ひとりで5時。とうとう大晦日。[最後の荷物]
午前10時20分、玄関チャイム。何かと思ったら郵便屋さんが頭陀袋に入った巨大な荷物を持ってきてくれました。たぶん、これが年内最後の荷物でしょう。
なかみは、ファン・ヘルモントの主著『医学の曙』でした。
もちろん、17世紀のものではなく、ブリュッセルの「文化と文明」シリーズでリプリントされた版です。ほぼコピーをとっていますが、やはり本の形態が使い勝手がよいので、古書店にリプリントを注文していたものです。
郵便屋さんも袋の大きさにびっくりしていました。海外からの荷物は、日本の配送の常識を越えた形で送られてくることがままあります。これもその一例でした。
ということで、ファン・ヘルモントで今年の締めくくり。
かぞくそろって7時過ぎ。ちいさいちびの熱はだいたい下がりました。咳が残っています。
午前中は元気に遊んでいたちいさいちびですが、あんのじょう、午後になると元気がなくなりました。微熱がでて、すこし気分も悪いようです。
今日一日、休ませてやれば回復すると思われます。1年の最後に、『科学史研究』が届きました。第45巻(No.240)2006年冬号です。
5月に東洋大で開催したシンポジウム(近代における知とその方法―宮廷、サロン、コレクション)の原稿が掲載されています。
「ルネサンスから初期近代(16世紀から18世紀まで)において、それを科学革命と呼ぶかどうかは別にして、知識の総体的な再編成があったことそのものには異論を唱えるものはいないであろう。
今回のシンポジウムは、その知の再編成の場所(loci)と再編成の様子(再編成の方法)に焦点をあわせる。
知識が集積され、再編成され、交換される場所として、大学やロンドン王立協会・パリの科学アカデミーは、よく研究されてきた。しかし、ロンドンやパリ以外の科学アカデミー、個人を中心とするサークルやネットワーク、宮廷やサロンについてはまだ十分な研究の蓄積はないと言えよう。今回のシンポジウムでは、講演者4人のそれぞれの専門とする場所において、知識の集積・編成・交換のありようを探る。」
講演者と講演タイトル
桑木野幸司「初期近代の百科全書的ミュージアムと情報処理システムの空間化」
武田裕紀「メルセンヌ・サークルとトリチェッリの実験」
吉本秀之「ロバート・ボイルと人文主義の方法」
但馬亨「啓蒙専制君主とアカデミー:フリードリッヒ大王と18世紀数学者」
立花太郎先生より次の論文の別刷りを頂きました。
立花太郎「化学のアイデンティテイ」
20世紀の物理化学の展開を「構造と力」という概念によって、総括する論考です。たぶん、日本語の世界で「構造と力」と言えば、浅田彰でしょうが、科学の世界では古くからある基本的な概念です。ちびどもがくれよんしんちゃんを見ている間に、上記のシンポジウムと立花先生の論考、ならびに河野俊哉氏の「ラヴワジエに消された男・:ジョーゼフ・プリーストリ再考」『サイエンスネット』第28号,pp.6-9を読むことができました。
ちいさいちびといっしょに7時10分。この時期の普通の寒さが戻ってきました。ちいさいちびが朝方よく咳をするな、と思ったら、風邪でした。
朝はすこし食べましたが、昼食を食べずにベッドの下にごろんとなっていました。しばらくすると毛布をかけたまま寝込みました。起きると、あんのじょう、熱が出ていました。
そうこうするうちに気分が悪いと言い始め、袋を用意するともどしました。最近流行のお腹にくる風邪です。
ちょうどよいので、年末は休ませます。7時に寝付いたあと、ちいさいちびは何度か目覚めました。しっかり寝付いたのを確認してから、ふとJ-COMをつけると甲殻機動隊 Ghost in the Shell をやっています。前から見たかったので、最後まで見ました。
ひとりおくれて8時15分。昨日に続き、暖かく晴れています。今日は年内の可燃ゴミの最終日。いつも9時前後に収集車が来ます。8時45分にゴミをださなくちゃと気付き(ゴミの日だと言うことを忘れていました)、8時50分にゴミの場所に行くと、きれいさっぱり何もありません。近所の方が、今日は8時20分に収集車が来たわよ、あそこに置いておけばまた取りに来てくれるわよ、と教えてくれました。助かりました。たった2袋のゴミですが、ゴミといっしょに年越しするのは、うれしくはないことですから。
子どもたちが遊びに行くのについていって、私はすこし食材の買い出しをしてこようと思っています。
→あかんぼうが朝の昼寝から目覚めるのを待って出かけました。1時15分前。荻窪のセイユウ(タウンセブン)の屋上。気温は割と高めでしたが、昨日のように風が強いと屋上はだめかなと思っていたのですが、風は吹いていたもののそれほどでもなく、大丈夫でした。ちびどもはもう慣れたものですが、私が歩けるようになったあかんぼうと来るのははじめてです。わー、よく動く。あっち、こっち、好きなように動きまわっています。お金を入れて動く乗り物も、自分から乗り込むことができます。乗りたいのかなと思ったらすぐに降りてきて、別の場所に移動。まったく物怖じしない子なので、平気でお友達のあいだに割り込みます。1歳1カ月ですから、まだ親がべったりついていないといけないのですが、この子の場合は目を離すと危険です。
3時過ぎに、地下の市場で、買い物をして帰ってきました。ちびどもはおなかがすいたということでおにぎり。あかんぼうはミルク。私が5分で、海産物を購入しました。
帰ってきてぐったり。
ひとりで6時。あかんぼうはすぐに起きてきました。100%ではありませんが、年賀状は完成しました。年賀状を出した後、昨日に続き、マッサージ屋さんに。相変わらず痛いのは痛いのですが、可動範囲がすこし広くなってきました。肩だけではなく、腰もゆがんでいる(ねじれている)ということです。さもありなん。思わず息をのむような、その種の激痛はありませんが、腰もじわりじわりと結構痛いので、ゆがんでいるのでしょう。
今年残された最後の課題、眼鏡の更新ですが、いつもいっている眼鏡屋さんに電話すると年内は本日が最後です、と言われてしまいました。明日ぐらいまではやっているのではないかと期待していたのですが、仕方ありません。持ち越しです。新年は5日からということで、そこいらででかけようと思います。
最近、同じぐらいの年齢の方とゆっくり話す機会があると、五〇肩と老眼の話を持ち出して、リサーチしています。老眼は、かなりの方と話が盛り上がります。我々は目を使う職業ですから、相当割合の人が老眼に苦労しているようです。
五〇肩の方は、体質の差なのでしょうか、率がぐっと減って、一割か二割といった感じです。10人以上集まる飲み会では、それでも確実に一人ぐらいは、五〇肩の体験談を聞くことができます。一昨日の忘年会では、奥さんといっしょにヨガに1年以上通って、ずいぶんよくなったという体験談を聞くことができました。じっくりかまえるのであれば、ヨガもよいでしょう。
ひとりおくれて7時50分。昨夜帰り着いたあたりから雨。今日も雨が続く模様。→天気予報によれば、200〜300ミリの雨量になるとのこと。本格的な雨です。昼食後、ちびどもは呼ばれてお出かけ。ひとりで留守番をしています。ぼんやりしていると寝てしまいそうなので、テレビをつけました。東京12チャンネルで「CSI・4科学捜査班」という番組をやっていました。見るのは初めてです。これがおもしろい。ここんところ、アメリカ問題をずっと考えています。「ER」 もそうですが、こういうおもしろい番組を作るのもやはりアメリカです。
日本のテレビは、こういう番組をまねすることはできても、創り出すことはたぶんできない。ちびどもが帰宅してから、久しぶりにマッサージ屋さんへ。ここまで痛くなるとは思っていませんでした。ひどいときの右肩の状態とほぼ同じぐらいの痛みがあります。
ひとりおくれて6時40分。ちびどもは、6時20分。朝方、年賀状の1次バージョンができあがりました。こどもたちはこれでよいというので、印刷にかかっています。
私の分は、別のバージョンを用意しようと思います。明日中には、宛名書きを含めて、完成できそうです。午後、学会の編集委員会、理事会、忘年会。
2時から編集委員会。
3時半から理事会。
6時過ぎから忘年会。
