今月は、ここまで、124枚。
昨日に続き、夜半から雨。朝方には雨音がはっきり聞こえるようになりました。これで、おおきいちびの運動会は再度延期。木曜日になるということです。運動会は延期ですが、学校はやるということで、お弁当をもってでかけます。時間割はありません。たぶん、これまでの復習をするのでしょう。
おおきいちびは6時過ぎ。ちいさいちびは6時半。私は7時20分。あかんぼうはまだ寝ています。
結局あかんぼうは、おおきいちびが出かけたあと、8時過ぎに起きました。昨夜遅くまで(12時近くまで)起きていたせいです。
朝のうちに雨が本格化してきました。
夜半から雨。おおきいちびの運動会は延期。月曜から後期授業がはじまります。そのことを考えると、今日の方がよかったのですが、こればかりは致し方なし。
(延期の場合、6時半に電話が回ります。私のように寝ている家庭もあるのでは。)たぶん、おおきいちびと妻は6時過ぎ。私は7時15分。ちいさいちびは7時半。あかんぼうは7時40分。
ということで、今日中に月曜日の授業の準備をしなければなりません。
例年の衛星数。『天文年鑑 2007』「人工天体」pp.202-207 の表2「2005年8月から2006年7月までに打ち上げられた人工衛星」国別カウント。
アメリカ:34
ロシア:22
日本:9
中国:6
台湾:6
インド:3
ヨーロッパ宇宙機構:3
ドイツ:2
イタリア:2
韓国:2
タイ:2
フランス:1
イギリス:1
カナダ:1
イスラエル:1
ユーテルサット:1
インマルサット:1
ノルウェー:1
スペイン:1
アラブ:1
ベラルーシ:1
メキシコ:1
ルクセンブルク:1
イラン:1
(総数:104)
去年のカウントでは、久しぶりにロシアがアメリカを上回りましたが、今年は、アメリカがやはり1番。
目立つのは、まずは日本の9機。(去年のカウントでは2機でした。)打ち上げ順に名前を挙げると、OICETS(きらり)、INDEX(れいめい)、キューブサットXI-(労)、ALOS(だいち)、MASAT-2、アストロF(あかり)、キュート1.7、JCSAT-9、SEEDS、です。
他に目立つのは、台湾の6機、タイの2機、アラブ、イラン、ベラルーシの1機でしょうか。2005.8.1〜2006.7.31の期間で個別には、中国の「神舟(シェンチョウ)6号」です。有人宇宙船です。二人の宇宙飛行士を乗せ、地球の周りを約5日間周回して、内モンゴル地区に無事帰還しています。(10月12日打ち上げ、10月17日帰還。)
なお、最近の事例では、9月15日H-IIAロケット13号機により、月周回衛星「かぐや(SELENE)」の打ち上げに成功しています。
「アポロ計画以来最大規模の本格的な月の探査」なんだそうです。「主衛星(月周回衛星)と、2機の副衛星(リレー衛星・VRAD(ブイラド)衛星)」からなります。[西周の利用した本 ]
小玉斉夫
「「百学連環」の英文原資料について」
『駒沢大学外国語部研究紀要』通号15(1986/03): 51-104
小玉斉夫
「「百学連環」の英文原資料について-3-」
『駒沢大学外国語部研究紀要』通号16(1987/03): 231-271
小玉斉夫
「「百学連環」の英文原資料について-2-」
『駒沢大学外国語部論集 』通号24(1986/09): 159-195
結論だけ紹介しましょう。西周が『百学連環』を記すときに、手元において利用した書物は、次のものである。
1.Noah Webster, An American Dictionary of the English Language, 1864
2.Beeton's Dictionary of Universal Information; comprising Geography, History, Biography, Mythology, Bible Knowledge, Chronogy,
3.Beeton's Dictionary of Universal Information; comprising a complete summary of the Moral, Mathematical, Physical, and Natural Sciences,
4.L. Colange, Zell's Popular Encyclopedia,→そもそも、とても意外だったのは、たとえばジョン・ハリスの『レキシコン・テクニクム』やチェンバーズの『シクロパエディア』の系統に繋がる専門の学術技芸(Sciences and Arts) 百科ではなく、英語辞典を使っているということです。
いま、西周のような著作を書こうとして、英語辞典による人はいないでしょう。
もちろん、この意外の感に、歴史があります。さて、ノア・ウェブスターの『アメリカ英語辞典』の初版は、1828年に出版されています。おおきな4つ折り版の2巻組。ノンブルがついていないが、約1600頁だった。
ウェブスターの英語辞典そのものは、その後いろんな版が非常に数多く出版されていて、まるで富士の樹海のようだそうです。(系統がまだ把握されていない。)
西周が使ったのは、1864年版でだいたい間違いないようです。さて、『ビートンの万有知識辞典』(一応こう訳しておきます)ですが、2.の方に関しては、出版年に2つ表記法があります。ひとつは、1859。もうひとつは、1858-62。3巻本とあるので、1858-62 の方がたぶん正確でしょう。
ということで、次のようになるでしょう。
S.O. Beeton and John Sherer (comp. & ed.), Beeton's dictionary of universal information : comprising geography, history, biography, mythology, Bible knowledge, chronology, with the pronunciation of every proper name,
London, 1858-62.
3.は次でしょう。
Beeton, Samuel Orchart, 1831-1877.
S.O. Beeton and John Sherer (comp. & ed.),Beeton's dictionary of universal information : comprising a complete summary of the moral, mathematical, physical, and natural sciences, a plain description of the arts, an interesting synopsis of literary knowledge, with the pronunciation and etymology of every leading term.
London : S.O. Beeton, [1861-65]
つぎの『ツェルの大衆百科』(これもこう訳しておきます)はたぶん次でしょう。
Zell’s Popular Encyclopedia, a universal dictionary of English language,science, literature, and art
Philadelphia : T. E. Zell, 1870, 71.
さて、せっかくですから、チェンバーズの『シクロパエディア』の方もしっかり調べておきましょう。
まず、明治に翻訳があります。
チャンブルス(箕作麟祥訳)『百科全書教導説』上篇, 下篇、文部省, 1873
1980年に雄松堂書店から「明治初期教育稀覯書集成」のなかで復刻されています。原著ですが、初版は1728年。
Chambers, Ephraim
Cyclopaedia, or, An universal dictionary af arts and sciences
2 vols., London, 1728
その後、18世紀の間に数多くの版が出ています。邦語の研究文献はわずかです。
松永俊男解説
『チェンバーズ「インフォメーション」と文部省「百科全書」について』
Eureka Press, c2005, 31p. -- (Chambers's information for the people / edited by William and Robert Chambers ; 別冊日本語解説)
鷲見洋一
「『百科全書』 第一趣意書の重要性 : チェンバーズ問題解明のために」
『藝文研究』77(1999/12): 334-318*
橋本万平
「「チャンブルス」氏の『百科全書』・再び」
『日本古書通信』47(9)(1982/09): 3-6
橋本万平
「チャンブルス氏百科全書--福鎌達夫氏の死に寄せて」
『日本古書通信』33(5)(1968/05): 6-8
橋本万平『素人学者の古書探求』東京堂出版(1992)ヨーロッパの言語による研究文献は(たぶん)数多いと思われます。
Richard Yeo
Encyclopaedic Visions: Scientific Dictionaries and Enlightenment Culture
Cambridge University Press, 2001
Terence M. Russell (com.)
