6時40分。あかんぼうとおおきいちびはとっくに起きていました。曇り。運動会の日ですから、晴れるのが一番ですが、天候の不安定な時期なので、雨が降っていないだけでもよしとするべきでしょう。今月、やっと、120枚を超えました。これで129枚。
我が家のはじめての運動会。思ったより大変でした。
8時45分開始ということで、私を除く4名は小学1年生の登校といっしょにでかけました。私は、8時半。
1学年2クラス、総生徒数400名前後の小学校です。校庭は、小さい。親はどこに並ぶのかと思っていたら、子どもたちがトラックのまわりに椅子を持ち出してきて座り、そのまわりに親が並ぶ(ビニールシートで場所を確保した1〜2割の親を除き、立ち見です)形式でした。
我が家も人の邪魔にならない端っこの方にシートを敷いていましたが、なんと言ってもちいさいちびとあかんぼうがいます。長い時間大人しく座ってみているはずがない。
ちいさいちびは、幼稚園のクラスメートが大勢(のべで10名程度か)来ていたので、校庭の端っこでお友達と遊んでいました。
あかんぼうは、地面の上ではいはいさせろとうるさい。仕方がないので、地面にはなすと、小さいちびたちが遊んでいる体育館の裏側の階段に上っていきました。ともかくどこもでもへいきではいはいします。
6学年ですから、おおよそおおきいちびが参加するのは6分の1程度です。かけっこは負けたくないと言っていたので、かけっこはしっかり見てやりました。4人で走って、なるほど一番でした。
あとでよかったね、と話すと、私の組は足の遅い子ばかりだったからと言っていましたが、やはりうれしいのはうれしいようでした。
玉入れ競争は、音楽が鳴っている間は躍り、音楽が止むと玉入れという方式でした。躍りが面白い躍りで、どうもそれが楽しいようでした。玉入れそのものは、最初は1個、2回目は2個の僅差でちびの所属する組は負けていました。
あかんぼうは午前中に1時間ほど昼寝。
昼休みは、家に帰ってきて、昼食。
あかんぼうは、割とすぐにまた昼寝。(午前中の昼寝時間が足りなかったせいです。)午後、ちいさいちびの友達はもうあまり来ていなかったので、私とちいさいちびで、見やすい場所に移動して、1時間程度は競技をしっかり見ていました。ちいさいちびが見えないというので、半時間程度肩車してやりました。ちょっと身体に負担だったようです。
6年生の組み体操に感動したようです。
応援団の応援がなかなかに立派でした。
終了は3時前。我々は、結果発表のあとすぐに帰宅しました。
ちょうど3時に、アマゾンのマーケットプレイスで発注した次の本が届きました。
『日本の名著 38 内村鑑三』中央公論社、1971
ペーパーバックではなく、箱入りの日本の名著です。
松沢弘陽「近代日本と内村鑑三」
「余はいかにしてキリスト教徒となりしか」
「求安録」
「地人論」
「小篇」
からなります。
「地人論」ですが、自序のあとに、参考書目があげられています。「この書を編するにあたりて余は左に記載する諸書に負うところ、はなはだ多し。」として、13点の参考文献をあげています。1点のみがドイツ語。残りは英語です。
Arnold Guyot, The Earth and Man, or Comparative Physical Geography in its Relation to the History of Mankind
Arnold Guyot, Physical Geography
Carl Ritter, Geographical Studies, translated by REv. W.L. Gage.
Peschel, Vergleichende Erdkunde
Mary Sommerville, Physical Geography, American Edition, 1854
George P. Marsh, The Earth as Modified by Human Agencies
Rev. N. H. Hutchison, The Story of Hills
Charles Woodward Hutson, The Beginnings of Civilization,
George Rawlinson, The Origin of Nations
B. F. Cocker, The Theistic Conception of the World
Hegel, Philosophy of History
M. Pierre Laffitte, A General View of Chinese Civilization, translated by John Carey Hall, M.A., Yokohama, 1887
Henry Drummond, F. R. S. Tropical Africa,
他に、フンボルト、ダーウィン、ドレーパー、リビングストン、ルクリュの名前(名前だけ、書名はなし)をあげています。
アメリカと日本のものだけ、出版年をあげています。ヘーゲルは、英語訳を読んだようです。
院生の O 君から、10月2日(月曜日)の授業を欠席しますというメールを頂きました。土曜日の運動会で、すっかり忘れていました、明後日から後期の授業が開始です。メールをもらってから急いで準備に取りかかりました。1日あれば準備はできますが、危ないところでした。
6時20分。あかんぼうとおおきいちびはたぶん6時前後に起きた模様。ちいさいちびはよく寝ています。どんよりとした曇り。
明日の小学校の運動会はなんとか大丈夫そうです。去年一昨年は雨にたたられぱなしだったそうです。おやつのあと、アマゾンより次の本が届きました。
ヘーゲル『歴史哲学講義』(上)(下)長谷川宏訳、岩波文庫、1994
なるほど、これは噂通り、読みやすい訳です。まるでヘーゲルでないようです。問題の箇所をそのまま引用してみます。
「世界史は東から西へとむかいます。ヨーロッパは文句なく世界史のおわりであり、アジアははじまりなのですから。東そのものはまったく相対的なものですが、世界史には絶対的な東が存在する。というのも、地球は球形だが、歴史はそのまわりを円をえがいて回るわけではなく、むしろ、特定の東を出発点とするからで、それがアジアです。外界の物体である太陽はアジアに昇り、西に沈みます。とともに、自己意識という内面の太陽もアジアに昇り、高度なかがやきを広く行きわたらせます。世界史は野放図な自然のままの意思を訓練して、普遍的で主体的な自由へといたらしめる過程です。東洋は過去から現在にいたるまで、ひとりが自由であることを認識するにすぎず、ギリシャとローマの世界は特定の人びとが自由だと認識し、ゲルマン世界は万人が自由であることを認識します。したがって、世界史に見られる第一の政治形態は専制政治であり、第二が民主制および貴族制、第三が君主制です。」(176頁。)
むろん、文句なく、オリエンタリズムです。しかし、何という自信たっぷりで明朗・快活な講義ぶりでしょうか。理性のあゆみ、自由の発展としての世界史というヘーゲルの見方に思わず説得されそうになります。
おおきいちびといっしょに6時過ぎ。あかんぼうは起きていました。秋らしい青空。
図書館に用事があり、やはりちいさいちびを送っていった足で、大学図書館へ。
研究室でもほんのすこし片づけをして、昼食時に帰宅。電車のなかで、次の論考を読了しました。
浅井雅志「アラブの影におびえるロレンス」高知尾仁編『表象としての旅』(東洋書林 , 2004), pp.79-146
まったくしらない著者ですが、けっこう面白い論考でした。「アラビアのロレンス」の内面の葛藤を扱った論文です。研究室で検索中に次のサイトを見つけました。
Bio-bibliographical Directory to Writers on the Theory, History, and Culture of Science and the Humanities.
(ドイツ語圏の著作家についてとくにウェイトを置いています。)
親ディレクトリ:The Culture and History of Science Page
ちいさいちびはお友達を二人連れて帰ってきました。しばらくしてから、おおきいちびはおともだちひとりとその妹を呼びました。合計4人に客人が見えたことになります。大騒ぎになると思ったら、割と大人しい子たちだったので、思ったほどではありませんでした。我が家のあかんぼうもうれしいようで、いろいろ仲間になろうとしていました。
6時過ぎ。あかんぼうはすでに起きていました。ちいさいちびは、10分後に起きてきました。
昨日の予報では、雨が上がるのは夕刻となっていましたが、もう雨は上がっています。→と思ったら、お昼前から激しい雨が降り始めました。雷鳴も遠くから聞こえます。今日はこんな感じでしょうか。→2時半には雨は上がりました。早速前にあかんぼう、うしろにちいさいちびを乗せて、ちょっと遠目のコンビニにおやつを買い出しに行ってきました。晴れた方が気持ちがよい。今朝郵便受けに次の本が届いていました。昨夜、アマゾンのマーケットプレイスから届いたものでしょう。
青木保『逆光のオリエンタリズム』岩波書店、1998
帯に「アジアに急速に広がる「現代化」とは」とあります。変貌するアジアの都市、イスタンブール、コロンボ、香港、シンガポール、バンコク、ヌワヤ・エリヤ、クワラルンプールが取り上げられています。
「イスタンブールの幻想」「オリエンタリズムとオクシデンタリズム」「ダージリンからクアラルンプールへ」という3章だけ読みました。オリエンタリズムの乱反射とでも表現できる事態を扱っています。文献調査中に、次のサイトを見つけました。
科学図書館
日本語の著作が中心ですが、古い本のPDF がかなりの数アップされています。(村田全、和算他)。有用な試みだと思われます。
ひとりで6時。あかんぼうはとっくに起きていました。おおきいちびは6時半。曇り。ちびどもが外出する頃には雨が降り出しそうな雰囲気です。今月は、久しぶりに、100枚を突破。
大学図書館より文献複写依頼によるコピーが届いたというメールがあったので、ちいさいちびを幼稚園におくり、歯医者さんで詰め物をしてもらったあと、大学にでかけました。
届いたのは次の論文。
Luthy, Christoph, "What To Do With Seventeenth-Century Natural Philosophy? A Taxonomic Problem", Perspectives on Science, 8(2000), pp. 164-195.
