ひとり遅れて、7時半。かすかに雨。いつもより早めに家を出て、吉祥寺へ。科研費によるロンドン出張ですが、昨日報告書を提出したところ、領収書の記載方式が違うのでもう一度もらってきて欲しいとのことなので、H.I.S.まで歩いて、もらってきました。それから大学へ。実は、判子の押し忘れもあったので、大学に着くとすぐに事務棟4階に赴き、まずは判子。それから領収書を提出し、パスポートの写しを渡しました。
それから、教務課教務係へ。昨日の会議の報告&今後の相談。教務係の方がしっかりしているので、簡単な情報交換ですみます。これは助かる。
それから、図書館。ちょっと上智へ調べものに行こうと思い、昨日紹介状を依頼したら、貴重書につき、最低3日の時間がほしいという返事であったと教えてくれました。明日、出張校正の帰りに寄るつもりだったのですが、来週の火曜日に変更しました。情報支援化教育室というところで、鍵をもらって、自分の研究室へ。
今日の3限の講義に関しては、ロンドン探訪の記憶が鮮明なうちに「留学」の話をしようとだけ決めていて、ノートやメモのたぐいを一切つくっていませんでした。(普段は、ほぼ完全な読み上げ原稿をつくっています。それをただ読み上げれば、1コマの授業になるように講義ノートを作成しています。しかし、もちろん、読み上げることはしません。内容を頭に入れて話します。講義ノートは、筋道を忘れないように使うメモとなります。)
過去のことを思い起こすために、私のサイトの関連部分を読んでいました。
さて、講義。出発点と終点は決めて、あとは、話と思考の流れに沿って、進行させます。これはこれでいつもと違った講義体験となります。(たまに、こういうふうに話します。)4限、5限は、ゼミなので、学生の発表を聞き、いくらかコメントをして、終了。5限のゼミでは、日本社会でアバンギャルドが消滅したことを痛感させられます。
おおきいちび、ちいさいちびといっしょに6時50分。おおきいちびは、学校に遅れるといきなり泣き始めました。やれやれ。そういう子です。まだ十分時間があることを言い聞かせました。あかんぼうはたぶん4時過ぎか。会議の日。把握しているところで、3つあります。2つは同じ時間帯に重なっているので、片方に出席することはできません。
→1時〜2時10分:3階の会議室で、総合科目推進室会議。私が司会を担当すべき会議なので、事前に教務課教務係によって、資料をもらい、簡単に打ち合わせのうえ、臨みました。とくに問題となる案件はなく、だいたい順調に進行しました。(2件は了承、1件は差し戻し)。
2時半〜4時25分:学部教授会。詳細なことがらは報告されなかったのでわからないですが、どうも変な事件というか出来事が起きた様子です。学部長は、私が勤めて30年はじめての出来事だ、と表現されていました。ロンドンから帰ってきて、今日がいわばしごとはじめ。わーたいへん。今週は土曜日まで、書類の処理であっちこっち出歩く必要があります。
あかんぼうといっしょに4時。あかんぼうは下に降りてすぐにうんち。シンクに立たせると水遊びがうれしいようで、ずっとスプーンをもって水をすくって(ときにはなめて)遊んでいる最中でした。
昨夜咳がひどかったおおきいちびは6時前。もう少しよく寝てもらいたかったのですが、あかんぼうがうるさかったので目を覚ましたようです。留守中に溜まっていた仕事を頑張って処理しています。
たぶん、忘れているものが残っているのだと思いますが、4時頃には一息つくことができました。一番大きかったのは、春に行ったシンポジウムの原稿のゲラが届いていて、11月27日締切だったこと。これは、昼食まえに何とか目を通して(結構多く赤をいれました)、2時前に速達で送ることができました。留守中に次の本が届いていました。アマゾンのマーケットプレイスに発注していた本です。
Bernard Pullman
The Atom in the History of Human Thought
Oxford, 1998
もとの本はフランス語。これは英訳です。著者はソルボンヌの量子化学の教授だった人です。[あかんぼうのへんぼう]
帰国して、一番大きく変わっていたのは、あかんぼうでした。出発前にちょうど歩くようになっていたのですが、1週間ぶりに帰ってきてみると、もうほとんど歩いています。はいはいをすることはまずなく、部屋の部屋の間の段差も上手にクリアーして、歩いています。私の部屋にも歩いて入ってきます。
ちいさいちびを迎えに行くときについていっている幼稚園の園庭でも、立派に歩き回ってお母さん方を驚かせているようです。もう、こんなに歩けるようになったの!
1歳の誕生日がすぎて、性格もかなりわかってきました。ちいさいちびのなかまです。
意志が強い。自分のやりたいことは何度だめと言われてもやろうとします。
せっかちで、あわてんぼ。だれでもあかんぼうはおそとがすきですが、誰かがお外に行く気配を察すると、ほんとうにまろびころびつ、玄関に急ぎます。このときだいたい何かに躓く。
根に持たない。よく何かにぶつかったり、こけたり、あるいはちびどもにたたかれたりしていますが、痛ければその瞬間すこし泣きますが、痛みがひけばすぐに次の行動にうつります。長く泣くときは、お腹が空いているか、眠いか、です。眠いときには、目をこする、あくびをするので、泣いてくっついてくるときはお腹が空いています。わかりやすい性格というのか、隠し事ができないタイプです。
[2006 Nov. London Visit]
27日、無事帰ってきました。今回はけっこう疲れました。
飛行機で荷物が出てくるのにやたら時間がかかったこと、東京から乗った中央線が吉祥寺駅での電車故障(1つの車両のドアが閉まらなくなったと放送していました)で30分近くも遅れたこと、等々があり、帰宅が予定より1時間近く遅れました。
[出発:11月21日(火曜日)]
[この期に及んで2]
成田エクスプレスは、新宿8時3分。西荻7時半で間に合いますが余裕をもって20分前後の総武線に乗ることにしていました。(中央線は混みすぎです。旅行かばんをもって乗り込むのはすこしきつい。)
今回は、本当に直前まで準備作業をしていました。すなわち、7時までいつものコンピュータに向かっていました。
目の前に迫ると、やっておいたほうがよいことがはっきりと像を結びます。
(そうでなくても、整理はしておかないといけないのですが、それもやっと8割程度まで
できただけです。)
飛行機はとくに問題なし。飛行場の売店で、目覚まし時計、南京錠を購入し、ロンドンで使える携帯電話をレンタルで借りました。
ロンドンは、きわめてよい天気。気温も低くなく、東京とほぼ同じぐらい。イギリスこんなすっきりしたよい天気はめったにないというほどのきれいな快晴でした。
ホテルは大きなホテル。この界隈で部屋数が一番多いのではないでしょうか。受付で鍵(カード)をもらってから部屋を見つけるまでにすこし時間がかかりました。 (パンフレットによれば、部屋数が1630室。2月に泊まったベッドフォードは184室。)
何とかがんばって7時までは起きていましたが、7時に眠さに耐え切れずに就寝。その後は寝たり、起きたり。これは、3時に目覚めたので、しばらくおきていようと思って、コンピュータに向かっているものです。
[ロンドン初日:11月22日(水曜日)]
昨夜は寝たり起きたりを繰り返し、結局5時半に起床。5時半ならばいつもと同じ。
本日ウェルカムライブラリーが開くのは10時なので、10時まではホテルの部屋でやはり準備。
[現場に立つと思い出す]
ウェルカムにつくまでは、実は、ネット上から貴重書を予約・注文するのに必要なピン(暗証番号)をまったく忘れていました。忘れた場合は、受付の人に聞け、とあるので、聞けばよいやと思っていたら、ウェルカムのコンピュータの前に座った途端に思い出しました。身体を動かした記憶が現場に立つと蘇るわけです。
ウェルカムは引越し中ということで、あまり出てこないかと思っていましたが、予想よりしっかり貴重書が出てきました。本日は5点。
開いている時間が朝の10時じから夕方の5時15分までということで、4時50分ぐらいにお暇。根を詰めすぎても、50肩が悪化するだけですから。
しかし、老眼の進行には驚き困る。めがねをはずさないと近くの小さな文字は読めません。
[ロンドン2日目:11月23日(木曜日)]
外の若者たちが騒がしくて(一晩中大声で歌っていました)、4時半に目覚めました。うーん、これは少し早いかも。
朝は、到着したのと同じぐらいの快晴。しかも割りと暖かい。天気予報は14度と言っていました。
ウェルカムで作業をしていると、上着もベストも脱ぐこととなりました。
今日のウェルカムは、9時半〜7時15分。この時間帯は火曜日と木曜日だけです。あとはもう少し短い。
