おおきいちびが起きて7時。おおきいちびはすこしまえにおきていたようです。今日も雨。走り梅雨でしょうか。昼食後、整骨医へ。いつもの早朝よりも混んでいました。でも、整骨医(あるいは理学療法士)が6名近くいるところなので、待ち時間はたかだた15分ほど。
担当してくれる方は一定していません。たぶん、今日の方が3人目。話をしていて、腕を上げられない仕組みがわかりました。肩の裏の筋肉に痛みがあり、それが邪魔をするのだそうです。
その痛みの原因のひとつは、ちびです。抱っこだけならまだしも、飛行機や宙返りや様々な運動につきあわされます。そうしたことの積み重ねが原因のひとつのようです。
気長に対応しましょうということでした。週末の学会のため、予約してあった飛行機のチケットを購入し、参加費&懇親会費を郵便振替で先払いしました。
訳者の東慎一郎氏より、次の本を送っていただきました。東さん、ありがとうございます。
ジョン・ヘンリー『17世紀科学革命』東慎一郎訳、岩波書店、2005
原著は、次のものです。 John Henry, The Scientific Revolution and The Origins of Modern Science, 2nd ed., 2002
→05.6.2 ご本人の東さんから、16世紀研究会の復活のお知らせをいただきました。めでたい!重要な仕事をされていたので、是非、長く継続してもらいたいと思います。
おおきいちびがおきて6時20分。雨。朝方降り始めた模様。図書館から2点頼んでいたものが届いたという知らせがありました。
David A. Johnson and Karl Whittle
"The Chemistry of the Hispanic-American amalgamation process",
Journal of the Chemical Society. Dalton transactions : inorganic chemistry, 1999, pp.4239-4234
有名な南米の銀山(ポトシ等)におけるパティオ法と呼ばれた水銀アマルガム法の化学についての論文です。銀鉱から水銀を使って銀を取り出す方法ですが、実は、その化学(つまり反応過程)は想定されていたものとは違っていたという結論をだしています。文献に水銀アマルガム法で銀塊を取り出せる、そしてポトシ等で実際に多量に銀塊が生産されたとあると、そうかと思っていましたが、化学反応が解明されていなかったとは思いませんでした。[日本に1冊]
Friedrich Naumann(ed.)
Georgius Agricola 500 jahre :
wissenschaftliche konferenz vom 25.-27. März 1994 in chemnitz, Freistaat Sachsen,
Veranstaltet von der Technischen Universität Chemnitz- Zwickau und der Georg-Agricola-Gesellschaft zur Förderung der Geschichte der Naturwissenschafteb und der Technik e.V.
Basel ; Boston ; Berlin : Birkhauser, 1994
全部で53点の論文・論考が収録されています。2点が英語。その他はすべてドイツ語です。セクションは6つに分けられています。
なお、この書物は、ウェブキャットで調べる限りでは日本の所蔵図書館が1館のみです。(もちろん、個人的にお持ちの方がいる可能性がありますが、公的には所蔵館は1館です。)時間ができたら、目次を採録します。
Sektion 1: Agricola in Medizin, Pharmazie und Naturwissenschafte
Sektion 2: Agricoka und das Bildungswesen seiner Zeit
Sektion 3: Agricola als Diplomat und Politiker
Sektion 4: Agricoka und das Hüttenwesen
Sektion 5: Agricola und der Bergbau
Sektion 6: Agricola in seiner Zeit
Sektion 1: Agricola in Medizin, Pharmazie und Naturwissenschafte
Morello, Nicoletta, "[Bermanus] - the names and the things", 73
Fritscher, Bernard, "Wissenschaft vom Akzidentellen. Methodische Aspecte der Mineralogie Georgius Agiricolas", 82
Guntau, Martin/Mathé, Gerhard, "Georgius Agricolas Beiträge zur Entwixklung geologischer Vorstellungen", 90
Krafft, Fritz, "Georgius Agricola und der Besalt", 105
Stoyan, Dietrich/Stoyan, Helga, "Kombinatorik bei Agricola - über Gemische unde Verbindungen in [De natura fossilium libri X]" 116
Langer, Wolfhart, "Kenntnisse über Fossilien in deutschen Kulturraum zur Agricola-Zeit", 123
Gelfort, Eike, "Pechblende - ein schicksalhaftes Mirenal des Erzgebirges", 131
Müller, Klaus, "Gifte bei Georgius Agricola", 137
Sektion 4: Agricoka und das Hüttenwesen
Andersen, Anre, "[De re metallica] - ein Beitrag zu einer frühneuzeitlichen Umwelttexhnologie?", 255
Walter, Hans-Henning, "Chemisch-technische Verfahren in Buch XII von [De re metallica]", 267
Freymann, Klaus, "Lazarus Erker unde der Bericht über das [Kuttenberger Schmelzwerk]", 275
Kasper, Hannns-Heinz, "Der Denkmalkomplez [Saigerhütte Grünthal] in Olbernau - letzter grösserer Sachzeuge des Hüttenwesens aus der Zeit von Georgius Agricola", 284
Lewandowski, Klaus, "Fortschreibung des Agricola-Werkes durch Hüttentexhnik im Alpenraum", 292
Sektion 5: Agricola und der Bergbau
Krümmer, Heinz, "Bergbauurkunden der Markgrafen von Meissen aus der wzeiten Hälfte des 14. Jahrhunderts und ihre Bedeutung bis zur Agricola-Zeit", 299
Wagenbreth, Otfried, "Sachsens Montangeschichte vom 16. bis ins 19 Jahrhundert im Rahmen eines künftigen sächsischen Industriemuseum", 307
Jenny, Beat, "Die Swiss-Connection und ihre Bedeutung für die Verbreitung Agricolas Werk", 312
Dopsch, Heinz, "Probleme des Bergbaus in Salzburg zur Agricola-Zeit, dargestellt am Beispiel des Montanreviers von Gastein und Rauris", 331
Greeves, Tom, "Tinworking in south-west England in the 16th century", 341
Potocan, Juraj, "Die Prinzipen der Wasserhebung im Monganrevier con Banska Stiavnica", 351