帰宅するまでに読みましたが、とても面白い論考でした。→予想していたものとすこし違い、2点の17世紀哲学史の著作のエッセイ・レビュー的論考でした。
Daniel Garber and Michael Ayers, eds.,
The Cambridge History of Seventeenth-Century Philosophy,
Cambridge: Cambridge University Press, 2003
Jean-Pierre Schobinger, ed.,
Grundriss der Geschichte der Philosophie, Die Philosophie des 17. Jahrhunderts, in 2 Halbbdn. Bd.1. Allgemeine Themen, Iberische Halbinsel, Italien,
Schwabe,1998
テーマは、哲学史と科学史の乖離の問題。とくに17世紀においては、「自然哲学」としてひとつのまとまりをもっていたものが、哲学史と科学史に分離して扱われている点を分類の問題として探究しています。
1点だけ非常に顕著な特徴をあげます。伝統的な哲学史においては、17世紀前半がほとんど空白でした。ルネサンス哲学からいきなりデカルト哲学に飛び、スピノザ、ライプニッツ等、理性の哲学(17世紀後半の近代哲学の巨人)を取り上げることが多い。
私は科学史家ですが、哲学史にいつも感じていた違和感を的確に言語化してくれています。雨は大学に着いたあたりから降り始め、帰宅した後、本降りになりました。
ひとりで5時半。→おおきいちびは6時前、ちいさいちびは7時前に起きてきました。ひとまず晴れ。
運動会の季節。おおきいちびの運動会は、9月末の土曜日。ちいさいちびの運動会は10月の最初の金曜日。ふたりとも、かけっこで負けないといきこんでいます。図書館から相互貸借依頼で頼んだ本が届いたという通知があったので、昼食後、大学に出かけました。次の2冊です。
Nabil Matar, Islam in Britain 1558-1685, Cambridge, 1998.
G.J. Toomer, Eastern Wisedome and Learning: The Study of Arabic in Seventeenth Century England, Oxford, 1996.
ICU から来ました。
トゥーマーの本はぱってみて良くできています。目次は次。
1. The Medieval Background
  (i) The scientific translations
  (ii) Missionaries and apologists
  (iii) Knowledge of Arabic
2. The Study of Arabic in Europe during the Sixteenth and Seventeeth Centuries.
  (i) Spain
  (ii) Italy
  (iii) France
  (iv) Germany
  (v) The Netherlands
3. The Earliest Period of Arabic Studies in England
  (i) The sixteeth century
  (ii) Bedwell
  (iii) Selden
  (iv) Bainbridge
  (v) John Viccars
  (vi) Ussher
  (vii) The establishment of Arabic studies at Cambridge
  (viii) Arabic at Oxfrod before Pococke
4. Laud and Arbic at Oxford
  (i) Laud collects oriental manuscripts
  (ii) Laud establishes the Arabic Professorship
  (iii) Laud and the 'Learned Press'
5. The Early Career of Pococke
6. Greaves and Pococke in the East
  (i) Early travels of Greaves
  (ii) Greaves's plans for a jouney to the East
  (iii) Greaves and Pococke at Constantinople
  (iv) Greaves's jouney to Egypt and Italy
  (v) Ravius in the East
  (vi) Pococke's return and interview with Grotius
7. Arabic Studies during the English Revolution
  (i) The Civil War and Arabic at Oxford
  (ii) Pococke during the Revolution
  (iii) Pococke's Specimen Historiae Arabum
  (iv) Other Arabic editions by Pococke
  (v) Greaves's oriental publications
  (vi) Greaves's collection of oriental manuscripts
  (vii) Arabic studies in Cambridge during the Revolution
  (viii) John Pell and Arabic
  (ix) The London School of Oriental Languages
  (x) The 'Turkish Alcoran'
  (xi) The Polyglot Bible
8. Arabic Learning after Restoration
  (i) Pococke
  (ii) Samuel Clarke
  (iii) John Fell and the University Press
  (iv) The Arabic Apollonius
  (v) Thomas Smith
  (vi) John Wallis
  (vii) Thomas Hyde
  (viii) Arabic at Cambridge
  (ix) Castell and the Heptaglot Lexicon
  (x) Arabic at Westminster School
9. The Decline of Arabic Studies in England
  (i) Cambridge from 1680 to 1700
  (ii) The last two decades of Pococke's career
  (iii) Thomas Marshall
  (iv) Robert Huntington
  (v) Narcissus Marsh
  (vi) Humphrey Prideaux
  (vii) William Guise
  (viii) Edward Pococke junior
  (ix) the later career of Hyde
  (x) Edward Bernard
10. Epilogue
  (i) Causes of the decline of Arabic Studies
  (ii) Decline of Arabic Studies in Europe
マタールの目次は次。
Introduction: Islam in early modern Britain
1. "Turning Turke": conversion to Islam in English writing
2. The renegade on stage and in church
3. "Arabia Britannica": "Alcoran" and the legacy of Arabic Islam
4. "Baptizing the Turk": conversion to Christianity in English writings
5. Eschatology and the Saracens
Conclusion: Islam and Britain: centripetal to centrifugal
ついでに次の2冊を借りてきました。
高知尾仁編『表象としての旅』東洋書林 , 2004
渡辺一夫『フランス・ルネサンスの人々』白水社 , 1997(新装復刊)
『表象としての旅』には、 彌永信美氏の論考「〈近代〉世界と「東洋/西洋」世界観 ―ヘーゲル・内村鑑三・「近代の超克」思想を中心として―」(pp.1-78)が掲載されています。ウェブの版(1992年)、『表象としての旅』収録版(2002年)、そして『幻想の東洋』ちくま学芸文庫収録版(2005)の3種類があることになります。
渡辺一夫氏の本は、いろんな版があることになります。岩波新書版、岩波文庫版、そしてこの白水社による新装復刊版。ここまでよく読まれた本は、幸せでしょう。
→ポステルの章(「ある東洋学者の話―ギヨーム・ポステルの場合」pp.270-82)と序章を読みました。1950年の岩波新書版の前に、1948年の鎌倉文庫版(『ルネサンスの人々』)という版があるということを知りました。ほんとうにいろんな形で出版されたことになります。
内容的には、軽い小伝といったところでしょうか。
ひとり遅れて、6時半。あかんぼうは4時半に目覚めて、私が目覚めた頃ひとしきり暴れて7時前に寝ました。はやすぎる。
気温が下がってきました。最低気温が16度だったそうです。[ポステル再訪]
9月16日にごく簡単に紹介したギョーム・ポステル (Guillaume Postel, 1510-1581)ですが、彌永信美氏のずっと前に有名なフランス・ルネサンスの研究家、渡辺一夫氏が一章を設けていることがわかりました。
初出は、1950年の岩波新書のようです。
渡辺一夫『フランスルネサンス断章』岩波新書、1950
実物を見ていないので正確にはわかりませんが、岩波文庫でもほぼ同じ内容のものが出版されているようです。
渡辺一夫『フランス・ルネサンスの人々』岩波文庫、1992
「ある東洋学者の話―ギヨーム・ポステルの場合」という章があります。
