今月は、ここまでで、やっと88枚。もしかしたら、無理矢理100枚にするかもしれません。→「ボイルの法則」で100枚にしました。かぞくほぼそろって6時。もう雨は上がっています。
わー、あつ。外に出ると、風が吹いていて、すこし楽ですが、家のなかの蒸し暑さは格別です。
週末ですから、新聞には折り込み広告がどっさりと入っています。でも、そろそろオープンした/するはずの吉祥寺ヨドバシカメラの折り込み広告がありません。ウェブで調べてみると、昨日(6月29日)にオープンしていました。ただし、駅前で配った以外には新聞の折り込み広告をしなかったとあります。まあ、そういう宣伝戦略もありえます。
6階から8階までの専門店とレストラン街は、7月6日オープンとあります。ヨドバシのことばでは、「グランドオープン」。
さて、これまで吉祥寺でデジタル家電は、ラオックスでした。新しい吉祥寺ヨドバシカメラは、ラオックスのすぐ隣、しかもより駅に近い側にオープンしました。ラオックスはこの巨大な敵の出現にどう対処するのでしょうか。→気になるので、あかんぼうが昼寝から起きてから行ってきてみました。地下の駐車場がたぶん使えるだろうという予想のもと、全員車に乗っていきました。
予想とおりでした。駐車場が使えます。
いくぶんか高い(最初の1時間が700円)のですが、ものはためし、の意もあるので、そのまま入ってみました。
かなりの人出。5階のおもちゃのコーナーから。かなり頑張って安くしています。妻によれば、トイザラスよりも安いということです。あかんぼうがブーブーのおもちゃで興奮して、離れそうにありません。
あかんぼうは妻にまかせて、おおきいちびとちいさいちびを連れて、地下へ。おおきいちびがコンパスが欲しいと言っていたので、B1サプライのコーナーへ。
文房具のコーナーもありますが、さすがに文房具そのものの種類は多くありません。しかし、子供用のコンパスぐらいは置いていました。ちいさいちびにもコンパスがよいかと聞くと、折り紙がよいとのこと。500枚入りの折り紙を選びました。
クーラーがかなり強くはいっており、風邪が直りきっていないちいさいちびが寒がっています。私の羽織っていった半袖のシャツを着せてやりましたが、長居は無用です。すぐにあかんぼうのいる5階に取って返し、あかんぼうには、またブアを一台買ってやって帰ることにしました。おもちゃ売場で数台並んでいるレジが半分も稼働せず、混乱していましたが、何とかブアとブアの地図だけ買うことができました。ヨドバシは久しぶりでしたが、新宿店のポイントカードが有効でした。子ども用品計4点で千円にもいきませんでした。
駐車場代は、7百円しましたが、滞在時間40分ほどで無事帰ってきました。帰りの道もかなり混んでいました。
我が家がでかけるのであれば、朝一番が向いています。次行くときは、朝一番ででかけることになるでしょう。夕方から雨。雨が降り始めると気温が下がりました。クーラーの必要はなくなりました。
ちいさいちびといっしょに5時。あかんぼうはたぶん4時半。ちいさいちびは、起きるときにひどい咳をしました。あとできくと、昨日のお昼過ぎ、また熱が出たと言うことです。それほどひどい風邪ではないようですが、今日も休ませる必要があるようです。朝一番で、お医者さんに行ってきました。扁桃腺が腫れているということです。ちいさいちびは、扁桃腺が腫れやすい体質のようです。もう週末です。金・土・日で回復してくれるでしょう。
あまりの蒸し暑さに、この夏、はじめてクーラーをかけました。雨が降り始めてからすこし楽になりましたが、この湿度ではとてもやりすごせない。
「ボイルの法則」
雑誌に400字換算10枚程度でボイルの記事を書きました。編集部の要望で、「ボイルの法則」に焦点をあわせるようにしました。
私自身次のものに、割と詳しい経緯を記しました。吉本秀之「ロバート・ボイル―人と仕事」 『科学の名著 第II期 8 ボイル』(伊東俊太郎・村上陽一郎編、朝日出版社、1989)所収
邦語では、重要なもの(1次文献を利用している研究)に次のものがあります。
ハレ『世界を変えた20の科学実験』産業図書、1984、第7章「ロバート・ボイル 空気のばねの測定」
山本義隆『熱学思想の史的展開』現代数学社、1987、第3章「ボイルの法則をめぐって」
中島秀人『ロバート・フック』朝倉書店、1997、pp.48-52英文では、次の2点が基本です。
Charles Webster, "The discovery of Boyle's Law, and the concept of the elasticity of air in the seventeenth century", Arch Hist. Exact Sci. 2(1965): 441-502
J. Agassi, "Who discovered Boyle's Law?", Stud. Hist. Phil. Sci. 8(1977): 189-250.
時間の許す範囲で、この場所に、正確な成立の経緯を記そうと思います。
まず。ボイルの法則がはじめて記された書物の名称から。
Robert Boyle,
A defence of the doctrine touching the spring and weight of the air propos'd by Mr. R. Boyle in his New physico-mechanical experiments, against the objections of Franciscus Linus : wherewith the objector's funicular hypothesis is also examin'd
by the author of those experiments.