Waszkins, Helmut, "Auf den Spuren Agricolas im südamerikanischen Bergbau", 362
Jakubec, Ivan, "Agricola, horizontaler Bergverkehr und Eisenbahn", 370
Mauersberger, Klaus, "Maschinenwesen und Maschinenkunde im 16. und 17. Jahrhundert, 380
Kraschewsiki, Hans-Joachi, "Agricola und die Bedeutung der Technik", 392
Popplow, Marcus, "Agricola auf dem Weg zum modernen Maschinenbegriff", 396
ひとりで6時前。今日も良い天気。
午前中に昨日の編集委員会で持ち帰った宿題をすませました。いくらか残ったものがありますが、連絡がないとこなせない種類のものです。[こどもがいっぱい]
この土日は、西荻スタンプラリーという催し物が開かれていました。それとタイアップしたのかどうかは定かではないのですが、小学校でフリーマーケットが開かれていました。ちびどもが外にでたがるので、昼食後ひとやすみしてから、連れていってやりました。小学校のフリーマーケットなので、おもちゃがぬいぐるみや子供服等、こども用品が中心です。はいってすぐの場所で、おおきいちびのお友達が店番に座っていました。なんにせよ、ちびどもには楽しいようで、ちいさいちびはお人形さん、おおきいちびは靴を買っていました。
スタンプラリーは駅が中心。この界隈にはこれだけ子どもがいたんだと実感できるほど大勢のこどもたちが出歩いていました。ちびどもは最近は7時過ぎに就寝します。ちいさいちびは、9時過ぎに一度目覚め、ばたばたと暴れます。今晩は、久しぶりにもどしました。チョコレートのにおい。もどしたものはトイレットペーパーで拭き取り、トイレに流しましたが、量が多く、一瞬つまりそうになりました。
幼稚園に通うようになって、明らかにいろいろ進歩はしていますが、やんちゃるもんちゃになるときには、やんちゃるもんちゃ度も明らかにパワーアップしています。
ひとりで6時前。と思ったら、おおきいちびがすぐに起きてきました。今日は学会の理事会&編集委員会の日。午後、駒場にでかけます。
2時にでかけました。編集委員会は6時過ぎに終了。おなかがすいていたので、時間のあるメンバーで夕食をいっしょしました。ほぼ9時に帰宅しました。
水曜日の夜、体が冷えたため、咳がでるようになっています。いつもというわけではないのですが、たとえば本日であれば、夕食をすませ、帰りの電車に乗ったあたりで出てくるようになりました。それが寝入りばなまで続きました。
夜半に目覚めたので、少し野暮用をこなすことにします。おおきいちびといっしょに6時過ぎ。
ちびどもを送っていったあと、整骨院に。3度目。整骨院には近所のおばあちゃんが大勢来ています。大きな声で世間話をしています。久しぶりにその種の世間話を耳にしました。田舎とまったくいっしょです。もうすぐ90歳になるという女性が、おしゃべり相手の友達がいなくなって寂しいとしきりに、はじめは待合室で隣にすわったおばあちゃんに、ついで治療にあたってくれるお医者さんに訴えていました。お医者さんは、ええ、ええ、と答えていましたが、他にあまり答えようがないのは事実です。
マッサージを受けた日は眠くなります。すっきり目が覚めている時間は、明日の編集委員会の準備、大学の委員会の仕事(野暮用)、学会発表の手入れ等々、細切れにいろんなことをしていました。
おおきいちびといっしょに5時45分。今日も良い天気。午後から3コマの授業。昨日の帰り道、寒さを感じたのにカバンにいれてあった上着を着るのを忘れて体が冷えました。咳がでるようになりました。睡眠中もすこしでましたが、講義の最中にもすこしでました。冷たい風が気持ちよくて、つい、冷えに対する対策を忘れてしまいました。失敗です。
健康診断の書類をもらってきました。6月1日または2日を選んで受けます。尿検査があるので、朝一番の尿をとって持参する必要があります。
そういえば、子どもの頃、検便というのがありました。確か、保健委員か何かが収集の役に当たったと思いますが、子どもなので当然のことながら大騒ぎ。今でもやっているのでしょうか。昨日、帰り道にご本人から次の本を頂きました。
亀山郁夫『『悪霊』神になりたかった男』(理想の教室)みすず書房、2005
亀山先生、いつもありがとうございます。
つくづく思いますが、最近の亀山氏の執筆量はすごい。常人技ではありません。
ちびどもといっしょにねて、ひとりで6時。雨上がりの快晴。仕事を伴う会議があり、少し早めに大学にでて、研究室で1時間ほどワーク。お昼ご飯を食べたあと、1時から1時間ほど会議。その後場所を変えて、ワーク。
2時半から大学院教授会。開始は20分遅れましたが、実質的な審議事項はほとんどなく、1時間ほどで終了しました。[琵琶の響き]
その後、総合文化研究所の水曜文化講座の準備。本日は、琵琶奏者であり、作曲家でもある塩高和之氏による「琵琶語り:創造と継承」という講演・演奏会。
塩高さんとお弟子さんは5時頃研究所に到着されました。琵琶をめぐる非常に興味深い話をお伺いすることができました。
講演・演奏会は、6時15分スタート。聴衆は40〜50名。部屋の大きさから言ってちょうどよい人数です。生で聞いたことのない琵琶の演奏は、迫力があり、音楽的にも非常に興味深いものでした。
お話のなかでもっとも印象的だったのは、琵琶という楽器はある意味ヨーロッパ的な意味での楽器ではない。たとえば、ギターのできるひとが1年練習すればかなりのレベルに達するが、その後上達がぴたりと止まる。問題は何か。琵琶は、歌い手にあわせて調弦される。つまり、うたうことが中心であり、琵琶はまさにその伴奏道具。うたうことができなければ、ある水準からは上達しない、ということでした。
私は、ニーチェの処女作、『音楽の霊からの悲劇の誕生』を思い起こしました。ニーチェはそこで、ギリシャ悲劇のもとはコーラスであり、舞台の上で演じられる悲劇は、そのコーラスの付随物だと主張しました。当時にあっては非常に新鮮な主張です。
琵琶を生で聞くのははじめてという方がほとんどで、講演・演奏会の終了後は、多くの方が塩高さんの好意で琵琶に触らせてもらっていました。簡単に音を出してみている方もいました。
研究所で、ワインを一杯飲んだあと、駅前の沖縄料理屋さんでお礼のお食事会。
邦楽に関しては、我々はふだんほとんど接することがなく、演奏も講演もとても貴重な体験でした。塩高和之さん、ほんとうにありがとうございました。
ちびどもといっしょにねて、おおきいちびといっしょに6時20分。
寝入りばな蒸し暑くて薄着をすると、夜中からだが冷えました。起きたとき、喉と頭が痛く、軽い風邪です。
ちょうどよいので、ちびどもを送っていったあと、その近くの整骨医に。2回目。無意識にかなりかばっているとのことでした。たとえば、虫を捕ろうとぱっと右手を伸ばしたときに感じた痛みが激しいものだったので、かなり用心してしまいます。
おおきいちびがおしっこといって5時半。だいたいこのぐらいのリズムになったようです。雨上がりの好天。月曜日には3コマの授業。4限の大学院の授業では、発表者の I 君が就職がきまったということでめでたい、めでたい。ゼミ終了後、友達を呼んで3人で飲みに行っていました。私の関わっている範囲では、今年は、割と就職戦線に光がさしてきているようです。超氷河期と言われたこの数年と比べて、内定率が高くなっています。
家に帰り着くと、ちびどもは医者から帰ってきたばかりでした。夕食後、私が薬屋さんまでひとっぱしりして、二人の薬をもらってきました。相変わらず、おおきいちびは飲み薬で泣いていましたが、ちびどものかゆいかゆいがこれですこしおさまるのではと思います。
おおきいちびがおしっこもれたといって5時半。今の家庭の状況からすると、学会発表の準備がぎりぎりと言ったところです。ということで、起きてすぐに、発表用の読み上げ原稿の作成にかかりました。ちいさいちびの絶え間ない襲撃を受けながら、一応、最後まで行き着きました。最初のラフドラフトです。科学史学会の一人あたりの持ち時間は20分で、発表は15分ですから、どんなに頑張ってもすべてを発表することはできないのですが、まあ、将来のために、できるだけ満足できるところまでリファインさせたいと思います。
木曜日くらいからおおきいちびにジンマシンが出ています。原因は不明。食事のあとにでます。小麦粉かな、とも思いますが、あまりはっきりしません。そのせいかどうか、朝から目が疲れています。目隈が見えます。
ジンマシンですから、出たり引っ込んだりですが、いつもはすっと寝るのに、すこし暴れていました。
