昨日に続き、おおきいちびといっしょに、5時半。好天。暑い夜でした。風が吹いたので、それほど寝苦しくはありませんでした。→明日は一気に気温が10度ほど下がるという天気予報です。信じがたいほど、夜になっても暑い。昨日に続き、真夏のような日でした。教室にもクーラーが入っていました。授業の合間に、那須さんから教えてもらったEighteenth Century Collection Onlineの様子を探ってみました。たとえば、ボイルで検索すると、180点近くがでてきてます。18世紀に出版された全集2点、全集の縮約版1点、神学的著作中がすべてありました。それだけではなく、ベントリーやクラーク等「ボイル講演」がほぼある感じでした。かなり使えるサイトだと思います。
とりあえず、ごく短い2点を含み、3点をダウンロードしました。[がんばれ久保!]
実は、昨日の日本対アイスランド戦は見ることができなかったのですが、朝一番のニュースで、小野-久保のホットラインが生きて、久保が2点をとったことを知りました。でかしたぞ、久保! この調子で、ドイツではエースフォワードとして、ピッチで活躍せよ。
おおきいちびといっしょに、5時半。今日も良い天気です。今日は、学会には行かずに、授業の準備をしています。夏
おおきいちびが目覚めたときから電卓がほしい、電卓がほしいというので、久しぶりに高井戸のドンキホーテにいってみることにしました。西高の隣です。自転車にのせて、行っているとおなかがすいたというので、ロイヤルホストでブランチ。それから、ドンキホーテに向かいましたが、お店がない! 洋服の青山に変身していました。ほぼ夏と言える高温・好天のもと、けっこうな距離を帰ってきました。
ウェブで調べてみると、予想通り、都心部で30度を超えていました。明日の2限の授業では、BSE を扱います。ウェブで捜したところ、最新のしっかりとした情報を得るには、次のサイトがよいようです。
動物衛生研究所(NIAH)のBSEのページ
ICU の那須敬さんから、次のページを教えてもらいました。
Eighteenth Century Collection Online
18世紀と称しつつ、17世紀の資料もかかりあります。(たとえば、ジョン・レイ)本来は、有料サイトですが、当分、トライアルで無料ということです。画像はどれも読める品質になっています。
那須さん、有用な情報ありがとうございました。
おおきいちびといっしょに6時過ぎ。ちいさいちびは、昨夜騒いで暴れたため、まだ寝ています。そのせいで、妻がダウン気味。今日は、日本科学史学会の日。以前も掲載しましたが、せっかくですから私の発表の前後を再掲しておきます。
13時~13時20分 山田俊弘「キルヒャーの地下世界論」
13時20分~13時40分 本間栄男「ガサンディとソルビエールの生理学」
13時40分~14時 吉本秀之「ロバート・ボイルの読書/引用/執筆」
発表内容には直接関係ないのですが、発表内容のその後の研究について、ちょっと気になることがあって、直前まで調べものをしています。まだ確定的ではありませんが、輪郭はつかめてきました。おおきいちびが朝方歯医者に行って、虫歯と診断され、ショックを受けていました。奥歯と奥歯の間に、生まれつき、歯の形に由来する隙間があり、どう歯磨きしても届きません。やはり、その部分が虫歯になっていました。あとは、問題なし。ともかく慰めてやっていました。ということで、学会へはぎりぎりで出かけました。といって、乗り継ぎが極めてうまくいったので、11時半にでて、12時35分には現地に着いていました。
しかし、途中でおなかが痛くなったので、去年の発表を論文化したもの(『ボイル思想の自然誌的背景』別刷り)を配る意欲をなくし、発表そのものも OHP も プロジェクターも一切使わない、もっともシンプルなものとなりました。会場で配布している『研究発表講演要旨集』には、コピーライトの表示が全くないので、コピーライトは著者に属すると考えて、発表内容を以下に公表します。
ロバート・ボイルの読書/引用/執筆
Reading, Citing and Writing of Robert Boyle:
An Analysis of his Marginalia
ロバート・ボイルの著作のマージナリア、すなわち、図版、欄外注、編集者の序文、付録等々に注意を向けよう。そして、とくに欄外注におけるボイルの引用方式を分析の焦点としてみよう。そうすると、ボイルがどういう著作をどういうふうに読み、どういうふうなノートをとり、どのように執筆に結びつけたのか、その姿をかなり具体的に浮かび上がらせることができる。
今回のこの発表は、発表者が新しい『ボイル著作集』(14 vols,1999-2000)に対して行った全体的なマージナリアの分析結果に基づき、ボイルの読書/引用/執筆の現場に、資料の及ぶ範囲で可能な限り迫ろうとするものである。
まず、ボイルの著作に付録されることの多かった著作目録に目を向けよう。そうした著作目録は、12点の著作に付録されている。そのうち、5点は、ラテン語版に付されている。この多さはとても目立つ。どうしてボイルは、このように多く自身の出版目録を著作中に含めたのであろうか? 一言でいえば、それは、剽窃に対応するためである。ボイルは科学における新しい事実情報や新しいアイディアに対して、18世紀に一部制度化されることとなる「著作権」の概念をいだくようになっていた。この17世紀においては新奇であった「知的所有権」の概念が、ボイルの執筆活動の際立った特徴を説明する。
ボイルの側からすれば、ボイルの新しい実験結果や新しいアイディアをボイルの名前を出すことなく借用・剽窃する個々の著作も問題であったが、もっと大きな問題はボイルに何の連絡も断りもなく大陸で出版されたラテン語訳であった。そのなかでもっとも重要なのは、ジュネーヴの出版業者サムエル・ドゥ・トゥルネが1677年にだしたボイル著作集であった。
次に、欄外注を分析しよう。ボイルの引用方式は、基本的に3種類に分けられる。第1は、本文中に「アリストテレスの『気象学』の第3巻第7章で」というふうに記載するもので、この時代にはごく一般的な引用方式であった。第2のものは、欄外注に、著者名、書名、巻章名/数を記すものである。(よく知られているものに関しては、著者名、書名は略記されることが多い。)この引用方式もこの時代には普通であった。この第1、第2の引用方式においては、具体的にどの版を用いているのか特定することは、その著作に関してたった一つの版しか出版されなかったという場合を除き、非常に難しい。第3は、ページ数を明記する引用である。(ボイルの時代には、出版地、出版年を記す習慣は生じていない。)その例の初出は、『空気のバネの新実験』(1660)における次のものである。
"Kirch: Art: Mag: Con: & Disson: lib.9. p.309".
新しい『ボイル著作集』中、こうしたページ数を明示した引用は363箇所を数える。出版地、出版年の情報はなくても、こういうふうにページ数が明示されていれば、ボイルの使った版を特定することができる。初出の例で言えば,
A. Kircher, Musurgia universalis, sive ars magna consoni et dissone (Rome,1650)
が同定できる。さらにボイルは『ボイル著作集』中30箇所で、「私の所持している版では」を意味する p.m. or page mihi の記号を用いている。この記号の使用を注意深く分析すれば、ボイルが手元において使っていた著作の版を特定することができる。
以上の分析に基づけば、ボイルが、これまでほとんど、あるいは全く注目されていなかった著作を手元において執筆していた様子を浮かび上がらせることができるのである。
文献
M. Hunter, "General Introduction" to vol. 1 of M.Hunter and E. B. Davis(eds.), The Works of Robert Boyle,14 vols.,London,1999-2000.
