ちいさいちびが目覚めて5時45分。今日からは普通の気温に戻るようです。昨夜は、夏の暑くて寝苦しい夜でした。妻がダウン。どうも風邪を引いたようです。
ちびどもはお昼過ぎまで自分たちで遊んでいましたが、さすがにお昼を過ぎるとたまらなくなるようで、遊びに連れて行けと言います。ちいさいちびが、金魚に仲間を増やしてやるというので、これはちょうどよい、比較的近い猫の公園と金魚屋さんまで歩いて行きました。猫の公園に他の子どもの姿なし。
猫の公園の隣に、直径30センチを超える大きな実をつける蜜柑の木があります。そこの家のお姉さんが、梯子と2〜3メートルの枝切り鋏で実を取り始めました。おもしろいのでちびどもといっしょに見ていると、お姉さんがちびどもに一個ずつくれました。熊本の有名な○○(名前を聞きましたが、忘れました)という種類だそうです。
味見してみる、ということで剥いたものもくれました。意外なことにちいさいちびが気に入ってよく食べています。
金魚を2匹買ったあと、一端帰宅。
タンポポ公園を探しにいこう、と言って、自転車で荻窪方面へ。ちょっと迷ったのですが、大宮前公園にたどり着きました。
ということで、今日は2つの公園。[科研費]
研究課題名:ロバート・ボイルの科学思想の起源・背景と研究スタイル
ことし内定をもらった科研費ですが、要するにボイルのソース・ハンティングです。ボイルがどの本をどのように読んだのかを可能な限り確定しようと思います。
去年書いた論文「ロバート・ボイルの読書/引用/執筆―ボイルのマージナリアの分析―」『東京外国語大学論集』第68号(2004、7月),pp.129-151 の作業を継続するものとなります。
ということで、上記の論文に載せた表を今一度チェックしなおしています。"TABLE 2" として、ボイルがページ数を明示して引用する著作のリストを載せましたが、修正個所が見つかりました。
追加すべきもの(つまり、見逃したもの)のひとつに、テオドリクス(テオドール)・ハックスパンのイスラームの信仰と律法の解説があります。
Hackspan, Theodoricus, 1607-1659
Fides et leges Mohammaedis exhibitae : ex Alkorani manuscripto duplici, praemissis institutionibus arabicis
AltdorfI : Sumptibus viduae Scherffianae., MDCXLVI(1646)
グーグルをはじめウェブで調べてみましたが、ほとんど情報がありません。ここでもボイルは相当に珍しい書物を利用していることになります。
(ボイル全集の索引の形、"Theodor Hackspan"で検索をかけると、何と Copak でヒットしません。"Theodoricus Hackspan" で検索をかけると2点ヒットします。つまり、Copak に参加しているイギリスの図書館ではたった2つの図書館だけがこの書を所蔵していることになります。)
なお、ボイルがこの書を引用するのは、『聖書のスタイル』という著作においてです。しかも、この書に引用されている J.J. スカリジェ(1540-1609)の書簡362というのを重引しています。なかなか不思議な引用です。
一般的にボイルはその時代の風潮のなかでイスラームにもかなり強い関心を示しています。ただし、当時のヨーロッパにイスラームに関する情報が豊富にあったわけではけっしてなかった。そうしたなかでボイルがイスラームの情報源として重宝していたのが、ホッティンガー(ハイデルベルグ大学東方学教授)の『東方の歴史』です。
Johann Heinrich Hottinger, Historia Orientalis, Zurich, 1660
この『東方の歴史』は、マホメットの生涯、イスラームとその宗派、イスラーム前のアラブの宗教について、当時得られる資料をまとめたコンペンディウムでした。アラビア語、ヘブライ語、ギリシャ語から非常に数多くの引用がなされている、とのことです。
ちびどもが目覚めて6時。6時ならまあよいでしょう。快晴。好天。午前中に編集委員会の仕事をこなしました。表(邦語目次、英文目次、会告等々)の作成作業です。一応昼食までに私にできる部分は終わりました。あとはえらい方々の原稿待ちとなります。
[自転車が重い]
昼食後一服しているとちびどもがお外に行きたい行きたいというので、どこに行きたいかと問うと井の頭公園。連休中一度は連れていってやるつもりだったので、自転車に乗せてでかけることにしました。途中でいろんな公園によってごまかせないかと思ったのですが、一箇所井戸があって手押しポンプのある場所には降りてくれましたが、その後は井の頭公園に行くと言うので、あきらめて吉祥寺まで自転車ででました。以前は上がり切れた坂が上がり切れません。途中で降りて押して上がることになりました。
原因は2つでしょう。
一つは私の体力の低下。明らかに膝の上の筋肉の力が落ちています。もうひとつはちびどもの体重の増加。二人あわせて私の体重の半分以上。自転車の総荷重は優に100キロを超えています。衰えた足で100キロ超はちょっときつい。
ひいひいいいながらこいでいるうちに、井の頭公園に行くなら、動物園に連れていくとよいだろうと思いついて、井の頭公園の動物園まで足を伸ばしました。ちょうど無料の日でした。井の頭公園におけるちびどもの行動パターンはもうほぼ決まっています。まず、おもち(井の頭団子に何もつけずに素で食べることをちびどもはおもちと言っています)を買って、おやつ。それからウサギちゃん。しかし、ウサギの場所(ほんとうはモルモットを抱っこできるコーナー)は子どもたちに大人気で長蛇の列。ちびどもは待つと言ったのですが、まてっこないのは明らかなので、遊園地の方に連れていくことにしました。前は動物園に来ても動物はほとんど見なかったのですが、今日はアライグマや山猫や尾白鷲やらをけっこう見ていました。
遊園地では、1000円で11枚のチケットを買い、9枚消費しました。つまり、最初のメリーゴーランドだけ私が添乗しましたが、その後の3つの乗り物に関してはちびどもふたりで乗ってくれました。私は元気なときでもコーヒーカップに代表される回転系が苦手です。今日みたいな日に回転系の乗り物に乗ると気分が悪くなることはまちがいないので、これは助かりました。
それで遊園地の乗り物には満足したようで、そこからまたウサギちゃんの場所に行ってみました。今度は数人並んでいるだけでした。待ち時間は5分。いつもと少し方式が違っていて、モルモットを膝の上に乗せてやることになっていました。おおきいちびは最初からパス。ちいさいちびは、係員の方にやってもらって少しはもったのですが、モルモットが手をなめると、おとうさん代わってということで、私の膝の上に乗せ、ちびどもが触るという形になりました。モルモットはたしかに少し手をなめたり、軽くかじったりします。なんてことはないのですが、ちびどもには慣れなかったのでしょう。
その後、二人仲良くおしっこをしてから動物園のなかの公園。すなわち、滑り台やブランコのある場所に。新しい滑り台と新しいシーソーがそれぞれ一台ずつ入っていました。今日ぐらい混んでいると何をするにも並ばないといけないのですが、まあそれでも奥のもとからある滑り台が空いていたりで、まずまず遊んでいました。
