ひとり遅れて、7時。昨夜はとても涼しく、寒いぐらいでした。あかんぼうは5時半とのこと。家のなかが新鮮なようで、あっちこっちうろうろ見て回って遊んでいます。
ちびどもといっしょに6時半。雨は上がっていますが、晴れてはいません。曇り。8時半に家を出て、なんとか無事に、4時半に田舎の家に着きました。ちびどもは、問題なしでした。あかんぼうは、興奮したのでしょう、ずっと元気に目覚めていました。空港から田舎の家に帰る車中でやっと寝付きました。
→あかんぼうとちいさいちびのパスポートが今日からもらえます。立川。いろいろ考えましたが、何とかなるだろうということで、まず立川に行ってパスポートを受領し、それから羽田空港に向かうことにしました。
豊田行きの中央線に乗れば、途中から座れると予想して、8時45分西荻発豊田行きの電車に間に合うよう、8時半前に家を出ました。小学生と幼稚園生の出る時間の中間です。朝方には余裕なし。家の片づけ、荷造り、ちびどもの世話。
道中心配なのはあかんぼう。あかんぼうは乗り物が大好きです。立川に着くまでは、問題なし。東京行きの電車とすれ違うたびに、ぶあーぶあー、と喜んでいました。高架の下に見える自動車にも、ぶあーぶあー。
9時10分ぐらいに立川には着きました。受け取りだけですから、10分もかからずに用件終了。もう自分の足で動いてよいと思ったあかんぼうは、あっちにうろうろ、こっちにうろうろ、ベビーカーに座ってくれません。仕方がないので、しばらく歩かせました。改札の直前で、無理矢理ベビーカーに座らせました。
快速であれば、座れる電車も選べましたが、時間を優先して、特別快速に乗り込むこととしました。ひとつのドアに数名、人が待っていますから、これは混んでいるなと覚悟しました。乗り込むとたしかに空いている席はありません。入り口のところに場所をとりました。
特快ははやいのですが、ちびどもは飽きてきたようです。東京までは行かず、秋葉原で下車しました。駅の中のコンビニで、気分転換用のお菓子(はいちゅう)を買い、おおきいちびには酔い止めの薬を飲ませてから、山の手線に乗り込みました。浜松町まで。
浜松町での乗換はスムーズです。ホームで待っていた各停が結構空いていたので、急行(快速?)を待つことなく、そのまま乗り込みました。あかんぼうは楽しいようで、モノレールのなかをうろうろうろうろうろ。自分の入り込める場所にはすべて登ってみたり、入り込んでみたり。とくに気に入ったのは、車両の接続部です。
11時頃に羽田第1ターミナルに到着。チケットレスで購入していたので、まず、券売機(?)にカードを挿入して、搭乗券をゲット。
朝早くから動いていたので、もうかなりお腹が空いています。いちばん近い食堂で、昼食。ちいさいちびは、お子さまセット、おおきいちびは、ビーフカレー、私は、ハヤシライス、妻はショウガ焼き。予想通り、ビーフカレーは大人向きの味でちびには無理です。私のハヤシライスと交換しました。
あかんぼうもよく食べています。ちいさいちびのエビフライ、サラダ、デザート以外は全員完食。
飛行機は、1時15分。まだ1時間以上時間があります。駅ビル(マーケットプレイスと名付けられていました)に登ってみました。おもちゃ博物館がオープンしているという張り紙を見て、おもちゃ博物館へ。車のおもちゃがいっぱい。あかんぼうが大喜び。
12時半ぐらいに、ゲートをくぐり、搭乗口へ。ご飯を食べていたあたりから外は豪雨。すべての飛行機が遅れているということです。バスに乗り込む時点で15分、結局30分近く遅れました。
飛行機のなかでもあかんぼうは興奮して寝そうにありません。私はすこし昼寝。フライトは50分ですから、目覚めるともう紀伊半島に近づいていました。紀伊半島は晴れ。
飛行場には、おじいちゃんとおばあちゃんが待ってくれていました。あかんぼうはにこにこしながらおじいちゃんと遊んでいます。
私は、ベビーカーを受け取ってから、合流しました。7〜8人のりのワゴン車で、田舎の家へ。白浜の花火大会の日、ということで道はけっこう混んでいました。途中のスーパーですこし買い物をしました。4時頃に到着。
車のなかで寝たあかんぼうを寝かせてから、荷解き。
ちいさいちびがお腹が空いたというので、5時20分頃に夕食。
ちびどもはおじいちゃんと温泉に行く約束を車中で取り付けていました。空く頃を見計らって鶴の湯へ。
昼寝時間がちょっと足りなかったあかんぼうの挙動が心配だったのですが、いつもと違う屋外のおおきなお風呂が気に入ったようで、おねえちゃんたちといっしょに割と賢くお風呂に入ったようです。
さすがに私が眠くなりました。ちびどもがいつも寝る時間の15分後に布団に入りました。ちびどももすっと寝入ったようです。こうして一日が終わりました。
ひとり遅れて7時過ぎ。曇り。夕刻雨の予報。選挙。私は9時前に行ってきました。
妻は、あかんぼうを連れて10時過ぎ。午後1時ぐらいから、雷光・雷鳴を伴うにわか雨。よく寝ていたあかんぼうが驚いて起きるぐらい、大きな音がしていました。
熱帯で言えば、スコールでしょうか、4時前にはきれいに上がりました。雷の音で起こされ睡眠時間がいくらか足りなかったあかんぼうがうるさいので、自転車で近所を一周してやりました。雨上がりをみなさんまっていたのでしょう、ぞろぞろと人が外に出てきていました。
→雨は上がったかと思ったら、また降ってきました。夕食がすんで、片づけをしているとき、雷鳴がとどろき、30分ほどして雨の音が聞こえました。どうもしばらくこういう不順な天候が続くようです。ひとりで1時ぐらいまで、選挙速報を見ていました。事前の予想とおりでした。