帰宅して9時半すぎ。思ったよりもはやく帰ってくることが出来ました。今月はこれで100枚を超えました。
ひとりおくれて8時20分。窓をあけるときれいな青空。クリスマスイブの日。ちびどもは、台湾教会のクリスマス会に誘われて参加します。
→10時半ぐらいにでかけ、3時に帰ってきました。クリスマスプレゼントをたくさんもらって満足したようです。あかんぼうにもプレゼントがあったようで、自分にくれたブーブーを握りしめていました。そう、自分にくれたものは、1歳児にもわかる。
なお、基本的に言語は台湾語だったということで、妻でも半分程度しかわからなかったと言っていました。ご存じない方も多いようですが、中国は、多言語多文化社会です。大陸の中国は、おおきくわけて4つほどの言語圏に分けられるそうです。(うちの大学の専門家に聞いた話。北京官話=マンダリンは、公用語として指定されていますが、たとえばヨーロッパのスペイン語とイタリア語の差よりもずっと大きな差が存在するといことです。つまり、勉強しない限り、何を言っているのかわからない。)[残された課題]
クリスマスが終われば、今年の行事も仕事もほぼ終わりです。しかし、いくつか宿題を積み残しています。
1.年賀状
2.左肩の治療
3.眼鏡の更新
左の50肩はけっこうひどい状態です。ほんのすこし後ろ側に手を伸ばすと、痛烈な痛みが襲ってきます。治療を受けに行ってもすぐに直るという種類のものではありませんが、ここんところはマッサージ屋さんに行く余裕がありませんでした。
眼鏡ですが、老眼が進行して、ああ、もう読めないと思うことはよくあります。小さな文字の場合、あきらめて眼鏡をはずし、裸眼を近づけてみています。手術もひとつの可能性としては考えていますが、でもまずは、眼鏡を新調しようと思っています。ロンドンに行く前から、行こう行こうと思っていて、行く時間が見つかりませんでした。
今回のことがあって、連絡先をきちんと記した年賀状を1年に1度交換しておくことは大切だと再認識しました。(年賀状は手元にあっても、電話番号もメールアドレスも記載されていない方には、結局連絡をとることができませんでした。)
今年出す年賀状に関しては、着手はしていますが、着手しただけにとどまります。今日、明日中で、なんとか印刷をしたいと思っています。ちびどもがでかけているあいまに、駅前の商店街を一回りして、プリペイド携帯のカード、コーヒー豆、&次の本と雑誌を買ってきました。
鴨下信一『誰も「戦後」を覚えていない [昭和20年代後半篇]』文春新書、2006
『サイゾー』『月刊現代』『中央公論』の2007年1月号。
ちいさいちびといっしょに6時半。あっというまに、クリスマスイブの前日となりました。こどもたちは朝からクリスマスツリーの飾り付け。あかんぼうまでちびどもとおなじように喜んでいます。
[ここは台北?]
妻の弟が台北から来日しています。テレビマンなので、取材に来たようです。今日は帰国の日です。ちょうど3時まで時間があるということで、まず、新宿プリンスに会いに行きました。10時15分前に部屋の前に到着。
しばらく、しゃべったあと、銀座の博品館に向かいましたが、ホテルをでてすぐにちいさいちびがおなかがすいた、なにか食べたいというので、近くのマクドナルドに寄りました。3階に席をとりましたが、妻の弟の仕事仲間の日本人チームが偶然いました。簡単に挨拶。
銀座の博品館は、おもちゃやさんに用があります。妻の弟が稼いだお金でちびどもにクリスマス・プレゼントを買ってあげるとのことでした。
銀座の博品館ですが、駅は新橋からの方がすこし近い。
なんでもよい、ひとつ好きなおもちゃを買ってあげるということだったので、ちびどもは早速探しに。と思ったら、ちいさいちびは、外へ出ようといいます。入口に展示していた動く犬のぬいぐるみがよいと言います。1分もなかは探していません。
ちいさいちびはそういう性格なので、それをもっておおきいちびの欲しいものを店内探索。
おおきいちびはキラリンの人生ゲームを選びました。
妻の弟は、自分とガールフレンドのためにたくさんのお土産を選んでいます。
我が家は、あかちゃんの休憩所で休憩。妻の弟が3つの袋を抱えてあらわれるまで待っていました。それから、あまり一通りの多くない方角に向かって、昼食のお店を探しました。割ときちんとした和食のお店を選びました。
昼食後、妻の弟は待ち合わせがあるので、タクシーで再び新宿プリンスに戻りました。我々は、新橋からJRで帰宅の途に。
休日は乗換がけっこう面倒です。東京駅で中央線に乗り換え、御茶の水駅で総武線に乗り換えました。
西荻窪駅の改札を出ると、目の前でクリスマスケーキが売っています。はじめは予約をして、25日のお昼にケーキと言っていたのですが、予約するのが面倒というのと、25日は午後私がいないことを考えあわせて、その場でチョコレート・ケーキを買って帰ることとしました。
→なお、表題は、プリンスホテルの一室で妻と弟が中国語で会話しているのを聞いて、おおきいちびが発した言葉です。
また、なお、当日の新宿プリンスホテルには、香港からの団体客の方がけっこう多く来ていました。
さらに、なお、ちいさいちびは、おじさんにあったとき、記憶にあった印象とずいぶん違ったので、この人誰、という感じで、目を逆三角形にして睨み付けていました。こういうところがちいさいちびのおもしろいところです。数分で、うち解けて、ホテルのベッドをトランポリン代わりにしていました。
さらにさらに、なお、銀座博品館には、中国からの旅行者の方が大勢いました。中国語のよく売れている観光案内に名前が出ているのでしょう。免税カウンターには、中国語のできる店員が配置されていたということです。[ぼくの居場所]
食卓のある部屋に、ちびどもの机を並べておいています。端っこにはピアノ。あかんぼうも、どうも自分の場所が欲しいようです。
ということで、ちいさいちびの机とピアノの間の隙間に、あかちゃんようの椅子を置いてやりました。もとは座ってご飯を食べさせる椅子で、50センチ×30センチほどのテーブルがついていたものです。その椅子部分だけを部屋の端っこにおいてやったのです。
自分の場所があるというので納得したのでしょうか、あかんぼうは、これで満足しています。自分の居場所を見つけたわけです。リビングの方では、あかんぼうがあまりにソファに登ってさらにくっつけている食器棚に登ろうとするので、ソファを窓の下に移動しました。そして、それに直角にして、登ることのできない木のソファを置きました。
すると、あかんぼうは、その直角の間に入り込んで、自分の居場所を作ってしまいました。この居場所を承認して、そこに落ちても大丈夫なようにおおきなぬいぐるみのクッションを置いてやりました。
と、ちびどももこのすきまの居場所が気に入ったようで、このすきまの空間がちびどもの居場所となりました。ということで、「ぼくの居場所」がともに部屋の端っこに2箇所できています。一方は、「ぼく」専用。もう一方は、子どもたちの共有地です。
ひとりで6時半。あかんぼう、おおきいちびはもうおきていました。そういえば、今日が冬至のはずです。今年はかなり暖かい冬が続いています。7時半現在、冬至の太陽はまだ顔を出していません。曇りのまま一日が過ぎるのでしょうか。
[日本のデジタル・ライブラリー]
日本化学史の勉強をはじめたのを機に、日本のデジタル・ライブラリーも少しずつ調べていこうと思います。
龍谷大学デジタルライブラリー
159タイトル、473冊。『舎密開宗』や『和蘭天説』のほか、『医学綱目』『解体新書』などの医学書が数多く収録されています。[『化学史研究』の最新号]
『化学史研究』の最新号が届きました。2006年度の第4号。今回は、全巻文献号です。
「日本における化学史文献:世界篇」第33巻(2006): 193-253
「2005年化学史文献リスト」第33巻(2006): 254-262
新しい試みとして、その pdf ファイルを『化学史研究』のサイトにアップしました。
日本における化学史文献:世界篇
編集委員会としても、中心となって文献目録作成の仕事をされた大野事務局長に協力し、できるだけ網羅的になるように努力しましたが、今回の目録は、はじめての試みです。遺漏があると思われます。
