おおきいちびが夜中に足を蚊に刺され、泣きそうになりました。それで目覚めてしまったので、Eighteenth Century Collections Online のデモページを試していました。前のものより便利になっています。とくに大きいのは、ダウンロードが前は10頁ずつだったのが今回は50頁ずつだという点です。これでかなり手間が省けます。
様子を確かめるために、いくつかダウンロードしてみました。次のものです。
A Catalugue of the Libraries of Mr. John Warre, Secretary to the Honorable Robert Boyle, Esq.
Boyle, Robert.
An historical account of a degradation of gold, made by an anti-elixir: a strange chymical narrative.
The second edition. London, 1739
University of Edinburgh.
Physiological Library. The physiological library. Begun by Mr. Steuart, and some of the students of natural philosophy in the University of Edinburgh, April 2. 1724
[Edinburgh], 1725Greatrakes, Valentine
A brief account of Mr. Valentine Greatrak's, and divers of the strange cures by him lately performed.
London, 1723夜半に雨が降り始めたと思ったら、早朝5時半ごろより豪雨。家のなかにいても屋根をたたく雨音がおおきく聞こえてくる本格的な豪雨です。断続的なので、すごいことにはならないですみそうです。
雨は大学に出かける頃には止んでいました。おおきいちびはかわいそうに、寝ているときには足裏を蚊に刺され、起きてから目の上、腕、足の3箇所を虫にやられていました。どうしてだかおおきいちびが狙われます。虫からすればおいしそうに見えるのでしょうか。[Perse]
化学史のML:Maiser@listserv.uni-regensburg.de で、新しいサイトの情報が流れました。
Persee
アナルをはじめ、フランス語のいくつかの雑誌の論文を見ることができます。検索もかけられます。3コマの授業を終えて、帰宅すると、おじいちゃんからももが届いていました。おじいちゃんが作ったとあります。たしかに果物屋で売られているものと比べると見劣りがしますが、食べてみると普通のうまいももでした。子どもの頃は手伝いで畑によく行っていましたが、最近はさすがに畑がどうなっているのか知りません。おじいちゃんはいったいどこで作ったのでしょうか。
ちいさいちびがおきて6時。昨夜は、夜半まで気温が下がらず寝苦しい夜。夜半から雨が降り始め、すこし気温が下がりました。朝も降り続いています。→大学に着く頃に雨は上がっていました。→典型的な梅雨空となりました。昨日のような異様な蒸し暑さよりは、こうした梅雨空の方がずっとましです。[千のキミア]
ぼちぼち再開した千のキミア・プロジェクトですが、昨日から今日にかけて、ホイヘンス全集をダウンロードしました。22巻ですが、第13巻が1と2とあるので、23ファイルです。さらに単行本としてはガリカに『時計』もあるので、それもダウンロードしておきました。(リプリントをもっていますが)。[バートンとブラウン]
一昨日入手した『イギリス・ルネサンスの諸相−演劇・文化・思想の展開』ですが、バートンとブラウンに関する論文は読みました。私の問題関心にぴったりというわけではなかったのですが、いくらか重なるところもあり、有用でした。まず全般的に、文学系の人の翻訳は、さすがに流暢・達者です。秋山嘉「忘却によって認識はつくられる―サー・トマス・ブラウン『一般的謬説』論」
こちらのほうが私の関心に重なる部分が大きい。
まずエラスムスの『デ・コーピア』。De duplici copia verborum ac rerum. 『言葉とものとのふたつながらの豊饒について』。ラテン語で書くための手引き書プラス例文集という趣の実践的教本。ルネサンスの文人たちに大いに流布する。
テレンス・ケイヴの研究によれば、エラスムスにおいて物と言葉の関係は、言葉があって物・事があるかあるいは相互浸透的なものであった、そして、真の豊饒は退屈な繰り返しではなく、発見的・想像的な増殖にあるのであった。[Eighteenth Century Collections Online]
午前中に、トムソンのセールス・エンジニアの方と雄松堂の方に研究室に来てもらい、 Eighteenth Century Collections Online のデモンストレーションをやってもらいました。いろいろ興味深い話を聞くことができました。
なお、このページで報告したとおり、Eighteenth Century Collections Online のトライアルサイトは消滅しましたが、8月末まで有効なトライアルをセールス・エンジニアの方に教えてもらいました。必要な方にはメールで教えてもらっても結構ということなので、必要な方は私宛、メールを下さい。アドレスとパスワードをお送りします。帰宅すると、アマゾンのマーケットプレイスに注文した次の本が届いていました。 中央大学人文科学研究所編
『英国ルネサンスの演劇と文化』(中央大学人文科学研究所研究叢書 #18)
中央大学出版部、1998年3月発行,A5判466頁
定価は5000円ですが、古書なので3400円です。ほぼ新品状態なので、この値段なのでしょう。
読みたいと思ったのは、次の秋山嘉氏の論考です。
「驚異拾遺−17世紀イングランドにおけるいくつかの形態のコレクションをめぐって」
1. コレクションの移譲、またはことの次第
2. トラデスカントの箱(アーク)、または驚異という物語
3. 好奇心の解放、自由としての所有−コレクションについての巡礼の旅
4. アシュール再び、または未編集(ラフ・カツト)版収集の近現代史
5. 横に吹きいる風のそよ−驚異目録・古物研究・コモンプレイスブック
ですが、下の『イギリス・ルネサンスの諸相−演劇・文化・思想の展開』と同じ理由で持っておいてもよいだろうと考えたものです。秋山嘉氏の論考は最後の論考です。その他の目次は次の通りです。
百瀬泉「バスタードとフォールスタッフの誕生」
奥田宏子「受難劇から美徳劇へ―チューダー朝ドメスティック・ドラマの誕生」
川地美子「エリザベス一世の結婚問題とシェイクスピア喜劇」
青木和夫「「尺には尺を」と新約倫理の問題再考−神の法から自然の法へ」
小山郁夫「シェイクスピア思想研究に関する基礎考察−ヨーロッパ中世とイギリス・ルネサンスとの脈絡を中心として」
上坪正徳「法学院とエリザベス朝の文化−ジョン・マニンガムの「日記」を読む」
竹中昌宏「古文書と物語 或る旅廻り一座の記録」
本橋哲也「初期近代の旅行記における食人言説」
富永道夫「狩猟・鷹狩と音楽 −その文化的一考察」
寝る前におおきいちびが暑い暑いと言っていました。私の感覚では寝てしまえば寝られる気温だったのですが、疲れのせいかおおきいちびは暑かったようです。汗まみれになって寝苦しそうだったので、軽くエアコンをかけました。
暑かったせいかもしれませんが、夜中ずっとちいさいちびがぐずっていました。たぶん、5時過ぎに目覚めたようです。そして、ごほごほして久しぶりにもどしました。
私は眠かったのですが、あきらめて6時15分頃起きて、ちいさいちびの相手をしてやることにしました。都心の最高気温が36.2度との報道。暑いわけです。
昨日に引き続き、ちいさいちびがかゆいかゆいといって5時半。足に3箇所、大きな虫さされ、手首に一箇所。大学に着くと、科研費で発注していたCD-ROM が入荷したとの知らせが生協よりありました。3限の授業の合間に研究室に持ってきてもらいました。割と大きめ(値段の点で)のものとしてはこれが今回の科研費の第1号です。今後ずいぶん重宝します。
