ちいさいちびが目覚めて騒いだせいで、おおきいちびが目覚め、6時。ちいさいちびはその後、再び寝てしまいました。そして、8時半過ぎまで起きてきませんでした。こんなに遅くまで寝ていたことは最近では例にないことです。
午前中に、ピアノの調律。お正月に買ったピアノの第1回の調律です。ほんとうに大人しそうなおじさんがやってきて、約1時間半、作業をしていかれました。その後、ちびどもは外に遊びにでました。私は、去年の春慶應で発表した原稿の手直し作業を地道にやっています。慶應の編集担当者からは、注の形式等、技術的な点だけの要求だったのですが、せっかくですから、少し文章にも手を入れています。[東大駒場の授業]
2004年の春学期、私の出身した大学で、非常勤の授業を行います。「科学史特論」という名前の授業を、火曜日5限に、半年間受け持ちます。駒場で非常勤をやるのは、10年ぶりぐらいの感じです。この前(1996年)のときは、「文化の基礎としての宗教(一般的には、宗教と科学)」というテーマで行いました。やはり、来年後期に非常勤講師を同じ場所で引き受けられた加藤茂生氏たちが院生として出席してくれていました。
今回は、「科学革命再考」というテーマを掲げ、スティーヴン・シェイピン『科学革命とは何だったのか』(川田勝訳、白水社、1998)を教科書に、ルネサンスまでも視野に入れたゼミナールを行いたいと思っています。余裕があれば、キルヒャーなんかも取り上げてみたいのですが、あまり欲張っても何せ高々15回ですから、これは重要だ、という論文・論考を集めたいと思っています。古くても、新しくても、重要なものは重要なので、そういうものをうまく配置したいと考えています。もし、ご意見・ご要望があれば、お寄せ下さい。15回のバランスを考えて、受け入れられるものは、受け入れたいと思っています。また、出席者の所属を私は問いませんので、関心のある方の参加を歓迎します。その点は、まったくお気楽にどうぞ。
シラバスの提出締切は、2月20日。案をそれまでに、ここに掲げますから、これを入れろ、あれを入れろ、というコメントを期待しています。[繰り返すビデオ]
木曜日にうちに帰ってくると、ちびどもが、見て見て、と言ってコートを脱ぐ暇も与えず、ビデオの前に私を連れていきます。何事かと思ったら、去年の12月、ちびの幼稚園が開催したクリスマス会(内容的には学芸会)のビデオをかけていました。専門の業者が作成したものを、2800円で買ってきたものです。おおきいちびは、自分が出てくるので、面白いのはよくわかるのですが、ちいさいちびも、そのクリスマス会が面白かったようで、何度も見ようと言います。ちいさいちびも、わずかに出ています。お母さん方の出演の機会があり、下で大人しく待ってくれるかと思ったら、仲のよいお友達がお母さんに抱っこされて舞台の上にいるのを発見して、おかあさん、おかあさん、と大きな声を出すので、諦めて、舞台の上の妻に渡したのです。妻は仕方がないので舞台の上で抱っこしたまま、演目を行っています。その間、ほんのわずかですが、ちいさいちびも画面の片隅にうつっています。どうも、そういうのが、うれしいようです。
たぶん、当分の間は、何度も何度もかけることになるでしょう。歌と踊りは、まねをしています。踊りはさすがに別にして、私も、歌は覚えました。気が付いてみると、最近あらたにおぼえた歌は、ちびの歌ばかりです。
なお、このビデオは、ダビングして退院したばかりのおばあちゃんに送ることが決まっています。[これで100枚]
これで、今月は、400字詰め原稿用紙換算で100枚を超えました。やはり、一月に100枚というのは少し無理があるようです。あるいは、少し無理をしたので、来月は自然なペースに戻します。ただし、他ではめったに見ることのない情報もありますので、それは、整理して、 科学史の部屋に順次アップしていきます。
おおきいちびといっしょに6時半。ウイルスの猛威はいっこうにおとろえていないようです。今朝も、大学のアカウントには50通を超えるウイルスメールが来ていました。その中で、意味のあるメールは、たったの2通。昨日から、卒論や修論を読み始めました。まず、昨日のうちに、修論を1本読み通しました。修論ですから、コメントはなし。卒論は今年は8本あります。卒論に関しては、コメントをここに掲載するかも知れません。
提出された卒論の一覧は次の通りです。
中村友彦「環境倫理のゆくえ」
手塚雅美「エッフェル塔、その存在意義」
渥美智之「「狂気」について」
田代陽子「精神分析の理論における限界と歴史的制約性―フロイトとマルクスとフロム」
安藤淳一「遺伝・血統から見る進化―生物多様性と適応進化論」
代田直章「社会における価値と科学技術の相互的関係の研究」
平井智恵「現代における全体性の回復について」
磯崎大介「科学をめぐる現代思想的言説に対する分析、哲学的見地からの一つの回答―クワイン、デイヴィドソンの仕事を中心にして」
[巨人の肩の上に:驚きのバートン]
札幌に出張に行かれた新宿3丁目の日榮さんが、驚きのメールをくれました。ついふらっとよった古書店で、私が買いそびれて夢に見る『憂欝症の解剖』(明石譲寿訳、昭森社、昭和11年)を見つけ、たったの1800円で入手されたのだそうです。うーむ、バートンの仕掛けは、すごい。21世紀の日本でも、その仕掛けが生きて動いているのですから。[身体医文化論]
必要があって、石塚久郎 ・鈴木晃仁 (編)『身体医文化論―感覚と欲望』(慶応義塾大学出版会、2002)を取り出して読んでいます。読もう読もうと思って、ごくわずかしか読んでいなかったのですが、今回目を通してみて、ほんとうによくできた論集だということがわかりました。
目次は次の通りです。
石塚久郎 ・鈴木晃仁 「感覚と欲望―問題の鳥瞰」
小菅隼人「表われる内面―『ハムレット』に見る演劇の力」
那須敬「病としての異端―十七世紀内戦期イングランドにおける神学と医学」
鈴木晃仁「霊魂と身体の政治的メタファーの類型学―十七世紀の情念論を中心に」
石塚久郎「アプルガースの神経神学―霊的感覚と来世の身体」
横山千晶「見られる身体・診られる身体―解剖と女性の図像学」
中村哲子「乳癌を病むドゥラクール子爵夫人、そして女の欲望―マライア・エッジワースの『ベリンダ』(一八〇一年)をめぐって」
アルヴィ宮本なほ子「恐ろしき均衡―プロメテウスの創るロマン派的身体」
村山敏勝「メアリー・エリザベス・ブラッドン『医師の妻』―センセーションとプロフェッション」
上山隆大「感覚の治療と欲望の市場―マッサージセラピーと19世紀のセクシュアリティ」
武藤浩史「一九〇〇年英国の身体なき声と声の身体―西洋近代における聴覚的欲望の意味と系譜」
遠藤不比人「<欲動>の美学化とその不満―フロイト、ウルフ、無気味な身体としての<歴史>」
マーガレット小菅信子「<戦死体>の発見―人道主義と愛国主義を抱擁させた身体」
萩原真一「オルダス・ハックスリーと単為生殖のディス/ユートピア」
榑沼範久「フライト・シミュレーションのヴィジョン」
坪川達也「感覚と欲求」
著者の年齢を、奥付で確かめました。私よりも年長者が1人、同い年の方が2人、残りの方はみな私より若い方々でした。この論集の持つ、若々しさは、単純に執筆者の平均年齢が若い、ということにも由来するようです。
なお、日本のアマゾンを覗くと、このシリーズの第2弾が出版されていました。
『運動+(反)運動―身体医文化論2』(慶応義塾大学出版会、2003年11月、3200円)
論集の第1弾が4800円で、第2弾が3200円。第1弾は477頁で、第2弾が355頁。どうも、ページ数にほぼ比例して、値段を安くした模様です。[母の退院]
予定より1日遅れましたが、田舎の病院で入院していた母(ちびどものおばあちゃん)は、本日無事退院して、うちに戻りました。母には、激動の2004年のお正月でした。
おおきいちびといっしょに6時半。昨日の夜から少し寒さが緩んだ感じです。[巨人の肩の上に]
気になるので、昨日の会議のあいまに、バートンを調べていました。版はわかりました。
初版:1621 (4to)
2版:1624
3版:1628
4版:1632
5版:1638
6版:1651-2
7版:1660
8版:1676
第6版(1651-2)の「読者へ」の最後には次の文章があるそうです。「この本の印刷のあと、才能のあふれる著者は、亡くなりました。あとに、自筆による相当量の加筆のある訂正版が残されていました。」そして著者の信託を受けた私が指示通りに、挿入を行ったとあります。ということで、この版まではバートン自身のものと見てよいでしょう。
それまでも、バートンは、版を新しくする都度、同じようなことを繰り返しています。つまり、どんどん、赤を入れ、どんどん、挿入していくという方式です。そういうやり方の本は、版を重ねるたびに、雪だるま式とまでは言えないにせよ、どんどんふくらんでいきます。バートンの本が、そもそも、引用の織物、ですが、版を重ねるごとに一種怪物的なものになっていったことが伺われます。