ちびどもがおきて5時半。おおきいちびは少し前に起きていたようです。ちいさいちびは起きて、暴れて、ミルクを飲んでもどしました。ちいさいちびは、ここしばらく夜中にめざめて、かゆい、かゆいと暴れます。ミルクもよく飲みます。起きると不思議なほどけろっとしていますが、寝入りばなからかゆい、かゆい、と相当に暴れます。夕食後、肩を妻にマッサージしてもらって少し経つと、猛烈な睡魔が襲ってきました。そのままちびどもよりもはやく布団に入りました。目覚めると朝でした。
ウェブで検索をかけていて、冶金の曙というページが見つかりました。機械工作を生業とされる方が、人はどうやって金属の取り出し方を知ったのか、疑問に思って調べている、とあります。そこのリンク集に地質調査総合センターがあげられており、『地質ニュース』バックナンバーから、水銀の話シリーズと金の話シリーズがリストアップされています。全般的、一般的な知識を得るにはちょうどよい連載記事でした。
[調子の悪いとき]
調子が悪いときには、ふだん苦手なものがまったくだめになります。昔はそうでもなかったのですが、最近は片づけがどうも苦手なようです。大学の研究室でもただただ書類や資料が多くの場所で地層をなしていますし、今作業をしている私の机のまわりもそうです。こういう状態はいざというときかなり困りますが、調子の悪いときにはまったく手をつける気になりません。
逆に、サッカーの試合とかと同じことで、授業は少々調子が悪くてもできます。100人の出席している授業であれば、その100人の90分が私の講義にかかっています。少々の風邪であれば、まったく問題なくできますが、終わったあとぐったりしています。
ちいさいちびが風邪気味。咳をして、もどしそうになって、5時半。ちいさいちびは目覚めてしまって、歌を歌っていました。結局全員起きました。
こういうふうに気温の上下が激しいと子どもは風邪を引きやすい。けっこう風邪を引いたという話を聞きます。[隠すのが上手]
妻がちびを迎えに幼稚園につくと、ちいさいちびのポケットが奇妙に濡れていたそうです。何だろうと思って調べると、お弁当のときに食べたくなかった嫌いなものをポケットに隠していたのだそうです。幼稚園の先生といっしょに大笑いしたとのこと。教えていないのに、ほんとうにちいさいちびはいろんなことを思いつきます。今週の月曜日にお弁当がはじまって、月・火と嫌いなものでも食べていたのですが、金曜日になって先生の目を盗んでポケットに隠すことを思いついたようです。[40肩/50肩?]
右肩の痛みですが、放置すると心配なので、医者に行ってみることにしました。整体関係の看板は町中で数多く見かけます。評判もあまり聞かないので、よく通る病院の前の整体医に行ってみることにしました。ちびどもを幼稚園に送っていった妻が帰ってきてからでかけました。
40肩、50肩については、実のところ原因がよくわかっていない、ということで背中のマッサージと肩の周辺の様子を見てくれました。最後に低周波治療。はじめてなので、変な感じでした。おそらく30分ほど。
たぶん、肩まわりのマッサージが効いたのでしょう、終わったあと、可動範囲がすこし広がった気がします。痛いからといって動かさないと固まるので、無理はしなくてよいからできるだけ手を挙げる運動をして下さい、とのこと。痛いと無意識にかばってしまいますが、教え通り、手を挙げる練習をできるだけしてみようと思います。
→少しでも楽になると、気分も少し楽になりました。治療を続けていると直る気がしてきました。マッサージを受けた日は、いつもそうですが、よく寝てしまいます。
おおきいちびがおしっこにおきて6時40分。下に降りようとするとちいさいちびも目覚めました。好天。図書館の窓口を通して他大学の図書館に依頼していた、次の4点の文献複写を受け取りました。
1. L. Loewenson,
"The Works of Robert Boyle and "The Present State of Russia" by Samuel Collins (1671)",
Slavonic and East European Review, 33 (1955), 470-85,2. Roger Burt,
"The international diffusion of technology in the early modern period",
The Economic History Review, 44(1991), 249-2713. 木本 忠昭
「ベルフアカデミー・フライベルクと日本の工学教育-序論-」
『科学史集刊』12(1993), 29-54
4. 木本 忠昭
「ベルクアカデミー・フライベルクと日本の鉱山教育-履修科目と技術学の受容問題-」
『科学史集刊』13(1994), 1-30
→翌日に読みました。自宅に帰り着くと、ABE Books に発注していた次の本が届いていました。
Foster,Michael G.
Baths And Medicinal Waters Of Britain And Europe: A Handbook For The General Practitioner,
Bristol: John Wright & Sons.,1933
おおきいちびといっしょに6時。好天。おおきいちびは昨夜ジンマシンが出たそうですが、朝方はまったく問題なしでした。学生たちは、ボート大会で全学休講。要するに授業がありません。我々は、会議の日。午後3つの会議があります。ひとつは私が司会をする必要があります。昨日の午前中に準備をすませました。→ひとつの会議は1時に始まりました。3時から私が司会すべき会議があったので、作業は途中でしたが一度おいとまをし、私の司会した会議が終了後もういちど会議室を覗いてみるとまだ続いていました。終了が4時過ぎ。3時間以上かかったことになります。疲れていたので、私は、すぐに帰ってきました。
疲れで精神の集中を要することはできなかったので、夜中、6月に出かける2件の学会の宿の予約をウェブで試みました。個人的には、予約は、電話した方が早いし楽だと思います。しかも電話口に具体的な人間がいることがわかった方が安心です。
でも、まあ、ものはためしというのもあり、「宿ぷらざ」で両方の予約をすませました。もちろん、なんてことはなし。すぐにできました。
北海道に関しては、大昔(1991年)のガイドブックがあります。それも参考に見ましたが、宿に関してはがっかりするほど情報が少ない。インターネット普及前のガイドブックだとこんなものでよかったのでしょう。
なお、懇親会にも使われる学会が指定(提携)したホテルは避けました。
ちびどもがめざめて6時10分前。おきてから幼稚園のことをいろいろ報告してくれました。朝はまだ寒く感じます。午後遅く出張校正。4時から飯田橋。
[ジャズの復活]
先週は火曜日に頑張りすぎて疲れを倍加させたので、今週はその反省でゆっくりすることとしました。そして、午後、幼稚園の迎えの時間にいっしょに外にでて、ほんとうにひさしぶりに秋葉原を見てくることとしました。実は、千のキミアのデータのバックアップと移送のために何を使おうかと考えていたのですが、午前中ずっとロフトで眠っていたスカジー接続のジャズドライブを復活させて使うことにしました。
まず、ウェブで検索をかけて調べると、イオメガのジャズドライブは、ドライブそのものもメディアもすでに製造販売中止となっていました。最近どこでもまったく見かけないので半ば予想していたことです。しかし、私はいかにも機械的なジージーという作動音が気に入っています。メディアも1Gのものを5つストックしてありました。
私の現在使っているマシーンは、1996年製ですから、スカジー搭載タイプです。今でもジップはスカジーで使っています。問題は、新しいマシーン。新しいマシーンは、たいてい USB とFireWire です。これもウェブで調べると、SCSI-USB 変換ケーブルというのが5千円程度で販売されています。秋葉原の滞在時間はたかだか1時間しか予定しなかったので、様子を見ると同時にこれだけ買ってこようと思いました。
校正は、4時にはじめて6時終了。西荻前のチャンポン屋でチャンポンを食べて帰るとちびどもはもう就寝していました。
ちいさいちびがおきて6時前。快晴。今日はこの時期の気温にもどるのではないでしょうか。
ちいさいちびの幼稚園のお弁当がはじまります。これでおねえちゃんとまったくいっしょ。→お弁当に嫌いなものが入っていたけど、頑張って食べた、明日は入れないで、というのがちいさいちびの報告。全部食べていたということです。9時から12時まで3時間、ちびでもおなかはすくでしょう。ちびどもといっしょにでかけて、大学へ。まず科研費に関する書類を提出し、それから外で少し待って生協でやはり科研費に関する書類(見積もり)をもらいました。
2限、3限、4限と授業。右肩の痛みや腰の痛みはありますが、この程度であれば、授業を行うことはできます。相互貸借で申し込んでいた『ボイル書簡集』の第1巻が東工大図書館より届いていました。
The Correspondence of Robert Boyle, edited by Michael Hunter, Antonio Clericuzio and Lawrence M. Principe.
