あかんぼうがおきて、ぎゃーぎゃー言って、5時。あかんぼうは、6時までに2度うんち。眠いようで、ずっとぎゃーぎゃー。今朝もなお晴れ。
あかんぼうのおしめを替えるときに、肩をひねりました。こんなことははじめてですが、もともと状態が悪かったので、起きたことだと思います。軽い捻挫のような感じです。これがしかしかなり痛い。ゆっくりと動かすと動くのですが、痛みがあって、できれば動かしたくないという感覚が働きます。肩が動かないままでは何もできないので、ちいさいちびを幼稚園におくったあと、いつもの整骨医に。
1時間のマッサージでまずまずの状態に。腕が固いので、あと何度かきて下さい、ということでした。
ほんとうは、腰も痛いし、肩こりもかなりの状態なのですが、緊急性に応じて、今回は右肩を集中的にほぐしてもらいました。
かぞくそろって6時前。今日もまだ雨は降っていません。朝は晴れています。7時ぐらいに帰宅。おおきいちびには3人のお友達、ちいさいちびには2人のお友達がきたそうです。大変だったとのこと。それはまあ、大変だと思います。我が家の赤ん坊をいれて、総計こどもが8人。
おともだちデイの2日目でした。ちいさいちびが幼稚園で蚊に刺されたということで、右足右手あわせて10箇所以上はれていました。かなり痒そうです。
ライチが届いていました。片方の袋にはおおきくてよいライチ、もう片方にはちいさくてすこしいたんだものも混じっていたそうです。妻は、「商売、商売」と言っていました。
かぞくそろって5時45分。まだ雨は降っていません。ほぼ昨日と同じ気候という予報。→たぶん、30度近くまで気温が上がりました。湿度も高く、梅雨の中休みではありますが、クーラーが欲しくなる季節となりました。(まだ、クーラーはつけません。)→調べると、30度を超えていました。今年最初の真夏日。
フランス対スペインの後半に間に合いました。3対1でフランスの勝ち。ロスタイムのジダンのゴールを見ることができました。
たぶん、これで、引退でしょう。「がんばれ、ジダン!」
午後は大学院教授会。開始は20分ほど遅れましたが、多磨駅3時52分の電車に間に合うように終了しました。迅速な会議の運営は、とても、ありがたい。4時半前には帰宅できました。
今日はちびどものおともだち日。ちいさいちびは、いちばん仲のよいお友達のお家にお昼ご飯のときから遊びに行っています。おおきいちびには、別々の小学校に通うことになった幼稚園時代のおともだちが弟連れで我が家にきてくれています。
お友達とあそぶのは、ほんとうにたのしいようです。今月は、ここまでで100枚。過去の分をいくらか編集したせいです。
ひとりで4時45分。ウクライナ対スイスの前半に間に合いました。→120分を戦ってスコアレス・ドロー。PK戦は、最初のキッカー、ショフチェンコがキーパーに止められましたが、スイスの選手も続けて止められて、ウクライナの勝ち。
その前の、イタリア対オーストラリアは、終了間際のPKによってイタリアの勝ち。
当たり前ですが、朝が早いと眠い。
とりあえず、雨は降っていません。予報によれば、28度以上に気温が上がるということです。→たぶん、28度前後。湿度が高くて、蒸し暑い一日となりました。本格的な夏の到来の前触れです。家に帰り着いたちいさいちびは、まっかな顔をしていました。暑さによるものです。おおきいちびも帰り着いたとき、顔中汗。ふたりとも、まずは着替えさせました。[千のキミア・プロジェクト再開 vi ]
この間にダウンロードしたファイルをやっと整理することができて、1646点。月曜社の小林さんより次の本を送っていただきました。小林さん、ありがとうございます。
エミール・ブレイエ
『初期ストア哲学における非物体的なものの理論』
江川 隆男訳、月曜社、2006年、3400円。ISBN: 4901477250
訳者の江川氏による長文の解説論文「出来事と自然哲学―非歴史性のストア主義について」が附されています。
原著は次のものです。
Émile Bréhier, La théorie des incorporels dans l'anciens Stoicisme,1908.
→エミール・ブレイエの邦訳としては、他に、『哲学の歴史』だけがあるようです。
『哲学の歴史 1 ギリシアの哲学』 渡辺義雄訳、筑摩書房, 1985
『哲学の歴史 2 ヘレニズム・ローマの哲』渡辺義雄訳、筑摩書房, 1985
『哲学の歴史 3 中世・ルネサンスの哲学』渡辺義雄訳、筑摩書房, 1986
かぞくそろって6時。雨。夜になって雨が降り始めた模様。決勝トーナメントですが、順調に進行しています。イングランド対エクアドルは、ベッカムのFK1発で、イングランドの勝ち。ポルトガル対オランダは、乱戦を1対0で制してポルトガルの勝ち。
今回は、大きな波乱なく、強豪国が順当に勝ち上がっています。
かぞくそろって6時前。まだ晴れています。
決勝トーナメント、ドイツ対スウェーデンは、2対0でドイツの勝ち。アルゼンチン対メキシコは、延長の末、2対1でアルゼンチンの勝ち。
応援していたメキシコが敗退。あまりかっていなかったドイツですが、調子をあげてきています。
かぞくそろって6時前。久しぶりに晴れています。もう夏至を過ぎたと思いますが、私のもっているカレンダーは数字以外まったくのブランクなので不明。[千のキミア・プロジェクト再開 v ]
Acta Eruditorumの最初のシリーズは、完了。1691年から1741年までに24巻。
あと、補巻が3巻。Ad nova acta eruditorum quae Lipsiae publicantur supplementa
1745 (T. 5)
1754 (T. 7)
1757 (T. 8)
ニューシリーズが30巻。Nova Acta Eruditorum,1732-1772
とりあえず、補巻まではそろえる予定。ここで雑誌そのもののことをまとめておきましょう。
本と新聞の中間形態と定義できる雑誌 Journal or Magazine ですが、17世紀に誕生しています。
最初のものは、ドイツのErbauliche Monaths-Unterredungen (1663-68)。教化のための月々の議論、ぐらいでしょうか。ハンブルグの神学者&詩人ヨハン・リストが発行。
次は学術的刊行物。
フランスの王立科学アカデミーのジュルナル・デ・サヴァンJournal des Scavans (のちに、Journal des Savants )1665-
ロンドンの王立協会『哲学紀要』Philosophical Transactions, 1665-
イタリアでは、Giornale de' letterati 1668-
ドイツでは、Acta Eruditorum, Leipzig, 1682-
フランス語では他に、オランダで出版された有名なベーユの手になる Nouvelles de la République des Lettres 1684-,
次は一般読者対象。
フランスの、Le Mercure Galant,1672- (1714年にMercure de France に改称)
次は書評誌(正確には、本の紹介誌)。
Mercurius librarius, or A Catalogue of Books ,1668-70
Weekly Memorials for the Ingenious ,1682-83
Universal Historical Bibliothèque ,1686
日本のワールドカップは終了しましたが、気が付くと、もう決勝トーナメントがはじまります。見たいのですが、どこまで見ることができるかはわかりません。
ブラジル戦のために2時半起床。さすがにすこし眠い。曇り。
