ちいさいちびはやはり夜中に咳をして、もどしました。私は7時半。昨日少し疲れました。疲れの度合いは、寝ているときの体感でわかります。→少しずつ、冬らしい寒さになってきました。
昨夜大学のアドレスに60通以上の迷惑メール(スパムメール)が届いていました。あまりに多いと、ほんとうに必要なメールを見逃す可能性が高くなります。
台北旅行にでたときから、あらゆる種類のウイルス・メール、スパム・メール、迷惑メールをメールソフトのゴミ箱に蓄積しています。843通。1ヶ月でこの数。中身を見ないときは見ませんが、ときに読んでいます。今でまわっているもののパターンはほぼ把握しました。夕刻、散歩を兼ねて、明日のパンとミルクと本を買い出しにでました。いつもの本屋さんで雑誌3冊を買ってきました。
『サイゾー』12月号
『美術手帖』2004年12月号、特集:日本写真史がわかる!
『InterCommunication』No.51 (Winter, 2005) :Visual History
『美術手帖』と『InterCommunication』は、ずいぶん久しぶりに買いました。お風呂に入っている間に次の本がアマゾンより届きました。
矢島道子+和田純夫編『はじめての地学・天文学史』ベレ出版、2004
矢島道子(序章1)+泊次郎(序章2+3)+山田俊弘(第1章1+2)+岡本拓司(第1章3)+矢島道子・岡本拓司(第2章1)+矢島道子(第2章2)+岡本拓司(第2章3)+和田純夫(第3章1)+風間敏・山田俊弘・和田純夫(第3章2)+和田純夫(第3章3)+山田俊弘・八耳俊文(コラム)、という構成です。まだ読んでいませんが、きれいで読みやすい(活字の組み方)本に仕上がっています。[リンゴ病ii]
ちびどもは幼稚園からお友達を連れて帰ってきました。性格の善し悪しではなく、自分より小さい子の面倒を見てくれるかどうか、いたずら大王のいる我が家ではその点が重要なポイントとなります。今日来てくれた子は、我が家のいたずら大王の面倒を見てくれるのでたいへん助かります。いたずら大王も大喜び。
そのお友達がやはり去年(年少さんのとき)、リンゴ病になったということでした。子どもの罹る病気のなかでは、リンゴ病はほんとうに軽度のものです。親としては病気でもないのに夜中にもどされる方がよっぽど大変。
ちいさいちびが夜中すこし暴れました。去年の冬よりはましですが、最近落ち着いていたのにどうしてでしょうか。冬と関係するのかと考えました。
朝から騒いでいたので、正確な起床時間は不明。階下にきたのが7時前。間違い電話の留守電が2件はいっていました。昔からよくかかってくる間違い電話です。どっかの大家さんをしているおじいちゃん。どこか根本的に間違えているようです。[ついにきた]
ついにきました。8チャンネルのテレビ番組「トリヴィアの泉」からの問い合わせが。研究者なかまのかたのところにはけっこう番組関係者から問い合わせの電話があるというふうに聞いていました。内容から判断して、私のところにもあるかもしれないと思っていたら、3限と4限の授業のあいまに研究室にかかってきました。私の知らないことがらだったので、適当だと思われる方を推薦して電話を切りました。ちょうどそのとき研究室にいた大学院生は番組にでたかったようです。[リンゴ病(伝染性紅斑)]
一昨日からおおきいちびに、斑点状の発疹がでています。ほっぺと手足。昔ジンマシンがでたときに似ています。しかし、少し様子が異なる。妻は水疱瘡を心配しています。ということで朝一番でかかりつけのお医者さんへ。ジンマシンでもアレルギーでもない。水疱瘡でもない。一番似ているのは、リンゴ病(伝染性紅斑)ということでした。熱もない、口のなかの腫れもない、つまりその他の症状がまったくないので、正確にはわからないが問題はないであろうという診断でした。何かのウイルスの仕業のようです。→ウェブにリンゴ病の記載がありました。たしかに、症状としてはそれが一番近いようです。罹ってもはっきりとした症状がでないまま、免疫ができる場合が多いようです。症状はでるとすると風邪に近いもので、とくに気にしなくてもよいようです。
ちいさいちびは夜中かなり咳をしていました。去年のように暴れてはいませんが、ちょっと首もと(気管支の部分)に冷たい風があたると、咳をするようになります。
おおきいちびがおなかがすいたと私の耳元でつぶやいて、6時半。下に降りて、ドーナツ、チョコワとむしむし食べていました。
今日も暖かく好天。11月もすぐに終わりますが、冬という寒さにはなっていません。
ちびどもがめざめて、6時半。昨夜は風が強く吹いていました。地面には落ち葉がたくさんたまっています。今朝はその落ち葉拾いからはじまります。[編集委員会の仕事]
朝方、印刷所より2校がどさっと届きました。最初の論文が力作で、細かい赤がたくさんあります。これをしっかり追うのは、大変でした。他の箇所は、ごく単純。作業時間の9割は、この論文にかかりました。夜、8チャンネルで、「海峡を渡るバイオリン」を見ました。ちびどもが寝付いて、居間で一休みしているときにチャンネルをひねると偶然やっていたのですが、最後まで見てしまいました。よい作品でした。こういう作品を見ると、わたくしは、もうすっかり親の立場から見ていることに気付きます。
なお、本の『海峡を渡るバイオリン』は、2002年に出版されています。
タイトルですが、何か聞き覚えがあるなと思いました。
関川夏央『海峡を越えたホームラム』双葉社、1984
昔読んだこの本がやはり、日韓交流(?)のドキュメンタリーで、タイトルをつけた出版者(編集者)が一部まねをしたのではないでしょうか。それまでまったく視野のなかになかった韓国について、関心を呼び起こしてくれたのは、関川氏の韓国ものでした。
→『海峡を渡るバイオリン』(河出書房新社、2002、¥1890)と山本 おさむのマンガ『天上の弦』(3巻)をアマゾンに発注しました。ドラマではあまり描かれていなかった彼(陳昌鉉氏)のその後の人生を知りたくなったせいです。遠い記憶ですが、どこかで彼の話は読んだ気がします。マンガだったのでしょうか?何かのエッセイだったのでしょうか?