London : Pickering & Chatto, 2001
『ボイル書簡集』は買って手元にあるのですが、第1巻の一部が欠落していました。それを埋めるためのものです。(書き込みをしたあと、欠落に気付きました。書き込みを重視して、取り替えを求めなかったので、こういうふうにして欠落部分を見ています。)著者の南さんより次の著書を贈呈いただきました。いつもありがとうございます。
南泰裕『ブリコラージュの伝言―私だけの人生図面』アートン、2005
大学ではどうも今日から3日間、会計実地検査というのが行われるようです。事務の方が一番緊張している日です。
おおきいちびと6時半。まずまずよく寝たと言えるでしょう。→ちいさいちびは7時過ぎ。妻の調子も今日はまずまずのようです。相変わらず、初夏にしては寒い日が続いています。
朝方切れてきたプリンター用の紙を買いに駅の西友まで行って帰ってきたらダウン。たったそれだけのことでダウンするのは、まだ風邪が残っているせいでしょう。妻も昨日よりもましですが、私と同程度でしょうか。ちびどもはずっと家のなかだと寝ていても邪魔に来るので、軽い散歩は体によいだろうと近所のぶらぶらにつきあってやることにしました。行き先が2転3転して、いつもの公園の最後の曲がり角についたと思ったら雨。急いで図書館へ駆け込みました。すぐに雨は上がりましたが、30分ほど図書館で絵本を読んでから、再度公園へ。ちいさいちびのお友達に会いました。大喜び。公園で遊びはじめたと思ったら、そのお友達が半袖であることに気付き、自分も半袖がよいと大粒の涙をたらたら流して抗議。雨とともに少し気温が上がったようなので、あきらめて再度家に帰り、半袖に着替えてから公園に戻りました。仲良く遊んでいましたが、やはり30分もしないうちに今度は本格的な俄雨の様子。そういう場合に備えて、私は自転車で行っていたので、そのまま自転車に乗せて急いで帰りました。軽い散歩のつもりが、けっこう疲れて、夕食後再度ダウン。14日に開始した平成の年表ですが、すこしずつ埋めていきます。私が平成の歴史を考える作業そのものです。→どうやって検索したのか記憶ありませんが、年表を埋める作業の途上、次の論考にであいました。
中村伊知哉「日本のポップ産業」
著者は、スタンフォード日本研究センターというところの所長さんで、2003年9月1日という日付があります。産業としての日本のポップカルチャーを考察したものですが、こういうふうにまとめて見ることに意味があって、なかなか興味深いものでした。
ひとりで6時前。ちびどもといっしょにねて、朝まで。これで今日ゆっくりすれば、風邪はほぼ回復するのではないかと思っています。学会の編集委員会で必要な書類が1通見つかりません。用済みとして大学の研究室に持っていった可能性があります。
妻がまたダウンの様子なので、昼食後、ちびどもを連れて、大学まで出かけることとしました。土曜日は中央線快速が西荻に止まらないので、たったこれだけの距離で2回も乗り換えしないといけません。それが面倒なのですが、ちびどもは研究室までしっかり歩いてくれました。探していた書類は10分程度で見つかりました。
すぐに帰ると言うかと思ったら、パソコンで遊んでいました。ちょうどよいのでずっと放置していた床の掃除を半分ぐらいすませました。
あまり長くいて疲れると帰りが大変なので、まず、ヨーカドーに遊びに行こうと言って、連れ出しました。武蔵境のイトウヨーカドーは子どもたちで大にぎわいでした。ちびどもはひたすら商品を見て回っていました。あきらめてちびぬいぐるみをちいさいちびに、シナモンのレターセットをおおきいちびに買ってやりました。入口でおやつのどらやきとおもちを買って帰還。3時過ぎ。ちょうどよいぐらいの時間です。
風邪がなおっていない状態で、子どもたちを連れていくのは、体力的にかなりきついものがありました。ダウンはしませんが、ぐったり。『Jポップとは何か―巨大化する音楽産業―』から、年表を作成してみます。
2004 オーディオレコードの売上げ約3千774億円まで下がる。青山ブックセンター倒産。
2003 雑誌『オリーブ』2度目の休刊(8月号)。
2002 CCCD(BoA,avex)
2001 侍魂始動。ニンテンドー、ゲームボーイアドバンス、ゲームキューブ発売。
2000 グーグル日本語版スタート(夏)。
1999 2ちゃんねる開設(初夏)。
1998 宇多田ヒカルデビュー。Album「First Love」975万枚。オーディオレコードの売上げ最高額(約6千75億円)を記録。『月刊アクロス』休刊。
1997 北海道拓殖銀行、山一證券や破綻。
1996 スターバックス1号店開店(銀座)。
1995 「戦後50年」。阪神大震災。「オウム真理教」事件。アルバム『globe』450万枚
1994 ジュリアナ東京閉店。
1993 「Jリーグ」スタート。「渋谷系」音楽。
1992 通信カラオケ登場。
1991 湾岸戦争勃発。年末にソ連消失。
1990 バブル崩壊過程はじまる。
1989 2月「平成名物TV・いかすバンド天国」放映開始(1年9ヶ月継続。)三菱地所がロックフェラーセンターを入手(ロックフェラーグループ社の株式の過半数を取得)。昭和天皇死去(昭和64年=平成元年)。「ベルリンの壁」崩壊。
1988 「Jポップ」という言葉が誕生。バブル景気のピーク。FM局「J-WAVE」開局(10月)この間に消えたものたち(あるいは絶滅保存種となったもの):カセットテープ。エアーチェック。アナログのレコード。アナログのステレオセット。ハイファイ。歌謡曲と演歌。パソコン通信(2005年3月末ニフティが終了)。and so on.