まず、イタリア対チェコ戦を見ました。2対0でイタリアの勝利。これで、チェコの予選敗退が決まりました。アメリカも敗退。
日本対ブラジル。玉田が先制するも、その後4点を取られて4対1で完敗。実力差。日本のワールドカップはこれにて終了。
負けは仕方がありませんが、やはりがっくり。[ライチ]
日本の八百屋でも梅雨時のいっとき、ライチが出まわります。ちびどもが大のお気に入りです。とくにおおきいちびはよく食べます。八百屋で一袋二袋買ってきた場合、私は一口も口にしないうちになくなってしまうことがあります。ああ。
ということで、妻がまとまった量を取り寄せました。まずは、3キロ。値段的には、八百屋の店頭とそれほど変わらないと言っています。お昼過ぎに『生物史学研究』の新しい号(第76号、2006年6月)が届きました。
菊地原洋平「西欧中世における架空種族論の集大成―ハルトマン・シェーデル、『年代記』(1493)の考察」pp.17-39 のみまず読みました。夕刻、アマゾンより次の本が届きました。
ライプニッツ『ライプニッツ著作集3 数学・自然学』下村寅太郎・山本信・中村幸四郎・原亨吉監修、原亨吉・横山雅彦・三浦伸夫・馬場郁・倉田隆・西敬尚・長島秀男訳、工作舎、1999
624頁、17850円の浩瀚な本です。
月曜日5限の授業で数学史を扱っているので、これまで買いそろえていなかった『ライプニッツ著作集』のこの巻をよい機会だと思い買ったものです。そういうことでもなければそうそうに買えるものではありませんが、意味のある刊行でしょう。
なお、これまで私は、第1巻、第6巻〜第10巻をもっていました。今回第3巻を購入して、計8巻をそろえたことになります。
→ウェブで工作舎のサイトを調べてみました。99年に日本翻訳文化賞を受けています。実は、この受賞は、記憶していました。記憶していなかったのは、この大業=ライプニッツ著作集の翻訳作業が完成していたことです。全10巻。
数学は、第2巻と第3巻を占めます。
たしかに値段は高いのですが、貴重な翻訳です。ライプニッツやライプニッツ的なるものに関心がある方は、是非、買って手元においておきましょう。一生の宝となります。[千のキミア・プロジェクト再開 iv ]
次は、Acta Eruditorum
やはり、かなりの頻度で、「アクセスできません」を返してきますが、これまでは2度目3度目でアクセスできています。
やはりガリカの示す巻号数をそのまま一部抜き取っておきましょう。
1691
1693 . 1682-1693 (T. 1)
1693
1703
1704 . 1692-1701 (T. 2)
1704
1707
1710
以上のようにけっこう不規則です。
かぞくそろって6時10分。起きた頃には小雨。ちいさいちびが出かける頃には、上がっていました。[千のキミア・プロジェクト再開 iii ]
昨日開始したPhilosophical Transactions のダウンロードですが、1750年で一応の区切れとします。
ロンドン王立協会の『哲学紀要』ですが、せっかくの機会なので、フルタイトルを示しておきます。
Philosophical transactions of the Royal society of London : giving some accompt of the present undertakings, studies, and labours of the ingenious in many considerable parts of the world
ガリカが示す通りに、出版年と巻数の対応表を示します。ご覧の通り、かなり不規則な部分が多い。
1665-1666 (Vol. 1)
1667 (Vol. 2)
1669 (Vol. 3)
1670 (Vol. 5)
1670 (Vol. 4)
1672 (Vol. 7)
1673 (Vol. 8)
1674 (Vol. 9)
1675 (Vol. 10)
なお、ダウンロードですが、「アクセスできません」という表示がでても、気にせず、何度かトライすれば、繋がります。正確にはわかりませんが、ちょっとしたタイミングの問題だと思っています。
もちろん、昨日記した通り、目次がでますから、目次を出しておいて、必要な箇所だけ読む/ダウンロードするというのが正しい利用法でしょう。
ページ数がわかっていれば、そのページだけを利用することもできます。
→ダウンロードしたファイルは、大学のマシーンにコピーしてストックしておきます。一度CD-R に焼いてからもっていくのですが、何と、『哲学紀要』をCD-R に焼き付けている最中、HD容量が足りなく操作が完了できないという指示がでました。38GのHDですが、ほとんどいっぱいになっていました。残り容量が1G以上ないと大きなファイルの焼き付けはできないようです。
急いでリダンダントなファイルを削除し、空きを作りました。
Journal des Scavans とPhilosophical Transactions あわせて2G以上になりました。この速度でダウンロードするとHDはいずれいっぱいになります。科研費の正式な決定通知がきていました。2年計画の2年目で、内定はすでにもらっていますから、これは形式です。
海外に一度調査にでて、報告書を作成するとそれだけでなくなってしまう金額です。[ブラジル戦]
さて、ブラジル戦の日。現地時間午後9時開始ですから、日本では明日の早朝の4時です。4時ならいつもよりすこしはやく起きれば見ることができます。
かぞくそろって6時前。あかちゃん、おおきいちび、私が1階へ。
夜半に雨。起きたときは止んでいましたが、小学生がでかけるころにはまた雨。
ちいさいちびをおくっていた帰りに郵便局で、固定資産税を支払ってきました。たぶん、つぎは9月か10月。[千のキミア・プロジェクト再開 ii ]
昨日開始したJournal des savantsですが、予想とおり、朝方に1700年まではダウンロードすることができました。量的には、約1G強。最初は薄く、1690年に入ってから厚くなっています。広く認知され、定着した印でしょう。
予定通り、次は、Philosophical Transactions に行きました。Philosophical Transactions は、EEBO や ECCO でもその時代のものが入手できますが、ガリカのものは、Table of Contents = Table des Matières が別立てで見ることができます。雑誌ですから、こうした目次提供サービスが有用です。
おおきいちびが起きて、5時50分。あかんぼうは起きていました。久しぶりに好天。洗濯物、洗濯物!ちいさいちびを幼稚園に送ったあと、セイユウで掃除用品一式。ちびどものダニ対策です。ただちにダニ退治をするのは難しいのですが、防虫、防ダニに役立ちそうなものを買ってきました。
私は見逃してもらえるかと思ったら、やはりダニに刺されました。足に3箇所。痒いのは痒いのですが、ちびどものように腫れ上がることはありません。
昨夜はちいさいちびが足の裏を刺されたのが痒いといって、夜中起きて泣いていました。もっとも痒い場所です。薬を塗ってやるほかにできることなし。[千のキミア・プロジェクト徐々に再開]
学会の発表が続いたのですこし休んでいた「千のキミア・プロジェクト」ですが、ゆっくりと再開することにしました。再開前の点数が1513点。
今回は、雑誌から攻めたいと思います。
Journal des savantsの17世紀の分はコレクトしておくことにしました。
1665年の号から始まり、1700年まで35巻。(1673年の号が欠号)。
1700年までであれば、明日中に完了すると思います。
その次は、Phil. Trans. でしょうか。[マイモニデス&メンデルスゾーン]
