ひとりで6時。ちびどもは6時半に起きてしまったので、ひとりで勉強できる時間はあまりとれませんでした。朝から風が強く、雨が降ってきそうな空模様です。会議の日。個人的な打ち合わせを含めて、7つあります。12時から夜の9時前までずっと続くことになります。→9時過ぎにはうちに帰ってくることが出来ました。上出来です。
4月のこのページですが、3月のようには行かないだろうと思っていましたが、それでも400字詰め原稿用紙に換算して70枚には達しています。
ひとりで5時半。→今日は、おおきいちびが6時半に目覚めて、朝は1時間だけひとりで仕事をすることが出来ました。昨日の授業(2限「科学技術と社会」)で次の文献表を配布しました。先端医療に関するものです。より詳しいものは科学思想史演習文献リスト(第1次)をご覧下さい。
一昨日読み始めた、岡本裕一郎『異議あり!生命・環境倫理学』ナカニシヤ出版、2002を読了しました。まず、役に立った点からコメントしましょう。
1)巻末のブックガイド(pp.262-277)は私にはとても有用でした。全部で42点の本がそれぞれ数行程度で紹介されていますが、私は、生命倫理学や環境倫理学を読もうと思ったことがほとんどなかったので、この部分の紹介が役に立ちました。
2)第2部の、環境思想、環境運動(むしろ環境キャンペーン)の歴史的見通しが得られました。とくに、1970年代には地球寒冷化(氷河期がやってくる!)と言われていたのが、ある時期から地球温暖化が叫ばれるようになり、2酸化炭素排出量の抑制が国際会議の議題にとりあげられるようになります。その背景に、原子力発電推進の政治的意志があったことの指摘は重要です。簡単に言えば、現在の環境問題は、人間(集団)と自然が直接対峙する問題ではなく、むしろ、国際政治の問題である、ということでしょう。
次は不満な点。もしかしたら、揚げ足取りに感じられるかも知れませんが、私が強い関心を持っているので、指摘します。
1)「人口爆発」:これが全く検討されることなく、前提とされています。ポール・ウォーレス『人口ピラミッドがひっくり返るとき』(草思社、2001)がもっとも明白に指摘していることですが、人口爆発はもうないと見るべきです。
日本の合計特殊出生率が1.33だったと言う数字が、年金財政を直撃するというニュースは、去年流れましたが、世界ではもっと低い国があります。意外ですが、イタリアで、イタリアは1995年には1.2を切っていました。今は、1.2強という数字のようです。日本の数字が当分変化しないとすると、2100年には日本の人口は5千万人を切っています。現在、世界でもっとも人口の多いのは、いうまでもなくお隣の中国ですが、一人っ子政策が効いたのかどうか、中国も1990年代に2.1(人口補充水準)を切っています。ということは、中国の人口もいずれ頭打ちになり、その後減少に向かうと言うことです。ブラジルも1999年に人口補充水準を切った模様。
すでに1975年に出生率がかなり低かった50ヶ国のうち、3カ国を除くどこも出生率はさらに低下している。韓国やアイルランドのように、4割以上落ち込んだ国もあり、香港やスペインのように半減以下まで下がった国もあった。
またイランのように、1990年代に、出生率が6近い数字から2.8まで激減した国さえも存在する。
まだ人口補充水準を保っている国としては、アフリカの全部の国と中南米のほとんどの国、そして西アジアから東南アジアの多くの国々があるが、世界全体として考えた場合には、少子化の傾向は決定的です。この傾向が続くとすると、国連の人口予測では低位予測、すなわち2040年で世界人口はピークの75億人に達し、その後は減少に向かうという数字がかなり現実味を帯びてきます。私は、政策担当者のどんな努力にも関わらず、少子化の傾向を逆向きに戻すことは当分無理だと考えます。私の考えがあたっているとすれば、世界人口のピークがもう少し早くやってくるかもしれません。少なくとも、日本やイタリアを筆頭とする先進国にとっては、人口減少こそが重要な問題です。
2)岡本さんの根本的テーゼは、生命倫理学や環境倫理学のような「応用倫理学は応用がきかない」すなわち、現実に役には立たない、というふうにまとめることが出来ると思います。しかし、そもそも、応用倫理学に、実用=役に立つことを求めた人はいるのでしょうか? 悪いけれど、誰も期待していなかったと思います。
3)岡本さんは、生命倫理学で一時力を得た「自己決定権」という考え方を生命倫理学自身が保持し得なくなったとき、生命倫理学は終わった、また環境倫理学ではその柱となった「人間中心主義批判」がトーンダウンしたとき、環境倫理学は終わった、というふうに主張されていると思います。しかし、私は、そもそも「自己決定権」が万能というふうに最初から感じていませんし、またある種のエコロジストの「人間中心主義批判」にも最初からシンパシーを感じていません。私だけではなく、そういう人は、けっこう少なくないと思います。そういうふうに感じ、考えるものにとって、生命倫理学や環境倫理学の進展がほんとうに岡本氏の記述の通りであれば、30年かけてやっと普通の出発点にたっただけというふうに言えるように思われます。
岡本さんは直接言っていませんが、岡本さんの立論の論理的帰結の一つをはっきり言えば、「倫理学は役に立たない」ということになるでしょう。
それでどうしていけないのか、そもそも倫理学に役に立つことを求めたのは誰か、私には、それが疑問です。
ちいさいちびが起きて、5時50分。→小さいちびは、睡眠不足だったようで、泣いたり騒いだり、落ち着いてくれず、うちを出るまで、ほとんど仕事らしい仕事は出来ませんでした。ちいさいちびがいると、こういう日もあります。家に帰ると次の本が届いていました。ジョンズ・ホプキンズの出している科学史入門シリーズの一つです。レヴィア『物質変化』ぐらいでしょうか。
Trevor H. Levere,