気温がたぶん夏の気温で、暑かったのでしょう。冷たいものが欲しいというので、うまく言って、動物園をでました。本来の井の頭公園の方の茶屋で、ソフトクリームを食べさせました。日陰でちょうどよい風がはいって体のほてりもさまされました。
ちびどもはかもたちに餌をやりたく、餌そのものは買ったのですが、かんじんの鴨はもう北に帰ったあとでした。そろそろ潮時と思ったのですが、ボート、ボートというので、サイクル・ボートに乗せてやりました。ちいさいちびがハンドルをもちました。ちいさいちびがハンドルをもつと、右に左にめいっぱい回します。そうすると、岸から大きく離れることはなく、船着き場の近辺で回転することになります。それもちょうどよいので、制限時間30分の約半分程度で岸にもどりました。
こちらも疲れてきていたので帰宅したかったのですが、ちいさいちびが新しい滑り台に戻りたいと言います。仕方がないので、帰る向きに自転車を進めつつ、井の頭公園駅前の滑り台で少し遊ばせてから、何とか連れ帰りました。ちいさいちびは、家につくちょうど100メートル前あたりから、こくりこくり。あと10分自転車をこいでいると寝てしまったと思いますが、こくりこくりをはじめて1〜2分で家に到着したので、居間にもどって復活しました。
私はかなり疲れました。
かかったお金はしめて3220円。時間は4時間。
ちいさいちび、おおきいちびと目覚めて、5時40分。もうすこし寝ていたかったのですが、仕方ありません。
天気予報によれば、今日は28度まで気温が上がるそうです。まるで夏です。大学についてすぐに、科研費の書類を事務に提出しました。疑問の点がいつくかあったのですが、その点を事務の方に質問し、解消した上で提出しました。ずっと考えていて、科研費の書類そのものをもっとよくすることは可能だとわかりましたが、それよりも実際の研究に力を注ぐ方がよかろうという結論に達しました。
午後から3コマの授業。すこし疲れました。
明日から連休ではありませんか。さて、ちびどもをどこに連れていってやりましょう。
腹痛(下痢)にて目をさまし、5時半。まだ夜中に鼻がつまります。いつになったら花粉症からおさらばできるでしょうか。→ちいさいちびも、朝から立派すぎるうんち。大きいちびは、幼稚園にでかける直前に気分が悪いと言ったかと思ったらもどしました。私の腹痛といい、おおきいちびの嘔吐といい、昨夜口に入れた何かが悪かったのかもしれません。→午前中のみで帰ってきたおおきいちびが帰り着いてすぐにまたもどしました。うーん、いったい何が悪かったのでしょうか。しばらく横になっていましたが、メロンを買ってきてやると起きて食べたので、まずは大丈夫だろうと判断。今日は例によって会議の日。大学院の教授会があります。→学生に推薦書を渡したあと、教授会。議論はまったくなかったので、4時過ぎに終了。ちょっと心配だったのですぐに帰宅すると、妻がダウン寸前。ちびどもは一度ケンカした以外は、かしこく夕ご飯も食べ、風呂にも入り、歯磨きもしました。ケンカしたときには寝ている妻のところに寄っていきましたが、それ以外は邪魔に行かなかったので、ずいぶん進歩です。
ひとりで6時前。夜すこし雨が降ったようです。地面がいくらかぬれていました。→おおきいちびが幼稚園から帰り着いた途端、にわか雨。雷光・雷鳴をともなう本格的なにわか雨でした。
疲れなのか、その他の原因なのかはっきりしませんが、日中はずっと頭痛がしていました。そして体が重い。雑誌を読んだり、事務的な処理をしたり、あまり集中力がなくてもできることがらを行っていました。おそらく、早朝に120000を通過していました。私がウェブを更新して確認した時点で120003でした。
一昨日アマゾンのマーケットプレイスに発注した次の本が届きました。
山村順次『世界の温泉地:温泉リゾートの発達と現状』大明堂、1990
まず巻頭に収録されている90枚の写真を見ました。ヨーロッパの温泉保養地が魅力的です。台湾・韓国は日本のものと同様です。新大陸ではどうも温泉(療養)は人気がないようで、貴重な温泉水がただそのまま流れ去っているようです。→欧米の部分は読みました。歴史的な部分はわずかですが、それはそれとしてけっこう勉強になります。英語圏では温泉はあまり人気がないようです。英国では、今も生き残っているスパはたった一つだそうです。アメリカでも温泉はとてもすくない。それに対して、英語圏以外のヨーロッパ世界では長期療養型、保養型のクアハウスやスパーがきちんと整備されています。とくにドイツ語圏とフランスでは、温泉療法が社会保険の対象となっており、国民的人気を博しているようです。
こういうふうに温泉の話を読んでいると、無性に温泉リゾートに行って半月ぐらいのんびりしたくなります。仕事が立て込んできた反動だと思います。5月の中旬ぐらいになるとあきらめがついて、そういう気持ちは弱くなります。
実物は未見ですが、『温泉』『温泉地域研究』という雑誌があるようです。そのうちに見てみたいと思います。[科研費]
科研費をもらうのは久しぶりです。内定があったあと、交付申請書を提出します。交付申請書記入上の注意をよく読みました。1時間程度で記入を済ませるつもりだったのですが、申請額と配布額が異なるので、経費の区分を計算しなおしています。今回は実施計画なので、しっかりと考えておく必要があり、いくらか時間がかかります。
ちびどもは6時過ぎ。私はひとり遅れて、7時前。今日は曇り。雨が降り出しそうです。[鉱水論・温泉水論 iv]
昨夜、グーグルで日本語のページも探していました。私のページ、日榮さんのページ、それから『温泉地域研究』を発行している日本温泉地域学会のページがでてきました。日榮さんのページでは、次の本が紹介されていました。
ウラディミール・クリチェク『世界温泉文化史』種村季弘・高木万里子訳、国文社、1994
8400円と高いので、まずは図書館で見てみます。[総合文化研究ブックレット]
大学生協に問い合わせると、昨年度総合文化研究所で私が担当して作成した、『総合文化研究ブックレット』の4号と5号ができあがっていました。とくに5号は、年度末(3月末)に急いで作成したものです。印刷品位としては、もうすこしきれいに作りたかったなと思います。(そのときにはそんな余裕はなかったのですが。)ともあれ、できてやれやれです。
第4号:世界のイスラーム表象、の目次は次の通りです。
荒このみ「アメリカにおけるイスラーム・プレゼンス」pp.1-9
青山亮「ギアツの『ジャワの宗教』とイスラームへの視点」pp.10-16
第5号:東京外国語大学における教養教育の検討の事例、の目次は次の通りです。
検討1.「本学における教養教育への取組み―点検・評価報告書から―」岡田知子,pp.3-5
検討2.「外語における教養教育のありかたをめぐって―総合文化研究ブックレット第1号、並びに『教養教育改善・カリキュラム改革に向けて』の検討―」大川正彦,pp.6-7
検討3.「「世界化と地域化の相克および相互理解」を基本理念とする教養教育の再構築」案の検討」 吉本秀之. p.8.
資料1:「世界化と地域化の相克および相互理解」を基本理念とする教養教育の再構築」案」, pp.9-15
資料2:授業事例1:遺伝子組み換え食品とグローバリズム, pp.16-24
資料3:授業事例2:監視社会とグローバリゼーション, pp.25-31
資料4:大学評価・学位授与機構「教養教育」評価報告書(平成15年3月), pp.32-43
資料5:総合科目に関わる年度計画の達成状況(ローデータ)(2004年度), pp.44-51.