(同時に、もっとも大きなもの2点の発注もすませました。)家に帰り着くと、土曜日アマゾンのマーケットプレイスに注文した次の本が届いていました。
中央大学人文科学研究所編
『イギリス・ルネサンスの諸相−演劇・文化・思想の展開』
中央大学出版部、1989年4月発行,A5判514頁
定価5250円ですが、古書なので2140円。目次は次の通りです。
青木和夫「『ヴェニスの商人』『尺には尺を』と贖罪論」
小山郁夫「ルネサンス・カオスと『リア王』―祝祭および演劇における交流の思想」
百瀬泉「民衆演劇の歴史ヴィジョン―「悪徳」的人物の〈司会・演出〉機能の展開」
富永道夫「ルネサンス英国の精神風土と音楽―その多面性と本源性への一考察」
竹中昌宏「ウイリアム・ライトヘの旅―切支丹迫害と国教忌避者の秘められた絆」
三枝幸雄「ヘンリー・ピーチャム『完全なるジェントルマン』―イギリス・ルネサンスにおけるコンダクト・ブックの一断面」
川口紘明「修辞的論証のパラドクス―フィリップ・シドニー『詩の弁護』小論」
上坪正徳「メランコリー・人間・社会―ロバート・バートン『メランコリーの解剖』に関する覚書」
秋山嘉「忘却によって認識はつくられる―サー・トマス・ブラウン『一般的謬説』論」
相楽幸助「ホッブズ思想の現代性―最「弱者」の思想」
読んでおきたかったのは、ロバート・バートンとサー・トマス・ブラウンに関する論考でしたが、他のものも勉強になるかと思い、買っておくこととしました。
→何点か有用な記述がありました。この本の出発点となったのは、(中央大学の)イギリスルネサンス研究会ですが、まず、原典としては「1475年より1640年にいたる英国の全出版物原典を網羅的に収録して両3年中に完結予定と報じられていたマイクロフィルム版コレクション『初期英国書籍集成』("Early English Books") 」の収集を目指し、「1981年6月29日開催の中央大学図書館評議員会において」購入が認可された。いろんな事情があって利用可能になったのは、1986年夏以降となった。「今やこの貴重資料は、所定の手続きをへておとずれる大学内外のすべての研究者に完全に開放されている」。
ということで、今一度 Early English Books マイクロフィルム版コレクションを所蔵している大学を調べてみました。ウェブキャットでは、フェリス;愛大名;学習院 英文;阪大;千大;東大総;同大;明学大の8館がかかります。早稲田と中央も所蔵していますから、つまり日本で10館は所蔵していることになります。10館も所蔵しているとは思いませんでした。
中央大学図書館
こういう暑さを「あぶらつゆ」というのだそうです。べとべとして暑い。湿度が高いところへ、からっと晴れるわけでもないのに、気温が上がるという状況です。
ちいさいちびがかゆいかゆいといって5時前に目覚めました。私はもう少し寝ていたかったのですが、5時半にちいさいちびといっしょに階下に。
夏になるとちびどもは虫に狙われやすい。蚊もまずちびを狙います。さすがに暑いので、この部屋用の扇風機を物置から取り出して、風呂場で洗っているとちいさいちびがやってきました。やらせろといいます。簡単なことなのでやらせて、その後シャワーを浴びさせました。ちいさいちびは体をちゃんと洗う必要があったので、ちょうどよし。その後、おおきいちびもシャワーを浴び、ついで、私もシャワーを浴びました。夏場はこういう生活になります。
おおきいちびが靴が痛い痛いと言います。気持ちの問題だと相手にしていなかったのですが、念のため確認すると、2ヶ月前に余裕のあった靴がきちきちです。またいくらか大きくなったようです。ちいさいちびが重くなったことに気を取られていましたが、その間におおきいちびもしっかり大きくなっていたようです。足が大きくなる子は、背も大きくなりますから、来年の小学校入学に向けてまた一段と成長しそうです。幼稚園のお友達のお母さん達にはすでに目にとまっていたようです。
近所のニッサンに。結末はおってまた。
日が暮れてからも気温がそれほど下がっていません。
ちいさいちびが目覚めて騒いで6時。みんな目覚めました。
夏の朝。→日がのぼるにつれて、どんどん気温が上昇しました。本格的な夏がやってきました。[夏の動物園]
妻が試験。ちびどもと相談して、11時前から井の頭動物園にでかけました。視力が弱くなっているのは、ちびどもを自転車の前後に乗せて行くのに、すこしつらい感じがしました。自覚症状としては、視野が前よりいくらか狭くなった感覚があります。肩の痛さは首の痛さと繋がっています。いつもであれば見えている範囲が見えていない感じがするので、そういうときには止まって、左右の確認をしました。目はいろんな波及効果を及ぼします。
春に比べると、動物園に来ている子どもの数はぐんと減っています。ちびどもは、いつも通り、おもち(お団子)をまず食べて、それから、ウサギ(モルモット)のコーナーにでかけました。これまでは5分程度で別の場所に移動していたのですが、今日は、ちびどのいうウサギあるいはネズミが気に入って、入れ替えですよと言われるまでいました。
それから珍しく他の動物も見ていました。黒いヤギ、鹿、カモシカ、アライグマ、等々。遊園地で乗り物券千円分(ということは5台)に乗ったあと、お弁当。お弁当のあとは、おおきいちびが氷、氷、というのでかき氷。再度ウサギさんのコーナーに行ったあと、公園へ。疲れている様子だったので、2時半過ぎに帰ろうと言って、3時前に帰宅。帰宅の途中、前のちびがこっくりこっくりしただけではなく、後ろのおおきいちびも寝かかっていました。
暑かった。
そして、けっこう疲れました。[人口減社会]
月曜日の授業で、人口減社会を取り上げます。最新の情報を調べてみました。次のページに面白いグラフがあります。
社会実情データ図録・総人口の推移(月次)&対前年同月増減
これによれば、2004年5月は2003年5月と比べて約5万人減となった。その後持ち直したので、2004年の間に日本の人口は減少に転じたわけではなかったが、人口減に転ずる時期が近づいたことを示していると言って間違いないでしょう。ちなみに、2005年度の対前年同月増減は、1月:12万増、2月:3万増、3月:11万増、4月:3万増、5月:2万増、6月:3万増となっています。(3月以降は概算値。)
厚生労働省の将来推計人口の中位推計では、日本の総人口は2006年の1億2774万人をピークに2007年から人口減少がはじまるということです。
変化のはじまりはゆっくりですが、合計特殊出生率がとうぶん持ち直す要因はありませんから、一度下がりはじめるとある時期からかなり急激に下がるように感じられると思います。
人口というのは、その社会にとってのもっとも基礎的な数字です。国全体を対象にする社会政策は、21世紀では人口減社会を前提として構想されなければならないということになります。なお、実際にすでに人口が減少しつつある社会があります。それが20世紀の大国ロシアです。ロシアの場合、2004年度の合計特殊出生率は1.17で、日本の1.29よりももっと低い。そして、人口は去年1年間に約85万人減ったということです。
ちなみに、平均寿命は男性58歳、女性は72歳。アルコール中毒の死者4万人、自殺者5万5千人(2002年)。泣きたくなる数字です。→しっかりしろ、ろしあ。
ちびどもが目覚めて6時15分。このぐらいの時間だとまずまずです。本格的な夏の暑さの到来です。今日はとくに湿度が高い。気温は30度に達していないようですが、ただ机に向かって座っているだけでも暑く感じます。→でもさすがにまだ真夏ではありません。夕暮れになると、吹く風が涼しくなりました。
[40肩/50肩]
40肩/50肩の状態は、疲れに比例するようです。不意に動かしたときに、激痛に近い痛みに襲われることがあります。そういうことがなければ、肩が上がらないというだけですんでいます。[6月30日締切]