Transforming Matter: A History of Chemistry from Alchemy to the Buckyball ,
Johns Hopkins University Press (Johns Hopkins Introductory Studies in the History of Science),2001
『スピノザーナ』最新号(第4号:2003年号)も届いていました。
<研究ノート>桜井直文「『神学・政治論』の書誌学」pp.121-166
<研究ノート>高木久夫「国内蔵スピノザ“原典版”資料」pp.177-194
<エッセイ>高木久夫「小伝・高橋清七」pp.194-202
の三点を読みました。どれも、大変興味深い内容でした。スピノザ協会のサイトには現時点ではまだ新しい号の情報は出ていませんでしたが、いずれ、出ると思います。研究室から、DSB (Dictionary of the Scientific Biography: もっとも信頼できる科学史の伝記辞書)のVol.1, Vol.VIを持って帰りました。不思議な経緯で、DSBは3冊だけ持っています。たった3冊でもうちにあった方が使うので持ち帰ったものです。
ひとりで5時45分。そう言えば、昨日は、ゴールデンウイークの始まりだったようです。ちいさいちびがいるとゴールデンウイークも何もあったものではありません。私にとってのゴールデンウイークは、ただ5月5日(月曜日)が休みになり、月曜日の授業の準備が一息つけるということだけです。
昨日は、少しだけですが、Jリーグの試合を見ることができました。個人的には、広島からマリノスに移籍した久保に活躍してもらいたいのですが、まだまわりとしっかりあっていないようです。
夕方から、岡本裕一郎『異議あり!生命・環境倫理学』ナカニシヤ出版、2002を読み始めました。予想していたものとは違いました。ちょうど半分読みましたが、コメントは全部読み終わってから書きます。(「ええかっこしいの応用倫理学に喝!!どこかヘンなこの「学問」いま徹底解剖。」という帯の言葉がもたらすものと、中身がかなりずれています。帯のことばは著者の責任ではありませんが、不思議な違和感を感じます。→違和感の原因の一つは、スタイルです。著者は、はじめにで次のように記します。「本書は、生命や環境について興味を持つ大学生、高校生、社会人に対して入門的な(導入的な)本だ。できれば、中学生や小学生でも読んでわかるような本にしたいと思った。」しかし、本文は、生命倫理学や環境倫理学の学説史批判のスタイルで書かれています。つまり専門論文のスタイルです。中学生や高校生には、この学説史批判のスタイルがそもそも分からないと思います。学説史批判は、専門分野の基本ですし、学説史批判をきちんと行うことは重要なことですが、中学生に読んでもらう入門書には向かないと思います。後書きで著者は、これは「応用倫理学の「脱構築」の試みであった。」と記されています。だとすれば、むしろ、本格的に「脱構築」をやってもらった方が、変な違和感を引き起こすこともなかったと思われますし、真摯な反応を引き出せたのではないかと思います。)
ひとりで5時45分。月曜日に大学生協で買ってきた『哲学』の次の論文を読みました。
加藤尚武「技術への問いとは何か」
小林傳司「なぜ科学技術の規制が必要か―制度論的考察」
札野順「技術の実践における倫理の諸問題と技術者倫理教育」
加藤尚武氏の文章は面白い。たぶん、乱暴なところもあるのでしょうが、ともあれすっきりとした見通しが得られます。何点か紹介しましょう。
1972年ローマクラブは「成長の限界」というレポートを発表します。人類に残された石油はあと20年で尽きる、というショッキングな予想が世界に波紋を投げかけます。現在、化石燃料の残存埋蔵量については、「あと43年採掘可能」という説が有力なのだそうです。私は、43年説がどの程度信頼性があるのか判断できませんが、ものすごく長く持つことはないでしょう。
1957年東海村の第1号原子炉がはじめて臨界実験に成功した頃、すでに廃棄物をどうするかという問題は知られていて、そのなかでもっとも有力な回答が「1985年頃までには核融合反応の制御技術が確立される、そうするとそこから得られるほぼ無限に近いエネルギーで廃棄物の処理を行うことができる」というものだったそうです。私は、この話は初耳だったので、けっこう驚きました。核融合反応の制御技術の確立の遅れではなく、そんな楽観的な予想、対策が認められていた時代の甘さにたいしてです。夕食後、BHの平井さんが4月25日付の読書日記で書かれている事柄(16世紀末から、17世紀前半にかけて、ドイツに3人の Johann Gerhard が存在し、新ボイル全集がその3者を混同している)に関し、ネットで調べられることを調べていたら、ちいさいちびがやってきて、机の上に載せろというので載せてやったら、何をどう押したのか私にはわかりませんが、マックのディバッグの画面が出てきました。その画面で私の知っている唯一のコマンドが ">G" で、ちびはすでにわけのわからない文字列を打ち込んでいます。仕方がないので、再起動をかけましたが、それまでに行なった作業を保存していなかったので、30分程度の仕事がおじゃんになりました。どういう作業をやったかは覚えていたので、同じことをもう一度行なうことは出来ますが、ああ、やれやれ、でした。
今日は、ポポが台北に帰る日。ポポ本人は、電車で成田まで行くという考えでしたが、荷物がある場合どう考えてもリムジンバスが便利なので、吉祥寺発のリムジンに乗ってもらうことにしました。→結局、車酔いするということで、電車で成田まで。西荻駅のプラットフォームまで送っていき、その後、我々は、吉祥寺に出ました。→3時にポポから電話がかかってきて、電車を間違えた(?)が何とか空港に到着したとのことでした。何をどう間違えたのかは不明です。
