ちいさいちびが起きて6時40分。入試があると曜日感覚が狂いますが、もう月曜日です。しかも月末。幼稚園は、土曜日の参観の振替休日。妻がちびどもを外に連れだしてくれました。ちょうどお昼ご飯までの間に、採点したものの転記をすませました。これが実は案外に大変。ここで間違えると、これまでのものがパー。間違いをしないように集中力を保ちながら、約2時間かかりました。
これで完了といきたいところですが、他の先生と組みでやっているもの(つまりリレー講義)は、その方の採点待ちです。そちらも、今日、明日には採点結果をくれるのではと思っています。採点・転記のような神経を削る仕事をしていると、どうしてもすこし休みが必要となります。神経を休めるものがよい。最近は、ケーブルテレビででたらめにチャンネルを回して、刑事ドラマものを見ていることが多い。テレビには、頭を休める(ばかにしてくれる)効果があるので、ちょうどよい感じです。
[千のキミア]
「千のキミア」プロジェクトは順調に進行しています。まだファイルには反映できていない部分がありますが、4分の3、すなわち750点を突破しました。ラヴォアジェ周辺のものも収集するようにしています。
おおきいちびが起きて6時40分。昨夜は寒かった。布団のなかで、凍えて、なかなか寝付けなかったのは久しぶりです。やすみもほしいのですが、ここは頑張って、採点を今日中に終了させようと思います。2月21日に行った試験の採点です。おそらく、150部強残っていると思われます。→採点だけは終了。あとは成績票への転記が残っています。採点そのものは、ちびどもがきても影響を受けませんが、転記だけはちびどもの来ない時間に行う必要があります。うまく時間を見つけて、明日には教務に提出しようと思っています。
最近よく世話になっている古書の連合検索サイトです。古書の購入だけではなく、調べものにも使っています。その書物を出品している古書店が、ファーガソンやパーティントンやソーンダイクのようか基本的なレファレンスから情報をそのまま引用していることがあります。へたにまとめられるよりも、そうした愚直な引用が調べものにけっこう役に立ちます。
ちいさいちびが起きて6時40分。昨日は疲れたのでもうすこし寝ていたかったのですが、ちびなので仕方ありません。さて、今日も入試業務の続き。10時から5時まで。
研究室ですこし仕事をしようと思い、8時過ぎに家をでました。ちびどもは、午前中は幼稚園のリズム参観、午後は四谷です。
あいかわらず寒い一日でしたが、業務の方は順調に進みました。この寒いさなか、ちびどもは公園で遊んで帰ってきたようです。朝幼稚園のあったおおきいちびはかなり疲れた顔。ちいさいちびの方は割と元気な顔をしています。妻によれば、ちいさいちびもやっとある程度歩くようになったようです。おおきいちびはちいさいころからよく歩きました。ちいさいちびは、長い距離があるけるようになってから、歩けたことで満足したのか、よく抱っこと言っていました。そうでなければ、ベビーカー。ベビーカーも歩けるようになった頃からやっと座ってくれるようになったもので、それまでは抱っこでした。おねえちゃんよりずっと甘えん坊さんです。
大学の研究室から、英語のシェイプアップのために、次の辞書を持って帰りました。
The Oxford Thesaurus: An A-Z Dictionary of Synonyms
Special Edition for IBM, Oxford: Oxford University Press, 1991
表紙に £8.99 という値札があります。私がロンドン留学時に買ったものです。1000頁を超えるこの辞書が1500円程度というのは、安い、と思いました。
これは、558頁まではふつうの類語辞書。559頁から1042頁までは、索引です。逆引きを可能にする、この索引作成に IBM が関与したのでしょう。役に立つ辞書です。
ひとりで7時前。どうも外が白い。雪が少し積もっていました。午前中は、入学試験。午後は、会議(講座会議)にいろんな打ち合わせ。あっちこっちして疲れました。
入試業務はもうすこし続くので、今日は早めに休もうと思います。H.I.S. からパリ行きの航空券の引換証が送られてきました。いよいよユーラシア大陸にはじめて足を踏み入れるときが近づいてきました。そのまえにまだまだなすべき仕事がてんこもり。学年末なので仕方ありません。
ちいさいちびが起きて、声をあげて、6時40分。ちいさいちびは起きると、みんなを起こすようになりました。明日は、入試。いわゆる前期日程というものです。東京外大は、英語1科目なので、午前中で終わります。また、明日の準備ということで研究講義棟は封鎖(入校禁止)になっています。駒場の図書館は、今日は開館ということを昨日確認していたので、昨日できなかった作業のために、朝一番で駒場にでかけました。Neue Deutche Biographie というレファレンスを調べ、ほんのすこしコピーをとってから書庫へ。パーティントンとソーンダイクというこれもほとんどレフェランスと同じ基本書を調べ、やはりわずかにコピーをとって、2冊本を借りて帰ってきました。
Arthur Coke Burnell and P. A. Tiele (eds.),
The voyage of John Huyghen van Linschoten to the East Indies : from the old English translation of 1598
New York: Burt Franklin. Reprint. Originally published by Hakluyt Society, 1885
Donald F. Lach
Asia in the making of Europe
Volume 1: The Century of Discovery
Chicago and London: The University of Chicago Press, 1965
このラックの本は、基本的情報がしっかり整理されていて使いやすいものでした。専門家の間の評価がどうなっているのか知りませんが、基本的情報を求めて読むにはふさわしいものでした。髭文字の後半部分(第2部)が本日届きました。菊池君の気配りに感謝。