6月30日締切の原稿ですが、一応第0次稿は指定された枚数分書き上げました。疲れているときにも執筆しているので、リズムが乱れている部分が目立ちます。まだ提出まで時間があるので、そうした乱れを直すことに主眼をおいて、赤を入れていきます。
私個人の感覚では、疲れているときには、息が短くなっています。思考に関しても、元気なときの数分の1で息切れしてしまう(途切れてしまう)感じです。[装置・器具の歴史事典]
最近朝倉から次の本が出版されました。
橋本毅彦・ 梶雅範・ 廣野喜幸監訳
『科学大博物館 ―装置・器具の歴史事典―』
朝倉書店、2005年3月、 ISBN4-254-10186-4、A5判 852頁 定価27,300円(税込)
手元においておくと有用な事典ですが、値段がやはりちょっと、と思います。ほとんど忘れていましたが、この事典の「光量計」と「ビュレット」は私が翻訳しました。翻訳稿を出してから、ゲラが帰ってくるまでにずいぶん時間がかかったので、ゲラをもらったとき自分の翻訳だという感覚がまったくありませんでした。(翻訳したことそのものは思い出しました。)
内容的にも値段的にも図書館に入れてもらうのがふさわしい事典です。
→10項目ほど読んでみました。面白い。時間のあるときに少しずつ読んでみようと思います。
帯には、「古代の日時計から現代のGPS装置まで。科学技術とともに発展してきた装置や器具を、イギリス科学博物館とアメリカ・スミソニアン博物館の全面協力で歴史的に解説」とあります。 基本的な情報をまとめておきます。
項目数:327
執筆者:200人強
翻訳者:48名
一つの項目の平均文字数:2000字〜3000字(もとの英語で)
参考文献数:1項目に対して5点以内。
取り上げられているちょっと意外な装置・器具:大腸菌、アカパンカビ、ショウジョウバエ、マウス;うそ発見器、音叉、角度の測定、グルコースセンサー、クロススタッフ、幻灯機、ゴールトンの笛、蒸留、職業適性テスト、知能テスト、プランクトン記録装置、砲術用器具、万歩計、炉等々。
「はじめに」にあるとおり、「よく知られている装置の歴史については本書は十分に説明できなかった」。しかし、「そうでない装置については、今まで細切れであいまいに記されていた情報を、初めて一つに集めて解説することができた。」
つまり、よく知られている装置については専門家による整理を期待して読めばよく、そうではない装置についてはこの事典をまず繙き、さらに知りたい場合には項目のあとに挙げられている参考文献を入手し、読めばよい、ということになるかと思います。
もともと日本語で作られるこの種の事典の場合、もっとも不満なのは参考文献です。その点、この事典は、本文2000字〜3000字に対して、参考文献5点という、ちょうどよいファーザー・リーディングを挙げてくれています。あまり知られていない器具・装置に関しては、どこに基本的情報があるのかを探すのにもっとも苦労します。利用者のことを考えて、しっかりとした方針のもとに編集されていると言えます。
原著は次のものです。
The Science Museum, London and The National Museum of American History, Smithonian Institution in association with Garland Publishing, Inc.
Instruments of Science: An Historical Encyclopedia
New York and London: Taylor & Francis, 1998
ちいさいちびがおきて5時半。ちいさいちびは、ちいさいちびとしては小さな声でうたっています。疲れがたまっているので、私としてはもう少し寝ていたかったところです。[コンフェデレーションカップ]
そういえば、日本時間の3時半から、コンフェデレーションカップ予選リーグの最終戦、日本対ブラジルをやっていました。報道によれば、2対2の引き分け。→つまり、予選敗退。→ブラジルは、引き分ければ予選通過という事情は考慮すべきとはいえ、まずまずの試合内容だったようです。日本の選手の各々は、通用する部分と今一歩鍛える部分がわかったのではないでしょうか。それが、こういう国際大会の最大の意義だと思われます。
見たかったかといえば、もちろん見たかったのですが、今の体調で見てしまっていると、ダウンしてしまいそうなので、今回は結果だけで満足としておきます。3コマの授業を行って帰ってくると、新しい『生物学史研究』が届いていました。この雑誌は年に2回刊行です。年に1回刊行のものほどではありませんが、忘れた頃にやってきます。今号(第74号、2005年4月)は140頁ありますから、1冊の厚みはあります。
ひとりで4時30分。昨日に続き早すぎます。夜半から雨。
見られるとは思っていませんでしたが、ワールドユースの決勝トーナメント、日本対モロッコの後半に間に合いました。オーストラリア戦よりはずっとましな試合をしていました。しかし、後半ロスタイム、相手の9番にゴールを決められて、0対1で日本は敗退。予選リーグで1戦も勝っていませんから、勝ちきる力がなかったのでしょう。ユースの世代は、一度平山頼りを止めるべきだと思いました。今日は会議の日。午後1時〜午後2時10分。&午後2時半〜午後4時。
大学につくと、この前行った健康診断の結果が届いていました。体感と同じく、とくに問題はありませんでした。ただし、はっきりとした自覚症状がありますが、視力について「顕著な異常がありますので、医療機関における精査、治療が必要です。」と書かれてしまいました。眼鏡をかけた状態で、右0.8、左0.6です。疲れたときには、ずっと数字が悪くなっていると思います。眼鏡屋さんに行かないとと思いつつ、半年が経ってしまいました。科研費について、正式の通知も来ていました。日付は、6月17日付け。今書いている原稿が出来上がったら、科研費の方、もうすこし動かそうと思っています。
科研費の成果報告書をおくっていただきました。
寺田元一『18世紀フランスにおける創発論的自然観の研究―ボイル、ハラー、モンペリエ学派を中心に―』
寺田さん、ありがとうございます。一度しっかり勉強しようとおもっていた領域です。仕事が一段落したら、しっかり読ませていただきます。[千のキミア]
大学の研究室で久しぶりに、「千のキミア」プロジェクトをいくらか進めました。4分の3に達してから長らく止まっていましたが、これから少しずつ、動かします。
ひとりで4時20分。寝相の悪いおおきいちびに蹴飛ばされたせいです。早すぎます。6月のメイン・イベント、2件の学会発表は無事終了しましたが、今月中に原稿を一本、来月中にもう一本仕上げなければなりません。6月30日締切の原稿については昨日の朝から作業にかかっています。これが完成してはじめてひといきつけることになるでしょう。
そういえば、今日は夏至でした。最高気温は28度ぐらいまで上がったようですが、日陰にはいると気持ちよく吹く風のおかげで、それほど暑いとは感じませんでした。
この家に引っ越してきて毎年そうですが、固定資産税の季節です。どうもほんとうに悔しいのですが、あきらめて第一期分を支払いました。
40肩、あるいは50肩による肩の痛みはちょっと悪化しています。ノートパソコンを背負って神戸に行って来たせいです。結局もっていったノートパソコンを使ったのは、着いた日の夜と翌朝だけでした。体力に余裕がなく、その他の時間に開ける気になりませんでした。
ひとりで5時半。東京の夜は、神戸よりはずっと涼しかった。
なお、深夜に中継されたコンフェデレーションカップ、日本対ギリシャ戦は見たいのはやまやまでしたが、月曜日(本日)に3コマの授業があることを考えて、見ませんでした。朝一番で確認したところ、大黒が1点を決めて、1対0で日本の勝ち。よかった。相互貸借で申し込んだ次の本が届いているという連絡があったので、朝一番で図書館に向かい受け取りました。
Jean Le Clerc
Bibliotheque universelle et historique
Geneve : Slatkine Reprints, 1968
Reimpression de l'edition d'Amsterdam, 1686-1693. 26 vol.