ふと思い立って、モーゼス・メンデルスゾーンに関する本がないかどうか調べてみました。どうも、日本語での成書はないようです。
1冊ぐらいあってもよいのに。
ひとりで6時。あかんぼうも起きていました。[嗚呼、引き分け]
日本対クロアチアですが、スコアレスドロー。ああ、引き分けです。
暑かったということもあるでしょうが、前線の3人に元気がなかったように思います。→ゼミで話題になりました。柳沢くび、の声が大きかった。
気温が28度まで上がったようです。私は午後はずっと研究室にいたのでそれほど暑さを感じなかったのですが、時間がたつにつれて入ってくる学生の顔が暑さを感じさせます。5限目、T氏があまりに暑そうだったので、クーラーを入れました。
それまでは、窓とドアを全開にしていました。30度に達するまでは、その方が快適だと思います。
あかんぼうがおきて、5時半。今日も学会にて和光大学へ。
→すこしゆっくりめに家をでました。新宿9時半の急行。鶴川からの山の登り道を歩いて、10時半に和光大学につきました。発表は、ちょうど2人目から。
とおもったら、前から3番目ぐらいの席で話を聞かれていたK氏が変な声を出して、倒れられました。出席者のひとりにお医者さんがいたので、緊急の処置は的確に。会場の責任者の方々が走り回って、すぐに救急車がきました。
救急車がくるころには、落ち着いて話せるようになっていました。お医者さんの見立ては軽い脳梗塞ではないかということでした。
学会から二人が救急車に同乗して、救急病院へ。
大事はないようなので、発表は30分遅らせて、再スタート。
昼休みに簡単に編集委員会をやって、午後一番は特別講演。
2時〜4時と最後の一般講演。その前半の座長を仰せつかっていたので、1時間司会席に座っていました。
今晩と明日のことを考えて、終了の30分前に会場をでました。5時15分頃帰宅。
→しばらく、これで、発表等はありません。書かないといけないもの、手を入れないといけない原稿があるので、そっちにエネルギーを注ぎたいと思います。
ともあれ、すこしほっとしています。
→具体的には、化学史研修会というのが8月19日(土曜日)にあります。たぶん、1時間。予稿の締切が7月20日。
この前のシンポのまとめが7月末。読み上げ原稿を10枚にまとめます。
そして、翻訳の改訂。たぶん、夏休みすぐ。
あかんぼうが起きて、5時45分。雨はとりあえず上がっています。
化学史学会年会の当日。和光大学まででかけます。朝の8時過ぎにでて、たぶん帰宅は9時から10時の間。
→8時10分ぐらいに家をでました。鶴川の駅には、9時25分ぐらいに着きました。和光大学の学バスが9時40分に駅前から発車すると案内にあります。学バスの発車場所がわからず、駅前のロータリーをうろうろしていたら、I 氏に遭遇。I さんが場所を知っていました。
5名ないし6名がそのバスで、和光大学へ。山の途中に校舎があります。会場につくと、いつも朝の早い事務局長が椅子に座って受付をされています。手間取っていたので、領収証をいらないので、と言って、お金(参加費+懇親会費+お弁当代)だけ払って、休憩室へ。
お茶を一口いただいてから、会場の教室へ。私の発表は朝一番。
会長の開場の挨拶のあと、「化学史のデジタル・ライブラリー」をかなりゆっくりとした展開で話しました。予想通り、スクリプトの最後の方は話すことができませんでしたが、重要な部分は前に持ってきていたので、問題なし。
レジメの最後に、「日本では所在を確認できなかった」と記した Landmarks of Science という化学史のマイクロフィルムコレクションについて、貴重なコメントが頂けました。オクラホマ大学のコレクションに基づくもので、日本では、新潟大学と名古屋大学にある、ということでした。ウェブキャットでは検索をかけてもヒットしません。慶応大学のLJ氏によって、ウェブキャットではでないが実際には存在するものがけっこうあるということを教えてもらっています。
マイクロフィルム(正確には、マイクロフィッシュを含むマイクロフォームですが、日本ではマイクロフィルムがマイクロフォームの意味で使われることがあるので、その意味で使っています)コレクションは、そうしたインターネットの検索網から漏れやすいのではないかと思っています。
時間に余裕があるときに、実物を確認してきたいと思います。
あるいは、新潟大学または名古屋大学の方で、ご存じの方、あるいは、調べていただける方がいらしたら、大歓迎です。よろしくおねがいします。お昼休みに評議員会(兼理事会)、午後すぐに総会、とあって、午後2時半から今年度のメインイベントのシンポジウム「公害・環境問題と化学の歴史」。
講師にお呼びした方の知名度のせいでしょう、これまでの年会で最高の人出。たぶん、100名を超えていたのではないでしょうか。(これまでは多くて70名まで程度でした。)半分の方は、化学史学会の会員外の方だったように見受けました。
3人の講師の方の話は、非常に印象深く、胸の奥に深く残る重要な内容でした。私は聞きながら、ああ、学生たちにもこの話を聞かせてやりたかったと強く感じました。シンポジウム終了後は、迷路のようなルートを辿って、懇親会会場へ。
懇親会では、挨拶だけではなく、なんと催しものもありました。
I 氏の先導で、歩いて山を下り、帰途につきました。[ここにもシンドラー社]
木曜日に、聞いた話です。外大の事務棟のエレベーターもシンドラー社のものを使っています。読売新聞に、外大のエレベーターでも事故が数件あったという報道がなされていたのだそうです。私はまったく知りませんでした。亀山図書館長がちょっと見て見ろ、ということでエレベーターのなかの社名を確認しました。
こんな身近なところにシンドラー社のエレベーターがあり、私もたまには利用しているという事実に驚きました。普段研究講義棟で使っているものは、記憶に間違いがなければ三菱だったと思います。
ひとりで5時50分。本格的な雨。ちいさいちびを幼稚園に送っていったあと、学級参観。おおきいちびが期待していたようなので、半時間を目途に見てくることにしました。
1年生は1年生です。(私は自分の1年生の頃をほとんど覚えていない。)きょろきょろきょろきょろ、落ち着かない子もけっこういました。
帰ってきて、片づけと明日の準備と。
ちびどもの下校時に雨が上がってきました。3時過ぎには晴れ間も。梅雨の晴れ間はほっとします。
下の小説というのを読みたくなって、近所の本屋さんを3軒まわり、2006年『文藝』夏号というのを買ってきました。高橋源一郎の特集。昨日は5限終了後、いつも「表象文化とグローバリゼーション」のために、喜んで駆けつけてくれている小谷真理さんを囲んで会食。
亀山、渡辺、私、小谷さん、と学生が一人という構成で、地元の寿司屋さんへ。いろいろと面白い話を伺うことができました。小谷さん、いつも、ありがとうございます。
非常におもしろい若手の小説を紹介してもらいました。[マイモニデス]
次の講演会があります。スピノザ協会の高木氏によるものです。
講演者と講演タイトル:高木久夫氏「信仰と哲学の分離: マイモニデス、エリヤ・デルメディゴ、スピノザ(仮題)」
日時:2006年7月8日 (土曜日) 4時半〜7時。
場所:東京大学駒場2号館(地図) 3階308号室
スピノザ協会によれば、会員でなくても自由に聴講できる、とあります。余裕があれば、行ってみようと思っています。
私、あかちゃん、妻は、6時20分。ちびどもは7時前。曇り。
おおきいちびの虫さされは、まだ腫れがひいておらず、痒い、痒い、と泣いています。足の裏がとくに痒いようです。
今日はいわゆる参観日です。昔とは仕組みが違っていて、今日と明日は、いつ学校を見に行ってもよい、というそういうシステムになっています。ですから、授業参観ではなく、学校開放と呼んでいます。夜中に目覚めたのですこし仕事。