ちいさいちびは、夜中に布団(ほんとうは毛布)を蹴飛ばしていたようで、咳。前の晩はせっかくよく寝たのに、まあ、一進一退、行きつ戻りつ、ということでしょう。ちびどもが騒ぐのであきらめて起きて、7時。[ウォッシュレット]
8時過ぎにおねえちゃんがお手洗い。いつもは怖がってドアをいくらか開けている子ですが、今日は珍しくしっかり閉めています。と思ったら、いきなり、こわい、といって泣きながらトイレから飛び出してきました。何かと思って、トイレに行ったら、ウォッシュレットでした。我が家のトイレにウォッシュレットはもともとついていましたが、使ったことがありません。夏場は電源そのものを切っているのでまったく問題がないのですが、冬場はお尻を暖める機能だけをオンにしています。ウォッシュレットのスイッチは、トイレットペーパーの手前にあり、トイレットペーパーを触っているうちに、偶然、ウォッシュレットのスイッチが入り、ノズルが移動して、お尻にむけて水を発射したようです。おねえちゃんは、クラス一番の恐がりで泣き虫です。10分ぐらいかけて、仕組みを説明し、やっと落ち着きましたが、当分こわい、こわい、といいそうです。
おそらく、スイッチが偶然入ったのは、ちいさいちびがお手洗いにはいっているときに ウォッシュレットのスイッチに並々ならぬ関心を抱いていて、いろいろいたずら(触って)いるせいだと思われます。
朝からとんだじけんでした。夕食の前後で、昨日の5限の講義「遺伝子組み換え食品とグローバリズム」に出席した学生諸君に書いてもらったレスポンス・シートを読みました。全部で200枚前後あるので、それなりの時間がかかります。携帯電話による位置情報把握の話を2回目にしましたが、予想通り、今回の奈良小1女子殺害事件におけるGPS付携帯電話のもたらした捜査情報という話題にふれているものが目立ちました。たしかに、あまりに、タイムリーでした。(授業でそのことに話をふると、時間を取りすぎるだろうと思って、一切ふれませんでした。)
[住宅ローン金利 ii ]
3年前私が3年固定で借りたローンの利率は、1.55% です。ローン減税が年末残高に対して1%あることを勘定すると、当初3年間に実質で支払った利子分は、0.55% ということになります。もちろん、そもそも金利というものが存在する限り、こうした数字は底と見てよいでしょう。これより低い水準になることはない。
少しおさらいをしておきましょう。
昭和60年(1985年)代、民間ローンの固定金利は6%台でした。変動金利は5.5%前後。その後、ご存じの通り、日本経済にはバブルが生じ、バブル崩壊直前(1990年=平成2年)には固定金利が8%強、変動金利が8.5%にまで上昇しています。この8%強という数字は今の経済情勢からは信じがたい数字ですが、私の友人たちにもこの時代に住宅を購入した人がいます。もし今私がこの金利で(元利均等返済方式で計算しています)今の住宅ローンを組んでいたら、月々の返済金額が2倍近く(1.8倍弱)になっています。すごいことですが、たった10年の間にそれだけ大きな変化があったことになります。
バブル崩壊直前に住宅を購入された方は、住宅価格そのものの高値とあわさって、今かなり大変な思いをされている方が多いのではないかと推測します。(ローンの借り換えを行ったとしても、最初の借入金額の大きさがきいている。)
今、住宅金融公庫の基準金利は2.5%(当初10年間)だそうです。(ちなみに文科省の共済組合の金利は、2.96% 。)日本経済が仮に本格的に景気回復したとして、バブル最後の8%という数字まで行くことはないでしょうが、5%水準にまで上昇する可能性は見込んでおかなければならないと思われます。(10年とかいう間にはそこまでいかないかもしれませんが、可能性としては見込んでおく必要はあると思います。)
もちろん、借入期間によりますが、私の事例で、2.5% で支払った場合と5%で支払った場合を比べますと、1.2倍となります。2.5%の場合と8%の場合を比較すると、月々の返済金額は、1.5倍となります。1.2倍であれば、おそらく家計のやりくりで何とか吸収できるでしょうが、1.5倍は相当きつい。
私は5時半。ちびどもはまだよく寝ています。→おおきいちびは7時前、ちいさいちびは7時半に起きてきました。ちいさいちびがこんなによく寝るのは画期的です。たぶん、生まれてはじめてではないでしょうか。しっかり寝てくれるようになると、親はとても助かる。そういうときは、何かはっきりとした変化(または進歩)があるときです。今朝は、おねえちゃんといっしょに幼稚園にはいかずに、お家の前で遊んでいると言いました。私はどうせすぐに、行く、と言って、私が自転車で後を追いかけることになるだろうと予想しましたが、案に反して、お母さんが帰ってくるまで家の前でずっと遊んでいました。[住宅ローン金利 i ]
年末調整の書類を昨日提出しました。次に提出すべきは、住宅ローンの新しい金利。3年前の12月には、3年固定を選択しました。3年固定の次をどうするか決める必要があります。りそな銀行(借りたときはあさひ銀行)。固定金利は、2年2%、3年2.25%、5年2.8%、7年3.3%、10年3.5%です。ちなみに変動金利は2.375%。夏に少しまとまった時間をとって考えたとき、かなりいろいろ考えたのですが、ともあれ、また3年で行こうかと一応の結論を得ました。しかし、実際に契約する時期に来て、また迷いはじめています。
為替と金利はまた別物でしょうが、かなり前に、長期的にはドル高だからドルをもっておくのが一番だという金融関係者の発言にそうかなと思い、ドルを検討したことがあります。しかし、途中で面倒になって、放っておきました。現実は、それ以降、基本は円高に振れています。為替は、相当の専門家でも予想がつかない。(商社に勤めている友人は、為替はわからん、と言っていました。)
金利は、国策との兼ね合いです。インフレターゲット論が取りざたされていますが、そういう政策に国家が踏み切った場合には、恐ろしいことが起こります。経済評論家のなかには、政府は密かにインフレターゲット論を目指しているという人がいますが、どこまで信じられるのか、疑問です。国家財政の赤字を減らす最後の魔法の切り札がインフレターゲット政策だということそのものは理解できます。しかし、日本の経済と国家がそこまでひどくなるということはあまり想像したくありません。
現状のまま続くということもたぶんあまりないことでしょうが、かといっていつごろどのようにどの程度変わるのかの予想もできません。
ということで、しばらく悩んでいそうです。[遺伝子組換食品]
午後3コマの授業。5限は、3回行うリレー講義の第3回目。「遺伝子組み換え食品とグローバリズム」の話をしました。疲れはありますが、ともあれ、終わってほっとしました。(この話題は、化学薬品産業、農薬産業、育種産業、穀物メジャー、畜産-飼料複合体が関わる事柄で、問題の構図の見通しをどこまでうまく伝えられたか、ちょっと心配です。)
ちびどもはおそらくいつも通り。私は7時。昨日の疲れが効きました。暖かい11月末。好天。
親はふたりともやっとなんとかふつうに生活できるまで回復しました。100%ではありません。というわけで会議もゆっくりめででかけました。12時20分ぐらいに大学に到着し、少しメールの処理をして、1時からの会議に。1時開始予定の会議は、3時過ぎに終了。しかし、3時開始予定の学部教授会は、同じ部屋でその前にやっている会議が長引き、30分程度遅れました。学部教授会ではルーティンの審議、報告はすっと終わりましたが、最後に定年延長の問題が取り上げられ、いくらか白熱した議論。(沸騰とまではいきません。)それも6時過ぎには終わり、私は、6時40分ぐらいには帰宅。ちびどもはすやすやと寝床についていました。私は持ち帰った仕事を2点ほど処理しました。
大学につくと研究室の扉に、外語祭にきました、という卒業生の張り紙。珍しいお二人で、元気であればお会いしたかったのですが、風邪が回復していませんでしたから、またの機会でしょう。来てくれたお二人様、ありがとうございます。