金曜日の飲み会には、読売の記者をしている後輩も来ていました。そのときに教えてもらった予想の数値とほぼ同じでした。ずっと同じ風が吹いたということでしょう。
ひとり遅れて7時過ぎ。晴れ。
昨夜のお酒が残っています。午前中はつかいものにならないでしょう。アジアカップ3位決定戦。前半は、0対0。まあ、五分五分でしょうか。
後半も得点なし。ということで、90分を終了して、スコアレスドロー。見ていて、いらいらする展開になっています。
120分戦っても、得点なし。PK戦は、6対5で韓国の勝ち。昼間、何日か前に届いたばかりの『スピノザーナ』2007年号から次の論文を読みました。
高木久夫
「信仰と哲学の分離:マイモニデス、エリヤ・デルメディコ、スピノザ」
『スピノザーナ』2007年号,pp.21-42
非常に興味深い力作です。たぶん、博士論文の切り出しではないかと思われます。エリヤ・デルメディコというのは、未知の著者です。やはりこういう種類のものでは、博士論文そのものを読んでみたいと思います。
ひとりで6時5分前。晴れ。今日はちびどものピアノの演奏会です。さて、あかんぼうをどうするのかが今日の課題です。
→演奏会そのものは、1時〜4時ですが、やはりリハーサルが10時からあり、ほとんど一日仕事となります。
おおきいちびと妻が連弾をするので、やっておいたほうがよいとのピアノの先生のアドバイスで、リハーサル時間の最後、11時前に着いて、ぎりぎりでリハーサルを行うこととしました。あかんぼうのもつ時間を考えてのことです。
おおきいちびと妻は、いっしょにいる状態からうまく抜けでましたが、あかんぼうが、まま、まま、と泣いたので、舞台の脇で見ていましたが、先生方が来てよいというので、舞台に上がりピアノの真横で見ました。家族全員舞台上にそろったわけです。
おわってすぐに、おむすび。
しばらくうあかんぼうにひっぱられてろうろしていると、こどもたちのアンサンブル(合奏)のリハーサル。12時前から、12時半まで。
12時半に座席がオープンし、席をとったあと、ちびどもは出演を待ちます。あかんぼうは眠くなってあばれはじめます。妻が外に連れだしました。
ちいさいちびの出番は、オープニングのアンサンブルに、個人としては7番目。しばらく時間があるかと思ったら、ひとり病気で休んだので、4番目の子が終わってすぐに、舞台脇の待機場所に連れていきました。
ちいさいちびは、一箇所すこしつかえましたが、まずまず、上手にできました。
帰ってきたちびに聞くと、お友達の演奏も聴くというので、そのままずっと聞いていました。
おおきいちびはお友達といっしょに座ると言って、一番前に席をとっています。小学校2年生が4人並んでいました。
おおきいちびの順番は、第4部の最初。どう考えても、3時過ぎ。妻はかなり苦労したようですが、ベビーカーに乗せて建物の外をぐるぐるすることで、やっとあかんぼうを寝させることができたということでした。
さて、妻には演奏があるので、ベビーカーで寝ているあかんぼうのアテンドの役割を交代。よく寝ています。休憩時間に男の子たちが走り回っています。物音で起きるのを心配したのですが、どうにかセーフ。
会場の外にいても、演奏の音はすこしだけ聞こえます。おおきいちびと妻の連弾(バッハのメヌエット)は無事済んだようです。
そのあとは、また交代して、私が席につきました。ちいさいちびはずっとおとなしく演奏を聞いていました。最後は、先生達のパフォーマンス。
演奏終了後は、写真撮影。こどもたちですからすこし時間がかかります。すべて終わってお土産をもらって4時20分前後。
今日はタクシーで来ています。電話をかけたところ、混み合っていて、配車できない、しばらくたってからまた電話して欲しいとのこと。杉並公会堂ですから、青梅街道に面しています。街道沿いでなんとかつかまるのではないかと考え、バス停の近くで待っていると、10分は待たずにつかまえることができました。
ともあれ、無事終了。
大学時代の友人達と飲み会。東京駅の近くの飲み屋で7時から。
10人近く集まりました。
お店は11時前に閉店。京橋方面の方々はそのまま帰宅。東京方面の面々で「ほんのちょっとだけ」という2次会。ホテルの7階のバーで、5人。全員、フローズンダイキリを注文しました。
ふと気がつくと、他のお客さんがほとんどいなくなっています。結局終電には間に合わず、タクシーで帰ってきました。他のメンバーもたぶんタクシー。
こんなおそくに外にいるのは久しぶりです。こんな時間でもかなり多くの車が走っていました。タクシーの運転手さんによれば、中野坂上で渋滞。すこし混んでいましたが、問題になるほどではなく、まずまず順調に自宅前まで来てもらうことができました。(8100円。まあ、そのぐらいかなという値段です。)
飲み過ぎたようです。
ひとり遅れて6時40分。晴れ。
あかんぼうはあさっぱらからそとにいきたいとさわいでいました。
仕方がないので、外に連れていってやりました。大得意の三輪車。しかし、すぐにおまたをさわって、おしっこをしたと教えてくれたので、家に連れ戻して、おしめの交換。
それから再度外出。三輪車をおいてきています。そこまで戻りました。今度はねこをおいかけました。名前は失念しましたが、低い灌木になる赤い実をもらって満足したようなので、連れ帰りました。夕方に雨。
ちびどもは明日の演奏会のリハーサル。よく昼寝をしたあかんぼうがいちばん喜んで会場をかけまわっていました。
ひとりで5時40分。晴れ。ちびどもがピアノのお稽古に行くのにあわせて、家を出ました。すなわち、10時。大学について少し書類の処理をしてから、はやめの昼食。例によって、特別食堂の一番でした。
昼食後、リレー講義の採点結果を成績表に転記する作業を行いました。人数が多いとこれが実に面倒なのですが、頑張って、最後までやり通しました。