Mark Rose, Authors and Owners: The Invention of Copyright, Cambridge, Mass., 1993
Adrian Johns, The Nature of Book: Print and Knowledge in the Making, Chicago,1998
今調査していることは、そもそもページを明示する引用がどこの誰に由来するのか、ということです。1640年代の著作では、かなり一般的にページを明示する引用が含まれます。(多数は、上の第1と第2の引用方式だが、その中に、一部ページを示す引用が含まれる。)1650年代の著作では、ほぼボイルと同様の引用方式をする著作が出現しています。
出発点は、16世紀のどこかではないかと予想しています。文献学者でもあったゲスネルやその周辺がにおうと思っていますが、まだはっきりとしたことはわかりません。
どういう情報でもよいので、1630年以前に、ページを明示して引用している文献があれば、お教えいただければ、幸いです。場合によっては、体系的な共同研究へと進展するのもよいと思っています。
つぎに、 "p.m. or page mihi" の記号の起源を探っています。すでに、平井さんのサイトでコメントがあったとおり、聖書解釈学の伝統が一番可能性が高いと思います。用例としては、聖書解釈学に属する著作で、4つまでは集めていますが、どれもボイル以降です。しかも、やはり、4つは用例としては少なすぎます。これも、1660年以前の著作で見たということがあれば、お教えいただければ幸いです。
現在までにこの調査のために私が目を通したのは、68点です。300点までは、夏休みを目処に目を通そうと思っています。
なお、別刷り『ボイル思想の自然誌的背景』が必要な方は、メールで住所をお知らせ下さい。郵送いたします。
ちびどもは5時半。私は6時前。ちいさいちびは再度寝入ったようなので、おおきいちびといっしょにコンビニに。牛乳がなくなる直前だったので、牛乳と、その他ちびの好きなポテト菓子等。おそらくそろそろ梅雨が近づいてくるのでしょうが、今朝はまだ好天の気持ちのよい朝。昨日、研究室で本棚を見回していたら、次の本に気付きました。
シドニー・W・ミンツ『甘さと権力:砂糖が語る近代史』川北稔・和田光弘訳、平凡社、1988
4月25日に記した、ルイ・ドゥ・ポワンシの『アンティル諸島の自然文化誌』について、何か情報が得られるのではないかという見通しのもとに、繙いてみると、ありました。
95頁にこの本から取られた図版が掲載されています。
ただし、著者名は、セザール・ド・ロシュフォールとなっており、書名は『アンティル諸島自然社会史』(1681)となっています。
セザール・ド・ロシュフォールは、ポワンシの変名。「社会史」は誤解を招く訳語のような気がします。
せっかくですから、少しこの本を読み始めました。面白い。
ちびどもは5時半。こちらは眠かったので、6時。妻がちいさいちびを遊びに連れていってくれたので、静かな環境で勉強できます。午後は、ずっと授業ですので、午前中だけですが、それでもありがたい。
[Rapid Reading of Primary Sources ..]
昨日寝る前の時点で62点。今週末の科学史学会での発表に関連する調査です。発表のあとにでも説明したいと思っています。
今日の3限の「科学思想史」では、水中の驚異ということで、サンゴの話をしました。イギリスで買ってきた小さな宝石サンゴ(紅い小さな粒)をもっていったのですが、学生たちに見せようとして、黒板の後ろ側に落としてしまいました。学生たちからは失笑が。コンタクトレンズほどの大きさのものなので、値段的はなくしてもそれほどの損失ではないのですが、失策ではありました。落としたものは帰ってこない(簡単にはアクセスできない隙間に入り込んでしまった)ので、図版を見せながら説明しました。
顕微鏡下の驚異ということで、最後の20分は、鉱物の非常にきれいな図鑑を見せながら、鉱物の結晶がどういうものか、お話しました。こういうときには、実体顕微鏡からテレビ画面に映す装置があれば、どれほどよいだろうかと思います。顕微鏡を使う実験系にはあたりまえにある装置ですが、純粋文化系の外語では、私が買う以外には入手の方法はありません。それほど高いものではないのですが、手間を考えると逡巡してしまいます。さて、今から、土曜日の発表の準備にかかります。1時間話せと言われれば、1時間話す内容はあるのですが、なにぶん、持ち時間が20分で、発表時間が15分。相当大幅な絞り込みの作業が必要です。
ひとりで5時半。一歩外に出ると、かなり暑く感じます。夏至が近づいているので当然ですが、日射しが強い。会議の日。本日は、大学院教授会。→2時半過ぎにはじまり、3時45分ごろに終了しました。4時前多磨駅発の電車に乗ることができて、4時半には帰ってきました。こんなに早く終わるとは予想していませんでしたが、早く終わってくれると何にせよ助かります。
[ガリカ]
久しぶりに大学の研究室からガリカにアクセスしました。ダウンロードを3点ほど試みましたが、どれも、コマンドを受け付けないという表示がでました。ガリカに関しては、まま調子が悪いこともあるので、それ以上トライすることなく、放置してきました。
気になるので、自宅に帰ってきてから一番短いファイルのダウンロードを試みました。昔は、20数Kの速度しかでませんでしたが、今日は、速いときには50K近く、下がっても40Kの速度がでています。ケーブルのサーバーが能力アップしたのではないかと推測しています。それで、600頁近いファイルのダウンロードにトライしてみると、速度はでていますが、やはり40M程度まで行って、接続が切れます。私は基本的には自宅で 仕事をするので、自宅にも DOS/V 機をインストールする必要があるかもしれません。[トルコ対日本]
オリンピックに向けての国際練習試合、トルコ対日本を見ました。1対1の引き分け。トルコの選手がみんなでかくて強いのが印象に残りました。日本も一歩一歩よくなってきています。トルコは、予選であたったどのチームよりも強いチームに見えました。
ひとりで5時。パジャマで机に向かっていると少し寒い。まだ気温は低めのようです。
窓をあけると、きれいな朝。小鳥がさえずり、よく晴れて気持ちのよい一日のはじまりです。これだけ天気がよいと、午後は気温があがりそうです。本日は、都内をあっちこっちします。お昼過ぎに、印刷所に出張校正。4時20分から駒場で授業。→飯田橋での校正作業は、1時~2時で順調に終了しました。そこから、飯田橋→代々木→渋谷→駒場と移動。まだ、非常勤講師の給料の支払いがないようなので、もう一度確認してから電話で問い合わせようと思っていたら、非常勤講師室に張り紙。非常勤講師の給料の支払いは、6月から開始とのこと。郵送した文書に明記しなかったことをお詫びするとありました。なんだ、なんだ、です。
ちょっとおなかが空いていたので、生協でおやつ。(私はこういう場合だいたいがフィッシュバーガー+アイスティの組合せです。)おやつのあとは、図書館に入り、Van Helmont の主著を借り出し、先週と同じように、あるだけの時間で、Philosophical Transactions を見て(一部読んで)いました。[Rapid Reading of Primary Sources]
最近続けている、一次資料のラピッド・リーディングですが、50点に達しました。調査の主眼はまだはっきりとしないのですが、副産物がいろいろ生じています。
1.もっているのを忘れていた1次資料に気がつきます。
2.昔作業をしていて、論文に仕上げなかったことがらが甦ります。新たな視角から見ることができるようになっている場合には、もう一度作業し直して見ようかなという気になります。
3.何でしょう、本棚の整理が進みます。下でとりあげた、カリフォルニア大学古典学教授Dana F. Sutton 氏のサイトですが、予想通り、5月25日に1万5点となっていました。サットンさん、おめでとうございます。&ご尽力に感謝します。
ひとりで4時半。最近、割と頻繁にカリフォルニア大学古典学教授Dana F. Sutton 氏のサイトを見ています。今現在、9995点のE-text (neo Latin) にリンクが張られています。どうも一日に10点は追加するというノルマをご自身に課されたようです。つまり、今日か、明日には、10000点を突破します。ほんとうによくやってくれています。私はずいぶんこのサイトにお世話になっています。
ちびどもといっしょに家をでて、大学につくと、メールボックスに『国立大学法人東京外国語大学 就業規則』という冊子が入っていました。当たり前ですが、けっこう重要な情報がはいっています。給与規程、勤務時間、調整手当、兼業規程、育児休業等規程、介護休業規程、等々です。
大学法人になった国立大学ではどこでも配布されていると思います。他の大学のものもどうなっているのか見てみたい気がします。授業をおえて、家に帰り着くと、ちびどもはちょうど眠くなりはじめるところでした。私は、夕食をすませ、お風呂に入って、1階に降りると上から呼ぶ声。ちいさいちびがおとうさんと呼んでいます。幼稚園でこけて、鼻の頭をすりむいたせいかもしれませんが、甘えたくなったようです。添い寝をしてやると、少ししてから、だっこ。仕方がないので抱っこしてやると、ねんね。再び添い寝してやると、すわって。妻に聞くと、座った状態で抱っこしてほしいという意味だそうです。座って抱っこしてやると、すぐにすやすや。椅子に座ったような感じで寝入りました。変な子です。
2歳になってから眠いときは、お母さん一本槍で、私が抱っこしてやると怒ります。寝付きが悪いときは、意図的に、私が一度抱っこして、それからお母さんというふうに手渡してやると、安心して寝入ってくれることがあります。
そういうわけで、幼稚園でも、もうすでにユニークな子として認知されています。親の目から見ても、ユニークな子です。おねえちゃんはあまり変なことをしませんでしたが、ちいさいちびは思いもよらない、想像もできないことをいっぱいしてくれます。
ひとりで6時前。昨日に続き、寒い日。[ピエール・ベール]