キャンパスでは学生たちがもたもたと片づけ、清掃をしていました。これまでやったことがないんだな、という動きの子がいました。大学入学までにいろんな方面で身体を動かす体験の足りない学生が少なからず存在するようです。「身体を動かせ!」[年末調整]
会計に年末調整のための書類を渡しました。一番大きいのは住宅ローン減税で、税務署が10年分まとめておくってくれたものから平成16年分、ならびに銀行から送られてきた年末ローン残高証明書です。(その他は、生命保険関係の証明書、住宅の火災保険の証明書でした。)
教授会で隣に座った先生は、同じ書類を開いて、名前だけ記入された上で、お家に帰ってから銀行や保険会社から来ている証明書(葉書)を捜すと言っておられました。(書類の提出締切は、11月30日。大学が配った説明書きには、提出しないと税金が3倍になるという脅しが書かれています。それもなー。)[『博物図鑑の世界』]
慶應の高橋君の配慮で、丸善の方が私のメールボックスに『繁殖する自然:博物図鑑の世界』(慶應大学図書館、2003年)というカタログを入れておいてくれました。なかなかきれいなカタログに仕上がっています。慶應の哲学に入院される高橋君、丸善の岩田さん、ありがとうございます。なお展覧会そのものは、2003年1月27日から2月1日まで丸善日本橋店4Fギャラリーで開かれていたようです。私は全く気付いていませんでした。
ちびどもは5時半。私はもう少し寝ていたかったのですが、6時前に、おとうさん、したにいこう、ということで6時前。20日(土曜日)夜アマゾンに発注したメモリーカード(デジカメ用のピクチャー・カード)は今朝一番のメール便(佐川急便)で届きました。ほぼ最速で届いています。
私もまだ体力が回復せず、妻もひどくはなっていませんが風邪。しかし、約束によって、ちびどもと井の頭公園に朝からでかけました。おもち(すなわち、井の頭団子)を食べて、おなかをすかせた鴨たちに餌をやり、公園で遊ばせました。滑り台、ブランコ、シーソー、と定番で遊んでいましたが、途中からふたりともごねます。こういう場合はまずはご飯です。いつものラーメン屋さんに行き、昼食。ちいさいちびはぎょうざのなかみを8つ分も食べました。やはり、ごねたのはおなかがすいていたせいでした。なんと、ふたりもとそのお店でうんちをして、その後ユザワヤへ。クリスマス、クリスマスということで、クリスマス・ツリーと飾り付けを買ってやりました。ツリーは大きいちびと同じぐらいの背の高さのもの。1280円。飾り付けは、ひとりふたつ、といいましたが、少し多く買ったようです。(全部で3446円)。
早く飾り付けをしたいというので、(作戦通りです)すぐに家に帰ってきました。ふだんであればそれほどでもないのですが、今日は疲れました。ぐったり。でも、ちびどもは大喜びで飾り付けを行っていました。ちゃんとした人には叱られそうなものができましたが、ちびどもは大満足。ふー、でした。疲れた。例年は一度ぐらい足を運ぶ外語祭ですが、今年は結局一度もでかけずじまいでした。今日が片づけの日で、明日から通常の授業・業務にもどります。明日は、午後ずっと会議。
5時半。やはり、そのぐらいでリズムができています。ちびどもの咳はほぼおさまっていました。私の咳は、一昨夜と比べると5分の1程度まで減ってきています。乾燥しています。あれま、妻まで咳がうつったようです。→私の風邪がうつったようです。こどもたちはすっかり元気になっており、病人&半病人のふたりが元気なこどもの相手をすることになります。これはこれでなかなかしんどいことです。
しまった。夜中、ちいさいちびだけではなく、おおきいちびまで咳をしていました。私も咳。うつったのでしょうか。咳以外の症状はそれほどでていないのですが、少々心配です。
起床は、そろって6時前。午後に編集委員会。日曜日に行うのは珍しい。→2時からはじまりましたが、案件が少なく、1時間程度で終了しました。すこしおしゃべりをしたあと、帰り路へ。4時半には帰り着きました。早めの夕食、風呂ときて、ちびどもは7時頃に就寝。私は30分ほどいっしょに横になってから、今日持ち帰った編集委員会の宿題をこなしました。量が多くなかったので、1時間あまりでほぼすべてを処理することができました。
国際的な化学史のML=Maiser@listserv.uni-regensburg.de で、次の情報が流されました。カリフォルニア大学出版局が、ウェブ上に無料でダウンロードできる数百点のデジタル・ライブラーを公開した。科学史関連では次のものがある。
Alice Stroup, A company of scientists : botany, patronage, and community at the Seventeenth-century Parisian Royal Academy of Sciences.
Alan J. Rocke, The public revolution: Hermann Kolbe and the science of organic chemistry
Christopher Hamlin, A science of impurity : water analysis in nineteenth century Britain
Oliver Darrigol, From c-numbers to q-numbers : the classical analogy in the history of quantum theory
今はどれも品切れのものということです。
ちびどもといっしょに6時半に就寝して、ちびどもと同じ5時半に目覚めました。風邪のときの夢を見ました。鼻がつまり、何度か目覚めました。お医者さんは3日で直るでしょうとのことでしたが、まあ、そんな感じです。
それほどつらいところはありませんが、まだまだぼーとします。机の上の資料の地層の片づけをぼちぼち進めています。ワイアードニュースに、『グーグル・スカラー』開始という記事がありました。引用の多い論文・書籍順に並べられる、ということです。グーグルスカラー試験運用。目的を絞れば、使える検索サイトに成長するかもしれません。現時点では、まだ有用度をきちんと評価することはできません。
Jリーグ、浦和レッズ対名古屋グランパス戦をテレビで見る。レッズは力の入りすぎ。2対1でグランパスの勝利。前がかりになったときの浦和の守備の弱点をつかれました。とはいえ、第2ステージの優勝が決まりました。
2ヶ月ぶりに、 科学史の部屋をいくらか更新しました。
アマゾンでデジカメを買ってついてきたボーナスポイント3千円分ですが、xDピクチャーカードを先ほど発注しました。128Mで4300円程度のものを3000円割引+税で1480円。これで当分デジカメのメモリーに不足を来すことはないでしょう。
ついでに、ずっと買おうと思って買う手続きのとれていなかった本を2冊アマゾンに発注しておきました。
ちびどもはおそらく5時半ぐらい。私は8時過ぎ。この差は何か? 危惧していた通り、風邪でした。頭痛と鼻と喉に症状がでています。→ちいさいちびにつかまってしまったので、朝遅くなってからかかりつけのお医者さんにでかけました。まあ、軽い風邪です。(医者の診断を待つまでもなく、わかる。)薬を薬局で買って、西友で昼食、夕食の材料を買って帰りました。夕食の材料はおでん。ちびどもにはお餅(本当のお餅もそうですが、お餅に近いものであれば、喜んで食べます)をいろいろ買ってやりました。昼食後、薬を飲むと眠くなって、一寝入り。目が覚めた頃、幼稚園のちびがお友達をひとり連れて帰ってきました。おおはしゃぎ。→そのお友達ですが、4月生で、もうすぐ6歳。前歯が4本とも抜けていました。歯の生え替わりです。歯の生え替わりは、小学校入学前後というふうに思っていましたが、昔より少し成長が早くなっているようで、年中さんから生え替わりの子が出始めるようです。
ちいさいちびが起きて、5時半。昨日と同じ。昨日私が帰宅したときにはねていましたから、まあ、このぐらいの時間かもしれません。→外はどんよりとした曇り。これは雨が降ってきそうです。外語祭の準備、本番、後かたづけで、今日の18日から23日まで授業はなし。ただし、まだまだ会議は続きます。今日は4時からWG。(私が昨日決めたもので、室長と言う立場上いたしかたないもです。)