おおきいちびが、おしっこといって、起きて、7時前。ちびどもが幼稚園にでた10分後に家をでて、駒場図書館に調べものに。10時前に着くと、建物に「閉館」のおおきな知らせ。ああ。まあ、こういうこともあります。2時間の通勤だと考えることにして、井の頭線では採点をいくらか。大学にはほぼちょうど11時に着きました。昨日の髭文字は、平井さんとの共同研究で使うものです。発表までは2週間すこし。つまり、ぎりぎりすべりこみで間に合った資料です。研究所のコピー機でコピーをとったあと、あらかじめ用意していた封筒にいれて、駅の反対側の郵便局までもっていきました。たぶん、駅からは8分ぐらいの場所ですが、なにぶん反対側なので、2000年夏に府中に大学が移転してからこれでたぶん3度目の利用だと思います。あっちこっち動いておなかがすいていたので、駅前の中華料理屋で昼食。この中華料理屋さんに入るのははじめてでした。一品だけで正確な評価をするのは難しいのですが、まずまず。線路を超えたところにある大きな金物屋さんで資料整理用のボックスを買って、研究室へ。少し仕事をしたあと、天気がよかった(風は強い=春一番が、気温は上がっていた)ので、キャンパスを一周する散歩に出ました。去年の春に完成していた留日センターをしっかり見たのは、この散歩のときがはじめてでした。グランドのまわりのジョギングコースをゆっくりと歩いてまわりました。建物のなかにもどると、空気が冷たい。内外温度格差です。外の気温が上がっても、建物のなかの気温は簡単には上がらないようです。計ったわけではないのですが、数度差があるように感じました。
2時からは大学院コース委員会。40分ぐらいで終わったので、図書館へ行ってすこし調べもの。&1冊ポルトガル語の本を借りました。
A.J. Andrade de Gouveia
Garcia d'Orta e Amato Lusitano na ciencia do seu tempo,
Lisboa : Instituto de Cultura e Lingua Portuguesa, Ministerio da Educacao, 1985
(ポルトガル語が読めるわけではもちろんないのですが、後ろの注と文献表を読んでいました。あげられている文献の9割は知っていました。また、アマト・ルシターノ=アマトゥス・ルシタヌスが当時はかなり読まれた医学書の著者であることもよくわかりました。とくに、Curationum Medicinalium Centuriae Septem... のいろんな版が数多く出版されています。)
調べものをしている最中に、まえにお世話になった同僚の方の研究室にある本を今一度見せてもらう必要があることを思い出し、電話をかけてからその方の部屋に。快く2冊の本を貸してくれました。金曜日まで借りることとしました。(ボッカチオ全集です。)
自分の研究室にもどり、資料を10点ほどスキャンをしていると、大学院教授会の時間が近づいてきました。カバンをもって、いつでも帰れる準備をして、3時半スタートの教授会にのぞみました。教授会は4時半には終了し、5時過ぎに家に帰り着きました。
ちいさいちびが起きて、7時半過ぎ。今朝は天気がよい。明るい日射しを見るのは久しぶりのような気がします。[さよなら、パソコン通信]
16日に、ニフティのパソコン通信が終了するという記事を紹介しました。
今日のhotwired News に、 さようなら「NIFTY-Serve」という追悼記事(?)が出ていました。「ベテランネットワーカーの皆様は感慨もひとしおではないでしょうか。」とありますが、あの新鮮な感覚はとくべつでした。インターネットと携帯電話の普及で、10年ともたず陳腐化してしまいましたが、パソコン通信のフォーラムはけっして2チャンネルではありませんでした。おやつの前の時間に、イギリスから髭文字のコピーが届きました。ご苦労いただいた菊池君に大感謝。シェシェ! 私が留学していたころもそうですが、ロンドン-東京間の郵便は非常にはやい。感覚的には、日本国内の遠い場所より、ロンドン-東京間の方がはやく着く感じです。往復1週間かかりません。
ロンドンのポストマンは、朝の4時ぐらいから一斉に配りはじめます。朝早く起きて散歩していたとき、その光景にでくわして感心したことをよく覚えています。ヨーロッパはどこもそうらしいのですが、なかなか日本のような行き届いたサービスというのは期待できません。しかし、イギリスの郵便だけは、日本よりもよいかも知れないと思ったぐらいでした。
ちびどもが寝付いてから髭文字と格闘。めまいがする思いでした。丸一日読めば、文字そのものには慣れると思いますが、最初はなかなかに辛い。[友達5人]
おおきいちびが幼稚園から友達を5人連れてきました。もう2年間いっしょのクラスなので、仲良しというのか、たいへん賑やかです。この場合問題はちいさいちび。どうしてもちゃんと仲間に入れてもらえない、あるいは思ったようにははいれないので、嫉妬して怒ります。機嫌が直ったのを見計らって、1時間ほど、ちいさいちびの相手をしてやりました。(機嫌が悪いときにはおかあさんじゃないとだめです。私が近づくとあっちいけと怒ります。)最後は、ソファーの後ろで、折り紙をしましたが、そうすると他の子も寄ってきました。
ちいさいちびが起きて、7時過ぎ。2限に、総合科目III「科学技術と社会」の試験。今年度最後の試験です。なお、4年生の成績提出締切が明日なので、最低限、4年生の分だけでも試験終了後すぐに採点し、教務課に提出します。
→いつもより幾分か大きな部屋で試験。とくに何もなく終了。4年生の分は早く採点しようと思い、昼食後、集中的に取り組み、1時過ぎには終了。(そもそも4年生の受講者が10名程度と少なかったせいもあります。)時間もあるので、駒場の図書館に調べものに。オルデンブルグ書簡集をざっと見て、必要な箇所のコピーをとり、たった1頁前回コピーを取り忘れた論文もコピーをとりました。
F. Sherwood Taylor and C.H. Josten, "Johannes Banfi Hunyades. A Supplementary Note",
Ambix, 5 (1956), p.115.
以前は、『オルデンブルグ書簡集』のような基礎的な著作を疑ってかかることはほとんどなかったのですが、今回平井さんと共同研究をしてみて、ドイツ語圏のある種のものについて弱いことがよくわかりました。注記が不正確です。その不正確さが他にも波及しています。(要するに、『オルデンブルグ書簡集』から孫引きしているものには、もとの間違い・不正確さをそのまま再生産しているのが見られる。新しい『ボイル著作集』『ボイル書簡集』にもそうした孫引きが見られます。率としてどの程度不正確なのかは調べていないのでなんとも言えません。)
→気になったので、去年買ってすぐ手元にある、Encyclopedia of the Scientific Revolution で、"Oldenburg, Henry (ca.1619-1677) "の項目を引いてみました。『オルデンブルグ書簡集』の編者のひとり、マリ・ボアズ・ホールが執筆しています。そこに次の記述があります。
「手紙作者として彼はユニークであった。彼は少しずつ、国内にも国外にも通信者を増やしていき、ついにその数は数百に達した。手紙は、英語、フランス語、ラテン語、オランダ語、イタリア語(ドイツ語はまだ科学言語とは言えなかった: German was as yet hardly a scientific language.)で記された。」
つまり、ドイツ語はまだ科学言語とは見なしえないから軽視した、ということが編者本人の手で明言されています。マリ・ボアズ・ホールさん、そういうことではないような。。。 このマリ・ボアズ・ホールの立場(偏見)からは、ドイツ語圏を中心として展開した知の形態は無視・軽視されることとなるわけです。