昨日のピエール・ベールですが、『歴史批評辞典』を含む翻訳があります。法政大学出版局より、全8巻の『ピエール・ベール著作集』が出版されています。1978年-1997年。すばらしい仕事です。この著作集の第3巻~第5巻が、『歴史批評辞典』の翻訳(抜粋ですが)に当てられています。買おうかな、と思ったことは覚えているのですが、本棚に見あたらないことを考えると、量と値段にびびって、買いそびれたのだと思います。もちろん、大きな図書館にはありますから、『歴史批評辞典』だけでも全部読もうかなと思ったこともありますが、それも量にめげて、思っただけにとどまりました。
おおきいちびが5時半。私が6時前。ちいさいちびは、6時半。寒い。気温が10度あまりまでしか上がっていません。しかも、お昼過ぎから冷たい雨。疲れがすこしでてきました。今日はのんびりモードで過ごしました。
[ラピッド・リーディング]
最近続けている、1次資料のラピッド・リーディングですが、16世紀末から18世紀初頭ぐらいのものをどんどん目を通しています。いわば、グラフトンが、脚注の形式は、啓蒙の世紀の入口にたつ、ピエール・ベールに起源を有する、と書いてあることの前史を探る作業です。そのベールのもっとも有名な『歴史批評辞典』ですが、それ自体かなり複雑な構成をとっています。
1頁は、いくつかの部分からなります。
1.本文。ページのトップに配されています。
1.-1.数字によって区別された文献注。左右のマージンに配される。
1.-2.アルファベットで区別された批判的コメント。本文より小さな活字で、2段組で本文の下に配される。批判的コメント自体にも、左右のマージンに配される文献注が付される。
ということで、見た目には3つの部分からなります。本文。批判的コメント。文献注。
批判的コメントに対する文献注をひとつと数えれば、構成要素は4つになります。
これは、脚注の起源とは言えても、脚注そのものではありません。
さらに、版の歴史がなかなかに複雑です。
初版は、1697年アムステルダムで出版されます。フォリオで2巻組。
1702年にロッテルダムで、第2版。フォリオで3巻組。
1720年にロッテルダムで、第3版。フォリオで4巻組。
1730年にアムステルダムで、第4版。フォリオで4巻組。
1820年にパリで新版。オクタヴォで16巻組。
ガリカには、1820年版があります。この1820年の新版では、根本的な組み直しが行われています。左右の欄外注をなくし、本文は、2段組。注は、一応、脚注と呼べるものに統一されています。
つまり、脚注なる形式は、ベールの『歴史批評辞典』の改訂の試みのなかから徐々に姿を現した、と称するべきように思われます。だれかひとりの功績というわけではないようです。
ちいさいちびが目覚めて、5時半。台風が近づいています。夜半から風雨が強くなっています。天気予報によれば、朝の8時頃に関東地方に最接近して、それから遠ざかっていくとのこと。→天気予報とはすこし違って、8時には雨が上がっていました。そして、ちびが幼稚園にでかける9時前には晴れ間が見え、その後、気温はそれほど高くないが日射しは夏のような快晴となりました。来週の火曜日に出張校正があります。午前中1時間半ぐらいかけて、そのための準備をしていました。
吉祥寺の駅ビルの本屋さんで次の本を買いました。
小松美彦『脳死・臓器移植の本当の話』PHP新書、2004地質学史懇話会より、『地質学史懇話会会報』第22号(2004年5月30日)が届きました。なかなか興味深いものです。
昨日、慰労会で聞いた話が、新聞に出ていました。
丸善が東京駅北口に引っ越し
いつという具体的日時は書かれていませんでしたが、昔からの日本橋の店舗は閉鎖になるのだそうです。丸善に直接足を運んで洋書を買うなんて、昭和とともに去った習慣かもしれません。私も、おそらく、平成になってから一度も足を運んでいないのではと思います。
こちらは、雑誌で読んだ情報ですが、青山の紀伊国屋(かの高級スーパー)も店舗の建て替え工事を行っている最中とのこと。学生時代に表参道でアルバイトをしていて、たまに寄っていました。洋酒がやたら高く、価格破壊が世の中を席巻する前の時代です。その時代と比較すると、グローバル化は確かにかなり進んでいると言えます。
ひとりで5時15分。まるで本格的な梅雨のような雨が昨日から降り続いています。天気予報によれば、台風が接近していると言うことです。まだ5月なのに。午後は、ずっと、授業。
ゼミで、学生から面白い話を聞きました。最近のマンガ喫茶では、マンガだけではなく、DVDを借りて映画を見ることも、インターネットの端末でネットゲームにはまることも、一休みしてご飯を食べることも、あるいは終電を逃したあと、睡眠をとることもできるようになっているのだそうです。1週間近く住み着く人もいるんだそうです。
お風呂だけはありませんが、仕事で夜も昼もないサラリーマンや、時間の自由になる学生には、格好の遊び場所です。話をしてくれた学生のよく行くマンガ喫茶では、いつも満席に近い状態ということでした。5限の授業に来ていただいている小谷真理さんの最終回。終了後、大学のスタッフ4人が本人を囲んで、ご苦労様の夕食会。駅前のイタリア料理店でしたが、後からはいって見えるお客さんの半数は、大学の同僚でした。
小谷真理さん、いつもありがとうございます。
ひとりで5時前。昨日から少し頭痛があります。少し疲れているしるしです。[両面印刷ii]
昨日とった両面印刷のコピーですが、よく見てみると、表と裏で天地が逆さまです。天地が逆さまでも何とか使えますが、コピーをとっているときにまったく確認をしなかったことに起因するミスです。学部教授会の日。終了時間が5時と決められていると、気持ちのうえでも楽です。→見通しが甘かった。終了は、6時前。過去の事例から言えば、6時前に終われば御の字ですが、5時終了というのは、4月のたった1回で立ち消えになりました。
少しもめる議題があれば、1時間ぐらいはかかるので、2時半開始~5時終了というのは、議論が沸き起こらない場合に限られるのではないでしょうか?法人化ということで、職員証も更新。教授会のまえに、教授会をする部屋の前で、交換してくれましたが、組織名が国立大学法人となった点だけが新しくなっていました。せっかくだから、デザインを一新したものがうれしかった。
夕ご飯を食べ、お風呂に入って、一休みしてから、最近続けている1次資料の rapid reading にはいったら、ちいさいちびがもどす音。おねえちゃんが風邪を引くと、ほぼ確実にちいさいちびも風邪の症状がでます。とくに咳。本人はいたって元気なのですが、ある種の咳をするとちいさいちびはもどすので、夜が大変です。結局落ち着くまでに服を2回着替えました。我が家のちびどもは、服の好き嫌いがとてもはっきりしていて、気に入った服を(もどしたものが服に付いたので)着替えさせてやると、それだけで15分ぐらい怒っていました。
おおきいちびといっしょに6時前。午前中に、2校をすべて処理しました。10時前に到着し、12時前に郵便局にもっていきました。発行スケジュールを考えれば、このスピードが必要でした。
ちいさいちびと妻が、幼稚園に出迎えに行ってから、家をでました。写真屋さんで写真を受け取ってから、駒場へ。駒場の片隅にできていた「ルヴェソンヴェール駒場」&「ファカルティクラブ橄欖(かんらん)」ですが、今日非常勤講師室への途上で見ると、テラスがあり、数組がテラスで食事をとっていました。昔のほんとうにおんぼろの同窓会館からは想像を絶する世界です。非常勤講師室で判子を押したあとは、図書館に直行。ここにはわけあって名前を明かすことのできない書物のコピーをとったあと、Royal Society の Philosophical Transactions を1号の頭から見ていきました。いつかはやろうと思ってさぼっていた作業です。少し収穫がありました。
授業の時間が近づいていたので、急いで科哲事務室により、お茶を一杯ごちそうになったあと、ゼミ室へ。何があるのか、授業の前後は、廊下や階段が学生であふれています。[両面印刷]
最近のコピー機は、ほぼ確実に両面印刷機能をもっています。たとえば、本1冊を片面でコピーすると、もとのものよりかさがぐんと増えます。およそ2倍の厚さになります。そういう場合は両面コピーにすれば、片面でとった場合の半分の厚さですみます。
最近、そのことがやっとよくわかるようになって、両面コピーを愛用するようになりました。本日駒場図書館でとったコピーも両面です。
ひとりで6時前。5時半には目が覚めていましたが、腰に痛みを感じたので、少しの間横になっていました。朝、家をでるときは、いますぐにでも雨が降り出しそうな空模様でした。肌寒く、夏日になるという天気予報がうそかと思う天候でした。しかし、お昼過ぎから、空に低くかかっていた黒い雲が去り、その後は、湿度と気温が上がったようです。今日の午後は、ずっと研究室での授業ですが、終始、窓とドアを開けていました。家に帰り着いても、人がいる部屋の窓はあけておかないと暑く感じます。梅雨のはしりでしょうか。
一昨日から、研究の新展開で、手元にある1次資料をどんどん読み飛ばしています。で、5月15日に記したガッサンディの大著『ディオゲネス・ラエルティウス第10書の注解』(Lyon, 1649) のかなり自由な英訳と評価されている、チャールトンの次の本を見ていたら、フランシス・ベイコンを、一貫して、Lord St. Alban と呼んでいます。ヴェルラム卿という呼び方は割とよくしますが、Lord St. Alban という呼称もある割合で使われます。こういうのは、知っていないとなかなかわかりづらい習慣です。
Walter Charleton,
Physiologia Epicuro-Gassendo-Charltoniana: Or A Fabrick of Science Natural, upon the Hypothesis of Atoms, Founded by Epicurus, Repaired by Petrus Gassendus, Augmented by Walter Charleton, Dr. in Medicine, and Physician to the late Charles, Monarch of Great-Britain.