おっと困った。昨夜から風邪の先触れ症状。喉と鼻の調子が悪く、すこしのぼせます。本格的な風邪にならないように気を付けないと。→ちびたちが帰ってくる頃、雨が降り始めました。雨のなか、大学に向かいました。3時半すぎに到着。どろなわですが、その後のWGのための資料作成をしていると、私のほかの二人のメンバーが見えました。約2時間、WGのための話し合い。いろいろ有意義なことがわかりました。
[年末調整の季節]
大学のメールボックスに年末調整の書類が入っていました。銀行や保険会社からは、すでにそのための書類は届いています。一番大きな住宅ローン減税のための書類(税務署が10年分をまとめて送ってくれている)を引き出して、記入してみましたが、1年に1度記入していることはやはり余り覚えていません。説明書を何度も読んで、記入しました。体験値ということで言えば、0ではありませんが、非常に小さな数字にしかなりません。毎年毎年11月末に同じような苦労をすることになります。→風邪の頭でやるべきことではありませんでした。目の奥と、頭の奥がじーんとなって、くらくらしました。
ちいさいちびが起きて、5時半。ちいさいちびは、5時前後に目覚めたようです。
ちいさいちびはおねえちゃんとは違い、ずっと睡眠が安定しませんでしたが、このところ、まずまずしっかり寝るようになりました。ご飯もいきなりよく食べるようになりました。子どもが成長するときは、ほんとうに階段を一歩上るように成長します。会議+談話+会議+談話。そうして、6時に終了。
帰り着いて、夕食をすませたあと、ワールドカップ第1次予選、日本対シンガポールをテレビ観戦。1対0で勝利しましたが、凡戦。唯一の得点シーンを除き、見ていてわくわくする場面がほとんどなし。
おおきいちびが起きて、6時前。気温は12度。晴れ。おおきいちびは今日は近所の公園にでかけ、落ち葉拾い。ちびどもは昨夜はよく寝ましたが、妻の方は、まだまだ。リュックを背負ったちびどもを連れて、幼稚園へ。落ち葉拾いの日は、公園にでかけるところまで見送る習慣ということで、30分ほどちいさいちびを園庭で遊ばせていました。年長+年少組み(大きい子が小さい子の手を引いてあげる)、と年中さん同士の組が出発したあと、ちいさいちびも行きたい、行きたいと言います。仕方がないので、遊びに連れていってあげるというと、キティちゃんのところへ行きたいと言うこと。ちゃんと、駅前のコンビニに入って、おやつ(マーブルチョコです)とお茶と私のための缶コーヒーを買って、ちびのリュックにつめて電車に。東急に着いたのは、開店5分前でした。入口の椅子に座って待っていると、東急のおねえさんがお茶をくれました。こんな行き届いたサービスは、日本だけだろうな。ちびは自分でどんどん新しい遊び場に向かい、こちらはついて行くだけ。11時過ぎにおなかがすいたというので、子どもの階にある子供用レストランへ。ちびにはお子さまカレーセット。私もランチセットのカレー。半分も食べないうちに、おなかが痛いというのでお手洗いに連れていきました。立派なうんち。レストランにもどるとまだおなかが痛いというので再度お手洗いに。でももちろん、何もでません。再度レストランに戻るともう食べないというので、デザートもコーヒーも口に入れる暇なく、また別の遊び場へ。
そうこうしているうちに、お母さんが恋しくなったようで、もう帰ると言います。好都合なので急いで東急の前のバス停に向かいましたが、もう歩こうとはしません。抱っこして、バス停まで行き、バスを待っていましたが、割とすぐに西荻行きのバスは来ました。バスを降りてからも歩こうとはしないので、今度はおんぶしてうちまで。もう15キロ近くになっているちびは、けっこう重く、帰り着くと半時間ソファーの上でぐったりしていました。本人は、帰り着くと、いたってご機嫌。あとは、まずまず復活した妻に任せて、やっと私は自分の仕事にもどることができました。そう言えば、今週から大学祭=外語祭です。木曜日が準備日で、金曜日からスタートで火曜日までだと思います。詳しい情報は、大学のページからリンクが張られています。外語祭のページ。明日は午後ずっと会議ですが、木曜日からは研究生活にきちんと戻れそうです。
ちいさいちびが起きて、5時半。まだまだ暗い。寒さはそれほどでもありません。→朝方から本格的な雨降り。妻の状態は相変わらずで、どうしようかと思ったのですが、雨のなかちいさいちびもいっしょに幼稚園に行くというので、おねえちゃんといっしょに幼稚園まで連れていきました。入口で園長先生に挨拶したら満足したようで、帰りはベビーカーに座ってくれました。ちいさいちびを家にもどして、私は、その足で再度幼稚園の前を通って、大学へ。いつもは武蔵境9時半の電車ですが、今日は9時42分の電車。幼稚園と家との間を往復したことを考えれば、予想よりも早く大学に着くことができました。12分の差であれば、ほぼ通常通りと言えます。2限の講義終了後、チェコのカレル大学に1年間留学していた学生から、単位の振替認定の依頼。書類を読むと、Charles University. カレル大学が英語でそう呼ばれるというのは、ちょっと意外でした。知ってしまえば、もちろん、なるほどなのですが。(なお、授業は、英語で行われた哲学史のもので、何とデカルト、ロック、ライプニッツという懐かしい名前が並んでいました。)
昼休みの間、ICUの那須敬さんのサイトが紹介している、 恐怖のいぎりす鉄道を見ていました。そこからいぎりすまったくダメのページに移動し、さらに、怒りのイギリス生活を味読していました。ご本人にとっては面白いどころではないのでしょうが、イギリスではさもありなん、というところが面白い。もちろん、笑い話ではないのですが。。。
妻の調子がまだまだなので、幼稚園の迎えも私が行うことになりました。ということで、3限の大学院生に事情を説明し、その足で幼稚園に。少し遅れるかと思いましたが、終了5分前に着きました。雨上がりのところどころどろんこの園庭でちびどもは放課後を満喫していました。うちのちびは、ともかく走り回る組みにはいって、止まっては走り、走っては止まる、というのを繰り返していました。あれだけ走ると帰って疲れているのが納得できました。だいたい40分ほど走り回って、みんなさようなら。近所の八百屋さんで夕ご飯の材料を買ってから帰りました。
ちいさいちびが目覚めて、6時過ぎ。何度か目覚めてミルクと言いましたが、ぴーぴー、ぎゃーぎゃー、はなかったのでまずまず。朝方はかなり寒い。→気温が一日中13度でほとんど変化せず。妻が本格的にダウンしてしまいました。たぶん、子連れ台北旅行の疲れが残っているところへちいさいちびが風邪をひいて、その相手で閾値を超えたのでしょう。→ということで、私がちびどもの相手をすることに。ちいさいちびも3歳を超えてからは、ずっとましになってきていて、かなりの時間はおねえちゃんとふたりで仲良く遊ぶことができましたが、何かあると上で寝ているおかあさんのところへ行って、お母さん、起きて、をやります。そうした場合、叱るとひどくなるので、あきらめてなだめてやるしかありません。途中で一度、夕ご飯の材料を買いに近所のスーパーにでかけましたが、ふたりともけっこういろんなものを買い物かごに入れようとします。鍋というのは決まっていて、その材料は魚も肉もちいさいちびが選びましたが、肝心のちいさいちびようのミルクを買い忘れてしましました。→ミルクは、ちびどもが2階で遊んでいる間に、こっそりと近所のコンビニで買ってきました。ちいさいちびの風邪はよくはなっていますが、なおりきってはいないので外出はできるだけ避けないといけません。
ちびどもが寝付いてから、昨日買った、高橋源一郎『もっとも危険な読書』(朝日新聞社、2001)を手に取りました。そんなことをしている場合ではないと思いつつ、読んでしまいました。あーあ。