うちの大学の学部長もつとめた、日本でも有数の古典学者の方と話したときに、ドイツ語だけは苦手だ(あんな野蛮な言語)と本音をもらされていました。早稲田の露文出身、駒場の比較文学で西洋古典文学(とくにギリシャの詩人)を専攻され、ギリシャ、ラテン、英・仏・伊・露を縦横に駆使される方です。音が耳から入ってすぐに記憶できるというお話でしたから、日本でもたまに出現する語学の天才です。そのK先生にして、このドイツ語敵視。家に帰り着くと、次の2冊がアメリカのアマゾンより届いていました。
Michael Sendivogius, The New Chemical Light I: Treatise of Mercury, The Alchemical Press, 2004
Michael Sendivogius, The New Chemical Light II: Treatise of Surphur, The Alchemical Press, 1998
ともに、48頁の小冊子です。パトリック・J・スミス氏が新たにラテン語から訳したとあります。真ん中ホッチキス綴じの小冊子ですが、注はついています。例のごとく、アメリカのアマゾンは大きな段ボール箱に入れて送ってきます。中身のおおきさを考えるとほとんど空箱に近い。[「千のキミア」プロジェクト]
昨日の時点で、700点を突破しました。700を超えると1000が見えてきました。→久しぶりに、接続速度が落ちて、ダウンロードエラーがでました。こっちが混み合っているのか、あちらが混雑しているのか、いずれにせよ一時的な現象だと思われます。
ちいさいちびが起きて、7時前。全員おきました。今朝はわりと暖かい。→と思ったら、雨が上がらず、朝の気温のまま推移しています。昼食後、雨が上がったのを見計らって、外出。ウォーキング・シューズが替え時になっています。ちびどもも室内靴(バレーシューズと称するようです)が必要になっています。ちょうどよいので、荻窪の西友(ルミネ)にそろって買い出しに。おおきいちびが1時過ぎにおなかがすいたというので、8階のレストラン街で簡単な食事をとることにしました。ちびどもと妻は、甘味。私は、昼食を食べていましたが、けっこうおなかがすいていたので、スパゲッティ。食事後、まだ遊びたいというので、屋上へ。あがったと思った雨がまた降り始めていました。ほんのすこしだけ遊ばせて、すぐに帰宅の途へ。地下1階で夕食の魚を買ってから帰途に着きました。おおきいちびの雨靴も必要になっています。それは、西荻駅前の靴屋で買うといいます。私は先に帰って、傘を持って戻ることとしました。ちびどもがガード下を出て100メートルぐらいのところで落ちあいました。足が大きくなっていてあうものがなかった由。
[性格の相違]
前にも記しましたが、おおきいちびとちいさいちびは顔はそっくりなのに、性格は対照的と言ってよいほど違います。自分たちでも自覚があって、うえは泣き虫、したはおこりんぼ、と自分たちで言っています。
私のところにいろんな機械や道具があります。おおきいちびは見向きもしませんでしたが、ちいさいちびは興味津々。とくにお気に入りは、ペンボックスに入れているデザイン用具です。昔雑誌を手作りしていたことの名残で、デザイナー用のピンセットとデザインナイフがはいっています。ピンセットはずっと前からお気に入りで、すぐに持っていきます。危ないのでデザインナイフの方は触らせてこなかったのですが、自分は触らないから私にやって見せろと言います。仕方がないので、マットを探し出して、ちびの描いた線に沿って紙を切ってやりました。一応満足したようです。
私の引き出しに備えていた、時計用のネジ回しセットも、携帯用ドライバーセットも今は引き出しのなかにありません。ちびが居間にもっていって、テレビの足下に置いています。ほんとうはネジ回しもやりたくて仕方がないようで、たまにドライバーだけもってネジがないかと聞きに来ます。おもちゃの大工セットはお母さんに買ってもらっているのですが、どうもおもちゃでは満足できないようです。
うえの子のお友達が遊びに来たとき、そのお友達のお母さんは、うちのちいさいちびがピンセットをもっていることにびっくりするようです。まあ、そうでしょう。私も3歳児のお気に入りがピンセットなんて話は聞いたことがありません。
将来は、家のリフォームでもやってもらいましょうか。[「千のキミア」プロジェクト]
あいている時間をみつけて、「千のキミア」プロジェクトを進めています。現時点で、686点。2005年の間に、千には達するでしょう。キミアだけではなく、科学史の古典的なものも収集するようにしています。昨日は、アレキサンダー・フォン・フンボルトの『コスモス』のドイツ語版とフランス語版の両方をダウンロードしました。機会があればいつか読んでみたいと思っていますが、当分はその機会がないでしょう。
ひとりで7時40分。ちびどもはよく寝ています。外は雨。→雪まじりの雨でした。ほんのわずかに積もっている場所もあります。→気温も上がらず、雨も上がらず。[採点]
2月3日に行った試験の採点を行いました。寒い雨のなか、ちびどもは四谷に出かけました。家をでて帰ってくるまでほぼ4時間。その間に、採点だけは終わりました。成績票への転記はまたにします。
ちいさいちびは7時台。私は8時過ぎ。おおきいちびは、8時半。私が遅かったのは、おそらく採点の疲れ。昨日届いた2校を校正する作業を朝のうちに行いました。その作業そのものは2時間程度ですむのですが、それと同時に表(表表紙、裏表紙、表表紙の裏側、裏表紙の裏側)を作成する作業があります。これがけっこう手間です。表表紙は、目次です。雑誌の顔。そこでは、数字をひとつ、漢字をひとつ間違うことも許されません。(人の名前を間違えると失礼ですし、論文のタイトルを間違えるのも失礼です。)もっとも気を使う箇所です。
ちいさいちびが再度風邪気味。おねえちゃんの方もいくらか風邪気味。ちいさいちびは寝る直前、苦しそうな咳を30分から場合によっては1時間ほどしています。私も、風邪なのか花粉症なのか区別はつかないのですが、やはりかなり咳がでるようになっています。いまのところ、とくに日常生活に影響はありませんが、入試業務とかが少し心配です。
昨日読み始めた、鎌倉英也『ノモンハン 隠された「戦争」』(NHK出版、2001)を読了しました。よい本です。たぶん、著者の鎌倉さんに書き切れた思いはないと思います。
本日は、採点作業は避けました。採点はそうとうに神経を使います。若かった頃は、一気に済ませていましたが、最近はあいだをおくようにしています。
比喩的に語れば、採点で根を詰めると、脳内の血管が摩滅していく感覚がありました。
ちいさいちびが起きて、7時15分。雨はやっとあがっています。午前中に次の本がアマゾンより届きました。
鎌倉英也『ノモンハン 隠された「戦争」』NHK出版、2001