資料1は私と亀山氏の共作、資料2&3は私が実際に行っている授業のシナリオです。必要な方は、私までご一報ください。差し上げます。仕事からの帰り道、駅前の本屋さんで『サイゾー』と『新潮45』の最新号(5月号)ならびに次の2冊の新書を買いました。
烏賀陽弘道『Jポップとは何か―巨大化する音楽産業―』岩波新書、2005
五木寛之『養生の実技―つよいカラダではなく―』角川oneテーマ21、2005
[科研費]
大学で科研費の内定額を確認しました。申請額の3分の2。まずまずの数字でしょう。
領域または細目:1701
課題番号:17650272
整理番号:5201
研究課題名:ロバート・ボイルの科学思想の起源・背景と研究スタイル
おおきいちびといっしょに6時40分。[公園3箇所]
昨日遠出(われわれには新宿でも遠出です)をしたのがすこし無理だったのか、妻の状態が逆戻り。とくにちいさいちびは、妻が休んでいると邪魔に行くので、割と早めから外に連れ出すことにしました。五月晴れではありませんが、春のとても気持ちのよい晴れ。まずは少し遠目のコンビニに自転車でお買い物に。ちびどもは、店内でチョコバナナパイ(あまり気に入らなかったようで半分も食べませんでした)とアイスバーを食べ、一応満足したようです。帰ったあとは、一服してから近所の公園へちびどもの自分の自転車ででかけました。私はあまり連れていってやったことのない公園ですが、花がちょうどきれいに咲いていました。二人で仲良く遊んでいました。帰ったあと、家の前で水遊び。バケツから水をいろんなものにかけてやるというだけの遊びですが、よく遊んでいました。そうこうしているうちにおなかがすいてきたようなので、マックに連れていってやりました。同じような家族連れが大勢来ていました。ちいさいちびが遅い遅いと文句を言うほど列に並んでいました。
帰って私が一休みしたあと、もうよいかと思ったらやはりまだ公園に行きたいと言います。今度は自転車に乗せて昔住んでいたアパートの近くの公園に連れていきました。そこには井戸があります。私が何回かポンプの取っ手を上げ下げすると水が出てきました。その後ちびども。気に入っていたようですが、あとから来たお友達もやりたそうなので、その近くの比較的大きめの公園に移りました。ちびどものいとこ(私の妹夫妻の男の子兄弟)が来ていました。別々に遊んでいたのですが、途中からいとこのお兄ちゃんたちが、団子作りから発展して、砂場に川を築きはじめました。その川に、おばさん(私の妹)からもらったコップで水を注ぎ入れるのが面白くなったようで、1時間半ほどそれで遊んでいました。5時ぐらいになると寒くなってきたので、それで切り上げて帰ってきました。
砂場での川遊びが楽しかったようで、またいとこのところに遊びに行くと言っていました。
(私にも記憶があります。子どものときの川作りはとても面白かった。親の立場からすればそもそも泥は触りたくないのですが、どろんこあそびが子どもには楽しい。)
ひとりで6時前。ちいさいちびの風邪はほぼなおってきたようです。なんとか妻も動けるようになったようなので、金魚の水槽を買いに新宿の東急ハンズにでかけることとしました。開店時刻が10時なので、10時過ぎにつくように家をでました。5階の片隅にペット関係が集まっていました。最初ですから、プラスチックの簡単なセットを選びました。その後地下の食品売場で食べ物を買って外で食べましたが、まだ遊びたいというのでサザンテラスの方をぶらぶらして帰ってきました。
ちびどもは風邪がなおったばかりでまだ体力がしっかりとは回復していませんでした。こちらもけっこう疲れました。
おおきいちびが起きて、6時過ぎ。病気のときは心細いのでしょう、ちいさいちびは夜中目を覚ますと、お母さん、お母さん、と言っていました。→朝一度もどしましたが、ちいさいちびの熱は下がったようです。まだぴーぴー言っているので、今日は幼稚園を休ませ、お医者さん。おおきいちびは(顔色がすこし白っぽいので100%の復活ではないのですが)ひさしぶりにお弁当をもたせました。[鉱水論・温泉水論 iii]
次の論文のカードをそのまま再現しておきましょう。
Allen G. Debus, "Solution Analyses prior to Robert Boyle",
Chymia 8(1962), pp.41-61.
「ボイル以前の2世紀の溶液分析の伝統を跡づける。
オーク・ゴール(オークの虫瘤)を使って明礬の純度をチェックする試験法等々の初期形態はプリニウスに記されている(第35巻)。
ルネサンスの鉱水に対する関心は、イタリア学派あるいはパドヴァ学派と名付けることができる。
1.ドンディ
2.サヴォナローラ(ca.1390-1462) イオウ、明礬、石膏、鉄を同定する方法
3.ファロッピオ この学派のなかで後にもっとも大きな影響をもった
ドイツ人トゥルナイザー (1530-1595) こうした溶液分析に定量的アプローチを導入。それまでのものに付け加えるに、溶解度テスト、炎色反応、結晶形態を同定に用いる。
リバヴィウス
ファン・ヘルモント
de Heer オーク・ゴールをイオウ検出のため、ブラジルウッドを明礬検出に用いる
エドワード・ジョーダン (1569-1632) 鉱水成分を7つに分類。1)ただの土;2)石;3)(ビチュメン、アスファルト);4)エン;5)鉱物精;6)卑金属;7)精。」
オークの虫瘤には、多量のタンニンが含まれる。それが溶液中の鉄分と出会うと黒色の沈殿を生じる。この反応は古くから知られ、鉄分の存在の有無を知るのに使われてきた。
ディーバスの見通しによれば、ルネサンスの鉱水分析のピークは、ファロッピオです。そして17世紀における重要な展開の第1がジョーダン。そして、第2がボイル(それまでの鉱水成分同定法の体系化)、ということになります。ついでに、昨日は注の部分だけをよんだパークの論文を読んでみました。これが意外に面白い。取り上げているのは主として、1.Giovanni Dondi, 『パドヴァ近郊の田舎の温泉について』(ca.1372) ;2.Ugolino da Montecatini, 『温泉について』(1417);3.サヴォナローラ『温泉と自然のスパーについて』(1448-9) の3つのテキストですが、温泉の効用に関する認識論的側面を扱っています。私の今の関心には、実はディーバスのものよりこっちがずっと近い。
パークは、温泉の効用は温泉毎にことなる、そうした温泉に関する情報・知識は、scientia と ars の中間に位置する、それは医学の実践編 practica や錬金術と同じ位置である、としています。そして、次の世紀に自然誌が自立的は学問分野になったときに、そしてとくに解剖学と植物学がしっかりとした経験的基盤をもつようになったときに、はっきりとした姿を見せるようになった、のである。
ちいさいちびといっしょに6時。昨夜帰り着いたころにまた降り出した雨はすっかり上がっています。
妻がダウン中なので、私がちびどもを幼稚園に送っていきました。ちいさいちびももう泣くことはなくなっています。おおきいちびの熱は下がったのですが、大事をとって今日も午前中のみ。ただし、ちいさいちびが風邪気味です。うつったかもしれません。→心配になって夕刻大学から電話をかけると、おおおきちびが電話をとって、ちいさいちびが2度もどしたと言います。熱もすこしあるようです。こどもはくっついて遊んでいますからうつる病気はうつりやすい。大変ですが、仕方ありません。昨日の夕刻、外大の総合文化研究所で開かれた「水曜文化講座」は、南條竹則氏の講演でした。中国の食文化の闇と言いますか、奥深さに触れることのできる、とても面白い内容でした。(にくさのあまり、人を食う話です。)
[鉱水論・温泉水論 ii]
平井さんにキャサリン・パークの次の論文を教えてもらいました。
Katharine Park, "Natural Particulars: Medical Epistemology, Practice, and the Literature of Healing Springs", in Anthony Grafton and Nancy Siraisi (eds.), Natural Particulars: Nature and the Disciplines in Renaissance Europe (Cambridge, Mass.: MIT Press, 1999), pp.347-367.