昨夜のことですが、ダニが活動したようです。おおきいちびが体中刺されていました。妻も何カ所か刺されていました。
おおきいちびは虫さされに弱い、体質的にちょっと刺されただけで大いに腫れ上がるタイプです。見ていてかわいそうになります。小学校でも痒くて、保健室に駆け込んだら、保健室の先生がびっくりしていたということです。
同時に気弱。痒い、痒いとぴーぴー、ぴーぴー。泣いてもよくならないから、薬をつけてはやく寝ようというのですが、やっぱりぴーぴー、ぴーぴー。
なんとか寝付きましたが、やはり痒いのでしょう、日付の変わるあたりで目が覚めて、またぴーぴー、ぴーぴーいっているので、ともあれ、薬をつけてやりました。
なお、痒み止めの薬は、原因がなんであれ、同じようです。私がジンマシンでもらってきた薬も、ちびが虫さされでもらってきた薬も同じものでした。
ジンマシンは2時間でおさまりますが、ちびの虫さされは、ほんとうになおるまで1週間ちかくかかります。
昨日、医者に寄った帰り道、シーツだけでも新しいものをと思い、4枚買ってきました。体質なのでしょうか、そう、私はそれほどダニにやっつけられない。[ニュース]
ずっと気になっていたのですが、今回の通常国会にかかった臓器移植法の改正案2案の審議状況がニュースとしてでていました。
継続審議が事実上確定した、ということです。
衆議院厚生労働委員会で審議日程が組めなかったとあります。
審議はされているものだとばかり思っていました。[マイモニデス]
気になったので、マイモニデスに関する邦語の書物があるかどうか調べてみました。
6月20日刊行予定の次の1冊だけが見つかりました。
A.J.ヘッシェル『マイモニデス伝』森泉弘次訳、教文社、2006
四六判、350頁、定価2940円、ISBN 4-7642-6660-1 C3014
おお、予定では、来週発行です。見つけたら、買って読んでみようと思います。
重要性から言って、もう少し日本語の本があってもよいのではないでしょうか。
あかんぼうはいつもと同じぐらい(?)。私は6時40分。曇り。会議の日。学部教授会。2時半〜5時45分。この時間なら許容範囲。
[血液検査の結果]
あかんぼうは、予防接種に。私は、先週のジンマシン発症のときに行ってもらった血液検査の結果を聞きにお医者さんへ。
これという結果はでないだろうと予想していたとおり、これが原因だというものはありませんでした。IgE というのが急性のアレルギーの指数となるのだそうですが、それが基準値(170以下)よりわずかに高かった(177)のと、アレルゲンでは、6段階中スギに対する評価が3といくらか注意を要するほかは、食物は0、ヒノキ、ダニ、ハウスダストが2という数字がでていました。食物だったら嫌だなと思っていたのですが、アレルゲンは食べ物ではないようです。
はっきりとした原因がでなかったので、疲労とストレスに注意して下さい、というごく一般的な診断結果となりました。
過労にならないように、ストレスが多い仕事は引き受けない、ということを普段注意するしかないようです。[Johannes Buxtorf]
昨日、「スピノザ・コレクション書目」ではっとしたのは、ヨハネス・ブクストルフの書物が5冊も含まれていたという事実に気付いたからです。
ロバート・ボイルがヨハネス・ブクストルフ(子 Johannes Buxtorf, 1599-1664) によるマイモニデスの『迷える者たちの手引き』(バーゼル、1629)を使っていることは、新しいボイル全集の書評で私自身の注記しています。そのとき以来、ブクストルフのことは気になっていたのですが、今回、このリストをみて、もう少し詳しく知りたくなったものです。
まず山梨大学のコレクションですが、父Johannes Buxtorf (1564-1629)のものは次の2点です。
De Synagoga Judaica, de Judaeorum Fide, Ritibus, Ceremoniis, tam Publicis & Sacris, quam Privatis, in domestica vivendi ratione, Tertia editione de novo restaurata ... redacta, a Johanne Buxtorfio Fil.
Basel, 1680
(第3版は、1622年に出版されています。)Lexicon Hebraicum et Chaldaicum
Basel, 1710
息子のものとしては、上のマイモニデスの翻訳の他に、書簡集1点、辞書が1点です。
Institutio epistolaris Hebraica, sive de conscribendis epistolis Hebraicis liber, cum epistolarum Hebraicarum centuria...
Basel, 1629Lexicon Chaldaicum, Talmudicum et Rabbinicum
Basel, 1640解説によれば、この『タルムードとラビ文献のカルデア語辞典』は、もとは父ブクストルフの編纂になる『ヘブライ語カルデア語辞典』(上の父の著作の2番目のもの。山梨大のコレクションが有する版は、1710年の第11版)を子ブクスフルトが拡充したものとということです。
カルデア語というのは、今日はアラム語と呼ばれる言語。
批判的ユダヤ学が出現する19世紀まで、ブクスフルトの辞書が重宝された、とあります。さて、私がわからないと思っていたのは、More nebuchimという書名です。調べてみると、1629年の版は、次のタイトルでした。
Rabbi Mosis Majemonidis liber Moreh nevukhim Doctor perplexorum
これは、ラテン語訳のもととなったヘブライ語版のタイトルを残したということのようです。手元にはさすがにヘブライ語の辞書はありませんが、Moreh とうのが、導きの意味ではないかと推測しています。なお、父ブクストルフに関しては、1994年度Frank S. and Elizabeth D. Brewer Prize Essay of the American Society of Church History.という賞を受けたよい研究書があることがわかりました。
Stephen G. Burnett
From Christian Hebraism to Jewish Studies: Johannes Buxtorf (1564-1629) and Hebrew Learning in the Seventeenth Century
Brill, 1996
ブリルの本ですからすこし高いのですが、この時代のユダヤ研究、ユダヤ学の概要を知るのに好便だろうと考え、アマゾンに発注しました。来月には届くのではないでしょうか。→ウェブに、"The Moreh Nebuchim Literature" という『迷える者たちの手引き』そのもののテキスト史の解説があります。
それによれば、アラビア語のテキストは、S. Munk の手で1850年から1866年にかけて出版された。(アラビア語のオリジナルとフランス語訳)
ヘブライ語訳は、2種類。Samuel Ibn Tibbon によるものと、Jehudah al-Harizi によるもの。それぞれ別々に独立してなされた。
ティボンの翻訳は正確であり、ほとんどの近代語訳は、ティボンのヘブライ語訳から訳された。ヘブライ語の書物と草稿のコレクションを有するほとんどの図書館に、ティボンのヘブライ語訳のMSSが所蔵されている。そのタイトルが、Moreh-nebuchim.