初版のページのサンプルが画像で上がっていました。当たり前のことですが、19世紀の版のような脚注方式ではなく、欄外注でした。また、ウェブに、John Bartlett(1820-1905)のFamiliar quotations: a collection of passages, phrases, and proverbs traced to their sources in ancient and modern literature,10th edition, rev. and enl. by Nathan Haskell Dole, Boston,1919 をもとに作った使いやすいページがありました。
George Herbert(1593-1633)は、Jacula Prudentumにおいて、"A dwarf on a giant's shoulders sees farther of the two"というフレイズを使っているとありました。また、Samuel Taylor Coleridge(1772-1834)が"A dwarf sees farther than the giant when he has the giant's shoulder to mount on" という形を使っているのだそうです。もし時間があれば、調査に行けるかも知れないと思い、どこの図書館においてあるのか、NACSIS Webcatで調べました。東京芸大に、第8版(1676)が入っていました。うーん、芸大か。
なお、前に古本屋さんで見たのは、ずっと古い本だった記憶があるので、『戀愛解剖學』(齋藤美洲訳、桃源社, 1964)は、新しい過ぎるという気がしていたのですが、これもウェブキャットで解決しました。私が見たのは、『憂欝症の解剖』(明石譲寿訳、昭森社, 1936)の方でした。これは、第1巻 : 病状篇、の訳です。1936年といえば、昭和11年。そう、そのぐらいの古さの本でした。ウェブキャットに所蔵が記されているのは、たったのひとつ、東成大、だけです。この稀覯本は、稀書自慢のためだけにも、やはり買っておくべきだったでしょう。
さらに、『戀愛解剖學』(齋藤美洲訳、桃源社, 1964)の方も、所蔵図書館が大変すくない。全部で14の大学図書館が所蔵していますが、旧帝大系の大学には1冊もなし。どうしてでしょう、不思議です。
かように、いろんな種をしかけて、飽きさせてくれないバートン先生でした。→もし、もし、もし、20年ぐらい前に池の上のアゴラという古本屋さんで、『憂欝症の解剖』を買われた方がいらっしゃれば、連絡を頂けないでしょうか? これも、単純にどういう方が買われたのか知りたいというだけのことですが、ウェブならもしかして繋がるかも知れないと思い、記しておきます。
[デジタル・ボイル]
昨日、バートンを調べている最中に、ふと InteLex PAST MASTERS のページを見たら、新しいボイル著作集のE-TextのCD-ROMが発売になっていました。1950$。日本円に換算して、約20万円強。科研費がとれたら、購入しようと思います。11月17日に本年度の研究費で会計に発注していたプリンターとハブが着いていました。以前は、事務の方が研究室まで運んでくれましたが、どうも今年から自分で取りにいく方式に変わったようです。事務棟は別の建物にあります。授業のあいまにとりにいったとき、ちょうど、事務棟のエレベーターの定期点検を行っていました。プリンターは台車に載せ、エレベーターで運ばないととても動かせる重さではありませんでした。まず、ハブだけ持って帰り、西ヶ原時代に落雷でかなりのポートが死んでしまっていた古いハブと置き換えました。新しいものは、ギガビットスイッチングハブなので、こころなしかネットが速くなった気がしましたが、速度の測定はしてません。ひとつ授業を行った後、再度プリンターを取りに行きましたが、台車に載せていてもかなり重く、これは本来は2人で作業すべきものだと痛感。しかし、ひとりで何とかなるときは何とかするのが習癖なので、段差のあるドアのところで、苦労しつつ、何とか研究室まで運びました。
本日は、そのプリンターを箱から出すところで作業を終え、来週セットアップをすることにしました。ついでに使うマシーンを大きなデスクトップから、iBookに変更しようと思っています。それで、私の研究室もブラウン管とおさらばするつもりです。木曜日の授業は、本日で終了。あとは、来週に試験があるものと、再来週に試験があるものとに分かれます。
帰ってきて、大学のアドレスを開くと、50通ものウイルスメール。ここ数日のウイルスは、これまで私が体験したものの中ではもっとも増殖力に富むようです。タイトルだけでウイルスとわかるメールがどんどんどんどんやってきます。夜、偶然電話で話した慶應大学の方も、ウイルスがすごい、とおっしゃっていました。先週のシンポジウムのゲスト・スピーカー、小谷真理さんが、新著を大学に送ってくれていました。
小谷真理『エイリアン・ベッドフェーロウズ』松柏社、2004
小谷さん、いつもありがとうございます。
なお、小谷さんは私と同じ1958年生まれです。奥付に出ているので、ここに出しても叱られることはないでしょう。テレビ番組や音楽に関しては、同時代の刻印から逃れることはできません。実は、今月のこのページの目標は、数値目標です。100枚を突破することです。馬鹿みたいなのは、承知していますが、一度100枚を超えてみようと思いました。
ちいさいちびが起きて、歌を歌い出したせいで、そろって6時半。私は昨夜目の奥が痛くなって、休んだので、いつもより遅れました。最近、またウイルスが蔓延しているようです。今朝大学のアカウントに来ているメールを受信したら、40通ものメールが押し寄せました。タイトルを見てみると、そのうちの9割はウイルスです。いっときのように、ものすごく凝った(紛らわし)タイトルではなく、明らかにウイルスとわかるものが大半でした。→朝から今までの2時間ぐらいの間に、さらに、ウイルスメールが9通、大学のアドレスに来ていました。大学のメンバーの誰かがウイルスに感染しているのではと思われます。→会議を終え、家に帰ってくると大学のアドレス宛には、やはり40通ものウイルス・メールが届いていました。
[地層の解体]
今年度の授業も終わりにさしかかっています。木曜日の授業は明日で、月曜日の授業は来週で終わりとします。あとは、試験。
机を見ると、年末からやっている作業の結果が、地層になっています。さすがに何とかしておかないと採点に影響すると思い、昨夜から片づけを開始しました。3センチ幅のリング・ファイル2つに収録しましたが、見たところ、まだ10センチぐらいのコピーとプリントアウトが残っています。5センチ幅の穴開け式リングファイルを持ち出さなければなりません。[バートン続き]
昨日紹介した、BIUM の1826年版『憂鬱の解剖』を実際に読まれた新宿3丁目の日榮さんが再度情報をくれました。バートレットがでっちあげた(あるいは、善意で勝手に改良した)と、シャルトルのベルナールへの遙かなる旅で述べられている、"A dwarf standing on the shoulders of a giant may see farther than a giant himself."という英語が、この1826年の版に既にある、という指摘です。
手元に資料があるわけではないので、ウェブにある資料だけで判断すると、バートンがある版でもとの英訳を、この英訳に変えた、と見るのが素直な見方だと思います。そうでなければ、誰か編集者がバートンの本文に勝手に手を加えたということになるからです。英訳が少し弱いと思ったとして、勝手にそこまで手を加える編集者というのは、あまり考えられないと思います。
マートンの調査が足りなかった可能性があるのでは、と思っています。→日榮さんの3度目のコメントがウェブにあがっています。マートンの「故意なる陰謀」と考えられています。実はもう20数年前に、卒業論文で「マートンテーゼの解剖」というものを書いたのでマートンは少しは知っています。マートンの本を読めばすべて解決する話ですが、「故意」ならば、バートン流の冗談あるいはユーモアかもしれません。個人的には、17世紀に出された版を探し出して、見てみたい。ただの好奇心です。会議の日。2時半開始。5時25分終了。6時半開始。9時前終了。会議の間に少し本を読もうと思ったのですが、全部しっかりと会議を聞いていました。内容は、朝日の記事に関する事柄と定年延長。記事からはわからない、いろんな情報や話が出ました。
昨日と同じく、5時45分。私が目覚めて靴下をはこうとしていると、おおきいちびもすぐに目覚めました。[巨人の肩の上に]
昨日記した、ロバート・バートンの邦訳ですが、新宿3丁目の日榮さんが情報をくれました。神田で1万3千円で売られているのだそうです。うーん、1万3千円!