さて、今日は、3限の「科学思想史」の試験日。1時間ぐらい前に学校に到着しました。ちょこまかと用事を済ませたあと、この本をもって、試験会場へ。いつもの教室です。60人程度で、目が行き届きます。試験時間中に、『ノモンハン 隠された「戦争」』を半分ぐらい読みました。とても興味深い内容です。もとは、NHKスペシャルで放映したものを、チーフ・プロデューサーが本に書き下ろしたということです。[採点]
ちびどもが寝付いたあと、今日行った試験の採点にかかりました。昔より枚数が減っているので、本日中に採点・転記を終えることができました。まずまずこちらの要求には応えてくれていました。もし時間があれば、講評を記すこともあります。
地震で目覚めて5時。→午前4時46分ごろ発生し、茨城県南部で震度5弱だったそうです。→地震のころから、雨音がはっきりしてきました。[ともしび]
ずっと前にはじまった朝日新聞東京欄の連載「中央線の詩、沿線風景」ですが、19回目にしてまだ西荻窪です。「第1部 ともしび・西荻窪」が続いています。今朝は、駅前の由緒あるフランス料理屋こけし屋の由来が書かれていました。はじめて知りました。西荻窪の住むようになってたぶんそろそろ20年に近づきます。この手の話はなかなか聞く機会がありません。[パソコン通信終了]
ニフティがパソコン通信を終了するというニュース。来月の3月末で終了だそうです。サービス開始は87年。10年は続いたが、20年は続かなかったわけです。個人的にも、インターネットに接続した1995年あたりから、パソコン通信はほとんど使わなくなりました。私には、パソコン通信時代のフォーラムを懐かしむ気持ちが少しあります。[大学院教授会]
本日は大学院教授会の日。こういう冷たい雨の降る日は早く終わってもらいたいものです。→ほぼ予定通り、5時ちょっとすぎに終了。[10年ぶり]
この前買ってきた大型ホッチキスで、次のものをバインドしました。
Jean-Marc Mandosio,
"La place de l'alchimie dans les classifications des sciences et des arts à la Renaissance",
Chrysopoeia, IV (1990-91), pp.199-282
何といっても84頁の長い論文です。1994年イギリスに留学していたころ、たしかインペリアル・カレッジ(サイエンス・ミュージアムとの共同)の図書館でとった記憶があります。この雑誌は、日本では見たことがなかったので、頑張ってとったんだと思います。大学にでる途中、駅前の本屋さんで次の2冊の新書を購入しました。
森岡正博『感じない男』ちくま新書、2005
村上陽一郎『安全と安心の科学』集英社新書、2005
夜のあいだに、森岡氏の『感じない男』を読んでしまいました。おそらく、2時間弱。問題を解決したというよりも、大きな問題を提示した著作です。森岡氏がとりあげる中心的な現象を「男の不感症」というふうに呼ぶことには、納得がいきませんが、でも、そうした反応も承知のうえで敢えて「男の不感症」という言葉を使っているのでしょう。
これまで正面から取り上げられてこなかった重要な事柄を何点か切り出すことに成功していると思います。
ひとつは、男性自身のなかに潜む大人の男性の体を汚いと感じる感じ方。
もうひとつは、男の子の最初の精通=夢精の孤独、あるいは、ほうっておかれ方。
中心的論点ではないのですが、納得した事柄。森岡氏が若い頃、ゲイの男性に迫られた体験を一種の原体験として記述されています。森岡氏がゲイの男性に好かれるというのは、よくわかると思いました。私にはその点をきちんと言語化する力はありませんが、森岡さんはそういう雰囲気をされています。
ちいさいちびが起きて、7時過ぎ。気付くと、唇の皮が一回更新している最中です。蛇の脱皮というと大げさですが、ちび脱皮のような感じとなっています。
今日は修論審査で大学にでます。→ひとりだったので、およそ30分で終了しました。ま、ぼちぼちですかね。
脳死判定33例目があったというニュース。
自民党の「脳死・生命倫理及び臓器移植調査会」が小児の移植にも道を開く脳死移植法改正案を今国会提出の運びというニュース。
34例目の脳死判定のニュース。記載漏れの意思表示カードによる、とのこと。採点を開始しました。採点をしてみると、体力がまだまだ回復していないことがよくわかります。やすみやすみ、やっていきます。締切にはしっかり間に合わせるので、関係者の方はご安心ください。
なお、明後日に一つ試験。そして、週明けの月曜日に一つ試験があります。4年生の成績締切が火曜日なので、とっとと採点して、成績簿につけ、提出する必要があります。
ちいさいちびが起きて、7時過ぎ。おおきいちびはひさしぶりにお弁当をもって幼稚園。[工事現場のカプセルホテル]
さて、今日は、MRI とMRA の検査の日。検査は12時からで、11時半までに病院で受付をすませておくようにとのことでした。バスは時間が読めないので、土曜日と同じく東小金井からタクシーを使ったら、11時に着いてしまいました。距離的には田無ですからそのぐらいの感じでしょう。仕方がないので、待合室の椅子に座って、雑誌を読んでいました。
ほぼ時間通りに、検査の開始。MRI とMRA ももちろんはじめてです。音がうるさいというのはあらかじめ教えてもらっていたのですが、実際、台に固定されて、磁気をかけられるとかなりうるさい。そう、これは、まるで工事現場のカプセルホテルのようだと思いました。目を開けていても仕方がないので、閉じたままたぶん30分近く。動くなといわれたので、じっと30分、カプセルホテルのなかでガタンゴトンを聞いていました。ただじっとしている状態での30分はわりとながく感じます。
でも30分は30分。終わって13時過ぎ。午後の診察は2時からということで、近くの喫茶店で昼食をとり、もっていった本を読んでいました。
2時すぎに名前を呼ばれたので、中にはいったら、血管にはたぶん問題はないでしょう、当分様子をみましょう、とのことでした。
見ることができるわけではもちろんありませんが、私の感覚では、私の脳内の血管に異常があるような気はしませんでした。低血圧は、日常的に低血圧なので、それが何かのきっかけ(たとえば、アレルギー)で下がりすぎたのではないかと思っています。
薬もなく、気をつけることもなく、2730円を払って、武蔵境行きのバスに乗りました。
武蔵境から大学に行って、下の学長選挙の投票をすませ、ちょっとした事務処理を行って帰ってきました。[学長選挙]
さて、本日は、学長選挙の日。正確には「学長選考の係る意向聴取としての投票」です。国立大学法人になって、選挙はこういうややこしいものとなっています。
ちいさいちびが起きて、7時45分。それぞれの事情で、起床時間が遅くなってきています。体調は、ぼちぼちといったところです。
正午の気温が5度台。真冬の寒さです。このぐらい気温が低いとさすがのちびどももあまり外出したがりません。しかし、明日のチョコレートというと喜んででかけました。バレンタインのチョコを作るんだということです。クッキー作りも気に入っています。まあちょうどよい時間つぶしになります。[宿題]