追補の作業はかならず行いますから、あれがない、これがない、というのがありましたら、是非、お教え下さい。よろしくお願いいたします。
あかんぼうがおこしにきて、7時20分。正午から告別式。
会社の方が4名、弟氏、高校時代からの友人がお別れの挨拶をしました。
私は7時。おおきいちびとあかんぼうはとっくに起きていました。ちいさいちびは7時20分。会議の日。午後1番の会議は私が司会をする必要があります。
研究室に掃除機が届きました。ちょっとだけ掃除をしかけて、時間なので、大学院教授会に向かいました。
お通夜に参列してきました。合掌。
ひとりで5時。冬休みにやらないといけない仕事がいくつかあります。そのことを考えていたら、いつもよりすこし早く目が覚めてしまったものです。やはり古書店に注文していた次の本が届きました。
(日本化学会編)井本稔著
『日本の化学 100年のあゆみ』
化学同人、1978
夕刻、古くからの友人の訃報が届きました。ショックです。
心から冥福をお祈りします。
おおきいちびといっしょに5時50分。あかんぼうもすぐに起きてきました。今日も、2限、3限、4限と3コマの授業。
4限の授業が終了し、事務に書類を提出して、電車に乗っているとじんわりとうれしさが生じてきました。何だろうと思ったら、今日で、年内の授業は終了です。仕事から解放されたうれしさでした。(ほんとうはまだ会議が残っていますが、会議は授業とは異なる種類のものです。)
ちょうど4限の授業で、そういう話になっていました。帰宅すると古本屋に注文していた次の本が届いていました。
日本化学会 編
『日本の化学百年史 化学と化学工業の歩み』
東京化学同人、1978。税込価格 : \8,190
1302頁の浩瀚な書物でした。
→私のところに届いた物には、会員版(非売品)とあり、縮約版の表記もあります。1302頁もありますから、内容的に圧縮したというよりも単純に版型を小さくした版だと思われます。古書で送料込み3800円でした。
巻末に、明治元年(1868年)から昭和52年(1977年)までの「化学および化学工業年表」があります。「研究、教育、学会関係」「国内化学工業」「海外の化学、化学工業」「社会一般」という4コラムからなります。できうれば、19世紀初頭からあればよかったのですが、でも、この年表は基本的なものです。
巻頭に、12人のケミストの顔写真が載っています。
河喜多能達
久原躬弦
桜井錠二
高松豊吉
高峰譲吉
高山甚太郎
長井長義
中沢岩太
垪和為昌
松井直吉
R.W. Atkinson
E. Divers
研究室から『化学アーカイブズ―化学総合資料館設立へ―』(日本化学会化学教育競技会 日本化学アーカイブズ設立準備WG、日本化学会、2004)を持って帰りました。
目次は次の通りです。
芝哲夫「日本の化学を切り拓いた先駆者たち」
1.宇田川榕菴と舎密開宗
2.川本幸民と化学新書
3.河野禎造と舎密便覧
4.ポンペと上野彦馬
5.ハラタマと舎密局
6.舎密局をめぐる人びと
7.明治初期の化学者たち
8.長井長義と日本の薬学
9.高峰譲吉とアドレナリン
10.化学会を創めた人びと
11.池田菊苗と味の素
12.鈴木梅太郎とビタミン
山本明夫「日本の化学の歴史」
日本化学会所蔵資料一覧
[事項索引作成開始
『化学史研究』の事項索引の作成を開始しました。まずは、日本の化学史から着手しています。
事項索引として、『化学史研究』の文献も追加したバージョンも用意することとしました。
事項索引2
ちびどもといっしょに6時。昨日のピアノ発表会で、ちびどものクリスマス行事は半分終了。あと2つ、クリスマス会が残っています。私はクリスマスの日に忘年会。クリスチャンがいないからできる、暴挙/快挙(?)です。
[『スピノザーナ』]
情報が遅くなりましたが、2006年の『スピノザーナ』が届いています。通号第7号。スピノザ協会のサイトにも、アマゾンJP にもまだ情報がありません。論文のみあげておきます。
河井徳治「コナトゥス概念の原理的諸相」 3
佐山圭司「18世紀ドイツにおけるスピノザ復興
―ヤコービとヘルダーのスピノザ「改」釈」 29
手島勲矢「スピノザのマイモニデス批判
―中世ユダヤのメタファー解釈との関わりで」 47
[『ブラック・アトランティック』]
諸所で評判の高い次の本が今朝方アマゾンより届きました。
ポール・ギルロイ
『ブラック・アトランティック―近代性と二重意識』
上野俊哉、毛利嘉孝、鈴木慎一郎訳、月曜社、2006
すべてを含めて、500頁を超える大冊です。[自転車はたのしいな!]
昼食後、ちびどもの自転車にスタンドをつけてやるために、近所の自転車屋さんへ。おおきいちびの自転車を買った自転車屋さんなので、おおきいちびのスタンドはすぐにつけてくれました。しかし、ちいさいちびの自転車は12インチと車輪が小さく、ちょうどあうスタンドがありませんでした。
ということで、ちいさいちびのスタンドは、そこから別の大きな自転車屋さんに行って、つけてもらいました。
その近くの「ねこの公園」でしばらく遊ばせることとしました。
ちびどもはふたりでくるくると楽しそうに自転車に乗り、ブランコに乗り、砂場で遊び、滑り台で遊んでいました。
すっかり歩けるようになったあかんぼうは、広い場所を、ただ、歩けるのがうれしいようです。これも、あっちにうろうろ、こっちにうろうろ歩いていました。
冬場なので、あまり寒くならないうちにと、3時頃に帰宅しました。
ちびどももあかんぼうも大満足の模様。
おおきいちびといっしょに5時40分。[ピアノのクリスマス会]
ちびどものピアノの発表会は、午後。
→2時から5時まででした。ちいさな会場。ちびどもは、ドットのミッキーマウスマーチの連弾でトップバッター。おおきいちびはいつものようには緊張していませんでしたが、すこし間違えました。(自分では2箇所間違えたと言っていました。)
ちびどもがピアノを弾き始めると、あかんぼうが自分も何かしたいと騒ぎ始めました。昨日はおおきな会場だったので、遊ばせてやるスペースがあったのですが、今日は、そのスペースがなく、そのまま妻が会場の外に連れ出しました。
2回目の散歩であかんぼうは昼寝。
演奏そのものは、4時20分頃終了しました。そのあと、ゲームと軽食。
おなかがすいたというので、西荻駅前で夕食を食べて帰ることとしました。昼寝をして元気になったあかんぼうは、力が余っているのか、椅子から抜け出し、遊びに行こうとします。帰り着いたときは、私も妻もぐったりでした。[日本の化学者]
そういえば、『化学史研究』には、「特集:日本の化学者」というシリーズがあります。これまでに次の化学者を取り上げてきています。
水島三一郎
黒田チカ
木村健二郎
桜井錠二
桜田一郎
小川正孝
槌田龍太郎
仁田勇
田丸節郎
野副鐵男
岡田家武
森野米三
志方益三
真島利行
桂井富之助
ちいさいちびといっしょに6時半。あかんぼうは4時に目覚めたようです。おおきいちびは6時前後か。ちいさいちびのクリスマス会は、12時10分集合で、4時前終了です。車の検査の時期に当たっており、すこしはやめにニッサンにでかけ、そこから会場まで歩きました。
おおきいちびの小学校が1時45分下校。家には誰もいないので、迎えに一度帰る必要があります。徒歩20分ほどの距離を歩いて帰り、おおきいちびのランドセルや荷物を家におかせて、自転車に乗せて再度会場に戻りました。
ああ、忙しい。
ちいさいちびの劇は終わっていましたが、ちょうどお歌の前でした。
今日一番喜んでいたのは、あかんぼうです。雰囲気でわかるのでしょう、出かける前から興奮状態で、会場に着くと、会場のなかをくるくる回って喜んでいます。あかんぼうについてまわるだけで疲れました。[化学アーカイブズ]
おお、今日の夕刊(朝日)に、「化学アーカイブズ」の記事が載っています。私は担当者ではありませんが、日本の化学の歴史に関して、きちんと資料を収集しておこうという化学会の試みです。化学史学会としては協力するという立場です。
化学会の化学アーカイブズの情報
化学会共催行事『化学アーカイブズ小委員会春季年会』のお知らせ