Ephraim Chambers cyclopaedia
Ashgate, 1997
このあたりから探せば、必要な研究文献は見つかるのではないでしょうか。ジョン・ハリスの『レキシコン・テクニクム』の方ですが、私が調べた範囲では、邦語の研究文献はないようです。(直接テーマとするものが見つからなかった。もちろん、途中で触れているものはあるかもしれません。)
Lexicon technicum, or, An universal English dictionary of arts and sciences : explaining not only the terms of art but the arts themselves
2 vols., 1704-1710 の版は日本国内では放送大学(!)が所蔵しています。
第5版, 1736 の版は立命館が所蔵しています。
Johnson Reprint, 1966 は、阪市 商;名大情言 情報・言語;和光大 が所蔵しています。
日本の「本の友社」のリプリント(1990)は、さすがに47館が所蔵しています。
おおきいちびといっしょに6時。晴れ。天気予報によれば、今日は夏、明日は秋、だそうです。明日は小学校の運動会。逆でなくてよかった。[日本化学史文献]
朝方、印刷所に原稿を送りました。
2箇所、コンピュータではでない漢字の部分は残したまま、送りました。ゲラが出るときまでに調べて、赤字を入れればよいと判断したものです。夕方になって、『江戸科学古典叢書』の例もあり、画像の形で何とか探せるのではないかと思うようになり、それほど期待せずに探してみました。
ともに必要な論文の pdf が入手できました。
赤を入れるのは、やはりゲラが届いてからになりますが、結局、ほとんど図書館に足を運ぶことなく解決がつきました。
探し方にはちょっとしたコツがありますが、網羅する気があれば、何とかなります。
あかんぼうとおおきいちびは6時過ぎか。私とちいさいちびは6時半。曇り。やはり事務的用事があって、ちいさいちびといっしょにでかけて大学へ。
研究室で5点郵便物を作り、多磨駅の反対側の郵便局へ。人見街道は狭くて、危険です。片側1車線ですが、車がすれ違うとほとんど歩行者の歩くスペースがありません。
そこから、吉祥寺に出て、本屋さんへ。
次の3点を購入。『天文年鑑2007』誠文堂新光社、2006
石黒武彦『科学の社会化シンドローム』岩波科学ライブラリー、2007
ディック・テレシ『失われた発見:バビロンからマヤ文明にいたる近代科学の源泉』林大訳、大月書店、2005
欲しかったのは、『天文年鑑』です。毎年、授業で使います。
[日本化学史文献]
この種の仕事は、あれもこれもとやっていくと切りがありません。どこかで、えいやと、切るしかありません。印刷所との約束によって、今日、入稿バージョンを仕上げました。細部の見直しは青焼き校正まで続けますが、おおきくはこれでおしまい、とします。これは、自分にご苦労様でしょうね。
ひとりで5時15分。まだ暗い。朝、次の本がアマゾンのマーケットプレイスより届きました。
渡辺一雄『明治の教育者杉浦重剛の生涯』毎日新聞社、2003
送料込みで、499円です。お昼に次のものが届きました。
T.H. ルヴィア
『入門化学史』
化学史学会監訳、内田正夫編集、朝倉書店、2007、4300円。
私は、序、読書案内、第1,2章の校閲者としてのみ参加しています。全体を通しての面倒な仕事は、和光大学の内田正夫氏が担当してくれました。内田さん、いつも丁寧な仕事ありがとうございます。
朝倉書店のサイトにおける『入門化学史』
[どうして?: マルテイーノ・マルティーニ ii ]
マルティーノ・マルティーニのNovus Atlas Sinensis (1655)がないのは不思議なので、もう一度よくウェブを探し回りました。
1.ボイル全集のNovus Atlas Sinensis (1654)という出版年の表示は誤りであり、正しくはNovus Atlas Sinensis (1655)でした。
2.地図もありました。
The Novus Atlas Sinensis, a 17th century atlas of China
カリフォーニア州立大学Hayward Libraryの特別コレクションの所蔵版より、地図が公開されています。![]()
おおきいちびといっしょに6時過ぎ。雨。夜半に降り始めたようです。やっと大学図書館が開館します。ほかに保険証の更新もあります。ちいさいちびといっしょに出て、大学に向かいました。
あかんぼうも歩きたいとごねたので、あかんぼうもいっしょです。私は郵便物2点を出してから中央線へ。
保険証の更新は毎年の作業です。事務の書類を提出します。(乳幼児の医療証のコピーを忘れましたが、次大学に来るときでよいということになりました。)それから、図書館へ。
書類を1点提出したあと、雑誌を3点探しました。
『駒沢大学外国語部研究紀要』『東アジア研究』『シーボルト研究』
最初の2つは、紀要のコーナーで見つかりました。次の論文をコピー。岩崎允胤
「西周と近代的諸学の体系的摂取」
『東アジア研究』(大阪経済法科大学アジア研究所 〔編〕)通号28(2000/05): 77-96小玉斉夫
「「百学連環」の英文原資料について」
『駒沢大学外国語部研究紀要』通号15(1986/03): 51-104小玉斉夫
「「百学連環」の英文原資料について-3-」
『駒沢大学外国語部研究紀要』通号16(1987/03): 231-271さて、『シーボルト研究』と「「百学連環」の英文原資料について-2-」を見つけることができませんでした。こういうときには、専門家と思い、受付の図書館員の方に質問すると、紀要に関しては、大学名で入れている、出しているのは法政大学です、とのこと。
薄い冊子が4冊入っていました。「「百学連環」の英文原資料について-2-」の方は、(1)と(3)があって、(2)を採録している雑誌がないのが不思議でした。しかし、よく見ると、雑誌名が微妙に違います。
小玉斉夫
「「百学連環」の英文原資料について-2-」
『駒沢大学外国語部論集 』通号24(1986/09): 159-195最初の岩崎允胤氏は、あの岩崎允胤氏です。かなりご高齢になられてから、こういう方面の研究を始められたのでしょうか。大学にいる間に読み通しましたが、新書で読みたい内容の論考でした。
→注の1)が私には一番興味深い内容でした。
蓮沼啓介『西周における哲学の成立』(有斐閣、1987)の発見、すなわち、森鴎外が『西周伝』において、原文の恣意的改竄を行っていることの紹介です。
「鴎外の引用の仕方は、重要な部分を示すために、単に前後を置き換え削除を加えただけにとどまっていない。自らの解釈を完璧にするためであろうか、あるいはこれが文学的フィクションというものであろうか、鴎外は西の文章の造り変えをも行っているのである。とすれば、節録という表現自体からして見事なフィクションであると言わざるを得ない。なるほど、ただ引用文だけを掲げているのであれば、鴎外ほどの文豪のことだから、実は自ら創作したかあるいは手を入れた文章を、あたかも本物の引用であるかのように装っているのではあるまいかと気付く、炯眼の読者も必ずやいるに違いない。しかしながら、節録とわざわざ注記のある引用文に、鴎外の手が加わっているとは、いったい誰が考えつくであろうか。こうした巧妙な技巧を用いて、鴎外は自らの解釈に客観的な真実の外観をまとわせることに成功したのである。」(pp.49-50)もう一点、共感したのは、山崎正一氏からの引用。「ベーコンの哲学のうちに具現されている精神をもっともよく言いあらわす一つの言葉を求めるならば、それは『展望する精神』ということであろう。ベーコンは広く当代を見渡して、人類が現在までに有している知的財産の一覧表を、即ち、財産目録を作ろうとする。人類の現在の状態において、何が欠けており、何が補充せられるのが望ましいのか、それが一目でわかるような目録をである。」