この翻訳の editio princeps は、出版地、出版年の情報を記していないが、1480年以前であろう。
ヨハネス・ブクストルフィウスがラテン語訳して、バーゼルで1629年出版したのもこのヘブライ語訳であった。
あかんぼうはいつもと同じぐらい(?)。私は6時40分。昨夜の敗戦をいろいろ考えていました。朝は曇っていて涼しい。[おこる]
あかんぼうはけっこういっちょうまえになってきました。下の前歯が2本わずかに顔をのぞかせています。けっこう長い時間ひとりで座って目の前のおもちゃで遊ぶことができるようになりました。
そして、何より、自分だけないと怒る。おねえちゃんたちが何かを手に持って食べていると、自分も欲しいといって怒ります。もちろん、持っているものが同じかどうかはまだわかりませんから、ともかくかじれるものを手に持たせてやるとそれで満足します。赤ちゃん用のせんべいもよろこんでかじっています。(少し食べていますが、まあ、大半はただかじっています。)
おもちゃであそんでいてもおもいどおりにならないと、いらいらしておこります。
そうやって進歩したおかげで、手で掴むことに関しては、まま掴むことができるようになっています。昨日ふとしたきっかけで、内田樹氏がスピノザ協会の高木さんの講演に触れたブログを読みました。
ウェブで検索をかけて、2005年山梨大学附属図書館で催された展示「スピノザと思想家たちの時代」のコレクション・リスト「スピノザ・コレクション書目」をダウンロードして読みました。解説は、山梨大の佐藤一郎氏と高木久夫氏。
私にとってとても参考になる情報がありました。おお、もうすぐ学会発表です。17日(土曜日)和光大で朝一番の発表。一通り仕上げた読み上げ原稿を読み直し、青を入れました。赤ではなく青というのは、私の用語ですが、読み上げ原稿に青色インクで見出し語や追加情報、口頭発表のための用語の言い替え を書き入れることです。
読み上げ原稿をぱっとみて、流れがぱっとわかるようにする工夫です。
大きな赤が入る場合は、打ち直し、再度プリントアウトして、それに青を入れます。
→交通も調べました。和光大学は、小田急線の鶴川という駅から徒歩15分とあります。乗換案内で調べると、西荻から鶴川は電車に乗ってしまうと、ほぼ1時間です。歩く時間を計算すると、1時間半ということになります。私の発表は、朝の一番、10時15分からです。8時15分ぐらいに家をでて、ちょうどよい感じでしょうか。[本間氏のルネサンス医学史論文]
5月27日に、著者本人より、科学史学会年会会場(東洋大)でもらった次の2点の論文をやっと読了しました。
本間栄男「17世紀ネーデルラントにおけるルネサンス生理」『東京大学教養学部 哲学・科学史部会 哲学・科学史論叢』第8号(2006)、pp.1-63.
本間栄男「消化という物語を<わかる>―17世紀西欧生理学の理解と認知」『UTCP 第5号 研究論集:科学における言葉の運用/近代政治システムと東アジア/他』(2006年), pp.27-44.
「消化という物語を<わかる>」の方は6月4日に読み通しています。非常にすっきりとしたよく<わかる>論文です。
今朝読了したのは、上の本文50頁の大論文です。こちらもとても明晰に記述されており、17世紀におけるルネサンス生理学のありようがよく見えました。とくに、最後の第10節「17世紀生理学入門書の読み方・読まれ方」は私の最近の関心と重なっており、非常に興味深く読みました。
きちんとつめて調査することはできていませんが、実は私は、ロバート・ボイルの自然哲学の一部は、医学起源ではないかという予想を抱いています。もうすこし正確に表現すれば、「医学者たち」の伝統のなかで表明されていた概念・思想を自身の自然哲学の基本的な部分に取り込んでいるのではないか、という予想です。
本間氏の論文は、この予想に対してある示唆を与えてくれます。
[ワールドカップシフト:日本敗北]
待望の日本対オーストラリア。午後10時〜12時前。
どちらもよいサッカーではなし。後半の40分前後から3点を取られて、1対3で日本の負け。日本の弱点がでました。守備の弱さがでました。
攻撃面においても、切れが今一歩でした。
残り2戦、ともかくよいサッカーをしてもらいたい。あかんぼうは、たぶん、5時前。私は、6時前。ちいさいちびは6時過ぎ。
土曜日の振替休日でちいさいちびの幼稚園はお休みですが、いつもと同じ時間にでかけて、大学へ。ちょうど気持ちのよい気温です。
いつもとおり、授業を行って、帰宅。
自動車保険、ソニー損保の証書が届いていました。ネットで手続きするといくらか割引されるということで、先週手続きしたものです。最初の更新。
走行距離は、1年で千キロを切っています。最近は、近所のお買い物だけです。近いところだと、1回走っても3キロ程度です。
来週は、あきらめて、固定資産税を支払う予定。
[1回転]
下の歯2本が見えたあかんぼうは、寝返りで1回転ができるようになりました。どうもうれしいようで、昨夜寝る前、芋虫に似た動きでくるくるを何度も試みていました。[ワールドカップシフト]
メキシコ対イランを見ました。そういえば思い出しました。日本が目指すべきサッカーはメキシコではないかと、前回思ったのでした。スピードのあるよいサッカー。3対1でメキシコの勝ち。オランダは、苦労しましたがセルビア-モンテネグロに1対0の勝ち。
ポルトガルもアンゴラに対して、1対0の勝利。
ここまで、強豪国が順調に勝ち点3をゲットしています。
あかんぼうは、たぶん、5時半。のこりは、6時前。6時なら許容範囲か。
朝はいくらか雨。→朝の8時にならないうちに、空が暗くなり、本格的な雨。ほとんど夜になったかと思うぐらい、暗くなりました。→30分もすると、空の暗さは薄れてきましたが、梅雨にはいったことを実感させてくれます。
昨日は自宅前の道に、カタツムリが4匹も見つかりました。おねえちゃんは、気持ち悪い、妹の方は、おとうさん、とって。[総合雑誌]
ずっと雨。外出する約束だったので、2時過ぎに駅前の本屋さんに連れていってやりました。私は、『文芸春秋』『中央公論』『論座』2006年7月号を3冊。ちびどもは、幼稚園児が小学1年生、1年生が小学2年生の学年誌を買いました。駅前のパン屋さんでおやつを食べてから帰宅。
総合雑誌は、3誌とも、「愛国心」論争を扱っています。あまりとりあげたくない言葉です。[ワールドカップシフト]
ドイツ対コスタリカ戦を録画放送で見ました。得点結果通りの内容。攻撃と前線からの守備に関しては、ドイツの方がずっとよし。ただし、守備に不安を抱えています。