→ということで、私の方でも、一応基本はおさえておこうと思い、日本化学史についての基本的事項を記した年表や文献表がウェブにないか探していますが、まだ見つけることができていません。どなたか、ご存じの方がいらしたら、是非、お教え下さい。よろしくお願いいたします。関連して、芝哲夫氏の『日本の化学の開拓者たち』(裳華房、2006年)を読み通しました。日本の化学史を知るにはとてもよい本です。
個人的には、本格的な日本化学史通史を読みたくなります。自分でひとつですが、役に立つサイトを見つけました。
東京大学創立百二十周年記念東京大学展 学問の過去・現在・未来 第一部 「学問のアルケオロジー」
ついでに2部と3部も。
京大学創立百二十周年記念東京大学展 学問の過去・現在・未来 第二部 「精神のエクスペディシオン」
東京大学創立120周年記念東京大学展 「建築のアヴァンギャルド」06.12.17 読者の方に、次のサイトを教えてもらいました。
日本の科学者・技術者100人
化学者としては次の10人が取り上げられています。
池田菊苗 Kikunae IKEDA
黒田チカ Chika KURODA
桜井錠二 Joji SAKURAI
桜田一郎 Ichiro SAKURADA
柴田雄次 Yuji SHIBATA
下瀬雅允 Masachika SHIMOSE
鈴木梅太郎 Umetaro SUZUKI
高峰譲吉 Jokichi TAKAMINE
福井謙一 Ken-ichi FUKUI
真島利行 Rikou MAJIMA
ひとりで6時40分。あかんぼうはすでに起きていました。おおきいちびは10分後。これから、なにかと行事が続きます。
今日は学生たちの大コンパ。4限と5限のゼミを合体で行い(4名が発表)、その後打ち上げコンパに雪崩れ込みます。コンパの方は学生に任せています。さて、どうなりますことやら。
→4限・5限の合体ゼミですが、4人連続の発表はなかなかのものでした。全員卒論ゼミの発表です。だいたい半分近くは書き上げているようです。
続けることの重要性を再確認しました。最初の頃と比べると、相当程度バージョンアップしています。
その後は、総勢16人で打ち上げコンパ。カラオケルームの一室を確保していました。3時間発表を聞いた反動でしょうか、勢いがありました。
(ゼミの最中にすっかり忘れていた書類のことを思い出しました。数が多くなるとこういうことがありえます。月曜日に処理することとしました。重要な書類です。ああ、思い出してよかった。)(明日は、ちいさいちびのクリスマス会。内容は、幼稚園の学芸会です。明後日は、ピアノの発表会。おおきいちびとちいさいちびが連弾で引きます。しかもトップバッター。)
ひとりで6時50分。おおきいちびとあかんぼうは起きていました。ちいさいちびは、7時10分。昨日の雨は上がっていましたが、天気予報ではまた午後雨。会議の日。
会議の日はあきらめて、員数となっています。(定足数を埋めるのが会議での我々の一番の役目。)大きな会議では、実は淡々と事務処理(教務事務の処理)を進めることが大半となっています。発言しなければ、と思うシーンがほとんどありません。
→と書いたさきから、最初と最後に発言をしてしまいました。支払いの日。税金(固定資産税)と学会会費を2件、支払いました。
12月6日に個人研究費で発注した、電子辞書とポータブルHDが届きました。はやい。事務が生協に頼んでくれたので、大学生協の係の方が研究室まで運んでくれました。こういうのはありがたい。
近所の病院です。ヨミウリに次の記事がありました。
HIV感染の男女、体外受精へ…精液からウイルス除去
荻窪病院の血液科部長は、「精液からHIVを理論上100%除去できる方法を開発している。」とあります。どうするのでしょうか。具体的に知りたいところです。
ひとりで6時40分。おおきいちびとあかんぼうは起きていました。ちいさいちびは、7時過ぎ。最近我が家ではこれが基本のリズムとなってきました。夕刻次の本が届きました。ともにアマゾンのマーケットプレイスに頼んでいたものです。(別々の場所)
ベンヴェヌート チェッリーニ『チェッリーニ自伝―フィレンツェ彫金師一代記』〈上〉〈下〉、古賀弘人訳、岩波文庫、1993
表紙に「16世紀ルネサンス・イタリアが生んだ名彫金師ベンヴェヌート・チェッリーニ(1500-71)。その名をいっそう高めたのがこの『自伝』である。」とあります。私に用があるのは、1568年フィレンツェで合冊で出版された『彫金についての論述』と『彫刻についての論述』の方ですが、さっかく翻訳があるので、手元にもっておくこととしたものです。
訳者古賀氏による解説のみまず読みました。ちょっとほかにない、おもしろい自伝のようです。夜、やはりアマゾンに発注していたデロンギ、オイルヒーターが届きました。寝室の暖房ですが、オイルヒーターが一番適していると判断したものです。(あかんぼうの寝る部屋に、現実に何かを燃やすストーブ系はダメです。ホットカーペットも身体が乾燥するのでダメ。エアコンも、我が家のエアコンでは低いところがうまく暖まらないのでダメ。ということで、暖まり方がいちばんやさしいオイルヒーターの出番となったわけです。)
ちいさいちびといっしょに6時40分。やはり12月は忙しい。大学に出る日は、あっちでばたばた、こっちでばたばたしています。会計上の書類は期限内に処理する必要があります。腹をくくって、書類を作成しています。木曜日の授業は今週が冬休み前のラストとなります。月曜日の授業は、来週がラスト。大学関係の仕事はたぶん12月20日の大学院教授会で終了するはずです。それまでに年内に処理すべき書類は処理したいと思います。
今日は荷物を3つ送りだし、書類を3点処理しました。大学生協で次の本を購入しました。
『別冊環 (12) 満鉄とは何だったのか』藤原書店、2006[温水論・鉱泉論集成]
下に紹介したDe balneis omnia quae extant apud Graecos, Latinos, et Arabas, tam medicos quam quoscunque ceterarum artium probatos scriptores ですが、思った通り、マドリッド大学のデジタルライブラリー「ディオスコリデス」にありました。
本の体裁を確認するためだけでもてもとにあると有用です。ダウンロードを開始しました。1000ページ近くある大冊です。間を挟みながら、でも、全部をダウンロードしておきたいと思います。
ちびどもといっしょに6時半。雨は上がりました。ちびどもが買いたいものがあるというので、昼食後、家族そろってユザワヤへ。妻は軽い風邪気味で、しんどそうでしたが、あかんぼうだけもたまに外出させないとあばれるので、全員で行くこととしました。
クリスマス会で交換するクリスマスプレゼント(500円前後という指定がありました)とそれに添えるカードの用紙(これも画用紙という指定がありました)。
この時期ですから、子ども連れで混雑していました。長くいると疲れるので、必要なものを買った後はさっさと帰ってきました。
ちびどもは、帰ってすぐにカードの製作に取りかかっていました。ちいさいちびは、最初の作品が気に入ったようで、人にあげたくないと言い始め、もう一枚別にカードを製作していました。私も記憶がありますが、なかなか楽しいものです。
帰ってきました。東京は雨。→新幹線乗り場の前のお土産物屋で、麩、烏賊の塩辛、漬け物(味噌漬け)、蟹蒲鉾、チョコレート、お団子を買って、ノンストップの新幹線に。
半分以上寝ていました。ちびどもといっしょに寝てしましました。
[評価:おみやげ]
お土産ですが、麩はおいしい、烏賊の塩辛はとてもおいしい、漬け物はしょっぱすぎ、蟹蒲鉾はこどもたちに人気、チョコレートはフレイバーが子どもの下には辛く感じたようです。お団子も私にはちょっと甘すぎますが、子どもたちには人気でした。[評価:オクラホマ大学所蔵科学史関係文献コレクション]
理想的にはどうあるべきかを先に記します。
「Microprint: Landmarks of Science」約1万点をすべて、ウェブキャットから検索をかけられる状態にしてあるのが望ましい。今、マイクロフィルムは、一部ウェブキャットから検索できます。それと同じ形がよい。(検索結果に、マイクロプリントと明示すればそれで本と間違われることはありません。)