1時ちょうどに、教務課に成績関係の書類を渡して、1学期の成績評価は完了。
その足で、4階の会議室へ。私が司会をすべき会議です。資料を2枚人数分用意した上で会議に臨みました。とくにもめる点はなく、30分で終わることができました。
結果をただちに教務課教務係に報告してから、研究所に。すずしんでから、自分の研究室にもどり、ゴミの片づけを行いました。2時半から大学院教授会。いつもの感覚からすれば、あっと言う間に終わりました。
しばらく待機していると、次の会議(ハラスメント研修会)の開催案内放送がありました。予定では、5時〜6時半だったのですが、4時15分開始となりました。
はやくなるのはありがたい。実は、この研修会の司会をおおせつかっていました。ICU の田中かず子教授を講師にお招きし、「ハラスメントのないキャンパスをめざして」ということで、質疑応答を含めて、100分強お話いただきました。
体系的に話を聞くことではじめてわかることがあります。残された課題がよくわかりました。
その後、相談室会議。長の先生が外に用事があるということで、こっちも司会を仰せつかりました。経緯もあってすぐに引き受け、会議。先週の金曜日に審議しているので、話はスムーズに進み、一応スタートできる体制が整いました。
帰宅できるのは8時かなと覚悟していたのですが、7時過ぎには家に辿りついていました。ちびどもは今朝1時間以上睡眠不足でした。
疲れて眠そうにしていたので、いつもより15分はやく寝室に向かわせました。あかんぼうも眠かったようで、8時15分にはぐっすり寝付いていました。
大学の大きな仕事は、今日で終了。残った仕事がすこしありますが、大きなものではありません。[日本敗退]
アジアカップ準決勝、日本対サウジアラビアは、2対3で日本の敗退。
今のチームの弱点をつかれました。[日本化学史文献]
23日の続き。次のものがありました。
阪上正信『温故巡訪:日本放射化学会設立記念』阪上正信(1999)
放射線教育フォーラム編集委員会『放射線教育』第3巻第1号,放射線教育フォーラ ム(1999)
植田哲哉『名工研陶磁器部門75年の歩み:陶磁器試験研所(1919-1952) 名古屋 工業技術試験所(1952-1993)』名古屋工業技術試験所(1998)
研究産業協会『平成5年度 産業技術の歴史に関する調査報告書(2分冊)』日本 機械工業連合会;研究産業協会(1994)
化学史学会編『平成8年度 産業技術の歴史に関する調査報告書』日本機械工業連 合会;研究産業協会(1997)
ひとりおくれて、6時40分。晴れ。梅雨明けかどうかはわかりませんが(気象庁の予報では、7月末までずれこむ、あるいは8月まで)、涼しい風の吹く、気持ちのよい朝です。まあ、こういうときには、太陽が上がるとともに気温がどんどん上がるのが通則です。3時に、駅前の本屋さんで次の新書を買ってきました。
村上隆
『金・銀・銅の日本史』
岩波新書、2007
[ぼくはえきまでいきたい]
8時過ぎにあかんぼうが玄関に居座って、外に行きたいと必死にアピールしています。朝の運動だと思って、外に連れ出しました。幼稚園への道を覚えていたようです。とことことことこと幼稚園に通う道を歩き始めました。
幼稚園まで行って、それで帰るかと思ったら、こんどは駅の方へ。結局駅まで行き着きました。駅に着いても、まだどこかに行きたがります。これ以上は、帰りが大変になるので、車の来ない道まで抱っこしてやりました。しばらく遊んでいます。
帰ろうと言っても帰ろうとしないので、これも抱っこして、帰途へ。
十数キロのあかんぼうをだっこして歩くのは、実は重労働です。帰宅したときには、腰と腕に疲労感が残っていました。
ひとりで6時半。小雨が降っています。夏休み前最後の授業。
かぞくそろって同じ電車に乗り込み、ちびどもは立川へパスポートの申請へ。私は、武蔵境でひとり下車しました。バイバイすると、あかんぼうは不思議そうな顔をしていました。乗り物が大好きなあかんぼうは、ぶあー。ぶあー。と叫んで大喜びでした。
とりあえず、無事終了。仕事はまだあります。水曜日に会議。私が司会をしないといけないものが2つあります。それが終わって、やっと夏休みという感じです。
お風呂にはいって、天気予報をみながらいっぷくしていたら、疲れがでてきました。ああ、しんど。
[ぼくもパンツをはきたい]
あかんぼうは、おしりまるだしがだいすきです。おふろあがりにおしめをはきたがなかったので、つまが、ぱんつをはかせてやりました。おおよろこび。もちろん、まだ、おしっこをいえるわけではありません。ごはんのときにすわらせるいすにすわらせていると、なんだかいっています。ちーちーでした。[日本化学史文献]
前の事務局長が保管されていた資料が段ボール箱1箱分送られてきています。今回のプロジェクトに関係するものとしては次のものがありました。もうすこし科研費の報告書等があるかと思ったのですが、実際に整理してみると、意外に少なかったというのが実感です。
高分子学会『日本の高分子科学技術史』高分子学会(1998) pp198
道修町文書保存会『道修町文書目録』道修町文書保存会(1993)
阪上正信『博覧精思』阪上正信(1997)
佐藤和良『日本における化学研究の歴史(改訂版)』佐藤和良(2003)
佐藤和良『私の化学史研究:我が国初期の錯塩研究;東洋産含稀元素鉱石の研究史』 佐藤和良(2002)
産業技術の歩みと未来を考える交流会議『産業技術の歩みと未来を考える交流会議 1993-2003』産業技術の歩みと未来を考える交流会議(2003)
第3高等学校文化部化学班『舎密』No.1-No.4(1949)