このパークの論文の注に次のものがありました。
Roy Porter (ed.), The Medical History of Waters and Spas, London: Wellcome Institute for the History of Medicine, 1990
これは何らかの手段で入手します。なお、パークの論文はディーバスの論文もコウリーの論文も引用していません。明らかに問題意識と扱う内容が異なるせいでしょう。ウェブのトライアルが消失した、ECCO = Eighteenth Century Collections Online ですが、昨日講演会でお会いした雄松堂の方より、パンフレットを頂きました。雄松堂に申し込めば、個人では2週間のトライアル、図書館からは1ヶ月のトライアルができるようです。これは頼んでみない手はないと思います。
鼻がつまって夜中に目が覚めました。花粉症のピークは過ぎましたが、まだまだ終了というわけにはいかないようです。かぞくそろって7時。おおきいちびの熱は39度5分。本人はいっちょうまえにしゃべっていますが、高い熱です。→寂しいのかやはり居間のソファでテレビを見たり、寝たりをしています。熱は39度前後。おねえちゃんが寝ているので、ちいさいちびは幼稚園に行きたがらず、おねえちゃんの方は幼稚園に行ける妹がうらやましく自分も行きたいと言いますが、なんとか言いくるめて、ちいさいちびだけ普通に幼稚園。年少さんは当分午前中だけなので、12時前には帰ってきます。
水曜日は会議の日ですが、今日は6時15分からの講演会とその後のお祝いコンパだけです。おおきいちびが風邪を引いていることですし、夕方の5時ぐらいまで自宅でいろんな整理をしておきたいと思っています。
[ダ・ヴィンチ・コード]
本日の朝日新聞が文化欄で「モナリザ 尽きぬ謎」という記事を掲載しています。先月の3月27日に記したテレビ番組の影響だと思います。
ブームの火付け役、推理小説の『ダ・ヴィンチ・コード』ですが、私にフランス語の超入門書をくれた先生が読んだということです。ほんとうによくできた、ページを繰る手を止められないエンターテイメントだということです。息もつかせぬ話の展開という常套句がぴったりだとのこと。
なお、新聞の記事は、第2のモナリザには触れていましたが、マグダラのマリアにもシオン会にも触れていませんでした。単純に逃げたのだと思います。[鉱水論・温泉水論 i]
ボルドー・コロックでの平井さんとの共同研究では、鉱物論(鉱物の生成論・再生論)を扱いました。このテーマに密接に関連するものに、鉱水論(温泉水論)があります。3月15日の日記を読まれた慧眼なる読者諸賢にはお気づきの方もおられるでしょうが、こちらの方も追いかけてみることとしました。直接的ターゲットは、ボイルの鉱水論のソースを見出すことですが、いろいろ気になること、関心を引くことがあるので、ルネサンスから17世紀末ぐらいまでの系譜をまずはできるだけフォローすることとしました。
一番手近な2次文献は、ディーバスの『近代錬金術の歴史』です。このなかに、「中世の医療化学―鉱泉水の分析」(pp.28-32)、「鉱泉水の化学分析」(pp.106-108) という節があるので、これにまず目を通しました。(たぶん3度目ぐらいに読んだことになると思います。)ついで原著の The Chemical Philosophy を引っぱり出して、収集すべき1次資料と2次資料をリストアップしました。次のような感じです。
Peter of Eboli, Pietro da Eboli, I Bagni de Pozzuoli, 1195 (Naples, 1887)
Giacomo de Dondi, Trastatus de causa salsedinis aquarum, et modo in De balneis omnia quae extant apud Graecos, Latinos conficiende salis ex eis et Arabas, Venice, 1553
Bartolomeo Montagnana, Tractatus tres de balneis patavinis, included in his Consilia CCCV, ed J. de Vitalibus, Venice, 1564
Johannes Michael Savonarola, De balneis et termis naturalibus omnibus ytalie, Ferrara, 1485.
Johannes Widman dicti Mechinger, Tractatus de balneis thermarum ferinarum (vulgo Uuildbaden) perutilis balneari volentibus ibidem, Tubingen, 1513
Johann Dryander, Vom Eymser Bade, Koblenz, 1538
Paracelsus, Eilff Tractatus oder Bucher vom Ursprung und ursacher,
Gabriel Fallopio, De medicatis aquis atque de fossilibus, Venice, 1564
Conrad Gesner, Euonymus... de remediis secretis, liber secundus, Zurich, 1569
Gabriel Fallopio, De medicatis aquis atque de fossilibus, Venice, 1564
Leonard Thurneisser zum Thurn, Pison, Frankfurt an der Oder, 1572
Andreas Libavius, "De iudicio aquarum mineralium et horum qaue cum illis inveniuntur", in Alchemia (Frankfurt, 1597), pp.275-392.
Andreas Baccius, De Thermis, 2nd ed., Venice, 1588
Edward Jorden, 1631
John French, Art of Distillation,
2次資料としては、上の2つの節を書くもととなった、ディーバス自身の、Allen G. Debus, "Solution Analyses prior to Robert Boyle", Chymia 8(1962), pp.41-61. の他に、次の3点が上がっています。
Gernot Rath, "Die Anfaenge der Mineral Quellenanalyse," Medizinischen Monatsschrift, 3(1949), 539-541
Gernot Rath, "Die Mineralquellenanalyse im 17. Jahrhundert", Sudhoffs Archiv fuer Geschichte der Medizin und der Naturwissenschaften, 41(1957), 1-9.
Bernard Milt, "Conrad Gesner als Balneologe", Gesnerus, 2(1945), 1-16
4月12日に駒場でコピーをとったのは、このうち駒場図書館に雑誌が所蔵されている2点でした。
今日、部屋を検索して、ディーバスのChymia 1962年の論文を探し出しました。これは1991年3月7日に読んでカードをしっかり取っています。今回とくにソースに注意して読み直してみると、The Chemical Philosophyでは省略したものが少なくないことがわかりました。次のものです。
Reiner Solenander, De Caloris Fontium medicatorum causa, eorum temperatione, Lugduni, 1558.
Joannis Guintheri Andernaci (Andernach), Commentarius de Balneis, & aquis medicatis in tres Dialogus distinctus, Argentorati, 1565.
Philip Besanson, De Ardvennae sylvae luorum admirabilium fontium effectic admiranbilibus Libellus, Paris, 1577.
Thomas Jordan, De Aquis Medicatis Moravia, Frankfort, 1586
J.B. van Helmont, "A Supply concerning the Fountains of the Spaw", in Oriatrike (London, 1662), pp.696-7.
Henry de Heer, Les Fontaines de Spa, Liege, 1630
William Turner, A Booke of the natures and properties as well as of the bathes in England and of ohter bathes in Germanye and Italye, Collen, 1568.
Walter Bailey,, A Briefe Discours of certain Bathes or medicinall Waters in the Countrie of Warwicke neere unto a village called Newnam Regis, 1587.
Edmund Deane, Spadacrene Anglica. or The English Spaw-Fountaine. Being a Briefe Treatise fo the acide, or tart Fountaine in the Forest of Knaresborow, London, 1626.
Michael Stanhope, Newes out of York-Shire: Or, An Account of a Iourney in the True Discovery of a Souveraigne Minerall, Medicinall Water, London, 1626.
Michael Stanhope, Cures Without Care, or a Summons to all such Who Finde Little or no helpe by the use of ordinary physick to repaire to the Northern Spaw, London, 1632.
Gabriel Plattes, A Subterraneall Trasure, London, 1639.
