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吉本秀之の日記の部屋


  • 2006.2.28  
      ひとり遅れて9時。ちょうどちびどもが幼稚園に出かける前でした。

     今日は、風邪にて本格的にダウン。起きている時間もありますが、寝ている時間が大半、という一日。
     おお、ブログを見ると、風邪ひき仲間がいます。
      亀山郁夫氏
      内田樹氏
     日本の大学に勤めていると、1月2月3月は、たとえば十数年前と比べて仕事量が数倍になっている気がします。
     (なお、現所長は、風邪に腰痛。前所長は、無呼吸??という症状とのこと。なお、亀山氏は、元所長です。)
     4時に大学で予定していた打ち合わせも延期してもらいました。

     こうして2月が終わりました。カレンダーを見ると、同じように3月が過ぎていきそうです。

  • 2006.2.27  
     7時過ぎに起きて、朝食だけ食べて、再度就寝。10時に目覚めました。

     風邪は風邪ですが、約束があったので、11時に家をでて、11時40分過ぎに大学につきました。提出した書類が4点。受け取った書類が2点。ある程度覚悟はしていたのですが、この時期の忙しさは体調を壊している身にはけっこうしんどい。

     夕刻、アマゾンよりサイードの文庫本2点が届きました。
     エドワード・W. サイード『知識人とは何か』大橋洋一訳、平凡社、1998
     エドワード・W. サイード『ペンと剣』デーヴィッド・バーサミン(インタヴュアー)、中野真紀子訳、ちくま学芸文庫、2005 

     風邪とは言え、1日中寝てばかりもいられないので、ちびどもが寝付いたあと、もうひとつ2月28日締切の書類を仕上げました。昨日の資料に関係しますが、大学ホームページの研究者総覧の更新です。こちらは事務が用意してくれたホームページのプリントアウトに赤を入れればよいので、実は、簡単。10分程度でできます。

  • 2006.2.26  
      ちびどもはおそらく6時前後。私はひとり遅れて、7時半。花粉症か、風邪かと思っていたのは、風邪でした。咳をすると喉が痛い。腰も痛いので、ちょうどそういう症状の出てくる時期でしょう。
     外は冷たい雨。今日はゆっくり休むことにします。
     朝の9時過ぎに眠くなって、布団に入って、目覚めたらちょうど正午。完全に風邪であることがわかりました。午後も寝たり起きたりの一日になります。
     昼食後、12時半すぐに布団に入ったら、3時に目覚めました。風邪ですが、たまっていた疲労もでてきました。

     夜、2月28日締切の「2005年度教員活動調査」というものを仕上げました。こいつがひじょうにやっかい。普段使っていないエクセル・ファイルで来ていますし、マクロで入力フォームがついているのはよいのですが、そのマクロはそもそもマッキントッシュでは使えない。しかもウィンドーズ・マシーンでさえも、エクセルのセキュリティ・レベルの設定変更をしないと使えない。去年は、もともと送られてきたファイルにエラーがあり(しかも数度)、かなり頭に来ていました。
     とはいえ、データが必要な理由もわかるので、病身にむちうって、ウインドーズ・マシーンでマクロを使って作成しました。(マックでマクロなしでやるのが、理由がよくわかりませんがしゃくだったということもあります。)
     丁寧に論じる余裕はないのですが、人間を病弊させる官僚主義がはびこっているな、と思います。   

  • 2006.2.25  
     ちいさいちびといっしょに6時。6時なら、ちょうどよい。

     7時過ぎに家をでました。大学到着は、8時10分前。8時集合ですから、ちょうどです。ずっと本部詰めかと思ったら、バックアップ要員として監督業務。
     ちょうど午後3時に、業務の終了宣言。隣の部屋では拍手がありました。

     受験生はもうみんな帰っているかと思っていたら、多磨駅で、最後の波にぶつかりました。プラットフォームへの入場制限で、一本電車を見送りました。多磨駅で、入場制限ははじめてです。おそらく、1年に1度の事態でしょう。

     風邪の初期症状か、花粉症の初期症状か、判然としませんが、喉がいがらっぽく、咳がでます。リスニングのときに咳をしないのが最大の仕事です。

     ちびどもが寝付いてから、点検評価関係の書類を一部作成し、メールで提出しました。個人で作成すべきものは、2点あり、一方の締切が2月末、もう片方の締切が3月10日。圧倒的に短い方、締切が3月10日の方を先に処理しました。2月28日締切のものは、けっこう量があるので、明日か明後日か明々後日かに処理します。
     その後、3月のカレンダーに未記入の予定を書き入れました。3月は真っ赤です。普段仕事のない、土曜日、日曜日に出勤する必要がある日が多くあります。授業は終わっていますが、授業をやっているときよりも忙しい。  