おきいちびといっしょに6時20分。おおきいちびが着替える音で小さいちびも目覚めて、6時半には全員起きていました。昨夜ちいさいちびは、寝付いてから3時間目で、おおきく咳をし、胃の中のもの(ほとんどミルク)を大量にもどしましたが、その後はしっかりと寝ていました。一昨夜妻は、一晩中ぴーぴー言っていたちいさいちびのせいで、寝室にいる時間の3分の1程度しか睡眠時間がとれていません。幼稚園のお友達にちいさなあかちゃんがうまれて、夜泣きで困っているお母さんと、苦労がわかる、という話をしたようです。→そのせいで妻が半ばダウンしてしまいました。本人は軽い風邪だと言っています。子どもが風邪をひくと波及効果が大きい。昨夜のあいだに、江畑謙介『情報と国家:収集・分析・評価の落とし穴』講談社現代新書、2004、をほとんど読みました。江畑さんの本には書かれていませんが、結局、政策立案のための評価に100%はなく、未来の不確定性がつきまとう、というふうに私は読みました。そうした不確定性を落とし穴と称することはできないと思われます。
論点をまとめることは簡単です。1)生のデータ、2)情報、3)(情報を分析して得られる)インテリジェンスをしっかり区別しなければならない、ということです。昼間、いつもの本屋さんで、『中央公論』12月号、と次の本を買いました。
高橋源一郎『もっとも危険な読書』朝日新聞社、2001
風邪をひいたちいさいちびは、一晩中、ぴーぴー、ぎゃーぎゃー言っていました。→昨日の帰り道降り始めた雨が、夜半、本降りになりました。ちびのぴーぴー、ぎゃーぎゃーのほかに音が聞こえて、何だろうと思ったら、雨が屋根を叩く音でした。ちびが幼稚園にでることにはかなりの小降りになっているので、午前中には止みそうです。そうした事情で何時に起きたのかはっきりとは決めがたいのですが、おおきいちびが6時40分ぐらいに目覚めて、着替えると言ったので、まあ、そこいらです。ちいさいちびは、半分の時間(すなわち、午後6時半から午前6時半の12時間のうちたぶん6時間)ぴーぴー、ぎゃーぎゃー言っていた感じです。
編集委員会の仕事を郵便局でだしたあと、いつもとは違う本屋さんで、『文芸春秋』12月号、『VOICE』12月号、という2冊の総合雑誌と次の本を買ってきました。
江畑謙介『情報と国家:収集・分析・評価の落とし穴』講談社現代新書、2004
『VOICE』12月号は、「成果主義は崩壊する」という特集を組んでいます。とくに、富士通という成果主義の導入で大失敗した事例があり、日本の組織はどこでも注意すべきことがらです。→今現在、失敗に向かってまっしぐら、という組織の姿が目前に浮かんで来て仕方がありません。
&榊原英資「郵政民営化に反対する」pp.84-89、は、私の疑問にかなりすっきりと答えてくれるものでした。まずもっとも基本的な事実ですが、1999年に「資金運用部資金法等の一部を改正する法律」が可決され、それに基づき2001年度から財政投融資改革が実行された。つまり、私が昔勉強した財政投融資のあり方がまったく変わってしまい、すでに郵便貯金と簡易保険は財政投融資から完全に切り離されている。これはとても大きな変革だと思いますが、世紀の変わり目にかけて、私自身はその点に注目することができていませんでした。たぶん、記事はでていたのでしょうが、見逃していました。
ということで、郵政民営化準備室に集うお役人たちは、この点を十分把握しており、小泉首相の民営化と同じ考えの者はまずいないであろう。今のままでは、道路公団の民営化とおなじ轍を踏むこととなろう、という分析でした。
どうも、腹の底から小泉首相の郵政民営化の考えに賛成している人は、政治家のなかにもお役人のなかにも実はほとんどいないようです。そうだとすると、ご乱心した殿を止めるのは、1義的には政権党の政治家にあると言えます。(賛成している人は、どうも、自分にとってどうでもよいから賛成しているということのようです。私はもちろん最初から竹中氏を信用していない。)
予想とおり、ちいさいちびは今朝も6時に目覚めました。順番に家族を起こしていきました。夜は何度も咳をして、目覚め、そのたびにミルクを飲んでいましたが、起きてしまうといつもとまったく同じ。→ちいさいちびは風邪気味でした。ほんにんはいつもいたって元気ですが、よく咳をし、鼻水を出しています。午後から3コマの授業。1週間のうちで、もっともよくしゃべる日となります。私の話している時間がおよそ3時間以上。→3コマの授業を終えて、帰宅するとちびどもはすでに就寝。ちいさいちびの風邪の様子があまりよくないのだと思われます。ほんとちょっとしたことですぐに風邪をひく子です。
なかなか復調しません。疲労が身体の奥に残っています。今週末はゆっくりして、体調を整えたいと思っています。
ちいさいちびが6時にめざめ、他の全員を起こしました。もう少し寝ていたかったのですが、ちいさいちびにはかないません。会議の日。1時40分からと、3時から会議が組まれています。→1時40分開始の会議は、スムーズに進んで、2時半終了。3時開始の会議は大学院教授会でしたが、もめる案件があり、5時50分ぐらいまでかかりました。私は6時4分の電車に間に合ったので、6時40分ごろには帰宅できました。ちびどもはもう就寝していました。外でいろいろ遊んで疲れたようです。昔のリズムに戻りつつあります。早く寝ると早く起きてしまうので、せめて7時ぐらいに寝て、7時前後に起きてくれるのが親としては一番よいのですが、こどもは思い通りにはなかなか動いていてくれません。
武蔵境駅での中央線と西武多摩川線の接続が、一度外へ出る方式に変更になったのにあわせて、切符の買い方も変更しました。これまでは、スイカを使って西荻窪で接続切符を買っていましたが、これからは、スイカでそのまま武蔵境に行き、そこから先、すなわち西武線は回数券を使うこととしました。ということで、今日はじめて、西武線の回数券を買いました。1700円で11枚。1枚分だけお得となっていました。台北から帰ってきて、事務処理や書類作成ばかりしています。今朝はちびが幼稚園に出かけるまでに、編集委員会の仕事(表1〜表4の作成)をほぼこなしました。ふー。
ICUの那須敬さんのサイトの日記の欄に、レジメにかんする、日本と欧米の考え方の差が明確に記述されています。日本の場合は理解の明晰さに、欧米の場合は独自性の表現に重点が置かれているとまとめることができると思います。
台北に行って来てから、迷惑メール、ジャンクメール、ウイルスメール等々を削除してしまわないで、メールソフトのゴミ箱に貯めておいたら、現時点で485通貯まっています。こんなもの貯めても何のよいこともありませんが、12日間で485通という数字には感心しています。紙を使う郵政省メールでは、その種の郵便(とくに詐欺メール)を受け取ったことはほとんどありませんから、ウェブの特殊性がよく現れていると思います。
ちびどもがめざめて、7時。リズムが固定してきたようです。こどもにはそれが一番。ミスが気になるので、深夜に目覚めました。今できることはやっておこうと思います。
午後6時から会議がはいっています。来年度の年次計画についての打ち合わせです。時間帯が嫌なのですが、仕方ありません。
いつもよりちょっとだけゆっくりめで大学へ。ゆっくりめというのは、おおきいちびを幼稚園におくったあと、郵便局によって、ゲラを海外に発送したものです。武蔵境駅についたときには、いつもの9時半の電車は出発していましたが、相当大回りになった乗換ルートをゆっくりたどって西武多摩川線のホームにつくとすぐに電車が来ました。9時42分発の電車。10月末から9時台も12分間隔になっています。それ以前は、20分間隔でした。
大学につくとちょうどよいぐらいの時間だったので、まず生協によってホッチキスのハリを買い、コーヒーを一杯飲んでから、書類修正の作業。同時に、私が担当している(総合科目推進室)来年度の授業科目について、教務係の方と相談する準備を整えて、事務棟へ。修正作業そのものが単純なものだったので、新しい書類を渡し、それから教務係で相談。一部確定できないものを除き、95%までは確定できました。
ちょうどよいので、それで一度家に帰ることとしました。昼食後、自宅で別の仕事。夕刻の会議は6時開始なので、軽く夕食をとった後、5時過ぎに家を出ようと思っています。職場と家が近いと、こういう行動ができるので助かります。→5時前に自宅を出て、5時45分に大学に着きました。部屋の片づけだけして、学部長室での会議へ。会議は1時間半で終了。ちょうど8時に自宅に帰り着きました。どっさりと宿題をもらってきました。なお、本日は、ちいさいちびの幼稚園入園のための面接。午後3時。本来は、11月1日だったのですが、台北に行っていたので、延期してもらったものです。ちいさいちびは、おねえちゃんといっしょに幼稚園のなかに入れるのがうれしい。