京都市工業試験所窯業技術研究室『京都市陶磁器試験所総説00周年記念誌』京都市 工業試験所(1997)
復刻・『舎密』誌研究会『科学と青春の軌跡:焦土に息吹いた三校生の化学クラブ』 せせらぎ出版(1999)
『満鉄中試会報』第一六号(平成二年)、〜第一九号(平成五年)
遅れて、7時40分。ちいさいちびは8時前。夜半に強い雨。今も雨。天気予報によれば、午後は止んで曇りということですが、今日は一日雨のほうがよいな。
→と思っていましたが、割とはやめに雨は上がりました。からっと晴れるのではなく、じめじめしたまま、ともかく雨は止んで曇っています。
そうすると、今日も昨日に続けて小学校の夏祭りがあります。妻は父兄として、午後2時半から2時間ほど、夏祭りの準備のお手伝い。どうも焼きそばの材料を用意する仕事を分担するようです。あかんぼうがちょうど昼寝に入る時間帯。
2時を過ぎて、寝そうでなかなか寝付かなかったので、私が自転車の前に座らせて、近所をぐるっと一周しました。外に出た瞬間、しばらく元気になりましたが、15分ぐらいで頭がゆらゆら。2時20分過ぎに昼寝に突入しました。
ちびどもはふたりで並んでお絵かきをしていました。朝方、明日の授業の準備。机のまわりを片づけつつ、なんとか明日話す内容を決めることができました。
夕食前に、ちびどもが今日も夏祭りに行きたいと言ったので、すこしゆっくりめに行くこととしました。
昨日とは違って、夕食を食べ、お風呂にしっかり入ってから出かけました。6時半すぎでしょうか。
おおきいちびはお友達を見つけてから、いっしょに踊ることとしたようです。櫓のうえで3回ほど踊ったようです。おねえちゃんが櫓の上にいるのを見つけたあかんぼうは、「あっこ」(おねえちゃんたちをあかんぼうはこう呼んでいます)と大声で叫び、自分も登りたがりました。櫓の上は、その小学校の子どもだけ上がるという決まりになっていてあきらめさせました。
あかんぼうはうちでも躍りが好きです。自分でまわりを見ながら適当に踊っていました。
あかんぼうは花火の直前に帰り、私とちびどもは花火が終わってから帰宅。昨日と比べてずいぶん楽でした。ゆっくりめにでて、あまり並ばなかったのがよかったのかもしれません。ニュースから。
CNNに、「ISSで大掃除、不要品を大気圏へ」というニュースがあり、何かと思ったら、 国際宇宙ステーション(ISS)のゴミを船外に捨てるという話でした。
重さ96キロのカメラスタンドは、捨てても、大気圏で燃え尽きる、しかし、635キロの電源・冷却装置は、燃え尽きずに海上に落ちる可能性があるのだそうです。本日のアサヒ新聞の1面に、「携帯 ほぼ通話せず4割」という記事がありました。モバイルマーケティングデータ研究所のアンケート調査結果として、1日当たりの平均通話回数がほとんどないという回答者が43.9%という数字が紹介されています。
そう、この記事のまとめにあるように、携帯はもはや電話ではない。まあ、正確には電話ではなくなりつつある、ということになるでしょうか。
おおきいちびといっしょに6時20分。小雨が降っています。おおきいちびの小学校は今日が終業式で、夜、夏祭りが予定されています。延期になるのか、微妙な天候です。
→快晴とはいきませんが、晴れ間がのぞいてきました。たぶん、小学校の夏祭りは大丈夫でしょう。こどもたちはとても楽しみにしています。セイユウに買い物に出たついでに、あかんぼうとちいさいちびのパスポート用の写真を駅前の写真屋さんで撮ってもらいました。あかんぼうはなかなかじっと座ってくれなくて苦労しましたが、何とかちゃんとした写真が撮影できたようです。ちいさいちびは、幼稚園の年長さんですから、さすがに何も問題ありません。
出来上がりに30分かかるということだったので、あかんぼうを駅のスロープのところで遊ばせていました。上の子たちもそうでしたが、スロープや斜面(坂)が大好きです。2時間でも3時間でも遊んでいそうな雰囲気がありましたが、あとのこともありますから、えいやとだっこして、ベビーカーに座らせ、帰ってきました。ちょうどよい気温と天候で、夏祭りが始まりました。おおきいちびはもうお友達と動くということで、私と妻で、ちいさいちびとあかんぼうの面倒を見ることに。
ちいさいちびは幼稚園の一番の仲良しの子を見つけたあとは、ふたりでずっといっしょに動いています。最初は無理矢理ベビーカーに座らせたあかんぼうですが、途中から降ろして好きに動かしました。最初はあまりに人の多さに驚いたようですが、慣れたあとは、あっちこっちうろうろしていました。
6時に始まり、8時の花火で終了。
コンタクトの調子が悪いということで、妻は目が真っ赤になって帰宅。
シャワーを浴びてから出かけているので、そのままちびどもはパジャマに着替えさせて就寝。友達とはしゃぎ回っていたおおきいちびはすっと寝入りました。しばらくじたばたしていたちいさいちびもその10分後には寝入りました。
私はその後ひとりで、アジアカップ準決勝、日本対オーストラリア戦。
延長を戦って1対1の同点。
PK戦は川口の活躍があって、4対3で日本の勝ち。
PK戦ではなく、勝ってもらいたかったのですが、でも、まあ、勝ちは勝ち。
もう一歩、後もう一歩、という思いでテレビ観戦していました。今日は一日頭痛。昨日からの目の痛みとその奥の頭痛が抜けませんでした。
[日本化学史文献]
少しずつ、日本化学史文献の作業を進めています。まだまだ位置のおかしい項目は少なくありませんが、書式の統一はかなりのところまで進めることができたと思います。
Nii (国立情報学研究所)の検索結果で、不思議だなとおもったことにひとつに、カタカナの音引きがハイフンに変わっているものがけっこうな点数見つかったことです。