大学の郵便受けにて、次のレビュー・コピー(化学史学会編集委員会に送られてきた書評のための献本)を受け取りました。思文閣出版の編集部の方、ご高配、ありがとうございます。
日本産業技術史学会編
『日本産業技術史事典』
思文閣出版 ,2007, \12,000
ちびどもといっしょに6時50分。秋らしい朝。すずしくなったおかげで、あかんぼうはよく寝ています。本日は秋分の日(9.23)の振替休日の休みです。休みということは頭にあったのですが、月曜日だということを忘れていました。つまり、燃えるゴミをだす日。私も妻もすっかり忘れていました。木曜日まで部屋の片隅に保存(?)することになります。とほほ。
おおきいちびといっしょに6時。ちいさいちびもあかんぼうもすぐに起きてきました。曇っています。やっと気温が下がる模様。朝のうちに昨日の編集委員会で持ち帰った宿題をほぼこなすことができました。約4時間ぐらいかかったでしょうか。
寝ている間に、蚊にいっぱい刺されました。非常に小さな蚊が身体の各所を刺していったようです。足の指を2箇所刺されて、たまらず、起きてしまいました。4時45分。指先はほんとうに何とも言えず痒い。もう一度寝たら、8時15分。朝食をとりながら、新聞を読んでいたら、妻の悲鳴。あかんぼうが魔法瓶にブアを押し込んだのを、取ろうとしていたら、魔法瓶内面のガラスが割れて飛び出していました。
まずはガラスの処理。大きいものは手でとったあと、掃除機。次はブアの救出。そのまま放棄するのが一番安全ですが、あかんぼうが、ブア、ブアと泣くので、取り出すこととしました。
ゴミ袋を2枚重ねて、そのなかに魔法瓶を入れ、外に持ち出しました。使えそうな道具も一式。ネジをはずしましたが、関係なし。水の吸い込み口をラジオペンチではずしてやると、口の部分が広くなりました。それで、ブアを取り出すことができました。3台。
のんびりしていたところなので、はー、という感じでした。
まあ、こういうときもあるでしょう。しばらく大人しくしていなさい、ということでしょうか。
→編集委員会の仕事の一環として、76枚のものをプリンターで印刷し始めました。44枚で赤いランプ。プリンターを見ると、トナー切れのサイン。
そういうことが続く時期かもしれません。午後4時から東工大で編集委員会があります。図書館ですこししらべものをしたかったので、すこし早めに出かけました。3時40分大岡山着。図書館で雑誌を見てから、指定の場所へ。5分前。10分待ってから入室。
どの議題も順調にすすんで、5時45分頃に終了。
そのまま夕食に流れました。
8時半前にお開き。9時25分に帰宅できました。昨日より1時間はやい。身体はずいぶん楽です。
昨日とほぼ同じ朝。あかんぼうとおおきいちびが6時。私が6時15分。ちいさいちびは6時半前。今日は夕刻に東京医科歯科大学へ。年に一度の、夜3時間の授業。
東京医科歯科大学は、御茶の水にあります。御茶の水の駅から坂を下ると、神田神保町。久しぶりに本屋さんに行ってみることとしました。
1時間余裕を見て、4時過ぎに家を出ました。5時には御茶の水の駅に到着。まず駅前の丸善にはいってみました。欲しい本はなし。
そこから坂を下って、三省堂に向かいました。最近は基本的にアマゾンで買っているので、長居をするつもりはなかったのですが、実際に本屋さんに入ってみると、あ、こんなのが出ている、あ、こういうのもある、と欲しくなる本はいっぱい出てきます。やはりたまには大きな本屋さんに来る必要があるようです。
重い荷物は嫌だったので、次の2冊の新書だけ買いました。
坪内祐三『「近代日本文学」の誕生:百年前の文壇を読む』PHP新書、2006
宮脇淳子『世界史のなかの満洲帝国』PHP新書、2006あまりゆっくりしていると、授業に遅れます。どうも夕ご飯を食べる時間はなくなったようなので、途中のセブンイレブンでおにぎりとお茶を買い、東京医科歯科大学に向かいました。三省堂からは坂を上りまっすぐです。
医科歯科のなかはちょっと迷路のようになっています。ぐるっと回って、目的の建物につきました。受付で判子を押し、直接教室へ。教室についたら、5分前。やはりおむすびを食べる時間もありません。
この授業(MMA)はスタッフの学生がアテンドしてくれます。
書類を処理しているうちに6時。集まりが悪いようなので、すこし待ちましょうかとスタッフの学生に問うと、いつも6時に始まりますという返事だったので、6時5分に話し始めました。思ったより教室が暑い。
1限が終わる頃には、はじめた頃の倍ぐらいの人数になっていました。
2限目の最後の30分ほどは、レスポンスシートを記入するのと、全員にコメントをしてもらう時間を取りました。
年を経るにつれて、現役のお医者さんは減ってきています。感じとしては、半分が医療関係者、半分が経営学とか会計学とか非医療者でした。実は、セブンイレブンを出たときに、スイカをなくしたことに気付いています。授業があるので、ばたばたするわけにも行かず、終わってからこころ当たりの場所を尋ねることとしていました。
最後にレスポンスシートの提出された方は、9時半ぐらい。セブンイレブンで買い物をしたときに落とした可能性があるかと思い、まずはセブンイレブンまで。明治大学の新しい建物(こいつは立派な建物です)のすぐ先。ありませんでした。
駅に戻って、駅員さんに問うと、調べてくれましたが、やはりなし。
名前を記しているわけでもなく、あきらめて帰ってきました。帰宅して10時半すぎ。ニュースを見ながら夕食。家を出る前にシャワーを浴びていますが、かなり汗をかいたので食事のあとまたシャワー。
次の2冊の本が届いていました。
伊藤博明編『哲学の歴史4 ルネサンス』中央公論新社、2007
アマゾンでの評価はあまりよくなかったのですが、手元にあった方がよいだろうと判断したものです。矢野牧夫・丹治輝一・桑原真人『石炭の語る日本の近代 改訂新版』そしえて文庫、1986
こちらはマーケットプレイスからです。
あかんぼうとおおきいちびが6時前。私が6時。ちいさいちびが6時15分。朝方は涼しい。晴れ。今日も暑くなるようです。[どうして?: マルテイーノ・マルティーニ]
18日の日記に、マルテイーノ・マルティーニの『韃靼戦記』の英訳 (1654) について触れています。
Novus Atlas Sinensis (1654)を見たくて、ずっとマルティーノのことは気になっていました。
ざっと探したときには、日本国内に所蔵を見つけることができず、どうしてこんな重要な文献が日本のどの図書館にもないの? と思っていました。
しかし、考え直して、ないわけがない、ないとしたら、日本史学者の大いなる怠慢だ、もう一度きちんと探してみよう、こう考えました。
やはりありました。
順番に整理していきましょう。1.原典
Novus Atlas Sinensis (1655) そのものは、京大がもっています。書誌表記は、 [S.l.] : [s.n.], [1655?] ですから、本のなかに、出版地も出版年も記されていない版ということになります。2.原典のリプリント
1981年にトレントでリプリントされた版があります。
Novus atlas Sinensis
a cura del Comitato per le celebrazioni di Martino Martini.