午前中に、昨日休んだ編集委員会の宿題が届きました。編集委員会の業務としてもっとも大切な郵便物ですから、朝のうち1時間ほどで対応しました。大きな封筒の郵便が4点。
ちいさいちびが起きて、8時15分。全員でよく寝ました。私の方はすこし疲れがでたようです。[西東京中央病院]
さて、今日は病院。8時半開始というのだけ記憶に残っていました。病院の場所、田無ですが、武蔵境あるいは東小金井から北上するようです。病院で長く待たされるのは苦痛ですから、朝ご飯をたべてすぐに飛び出しました。土曜日は中央線快速が西荻に停車しないので面倒なのですが、まずは総武線にのり、吉祥寺で中央線快速に乗り換えて、東小金井駅へ。体力に自信がなかったので、タクシーを使いました。1220円。
まず、私が帰ってきたときとは同じ病院だと思えないぐらい人が大勢いました。地域の中核病院なのでしょう。時間は、8時半から受け付け開始、9時診療開始でした。私は9時5分前ぐらいに着きました。体はすこしだるいのですが、頭に異常があるわけではないので、一昨日駒場で借りてきた英語の本を読んでいました。おそらく30分ほど待つと私の名前が呼ばれました。
脳神経外科の若いお医者さんでした。失神の原因は2つ。ひとつは、脳への血流が血管の不具合で一部阻害されること、もうひとつは、低血圧で、やはり脳内血流が弱くなることだという説明。明快です。私がすっかりその気になっていたアナフィラキシーですが、ジンマシンやアレルギーとの関連はわかりません、とのこと。
脳内部の血管の様子は、MRI や MRA で調べるとわかります、どうしますか?と問うので(母が一度脳を調べてもらえと別の文脈で言ってきていました)、ともかく調べてもらうことにしました。それが月曜日のお昼。
いつも大勢の患者さんの相手をしているのでしょう、病院の対応はてきぱきしていて、感じのよいものでした。支払いが済んだ時点で10時前。入口にいる看護婦さんに、田無駅までの道順を聞いて、田無駅に向かいました。西武線に乗ってしまうと、新宿に行ってJRで戻ってくることになります。それはばからしいので、今度は、田無駅から武蔵境駅へ向かうバスに乗車しました。ほぼ予定通り、11時前に帰宅。はじめての場所をとっとと動いてきたので、すこし体にぼんやりとする感じがありました。
本来ならば、今日は午後3時から東工大で編集委員会なのですが、昨日の夜休ませてもらうかも知れないというメールを流してあり、やはり休ませてもらいますの連絡をまわしました。ちびどもは中華学校(四谷)の日なので、午後しばらくのあいだ、のんびりできます。気付くと、帽子の諸所に血の痕が残っていました。倒れたときのものでしょう。
気付くと、歯の様子がおかしい。顔面から地面に衝突したので、すこしぐらい異常はあってもおかしくないのですが、前歯にいくらかひびがはいり、詰めていた部分がいくらか欠けていました。口が治ったら、また歯医者さんにかからないといけません。ふー。
ひとりで6時45分。昨夜の事件ですが、まあまあ大丈夫です。右の上唇と右頬のあたりは、夜中も少しずつ出血があったので、少し痛みますが、それはまあ当然かと。
体調は、これも当然でしょうが、すぐれません。気持ちのうえでどうのこうのはないのですが、ともかく元気が出ないというか、力がでない感じです。妻に指摘されて鏡を見たら、顔つきがすこし変わっていました。顔の表面に血がついていれば、もちろんそれだけで雰囲気が違ってくるわけですが、それだけではなく、目の部分に疲れあるいは眠気あるいはエネルギーレベル低下がでていました。自分でもすこし驚きました。たった一度のアナフィラキシー(自分のなかではもうアナフィラキシーになっています)で、こういう変化が身体に生じるとは思っていませんでした。[昨日の収穫物]
昨日の駒場図書館ですが、1月25日に日記に記したフニアデスに関する次の2点の論文をとってきました。
F. Sherwood Taylor and G. H. Josten, "Johannes Banfi Hunyades", AMBIX, 5(1953), 44-52
John H. Appleby, "Arthur Dee and Johannes Banfi Hunyades : further information on their alchemical and professional activities" AMBIX,24(1977), 96-109
研究所で待機している間に読んでしまいました。私にはなかなか興味深い情報が含まれていました。
その第1点。ケネルム・ディグビー卿の化学助手をつとめたいたことがあるという点。「植物の植物作用(活性)について」という論考(1660)で、ディグビーは、「ハンガーリー人、ハンス・フニアデスは我が Operator であった」と言っています。
また、フニアデスはずっと以前、有名なジョン・ディーの息子、アーサー・ディーの実験助手も勤めています。
なお、フニアデスの生まれは、1576年。ハンガリーのクルージュ。(ドイツ語式には、Klausenburgクラウゼンブルク、ハンガリー語式には、Kolozsvár コーロズバル。
上の1953論文は、1632年ないし33年にはロンドンに来ていたと書くが、1977 論文は、1616年には英国に来ていたようだと書く。死亡は、ハンガリーへ帰ろうと考えて、オランダに渡ってすぐの1646年。
彼は、ヨーロッパ有数の鉱山地方の実践的知識をもつ、化学者=錬金術師であり、英国でかなり多くの人物にそのキミアの知識を授けた模様。
ちいさいちびといっしょに7時過ぎ。今度は私が咳です。風邪の前哨か、花粉症の前哨か、まだよくわかりません。ともかく、よく咳がでてきます。[法律を知らない警察官]
昨日研究室で、ファン・ヘルモントの英訳と格闘していて、ああ目が疲れた、と思ったとき、ふと宮台真司氏のサイトを見て気分転換をしようと思いつきました。
すると、以前国家公安委員長を務めていたことがある、 白川勝彦氏のサイトが紹介されていました。白川氏が風邪明けにふつうのおっちゃんの格好で渋谷センター街を歩いていると、4人の屈強の警察官に不法な職務質問を受けた顛末が書かれています。その際の警察官の行動でもっとも問題なのは、4人の警察官が警察官に「職務質問」を許す法律、「警察官職務執行法」を知らない、ということです。それだけではなく、憲法の基本も法律の基本も知らないようです。なんと、そもそも「国家公安委員長」というのも知らなかったようです。唖然。[救急車]
はじめて救急車に乗せられました。
見たい資料があったので、11時頃家をでて、駒場図書館に。コピーを2本とり、本を一冊借りて、すぐさま外語に。外語では、午後から(1時~6時半)COE 総合シンポジウムというのがあり、手伝いが必要だろうと思い、大学に着いたら、まず総合文化研究所に。総合文化研究所には、すでにお客さん(ゲスト講師の方)がひとりと、アルバイトの学生が3人張り付いていました。
米原万里さんが3時過ぎ、私の大学院時代の師匠、村上陽一郎氏が3時半まえに見えました。お話相手は、はじめは学生、ついで西谷さんにまかせました。