London,1654
で、今回、この書名を見て、"Science Natural" というフレイズのかなり早い使用例ではないか、という疑問を持ちました。どなかた、ご存じの方、コメント頂けると幸いです。(17世紀においては、他でこのフレイズを見た記憶が私にはありませんが、ある方面ではもしかしたらそれなりに使われていたのかもしれません。)
おおきいちびは、金曜日の夜から少し風邪気味。昨夜は、すごく苦しそうにしており、どうしたのかと思えば熱を出していました。38度9分。ちいさいちびはちいさいちびで寝る前に戻したということで、こういうふうに気温の変化が激しいときは、ちびどもにはちょっとたいへんです。
というわけで、ちいさいちびが起きて騒いで、家族全員5時。雨が降っています。
おおきいちびは昨夜熱を出したのがウソのようにけろっとしています。少し咳はしていますが、見た目は、普段と変わりません。
朝方、昨日の宿題(編集委員会の連絡実務)のひとつで、メールを打っていました。途中まで打ったところで席をたって、お手洗いに行っているあいだに、ちいさいちびに送信されていました。急いで、お詫びと連絡内容を打ち直しました。一瞬のすきをつかれました。
ちびどもは、予定通り、お昼過ぎにふたりそろって昼寝をしてくれました。これで仕事が少し進められます。まずは、昨日持ち帰った宿題のなかでもっとも手間のかかるものをこなしました。それが終わってからデスクトップと見ると、住所録のフォルダーがない。これもちびです。検索をかければすぐに探し出せるのですが、気がつかないと、どこかのフォルダーに退蔵されたままとなります。
ひとりで5時前。[no entry in Webcat]
5月12日の日記に、東京海洋大で、パーチャスの初版を発見したことを記しました。ウェブキャットで調べてみました。本のフルタイトルは次の通りです。
Pvrchas his Pilgrimage : or, Relations of the world and the religions observed in all ages and places discouered, from the Creation vnto this present.
London : Printed by W. Stansby for H. Fetherstone, 1613 [1st ed.].
さて、予想とおり、ウェブキャットでは、「京大人環総人 文明論」の所在のみが登録されており、この東京海洋大の蔵書は登録されていません。ウェブキャットのまだなかった時代に私は(率としてはなおまだ)大半の研究活動をしていますが、ウェブキャットができてとても助かっています。ほんとうにインターネットは便利だなというのを痛感しました。(インターネットが一般に普及したのは1995年で、まだ10年と経っていませんが、もう昔には絶対に帰ることができません。)
インターネットもウェブキャットもなかった時代には、他大学の図書館に関しては、もしカタログがでていれば、カタログを引く、でも最終的には現地に行って調査をしなければ確定的なことは言えないということで、探し出したい本のリストをもって、いろんな大学の図書館に行って、カードを繰るだけではなく、できれば書庫に入れてもらって、中を捜しています。
それは、足下の調査、つまり駒場のいろんな書庫を見て回った体験によっています。1例だけを示しましょう。今はどうなっているのかわかりませんが、駒場の哲学教室の書庫に、ウイルキンズの『実在文字』(1668)の原本が入っていました。次のものです。
John Wilkins,
An essay towards a real character, and a philosophical language
London : Printed for Gellibrand, 1668
今、ウェブキャットで調べてみましたが、予想通り、名大と琉大には所蔵されているという情報はでてきますが、東大駒場はまったく影も形もありません。しかし、こんな書物を捨てることはありえませんから、駒場のどこかには必ず存在します。
どうしてこういう予想ができるかというと、それは、当時もこの本がカタログに記載されていなかったからです。(おそらく、カードにも記載されていなかったように思われますが、この点は、記憶が正確ではありません。)つまり、一度、カード化に失敗した(カード化を忘却された)ものは、インターネットの時代になっても、ずっと存在が知られないままということになります。
とくに、それはこういう貴重書に多く見られるようです。歴史の古い大学で、昔からの書庫をそのまま使っているところでは、カタログに記載されていないこの種の本を見つけることのできる可能性が、まだまだかなりあるのではと踏んでいます。段ボール箱や、背中の見えない本が乱雑に集められている場所がとくに怪しい場所です。
ついでのことにもう1例。
それは、このページで前に触れたことのある、ガッサンディの大著『ディオゲネス・ラエルティウス第10書の注解』(Lyon, 1649) です。これは、1675年リヨンの版が、東大総合図書館にあります。関東大震災で図書館のかなりの本が焼失したときに、ヨーロッパ諸国から東大にかなりの数の本が寄贈されていますが、その一部です。(どの国からの寄贈であったかは失念していますが、実物を見れば、わかります。)
これもウェブキャットで検索してみると、学生時代に私が(当時の佐々木力先生に)お願いして駒場の図書館に入れてもらったコピーは、検索にかかりますが、もとの総合図書館所蔵のものは検索にかかりません。
Pierre Gassendi
Petri Gassendi Diniensis Ecclesiae praepositi, et in Academia Parisiensi matheseos regij professoris, Animadversiones in decimum librum Diogenis Laertii, qui est de vita, moribus, placitisque Epicuri : placita autem, quas ille treis statuit philosophiae parteis, continent