なお、新宿3丁目は、邦訳の第3巻『恋愛解剖学』から話をはじめ、「巨人の肩」をめぐる大旅行に辿り着かれています。昔、翻訳フォーラムWEB掲示板四号のスレッドにでた「巨人の肩」は読んでいたのですが、今回まとまったものを見ると、非常に良質の面白いエッセイに仕上がっています。
上のエッセイを読まれると全部わかりますが、この話を全くご存じないかたのためにごく短く要点だけをここに整理しておきましょう。
科学史の世界では、ニュートンが語った有名なことばとして、次のものがあります。
「もし私がより遠くを見ることができたのだとすれば、それは巨人の肩の上にのって見たからである。」
(If I heve seen further it is by standing on ye shoulders of Giants.)
さて、この格言の起源ですが、西欧中世のことに慣れている方には、シャルトルのベルナールに由来することは、ほぼ常識的なことであった。
しかし、ニュートンのことばのもとは、おそらく、ニュートンの直前に書物を著した人物にあろう。それこそ、デモクリトス・ジュニアの筆名で『憂鬱の解剖』(1621)を著したロバート・バートン(1577-1640) に他ならない。バートンは、ニュートンの生まれる直前に亡くなっている。
バートンのことばは、『憂鬱の解剖』の第2版(1624)に出現するもので、「巨人の肩の上にのる小人は、巨人より遠くを見る」(Pigmies placed on the shoulders of giants see more than the giants themselves.) というものです。バートンは、「読者に宛てて」で、ラテン語(Pigmei Gigantum humeris imposite plusquam ipsi Gigantes vident. )を挙げた上で、上の英訳を付し、さらに、注でその出典をDidacus Stella (in Luc.10, tom.2)と記している。
「巨人の肩」をめぐるエッセイは、マートンの著作『巨人の肩の上に』によって、この格言の典拠をめぐる謎解きの旅を行なわれています。
そのポイントは、人口に膾炙したこの格言の英語表現、"A dwarf standing on the shoulders of a giant may see farther than a giant himself. " が、バートン自身のものではなく、ジョン・バートレット(1820〜1905)が、その引用出典集『よく知られた引用集』で(バートンの英訳が格言としては弱いと考えて、バートンの英語に勝手に手を加えて)作り上げたものだ、ということです。
なお、原文のThe Anatomy of Melancholyは、BIUM(パリ第5大学を中心とするフランス語の医学史のサイト)にあります。
vol. 1
vol. 2
→もう少し調べてみました。神田のキタザワで、1804年版を4万5千円で売っていました。
おおきいちびが、おとうさん、おなかすいた、と起きて、5時45分。私はもう少し寝ていたかったのですが、。。。[作業の継続: パラケルススii]
パラケルススですが、本棚を捜すと次の邦語文献がありました。
大橋博司『パラケルススの生涯と思想』思索社、1988
種村季弘『パラケルススの世界』青土社、1979
A.コイレ『パラケルススとその周辺』鶴岡賀雄訳、風の薔薇、1987
C.G.ユング『パラケルスス論』榎木真吉訳、みすず書房、1992
小川政修『パラツェルズス傳』築地書房、1941
K.ゴルトアンマー『パラケルスス:自然と啓示』柴田健策・榎本真吉訳、みすず書房、 1986
チャールズ・ウェブスター『パラケルススからニュートンへ』平凡社、1999
J.ヤコビ編、『パラケルスス 自然の光』大橋博司訳、人文書院、 1984
パラケルスス『奇蹟の医書 volumen paramirum』大槻真一郎訳、工作舎、1980
なかをくってみると、かなり読んでいます。そういえば、ルーズ・リーフのノートにせっせと鉛筆書きでノートをとっていた時代に、ファイル・ノート1冊分のノートをとったことも思い出しました。
まるで破綻と矛盾こそが人間である、そういうふうに表現したくなる人間性。墨汁が非常に多彩なニュアンスを含むように、闇と影の幾多の相から光へとまっすぐにつながる思想。ほんとうに魅力いっぱいのパラケルススです。
上記の本のなかでは、昭和19年刊の『パラツェルズス傳』は、ちょっと誇れる書物だと思えます。昔よく通っていたアゴラという古本屋さんで買ったものです。この古本屋さんに関しては、1点だけ、あああのとき買っておけばよかったと今でも思い出す本があります。それは、ロバート・バートンの『憂鬱の解剖』の邦訳です。大きな図書館にもあまりはいっていない貴書です。これだけは、あのとき買っておけばよかったと後悔しています。3コマの授業を終えて、家に帰り着くと、ちびどもはもう寝ていました。ちびの咳がひどくなったということです。ちいさいちびは、咳き込むと戻すので、当分大変な日々が続きそうです。
[母の入院]
先週木曜日に田舎の病院で手術した母の経過は、順調のようです。妹から、28日抜糸、29日退院というファックスがありました。一安心です。
ひとりで5時45分。[ナージャ最終回]
日曜日、朝の8時半からやっている「ナージャ」の今日が最終回。ちびどもは、最初のころと最後の数回だけ見ていました。原作があるアニメですが、ちびどもには「本格少女マンガ」は難しかったようです。歌と踊りだけは、気に入っていて、ナージャが傘をもって踊っていると、靴箱から自分の傘を持ち出して、勝手に踊っていました。小学4〜5年生の女の子が、いっしょうけんめい見る番組のような気がしました。私も、歌だけはしっかりと耳の奥に焼き付いています。「なーじゃ、きみのひとみには、・・・」おぼえてしまっています。[作業の継続: パラケルススi]
今日から、パラケルスス。パラケルススは、面白いのですが、やっかいです。それで、ずっと本格的に取り組むのを避けていたのですが、まあ仕方がないので、今回の作業に必要なことは行うことにしました。
平井さんのサイト に優れた研究案内があり、ドイツ語圏のいくつかの大学の共同作業たるパラケルススプロジェクトも紹介されていますから、基本的なことは、そこから得られます。
ウェブでどの程度のテキストが得られるかをここでは整理しておきましょう。
パラケルスス・プロジェクトのものを除けば、サットンさんは、8点を挙げています。ガリカから数点と、Biblioteca Universidad Complutenseから7点。しかし、BUCの7点のうちの、6点は同一の巻にとじられています。前にも紹介しましたが、
Archidoxorum Aureoli Ph. Theophrasti Paracelsi De secretis naturae mysteriis libri decem, Basel,1570
には、5つの論考が補遺として付加されています。
De Tinctura Physicorum Metaphysica,pp.253-270
De Praeparationibus libelli duo, pp.271-398
De Vexationibus Alchimistrarum, pp.399-432
De Cementis metallorum,&, pp.433-446
De Gradionibus eorundem, pp.448-460
そして、最後に3頁にわたる Errata と16頁にわたる索引が付いています。
本論の方の目次は次の通りです。
Libro 1. De Mysteriis microcosmi. pag.1
II. De Renovatione & restauratione per primum ens. 42
III. De Separationibus elementarum ex..56
IV. De quintarum essentiarum extractionibus ex... 90
V. De Arcanis, ut, 116
VI. De magisteriorum extractionibus... 130
VII. De specificis, ut... 153
VIII. De Elixiribus, 188
IX. De remediis extrinsecis, 202
X. De vita longa. 238
この構成と目次を、Archidoxorum De secretis naturae mysteriis libri decemというタイトルから想像することは難しいでしょう。
http://www.digibib.tu-bs.de/ は、1922 - 1929に出版された Saemtliche Werke の画像を挙げています。
PDFで得られるファイルのリストは次の通りです。
De restituta utriusque medicin vera praxi,Lyon,1578
Utriusque universae compendium,Paris,1567
[La ]grand chirurgie,trad. de la version latine de Josquin d'Alhem, par Claude Dariot.Lyon,1589
[pseudo-]Paracelso. Aurora thesaurusque philosophorum, Theophrasti Paracelsi, Germani philosophi, & medici praecunctis omnibus accuratissimi, accessit Monarchia physica per Gerardum Dorneum, in defensionem Paracelsicorum principiorum, suo praeceptore positorum.,Basel,1577
つまり、一定程度はウェブでパラケルススの著作をゲットすることができるわけです。
他にJPGで得られるパラケルススには次の作品があります。
Labyrinthus medicorum errantium,Nuremberg,1553
おおきいちびが、お腹がすいたといって、6時。[共同研究の作業]
平井さんといっしょにやっている共同研究ですが、平井さんは、『デカス』の打ち込みをほぼ終了されました。
私の方は、この1週間ほど、『デカス』が引用する著作の引用箇所を特定する作業を行っていました。
『デカス』は、ユリウス・カエサル・スカリゲル(1484−1558)の3点の著作を使っています。
『偽アリストテレス植物論注解』
『テオフラストス植物原因論注解』
『カルダーノのDe subtilitateに対するExercitationes』
最初の著作ですが、1556年パリで出版されたものでは、表紙に、
In libros duos, qui inscribuntur de plantis,
Aristotele autore, Libri duo.