17世紀のもののリプリントですが、書誌情報からは本の様子が分かりませんでした。実物が届いてやっとわかりました。
まずリプリントはもとの4頁分を1頁に収めています。そして、私の借りたリプリントの第4巻は、もとの13巻から17巻の4巻を一冊に収めています。
もとの本(雑誌)は、いろんな書物の抄録(紹介・書評付)と言った感じのものです。この感じは最近の出版物にはあまりないので、一度実物を見ないとつかめないものかも知れません。なお、ジャン・ルクレールは、ジョン・ロックの友人です。そっちの方がよく知られているかもしれません。朝方はまだ疲れを感じていなかったのですが、午後遅くなって来るに連れて疲れがでてきました。
ホテルで6時40分。昨夜飲んでいたせいで、いつもよりわずかに遅くなりました。[学会2日目]
電車の接続が土曜日よりも悪く、昨日より10分ほど時間がかかりましたが、会場の鍵を開ける方といっしょのバスで神戸大へ。地元では、神戸大を、「しんだい」と呼んでいました。わからない・・・。
私の発表は、午前の2つ目。最初の質問者の方が科学史をほとんで知らない方で、ボイルは化学者ですか?と聞かれて、面食らいました。会場の他の方も面食らったようで、2番目の質問者の方は、私をサポートしてくれるコメントをしてくれました。帰りの新幹線は、新神戸1時55分の切符をとっていました。知らない場所では時間感覚がないので、午前中の最後の方の発表を終わると同時に会場を出ました。バスが、12時42分神戸大前。電車が、12時55分、六甲発。三宮で地下鉄に乗り換えましたが、1時15分発。新神戸は、三宮の次の駅なので、30分前に新幹線の乗り場に着きました。ホームでお弁当を買って食べ終えた頃、のぞみの先頭の不思議な流線型の顔が見えました。席にすわると眠くなって、名古屋ぐらいまで寝ていました。
目覚めてからは、窓の外の景色を見ていました。午後5時40分、無事帰宅。神戸は暑いと思いましたが、帰ってみると東京もなかなかに暑かった。
部屋のなかには甘酸っぱい香り。杏の香りと同じですが、田舎のおじいちゃん・おばあちゃんがおくってくれた梅の香りでした。杏と梅は仲間です。梅もよく熟すと杏と同じよい香りを発します。おくってもらった梅でちびどもが梅ジュースを作ったということでした。
ホテルで6時。神戸の方が東京より気温が高い。布団をまったくかけずに寝ていました。曇りですが、どんよりとした曇りではなく、晴れ間が混じっています。
東京は夏前、関西はもう夏、といったところでしょうか。最高気温も30度という予想。神戸大学での化学史学会は、初日は10時開始。私の発表のある2日目は9時半開始。化学史学会は会長も事務局長も名古屋にお住まいです。名古屋からだと、朝少し早めに出れば、当日で間に合う時間帯です。
なお、私の発表は、日曜日午前10時〜10時半です。科学史学会の一人あたりの持ち時間は20分、化学史学会は30分。私の用意した読み上げ原稿の量はほぼ同じです。実際に読める率にいくらが差が出ます。[学会初日]
初日は9時半開場です。交通機関の所要時間の感覚がわからないので、念のためにと思い、8時半にホテルを出ました。ホテルからはほぼちょうど30分で神戸大の会場につきました。四阿にあるテーブルで自分の発表について予習をしていると、E理事が会場を探されているのが目にとまり、いっしょに会場となっている建物まで向かいました。予想に反して、もうすでにかなりの人が見えていました。
朝一番から、最後の特別講演まですべてしっかり聞きました。午前中は、後半の2件の発表に関して、手を挙げて質問もしました。
特別講演のあと、神戸大のキャンパスのなかを10分以上歩いて、懇親会の会場へ。神戸の町もパサージュが不思議な仕方で張り巡らされていて、幾分か迷路的でしたが、神戸大はもっと迷路的でした。神戸大の学生さんが案内してくれていなければ、辿り着けたかどうかわかりません。
懇親会の会場は、山の中腹から神戸の町が見渡せる絶好の場所でした。かすみがかかっていなければ、関西空港も淡路島も見えるということでした。
懇親会は8時まで。最初に会場をでた5名ほどで2次会。三宮。10時過ぎまで。
若い人々はその後、3次会に向かいましたが、年長組はそれぞれのホテルに戻りました。お風呂に入ったあとは、ホテルのテレビで、ワールドユースの日本対オーストラリア戦を見ていました。全員居残りを命じたくなるほど、スピードのない試合をしていました。引き分けでも、もう一組の結果次第では決勝トーナメントに進めるということでしたが、あんなゲーム内容で世界と戦って欲しくはありません。解説者の方もかなりいらいらしていましたが、私のかなりいらいらしました。
ということで、前半だけ見て、就寝しました。→翌日のスポーツ新聞で、1対1で引き分けたが、決勝トーナメント進出とあります。あんなスローモーションを見ているようなプレーは2度してほしくありません。
コンフェデレーションカップ、日本対メキシコ戦は、前半だけ見ました。前半終了時点で1対1。メキシコはよいチームです。日本は、たぶん多くの人が感じていることでしょうが、サイドの守備が、たとえばサントスのところで弱くなっています。こういうふうに守備に弱いところがあるとメキシコレベルのチームに勝ちきるのは難しいでしょう。→後半は、テレビで結果を見ました。結局、2対1でメキシコの勝ち。7時。ちびどもは、6時ぐらいにめざめていました。雨は上がっています。
今日の午後から神戸。準備はこれからです。
たいした準備があるわけでもないので、すぐに荷造りは終わりました。今回は、2泊なのでノートパソコンを持っていきます。空いた時間にすこし仕事をすすめるつもりです。 北海道に行ったときのように、さすがにいつものショルダーバッグでは無理があるので、リュックにしました。いくらか重いですが、負担になるほどではありません。
新幹線は久しぶりといいたいところですが、一昨年科学史学会が神戸であったので、2年ぶりです。30分以上前にホームについて待っていました。たぶん、空調の音でしょうが、背景ノイズの大きさに驚きました。新幹線は飛行機よりは前後の幅がゆったりしていますが、座席そのものは私には小さく感じました。背の高い人々にはやはり小さいのではないでしょうか。
昨夜コンフェデレーヨンカップを見た影響で、車中では半分寝ていました。しっかり目が覚めたのは京都を過ぎてから。本を読むつもりでしたが、その気にならず、神戸のガイドブックだけ読みました。
新神戸で新幹線を降りた後、JR線の接続がないのが不思議ですが、市営地下鉄で三宮に。北海道とは別の意味で神戸の町も最初すこし分かりづらい。予約しているホテルはネットで見ると大きく見えたので、遠くからでもぱっとわかる建物とエントランスを予想していました。しかし、実際は、1階部分は、ブティック。受付は横の階段を上がった2階にありました。15分ほどあっちこっちうろうろと捜していました。
5時半。梅雨寒。昨夜あたりから気温が下がりました。→朝方雨が上がっていましたが、私が出かける頃から雨がまた降り始めました。梅雨時の気候です。気付けばもう明日、化学史学会年会(研究発表会)に出席するため、神戸に出発です。早い! つい10日ほど前に北海道で発表したばかりなのに。