I. Canonicam nempe, habitam dialecticae loco :
II. Physicam, ac imprimis nobilem illius partem meteorologiam :
III. Ethicam, cuius gratia ille excoluit caeteras.
Lugduni : Sumptibus Francisci Barbier , 1675
いわゆるジャイアント・フォリオです。東大総合図書館の書庫でこの本を手にしたときには、手が真っ黒になったのを覚えています。おそらく、関東大震災後(たぶん、受け入れ態勢が整ってから)書庫に入って以来、だれも触ったことがなかったのではないでしょうか。そういう感じに埃が積もっていました。今度来るときには、手袋が必要だと思ったことを覚えています。
ちびどもがおそらく、5時半近くに目覚めた後、私は6時。私が一番遅くなったのは、調べたいことがあって、いつもより遅くまで起きていたせいです。午前中に、明日の編集委員会の準備を終えました。2~3時間の作業でした。
今月は、ここまで51枚。
よなかに一度目覚めました。昨日に続いてのことです。今日はちいさいちびがおそらく夢を見たのでしょう、あまりに大きな声をあげたので目が覚めました。おおきいちびが起きて、5時半。私はもう少し寝ていたかったのですが、仕方ありません。どうもちびは、コンビニに行きたかったようです。去年は、よく行っていました。ちいさいちびがうるさくなったので、今年は簡単に行くわけにはいきません。
昨夜、辞書を検索していたら、http://lib.luksian.com/texte/encndict/018/ に、The Oxford Dictionary for Writers and Editors がほぼまるまる載っていました。実物をもっていないので、全部事項掲載かどうかはわかりませんが、略語等けっこう使えます。(ファイルは、500K 近い大きさです。)
暑くて寝苦しい夜。5月のはじめから、そういう状況だと、先が思いやられます。[サンゴ v ]
1661年に出版された著作で、ボイルは、サンゴについて次のように伝えています。(『ボイル著作集』第2巻、pp.193ff.)
「サンゴが海底では柔らかいが、空気中に引き出されると、その大きさと形を保持したまま、石のように凝固するということは、自然学者の間の伝統である。オヴィデウスは次のように述べる。
サンゴは水中では柔らかい植物であるのに、空気に触れた途端、硬くなる。」
これに続けて、ボイルは、ベガンをはじめ、このことに強く反対する者もいる事実を注記したうえで、ガッサンディ、フルニエ、ピソの証言によって、この見方を支持しています。
こういうふうに、サンゴは、植物ととらえられていたわけです。実際サンゴの形態は、樹によく似ています。荒俣宏氏の解説によれば、サンゴには(イソギンチャクにもシャコ貝にも)共生藻類が付着しており、その藻類が太陽の光によって光合成を行い、栄養分と石灰質を宿主に提供している。したがって、サンゴが樹に近い形をしているのは、光合成のしやすさ(できるだけ多くの光を吸収するための形)のためということになります。
なお、オヴィデウスのこのことばも、荒俣宏氏は、引用しています。つまり、この種の伝承ということでは、典拠となる文章はほぼ決まってくるということでしょう。ちびの幼稚園登園といっしょに家をでて、そのまま東京海洋大図書館に調査に行きました。9時にでて、2時過ぎに帰ってきました。
例によって、20巻本の『ハクルートの遺著、あるいはパーチャスの巡礼記』でボイルの引用箇所を確認する作業を行ってきました。海洋大図書館の蔵書ではどういうわけか、第12巻だけ欠巻となっており、その部分を除き、調査は終了しました。終わった後、本棚の前後を見ていると、古い本があります。もしやと思い、いわば本をうつぶせに寝かしていて、背表紙の見えなくなったいるものを手に取ると、この初版本がありました。
1613年にロンドンで出版された、『パーチャス巡礼記、または世界創造のときから今日まで全ての発見された場所と時代において観察された世界と諸地域の叙述』と称する版です。ボイルが利用したのは、これではなく、1625年に巨大フォリオ4巻本でだされたもの(大幅な増補版)なので、照合作業には影響しないのですが、17世紀初頭の本が何気なく、本棚に並んでいるという事実が重要です。本来は貴重書棚を設け、空気を管理して保管すべきものでしょう。それがただ普通に本棚に置かれていました。
せっかくですから、そうした古い本は全部見てみましたが、18世紀のフランス語の本がすこしありました。パーチャスの他に私にとって重要なものは見つかりませんでした。
ひとりで5時。
今日はちびの幼稚園のピクニック。リュックサックを買ってもらって、前から楽しみにしていました。雨が心配だったのですが、晴れて、朝から夏のような熱気となっています。予報によれば、28度まであがるとのこと。まさに夏です。昨夜の7時過ぎに、今朝の11時締切の仕事がメールでやってきました。睡眠中に考えて、ちびどもが出かけてから、まとめ、9時過ぎに提出しました。いろいろ言いたいことはあるのですが、今回は自制しておきます。
たった今日本科学史学会より届いた郵便で、今月末の学会の発表時間がわかりました。
私の発表は、5月29日(土曜日)午後13時40分から14時、C会場です。
なお、せっかくですから、前後を示しておきましょう。
13時~13時20分 山田俊弘「キルヒャーの地下世界論」
13時20分~13時40分 本間栄男「ガサンディとソルビエールの生理学」
13時40分~14時 吉本秀之「ロバート・ボイルの読書/引用/執筆」
さて、本日は、駒場の授業「科学史特論」の4回目。暑いさなかにでかけます。→生協で、ちいさいちびようのマウスと本屋さんで、私の偉大な先輩の次の本を購入しました。
小林傳司『誰が科学技術について考えるのか:コンセンサス会議という実験』(名古屋大学出版会、2004
ちいさいちびは左利きなので、新しく買ってきたマウスをちびどものコンピュータの左側につけてやりました。右側にも、別のマウスがあり、キーボードを挟んで2つのマウスがつきました。ふたりで動かして喜んでいました。コンピュータの二刀流ということになります。めったに見られない姿でしょう。[New French Restaurants in KOMABA]
駒場の非常勤室は、あきらかに不遇な場所にあります。正門よりも、吉祥寺よりの改札をでてすぐの入口・出口からの方が明らかに近い。前回から、この裏門から出入りしています。さて、ずっと工事していた舗装が完成していました。なんか右手に見たことのないものがあります。何かと思えば、昔の同窓会館のあった場所に、ファカルティハウスなるものが建っており、ちゃんとしたフレンチのレストランの看板がかかっています。
1階が、「ルヴェソンヴェール駒場」というフレンチレストラン。
2階が、「ファカルティクラブ橄欖(かんらん)」
ちゃんとしたシェフがいるのだそうです。
ひとりで5時前。4時半に目が覚めましたが、ちびどもを起こすとよくないので、しばらく布団のなかにいました。昨日降り始めた雨がまだ降っています。昨夜、就寝前に、荒俣宏『世界大博物図鑑別巻2 水生無脊椎動物』(平凡社、1994)をある程度読みました。刺胞動物は、なかなか不思議な生物です。さらに、真珠貝の部分も、読みましたが、興味深い記述でした。
序文も読みました。刺胞動物というのは、予想以上に不思議な生き物でした。次の7つが、刺胞動物の下に分類されていました。
ヒドロ虫
カツオノエボシ
クラゲ
ソフトコーラル
深海サンゴ
イソギンチャク
造礁サンゴ
よく読むと、普通のサンゴもイソギンチャクもクラゲも、見た目と違って本当に近い生き物です。少し大げさに表現すると、イソギンチャクが泳ぎ出せば、クラゲになり、クラゲが海底に定着し、藻の助けを借りて、石灰質分を固定するようになれば、サンゴ、まあ、そういった感じです。今日締切の論文を無事提出しました。同時に、去年の秋に提出した次の本誌を2部と、別刷りを50部受け取りました。
「ボイル思想の自然誌的背景」『東京外国語大学論集』第67号(2004), pp.85-105.