とあり、中の扉には、
In libros de plantis, falso Aristoteli attributos
とあります。ガリカは、後者のタイトルを採用しています。
よく調べてみると、『デカス』が使う『偽アリストテレス植物論注解』は、ガリカがあげるパリの版とは違う版のようです。こういうときは、苦労します。その違う版を探せる環境は、日本にはありません。諦めて、『デカス』が使っていたものとは違う版で捜すのがいちばんはやいでしょう。ガリカのものをプリントアウトし、たぶん、半分くらい目を通しました。
→日本では調べられない、と書きましたが、気になったのでウェブで検索をしてみました。息子のJosephus Justus Scaliger (1540-1609)が、父の名前をとって、「ユリウス日」(古代のユリウス・カエサルによる、「ユリウス暦」とは別物)を提案し、それがひろく採用されたため、このことに関する記事がけっこうありました。これは、よくわかる話です。しかし、ちょっと驚いたのが、東海大学に「Scaliger Collection」というものがあるということでした。このコレクションも、息子の方のスカリゲルですが、スカリゲル本人の著作とスカリゲルに関する研究書が合計で約200点あるとのこと。だとすると、このコレクションのなかに、もしかしたら、関連する書物が発見できるかもしれません。なお、このコレクションに関しては、本が出されていて(ライデン、1993)、あのグラフトンがヨセフス・スカリゲル文献補遺というものをよせています。
なお、あのノストラダムスが、父の方にいっとき師事していたという情報もありました。
論敵カルダーノについては、平井さんのサイトにカルダーノ研究の基礎というとても有用なページがあります。人間としてカルダーノは面白いと思いますが、日本語の世界でももうすこしスカリゲルに関する研究があってもよいと思います。
ひとりで5時40分。ちびどもは昨日、夕食を食べずに4時に就寝したので、おねえちゃんは3時に一度目覚め、おとうさん、おなかすいた、と言っていましたが、再度寝ました。→さすがに、6時に起きてきました。熱を出したちいさいちびはよく寝ています。昨日のシンポジウムのときに、講師の高橋世織さんから、次の本を頂きました。
高橋世織
『感覚のモダン:朔太郎・潤一郎・賢治・乱歩』せりか書房、2003
ご自身のとられた海の写真を表紙に使った、きれいな本です。ありがとうございました。目次は、次の通りです。
プロローグ:水際の身体
1.「夜汽車」からの眺め―朔太郎の身体空間
2.<視>の錬金術―『猫町』序説
3.「廻転」のイコノグラフィー―『氷島』試論
4.萩原朔太郎の立体写真
5.めまいとエロティシズム―谷崎と朔太郎
6.<耳>の物語―『細雪』
7.賢治と黒板―≪「消す」行為≫のアルケオロジー
8.ビオメハニカと賢治演劇
10.乱歩文学における≪触覚=映像≫の世界
11.「謎」の系譜―ミステリー・ゾーンとしての団子坂
エピローグ:『人間椅子』のモダン文学史
ちいさいちびが暴れて、おおきいちびが起きて、6時過ぎ。ちいさいちびは、お母さんが風邪ということがわからないようです。風邪だから、というと、怒っています。
ともあれ、それでも朝が来ました。→珍しく夜遅く(10時前)に帰ってくると、妻の書き置きに、ちいさいちびが38.6度の熱を出したとありました。昨夜暴れていたのは風邪のせいもあることがわかりました。田舎の母は、昨日、入院。今日朝一番で手術。胆石ですから、どのくらいかかるかは、手術してみないと確かにはわからないということでした。→手術は成功したと言うことでした。4〜5個の黒い胆石を除去したのだそうです。
とりあえず、本日は、無事終了。いろんな事務処理を行いました。動きまわったせいで、5限の教壇にたったときは、カーディガンも脱いで、シャツ一枚でした。
さて、その5限ですが、「越境のアポリア」と称するシンポジウムの司会。
小谷真理さん+高橋世織さん+野谷文昭さんにお話しいただきました。
小谷真理さん、高橋世織さん、野谷文昭さん、いつもありがとうございます。
シンポが6時45分まであって、その後は、打ち上げの食事会。多磨駅まえのイタリア料理店にて。6人中、お酒が飲んでよいのが2人という異例の食事会でしたが、たくさんの面白い話が聞けました。さて、来週は、タルコフスキー。
具体的には、1月29日(木曜日)午後4時半から、外大101教室にて、
シンポジウム「《ソラリス》再考―レムとタルコフスキーの宇宙へ」
講師:沼野充義氏+西谷修氏+(総合司会 亀山郁夫氏)
を開催します。
来聴自由なので、ご関心のある方は、是非足をお運び下さい。
おおきいちびが目覚めて、6時過ぎ。ちいさいちびは、今朝は、とてもよく寝ていて、8時過ぎにやっと起きました。ということで、朝2時間は、おおきいちびのお相手。半分は自分で遊んでくれたので、残り半分、絵本を読んであげたり、お絵かきをいっしょにしたり。朝方、JCOMのネットワークの調子がおかしくなっていました。ftp での上りが90%転送後ぐらいにほとんど動かなくなります。ごくまれに、このページにアクセスしたときに、JCOMの不思議な表示が出るのはそのせいです。たいていはすぐに戻るのですが、戻らない場合は、一定時間、あるページが消えていることになります。
午後は、教授会。4時開始です。明日もいろいろあるので、早く終わってくれるとよいのですが、。。。→大学院研究科長の選挙。現職の方が引き続きという結果になりました。先週の学部教授会でも、現職の方が引き続きという結果でした。かわいそう、という声が聞こえました。
教授会は早く終わりました。しかし、帰ってきてみると、妻がしっかり風邪。そういうときに限って小さいちびが暴れることが多いので、嵐の夜かもしれません。
おおきいちびが咳で目覚めて、6時20分。ちびはかなり苦しいようです。どうも今日は幼稚園を休ませることになるようです。→妻もかるいかぜ。今日は、我が家の休息日となりました。
妻が寝ているのに、ちびどもが邪魔をするので、ちびどもを連れて買い物に。近所の肉屋さんと八百屋さんに。そこで、近所に住む A先生とお会いしました。A先生は犬連れでお見えでした。約束だったので、すぐに、その近くのコンビニに向かい、好きなお菓子を買わせてやりました。チョコレートらしきものをちびどもは取っていました。→チョコレートではなく、コーラ味のちびガムでした。さすがに試してみる気になりません。
私も、少し体調不良。風邪の2歩手前といった感じです。こういうときは思考力を使う作業はつらいので、単純作業を行います。かなり時間がかかりましたが、BIUMのリストを作成しました。パリのいくつかの大学が協力して行っているサイトなので、当たり前なのですが、フランス語のものが非常に強い。目立つところでは、ベルナールが10点、ビシャが16点といったところでしょうか。ガレノス、ヒッポクラテスもきちんとあります。
ちびどもによって、6時半。天気予報通り、雨が降っています。きのうほんまやさんのサイトを見ていたら、BIUM(医学の間大学図書館)を、ガリカの次に挙げられていました。これまで、私の視野に入っていなかったサイトなので、早速いろいろ調べてみました。私はいつもリストがないかどうかを先に捜します。検索よりもリストです。当たり前ですが、文献リストの方が、検索よりも情報が豊かです。
BIUMのリスト
このリストは、2143点を挙げています。医学の原典で、この数は、何かいいものがあると思わせてくれます。昨夜は、速度が落ちたので、2143点のリストつくりはしませんでしたが、速度が回復した時点で、リストを作成します。大学の試験日程が発表になっていました。