Museo tridentino di scienze naturali : Cassa di risparmio di Trento e Rovereto, 1981
Amsterdam : Blaeu, 1655 のリプリントです。別タイトルは、
Atlas extremae Asiae sive sinarum imperii geographica descriptio : ad lectorem praefatio in qua totius extremae Asiae descriptio generatim p raemittitur
これは学習院に入っています。3.基本的な研究書
北京で1994年に開かれたマルティーニ・シンポジウムの論集があります。
Martino Martini : a humanist and scientist in seventeenth century China
[Trento] : Universit degli studi di Trento, 1996
Martino Martini : umanista e scienziato nella Cina del secolo XVII
[Trento] : Universit degli Studi di Trento, 1995
イタリア語のバージョンと英語のバージョンがあります。異同はわかりません。4.邦語研究文献
CiNii では一点のみ検索にかかります。
鴛淵一「睿親王の人物素描--マルチニ著「韃靼戦記」を本として」『人文研究』(大阪市立大学大学院文学研究科) 8(9)(1957/10)→日本語での論文が1つというのは、相当に寂しい。
→そういえば、マルティーニがよく知られているわけではないことに気付きました。簡単に紹介しておきましょう。
イエズス会の宣教師として17世紀の中国に10年近く滞在し、明末から清初めの中国の状況をヨーロッパに伝えた。一度帰欧した折りに、西欧における最初の中国地図帳を製作した。これが、オランダのヨアン・ブラウ(Joan Blaeu, 1596-1673)の手で世界地図帳の第六部として出版された。
その中国地図の東方の海上に、日本もかなり正しく描かれた。(それ以前のオルテリウスタイプものよりずっと正確だった。)
ということで、日本では主として、この日本地図によってマルティーニは知られている。お昼過ぎに次の本が届きました。
モーリス・ブランショ
『書物の不在』
中山元訳、月曜社、2007
月曜社の編集者の小林さん、いつもご高配、ありがとうございます。全身オレンジの格好のよい本です。本を受け取ったあと、近所を一周して、次のものを買ってきました。
加藤尚武『脳死・クローン・遺伝子治療:バイオエシックスの練習問題』PHP新書、1999
『論座』2007年10月号、『週刊新潮』と『週刊文春』
ひとりで6時前。今年の夏、初めてクーラーも扇風機もいらない夜でした。もちろん、季節としてはもう秋ですが、これだけ気温が上昇すると、9月半ばまで夏が広がったと見ておいた方がよいでしょう。会議の日。
朝10時半からはじまり、おそらく6時ぐらいまで。→10時半からの会議は、12時前に終了。順調。
2時からの会議は3時過ぎに終了。まずまず。
3時半からの学部臨時教授会は、10分以内で終了。よしよし。
引き続き、大学院教授会は、5時前に終了。5時4分多磨駅発の電車に間に合いました。5時半ごろに帰宅。
ちょうど給湯器の基板の交換に来てくれていました。お急ぎであれば、夕方に行きましょうか、という電話があり、来てくれたということです。
たぶん、30分ほどで完了。無事直りました。ありがたい。
妻は、今日も銭湯に行く準備をしていました。
私がさあお湯を入れてみようと風呂に上がると、ちびどももやってきて、その場で脱ぎ始めました。朝方は涼しかったのに、どんどん気温が上昇し、夕方にはかなり蒸し暑くなっています。風邪をひくこともないでしょう。そのまま、風呂に入れさせました。
給湯器そのものを交換していれば、30万。基板の交換だけだと3万。この差は大きい。マンガをがまんしないといけないと思っていたおおきいちびは、早速、「マンガ買える?」
げんきんなものです。ともあれ、銭湯生活から2日で脱却。銭湯は銭湯で悪くはありませんが、家族5人で行くのはたいへんです。
ひとりで6時。と、思ったら、あかんぼうもおおきいちびもすぐに起きてきました。曇り。[日本化学史文献]
文献ですが、古い時代の漢字にはコンピュータで表示されないものがあります。とくに『江戸科学古典叢書』にそうした漢字が5文字ありました。
最後の詰めの作業として、その漢字を書きだしてくること(赤字で原稿に記しておくと、印刷所の方で、作字してくれます)があります。
作業の進行から考えて、ちょうどよい頃なので、大学図書館に行って調べてこようと思いました。念のため、開館スケージュルをウェブでチェックすると、おお、しばらく休館です。今週いっぱい休館。
仕方がない、東大駒場で調べてこようとプランを変更し、でもやはり一応ウェブで調べてみました。図書館はちゃんと開いています。
おお、しかし、OPAC の検索結果に、画像の形で、普通は出ない漢字を表示してくれています。これで、直接赴く必要がなくなりました。
(雑誌論文のタイトルに関して、同じ仕事がいくつか残っていますが、それはまたにします。本を調べるのと、雑誌を調べるのは、準備態勢が異なります。もう一度きちんと準備しなおしてから、たとえば、東大の医学部や薬学部、あるいは東工大にでかける必要があります。)[三千のキミア・プロジェクト]
上の作業をしていたら、マルティーニの英訳があることがわかりました。
私がまだ実物を見ることができていないのは、Novus Atlas Sinensis (1654)ですが、参考になる点もあるかもしれないと考え、EEBO からダウンロードしておくこととしました。Martini, Martino, (1614-1661)
Bellum Tartaricum, or The conquest of the great and most renowned empire of China, by the invasion of the Tartars, who in these last seven years, have wholy subdued that vast empire. Together with a map of the provinces, and chief cities of the countries, for the better understanding of the story
London, 1654
ついでに次のものも。Semedo, Alvaro, (1585-1658)
The history of that great and renowned monarchy of China wherein all the particular provinces are accurately described, as also the dispositions, manners, learning, lawes, militia, government, and religion of the people : together with the traffick and commodities of that countrey.
to which is added the history of the late invasion and conquest of that flourishing kingdom by the Tartars ; with an exact account of the other affairs of China till these present times
London, 1655気付いたのは、西洋語資料叢書編纂委員會 編輯による、浩瀚な『近世 東亞細亞 西洋語 資料叢書』に、上記のマルティーニの英訳があることです。
さて、私は、このシリーズを知りませんでした。
日本販売総代理店の文生書院のサイトによれば、「韓国の景仁文化社が2000年から約5年の歳月をかけて刊行した、16世紀から19世紀にかけて欧米各国で出版された日本、アジア及び極東に関連する文献・貴重書の復刻版」ということです。
各次50巻で第4次に別れています。つまり、総巻数200。値段は、各次¥525,000(税込)ということです。全巻で210万。こういうものとしては合理的な値段です。
とても貴重な仕事です。
残念なのは、印刷状態です。文生書院は、「復刻版の印刷状態についてご説明申し上げます。正直申しまして、お世辞にも良いとは申せません。」と言ってます。
→おおきな図書館に行く機会があったときに、実物を確かめてみます。
ひとりで6時15分。夕刻、アマゾンより次の本が届きました。
C. クーマン
『近代地図帳の誕生:アブラハム・オルテリウスと『世界の舞台』の歴史』
船越昭生監修・長谷川孝治訳、臨川書店、1997
[日本化学史文献]
おお、今日は最高気温が34度と出ています。真夏と同じ暑さです。
私の部屋はクーラーをかけずに「日本化学史文献」のチェック作業を行っています。活字の文献リストと照合して、抜けている文献を補っていく作業です。
どの範囲までを採録するのか、だれが作業しても迷います。判断に迷う点はあるのですが、できるだけ広くという方針でやっています。[科学ニュース ]
ヨミウリに次の記事。
60例目の脳死移植
アサヒには見つかりませんでした。脳死・臓器移植はヨミウリが丁寧に追いかけています。
さて、前の通常国会にかかった臓器移植法の修正案はどうなったのでしょうか?
私は、報道を見つけることができていません。
(報道がないのは、成立しなかったのではないかと想像できます。しかし、どこまで審議されたのか? 継続審議となったのか? 等々知りたい。どなかたご存じの方、お教えいただければ幸いです。)[給湯器故障ii ]
昨日の電話とおり、朝一番、すなわち9時前に来てくれました。
なかを一目見て、基板です、とのころ。基板て何だろうと思いましたが、私もいっしょになかを見てわかりました。コンピュータの基板です。機器を管理している部分です。
値段を聞くと、2〜3万。
本体もそろそろ寿命で、こっちは交換すると30万程度。わー、たか!