バブルの到来と崩壊に伴い、日本社会から消えたものは数多くあります。そのように消えたもの達の考古学をいつかやってみたいと思っています。
もう1点、『Jポップとは何か』で強い共感を覚えたのは、Jポップの歌詞における、英語あるいは英語もどきの件です。私はどうしてあんな変な英語、英語としては成立していない英語を歌詞のなかにいれるのだろうと、ずっと思っていました。サザンがでてきたときに、サザンの英語(歌詞のなかに含まれる英語のパーツ)はネイティブにはまったく聞き取れないし、ほとんど意味不明とコメントした有名な評論家の言葉(日本語ができる英語圏の人間)が頭の中に残っています。
烏賀陽氏と『ビルボード』の亜細亜支局長とでチェックしたところ、宇多田を唯一の例外として、Jポップの歌詞で英語として成立するものはひとつもないことがわかった、ということです。まあ、そうでしょう。
宇多田が出てきたときの新鮮さは私もよく覚えていますが、そのひとつに、ちゃんと英語じゃん、というものがありました。ふだん英語を使っている人の英語です。"addicted to you" なんて学校で英語を習っただけのものには出てきようのない表現です。
全面開国がいいことかどうかは検討の余地があるとして、でも、日本は現実にはまだ(文化的)鎖国状態の部分が多くあります。その要因のひとつは、日本市場の大きさです。日本市場だけで十分やっていける。他国の市場にでるメリットがほとんどない。Jポップが典型例です。
ボルドーに行って以来ずっと考えていることですが、人文系の学問も実は(文化的)鎖国状態にあります。文学が典型例ですが、日本語による表現、というふうに考えれば、日本語による表現世界を豊かにする(あるいはその豊かさを守る)ことは必要です。しかしあれはいったいなんだろうとおもうものも少なくなく、このあたりはもうすこしよく考えてみたいと思います。
昨日は明らかに風邪でした。3限の授業をやっているときに、変な咳がでてわかりました。体の疲れと重さも風邪の症状だと考えると理解できます。まあ、その程度であれば3コマをこなすことはできます。
5限終了後、今日が3回の講義の最終回の小谷真理先生を招待して、亀山教授とともにいつもありがとうございますの食事会。亀山ゼミの院生が2人参加してくれました。
いろいろと面白い話。2時間ほど食事&談話をして、お店の外にでると雨。それぞれ帰途に。家に帰り着き、ドアを開けると左手がつりました。限界に近い。歯磨きだけして、風呂にも入らずにそのまま布団にもぐりこみました。いつもの睡眠とは違い、よく目覚めました。感覚的には半分ぐらい目が覚めていたように思いますが、おそらく実際は10分の1とかでしょう。ちいさいちびがおきて、5時半。→目が覚めると風邪はかなりよくなっていました。これで原因は疲労だとわかります。→昼食後、散髪に。散髪屋というのは疲れているときにはちょうどよい。
昨日、科学史学会第52回年会のプログラムが届いていました。今朝つらつらと眺めています。
まず私の発表の周辺。
6月5日(日曜日)午前<B会場>
11時10分〜:飯島亜衣「メアリー・サマヴィルの科学研究者としての転機」
11時30分〜:肱岡義人「R・ボイルの質と粒子についての考察」
11時50分〜:吉本秀之「ロバート・ボイルの読書」
会場は5つ用意されています。同時進行で進みます。同じ時間帯で他の会場で開かれる発表は当然聞くことができません。一昨日から読み始めた、烏賀陽弘道(うがやひろみち)『Jポップとは何か―巨大化する音楽産業―』(岩波新書、2005)を読了しました。ほんとうに面白い。私の脳裏には、1990年前後から今に至るこの日本社会の変化はいったいなんだろうという疑問が張り付いています。なんで、ウタダはあんなに売れたんだろう、とか、どうしていまはあんなにおでぶちゃんになったんだろうか(余計な疑問です)、とか、どうも不思議なことが多くあります。その疑問に答えてくれる貴重な事実情報がここにはあります。
おおきいちびがおきて、5時半。すこし疲れが残っています。先月の25日に購入した、烏賀陽弘道(うがやひろみち)『Jポップとは何か―巨大化する音楽産業―』(岩波新書、2005)を昨日あたりから読み始めました。面白い!まさに私が知りたかったことが書かれています。
なお、この本を読んでいるのは6月上旬の授業の準備も兼ねています。今年の夏学期に関しては、6月が一番忙しい。6月5日(日曜日)に北海道で開かれる科学史学会で発表し、その翌日はいつも通り「科学技術と社会」の授業(2限)。そして、その翌日、リレー講義「表象文化論」の私の担当分があります。これは1回限りですが、1限ですし、学生諸君にあっと思わせるような内容のものにします。さらに、2週おいて19日の日曜日に神戸大の化学史学会年総会で発表します。2つの学会発表ともレジメはすでに提出していますが、発表原稿を作成しなければなりません。
そういうわけで疲れた体にむちうって、6月に向けての準備を進めているわけです。
ちいさいちびがおきて、かゆい、かゆいとさわいで、5時半。ちいさいちびは最近はねいりばな、必ず、かゆい、かゆい、と騒ぎます。科研費をもらうのは、本当に久しぶりです。前のことはほとんど忘れています。事務に足繁く通って、いろいろ教えてもらいながら、書類をどんどん作成し、提出しています。まずは、他大学の図書館への文献複写依頼書を6枚提出しました。
その一環として、外大の図書館で次の2点の論文のコピーをとりました。
近藤仁之「水銀アマルガム法、水銀供給源、及び「価格革命」「ポトシ銀山とウアンカベリカ水銀鉱山」『社会経済史学』Vol.25,No.2-3(1959), pp.128-158.
北村次一「オーストリア水銀業における初期独占」『社会経済史学』Vol.25,No.5(1959), pp.1-29.
私が1歳のときの論文です。漢字が旧字体で、いくらか読みづらく感じました。会議の日。今日は、午後2つ。→2時からの会議は順調に進み、3時には終了。3時半開始の学部教授会は、7時前までかかりました。ひさしぶりに疲れました。
おおきいちびが目覚めて5時半。今日は、おおきいちびの遠足。ちょっと遠い公園へ歩いて行きます。ちいさいちびのクラスはお休み。かぞくそろって家をでて、幼稚園でそれぞれの場所に。おおきいちびは園庭に集合して遠足へ。ちいさいちびと妻はお友達のおうちに遊びに。私は、駒場にでかけました。
いつもとおり、駒場につくとまず駅前のマックでフィレオフィッシュセットを頼みました。それから、科哲の院生室で、EEBO からダウンロード。ダウンロードは暇な作業なので、もっていった資料をだいたい読むことができました。3時間ほど作業したあと、図書館で少し調査。ブールハーヴェの書簡集を見ました。それから、科哲事務室にお願いしていた図書館利用のための書類をもらいに行き、再度図書館に帰ってもらったばかりの書類を提出して、利用カードを発行してもらいました。(なお、卒業生は卒業証明書を提出すると東大の全ての図書館の入館カードを発行してもらえるということでした。)
なお本日のダウンロードは、鉱水論関係を中心に13点。
Anon.
A short account of the mineral waters lately found out in the city of Canterbury
[Canterbury], 1690
Bacon, Francis
Sylva Sylvarum
London, 1676
Boyle, Robert, 1627-1691.
Short memoirs for the natural experimental history of mineral waters
London : Printed for Samual Smith, 1685
Collins, Samuel
The Present State of Russia
London, 1671
Jorden, Edward, 1569-1632.
A discourse of natural bathes and mineral water
London ,1673
Lovell, Robert, 1630?-1690.
Panoryktolygia, sive, Pammineralogicon, or, A universal history of mineralls containing the summe of all authors, both ancient and moderne, galenical and chymical, touching earths, metals, semimettals, ... salts, sulphurs and stones more pretious and lesse pretious &c.