大学の紀要に書くのははじめてでしたが、思ったより丁寧に仕上げてくれています。別刷りも50部という数でくれるとは知りませんでした。50部あれば、学会等で、必要な方にだいたい配ることができます。
なお、今日提出したものに関しても、ともかく書き上げてみて、はじめて見えてきたことがあります。今朝から、早速、その調査にはいりました。書き上げないと、次には進めないことがよくわかったので、ともかく手元にあるものを遠慮せずどんどんまとめていこうと思います。書いている最中に見えてくること、書き上げてから見えてくることにかけてみようと思います。
ひとりで4時半。さすがに仕事をする時間を取ることができるかと思ったら、おおきいちびが5時半過ぎに起きてきました。しかも、6時前にちいさいちびが起きてきて、わーわー。やれやれ、とほほ。
10時半ごろに雨が降り始めました。たいした量ではないのですが、ともあれ、しとしとと。ちびどもは外に連れていってやるとともかく機嫌がよくなります。雨が降られると、さてどうしたことか、頭を抱えることが多くなります。→予想と違い、ちびどもはふたりで仲良く遊んでくれました。お昼過ぎ、雨がほとんど止んだときに、近所の生協に買い物に連れ出しましたが、100円の傘で大喜びして、すっかりご機嫌でした。金曜日から専念している執筆活動ですが、なんとか、明日の締切に間に合いそうです。今朝は、英文レジメを作文していました。いきなり、英文を書き始めると、どうも日本語で書いたものと内容が少しずれてきます。日本語で表現したことがすぐには英語にできないので、英語で表現しやすい内容に重心が移るという事情がひとつあります。
[サンゴ iv ]
ふと、荒俣宏の博物図鑑に、海中生物の巻があったことを思い出し、2階の部屋に取りに行きました。ありました。『世界大博物図鑑別巻2 水生無脊椎動物』です。
さて、その刺胞動物のソフトコーラルの項に、何と、下のランカスターの引用がありました。(p.52 右)私が下に引用した箇所をまるまる同じように引用しています。驚きました。
「一説によれば」ランカスターの記述するものは、ニコバル諸島やアンダマン諸島沿岸の砂地や泥地によく見られるヤナギウミエラ類の一種ということです。このウミエラは、地上の幹状の部分を出し、海底に根状の部分が埋まっていて、小さな木のように枝を広げたものがあるということです。荒俣氏の判断では、ランカスターの記述は少し大げさであるが、おおむね事実に即しているということです。
なお、ウミエラ、あるいはソフトコーラルは、刺胞動物のうち、口道があり、遊泳クラゲ相をもたない、生涯をポリプ相の形でくらすグループを指す、とのこと。しかも、このソフトコーラルが知られ出したのは、ごく近年のことで、古い書物には記載がないということです。なるほど。
まったくの推量ですが、このランカスターの伝える話は、もしかしたら、ボイルが引用することで後世に伝えられるようになったのかもしれません。簡単に調べがつくとは思いませんが、ともあれ、頭の片隅において、調べてみたいと思います。
→実は、荒俣宏氏のものですから、私は、この図鑑の記述に、学説史(コーラルの研究史)があるのではと期待したのですが、さすがにそこまでは筆がまわらなかったようです。ただし、あのダーウィンに珊瑚礁の形成に関して、画期的な著作があるということを知りました。私も科学史家ですから、ダーウィンについてのものは結構読んだつもりですが、そのときにサンゴのことはまったく視野のなかになく、たぶん、記述がなされていてもまったく記憶に残らなかったのだと思います。(ダーウィンについては、ミミズの研究とかは印象に残っています。ミミズは大切だという知識と意識があったせいです。そういう意味ではサンゴも二酸化炭素の固定という重要な役目を果たしています。)
→もちろん、執筆の最中にこんなウェブ日記を記しているのは、逃避です。しかし、なかなかよい気分転換になります。そして、変な気分転換よりも執筆にはよいのでは、と思っています。
ちいさいちびが4時前に、咳き込み、戻しました。それでおおきいちびも起きてしまい、仕方がないので私が6時前からつきあってやっています。ちいさいちびは、もういちど就寝。ちびどもはさすがに睡眠不足のようです。ちいさいちびはお昼過ぎに騒ぎ出し、あ、これは眠いなと思って、抱っこしたら、ちょうど1時に就寝しました。こういう場合は仕方がないので、近所の体操教室で土曜日の午後2時から3時までやっている幼児バレエ教室には、私がつきあうことになります。ちいさいちびの寝起きが悪く、妻でなければ対応できないせいです。実は、先週に引き続き、私がついていくことになりました。体操教室についたら、おおきいちびは睡眠不足のせいでしょう、駐車場の段差に躓いて、手の肱を少しすりむいてしまいました。血を見ると、痛いと思うのか、なかなか泣きやみません。バレエの先生が絆創膏をもってきてくれて、少し落ち着きましたが、まだしくしく泣いているので、当分見学。このまま寝てしまわれると困るなと思っていたら、ちょうど30分で復活して、後半の30分だけみんなと練習に参加していました。30分で立ち直ったのは、おおきいちびにしてみれば、進歩です。
私は仕事道具を持って、体操教室に行ったのですが、それどころではありませんでした。
ちいさいちびは、2時に目覚め、少しの間起きていた模様。おおきいちびは6時に目覚め、おとうさん、したにいこう、と言って私は6時半。→ちいさいちびは、2時間ほど起きていたようです。そのせいで、妻は朝方あきらかに睡眠不足の顔をしていました。ちびは平気な顔をしています。この週末は、ちびどもに襲撃される時間を除き、執筆活動に専念します。ウェブでの活動はわずかとなります。
ひとりで5時半。連休は終わり、今日から授業が再開です。夏休みまで、土日に学会等何かしら行事があり、かなり忙しい日が続きます。→おおきいちびが6時、ちいさいちびが6時半に目覚めて、ひっきりなしに襲撃に訪れるので、朝は仕事になりませんでした。それだけではなく、とくにちいさいちびがいろいろうるさいので、疲れました。ちびが幼稚園に行くのと同時にでて、大学図書館で午前中調べものをする予定でしたが、1時間は休憩をとってからにしました。ML ARG の記事に、ディドロ・ダランベールの百科全書の図版を大阪府立中央図書館が電子化したというニュースがありました。
ディドロー・ダランベール百科全書図版(3000点)
図版集は、ペーパーバックで出版されているのでわりと手軽に入手できると思いますが、これはこれで使えます。[オラウス・マグヌスがあった]
大学の同僚の研究室に、オラウス・マグヌスの翻訳がありました。
オラウス・マグヌス『北方民族文化誌』上下
谷口 幸男訳、渓水社、1991-92。
上巻、645 p,¥9,975 (税込)、下巻、684 p,¥12,600 (税込)の大冊です。早速借りて読んでみました。よくぞ訳してくれた、という書物です。
原著は、1555年、ローマで出版されています。
Olaus Magnus, Historia de gentibus septentrioalibus,Rome, 1555.