  • 2006.2.24  
     ちびどもはたぶん6時頃。私はひとり遅れて8時。昨夜、下のロンドン探訪を記していて、遅くなったせいです。

     午前中に採点。「表象文化とグローバリゼーション」の3年生分を終了しました。まだ転記作業が残っていますが、採点そのものはこれで終了なので、ほっとします。

     明日は、大学の入試。本部詰めなので、ずっと本部にいます。たぶん、午前8時から午後3時過ぎまで。

  •  

    ロンドン探訪

      2月15日水曜日:出発
     9時東京発の成田エクスプレスを予約してあったので、朝の8時前に家をでました。中央線のラッシュアワーに当たりました。旅行の荷物をもってラッシュアワーの電車に乗るのはすこし大変でした。
     旅行会社の方には、10時集合と言われていました。ほぼちょうど10時に着きました。手続きはすぐに済みました。
     時間が余ったので、まずは外貨に換金。5万円を出して、230ポンドとおつりがきました。1ポンド=216.73円の換算。高いな!
     次は、レンタルの国際携帯電話。090ではじまるヴォーダフォンでした。
     それから、変換プラグを買うと他にすることもなかったので、搭乗口に行って待っていました。機内の昼食がおそらく2時ぐらいだろうという予想により、朝飯は食べていたのですが、軽食のソバを食べておきました。
     フライトは順調でした。
     座席ですが、エコノミークラスの席が満席ということで、ビジネスクラスの席に割り当てられました。席が広くて確かに楽。席が水平にもなるので、とくに、睡眠時に楽です。 1994年の3月に在外研究できたとき以来のビジネスクラスです。もう一生ビジネスクラスには座ることがないかと思っていましたが、思わぬ事情でビジネスクラスになりました。(こういうことは、ままあるようです。)
     到着すると、なんと、ヒースロー空港で旅行会社の方がボードを持って出迎えに来てくれていました。(完全にツアーに組み込まれていたせいです)そして、若いアンちゃんが車でホテルまで送ってくれました。初めて会う同乗者がいるものだと思っていたら、なんと私一人。ナイトブリッジまでは順調で、30分ほど。しかし、ロンドン市内が混んでいて、そこからホテルまでやはり30分ほど。ほとんどといってよいほど話をしませんでしたが、混雑にであってから、「お前は英語が話せるのか?」というのと「すごい、混雑だ!」というふたことだけ話しました。
     到着時は、気温が11度で、晴れ。イギリスの冬の景色でした。

    [映画:敵の不在]
     飛行機の中で、いくらか話題になっている「大和」を見ました。
     もっと違うものかと思っていたのですが、普通の映画でした。
     一番気になったのは、敵の不在です。戦争相手のアメリカは、顔のある存在としては 一度も姿を現しませんでした。アメリカ人の姿が一度も映されないのみならず、そもそも日本人以外の人物がゼロでした。いまどき、こういうのでよいのでしょうか?
     この点がもっとも気になったことです。

     ホテルについて、おなかが空いていたので、ホテルのレストランで夕食。日本で言えば、カレー、こちらのことばではチキン・チカ・マサーラを頼んで10ポンド。10ポンドというのは妥当な値段だと思います。日本円に直すと2300円から2400円相当。高い。倍という感じがします。1994年にロンドンに住んでいたときには、ロンドンの物価が日本の半分に感じられました。今回は逆です。
     かなり眠くなっていたので、夕食後外出を一切せずに、風呂に入って就寝。何とか7時半ぐらいまではおきていましたが、眠さに負けてそれで就寝。午後11時に一度目が覚めました。日本で借りてきた携帯電話で家に無事ついたの電話。日本は朝の8時。ちびどもが幼稚園に出かけるちょうど前でした。3人ともよく寝たということで、まずは安心。

     飛行機のなかでは、もちろん、今回の作業のために持ってきた資料も読んでいたのですが、そのほなにかばんに放り込んだ新しい中央公論も読んでいました。教育論(長谷川一恵「正統的な学習の復活を」)とほりえもん論(山本一郎「市場には、より巨大な地雷が埋まっている」&松原隆一郎「純粋な資本主義にとって「偽計」と「偽装」は想定内と思え」)が勉強になりました。
     

    2月16日(木曜日):ロンドン初日
     よなか何度か目を覚ましましたが、最終的には5時45分に起床しました。5時45分なら、ましです。日本でも普段5時から6時代に起床しています。去年の3月フランスに行ったときには、時差になれるために苦労しました。今回は、それよりずっとまし。
     朝食は7時から。
     7時10分に食堂(つまり、昨日夕食を食べたレストラン)に降りました。コンチネンタル・ブレイクファーストが付属していますが、イングリッシュブレイクファーストにしました。朝はしっかり食べておいた方がよいだろうという判断です。値段は4ポンド。日本円で千円程度。日本でもホテルの食事は高いのでこれは大きな差はないと言えるでしょう。
     朝食後、近所を歩いてみました。
     昨日、車で送ってもらったので、近所の地理が把握できていません。近所の地理を把握し、水を買うために、30分ほどホテルのまわりを歩いてみました。ロンドン大学のすぐ近く、大英博物館のすぐ近くでした。イギリスにはじめてきたとき、下りた駅がラッセル・スクエア。その駅のすぐ側でした。
     一度わかってしまうと、昔の記憶がよみがえります。
    お昼にバークベックカレッジのマイケル・ハンター教授を訪ねますがそのバークベックも思い出しました。