科学史コレクションとしての評価。新潟大学が科研費の大型コレクションで購入した時点では、日本国内にこれに匹敵するコレクションもなく、圧倒的な量を誇ることができました。
たとえば、私の詳しい分野で例を示しましょう。日本の科学史の中心であるべき(スタッフの数と専門大学院の発足の時期と看板の点で)東大駒場の図書館には、ボイルの1772年の全集版(フォリオの6巻組、第2版)がありました。しかし、他には17世紀に出版されたボイルの著作はまったく入っていませんでした。(今もないと思います。)かろうじて『懐疑的化学者』のドーソンによるリプリントが入っていました。(リプリントは他にも何点か。)
大学院の博士課程に在学しているときに、(まだインターネットが使える状態ではなかったので)実際に科学史のコレクションを有している国内の大学は、実際に足を運んで、どういうものがあるのか、そう、昔はみんなそうして文献調査をしていたあの旧式の図書カードを繰って調べました。それは、一世代を風靡したカードにとっています。(まだ棚にあります。)しかし、それは、バインダーひとつに収まる量しかありません。
たぶん、私が大学院博士課程後期に在学している頃から、日本の経済力を反映して、欧米で製作された科学史を含む大型のマイクロフィルムコレクションが日本のいろんな大学に納入されたようです。
しかし、情報がないとそれはないに等しく、21世紀になるまで、どこにどういうコレクションが収められているのかほとんど知りませんでした。
(私の学部時代の師匠、渡辺正雄先生が新潟大学に「オクラホマ大学所蔵科学史関係文献コレクション」を購入されたことは噂には聞いていましたが、どういう種類のコレクションでどの程度の文献が収蔵されているのか詳しく教えてくれる方は私のまわりにはいませんでした。)
状況が一変したのは、インターネットの普及、ガリカの活動、グーグルの出現、ウェブキャットの整備、そして、イーボやエッコ、「近代経済学の形成」といった網羅的なコレクションがウェブ上で利用できるようになってからのことです。
「Microprint: Landmarks of Science」約1万点で言えば、購入時と比べて、価値はたぶん10分の1程度になったのではないでしょうか。
ガリカ、イーボやエッコ、「近代経済学の形成」に収められていないものが 「Landmarks of Science」にあれば、新潟大学のコレクションに価値があります。ただし、カタログが手元になければ、何が「Landmarks of Science」に収録されているのかわからないので、実際のところ、今、「Microprint: Landmarks of Science」約1万点にどれだけの価値があるのかは、正確に査定することができません。(10分の1というのは私の目算の評価にすぎません。)研究者の側の論理ですが、ウェブで検索をかけられることと同時にカタログそのものをウェブ上に公開してほしい。そうすれば、そのコレクションの利用価値を査定することができます。
あとは、少し脱線的に。
一橋大学に「カール・メンガー文庫」という社会科学の貴重書・古典を多数所蔵する非常にすぐれた文庫があります。ウェブで見た情報では、2万点ということですから、「Landmarks of Science」の倍の量です。
カタログは、戦前に第1巻(『東京商科大學附屬圖書館 カール・メンガー文庫目録』Tokyo : Bibliothek der Handels-Universitat Tokio, 1926, 732 columns )が出版され、1955年に第2巻(『一橋大学附属図書館カール・メンガー文庫目録・2』Tokyo : Bibliothek der Hitotsubashi-Universitat, 1955, ix p., 733-1154 columns)が出版されています。
この文庫の所蔵されている書物は、今現在、ウェブキャットの検索にかかるようになっています。
ということで、このメンガー文庫が日本で唯一(ウェブキャットで調べがつく範囲では)アグリコラの『デ・レ・メタリカ』の原典を所蔵しています。
De re metallica libri XII.
1. De animantibus subterraneis. lib. I.
2. De ortu & causis subterraneorum. lib. V.
3. De natura eorum quae effluunt ex terra. lib. IV.
4. De natura fossilium. lib. X.
5. De veteribus & novis metallis. lib. II.
6. Bermannus sive De re metallica, dialogus. lib. I
Basileae : Sumptibus & typis Emanuelis Konig, anno 1657
このバーゼルで1657年に出版された版は、巨大フォリオで800頁にのぼる浩瀚な書物で、鉱物学関係の重要な書物は全部含む、アグリコラ全集と呼びたくなるぐらいの大きなものです。(実物は未見。)私が問題だと思うのは、このカタログを所蔵する図書館の少なさです。ウェブキャットを信じる限り、日本でたった32〜33館程度しか『カール・メンガー文庫目録』を所蔵していません。
ほんとうは、少なくとも3桁に達してないといけないのではないかと思われます。ちなみに、ウェブの情報によれば、1994年にこのコレクションそのものを、丸善と富士写真フイルムが(たぶん)全巻マイクロフィルムにとり、販売したようです。ウェブキャットでは5館がこれを購入しています。
なお、今回の調査の最中に、次の著作が「九大医 医分」(九州大学医学部図書館医学部分館の意か)にあることがわかりました。
Giunta, Tomaso, (Junta, Thomas) (1494-1566) ed.,
De balneis omnia quae extant apud Graecos, Latinos, et Arabas, tam medicos quam quoscunque ceterarum artium probatos scriptores: qui vel integris libris, vel quoquo alio modo hanc materiam tractauerunt: nuper hinc inde accurate conquisita & excerpta, atque in unum tandem hoc volumen redacta : In quo aquarum ac thermarum omnium, quae in toto fere orbe terrarum sunt, metallorum item, & reliquorum mineralium natur[ae], vires, atque usus exquisitissime explicantur: Indicibus quatuor appositis, quorum primus auctores omnes, qui in hoc volumine habentur: secundus balneorum nomina: tertius capita cuiuscunq[ue] libri: quartus mirabiles curationes in his libris contentas, que vi ac beneficio balneorum factae fuerunt, complectitur : Opus nostra hac aetate, in qua tam frequens est thermarum usus, medicis quidem necessarium, caeteris vero omnibus tum summopere vtile, tum etiam periucundum.