4時半からお二人の講演会。お二人とももともとお話がじょうずということもありますが、約100分の講演会は、立ち見もでるほどの盛況で、しかもしまったものとなりました。学生以外の方もずいぶん見えていて、学生たちにもよい体験だったのではないでしょうか。
その後、6時半から特別食堂でパーティ。ふつうに、少しだけビールを飲み、お寿司と肉類とデザートを食べていました。8時でエンディングだったので、私はさっさと家路につきました。
パーティの最後あたりからなんかかゆいな、と思っていたのですが、多磨線を待っている間に、起きていることがわかりました。全身ジンマシン状態です。手、背中、頭、足に少し、そしておそらく顔にも幾分ジンマシンがでていました。(触ってわかりました。)これはもしかしたらすこしやばいかなと思いつつ、自宅に帰って寝れば直るであろうと電車に乗り込みました。電車が武蔵境の駅に着く前に、最初の失神。寝てしまっていました。でも、何とかなりそうだと起き出して、JRの方へ。エスカレーターに乗ったまでは覚えていますが、どうも、上に着くまでに第2回目の失神。まわりのひとが助け起こしてくれたようです。目が覚めて、少しあるいているうちに、完全に意識が飛びました。気が付くと、地面に付した状態で、たぶんエスカレーターで助けてくれた方と、駅員さんが心配そうにまわりにいます。自分では痛いという感覚はまったくなかったのですが、直径10センチほどの血だまりが目の前に。どうも顔の右側から倒れ込んだようです。
救急車がすぐに来て、西東京病院に行くとのこと。車中では両足がつり、一度もどしました。
病院では、まず点滴。しばらくしてから、(たぶん落ち着いてからでしょう)CTスキャンとレントゲン。CTスキャンももちろんはじめてです。点滴を受けている最中もほとんど寝ている状態で、起きたときは気分が悪くなって2度もどしました。つまり、ほとんど目をつぶっていたので、機器の外もなかもまったく覚えていません。
頭蓋骨には異常がみられないということで、気分が落ち着くまで、ベッドの上で休んでいました。看護婦さんがどうしますか、帰れるようでしたが帰ってもよろしいし、もう少し楽になるまで休んでいてもよい、と言ってくれます。100%の自信があったわけではないのですが、家のことも気になるので、タクシーで帰ることにしました。(病院のすぐそばが田無の駅ということでした。電車の音が間近に聞こえていました。でも、電車で帰る自信はさすがになし。)
田無という駅には降り立ったことがないので、はっきりとした地理はつかめませんが、青梅街道を都心側に向かってもらって、4020円でつきました。
失神しながらですから、正確なことはわかりませんが、全身ジンマシンは、おそらく病院に着く頃には消えていました。電車に座ってぼうとしているときに、これはもしかしたら前にテレビで見た(あのたけしの病気ものです)ショック症状をもたらす全身ジンマシンあるいはアレルギーではないかと思い、武蔵境の駅についたら駅員さんに救急車を呼んでもらおうと考えていたのを覚えています。そらからたぶん、失神して、上のような行動に繋がったのでしょう。さて、その原因を考えています。救急車の方も病院の方も何を食べたのか聞きました。ごくちいさい子どもの頃は、卵などでアレルギーがでたことがありますが、大きくなってからはまったくありません。ふだん、何を食べても大丈夫なのに、いきなり、ということはあんまり考えられないと思います。それで出した私なりの第一候補は、寒さと暑さです。コンパの最中に、お客さんを送るために、外大のセンター・サークルをほぼ半周して戻ってきました。その際、すぐ近くだからと、コートを着ずに外に出ました。風が吹いてほんとうに寒かったのですが、めんどうだったのでそのままでて、再び特別食堂に戻るとむわーと暑く感じました。暑く感じ始めてから、体がかゆくなりはじめたことを思い出したのです。
さて、個人的には正確な病名が知りたいところです。ウェブで調べた範囲では、アナフィラキシーというのが一番近いような気がします。
ひとりで7時20分。今朝はいくぶん暖かい。天気予報では最高気温が14度まで上がるということです。ちいさいちびの風邪は、昨日の夕刻一度もどしましたが、まずまずといったところです。[教授会の日]
教授会の日です。調べたいことがあったので、10時頃に家をでて、大学の図書館へ直行しました。O.E.D. を調べ終わると、昼食にちょうどよい時間になっていました。平井さんのフランス語論文と格闘しつつ、昼食を終了。その後、研究室で今度は、ファン・ヘルモントのオリアトライクと格闘。優に1000頁を超えていますから、どさっとした重さがあります。必要部分を抜き出し、最低限必要な箇所は見つけだしました。昨夜ラテン語原文をにらみつけていたので、比較的はやく当該箇所に行き着きました。ファン・ヘルモントの文章には、たたみかけるような雰囲気があります。
それまでの注釈の学とは、違う特有の力があります。
教授会そのものは、2時半からはじまり、5時半には終わりました。上出来。6時を過ぎると会議を抜けて、北朝鮮を見るために帰るつもりでしたが、その必要もありませんでした。[ワールドカップ最終予選初戦]
初戦は、日本対北朝鮮。壮絶な試合を制して、2対1で日本の勝ち。これは今後に繋がる勝利だと思います。日本の弱い部分もはっきりでました。今後も楽な試合はないでしょう。でも、その弱い部分をカバーして前進できる力を感じました。[同僚の日記 ii]
今回は夢つながりなのか、あるいは初回が母なので、父なのか、でもそこまではやらないではと思っていたら、第3回目は父でした。精神分析にはまる方は、実は創始者のフロイトにせよ、ユングにせよ、そういう点がありますが、いわば精神分析学的な過去をもち、精神分析学的な体験をしていることが多い。亀山氏も見事にそれがあてはまります。
おおきいちびといっしょに7時半。昨日の酒がすこしきいたようです。→小雨が降っています。どうもちいさいちびは軽く風邪のようです。苦しそうに咳をしています。→幼稚園でも風邪が流行っています。とくに、おにいちゃん、おねえちゃんが小学校に上がっている子がインフルエンザをもらっている確率が高いようです。うちのおおきなちびは、夜布団にはいってからしばらくの間、鼻が苦しそうですが、風邪というところまではいっていません。おおきいちびの5歳の誕生日。おおきくなりました。
[18世紀コレクション・トライアルサイト消失]
ちょっと欲しいものがあったので、Trial Site of Eighteenth Century Collection Onlineに入ってみました。ああ、残念!
"The trial that you are trying to access has expired. Please contact your sales representative or consortia/state program administrator for further information. Thank you."