(私の作成した所持本リストにはありませんが、もっていた記憶があります。この部屋と研究室を隈無く探せば出てくるはずです。)ウェブでは、このサイトのおなじみの平井浩氏のサイトと、大橋さんのサイト(2006年5月28日他)にポステルに関する言及があります。
(ポステルの奇想は、小説家の想像力を刺激するのでしょう。ファンタジーノーベル大賞を受賞した方に、この奇想を利用した小説があるようです。)なお、基本的な研究は、平井さんがあげているセクレ氏(F. Secret)のポステル研究のようです。彌永信美氏の著作も、注と文献リストを見る限り原則セクレ氏の研究に依拠しているように見受けられます。
『ポステル再訪』というのは、このセクレ氏が1998年に出版された本のタイトルです。たぶん、本格的にポステルに取り組むには、このセクレ氏の著作からはじめるのがよいのでしょう。
なお、ガリカでは、重複を含み、20点の著作が検索にかかります。ちょっと見たかったDes merveilles du mondeはダウンロードできませんでしたが、残りはほぼ大丈夫なようです。私がとくに関心を引かれたのは、ポステルの次のような認識です。彌永さんの著作から引用します。
「主イエスの所有の地はユダヤにあり、それゆえ地上の楽園はこの東方の地、すなわちユダヤと東方シリアの地にある。」(文庫、下、128頁)
ヨーロッパの言語を基本的に読んでいる者はつい忘れがちですが、イエスは、ヨーロッパ人(西方人)ではなく、オリエント(東方)の者です。オリエントを仮にアジアということにすれば、アジア人です。
光は東方より。
そもそも、オクシデント-オリエント、西と東、という対(概念)がきわめてヨーロッパ中心主義的観点ですが、そのヨーロッパ中心主義的観点に従っても、トルコより東(簡単にはイスタンブール・コンスタンティノープルから東)は東方・オリエントです。
すなわち、ユダヤ教のキリスト教もイスラームもともに、東方・オリエントに生まれている。キリスト教だけがラテン・ヨーロッパに広がり、そこを版図とするようになったという違いはありますが、起源・出自の点では、すべて東方・オリエント起源です。
ですから、日本についての最初のまとまった報告をイエズス会を通して入手したポステルが、日本で崇拝されている「シアカ」(釈迦)を「イエス・キリスト」である、と断じたとしても、ヨーロッパ人のオリエントに関する夢の地理学(ユダヤの地も、インドの地も、中国も日本もオリエントということで現実の距離を知る-考えることなく、ひとつながりの、すぐに手の届く、すぐに足の運べる場所とイメージされる)を考慮すれば、あまりにも奇怪な説と見なくてすむようになります。
オクシデント-オリエントというゆがんだ光学のなかで、ひとつのありえる説だと見ることができるようになります。
彌永さんの著作からポステルの別の言葉を引用します。
「・・・神は必然的に、東方から西方への向かう天の男性的・形相的・第1の運動に従って、唯一の家から全世界に、東方からはじめて主として西方へと、人類の発生を弘め給うたに相違ないのである。」(同、131頁)
もちろん、この思想がポステルという特異的変異の思想家・宗教家にだけ見られるものであれば、そういうものとして片づけることができる。
しかし、彌永さんが主張するとおり、近代の世界認識のなかに組み込まれている。
彌永さんが引用するヘーゲルの『歴史哲学』を孫引きしよう。
「ヨーロッパが一般に旧世界の中心であり、また終局であって、そのかぎり絶対的に西方であるという点から見ると、アジアは絶対的に東方である。
精神の光と、したがってまた世界史とはアジアにはじまった。」
ヘーゲルは、ここから、精神の自由の進化を導出している。すなわち、唯一人が自由であった、いまでもある東洋→若干名が自由であったギリシャとローマ→すべてのものが自由であるゲルマンの世界。
この社会進化は、絶対的に定位された東から西への「精神の光」と文明の移行とパラレルに生じるものと前提(!)されている。→そして、日本の思想家にも。彌永さんは、内村鑑三の見事なヘーゲル精神を引用しています。私がとくに関心を引かれたのは、内村鑑三の『地人論』(もと『地理学考』、すなわち人文地理の書物)の次の言葉です。
チンカ(Zinke)博士の言葉をダーウィンが『人種進化論』で引用している部分を内村鑑三は引用して、「ヒマラヤ山の西麓、イラン高原の東端に始まりし文明は、西漸するに従いて発達し、西亜の理想はギリシアに熟し、ギリシアの理想は欧州において実行せられ、欧の粋と理想とは米において結果せり。」と言っています。
人類の文明のイラン高原起源説がとられています。ダーウィンにこういう文章があるのを私は知りませんでした。またチンカ博士とは何ものかも知りません。しかし、非常に興味深い考え(Idea)です。
この考え(Idea)には、ある種の文学者・詩人・思想家の想像力を大いに刺激する力があると思われます。
(なお、内村鑑三は、ヘーゲルの歴史哲学を読んでいます。『地人論』参考書目に、ちゃんと、「ヘーゲル氏、歴史哲学」をあげており、文中にもヘーゲルの名前が明示されています。)
→さて、この「チンカ(Zinke)博士」がどういう人物かわかる方、お教えいただければ幸いです。
また、ダーウィンの『人種進化論』とは何なのかわかる方、お教えいただければありがたい。
→本屋さんで、内村鑑三の『地人論』(中公バックス「日本の名著」所収)を見て、解決しました。"Zinke" は 正確には"Zincke" でした。そして、「ヒマラヤ山の西麓、イラン高原の東端に始まりし文明は、西漸するに従いて発達し、西亜の理想はギリシアに熟し、ギリシアの理想は欧州において実行せられ、欧の粋と理想とは米において結果せり。」は、内村鑑三自身の言葉でした。
チンカ博士の引用は、その直前でした。
これがわかれば、あとはだいたいわかります。ダーウィンの『人種進化論』は、予想通り、The Descent of Manでした。その第5章"On the development of the intellectual and moral faculties" に次の形で引用があります。
Looking to the distant future, I do not think that the Rev. Mr. Zincke takes an exaggerated view when he says:313(2) “All other series of events―as that which resulted in the culture of mind in Greece, and that which resulted in the empire of Rome―only appear to have purpose and value when viewed in connection with, or rather as subsidiary to... the great stream of Anglo-Saxon emigration to the west.”
313(2) は注の表記です。そして、その注には、
Last Winter in the United States, 1868, p. 29.
とあります。「アメリカ合衆国昨年の冬」というのは、直前に引用されている NATURE または その前のMacmillan’s Magazineを指しているのでしょう。
内村鑑三の引用部分の訳は次の通り。
「ギリシア国における知能の発育、ローマ帝国の世界占領等、その他すべての歴史上の事実は、サクソン民族の西大陸移住と相関するものとして考うるにあらざれば、一の目的と価値をその中に見るあたわず。」
今訳すとすれば、次のような感じでしょうか。
「古代ギリシャにおける知の発展、ローマの世界帝国等としてあらわれたその他すべての出来事の流れは、アングロ・サクソンの西方への大移住と関連して見るときにのみ、目的と価値を有すると言えよう。」
ウェブで検索をかけてみると、関連するテーマの本は相当数あります。
工藤庸子『ヨーロッパ文明批判序説―植民地・共和国・オリエンタリズム』東京大学出版会、2003
デヴィッド キャナダイン(平田雅博、細川道久訳)『虚飾の帝国―オリエンタリズムからオーナメンタリズムへ』日本経済評論社、2004
ジョン・M. マッケンジー(平田 雅博訳)『大英帝国のオリエンタリズム―歴史・理論・諸芸術』ミネルヴァ書房、2001
ポール・A. コーエン(佐藤慎一訳)『知の帝国主義―オリエンタリズムと中国像』平凡社 、1988
フレッド ダルマイヤー(片岡幸彦訳)『オリエンタリズムを超えて―東洋と西洋の知的対決と融合への道』新評論、2001
青木保『逆光のオリエンタリズム』岩波書店、1998
ブライアン・S・ターナ( 樋口辰雄訳)『イスラム社会学とマルキシズム―オリエンタリズムの終焉―』第三書館、1983
姜尚中『オリエンタリズムの彼方へ』岩波書店、2002
子安宣邦『「アジア」はどう語られてきたか :近代日本のオリエンタリズム 』藤原書店、2003子安さんの本はすぐにわかる場所に置いてあったので、すこし読んでみました。→子安さんは、日本思想史のなかではよい仕事をされていると思います。(授業で取り上げたこともあります。)しかし、このテーマでどうしてサイードに関する言及がないのか不思議です。(彌永さんにも言及がありません。)注を見る限り、そもそも欧米語の著作が1〜2点を除きあげられていません。誤解を招く表現かもしれませんが、「世界」を欠いている、と感じられます。
お昼過ぎ、アマゾン(米)のマーケットプレイスより次の本が届きました。
Pierre Duhem
Le mixte et la combinaison chimique
Paris: Fayard, 1985 (19021)
ちいさいちびといっしょに6時20分。あかんぼう、おおきいちびはとっくに起きていました。私がよく寝ていたので、先行隊がいつ起きたかは不明。朝方は寒くなってきました。[オリエンタリズム]
彌永信美氏の著作の書誌をあげておきます。
彌永信美『幻想の東洋:オリエンタリズムの系譜』青土社、1987;1996(新装版);ちくま学芸文庫、2分冊、2005
目次は、次の通りです。
上巻
序 旅への誘い
1 最古の民・最果ての怪異
2 遍歴する賢者たち
3 秘教の解釈学
4 隠喩としての歴史
5 世の終りと帝国の興り
6 東の黎明・西の夕映え
7 終末のエルサレム
8 楽園の地理・インドの地理
9 秘境のキリスト教インド帝国
10 ―そして大海へ…
下巻
11 新世界の楽園