ちびどもがめざめて、7時。このぐらいがちょうどよい。今日は曇り。今日は、2限から3コマの授業。
昨日からのことのようですが、中央線から西武多摩川線への乗換方式が変更になっていました。中央線から行った場合、一度大きく駅の外にでて、すなわちあの山のような階段を下りて外から西武多摩川線の改札を通って、乗り換える方式になっていました。これまでは東京方面からは同じホームで乗り換えられたのでたいへん便利でした。乗換に要する時間は10秒にも満たないものでした。しかし、これからは、数分乗換時間を要します。利用する側からすれば、明らかに便利度が低下しました。
金曜日で済んだと思った科研費の書類ですが、何点か不備があり、修正処理をしました。あちゃー。ほぼ1時間かかりました。今日で修正が済んだかと思ったら、まだ残っていたという連絡をうけ、明日再度修正のために大学に出る必要が生じました。とほほ。
エラーは、私だけではなく、けっこう多くの方にあるようです。事務に修正に来ている方が目立ちました。台北でとったデジカメの写真ですが、はじめて、CD-R に焼いて町の業者に現像を依頼してみました。全部だと大変な量なので、主に花嫁の写真を中心に31枚選び出したものです。昨日のお昼にだして、今日のお昼にできあがりで、帰宅するとありました。どの程度の品質になるのかがもっとも気になったのですが、十分な品質に仕上がっています。妻はデジカメ一本でOKだと言っています。
[子供時代熊が怖かった]
最近日本の各地の熊の被害が目立っています。そう言えば、私の子ども時代、熊が怖かったことを思い出しました。我が家は山の麓にあります。その小さな山に登るには、基本的に2つのルートがありました。いわば表の道と裏の道です。裏の道は、農業用の水を貯めている池に繋がっていました。そこに木立のなかを抜ける人ひとりが通れる小道がついていました。ごく小さい頃、近所のがき大将に連れられてその道を通るとき、山の中にいる熊に気付かれてはいけないから、シー、という指示を受け、こわごわと歩いていたことを思い出しました。小学校1年生2年生ぐらいのことだったと思います。
あるとき、それが演技または嘘であることに気付きましたが、信じていたころは、見たこともない山中の熊を勝手に想像し、森の奥の得体の知れないこわいもの、というイメージをもっていました。
もしかしたら、非常に昔に、たとえば、明治時代ぐらいに遡れば、ほんとうに熊が出没していたことがあったのかもしれません。私が生まれたころには実際に熊にあったという話は聞きませんでしたが、記憶が語りつがれて、子どもたちのあいだでそういう伝承が生じていたのかもしれません。
おおきいちびがおきて、7時10分。まずまずです。本日も好天。帰国すると届いていた、私の論考「17世紀後半の水銀学派の腐敗/発酵理論:スターキー、ボイル、ニュートン」『腐敗と再生―身体医文化論3』(慶應義塾大学出版会、2004、11月), pp.115-134、をやっと読みました。ミスプリは気付いた範囲で2箇所。1箇所は私の見落とし、もう1箇所は編集部-印刷所のミスです。このミスは誰でもすぐに気がつくものです。すなわち、リード文の頭が、「フファン・ヘルモント」となっています。リード文は正しくは次の通りです。
「ファン・ヘルモントにおいて頂点に達する「発酵」の概念史を、古代から近代初期にかけて追いかけよう。すると、「発酵素」の概念が、古い時代において生命の特質とされた「種子」「精気」「熱」の概念を吸収していったことがわかる。そうしたヘルモント主義的な発酵の概念が、17世紀後半に活躍した化学者=錬金術師、スターキー、ボイル、ニュートンの思想形成に重要な役目を果たした。とくに、新しい機械論宇宙を補完するニュートンの「能動的原理」の概念において、重要な役目を担うこととなった。」
今読み直すと、もう少し書き込みたかったな、という気持ちになります。そのためにはたぶん集中できる時間があと3ヶ月必要です。もちろん、その時間はないので、これはこれでよしとしないと仕方がないのですが、あとから読むとそういう気持ちになる論文もあるということでしょう。『腐敗と再生―身体医文化論3』(慶應義塾大学出版会、2004)の目次は次の通りです。
序章「腐敗と再生―身体医文化論3」小菅隼人
第1部 「腐敗―浄化-再生」
第1章「ギリシアの医学と文化における「浄め」の曖昧さ」G.E.R. ロイド(齊藤健太郎訳)
第2部 「腐敗―恐怖・忍耐・誘惑」
第2章「祈祷と治療―中世のペスト蔓延の中での感染・生き残り・死への社会文学的なアプローチ」ウイリアム・スネル
第3章 「腐敗と救済―スペクタクルとしての死体と腐敗」小池寿子
第4章 「フランス・バロック詩における死と再生」伊藤進
第5章 「17世紀後半の水銀学派の腐敗/発酵理論―スターキー、ボイル、ニュートン」吉本秀之
第6章 「デカダンスあるいは腐爛について―ユイスマンス小論」谷川 渥
第3部「腐敗と再生―十七世紀から二十世紀」
第7章 「メランコリーと腐敗の体内イメージ―精気と瘴気と神経と」仙葉豊
第8章 「魔女の大釜、レヴェットの洞窟―文学的表象にみる近代英国ヤブ医者群像」原田範行
第9章 「「不運な女」と「堕ちた女」―18世紀から19世紀の慈善と売春婦」鈴木実佳
第10章 「腐敗の意味―アメリカ・ゴシックの荒野」時実早苗
第11章 「腐敗は再生?―D.H. ロレンス、『リズム』、リズムの時代」武藤浩史
第4部「再生―現代」
第12章 「切断/補綴、あるいは身体の再構成―オットー・ディックスの一枚の絵をめぐって」 萩原眞一
第13章 「泰緬鉄道の日本軍捕虜収容所における腐敗、即興、再生」小菅信子
第14章 「乳癌との闘い=再生へのプロセス―オードリー・ロードの拓いた道」中村哲子
第5部「再生―科学的展開」
第15章 「微生物による腐敗と再生」梅澤一夫
第16章 「細胞の機能と行動に視点をおいた形態形成の解明―ヒトデ胚の形態形成を中心に」金子洋之
第17章 「うつること―遺伝と環境とひと」藤井千枝子
昼食後ちびどもがねこの公園に遊びに行きました。ひとりの時間。と思ったら、やはり強烈な眠気が襲ってきました。ちびどもが帰ってくるまで昼寝をしてしまいました。ちびどもはもうほぼ100%復活しています。当たり前ですが、疲労は親にきます。→ちびどももすぐに眠くなりました。ちいさいちびは5時過ぎに、大きいちびは6時前に就寝。ともに夕ご飯をきちんと食べることなく寝てしまいました。
妹の結婚式のための台北旅行については、実は、時間を遡って少しずつ記しています。8割方は記述がすみました。残り2割は、気が向いたときになりそうです。
かぞくそろって、7時20分。ちいさいちびはおきるととっととひとりで下に降りていきました。おねえちゃんはひとりではこわい、と言って動こうとしなかったので大違いです。幼稚園は9時からですから、このぐらいの時間がちょうどよい。昨夜寝る直前に、買ってきたばかりの『現代思想』11月号(特集、生存の争い、医療・科学・社会)の巻頭対談「生存の争い」を読みました。読み応えのある、面白い内容でした。対談者は、立岩真也氏と小泉義之氏。立岩氏の著作はわりともっているのですが、私にはもたもたしていているように感じられて、これまで読み切ることができていなかったのですが、今回の対談はよくわかりました。
まだ疲れが残っています。夜になると途端にすごい眠気が襲ってきます。
[物価]
東京で生活していると、台北の物価はほんとうに安いと感じます。全体的なインデクスでどうなっているのかはわかりませんが、たとえば、身近なところではタクシー代。台北内の移動であれば、だいたい100台湾ドルですみました。日本円でおよそ300円といったところでしょうか。台北市内にも電車はあります。しかし1路線のみ。しかも、地元の感覚からすれば、乗車賃が高く、あまり使われていないということでした。車と台北の道路を特徴づけるバイク(スクーターです)を持たないものは、バスとタクシーを利用することになるわけですが、300円ぐらいなら日常の足として使えます。