あれだけのものをいつまでも無料で公開しているのは不思議だと思っていたのですが、やはり、消失してしまいました。このサイトも基本的にはいろんなテキストの画像でしたが、その著作に関して「単語」の検索ができました。それは便利でした。[同僚の日記]
今朝、昨日の夕刊を読んでいると、「こころの風景」(朝日新聞、夕刊の文化欄)に同僚の亀山郁夫氏が日記を書いているのに気付きました。「母と会う」というタイトルで、お母さんのことを書かれています。
→本日のテーマは、世界崩壊の夢でした。昨日のは「母の夢」。今回は夢シリーズでいくつもりでしょうか。
ひとりで7時すぎ。10時に家をでて、駒場の図書館に向かいました。駒場の図書館では、英語の論文を1本とフランス語の論文を1本、コピーをとりました。英語の方は、そのまま書庫で読み通し、それから昔割とよく行っていた駅前の中華料理屋さんで昼食。見事に東大の男子学生ばかりいました。体育会系御用達という雰囲気でした。
駒場から吉祥寺に向かう電車のなかで、フランス語の論文のともかく注だけチェックして、大学に向かいました。大学に着くと、それなりに用事があり、事務処理をすませました。4時半から大学院最後の授業。その後、院生3人と近くの飲み屋で打ち上げコンパ。私は2度目ですが、なかなか食べ物のおいしい飲み屋です。そこに10時半ぐらいまでいて、帰宅。11時過ぎでした。最近、こんな時間に帰宅することはめったにないことです。帰宅すると次の本が届いていました。日本のアマゾンからです。
日垣 隆『日本につける薬』実業之日本社、2004
日垣 隆『世間のウソ』新潮新書、2005
[底抜け]
本日の新聞(ウェブ)に次の記事がありました。
本の重さで床が抜け
けっこう噂には聞いていましたが、実際に記事としてみるのははじめてです。主に古雑誌がたまっていた2階のアパートの床が抜けたのだそうです。落ちた古雑誌は、運び出すと「幅約1メートル、長さ約30メートル、高さ約50センチ」にのぼったのだそうです。明らかに記者が喜んで書いています。こういう記事は、面白いですものね。
ひとりで7時。[解像度]
Early English Books On Line でダウンロードした PDF ファイルに、今私の行っている作業に関連する部分があることに気付き、読もうと思いました。ペンをもって読むので、まずは我が家のプリンターでプリントアウトし、それからコピー機で拡大しています。この前大学の研究所で拡大コピーをしたときには、まったく問題がなかったので、今日プリントアウトした部分(たったの3枚、6頁分)を近所のコンビニに持っていき、拡大コピーを試みました。3店を試みましたが、拡大するとまったく読めなくなりました。それで、コピー機にも解像度の差があることがわかりました。最近の機械だからどれもこれも対して差がないだろうと思っていたのですが、相当の差があることがわかりました。大学は、最新あるいはその次ぐらいのマシーンをリースで使うことが多い。その分、性能的にはよいものがはいっています。
ともあれ、コンビニのコピー機の性能はそれほど高くないことがよくわかりました。
ひとりで6時45分。寒さは、昨日のお昼過ぎからいくぶんかましになった気がします。もしかしたら、体が慣れただけかも知れませんが。→目覚めは、小さいちびが先。大きいちびが後でした。ずいぶんましにはなってきていますが、ちいさいちびの睡眠はいまでも幾分か不安定です。夜中によく目をさまし、そのたびに、大きな声をあげています。[四谷]
当分、土曜日は四谷に通い、中国語を勉強させることにしたようです。四谷ぐらいまでなら、電車で行っても、まあなんとかもつようになった、ということです。小さい子どもは電車に乗ると最初喜んでいますが、すぐにあきます。飽きると、まあ、いろいろ迷惑をまわりの方にかけることになるわけです。
こちらも苦労しましたから、電車で騒いでいる子どもに出会うと、ああ、たいへんだな、とまずお母さんに同情します。
子育ての体験がない方、子どもが嫌いな方は、電車で騒ぐ子どもに嫌な思いをされているのではと思いますが、ちいさいうちは、大目に見てやって下さい。おかあさんは、ずっとたいへんな思いをしています。
でも逆に一定の年齢以上の子に対しては、注意してあげることも必要かと思います。中学生以上ならびしっと、小学生ならやさしく言ってあげることがみんなのためになるかと思います。
子育てのしやすい社会はよい社会です。日本社会はその点では、半分だと思います。ちびどもが出かけている間に、台北から、A Happy New Year ! の電話がありました。中国人社会では、お正月は旧暦によります。今年は、2月9日だと聞いています。季節上はまったく無意味な今の日本の新年よりも、寒さも峠に達し、これかは春に向かうぞという旧暦の新年か、あるいはヨーロッパの昔のように、春分の日に1年が始まる方がよっぽど季節の動きに対応しています。January に本来「1」月の意味はありません。ヤヌスの月の意味です。グレゴリオ暦が導入されるまでは、ヨーロッパの新年は春分の日に始まっていました。(ユリウス暦では、1年を365.25日としたためユリウス・カエサルの時代からコペルニクスの時代までの約千5百年の間に、約10日ほど暦の表示と実際の季節の間にずれが生じていました。)今で言えば、たとえば、3月20日に2005年となるようなものです。March は、ですから、3月とするよりもやはりマルスの月とした方がおさまりがよかったのです。日本の場合、官公庁も学校も一般企業も4月に新人が入ります。会計年度も4月からスタートが多い。ですから、4月1日を1年のはじまりとするのも合理的だと思われます。その場合、卯月という古い名前を復活させるのも風流があってよい。
ひとりで6時15分。[いまだ捨てず]
去年の11月台北にでかけたときから、ゴミ箱にためている迷惑メール、ジャンク・メール、スパム・メール、ウイルス・メール、詐欺メールですが、総数で3000を超えました。たいへんなものです。[お片づけ]
資料の整理法について、ここしばらく、いわば連載しています。私の足下に、製本できていないコピーが相当数たまっています。自分で書いたことでもありますし、数日前から製本作業にいそしんでいます。めざましくは進展していませんが、それでも少しずつ片づいています。
その整理の間に、Azogue(スペイン語の錬金術史のページ)のリストをプリントアウトしたものがファイル・バインダーから見つかりました。リストを見直すと、私の今の作業に関係しているものが、Azogueにリストアップされていることに気付きました。
ピコ・デラ・ミランドーラの『金について』です。早速、マドリッド大学のデジタル・ライブリーにある JPEG ファイルをダウンロードしました。150頁に達しない小さい本なので、とくに時間はかかりませんでした。
Pico della Mirandola, Gianfrancesco.
Io. Francisci Pici Mirandulae et Concordiae Domini, De auro libri tres
Venecia, 1586
→製本するための紙がきれました。吉祥寺のユザワヤに仕入れに。50枚組の極厚口カラーP.P.C.&プリンタ用紙というのを2組と、25ミリの製本テープ2本、それから封筒を買って、ドアをでてから、ドアにもどるまで1時間以内で帰ってきました。散乱していたコピーは、8割から9割がた製本できました。
ひとりで7時前。まだまだ寒い。そう言えば、節分でした。今日の幼稚園は、観劇会。高円寺か阿佐ヶ谷の会場に、いくつかの私立幼稚園の園児が集まり、11時~1時という幼稚園児には不思議な時間帯で、劇を見ます。私は行ったことがないので、具体的な様子は分かりませんが、去年もちびどもは大人しく喜んで見たいたということです。今年も、猫の劇が見られると言って、喜び勇んででかけました。
[早稲田大学 ii ]
昨日、早稲田大学の検索サイトで、早稲田が購入したEarly English Books(マイクロ・フィルム・コレクション)の書誌情報が検索できるということを報告しました。
誰かが反応を示してくれるであろうと思っていたら、私にEarly English Books On Line の情報を教えてくれたご本尊、那須さんが詳細なコメントを付してくれています。
Early English Books そのものについて知りたい方は、那須さんの説明をお読み下さい。ちょっとややこしい事情がしっかりと説明されています。
前にも記しましたが、一言だけコメントしておきます。"English Books" というフレイズから、英語の本というふうに理解される方もおられるかもしれませんが、この"English Books" は英国で出版された本の謂いです。ほとんどが英語の本であることに間違いはありませんが、たとえば昨日の例で言えば、ボイルのラテン語訳も含まれます。スピノザが読んだボイルも、ライプニッツが読んだボイルも、そのラテン語訳のボイルです。[試験 ]
今日は、5限の「表象文化とグローバリゼーション2」の試験。試験は、通常の授業と同じ時間帯に行うので、4時半からですが、ひとりで昼食をとって、1時すぎに家をでて、2時前に大学に着きました。いろいろ片づけをしていると、ちょうど4時頃に。試験ですから、我々も5分前には教室に入って、解答用紙を配り、チャイムが鳴るのを待っていました。
学生証をチェックしていると、二人ばかりもっていない学生がいました。二人とも、財布を忘れたと言います。財布を忘れるなんて、私には考えられない恐ろしいことですが、学生のなかには100人に1人ぐらいそういうタイプがいるのでしょうか?