総合科目III「科学技術と社会」 2月16日(月曜日) 115教室にて
専修専門科目「科学思想史」 2月12日(木曜日) 227教室
ほぼ予想通りの日程です。
3コマの授業は無事終わったのですが、何か忘れているような気がしてなりませんでした。卒論を受け取るのを忘れていました。卒論を提出した学生諸君、水曜日には、受け取りますからご安心のほどを。
今朝もおおきいちびに6時に起こされました。雪が積もっているかなと思いましたが、気温が上がったのでしょう、屋根の上にはうっすら残っているものの、路上にはまったくなし。最近行っているリサーチですが、ラテン語と格闘していて、今日、小さな発見をひとつなしとげました。ルネサンスの人文主義者のテキストの形姿がすこしづつ分かってきました。すべて読んだわけではもちろんありませんが、たぶん、この時代のテキストを何万頁の単位で見ました。実際に見ることは重要で、写真がウェブに上がっていることのメリットです。
昨日の昼間から始めたシラバス作成作業ですが、今日の夕食後にともあれ完成しました。→提出締切が金曜日ですから、水曜か木曜に提出する予定です。場合によってはいますこし修正を加えます。
[母の入院]
私の母、ちびどものおばあちゃん、は、来週半ばに田舎の病院に入院して手術をすることが決まりました。胆石除去ですから、胆管に石がつまっている場合を除き、それほど大げさな手術にはなりません。(胆管に石がつまっている場合だけ、1ヶ月の入院になるのだそうです。)お医者さんは、肝臓の機能が戻るのを待っていたということでした。夕食後ちびどもが電話をしたついでに話したら、昨年末にこちらで入院して以来の元気な声に戻っていました。病気というほどでもありませんが、私も、肝機能が低下したことがあり、そのときはほんとうに元気が出ませんでした。一番つらいときは、お手洗いにいくのも億劫でした。
夜半に目覚め、少し仕事をすることにしました。お腹が空いてきたせいもあります。→5時に再度就寝して、7時におおきなちびに起こされました。
Biblioteca Universidad Complutense( http://alfama.sim.ucm.es/dioscorides/)に上がっている作品のリストですが、諦めて自分で作成することにしました。ちょっとした裏技で、3時間ほどかけて手作りしました。まだきちんと整理をしていませんが、著者数にして、約3千。中心を占めるのは、ルネサンスのテキスト。テキスト数にして、おそらく5千近くにのぼると思われます。ガリカには数で劣るとは言え、たいした仕事です。
一つだけ、脱線話。著者欄にSocietatis Regiae (Londres)(王立協会)とあるので、もしかして王立協会の議事録等かなと思って、見てみたら、ニュートンの『プリンキピア』でした。これなんかは、愛嬌でしょう。目立つところでは、グラウバーの12点とか、ゲスネルの15点とか。これは、初期近代の研究者にはほんとうに助かります。
ということで、100のキミア・プロジェクトは、一応100を超えましたが、デカルト伝とか、ベイコン全集の第1巻とか、キミアとは関係のないものも含まれます。次の課題として、内容的にキミアに重なるものだけで、100を目指したいと思います。さて、Biblioteca Universidad Complutenseからダウンロードしたファイルですが、読みやすさにかなり大きな開きがあります。いろいろ見ていて、その傾向がわかりました。小さな本(8つ折り以上)の場合は、JPEG画像はかなり読みやすく、大型本、とくに二つ折り本の場合には、読みのが苦しくなる、という単純な傾向があるようです。たとえば、ローマで植物学と薬学を教え、Sixtus 5世の侍医をつとめた、Andrea Bacci(c.1550-1600)ですが、このサイトには4点が上がっています。De Venenis は小さい本なので全く問題なく読めます。しかし、De Thermis は大きい本で、読める文字もあるが、全部の読みとりは不可能に近い、そういう画像品質になっています。
寒い、寒いと思っていたら、今日の最高気温は4度と妻が言っていました。お昼過ぎからちらちらと小雪が舞い始めました。これは、夜にかけて、雪が積もるかもしれません。
おおきいちびは、5時半。私は6時過ぎ。おおきいちびは下に降りてすぐに、昨日の夕食のカレーを一人前食べました。よく食べる子です。昨日よりも気温が下がると言うことで、部屋の中にいても、寒い日でした。ちいさいちびがいつもより1時間ほど早く目覚めたせいでしょう、昼食後、暴れて昼寝。冬にはいってから、ほとんど昼寝をしなくなっていましたが、久しぶりに昼寝をしました。最近は目が覚めたとき近くにおかあさんがいないと暴れるので、おねえちゃんの幼稚園の出迎えには私が行きました。いつもは1時間近く幼稚園の庭で遊んでから帰ってくるのですが、寒かったのと、いつもとちがったせいでしょう、15分もしないうちに自分から帰ると言って帰ってきました。帰ってくると、おやつに買っていたちびクロワッサン5つのうち、3つをぱくぱくと食べてしまいました。何だ、お腹が空いていたんだ、ということが判明しました。
おおきいちびが起きて、5時半。おおきいちびは、昨日、夕ご飯を食べずに寝てしまったようです。起きてすぐの言葉は、おとうさん、おなかすいた。はいはい、わかりました。→昨日とほぼ同じくらいの寒さ。3限、4限、5限と授業。なお、今日は大学の卒論の最終提出日。はんこが欲しいという学生が何人かやってくると思います。→5限の授業のために、CDを6枚持っていきましたが、久しぶりに使う部屋だったので、音を出すことができず、AVセンターのお兄さんに援助を頼みました。ということで、かけることができたのは、2枚(2曲)だけでした。
私が最近非常に世話になっている、カリフォルニア大学古典学教授Dana F. Sutton 氏のサイトですが、2週間前とくらべて、80点増えていました。非常に熱心に仕事をしてくれていて、たいへん頼もしい。Azogueもけっこう役にたちましたが、上がっている数が165点。比べて、サットン氏の挙げている8485点という数は圧倒的です。
なお、非常に役にたった、Biblioteca Universidad Complutense( http://alfama.sim.ucm.es/dioscorides/)ですが、さすがにスペイン語の単語を引いてみました。個人的には、このサイトにアップされている作品全部のリストが欲しいのですが、まだ見つけることができていません。もう少しさがしてみますがが、もし、その場所url が分かる方がいらっしゃればお教えいただければ幸いです。
おおきいちびが起きて、5時半。ここしばらくのあいだ、最高気温が7度〜8度という寒い日が続くようです。風が止んだのはありがたいのですが、寒いのは、寒い。
明日から、授業再開。いつもそうですが、まず、授業のための資料探しからはじめます。これにおよそ1時間程度かかります。教授会の日。3時開始、教授会の次の会議を含めて、終了は8時5分前。教授会の最中、『総合文化研究ブックレット』の第1号を全部読み通しました。自分のものと、隣に座っていた亀山氏の2点の論文です。亀山氏の思考と著述のスタイルがすこし見えてきました。
センター試験の監督は、今年は免れていたことが確定しました。その土日の間に、たとえば、シラバスの作成等をすませてしまおうと思います。
本日の一番の感想。寒い!