妻と相談して、ともかく基板を取り寄せてもらうこととしました。明日発注なので、何日かかかるということです。わー、しばらくお風呂なしです。→一家総出で、一番近い銭湯にでかけました。5時前。おおきいちびとちいさいちびは私の自転車に乗せ、あかんぼうは妻の自転車に乗ってでかけました。
東京の銭湯は熱いので、どうなることやらと思いましたが、ちびどもの報告によれば、熱かったけれど、入っていると慣れてすこし浸かっていたとのこと。私は、5秒で出ました。
帰ってきて夕食。お風呂のあとは、よく食べます。
ひとり遅れて、7時半。単純に夜活動すると遅くなります。真夏ほどではありませんが、朝から晴れて暑い。[給湯器故障 ]
ちびどもが行きたい、行きたいというので、夕食は荻窪。
私ははじめての場所ですが、ちびどもは割とよく知っているようです。妻は安いと言っていました。キッヅプレートが200円と確かに安い。へたなファミレスの半額に近い。
そのせいでしょう。中学生、高校生のグループが大勢来ていました。帰ってくると、建物の外で何か大きな音がします。
音は、どうもお風呂と台所の給油機のあたり。ズボンと靴に着替え、懐中電灯をもって見に行きました。
どういうことになったのかはわかりません。給湯器がごーごー鳴っています。とりあえず、電源を再投入してみました。(コードを引き抜いて再度挿す。)やはり同じ症状。給油機をよく見てみましたが、それ以上はわかりません。
あきらめて、業者の方に電話。明日の朝、来てくれることとなりました。
ということで、今日はお風呂なし。
かぞくそろって6時過ぎ。あかんぼうのリズムが朝早くの方へずれています。早く目覚めて午前中に昼寝。夏休み中は、3時を過ぎてから昼寝ということもあったので、大違いです。曇り。
→時間が経つにつれ、どんどん気温が上がり、ほとんど夏。日陰で風が吹くと涼しいのですが、気温と日射しは夏。
なにが悪いのかよくつかめないのですが、ちいさいちびが朝のピアノの練習を休みました。おねえちゃんがひとりで近所の先生のところに行ってきました。
すこし運動させた方が調子がよくなるだろうと、昼食後外に連れ出すことにしました。かなり前からおおきいちびが「オレンジフェアリー」の本が欲しいと言っていました。何のことかよくわからなかったのですが、アマゾンで調べてみると、デイジー・メドウズという著者が原作の「レインボー・マジック」というシリーズがありました。7冊×3組、合計21冊出ています。おおきいちびの話では、クラスでずいぶん人気があるということです。学校の図書館にはそのうち5冊しかなく、他のが欲しい、という意味でした。
話を聞いているうちにちいさいちびも欲しいと言い始めました。ちょうどよいので、あかんぼうの準備が整ってから、吉祥寺まで買い物に出ることとしました。
ユザワヤ下の本屋さんで、各自好きなものを1冊ずつ選ばせ、まあすこし運動にと、井の頭公園に向かいました。
すごい人出。そういえば、3連休の初日で好天です。
ですが、暑い。おもち(ほんとうは団子)を食べ、すこしだけ遊ばせてから、帰ってきました。ちいさいちびは、動物園のなかの公園を思い出して行きたがりましたが、行くとばてます。なんとか説得して帰ってきました。
暑いと、たったこれだけでもけっこう疲れます。[だいちの画像]
朝方、あかんぼうがうるさいので、お散歩に連れ出すことにしました。風呂場の電球が切れています。ちょうどよいのでセイユウまででかけて、節電タイプ(消費電力20Wで昔の60W電球相当の明かるさ)の電球を買ってくることしました。
ついでに、週刊誌のアエラと『週刊現代』を買ってきました。
『週刊現代』のトップニュースは、「安倍晋三 相続税3億円脱税疑惑」です。法的には時効が成立しているとありましたが、記事を読む限り、確度が高いようです。
で、この9月29日号でヒットだったのは、巻頭の写真特集「JAXAがとらえた日本の不都合な真実」です。2006年1月に打ち上げられた地球観測衛星「だいち(ALOS)」が電波を地面に反射させて、地上の変化を捉えた衛星写真です。GPS衛星とは違い、地面の上下移動をキャッチできます。GPS衛星とあわせれば、地震のときの地殻変動が3次元でキャッチできることになります。
その画像はとても興味深いものでした。しかし、私の関心を惹いたのは、アメリカの衛星のデータをJAXAが解析し処理して作成した、日本近海の海面水温の地図です。2003年8月15日と2007年8月15日のものが対照されています。
2003年が冷夏だったということもありますが、今年の夏の写真は、日本の海が燃えている。真っ赤です。
地球温暖化に関して、私にはまだよく分からない点がありますが、すくなくとも日本周辺に関しては、ある意味すごい変化です。
海水温を見る限り、今年の夏の暑さはむしろまだましだったと解釈すべき可能性があるように思われました。
(どこで読んだのか思い出せませんが、関東大震災の前、東京は夏でも30度を超えることはそれほどなかったという文章を思い出しています。私の子供時代、和歌山でもクーラーなしで何とかなりました。30度を超えていましたが、夜暑くて眠れないというようなことはなかったと思います。)[台北後記 iii ]
アサヒに次の記事。
日本と台湾 運転免許を相互承認
台北にいたとき、妻から聞いていました。国際免許証という扱いではなく(台湾の国際的地位のせいで国際免許証は現在のところ無理)、2国間の相互承認という仕組みです。19日からということですから、来週の水曜日にはじまります。
記事には、それぞれの免許の翻訳書をつける、とあります。たぶん、「翻訳書」というのは、この語の一般的意味(翻訳された書物)ではなく、日本の免許証であれば、免許の内容を記した中国語の書類という意味でしょう。
記事からだけでは具体的な手続きは分からない点があります。具体的に利用するためには窓口に問い合わせる必要があるようです。
ただし、普通の日本人ドライバーが台北で運転するのは大変だと思います。妻は、わたくしはとてもこわくてできない、と言っています。
車線変更のルール(文書のルールではなく、実際にその国のドライバーに共有されているルール)や割り込み方が、日本と比べるとずいぶんワイルドです。
まあ、日本でもワイルドな方はいます。そういう方には向いているかもしれません。
ちいさいちびといっしょに7時。涼しい。雲がかかっていますが、とりあえず晴れ。今日は小学校の説明会。
ということで、おねえちゃんのお友達がおねえちゃんといっしょに我が家に帰ってくることとなりました。金曜日はすこし早く2時過ぎ。
ということで、ちいさいちびもおともだちを呼びたいと強く言います。幼稚園の園庭で遊んでから3時前にやってきました。
あかんぼうひとり遊んでくれるおねえちゃんがいなくて物足りない模様ですが、まあ、こういうのは仕方ありません。あかんぼうがおねえちゃんたちの邪魔をするのをしばらく防ぐためもあって、あかんぼうを自転車の前に乗せて、50メートル移転した本屋さんへ。
前より、いくらか広くなっている感じがしました。(形が変わって配置が換わったのでそう感じただけかもしれません。)
私は2冊の総合雑誌、『月刊現代』と『中央公論』の10月号。あかんぼうにはちっちゃな車の絵本。
→いろいろ勉強になりました。今回は、特集「国家の品位が危うい:誰が医と地方を殺したのか」が勉強になりました。とくに堺屋太一氏の「日本を劣化させた政治の「ベルサイユ化」」が包括的な見通しを与えてくれます。展覧会「百学連環−百科事典と博物図譜の饗宴」]
科学史MLで矢島さんが流された情報ですが、印刷博物館でもうすぐ(2007年9月22日(土)〜2007年12月9日(日)上記の展覧会が開かれます。
ところで、「百学連環」という術語そのものですが、以前から気にはなっていたのですがきちんと調べたことがありません。グーグルで検索をかけてみました。
西周が1870年(明治3年!)からはじめた私塾での講義ノートで使われた言葉とあります。 Encyclopedia の訳語として採用したようです。
『百学連環覚書』が西周のノート、『百学連環』が門下生永見裕の講義筆録とあります。
出版は遅れたようです。
「百学連環」『西周全集』1巻(日本評論社、1945)
「百学連環覚書」『西周全集』4巻(宗高書房、1981)
自然科学は、第2編第2物理上学に組織配置されており、格物学、天文学、化学、造化史からなったようです。
どうも先行研究はすくないようです。気になるところです。→東大の伊藤良一氏のホームページに、幕末から明治初期にかけて、"philosophy" は、「物理、格智、究理、理学、理科、理論等々」と訳された。それを西周が「希哲学→哲学」として、そちらが体制のなかで取り入れられた、とあります。