たとえば、「シーボルト」ではなく、「シ-ボルト」になっていました。解像度の低いパソコンの画面ではそれほど差がないかもしれませんが、でも、私には不思議な変換ミス(文字化け?)です。
おおきいちびといっしょに6時。あかんぼうは5時半(?)。曇り。今日も会議。「お昼休みに30分」という変則的な開催通知がきました。
→12時半にスタートし、1時半に終了しました。1時間ですから、OK です。蒸し暑くなってきたので、たったの1時間の会議で疲れました。
中央線に事故があったようですが、3時には帰宅できました。
→最近疲れたときには、まず目が痛くなります。(視力も落ちます。とくにピント合わせの調整が遅れるようです。)次いで、目の奥の頭の部分が痛くなります。たいてい十分な睡眠がとれれば、直ります。[学期末]
昨日、いっしょに話をした同僚の先生方は、1限に試験という方が多かった。まさに学期末です。私は、通年の授業なので、1学期末の試験はありません。(行いません。)ちいさいちびは今日が夏休み前最後です。梅雨も明けていませんし、私の仕事も一番忙しい時期なので、意識しませんでしたが、もうそういう時期です。ちいさいちびがでかけたあと、晴れ間がのぞきました。
おおきいちびの1学期終了式は、明日の土曜日。
どうも、梅雨明けとともに、ちびどもの夏休みが始まるという感じになってきました。何度も記しているとおり、東京外語は、9月1日から新体制を迎えます。今日会議のときに会議の世話をしてくれた事務の方は、本格的な引継作業がはじまっていて、現体制の長たちは、荷物の片づけを開始したのだそうです。個人的には、そういうのは8月に入ってからだと思っていました。なにかもう次の方にお任せするという空気になってきたということでした。なるほど。
[パスポートの更新]
あかんぼうのパスポートを作ることとしました。あわせて、そろそろ期限の切れる、ちいさいちびと私のパスポートの更新もしようということになりました。
と思って、私のパスポートをよく見てみると、期限は2008年まででした。数字を見間違えていました。ということで、私は今年は更新の必要なし。あかんぼうの新規作成とちいさいちびの更新だけ、夏休みに入ったらすぐに手続きをすることとしました。
あかんぼう、おおきいちびといっしょに6時20分。曇り。涼しい。午前中に、『化学史研究』2007年度第3号の表関係をすべて仕上げることができました。ファイルは、印刷所に添付で送り、ハードコピーは郵送して、3号は完成します。
木曜日の授業は、今日が夏休み前最後。
5限は、亀山郁夫教授の最終講義「神の亡骸:ドストエフスキーとグローバリゼーション」(4時半〜 101教室)。
→終了後、生協円形ホールで、パーティ。
教師が10名ほど、学生が数十名集まりました。教師はほぼ全員にスピーチをふられました。学生も何名か挨拶。
8時過ぎに、あまった食料をもって、研究所へ。2次会です。
まるで昔の歌声喫茶でした。照明をおとして、ロシアの歌。渡邉所長の達者な声に、亀山教授の美声。懐かしい響きです。
そして、最後に、落語も達者な川島教授のピアノ。総合文化研究所らしい締めくくりでした。
ひとりで6時前。曇り。涼しい。午前中に、土曜日に行った編集委員会の宿題をやっとすべて処理しました。今回はやっかいな案件があったので、手間取りました。あとは、表関係を処理して、第3号が完成します。
会議の日。12時過ぎからはじまり、5時まで。3つが予定されています。
1つめの打ち合わせは、12時20分から1時まで。参加者一同次の会議があるので、延長なし。
2つめの会議は、1時半〜2時半。個人的には、1時半から2時までだと思っていました。私の隣に座った方もそういうふうに理解していました。まあ、でも、大人しく1時間座っていました。9月1日から新学長体制になります。そのために玉突きの形で、新しい人事が必要となりました。そのひとつが講座長の選出。あらかじめ根回しがあったので、選出された先生も快諾してくれました。(あきらめて引き受けてくれました。)
3つめの会議は4時半に終了しました。家のことが心配だったので、直ちに帰宅しました。なんと、あかんぼうは昼寝中でした。お風呂を入れ、夕食を用意しているとあかんぼうは目覚めてきました。あかんぼうとちびどもが就寝したあと、会議で持ち帰った宿題をやっていました。昼間はかなりぼけていたのですが、ちびどもといっしょに30分ほど寝たので、なんとかすっきりした頭で作業することができました。
学期末に向けて、大学はかなり忙しくなっています。いちばん会議が集中します。
あかんぼうが泣いて、5時20分。雨。台風一過の青空は半日でした。[化学史文献]
ずっと中断していた「化学史文献:日本編」ですが、やっとすこし時間に余裕ができたことと体調が回復してきたので、再開しました。ほんとうに簡単に遺漏が見つかります。7〜8割ぐらいまでカバーできるでしょうか。夏休みは、全員で和歌山に帰省します。
妻がジャルカードをもっているということで、ネット上で予約をしました。飛行機代が台北往復とまったく同じ金額となりました。5人で動くと、けっこうな額となります。
ちびどもといっしょに6時半。あかんぼうは6時前後か。台風一過の青空。まだ気温は上がっていません。気持ちのよい風が吹いています。
お昼に、アマゾンのマーケットプレイスより次の本が届きました。
ネフ『一六・七世紀の産業と政治―フランスとイギリス―』
紀藤信義・隅田哲司訳、未来社、1958
私の生年に出版された古い本です。二四〇円の定価がついています。夕刻、次の2冊がアマゾンより届きました。
光永 真一
『たたら製鉄』