鳥たちのさえずりとともに4時50分。昨夜ちびどもはよく寝返りを打っていました。ちいさいちびは、スイッチと見ればどんなスイッチも押したがります。私の部屋の2台目のプリンター、カラープリンターのスイッチもよく押しに来ます。壊されるのが怖いので、ちびの手の届かない位置に置くことにしました。ということで、よくある上の方にプリンターを載せることのできるパソコン机を買いに出かけました。吉祥寺のらおっくすで6800円のものを購入し、配送の手続きをしてきました。パソコンは置かず、プリンターだけを高い位置に載せます。現在は、本来机の下に入れる可動式ワゴンの上に載せています。可動式ワゴンというのは、要するに引き出しですから、引き出しを本来の位置に戻せるわけです。
夕食の前後で、月曜日の講義の3回目の講義ノートを完成させました。クローン技術について話します。
[ガリカ Gallica]
大学に出たとき、ちょっとした時間を見つけては、ガリカからのダウンロードを継続しています。最近は、自然誌の著作を中心的に選んでいました。科学史の部屋のGallica_Pdf に情報を載せていっています。昨日は、デスクトップに出ていた17点のPdf FilesをCD-R に焼いて持って帰ってきました。中身を確認しながら、アパートのマシーンに複製していきましたが、1点ほとんど読みとれないものがありました。古い著作をスキャンしていますから、そういうことも一定割合で生じると思われます。
こちらも、研究で是非必要だが、自分のネットワーク環境ではダウンロードできないという方は、私宛直接メールを下さい。CD-R をお送りすることを考えます。
鳥たちのさえずりとともに目覚めました。5時。この時期鳥たちは、5時前にさえずりはじめます。→ちいさいちびは、やっと、夜あまり騒がなくなりました。おねえちゃんは最初からよく寝てくれたので、雲泥の格差です。子育てはこんなものでしょう。木曜日の2回目の授業。東京外大は、今年から卒論・卒研が必修化しています。そのことに関係して少し混乱がありました。これからも少しありそうです。→4限の科学思想史ゼミは、結局9人となりました。今年は、秋から二人留学で抜けます。
BHの平井さんとメールでやりとりをしていて、私の手元にあるアメリカの博士論文の一部をスキャナーでスキャンしてメールに添付してお送りすることになりました。グレイ、もとの150%でとって1頁あたり数百Kの画像ファイルになりました。1頁毎別々に6頁分お送りしました。全体でフロッピー2枚分ぐらいの容量になりました。送付したあと、受け取り環境が心配になりましたが、シャワーの合間15分程度で受信できたということで一安心です。緊急に少ない枚数をやりとりする必要がある場合には使える手段です。
花粉症の揺り戻しがあって、夜、鼻がつまり目が覚めました。ちょっと気になっていたことがあったので、3時半でしたが、一度起きて少し作業をしてみることにしました。ISIS (国際科学史学会の機関誌)からメールが来ていました。オンラインで論文が全部読めるという案内です。そのための、アカウントとパスワードを送ってくれました。オンラインで読めるということは、E-Text が入手できるということで、非常に助かります。特に、語句を調べるときには最高に助かります。
去年の秋申請した科研費の結果が来ていました。採択されず。残念。他に私が関連している共同研究の申請も落とされていました。とくに実際に書類を書いた先生がショックを受けていました。私もどれかは通ると思っていたのですが、・・・。→科研費はダメでしたが、お金をもらわなくても出来ることはあります。自分で出来る範囲でやっていこうと思います。
ファン・ヘルモント協会のみなさまへ
ファン・ヘルモントの主著『医学の曙』Ortus Medicinae の英語訳(Oriatrike,1662)のマイクロフィルムからの紙焼きですが、1991年度に私がとっていたものをともあれ、一部コピーしました。
本文1161頁
索引,pp.1161-1179
著者を称える訳者の巻末詩 ,pp.1180-1184
(読みとりの難しい書き込み4頁)
ということで、全部で1190頁になります。B4 の紙に2頁入って、全体で約600枚の大部です。すぐにほしい部分がある方は、私宛直接連絡下さい。100枚程度であれば、直ちにお送りできます。→詳しくは、(科学史の部屋)About Oriatrikeをご覧下さい。
ひとりで6時前。昨夜もちびどもは静かでした。→昨夜は、ちびどもが寝たあと、土曜日に持ち帰った宿題をやっていました。1点は片づきましたが、もう1点はかなり時間がかかりそうです。その大変な仕事ですが、いっしょにやっている方から送ってもらった10点あまりの論文のうち、5点は読みました。不思議な点があるので、わかるまで調べるつもりです。以前体温計の歴史を調べた程度には、調べるつもりです。
[電話代]
電話をケーブルに変えてはじめての請求書が来ました。今回は3月4月の2ヶ月分を合わせての請求なので少し高めの数字が出ていますが、1ヶ月分になおすと、基本料金1500円、通話料1000円前後、合わせて2500円程度に収まる見込みです。プリペイドの携帯も、約1ヶ月使ってみて、通話料に1ヶ月1000円使わないことがわかりました。我が家は今時珍しい電話代のかからない家計になったようです。
ひとりで6時。ちびたちは昨夜はおとなしかった。月曜日の2回目。かぞくそろって、幼稚園に出かけ、大きいちびは園内に、私は駅に、妻と小さいちびは郵便局にと、分かれました。授業を終わり、家に帰り着くと、大きいちびは幼稚園でならった歌を歌っています。泣くこともなくなったので、もう慣れたと言ってよいと思います。こちらの予想より早く慣れてくれました。
講義は、生殖医療の話をしました。(先週は、脳死・臓器移植問題。)話題が話題ですから、学生の関心を呼んだようで、先週も今週も講義終了後何人か質問に来る学生がいました。ES細胞は、私も話していて不思議ですから、質問したくなる気持ちもよくわかります。大学の生協で、『哲学』(日本哲学会編、No.54)と『サイゾー』(5月号)を買いました。『哲学』は普段買う雑誌ではないのですが、シンポジウム「技術と倫理の根本問題は何か」を読んでみようと思ったものです。