     今回の主眼であるウェルカム・ライブラリーは朝9時半開館ということで、ホテルから歩いて約15分、9時35分ぐらいに着きました。建物の受付で聞くと、まず、荷物(カバン)とコートをクロークに預けてから、2階にある図書館に行けとのこと。日本であらかじめ利用申請書には記入してありました。それを渡し、パスポートを見せるとすぐに利用票(スイカと同じ大きさの READER と記したカード)を発行してくれました。写真もパソコンに接続したデジカメからとり、すぐにパソコンの画面上でカードに張り付けてくれました。それをカード面にプリントアウトしてOK.
     利用方法がよくわからないので、まずはイスに腰掛けて、もらったパンフレットを読んでいました。それから、直接聞くのが早いだろうと、係の方に質問すると、貴重書(ポンイター・ルーム)のリクエスト方法を教えてくれました。10台近く設置してあるパソコンの端末から、カタログにアクセスし、必要な本を検索で出して、自分のリーダー・ナンバーと PIN を入力するというものでした。
       ウェルカムで見ようと思って作成してきたリストの紙を見せると、すぐに実演してくれました。PIN は私が入力しましたが、ゲルハルト父の著作を2冊ささっとリクエストしてくれました。他に必要なものがあれば、同じようにすれば OK ということ。
     そのあとどうすればよいのか実はよくはわからなかったのですが、11時頃まで待てというのはわかりました。さて、待ってどうするのか? その係のお兄さんがあとでポンター・ルームに連れていってやろうと言ってくれたので、持参したノート・パソコンで作業の確認をしていましたが、11時を過ぎても音沙汰なし。係のお兄さんもどっかに行ってしまいました。ということで、別の係の方に質問をすると、カードナンバーをコンピュータに入力して、何かを調べてくれています。もう少し待てということで、待っていましたが、やはり様子がわかりません。11時半頃再度質問をすると、ポインター・ルームまで連れていってくれました。(といって、普通のリーディング・ルームの隣なので、1分もかかりません。)カードスライドによる入室方法を実演してくれました。あとは、なかの係の人に聞けとのこと。
     カードを見せて、係の方に聞くと、リクエストした本が係の方の後ろの棚にストックされていました。コンピュータからのリクエストを受けると、誰かが貴重書の部屋からその場所に運んでくれるというシステムのようです。平均して約90分待てとコンピュータの画面にはありました。
     で、早速借りた本を開いて実見。
     ハンターさんとの約束があったので、ちょっと見ただけで、ウェルカム・ライブラリーはでました。約束の時間は12時45分。昔よく行ったバークベックカレッジですが、建物の中の様子は忘れていました。これも建物の受付の人に聞いて、マイケル・ハンター教授の部屋の前に。10分ほど前に着いてしまったので、ただ待っていたのですが、今ハンターさんと共同研究をしているブルガリア人の方も見えました。そこで挨拶をして、二人してハンターさんの部屋に入りました。
     いろんな話をしてから、コモン・ルーム(食堂)へ。3人ともパスタを頼みましたが、私はミート・ソースの方を食べ切れませんでした。ブルガリアの方は、日本のことにも深い関心があるようで、日本にも行ってみたいという話でした。それから学振の話になりました。1999年に名古屋の大野さんが学振でハンターさんを日本に招聘しています。(私も東京ミーティングと伊豆旅行をアレンジしました。)
     食事のあと、ハンターさんの部屋にもどりました。ハンターさんは、その日の7時からのセミナーに誘ってくれたのですが、今回は時間がありません。
     ハンターさんの部屋をおいとましたその足で、ウェルカム・ライブラーへ戻りました。ポインター・ルームの係の方にカードを見せると、もう1冊の本も届いていました。
     午前中もそうではないかと思っていたのですが、どうも八耳さんらしき人がいます。午後は余裕があるので、顔を覗き込むと、おや、まあ、八耳さんでした。
     意外でした。
     その場ではあとで夕ご飯をいっしょにしましょう、とだけ話して、あとは各自の作業。
     私は、割と細かく休憩をとるタイプです。気分転換のためにも、割とよくお手洗いに立ちます。なんと八耳さんは、へたすると半日まったく動かず同じ机に向かっています。閉館は7時でしたが、私は、閉まる10分ぐらい前にポインター・ルームの外にでて、あたりの様子を見ていました。八耳さんはぎりぎりの時間に出て見えました。
     そこからは連れだって建物の外へ。ソーホーの中華街で中華を食べようということになって、地下鉄へ。最寄りの駅はレスター・スクエアですが、記憶が曖昧で、地図によってひとつ前の駅で降りて、中華街を探しましたが、どうも最初の目処が違ったようです。私の目ではまちなかのよる地図を読むことはもうできません。八耳さんによく見てもらって、レスタースクエアに向かいました。レスタースクエアの近くに来ると記憶が甦りました。1994年にはよく来ていました。
     中華街には、旧正月のお祝いのあとの提灯が空に張り巡らされていました。八耳さんにあてがあるということで、日本の中華料理店よりも中国の中華料理店に雰囲気の近いお店に入りました。
     八耳さんは、そこの食料品店で、カップラーメンをはじめとする、インスタント和食をいくらか仕入れられました。どうもレストランでの食事が面倒だということのようです。
     八耳さんもラッセルスクエア近くのホテルということで、地下鉄でいっしょに帰り、ラッセルスクエアで別れました。
     大学院で科学史を学んだ仲間のなかで同級生は3人です。私、八耳さん、Sさん。
     夢にも思わなかった遭遇でした。
     