ひとりで6時。おおきいちびが6時半に起きてきて、机に向かえたのは30分。雨が本格的に降り始めました。→ありがたいことにちびが幼稚園に向かう頃には止んでいました。ちびどもと一緒に家を出て、まずは、駒場の図書館にコピーを取りに出ました。駒場に着くと、時計塔の後ろにかなり背の高い巨大な建物が建っています。まだ工事中の様子でしたが、東大駒場にはほんとうに多くの新しい建物が建っています。驚くばかりです。
コピーを取ったのは、Thorndike から、16世紀の「宝石伝説」の章、「チェザルピーノ」の章、17世紀の「ドレベルとディグビー」「キルヒャーとベッヒャー」の章です。(平井さんに教えてもらったものです。)最初の2つは、駒場から多磨に向かう電車のなかで読みました。他に、パーティントンから第2巻第2章「技術的論考」の章。
駒場生協で、『シュタイナーコレクション4 神々との出会い』(高橋巌訳、筑摩書房、2003)と、鉛筆2本、ボールペン2本、ポストイット一組を買って、約1時間強の滞在で駒場をあとにしました。
午後からは、大学に特徴的な業務。2時開始で、4時15分終了。
そのとき、同僚の先生方と話した感じでは、土日のセンター試験の監督業務は今年はあたらずにすんだようです。毎年やんないといけないものだとばかり思っていたので、早々とカレンダーには書き込んだのですが、空いたようです。この時期に、2日間あくのはたいへんありがたい。(明日、ほんとうにあたっていないかどうか、確認します。)
研究室を出ようとした瞬間、埃をかぶった、リュシアン・フェーブル&アンリ=ジャン・マルタン『書物の出現』(関根素子・長谷川輝夫・宮下志朗・月村辰雄訳、筑摩書房、1985)が目にとまりました。調べたいことがあったので、埃をはらって、上下2冊を持ち帰りました。今こうしている直前に偶然開けた箇所に必要な情報がありました。知りたかったのは、いつから、いまのように1ページ1ページ、ページ数が付けられるようになったのか、ということです。上、p.190 によれば、ページ付けがはじめて採用されのはおそらく1499年(ニッコロ・ペロッティ『豊饒の角―ラテン語解義』)で、それが一般的になっていくのは1522年以降だとあります。私が知りたかったのは、ほとんどの書物にページ付けが施されるようになったのは、いつころからか、ということですが、そこまで明確な年代は記されていませんでしたが、まあ、端緒はわかったわけです。
ひとりで6時。→8日から吹き続けていた寒風ですが、やっと今日止みました。やれやれ。
ちびどもを連れて、吉祥寺に出たついでに、次の本を買いました。
吉川惣司・矢島道子『メアリー・アニングの冒険』朝日新聞社、2003
ペトロスキー、ヘンリー『ゼムグリップから技術の世界が見える』忠平美幸訳、朝日新聞社、2003
ゲーテ『ゲーテ全集 14 自然科学論』潮出版、2003(1980)
『日経サイエンス』2004年2月号(特集:崩れるゲノムの常識)
家族の中では最後で、7時。ちびどもは朝から元気です。[作業の継続]
昨日の、ファロピオですが、一般的にはパドヴァ大学解剖学者として知られています。 『解剖学所見 Observationes Anatomicae』(1561)があります。この書物をもらったヴェサリウスが『ファロピオの解剖学所見に対する試論』(Anatomicarum Gabrielis Falloppii observationumexamen, 1564)を出しています。この書物は、ヴェサリウスの最後の出版物となりました。
器官名としては、「ファロピオ管 =aqueductus Fallopi, canalis facialis」に名を残しています。また、ウェブでは、コンドームの創始者としての側面に注目が集まっているようです。→ウェブで話題になりやすいテーマがかなり見えてきました。仮に百の分野で仕事をしている人がいたとして、ウェブで注目を集めるのは、そのうち、5〜10といった感じです。[ピアノ]
午前、我が家にピアノが届きました。妻とちびどもの待望のピアノです。重さは220キロとのことでした。重い相撲取り並。
銘柄は、Steinburg 。Steiwayではもちろんありません。聞いたことのない名前ですが、メーカーは、浜松のASAHI Piano とありました。
ちびが5時に起きて、5時半。ちいさいちびは、再度寝入りましたが、おねえちゃんは完全に目覚めたようで、あきらめてつきあいました。→現在7時半。ちびは隣で、ノンタンのゲームをしています。私は、その間に、ウェブ関係。[作業の継続]
プリントアウトしたものを読んでいます。いろんなことがわかります。
ファロピオ
FALLOPPIO,Gabriele.(1523-1562)
De medicatis aquis,atque de fossilibus tractatus
Venezia: Ziletti,1564
Biblioteca Universidad Complutense( http://alfama.sim.ucm.es/dioscorides/、からダウンロードしたこの書物ですが、表紙をほぼ残さず(一番小さい文字3行を略)転記すると次の通りです。
Gabrielis Falloppii Mutinensis,
medici, ac philosophi praestantissimi,
De medicatis aquis atque de fossilibus
tractatus pulcherrimus, ac maxime utilis: ab Andrea Marcolino Fanestri medico ipsisus diseipulo amantissimo collectus.
Accessit eiusdem Andreae duplex epistola: in quarum altera ad lectorem,
& huius libri inter reliqua utilitas, & docendi modus, ac totius rei, quae in hoc ipso opere continetur, summa breviter explicatur.
.....
VENETIIS, M D L X I X
ファッロピオは上記のとおり、1562年に亡くなっていますから、死後出版です。ウェブで調べた情報では、弟子のアンドレア・マルコリーニの(パドヴァ大学でのファロッピオの授業を書き取った)講義ノートから編集されたようです。
本文は、マルコリーニの書簡等の終わったあとに始まります。その最初に、目次 (Capitum Omnium, quae in hoc opere tractatur, cathalogus.) がついており、ついで、44頁にのぼる索引 (Index tum Verborum, tum rerum omnium, magis memorabilium, quae in hoc toto libro continentur.) がきます。それから、本体部分の論考。これは、2つの論考からなっています。
1) De Thermalibus Aquis, atque Metallis Tractatus, pp.1-85a
2) De Metallis, seu Fossilibus Tractatus, pp.85b-176b
つまり、最初の論考は、温泉や鉱水の起源、温泉や鉱水の医学的効用、地下の火の性質、地球内部における熱の発生、等々の問題を扱っています。多くの個々の温泉、鉱水の記述にとみます。(鉱水の分析も行っている。)後半の論考は、「地下から掘り出されたもの」、鉱物や化石の問題を扱っています。
タイトルからは、なかなかこの内容を想像することは難しい。
関心を持たれる方もいるかと思い、どういう温泉を取り上げているのか紹介しましょう。章のタイトルの挙げられているのは、次のものです。
Cap.17. De Balneo Aponitano, p.67
Cap.18. De Balneo Montis Orthoni, p.73
Cap.19. De Balneo S.Petri in Agro Patavino, p.75
Cap.20. De Balneo Domus Movae in Agro Patavino, p.76
Cap.21. De Balneo Montis Groti in Agro Patavino, p.76b
Cap.22. De Balneo Bartholomei in Agro Patavino, p.77
Cap.23. De Balneo Sanctae Helenae in Agro Patavino, p.79
Cap.24. De Balneo Calderiano in Agro Veronensi, p.79b
Cap.25. De Balneo Aquariano in Argo Regiensi, p.80b
Cap.26. De Balneo De Corsena in Agro Lucenti, p.81
Cap.27. De Balneo Villensi in Lucenti, p.82
Cap.28. De Balneis Pistoriensibus, p.82b
Cap.29. De Balneis Pisanis, p.83
Cap.30. De Balneo De Agnano in Agro Pisano, p.83
Cap.31. De Balneo De Aquis in Agro Pisano, p.83b
Cap.32. De Balneis Volaterranis, p.84
Cap.33. De Balneis Flaminiae seu Romandiolae, p.84b
つまり、17の温泉が個別に取り上げられていることになります。アマゾン(co.jp)より次の本が届きました。
Mary Carruthers and Jan M. Ziolkowski (eds.)