加藤尚武「技術への問いとは何か」
小林傳司「なぜ科学技術の規制が必要か―制度論的考察」
札野順「技術の実践における倫理の諸問題と技術者倫理教育」
という3点の報告からなります。大学に出て、少し余裕があるときに、ひつようなものをガリカからダウンロードしています。最近は割と快調にダウンロード出来ています。一定程度数がたまったら、CD-Rに焼いて、うちに持ち帰り、整理をしています。その結果は、少しずつガリカからダウンロードしたPDFに反映しています。
ちいさいちびが騒いで6時。→今朝は珍しく、その後また寝てくれました。おかげで、昨日持ち帰った編集委員会の宿題のうち、軽いものは処理することが出来ました。重いものは、少し時間をかけてゆっくり取り組みます。
暑いせいなのか、おねえちゃんは夜中すごい寝返り。私も妻も結構蹴飛ばされました。おまけにおねしょ。やれやれ。→ということで、4時前に目覚めてしまいました。ホームページの更新等、細かい作業をこなしています。午後は、駒場(東大先端研)で理事会&編集委員会。→起きた時間が時間ですから、夕食後大きいちびを風呂に入れてやったあと、すごく眠くなりました。家族そろって9時前に寝てしまいました。
軽い風邪をひいたちびが夜中騒ぎ、朝は5時過ぎ。ちいさいちびは調子の悪いときは、ほんとうによく泣きます。親は対応に四苦八苦。午前中は、明日の編集委員会のための準備。午後は、書評を1本仕上げました。東京は最高気温が26度ということで、春を通り越し、初夏から夏になりそうな暑さでした。
ちびといっしょに6時過ぎ。ちいさいちびは、少し風邪気味で、夜よく泣いていました。起きてからも機嫌が少し悪い。科学思想史(講義、演習、卒業論文演習)の授業の開始日。→まるで初夏のように暖かい日。少し動くと汗ばむほどでした。ともかく無事にスタートが切れたようです。
Hieronymus Braunschwig,
Book of Distillation ,
ca.1530,London; reprinted by Johnson,1971
を研究室から持って帰りました。3限の講義で配布する文書をアップしました。シラバスより詳しい授業案内です。
4限のゼミで配布する文献リストをアップしました。先端医療関係の書物です。
5限の授業で配布する「表象文化とゴローバリゼーション2」過去の特別講演・演奏会・シンポジウム等をアップしました。文字通り、各界の第1線で活躍されている多くの方々をゲストにお招きすることが出来ました。
ちびどもといっしょに6時過ぎ。→うそのように静かな朝。おおきいちびが喜んで幼稚園に出かけ、小さいちびは妻に連れられて近所の散歩。こんなに静かな朝は、久しぶりです。明日の授業の準備に集中できるので、たいへん助かります。→妻によれば、幼稚園の同級生の中には帰ったら、ばったんで寝てしまう子がいるのだそうです。まだ3歳ですから、慣れないうちは相当に疲れるようです。我が家のちびも、夕ご飯のころからごねはじめて、風呂に入ろうかという直前に寝てしまいました。今年度はじめての教授会。ちょっと居眠りをして、目が覚めたあと下の本を読んでいたら、終わっていました。建物を出たのが、5時25分。5時28分多磨駅発の電車にちょうど間に合い、6時5分には夕食を食べはじめ、7時には風呂から出ていました。→ということで、日韓戦を見ることができました。後半のロスタイムに永井がゴールを決めて、1対0で日本の勝ち。勝ったことが収穫というゲームです。
研究室から次の本を持って帰りました。
*S.J.ライザー、
『診断術の歴史:医療とテクノロジー支配』春日倫子訳、平凡社、1995
以前このページで体温計の歴史を少し探ってみましたが、体温計の発明のぴったりの回答は記述されていないとはいえ、この本にも役に立つ情報があります。体温計の歴史にとってとくに重要なのは、診断との関連ですから、テーマとしては大当たりです。→ブールハーヴェ(18世紀初頭)の時代に、検温がどの程度行われていたか、よくわかります。一部の医師を除き、検温はほとんど行われていなかった。
18世紀ぐらいまで(あるいは、18世紀になっても、場合によっては19世紀になっても)医師たちは、そもそも患者にほとんど触れていないというびっくりする事実が書かれています。患者の訴えと見た目で、基本的には診断していた、ということですが、それだと現在のカウンセラーをほとんど変わらないと言えます。
大きいちびといっしょに6時。→おおきいちびは朝から、幼稚園行かない、幼稚園行かないと泣いています。→何がどうなったのかわかりませんが、直前になって行くと言い始め、ごねずにすっと家を出ました。帰ってきたときも、あしたも幼稚園行く、と言っています。たぶん、何かお遊びが楽しかったのでしょう。→先生が遊んでくれたのが楽しかったようです。揺り戻しが少しあったとしても、これで慣れていってくれるでしょう。ほっとしました。授業の第1週なので、授業の1回目に配布する資料を作成していました。演習は最初に文献表と進行表を配るので、1学期の半分ぐらいまではしっかり予定を立てておく必要があります。
ひとりで5時45分。今年度最初の授業の日。初日の授業は無事終わりました。大学院の授業ですが、3限がゼロ、4限が5人でした。3限の間に結構いろんな仕事をこなすことが出来ました。
大学から次の本を持って帰りました。
*フォーベル , ショートランド, フロッド , ウィルソン 編著
『ニュートン復活』平野 葉一 , 鈴木 孝典 , 川尻 信夫 訳、現代数学社、1996
目次は次の通りです。ニュートンの入門書として割とよい本ではないかと思います。
第1章 「ニュートンの成功」 デレク・イェルツェン
第2章「 ニュートンの『プリンキピア』」 ジョン・ローチ
第3章 「数学研究」 ジョン・ペッパー