    2月17日(金曜日):ロンドン2日目
     8時過ぎに起床。夜中目が覚めておきていたせいです。
     普通のコンチネンタル・ブレイクファースト
     椅子のせいか、昨日は腰が痛くなっていました。せっかくなので作業したいことはたくさんありますが、無理をして、体調をこわすともともこもありません。今日はゆっくりめでいくこととしました。
     ウェルカムの図書館にはほぼ開館の時間9時半につきました。9時32・3分といったところでしょうか。
     貴重書室の本を2冊と、普通の本を1冊ウェブから発注しました。昨日の体験で、貴重書室の本は依頼してから1時間以上かかることがわかったので、まず普通の本からと思ったのですが、それも30分は時間がかかると言われました。係りの方がリクエストを受け、書庫から探し出し、カウンターに持ってくるという方式です。一定の時間がかかるのは致し方なし。
     本を待っている間、本来日本で準備として済ましておくべきであった作業をしていました。
     30分と言われたら、30分で出てくるかと思い、カウンターの人にまだかと聞いたら、カウンターに着いたら席まで持ってきてくれることになりました。そいつは、ありがたい。
     12時過ぎに一度外に出て、昼食。一番近いサンドイッチバーで、サンドイッチとカプチーノというもっとも簡単な食事。
     戻ってきてからは貴重書室にこもり、すでにカウンターに運ばれてきていた2冊の貴重書をじっくり見ていました。やはり実物(原典)を見ると、多くのことがわかります。
        2・3ヶ月は図書館にこもりたいのですが、まあ、今回は様子がわかっただけでもよしとします。
     貴重書室が妙に暑い(暑さを感じるわけではありませんが、シャツ一枚でちょうどよいぐらいの感じ)ので、途中で一度外に出て、道端の屋台のような店で、フレッシュジュースを買い、外の冷たい空気を吸ってからまた戻りました。
     今日行おうと思っていた作業は、4時過ぎには終わったので、30分ほど開架にある本・雑誌を見てから、4時半には出ました。(本日の閉館は5時15分)
     ホテルに帰る道筋、食料スーパーでおやつを買ってもどりました。
     一休みしてから、ホテルのレストランで夕食。
     メインには、フィッシュアンドチップスを選びました。日本で言えば白身魚のフライです。
     食後、風呂に入ってのんびりしていると猛烈な睡魔が襲ってきたので一寝入り。2時間ほどで目覚め、今日もらってきたコピーを読んでいました。ああ、そうだったのか、というのが感想。
     

    2月18日(土曜日):ロンドン3日目
     小鳥たちの鳴き声とともに起床。すなわち、5時15分前に目覚めました。日本でも小鳥たちは、ほぼこの時間に鳴き始めます。
     夜は、菊池夫妻との会食。ウェルカムで偶然出くわした八耳さんも参加してくれることになっています。
     午前中、開館時間のあいだは、ウェルカム・ライブラリー。

       [アレルギー(ジンマシン)再発]
     午後、かなり休みをとってから、近所の大英博物館に行くこととしました。ほんとにすぐ近くです。博物館に入ると尿意を催したので、トイレを探しました。北の端の方で見つけ、ほっとしてアジアのコーナーに行くと、なんと、アレルギー(ジンマシン)が再発してしまいました。頭から痒くなり始め、首筋、そして全身が痒い。去年は失神しています。ロンドンで失神するわけにもいかないので、しばらく博物館のイスでじっと座っていました。15分ほど座っていて、失神することはないだろうという自分の身体に関する感触を得て、ホテルに取って返しました。
     下着だけになって自分の体をよく見てみると、全身に発疹が出ています。頭、首、腰、お尻、手足。仕方がないので、ベッドの上でじっとしていたら、約2時間ほどで激しいかゆみは収まりました。
     かゆみが抜けた後、ベッドの上で休んでいたら、眠ってしまいました。ふと、目覚めると6時。約束の時間です。5分ほど遅れて、ホテルの受付に行くと、菊池夫妻も八耳さんももう見えていました。
     小雨が降っていましたが、そこから歩いてホルボーン(地下鉄駅)まで。駅の近くの韓国料理店に入りました。私は、レーメンを頼みました。味は悪くありませんが、日本の基準から言ってもロンドンの基準から言っても、サービス(ウェイター、ウエイトレス) がいくらか乱暴。(菊池君によれば、この店に関しては、いろいろあるお店のレヴューでもそういう意見が多いということでした。さもありなん。)
     食事の後は、コベント・ガーデンまで地下鉄で移動し、そこのスターバックスを探して、コーヒー。菊池夫妻は、10時発のバスの便を予約されているということでちょうどよい頃合でお別れして、帰途へ。八耳さんの泊まっているホテルはほんとすぐ近くでした。(徒歩3分ほど)
     帰国してから、アレルギーのちゃんとした検査をしてもらおうと決めました。
     (今回のアレルギー(ジンマシン)再発で、去年の2月に歩いていて失神したことと、アレルギーには直接的関連はないのでは、と考えるようになりました。去年の体験が強烈だったので、どうしても結びつけて考えていましたが、何だか今のところ不明ですが、強いアレルギー反応を私の身体に引き起こすアレルゲンが存在するのかもしれません。)
     

    2月19日(日曜日):ロンドン4日目
     ひどい時差ボケはありませんが、睡眠時間が安定しません。4時15分に目覚めてしまいました。お片づけをし、日記をノートパソコンに記し、それから5時半に再度就寝。7時15分に目覚めました。これなら、ちょうどよし。
     日曜日なので、どうしようかと思ったのですが、午前中に大英博物館、午後リバーティに行って、頼まれたおみやげ物を買い、残りの時間は、ホテルで今回行った作業の整理をすることとしました。ついでに、明日は、可能な限りウェルカムにこもり、できるだけ 作業を進めておくことにしました。
     決めた予定通りに行動。朝一番で大英博物館に入りました。10時にショップが開いたので、ちびどもと妻へのお土産を購入しました。その後、中東のコーナーへ。エジプトの遺物はいつ見ても特有の魅力・迫力があります。
     一度外のショップも見てから、博物館のなかにとってかえし、そこのキャフェで昼食。11時。やはり、サンドイッチとジュースとコーヒー。
     その時間帯は子ども連れが目立ちました。私たちも日本で同じ時間帯にお店に入ります。子連れで混んでいる時間帯に入ると大変な目に遭いますから。
     雨が降っていましたが、3時過ぎてからリバティへ。1994年最初リバティに入ったときの印象は鮮烈だったのですが、やはり慣れていました。何かよいものはないかと思いましたが、カードを1枚だけ買いました。
     オクスフォードサーカスからピカデリーまで小雨のなかを歩きました。
     帰ってきて、近所のスーパーで夕食を買いました。寿司があったので、一度話題のために食べてみることにしました。すごい味。似て非なるものとはこういうものを言うのでしょう。(半分は食べましたが、半分まででした。)
     昨日の菊池夫妻によれば、健康食ということで寿司はイギリスでもけっこう流行っているのだそうです。
     