衣服ですが、街角に数多くのボックス市場が出現していました。100〜200台湾ドルで買えるものが多くありました。つまり、500玉一個、あるいは千円札一枚で子供服ならまずまずのものが購入できます。
街にいっぱいあるふつうの人々の使っている食べ物屋さんであれば、100台湾ドル以下で十分な食事がとれます。
妻は、日本で稼いで台北で暮らすのが一番だと言っていましたが、まあ、その通りです。
ひとりで7時20分。昨日と同じです。ちびどもは、睡眠時間12時間を超えましたが、よく寝ています。やはり帰ってきた日の疲れが残っているのでしょう。大学にでて、もうひとつの科研費の書類(プロジェクトのもの)を仕上げる予定。→ちびの幼稚園といっしょに家をでて、午前中、科研費の書類の完成作業にあたっていました。12時半ぐらいに完成しました。最後は事務の方に確認をお願いしましたが、細かいミスがいくつかあり、事務の方の机で修正作業を行っていました。その後特別食堂で昼食をとって帰ってきました。やれやれ。宿題をひとつこなしたことになります。
帰りにいつもの本屋さんで、『月刊現代』と『論座』の2004年12月号、ならびに『現代思想』11月号(特集、生存の争い、医療・科学・社会)という3冊の雑誌を買ってきました。ぶらぶら歩いていると、後ろから、おとーさんという声。小さいちびでした。近所の公園に行っていて、ちょうどおねえちゃんを幼稚園に出迎えにいく途中でした。目に涙。ブランコから落ちたとのこと。
おおきいちびは、今日は幼稚園で人気ものだったとのこと。自分でそう言っていました。しかし、6時頃には目のまわりが真っ黒。疲れたようです。6時半から放映されるハム太郎を見たがっていましたが、その前に就寝させました。ちいさいちびはおねえちゃんよりは少し元気で、7時半に就寝。今日は非常によく食べましたが、そういうときに限ってもどします。就寝体勢にはいってすぐにわーともどしてしまいましたが、その後はグーグー寝息を立てて寝ています。私は、とりあえず、全ての荷物、郵便の封をときました。明日からはたぶんいつも通りの生活に戻ることができそうです。
[デジカメ]
台北でとってきたデジカメ画像をパソコンにうつし、スライドショーで全部見ました。予備のXDカードを持っていったのですが、結婚式でそれほど写真をとる機会がなかったので、最初の1枚で用は足りました。室内でとったものには、光量があわずに、ぶれていたり、暗かったりするものがまじっていましたが、よくとれているものもありました。ちいさいちびは写真を撮ろうとすると近づいてくるので、撮影がなかなかに難しい。
花嫁さんのものは、現像にだして、花嫁さんのもとに送る予定。
ひとりで7時20分。ちびどもは、ふだんは8時前には確実に寝ていますが、昨夜は、久しぶりに風呂に入ったあと、目が覚めてしまって就寝が11時になりました。そのせいでよく寝ています。→おおきいちびは8時前に起きてきました。睡眠時間はおそらく不足していますが、身体のリズムでそうなったのでしょう。午前中に、科研費の書類を1セット完成させ(個人用)、3コマ授業をおこなって帰ってくると、疲れました。子連れの海外旅行は思ったよりも疲労が蓄積します。ちびどもは、私が帰り着く直前に、寝室に向かっていました。
[荷物]
今日はたくさんの荷物が届きました。まず、朝一番で、妻が代引きで買った荷物が届きました。ちびが幼稚園に出かける前です。ついで、留守中に届いていて2度不在配達票のはいっていた次の書物がきました。
Stanton J. Linden (ed.)
The Alchemy Reader: From Hermes Trismegistus to Isaac Newton,
Cambridge: Cambridge University Press, 2003
日本のアマゾンで購入して、¥3,551。
しばらくして、昨日成田空港で預けた合計50キログラムを超える2つのスーツケース。ひとつはこちらから持っていったものですが、いまひとつは台北でイエイイエイ(ちびどもの祖父)に買ってもらったものです。あわせて50キログラム超は、なかなかに重い。私は、その時点で、大学へ。帰り着くと、私も寄稿している次の書物が届いていました。
小菅隼人編『身体医文化論III:腐敗と再生』慶應大学出版会、2004年11月。
値段は、4200円です。きれいな装幀のよい論集に仕上がっています。
私の論考は、「17世紀後半の水銀学派の腐敗/発酵理論:スターキー、ボイル、ニュートン」『腐敗と再生―身体医文化論3』(慶應義塾大学出版会、2004、11月), pp.115-134、です。最後に、中央印刷からのゲラ。ほぼ最終で届きました。これも、不在連絡票が2通入っていたものです。まだゲラを見る時間はないので、当分、封をしたままです。なお、3通の郵便がまだ封をしたままになっています。
なんとか無事に、帰ってきました。午後10時。いろんな返事等は遅れますが、ご勘弁下さい。今週中には処理したいと思います。
メールはスパムや迷惑メールを含めて総数212通。→そのなかで、返事が必要な5通には簡単に返事をしました。ほかに返事が必要なものが2通ありましたが、それは、すこし作業が必要です。やはり明日か明後日になりそうです。[子連れの旅]
台北のホテルを出たのが、11時前。飛行機に搭乗したのが午後2時15分。(現地時間)。まだまだ先は長いのでちびどもが飛行機のなかでどうなるかと心配だったのですが、ふたりともフライトをはじめてすぐに寝てしまいました。これが一番たすかります。席は4席続きをもらっていましたから、ちいさいちびは2つの席でちょうど横になって寝ることができました。おおきいちびはもともと一度寝るとよく寝るので、座ったまま寝させました。1時間あまり寝てくれました。目覚めると、食事は?というので、乗務員の方に頼んで、子供用の食事をもってきてもらいました。気に入ったものだけを食べていました。着陸態勢にはいるとおおきいちびは耳が痛い、耳が痛いと泣いていましたが、もうすぐ、もうすぐとなだめて、なんとか着陸まで。ちいさいちびはわずかですが、紙袋にもどしました。フライト時間は2時間半の予定で、ほぼ定刻通りに到着。日本時間の6時過ぎ。着いた場所から、入国管理まではかなりの距離。ちょうど入国管理が見えたあたりでちびがおしっこ、と言います。急いでもたぶん仕方がないので、階段を下りて、お手洗いに。みんなひといきいれてから、再度階段を上り、入国管理まで。はしっこが窓口がまったく無人だったので、そちらにまわり、すぐに通り抜けることができました。預けた荷物がそんなにすぐにでてくるとは思えなかったので、ゆっくりめに来ましたが、やはり荷物の受け取り口にはまだ何も出てきていませんでした。と、ちょうど、ベルトコンベヤーの上にスーツケースが現れ始めました。預けた2つの大きなスーツはすぐに出現しました。搭乗の直前に預けたベビーカーもわりとすぐに出現しました。ということで、次は税関。前の人にあわせて、重いスーツケースを検査台の上にあげようとすると、係の方が、OK、OK 前に進めという合図。ノーチェックで出ました。小さい子どもが2人いるので、配慮してくれたのでしょう。荷物も子連れということで先にだしてくれたようです。
重いスーツケースを宅急便に預け、そこからは少し急いで、成田エクスプレスの切符売り場へ。その時点で7時前。7時16分の電車に間に合う模様でしたが、事故のせいで、電車が遅れるとのこと。遅れてもその電車に乗るしかないんで、向かいあわせの席4つをとってもらいました。(7と8が向かい合わせの席の数字です。1つの車両にその2組しかありません。)おむすびとお菓子と飲み物を買って、プラットフォームで待っていました。結局電車は30分程度遅れて、7時50分前にきました。ふだんはとうに寝ている時間ですが、先ほど1時間昼寝したのがきいたのでしょうか、比較的ちびどもは元気です。9時20分頃に新宿駅につき、総武線に乗り換えて、西荻窪へ。成田で計算したとおり、家に帰り着くと10時でした。