→これは西欧思想史をやっているものには、かなり意外な訳語です。「物理、格智、究理、理学、理科、理論等々」は、いまのサイエンス(科学、自然科学)です。
→ウェブには、この点に関する解説がいくつか見つかります。
しかし、それらは多く、ヨーロッパ側の事情を見逃しているような気がします。まずはともあれ、手元の英和辞書を引いてみると、"philosopher" に(古)錬金術師、"philosophical" に(古)自然科学の、理学の、という訳語があります。
よく知られているように、Scientist の用語は、19世紀の30年代から40年代にヒューエルによって造語され、徐々に使われるようになっていきますが、幕末・明治初頭の日本人が接した文献では、Science - Scientist 系の用語よりも、(Natural) Philosophy - (Natural) Philosopher 系の用語の方が一般的だったと想像されます。
しかし、19世紀は、「第2の科学革命」という言葉で表現されるように、専門分化が進行し(クーンのいう通常科学の成立)、専門分野ごとに別れた自然探究の学としての自然科学が制度化していく、まさにその時代です。
明治の日本で定着した方の言葉は、その制度化された科学のものであったと言えるでしょう。
ともあれ、確定的なことを語るためには、幕末-明治初頭に訳語を作った人物が具体的に西欧のどういうテキストを読んでいたのか、そして、訳語がどういうふうに変遷したのかに関する、両面からのきちんとした研究が必要です。
もちろん、その研究はある程度はなされていると思います。私が知りたいのは、日本側の先行研究が19世紀における西欧の学の変容をきちんと踏まえた上でなされているのか、という点です。
→なにかよい先行研究をご存じの方、是非、ご教示をよろしくお願いします。[カラマーゾフの兄弟 ii ]
わー。今日の新聞(朝日)を開くと、まんなかが見開き2頁をまるまる使った全面広告。作家島田雅彦氏と東京外国語大学学長亀山郁夫氏のトークセッションが掲載されています。36万9千部の威力。
ちいさいちびといっしょに7時15分。晴れ。涼しい。[ガード下開通]
西荻駅から荻窪に向かうガード下ですが、夏前から工事のために通り抜けできませんでした。
工事の様子はすこしばかり外から見えました。もしかしたら駅中開発と同じく、新しいお店が入るのかと期待していました。
昨日大学にでるときに、9月10日から開通という報せがあり、通ってみました。お店はありました。ですが、期待とは違って、前あったお店が50メートル引っ越してきただけでした。本屋さんと魚屋さん。
通り抜けたとき、本屋さんはまさに引っ越し作業の真っ最中でした。
どういうふうになるかの通知を見つけることはできていません。もしかしたら、古い店舗を再開発して、新しいお店を入れるのかもしれません。
地元住民としては、ともかく便利なお店がはいるとうれしい。[科学ニュースから]
注目すべき科学(教育政策)のニュースがいくつかありました。
「世界トップレベル研究拠点プログラム」5つ選定
今朝買ってきた毎日新聞に詳しい情報があります。(こういう事柄に関しては、毎日新聞が概して詳しい情報を載せます。)それによると、選ばれた機関とテーマは次の通りです。
1.東北大学:原子・分子レベルでの革新的な新材料開発
2.東大:素粒子物理学に基づく宇宙の起源・進化の解明
3.京大:幹細胞研究を中心とした再生医学の実現
4.阪大:感染症やアレルギー疾患の新しい診断・治療の開発
5.物質材料研究機構:ナノテクノロジーに基づいた新材料開発の推進
予算としては、1年に5億円から20億円を10年〜15年投入するということです。世界トップの研究拠点を創出するということですが、ひとつの拠点に200人〜300人の研究者を集め、そのうち3割は外国人スタッフを確保するそうです。2002スタート:「21世紀COEプログラム」(274拠点)→2007スタート「グローバルCOEプログラム」(150拠点予定)→2007スタート「世界トップレベル研究拠点プログラム」(5拠点)
こういう順序になります。予算規模ではこれまでの10倍程度を投入。
高校理科に新科目「科学と人間生活」
「社会生活と科学とのかかわりに重点を置いた科目」で「理科が嫌いな生徒にも親しみやすい内容を目指す」そうです。これは、STSです。
STS(Science, Technology and Society) の内容を高校で教えることはよいと思います。しかし、理科嫌いの生徒のための選択科目という位置づけはなんだかな。
個人的には、嫌いでもなんでも、自然科学の基礎は、中学・高校ときちんと教える、物理・化学・生物の体系的な教科書をしっかり用意する方が重要かと思います。[カラマーゾフの兄弟]
昨日、大学のメールボックスにて、次の本を受け取りました。亀山先生、いつもありがとうございます。
ドストエフスキー (亀山 郁夫訳)
『カラマーゾフの兄弟 4』
光文社古典新訳文庫、2007
→今日、ワイドショーをテレビで流していたら、なんと、古典文学が流行というニュースをやっていました。これは出て来るぞと思ったら、『カラマーゾフの兄弟』の亀山新訳5冊を書店の棚に並べたシーンが出てきました。
この勢いだと、全部で40万冊を超えるベストセラーになります。まったくすごい勢いです。
ひとり遅れて7時半。やはり昨夜目覚めて、けっこう遅くまで仕事をしていたせいです。朝方はすずしくなりました。ほとんど布団をかけようとしないちいさいちびが布団をかけて寝ていました。まだ雨。11時前に雨は上がりました。夏の格好のまま外に出てみると寒い。急いで秋用に着替えました。このまま気温が下がってくれると助かるのですが。
ちいさいちびが帰ってくる直前に、アメリカのアマゾンより次の本が届きました。
Bruce T. Moran,
Andreas Libavius and the Transformation of Alchemy: Separating Chemical Cultures with Polemical Fires,
Science History Publication, 2007
学部教授会の日。
今日は学部教授会だけなので、比較的ゆっくりめで出かけます。2時前に大学に着きました。なんとか机の上を片づけて、ニュースサイトを見ると、安倍総理辞任表明のニュース。 何で、今?
たぶん、みんなそう思ったでしょうが、私も、えっ、なんで、いま?でした。
ヨミウリを見ると、メインの記事が2本削除されたままでした。情けないな、ヨミウリも。
2時から会見ということです。気になるので、研究所に行って、ひとりで大きなテレビを見ていました。
総理の会見を聞く限り、辞める理由は自衛隊の米軍貢献を継続するためです。お、と、と。たぶん正直な発言なのでしょう。でも、一国の首相の辞める理由としては、???です。義理立てされたアメリカだって、びっくりでしょう。
ともあれ、これでしばらく政局は激動の日々。教授会ですが、副学長2人と新しい事務局長を引き連れて、亀山新学長が就任挨拶をされました。前に黒ずくめのにこりともしない4人が並びました。はじめて見る光景。
嵐の前触れか。
新学長は演説でちゃっかり安倍総理の辞任表明に触れていました。教授会終了後最速で帰宅しました。西荻駅についたのがちょうど6時。でかけるときにだしていたCD-Rからの現像ができているはずです。
33枚現像して、1200円ちょい。妥当なところでしょう。
帰宅すると、ちびどもは風呂に入っているところでした。オリンピッ予選、日本対カタール戦を見ていると、上で音。おおきちびがお腹をこわしたということです。いきなり気温が下がって(20度まで下がったようです)、さらに運動会の練習で走り回ったようです。冷えと疲れのせいでしょう。
くすりをのませて、寝させました。[日本化学史文献]
『化学史研究』総目次との突き合わせ作業を最後までやり通しました。シンポジウムや一般講演の原稿をどれだけ取り上げるか、悩むところです。ほかに研究がないものは取り上げることにしました。(内容的な判断はなかなかに難しい。)
やっとすこし涼しくなるようです。予報によれば、最高気温で27度。ただししばらく雨模様。
夜半に目覚め、すこしだけ仕事。あかんぼう、妻、おおきいちびに続き、6時半。どんよりとした曇り。ちいさいちびはたぶん7時前後でしょう。
ちいさいちびは疲れのせいでしょうか、風邪気味です。本人が今日は行かないというので幼稚園を休ませることとしました。