吉備人出版、2003窪田 蔵郎
『鉄から読む日本の歴史』
講談社学術文庫、2003
台風接近中
あかんぼうはかなり早い時間、私は6時前に起床。おおきいちびは、その30分後、ちいさいちびは1時間後。
雨は断続的に強く降っています。予定されていたちびどものピアノの発表会の会場練習も中止になりました。ひまになったあかんぼうがいろいろ悪さをしています。本格的な強風と豪雨がやってくるかと思っていたら、3時には、風雨ともに収まりました。勢力が弱まったようです。
明日は休日。明日1日休めるということの他に、月曜日の授業の準備をしなくてすむので、身体がつらいときには、ずいぶんたすかります。もうそもそも残りの授業も数えるほどですが、次の日に授業があるときには、直接授業の準備をしていなくても、あれこれと頭の片隅で考えています。
[古典文学を読み直す]
ご本人に教えてもらっていたので、昨日の帰り道、駅のコンビニで毎日新聞を買ってきていました。昨夜は疲れていたのでそのまま休みましたが、今朝、台風接近のなか、広げてみると、毎日新聞(夕刊)7月14日2版の4頁が「カラマーゾフの兄弟」の全面広告となっていました。大阪で開かれたトークセッション「『カラマーゾフの兄弟』を読み直す」の様子が報告されていました。
ついでにアマゾンで売れ行き順位を見ると、第4巻が第9位、第5巻が第10位に位置づけられていました。一桁はすごい。
あかんぼうは5時とのこと。ちびどもは6時20分。雨。台風の影響でこの週末は雨の模様。関東接近は明日との予報。学会の編集委員会の日。
延期の提案もあったのですが、事務局長と電話で相談して、予定通り行うこととしました。
午後4時〜午後6時、東工大。
いくらか雨は強まっていましたが、このぐらいの雨は台風でなくても生じる雨です。とくに問題なく、7時過ぎには帰宅できました。
6時。ちいさいちびの熱はやっと下がりました。かわりに(?)咳をしていますが、それはすぐに収まるのではないかと思っています。あかんぼうは、38度の熱のまま。
昨日からの続きで、ちいさいちびは今日も幼稚園を休ませました。ほとんどの時間は、ひとりでもくもくと工作をしていました。見ていると、この子はなかなかに独創的です。あかんぼうは熱があるにしては、元気で機嫌もまずまずでしたが、やはり眠くなってから一暴れしてくれました。布団の上にもどしてから、やっと寝付きました。
あかんぼうが昼寝をしている間、次の本を読み始めました。
山本 義隆
『一六世紀文化革命 1』&『一六世紀文化革命 2』
みすず書房、2007
非常に貴重で、大切な仕事をしてくれています。詳しくは、読了してから書きます。[夢がかなう]
大ヒット中の、新訳ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』ですが、昨日、第4巻とエピローグ別巻(第5巻)が同時に刊行されました。
亀山さんは、それを、ご自身のブログで「夢がかなう」と表現されています。(英語です。)こういうふうに書くところが亀山さんです。全5巻あわせて、近々20万部を突破するということです。文学というだけではなく、広く人文書という枠で見ても、稀に見る大ヒットです。
ビッグ・ウェイブ!
亀山さんが東京外語の学長に就任するのは、9月1日です。大学教員の身分である、すなわち我々の同僚であるのも、あと一月半です。昨日の木曜日には、現神戸外語の学長の木村榮一氏と対談をされました。来週の木曜日には、ほんとうに最終講義です。7月5日に記した通り、オープンですから関心のある方は、外語大研究講義棟101教室に4時半ちょい前に足をお運び下さい。「神の亡骸―ドフトエフスキーとグローバリゼーション」という講演をしてもらいます。[アジアカップ]
日本対UAE。3対1で日本の勝利。高原の得点は(前の試合もそうですが)すばらしい。でも、まだまだ。あそこで点を取られてはいけない。
ちいさいちびは、夜中中、定期的にうなされていました。苦しいようです。熱も朝まで同じぐらいで推移しました。雨はひとまず上がっています。3限、4限、5限の授業。
5限をいくらか早めに切り上げ、帰宅すると、あかんぼうまで熱を出していました。ちいさいちびは同じような感じです。わー、これは、しばらくたいへんだ。
夕刻、アマゾンより次の本が届きました。
四方田犬彦
『先生とわたし』
新潮社、2007
諸所で話題の書物です。先生というのは、かの有名な駒場の英文学者由良君美。短く書けば、弟子四方田と師由良の葛藤を弟子の側から描いた書物ということになります。
あかんぼうと同時に6時20分。ちびどももすぐに起きてきました。雨は残っているか止んでいるのかわかりません。会議の日。
教授会がはやく終わって、喜んで帰ると、ちいさいちびが風邪。37.5度の熱に、気分が悪いと泣いています。
医者に連れていこうとしたら、車中でもどし、やっとお医者さんの待合室に座らせたと思ったら、今度は大量にもどしました。いつもはそれで気分が落ち着くのですが、まだ少し頭が痛い、気分も悪いと言います。
薬を飲ませて、休ませるしかありません。夕刻、次の2冊組がアマゾンから届きました。
山本 義隆
『一六世紀文化革命 1』&『一六世紀文化革命 2』
みすず書房、2007
ちびどもといっしょに6時20分。小雨。あかんぼうと妻がちいさいちびを迎えにいって、そのまましばらく外出(幼稚園の面談があります)した間に、昨日届いたビデオJosephine Baker In Zou Zouを見ました。フランス語で会話をしています。それに英語の字幕。もとは1934年ということで、画面はそうとう古い(白黒でちかちかする)ものでしたが、ジョセフィン・ベイカーの魅力の一端は理解できました。目にも身体にも力があります。歌も悪くない。