Oxford : Printed by W. Hall for Joseph Godwin, 1661
Lovell, Robert, 1630?-1690.
Panzooryktologia. Sive Panzoologicomineralogia. Or A compleat history of animals and minerals, containing the summe of all authors, both ancient and modern, Galenicall and chymicall, touching animals, viz. beasts, birds, fishes, serpents, insects, and man, as to their place, meat, name, temperature, vertues, use in meat and medicine, description, kinds, generation, sympathie, antipathie, diseases, cures, hurts, and remedies &c.
Oxford, : Printed by Hen: Hall, for Jos: Godwin., 1661
Olearius, Adam, 1603-1671.
The voyages and travells of the ambassadors sent by Frederick, Duke of Holstein, to the Great Duke of Muscovy and the King of Persia
London : Printed for John Starkey and Thomas Basset , 1669. (2nd ed.)
Prat, Ellis.
A short treatise of metal & mineral waters
London : printed by T.B. for Randolph Tyler near Stationers-hall,1684
Simpson, William, M.D.
Zymologia physica, or, A brief philosophical discourse of fermentation, from a new hypothesis of acidum and sulphur whereby the phoenomena of all natural hot-baths, the generation of minerals, the production of many acidulae or spaw-waters, the grand apparances [sic] of heat, fire, and light ... are solv'd from the intestine duellings and inward collisions of the foresaid principles : whereby also various other subterraneal phoenomena ... are from the same doctrine of fermentation genuinely solv'd : with an additional discourse of the sulfur-bath at Knarsbrough.
London : Printed by T.R. & N.T. for W. Cooper ..., 1675
Simpson, William, M.D.
Hydrologia chymica, or, The chymical anatomy of the Scarbrough, and other spaws in York-Shire wherein are interspersed some animadversions upon Dr. Wittie's lately published treatise of the Scarbrough-spaw : also a short description of the spaws at Malton and Knarsbrough : and a discourse concerning the original of hot springs and other fountains : with the causes and cures of most of the stubbornest diseases ... : also a vindication of chymical physick ... : lastly is subjoyned an appendix of the original of springs
Printed by W.G. for Richard Chiswel, 1669
Willis, Thomas, 1621-1675.
The remaining medical works of that famous and renowned physician Dr Thomas Willis
Englished by S.P. Esq., London : Printed for T. Dring, C. Harper, J. Leigh, and S. Martyn ..., 1681
Willis, Thomas, 1621-1675.
A medical-philosophical discourse of fermentation, or, Of the intestine motion of particles in every body .
translated into English by S.P., London : Printed for T. Dring, C. Harper, J. Leigh, and S. Martin, 1681.
実物を見てみないとわからないことがあります。ベイコンの『森の森:あるいは10のセンチュリーに分けられた自然誌』ですが、今回ダウンロードした版には、「金属と鉱物に関する探究項目」『生と死の自然誌』『ニュー・アトランティス』『ノヴム・オルガヌム』が附録されています。ちょっとした小著作集です。
また、ボイルの『鉱水の自然実験誌のための短いメモワール』ですが、本の最後に、11頁のカタログがついています。ボイルのこの本を出版した本屋さんの店頭カタログです。医学と化学を専門としています。順番は、版型の大きい方から並べられています。すなわち、フォリオ、クアトロ、オクタヴォ、12折りの版型毎に、著者のアルファベット順に並べられています。フォリオには全集が多く、ボイルが利用していた著作が見事に集まっています。(ハートマン、パラケルスス、ディオスコリデス、ピソ、シェンク、ツヴェルフェル、アルピーニ、ボーアン、ボレリ等々)。全集にこのカタログを収録するわけにはいかないでしょうが、1685年、医学と化学を専門とする本屋さんの店頭に並んでいた書物のリストは非常に興味深いものがあります。
なお、ウィリスの発酵論はずっと欲しかったものです。その前の、医学論考集の最初にまったく同じ発酵論が収録されています。
ひとりで4時半。昨夜ちびどもといっしょに寝てしまったせいです。→5時には外が明るんでいます。夏が近づいていることを感じます。連休明けで、久しぶりにフルの授業。休み時間で、3点書類の処理もしたので、いくらか疲れました。
4限の大学院の授業で、マレーシアのクアランプールの都市化の現状を発表した学生から聞きました。(留学体験者)。日本で言えば住基カードにあたるものをすでに導入し、国民全員に義務化したのだそうです。世界に先駆けての導入ではないかと思われます。ともあれ、大きなビルが建ち、電車の路線も増え、自動車の数も圧倒的に増大し、というふうにどんどん変化しているようです。知らなかったので、驚きでした。
ひとりで6時。曇っています。ちびどもを連れて妻が買い物に出たおり、先月の25日に購入した、五木寛之『養生の実技―つよいカラダではなく―』(角川oneテーマ21、2005)を手に取りました。
さすがに、うまい。ちょっとしたところの話の持って生き方がうまい、と思います。主張そのものはほぼ納得できます。健康法や養生を気にかけることはよい。しかし、それにとらわれてはいけない、ということです。
西洋の養生法と比べると、日本人が書く養生法は、圧倒的に仏教の影響が強くでます。五木氏の場合には、禅の思想。そして、それがよくわかります。腑に落ちる。[早稲田のopac]
以前紹介した早稲田大学図書館の検索サイトですが、便利なので再度紹介します。
まず、早稲田のOpac はウェブキャットに参加していません。ですからウェブキャットで検索をかけて日本の図書館にないのかな、と思っても早稲田には所蔵されている可能性があります。
第2に、Early English Books Onlineのマイクロフィルム版がすべて所蔵されており、早稲田に入っている他の本と同時に検索がかけられます。これがとても便利。早稲田ぐらいの大きさの図書館であれば、有名な書物でリプリントがあるものは一定割合で所蔵されています。その情報が、Early English Books Onlineの検索結果と同時に表示されるのは、研究目的にはとても使いやすい。
そして、もう1点。Early English Books Onlineは、英語の本が大多数ですが、大陸の著者であっても、英国と関わりがあって(言うまでもなく、ヨーロッパというのはローマ帝国の版図のあとに広がったキリスト教世界であり、大学教育はある時期まですべてラテン語で行われていました。ある意味で、ヨーロッパの大学は一つであり、知識人はよく動いています。)Early English Booksに収録されている可能性があります。(もちろん、ない場合も多い。)ともあれ、検索をかけてみる価値があります。
1例だけを示しましょう。18世紀の化学に多大な影響を与えた、ベッヒャー(Johann Joachim Becher, 1635-1682)を取り上げてみましょう。
上記の早稲田のサイトで検索すると、5点がひっかかります。
1 De nova temporis dimetiendi ratione, et accurata horologiorum constructione, theoria & experientia 1680
2 Magnalia naturae, or, The philosophers-stone lately exposed to public sight and scale being a true a / [microform] : by John Joachim Becher : published at the request, and for the satisfaction of several 1680
3 Minera arenaria perpetua, sive, Prodromus historiae seu propositionis prae D.D. statibus Hollandiae / [microform] : Johannis Joachimi Becheri. 1680
4 Politischer Discurs von den eigentlichen Ursachen dess Auf- und Abnehmens der Stadt, Lander, und Rep / Johann Joachim Bechers. 1990
5 Zur mechanischen Sprachubersetzung : ein Programmierungsversuch aus dem Jahre 1661 : allgemeine Vers / J.J. Becher ; mit einer interpretierenden Einleitung von W.G. Waffenschmidt.