12 反キリストの星
13 追放の夜・法悦の夜
14 東洋の使徒と「理性的日本」の発見
15 天使教皇の夢
16 アレゴリーとしての「ジアパン島」
エピローグ 二つの「理性」と一つの真理
付論 “近代”世界と「東洋/西洋」世界観
吉祥寺で次の2冊を購入。
内田樹『私家版・ユダヤ文化論』文春新書、2006
日垣隆『父親のすすめ』文春新書、2006
ひとりで5時半。めずらしくあかんぼうはまだ寝ています。忙しい日になります。
ちいさいちびを幼稚園におくったあと、歯医者さん。型をとってもらいました。
その足で、大学へ。検認のすんだ保険証の受け取り、科研費のほんのちょっとした手続き、郵便の受け取り、割と大部のコピー。
すぐに自宅に帰宅。
午後の準備をして、2時前には家をでます。帰宅は、おそらく10時頃。駅前の本屋さんに寄ってから、東工大へ向かいました。会議の15分前に着いたので、図書館へ寄ってちょっと調べもの。たしかに東工大大岡山図書館の2階・3階の洋雑誌のコーナーは科学・技術関係のものはよく揃っていました。
3時から編集委員会。6時に東京医科歯科大学についていないといけないので、私は5時直前でおいとましました。
乗換案内では、大岡山から御茶の水までは40分。十分間に合うはずだったのですが、大岡山-目黒-新宿と来て、新宿で中央線に乗ろうとプラットフォームにたった瞬間、国立(?)で人身事故があり、ただいま中央線は止まっていますとの放送。急いで総武線のプラットフォームに急ぎ、電車に飛び乗りました。
こういうときは、あせっても仕方ありません。駅前の本屋さんで買った本を読んでいました。さて、御茶の水駅に着いたのは、6時5分前。東京医科歯科大学は駅のすぐ隣ですが、講義室に辿り着くには、キャンパスを一周しないといけません。窓口のおじさんのところに着いた時点で5分遅れ。教室には7〜8分遅れで到着。
MMAのコースには、仕事をしている現役の方が多く、私が着いたときに教室にいたのは6名。最終的には15名か16名。すこしゆっくりめではじめてちょうどよかったようです。
ただし、こういうふうに講義室に辿り着いた場合、どうしても無意識の部分で速度が上がっています。90分の講義が2コマある授業ですが、最初の90分に予定していたところまで話終わって、75分。ちょっと脱線話をしましたが、無理をして話を引っぱっても仕方がないと腹をくくって、10分前に終了し、2コマ目を10分早く始めることにしました。
トイレで一休みしたあと、教室で待機して、7時半に講義を再開。
急がないように気をつけたつもりですが、一度動き始めた話すリズムは簡単には変更できず、予定より10分ぐらい早く話の終点に着きました。まあ、レスポンスシートを書いてもらう時間も必要ですし、質問・コメント・意見も聞きたかったので、えいやとその時点で私の話は打ち切り、全員の方にコメントをもらうことにしました。
現役のお医者さんと病院関係者が多く、とても有益なコメントをもらうことができました。私もまったく同意する・日本における死をめぐる問題点が的確な表現で指摘されました。
正規には9時10分まででしたが、レスポンスシートの最後の方は、9時15分過ぎ。
御茶の水駅では、中央線と総武線が同じプラットフォームで選べます。疲れていたので総武線を選んで、本を読みながら帰ってきました。→帰宅は10時40分。西荻駅前のラーメン屋さんでラーメンを食べてから帰ってきました。夜の街を歩くのは久しぶりで、飲み屋さんとかラーメン屋さんとか回転寿司屋さんとか、ああ、こういう感じだったな、と感慨。
サラリーマンにとっては唯の日常的光景にすぎないのでしょうが、仕事で10時を過ぎるというのは最近まったくなかったので、私には新鮮でした。[オリエンタリズム]
[『アラブ・イスラム研究誌』]のシリーズを3回まで記しましたが、もちろん、オリエンタリズムのことはずっと気になっていました。
もともとは、私の扱ってきたテーマがオリエンタリズムOrientalism ということばの意味でした。すなわち、東方研究、あるいは東方学。私の扱っている時代においては、東方とはユダヤとイスラーム、ヘブライ語とアラビア語、が中心です。
そう、でも、今の日本で「オリエンタリズム」といえば、この本来の意味ではなく、サイードが使った言葉の方が圧倒的でしょう。むしろ一部の学者を除き、「オリエンタリズム」はサイードの「オリエンタリズム」であって、もとの意味を想起される方はほとんどいないと思われます。それほどに、サイードの『オリエンタリズム』の影響は大きかった。
政治的な正しさ、という意味では、サイードの主張はまったく正しい。
でも、なにか、収まりの悪いものを私はずっと感じてきました。ということで、ウェブで色々検索をかけていると、彌永信美氏の「<近代>世界とオリエンタリズム」という文章に出会いました。
これは、傑作! 抜群に面白い。「<近代>世界とオリエンタリズム」のサイトに全文がアップされています。
ということで、彌永信美氏の『幻想の東洋』も読んでみようとアマゾンにアクセスすると、3種類出版されたこの本、最近ではちくま学芸文庫で2005年に出たこの本が、品切れです。(上巻だけ、マーケットプレイスにあったが3500円という馬鹿高さ。)
2005年出版だから、本屋さんをまわればまだまだおいてあるところはあるに違いないと踏んで、手始めにと東工大に行く前にいつもの駅前の本屋さんに寄ったら、あった、というのが上の日記です。
「<近代>世界とオリエンタリズム」は、この文庫版に「付論」という形で全文再録されています。個人的には、この部分が一番面白いのですが、本文そのものもああ懐かしいなというものでした。→『アラブ・イスラム研究誌』を読んで、ポステルについてもっと知りたくなりました。たぶん、日本語でポステルをテーマに取り上げているものは多くはないだろう、かなり少ない、という予想がありました。なんと、『幻想の東洋』の第15章「天使教皇の夢」はまるまるポステルを主題とするものでした。彌永さんの書物において、ポステルの占める位置は非常に大きい。αとω、はじまりとおわり、と言えるほど大きい。
あかんぼうが起きて、うんちをして、5時。あかんぼうはだいたいこのリズムが定まったようです。とりあえず、晴れています。朝方は少し肌寒く感じます。
ひとりで5時。30分ほど前に目覚めたあかんぼうはまた寝付いたようです。→と思ったら、あかんぼうはすぐに起きてきました。ちびどもは、6時過ぎ。久しぶりの快晴。会議に日。午後2つ。メインは、大学院の9月卒業の審議。
最初の会議のスタートが50分(!)遅れましたが、大学院教授会がスムーズに進んで、4時16分多磨駅発の電車に間に合いました。梅田望夫『ウェブ進化論―本当の大変化はこれから始まる』(ちくま新書、2006)ですが、最後まで読み通しました。とても良い本です。
日本社会に閉塞感を感じており、なんとかしたいと思っている方は、是非、読んでみて下さい。
5週間の集中で書き上げた本だということです。一気に読むのが正しい読み方だと思います。
あかんぼうはたぶん5時。おおきいちびは、5時15分ぐらい。私は5時45分。やっと雨が上がり晴れました。と思ったら、気温が30度まで上がるという予報。[床上浸水]
7時過ぎ、あかんぼうが機嫌良く遊んでいるな、と油断していたら破裂的な泣き声。なんと玄関においていた金魚の水槽をひっくりかえして、水を浴びていました。
というわけで、我が家の玄関は床上浸水。あかんぼうはすぐに風呂場に連れていき、金魚の救出&水浸しの床の掃除。
この掃除がけっこうたいへんで、1時間近くかかって終わったときにはへとへとになっていました。
上の二人もやんちゃるもんちゃの時期はありましたが、3番目は明らかにパワーが違う。10カ月になったばかりというのに、こわいものなしで、なんでもつかみにいきます。しばらく格闘です。→お昼前にディスカベリーを見ながら、歯の掃除をしていたら、上の右側の詰め物がとれてしまいました。とほほ。
歯のトラブルは、元気を失わせる効果が大です。何かしょんぼりしてしまいます。
いつもの歯医者さんに電話すると、3時なら空いているということで、3時に歯医者さん。こう書いていても、力がでません。
歯医者に行きました。詰め物を詰め直すだけだと予想していたら、すぐにはずれないように作り直すということです。同時に、詰め物に接触している2点で少し虫歯が進行しているので、その治療をするということです。ということで、あと2回来て下さい、ということでした。歯のせいでこのところ続けている作業にとりかかる気がしなくなったので、昨月買った、梅田望夫『ウェブ進化論―本当の大変化はこれから始まる』(ちくま新書、2006)を読みました。ある程度知っている内容もありましたが、とてもよくわかります。とくにグーグル社の話は新鮮でした。
ちいさいちびといっしょに6時20分。あかんぼうはたぶんやはり5時過ぎの模様。おおきいちびは6時半。敬老の日。台風のせいでしょうか、本降りの雨です。
ずっと雨が降っていたらどうしようと思っていましたが、10時頃には止みました。台風接近に伴う雨雲ですから、今日は降ったり止んだりでしょうが、雨が止んだあいだにこなしておくことがあります。
まず、妻とあかんぼうが昼食の買い出しに近所のスーパーへ。あかんぼうが昼寝をしてから、ちびどもを連れて、コンビニ-本屋さんツアー。ちびどもは、コンビニで好きなお菓子を買って、テーブルに座り、おやつ。私はそこで買ったアエラを読んでいました。
雨の日に子どもを連れて歩くルートはだいたい決まります。ちびどもを連れて歩いていると、ちびどものお友達に結構会います。[『アラブ・イスラム研究誌』iii]
せっかくなので、ロンドン・ポリグリットをダウンロードしておこうと思いました。
Brian Walton (ed.), Bilbia sacra polyglotta, 6 vols., London, 1653-57
3千画像で、ファイルの大きさが1.3Gを超えています。これまでダウンロードした最大のファイルです。我が家の環境では、3時間半近くかかります。うまくいくかどうか自信がありませんでしたが、うまくいきました。
(USB を介して、ポータブルHDに移しました。35分。)オクスフォードにおける東洋学の略史
1530年代には、ヘブライ学教授が存在した。
1610年に、アブダクヌス(Abudacnus, Yusuf ibn Abu Dhaqan) が、エジプトからオクスフォードに来る。彼は、コプトのクリスチャン。旅の途中、エルペリウスにアラビア語を教えている。1613年まで滞在。大きな目立った影響はなし。