今日中に月曜日の授業の準備もすませておく必要があります。3コマの授業を終えて帰宅すると、妻がダウンしていました。ちびどもはしばらく上と下をうろうろしていましたが、すぐに寝たようです。
6時。ちびどもはすぐにおきてきました。水曜日は会議の日。雨がよく降っています。→1時15分〜2時半で講座会議。
会議の前に研究室で仕事をしていて、今日はこれで終わりと思って、部屋を見回すと、ふと本棚にある「ヘルメス叢書−錬金術・占星術・魔術」(前7冊、白水社)が目にとまりました。
ジャン・デスパニエの『自然哲学再興 ヘルメス哲学の秘法』を手にとり、一部読んでみました。なんとデスパニエは1600年にボルドーの最高法院長に任命されています。
ついで、『賢者の石について』(ラムスプリンク)/『生ける潮の水先案内人』(マテュラン・エイカン・デュ・マルティノー)の巻を手に取りました。これもざっと読みました。
さらに、フラメルの『象形寓意図の書/賢者の術概要・望みの望み』を手に取り、読み始めたところで会議の時間がやってきました。伝説としては、フラメルが何と言っても面白い。伝説学のトポス(教会の柱のなかからの秘書の発見。財宝伝説。不在説。存命説。等々)が揃い踏みしている感じです。
なお、他の巻は次の通りです。
アルフレッド・モーリー『魔術と占星術』
マルクス・マニリウス『占星術または天の聖なる学』
『沈黙の書/ヘルメス学の勝利』
マルク=アントニオ=クラッセラーム『闇よりおのずからほとばしる光』
6時。[自立にむけての一歩]
昨夜、将来のちびどもの寝室でひとりテレビを見ていると、ちいさいちびがやってきていろいろ言います。試しに、こんばんはこの部屋でおねえちゃんといっしょに寝るかときくと、寝るといいます。あとからやってきたおねえちゃんに聞いても、寝るというので、急いでその部屋に布団を用意してやりました。
ちびどもには、遠足や旅行の気分だったのでしょうか。寝入りばなは、やはり、お母さんと呼んでいましたが、けっこうあっさり寝付きました。数時間後ちいさいちびが目覚めて、お母さん、ミルクと呼びましたが、ともあれ朝までその部屋で寝ました。ちいさいちびの睡眠は、ひところよりはずっと安定しています。しかしまだ寝付いてから2〜3時間後にかなりの確率で目覚めます。どうも、幼稚園生活のストレスが夢に現れるようで、寝言とはとても言えないほどはっきりとした言葉で、やだ、とか、だめ、とか言っています。
ともあれ、自立への一歩です。[田舎ねた1]
今週号のアエラ(2005年6月20日)に「落ち葉は秋風を恨まない」というサブタイトル付で「海峡を超えた男の静かな死」という記事が出ています。巨人、南海、広島でピッチャーをやっていた福士明夫氏が、私の出身した田舎町で亡くなったという記事です。新聞紙上では2度ほど訃報に接しています。田舎町の麻雀店で卓に伏して亡くなっているのが4月13日に発見されたという記事です。
日本のプロ野球を去ってから彼は「張明夫(チョンミョンブ)」の名前で韓国プロ野球 を席巻します。1983年には、100試合中60試合に登板30勝16敗6セーブの驚異的な成績を残します。このあたりのことは、関川夏央氏の名著『海峡を超えたホームラン』で読んで感動したことを覚えています。
彼は子供時代から日本各地を転々としていますが、中学時代に私の出身した田舎町で生活しています。ちょうど親父がその中学に勤めており、野球部の監督をしていた時期です。私は小学校に上がる前だったと思います。親父の運転するホンダのカブの後ろに乗せられて、野球部の練習を見学(?)したことが何度かあり、砂浜と接していたグランドの様子を覚えています。もちろん、中学生のお兄さんたちのことを個別に覚えているわけではないのですが、そのとき中学1年生の福士選手にもあっているかもしれません。
そのときはキャッチャーだったということですが、親父によれば、先輩を押しのけてでも、自分たちにやらせろという気持ちの強いところが印象に残っているとのことでした。
親父の思い出は、安月給だったのに、夏の練習のちょうどよい頃におばちゃんアイスキャンデーをが売りに来て、おごる羽目になったということです。たぶん、私もご相伴に預かったのでしょう。
そのころの私には、中学生のお兄さんは比べようもなく年上でしたが、今となっては高々7〜8歳年上にすぎません。
個人的にも、ああいうふうに気持ちの強い選手は好きでした。冥福をお祈りします。[田舎ねた2]
田舎の新聞に、みなべ町教委 フィールドミュージアム 和歌山大という記事があり、何かと思ったら、みなべ町教育委員会と和歌山大学が共同で、地域全体を野外博物館にするという「フィールドミュージアムみなべ」というプロジェクトを試みており、私が子どものころよく遊んでいた神社もそのひとつに登録されたという記事でした。夏休みはその神社の境内で野球をやっていました。中世に起源を有することは何となく知っていましたが、1240年以前にすでにあったということです。
子どもにとってはどんなに由緒のある神社でもただの遊び場で、今から思えばいろんな悪さをしていました。
ちいさいちびといっしょに6時前。昨夜は夏の暑さから、普通の梅雨時の気温まで下がりました。ちびどもは土曜日の振替休日。ちょうどよいのでいつもより少し早めに家をでて、図書館で少し作業をすることにしました。
まずは図書館から届いたという知らせがあった次の点のコピーを受け取りました。
Noel Malcom,
" Robert Boyle, Georges Pierre des Clozets, and the Asterism: A New Source",
Early Science and Medicine, Vol.9(2004), pp. 293-206.
Lawrence M. Principe,
"George Pierre des Clozets, Robert Boyle, the Alchemical Patriarch of Antioch, and the Reunion of Christendom: Further New Sources",
Early Science and Medicine, Vol.9(2004),pp. 307-320.
ともに、プリンシーペが発掘したジョルジョ・ピエールという錬金術師とボイルの交流に関するものです。プリンシーペの本以降に見つかった新しい資料を取り上げています。
それから2点、相互貸借の図書を依頼しました。
2限の講義の準備があるので、図書館の作業はそれで終わりとしました。定時に帰宅すると、ちびどもは元気に遊んでいました。妻は疲れた顔。
おおきいちびといっしょに7時過ぎ。疲れがたまってきているしるしです。梅雨のあいまの好天。暑くなりそうです。予報では、最高気温29度。私は、サッカーパンツにトレーニングシャツという夏の格好にしました。夕刻、日本のアマゾンより次の本が届きました。
Harold Love,
The Culture and Commerce of Texts: Scribal Publication in Seventeenth-Century England,
Amherst: University of Massachusetts Press, 1998, reprinted from the 1993 Oxford edition.