おおきいちびといっしょに5時半。夜半から雨。子どもの日は一日雨のようです。お昼過ぎ、雨が上がりました。ずっと家のなかだと、1時間と間をあけずにちびどもが襲撃してきて、集中した仕事はできません。気分転換に外につれだしました。おおきいちびが編み物をしたいというので、ユザワヤに。私も文房具を買う用事があったのでちょうどよし。やはり睡眠時間が足りていなかった小さいちびは、帰り道で眠ってしまいました。おおきいちびも眠そうですが、頑張って起きています。どこまでできるのかはわかりませんが、妻に編み物の初歩を教わっています。→さすがに、まだ無理です。おおきいちびは、疲れと眠気のせいもあり、できないと言って泣き出しました。ちいさいちびは、毛糸をはさみで切るのが面白くなったようで、ひたすら、糸屑を生産していました。まだまだそんなものでしょう。
ひとりで4時。暖かくなっています。明らかに睡眠時間が足りないまま目覚めてしまったちびどもがうるさいので、外に連れていってやることにしました。伊勢丹の屋上で子供用のイベントがあるということで、まず、伊勢丹に行きましたが、強風のためメインのイベントは取りやめ。ということで、いつもちびどもが行っている東急本店に連れていってやりました。ただ見ていてやれば、もう自分たちで遊ぶことができるようになっているので、こちらは、紀伊国屋書店に文房具を買いに行った以外は、ほとんどただ座って見ていました。12時半過ぎになかにあるお店で食事をとったまではよかったのですが、そろそろ眠くなっていたようで、数分の1も食べず。普段よく食べるおおきいちびもあまり食べず、そろそろ潮時かと思い、1階に降りたら、うさぎちゃんのところへ行きたいと、小さいちびが大暴れ。限界なのは明らかだったので、暴れても気にせず、連れ帰りました。西荻の駅から自宅に帰る途中で、ふたりとも寝てしまいました。おおきいちびはベビーカーの上で、ちいさいちびは妻にだっこされたまま寝てしまいました。たっぷり2時間昼寝。少なくとも1時間以上睡眠不足だったので、それを取り戻した格好になります。
ちびどもが寝て、少し作業をし、ちょっとおなかがすいたなと思い台所に行って、ああそういえば、今日はまだ新聞を読んでいなかったことに気付きました。普段の日でも、最近の新聞は読んでいて嫌な気分になることが多いので、講義にかかわる情報だけはできるだけ収集するようにしていますが、あまりしっかりとは読んでいません。
[サンゴ iii ]
少し気になったので、ベックマンにサンゴ虫の記述かないかどうか捜してみました。サンゴ虫はありませんでしたが、代わりに「人造真珠」の項があり、なかなか興味深い内容でした。まず、ベックマンが記述している時代(18世紀末~19世紀冒頭)においてまだヨーロッパ人には真珠の作り方が正確には知られていなかったということがわかりました。また、ゲスナーの翻訳を通して、アポロニウスから次のことばを引用しています。
「ある種のえさを使って貝の口を開かせ、鋭く尖った器具で貝を刺し、流れ出る体液を鉄製容器に作った小さい穴の中に受け止めた。液はその穴のなかで固まって本物の真珠になった。」
なお、この人造真珠の項では、ゲスナーの他に、レオミュール、デュアメル、タヴルニエ等、私が今調査している著作家が引用されています。つまり、ベックマンは17世紀半ばぐらいからの著作をよく使っているということだと思います。
ひとりで5時半。昨日は一日中寒く感じましたが、今朝は少し気温が上がっているようです。[サンゴ ii ]
プリニウスで、サンゴについての記述を見てみました。第32巻「海棲動物から得られる薬剤」にもっともまとまった記述があります。([21]~[24]、邦訳、1302頁)。
「サンゴは、形は灌木のようで、色は緑だ。その実は水中では白くて柔らかい。それを取り出すとたちまち硬く紅くなり、外観も大きさも栽培したミズキのそれに似ている。それが生きているとき、ちょっと触っただけでたちまち石化する。」
これを読むと、どうもサンゴの生物学的実体、サンゴ虫の群生は、サンゴという木の実というふうに見ていたようです。
われわれが普段目にするサンゴは、生物起源の炭酸カルシウムです。プリニウスの昔もそうでしたが、今でも薬用に用いることがあるようです。
『科学史技術史事典』では、たった1箇所、ルネ・レオミュール(1683-1757) のところに、サンゴ虫への言及がありました。レオミュールは、おそらくレオミュール寒暖計でもっとも有名だと思われますが、『昆虫誌』(6巻、1734-43)があり、サンゴ虫の研究も知られているとあります。つまり、レオミュールを読めば、17世紀後半から18世紀はじめにかけてのサンゴ虫の研究レベルがわかるわけです。イタリアの斜塔堂より、今朝方次の本が届きました。桑木野さん、手配、ありがとうございます。
Agostino del Riccio
Istoria Delle Pietre
Torino: Umberto Allimandi, 1996
ちょっと予想していた感じとは違いました。大きさとしては、フォリオの版型で、美術書のようなつくりです。ラピスラズリの杯とか、石を用いた工芸品・美術品の写真が多く収載されています。最初のぱっと開いたページが、サンゴについてのページで、写真のページのなかには2箇所、樹状の形をとどめる赤サンゴと加工された赤サンゴの流麗な写真がありました。
ひとりで4時前。ちょっと早すぎるかも知れません。→ちいさいちびが5時過ぎに、おおきいちびが6時前に起きました。こうなると仕方がありません。ちょうどいま、ちびどもはコンピュータのゲーム(インターネット上にあるものです)が面白くなっており、仕事をしていても、占拠されます。東西線を使えば、ちびどもを連れて、何とか葛西臨海水族館に行くことができそうだったので、朝一番で連れていくことにしました。
水族館の開館時間が9時半。ちょうどそのあたりに現地に着くように家をでましたが、東西線の西葛西駅についたところで、おおきいちびがおなかが空いたというので、駅前のファーストフード店で軽く食事。それから、バス乗り場に向かいましたが、外は寒く、バスはかなり長く待っていないといけないので、タクシーを使うことにしました。ちいさいちびが朝からもう2回もどしていて、これ以上もどさせないようにという配慮もありました。
地図だと、駅から水族館まで2キロですが、どうも道が混雑するようで、タクシーで正解でした。車の苦手なおおきなちびには、渋滞に巻き込まれたバスは到底耐えられないでしょう。(タクシーでも、最後の最後に泣いていました。)
連休の2日目。さすがに、ちびどもがいっぱいでした。小さな水槽の前は人だかりで見ることができなかったので、最初のカツオの水槽、真ん中のマグロの水槽、外のペンギンの水槽しかまともに見ていません。それよりもちびどもには、ちいさな遊び場があちこちにあるのがうれしいようで、そうした場所で遊んでいる時間が大半でした。
11時半ぐらいには、外にでて、公園入り口の芝生で遊ばせていました。1時半ぐらいには、現地をでて、今度は京葉線で帰京。ちいさいちびは電車に乗り込む直前に昼寝にはいりました。おおきいちびも眠そうだったので、ベビーカーに座らせましたが、中央線のプラットフォームでおやつを買ってやると復活。休日には、中央線快速は西荻には止まらないので、どこで総武線に乗り換えようかと考えたのですが、ちいさいちびが寝ていたので、一番乗換の楽なお茶の水駅で、プラットフォーム向かいの総武線に乗り換えました。
ということで、何とか無事に帰ってきました。[サンゴ虫]
今、サンゴが生物的実体としては、イソギンチャクやクラゲなどと同じ刺胞動物の仲間で、ポリプと呼ばれる小さなサンゴ虫の集合体であることは、比較的よく知られていると思います。普通、サンゴ礁と呼ばれる石灰質の木の枝状のものは、その柔らかいサンゴ虫の集合体が固定した炭酸カルシウムの骨格です。
きちんとは調べていませんが、このことがはっきりとわかったのは、それほど古い時代ではないと思われます。ずっと古い時代には、サンゴは、地中海の深海で採れる赤い宝石サンゴが有名で、ヨーロッパでは一般にそちらのイメージの方が強かったかもしれません。さて、ボイルの時代には、サンゴ(の石灰質の骨格)のなかに、柔らかい虫状のものがいることは少しは知られていましたが、その関係は正確には理解されておらず、非常に不思議な存在と見られていました。最近、私が行っている研究内容の一例を示すために、ボイルから、次の文章を引用してみましょう。引用は、ボイルの著作のなかで最も体系的で理論的だと評価されている『形相と質の起源』(1666)からです。これには、邦訳がありますから、邦訳者に敬意を表して、その邦訳を引用してみましょう。
「ここで我々は海辺の砂の上に成長して若木になりつつある小枝を見つけた。それを引き抜こうとすると、もし強くつかんでいないと地中に収縮して沈む。しかも引き抜くと大きな虫がその木の根なのである。木が成長して大きくなるにつれて、どれほどその虫が小さくなるのかに注目した。虫がすっかり木に変わるとすぐに木は地面に根付き、非常に大きく成長する。この転換は私のそれまでの旅行中に見た最も驚くべきことの一つであった。この木を少し引っぱると葉は落ち、その頃までに乾燥していた皮はシロサンゴによく似た硬い石に変わる。それでこの虫は2度違った種類に転換したのである。我々はそれらの石を沢山採集して持ち帰った。」(赤平清蔵訳、p.103 )
この部分に関して、ボイル自身は、"* Purchas. Pilgr. part. the first. p.152." という欄外注をつけています。これは、ボイル自身本文で明示しているとおり、パーチャスに収録されたジェームズ・ランカスター卿の旅行記です。実は、この旅行記には邦訳があります。(岩波書店の大航海時代叢書)。その邦訳のタイトルは、「ジェイムズ・ランカスター氏(今は士爵)による、ドラゴン号・ヘクター号・アセンション号・スーザン号の四巨船、ならびに給糧船ゲスト号を従えて、一六〇〇年[一六〇一年]、ロンドンの貿易商らのために行われた、東インドへの初航海の記」です。訳者は、朱牟田夏雄氏。
「この島の海辺の砂浜でわれらは、小さな苗木から若木になりかけのものを見つけて、それを引き抜こうとしたところ、その木は身をちぢめて砂の中にもぐり込もうとし、しっかりつかんでいないともぐってしまうのだ。抜いて見るとその根は大きな虫になっている。そして驚いたことに、木が太さを増すにつれて虫は小さくなっていくのである。そして、虫が完全に木に化してしまうと、そこで地に根づいて、あとはだんだん大きく育ってゆく。この変身は、余のすべての旅行を通じて、いろいろ見かけた中でももっとも不思議な現象の一つである。というのは、この木をすこし引き抜き加減にしておくと、葉はすっかり落ち、樹皮も乾いてくる。そうするとその乾いた樹皮が、白珊瑚によく似た固い石に変わるのである。つまり、虫が二度変身して、植物からさらに鉱物に変わるのだ。この虫をわれらは多く集めて故国に持って帰った。」
さすがに、朱牟田夏雄さん、非常によくわかる達意の翻訳です。ただ一点、最後故国に持ち帰ったのは、虫そのものではなく、「白珊瑚によく似た固い石」だと思われる(サンゴ虫は、簡単には多く集めて持ち帰ることはできないはずなので)ので、赤平さんの訳が正しいでしょう。さて、新しいボイル著作集におけるボイルの英文は次の通りです。Here we found upon the sand by the Sea side, a small Twigge growing up to a young Tree, and offering to pluck up the same, it shrunk down into the ground, & sinketh, unless you hold very hard. And being pluck'd up, a great Worm is the Root of it: and look how the Tree growth in greatnes, the Worme diminisheth Now as soon as the Worm is wholly turn'd into the Tree, it rootheth in the ground, and so groweth to be great. This Transformation was one of the greatest wonders I saw in all my Travels. This Tree being plucked up a little, the Leaves stripped off and the Pill, by that time it was dry turned into a hard Stone, much like to white Coral. So that (concludes he) this worme was twice transformed into different natures: of these we gather'd and brought home many.