と思っていたら、次のDVDがアマゾンより届きました。
ジョニー・デップ×ティム・バートン
『チャーリーとチョコレート工場』
もちろん、有名なロアルド・ダールの原作の映画化です。先週の木曜日のゼミの学生の紹介です。と思っていたら、編集委員会の仕事が届きました。ページ数としては、これで、第3号が刊行できるようになりました。
今日は夜の6時10分から会議。こんな曜日にこんな時間に会議を開催されると迷惑ですが、梅雨の雨のぱらつくなかあきらめてでかけます。
かぞくそろって6時過ぎ。下に降りてきたのが6時半。今日も晴れていて涼しい。おおきいちびの喉の腫れが残っています。今日は学校を休ませることとしました。
2限、3限の授業。
帰宅するとアマゾンで注文した次のビデオが届いていました。
Josephine Baker In Zou Zou
アジアカップの初戦、日本対カタール戦。
1対1の引き分け。結果は仕方がありません。これからどう戦うかが大切です。
ひとりで6時20分。おおきいちびの熱は下がりました。しかし、喉の腫れがひきません。本人はけっこう痛がっています。(痛みにものすごく弱い子で、ほんのちょっとした痛みにびっくりするぐらい大げさに反応しますが、喉を見ると、腫れが確かに残っています。好きなものは喜んでいっぱい食べているので、すこし違和感があるのでしょう。)
とある場所で、佐藤良明氏がエッセイを書いているということを知り、おやつの時間にちいさいちびを連れて駅前の本屋さんに向かい、『諸君』8月号を買いました。ついでに、まだ購入していなかった『文芸春秋』8月号もいっしょに。ちいさいちびは、おねえちゃんのように私も宿題をしたいというので、カタカナドリル。病気で外出できないおねえちゃんのためには、キラリンの解説書(?)(なかみを見ていないので、どういう本かよくわかりません。)
佐藤良明「高学歴ニート大増殖 杜撰な「大学院重点化」こそ元凶だ」『諸君』2007年8月号,pp.188-196
こう来ましたか。『諸君』の冒頭の特集は「安倍政権、墜落す!」
ひとり遅れて6時20分。曇り。おおきいちびの熱は、37度まで下がっていましたが、まだ顔色が悪く、今日一日は寝させる必要があるようです。おお、そういえば、七夕です。
おおきいちびの熱は、38度5分がピークで、あとは、37度前後をアップダウンしていました。明日一日休めば、月曜日からまた学校に通えそうです。
おおきいちびといっしょに6時。快晴。田中浩朗氏のサイトに、
ICU と京大の科学史・科学哲学の教員公募の件が出ています。
博士号をもつ若手の諸君は、急ぎ、応募を!友達のうちに遊びに行っていたおおきいちびは、帰ってきた途端、体温計。38度強の熱。風邪です。今朝起きたときの様子から、ちょっと危ないかなと思っていましたが、案の定でした。土日、ゆっくり休ませるしかありません。
ひとりで4時。今朝も涼しい。雨は上がっています。今日は暑くなりそうな天気です。3コマの授業。
3限の講義では、「自由レポート」についての説明をして、レスポンスシートを取りました。予想外に「錬金術」に関心をもっている学生が多かった。学生たちが普段接するマンガやアニメやゲームで、「錬金術」がよく使われているせいかもしれません。
4限の演習では、4人の学生に発表をしてもらいました。お互い打ち合わせはまったくしていなかったようですが、内容的にシンクロしていました。
5限の卒論演習は、車について。ガソリンエンジン以外のエンジンについて。効率と経済性(つまり実用性)の点で、ガソリンエンジンを超えることはそうとうに大変だということがよくわかりました。
そうしたなかでも、プリウスのような電池併用型と天然瓦斯は用途が限定されているようですが、一定の範囲で、普及してきているようです。(それぞれ、100万台規模。)[本日のシンポジウム]
当日になってしまいましたが、次のシンポジウムを本日開催します。日時:2007年7月5日(木曜日)4時半〜6時
場所:東京外国語大学研究講義棟101教室
タイトル:鏡像か他者か ―表象としてのロシアをめぐって―
演者: 亀山郁夫
小谷真理・都甲幸司・野谷文昭
和田忠彦(司会)ご関心のある方は、自由にご出席ください。Open to Public ! 関心のある方に開かれています。
昨日の朝日新聞の朝刊(「ひと」欄)にも出ていましたが、亀山郁夫東京外国語大学教授は、来る9月1日から学長就任が決まっています。
亀山教授が授業で学生の前に立つことができるのは、7月いっぱいになります。
ということで、7月5日、7月12日、7月19日の3回の木曜日5限(101)は、一種の亀山郁夫最終講義の企画となります。7月12日は講演会(神戸外大の木村榮一学長との対談)。7月19日は亀山教授の講義(「神の亡骸」)。
来週も再来週もご関心のある方は、101教室まで足をお運び下さい。→私は、5限の授業を15分ばかり早めに切り上げて、教室の一番後ろにもぐり込み、聞いていました。101教室に関しては、音響に問題があることがよくわかりました。教室の後ろ側では、音が弱く、マイクからの声がそうとう聞きづらくなります。これは改善が必要です。
シンポジウムは6時15分に終了。
和田先生の部屋で、一休みしてから、駅前の沖縄料理屋へ。
亀山先生は、オープン・アカデミーということで、6時半からさらに2時間講演。講演会の出席者を引き連れて、8時半すぎに現れました。
終電のひとつ前の電車で帰ってきました。小谷真理さん、都甲幸司さん、野谷文昭さん、突然のお願いであったにも関わらず、ほんとうにいつもありがとうございます!!