7時半すぎに起きてきた顔を見ると、虫に刺されています。手首のところも。私の虫さされは、今日になって腫れてきました。蚊ではなく、どうもダニかなにかのようです。ちいさいちびも同じ症状。こいつはしつこく痒い。というわけで、昨日とほぼ同じ時間に、ひとりで大学に出かけました。
片づけものを続行するためです。ともかく、机の上を片づけないことには、なにも進みません。
→昼間で頑張ってなんとか雑誌類を片づけました。
パソコンの前で一服していたら、生協から、昨日大学の事務に依頼したパソコンのモニターがもう入荷したという知らせがありました。1時にもってきてもらうことにしました。
注文したのは、「BUFFALO 19インチワイド液晶ディスプレイ FTD-W924ADSR/SV」という19インチの液晶です。シルバーはないがブラックであればすぐに入るということだったので、ブラックです。(シルバーでもブラックでも私は気にしていません。)
生協の方が箱で持ってきてくれました。すぐに交換。臨時に借りたものよりずっとよい。画面が広いだけでなく、文字が読みやすい。
一安心です。
ある程度は片づけも進んだので、今日はこれにて帰宅。このディスプレイですが、会計に発注したのが月曜日の朝一番。生協が持ってきてくれたのが、火曜日の午後1時。こんなに迅速な処理ははじめてです。
こういうところが改善されるのはとてもありがたい。ちなみに値段は、25,900円。アマゾンで調べて注文しました。アマゾンでは、¥ 24,980 でした。上出来です。
大学にて次の本を頂きました。和田先生、いつもありがとうございます。
イタロ・カルヴィーノ『魔法の庭』和田忠彦訳、ちくま文庫、2007
あまりの痒さに目覚めて、3時。起きて見ると、右足の太股を4箇所蚊に刺されていました。痒いわけです。
目が覚めたのですこし仕事。なんか忘れているなと思い、台北にもっていったノートパソコンを立ち上げ、メールボックスを見ました。最初に受け取ったメールが仕事のメールでした。必要なものは、USBのメモリースティックでマックに移したつもりだったのですが、その最初のものは忘れていました。30分程度で片づく仕事です。はやめに処理しないといけません。
ひとり遅れて、7時45分。けっこう朝方まで起きていたせいです。それにしても昨夜の蚊はひどく痒かった。
おおきいちびがでかけるころに雨。一度上がりましたが、今日は終日雨模様。
ちいさいちびといっしょに妻の運転する車に乗り、幼稚園に。ちいさいちびに挨拶をさせたあと、私は大学へ。昨日発見した宿題をまずこなしました。
その後、モニターが壊れたままでは大変不便です。共同研究室に使っていないパソコンが2台あります。そのうち1台のモニターをしばらく借り受けることとしました。
パソコンの方に問題はなかったので、モニターを接続するとすぐに使えました。私が使っていたものよりすこし品位は落ちますが、今朝発注したモニターが届くまでの繋ぎです。十分でしょう。
多磨駅前の中華料理屋で「かた焼きそば」を昼食にとったあと、吉祥寺のユザワヤで、整理のための紙ボックスを買って帰りました。1時15分ぐらい。大学で次の本を受け取りました。若き同僚の貴重な作品です。柳原さん、ありがとうございます。
柳原孝敦『ラテンアメリカ主義のレトリック』エディマン発行・新宿書房発売、2007また、次のものも受け取りました。
リービッヒ『有機化学主要論文集』横田徳郎訳、横田徳郎(2007)
これは、たいへんな労作です。一応、思い出した宿題は全部こなしました。集中してやったので疲れました。
もしまだ約束していてこなしていない仕事があれば、遠慮なくノーティスしてください。大至急対応したいと思います。[日本化学史文献]
大学の研究室にていくらか作業。研究室で作業するメリットは、nii で論文検索したとき、論文そのもののpdf をゲットできることです。文献目録作成のために関連する論文を全部読むことはできませんが、作業の見通しを得るために読んでおくとよい文献というのも確かに存在しますし、論文が注で挙げている文献情報が貴重だということもあります。
私は日本科学史の専門家ではありません。専門家にとっては常識的な知識かもしれませんが、実際に読むといろいろ勉強になります。千のへー。
ちいさいちびといっしょに7時。やっとすこし涼しくなりました。
昨日妻と話していました。台北から帰ってきて、なんか東京の方が暑い。私の出した結論は、単純に東京の方が気温が高くなっているというものです。台北の夏は、かなりの確率でスコールがある。東京はヒートアイランド現象に加えて、晴れたら1週間も2週間もずっと晴れ(雨なし)というのが効いているように思われます。
私の大学には、東南アジアの国の専門家が大勢います。地形的な影響もあるので一概には言えないでしょうが、東南アジアの夏の方が東京の夏より過ごしやすいという方が多い。
実は台北に出発する前に、アジア各地の気温を見ていましたが、東京に匹敵する暑さは、ニューデリーだけでした。
(妻によれば、香港の蒸し暑さも相当なものだということです。もしかしたら、東京は香港になるのでしょうか。)
夏の東京は、世界でもっとも暑い都市のひとつになった、と言えるのではないでしょうか。[久しぶりに]
久しぶりに、最新のニュースを。ヨミウリに次の記事。
兵庫の6病院連携、四つ子の赤ちゃん救う
久しぶりの「四つ子の赤ちゃん」誕生のニュースです。
以前、こうしたニュースでは、不妊治療の結果の多胎妊娠であることに触れることはほとんどありませんでした。今回、この記事はその点にきちんと触れています。
わずかですが、進歩です。[日本化学史文献]
作業の継続。目が疲れます。分類をいくらか修正しました。
→もちろん完成には遠いのですが、一応、全体にわたる整理を行いました。
ちょうどよい頃合いなので、私のまわりに積み重なっている3つの地層のうち、たったひとつですが、片づけました。足下の床の地層です。なんと一番下から、忘れていた宿題が出現しました。今日はもう辛いので、明日仕上げたいと思います。
(残る地層は机の上と、私の右手の棚の上。)
それから9月のスケジュールを確認しました。一度はじまってしまうとはやい。そのときになってあわてて捜し物をしなくてすむように準備が必要です。
痒さのせいで夜半に目覚めてすこし作業。昨日の夕刻、ちいさいちびをコンビニに連れていったとき、玄関の入口で手と足を蚊に刺されました。これが泣きたくなるぐらい痒かった。見ると手はまっかになっていました。たった2箇所刺されただけで、このひどさ。蚊の方も必死なのでしょう。ひとり遅れて7時半。夜中起きていたせいです。快晴。今日は33度まで気温が上がるとの予報。まだ夏です。
寝る前に、おおきいちびが喉が痛いと泣きます。この子はほんの些細な異変で泣くことが多く、今回もその模様。泣き続けるので、病院に行くかと聞くと、病院には絶対行きたくないとさらに泣きます。これは寝させるに限ると、寝させました。
起きて、もう痛くないかと聞くと、痛くない、お腹が空いていたという回答。お腹が空いたときには「うちはよくそうなる」のだそうです。ゲゲ。何とももはや![日本化学史文献]
昨日からの作業の継続。一通り見直しました。ああ、しんど。
午前1時現在。もうすぐ台風は上陸の模様。寝付く前、ちびどもは風雨の音に、不安そうでした。ちびどもといっしょに6時半。風と雨の音はずいぶん弱まっています。台風はほぼ通り過ぎたようです。
小学校は普通通りあると思い、用意させていましたが、連絡網で電話があり、警報が解除されていないので、2時間遅れで始業ということでした。
[日本化学史文献]
「日本化学史文献:日本篇」完成に向けての最終作業工程に入りました。しばらく集中的に作業をします。何かコメントやアドバイスを頂ける方は、できれば9月半ばまでにお願いします。9月22日に編集委員会があり、それを目途に作業に集中します。それ以降はほとんど余裕がなくなると予想されます。
おおきいちびは6時45分。ちいさいちびと私は7時10分。ちょうど起きることに強い雨。10分程度で止みました。台風接近の足音。→予想していた通り、大学の事務から、今日は早めに休みとする、という連絡が入りました。
「台風9号の接近に伴い、夕方以降に交通機関の運休等が予想されることから、各自の通勤等の事情を考慮し、早期に退勤されるようお願いします。」
これが連絡の文言です。→夕刻(5時頃)、幼稚園の連絡網で、明日幼稚園は休園という報せがありました。幼稚園は休みが正しいと思います。