第4章 「ニュートンの光学―科学を変えたスペクトル」 カスパル・ハクフォールト
第5章 「ニュートン科学の"ハルモニア学"的起源」 ピネラピ・グーグ
第6章 「ニュートン―物質と魔術」 ジョン・ヘンリー
第7章 「隠れた錬金術師」 ヤン・ゴリンスキー
第8章 「ニュートンにおける神」 ジョン・ブルック
第9章 「ニュートンと古代人の叡智」 ピヨ・ラッタンシ
第10章 「反ニュートン主義」 ジョフリー・カンター
第11章 「国民的英雄としてのニュートン」 モーリーン・マクニール
第12章 「ニュートンと20世紀―1つの個人的見解」 ヘルマン・ボンディ
これで、ニュートンの錬金術について、日本語で読める文献は、かなり揃ったことになります。リストとしては、次の通りです。
ドッブズ『錬金術師ニュートン』みすず書房、2000
ドブズ『ニュートンの錬金術』平凡社、1995
ウェストフォール『アイザック・ニュートン』平凡社、1993
R.S.ウェストフォール「ニュートンの生涯における錬金術の役割」『科学革命における理性と神秘主義』(新曜社、1985)pp.155-218
パオロ・カッシーニ「ニュートン、懐疑的錬金術師」『科学革命における理性と神秘主義』(新曜社、1985)pp.219-226
マリー・ボアズ・ホール「錬金術という見知らぬ海に乗り出したニュートン」『科学革命における理性と神秘主義』(新曜社、1985)pp.227-238
中島秀人「ニュートンの錬金術」『科学と非科学のあいだ(科学見直し叢書1)』木鐸社、1987)pp.27-67
私としては、ウェストフォールの「ニュートンの生涯における錬金術の役割」がもっとも使いやすい論文だと思います。ウェストフォール自身は、この論文のあと、少し立場を後退させていますが。
ひとりで5時45分。→朝、勉強する時間がとれるかと思ったら、ちびどもが6時過ぎに目覚めてしまいました。昨日買ってきたUSBですが、デジタルカメラのフラッシュメモリー等を読みとるカードリーダーをまず使ってみました。問題なく使えました。次に試したのは、USBで接続するカラープリンター。こちらは、認識してくれるかどうか少し心配だったのですが、問題なく認識してくれました。動作も正常。今のマシーンは古いPowerMacなので、プリンターにはシリアルで接続しています。シリアルのポートをもつプリンターがほとんど市場から消えてしまった現在、USBでバックアップできるのは心強い。
4月11日に買ったポール・ウォーレス『人口ピラミッドがひっくり返るとき:高齢化社会の経済新ルール』(高橋健次訳、草思社、2001)を昨日から読み始め、お昼すぎに読了しました。抜群に面白い本です。21世紀の社会に関心のある方は、読んで絶対に損をしない本です。
夜、昨日アマゾン.jpに発注した次の本が届きました。早い。
ローレンス・レッシグ『CODE:インターネットの合法・違法・プライバシ』山形浩生・柏木亮二訳、翔泳社、2002、2800円
おおきいちびといっしょに6時。→天気予報では雨でしたが、雨は午前中は降らないようです。ということで、吉祥寺にある小さな「子どもの城」(名前は0123)にちびどもは連れていったもらうことになったようです。ちょうどよいので、私は授業の準備に必要な本を買い出しに行くことにしました。本当に久しぶりに新宿東口に出ました。ついたのは、紀伊国屋さんの開く10分前。周辺を見てから、開店ちょうどで店に入りました。せっかくだから、レッシグ『CODE』を買っておこうと思ったのですが、結局発見できませんでした。3階、4階、5階と関係ししそうな箇所は見たのですが、見つけることができませんでした。お腹が空いてきたので、地下でカレーを食べて、それからビックカメラで PCI バス用の USBカードを買いました。2780円の製品ですが、ポイントがあったので、1809円で買えました。本はネットで買うことにして、雨の降らないうちに帰ってきました。
ちいさいちびが昼寝をしてから、これも本当に久しぶりにパソコンを開き、USBカードを取り付けました。開けてみると、埃がひどいので、掃除機とダストクリーナーを併用して、まず掃除をしました。また、以前から余ったメモリーがあったので、2つ開いていたメモリーポートにメモリーも挿しました。これで全体としては、208Mです。大きいちびは、はじめての幼稚園通いで疲れたのでしょうか、今日は小さいちびが風呂に入っている間に寝てしまいました。すごいめくまが出来ていたので、不安と疲労が重なったのでしょう。その前は、暴れていたので、寝てくれるとほっとします。
ちびどもといっしょに6時前。→ちびは、今朝も幼稚園に行く前に泣いていました。ですが、お友達と遊ぶ楽しさが分かってきたのか、帰ってきたときには目をはらしていませんでした。ぼちぼちですかね。本日、次の3冊の本を買いました。
ポール・ウォーレス『人口ピラミッドがひっくり返るとき:高齢化社会の経済新ルール』高橋健次訳、草思社、2001
ローレンス・レッシグ『コモンズ:ネット上の所有権強化は技術革新を殺す』山形浩生訳、翔泳社、2002
スーザン・J・ネイピア『現代日本のアニメ』神山京子訳、中公叢書、2002
最初の本は、ちょうど欲しかった種類の本です。2番目の本は、実は、同じ著者の『CODE』を探しに行ったのですが、吉祥寺パルコには置いておらず、代わりにこっちを買ってきたものです。置いてある場所が、コンピュータ関係の技術書の棚の、柱の後ろというとても分かりづらいところだったので、探し出すのにすごく時間がかかりました。大学の授業の開始日。私の授業は、月、木なので、14日スタートです。