イギリスに来るまで忘れていたことに、暗くなる時間の早さがあります。飛行機には手荷物だけで乗り込むので、たぶん一番早くゲートの外にでて、ロンドン市内に到着したと思います。4時ぐらいには着きましたが、そのときはもう真っ暗。そう、冬のロンドンは4時には暗くなります。すっかりその感覚を忘れていました。
[ロンドン3日目:11月24日(金曜日)]
やはり寝たり起きたりを繰り返し、6時15分起床。これならまし。
[街路樹はプラタナス]
ちょうど落ち葉の季節です。道路にもホテルの入り口にもプラタナスの葉っぱが落ちています。道路にはかなりの量たまっている場所もあります。そう、我が家の敷地にあるのもプラタナス。
[現場に立つと思い出す2 ]
今日はウェルカムの作業をいくらかはやめに終わらせて、地下鉄に乗って、昔通っていたグッジストリートの駅に向かうこととしました。駅を出てすぐのところに、きれいな家具屋&雑貨屋さんがあったのを覚えており、そこで、ちびどものお土産を少し(クリスマス用品)を買ってやろうと思ったのです。
名前は、the Pier でした。ロンドン市内だけで5店舗をかまえる(イギリス全体で46店舗)大きなお店です。
そのあたりを少し歩いているうちに、昔駅から大学(ロンドン大学)に通っていたルートを思い出しました。
現場に立つと記憶が蘇る、2つ目の例です。
[ロンドン4日目:11月25日(土曜日)]
やはり寝たり起きたりを繰り返し、6時15分起床。これならまし。
今日は、K夫妻のいるミルトン・キーンズにお邪魔します。ユーストン駅に行って、窓口に並び、切符を注文しようとすると、今日は窓口の発券システムがダウンしていて、発券できない、ついては自動発券機を利用してくれ、とのこと。まあ、イギリスです。
イギリスは、BRを解体して、親会社としてのナショナル・レイルと、いくつかの鉄道運行会社に分けていました。同じ路線なのに、別の鉄道会社が運行するいつくかの列車が存在することになります。ああ、ややこしや。
あらかじめ教えてもらっていたので、もっとも安いチケットにしました。(シルバーリンクのチープ・デイ・リターンというチケット。)
ミルトン・キーンズは、オクスフォードとケンブリッジのほぼ中間にある、つまり、ユーストンからほぼ真北にある、新興都市です。電車で1時間弱。
K夫妻が車で駅まで迎えに来てくれていました。そのまま、ロスチャイルド家のマナーハウスへ。文字の上だけで知っているマナーハウスをはじめてこの目で見ました。日本語では、お城ですね。
その敷地一帯がナショナル・トラストに寄贈されて、今は、一般の人に公開されているのだそうです。
ナショナル・トラストのメンバーであれば、フリー。そうでなければ、入園料(入館料?)5ポンド、建物(お城)の中を見学するのに4ポンド払います。
建物の内部はすでに全面的なクリスマス・デコレーション。立派なものです。
子供たちのために、50センチもあるようなクルクルキャンデーがいっぱい飾り付けに用いられ、さらに人間の大きさのぬいぐるみたちが諸所に納まっていました。貴族のクリスマスプレゼントは、こういうふうにするんだというのがよくわかりました。
出口の近くに立派なレストラン。そこで昼食。ターキーの料理を選びましたが、味付けが絶妙でおいしいものでした。
それから、オープンュニヴァーシティを簡単に見学したうえで、K夫妻宅へ。
アフタヌーンティをいただき、5時過ぎに、近所の巨大ショッピングモールを見て、駅へ。
5時50分の電車でロンドン・ユーストンに帰ってきました。つい、電車のなかで眠ってしまいました。
[帰国の日:ロンドン5日目:11月26日(日曜日)]
やはり、寝たり起きたりを繰り返し、最終的に6時半。6時半ぐらいがちょうどよい。
朝食は7時から10時。いつも、朝一番、すなわち、7時0分から5分ぐらいの間に行きました。
界隈一番のキャパを誇るホテルです、給仕の数も2桁にのぼります。
9時ぐらいに、朝食を食べる場所の外を通ると、100名を越える(200名にのぼっているかもしれません)人が朝食をとっているのがガラス越しに見えます。壮観。
日曜日はお店が休みになるというのも忘れていました。昨夜読んだ『地球の歩き方』によれば、それでも最近は日曜日もやっている店も増えたということで、大きなところは12時開店というパターンが多いようです。ロンドン三越だけが、朝の10時からやっています。
まずは、ロンドン三越に行ってみよう、その後は、ハロッズでも寄って、早めに飛行場について、お土産を物色する予定としました。
朝方から荒れ空。真っ暗になり、雷も鳴っています。チェックアウトは、空が安定してからということで、9時半すぎ。
三越は、『地球の歩き方』に日曜日は10時開店とあったので10時15分に着くと、実は開店は30分遅く、10時半。雨が強くふっているので、入り口で待つことにしました。日本人が10名近く待っていました。
三越に接しているイートというキャフェで、少々はやい昼食。新しいものに挑戦しようと思い、タイ式ヌードルのサラダを選びました。まずまず。中華でよく使われる香草の味・香りがあったので問題なく食べることができました。
それから、ハロッズへ。
地下鉄を出て数分歩くとすごい人の塊。何かと思ったら、ハロッズの開店を待つ人の列(キュー)でした。その列に飲み込まれることも考えましたが、あまりの人なので、違う入り口に回ることに。なかに入ると、大きな荷物を持っているものは、反対側の入り口に回り、荷物を預かるようにという背の高い黒人の店員の指示。ぐるっと建物を一周して裏側につくと、確かに同じような旅行かばんを持ってる人がいます。ついていくと、地下に荷物を預ける場所がありました。ここでもかなり長いキュー。時間はあるので、待つことにしました。荷物ひとつあたり、2.5ポンドの保管料。さすがハロッズ。こんなところでお金を取られると思ってもいませんでした。
人が多い理由がわかりました。もう、クリスマス・セールに入っています。ハロッズは、見て回るだけでも面白いのですが、あまりうろうろすると、疲れるので、ハロッズに来た記念に小品を買って、もとの場所で荷物を受け取り、外に出ました。今日は雨模様のようです。外は、またぱらぱらと雨。
おお、なんと地下鉄の入り口は、ハロッズに隣あわせに存在しました。
そこから、ピカデリーラインで、ヒースローに向かうことに。すわりたかったので、最初の電車はやりすごし、2つ目に乗車しました。正解。最初のは、ぎゅうぎゅうづめ状態でしたが、2つ目は、ざっと見て、半分近く席が開いています。
ヒースローエアポートのターミナル3に、3時に着きました。早すぎ。ボーディングチケットの発券手続きは、フライトの3時間前、すなわち4時から。コーヒーショップで、1時間休憩することに。本日分の日記は、そのキャフェでレッツノートを出して記しています。時間つぶしです。
4時にチェックインをしてから、パスポートコントロールを抜けるまでに1時間かかりました。ヒースローは明らかにセキュリティが厳しい。2月のときはラップトップコンピュータを透明は袋に入れろ、と言っていましたが、今回はともかく液体を出せ、というのが中心。
ちょっと困ったのは、持ち込み荷物をひとつというのを厳格に適用したことです。成田では、機内持ち込みがまったく問題なくできた旅行かばん(キャリングバッグ)を預けることとなりました。たぶん、15分の差ですが、飛行機が飛行場に着いたら、一番早く電車に乗ることをちいさな楽しみしていたので、がっかり。
飛行場の待合(搭乗待合)に入ったのが6時15分。まあ、7時の出発ですから、順調。電源コンセントがあったので、とりあえず、チャージ。&ノート取り。
座席は、36D。成田発とまったく同じです。旅行会社が予約の時点で席まで押さえておいてくれていました。E-Ticket というのはそういう仕組みなのでしょう。
[ウェルカム貴重書閲覧室]
ウェルカムライブラリーの貴重書閲覧室(ポインター・ルーム)を使うのは、今回で2回目です。2月に最初行ったときには、どういうシステムになっているのかわかるまでに結構時間がかかったのですが、今回は、すっと目的のものに出会えました。
そして、どうも引っ越し中(まさに貴重書が引っ越し中)というのが逆に幸いしたようです。引っ越し中ということで、来館を避けた人が少なくなかったのでしょう、そもそも貴重書閲覧室を使う人が少なかった。多いときで6人、少ないときには私ひとりでした。(ひとりというのは、朝一番に行って、昨日から取り置きしてもらっていたゼンネルトを読んでいるときでした。)だいたい、2名から4名という感じでした。
まさに引っ越し中のものもオンライン・リクエストしたので、出てこなかったものもいくつかあったのですが、2月のときよりもずっと迅速に数多く出てきました。あと1週間滞在できれば、今の私の作業のためにウェルカムライブラリーでできることはほど完了できる感じでした。まあ、こればかりは、仕方なし。