4.は出版年度からみてすぐにリプリントだとわかります。5.も詳細を見ると、1962年のリプリントです。
残りは、Early English Booksのマイクロです。1.と3.は、ロンドンで出版されたラテン語の書物。3.は英語です。
化学=錬金術は、2.の1点のみで、あとは永久運動であったり、時計であったり、暗号法であったりですが、ここまでは早稲田大学に揃っているということがわかるだけでも収穫です。
ちいさいちびが起きて6時半。すぐに全員が目覚めました。蓄積疲労のために、昨夜も爆睡。ちびどもといっしょに寝て、そのまま朝となりました。→朝は、まだ肌寒く感じますが、午後には気温が上がるそうです。妻の調子も私の体調もやっと回復してきました。ちびどもはいたって元気なので、ついていくのにひーこらです。
[ハンガリーやボヘミアの土と水と風]
ボイルは、中部ヨーロッパの鉱山地帯の「土と水と風」に非常に強い関心を示しています。「土と水と風」と表現すると詩的に聞こえますが、鉱物が液体状のもの(水)から固体(土)として出現してくる(析出)ことや、鉱物成分が空気中に蒸気のような状態で発出されることにボイルは関心を抱いています。
もちろん、その地に暮らしたアグリコラやマテシウスが16世紀に基本的な書物を著していますが、ボイルはもっと近いソースを探しています。同時代の出版物と実際にその地の様子を知っている(住んでいた、あるいは旅行した)人物に直接聞いた話を重視しています。
新しいバージョンのボイル作業日誌のサイトで、アップされているMSのおそらく半分程度に目を通してみて(読んだわけではありません、ざっと見てとくに引っ掛かるところだけを読んでいます)、その様子がかなりわかってきました。
出版物からはなかなかストレートには伺うことのできない、関心の焦点となっていた事項がよくわかります。その一つにサンゴがあります。サンゴの採集の話は繰り返し繰り返し出てきます。
もう1点、ダイヤモンドについて、非常に強い関心を示しています。ボイルには「クレイトンのダイヤモンド」という論考があるのですが、これも意外なほど数多くダイヤモンドについての情報を旅行者、海外在住者から収集していました。
ひとりで6時過ぎ。ちびどもはすやすやよく寝ています。
昨日より7度気温が下がるということです。お昼になってきても気温が上がらないので寒く感じます。必要があって、ボイルの作業日誌のホームページをしっかり見ています。
2002年6月にヴァージョン・アップされたものは、以前のものよりずっと使いやすくなっています。
The Robert Boyle Workdiaries Project (Jun. 2002)
ロバート・ボイルのつけていたノートと思ってもらえばよろしいかと思います。17世紀の科学者がどのようにノートをとっていたかに関心がある方は、一度覗いてみられるとよいのではないでしょうか。(ただし、ボイルは、写字生を使っています。つまり、ノートを取るといっても、助手に書き写させているわけです。ここいらは、いまどきの人文系の学者にはあまり例のないことがらだと思います。)駅前の本屋さんで、『月刊現代』と『論座』の6月号を買ってきました。作業をしながら、いくつかの論考やエッセイを読んでいました。そのなかで、とくに佐藤俊樹氏の「「勝ち負け」の欲望に取り憑かれた日本」(『論座』所収)に共感を覚えました。
おおきいちびといっしょに5時半。昨夜は鼻がつまって3時に一度目覚めました。明らかに軽い風邪です。[お掃除日和]
この連休の間は、ずっと好天でした。気持ちよい風も吹いて、何をするにも絶好の季節です。そう、お掃除にも絶好。ふだんあまり手をいれられない水回り、台所のシンクとお風呂場の排水溝、ならびにお風呂場の排気孔の掃除をしました。
妻はすこしよくなってきたみたいで、あっちこっち片づけをしていました。[the rare books Boyle cited]
ボイルが中心となって収集し、ボイルの死後ジョン・ロックが編集・出版した書物に『空気の一般誌』(1692)があります。
いろんな書物からとったノートをそのまま印刷した部分が数多くあります。そのなかに、ボヘミアの地で生まれたイエズス会士バルビンからの引用があります。バルビンは、その一生をボヘミアの自然誌、地理、歴史について入手しうる限りの資料を収集し、編纂すること捧げた愛国者です。
第12巻109頁に次の引用があります。(ラテン語でほぼ1頁)
Balbini Hist. Bohem. l. 1. c. 9. De montibus, & de valle Lavezka, p. 29.
Chanowsky in vestigio Boh. piae, C. ult.
Montes parte altera aestatem, altera hiemem referentes.*
編者はこれを、Albert Chanowsky (fl.1660)と言う人物の Vestigium Boemiae piae: seu res quaedam memoratu dignae, quae in Boemia acciderunt (1659)からバルビンがEpitome historica rerum Bohemicarum (1677)において重引したものとしています。第3行目のラテン語は、「山々は山の一方に夏をもたらし、他方に冬をもたらす」というもので、山々が高く険しいので、山の両面で季節が異なってしまうという話を紹介しています。
同じく第12巻157頁でもこの書を引用しています。(ラテン語で半頁)
L. 1. c. 8. De Mont. Bohemiae, p. 26.
(書誌調査からは、ボイルが引用する書物はMiscellanea historica regni Bohemiae(1679)の可能性もあると私は考え、どこかにせめて目次でもないかと探しましたが、バルビンの仕事の集大成である Miscellanea historica regni Bohemiaeの方が相当の稀書のようで、調べがつきませんでした。なお、ブリティッシュ・ライブラリーには、中部ヨーロッパに関するコレクションがあり、この書も収集されています。)
→こういう書物は基本だと思います。日本でも何カ所かに所蔵されているのが望ましいことだと思います。
→もし、日本国内にバルビンの書物を所蔵しているのをご存じの方がいたら、是非、お教え下さい。
鼻がつまって、4時。体は疲れているのに妙に早く目覚めるときというのもあります。妻はいくらか回復してきました。5月の気持ちのよい風が吹く日なので、窓をあけて台所の掃除を頑張っていました。
今日のちびどもの外出は、ドングリ公園一箇所。ついて1時間ほどでちいさいちびがおなかがいたいというのでトイレに行きましたが、あまりの汚さに入ろうとせず、そのまま帰って来ました。自転車に3人乗りして帰り道についている途中、おおきいちびの幼稚園のお友達R君に会いました。おとうさんと二人、ソフトクリームを食べながら公園にやってきました。[the rare books Boyle cited]
というわけで、ボイルは稀書を利用しています。
「物体の絶対的静止」(1669)という論考でボイルはダイヤモンドの硬度の差異について次のように触れています。
「ダイヤモンドの硬さの差異については、あるフランス人が最近フランス語で出版した小さな本のなかに、目撃証言から次の記述を与えているのに出会いました。」
その内容は、ガゼルポリ産のダイヤモンドはとても透明だが柔らかい、すなわち簡単にいくつもの輪状に分解する、というものです。
そして、その引用文(英語)に対して、次の注をつけています。
@ Egrezes, pag. m. 17. 18.