ということで、昨日から、そのための準備に入りました。まずは何をおいても片づけです。そこいらじゅうにそのまま積み重ねている資料を適当な場所に置き、授業関係の資料をすぐわかる場所に集めることです。今年は、まるっきり新しい講義をいくつかやります。まるきり新しい講義のためには、新しいコンセプトが何より重要ですが、ついで関連する資料が重要です。そうしたものも一カ所に集めておく必要があります。いつか、ほんとうにやりたい内容に、「悪の博物誌」があります。人間の悪を、気休めの解決策や対応策を一切言わずに、いわば博物誌のような仕方で提示していくことです。淡々とやりたいですね。いつできるのかはわかりませんが、いつかはきっとやってみたいことです。
ひとりで4時45分。→ちびは、今日も泣きました。お母さんが帰るとみると、上履きのまま外に飛び出してきました。我慢のしどころと思い、幼稚園の先生に任せて帰ってきました。→迎えに行った妻によれば、昨日よりは慣れたようです。泣いた時間が半減したようです。あまり泣いてばかりだとかわいそうなので、2週間様子を見て、ダメなら幼稚園をあきらめようか、と妻とは話していたのですが、まあなんとか慣れてくれるかもしれません。→寝る前も、思い出して泣きました。泣いたせいで、目の回りだけではなく、顔中まっかになっています。まだ3歳少しなので、親としては、辛いものがあります。
自転車の前輪がパンクしたので、自転車屋さんに修理してもらいに行ったついでに、古本屋さんによって次の2冊を買ってきました。
ハンス・フィッシャー『ゲスナー:生涯と著作』今泉みね子訳、博品社、1994
新村拓『出産と生殖観の歴史』法政大学出版局、1996
後者の本は、タイトルからは分かりませんが、日本の話しです。後ろ表紙には、「性愛・受胎・出産を、仏教や東洋医学をはじめ、日本古来の医書や安藤昌益らの思想家はどう見てきたか。生死を分けかねない出産の情景はどのようなものだったか」とあります。けっこうおもしろそうです。[ちびどものお気に入り]
ちびどものお気に入りを紹介しましょう。とくにお姉ちゃんは次の2つが気に入っています。
明日のナージャ
おジャ魔女どれみ#
ともに、内容的には古典的な少女まんがです。ちびはうたったりおどったりするのが気に入っています。歌がはじまるといっしょにうたい、踊りが始まるといっしょに踊ります。ちっこい方もそれにあわせて、うたい(声を出し)躍ります。歌の歌詞が読みとれるわけではありませんから、耳から聞き取った通りにうたいます。ちびには難しいと思われる「#に」は、「しゃっくり」と言って笑っています。→久しぶりに goo のトップページを見ると、「おジャ魔女どれみ」は子どもたちに爆発的人気とあります。子どもが好きになるものは、大人の感覚ではなかなかわかりません。何かあるとすぐに人の顔(すなわちアンパン)をちぎってあげてしまうアンパンマンも、うまく言えない違和感を感じますが、ちびは気に入っています。アンパンマンの場合、パワーが落ちてきたら、顔(頭全体)を取り替えます。これも、何とも不思議な行為です。現代人の常識では、こころはたぶん脳にあるので、そうするとアンパンマンの場合、こころ(アイデンティテイ)が首から下の身体にあるか(昔の人々は、こころは、脳にあると考えていません)、あるいはむしろ、外部にあるのか、あるいは取り替え可能な・アイデンティティに無縁の精神をもつのか、いずれかということになります。この種の哲学的疑問に誘う、アンパンマンにはそういう特徴があります。[こんな私たち白書]
今朝日新聞の夕刊で連載している「こんな私たち白書」は、面白い内容が多い。北大の科学史MLで杉山さんが4月8日分(世界にもまれな蛍光灯好き)にコメントされていましたが、私は、4月4日分(日本の若者は殺さない)がとても興味深かった。社会学者たちは前から言っていたので、酒鬼薔薇等の少年殺人事件のもたらした印象とは違って、日本で凶悪犯罪は減っている、とくに殺人は減っているという事実は知っていたのですが、年代別の殺人者率の経年変化をグラフで示されると、激減ぶりが一目瞭然です。とりわけ、世界的にもっとも殺人者率の高い20代前半の男性の殺人者率が、1955年の23人(10万人あたり)から1990年以降の2人まで減った、すなわちおよそ10分の1に減少したというのは、驚くべき数字です。遅くなりましが、 「総合科目II」(表象文化とグローバリゼーション)木5/101のシラバスと進行表をアップしました。
ひとりで6時。咳はやっと収まってきました。
行きたくないというちびを何とかなだめて、幼稚園に連れていきました。思った通り、お母さんと離れた途端、大泣きしていました。これで、明日はもっと行かないと言うに決まっていますが、いつ慣れてくれるのでしょうか。体が大きくて怖がりですので、同じクラスのちびどものなかでも慣れるのはかなり遅いと思われます。→たったの2時間半ですが、帰ってきたときには、目を泣きはらしていました。ほとんど泣いていたようです。幼稚園の先生は、「後ろ髪引かれる思いがすると思いますが、最初の2週間頑張って下さい。」と言っていました。2週間で慣れてくれれば満足です。外出したときに、古本屋さんで次の本を買ってきました。
戸来優次『クローン人間誕生以後:世界の経済と社会は超変化する』徳間書店、2002わけがあって、17世紀と18世紀の何人かの化学者の伝記を執筆しています。それぞれは、ごく短いものです。ウェブで検索してみると、ラヴォワジェの周辺からはかなり充実した情報が得られます。たとえば、プリーストリーについては、次のページに重要でしっかりとした情報があります。
Considerations on the Doctrine of Phlogiston and the Decomposition of Water: 1796
Joseph Priestley on Making Carbonated Water (1772)
Joseph Priestley Chemical Achievers
Disquisitions Relating to Matter and Spirit (1777)
しかし、17世紀の化学者については、わずかです。特に日本語のものはわずかです。たとえば、ラヴォワジェ以前のフランス化学界の中心のひとつは、フランス・シュタール主義でしたが、そのシュタールについて信頼できる情報はほんとうにわずかです。私の見るところ、信頼できる情報源は日本語では次の3点だけといってよいと思われます。