The Medieval Craft of Memory: An Anthology of Texts and Pictures
Philadelphia: PENN, 2002
慧眼なる読者諸氏にはすぐにわかるように、ピサ大生の桑木野幸司氏の圧倒的推薦に従ったものです。
ひとりで5時半。外の気温はわかりませんが、朝方はとても寒い。→ちびが6時過ぎに起きて下に降りてきました。7時だと、1時間半、勉強の時間がとれたのですが。まあ、仕方ありません。若干の書類を処理するために、ちびどもと一緒に家を出て、大学へ。今日も風が強く、寒い。大学では、研究所で、『総合文化研究ブックレット』の第1号を生協から受け取りました。年末に出来上がっていたのですが、受け取りが遅れたものです。
大学のマシーンでダウンロードしたpdf ファイルをCD-ROMに焼き、研究所で、ダウンロードしたJPEGファイルの印刷品質を確かめました。私がいま使っているプリンターでは実際読むにはかなり辛い品質にしかなりませんが、研究所のもっとも高性能なプリンターで印刷するとほぼ問題なく読めるレベルに達していました。
帰り道、駅前の本屋さんで、『現代』2004年2月号と『新潮』2004年2月号という2冊の雑誌を買って帰りました。『新潮』は、四方田犬彦氏と坪内祐三氏の対談「1968と1972」を読みたくて買ったもの。実は、授業でこういう話をしたいのですが、来週までには間に合わないかもしれません。[カートリッジ交換]
冬休みの間に、たくさんダウンロードしたファイルのうち、必要なものをプリントアウトしたり、画面に表示したりして、読み始めました。と、プリンターにかすれが。そろそろ、トナー・カートリッジの交換時期かな、と思い、交換しました。前にいつ交換したかの記録があれば、どのぐらいもったのかわかるのですが、記録しなかったので不明。でも、1年はもったと思います。
ひとりで6時。おおきいちびは、一度、5時ぐらいに目覚めましたが、また寝入りました。ちびは、今日から幼稚園の再開。昨夜、久しぶりにお友達に会うのが恥ずかしいと言っていました。
天気予報によれば、今日の最高気温は7〜8度。しかし、風のせいで、体感温度は0度近い寒さと言うことでした。大学の再開は、13日(火曜日)からですが、いろんな理由があって、今日から仕事モードに切り替えます。
まずは、編集委員会の仕事を行いました。2004年度1号の最後の入稿です。→その郵便を出しに寒風の吹きすさぶまちに自転車で出たついでに、次の3冊を買ってきました。
『アエラ』今週号
『論座』2004年2月号
『TAXI』No.4、扶桑社、¥500
最後の雑誌は、はじめて手にするものです。柳美里/福田和也/坪内祐三/リリー・フランキー責任編集とあります。真っ先に読んでしまいました。
ちびどもが起きて、6時半。暖かいお正月が終わり、寒い冬の朝。おじいちゃん、おばあちゃんの待望の帰省の日。おばあちゃんの顔色はいまいちですが、10時過ぎにみんなそろって家を出て、新宿まで行きました。おじいちゃん、おばあちゃんは、新宿西口で、リムジンバスに。待ち時間が5分というちょうどよいタイミングでした。ちびどもも今回は泣かずに手をふっていました。飛行機は、13時55分発。着は、3時前後。
テレビがマイケル・ジャクソンを話題にしています。ちょっとびっくりしたのは、マイケル・ジャクソンは私と同じ年でした。ウェブで誕生日を調べると、私と1ヶ月ちょいの差。ずっとあんまり関心もなかったのですが、突然、関連がある存在に感じられました。
カリフォルニア大学古典学教授Dana F. Sutton 氏のNeo Latin のサイトに上がっている8405点ですが、今度はテーマ別(主題分野別)がどういう具合になっているのか気になったので、調べてみました。抜けているものもあるかもしれませんが、多い順に並べると次のようになりました。
1)医学:1089
2)宗教:827
3)詩:725
4)法学:538
5)哲学:532
6)数学:257
7)薬学:238
8)音楽:227
9)言語研究:179
10)歴史:158
11)自然史:156
12)文学:151
13)劇:151
14)動物学:140
教育:97、図書館学:48、機械学(力学):39、地理学:31、料理法:18、民族誌:15、外交:10、神学:2(これは、サットンさんが神学というジャンルよりも宗教というジャンルを好んだせいです。たとえば、カルヴァンの著作は8点あがっていますが、どれも、宗教に区分されています。)、その他。
錬金術:75
中世の大学の4学部、神学、法学、医学、学芸(哲学)にほぼ沿った数となっています。ちょっと気になるのは、サットンさんの薬学(Pharmacology)とあわせて医学の多さです。グーテンベルグ以来、ラテン語で著された著作全体を数えたとき、やはり、医学がもっとも多いのでしょうか? どなたかご存じの方があれば、お教え下さい。有用な参考文献の示唆でもけっこうです。
ひとりで6時。
私より半時間程度先に目覚めたちいさなちびが、することがないせいでしょう、ずっとでたらめな歌を歌っていましたが、私が起きる直前に歌いつつ(?)寝てしまっていました。こんなこともあるのだと、感心しています。あばあちゃん(私の母)は、11時半、無事退院。完治したわけではなく、症状がいちおう収まったので、自宅に帰ってよい、ということです。明日田舎に帰って、すぐに地元の病院で診察をしてもらい、場合によっては胆石除去の手術を行うとのこと。病院から出たくてうずうずしていたので、一安心。
[100のキミア iii]
リストには100%は反映できていませんが、おそらく、100のキミア、には達したように思われます。
今回は、Biblioteca Universidad Complutense( http://alfama.sim.ucm.es/dioscorides/)を重宝しました。1ページ1ページ見ながらのダウンロードなので、ずいぶんいろんなことがわかりました。この時代の本は、今とは違って、中身を見ないとどういうふうになっているのか分からないものが多くあります。今の言葉で言えば、合冊と言えばよいのでしょうか、かなりの割合で、一つのバインディングに複数の書物(冊)が綴じられています。次のパラケルススのものは、割と簡単な例です。
Paracelsus, Theophrastus Germanus Bombastus (1493-1541) , Archidoxorum Aureoli Ph. Theophrasti Paracelsi De secretis naurae mysteriis libri decem Basel,1570
この書物の場合、表紙に、次の5書(冊)が合冊されていることが明示されています。
De Tinctura Physicorum
De Praeparationibus
De Vexationibus Alchimistrarum
De Cementis metallorum
De Gradionibus eorundem
この例は、わかりやすい。しかし、たとえば次のチェザルピーノの場合、Dana F. Sutton 氏は、親切のために、別々にリスト化していますが、現実には1冊の本として綴じられています。
Cesalpino, Andrea, Quaestionum peripateticarum lib. V Venice,1593
Cesalpino, Andrea, Quaestionum medicarum libri ii Venice,1593
Cesalpino, Andrea, De medicamentis facultatibus libri II Venice,1593
迂闊な読者は、この親切さがあだとなって、この3つが合本になっていることに気がつかないままでいることもありえます。私も、BUCでなければ、気がついていなかったかもしれません。
もっとややこしい例は、ゲスネルの『鉱物誌』(もう少し正確に訳せば、『掘り出された物について』)です。ウェブでの調査で、これが8つのものからなることはわかっていました(そのリストも、第1番目を間違えていました)が、実際にダウンロードしてみると、それぞれ別々にページ付けをされた8冊の本を1冊にバインドしたものだということがわかりました。通しノンブルはありませんから、この種の書物の引用は、かなりの混乱をもたらすだろうことは容易に予想されます。わかってしまえば、この書物は、今の言葉で言えば、編集者が1本の論文を書いている論文集と同じようなつくりで、編著と呼ぶべきものです。日本語で読めるゲスネルの概説書、ハンス・フィッシャー『ゲスナー:生涯と著作』(博品社、1994)も、この点がわかるような文章にはなっていません。とはいえ、この本が日本語で読める最良のゲスネル解説書だと思われるので、その訳を示しておきましょう。