成果のひとつを紹介しましょう。
ずっと昔から、ボイルがページ数を上げて引用しているパラケルススが気になっていました。ボイルは、『全集』のなかで2回、パラケルススの「鉱物論論考」をページ数を上げて引用しています。
大橋さんの協力で(大橋さん、その折りは大変ありがとうございました)一般的に使われることの多いパラケルススラテン語著作集での引用箇所は突き止めてありました。
しかし、明らかにボイルは別の版を使っています。
これも、オンライン検索で、だいたいあたりをつけていたのですが、今回の調査でボイルの使ったラテン語著作集を確定することができました。次のものです。
Operum medico-chimicorum sive paradoxorum
Francofurti, 1603-1605
これは、全11巻(tomus genuinus primus からtomus genuinus undecimus まで)を4冊に綴じた版です。版型は4折版。実物を見ると、ページは、この巻(tomus)毎に別立てでついています。
目的のものは、tomus genuinus octanus にありました。
そして、引用する2箇所のうち、ボイルは何と1箇所で、数字を間違えて転写しています。
今回は、ベイコンについても残っていたものを突き止めることができました。
『生と死の誌』です。ラテン語の初版は、1623年ですが、ボイルは1645年の12折版を使っていました。しかも、ここでも数字を(今度はわずかにですが)転記ミスをしています。
写字生に不注意なものがひとりまたは何人か混じっていたのでしょう。
あかんぼうといっしょに5時半。あかんぼうは下に降りてすぐにうんち。できれば、便器に座らせてさせたいのですが、まだあっちにうろうろこっちにうろうろ落ち着きません。座らせることができるのは、しばらく先になります。いよいよ出発。たまっていた仕事をこなすので精一杯で、準備は、途中までしかできていません。
ちいさいちびを除き、5時50分。昨日からの雨が降り続いています。本格的な雨降り。明日はロンドン行きの飛行機に乗ります。今日は、2コマの授業。(3コマ目は休講)
お昼、歯磨きをするとき変に気持ち悪いので研究室の鏡で見ると、左下奥から2つ目の歯が一部欠けているようです。げっ。この期に及んで。
神経を抜いている歯なので痛くなることはまずないと思いますが、不安。早速研究室からいつもの歯医者さんに電話して、予約をとりました。4時半。
帰宅して、ほんのすこし休んでから、歯医者さんへ。接着剤でつめておけば、当分大丈夫でしょうとのこと。帰ってきてまた欠けるようであれば、かぶせましょう、と歯医者さん。歯の不安をかかえたまま海外は嫌なので、ともかくほっとしました。
昼間止んでいた雨がまた降り出しました。明日、雨は、あまり降って欲しくありません。
ちいさいちびといっしょに7時半。あかんぼうとおおきいちびはかなりはやくに起きていたようです。
朝からどんよりした曇り。朝の時点ではまだ雨は降っていませんが、おそくない時刻に雨は降ってくるでしょう。
朝方ふりはじめたときには、霧雨かと思った雨ですが、3時には本格的な冬の雨に変じていました。熱は下がったけれど咳のひかないおおきいちびにはちょうどよい休みとなります。ロンドンの準備を始めました。私の場合、身の回りのものはわずかです。ノートや書類の整理に手間取ります。やっと机の上面が見えるまで片づけました。
ちいさいちびを除き、6時。おおきいちびの学芸会の日。昨夜またすこし熱が出ましたが、ゆっくり寝させたので、熱は引いていました。おおきいちびはいつもの時間に登校。
我々は、8時25分に家を出て、小学校の体育館へ。小学校1年の父兄から小学校6年の父兄が全員はいるキャパシティはないので、随意の入れ替え制です。小3、小1、・・・小2、小6という順序だったと思います。
長女は緊張しやすいタイプで、せりふのところはあまり声が出ていませんでしたが、せりふが終わったあとは、大きな声で歌っていました。
親の立場で見る学芸会ははじめてです。柄本明がテレビで言っていたことですが、学芸会に勝てるプロの演劇というのもあまりないと思います。
あかんぼうは、途中で飽きて、寝ました。まあ、朝の昼寝の時刻でもありました。ということで、ちいさいちびと私だけが残りました。ちいさいちびにもおもしろいようで、最後まで見通しました。終了が12時半前。よい学芸会でした。
小さい子のいる親は疲れました。[UCM 分類リスト]
昨夜久しぶりに、マドリッド大学のデジタル・ライブラリーで調べものをしていました。コレクションのリスト(それぞれの分類に、どれだけの著作があるのか、収録されている著作数をリストにしたもの)がありました。次の通りです。
錬金術 124 解剖学 60 建築 6 技術 6 天文学 21 温泉学(鉱水論) 167 聖書学 26 植物学 112 外科 123 法学 118 経済学 16 薬学 47 哲学 32 自然学 16 料理法 56 地理学 7 版画 121 歴史 43 インキュナビア 124 旅行記 47 古典文学 15 スペイン文学 58 草稿 273 数学 6 マテリア・メディカ 158 医学 6 アラビア医学 24 古典医学:ガレノス 137 古典医学:ヒッポクラテス 117 スペイン医学 355 ドン・キホーテ 27 化学 14 学位論文 4 獣医学 4 動物学 62
私の関心から言って、温泉学(鉱水論)が167点も収録されていることが驚きでした。デジタル・ライブラリーとしてはもっとも豊かなコレクションだと思われます。また、錬金術(124点)とは別に化学を立項しており、14点を数えています。ボイル(ラテン語訳)はここに収められていました。
今月はともかくロンドン出発前に、100枚を超えようと思っていました。本日、100枚を超えました。7時前。おおきいちびとあかんぼうはとっくに起きていました。
あかんぼうの一歳の誕生日。予想通り、もう立派に歩いています。バランスを取るため手をあげたまま歩くのが愛嬌です。はいはいも、はいはい競争に出たら、優勝できるのではと思わせる速さです。
ちびどもは、誕生日のケーキが楽しみ。
→朝、ちいさいちびを幼稚園に送ったあと、駅前のケーキ屋さんで予約。いちばんちいさいチョコレートケーキ。1歳ですから、ローソクも1本。
1時にケーキを取りに行きました。
その前に、いつもの本屋さんで『中央公論』12月号、『文芸春秋』12月号、『宝島』の3冊の雑誌、ならびに次の2冊を購入しました。
伊東俊太郎『一二世紀ルネサンス』講談社学術文庫、2006(原本:岩波セミナーブックス、1993)
中岡哲郎『日本近代技術の形成』朝日選書、2006
ポポの飛行機が二時間遅れるという電話がありました。我が家に着くのは、九時から一〇時ぐらいとなるでしょう。ちびどもは楽しみにしていましたが、会うのは明日になります。→結局3時間遅れとなったようです。我が家に到着したのは、11時でした。ちびどもはぐっすり寝ていました。
5時40分。あかんぼうは少し前。昨夜熱を出したおおきいちびは、6時前。37.数度の微熱が続いています。→結局、学校は休ませました。土曜日に学芸会があり、そちらはどうしても出たい、と言っています。昨夜は8件、今朝は4件、メールを出しました。出発までにこなしておくべき用件です。もうすこし残っています。→学校に出るまでにさらに4件のメールを出しました。
大学についてからも、さらに4件のメール。おお、今日は、これで16件。
図書館と事務に用事があるので、いつもよりずっと早く出ました。
まず、図書館に行って、2点文献複写依頼を出しました。
続いて、教務課に行って、月末の会議の打ち合わせ&相談。ちょうど来年度の授業を編成している最中です。たいへん忙しい様子でした。
そのころにちょうど11時。特別食堂のオープンする時間。事務的用件がすんだので、まずは昼食と思い、一番乗りしました。牡蠣定食。ゆっくり食べて、11時半。それまで私ひとりの貸し切り状態でした。お昼にランチ・パーティがあるようで、食堂の方々は30人以上の席を用意していました。
それから、3限の授業で必要なコピーをとり、AV卓の鍵を借りて、研究室へ。研究室に着いて、メールをチェックすると、先ほど頼んだ文献複写依頼について、1点は私の記載ミス、もう1点は大学が契約している E-Journal で見ることができる、という情報を教えてくれていました。はやい。
2点目は、たしかに、E-Journal で入手できました。
T.R. Girill, "Evaluating Micro-Explanations", Erkenntnis 10(1976) 387-405.
