世界でした。
そろって7時過ぎ。[ファン・ヘルモント全集オランダ語訳]
昨日から今朝にかけて、平井さんに送ってもらったファン・ヘルモント全集のオランダ語訳の目次を作成しました。全体で400頁弱のものです。ラテン語原著でも英訳でも1100頁を超えていますし、1頁に入っている文字数もかなり少ないので、オランダ語訳は、全集の、縮約版または抄訳だと思われます。→同時に、ファン・ヘルモント全集の目次情報をまとめたものも作りました。
オランダ語のできる方、チェックしていただけると幸いです。→平井さん本人からコメントをもらいました。少しファイルを改訂しました。8月30日、日本のアマゾンに発注した次の本が今朝届きました。
中野政弘編『発酵食品』光琳、1967
昭和42年に初版がでて、平成7年に4版が出ています。「総論」と酵母の部分だけをまず読みましたが、長く読まれる理由がわかります。科学的に的確に書かれています。簡にして、要を得ていることが、ロングセラーとなりえた理由でしょう。青木雄二氏、死去のニュースが新聞に出ていました。『ナニワ金融道』は全巻買って読んでいます。正確な記憶はありませんが、たぶん、誰かに貸したまま行方不明になっていると思います。真っ正直に、ほんとうに、勉強になったマンガでした。
J-COMの速度アップの工事(といっておそらくモデムを変えるだけだと思いますが)は、24日(水曜日)に行うという連絡をもらいました。一応、8Mから30Mへのアップですが、体感速度でどの程度上がるかはわかりません。我が家の環境だと、一番のボトルネックは、このマシーンそのもの、ついで、ルーターだと思われます。
昨日、ひとつの原稿を一応終了としたので、ちびどもが寝てから次のものに取りかかりました。文献表を作成することから着手しました。作業をするときには、手元に置いておくべきものを集めるためです。ということで、いつもより数時間遅くまで起きています。
ちいさいちびが起きて、5時。かしこく遊んでいると思ったら、5時半にいきなり戻して、みんな布団から出ました。涼しい朝。[総合雑誌]
お昼ご飯のあと、例によって、総合雑誌を2冊買ってきました。『論座』と『現代』ともに今日発売の10月号です。ずっと改訂作業をしていた論考ですが、本日で一応の締めとしました。すなわち、編集者に完成稿を送りました。
ちいさいちびといっしょに、6時40分。新聞によれば、昨夜の雷雨では、首都圏で相当数の落雷があったようです。国会議事堂への落雷シーンが新聞に出ていました。→秋が来たという、ほんとうに涼しい一日。このぐらいの気温だと非常に過ごしやすい。明日からまた最高気温が30度近い日が続くようですが、最低気温が22〜23度まで下がっているので、夏の雰囲気はないでしょう。[原稿の改訂作業]
細かいミスは、捜せばけっこうあるものです。注付けに関するミスは、たぶん、全部消せたと思います。J-COMのサーバーメインテナンスは、ほぼ予定通り終了したようです。わたくしのところにはまだ電話が来ていませんが、9月から速度アップもはかるようです。ADSLの急激な速度アップに圧力を受けてのことでしょう。我が家は、テレビ、電話、インターネットが全部、ケーブルなので、ADSLがどれだけ速度を上げても、当分ケーブルを変えるつもりはありませんが、速度的には明らかにADSLに分があるように思われます。→まだ数回しか試していませんが、かなり反応が軽快になったように感じられます。サーバーメインテナンスには、サーバーマシーンのアップグレイドも含まれていたようです。
夕方、近所の本屋さんで、『創』9月号を買ってきました。A5版の小さい、全部で152頁の短い雑誌ですが、私はたまに買います。今回は、「長崎12歳少年事件」の特集でしたが、読み甲斐のあるものでした。
昨日に続き、7時過ぎ。今日は7時15分。昨夜もちいさいちびは何度も目覚め、騒ぎました。9月1日のところで、発酵現象の定義についてまとまった考察を行いました(原稿用紙換算10枚程度)。発酵に関心のある方の、意見や批判を是非、お聞かせ下さい。
夕方の6時前後で、かなり激しい雷光と雷鳴。持続時間は30分ほどでしたが、たぶん埼玉あたりでは落雷もあったのではないかと思われる激しさでした。我々は家族で外に行っていて、最初の雷光とともに帰宅を決意し、自転車でうちに帰り着いた1分後ぐらいに雨が落ちてきました。自転車の後ろでは、お姉ちゃんが怖がっていましたが、前ではちいさいちびが花火みたいと全然気にしていませんでした。
そういえば、3日の18時からほぼ24時間、J-COMのメインテナンスがあるという通知を受け取っていました。丸一日、更新作業ができなくなります。