    2月20日(月曜日):ロンドン5日目=帰国の日
     5時45分起床。
     そういえば、日本から持ってきた携帯用目覚まし時計は着いたときから壊れています。秒針がまったく動きません。とまったままです。止まったまま指している時間が、5時45分。不思議なことですが、今回は、気がつくと5時45分ということが何度かありました。
     ホテルを9時にチェックアウト。途中でバナナ2本と水を購入。ウェルカムには、9時半ちょうどに入室。真っ先にコンピュータに向かい、必要な本を予約=リクエスト。4冊。
     この日は、ポインター・ルームで作業をしているのは私ひとりでした。4冊の原典(貴重書)と格闘。フォリオが1冊とオクタヴォが3冊。
     どうにもお腹が空いて、2時でおいとまをすることとしました。昼食をとろうと近くのユーストン駅構内のお店をまわりましたが、どこも大混雑。列を作ってまでハンバーガーショップに入るのもしゃくなので、M&S(という中産階級向きのスーパー)でサンドイッチとジュースを買うことにしました。そこもすごい列。
     今日は今回のイギリス滞在でもっとも寒い日でした。5度で風が吹いています。適当な場所がないので、駅の外にある机に席をとり、寒風の吹くなか、サンドイッチとジュース。ホテルの近所のスーパーのものよりずっとましな味がしました。
     飛行機は、ヒースロー7時発ですが、もういいだろうとユーストンからヒースローに向かうこととしました。チケット販売の3つある窓口がひとつしか開いておらず、かなり待ってからヒースローまでのチケットを買いました。4ポンド。ロンドンの地下鉄は初乗りが3ポンドとなっています。(日本円で600円前後)
     ほぼ1時間で、空港へ。ジャルのカウンターには日本人のスタッフがおり、日本語で手続き。コーヒーを一杯飲んでひとやすみ。それから、まだまだ早かったのですが、荷物のセキュリティ・チェックに並ぶこととしました。
     ノートパソコン(英語では、ラップトップと表現していました)は別にチェックするからカバンから出すようにという指示があり、カバンから出して、渡されたビニールの袋に入れました。同じようにしている人が大勢います。つまり、旅行にラップトップを携帯する人が相当割合いるということがよくわかりました。
     とくに問題なくセキュリティ・チェックを通り過ぎると、出国審査。入国審査と比べるとあっけないほど簡単。ただちょっとだけパスポートを見ました。
     その先は、かない広い免税店コーナー。実は、出国審査はそのお店の入口かと思ったほどです。
     時間がたっぷりあるので、もっているお金でもうすこしお土産を買うことにしました。チョコレート、グミ(英語では、ワインジェリー)、紅茶とショートブレッドを買いました。さらに時間があったので、2周ほど、お店を見て回りました。日本人の旅行客が大勢いました。そのなかではなんといっても、関西人のおばちゃんたちのグループが傑出していました。ハロッズなどのブランド店で関西弁丸出しで買い物をしていました。
     大学生ぐらいの若い人たちもけっこういました。失われて10年を経ても、ああいうふうにみんなきれいな格好をした日本人旅行客を見ると、日本人はお金持ちだというイメージがヨーロッパ社会では持続している理由がわかります。
     帰りは普通にエコノミーの席。違いがよくわかりました。

  • 2006.2.23  
     ちいさいちびとあかちゃんが5時半。あとは、6時前。時差ボケはひどくはありませんが、この時間はまだ眠い。

     山積している仕事の山をひとつずつ崩していきます。まずは、採点から。4年生の答案の採点は、ロンドンに発つ前にすませていますが、それ以外に関しては、相当量が残っています。
     →とりあえず、科学思想史(講義)の2年生、3年生の分は終了しました。
     この授業はいつも30人程度の学生しか出席しておらず、今年は少ないなと思っていたら、実は、100人以上が登録してあり、試験のときにもちょうど100名程度来ていました。
     なかなかよい答案が予想外に多くあり、よろこばしいことでした。
     昔は(20世紀のある時点までは)授業にはあまりでてこないけれど、よい答案を書けばよい、という文化が確実にありました。いろいろ活字で読み情報では、最近は、授業にはよくでてくるけれども、答案のできはいまいちというのが多いというのが傾向だと思っていましたが、うち(外大)は、まだ昔ながらのようです。
     個人的には、マスの一人ではなく、個人として振る舞って欲しいので、悪いことではなりません。

  • 2006.2.22  
     ちびどもはいつもとおり、5時半。私は、6時過ぎ。いつもとおりですが、時差の影響でまだ眠い。
     さっそく、今日から会議。処理すべき書類や手続きが山積と言えば、大げさですが、今日一日では処理しきれない量であることも確かです。ふー。

     会議がもめて、3時半開始予定のものが4時半過ぎにスタート。終了は6時過ぎ。
     時差の影響で、6時ぐらいから猛烈に眠くなってきましたが、なんとか帰宅し、夕ご飯を食べ、風呂にはいるまでは持ちました。

       [がんばれ久保!]
     久しぶりに、「がんばれ久保!」のタイトルを出すことができました。アジアカップ予選、インド対日本。6対0で日本の勝利。久保は2点をゲット。
     インドが相手ですから、強い相手と当たったときの参考にはあまりなりませんが、久保がピッチに立てる目処がついたことが大きい。
     眠いので今日は「がんばれ久保」にておわり。

  • 2006.2.21  
     無事帰ってきました。飛行機は成田に4時前に着。4時46分の成田エクスプレスに間に合い、東京駅で乗り換えて、自宅には6時半には帰り着きました。
     ちびどもはいつもと同じでした。あかちゃんはたったの1週間のあいだにも成長していました。いくらか体重が増え、ますますぷくぷくしてきました。上の子もあかちゃんのときはぷくぷくしていましたが、どうもそれ以上です。
     おじいちゃん、おばあちゃんは、この日の夕刻の便で帰ったということです。9時過ぎに電話が繋がって、またターミナルを間違えたとのこと。羽田もターミナルが3つ(?)あります。我々にでさえもややこしいのですから、老人にはましてややこしいでしょう。成田もそうですが、もっとわかりやすいエアポートにすることはできないのでしょうか?