ボイル全集の編者達は、"Egrezes" という言葉で一体どの著作を指しているかは不明であると注記しています。ただし、推測として、M.L.M.D.S.D., Denombrement, facultez et origine des pierres precieuses. Paris, 1667 ではないだろうか、としています。"Egrezes" という言葉は、作業日誌では"Egrezos"となっており、ボイルは正確に言葉を覚えていなかったのではないかと編者は記していますが、私もその通りではないかと思います。(つまり、この論考のこの部分は、手元に"Egrezes"というフランス語の小さい本をおいて記されたのではなく、作業日誌のノートからそのまま書き写されたもので、ボイルはその転記の際にもとの本を探し出して確認する作業をしていない、ということだと思われます。)
著者名が、省略形で、"M.L.M.D.S.D."としか知られない、Denombrement, facultez et origine des pierres precieuses.も稀書です。ブリティッシュ・ライブラリーには所蔵されていますが、英国の他の図書館にはほとんどないようです。なおブリティッシュ・ライブラリーの所蔵カードによれば、この本はオクタヴォで71頁のものですから、ほんとうに小さな本です。
→"Egrezes" or "Egrezos" という語形に見覚えのある方は、是非、お教え下さい。よろしくお願いいたします。
おおきいちびがおきて5時半。体に疲れがたまっています。昨夜はちびどもといっしょに寝て、すぐに起きて、仕事をするつもりでしたが、そのままぐっすり寝込んでしまいました。夕食時すこし起きることができた妻は居間をみて、野良猫の巣のようだと称していました。もちろん、ちびどもが野良猫です。
ずっと寝込んでいた妻も午前中はいくらか回復していました。そうするとちびどもは安心するのか、やんちゃるもんちゃに変身します。こういうところが、こどもは野生だなと思う点です。午後、妻が2階で休んでいる間、仕方がないのでちびどもの希望を聞いて、荻窪の屋上に連れていってやりました。屋上はかなり暑かった。ゴールデンウィークの人出としてはこんなものでしょうか。ふだんの天気のよい日曜日よりいくぶんか多い程度でした。
地下1階で夕食の材料を買って5時前に帰宅。おなかがすいていたのか、妻が寝ている間ほとんどご飯を食べていないちいさいちびもまずまず食べていました。
夕食をすませたころ、埼玉に住む妹と甥っ子がパンダのビデオをもってきてくれました。甥っ子はたぶん中2で、すっかり声変わりして、別人のようでした。恥ずかしいようで、あまり中に入ろうとせず、入口の金魚をずっと見ていました。午前中1時間ほど、家のまわりの草むしり。梅雨に入る前に、できるだけ家のまわりを片づけておこうと思ったものです。終わって部屋の中に引き上げてくると背中のある箇所にかなり強い痛みがあります。肩こりの強いものかもしれませんし、何かが刺さったのかもしれません。以前肩に感じた痛みと同類の痛みです。全身が疲れていますから、いろんな不調が出やすいのでしょう。
[missing in the list]
4月30日からの続きです。ボイルがページ数を明示して引用する著作のリスト( Table 2) で落としてしまったものです。
Kessaeus, De vitis Patrum: v2.450, v13.196
ボイルはこの「ケサエウス」を『聖書のスタイル』で次のように引用しています。
(本文)「ケサエウス(教父の伝記に関する有名なイスラーム教徒の作家)が伝えるところによれば」
(ボイルの注)@ Kessaeus, pag. 99. See Psal. 114. 4. Psal. 19.
編者は、「我々はケサエウスを同定できない」としています。
v13.196 では、「有名なマホメットの徒の、de vitis Patrumによれば」としています。
ウェブで調べてみると、なるほどCopak でも Gallica でもケサエウスはまったく出てきません。つまり大英図書館にもビブリオテーク・ナショーナルにもケサエウスは所蔵されていないようです。
グーグルで検索すると、まず、ボイル全集を編纂していたときに、同定できない人物・著作に関して「公開クエリー」の形で全世界の人々に、「イスラームの注釈家ケサエウスについて知っている人があれば教えて下さい」とする通知が出てきました。実際に出版されたものに「同定できない」とあるのは、有効な回答がなかったことを示しています。
他に有用な情報はほとんどなかったのですが、グーグルの最後のヒット(7件目)にジョン・オーウェンのサイトがあり、 その脚注の部分に、"Kessaeus Vit. Patr. p. 12, Interpret. Hotting. Isaiah 42:1,19; Phil 2:7" という表記があります。
これでジョン・オーウェンの著作を見ることができれば、あるいはホッティンゲルの著作を見ることができれば、何かがわかるであろうということまでは見通しがつきました。
ときにボイルは本当の珍しい本を手元において引用しています。優秀なインフォーマントがいた証拠です。
→「ケサエウス」について何かをご存じの方は、是非、お教え下さい。お願いいたします。なお、これを調べている最中に、OS 9 からもガリカの検索ができるようになっていることがわかりました。こいつはありがたい。私の環境ではずっと OS X(テン)からしか検索が効かなかったので、いちいちちびどもの iMac の前に座って検索(&ダウンロード)をしていました。これでこの机に座ったままガリカの調査ができることになります。
記念に、グロティウス(『戦争と平和の法』)を1点ダウンロードしてみました。
Hugo Grotius
Hugonis Grotii de ivre belli ac pacis libris tres in quibus ius naturae & gentium, item iuris publici praecipua explicantur
Paris : apud Nicolaum Buon, 1625
ちびどもが5時過ぎに目覚めました。私は仕方なしに5時半。昨夜は雨が降り涼しくなったので、寝入りばな暴れたちいさいちびもぐっすり寝ていました。ゴールデンウィークの中日。今日の2限の「科学技術と社会」では、クローンの話をします。声優陣が一新したドラエもんのことをイントロに使います。ドラエもん=大山のぶよさんの声のイメージが強いのですが、新しくなったドラエもん(声優だけではなく、絵柄もストーリーも新しくなっています)の方が元のドラエもんに近い。のびたくんの体に比べて大きすぎる手足とか、片目が点のジャイアンとか、もとのマンガの絵に近い。
さらに、のびたくんのキャラクターも微妙に、しかし、実ははっきりと違ってきています。[相互貸借]
図書館の相互貸借で頼んでいた次の本が届いていました。
送料の1180円を会計課に支払って受け取りました。
MacDonald, Michael, ed.
Witchcraft and Hysteria in Elizabethan London: Edward Jorden and the Mary Glover Case.
London: Routledge(Travistock Classics in the history of psychiatry), 1991.
マイケル・マクドナルドによる序文が約60頁あり、その後、3点の1次資料が収録されています。
Edward Jorden, A Briefe Discourse of a Disease Called the Suffocation of the Mother, London, 1603
John Swan, A True and Briefe Report of Mary Glovers Vexation, and of Her Deliverance by Fastings and Prayer, London, 1603
Stephen Bradwell, Mary Glovers Late Woeful Case, Together with Her Joyfull Deliverance (1603), British Library, Sloan MS 831.
ほしい情報そのものはなかったのですが、それ自身なかなかに面白い話でした。
おおきいちびが目覚めて5時45分。昨日の夜はすこし寒く感じました。たぶんこの時期の普通の気温に戻ったのでしょう。妻はダウン中。
今日は午後遅くから児童館とタンポポ公園。相当に疲れがきました。連休の前半はちびどもの相手ですぎました。
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