この内容であれば、よい試合、面白い試合はすると思いますが、予選突破後、勝ち続けるのは難しいのではと思います。イングラント対パラグアイ。ベッカムのフリーキックがパラグアイディフェンダーの オウンゴールを誘い、1対0でイングランドの勝ち。イングランドにとっては、勝ったからよい、という試合でしょう。
内容的には、パラグアイもよかったので、先行きは不明。アルゼンチン対コートジボワールは、2対1で、アルゼンチンの勝ち。
スウェーデン対トリニダード・トバゴは、スコアレスドロー。スウエーデンの攻撃は魅力的でしたが、ゴールを奪えず。
[幼稚園の参観日]
あかんぼうはたぶん4時半。私は、5時。好天。
幼稚園の参観日です。小学生も行くと言っているので、家族総出になります。
ワールドカップの初戦、ドイツ対コスタリカは見ませんでした。ニュースで、4対2。ドイツの勝利。ニュースはゴールシーンだけなので、試合全体の流れはわかりませんが、ドイツにファインゴールが目立ちました。
→ちびどもも5時半に起きてきました。はやすぎます。途中で疲れてくるのは目に見えています。
→幼稚園の参観は、9時(いつもと同じ)〜午後1時(いつもより1時間早い)。半分は、ぼんやり見ていました。
11時過ぎに、小学生がお昼を食べるというので、西友の隣の天丼屋さんに二人ででかけて昼食。小学生は天丼、私は天丼セット(うどんつき)を頼みました。
小学生は、どうもうどんがよいようです。半分をわけてあげました。
駅前のコンビニで妻のためにおむすびを買ってから幼稚園に戻りました。幼稚園でも昼食の真っ最中でした。ちいさいちびは、クラスで一番に昼食を終えていました。
あかんぼうは、途中で一度寝て、ミルクを飲みました。
→帰り着いて、親は二人ともぐったり。ちびどももすこし疲れていたようですが、おやつを食べたあと復活して、元気に図画工作教室をはじめました。
幼稚園の工作の時間に、張り紙でカタツムリを作ったので、ふたりで8面のカタツムリを作っていました。
こういうふうに図画工作に熱中してくれると親としてはたすかる。遊びによっては、ふざけていてすぐにけんかになるものもあります。Brian W. Ogilvie
"Encyclopaedism in Renaissance Botany: From Historia to Pinax" in Peter Binkley (ed.),Pre-Modern Encyclopaedic Texts(Leiden, 1997), pp.89-99
ノートをとったり整理したりの作業が間に合っていませんが、ともあれ少しでも記しておきます。Brian W. Ogilvie のものは、その提示する図式の点で、まるまる紹介する価値があると思われます。
「1550年から1620年にかけて、植物学的百科事典は内容と組織化原理の点において根本的な変化を被った。この変容は、16世紀後半に生じた自然誌の目的と実践における変化を反映している。1550年を通して、植物学コンペンディウムは実質的にすべて百科事典的であることであることを標榜した。その著者たちは、植物界の、簡便で網羅的な説明、すくなくとも医薬品に役立つ植物の網羅的な説明を与えようとした。半世紀後、この意味での百科事典主義は、実際のものというよりも理念的存在となった。何百もの新しい植物の記述を含む何十もの専門的著作が、以前の百科事典的著作を不完全なものとした。そして、この情報の洪水は、伝統的な形で百科事典的著作を著すことを望んだもの達にとって当初扱いかねるものであった。植物学における包括的な著作への欲求は、持続した。しかし、それは新しい形態を求めた。すなわち、Pinax 、植物表である。」
あとは、頂点だけを紹介しておきます。
植物情報の混乱に転換点をもたらしたは、カスパー・ボーアン。16世紀後半の植物学の混乱に対して、植物誌ではなく、同義語の辞書を計画した。
その最初が、Phytopinax (1596). 完成型が、Pinax theatri botanici (1623).
あまりよい整理ではないかもしれませんが、ルネサンス植物学が近代植物学に変貌するために必要だったのは、言葉の問題だった、すなわち用語法の整理だった、とまとめることができるかもしれません。
ボーアンは同時に、バーゼル近郊に育つ植物の網羅的なカタログを出版する。Catalogus plantarum circa Basileam sponte nascentium Basel, 1622. これは近代のローカルなフローラの嚆矢。
ひとりで4時10分。夜半、梅雨入りを思わせる雨が降っていました。→梅雨入りのようです。ジンマシンについて情報提供してくれる方がおり、原因解明とはいきませんが、すこし様子がわかってきました。発症の条件としては、疲れやストレスが一番関連しているようです。お医者さんたちの判断としては、食物アレルギーの反応にもっとも近いということのようです。
まったくの推測ですが、ただ発生率がとても低いというだけで、花粉症と同じように、この種のジンマシンを発症する人が増えているのでは、と考えてみました。もし思い当たる方がいたら、連絡いただければ幸いです。
状況証拠でも、数があつまれば、原因推測に役立ちます。
→この推測がいくらかでも当たっていれば、ウェブに参考になる情報があるはずだと思い、検索をかけてみました。同じサイトですが、参考になる情報がありました。
ジンマシン
食物アレルギー>幼児アレルギー
ジンマシンによって、血圧低下を招き、失神・意識喪失という事例は少数ですが存在しています。
→アナフィラキシーショックに関しては、たけしのテレビではじめて知った概念です。テレビの与えるイメージが強烈に過ぎたようです。もうすこし一般的で広い適用をもつ概念だと見た方がよいようです。
上のサイトには、「食べ物が原因で1時間以内にジンマシンなどの症状を起こす『即時型食物アレルギー』で、大人も含めた患者の10人に1人が命に関わるショック症状に陥ることが2003年6月、厚生労働省研究班の全国調査でわかった」とあります。[ワールドカップ開幕]
とうとう、ワールドカップ開幕日。
ジンマシンがでないように、うまくスケジュールを調整しないといけません。
ちいさいちびといっしょに5時20分。まだ晴れ。もうすぐ梅雨入りでしょうが、昨日も雨は降りませんでした。
ジンマシンのせいかどうかはよくわかりませんが、昨日はとても疲れました。ちびどもよりも先に就寝しました。昨日開始した化学史学会一般講演のスクリプト作成ですが、今朝方一応完成しました。0次バージョンの完成です。あとは、添削です。とくに付加すべき情報、削ってもよい情報を考えます。
[レジメ]
スクリプトの方ではなく、レジメをアップしておきます。
「化学史のデジタル・ライブラリー」 『化学史研究』第33巻(2006)第2号、p.114-5.