私の期待していた歴史の論文ではなく、科学哲学のものでしたが、ただで入手できたのでよし。
文献複写依頼で外に出たのは次のもの。
Christoph Lüthy, "An Aristotelian Watchdog as Avant-Garde Physicist: Julius Caesar Scaliger", The Monist, Vol. 84, 2001
17世紀半ばにおいても、スカリゲル(スカリジェ)はとてもよく読まれています。私はまだどうしてスカリゲルが人気を博したのかよく理解できていませんが、このリュシーさんの論文は、私の知りたい一端に触れてくれているような予感がしました。(もちろん、読んでみないとわかりませんが。)
ひとりで4時半。まだ暗い。私が誉めるまでもない、私がリンクを張ってもまったく影響のないサイトですが、やはり、言及しておきます。
松岡正剛氏の千夜千冊遊蕩篇は、今、森健『グーグル・アマゾン化する社会』(光文社新書、2006)を取り上げています。この評が傑作です。
あまり単純にまとめてしまうのも気が引けますが、やってみましょう。グーグルとアマゾンに代表されるウェブ2.0は画期的だったが、松岡氏はその先(たとえばウェブ2.5 またはウェブ3.0)を考えています。どういう変化があるとよいか、おもしろいか。[索引の思想]
今回、これまで部分的にしか利用していなかった次のカングロの著作を見直してみました。
Hans Kangro,
Joachim Jungius' Experimente und Gedanken zur Begründungder Chemie als Wissenschaft,
Wiesbaden: Steiner,1968.
全体で480頁の厚い本です。索引がとてもよくできています。
人名索引(IV. Verzeichnis der Personen und der Quellenangaben) と事項索引 (V. Sach- und Begriffsverzeichnis) に分けられています。事項索引の方は、ギリシャ語(V.1 Greiechische Stichworte)、ドイツ語とラテン語 (V. 2 Deutche und lateinishce Stichworte)、に分けられています。
なお、diacrisis & syncrisis に関しては、特別に節を立てて記述しています。
2.2 Die Hypothese de syndiacrisis
2.213 syncrisis und diacrisis
2.215 diacrisis
2.218 syncrisis
ユンギウスの次のもの(自然学講義ノート)は復刻されています。
Joachim Jungius
Praelectiones Physicae
Herausgegeben von Christoph Meinel
Hamburg, 1982
ここでユンギウスは、syncrisis & diacrisis を自身の理論の基本的用語として使っています。索引は、diacrisis で50箇所ぐらいを拾っています。
17世紀におけるこの語の使用のピークは、ユンギウスにあるとみてよいと思われます。
おおきいちび、あかんぼうといっしょに6時20分。ちいさいちびは7時半。快晴。今日はちいさいちびのピクニック(近所の公園に落ち葉拾いに行きます)の日です。天気はよいし、気温も高くなる(22度予想)ので、ちょうどよい。[ペトルス・セルヴィウス]
ちょっと気になることがあって、ボイル全集を見直しています。ボイルは、次の著作を使っています。
Petrus Servius (d. 1648)
Dissertatio philologica de odoribus
Rome: Franciscum Caballum, 1641.
ペトルス・セルヴィウスは、ローマの医学教授。教皇 Urban VIII (1623-44)の侍医。17世紀初頭のイタリアでは著名な医師だったようです。この著作は、においをテーマとする珍しいものです。香水、におい、とその医学的効能についての書物です。
ある古書店の目録には、アメリカで2つ、ヨーロッパで4つの図書館に所蔵されていることが知られている、とあります。つまり、相当の稀書ということになります。気になったいたのは、ボイルにおけるギリシャ語あるいはギリシャ語起源の用語(ギリシャ語をそのままラテン語に転記した言葉)です。
2001年に秋(9月末から10月冒頭)に平井さんがCrasis という概念-用語について問題を提起され、少し情報のやりとりがありました。
私はそのとき、私の記憶から、diacrasis / syncrasis という用語についてコメントしました。
カードを繰ってみると、ハンス・カングロのD.S.B. における「ゼンネルト」の項目から抜き書きしています。カングロは、1619年の著作(アリストテレス派&ガレノス派と化学派の一致と不一致)においてゼンネルトは、物体を小粒子(ミニマ)に分解する過程を diacrisis と呼び、小粒子(ミニマ)が再結合して新しい物体を形成する過程を syncrisis と呼んだと記しています。ラスヴィッツもゼンネルトの項目で、同じ用語対を紹介しています。
有名なのは、カングロが著作を著したユンギウスです。
ガッサンディは確認していませんが、チャールトンは、このラテン語対から Diacritical / Syncritical という英語をつくっています。
とくに気になったのは、ボイルがその用語を使っていたかどうかです。
ハンター編の新しい全集では、たった1箇所でボイルはこの用語を使っています。ただし、出版された著作ではなく、新しく出版された草稿において一度だけこの言葉を使っています。
『実験哲学の有用性』のための草稿で、ボイルのもとの英語の草稿そのものは紛失し、トーマス・ラムジーによるラタン語訳草稿だけが残っているという珍しいものです。「人間の王国は、化学的事項における医師の手腕によって向上させられる」というタイトルがついています。つまり、化学の有用性がテーマです。
(新しいボイル全集では、プリンシーペが英訳を付しています。)
プリンシーペに英訳の方から訳してみれば、「火はもうひとつの自然に似たものとなって、自然のうちに大いなる結果を引き起こすことができる。・・・そして、デモクリトス、エピクロス、その他の多くの古代の自然学者が声をそろえて唱えるように、火は、シンクレシス、ディアクレシス、メタテシス、すなわち、物体の微小粒子の結合、分離、構造変化によって我等の称賛するあらゆるものを完成させることができるのである。」
核心部分は、ラテン語も示しておきましょう。
" Ignis artificialiter administratus, evadit instar alterius Naturae, et aptissime concipi potest capax efficiendarum magnarum immutationum in Corporibus, siquidem tam multum Naturam imitatur, quae juxta sententiam de qua Democrito, Epicuro, et plurimis antiquorum Physiologorum conveniebatperficiat quicquid in Orbe solemus admirari per Syncrisin, Diacrisin, & Metathesin, i.e. Combinationem, disjunctionem, et transpositionem minuttarum corporis particularum."
途中を省略して、結論だけ述べると、ボイルは、diacrisis/syncrisis という用語=概念対は視野に入っており、ノートでは使ったが、出版物においては使用を見合わせた、となります。
→Ars et Natura に関する概念としても、なかなかおもしろいことを言っていると思います。
6時半。あかんぼうは起きていました。おおきいちびはすぐに起きてきました。ちいさいちびは、7時半。2限、3限、4限と授業。研究室から富士山がきれいに見えました。冬が近づいてきたしるしです。
帰途、西荻駅で、来週の火曜日の成田エクスプレスの切符を購入しました。新宿から乗車するのか東京駅まで行ってから成田エクスプレスに乗るのか、迷ったのですが、朝の時間帯の中央線の込み具合を考えて、新宿から乗車することにしました。起きて1時間以内に家を出ることとなります。
3080円。
帰宅すると、アマゾン.com のマーケットプレイスに発注していた次の書物が届いていました。
Aaron J Feingold
Three Jewish physicians of the Renaissance: The marriage of science and ethics
New York, 1996
もうすこし本格的なものを期待していたのですが、本文58頁の小冊子でした。
3人のユダヤ人医師、アマトゥス・ルシタヌス、ヤコブ・ベン・イサク・ザハロン、アブラハム・ザクトを扱っています。
Amatus Lusitanus (Joao Rodrigues de Castelo Branco) was born in the Portuguese town of Castelo Branco in 1511.
Jacob Ben Issac Zahalon was born in Rome 1n 1630. He is best known for his Ozar ha'Hayyim (The Treasure of Life)(Venice, 1683).
Abraham Zacuto, also known as Zactus Lusitanus was born in Lisbon in 1576.