¥ 2,854。けっこうおとくです。
内容はタイトルからはすぐにはわからないかもしれません。中心ポイントは、17世紀英国における手書きのテキストの流通は、一種の出版システムだと理解されなければならない、ということです。"Scribal Publication" はそういう意味で使われています。
日本史で言えば、刊本、と、稿本(写本)の区別に対応するのでしょう。印刷された刊本だけではなく、稿本(写本)も流通したものは、出版とみなすべきだということです。(日本の出版史の専門家の方、コメントを頂ければ幸いです。もしかしたら、日本史ではこういう見方の方が当然なのかもしれません。)
ちいさいちびがおきて6時50分。つかれがでてきて、ゆっくりめ。今日はちびどもの幼稚園の参観日。
9時から1時まで、いつ行ってもよいという参観方式でしたが、10時過ぎに妻からSOSの電話が。ちいさいちびが大泣きしていて、おねえちゃんの方もあやしいとのこと。理由は不明ですが、ちいさいちびはぐすんぐすん泣いていました。あとから聞くと、大人がいっぱいきて緊張した、あるいは落ち着かなくなったようです。おねえちゃんの方は大丈夫でした。お母さんが妹につききりになって、すこし寂しかっただけのようです。
総体として、今年は泣いている子が多かった。子どもですから、つられるというのもあるようです。ちいさいちびはお手洗いの時間に、お母さんとゆっくり話してから落ち着きました。お弁当も、みんな食べ終わるなか、お隣の子といっしょにゆっくり食べていました。お隣の子が終わっても、まだゆっくり食べています。みんな他のことにかかっても気にせずひとりゆっくり食べていました。このあたりがおねえちゃんとの差。夕食前に全員揃って自転車で買い物にでかけようとしたら、自転車の後輪のタイヤのゴムが裂けていました。長くはもたないのははっきりしていましたが、この状態になったらタイヤを交換するしかなく、買い物に出かける方向に自転車屋さんがあるので、買い物の間に交換してもらうとちょうどよいかなと思ってでかけていると、自転車屋さんの100メートル手前で、ぱーんと見事にパンク=破裂してしまいました。
まあ、ちょうどよかった。そろそろ交換しないといけないと思っていたので、それほど悪くないタイミングでパンクしてくれたと言えます。アマゾンのマーケットプレイスで注文した次の書物が届きました。
Andrew G. van Melsen,
From Atomos to Atom: The History of the Concept Atom
New York: Dover Phoenix Editions,2004 (originally published in 1960)
ずっと昔から入手しようとして、入手できなかった書物です。2004年にリプリントされたことを知らなかったのですが、何かの論文を読んでいるときに出版情報が目にとまり早速発注したものです。私の最も知りたいところ、すなわち、中世から16世紀、17世紀初頭がしっかり記述されています。
→関連する部分の目次を詳細に紹介しておきましょう。
第1部「物理的原子説の出現以前の原子の概念」
第1章:ギリシャの哲学
第2章:中世とルネッサンス
第1節:一般的概要
第2節:アリストテレスの注釈家におけるミニマの説
第3節:スカリジェ
第4節:原子論
第5節:実践的化学の発展
第3章:17世紀
第1節:17世紀の特別な意義
第2節:ゼンネルト
第3節:バッソとファン・フールレ
第4節:ガッサンディ
第5節:デカルト
第6節:ロバート・ボイル
第7節:17世紀の力学
第8節:17世紀展望
第2部「物理諸科学における原子概念」
ちびどもが6時過ぎ。私は、6時20分。すこしだけゆっくりめ。[科研費採択率]
水曜日の教授会資料に、平成17年度科研費採択率上位機関一覧というのがありました。
1:一橋大学
2:生理学研究所
3:愛知県がんセンター
4:国立遺伝学研究所
5:国立情報学研究所
6:九州歯科大学
7:東京大学
8:東京外国語大学
9:基礎生物学研究所
10:北陸先端科学技術大学院大学
1位の一橋が、48.8%。8位の外大が、35.9%。リストは30位までを出しています。ご覧の通り、研究所、研究センターが上位に並びます。そのなかで、8位ということは、外大は割と健闘していると言えるでしょう。
ただし、採択件数で言えば、東大が圧倒的に多く、1188件。ついで京大で、932件。組織の大きさが違いますから、これは妥当なところでしょう。1週間ぶりに40肩/50肩のマッサージ。かさをもたずにでたのですが、帰りはかなりの雨。近くのコンビニでかさを買って帰りました。マッサージを受けると眠くなります。
ちいさいちびがおきて、5時50分。→朝方すこし雨がちらついた以外は、雨は降りませんでしたが、もうすぐ梅雨入りだという雰囲気です。昨夜急いで帰り着くと、また金魚が2匹増えていました。クロの出目金。とりあえず6匹で元気に泳いでいます。
1年後のこの日、ドイツワールドカップの開催。
[カードの公開]:ピーター・シュタール
2005年度化学史学会発表「ロバート・ボイルとその化学教師」に関係するカードを公開しておきます。
G.H. Turnbull, "Peter Stahl,the first Public Teacher of Chemistry at Oxford", Ann.Sci., 9(1953),265-270
2001年10月26日コピー&読了。ピーター・シュタールは西プロシアのシュトラスブルク生まれ。当時有名な化学者。
p.269. 正確にいつ英国に戻ったのか、1659年の具体的にいつボイルに呼ばれてオクスフォードに移ったのかわからないが、1659/60年1月26日までにオクスフォードに到着していたもよう。シャーロックからボイルへの手紙(RBW, VI,p.321, 1660) 「諸君の化学の向上のために、シュタール氏のコースの説明を行う機会をずっと待っていました」
1回目のコースは1660年中にはじまったようす。(ウッドの説明では)はじめの生徒は3人。そのうちのひとりがジョセフ・ウイリアムソン。2回目のクラスは6人。次いで、アーサー・ティリャードの家に移り、そこで1662年末まで教え続ける。そのとき教わったのは、ウォリス、レン、ミリントン、グルー、ブランカー、バサースト、ヤーベリー、トマス・ジェイムズ、ロウアー、グリフィスがいた。それから、John Bowell のところに1663年はじめに移る。ここでは、ウッド自身が1663年4月23日から化学授業を受けている。学生は10人以上。そのなかにジョン・ロックがいた。
→カードは以上の通りです。フランスで開業医をしていたシュタールをハートリッブに推薦・紹介したのは、モリアンです。ボイルは1656年からオクスフォードに移住していましたが、クロッセ氏宅を借りていました。ピーター・シュタールは、ボイルの財政支援があって、このクロッセ宅に住むことになります。
だいたい、ボイルがロンドンに移住するのと同じ頃に、シュタールもロンドンに移り、ウッドによれば、王立協会の実験技師(operator) を勤めています。
Peter Stahl (d.1675) に関する2次資料は、上のタンブルのものの他に、次のものがあります。
Charles Webster, The Great Instauration: Science, Medicine and Reform 1626-1660, (London, 1975), pp.78,165ff,302,305,387
R. G. Frank, Harvey and the Oxford Physiologists (Berkeley and Los Angeles, 1980)
Kenneth Dewhurst, 'Locke's Contribution to Boyle's Researches on Air and on Human Blood', NRRS, 17 (1962), 198-206
G.Meynell, 'Locke, Boyle and Peter Stahl', NRRS, 49 (1995), 185-92