Thomas Short, The Natural, Experimental and Mechanical History of Mineral Waters, London, 1734.
Thomas Willis, Practice of Physick, London, 1684.
これで、4月15日にコピーをとって読んだコウリーの論文が基本的には、ディーバスの論文の基づき、英国の状況を詳しく調べたものであることがわかります。(コウリーの部分であげたものは略しました。)
おおきいちびといっしょに5時50分。コピーをとる用事があったので、朝からちびを連れてコンビニに行きました。ちびは、ビーズでできたちいさな犬かと思ったらコアラを2つ買っていました。
おおきいちびがどうもあまり元気がないと思ったら、熱がありました。38度9分。どうりであまり動こうとしなかったわけです。昨日は元気だったのですが、週末の風邪が治っていなかったのでしょう。→お医者さんによれば、リンパ腺が少し腫れている、とのことです。昼間はソファーの上で寝たり起きたりしていました。いつも遊んでもらっているお姉ちゃんが病気で寝ていると、ちいさいちびが退屈して邪魔することがあります。おやつのあと、外に連れ出しました。お魚さんが欲しい、お魚さんがほしい、食べるのじゃなくって、と頻りに言うので、金魚を2匹買ってやることとしました。どのぐらい生き延びるのかはわからないのですが、ともあれ、金魚鉢に小さい金魚2匹と水草を入れてやりました。去年買った餌が残っています。早速餌をやっていましたが、すぐには食べてくれません。食べない、食べないと文句を言っていました。
私の状態もいまいちです。花粉症が軽くなったとはいえ、残っていますし、ほっておけば直ると思っていた肩の痛みも少し強くなっています。何よりちょっと疲れ気味。
先週の土曜日の編集委員会の宿題ですが、やっと今日片づけることができました。量的には数時間分だったのですが、その数時間がうまくとれませんでした。
メールの通知があり、科研費に通ったことがわかりました。正直やっとという気がします。これで少し集中的に資料を集めることができます。金額がいくらになったのかは、正式の書類を見てみないとわかりません。
ひとりで6時。おおきいちびも目覚めていましたが、まだ動こうとしていません。月曜日の最初の授業。2限、3限、4限と続けるとすこし疲れました。
大学院の授業には、知っている顔を知らない顔と半々ぐらいでした。
家に帰り着くと、ちびどもが白玉と餃子を作っていました。昨日の風邪でおおきいちびを午前中だけで早退させて、ふたりでなかよく作っていたようです。幼稚園に行くと、すこし賢くなって帰ってくるのが不思議です。
おおきいちびといっしょに6時前。ちいさいちびと妻は6時半。今日は好天。妻がダウン。おおきいちびもどうも風邪のようです。元気がなく、ぐずると思ったらお昼過ぎにもどしました。だいたいいつもよく食べる子なので食欲がなくなって変だと思ったら案の定でした。
こういうときは私がちいさいちびの相手をしてやるしかありません。昼食後、紙を買っておく必要があったのでユザワヤにでかけ、ちびにはふうせんを買ってやり、帰ってきました。妻が餃子を食べたいと言っていたので、ちいさいちびを自転車の後ろに乗せて、いろいろまわりました。お弁当屋さんや総菜屋さんにあるかと思ったのですが、見あたらず、青梅街道沿いの中華料理屋さんまで行きました。餃子を買ったあと、後ろの荷台のちびが大人しいなと思ったら、こっくりこっくり。家に辿り着いた頃には、すやすや。ソファーの上に寝かせて、私は隣の部屋でコンピュータに向かっています。
午後4時。我が家で起きているのは私ひとり。なにか不思議な感覚です。
ちいさいちびと妻が6時、おおきいちびと私が6時40分。今日は曇り。軽く雨が降りそうな空模様。午前中に編集委員会。10時半からなので、9時半すぎに家をでました。もめる案件はないので、ほぼ1時間で終了。その後、用事のある編集長を除き、昼食へ。
3時ごろ帰り着きましたが、すぐに雨模様となりました。木曜日の日に研究室でグーグルを使っていました。すると、次の論文が pdf の形でゲットできました。
成沢広幸「フランス温泉リゾート沿革」『経済学論集』第9巻第1号(2000年10月),pp.173-221.
典型的なレビュー論文です。電車に乗っている最中に少しずつ読み進めました。これは、レビュー論文としていろんな情報が私には有用でした。(フランス語の直訳調のことばが散見されたり、参考文献として少しの日本語文献とフランス語文献しかあげられていない点は気になりましたが、そういうものとして利用するしかないでしょう。)
違ったらごめんなさいですが、たぶん、内容的に一番近いものは、フランス語文献では、アラン・コルバンの『レジャーの誕生』(渡辺響子訳、藤原書店、2000)、邦語文献では、山田登世子さんの『リゾート世紀末』(筑摩書房、1998)ではないでしょうか。
他に参照されている邦語文献には次のものがあります。
アルヴ・リトル・クルーティエ『水と温泉の文化史』武者圭子訳、三省堂、1996
グラウス『ヨーロッパの温泉保養地』小室克夫訳、秋文社、1987
山村順次『世界の温泉地』大明堂、1990
おおきいちびといっしょに6時10分前。ちびどもは昨夜6時台で就寝したようです。ちいさいちびはまだよく寝ています。まあ、はじめての幼稚園で疲れたのでしょう。
ちいさいちびは、今朝も「幼稚園行かない」と言っていました。「幼稚園ぜったい行かない」とまで。でもまあ、ともかくおねえちゃんといっしょに中に入っていきました。
帰ってくると上機嫌です。明日も幼稚園に行きたいと言います。体操がよかったようです。まったくおねえちゃんと同じパターンです。ちびどもといっしょにでて、今日は順天堂大学へ。昨日図書館で受け取った紹介状をもってでかけました。順天堂大学は、お茶の水駅前です。東京医科歯科大学の隣。何かの研究会で一度訪れたことがありますが、図書館ははじめてです。受付で場所を聞きました。あらかじめ外語の図書館の方から連絡があったということで、カウンターに必要な雑誌が用意されていました。必要なのは論文1本。13枚のコピーをとって、おそらく数分の滞在で帰途につきました。
帰りの電車のなかで半分、家に帰ってきてから残りの半分を読みました。
N. G. Coley, '"Cures without Care": "Chymical Physicians" and Mineral Waters in 17th-Century English Medicine', Medical History, 23 (1979), 191-214.