『掘り出されたあらゆる種類の物、すなわち岩石、通常の岩石、金属についてのいくつかの書。これらの大半は今回はじめて出版』(1565)
ゲスネルその人の著作は、8番目で、「掘り出された物、通常の岩石および宝石の種類、形態および類似性についての書。医師だけではなく、すべての自然科学や文献学の学生にも有用で興味深いであろう」(以上、邦訳書、p.276)
その8つについて、正確に知りたい方は、科学史の部屋で、ガリカからダウンロードしたファイルをご覧下さい。
ひとりで6時15分。[キルヒャー ii ]
キルヒャーに関しては、著作だけではなく、必ず日本語の論文もあるだろうと思い、グーグルで調べたところ、次の4点が検索にかかりました。
*吉田,寛「アタナシウス・キルヒャーと音楽の国民様式論」『音楽研究 : 大学院研究年報 / 国立音楽大学大学院』
*西原, 稔「A. キルヒャーにおける音楽の錬金術 : 音楽の制作学とアフェクトゥス・様式の理論」『音楽研究 : 大学院研究年報 / 国立音楽大学大学院』
*市古 健次「キルヒャー 『シナ図説』 (一六七〇年) フランス語版」『三田評論 / 慶応義塾大学』
*松村 恒「A.キルヒャー『図解中国』所載の梵語字母表」『印度学仏教学研究』 79
音楽論が2点、中国論が2点です。紀要等を網羅的に調べることができれば、もう少し見つかるかも知れません。キルヒャーを研究されている方は、上記の論文の著者以外にも見つかりましたから、学位論文等にももしかしたらあるかもしれません。
なお、BH掲示板には、今回の平井さんの「キルヒャー論」を聞いた方には、関連がわかる情報をアップしておきました。→この、掲示板にアップした情報に対して、新宿3丁目の日榮さんが、反応してくれました。石についてです。
若手で、キルヒャーの思想や活動の全体と正面から取り組む方が出てくることを期待しています。
3日の日に報告した、カリフォルニア大学古典学教授Dana F. Sutton 氏のNeo Latin のサイトに上がっている8405点ですが、内訳が気になったので調べてみました。完全なリストではありませんが、数の多い順に並べると次のような感じになりました。
Gallica: 4874
Alfama: 725
diglib.cib.unibo.it: 459
digilib.hab.de: 381
www.bbaw.de: 310
www.music.indiana.edu: 283
miami.uni-muenster.de: 162
www.ub.uni-bielefeld.de: 67
www.literature.at: 47
and others
やはり、圧倒的にガリカ(58%)が多いのですが、スペイン、イタリアも奮闘しています。ついで、ドイツ。意外にも、英米圏が少ない。英米圏は、大陸に比べて、ラテン語を軽視しているということでしょうか。
ひとりで6時45分。[キルヒャー i ]
邦語のキルヒャーの本ですが、次のもの以外にも少し記憶がありました。
*ジョスリン・ゴドウィン、
『キルヒャーの世界図鑑』川島昭夫訳、工作舎、1986
昨日、ちびのiMacで作業しているときに、右手の棚に次の本がありました。
荒俣宏編著
『バロック科学の驚異』(ファンタスティック・ダズン10、リブロ、1991)
これは、キルヒャーの3著『ノアの方舟』『支那図説』『地下世界』と、『キルヒャー博物館自然史標本目録』の合計4点の著作から、図版を集めたものです。はじめに、この4点全てを古書で入手した荒俣宏氏の短い解説がついています。[piano i ]
ウェブで調べたピアノの専門店が本日から開店。おじいちゃんと一緒に、ちびどもを連れて、調布まで見学に。その場で店長の説明を聞いて、店長お勧めのものに決定。ちびどもは、駅前にある子ども広場がいちばん気に入っていました。とくに、他では見たことのない、複雑で工夫の凝らされた滑り台が気に入っていました。
おおきいちびといっしょに7時半。お正月以来の暖かい朝。[100のキミア ii]
少しずつですが、 科学史の部屋の整理をしています。とくに、ダウンロードしたファイルのリスト。ついでに、トップページの画像も変えています。→大晦日の日に、100のキミア、と目標を示しました。リストにはまだ反映できていませんが、4分の3までは達しています。
おそらく日本語の世界では私が見つけて紹介したと言ってよい、カリフォルニア大学古典学教授Dana F. Sutton 氏のNeo Latin のサイトは、本日最新更新で、8405点のリストになっています。2004年中に1万点を超えるのではないかと思われます。とてもありがたい仕事です。
もうひとつ、最近のお気に入りは、Biblioteca Universidad Complutense。 http://alfama.sim.ucm.es/dioscorides/。こちらは、1頁1頁のJPEGファイルで、ガリカのように一括ダウンロードというわけにはいきませんが、今の私の関心にとってはぴったりくるものを挙げてくれています。西欧の思想史や歴史学の世界でも、あまり取り上げる人のいない、しかし、当時においてはかなりよく利用された(らしい)書物がデジタル化(正確には画像化)されてアップされています。これを全部ダウンロードするのは、手間がかかりますが、実物を見ることはやはり重要で、小さいいろんな発見があります。[UFOキャッチャーii]
おばあちゃんの見舞いに行ったあと、ちびどもを連れて、吉祥寺に出ました。本屋さんに寄りたかったのですが、おおきいちびが井の頭公園、井の頭公園というので、おじいちゃんもいっしょに井の頭公園へ。まず、ボート乗り場の入り口のところで、お餅(井の頭団子のこと、ちびどもにはお餅)を食べ、それから、やはりおおきいちびが赤い旗(神社の幟)を見たいというので、ポップライスをもって、神社の方へ。ちびどもは半分は自分で食べながら、鴨に餌をやっていました。その後、半周して、子どもの遊び場(滑り台とブランコと鉄棒などがある場所)に行き、1時間ほど遊んで、昼食へ。いつもの駅前のラーメン屋さん。ラーメン屋さんを出てすぐのところに、1階はUFOキャッチャーというゲームセンターがあり、やはりおおきいちびがはいろうというので、私がいくらかチャレンジ。最初は福袋を狙ってみたのですが、取れそうになく、次にはフリースでできたプーサン柄のクッションがほしいというので、それにチャレンジ。正方形のクッションに対して、アームが60%程度にしか開かないという難しいものでしたが、何とか1個をゲット。それをちいさいちびにやったので、おおきいちびが私も、私も、とせがむので、もっとずっと難しい位置のものを頑張ってやっとゲットしました。たぶん、全部で2500円以上使っています。(ちびがほしいとせがまなければ、一度で見限っているような、難易度の高いものでした。)
おおきいちびといっしょに6時半。昨日ほどではありませんが、まずまずこの時期にしては暖かい朝。
ちびどもが公園で遊んでいるあいまに、坪内祐三氏の次の2冊を買いました。
『文庫本を狙え!』晶文社、2000
『後ろ向きで前へ進む』晶文社、2002
おばあちゃん(私の母)は、どうも生まれてはじめての入院のようです。もう家に帰りたくて仕方がないようです。入院しているとすることもなく暇ですし、残してきた家のことも気にかかるのでしょう。しかし、検査結果を見てからの判断になるので、退院は早くて来週はじめ。(お正月三が日は、検査機関が休んでいるので。)
あけましておめでとうございます。一人で6時半。
今日は、年賀状の返事を書くことを除き、仕事をすることをやめました。
[UFOキャッチャー]
おやつ時に、おばあちゃんの病院にお見舞いに行ったとき、おおきいちびが病院の側のおもちゃやさんにたった一台おいてあるUFOキャッチャーをやってみたいというので、これは無理だなーと思いながら、チェレンジしました。主として20センチ大のおちゃ犬がありました。ぱっと見た判断では、ほとんど無理だったのですが、すぐに1匹取れました。1匹取れると、逆に、悩ましい。ちいさいちびのものもとってやらないと必ずごねて泣きます。あきらようと思った最後のチャレンジで、2匹目がとれました。使ったお金は300円。(ただし、100円で2回できる設定になっていたので、6回やって2匹ゲットしたことになります。)運がいいのやら悪いのやら、という感じです。[昼食会]
本日のメインイベントは、我が家族がこの住居に引っ越してきてから続いている、おじいちゃん、おばあちゃん主催の昼食会。今年は、おばあちゃんは病院、埼玉の義弟は風邪で欠席でしたが、総勢おとな6名、こども5名の会合となりました。ちびどもはちびどもでローテーブルを囲み、仲良く食べていました。おじいちゃんともう一人の義弟がビールを飲みながら歓談。