この英文は、明らかに微妙におかしい。パーチャスに採録された英文は次の通りです。
Heere, likewise we found upon the sand, by the Sea side, a small twigge growing up to a young Tree, and offering to plucke up the same, it shruke down into the ground: and sinketh, unless you hold very hard. And being plucked up, a great Worme is the roote of it: and looke how the tree groweth in greatnesse, the Worme diminisheth. Now, as soone as the worme is wholly turned into the tree, it rootheth in the ground, and so groweth to be great. This transformation was one of the strangest wonders that I saw in all my Travails. For, this tree being plucked up little, the leaves stripped off, and the pill, by that time it was dry, turned into a hard stone, much like to white Corral: So that (concludes he) this worme was twice transformed into different natures: Of these we gathered, and brought home many.
先頭文字の大文字、小文字の別や、"Here" と "Heere" のような差は、正書法の確定していなかったこの時代においては無視しましょう。また、もとの "strangest" を ボイルが "greatest" と変更したこともここでは無視してよいでしょう。問題となるのは、ボールドで印をつけた差異です。
念のために、バーチ版全集でも、この引用箇所を確認しました。さすがに、ピリオドとコンマの付け忘れはありません。そうだとすると、重大な問題は、『形相と質の起源』(1666)の初版(または第二版)でピリオドとコンマが落ちており、それをそのまま新しいボイル著作集が踏襲したのか、あるいは、もともとはあったのに、新しいボイル著作集が落としてしまったのか、ということです。仮に初版で落ちていたとしても、校訂版であるべき新しいボイル著作集では、そのことを注記すべきでしょう。
ともあれ、校訂版であれば、こうしたミスは重大です。
さらにそれでけではなく、この部分に対する新しいボイル著作集の編集注は、「パーチャスからのボイルの引用は、非常に自由 very freeであり、五箇所で表現を変えている。そのうち一箇所では、"little"の前に "a" を挿入しており、実質的に文意に影響している。」と述べています。しかし、ピリオドとカンマを除けば、正書法の定まっていない時代における引用のこの程度の差異は、まったく通常のことであり、とても "very free" と評するようなものではありません。"little" が副詞として使用される場合、たしかに、"little"(ほとんど~ない)と "a little"(少しは)では、意味が違います。しかし、この場合には、 朱牟田夏雄さんの翻訳のように解するのが正しいと思われます。そう解釈しないと、"For" で始まる文が意味をなさない。
むしろ、ここで重大なのは、新しいボイル著作集の編集注の作成者が、原則、引用箇所との照合作業をほとんど行っておらず、この箇所のようにたまに行ったときには、この時代の引用の習慣に定位する判断ができていない点です。
ということで、新しいボイル著作集の編集注には、批判的態度で臨むことが必要であり、場合によっては本文にも批判的態度が必要かもしれない、ということです。(本文のエラーがここだけであればよいのですが。。。)
なお、"pill" は、バーチ版では、"peel". このように今とはスペルが違い、しかも人によって、あるいは同じ人でも時と場所によってスペルが違うことのある、この時代の英語には、最初のころ(つまり、学生時代)はかなり苦労しました。しかし、あるとき、文字を見て、音が耳の奥で響き、そこから意味がとれるようになって、ずいぶんすらすらと読めるようになりました。もちろん、この場合 "pill" から"peel" を読みとるためには、ピール(樹皮)という単語を知っていないと話にならないのですが。
ちいさいちびが目覚めて、4時半。少し早すぎます。ちいさいちびは午前中に昼寝をすると思います。→少し暴れてから1時過ぎに昼寝をしました。[そうは言ってもハクルートはすごい]
ハクルート協会のサイトを見直しました。1846年に設立されて今日に至るまで、多くの旅行記を出版しています。
第1シリーズは、1847年から1899年にかけて、100巻の旅行記を出版しています。
第2シリーズは、1899年から1999年にかけて、190巻の旅行記を出版しています。
そして、今は、第3シリーズを出版中で、1999年から現在までに12巻を刊行し、1年に2巻を今後とも刊行する計画となっています。
さらに、エクストラ・シリーズで、1903年から1993年にかけて、45巻を刊行しています。私が東京海洋大に調査に行っている、『ハクルートの遺著、あるいはパーチャスの巡礼記』は、このエクストラ・シリーズの No.14 から No.33 にあたります。これは、1625年版を、ハクルートの名前を出すことなく、リプリントしたものです。
さて、そのもとの1625年版ですが、copak.ac.uk によってもっとも詳しい書誌は次の通りです。Purchas his pilgrimes : in five bookes :
the first, contayning the voyages and peregrinations made by ancient kings, patriarkes, apostles, philosophers, and others, to and thorow the remoter parts of the knowne world: enquiries also of languages and religions, especially of the moderne diuersified professions of Christianitie.
The second, a description of all the circum-nauigations of the globe.
The third, nauigations and voyages of English-men, alongst the coasts of Africa ...
The fourth, English voyages beyond the East Indies, to the ilands [sic] of Iapan, China, Cauchinchina, the Philippinae with others ...
The fifth, nauigations, voyages, traffiques, discoueries, of the English nation in the easterne parts of the world
London : Printed by William Stansby for Henrie Fetherstone, and are to be sold at his shop in Pauls Church-Yard at the signe of the Rose, 1625
Physical desc.: 4v. : ill., maps ; 34cm. (fol.)
Vol. 1: [38], 186, 468, 479-642, 645-748, [24] p. (first leaf blank), 1 leaf of folded plates;
v. 2: [4], 749-1270, 1269-1860 p.;
v. 3: [28], 1006, 1009-1140 p. (first leaf blank), [3] leaves of folded plates;
v. 4: [8], 1141-1973, [1] p. (first leaf blank), [2] leaves of folded plates
つまり、物理的には4巻本で、ノンブルはその4巻を通したものとなっています。最後のページが1973頁で、版型は大型のフォリオ版です。内容的には、5つのブックスからなります。(このブックスをどう訳せば、日本語で間違いなく理解してもらえるのか、ちょっとわかりません。)
このフォリオで4巻本を、最近の一般的な版型に直せば、20巻本となるわけです。