1620年代30年代を通して、天文学、地理学、数学の科学的に有用な知識がなおまだ未知のアラビア語文献に隠されているという噂が強くなった。
その代表格がジョン・グリーブズ(John Greaves)。彼は1643年、天文学サヴィル教授職に就任。大主教ロードに鼓舞されて、イタリア、イスタンブール、エジプトにそうしたMsを探しに出る。1646年帰国。
1636年、カンタベリー大主教ウィリアム・ロードが、オクスフォードに、アラビア語のロード教授職創設。(The Laudian Professorship of Arabic)(そのポストに最初に就任したのが、エドワード・ポコック。)→今回、ヨーロッパ初期近代における東洋学の状況を調べてみて、17世紀になってもなおまだ、アラビア語文献には、秘密の隠された知識が埋もれているという生きた感覚が存在することがわかり、少々驚いています。とくに、天文学、数学、医学という専門的(テクニカルな)分野に関しては、その感覚が強かったようです。
考えてみれば、12世紀ルネサンスのときにグレコ−アラブの知的遺産を大翻訳-大吸収したあと、東方(当時のヨーロッパ人の東方は、今のことばではほとんど中東どまりです。)、とくにトルコやエジプトに旅した人々を除き、現実にモスリムに会うことはなく、翻訳を通してのみ、イスラーム世界に接していた(仰ぎ見ていた)わけですから、イスラーム世界の学識に関して、そうした感覚-感情が残っていたとしてもおおきな不思議はないわけです。
ちびどもといっしょに6時20分。あかんぼうはたぶん昨日と同じ。曇り。お昼過ぎにあかんぼうが寝付きました。ちょうどよいのでちびどもをお祭りに連れていってやることにしました。
まず、クイーンズで1万円札を崩すために、おやつを買わせました。それからぐるとまわって、神社へ。ちびどものお友達が大勢来ていました。ヨーヨー釣り、スーパーボール掬い、綿アメ、フランクフルト、・・・のあと、御神輿の出陣(?)を見ました。
スーパーボールで遊びたいというので、原っぱ公園へ。
雲行きが怪しくなってきたところで帰ってきました。3時。2時間半近く遊んできたことになります。
本格的な雨は、4時頃に降り始めました。ちょうどよかった。[『アラブ・イスラム研究誌』ii]
16世紀・17世紀の批判的人文主義の成果(旗艦)の重要なひとつがポリグロット(多言語)聖書の刊行です。パリでは、1645年に大きなポリグロットが刊行されています。
イギリスでも、ブライアン・ウォルトン(Brian Walton, 1600-61) という人物がロンドン・ポログロットを計画します。1650年代にこの計画がアーマー大主教アッシャーともうひとりの英国の重要なオリエンタリスト、ジョン・セルデン(John Selden, )に支援を受けることとなります。1657年6巻の浩瀚な書物として結実します。
Brian Walton (ed.),
Bilbia sacra polyglotta
6 vols., London, 1653-57
『アラブ・イスラム研究誌』によれば、この多言語聖書には、「イギリスの名のあるオリエンタリストがすべて名を連ねている。」(73頁)。
具体的には、ポコック、ケンブリッジのアラビア語講座担当カステル(Edm. Castell, 1606-1674)、ポコックと同じオクスフォードでアラビア語を教えたグリーブズ (Thomas Greaves, 1612-1676)、ケンブリッジの事務局次長(ママ)でヘブライ学者のジョン・ライトフット (John Lightfoot, 1602-1675)、サムエル・クレリクス (Samuel Clericus)、ボードリー図書館上級司書で1691年からポコックの後継者となったトマス・ハイド(Thomas Hyde, 1636-1703)。
多言語とは、アラビア語、アラム語、エチオピア語、ギリシャ語、ヘブライ語、ラテン語、ペルシャ語、サマリア語、シリア語。
このロンドン・ポリグロットは、大成功 (considerable success)。王政復古後、ウォルトンは、チェスターの主教に任ぜられた。マイナーな人物も紹介しておきましょう。ベルリン出身のオリエンタリスト、ラフィス(Christian Ravis, 1613-77)。1639年以来、アーマー大主教アッシャーの支援をハートリッブを介して受ける。目的は東方のマニュスクリプトの収集。スミルナとコンスタンティノープルに赴き、1641年帰英。
1640年代なかばには、職を探してアムステルダムへ。そこでジョン・ペルと会い、アポオニオスの円錐曲線論のアラビア語Msをもらう。
1647年夏には、再び英国。ハートリッブ・サークルがロンドンで東方言語の教育を推進しようとしていた。1648年、ラフィスが東方語の講義。
オクスフォードでも短い期間、ヘブライ語を講じた。(マグダレン・コレッジ)。
(いい加減で見栄張りの性格が災いして、定職を得ることはできず。)
ここで確認できること。すなわち、市民革命期のロンドンで、東方研究や東方語教育を推進しようとした中心力のひとつが、ハートリッブ・サークルであったということ。メジャーな人物も紹介しておきましょう。アーマー大主教ジャイムズ・アッシャー (James Ussher, 1581-1656) 。その時代のアイルランド教会の中心人物のひとり。ダブリンのトリニティ・カレッジの学問の中心的パトロン。本人は監督制の断固たる支持者であったが、1640年代50年代という宗教的混乱の時代において、すべてのサイドから尊敬を受けた。ハートリッブ・サークルは、彼に期待した。
私にとってアーマー大主教は重要です。彼は、アイルランドにおけるボイル一族のファミリー・フレンドでした。また、若きボイルに70人訳聖書が必ずしもあてにならないことを含め、当時の聖書批判学(文献学)に目を開かせたのもアッシャーでした。以上の情報は多く、つぎのとても有用なサイトによります。
聖書批判学
あかんぼうが起きて、うんちをして、カーテンを汚して、5時過ぎ。私は5時40分。
晴れています。[『アラブ・イスラム研究誌』]
木曜日の夜にアマゾンのマーケットプレイスに発注した次の本が今朝届きました。到着は火曜日以降だと思っていました。はやい。
ヨーハン・フュック『アラブ・イスラム研究誌―20世紀の初頭までのヨーロッパにおける』井村行子訳、法政大学出版局、2002
(いくらか翻訳が固いのが気になりますが)本の性格上当然ですが、インフォーマティブです。現時点では啓蒙の時代までを読みました。
まず翻訳から。
デュ・リュエによるアルコーランの仏訳(1647)をもとに次の各国語訳が創られます。
→アレキサンダー・ロスの英訳(1649)
→J.H. Glazemaker によるオランダ語訳(1658)
→Happel がオランダ語訳からドイツ語訳(1688)原典(アラビア語によるコーランそのもの)の出版は、1694年(ハンブルグの牧師アブラハム・ヒンケルマンによる)と、1698年(Ludovico Marracci による)。
(→つまり、啓蒙の世紀に入るまで、アラビア語のコーランそのものを、そもそもヨーロッパ人は見ることができなかったわけです。)ルネサンスから啓蒙の時代までの重要なオリエンタリストとしては次の名前があげられています。
ギョーム・ポステル (Guillaume Postel, 1510-1581):国王に派遣されて、エジプト、コンスタンティノープルに赴く。滞在は2年弱。コンスタンティノープルでトルコ人の教師にアラビア語を習う。(かなりの程度まで身につけたが、完全に修得したとまでは至らず。)プファルツ選定候の図書館にもたらしたアラビア語写本は、その後のドイツのアラブ研究の礎となる。
ジョセフ・スカリジェ (Joseph Scaliger, 1540-1609):最初のオリエンタリストを自任。最初のアラビア語学者の評(トーマス・エルペリウス)も。
トーマス・エルペリウス(Thomas Erperius/ van Erpe, 1584-1624 ) :ライデン大学東洋語講座教授(1613-1624)。200年も使われ続けたアラビア語の文法書を出版(1613)。(1620年以降はヘブライ語の講座も担当)。「西洋のために東洋への新しい扉を開いた」(62頁)
ヤコブス・ゴーリウス(Jacobus Golius ,1596-1667):ライデン大学でのエルペリウスの後任。アラビア語教授(1624-)。通算4年間、アレッポ、アンティオキオ、コンスタンティノープル等をまわり、約250冊のアラビア語の写本を持って帰ってくる。(ライデン大学ワルネリアヌム文庫の元となる。Levinus Warner が遺贈したほぼ千冊にのぼるオリンエント写本コレクションに基づいて、この名前が付けられる。)
約200年にわたって使われることとなる『アラビア語ラテン語辞典』を1653年に出版。エドワード・ポコック(1604-1691):オックスフォードでアラビア語教授(1636)。2度、オリエントに赴く。2度目のオリエント遠征から帰還後、オックスフォードでアラビア語とヘブライ語の講座を担当。
『アラブ史の例』Specimen Historiae Arabum(1650) :オックスフォードではじめてアラビア文字で印刷された書物。
また、グロティウス (Hugo Grotius, 1583-1646) の『キリスト教の真理』をアラビア語訳で出版。以上見るとおり、初期の東洋語講座担当者は、アラビア語とヘブライ語の両方を持つことが多かった。
→以上、17世紀ヨーロッパにおけるオリエント学(アラブ研究を包摂)の概略はわかったわけです。ライデン大学が一番強かったこと、そして、ヨーロッパ全体でもほんとうにごくわずかしか存在しなかったことがはっきりします。
→さて個人的には、ホッティンガー(J.H. Hottinger, 1620-1667) について1頁程度ですが、記述があったのがヒットでした。日本語では、2005年4月30日の私のサイト以外に情報を見つけることができていません。そういうなかで、ともあれ、わずか1頁でも信頼できる記述があったことは「もうけもの」でした。
チューリッヒ出身。ライデン大学ゴリウスのもとで、アラビア語を学んでいます。ハイデルベルク大学東方学教授(1655-1661)。
『東方の歴史』Historia Orientalis, Zurich, 1651ですが、タイトルは次の通りです。
Historia orientalis quae ex variis orientalium monumentis collecta, agit
De Muhammedismo...