[結婚式翌日]
お昼ご飯は会食。北京ダックのお店に。
お店の第1号でついて、なかよく前菜を食べていたちびどもでしたが、全員集まり、料理の主役の北京ダックがでてきたあたりで、もう飽きていました。何かが気に入らなかったのでしょう、ちいさいちびがいきなりおねえちゃんをたたきました。おねえちゃんは大泣き。我が家ではいつものことなのですが、妻の家族ははじめてちいさいちびの凶暴さを目にして、ああだ、こうだの大合唱。妻はみんなにしっかりしつけをしないとダメだと文句を言われたと言っていました。仕方がないので、ふたりを外に連れだし、近所を散歩させました。幼稚園、保育所、託児所が集まっていました。台北では幼児から英語教育が流行っているようで、英語教育を掲げるものが目立ちました。少し歩いたあと目に入ったコンビニで小さなおもちゃをふたりに買ってやってお店に戻りました。料理はあとかたもなく片づけられていました。妻はもうすこし食べたかったようです。
ちいさいちびは、人見知りをほとんどせず、遊んでくれる人には誰でもなつくのですが、ネコ科の猛獣のような凶暴さを秘めています。気に入らないといきなり手を出します。それでも、去年と比べるとずっとましになっていますが、おこりっぽく、てがはやいのは相変わらずです。イエイイエイが子どもの遊び場に連れていってくれると言うので、イエイイエイ、ポポ、我々の家族が一つの車、妻の弟とおばさんが別の車で、児童遊戯館へ。着いてみると、閉鎖されていました。まだちびは遊びに行きたいというので、郊外タイプの大規模なショッピングセンターへ。日本では見たことがない、広大な子どもの遊び場が附置されていました。クーラーの効きすぎが気になったのですが、ちびどもは大喜びで巨大な滑り台に興じていました。
いっしょにいってくれたおばさんがちびどもに服と、おもちゃを買ってくれました。CDのおもちゃとブロックのおもちゃ。気に入ってよく遊んでいました。ふだん車の運転をしていないイエイイエイが道を間違えて、かなり大回りで台北市内へ。一度ホテルに落ち着いてから、近所の食べ物屋さんに向かい、夕食。
午前中は、ホテルから比較的近いアジアン・ワールドヘ。[結婚式当日]
結婚式は6時過ぎと聞かされていたのですが、花嫁は4時には式場に行っており、おねえさんが付き添って準備をしているということでしたので、こちらも4時ぐらいに式場となっているホテルにでかけました。まずは、ホテルの地下1階にある式場そのものへ行ってみましたが、準備をしている業者のおねえさん、おにいさん以外には誰も見えず。妻が花嫁本人と携帯で連絡をとって、ホテルの10階の1室にいることがわかり、その部屋へ。両家の関係者が揃っていました。ベッドルームに花嫁がいました。ウェディングドレスを着て、携帯電話を手にして座っています。花嫁はうちのちびどもに赤い封筒に入ったお小遣いをくれました。そういう習慣のようです。私が5年前わけもわからず、式にでたときも、おねえさんの子どもたちにあらかじめ用意されたお小遣いを渡しました。まだ十分時間があるので、写真撮影。小学2年生になるおねえさんの子ども(ちびどものいとこ)が先に来ており、その子を筆頭にちびどもはかくれんぼをしたり、走り回ったりしていました。そうこうしているうちに花嫁の父が現れました。美容院に行って来たそうで、凛々しい姿になっています。またそうこうしているうちに花嫁の母が現れました。美容院で本格的にシェイプアップしてもらっています。ホテルの部屋であらかじめ用意してあった本格的なパーティドレスに着替えていました。ちびどもはいつものポポと違うので目を丸くしていました。花嫁の両親(つまり、私の義理の父母)は、とても気合いの入った服装となったわけです。こういう場合は、ともかく、写真撮影。
当然ちびどもは飽きてきて、走り回ります。そういう約束だったので、早めに妻のおねえさんの上の子ども(中学生になっており、学校が5時過ぎまであります)を迎えに行くこととしました。結婚式の食事までとてもちびどもはもちそうになく、妻のお姉さん宅の近所で早めの軽い夕食をとりました。それから、お姉さん宅に行って(ちびと妻は私が行くまではそこでお世話になっていたので、ちびどもはもう慣れています)いとこのおねえちゃんにあいました。その子はかなり体調が悪そうでした(基本は睡眠不足です。ふだんの就寝が夜の12時を過ぎています)が、なんとかなるということでしたので、お手洗いだけ借りて、すぐにタクシーをつかまえて式場へ。6時過ぎには式場に着きました。6時半にははじまると聞かされていたので、その後は我々は式場にいましたが、人々はなかなか現れず。おおきいちびは、まだ?まだ?と聞いてきます。結局7時40分頃に会場が暗くなり、花嫁とその父、花婿、それぞれの付添人等々がバージンロードから入場してきました。司会は、弟。(妻の兄弟は、おねえさん、妻、花嫁、弟の4人兄弟。)すぐに、新郎新婦とそれぞれの付添人が下、新郎新婦の両親ならびにその付添人(正式にどういう呼称になるのかわかりません)が壇上に並び、向かい合います。おそらく、新郎側から二人、新婦側から二人、計4名が挨拶の演説をして、スピーチは終わり。それから食事が配られはじめました。夜の8時をまわっていました。ちびどもはでてくる、おまんじゅうやおもちは喜んで食べていましたが、もうそのころには式に飽きていました。人々は席を立って、思い思いに挨拶にまわるのにあわせて、ちびどもも自由にしてやりました。いとこのおねえさんといっしょに、バージンロードに散っている紙吹雪を集め、お互いに投げかけあって遊んでいました。式場のおねえさんはちょっと困った顔をしていましたが、大人はお互いの話しに忙しく、こどもたちが少々騒いでいても気にかけません。うちのちびを含め、6人ほどのちびがバージンロードのうえで、ぴょんぴょんしながら、遊んでいました。この調子だと式は10時ぐらいまで続き、ちびどもは到底もたないので、式が開始して1時間あまり、つまり9時前には必要な人に挨拶をして、我々は先に帰ることとしました。ちびどもが結婚式場でいちばんほしかったのは、実は、入口に飾っていた風船。その時間は受付に誰もいませんでしたが、風船はくれるということだったので、勝手に一個ずつ紫色の風船をもらい、タクシーに乗り込みました。思っていたよりもずっと大規模な結婚式。参列者はおそらく200人以上。しかも、出席者が予定よりもずっと増えたようで、途中でテーブルを2つ増設していました。
詳しいことはわかりませんが、式の形態は、中国式と日本式の混合様式のようでした。結婚式ビジネスはたいへん儲かる商売なので、ビジネスの方式として日本式が入り込んでいる模様でした。(資本主義の拡張。)ビジネスの話をしておくと、この規模の結婚式で100万程度ということでした。ご祝儀は、30台湾ドルぐらいが基準とのこと。日本の場合の3分の1といったところでしょうか。
式の運営ですが、新郎新婦の入場からスピーチが終わるまでは管理していますが、あとは、誰かが取り仕切っている様子はありませんでした。最後は、新郎新婦が受付で列席者全員に挨拶(飴と煙草を渡すということでした)して、解散ということです。
ということで、子連れには中国式の方がずっとありがたい。(というか、日本のきちんとした式だとちびどもは会場の外に連れ出さないととても無理。)スピーチも、日本の場合よりも少なく、そっちもありがたい。総じて、久しぶりに会った親戚縁者、古い友人同士が話すことにウェイトを置いているようでした。
式場ビジネスにより、組織化され、最初から最後まで取り仕切られている日本の結婚式より、人間的でよい式のように思われました。
(とはいえ、資本主義の拡散力はたいへんなものがあるので、日本でやっているようなショーが取り入れられるのも、もしかしたら時間の問題なのかもしれません。その辺のことはさすがによくはわかりません。)
次の日のお昼にあった花嫁・花婿には、それほど疲れている様子はなかったので、いつもと同じぐらいの時間には休めたのではないでしょうか。
そもそも、台北の夜は日本よりも遅い。朝もそれに応じて遅く、大きなデパートやショッピングモールの開店時間は11時です。実は我々のように、日常的に朝が早い人種には、午前中は行き場に困ります。