今朝はいつもより少し遅くて、7時20分。ちびどももまだ寝ています。おおきいちびの幼稚園は、今日からいつもとおりの開園時間、すなわち、9時〜2時になります。ちょうどよいので、妻は、おねえちゃんを幼稚園に送っていったあと、法務省に行くことになりました。わたくしは、昨日大学に忘れてきた資料をとりに、小さいちびを連れていくことにしました。ちいさいちびも最近は勘が働くようで、駅内に入る前から、ママいい、ママいい、と泣いています。泣かれても仕方がないので、そのまま、別々の電車に乗りましたが、ちいさいちびは、中央線のなかではずっと泣き続けました。武蔵境で、なっちゃんを買ってやると少しおとなしくなりましたが、自動販売機のジュースもお金を入れて、ボタンを押すのを、自分でやると言ってきかないので、小銭入れから小銭を出して、抱っこしながらボタンを押させるということをやっているときに、小銭入れを落としたようです。西武多摩川線でも、落ち着かず、抱っこしたまま電車のなかを前後へ歩きまわりました。多磨駅を降りて、駅のスロープを、シュー(滑り台のことをちびどもはこういう)だと言ってやったらやっと機嫌が直りました。
大学の研究室に着いた途端、うんち、と言っています。いつもの2倍ぐらいの立派なうんちをしたあとは、勝手におもちゃを見つけて、機嫌良く遊んでくれました。
わたくしの用事は、書類だけなので、11時前に大学を出て、戻ってきました。[原稿の改訂作業]
今回の引用では、ファン・ヘルモントを一カ所引用しています。そこが一番気になっていた箇所で、原文と英訳と2次資料を比較してみました。ニューマンの引用箇所の提示にページ数の間違いがあることがわかりました。引用したのは、ファン・ヘルモントの「質料を種子ではらませる発酵素のイマーゴ」という論考で、ラテン語の原著でも、英訳でも、偶然、111頁からスタートしています。ニューマンはそれを p.72としていて、単純に p.115の間違いだとわかりました。非常に些細な間違いですが、ニューマンぐらいの研究者でもこうした初歩的間違いをすることはあるんだとわかって、ほっとしました。あるいは、全く当たり前のことですが、誰のものであれ、再確認の作業は必要だということでしょう。
昨夜から今朝の間に、8月30日、日本のアマゾンに発注した次の本が届いていました。
小泉武夫『発酵:ミクロの巨人たちの神秘』中公新書、1989
おそらくこれが、発酵に関する一般向け啓蒙書の代表かと思われます。→大学への行き帰りで、(『発酵食品礼賛』との重なりの部分を除き)ほぼ読みました。小泉さんは、もっとも簡潔には「微生物のもっている機能を広く物質生産に応用して、人間の有益なものに利用すること(p.49)」を今日の発酵の定義としています。もう少し詳しくは、「細菌類、酵母類、糸状菌(カビ)類、藻菌類などの微生物そのものか、その酵素類が有機物または無機物に作用して、メタンやアルコール、有機酸のような有機化合物を生じたり、炭酸ガスや水素、アンモニア、硫化水素のような無機化合物を生じ、なおかつその現象が人類にとって有益となること(p.i)」としています。今の知識と技術の状況では、この定義が正当なものと言ってよいでしょう。
定義だけでは何ですから、発酵にはどういうものがあるのか、小泉さんの著作によって整理してみましょう。
古代から知られている発酵
乳酸発酵(ヨーグルトやチーズ)
アルコール発酵(ビール、葡萄酒、日本酒等)
パン(イースト)
酢酸発酵(食酢類。アルコール発酵の次の段階)
以上に次いで古くから知られている発酵
なれ鮨(紀元前3〜4世紀には既に存在)
麹によるもの(醤油、味噌;日本酒、焼酎、味醂、漬け物の一部、甘酒、米酢)
納豆
最近の工業化
有機酸(リンゴ酸発酵、グルコン酸発酵)
アミノ酸
核酸関連物質
抗生物質(ペニシリンやストレプトマイシンなど)
生理活性物質(ビタミン類、ステロイド、アルカロイド、ホルモン)
糖類関連物質
酵素(アミラーゼ、プロテアーゼ等)
環境浄化発酵
[発酵の定義の問題の考察]
ということで、少し、定義の問題を考察してみましょう。
発酵 fermentation、発酵素 ferment という言葉そのものは、ラテン語の fervere泡立つ、発泡するという単語に由来している。したがって、古代からよく知られていたアルコール発酵、パンの酵母発酵、乳酸発酵がともに、炭酸ガスを出す現象に注目してつけられた言葉と言える。炭酸ガスの発泡に伴う顕著な現象としては、内部運動、発熱、変成作用であった。
中世においては、そうした特徴を示す変化は、すべて発酵と捉えられた。
錬金術においては、そもそも化学変化、変性をもたらすすべての過程を発酵と捉えることが出来た。
17世紀に、原子論・粒子論と結合した錬金術的発酵の概念は、内的運動原理をもつ発酵素の働きにより、物質を向上・完成させること、変成させること、と定義されるようになった。この定義は、19世紀のリービッヒまで引き継がれる。
なお、微生物は、17世紀の後半、レーウェンフックの顕微鏡により発見されている。
19世紀に、発酵現象に関する科学研究に新しい進展があった。