おそらくこの人の博士論文をこの医学史雑誌用にまとめなおしたものではないかと想像されます。17世紀の英国の鉱水分析の状況について、これまで読まれていなかった/注目されていなかったマイナーな著作家を数名とりあげ、歴史的な分析を加えています。大陸との比較がないのは残念ですが、ともあれ有用な論文です。
サマリーを訳しておきましょう。
「鉱水(Mineral water) は1570年以降英国の医学界で注目されるようになった。17世紀をとおし、バースやバクストンといった古い温泉(Spa)地が再興され、エプソムやタンブリッジ・ウェルズという新しいスパが人気を博した。鉱水の起源、化学組成、医学的効能が関心を引いた。多くの医師がこの発展に影響を受けたが、鉱水の研究にもっともひきつけられたのは化学的医師たちであった。バースの医師であり、この主題に関して著作を著した初期のひとりであるエドワード・ジョーダンは、鉱水の化学をもっと広い化学と地質学の研究に結びつけた。他の化学的医師たちもこのテーマをとりあげ、地球内部の過程と実験室の過程の類似性を示し、天然鉱水を模倣しうる可能性を示唆した。こうして、医学における化学の利用が押し進められ、鉱水の商売ならびに鉱水から蒸留された塩の商売が広まった。ネヘミア・グルーの「苦い下剤塩」がおそらくもっとも有名な例であろう。
鉱水の研究の結果、無機定性分析の一部が発展し、標準化された。その頂点がボイルの『鉱水の自然・実験誌のための短いメモワール』(1684)である。そこでは、史上はじめての斑点試験が記録されていた。しかしながら、定量分析の進歩はゆっくりとしたものであった。液体比重計、温度計、顕微鏡、天秤のような装置は存在し、単純な重量測定技術もあったが、容量分析はまだ知られていなかった。鉱水の分析データとその医学的効能の関連づけは、医療実践における物理-化学的技術の適用の歴史の、小さいながら重要なステップであった。
この論文では、こうした問題に対するこの時代の重要な取り組みを、鉱水に関するソース、とくに17世紀のマイナーなほとんど知られていない医学的著作家を取り上げて、議論した。」
この論文の取り上げる有名な著者・著作は次のものです。
Edard Jorden (1569-1632), A Discourse of Natural Bathes and Mineral Waters, London,1631
Robert Boyle, Short Memoires for the natural experimental history of mineral waters, London, 1684/5
Nehemiah Grew, Tractate de salis carthartici amari in aquis Ebeshamensibus et hujismodi aliis contenti natura et usu, Lodon, 1695
John French (1616-1657), The art of distillation, or, A treatise of the choicest spagyrical preparations, experiments, and curiosities, performed by way of distillation [microform] : together with the description of the choicest furnaces and vessels used by ancient and modern chymists : and the anotomy of gold and silver, with the chiefest preparations and curiosities thereof : together with their virtues : in six books,London , 1664マイナーな、あるいはほとんど知られていない著者・著作は次のものです。(一部)
Patrick Madan, A phylosophical and medicinal essay of the waters of Tunbridge, London, 1687
John French (1616-1657), The York-shire spaw, or, A treatise of foure famous medicinal wells, London, 1654
Matthew Mackaile (fl. 1657-1696), The diversitie of salts and spirits maintained, or, The imaginary volatility of some salts and non-entity of the alcali before cremation and identity of all alcalies, all volatil salts, and all vinous spirits, by an onely lamp-furnace resolved into real improbability, Aberdeen , 1683.
Matthew Mackaile (fl. 1657-1696), Moffet-well, or, A topographico-spagyricall description of the minerall wells, at Moffet in Annandale of Scotland,Edinburgh , 1664.
Robert Wittie (1613?-1684), Fons scarburgensis, sive, Tractatus de omnis aquarum generis origine ac usu, London, 1678
Robert Wittie (1613?-1684), Pyrologia mimica, or, An answer to hydrologia chymica of William Sympson, phylo-chymico-medicus, London, 1669
Robert Wittie (1613?-1684), Scarbroughs spagyrical anatomizer dissected, or, An answer to all that Dr. Tonstal hath objected in his book against Scarbrough spaw, London, 1672
William Simpson, M.D. Hydrologia chymica, or, The chymical anatomy of the Scarbrough, and other spaws in York-Shire, London, 1669
William Simpson, M.D. Hydrological essayes, or, A vindication of hydrologia chymica : being a further discovery of the Scarbrough spaw, and of the right use thereof, and of the sweet spaw and sulpherwell at Knarsbrough : with a brief account of the allom works at Whitby : together with a return to some queries, propounded by the ingenious Dr. Dan Foot, concerning mineral waters : to which is annexed, an answer to Dr. Tunstal's book, concerning the Scarbrough spaw : with an appendix of the anatomy of the German spaw, and lastly, observations on the dissection of a woman who died of the jaundice, all grounded upon reason and experiment, London, 1670
and so on.
これは確かに、珍しい名前です。聞いたことのない名前が並んでいます。かなり前に、ABE 書店に発注した次の書物がやっと届きました。
Nathaniel Fish Moore, Ancient mineralogy; or, An inquiry respecting mineral substances mentioned by the ancients : with occasional remarks on the uses to which they were applied.
New York, 1859.
届いたのは、19世紀の書物そのものではなく、UMI Books On Demand という方式により作成されたものです。単純に言えば、オリジナルをコピーしてバインドしたものです。(索引はありますが、目次はありません。文献リストもありません。雰囲気としては学位論文に一番似ています。)
ちいさいちびが起きて、6時15分。今日は一転して好天。気温も上がるようです。ちいさいちびは、朝起きてからずっと「幼稚園行かない」と言っています。行動はちがいますが、どうも気持ちはおねえちゃんの場合と同じようです。これまでは必ず、おかあさんかおとうさんかが近くにいたのに、幼稚園だと心細くなったときにいないので、不安になるようです。ちいさいちびはおねえちゃんのお友達が遊びにきて、自分も友達になった気持ちでいましたから、幼稚園というのは仲のよい友達と遊ぶ場所だと期待していたようです。まあ、こういうことは仕方ありません。
私にとっては、授業初日。いちばん心配したのは、そのとき鼻がつまっていないかということでしたが、半分予想通りそれは大丈夫でした。たとえばスポーツの試合中に軽い怪我をしてもほとんど痛みを感じず、終わってから痛みが吹き出すのと同じことだと思います。強い緊張感があるときにはどうにかなる。緊張感が解けてから、悪い部分が現れる。そういうものでしょう。
でも、念のため、西荻駅前の薬屋で鼻炎スプレーを買ってポケットに忍ばせておきました。
ひとりだけ遅れて7時。よく寝ました。ちびどもはおそらく6時20分ぐらい。ちいさいちびが咳をしてもどしそうになって起きたようです。
まだ曇り。昼からまた雨のようです。今日は、ずっと会議の日です。
大学につくと、まず図書館で書類を2点。紹介状と相互貸借の申込です。
研究室で書類を1点仕上げて、学生と面談。その後出版社の方とパワーランチ。
2時半から教授会。キャンパスの樹木の整備について学長から説明がありました。教授会そのものは4時過ぎに終了。画期的に早い。
6時15分から、川島教授による「私とショパン」という演奏会&講演会。総合文化研究所のピアノのお披露目を兼ねていました。ちょうどよい大きさの部屋でちょうどよい人数の、心温まる演奏会でした。大学のメールボックスに2冊の本が入っていました。
J.コヴァック『化学者の倫理:こんなときどうする? 研究生活のルール』井上祥平訳、化学同人、2005
金子務『オルデンバーグ:一七世紀科学・情報革命の演出者』中公叢書、2005
最初のものは、学会編集委員会宛の献呈本です。書評・紹介用のためです。
2つめは、私宛で、やはり書評依頼のものです。なお、同じ封筒に、『科学』2004年8月号(特集:感染症と現代社会)が入っていました。欲しかったものです。ありがたい。
ひとりで5時半。鼻がつまって目覚めました。
天気予報によれば、今日だけ特別寒いようです。最高気温が10度とのこと。確かに寒い。ちびどもの幼稚園にあわせて、駒場の図書館に行って来ることとしました。本を借りることは当分できませんが、図書館のなかで仕事をすませます。
まず、次の2点の論文のコピーをとりました。
Gernot Rath, "Die Mineralquellenanalyse im 17. Jahrhundert", Sudhoffs Archiv fuer Geschichte der Medizin und der Naturwissenschaften, 41(1957), 1-9.