(1)川崎勝「シュタール化学の原像 ―18世紀化学の一つの出発点―」『化学史研究』第44号(1988年): 119-134
(2)ディーバス『近代錬金術の歴史』(平凡社、1999)のシュタールの部分=「G.E.シュタールと化学の伝統」pp.423-427
(3) 『原子論・分子論の原典1』(化学史学会編、学会出版センター、1989)。これにはシュタールの『普遍化学の哲学的原理』英訳から、「序論」「化学の一般理論」の部分が訳出されています。
(シュタールについては、フロギストン説だけが注目を浴びていますが、それは非常に不幸な事態です。その点については、機会があれば、記述します。)
いろいろ捜してみると、ディーバスの Chemical Philosophyが邦訳出版(『近代錬金術の歴史』)されたことは非常に大きく、ルネサンスから17世紀末までのキミア=キミストリーに関して信頼できる基本書が日本語で読めると言うことになりました。ディーバスの本が終わるところから、ラヴォワジェまでの間が日本語では、すっぽり欠けていると言ってよいほど、大きく欠けています。(欧米でも、やはりこの間の研究は弱い。)
科学史の部屋に、ウェストフォールのニュートン伝に基づき、ニュートン錬金術の簡易年表をアップしました。おいおい、最近の研究成果を反映していきますが、これでもある程度役に立つのではと思われます。
ひとりで6時半。今日はちびの入園式。→予想通り、かなりの混乱でした。我が家は下のちびも連れていったため、遅刻しそうになりました。出かける直前、雨が降っていて、傘をさしたらちびも傘をさしたがって、手放してくれなかったせいです。
入園式では、男の子がひとり完全に暴れていました。うちのちびは妻が側にいないと心細いようで、幼稚園の先生の顔を全く見ていませんでした。かわりに、ちっこい方が先生のお歌にあわせて、真っ先に踊っていました。明日からどうなりますことやら。近所の本屋さんで次の本を買ってきました。
響堂新『クローン人間』新潮選書、2003
島薗進『<癒す知>の系譜:科学と宗教のはざま』吉川弘文館、2003
ひとりで5時前。やっと少し咳がおさまってきました。昨夜はその前の1割程度という感じにまで減少しました。そのかわりなのか何なのかわかりませんが、花粉症が少し復活しました。目の痒さと鼻水が再度出現。昼食後、ちょっとした事務処理のために大学に出かけました。明日は、入学式で、いかにも新入生という学生諸君が大勢いました。健康診断を行っていたようです。ここ何年間か暖冬の影響で、入学式のときにはすっかり桜が散っていましたが、ことしはまだかなり残っています。キャンパスの周辺の桜も、8割方まだ花が残っていました。
ひとりで5時半。咳は相変わらず。早朝に雨は止み、気温は平年並みに戻りましたが、風が強く、まだ寒さを感じます。Robert Boyle Home Pageに、バーンズによる「ロバート・ボイルのロンドン」という記事が掲載されています。("The London of Robert Boyle", by D. Thorburn Burns) ボイルは、オックスフォードからロンドンに移ってきたあとは、姉のキャサリン(ラニラ子爵夫人)と同じ家に住んでいますが、その建物のリフォームにロバート・フックがあたったとか、ボイルの技師として一時働いていたハンクヴィッツ(Ambrose Godfrey Hanckwitz)のリン製造工場「ゴールデン・フェニックス」のその後とか、ボイルは第2の実験室を恐らくコベント・ガーデンに持っていたとか、ボイルが行ったロンドンの鉱水分析であるとか、他のではあたることのできない細部が記されています。いわば、地方史の仕事です。私にはこういう点を調査するという発想がなかったので、新鮮なデータです。
ひとりで6時半。夜半から雨。本格的に降るぞという雨です。咳は軽くはなったものの一晩中続きました。少し体を動かすと咳が出る、そういう状態でした。本格的な雨降りでしたが、吉祥寺に簡単な買い物に出ました。ユザワヤ→三越1階ドイツパン屋さん→三浦屋(気に入った安くて舌に合う漬け物があります)→駅前の本屋さんと巡回して帰ってきました。最後の本屋さんで、最新号(5月号)の『現代』と『論座』を買ってきました。
ファン・ヘルモントの主著の目次(英訳との対照表)を作成して以来、気になっていたので、グーグルで検索をかけて調べてみました。
日本語では、ファン・ヘルモントで132件、ヘルモントで226件、検索にかかりました。日本語では、ファン抜きの表記は全体の4割強であることがわかりました。
世界全体では、Van Helmont で6,710件、Helmont で9,160件がかかりました。つまり、Van 抜きの表記が全体の4分の1強ありました。(なお、鳩の育種家にヘルマン・ファン・ヘルモントという人物が現存するようです。オランダにヘルモント・スポートというクラブチームがあるようです。またアヤックスの選手Rafael VAN DER VAARTの実況名がファン・ヘルモントというようですが、これはよくわかりません。またレースの作者にヤン・ファン・ヘルモントという名の人がいるようです。上のカウントでは、こうしたものは抜いていません。おおよその割合を見るには、必要ないだろうという判断をしました。)
私自身は、平井さんの指摘があるまでは、差をほとんど意識することなく使っていたので、用法は混在しています。長く書いていると短い方が楽なので、ヘルモントという表記を多く使っていたようです。
ちびどもといっしょに7時過ぎ。風邪は少しもよくなる気配を見せません。悪化している感じがします。今朝も頭が少し痛い。