De Saracenismo, seu religione veterum Arabum.
De Chaldaismo, seu superstitione Chaldaeorum, Nabataeor. &c.
De statu Christianorum & Judaeorum tempore orti & nati muhammedismi.
De variis inter ipsos Muhammedanos... sententiis, schismatis & haeresibus excit.
構成は次の通りです。
De Muhammedis genealogia ,1-227
De religione veterum Arabum - Sabaeorum - Nabataeorum, 227-308
De statu Christianorum et Judaeorum, 320-361
De causis Muhammedismi conservantibus, 449-548
De variis Muhammedanorum ... haeresibus, 549-600
(ページ数は第2版(1660) のもの)
この著作の評価ですが、イスラムの歴史と宗教に関する最初期の学術的ハンドブックとあります。本そのものは、ムハメッドの生涯、イスラームとその分派、イスラーム以前のアラブの宗教等についてその時代に得られる資料を広範囲に収集・編纂したコンペンディウムでした。
初版ではアラビア語の著作からの引用は、ヘブライ文字で代用されたが、第2版ではアラビア語の活字も使われた、とあります。なお、ウェブキャットではホッティンガーの著作は1点も出てきませんが、日本にも1点ぐらいはあるのではないかと思い、探してみたら、慶應大学が次のものを所蔵していました。
Joh. Henrici Hottingeri, D. Bibliothecarius quadripartitus :
I. Pars, quae prolegomenis absolvitur, agit de officio bibliothecarij, bibliothecis, &c.
II. De theologia biblica.
III. De theologia patristica: cum appendice Leonis Africani hactenus [anekdoto], de scriptoribus Arabicis.
IV. De theologia topica; symbolica, & systematica; tam universali, quae particulari
Tiguri, 1664
貴重書として、三田の貴重書室にあるようです。
Hitoria Orientalis も1館ぐらい所蔵しているところがあるかもしれません。(例えば、ウェブで調べられない天理大学とか)『アラブ・イスラム研究誌』が取り上げているのは、『貯蔵庫』(1658)です。
Joh: Henrici Hottingeri, S. TH. D.
Promtuarium : sive, Bibliotheca orientalis: exhibens catalogum, sive, centurias aliquot, tam authorum, quam librorum hebraicorum, syriacorum, arabicorum, aegyptiacorum, aethiopicorum, &c. Addita mantissa bibliothecarum aliquot Europaearum, tam publicarum, quam privatarum; ex quibus, quid deinceps etiam praestari possit ab alijs, luculenter monstratur. Scriptum, quod theologorum, iurisconsultorum, medicorum, & philosophorum accommodatum est studijs
Heidelbergae, 1658
こうした著作は、歴史家の手元に必要な種類の書物です。その当時のヨーロッパで知られていたアラビア語の著作の総覧(完全ではないかもしれませんが)を見ることができます。→ポステルの伝記が実は面白い。晩年だけ紹介します。出版したパンフレットによって、逮捕され、1562年パリ近郊のサンマルタン修道院に監禁された。ここが彼の最後の場所となった。そこで、ポステルは「その荒唐無稽な博識のために修道院の住人から尊敬され、また善良な心のために愛された。無害な愚行もここでは彼を不幸にすることはなかった。」(40頁。)
また、ルルスの伝記も面白い。
(ポステルもルルスも一種異形の人、常人には捉えがたい異様な・不思議な宗教的情熱の持ち主です。そこが面白い。)
→(06.9.27)スカリジェに関する若干の補足。ラテン語読みではヨセフス・ユスツス・スカリゲルは、有名なユリウス・カエサル・スカリゲル(Julius Caesar Scaliger ,1484-1558) の息子です。何と東海大学に 東海大学スカリゲルコレクションが入っています。
一度実物を見に行かなくては、と思っていますが、東海大学はちょっと遠く、まだ実現していません。
あかんぼうと妻は5時。私は5時45分。やっと晴れました。でも今日一日だけのようです。ちびどもは6時20分から30分。
晴れたのはすこしのあいだ。その後はずっと曇り。洗濯物がやっと乾きます。[はじめての自転車]
ちいさいちびが幼稚園のあと、お友達のおうちに遊びに行きました。こうした場合のお約束は幼稚園のママさん達のあいだでできています。おおよそ5時ぐらいに迎えに行く、というものです。
同時に、我が家には、おおきいちびのお友達が二人来ていました。
ということで、ちいさいちびの迎えは私が行くことにしました。ちいさいちびのクラスの子のおとうさんがアメリカに転勤になったときにもらった自転車があります。これまで使ったことがなかったのですが、使ってみることにしました。
あかんぼうを前の座席に乗せて、後ろにちいさいちびを乗せて帰ってくる支度をしました。自転車は、子どもを二人乗せるためにデザインされた専用の自転車です。
いつも使っているママちゃりよりもずっと軽快で乗りやすい。乗ってみるまで気付きませんでしたが、変速装置まで付いていました。いつものママちゃりならば相当苦労する上り坂も平気です。
お友達のマンションは初めてでしたが、入口におおきな案内地図があり、部屋はすぐにわかりました。訪れてみると、5〜6人のちびが出迎えてくれました。
あかんぼうは、このときはじめて自転車に乗りました。最初は怪訝な顔をしていましたが、動き出して、風を感じるようになると大喜び。きゃー、きゃー、言っていました。[マイメロときらりん]
夕食後、アマゾンから荷物が届きました。ちびどものために頼んでおいたものです。
おおきいちびには、『きらりんレボリューション』の第1巻と4巻。
ちいさいちびには、マイメロディのDVD第6巻。アマゾンから千円の還元があったので、ちびどもの欲しいものを買ってやることにしたものです。
ひとりで5時40分。あかんぼうはすでに起きていました。ちいさいちびは6時過ぎに起きてきました。
秋雨が降り続いています。[ロスとトルコのアルコーラン]
ICU の那須さんに以前頂いていた「17世紀イングランドの異端学と宗教複数主義」を再読しました。
机の上を片づけていたら出てきたので、ちょうどよいと再読しました。
8月末の科研費合宿のときに、次のものをダウンロードしています。
Ross, Alexander (tr.) ,
The Alcoran of Mahomet, translated out of Arabique into French; by the sieur Du Ryer, Lord of Malezair, and resident for the King of France, at Alexandria. And newly Englished, for the satisfaction of all that desire to look into the Turkish vanities,
London : [s.n.], printed, anno Dom. 1649.Ross, Alexander (tr.) ,
The Alcoran of Mahomet, translated out of Arabick into French, by the Sieur Du Ryer, Lord of Malezair, and resident for the French king, at Alexandria. And newly Englished, for the satisfaction of all that desire to look into the Turkish vanities. To which is prefixed, the life of Mahomet, the prophet of the Turks, and author of the Alcoran. With A needful caveat, or admonition, for them who desire to know what use may be made of, or if there be danger in reading the Alcoran,
London: 1688
(イーボより、ロス関係を全部で9点ダウンロードしました。)
このテーマに関しては、もうすこししっかり先行研究をフォローしなければなりません。(合宿のときは時間が足りずに泥縄式でした。)
まず、先ほど法政大学出版会から翻訳されている『アラブ・イスラム研究誌―20世紀の初頭までの』(2002)をアマゾンのマーケットプレイスに発注しました。9240円という正価はやはり少々高すぎます。それで、マーケットプレイスに発注したわけです。大学図書館が開く来週あけから次の書物を探します。
Nabil Matar, Islam in Britain 1558-1685, Cambridge, 1998.