Venetiis : Apud Iuntas, 1553
次のものを収録しています。
De balneis & Thermis uniuersalibus
Savonarola Michele ; De balneis Patauinis
Montagnana Bartholomaeus ; De balneis ciuitatis A quesis in Monteferrato
Guainerio Antonio ; Recepta aquae balnei de porretta, edita per egregium militem, aclegum doctore, & magistru artium, & medicinae doctorem, dominum Turam de Castello, Bononiae ciuem
Castelli Bonaventura ; De balneorum Italiae proprietatibus
Ugolino da Montecatini ; De balneis
Bianchelli Mengo ; Patauini de fontibus calidis agri Patauini
Dondi dall'Orologio Giovanni, Dondi dall'Orologio Jacopo ; De fontibus Aponi
Claudianus Claudius ; De balneis Aponi eplstola
Theodoric King of the Ostrogoths ; De fontibus Calderianis in agro Veronensi
Panteo Giovanni Antonio ; De balneis Calderii
Aleardus de Pindemontibus ; De balneo Porrettae, & aliis
Baviera Baverio ; De balneis Lucensibus Villae & Corsennae
Bendinelli Matteo ; De balneo Corsennae
Bertolini Lorenzo ; De balneo Villensi
Franciotti Giorgio ; De balneis
Gentile da Foligno ; De balneo Petrioli consilium
Casini Francesco ; De aquis Calderianis
Fumanelli Antonio ; De balneis Sancti Pancratii agri Bergomatis
Zimaglia Lodovico ; De thermis Rheticis agri Bergomatis
Grataroli Guglielmo ; De balneis Burmi apud Volturenos
Pietro da Tossignano ; De Masinensibus & Burmiensibus thermis
Paravicini Pietro Paolo ; De thermis Patavinis, ac de quibusdam Italiae balneis
Pasini Lodovico ; De balneis Puteolanis
Alcadino ; De totius Campaniae balneis
Elisio Giovanni Battista ; De rerum natura
Lucretius Carus Titus ; Ex Metamorphoseos libro. xv
Ovidius Naso Publius ; Ex libro Meteororum de fontibns & fluminibus
Pontano Giovanni Gioviano ; Ex Consiliis, excerpta de balneis
Benzi Ugo ; Excerpta de balneis
Saint-Amand Jean de ; Turrisani seu plusquamcommentarri, Balnean di Canones ; Ex Conciliatore excerpta de balneis
Petrus Abano ; An balneum Articulari morbo competat
Cardano Girolamo ; Excerpta de aquis
Vitruvius Pollio ; Excerpta de aquis
Seneca Lucius Annaeus; Ex libro de naturali historia, de aquis
Pliny the Elder ; Excerpta de mineralibus simplicibus & aqua
Dioscorides Pedanius of Anazarbos ; De balneis dialogus
Brancaleoni Giovanni Francesco ; De balneis
Barzizza Cristoforo ; Ex compendio medicinae excerpta de balneis
Fuchs Leonhart ; De natura eorum quae ex terra effluunt
Agricola Georg ; De Germaniae & Helvetiae thermis
Gesner Konrad ; Epistola de balneis Helvetiae
Bracciolini Poggio ; De balneis Calderianis epistola
Massa Niccolo ; Consilium de balneis Aquensibus
Delfino Giulio, Cellanove Giovanni Andrea, Paterno Bernardino ; Excerpta de balneis
Celsus Aulus Cornelius ; Thermae ad Timavi ostia
[Rapicio Giovita] ; Ex continente, excerpta quae ad aquas & balnea pertinent. & ex eiusdem lib. ad Almansore & Herculani comentariis excerpta
Razi Abu Bakr Muhammad ibn Zakariya ; Herculani comentariis ad Almansorem, excerpta de balneis & ex eodem in Auicennam ; Excerpta , quae ad aquas & balnea pertinent
Ibn Sina ; Ex Syrasis Arabis in Auicennam commentariis
Ibn Sina ; Ex eiusdem expone in Auic
Gentile da Foligno ; In Auicennam, excerpta de balneis
Desparts Jacques ; In Canticam Auicen, excerpta de balneis & ex eius Colliget
Averroes ; Ex Mesuae Canonibus universalibus, ac ad eius expositoribus , excerpta de balneis
Pseudo-Mesue ; Ex eius additionibus in Mesuem
Petrus de Abano ; De balneis
Francesco di Piedimonte ; Excerpta de balneis
Ibn Serapion Yuhanna ; Excerpta quae ad balnea faciunt
Avenzoar ; Excerpta de balneis
Maimonides Moses ; Aphorismi
Ibn Masawayh Yuhanna ; De aquarum natura, et de balneis
Hippocrates, Galen ; Problemata
Aristoteles ; Excerpta de aquis & balneis
Oribasius ; Excerpta de balneis
Aretaeus of Cappadocia ; Excerpta de balneis
Alexander of Tralles ; Excerpta de balneis
Aetius of Amida ; Excerpta de balneis
Paulus Aegineta ; De balneis ex Hippocrate & Galeno
Sicco Giovanni Antonio
これは壮観です。16世紀半ばにおける温泉論(鉱水論)集大成の観を呈しています。著者の数にしておよそ70名。タイトルに明示されているように、多くは"Excerpta"(抄録)ですが、それにしても圧倒的な数です。財政的に言うと、医学部図書館にもっとも貴重書が多く所蔵されている可能性があります。とりあえず、九大の医学部の貴重書リストがありました。
九大医学部貴重書リスト
ちびどもといっしょに7時前。まだ雨は降っていませんが、雨模様の空。[新潟大学所蔵、オクラホマ大学所蔵科学史関係文献コレクション]
新潟大学に資料の調査に行ってきます。→9時12分発マックス朱鷺という上越新幹線にしました。おお、なんと終点まで無停車、ノンストップです。乗車が1時間40分程度で、10時50分頃に新潟駅に着きました。その後、どういうルートで大学まで行くのか考えていなかったのですが、せっかく切符も買ったことですし、越後線で新潟大学駅前まで行くこととしました。おお、これも、見事な雪国のローカル線。ドアは自分(乗客)が開け閉めする方式となっていました。
駅から大学までの地図をプリントアウトして持参するのを忘れていたのですが、まあ、地元の大学生らしいものについていけば大丈夫だろうと駅を降りると、かなり大きな大学までの看板があり、道に迷うことはありませんでした。駅から大学までおよそ20分ぐらいでしょうか。
東京の基準で言えば、新潟大学はかなり広いキャンパスですが、図書館はわかりやすい位置に(たいてい)あるので、すぐに辿り着きました。12時10分前ぐらい。
外大の図書館からすでに照会してもらっていたので、受付で用件を伝えるとすぐに対応してくれました。教官閲覧室という普段は鍵の掛かっている部屋に、「オクラホマ大学所蔵科学史関係文献コレクション」は保管されていました。
担当してくれた方は、マイクロフィルムでもマイクロフィッシュでもない、と教えてくれましたが、実物を見ればわかるでしょう、とまずは、カタログを見せてもらいました。
D.H.D. Roller and M.M. Goodman (eds.),
The Catalogue of the History of Science Collections of the University of Okhahoma Libraries,
2 vols., Marsell, 1976.