私の知らない有用なサイトがあれば、是非、お教え下さい。また、科学史の1次文献を含むマイクロフィルムコレクションの情報を歓迎します。
よろしくお願いします。ついでに、科学史学会でのシンポジウムのレジメもアップしておきます。
「ロバート・ボイルと人文主義の方法」in「シンポジウム:近代における知とその方法:宮廷,サロン,コレクション」『日本科学史学会53回年会 研究発表講演要旨集』p.13
2006年5月27日〜28日 東洋大学白山キャンパス(東京)
ひとりで4時20分。6月17日の化学史学会一般講演「化学史のデジタル・ライブラリー」のために、スクリプトを用意する作業に着手しました。ちびどもが騒ぎはじめるまで、たぶん、半分ぐらいは進めることができたと思います。
朝が早いと、こういうときに有利です。朝一番で大学にでて、授業で使うコピーをとり、今日が締切の本を返却して、帰ってきました。ありがたいことに、今日は会議の開催通知が来ていません。
帰りの中央線で腕が痒い。虫さされかな、と思っていたら、ジンマシンの再発でした。5月17日にでた全身ジンマシンで、ジンマシンと失神そのものにたぶん因果関係はないだろうと推測できたので、まずはともあれ、急いで家に帰り、保険証と診察券をポケットに入れて、いつものお医者さんへ。
このジンマシンは、発症してから1時間ぐらいがひどく痒い。1時間を過ぎると、痒さはすこしずつおさまり、だいたい2時間でおわります。医院についたころは痒さのピークでした。診察室に入ったころには、痒さのピークは過ぎていましたが、腕は何事かというひどい状態。お医者さんは、ひとめ見て、わーひどい。
肝臓の機能が低下しているときにでやすいのだそうです。健診は先週の木曜日に受けたばかりなので、肝機能の結果が出たら、もってきてください、とのことでした。
痒み止めの筋肉注射をし、アレルゲンを調査するための採血をして、帰ってきました。調査結果は1週間ででるということです。個人的に、アレルゲンが何か、特定できる材料はありません。特定できるとしたら、かなり一般的なものかもしれません。
ともあれ、結果を待つのみ。
かぞくそろって6時すぎ。曇り。9時半ぐらいに、あかちゃんの歩行器がきました。買うか、借りるか、ずいぶん悩んでいた妻ですが、借りることにしたようです。
あかちゃんは自分で動けるのがうれしいようで、ぱたぱた動いています。
そういえば、歯ももうすぐはえてくるようです。指を噛ませてやると、上顎に歯が潜んでいるのを感知しました。ちいさいちびがちいさいころけっこうがぶっとやられて痛い思いをしましたが、またしばらく痛い思いをしそうです。[ヘルパンギーナ]
おおきいちびのかかった風邪の名称がわかりました。ヘルパンギーナといいます。杉並区が配布した「あわてないで 子どもの病気」というパンフレットに出ていました。32頁のパンフにでているぐらいですから、かなり一般的な病気のようです。(私は知りませんでした。)「初夏から夏にかけて流行る病気で、原因は夏風邪のウイルス」「特別に効く薬はなく、口当たりのよいものを食べさせてあげてください。」とあります。「ひどい場合は、水分も受け付けなくなる」とのこと。
パンフでは、「ヘルパンギーナ」の前が「手足口病」、あとが「プール熱(咽頭結膜熱)」。どれも、夏風邪のなかまで、ウイルスが原因とあります。なるほど。
ちいさいちびといっしょに5時半。今朝は晴れ。2限、3限、5限の授業。4限は、発表者の方のやむなき事情により、延期。
4限のあいだに、鳩騒動の片づけをしていました。1時間程度。完了していません。帰宅すると、おおきいちびとちいさいちびはよく食べたと言うことです。おおきいちびは給食もしっかり食べられたということで、やっと普通にもどりました。ちいさいちびの風邪からはじまっていますが、長い1週間でした。
あかちゃんは、2〜3日前から座れるようになりました。まだいきなり後ろに倒れるので、背中側にクッションや座布団が必要ですが、15分程度は自分で座っていられるようになりました。何かどんどん大きくなっている気がします。生まれたときは小さかったのに、1歳児とあまり変わらない体重となっています。抱っこしていると、腕と腰にきます。
図書館の相互貸借で借りた次の本の目次を掲げます。
Peter Binkley ed.,
Pre-Modern Encyclopaedic Texts: Proceedings of the Second COMERS Congress, Groningen, 1-4 July 1996
(Brill's Studies in Intellectual History)
Leiden: Brill, 1997目次
Encyclopaedia: Definitions and Theoretical Questions
Robert L. Fowler
Encyclopaedias: Definitions and Theoretical Problems ...3
E.C. Ronquist
Patient and Impatient Encyclopaedism ...31
Bernard Ribémont
About the Definition of an Encyclopedic Genre in the Middle Ages ...47
Peter Binkley
Preachers' Responses to Thirteenth-century Encyclopaedism ... 63
Brian W. Ogilvie
Encyclopaedism in Renaissance Botany: From Historia to Pinax ... 89
Organisation of Knowledge
Christel Meier
Organization of Knowledge and Encyclopaedic ordo: Functions and Purposes of a Universal Literary Genre ...103
Catherine Rubincam
The Organisation of Material in Graeco-Roman World Histories ...127
Hilary Kilpatrick
Cosmic Correspondences: Songs as a Starting Point for an Encyclopaedic Portrayal of Culture ...137
Kimberly Rivers
Memory, Division, and the Organisation of Knowledge in the Middle Ages ...147
Maaike van Berkel
The Attitude towards Knowledge in Mamluk Egypt: Organisation and Structure of the subh al-a‘sha by al-Qalqashand (1355-1418) ...159
Jan R. Veenstra
Cataloguing Superstition: A Paradigmatic Shift in the Art of Knowing the Future ... 169
Epistemology of Encyclopaedic Knowledge
John North
Encyclopaedias and the Art of Knowing Everything ... 183
Wout Jac. van Bekkem
Sailing on the Sea of Talmud: the Encyclopaedic Code of Early Jewish Exegesis ... 201
Bert Roest
Compilation as Theme and Praxis in Franciscan Universal Chronicles ...213
Guy Guldentops
Henry Bate's Encyclopaedism ...227
Cultural and Political Uses
Geert Jan van Gelder
Compleat Men, Women and Books: On Mediaeval Arabic Encyclopaedism ... 241
Frank Trombley
The Taktika of Nikephoros Ouranos and Military Encyclopaedism ...261
G.J. Reinink