ひとりで5時45分。今朝も涼しい。雨。10時40分から打ち合わせ。
本日はほかに会議はなし。3時には帰宅できました。
ひとりで5時45分。今朝も涼しい。幼稚園は、もう、お弁当がありません。つまり、ちいさいちびはお昼には帰ってきます。
ちいさいちびの幼稚園といっしょにでて、まずは銀行に寄り、それから久しぶりにマッサージ屋さん。あんまり混んでいたらすぐに帰って来るつもりにしていましたが、比較的空いていたので、なかで待ちました。11時頃に帰ってくることができました。
帰り着いてから、小雨。昨日大学にて、著者の三浦さんから送っていただいて次の5点の論考を受け取りました。三浦さん、ありがとうございます。
三浦伸夫「18世紀英国の女性向け数学雑誌」『数学の楽しみ 2006春』(日本評論社),pp.12-36
三浦伸夫「マチルダ効果と女性数学者―19世紀末から20世紀中葉の英米女性数学者に関する予備研究」『神戸大学国際文化学部 国際文化学研究』第19号(2003),pp.17-43
三浦伸夫「数学こそがアメリカを勝利に導いた―ノイマンと20世紀アメリカにおける応用数学数学の成立」『比較文明』18(2002),pp.122-134
三浦伸夫「比較科学史」『比較文明』18(2002),pp.166-174
三浦伸夫「学会動向 海外の数学史研究―トロント大学」『数学史研究』192(2007),pp35-39
あかんぼうの昼寝の時間が遅くなってきました。昨日も今日も3時。そうすると、起きるのが5時過ぎになります。
4時過ぎにちびどもがひまそうにしていたので、駅前の本屋さんへ行くこととしました。おおきいちびは、8月号の『チャオ』。ちいさいちびは、折り紙の本。
私は、雑誌を3冊、『論座』9月号、『月刊現代』9月号、それに『水声通信』第18号(2007年6月号)特集:阿部良雄の仕事、を買って、近くの八百屋で琵琶とサクランボを買って帰りました。
ひとりで5時。今朝も涼しい。ちいさいちびは、プラネタリウム遠足の日。楽しみにしていましたが、どうも天気がわからない模様。→一度中止の連絡が来た後、やっぱり決行という連絡が来ました。扁桃腺の腫れが残っているので、中止ならば幼稚園を休ませることにしていましたが、決行であれば、本人が行きたい。いつもより20分以上はやい登園になります。かなりばたばたして、出かけました。あかんぼうもいるので、4人そろって幼稚園。
時間に余裕があるので、いっしょにお見送りまでいました。キリスト教系なので、お祈りをしたあと、お母さん達に行ってきますと言って、ぞろぞろと出かけました。ひとつ用事をすませて後を追いましたが、さすがに幼稚園児たちはゆっくりです。全員雨合羽(レインコート)を来て、二人ずつお手手を繋いで行きます。ちいさいちびは一番背の高い男の子と手をつないで先頭を歩いていました。
幼稚園児たちは電車で荻窪まで行って、それからどうもバスのようです。私は、逆向きで、下り電車。そういえば、中央線の下りは、7月1日から高架に切り替わっています。少し楽しみにしていました。三鷹を過ぎてから、高架に登っていきました。さすがに新しいプラットホームはまっさらできれいでした。
しかも、ありがたいことに、武蔵境での乗り換えが楽になりました。3階分上がって、下り、また2階分上がるという奇妙な乗換はなくなりました。2階から1階に降りて、又2階に上がるという乗換ですむようになっていました。引っ越しばかりのころの、降りて同じホームの向かい側に乗換電車があるという便利さは取り戻せませんが、まあ、許容範囲にまでもどったと言えるでしょう。大学について、3コマの授業。
3コマ連続は、疲れます。大学のメールボックスに、6月6日に行った健康診断の結果が返ってきていました。
身長:173.7センチ
体重:68キロ。
おお、これで、肥満度が2%とでています。
血圧は119-73。
どう頑張っても、高血圧にはなれない、低血圧系です。昨日買った4冊のマンガですが、ちびどもが寝付いたあと、サイバラから読み始めました。
『毎日かあさん3 背脂編』。 サイバラはほんとテンサイかと思います。すごくおもしろい。そして、次に手にしたのが、『舞姫 テレプシコーラ』。わー、どういう順序で読んでいるのでしょうか。わー、こんな展開になるとは。物語が王道を歩む。わー、でも、それは・・・。
おおきいちびを除き、6時前後。おおきいちびは、ひとり7時前まで寝ています。今朝は涼しい。いくらか肌寒いぐらいです。7月になりました。
夕刻次の4冊のマンガがアマゾンから届きました。
西原 理恵子『できるかなクアトロ』扶桑社、2007
西原 理恵子『毎日かあさん3 背脂編』毎日新聞、2006
山岸 凉子『舞姫 テレプシコーラ』第10巻、メディアファクトリー、2007
大島弓子『グーグーだって猫である (3)』角川書店、2007
大島弓子が(3)なのは、第1巻と第2巻がアマゾンで品切れだったせいです。まあ、そのうちに増刷されるでしょう。
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