アメリカの議会図書館の目録と同じく、カードを整理して、それを写真にとり、縮小しページとする形式のカタログでした。文字が小さく、老眼の進む私の目ではぎりぎりでした。(あとで、受付で、拡大鏡を借りました。)
説明を読むと、これは、オクラホマ大学の科学史コレクション約4万点すべてのカタログでした。普通の本の形で蔵書しているもの、ヴァチカンの貴重書図書のマイクロフィルム、それにお目当ての「Microprint: Landmarks of Science」約1万点がすべて記載されています。
さて、「マイクロフィルムでもマイクロフィッシュでもない」というのは、マイクロプリントでした。たぶん、印画紙に、5×9段=45のショットを縮小して焼き付けています。つまり、1枚の印画紙に90頁が収められています。それを幅10センチ弱の箱に分けて収納していました。収納棚2つ分ありました。我々が普通に使っている本棚2つ分ぐらいです。
見たことがない形式です。たぶん、大型コレクションとして特別科研で購入したときに、専用のリーダーマシーンが添付されていたようです。そのマシーン、Readex Microprint Opaque Viewer model 7 という、英語の説明書しかない、3本足のプラグのマシーンで、拡大して見るわけです。
焦点の合わせ方にしばらく苦労しました。2段階の倍率があり、まるで時計のネジのように焦点をあわせるダイヤルを引いて、くるくるします。わかってしまえば、なんてことはありません。画面もしっかり見えます。(状態のよいマイクロフィルムと同程度。)
作業の最後のころにわかったことですが、本の形のカタログではなく、「Microprint: Landmarks of Science」に収められているものに関しては、別に、昔のタイプの図書館蔵書カードがありました。4箱。文字の大きさから言っても、このマイクロプリントの利用には、この旧式のカードの方が向いています。(帰りに図書館で親切に対応してくれた係の方には、伝えておきました。)さて、「Microprint: Landmarks of Science」約1万点にどの程度のものがあるのか? それが一番の問題です。
私の詳しい分野で、サンプルとして例を挙げます。
アコスタは、セヴィリアで出版されたスペイン語版だけがありました。
アゴリコラは、次の4点。
G. Agricola, De re metallica dialogus,1556
G. Agricola, De ortu & causis subterraneorum, lib. V, et al.,1546.
G. Agricola, De animantibus subterraneis libro usus,1549
G. Agricola, De mensuris et ponderibus, 1533
パラケルススは、8点。1658年ジュネーブで出版されたラテン語の『医学-化学-外科学著作集』は入っています。
ボイルは、25点。(ボイルの出版物の約半数強。)1744年の最初の全集があります。だいたい、こんな感じです。
さて、カタログには記載されていませんが、「Microprint: Landmarks of Science」の第二シリーズとして、科学雑誌があり、王立協会哲学紀要や、フランス科学アカデミーのメモワール等、有名なものはだいたい収められているようでした。(こちらはそれほど丁寧にはチェックしていません。)
こんなちいさな文字をずっと読んでいると、頭と目が破裂しそうです。私の目的のものは、このコレクションにはない(ウェルカム・ライブラリーにもない非常に珍しいものを探しています)ことを確かめ、コレクションの様子もつかめたので、調子を悪くしないうちにおいとますることにしました。だいたい、4時。
新潟は、ロンドンより寒く、ずっと曇っていたので、ロンドンと同じくらいの暗さでした。雪国に暮らしたことはないので、1カ月、2カ月と続く状況はわかりませんが、午後4時は、帰る暗さとなっています。
親切に世話をしてくれた図書館の方にお礼を言って、新潟駅に向かうこととしました。今度はバスに乗ってみることに。電車よりもバスの方が街の様子がよくわかります。バス停で10分以上待ってから乗車。
通るのは、新潟市内の幹線道路のひとつのようです。道の両側に、いろんなお店があります。駅前商店街にあるようなお店です。乗ってくる人、降りる人もけっこういます。30分ぐらいで新潟駅に着くのかと思っていたら、1時間近くかかりました。ほんとうの市内に入ると三越やその他の大きな建物が見えてきました。
ホテルは駅からの略図しかもっていなかったので、最後の新潟駅まで乗車。バスを降りてから地図とにらめっこをして、こっちの方向だと思う方に行くと、たしかに駅から徒歩5分の位置にホテルはありました。ホテルに着いたのがほぼ5時。
あまりの肩痛と腰痛に、一休みしたあと、マッサージ屋さんを呼んでもらうことにしました。20分ほどでドアをノックする音が。ちょっとようすがわからなかったのですが、ベッドに横になれ、いうのでどうするのかと思ったら、横向きに寝て下さいの意でした。最初は右肩を下にして、後半は左肩を下にして、マッサージをしてもらいました。首と肩のあたりは力を入れられるととても痛い。あまり強くしないようにお願いして、40分。楽になったのかどうかはわかりません。
外にでかける気力をなくしていたので、ホテルの2階にあるレストランで夕食をとることとしました。刺身定食、千円。
それから1階の受付でLANケーブルを借りて、部屋に戻りました。ネットワークは快適。きちんと速度が出ているので、いつもと同じように使えます。
はやめにお風呂に入り、その後は、オンディマンドのビデオで映画を見ることとしました。最近話題になっているけど、まったく見る機会のなかった韓国映画にしました。韓国の青春映画。男女のシーンを歯車の動力とする、男・男の友情のストーリでした。
おおきいちびといっしょに6時半。授業アンケートの週となっています。今日は、4コマの授業アンケートに関与します。1年でいちばんあっちこっちばたばたする日になりそうです。原則すべての授業でアンケートをとっているので、学生たちはさっさとやってくれると思います。
→予想していたことですが、あっちこっちうろうろじたばたして忙しい一日でした。学生諸君は(あきらめて、あるいはそういうもんんだと思って)協力してくれますが、労多くして・・・、とならないことを祈るばかりです。
おおきいちびが、ぱぱ、がっこうおくれるとないて、7時前。本当に、この子は。
ずっと私の机の下に配置して使っていたデロンギを寝室にあげました。わずかですが、室内に熱を発するものがあると、寒さの鋭さがやわらぎます。一昨日の夜はぴりぴりした寒さを感じましたが、昨夜はそのぴりぴりが消えていました。会議の日。最後の歓迎会も含めると、5つになります。えらいひとはたぶん、7つとかでしょう。
学部教授会終了後、総合文化研究所の所員会議。
「自著について語る」ということで、エジプトのノーベル賞作家について話を聞くことができました。私のまったく知らない世界で、とても新鮮でした。
その後、新しく見えたメンバー(10月1日着任)の歓迎会。
ピアノの演奏会もある、総合文化研究所ならではの、楽しく賑やかな会となりました。10時21分多磨駅発の電車で帰ってきました。
おおきいちびといっしょに6時半。ほんとうに寒くなってきました。おおきいちびは昨夜かなりひどい咳。つられたわけではないのですが、急激な気温の下落のせいで、私も咳がでました。ちいさいちびを幼稚園の送っていったあと、紹介状をもって、上智大学図書館へ。上智は1年間ピンチヒッターの非常勤をやったことがあるので、よく覚えています。紹介状は、上智大学図書館が所蔵する貴重書を見せてもらうため。
用件は1時間ほどで終了しました。上智の図書館の方は、貴重書には慣れていないようでしたが、親切に対応してくれました。あんな、こわれかけた書物が何冊か(あるいは何十冊か)あったとして、利用に来るのはごくまれでしょうから、不慣れなのは当然です。
結局第2版も見ないと確定的なことは言えないことがわかりました。
駅前のラーメン屋でネギラーメンを食べて、帰宅。時間がはやかったせいでしょう、客は私ひとりだけでした。帰宅すると、あかんぼうがちょうど起きたばかりということで、グッド・タイミング。
今日は、おおきいちびの担任の先生と妻がお話をする日。15分ずつのスケジュールが渡されています。ちびどもは帰宅後、家のまわりで自転車。やはり乗れるようになったのがうれしいようです。ふたりでなかよく自転車に乗っています。
あかんぼうは、鼻水たらたら、はなくちょベービーになっているので、できるだけ外の空気に触れさせないようがよい。妻が小学校に行っている間、家のなかでいろいろと遊んでやりましたが、おねえちゃんたちが外で楽しそうに遊んでいる声が聞こえると自分も外に出たいと言います。出窓に張り付かせて外を覗かせていました。
7時15分。おおきいちびとあかんぼうはとっくに起きていました。ちいさいちびは8時。冬の朝。今日は予報では10度を超えないということで、本格的な冬の寒さがやってきています。2限から3コマの授業。2限の授業は、外語祭あけのせいでしょうか、いつもより出席している学生が少なかった。アンケートを2種。
3限、4限は大学院。
しばらく、海外に出ることはできません。まじめに日本国内に所蔵されている貴重書を閲覧する旅にでようと思います。その前に、ウェブですむ用件はウェブですませておきたい。これまでは、あまりまじめに日本国内のデジタル・ライブラリーを調べていませんでしたが、今回、デカルトの言う方法の第4、すなわち枚挙方式で調べてみました。
次の本を小樽商科大学が所蔵していることがわかりました。
Bernhardi Vareni Med. D. Descriptio regni Japoniae et Siam : item de Japoniorum religione & Siamensium, de diversis omnium gentium religionibus : quibus, praemissa dissertatione de variis rerum publicarum generibus, adduntur quaedam de priscorum afrorum fide excerpta ex Leone Africano. -- Ex officina Joan Hayes ... impensis Samunelis Simpson ..., 1673.