本人確認は、友人に頼みました。
ひとりで6時。今朝も寒い。ここ1週間ぐらいは寒い日が続くようです。2月が1年で一番寒い月なので、自然ではあるのですが。→新聞によれば、昨日日本列島を襲った寒波がこの冬一番の寒波だそうです。[早稲田大学]
若き友人から、早稲田大学に Early English Books のマイクロが入っている、ウェブキャットからは検索できない、しかし、早稲田大学図書館の検索サイトからは、検索できるという話を聞いていました。実際検索を試みてみました。すごい!
たとえば、私の研究テーマである、ロバート・ボイルについては、162件が検索にかかります。ボイルの出版点数は、50点弱です。162件という数は、ラテン語訳を含め異なる版を含んでいるということです。通常ボイルに帰されてきたが、ボイル自身の著作ではないものも含みます。検索ではそうした作品もヒットした方が使い勝手がよい。ボイルの弟子のグレッグの作品もしっかりヒットしています。
さて、Early English Books On Line (基本的に同じ資料のオンライン化)は、私の知っている範囲では、東大のドメイン、そしてICU のドメインからは検索・利用することができます。ICU の那須さんは、大英図書館がオンライン上に引っ越してきたみたいだ、と評されました(少し表現を変えています。)しかし、その他のドメインからは、利用ができないのみならず、検索もかけることができません。
でも、我々には早稲田がある。
Early English Booksに何があるのかは、上記の早稲田のサイトで検索をかければ知ることができます。マイクロと On Line は100%一致するわけではありませんが、重宝します。(On Line ではマイクロ化、すなわち写真を撮られていないものもリスト化されている。もちろん、写真が撮られていなければ、On Lineでも利用はできないのですが。)
マイクロフィルムの利用は、なかなか手間がかかりますが、ともかく早稲田大学に行けば、利用させてもらえる(はずです)。(私は早稲田の図書館は見たことはありますが、利用したことはありません。)[一日体験]
今日はちいさいちびの一日体験の日。もちろん、幼稚園の体験日です。ずいぶん楽しみにしていました。ふつうの園児は休園なのですが、おねえちゃんはせんせいのてつだいをするんだ、と言ってついていきました。[今年度教務事務]
朝方、2005年度の大学院の授業のシラバスを添付・ファイルで教務課大学院係に送りました。5つ。学部のシラバスはずっと以前に送っています。これで、今年度残る教務事務は、試験と採点と成績評価です。試験は、2月3日(「表象文化とグローバリゼーション」)、2月17日(「科学思想史」)、2月21日(「科学技術と社会」)です。明日一つ試験がありますが、ウェイトは2月後半。
もうひとつ私の課題は、100周年基金で申し込んだブックレットの作成作業。1冊を作る必要があります。(入れるべき原稿は決まっているので、あとは、ページメーカー等に流し込んで体裁を整えるだけですが、半日から1日程度の時間はかかると思います。)[日本対シリア]
ワールドカップ最終予選に向けての、最後の国際試合、日本対シリア戦を見ました。3対0で日本の勝ち。さて、いよいよ来週本番。
ひとりで6時半。→昨日の帰り道もとても寒かったが、今朝も寒い。やっと余裕ができたので、朝から駒場の図書館へ。科哲の部屋を借りて、EEBO から何点かダウンロード。人々が昼食にでる時間帯で、図書館へ移動。図書館では4点の論文のコピーをとりました。財布に入っていたコピーカードがそれでぴったり0となりました。つまり、40枚、80頁のコピーをとりました。
コピーをとった論文は次の4点です。
William R. Newman, "The Alchemical Sources of Robert Boyle's Corpuscular Philosophy", Ann. Sci.,53(1996), 567-85.
William R. Newman, "Corpuscular alchemy and the tradition of Aristotle's Meteorology, with special reference to Daniel Sennert", International Studies in the Philosophy of Science, 15(2001), 145 - 153.
F. L.�Holmes, "Chemistry in the Académie Royale des Sciences", Historical Studies in the Physical and Biological Sciences, 34(2003), 41-68
M.Stolberg, "Das Staunen vor der Schöpfung: "Tota substantia", "calidum innatum", "generatio spontanea" und atomistische Formenlehre bei Daniel Sennert", Gesnerus, 50 (1993), 48-65.
先月、コピーの整理のことを書きました。自分の書いたとおりにずっとできていれば、そんなことは必要なかったのですが、最初の論文のコピーをとるのは2度目です。コピーをとって読んだ記憶はあるのですが、ちょうどコピーの整理がずさんになっていた時期で要するに自分の方針通り製本することを忘れたようです。それでも、私の部屋のなかにあることは間違いないので、たぶん最長2時間やさがしをすれば、見つけることができるでしょう。しかし、やさがしをすると、整理をさぼった資料が相当数でてくることは確かで、そうなると気分的に疲れます。
図書館に出かける用事さえあれば、取り直す手間はたいしたことはありません。
帰りの電車のなかで、そのコピーを読みました。前に読んだときの印象は軽かったのですが、今回は、実は昨日から今朝にかけて行っていた作業に重なる内容だったために、ニューマンの研究の手続きが一部手に取るように見えました。つまり、一部、私がこの間やっていたこととまったく同じことをしています。それがわかったことが今回の最大の収穫と言えるでしょう。学生時代によく行っていた大学前のおそばやさんで、ざるそばを食べてから電車にのりました。体育会系の男子学生向きの量を出すおそばやさんで、頑張って最後まで食べたらあきらかに食い過ぎの症状になりました。まあ、そばですから、気分が悪いとかではないのですが、夕食時ぐらいまでおなかがもたれる感じがありました。
ほぼおやつの時間に帰り着きました。帰ってくると、お、もうすぐで、111111。そのことに関しては、Link Freeをご覧下さい。→駒場でとってきたPDF ファイルの整理をすませ、確認のためにこのサイトにアクセスすると、111112。111111に気付いた方はおられるのかしら?先月は、結局、128枚まで行きました。