     ロンドンにパソコンは持っていきましたが、ネットにはまったく接続しませんでした。従って、メールも見ていません。
     夕食・入浴後、返答が必要なメールには、返答をしたつもりですが、もし、まだという方がいらしたら、お手数ですが、再送して下さい。明日からは普通に対応できます。

     時間ができたら、詳しく記しますが、今回のロンドン訪問でもっとも驚いたのは、ウェルカムの貴重書ルームで八耳さんに遭遇したこと。去年、ボルドーに行ったときは、パリまでの飛行機のなかで、斎藤さんに会って、それも大いに驚いたのですが、ウェルカムの貴重書室で八耳さんに会うことになることはまったく予想していませんでした。
     私にとっての2日目なんか、係員以外に貴重書室にいるのは、私と八耳さんの二人だけでした。ふーむ。



  •   [ロンドン]
     ロンドンに行く日程が確定しました。
     2月15日成田発正午〜ヒースロー着同日15時45分。[JAL 401]
     2月20日午後7時ヒースロー発〜21日成田着15時55分。[JAL 402]
     ホテル:ベドフォード Bedford
     (留守中は、おじいちゃん、おばあちゃんが和歌山から来てくれます。一安心。)

     到着した翌日(木曜日)のお昼にボイル研究の中心人物マイケル・ハンター教授と会うことが決まっています。
     土曜日夜に、イギリス在住の菊池夫妻と会食。

     1ポンド=207円(9日)、205円(11日)
     気温:-3度〜6度(9日)、4度〜9度(16日予報)

     気温はこんなものでしょうが、ポンドが高い。今イギリスに留学している人たちは、大変だろうなと思います。




  • 2006.2.15  
     かぞくそろって6時。あかちゃんは、ひとあたりしたのか、昨夜はよく暴れました。
  • 2006.2.14  
     目覚めは5時。あかちゃんも同じ時間。最近あかちゃんはこの時間に目覚めてしばらく暴れます。

     昼食を食べてから大学へ。まず、来年度の大学院のウェブシラバスの入力作業を行いました。締切が17日。今日やっておかないと間に合いません。いつもならばとくに難しいことではないのですが、2006年度に大学院の改組があり、同一の授業内容に対して、場合によっては3つ以上の授業題目がつけられています。
     昨年末にその異同について、改組案を見ながら事務に提出したのですが、見間違えていることに気付きました。システムが複雑になると間違いが生じやすい。システムの切り替え時はまして混乱が生じやすい。
     大きな混乱にならなければよいのですが。

     その後、会計課によって科研費の最終処理について確認してきました。かなりうまく処理ができたようです。(正式にはロンドンから帰ってきてからやります。)

     昨日会議のようなものと表現したのは、大学院の修士論文の面接審査。ひとりあたり、40分をかけてやります。私は1件でしたが、私の部屋に来た頂いた方々は、数件あたっていました。
     面接審査終了後、ひといきついてすぐに、講評を記し、事務に渡して帰ってきました。
     今回は、体調を優先しているので、準備作業も途中であきらめて家をでるはめになりそうです。

     帰宅すると、おじいちゃん、おばあちゃんが無事到着していました。2時半に着いたということで、ちびどもが幼稚園から帰ってくる3時まで30分家の前で待っていたようです。寒くなくて幸いでした。

  • 2006.2.13  
     かぞくそろって5時半。あかちゃんはいきなりいきんでいましたが、ぷーだけ。昨日は朝起きてすぐにうんちでした。

     月曜日ですが、会議の日。午後2つ会議。後半は学部教授会です。
     学部教授会は、6時過ぎまでかかりました。それでも、電車が比較的うまく接続して、6時50分には帰宅できました。なんだかばたばたしています。
     17日締切の仕事は明日片づける予定です。ちなみに、明日も会議(正確には会議とは言いませんが、こちらの位置づけは会議と同等)です。

  • 2006.2.12  
     目覚めは5時。ちいさいちびが起きるのを待って階下へ。5時半でした。
     居間ではすぐにテレビをつけ、はじまったばかりにオリンピックを見ながら、新聞を読んだり、朝ご飯を食べたり。

     ロンドンに発つまでにこなしておきたいことがあります。しかし、身体がいうことをきいてくれず、途中までで就寝。

  • 2006.2.11  
     おおきいちびがおしっこもれたと言って5時。もれはじめで言ったようで、布団まではもれていませんでした。その後、あかちゃんはすこしあばれたあとミルクを飲み、うんち。ちいさいちびも一瞬あばれたあと、普通に目覚めました。
     あかちゃんはうんちのあと、しばらくしてまたミルクを飲んで寝ました。最近はこういうリズムになっています。