ひとり遅れて、7時前。ちびどもは、6時半。私は階下で妻の発するぎゃーを聞いて降りていきましたが、思った通り、ゴキブリでした。
7時。おおきいちびとあかんぼうは起きていました。ちいさいちびは夜中痒い痒いと暴れた反動で、朝はよく寝ています。と思ったら、雨が降り始めました。予報よりずっとはやい。(ちいさいちびの痒いは、乾燥肌です。妻と二人で、痒い痒いと言っています。11月に入ってから、ほとんど雨が降らず、20%代の湿度の日もあったようです。相当に乾燥しています。)昨夜、寝る前に、ロンドン旅行の書類を一通り見てみました。先月、吉祥寺のH.I.S. に行って、30分もかかならい即決で、支払い、チケット受け取りまで行ったので、あたまにあまり状況が入っていませんでした。
今回のチケットは、e-チケットということで、これまでのように飛行場に行ってまず旅行会社のブースでチケットを受け取るという手続きは要らないようです。
ターミナルは、第1ターミナル南ウイング。
サーチャージは、27800円とありました。
→ ヨーロッパの天気で気温を見ました。ロンドンは、東京の早朝の気温で推移しているようです。10度前後ですから、まあ、冬になっているということです。
6時50分。ちびどもは、6時半。疲れがたまっています。ちいさいちびよりもながく寝てしまいました。[ロンドン出張]
科研費によるロンドン出張が近づいています。
自分の確認のためにも、日程を記しておきます。
11月21日(火曜日) NH 201 成田11時45分発 - ロンドンヒースロー15時5分着
11月26日(日曜日)NH202 ヒースロー19時 - 成田27日15時45分着。
→夜は、時間に余裕があります。もし、いまイギリス留学中で、研究的会話をしてみようかな、という方は遠慮なく連絡下さい。ウェルカムライブラリーが空いている時間は、ウェルカムに行っていますが、そうではない時間には余裕があります。
→本日、概算払いで上記の旅費が振り込まれていました。2月に行ったときとほぼ同じ金額です。(当然です。1週間という旅程がまったく同じなのですから。いくらか高かったのは、燃料代サーチャージの分だと思われます。単純には石油価格の値上がり分です。)[私の知らない外大]
夜、おなかをこわして気合いが抜けたとき、ふと思いついて、グーグルで「外大 ブログ」と検索してみました。もちろん、この検索だと、東京外大だけではなく、大阪外大も神戸外大も関西外大も京都外大も入ってきます。
私の勤めている東京外大についても知らないことがいっぱいでした。
ひとりで7時。おおきいちびとあかんぼうは起きていました。ちいさいちびは、7時半。冬の朝、という雰囲気になってきました。朝方の気温が10度前後。家の前の道路には落ち葉がまっています。[左と右]
大学に行くときには、武蔵境駅で、中央線から西武多磨線に乗り換えます。
本日、中央線で武蔵境駅に降りると、通路の多くの箇所に係員の方が立って、本日から左側通行となりました、左側通行にご協力お願いします、の掛け声を繰り返しかけていました。
あれ、あれ。
そもそも、右側通行がおかしかった。高架の工事を始めたあたりから、武蔵境駅では右側通行となりました。そのときも、おばちゃんが立って、しきりに右側通行にご協力お願いしますと声をあげていました。しかし、改札を出ると、左側通行です。
ほんと、ばかみたい、と思い、よほど駅長に進言に行こうかと思ったのですが、非常に大きな不便があるわけでもないので、そのままにしてあったら、本日、左側通行に戻っていたわけです。
首都圏では、たとえば、誰が言い出したというわけでもないのに、エスカレーターでは立つ人は左側、歩く人は右側という区別ができています。
毎日毎日の非常に数多くの人々の動きのなかから自然に出来上がってきたルールです。人間の自然に根拠があると考える必要があります。
それを、自分の駅のなかだけ逆にするというのは、いかにも(こう言っては悪いのですが)ダメなお役人的発想の駅長のやりそうなことだと思いました。
ともあれ、通常化してよかったのですが、そもそもどうして右側通行にしたのか、当事者の考えを知りたいものです。午後、3コマの授業。
体調があまりよくなく、3コマの授業がけっこう負担でした。
ひとりで6時。この秋一番の冷え。予報では11度まで下がっているとのこと。[賞]
高橋憲一氏の新著『ガリレオの迷宮』(共立出版、2006)
に対して、第60回毎日出版文化賞(自然科学部門)が授与されたということです。少し前に新聞で読んだのですが、ノーティスが遅れました。高橋先生、おめでとうございます。また、平井さんの本( Hiro Hirai, Le concept de semence dans les théories de la matière à la Renaissance : de Marsile Ficin à Pierre Gassendi, Brepols, 2005)が、新しく創設されたフランス医学史学会のスルニア賞を受賞したという報せを受けました。平井さん、おめでとうございます。
博士論文から数えれば3つ目、『ルネサンスの物質理論における種子の概念』(2005)では2つ目の受賞ですね。会議の日。
午後1時15分〜2時:講座会議。
午後2時〜2時半:大学院コース会議。
午後3時半〜5時10分:大学院教授会。
大学にて何とも言いようのない事件、帰宅して何とも悲痛な出来事を聞きました。
おおきいちびとあかんぼうは6時過ぎ、私とちいさいちびは6時40分。朝方雨。[ゼンネルト v ]
ウェブで検索をかけていると、ダニエル・ガーバー Daniel Garber さんが授業で、ゼンネルトの『自然哲学の13の書』を使っていることがわかりました。前にも記した通り、『自然哲学の13の書』は前半の8書は Epitome naturalis scientiae(1618)の英訳です。後半の5書は、Hypomnemata physica(1636)の英訳です。一度、そういう授業を行うと、17世紀の自然哲学の様子がかなりわかるようになると思われます。
日本でそういう授業が成り立つでしょうか。今回、ゼンネルトを追っかけてみて、ゼンネルトは、17世紀のブールハーヴェと呼べるのではないかと思うようになりました。18世紀のブールハーヴェのように、ヨーロッパ中から学生が集まったわけではありませんが、彼の著したテキストは、ブールハーヴェのテキストがもったのと似た意味をもったのではないか、と思われます。
→今回の追跡で、23年前から疑問に思っていたことがやっと判明しました。カッシーラがコップから引用して、ボイルの引用するゼンネルトの章句を記しています。ギリシャ語でフロギストンという単語が出現する箇所です。
(ゼンネルト→ボイル(ボイルは引用箇所を明示せず)→コップ→カッシーラ)
質の理論にとっては、基本的な観点となる見方が記されています。
ボイルは、その箇所では、ゼンネルトの名前はあげていますが、著作をあげていません。注もつけていません。
今回、ラテン語原文と英訳の両方で、当該箇所を見つけました。
喉に刺さっていた小骨が23年ぶりにとれたというのでしょうか、ちょっとだけすっきりしました。
おおきいちびといっしょに6時20分。曇り。金曜日が休日だったので、久しぶりの学校だとちびは言っています。ワー、今日は疲れた。何かのリズムでそういう日もあります。
大学に次の大橋さんの翻訳が届いていました。大橋さん、八坂書房のやおさん、ご高配、ありがとうございます。
マージョリ・リーヴス『中世の預言とその影響: ヨアキム主義の研究』
大橋喜之訳、八坂書房、2006年10月、菊判・上製・784頁、10,290円(本体9,800円)
こどもたちが就寝してから、大橋さんの訳者あとがきを読み、冒頭の図版(『形象の書』『教皇預言集』)を見ました。わあー、この図版はすごい。
錬金術の図版に驚いたことがある方であれば、この図版は必見です。
もちろん、中身はフィオレのヨアキムですから、そういう方面に関心のある方には必携でしょう。[ベイコン]
昨日ダウンロードした次の『風の博物誌』ですが、本当に「熱の形相に関する自然・実験誌」の部分が、『ノヴム・オルガヌム』と同一であるか、全集の当該箇所をプリントアウトして確認することとしました。Fr. Baconi De Vervlamio Historia Naturalis & Experimentalis De Ventis [et]c.
Lugd. Batavorum : Hackius, 1648当該箇所は、『ノヴム・オルガヌム』第2巻アフォリズムの11から20。全集では、第1巻の236-268 頁です。
最初は次の通りです。Inquisitio Formarum sic procedit; super natura datam primo facienda est comparentia ad Intellectum omnium Instantiarum notarum, quae in eadem natura conveniunt, per materias licet dessimillimas. Atque hujusmodi collectio facienda est historice, absque contemplatione praefestina, aut subtilitate aliqua majore. Exempli gratia; in inquisitione de Forma Calidi.
Instatiae Conventientes in Natura Calidi.
1. Radii Solis, praesertim Aestate et meridie
2. Radii Solis reflexi et constipati, ut inter montes, aut per parietes, et maxime omnium in speculis combarentibus.
3. Meteora ignita.
これが、『風の博物誌』(1648)では次のように組まれています。
Inquisitio Formarum sic procedit. Super natura datam primo
APHORISMUS I.
facienda est comparentia ad
Intellectum omnium Instan-
tiarum notarum, quae in ea-
dem natura conveniunt, per
Materias licet dessimillimas. Atque hujus-
modi collectio facienda est historice, abs-
que contemplatione praefestina, aut subti-
litate aliqua majore. Exempli gratia; in
Inquisitione de Forma Calidi.
Instatiae Conventientes in Natura Calidi.
1. Radii Solis, praesertim Aestate et Meri-
die
2. Radii Solis reflexi et constipati, ut in-
ter montes, aut per parietes, et ma-
xime omnium in speculis combarent-
ibus.
3. Meteora Ignita.
(オランダ版では以上で1頁です。=129頁)ちなみに、127頁は、扉(表題)頁で次の通りです。
FRANCIS BACONIS
DE VERVLAMIO
HISTORIA
NATURALIS,
ET
EXPERIMENTALIS
DE
FORMA CALIDI.