小学校は、朝の様子をみるようです。とくに警報が発令されているか、解除されているかで始業時間を遅らせるかどうかを決めるということです。[台北後記 ii ]
台北滞在記に、すこし写真を貼付しました。台北でのインターネットですが、実は、25日(土曜日)から接続できていました。ダンナクン(妻の妹の夫。ちびどもがダンナクンと呼ぶことにしました)が、ゲイトウェイ(嗚呼、懐かしい名前です)の無線ラン装置をADSL アダプターに繋いだ上、私のマシーンで、パスワードを入力してくれました。
その日は、アメリカのグーグルに接続できたことで満足しました。
ADSL アダプターも無線ラン装置も我々が寝泊まりした2階の和室です。翌日、マシーンを和室にもっていったら、案の定、電波の強さが「非常に強い」という表示に変わり、すべての接続が OK となりました。持っていったマシーン(当然、パナソニックのレッツノート)では、ftp の設定をしていなかったので、ホームページの書き換えはできませんでしたが、残りは普通に使っていました。メールも回答の必要度の高いものだけ、ごく短く返事をしました。
ホテルに移動してからも、ほとんど同じ環境が用意されていました。ホテル全体にパスワードの必要のない無線ランがありました。電波がすこし弱くなることもありましたが、ほぼ問題なく使えました。
ちびどもといっしょに6時40分。ちょうどよいぐらいの時間です。あかんぼうは、6時ぐらいでしょうか。曇り。気温は下がったようですが、むしむしします。台風接近の影響でしょう。おおきいちびといっしょにあかんぼうが外に出たがりました。まあ、散歩によかろうと外に連れ出しました。おねえちゃんについて、どんどん歩いていきます。夏休みの間にあきらかに足が強くなっています。おねえちゃんは途中でお友達と合流。それでも、どんどん歩いていきます。結局校門までついていきました。
自分もなかに入るつもりだったようです。校門のところで止めると泣きました。仕方ありません。抱っこして帰ってきました。半分ほど帰ったところで雨。台風接近のときの雨です。いきなり強くなります。最後は走りました。13キロを抱っこして走るのは大変ですが、あかんぼうはおもしろいようで喜んでいます。
けっこう濡れたので、帰り着いてすぐに着替えました。ちいさいちびは、あまり元気がありませんが、午前中だけなので幼稚園に行かせることとしました。雨が降ってきたので、妻の運転する車で。私も同乗し、幼稚園で降りて、郵便物の受け取りに大学に出かけました。
ひさしぶりの大学です。同僚の先生何人かとあいました。
郵便を受け取って研究室に。荷物の整理をしつつ、コンピューターを起動させましたが、何も表示されません。液晶モニターの電源表示の部分が、点滅しています。できることはやってみましたが、症状に変化が見られません。
研究所からモニターを1個借りて来て、様子を調べようと思いましたが、コネクターの形状が合わず、無念。
別のマシーンを立ち上げて、メールのチェックといくらかプリント。今度はプリンターの接続でけっこう苦労しました。ノートパソコンの方はすぐにプリンターをアップルトーク経由で認識したのですが、おおきなデスクトップがなかなかプリンターを認識してくれません。あんまり頑張ってもしんどいので、12時には大学を出ることとしました。
西荻窪で降りて、チャンポンを昼食に。雨が突然激しくなりましたが、しばらく待って、新規オープンしたセブンイレブンへ。昨夜おおきいちびが自由研究だということで、和歌山滞在のおりに撮った写真と台北滞在写真を20点ほどCDに焼いていました。新しいセブンイレブンのコピーマシーンがデジタルカメラからの写真印刷に対応しています。一度試みて見ようと思い、カバンに入れていたCDから何枚か写真をプリントしてみました。L版で1枚30円。まあ、妥当な値段でしょう。
操作に難しい点はありませんでしたが、時間がかかります。1枚プリントするのに1分以上かかります。枚数が多いときは、街角のプリントショップに出した方が楽です。ですが、ちょっとだけ印刷したいときには使えます。品質的にも問題なし。帰宅すると、アマゾンから次の2冊が届いていました。昨日、発注したものです。
東 浩紀『文学環境論集 東浩紀コレクションL』講談社、2007、2730円。東 浩紀『情報環境論集 東浩紀コレクションS』講談社、2007、1600円。
値段の差は厚さの差です。文学環境論集の方は、なんと2冊組です。
台風接近中です。
強い雨が断続的に降っています。明日の夜、関東には再接近(あるいは直撃)ということです。こういうふうにパソコンに向かっているときにも、雨の音が急に強くなります。
こどもたちは、2週間にわたる海外生活で疲れたようです。とくにちいさいちびは「疲れた」ということが多い。水曜日はお絵かき教室の日ですが、ふたりとも休ませました。
あかんぼうは、食器を洗った水を飲んだということで、軽い下痢気味。夜、お腹を押さえて何かを訴えるので、何かと思ったら、下痢便でした。1時間以内に数度繰り返しました。妻によれば、相当な回数紙襁褓を交換したということです。こどもたちがもとにもどるには、1週間近くかかりそうです。
[台北後記 i ]
中国人社会では珍しい3人の子どもといっしょに長く海外に滞在すると、思うことは多くあります。それを少しずつ記していこうと思います。そのまえにまずは情報を下記の形でまとめておきます。前回の台北滞在は3年前で、今回お世話になった妻の妹の結婚式に出席するためでした。妻と子どもたち(当時は2人)が先に台北に行き、私は、仕事に穴を開けないように遅れていきました。
台北滞在記2007
台北滞在記2004
ちいさいちびといっしょに7時半。おおきいちびは、7時前に起きていたようです。ひとりで朝ご飯を用意し、いつもと同じ時間に重い荷物をもって小学校にでかけました。あかんぼうは7時50分。おおきいちびがでかける直前。どうにかバイバイをすることができました。晴れ、涼しい。
出張校正の日。現地に11時に到着といういつも通りの時間に飯田橋に出張校正に行ってきます。→40分で終了しました。ひとりで行うと早い。昼食を食べてから帰宅。
暑さがもどっていました。駅ビルで、チーズとフランスパンを買って帰りました。台北の食べ物はおいしいのですが、ないものもあります。
成田空港に4時50分に着陸。入管、荷物受け取り、税関、宅配便手配と3人の子連れの割にはスムーズに進むことができて、5時47分発の成田エクスプレスに乗車することができました。
東京駅での長いエスカレーターを経て、東京発7時4分豊田行きの中央線に乗ることができました。
西荻前のセブンイレブンで明日の朝食の買い物をして、8時前に無事帰宅することができました。
ちびどもは9時過ぎには就寝。明日はちょっときついでしょうが、今週中にもとのリズムに復することができるでしょう。
台湾滞在中のことは、明日にでもアップします。
私の文章の載っている『理科教室』の最新号が届いていました。
「時代を切り開いた科学者第6回 ロバート・ボイル」
『理科教室』2007年9月号、pp.100-103
昨夜いつもより1時間遅く、そのせいで、ほぼそろって7時。
起きて直ぐに朝食が運ばれてきました。身内で飲茶。11時45分に集合。ホテルから歩いて10分以内のところでした。
その後は、全員がホテルに集まり、おしゃべり。
夕食は、昨日とおなじしゃぶしゃぶのお店。やはり5時半に行くと、お店はほぼ満員でした。最後の席が残っているということです。
昼寝をしていないあかんぼうは思ったとおり、早めに飽きてしまいました。
ほぼそろって5時半。おおきいちびが何度かベッドから落ちました。最初は私がもどしてやりましたが、あとは自分でもどったようです。途中で思いついて、直接床に落ちないように、椅子をベッドの横においてやりました。台北アリーナの子ども遊技場に行って1時間ほど遊び、それからアジアワールドへ。
7階のトイザルスで時間をつぶしてから、北京ダックのお店へ。車で5分。
ポポがくることになっていましたが、体調のせいでしょうか、来ませんでした。夕食は、近所のしゃぶしゃぶ。5時半に出かけましたが、もうお客さんが大勢入っていました。台北の土日はこうなんだそうです。しゃぶしゃぶといっても、日本式に表現するば、バイキング方式の各自なべです。なべの材料は何でも取り放題。サラダバーも取り放題。ひとり300元ということです。1000円強です。
自分のなべで好きにできるというのが子どもたちにうれしかったようです。しゃぶしゃぶはいやだと言っていたちびどもも大満足でした。
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