       [日本対アメリカ]
     ワールドカップ本番に向けての国際練習試合。3点先行されたときは、あちゃと思いましたが、2点までは返しました。3対2でアメリカの勝ち。
     前半のアメリカのような試合をされたとき、どのチームだって大変ですが、弱いところが露呈します。両サイドが守備にまわったときに弱い。(他にも弱いところはありますが、サイドは突破されたり、抜かれたりするので、目立ちます。)

  • 2006.2.10  
     よなかに目覚めたのですこし仕事。ロンドンに行くまでにこなしておくべき仕事はまだ何点か残っています。すぐに手をつけるのではなく、考えています。

     かぞくそろって6時。ここ数日調子の悪かった喉ですが、すこしましになってきました。ロンドン行きまでにおさまるとよいのですが。

     2時から委員会の仕事。技術的なものだったので、1時間弱で予定通り終了。ちいさな数字を数多く見ました。

     やっと旅行会社からチケットが来ました。
     (木曜日に電話連絡があり、金曜日委員会の仕事が終わってから吉祥寺の店舗に足を運んでいます。)実際に受け取ったのは、チケットそのものではなく、旅行日程表です。成田に10時集合とあります。そこで、この旅行日程表を見せると、航空券とホテルの予約券をくれるのだそうです。こういう形式ははじめてです。まったくツアーに組み込まれた形のようです。これまではひとりで動いていたので、こういうのには逆に慣れていません。

     旅行日程表を受け取ったあと、パルコの地下の本屋さんで次の3冊を購入。
     『地球の歩き方’05〜’06:ワシントンDCボルチモア、アナポリス、フィラデルフィア』ダイヤモンド社、2005
     エヴァンズ『魔術の帝国:ルドルフ二世とその世界』ちくま学術文庫、下、
     大江秀房『科学史から消された女性たち』講談社ブルーバックス、2005
      

  • 2006.2.9  
     ちびどもは6時。私は一人遅れて、7時半。目の奥に疲れ。眼精疲労というやつでしょう。
     眼精疲労は簡単には抜けません。来週の水曜日には、ロンドンに発つので、それまでできるだけ体調を回復させておく必要があります。ということで、今日はうちでゆっくり仕事をしてます。(明日は、またまた会議。この季節は、もう、仕方がありません。)

       ロンドンに発つのは来週の水曜日。計算すると、朝早く家をでる必要があります。まあ、朝はいつも早いのでそれはよいのですが、予定では、出発までに研究をもう一歩進めておこうと思っていました。しかし、今週の金曜日は会議、来週の月曜日は学部教授会、火曜日は大学院の面接とスケジュールがつまってしまいました。頭をチューニングする時間しかとれなくなりました。

      [あかちゃん]
     11月に誕生したあかちゃんは、そろそろ3カ月を迎えます。3カ月というと、首がすわり、笑うようになる時期です。うちのあかちゃんの首は、まあ、8割方すわった感じです。手もわりと思ったように動かせるようになり、しきりと自分の口にもっていってなめています。もしかしたら、ちいさいちびに続き左利きかと思わせるそぶりもありますが、もちろん、まだ正確にはわかりません。
     笑うのは、1週間ぐらいまえからはっきりと笑うようになっています。
     なお、今日は幼稚園でお母さん方と先生方のお話会があり、午後、おおきいちび、ちいさいちび、あかちゃんの3人を連れて、妻が外出しています。3人連れていると、あばちゃんたちによく話しかけられると妻の報告です。「まあ、3人、うちも3人ほしかったのだけれども・・・」とか「赤ちゃんは男の子?」とか、いろんな人にいろいろ声をかけられるようです。

  • 2006.2.8  
     ちびどもがおきて、6時過ぎ。あかちゃんもほぼ同じ時刻に起きて、すぐにうんち。

      [採点]
     午前中は、昨夜からはじめた採点を続行。総合科目の「科学技術と社会」については、全数の採点・転記を終えました。採点もれ、転記もれのチェックも済みました。
     一昨日終了した分とあわせて、教務課に提出しました。(4年生の成績締切が2月20日で、ロンドン滞在中にあたります。何よりもこれを最優先して採点しました。その次の締切は、3月3日なので、帰国後でも間に合います。)

     会議の日。
     →1時半〜2時15分。3時半開始予定=実際は4時開始、4時20分終了。
     その間にいろいろ用事をすませることができました。

  • 2006.2.7  
     ちいさいちびといっしょに6時。天気予報とおり、外にはうっすらと雪が積もっています。これは今日中にほぼ解けてしまう積雪です。
     やっといつもの時間に起床できるようになりました。
     前回の積雪のときは、センター試験の本部詰めで丸二日拘束されました。雪かきがまったくできませんでした。それでというわけでもないのですが、今朝は誰よりもはやく雪かきをしました。たぶん積雪は2センチですし、おそらく最高気温15度の予報ですから、必要性は前回と比べてずっと薄い。まあ、でも、家の前10メートル程度でもやっておきました。

     今日はわけあって、先端研にお邪魔します。→10時に橋本研について、荷物を受け取ってきました。その足で、コピー屋さんにより、コピー並びに製本を依頼し、近所の茶店で軽く昼食。昼食が終わってコピー屋さんに戻ると、両方できあがっていたので、いくらかおもい紙の塊を受け取って、帰ってきました。行きには少し残っていた雪が、帰り道ではほとんど解けていました。まだ15度という感じはしませんが、冷気を感じないのは事実です。→南風の吹くのが遅くなり、結局、最高気温は8度までしか上がらなかったということでした。確かに15度という感じではありませんでした。