Bernard Milt, "Conrad Gesner als Balneologe", Gesnerus, 2(1945), 1-16
ついで、スアレスの『形而上学論究』のリプリントで、何点か引用箇所を確認しました。
それから、科哲の院生室におじゃまして、EEBO から数点の書物をダウンロードしました。
駒場はまだ学期がはじまっていないようです。学生はまばらでした。先生方もほとんど見えていないようでした。
今日の一番の目的、ゲスネル、リスター、デュクロの鉱水論(温泉論)の書物をゲットできたので、12時過ぎに駅前の苗場で五目ラーメンを食べて帰還。
実質幼稚園初日のちいさいちびは誰かが泣くと何度かつられて泣いたようですが、お昼ご飯もいつになくよく食べ、元気そうでした。1週間で慣れるのではと思っています。
ちいさいちびが咳をして、もどすといって、6時前。すぐに風呂場に行かせましたが、実際にはもどしませんでした。その後、「朝から立派なうんち。」ちいさいちびの入園式の日。親からすればある感慨があります。→今年のC組は21名。男の子の多いクラスでした。1階の遊戯室(講堂)に座ったときに、両隣の男の子がクラスでもっとも落ち着きのない子で、誰かが大泣きしたときに、いっしょに泣いてしまいました。すぐに気付いた先生が慰めてくれると、席を立つことなくその場にいましたから上出来です。
明日からは二人揃って幼稚園。とはいえ、ちいさいちびは当分午前中で帰ってきます。
雨の一日でした。授業の部屋に、次の通り、本年度のシラバスをアップしました。シラバスそのものはずっと前にできていましたが、アップが新学期直前となりました。
2005年度学部シラバス
総合科目III 「科学技術と社会」月2/
「※科学思想史(講義)」木3/
(2年生の聴講を大歓迎します。)
「科学思想史演習」木4/425
「科学思想史卒論演習」木5/研究室
「思想史特殊研究演習1」後期/月3/研究室
「総合科目II」(表象文化とグローバリゼーション)木5/101
「表象文化とグローバリゼーション」これまでの実績2005年度大学院シラバス
前期「ヨーロッパ歴史文化論 I 」月3/研究室
後期「ヨーロッパ歴史文化論 I 」月3/研究室
前期「思想文化論1」月4/研究室
後期「思想文化論1」月4/研究室
おおきいちび、ちいさいちびと目覚めて、6時過ぎ。曇り。ちびどもは昨日四谷で花見の人々の群に遭遇したようです。お花見ピクニックに行こうと言います。東京の花見は、この土日がピークでしょう。へたなところにでかけたら大変です。ちびどもと相談して、幼稚園の遠足でもでかけるドングリ公園に行くことにしました。公園ですから、桜の一本や二本はあるでしょう。お弁当とリュックとシートを用意して、二台の自転車に分乗してでかけました。予想通り、こどもたちが遊んでいますが、花見の人はゼロ。山桜が数本と、花桜が一本ありました。ちびどもは、大きな滑り台で遊んで、すぐに昼食。シートに上に、リュックの荷物を広げて満足そうでした。ちいさいちびが飽きて、ほぼ一時間で帰ってきました。ちびどもにはこれぐらいがちょうどよい。
昼過ぎからすごい風。花粉症には辛いのですが、おやつにも連れていってやることにしました。強風のなか、駅前のケーキ屋さんでケーキを食べて、猫の公園で30分弱遊んで帰ってきました。[マールブルグ熱]
Asahi.com にアンゴラで致死率9割の感染症が生じているというニュースが出ていました。エボラ出血熱よりある意味危険な「マールブルグ出血熱」です。この半年で180人が死亡したとあります。180人なら相当に大きな感染です。その割にニュースの扱いが小さく遅いのは、やはり距離のせいでしょうか。
おおきいちびが目覚めて、6時。昨夜は寝苦しい夜でした。かなり長い間鼻がつまり、口で息をしていました。今年の花粉症の苦しさのなかでは一番か2番の苦しさでした。
[新学期の片づけ]
妻がちびどもの机のまわりの片づけをはじめました。食卓のある部屋の端っこに2つ並べています。ほしいものは何でもかんでも机の下、机の上に置いていくのですごい混乱状態です。
私の方もプリンターの更新が必要になるので、机の下の片づけをはじめました。ちょうどよいので、新学期に向けて机の上の片づけも開始しました。
プリンターは4時すぎに届きました。実は昨夜配送してくれていたのですが、ちょうど2階で寝ていて、気付きませんでした。(疲れたときはちびどもといっしょに寝て、30分〜1時間半程度の睡眠後再度起きています。)セットアップはいたって簡単。たぶん、15分はかからなかったと思います。何と言っても2万円。2万円でこの品質と速度であれば大満足です。もちろん、前のものよりどちらも上です。ボルドーから帰ってきてから少しずつ進めている研究ですが、いくつかの作業を平行してやっています。ふとしたきっかけで、それまで見えていなかった相互の繋がりが見えてきました。何かを新しく発見したというわけではないのですが、全体の姿がすこし見えてきました。それで必要であることがわかった作業があり、そちらも少しずつ進めています。
2次文献を集めることも必要になりました。
ちびどもが目覚めて、5時半。
6時現在で気温が18度。ちびどもは夜中ずっと布団を蹴飛ばしていました。最低気温も16度程度までしか下がっていないのではないでしょうか。→花粉症は、今日もなかなか辛いことになっています。ちょっと外出して帰ってくると、目がすごく痒く、目薬をさしても痒さに悶絶しています。→ちいさいちびの咳がひどくなっています。本人はいたって元気なのですが、ともかくひどく咳をする。せっかく夕食をしっかり食べたと思って喜んでいたら、久しぶりにもどしてしまいました。私も今日は咳がひどかったので、もしかしたら、花粉症が症状を悪化させているのかもしれません。[プリンターの更新]
長年使ってきたプリンター(Canon LaserShot A404 GII )ですが、とうとう引退の時期が来たようです。以前は一部だった印字のかすみが全体に及ぶようになりました。
新しいプリンターですが、最初はエプソンかキャノンのモノクロ・レーザープリンターのもっとも安い機種を考えていたのですが、ネットでレビューをいろいろ読んで、ブラザーの普及機 (BROTHER HL-5040 A4レーザープリンタ) にしました。買いに行ってもよいのですが、右肩の調子がまだ思わしくありません。アマゾンのエレクトロニクスでこの製品を¥ 20,800で販売していました。これなら十分です。
ということで、今朝発注しました。おそらく、明日には届くのではないでしょうか。
引退するプリンターは、おそらく12年以上働いてくれたことになります。立派に仕事をしてくれたと言えます。ご苦労様。さて、今日はおおきいちびの始業式。ちいさいちびの入園式は月曜日。私は海外に雑誌を送付する用事があって、いっしょにでかけましたが、ちびどもはうれしいようでスキップしていました。
ひとりで6時。
桜の花も満開に近く、暖かい春の日。
おおきいちびの元気がありません。昨日は耳が痛いと言っていました。いつもよく食べる子ですが、あまり食べようとしません。症状としては軽い風邪なので、今日はゆっくりさせることとしました。→夕方頃には復活していました。変わりにちいさいちびがよく咳をし、水鼻を始終出しています。こちらも軽い風邪でしょう。起きているときはパワフルな子なので、早めに休ませるようにしたい。[ほりえもん]