シュワンをはじめ3人の科学者が、発酵を引き起こす物質が生物であること見出した。そして、彼らが見出した発酵においては、その生物は、酵母であった。
この発酵の生物起源説に対して、19世紀化学の立て役者リービッヒが反対し、発酵は生物による必要はなく、純粋に物理化学的存在(接触分解反応を引き起こす粒子)だと唱えた。それに対して、有名なパスツールが乳酸発酵を用いた精緻な実験(1857)により、発酵とは生体内だけで起こることがらだと主張した。「本来の意味の発酵は、顕微鏡的生物の存在に絶対的に依存する。」
つまり、発酵に関して、有機説と無機説が対立していた。
この論争に関して、折衷的解決をもたらしたのは、ドイツ人のブフナーであった。彼は、1897年、偶然に酵母の無細胞抽出液でアルコール発酵が生じることを見出した。酵素があれば、生きた細胞内でなくても発酵が生じることがわかったのである。
つまり、ブフナーの時点では、発酵現象の核心は、微生物に含まれる酵素にあることが認識されたのである。
さて、パスツールは、発酵を無酸素状態で起こるものと定義している。この定義が現在発行されている日本語の辞典類に採用されている。
「微生物が酸素のないところで行なう呼吸作用の代償作用で、有機物が簡単な化学物質に変化するときに出すエネルギーを利用するもの」『日本国語大辞典』(小学館)
「狭義には、微生物が酸素の存在しない状態で、糖質を分解してエネルギーを得る過程」『大辞林』(三省堂)
しかし、小泉氏の指摘するとおり(『発酵』p.48)、現在利用されている発酵現象の広がりを見るとき、もはや「酸素のない状態で」という規定は現象の一部のみに該当するものであり、今日的には不要である、とすべきであろう。
ということで、わたくしは、次の定義を提唱したい。
「微生物の酵素、あるいは微生物に由来する酵素を用いて、人間に有用な物質を作り出す働き。あるいは自然状態でのその働き。」
こうした酵素の本体は、分子量10万程度のタンパ質であり、ほとんどの場合まだ化学合成の能力を超えており、自然に存在する、あるいは人間が(遺伝子組換えを含み)人為的に選択した微生物を利用している。
わたくしは、こういうふうに、考えましたが、発酵に詳しい方々の批判を請います。[考察の補足:有用性]
少し補足しておきましょう。発酵と腐敗の関係ですが、人間に有用かどうかにかかっています。有用な場合、発酵と言えます。つまり、人間の価値観の問題ですから、酵素の働きそのものにおいて、自然世界に根本的な差があるわけでもない、この点が第1に確認できるでしょう。第2に、くさやや臭豆腐のように、ある人々には発酵だとされるものが、価値観を共有しない人々には、腐敗に他ならないということがらも存在します。[考察の補足:科学の観点から]
『理化学辞典』の定義も見ておきましょう。
「発酵:微生物による糖質の嫌気的分解、すなわち分子状酸素の関与なしに行われる分解をいう。動物組織によって行われる解糖も一種の発酵とみなすことができる。呼吸とともに生物体が有機体からエネルギーをとる重要な方式である。・・・
一方、分子状酸素が関与する有機物の他の有機物への酸化過程を好気的発酵と呼ぶこともあるが、有機物の完全酸化が行われないだけで、むしろ呼吸の一形式と見なすべきであろう。・・本来の発酵を嫌気的発酵あるいは無酸素呼吸と呼ぶこともある。」
見てのとおり、パスツールによる「無酸素状態での」という限定をまだ採用しています。この『理化学辞典』の定義のポイントは、解糖や呼吸との類縁性を指摘している点でしょう。
上記の通り、発酵という言葉は価値的判断を含むので、酵素(エンザイム)の働きという観点から考えた方が科学的に見ることができるでしょう。
さて、そもそも動物が植物や動物を食べたときに、まず生じるのが消化酵素の働きによる消化という過程である。消化という分解により生成するアミノ酸、グルコース、脂肪酸、グリセロールは、腸壁を通して、血液中に取り込まれ、大部分肝臓に送られる。
細胞内に取り込まれたアミノ酸からは、タンパク質が生合成されるが、グルコースは、解糖系とクエン酸回路という2つの酵素系によって生体に必要なエネルギーを生み出す。つまり、消化と代謝系が多くの酵素の働きによっているのである。
まとめると、生命体の代謝活動が多様な酵素による、ということであるから、もし酵素の働きを発酵と呼ぶなら、発酵は、生命とほぼ同じ広がりをもつことになる。
ファン・ヘルモントなどの発酵概念は、広がりにおいては、この見方に近い。酵素の働きを発酵と呼ぶことは、言葉の由来から言って間違いではないが、長い歴史をもつ発酵の語は、微生物の酵素の働きを利用するものに限るのが、適切ではないかと思われる。ちいさいちびは、昨夜も、2度暴れました。一度目は、目覚めた後、10分ぐらい、どっちの親も相手してくれなかったので、怒ったものです。いきなり大きな声で、お父さん起きて、お母さん起きて、と言いました。なだめるのに15分近くかかりました。