Communal Identity and the Systematization of Knowledge in the Syriac 'Cause of All Causes' ...275
E.L. Saak
The Limits of Knowledge: Hélinand de Froidmont's Chronicon ... 289
William N. West
Public Knowledge at Private Parties: Vives, Jonson, and the Circulation of the Circle of Knowledge ...303
Vincent C. Renstrom
Censoring Encyclopaedic Knowledge: The Case of Sahag從 and Sixteenth-century Spanish America ...315
Reception and Transmission of Texts
Michael W. Twomey
Towards a Reception History of Western Medieval Encyclopaedias in England Before 1500 ...329
William Schipper
The Earliest Manuscripts of Rabanus Maurus' De rerum naturis ... 363
John B. Friedman
Albert the Great's Topoi of Direct Observation and his Debt to Thomas of Cantimpré ... 379
Juris Lidaka
Bartholomセus Anglicus in the Thirteenth Century ...393
Ulrich Marzolph
Medieval Knowledge in Modern Reading: A Fifteenth-Century Arabic Encyclopaedia of omni re scibili ...407
かぞくそろって6時半。昨日とほぼ同じ天候。曇り。気温も同じぐらいです。おおきいちびの喉の様子を見てみました。ずいぶんよくなったようですが、まだ白い点々が残っています。昨日の状態は見ていませんが、かなりひどかったことが想像されます。
ずっと家のなかにいるとちびどもがもたないので、吉祥寺に連れていってやることにしました。私はユザワヤに用事があります。
まず、8階に行って、ラブ&ベリーのゲームをいつもとおり6回やらせました。約半時間。それから、昼食。もっとも近いファミレスに行って、ちびどもはオムライス、私はスープスパゲッティ。おおきいちびは水が飲めないと言っていましたが、オムライスはちゃんと食べました。
編集事務用の封筒を買うのが私の用事でしたが、まだ済んでいなかったので、昼食後再度ユザワヤに行って、封筒と紙テープを買いました。
ちいさいちびには、風船セット、大きいちびには、便せん用紙を買ってやり、そのまま帰宅。
おおきいちびは、少し痛いと言いながら、夕食のクリームシチューもまずまず食べましたから、完治とはいかずとも、まあ普通に生活できる程度までにはなおってきているようです。おお、カレンダーを見ると、ワールドカップ開幕までもうすぐです。日本対オーストラリア戦は、5月12日月曜日ですから、ほぼ1週間というところまで近づいてきています。
ワールドカップ本番にむけて最後の壮行試合、日本対マルタ戦を見ました。1対0で日本の勝ち。すっきりしませんが、こんなものかもしれません。
日本対オーストラリア戦は、ふたをあけてみないと、どうなるかわかりません。
ひとりで6時15分。曇っていて、空気がひんやりしています。そろそろなおるとおもっていたおおきいちびの喉の痛みですが、まだひかないようです。朝一番で近所の小児科へ。
私とあかちゃんがお留守番。喉に白い口内炎状のものが数多く発生しているということです。痛がるわけです。薬を塗ればなおるそうですが、そういうのが大の苦手のおおきいちびは、おおあばれしたようです。しばらくしんぼうです。
なお、お医者さんによれば、プール熱も流行っているとのこと。
ひとりで6時。小学生はまだ喉の痛み=腫れがひかず、今日もお休み。思ったより今回の風邪は長引きました。小学生は結局3日間のお休み。
幼稚園生は、今朝は喜び勇んででかけました。いつもより10分程度家をでるのが遅くなったので、自転車に乗せていったのですが、幼稚園の近くで下ろしてやると、走って幼稚園のなかに駆け込みました。
これで、月曜日からは二人とも元気に登校してくれるでしょう。ほっとします。先週の金曜日にちいさいちびが風邪を引いてから、次の日は、科学史シンポジウム、火曜日1限にはリレー講義で1回限定の授業、木曜日にはコンパと、怒濤の展開でした。大きいちびの喉の腫れはまだ(就寝直前)ひいていないようですが、さすがに、明日明後日のあとは治っているでしょう。
幼稚園生をおくって帰ってきたあと、科学史学会学会シンポジウムのためにこなすことができないでいた仕事を進めました。100%ではないのですが、9割方は処理しました。なんかぜいぜいします。
[1.25]
新聞で昨年度の出生率の数字が報道されています。1.25。過去最低ということですが、すでに衝撃ではありません。予想されたことです。
出生率1.25
出生数106万2604人
[税金の季節]
そろそろ来るな、と思っていたものが今日郵便で届きました。今年度の固定資産税です。当初から、どうして住居には「減価償却」にあたるものはないのであろうと思っていたのですが、住宅の評価額は3年に一度見直し、平成18年度がその年度にあたる、とありました。そのせいか、税額が去年より、2〜3割減っていました。税金が減るのは、なにはともあれありがたい。
妻にその話をしたら、減った分は、ちょうど自動車税の分にあたる、ということです。そういえば、ほぼそういう数字でした。[化学史学会一般講演の準備]
シンポが終わってすぐに取りかかっている化学史学会一般講演(「化学史のデジタル・ライブラリー」)の準備ですが、今日、現場で配布する資料が仕上がりました。
A3 で表裏1枚
というコンセプトが気に入ったので、今回もそれにあわせました。まだまだ増やそうと思えば相当程度まで増やせるものなのですが、A3 で表裏1枚の量にあわせて、掲載する情報を選択しました。A4 では、4枚分なのですが、1枚におさまるというのが気に入っています。
こどもが3人病気になると、たいへんです。今朝も大混乱。
(小学生は、喉が痛いといって行きかけていたのに登校途中で戻ってきました。幼稚園生は、今日は幼稚園行かないと言ってききません。)
10時過ぎに妻が3人をつれてお医者さんに行きました。忘れていましたが、健康診断の日。→11時10分に家をでて、11時42分武蔵境発の多磨線。大学には、55分に着きました。健診は、12時までだったので、すべりこみセーフ。どうも午前中の最後だったようです。
最後がよかったのか、待っている人がまったくなく、てきぱきと進みました。12時5分にはすべて完了。目が悪くなっているのと、体重が落ちているのがわかりました。あとは、結果待ち。
健診が終わるまで食事はできません。終わってすぐに、研究室で多磨駅で買ったおにぎり3つを口にしました。
実は、研究室の外の排気口のところに鳥(鳩か)が巣を作っていました。先週気付きました。私の並びはすべての排気口のところに巣があることを確認しています。
先週巣の話をお知らせした、お隣の I 先生が、端っこの3つについて、巣を落としておいてくれていました。(水曜日にやってくれたようです。私のところが一番立派な巣だったということです。)落ちている巣の材料をゴミ袋に入れて、ゴミ捨て場に。
それから一休みしていると、すぐに授業の時間に。昨夜からのことがあって、少々疲れていたのですが、話している最中に力が戻ってきました。ほぼ半分ぐらいまで達したときでしょうか。
それで、4限、5限はまったく普通に授業ができました。
5限終了後は、卒論ゼミコンパ。私を入れて、8人で、近所の飲み屋さんにはいりました。途中から、イタリア語のK先生のゼミの人たちもやってきました。
約4時間の滞在。
近所に住んでいる学生が多く、電車に乗ったのは、私を含めて3人。私はまっさきに下車しましたが、ひとりは新宿まで、もうひとりは千葉まで帰っていきました。おお、しばらく更新が止まっていた桑木野幸司氏のサイトが復活していました。27日にいっしょに東洋大でシンポを行ってから、いつサイト復活なるか、と思っていたら、復活していました。
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