G.J. Toomer, Eastern Wisedome and Learning: The Study of Arabic in Seventeenth Century England, Oxford, 1996.
Alastair Hamilton and Fransic Richard, André Du Ryer and Oriental Studies in Seventeenth-Century France, Studies in the Arcadian Library, Oxford, 2004.
G.A. Russell (ed.), The 'Arabic' Interest of the Natural Philosophers in Seventeenth-Century England, Leiden, 1994.
→ウェブキャットで調べると、那須さんのICU にはすべて揃っています。さすが。
ひとり遅れて、6時40分。秋雨が降り続いています。会議の日。
午前中に持ち回り会議がひとつ。
午後、2つの会議。
メインは、9月卒業のための判定教授会。
せっかくだから、図書館で作業しようと思ったら、大学図書館は今週お休み。仕方ありませんが、残念。
研究室につくと、おお、鳩よけネットが設置されていました。鳩や小鳥が巣を作っていたフロアー(正確にはベランダ)全体にネットがかけられていました。床も掃除されていました。連絡はありませんが、仕事はしてくれた、ということです。会議はどれも無事に終了。5時28分、多磨発の電車で帰ってくることができました。
かぞくそろって6時10分。やっと涼しくなりました。予報では22度-25度。ただし、しばらく(1週間程度)秋雨前線が停滞するようです。
→涼しくなったのはありがたいのですが、こういうふうにぐずついた天気が続くと、からっと晴れた秋空が恋しい。雨ばかり続くと、そう、こどもたちも運動会の練習をきちんとできない。[平井さんの受賞]
平井さんの著作(Hiro Hirai, LE CONCEPT DE SEMENCE DANS LES THÈORIES DE LA MATIÈRE À LA RENAISSANCE: De Marsile Ficin à Pierre Gassendi,Turnhout: Brepols, 2005 )がスペイン語のE-Journal AZOGUE のBook of the Year Awardを受賞したという報せを受けました。
平井さん、おめでとうございます。スペイン語のサイトですが、英語の説明もあります。簡単に訳しておきます。
「 E-Journal "AZOGUE" は1998年以来、その年の錬金術史研究の最良の出版物に、ブック・オブ・ジ・イヤ賞を与えることとした。賞金はなし。賞はとくに錬金術史とその関連分野を学ぶ人々に標準(スタンダード)を示すことを目的としている。選出された書物は、学生ならびに新しい研究者にとってモデルとなりうるであろう。」ちなみに、2004年度は次のもの。
Paolo Lucentini, Ilaria Parri, Vittoria Perrone Compagni (eds.).,
HERMETISM FROM LATE ANTIQUITY TO HUMANISM.
Turnhout: Brepols, 20042003年度は次。
Chiara Crisciani & Agostino Paravicini Bagliani (dir.),
ALCHIMIA E MEDICINA NEL MEDIOEVO
Florencia: SISMEL - Edizioni del Galluzz, 20032002年度は次。
C. Gilly and C. van Heertum (eds.),
MAGIA, ALCHIMIA, SCIENZA DAL '400 AL '700.
Florencia: Centro Di, 20022001年度は次。
Sylvain Matton (ed.)
DOCUMENTS OUBLIÉS SUR L'ALCHIMIE, LA KABBALE ET GUILLAUME POSTEL OFFERTS À L'OCCASION DE SON 90e ANNIVERSAIRE À FRANÇOIS SECRET PAR SES ÉLÈVES AT AMIS
Ginebra: Librairie Droz, 20012000年度は次。
Andrée Colinet (ed.),
LES ALCHIMISTES GRECS, TOME X.
Paris: Société d'édition Les Belles Lettres, 20001999年度は次。
Michela Pereira & Barbara Spaggiari (eds.),
IL TESTAMENTUM ALCHEMICO ATTRIBUITO A RAIMONDO LULLO.
Tavarnuzze (Florencia): SISMEL - Edizioni del Galluzzo, 19991998年度、すなわち初年度は次。
Frank Greiner (ed.),
ASPECTS DE LA TRADITION ALCHIMIQUE AU XVII SIÈCLE.
Paris/ Milano: S.E.H.A. , 1998
見てもらえばわかるように、編纂物が多く受賞しています。
[肩凝り!]
9月6日に再来した頭痛ですが、今日はやっと一度もあの嫌な頭痛に襲撃されないですみました。まだ一日が終わったわけではないのですが、一度やってくるとおよそ1週間ほど続くことがわかりました。
こういう症状の場合、難しいのはどこで医者に行くべきかの判断です。頭痛に襲われているのは、私の場合、24時間のうち30分程度です。短い日では、数分の痛みが3回程度です。つまり、医者に行っても、医者に行っているときにはその症状がないことがほぼ確実です。
私の場合、基本的に低血圧系なので、世に多い高血圧系の症状の可能性はほぼないと思われます。
ということで、私が考えつく原因は、肩凝りです。しかし、肩凝りは一度マッサージを受けたぐらいでは急激によくなったりしません。
「しばらく様子を見てみましょう。」
医者はたぶんこう言うと思います。
まあ、そういうわけで、しばらく様子を見ているわけです。
前の日に続き、蒸し暑く寝苦しい夜。と思ったら、朝方(妻によれば3時半ぐらいということです)すごい雷光と雷鳴。ちびどもも目が覚め、怖がっていました。
我が家では雷が来て、わりとすぐに停電。前回のときは停電はすぐに回復しましたが、今回はちょっと時間がかかっています。
ひとり遅れて7時過ぎに目覚めたときには、停電は回復していましたが、お隣の電灯がついているのを見て、妻がブレーカーをオンにしたということでした。
さて、私がひとり遅れて階下に降りていったときの最初の言葉が、テレビがうつらない、でした。インターネットもできないということです。
すぐに思いつくのは、落雷の影響。寝床に入ったまま、雷光と雷鳴の間隔を数えていました。そのカウントによれば、それほど近いところでは落雷はしていないと思います。しかし、ケーブルテレビの機器のおいてある場所の周辺に落雷があれば、その下流は影響を受けます。
まずはなにより、ジェーコムに電話だと思い、電話をかけると繋がりません。非常に混み合っているとのこと。やっと繋がったと思ったら、お住まいの地域一帯で落雷の影響でトラブルが発生している、回復までしばらくお待ち下さいということでした。電話口のお姉さんを問いつめても仕方がないので、しばらく(どのぐらいになるのでしょうか? 10時半現在まだ繋がる様子がありません)待つしかないようです。→停電の影響はいろんな電気製品にでています。我が家ではほとんど使っていませんが、ウォッシュレットのお尻洗浄ノズルが出たままになって引っ込まなくなっていました。電源を入れていた頃、おおきいちびが何かのスイッチを押して、お尻の下からノズルが出て、次いで水が出てきて、お化けが出たかのように泣きじゃくったことがありました。
電源を再投入したあと、いろいろスイッチを押してみましたが、うんともすんとも反応しません。最後にノズルを手で押し込んでやると戻ったので、とりあえずそれでOK としました。
→天気予報によれば、残暑は昨日までで、今日から涼しくなるはずでしたが、昨夜の雷雨が熱と湿を連れてきたのでしょうか、気温は30度近くまで上がり、湿度が高い。
→正午過ぎにやっと繋がりました。あきらめて、昼食後本屋さんとセイユウに行って帰ってくると二つのモデム(インターネット接続用とデジタルTV用)のケーブルのランプが点灯していました。→ネットの新聞で、雷光の写真を見ました。すさまじい雷です。実は、見てみたい気持ちもあったのですが、こどもたちが怖がって布団にもぐっているときに、私が雷光を見るために動くわけにもいかない。
蒸し暑く寝苦しい夜でした。ちびどもは6時半、私は6時40分。あかんぼうはたぶん6時か。
今朝は薄曇りの晴れ。今日も吉祥寺。
妻は、座布団あるいはクッションのカバー。私とちびどもは本屋さんに用事があります。
私は、2冊のもっとも代表的な総合雑誌(『中央公論』2006年10月号と『文芸春秋』2006年10月号)の他に、冷泉彰彦『「関係の空気」「場の空気」』講談社現代新書、2006を買いました。
ちびどもは『なかよし』10月号と『きらりんレボリューション』第3巻。そう、昨日とほとんど同じです。