      [Owen Hannaway]
     化学史のMLで、ピーターが"on 21 January 2006 in a care centrein Baltimore" にオウェン・ハナウェイさんが亡くなったという記事を流しています。ちょうど先端研で橋本さんにその話を聞いたばかりでした。日本に来る話もあったのですが、病気のせいで取りやめになっています。『化学者と言葉』は、非常に面白く読んで、強い印象が残っています。冥福をお祈りします。

      [おおきいちびの誕生日]
     明日、おおきいちびの6歳の誕生日。しかし、明日は、私が会議で、お昼前から場合によっては7時ぐらいまで拘束されます。ということで、誕生日のお祝いは、前倒しで今日やることとしました。誕生日のお祝いといって、ケーキを買ってきて、ちびどもがハッピーバースデーを唄うだけですが、ちびどもにはこのケーキが大のお楽しみ。
     昨11月、我が家は5人家族になったわけで、1年に5回、この誕生日ケーキがあります。

  • 2006.2.6  
     ちびどもは、6時。私はひとり遅れて、7時半。また寒い。最高気温の予想は、6度。

     朝一番で、前に半分までしか進めなかった査読論文の査読をすませました。とくに問題はなし。
     その後、はやい昼食をとって、大学へ。まず、書類を提出し、必要なコピーを何点かとり、図書館に本を返してから帰宅。採点が残っています。採点は、学生が出入りする可能性のある大学よりも、自宅。卒業年度の学生の分は、今週中に済ませる予定。
     →採点を開始。しばらく、採点に専念します。
     →私が関わるすべての授業に関して、4年生の採点を優先して行いました。4年生の分は、終了しました。(4年生の分は、数が少なかったので、一日で終了しました。)

      [薔薇十字団]
     研究室で、次の本を見つけました。大学で一部読みました。深みはありませんが、ある時点までの情報がよく整理されていて、入門書としてよくできていることがわかりました。
     クリストファー・マッキントッシュ
     『薔薇十字団』吉村正和役、平凡社、1990

  • 2006.2.5  
     ちびどもは、6時。私はひとり遅れて、8時。寒いけれど、良い天気。

     しばらくぼけていましたが、明日から復活の予定。  

  • 2006.2.4  
     ちびどもとあかちゃんが起きて、6時。昨日とはうってかわって寒い朝。

      [ロンドン]
     ロンドンに行く日程が確定しました。
     2006年2月15日成田発正午〜ヒースロー着同日15時45分。
     2月20日午後7時ヒースロー発〜21日成田着15時55分。
     到着した翌日(木曜日)のお昼にボイル研究の中心人物マイケル・ハンター教授と会うことが決まっています。
     基本的には図書館で日本ではどうしても見ることのできない資料を見る(必要な箇所を探し出し、読む)ことに集中します。
     

     寒い中、西友まで買い物にでました。野菜と魚類は(一時期よりは改善されましたが)依然高いままです。こんなに高いと買えないと妻は言っていましたが、ほんと、その通りです。ちびどもが桜餅(東京では道明寺と言います)を好きなので、9個入り500円のパックをお土産に買ってやりました。
     帰り、いつもの本屋さんで、『月刊現代』『論座』『サイゾー』の最新号を買いました。
     『論座』の編集後記によれば、『論座』の2月号は、売り切れたということです。渡辺恒雄氏と朝日の編集主幹との対談のおかげということです。もう命脈が尽きたと思われる総合雑誌(月刊誌)でもそういうことがあるということを知りました。
     私は、そうした命脈の尽きた雑誌の愛読者です。
       

  • 2006.2.3  
     ちいさいちびが起きて、6時前。このぐらいなら、許容範囲。
     思ったほど、疲れも残っていません。→と思いましたが、蓄積疲労で、なかなか思ったようには身体が動きません。身体が重い、という状態です。

     今更ですが、各授業の登録者数は次の通りです。昨日(木曜日)の二つに関しては、登録したほとんどの学生が試験を受けに来ていた模様です。
     総合科目III 「科学技術と社会」85名
     「※科学思想史(講義)」:103名
     「科学思想史演習」:13名
     「科学思想史卒論演習」:10名
     「思想史特殊研究演習1」後期/月3:6名(実際に授業に顔を出したのは2名)
     「総合科目II」(表象文化とグローバリゼーション):281名

  • 2006.2.2  
     ちいさいちびが起きて、5時。はやすぎます。昨日一日降り続いた雨は上がった模様。

     書類の処理、ならびに3限と5限の試験のために、走り回って、疲れました。
     どちらも、こんなにも大勢の学生が受講していたとは、という数の学生が試験会場に現れていました。どちらも用意した答案用紙が足りずに、補給のために走りました。

     そういえば、科学史通信2006年 No.371 が来ていました。2006年度年会・総会のお知らせと講演申込書です。
     2006年5月27日(土曜日)28日(日曜日)
     東洋大学(白山)
     何か参加することを考えています。

  • 2006.2.1  
     ちびどもといっしょに6時前。雨。

     さて、本日は幼稚園は臨時休業。実は、幼稚園そのものはやっています。来年度入園するかもしれない子どもたちのために一日体験入園をやっています。したがって、ちびどもはお休み。
     ちびどもは行きたいのですが、仕方ありません。

     今年度の終了処理だけではなく、来年度のスケジュールも確定させなければなりません。忘れていました。事務から催促されて、その作業に取りかかりました。ああ、忙しい。

     そう言えば、昨日の観劇会でもっとも印象に残ったのは、マスクをしている人の多さ。電車に乗り合わせた子どもたちは、9割方マスクをしていました。大人もかなりの割合でマスク。今日聞いたところでは、おおきいちびのクラスの子が複数インフルエンザにかかったということです。子どもたちの間では、風邪が大いに流行しています。
     風邪を引いている場合ではないので、気をつけよう。

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