F 4128頁はブランク。
ちいさいちびといっしょに6時半。おおきいちびは、10分後に起きてきました。あかんぼうはすでに起きていました。ゼンネルトの異なる版を探すためにイーボを見ているとき、ふとファン・ヘルモントのことを思い出しました。ファン・ヘルモントの主著の英訳は、マイクロを保持しており、紙焼きがあるので、ファイルがなくても研究は進められるのですが、私の持っているマイクロはあまり状態がよくなく(マイクロの状態ではなく、マイクロに写真を撮られた元の版)、別の版のファイルもあった方がよいなと思っていました。しかし、何が原因かわかりませんが、何度かトライしましたが、うまくダウンロードできていません。
今回、調べていると、Van Helmont's Works というものがあることがわかり、ともあれ、ダウンロードしてみました。Van Helmont's Works, Containing his most Excellent PHILOSOPHY, PHYSICK, CHIRURGERY, ANATOMY. Wherein the Philosophy of the Schools is Examined, their Errors Refuted, and the whole Body of Physick Reformed and Rectified. Being the New rise and progress of Philosophy amd Medicine for the Cure of Diseases, and Lengthing of Life
London, 1664思った通りでした。本の表題だけは違いますが、まさに私が持っているのと同じものでした。すなわち、Ortus Medicinae(1648) の英訳、Oriatrike, or Physick refine(1662) とまったく同じものです。(同じ版下を使っている。すなわち、同じページの同じ位置に同じ文字がある。)
これで、マイクロフィルムの紙焼きでは読めない部分を補うことができます。ハブで調べているとゼンネルトの次の著作がデジタルライブラリーにありました。
De sympathiae et antipathiae rerum naturalium caussis disquisitio singularis
Witebergae : Meissner, 1599
ノンブルはありませんが、本文14頁の短い論考です。また次のものもハブにありました。
Fr. Baconi De Vervlamio Historia Naturalis & Experimentalis De Ventis [et]c.
Lugd. Batavorum : Hackius, 1648
オランダ(ライデン)で出版されたベイコンの『風の自然誌・実験誌』はずっと欲しかったものですが、意外な場所で入手できました。
→Francisci Baronis de Verulamio, Vice-Comitis Sancti Albani, Historia naturalis et experimentalis ad condendam philosophiam : siue, phaenomena vniuersi: quae est Instauratoinis magnae pars tertia
London, 1622
これはイーボからダウンロードして持っています。これはタイトルにあるとおり、『大革新』の3部の冒頭部として構想されたものです。具体的な自然誌としては、『風の自然誌』(Historia naturalis et experimentalis de ventis)だけです。
オランダで出版されたHistoria Naturalis & Experimentalis De Ventis [et]c.には、『風の自然誌』の他に、Novum Organumの第2巻から再録されたHistoria naturalis et experimentalis de forma calidiとDe motus, sive virtutis activae variis speciebus が収められています。その状態を確かめたかった。
具体的な構成は次の通りです。
Historia Naturalis & Experimentalis De Ventis, pp.1 -113.
Hitoria densi et rari, pp.113-6.
Hitoria Gravis et Levis, pp.116-7.
Historia Sympathiae & Antipatheae rerum, pp.118-9.
Historia Sulphuris, Mercurii, & Salis, pp.119-22.
Historia Vitae & Mortis, pp.122-6.
Historia naturalis, et experimentalis de forma calidi, pp.127-189.
De motus, sive virtutis activae variis speciebus, pp.190-232.
Index rerum maxime memorabilium, 16pp.[万波医師]
昨日記した万波医師ですが、本日の朝刊(アサヒ)のトップ記事でした。しかも、社説 でも扱われています。たとえば、
Infoseek の腎臓移植問題 特集
ヨミウリでは、現在ウェブのトップ記事です。
病気腎“提供チーム”
ちいさいちびといっしょに6時50分。前に記したYouTubeですが、木曜日の卒論ゼミのときに、学生たちに使い道を教えてもらいました。以前は、見逃したテレビ番組があると、YouTubeでけっこう見ることができたのだそうです。(30分という上限だったそうです。)
日本とアメリカでサーバーが分けられていないので、場合によっては、日本の動画がトップ(most viewed) に来ることもあったそうです。アメリカ人には訳の分からないその画像が原因でちょっとした事件が生じたこともあるそうです。そう言えば、先月の16日(月)17日(火)にフジテレビの「ニュースジャパン」が特集した「脳死・臓器移植」のビデオを撮った方がおられないでしょうか? お貸しいただければ、サンキュウ・ヴェリ・マッチです。(ラザロ徴候のシーンが放映された、と聞きました。)→早速、親切なT氏より、情報をいただきました。Tさん、ありがとうございます。
また、そう言えば、昨日買った図書新聞の一面トップは、小松美彦氏へのインタビュー「脳死・臓器移植が抱える闇」です。和田移植以降ストップしたいたはずの日本の脳死・臓器移植ですが、元日本移植学会理事長自身が80年代に腎臓移植の30数%が脳死状態からの移植であったことを自白しているそうです。すなわち、闇の脳死・臓器移植です。
小松氏の記事内容は気になったので、ウェブでも調べてみました。
死体からの臓器摘出に麻酔? というサイトに、「脳死」小児からの臓器摘出例というページがあり、そこに「日本移植学会も認める、80年代前半で3割は脳死下臓器摘出」という節があります。万波廉介医師の話は、ウェブでは見つかりませんでした。万波廉介氏の兄、万波誠医師については、さすがにニュースになっているだけあって、かなりの数が見つかります。
病気で摘出の腎臓を移植
地元の愛媛新聞の臓器売買特集
また、検索している最中に、私のゼミの学生が知りたいと言っていたニュースが見つかりました。
エミー・フリードマン准教授が腎提供者に金銭を支払う仕組みの立法化を提案したというものです。フリードマン准教授はイェール大学の移植医。提案した論文は、英医学会誌(2006年10月7日付け)とだけあります。
→もとの論文を探しました。書誌情報は次の通りです。
Amy L Friedman
Payment for living organ donation should be legalised
BMJ(British Medical Journal) 2006 333: 746-748.
BMJ 2006 333
Summary:
"Controlled, regulated compensation to living organ donors should be permitted as with donation of other body material, says Amy Friedman (p 746). In the light of severe organ shortages, desperation among people awaiting transplantation, and black markets for kidneys purchased from living donors, she questions why everyone but the donor derives tangible benefit from a living donor transplant. She then discusses how regulation and payment should work in a legalised system to guarantee equitable access. "
この論文だけを4ドルで購入することもできる仕組みとなっていました。このBritish Medical Journalのサイトは、インターネット時代のひとつの模範例でしょう。[校庭開放]
ちびどもを校庭開放に連れていきました。冬は1時から4時までということで、まずは妻があかんぼうをふくめて3人をいつもの小学校の校庭に連れていきました。
あかんぼうが眠くなるころを見計らって、私が交代に出向きました。あかんぼうは遊べるのがうれしいようで、校庭をすごいいきおいではいはいしていましたが、ブランコにつかまりに行って、揺り戻しのブランコで仰向けにこけて、泣きました。どうも眠くもなっているようです。妻がベビーカーで昼寝のために連れ帰りました。
ちいさいちびは、ひたすら砂で遊んでいます。おおきいちびはお友達が来ていたので、お友達と遊んでいます。縄跳び。
それから持ってきていた一輪車。子どもの進歩は速い。かなりの確率で20メートル近く進めるようになっています。昨日公園に行ったときは、10メートルがやっとでした。4時まで遊んで帰宅。
6時10分。おおきいちびとあかんぼうは起きていました。ちいさいちびは、6時半。ちいさいちびはもうすこし寝た方がよいのですが。
予想通り、朝にはネットが回復していました。スムーズです。祝日(文化の日)ですが、朝から仕事があります。朝一番(8時前に)ででかけます。
→9時から仕事ははじまり、9時半には終了しました。ほんのすこしだけ研究室で情報の整理をしたあと、帰途へ。吉祥寺で降りて、ユザワヤで、ファイルバインダーを購入し、その地下の本屋さんで、『月刊現代』12月号、『NHK 知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 中沢新一:折口信夫 森村誠一:三波春夫』、図書新聞2796号(2006年11月4日)を買い、帰りました。[ゼンネルト iv ]
せっかくですから、翻訳の質をみてみましょう。
Chymistry Made Easy and Useful(1662),
Chap. 11. Of the Principles of the Chemists [p.50]
Isaac Holand, Basil Valentine, and after them Paracelsus and Severinus make three Principles of Chymistry, and also Quercetan, they are Salt, Sulphur and Mercury, they give the names of the Species in which the faculties are most flourishing, liquors of Mercury, oyls of Sulphur, thicker bodies are called Salt, not they are the principles of things, but because the differences of three substances of which all bodies are made, with the properties and conditions are not explainede more in any species of Nature. And being there are three orders of the bodies of the lower world, Animals, Vegetables and Minerals. Severinus shews that these three principles are to be found in every individual of them. And they say a Physician must resolve all bodies into these principles, and all the properties of all bodies are found either in the Salt, Sulphur, or Mercury: nor do they plainly declare their offices in the constitution of things. Severine saith Salt gives the consistence of slidity and coagulation, Sulphur with his oyl tempers the congelation [p.51] of the Salt. And Mercury by dewing it with a fluid substance, makes the mixture more easie.