ということで、朝一番でお医者さんに行ってきました。この種の咳は長引くことがあるという話でした。場合によっては1ヶ月かかるということですが、1ヶ月は困るので、できるだけ早く直せるようにしたいと思います。ビデオで、ノンタンがクッキーを作っているシーンを見た大きいちびは、自分も作りたいと言い出しました。なかなかうるさいので、妻がちびを連れてクッキーを作る粉と用品を買ってきました。作ってみると、出来映えがかなりよく、ちびも喜んでいるので大正解というところでしょうか。昨日は、クッキー、今日はレーズンパンを作りました。レーズンパンの方が美味しくできました。
[ワークショップ作業の残余]
アマゾンのUsed で発注していた次の本が届きました。
Joseph Stewart Fruton,
Molecules and life : historical essays on the interplay of chemistry and biology
New York : Wiley-Interscience, 1972
状態は非常に良好です。新古品といったところでしょうか。生化学史に関しては、これが一番の基本書です。本体25ドル、送料10ドル、合わせて35ドル程度です。まあ4千円弱といったところです。よい状態なので、私はこれで満足です。
ひとりで6時。咳はあいかわらず。時に非常に苦しい。ファン・ヘルモントの主著Ortus Medicinae & その英訳Oriatrikeの対照目次を作成しました。詳しくは、科学史の部屋をご覧下さい。
本日次の本がアマゾンから届きました。
W.E.Knowles Middleton,A History of the Thermometer and Its Uses in Meteorology,
Baltimore : Johns Hopkins Press,1966
気象学における用途(すなわち、気温計)が中心ですから、医学的用途のもの(体温計)についてはあまり情報はありません。
どうも風邪のようです。薬をきちんと飲んだにもかかわらず、昨夜も、咳がひどかった。咳でちびどもが起きなかったのだけが救いです。→やはり、これは風邪でした。
ちびが起きて遊べと騒いで、6時半。体調的にはつらいのですが、仕方ありません。朝、まえに注文していた次の本が届きました。
フィンレージの会『新・レポート不妊:不妊治療の実態と生殖技術についての意識調査』フィンレージの会、2000
[ワークショップ作業の残余]
大学から次の本を持って帰りました。
Lester S.King,
The Road to Medical Enlightenment, London,1970.
Van Helmont,
Ortus Medicinae, Amsterdam, 1643
ともにコピーをバインドしたものです。夜の8時半すぎに、ポポが台北から来ました。約1ヶ月滞在予定。
ひとりで5時。咳がひどい。花粉症だけではないかもしれません。
気がついたら、桜はもうほぼ満開です。[歯医者さん]
1月27日にとれた歯が、今朝また取れました。朝ご飯のトーストを食べていると口の中に違和感。出してみると、かけていました。前は、詰めた部分がはずれたのですが、今回は詰めた部分が歯の一部といっしょにかけていました。虫歯で神経を抜いた歯なので、いずれ寿命なのでしょう。歯がかけるとショックで、なかなか前向きの気持ちになれません。昨夜は咳がひどかったので、朝一番で、まず普通のお医者さんに行って、鼻詰まりの特効薬と咳止めをもらってきました。歯医者さんは2時半からで、15分ほどで処置をしてくれましたが、今度ダメだったら差し歯にしましょうと言われました。覚悟を決めても歯は嫌なものですが、長くは持たないと思っておくしかないようです。
歯がともあれ戻ってから、やっと今日の新聞を読みました。歯が欠けたままでは、新聞を読む気にもならなかったわけです。科学史の部屋の 誤謬誌に、次の文章を追加しました。みなさんはいかが考えられますか?
1)発酵の語義
たぶん、日本語に関するもっとも体系的で大きな辞書である小学館『日本国語大辞典』を取り上げましょう。この辞典は、「発酵」に関して2つの語義をあげています。
ひとつめは、現代の生化学による発酵現象の定義です。まとめると「酵母などの微生物が、有機物を分解して、有機酸類、アルコール、炭酸などを生成すること」(言葉は少し変えました。)これは、要するに、生化学の知見をどうまとめるかということですから、問題はありません。
二つ目の語義は、「(2)(比喩)頭の中などで、考えや想像が生じて、それがだんだん熟してくること。」(そのままの引用)です。
手元の辞書では『大辞林』(三省堂)も言葉はすこしだけ違いますが、全く同じこの2つの語義をあげています。
これが、私にはとても不思議です。とくに比喩の語義として、頭の中で思想や考えが熟することだけを取り上げるのは、何とも不思議です。日本語としての使用例は、西欧語と比べると多くはないかもしれません。しかし、発酵のもとの言葉、"fermentation"は、ラテン語時代から存在する言葉で、現代生化学が発酵現象を解明する(十分な解明は、20世紀半ばと言ってよいでしょう)以前に、広く普通に使われていた言葉です。ずっと長く使われてきた語義が、すぽんと抜けています。「西欧中世錬金術で広く使われた言葉で、ファン・ヘルモントがその化学哲学の基本概念としたあと、自然の生命的過程のかなりの割合を覆う言葉としてよく使われた」ということまでは期待しませんが、せめて、「何にせよ、何かが、熟成する、熟する、成熟する、質的変化を生じる、向上する、完成する過程には、比喩的にこの語を使うことができる。」さらに「(自然発生に類似して)何かが新たに創造される過程に対しても、比喩的にこの語を使うことができる。」という説明はほしかったと思います。
一番短くは、「何かが熟成する、質的向上を遂げる、また新しい何かが創造される過程を比喩する」ぐらいのことばは載せるべきだと考えます。
それほど頻繁ではなくても、こういう比喩の用法はすぐに思いつくのではないでしょうか。