1次資料としては、ボイル書簡集で十数回言及されています。ハートリッブ・ペーパーズではかなりの回数(数十回)言及されています。
ひとりで5時半。今日のメイン・イベントは、もちろん、ワールドカップ予選、日本対北朝鮮戦。しかし、もともとある講演会に加えて、今朝メールで教授会のあと会議を開催しますという通知が来ました。嗚呼!ああ!アア! どうしましょう。
[レスポンスシート]
昨日の1限の講義のレスポンスシートを少しずつ読み進めています。おそらく200枚近いので、一気というわけにはまいりません。
ちょうど小室哲哉が大流行していた時期に思春期をおくった世代です。コメントは、いろんな意味で興味深い。
ごく些細な点をすこしだけ紹介しましょう。
1.一時と比べて、ピアノを習う率が下がってきたようです。10年ほど前には、ゼミの学生の9割がピアノを習っていて、驚いた記憶があります。
2.海外生活の体験者が目に見える層を形成するほど増えてきています。しかも、アメリカやヨーロッパではなく、世界各地に広がっています。
3.昭和の歌になじみがあるかどうかは、当たり前ですが、親があるいは祖父・祖母がそうした音楽を聴いていたかどうかによるようです。おばあちゃん子で、演歌をよく聞いていましたというコメントがいくつかありました。
4.中高で、吹奏楽部に入っていたという学生が相当割合います。
5.Jポップはクラスで友達と話を合わせるために聞き始めたという学生もけっこういました。もちろん、無理にあわせることをせず、音楽に関してはずっと話が合わなかったという学生もいました。
6.商品としての音楽、資本主義的消費財としての音楽に批判的な学生が少なからずいました。1時〜2時:入試委員会。2時半〜5時:学部教授会。5時25分〜6時半:?委員会。6時半〜7時45分:総合文化研究所水曜文化講座=金子務氏による「小栗上野介(うえのこうずけのすけ)」。残念ながら、「小栗上野介」を最初から聞くことはできませんでしたが、とても面白い話でした。私は日本史のことはあまり詳しくないのですが、単純にとても面白かった。
日本人の多くはNHK史観に毒されていることがわかりました。おぐりは、勝海舟のライバル的な存在だった人物ですが、勝海舟を英雄的に扱うあまり、その影とされてしまったようです。講演会終了後、最速で帰ってまいりました。何とか、日本対北朝鮮戦の後半に間に合いました。後半に2点を入れて、日本の勝ち。これでドイツに行けます。よかった、よかった。
ひとりで5時半。今日は1限に授業(総合文化コース専修基礎科目「表象文化論」。私のタイトルは、「平成の音楽文化:歴史の表象のために」)。リレー講義なので、1回限りですが、8時前後に家をでる必要があります。→7時50分に家をでて、8時半前に大学につきました。多磨駅前のコンビニですこし飲み物を買ってから、AV卓の鍵を事務で借りて、研究室へ。CD を6枚かけます。うまく使えるかどうかわからなかったので、チャイムの鳴る前に教室に入り、機器の確認をしました。CDは5枚が一度に入る形式のプレーヤーでした。リモコンが見つからなかったのですこし戸惑いましたが、まあ、無事CDをかけることはできました。
レスポンスシートを見ると、面白いと思ってくれたようです。学生は、1985年生まれ、今年20歳のものがもっとも多かった。平成生まれが教室に現れるまではもう少しです。日常的には家で仕事をしている曜日なので、何点か科研費関係の書類を処理してから、帰宅。駅前のチャンポン屋でチャンポンを食べて帰りました。すんだと思っていた宿題ですが、まだ積み残しがありました。それをちびどもの帰宅までに処理しました。
ちびどもが寝静まってから、19日の化学史学会での発表に向けて、読み上げ原稿の準備をはじめました。一昨日の科学史学会での発表「ロバート・ボイルの読書」と同じく、すでにそのレジメは、「ロバート・ボイルとその化学教師」としてアップしていますが、読み上げ原稿の準備は2割ほどにとどまっていました。6月は他にも行事や仕事が入ってくるので、こういうふうに時間があいたらすぐに手をつけないと間に合わない恐れがあります。
ひとりで5時半。まだいくらか疲れが残っています。肩にも背中にも痛みがすこしあります。留守中に雑誌が2点届いていました。
『化学史研究』第32巻第2号(2005年6月)
『スピノザーナ』第6号(2005)
たまっていた宿題をこなしました。午前だけでは終わりませんでした。ひーふー。
5時半起床。部屋に用意されていたコーヒーを入れてから、今日の発表の準備。発表原稿を読み直し、内容を頭にインプットしました。発表時間は15分です。フルに話せば、45分程度になるものを用意したので、まあ、適当に話し忘れても問題なし。時間が余ったので、ただ一冊持参していた、金子務『オルデンバーグ』(中公叢書)を読みました。面白い。ちょっと違うとおもう点はあるのですが、ともかく読みやすく面白い。(詳しくはまたきちんと書きます。)
朝食が6時半からだったので、その時間に1階のカフェでしっかりと朝食をとり、8時半にはホテルをチェックアウトしました。予想通り、会場には9時前後に到着しました。 C会場の話を4件聞いた後、30分ほど時間があったので、近所のコンビニにでかけ、おにぎりを3つとお茶を買って、さきに腹ごしらえをしました。私の発表は、B会場の午前の第2セッション。B会場はどこだ?といいながら、人の流れで見当をつけて、会場へ。ともあれ、今回の学会はどこもかしこも場所がわかりづらかった。
私の発表:ロバート・ボイルの読書は、そのセッションの最後にあたっています。開始時刻は11時50分。司会者の方が終わったあと、面白い内容だと誉めてくれたり、質問の様子からまずまず好評だったと言ってよいようです。
→ボイルは、著作や論考の執筆だけではなく、読書日記や実験ノート、作業日誌をつけるのにも写字生を使っています。1650年以降自分の手で書いたものが実は例外です。ほとんどすべてを口述筆記をするという習慣は、私を含め、あまり想像できないことがらです。今回は、その部分、我々の圧倒的多数が経験のない、口述筆記の世界に想像力の翼を羽ばたかせようと努力しました。体感としてはもちろんわからない部分がどうしても残ります。
もちろん、体験がなくてもわかる部分もあります。それが文体への影響。同じ時代の、ホッブズ、ロック、ニュートンと比べると、散文のリズムという点でボイルは明らかに劣っています。すなわち散文の要諦である、文字を追っていったときの思考のリズムと速度がこなれていないので、かなり読みづらい文章になっています。(ボルドーに参加したボイル研究の第1人者諸子もこの点では同じことを言っていました。)慣れないと意味をとるのにも苦労します。私は、音が思い浮かぶようになって、読みとることはできるようになりました。要するに、最初から口述筆記だと思って読めば読めるのではないでしょうか。夜の8時、無事に帰ってきました。疲れました。
とっくに寝ているものだとばかり思っていたちびどもが起きていました。おおきちちびはお土産のコーン、ちいさいちびは鱈を早速あけて食べていました。
おおきいちびは、私は北極に行って来たのだと思っていたようです。ちいさいちびは、フランスだと思っていました。
おおきいちびといっしょに6時20分。昨夜はけっきょく起きることができませんでした。マッサージを受けた日は無理のようです。8時10分前に家をでました。9時過ぎには羽田空港に着きました。ひとりで行動すると、乗換案内通りの時間で移動できます。日常的に子連れで移動していると、どうしても15分から30分の余裕はとっておかなければなりません。なお、乗換案内をよく見ると、電車に乗っている時間は、中央線よりもモノレールの方がわずかに長いことがわかりました。こういうのは、どうしても距離でイメージしますから、実際にかかる時間とずれてきます。