メディアで大人気のほりえもんですが、『論座』の山崎元氏の評が的をついていると思われます。すなわち、堀江氏は「資質的には普通の経営者」:「わがままで、強欲で、運の良い、働き者」だとするものです。現在のメディアの狂騒は、日本のマスメディアのアンシャン・レジーム(旧体制、古い体質)を示しているだけのものだと言えます。最近のちびどもの流行語で言えば、「ばかばかしい」。去年のプロ野球の騒動のときもそうでしたが、引っぱり出された経営者なるものが、まさに「抵抗勢力」の典型でした。今回はフジテレビの日枝会長がそうでした。あんな子どものケンカのような、「ばかばかしい」妨害行動をせずに、むしろすぐに堀江氏とあって大人の経営者としての力量を見せた方がどれだけ格好良かったかしれません。
ひとりで4時。こんな時間に目覚めるとは思いませんでしたが、ちょうどよいので帰省中の片づけを行いますずっと調子の悪かった<化学史>のためのアドレスですが、本日アクセスしてみると動きました。1500以上のメールがたまっていました。ほとんど連絡用には使っていないアドレスです。意味のあるメールはおそらく10通以下で、他はすべて迷惑メール、ジャンクメール、ウイルスメール等です。掃除に30分程度かかりました。→結果、ゴミ箱には5千を超えるメールがたまりました。
今日は、郵便と書類の整理のために大学にでます。→ちびどもが遊びに出るのといっしょに外出して、11時頃に大学につきました。メールボックスにいっぱいシラバスや郵便物や書類が入っていました。カバンにすべてをつめて、食堂に向かいましたが、相当に重かった。早めの昼食をとりながら、教務関係の書類を数点処理しました。それをそのまま教務課に渡したあと、研究室に向かいました。机の上の片づけ、メールの処理、その他郵便物の処理を平行して行いました。時間割、シラバス関係の確認がきちんとできたので、1時15分ころ大学を出て帰途へ。駅前でパンと雑誌2冊(『月刊現代』と『論座』)を買って帰りました。
大学の入学式は金曜日です。まだキャンパスに人影はまばらでした。平井さんから、リール大学のデジタル・ライブラリー (Polib) を教えてもらいました。ファン・ヘルモントの仏訳やウィリス(脳)、キルヒャーの中国記等々が画像でアップされています。なかなかに有望なサイトだと思います。
そろって6時過ぎ。6時過ぎなら大丈夫です。
帰京日。→午前11時白浜発、12時羽田着の便で無事帰ってきました。空港までの車のなかで泣いていたおおきいちびが飛行機に乗って20分ぐらいで一度もどしました。もどすと楽になったようで、リンゴジュースをもらってゆっくりしていました。
羽田には予定通りのフライトでしたが、着陸の順番待ちということで15分待たされました。いつもはそこからバスで到着ゲートに行くのですが、今回はバスなし。車の苦手なおおきいちびと妻はほっとしていました。おなかがすいていたので、動く歩道のすぐ近くにあるカレー屋さんで昼食。もどしたあとおなかがすいたのか、おおきいちびはよく食べていました。ちいさいちびは、フライトの後半寝ていたので、ほんのわずかに食べただけで外にでて遊んでいました。
我が家には2時過ぎに無事帰り着きましたが、私も妻もけっこう疲れていました。
留守中のメール、用件は、帰ってきてすぐにこなしたつもりですが、もし、リプライがないというものがあれば、遠慮なくもう一度請求して下さい。留守中の葉書で、科学史学会での発表時間が届いていました。私の講演は、6月5日(日曜日)午前11時50分から、札幌学院大学、という時間・場所があたっていました。→気になるので、アクセスを調べてみました。新札幌駅の割と近くにあるようです。JRで駅を2つ乗って大麻駅(すごい名前です)からは徒歩でも約10分とあります。まずまず便利な場所にあるようです。ちなみに、メインの会場は、北海道開拓記念館で、こちらも札幌学院大学からは徒歩で20分とあります。
留守中に次のものが届いていました。
『科学史研究』第44巻( No.233) 2005年春号
『化学史研究』第32巻第1号(2005)
Jacques Roger, The Life Sciences in Eighteenth-Century French Thought ,
Edited by Keith R. Benson, Trans. by Robert Ellrich, Stanford: Stanford University Press, 1997
アメリカのアマゾンより取り寄せた最後のジャック・ロジェの英訳は、注を含めて760頁の大冊です。『科学史研究』では、アゴラ2点、ならびに紹介数点、それから中村政樹氏の論文「復古王政期フランスの技術書ブーム」pp.1-12 を読みました。中村政樹氏の論文は、この時期に生じた技術書ブームを分析の対象としています。それ自体しっかりとした内容の論文でした。この先、技術書の中身に踏み込んだ分析を読んでみたいと思います。
おおきいちびといっしょに6時20分。→昨日の夜の嵐のせいでしょうか、気温が低く強い風が吹く一日でした。→寒いので遠くには出かけず、家のまわりのみ。ちびどもは家のまわりをぐるぐる回って喜んでいました。疲れがいくらかたまったのでしょう、ちいさいちびは6時過ぎに就寝しました。1時間早いのですが、仕方ありません。→おおきいちびは7時。
ちいさいちびは5時半に目覚めたようです。布団を出たのは、6時50分。私は布団に入っている間、花粉症が相当に辛い。うまく寝付けても、3時間程度で鼻がつまってきます。ちびどもとの約束により、「とれとれ」へ。おおきいちびは行きも帰りも、車が辛いと泣きました。すごい恐がりなので、すこし気分が悪くなると泣きます。車を降りると2〜3分で回復しますから、たぶん軽い車酔いです。
夕方雷雨。にわか雨でした。30分ほどかなり強い雨に、雷鳴が響いていました。
おおきいちびといっしょに6時。ちいさいちびは昨夜も何度も起きていました。曇り。午後雨かも知れません。→天気予報では雨でしたが、結局雨は降りませんでした。むしろ午後天気が回復しました。
夕刻、弟夫妻が見えました。ちいさいちびは、早速、踊って走り回って自分の持っている芸を120%見せていました。昔遊んでもらった記憶があって、しかもかなり久しぶりなので、気恥ずかしい感覚があるからでしょう。おおきいちびも昔はこういう時期がありました。はじめての人、あるいは2〜3度目の人にあった場合、自分の出来ることを全部やって見せる。まあ、なにかもぞもぞする感覚は大人の我々にもいくぶんか分かります。
おおきいちびが目覚めて6時20分。ちいさいちびもすぐに目覚めました。
おやまあ、もう4月。昨日に続き、春の暖かさ。[ちびにもデジカメ]
ちいさいちびが自分にもカメラを貸せと言うので、諦めて持ってきたデジカメを貸してやりました。自宅では古いもの(オリンパスのキャメディオ)はもうちびどものおもちゃとして使わしてやっています。新しいもの(フジフィルムのもの)は買ったばかりなのでちびどもには触らせないようにしていたのですが、旅行中騒がせないためには仕方がないかと思って貸してやったものです。
なんとこれがちびの手の大きさにちょうどよい。新しいのは、ちいさいので大人には頼りない点がありますが、ちびの手にはちょうどよい大きさでした。もうひとつちょうどよいのは、レンズ部が撮影時に飛び出すことです。(さすがにちびどもにはカメラの仕組みがわかっているわけではないので、キャメディオのようにフラットだとつい触ってしまいます。)
ちびどもが順番にとったものを見てみましたが、ちゃんと映っています。つまり、今のデジカメはほんとうにばかちょんだということです。誰がとってもちゃんと撮れる。差は何をどう切り取るかだけ、という写真家の腕の介在がほとんどない世界です。デジタルのもたらす平等さはこういうところにまで及んでいます。
ちびどもは大人とは違うものに関心を持ちます。ちびの関心の記録として、デジカメを貸してやるというのは面白いかも知れません。
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