妻のためには、『アエラ with Kids』。朝日新聞の『アエラ』の教育版です。夜の間に、『中央公論』を読みました。『文芸春秋』も少し、『アエラ with Kids』も少し。まったく盛り上がりに欠ける今回の自民党総裁選挙ですが、前に読んだ『現代』『論座』とあわせて、様子がつかめてきました。
ひとり遅れて7時20分。まだ曇り。9月に入ってはっきりしない天気が続きます。
25度 - 32度。蒸し暑い。厳しい残暑とテレビの天気予報は言っています。たしかに、こういう日にちびども全員を連れて外出するとかなり疲れます。
昼食後、吉祥寺のユザワヤとその地下の本屋さんに連れていってやりましたが、帰ってきて妻も私もぐったり。
でもちょうどあかんぼうが眠そうだったので、家に着いたその足で、あかんぼうをベビーカーに乗せて、近所を散歩。30分動いていれば寝るだろうと思っていたら、15分程度で寝付きました。そのまま家に連れ帰り、ベビーカーのまま寝させました。吉祥寺の本屋さんで買ったのは、ちいさいちびには『なかよし』10月号(講談社)、おおおきいちびには『きらりんレボリューション』第2巻、そして、私に吾妻ひでお『うつうつひでお日記』(角川書店、2006)。
ちびどもは自分で選んでいます。ちいさいちびは本の雰囲気と中の絵柄、おおきいちびは好きな番組の元漫画、という基準です。ちいさいちびは、早速好きな(かわいい女の子の絵)絵を切り抜いていました。
ちいさいちびといっしょに7時過ぎ。あかんぼうとおおきいちびはかなり先に起きていたようです。
昨夜は蒸し暑く寝苦しい夜でした。しかも、蚊。夜中痒さで目覚めたちいさいちびは、かゆい、かゆいと暴れていました。
普段わりとすっと寝入る私も、蒸し暑さ&痒さですっとは寝入ることができませんでした。
そして、今朝も曇りあるいは小雨でじめじめしています。[おめでた]
妻の妹から、出産の通知がきました。写真が来た、写真が来たと妻が言っているので何だろうと思ったら、あかちゃんの写真がメールの添付ファイルで来たという意味でした。
我が家のちびどものいとこになります。ちびどもの小さい頃にどことなく似ています。
対面できるのは来年になるでしょうか。
ちびどもといっしょに6時半。あかんぼうは6時前に起きていたようです。昨日の雨は止んで、曇り。
ひとり遅れて6時20分。あかんぼうとおおきいちびとちいさいちびは5時45分。ちびどもが目覚めた頃から雨が降り始め、すぐに本格的な雨降りとなりました。
肩凝りのせいだと自分では思っていますが、あの嫌な頭痛が再来しました。目の奥が稲妻が走るような、鋭いナイフで裂かれるような痛みが走ります。
昨夜布団に入ってから襲来し、今朝目覚めてから襲来しました。
とほほ。雨のせいで、蒸し暑い。→外の気温はどんどん下がりました。ノースリーブで外出すると肌寒く感じました。
科学史関連サイトの移動
ウェブは足が速い。前に調べたアドレスが変更になっているものがかなりあります。今回の作業で気付いたものをリストしておきます。
HYLE: Current Content Service "Science Studies", 1994 ff.
化学史関係の論文の目次を知るには、このサイトから始めるのが最適だと思われます。ACS HIST Bulletin
Chemistry World (conticued from Chemistry in Britain
Foundation of Chemistry
6時20分。あかんぼうとおおきいちびは6時前後に起きていました。室温はそれほど下がっていませんが、ドアを開けると涼しい風が吹き込みます。予報では今日も夏日。
やっと小学校も幼稚園も普通にあります。
6時20分。あかんぼうとおおきいちびはとっくに起きていました。一昨日、昨日に続き秋の快晴。朝方は涼しい。昼は31度の予報。これも昨日ほぼ同じ。
早朝(朝の2時から3時ぐらい)に日本対サウジ戦があるのを忘れていました。急いで結果を見ると、1対0で負けていました。今日は幼稚園の開始。小学校は振替休日。
ちいさいちびは喜び勇んで出かけました。ただし初日なので、10時半には終了します。
→ちびどもは、おともだちもいっしょにそのまま荻窪へ。
ということで、私はひとりの時間ができたわけですが、書誌の仕事は肩と目にきます。肩の痛みが限界に近く、1時間半ほど休んでいました。書誌の仕事は、2種類あります。片方について、私の分担分はたぶんほぼ終了しました。もう片方の作業に夜が深まってから取り組んだところ、pdf でマシーンがフリーズ。pdf はこのマシーンの鬼門になっています。
再起動をかけるとなんとメインのHDから起動しない。認識はしているがマウントしない状態なので、ノートン先生の出番です。これがけっこう時間のかかる作業です。1時間半以上かかりました。ずっと張り付いていても仕方がないので、ニュースを見たり、パソコンの進行具合を見たり、でした。
ひとり遅れて6時40分。あかんぼう、おおきいちび、ちいさいちびの順に起きたようです。昨日に続き、秋の快晴。
防災訓練ということで、おおきいちびの小学校は今日普通の授業体制。給食のあと、訓練があって、引き渡しがあります。日曜日に学校があると、どうも一週間のリズムが変な感じです。ここ数日、文献リスト作成に集中しています。本体部分は、O氏の労作によります。補う作業をずっとしていました。全体に網をかけるように調べています。これまで存在を知らなかった本に数多く出会っています。
今は読んでいる時間がないのですが、たとえば次のような書物は時間があれば、読んでみようと思う書物です。
サラ・オーガスタ・ディクソン(たばこ総合研究センター訳)『万能の薬か高貴な毒か―16世紀のたばこ論争』山愛書院、2002
増田義郎『黄金の世界史』小学館、1997
カール・ホルダーマン(和田野基訳)『カール・ボッシュ : その生涯と業績』文陽社、1964
ジョン・マン(山崎幹夫訳)『殺人・呪術・医薬―毒とくすりの文化史』 東京化学同人、1995
昼食後あかんぼうを連れて買い物と散歩に出たときに、『月刊現代』2006年10月号と『宝島』2006年10月号を買ってきました。ともに、次の総理となることがほぼ決まったといってよい安倍晋三研究です。
『宝島』はどんどん誌面・内容が変化した雑誌ですが、今回手にとってみるとまるでビジネス誌かという作りです。安倍晋三研究のほかに表紙に大きくでている目次は、「日本経済本当の復活が始まる!」や五木寛之「イスラム教との対話」です。
『月刊現代』の「小泉が遺したもの、安倍が受け継ぐもの」という特集は読み応えがありました。
立花隆「安倍晋三「改憲政権」への宣戦布告」
辺見庸「無恥と忘却の国に生きるということ」
重松清「宰相の引き際」
国平終身「安倍晋三、誤算だらけの出発」
→ほんとうに次は、安倍晋三でよいのでしょうか? 政権党もメディアもこぞって勝ち馬に乗りたがっています。かなり心配です。妻とちいさいちびがおおきいちびの引き渡し(防災訓練の一環)にでたときに、あかんぼうをベビーカーに乗せて、新しくできた99ショップを見に行きました。うちからは1キロぐらいの場所です。普段はあまり行かない方向ですが、9月1日開店というちらしを妻が見せてくれていたので、散歩を兼ねて一度見てこようと思っていました。
あかんぼうがちょうど寝る時間にあたっています。
うちの近くの99ショップをすこし広くした感じの店舗でした。99円の商品が中心の小型スーパーと表現すれば、一番近いのではないでしょうか。ちびどものジュースを2本、乾電池を2パック、それに自分用のおやつを買ってみました。
帰り道、あかんぼうの声が聞こえなくなったなと思ったら、あかんぼうは寝付いていました。そのまま家に帰り、ベビーカーのまま昼寝させていました。
ベビーカーはそれほどよいベッドではないので、割とすぐに目が覚めます。起きたら抱っこして、ソファーの上でいっしょに休んでいました。
そうこうしているうちに、妻とちびどもが帰ってきました。抱っこして寝かせる役目は妻にバトンタッチ。
あまり行かない方向なので、これまで通ったことのない小道を通ってみました。この界隈には戦争のときに焼けなかった古いお家がぽつぽつと残っています。そしてそういうお家の一定割合は空き家になっています。
あと10年すると、そうした古いお家はたぶんほとんどなくなるのではないでしょうか。
かぞくそろって6時過ぎ。昨日の雨が秋を連れてきたようです。雨はすっかり上がり、すずしい空気が流れています。気になるので、手元にあった、牧野信也『イスラームとコーラン』(講談社学術文庫、1987)をさっと読んでみました。ヨーロッパ人がイスラームを本格的に研究しはじめたのは19世紀以降とあります。だいたい予想していたことです。
それまではごく一部の専門家を除き、たぶん千字もかけずに記述できてしまえるような決まりきった固定観念しかなかったと言えるのではないでしょうか。
今日から2学期のはじまるおおきいちびが1番。たぶん、5時半ぐらい。のこりは6時過ぎ。曇り。
私が目覚めたとき、おおきいちびはすっかり学校の準備ができていました。帽子までかぶって何かを読んでいました。ほんとうに心配性の子です。ちいさいちびの幼稚園は、4日の月曜日から2学期。朝歯医者さんに今回最後の回。
午後、ちいさいちびのクラスのお母さんが車で豊島園の近くまで連れていってくれました。私がひとりでお留守番。
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