Quercetan saith the divers tast is from Salts, sent from Sulphur, and colour from both, especially from Mercury. And Hermes called these three, the Spirit, Soul, and Body ;Mercury the Spirit, Sulphur the Soul, Salt the Body.
Beguin saith, salt is the bond of the other bodies, that Mercury and Sulphur flie not away. Sulphur is like the Sun, digests, concocts, nourisheth, generateth, pleaseth the scent, confumes superfluities in the body, attracts. The Mercury is the Spirit of the World from the great Mystery: so they are not fixed in delivering their principle, and explain not what they are, nor distinguish them, for they say they are in each other, as Sulphur and Mercury in Salt, in Mercury Salt and Sulphur, in Sulphur, Salt, Mercury.
They call these Vital Principles, because they give strength, faculty and power to things, and are the causes of actions. They call them also formal Principles, because they give power of action to things, and open the hidden wais of action, and supply the explication of occult qualities.
Now are these such principles ; How, and of what things are they principles? I reject their opinion, because they say they were before the Elements and Heaven is made of them. For they have not proved them to be teh principles of things subject to generation and resolution.
The Learned modern Chymists dare not defend this, but say the Elements were before these principles in order of natural bodies. Therefore let us see whether there are other principles besides the Elements, of natural sublunary bodies, [p.52]CAP. I. De Principiis Chymicis in genere.
Cap. XI.LIb. de Chymicorum cum Aristotelicis consensu & c.
Principiorum istorum tria constituerunt Isaacus Hollandus, Frater Basilius Valentinus; qous postea se:: est Paracelsus, & hunc Petrus Severinus; Quercetanus, ac hodie plurimi. Nam apud antiquos vix illorum sit mentio.
2. Atque Sallis, Sulphuris & Mercurii nominibus scilicet specierum, in quibus facultaes uniuscujusque maxime vigent, principia ista explimunt ; liquores, Mercurii; oleosa, Sulphuris; crassiora vero Salis nomime appelantes. Neq; enim quod ipsimet monant, per Sal, Sulphur & Merucurium vulgo ita dicta inteligenda sunt, cum ista non sunt rerum principia, sed sui generis composita, & unumquodque horum tria principia in se contineat; sed quia differentiae trium substantiarum, ex quibus universa corpora constant, propritates, et conditiones in nullis totius naturae speciebus magis explicatae animadvertantur, ex iisdem appelationes mutatos esse Chymicos, Scribit Severinus.
3. Et cum tres ordines sint corporum inferioris mundi globi, Animalium, Vegetabilium, Mineralium ; in singulorum ordinum horum individuis ista tria pirncipia reperiri, et dari Sal animale, Sulphur Anaimale, Mercurium animalem; Sal vegetabile, Sulphur vegetabile, Mercurium vegetabilem : Sal minerale, Sulphur minerale, Mercurium mineralem, rursuque dari Sulphuris proprietates, conditiones, et differentias plures in pinguedinibus, et oleosis animalium partibus, in resinis, oleis et gummatibus : in genere etiam mineralium species salium, sulphurum et mercuriorum plurimas reperiri statuunt.
4. Atque in haec principia corpora omnia a Medico attisiciose esse resolvenda docent. Neque enim dari ullam proprietatem ullius corporis, quae non vel in Sale, vel in Sulphure, vel in Mercurio ejus deprehendatur.
5. Qua ratione autem ista principia differant, et quae sint singulorum in constitutione rerum naturalium officia, non ita plane explicant. Severinus, c.8. Salis esse, dicit, dare consistentiam, soliditatem & coagulationem rebus ; Sulphur vero pingui oleosaque sua substantia Salis congelationem temperare ; Mercurium denique assidua irrigatione duo priora actionum frequentia ad siccitatem & senium in horas festinantia fovere, fluidaque & labili substantia mistorum omnem faciliorem redere, &c.
6. Haec cum de principiis Chymicorum recentiorum sit sententia, proximum est ut quam bene vel male de iis sentiant explicemus. Primo autem de voce principii hoc monendum censemus; nos non igrorare, quomodo distinguant plurimi inter principium & Elamentum ; qui Elementa dicenda putant, corpora naturalis sint: Principia vero Elementorum quasi elementa & primordia, qui scilicet non sint partes corporum separabiles, sed in quae solum cogitatione corpora dividantur.
7. Contra tamen etiam cognitum habemus, istam *** nec a medicis, nec a Philosophis semper observari; cum ipse Aristoteles lib. Metaph.8 cap.1. aequivocum esse principii vocabulum doceat, tandemque concludat ; Omnibus principiis esse commune, primum esse, unde aut incipitat, aut cognoscatur aliquid. Unde & hic ubi quaeruntur principia, e quibus fiant res naturales, si principii vocalulum usurpetur, non ade peccari puto; cum alias etim Medici ipsos humores corporis principia appellent.
6時10分。おおきいちびとあかんぼうはとっくに起きていました。ちいさいちびはたぶん7時過ぎ。曇り。朝方、ネットとの接続が切れました。ハブの再起動、ルーターの再起動によっても状況が改善しないので、サーバーの側の問題だろうと考えて、そのまま大学に行きました。帰ってくると、もとに戻っていました。
と思ったら、突然また繋がらなくなりました。うーん、どうしたのでしょう。サーバーが不調なのでしょうか。[ゼンネルト iii]
昨日記したゼンネルトのDe chymicorum cum Aristotelicis et Galenicis consensu ac dissensuの英訳ですが、気になるので、ディーバスとソーンダイクを読んでみました。
ディーバスの邦訳569頁に「英訳は、思い切った省略が行われている。とはいえ、このテキストの大部分は直訳であり、分かりやすい言い換えなどは行われていない。」とあります。(ディーバスの本文は、178-186頁。ソーンダイクは、第7巻,pp.203-217.)
つまり、Chymistry Made Easy and Useful. Or, the Agreement and Disagreement of the Chymists and Galenists(London, 1662) は、De chymicorum cum Aristotelicis et Galenicis consensu ac dissensuの抄訳である、ということになります。ただし、部分を大胆にカットした直訳である。さて、次は、Thirteen books of natural philosophyの前半の8書が何の翻訳か気になります。記憶では、epitome naturalis scientiae(1618) の翻訳だったはずですが、確認の必要があります。ウェブで検索をかけてみると、たしかに、前半の8書は、epitome naturalis scientiaeの訳だとあります。
しかし、どういう訳であるのかは、直接確かめて見るのが一番。
オクスフォードで出版されたepitomeはイーボでダウンロードしてあるので、一部プリントアウトして見ました。目次は次の通りです。
INDEX LIBRORUM ET CAPITUM.
LIBRI. I.
Cap.I. De Natura Philosophiae
Cap.II. De natura Physicae
Cap.III. De principiu rerum naturalium
Cap.IV. De natura & causis
Cap.V. De continuo & infinito
Cap.VI. De Loco
Cap. VII. De Tempore
Cap. VIII. De Motu
LIBRI II.
Cap.I. De Mundo
Cap.II. De Caelo & stellis
Cap.III. De Elementis, quatenus, ut corpora simplicia, cum caelo mundi hujus molem constituunt.
LIBRI. III.
Cap.I. De Elementis, ut sund principia Mistorum
Cap.II. De actione, Passione, & Mistione Elementiorum
Cap.III. De generatione & interitu corporum naturalium
Cap.IV. De Temperamento & coctione
LIBRI: IV.
Cap.I. De Meteoris in genere
Cap.II. De Meteoris ignitis
Cap.III. De Ventis
Cap.IV. De Terrae Motu
Cap.V. De Nubibus
Cap.VI. De Pluvia
Cap.VII. De Nive & Grandine
Cap.VIII. De Nebula, Rore, Pruina, Melle, Manna
Cap.IX. De Iride, Parelus, Paraselenis, Virgis, Halone.
Cap.X. De Fontibus
LIBRI V.