そしてありがたいことに、pdf もアップされています。さっそくダウンロードして利用しました。
なお、この書に関して、小樽商科大学の図書館は次の説明文を用意しています。
「ベルンハルト・ファーレン(Bernhard Varen, 1622-1650)は、オランダの地理学者、ラテン名ベルナルドゥス・ヴァレニウス(Bernhardus Varenius)の方が知られている。本書は、日本とシャムについての地誌であるが、日本では本学のみの所蔵である。その地理学書「一般地誌学」は死後1世紀にわたりヨーロッパの標準テキストとして各国語に翻訳され流布した。」
「日本では本学のみの所蔵である」と小樽商科大学図書館は述べていますが、よく調べると筑波大学も所蔵していました。こちらも画像がアップされています。(サーバーが遅いのか回線が細いのかわかりませんが、たった1頁を見るのにけっこう時間がかかり、今の基準ではいらいらしますが、もちろんネット上で閲覧できる便利さは他に代え難い。)
筑波大学ベッソンコレクション
こちらも筑波大学の説明をそのまま引用します。
「The Max Besson Library of "Japonica" Collection(ベッソン・コレクション)
ベッソン・コレクションは、 パリ在住のマックス・ベッソン氏が蒐集した日欧関係刊行書約380点からなる。 16世紀から17世紀にかけて出版されたキリシタン関係の文献を主とし、 『原マルチノの演説』やコリャードの3部作など、 海外キリシタン版と呼ばれる稀覯本も含まれている。」
この377点がデジタル化されています。
「日欧関係刊行書」といいますが、私の観点からは、16世紀17世紀に出版された日本を含む旅行記が含まれていることが重要です。上記のファーレン(ヴァレニウス)に関しては、1649年の版と、1673年の版(小樽の版と同じ)の両方をそろえています。私には、こういうコレクションが有用です。
De vita Francisci Xaverii(フランシスコ・ザビエル伝)が8点含まれています。 最初、"Xaverii" てだれじゃ、と思ったのですが、ザビエルでした。フランス語では、"Francois Xauier"、 イタリア語では、"Francesco Saverio"、オランダ語では、"Franciscus Xaverius"と綴られています。もちろん、ファーレン(ヴァレニウス)もザビエルはよく使っています。
→06.12.6 377点のリストを見ました。ザビエル伝は、8点どころではありませんでした。たくさん。きちんと数を数えるのも大変で、まだ数えることができていません。確かに、イエズス会文書が中心です。
時間があれば、377点から旅行記だけを抜き出す作業をして、ここにアップすることも考えています。
「ヨーロッパから見た日本」の研究には、非常に貴重なコレクションです。筑波大学図書館さま、
ベッソン・コレクションのデジタル・ライブラリーは世界的にも貴重な仕事です。もうすこし表示の速度をあげ、使いやすい体裁にしてもらうことはできないでしょうか。
(たとえば、ドイツのゲッチンゲン大学の方式が便利だと思われます。)
ひとり遅れて、8時15分。ちびどもに、パパ遅い、と叫ばれました。おお、もう、12月3日です。今月は、休みにはいるまで、ずいぶん忙しくなります。朝から、昨日の宿題をこなしています。郵便物を3袋、メールを2通だしたところで、いっぷくです。
→郵便を出すために外出したついでに、駅によって、科研費による新潟大学マイクロフィルム調査のための切符を買ってきました。ついでに、セイユウによって、ちびどものココアを私のためのオレンジジュースも買ってきました。
ロンドンに行って来ると、しばらく、パン、バター、ミルクティー/カフェオレ(ホワイトコーヒー)、オレンジジュースがほしくなります。1カ月は続かないのですが、1週間ぐらいは、旅先の食習慣の影響が残ります。ちびどもは、家の前の道路(私道になっており、車ははいってこない)で、朝から自転車の練習をはじめました。私がロンドンに行く前に補助輪をはずしてほしいということで、補助輪は2台ともはずしています。こがなくてよいから、足でキックして練習していれば、と言ったところ、たまに練習していたようです。おおきいちびは、朝方、ちゃんとこげるようになりました。
ちいさいちびは、夕方、こげるようになりました。
できるようになるときは、一瞬です。
私は小学校の2〜3年のときだったのではと思われますが、正確には記憶していません。こどもたちのようすをみていると、ちゃんと練習する状況と場所さえあれば、年少さんでも自転車は乗れるようになると思われます。
ちいさいちびといっしょに7時半。今日も晴れ。12月もなったので当然ですが、朝はずいぶん寒くなりました。ちびどもも咳や鼻水。編集委員会は2時半から東工大。その後、講演会。
編集委員会は、3時から4時まで。
講演会は、サンクト・ペテルブルク大学附属メンデレーエフ博物館文書館館長のドミートリエフ氏による「メンデレーエフと周期律の発見」でした。
ロシア人ですが、英語で講演してくれました。一語一語をきっちり発音してくれたので、わかりやすい講演でした。
メンデレーエフは、旅行と写真が大好きで、フランスにもドイツにもそしてイギリスにもずいぶん数多く(独仏には二十数回行ったとのこと)旅行にでかけたそうです。写真機は、(レンズはドイツ製だが、台ととしては)イギリス製のものを愛用していたとのこと。なんだ、まるで、梶さんといっしょではないか、ということで会場が盛り上がりました。梶さんによれば、誕生日までいっしょなのだそうです。
講演会終了後は、ドミートリエフさんの奥さんもいっしょに会食。おふたりとも、日本人の集団にすっと溶け込む穏和な雰囲気の方でした。帰宅すると、洋古書で頼んだ次の本が届いていました。
Reilly, Conor
Francis Line S. J. : an exiled English scientist, 1595 - 1675
Rome: Institum Historicum S. I., 1969
日本語ではフランス綴じと呼びますが、切られていないまま届きました。読むときには、ペーパーナイフで切って、ページを開く必要があります。
なお、フランシス・ライン(ラテン語表記で、フンシスクス・リヌス)は、ボイルと論争したことで有名です。私は、ずっと大陸の人間だと思っていました。が、先日ふとしたきっかけで伝記を調べてみると、何と英国生まれでした。イギリス人だが、イエズス会に入会したので、わりとはやくから大陸に逃れ、ベルギーのリエジュで教授をしています。壮麗な水時計(日時計)制作者としても有名だとありました。まったく知らなかった側面です。試験の季節が到来。下に、試験問題を公表しておきます。
「科学技術と社会」試験問題公表
「科学思想史」試験問題公表
「表象文化とグローバリゼーション2」試験問題公表
ちいさいちびといっしょに7時前。今日は晴れ。気温が下がったようです。飯田橋で出張校正。手間取る内容で、11時からはじめて、帰宅の途についたのは、1時過ぎでした。ちょうどちいさいちびの下校(下園)時に西荻窪についたので、幼稚園に寄って、あかんぼうの相手をすこししてやり、それからランドセルを持って帰ってきました。おおきいちびも「はやおかえり」で小学校がいつもよりはやめに終わったので、幼稚園に来ていたせいです。
夜は、明日の編集委員会の準備。
ポポの帰国の日。飛行機は3時ということで、10時半に家を出たようです。ひとりでゆっくり電車に乗るのがよいということで、この時間です。もちろん、台北は、ロンドンと比べると圧倒的に近い。夕方には到着しています。
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