フライトは予定通り、10時羽田発、11時半千歳着。そこからJRの電車に乗りましたが、新札幌までたった30分の距離で850円の金額に少し驚きましたが、30分ですからすぐに新札幌駅に到着しました。H氏がバスの時間がといって走り去るのに挨拶して、私はまず腹ごしらえ。駅ビルの下の豚カツ屋で昼食をとりました。とったホテルは駅のすぐそばだったので、腹ごしらえが済んだあとはチェックイン。着替えをおいて、ただちに会場に向かうことにしました。新札幌駅の配置がややこしい。相当にわかりづらい建物ですが、バス停を探して、バスへ。バスも見事にわかりづらいものでした。案内を読んだときには、決まった番号のバスレーンで待っていれば目的地に着けると思っていたのですが、どうもよく読むとそうとは限らないようです。(同じ番号のバスレーンから5〜6種類の別ルートをたどるバスがでる。)心配だったので、運転手さんに尋ねました。
学会の会場はふたつあります。北海道開拓記念館というのと札幌学院大学。私の発表会場は札幌学院大学だったので、まずは札幌学院大学に向かいました。バス停から案内のパンフレットをもって歩き始めましたが、どうも東京とは感覚が違います。大学だからすぐ建物が見えると思ったのに、見えません。間違った方向に行っても困るので、一度、バス停までもどり、近くの交番で道を尋ねました。現地を知っている方にはあの地図で十分でしょうが、知らない人間には相当にわかりづらい地図だということがはっきりしました。
ちょうど大きなタンポポが満開(?)でした。他の花もきれいに咲いていました。午後1番の発表には間に合いませんでしたが、2番の発表の途中に間に合いました。
2つの会場の間には、シャトルバスが運行されていました。(主催者側の配慮です。)午後の中心イベントは、開拓記念館の方なので、そのシャトルバスでそちらに移動し、面白そうなので、北海道開拓記念館収蔵庫見学会というツアーに参加しました。16万点だかの収蔵物があるのだそうで、じっくり見ることができれば相当に面白そうなものがいっぱいでした。その後、記念講演を聞き、総会に出席し、今度は懇親会が開かれる新札幌駅ビル内のアークシティホテルというところまでやはり主催者側が用意してくれたバスで移動しました。
明日のこともあるので、懇親会はほぼ半分くらいのところでおいとまし、部屋をとったホテルに戻りました。地下にスパ(要するに昔の大浴場です)があったので、そこでいつもよりゆっくりめにお風呂にはいったあと、部屋でのんびりし早めに就寝しました。
おおきいちびがおきて6時。おきいちびはすこし前におきてがさごそしていました。明日からの学会に備えて、朝一番で肩のマッサージ。マッサージを受けると、ほんとうに眠くなります。一泊ですが、旅行なのでその準備と、部屋のなかの片づけを行っていました。放っておくと、私の部屋では資料が堆積します。机の上が見えるまでは片づけてから出発しないと、帰ってきてから何が何だかわからなくなります。
私の6月は、バーレーン戦ではじまると記しましたが、バーレーンは中東。日本時間では試合開始が深夜です。これは、ああ、困った。明日は朝一番で家をでる必要がありますが、試合をみてしまうと、睡眠不足間違いなし。私は、睡眠不足と空腹に極端に弱い人間なので、どうしようかと迷います。
ひとりで5時半。今日は健康診断の日。起きて最初にしたのことは採尿。悲しいことに、健康診断では朝ご飯を食べてはいけません。空腹のまま、大学にでかけます。
ちびどもといっしょに出て、9時半武蔵境発の西武線に間に合いました。健康診断は男性の受付が、9時〜10時と、11時〜12時。最初の回に間に合いました。
身長:173.7センチ。体重:67キロ。
なんと身長は私の次に見えた水林先生とまったく同じでした。眼鏡をかけたままでの視力は、みぎ0.8、ひだり0.6で、最近見えなくなっているな、という実感を証明してくれました。図書館を通して依頼していた、次の文献複写物が届いていました。
小葉田淳「日本鉱業史上に及ぼせる西洋技術についての新発見」『日本歴史』第55巻(1952年12月),pp.2-7.
日本にもポトシで使われた水銀アマルガム法があった(利用されていた)という主張です。水銀の輸入量と、佐渡の古文書から推定しています。短いものなので、論証は仮のものですが、可能性としてはありうると思います。ただし、これだけの資料からは確定的なことはわからないとしか言いようがありません。帰宅すると、1.固定資産税・都市計画税納付通知書というのが来ていました。例年通りですが、ああ、きたという感じます。いつもなんか悔しい気持ちが去りませんが、あきらめて支払っています。
川島慶子さんより次の本が送られてきていました。川島さん、ありがとうございます。
川島慶子『エミリー・デュ・シャトレとマリー・ラヴワジエ:18世紀フランスのジェンダーと科学』東京大学出版会、2005
土日の北海道学会参加のために、気温を調べてみました。予報では、土曜日が11度〜20度、日曜日が9度〜18度です。最高気温の差はあまりきになりませんが、最低気温は東京都7・8度差があります。7・8度の差はすこし気をつけないといけないかなという数字です。
睡眠前に、昔本間博士にコピーをとってもらっていた次の論文を読みました。
Michael HUNTER and Edward B. DAVIS,
"The Making of Robert Boyle's Free Enquiry into the Vulgarly Receiv'd Notion of Nature (1686)"
Early Science and Medicine, 1(1996), pp. 204-271.
今回の私の発表に直接関係する内容でした。発表内容を書き換える必要はありませんでしたが、いろいろ有用な情報を含んでいました。発表前に目を通すことができてよかった。
ボイルの後期の主著のひとつ『一般に受容されている自然の観念の自由な探究』(1686)のメイキングに迫った好論文です。この『自然の観念』については、多くの草稿が残されており、その草稿と出版されたテキストを丁寧に照合することで、『自然の観念』の執筆の地層を掘り起こし、執筆の現場を相当程度まで具体的に再現することに成功しています。
細かい点ですが、何点か紹介しましょう。
1.ボイルの発音。
ボイルの写字生たちがボイルの口述を筆記するときに、ある割合で聞き間違いを犯しています。口述筆記には一定割合つきものです。その聞き間違いから、ボイルの発音の癖を聞き取ることができます。
たとえば、ロバート・ベイコンは、"Mansion" を "mention" と聞き間違えています。また別の写字生は、"subtile" を "settled" と聞いています。
また、トマース・モリノー医師がアイルランドの兄弟に送った手紙には、「ボイル氏は、とてもゆっくりと話す。まるで書いているかのように多くの条件句をつけながら話す。」と記しています。
2.紙をケチらない。
まだ紙が貴重だった時代です。この時代の普通の人は、隙間なく入手した紙を使おうとしています。ボイルは裕福だったので、紙をケチっていません。あとから書き込むために、たとえばノート状のものを使うときには、必ず片面を空白にしていました。
ひとりで6時。とおもったら、ちいさいちび、おおきいちびの順にすぐに起きてきました。雨上がりの快晴。もうすぐ、123456を通過。おお、もう6月になりました。私にとって今年一番忙しい月のはじまりです。そして、それは3日のバーレーン戦からはじまります。
日曜日の学会発表の準備。それは、帰ってきてからの授業の準備を含みます。音楽CD をけっこう数多く使うので、まずそれを部屋の中から救出=探し出しておかなければなりません。前日に CD 探しは精神衛生上よくないので、北海道にでかける前にすませておかなければなりません。
まずは、江利チエミの「テネシー・ワルツ」をこの作業しているパソコンでかけながらキーボードに向かっています。[雑誌4冊]
ひととおり、準備を終えたあと、駅前の本屋さんで次の4冊を買ってきました。
『月刊現代7月号』
『ニューズウィーク日本版:中国vs日本』
『たのしい中央線』太田出版
『パソコンガイド 2005年7月号』
『月刊現代』は柳田邦男氏による「「JR尼崎事故」徹底検証」を読もうと思って買いました。ほぼ期待していた通りの内容です。
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