Cap.I. De Terris
Cap.II. De Salibus
Cap.III. De Bitumine & Sulphure
Cap.IV. De Lapidibus & Gemnis
Cap.V. De Metallis
LIBRI V[sic] (VI)
Cap.I. De Anima in genere
Cap.II. De Anima vegetante
Cap.III. De Plantarum partibus
Cap.IV. De Platarum differentiis
Cap.V. De Historia Platarii
LIBRI VII
Cap.I. De Anima sentiente in genere
Cap.II. De Visu
Cap.III. De Auditu
Cap.IV. De Odoratu
Cap.V. De Gustu
Cap.VI. De Tactu
Cap.VII. De sensibus internis
Cap.VIII. De Potentia Appetitiva & Locomotiva
Cap.IX. De somno, Vigilia & insomniis
Cap.X. De partibus & differentiis Animalium
LIBRI VIII
Cap.I. De Anima Rationali
Cap.II. De corpore humano
印刷業者の仕事が丁寧ではなく、明かなミスも読みとれない文字もありますが、私に見えた通りに打ってみました。
→06.11.4 イーボで、1632年版、1664年版もダウンロードして、照合してみました。さすがに3つの版を見ると、文字はわかります。第1書、第5章だけは、1664年版は違う言葉になっています。(すなわち、量について、De Qualtitate.)なお、やはり実物をみないとわかないことがあります。それは、この版(Oxford, 1653) には、合冊の形式で、すなわち新しいノンブルで始まる別の本が綴じられています。それが、 Auctarium Epitomes Physicaeで、57頁あります。
こちらには冒頭に目次はありませんが、本文を追いかけると次のような構成です。
CAP. I. De Principiis Chymicis in genere.
Cap. XI.LIb. de Chymicorum cum Aristotelicis consensu & c. pp.1-23
EXCERPTUM II. Ex Lib.5. instit. med. part.3. sect.3. cap.15. p.23
CAP. II. De Principiis Chymicis in Specie, Sale Nimirum, Sulphure, et Mercurio. pp.24-44
EXCERPTUM II. Ex tract. de arthritide cap.2. p.45
EXCERPTUM III. De eadem tract. de arthrit. pp.46-7
PARALIPOMENA. Cap.I. Paragr.18. p.47
Ad Parag. XX. pp.47-8
Ad Parag. XXVII. pp.48-50
CAP. III. De MISTIONE.
Ex cap.XII. lib.de cons.Chym. pp.50-57.ふーん、こんなのもありなんですかね、と思うような書物です。(この時代だと、あり、です。)
おおきいちびとあかんぼうは6時過ぎか。私は、6時20分。ちいさいちびは、7時40分。
ちいさいちびは、幼稚園の面接(来年の年少さん)のため、休園でおやすみ。年末調整の季節となりました。事務から、17日までに書類を提出するようにメールが来ました。最近は小さな文字を記入するのにけっこう苦労しますが、それほど記入する量が多いわけでもないので、なんとか、記入すべきところには記入することができたと思います。
他にも今日は、立場上、私が連絡すべき事柄で、用件が片づいていない件について、思いつく限りすべて連絡しました。(忘れているものもあるかもしれませんが、数がある閾値を超えるとわからなくなるので、催促されるのを待つだけです。)[ゼンネルト ii ]
先月(10月27日)にゼンネルトの著作(Hypomnemata physica,1636) を紹介しました。詳細目次(index capitum)を掲げます。
Daniel Sennert, Hypomnemata physica, Frankfurt,1636
HYPOMNEMATIS I. De Rerum naturalium Principiis,
Cap. I. Creationis Mundi notitiam Physico necessariam esse. 1
Cap. II. An Principia sint contraria 10
Cap. III. De Forma. 14
Cap. IV. De Privatione. 25
Cap. V. De Rerum Naturalium Consensu et Dessensu. 32
Cap. V. De Materia Rerum Naturalium. 38
HYPOMNEMATIS II. De Occultis Qualitatibus,
Cap. I. Quid sint Occultae qualitates. 43
Cap. II. An dentur qualitates Occultae, et agentia a tota Substantia. 49
Cap. III. De origine qualitatum Occultatum. 55
Cap. IV. De differentiis Occultarum qualitatum. 75
HYPOMNEMATIS III. De Atomis & Mistione,
Cap. I. De Atomis. 86
Cap. II. De Mistione. 118
HYPOMNEMATIS IV. De Generatione viventium,
Cap. I. An Animae fiant. 146
Cap. II. An Animae sint a Deo, vel a caelo. 150
Cap. III. Aliarum de origine Animae sententiarum enumuratio, et vulgaris erroris notatio. 158
Cap. IV. An Animae aducantur e potentia materiae. 160
Cap. V. De ** *****, et Instrumento separato. 176
Cap. VI. Semen esse nanimatum, animamq in semine formare corpus animatum. 185
Cap. VII. Argumentoru contrariorum solutio. 231
Cap. VIII. De Plantarum Generatione & Propagatione. 250
Cap. IX. De Generatione & Propagatione Animalium in genere & Brutorum in specie. 259
Cap. X. De Propagatione Anamae humanae. 289
Cap. XI. An, nisi anima cum semine communicetur, simile simile generare dici possit. 307
Cap. XII. An DEUS, vel ** *** corpus humanum formet. 310
Cap. XIII. An plures sint in homine Animae. 314
Cap. XIV. Contrariarum Objectionu Solutio. 331
HYPOMNEMATIS V. De Spontaneo viventium ortu,
Cap. I. Falsae de spontaneo viventium ortu opiniones. 354
Cap. II. Vera de spontaneo viventium ortu, & caussa Efficiente sententia. 377
Cap. III. De Materia sponte ortorum viventium. 403
Cap. IV. De fine sponte ortorum viventium. 414
Cap. V. Summa sententiae de spontaneo viventium ortu. 419
Cap. VI. De Plantarum spontaneo ortu, & primo de Fungorum generatione. 421
Cap. VII. De Plantis sponte nascentibus. 434
Cap. VIII. De Animalium spontaneo ortu. pp.465-528
Index Rerum et Verborum, 529- the last pageこの書物には英訳があります。
Sennert, Daniel, ,
Thirteen books of natural philosophy
London, 1660
イーボで入手できます。英訳は、ノンブルがかなり不規則です。すなわち、次のようになっています。(ただし、ノンブルの不規則性にも関わらずテキストは連続してます。)
[16], 156, 341-530, 161-224 p.
目次は次の通り。
I. Of the principles, and common adjuncts of all natural bodies.
II. Of the heavens, the world, and elements.
III. Of action, passion, generation, and corruption.
IV. Of meteors.
V. Of minerals and metals.
VI. Of the soul in general, and of things vegetable.
VII. Of animals or living creatures.
VIII. Of man.
Unto which is added five books more of natural philosophy in several discourses.
IX. Discourses of principles of natural things.
X. Dis. 2. Concerning the occult and hidden qualities.
XI. Dis. 3. Of atomes and mixture.
XII. Dis 4. Of the generation of live things.
XIII. Dis. 5. Concerning the spontaneous generation of live things.
つまり、後半に付加された5つ(9章から13章)がHypomnemata physica(1636) の英訳です。
ちなみに、ゼンネルトは、1572-1637 ですから、Hypomnemata physicaは死の直前(前年)に出版されたことになります。英訳が、英国で王政復古のあった1660年。すこし気になったことがあったので、A.G. van Melsen, From Atomos to Atom, (1952) のゼンネルトの章を読みました。いきなり、 Daniel Sennert (1572-1657) とあります。これは長生きしすぎです。17世紀中葉まで生きたことになります。正しくは、(上の段にあるとおり)1572-1637 です。
ゼンネルトの著作としては、
1. epitome naturalis scientiae, Wittenberg, 1618
2. De chymicorum cum Aristotelicis et Galenicis consensu ac dissensu, Wittenberg, 1619
3. Hypomnemata physica, Wittenberg, 1636
の3点を扱っています。直接の先行者としては、ザバレラとスカリジェが取り上げられています。
せっかくですから、Encyclopedia of the Scientific Revolutionのゼンネルトの項も見ました。執筆者は Saul Fisher です。文献としては、
1. Pietro Brentini, Die Institutiones medicinae des Daniel Sennert (1572-1637), Zurich: Juris-Verlag, 1971.
2. C. Meinel, "Early Seventeenth-Century Atomism", ISIS, 79(1988), 68-103.
3. M. Stolberg, "Das Staunen vor der Schüpfung: Tota substantia, calidum innatum, generatio spontanea und atomistische Formenlehre bei Daniel Sennert", Gesnerus, 50 (1993), 48-65.
4. De chymicorum cum Aristotelicis et Galenicis consensu ac dissensuの英訳をあげています。この英訳ですが、1622年とあるのは、1662年のミスプリです。こういうレファレンスで、こういうミスプリはあまりしてほしくない。
(この英訳ですが、正確には次の通りです。
Daniel Sennertus, Nich. Culpeper, and Abdiah Cole, Chymistry Made Easy and Useful. Or, the Agreement and Disagreement of the Chymists and Galenists, London, 1662)
さて、フィシャーの記事は、最初の1段落(全部で5段落)を除き、上のvan Melsenの本の要約です。直前に読んだばかりなので、すぐにわかりました。
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