London, 1662
訳しておきましょう。
『ボイル氏がその自然学-機械学的新実験において提起した空気のバネと重さに関する教説に対して、フランシス・リヌスが行った批判に弁論する。同時に、批判者の吊り紐仮説を検討する。』ロンドン、1662
つまり、1660年にボイルが出した『自然学-機械学的新実験』が出発点でした。このボイルの書物の反響は大きく、真空反対派から2冊の書物が出版されます。一冊は、英国人だが、イエズス会師となったためベルギーで活動していたフランシス・リヌス(ライン)というスコラ哲学を奉じる人物からです。『物体の不可分性に関する論考』(ロンドン、1661)という書物です。この書物はラテン語で書かれており、フルタイトルは次の通りです。Franciscus Linus,
Tractatus de corporum inseparabilitate : in quo experimenta de vacuo, tam Torricelliana, quam Magdeburgica, & Boyliana, examinantur veraque eorum causa detecta ostenditur vacuum naturaliter darinon posse, unde & Aristotelica de rarefactione sententia, tam contra assertores vacuitatum, quam corpusculorum demonstratur
London, 1661ボイルは、リヌスのこの書物に対して、ただちに、反論の書を準備し、1662年に出版します。それが上記の『弁論』です。
この『弁論』の構成ですが、次の通りです。
第1部:バネ性に関する批判を検討する
第2部:批判者の吊り紐仮説を検討する
第2部の第4章:(現在の目的に関わる)トリチェリの実験やその他の実験を丘の上と下で行ったときに生じる事柄の考察。
第2部の第5章:圧縮された場合と膨張させた場合の空気のバネの強さの度合いに関する2実験。
第2部の第4章で先行研究が触れられています。
第2部の第5章で、「ボイルの法則」が記述されています。まず、どういう実験をしたのか、ボイルの掲げる図を見てみましょう。使ったのは、J字管です。
Robert Boyle, A defence, (London, 1662), p.50 より。 ![]()
第2部第4章。まず、ボイルは、トリチェリ管のなかの水銀柱の高さが大気圧(空気の重さ)との釣り合いであることを示す「決定的実験 Experimentum Crusis (我等のヴェルラム卿=ベイコンの表現を使えば)」として、ペケの本に引用されているパスカルの実験(リヌスがペケの本を使っている)を挙げます。いわゆるパスカルの「ピュイ・ド・ドームの実験(1648年9月)」です。水銀柱の高さが高度に応じて下がるという有名は実験です。
次いでボイルは、現象そのものを疑うリヌスに対する反証として、ガッサンディのことば、即ち、似たような観察を5回繰り返した、を引用しています。それだけではなく、英国でも同じ観察を2つさらに挙げることができると言います。
ひとつは、有名なヴァーチュオーソ、ボール氏にデヴォンシャーの山で行ってもらった実験。もうひとつは、才知あるジェントルマン、リチャード・タウンリー氏がランカシャーで行った実験。
この実験そのものは他の場所で既に記したので繰り返さないとして、ボイルは、さらに「我々の仮説をおおいに確証する2つの事柄を付言しよう」と言う。「ひとつは、今挙げたタウンリー氏が才知ある人々と協力して丘の頂上で行ったトリチェリの実験である。」
ボイルはこの実験をおそらくフックの協力を得、変化が見やすいようにと水銀を水に変えて追試している。(上の図の Fig.1 がそのとき使った管。)
もうひとつは、やはりパスカルの行ったことで、しぼんだ風船を山頂にもっていく実験。ボイルは次の章に移る前に、グレシャムカレッジ教授クルーン (William Croone, 1633-84)を介して伝えられたヘンリー・パワーの実験をパワー自身の許可を得て、転記すると述べる。そして、パワーが1661年10月15日に fig.2 の装置で行った実験をそのまま引用する。(略)
第2部第5章で、いわゆる「ボイルの法則」が記述される。
「あの才知あふれるタウンリー氏が私の『自然学-機械学の新実験』を精読して、空気のバネがその原因であることに納得できたので、私が省略したこと、すなわち、空気が稀薄化するとき、その稀薄化の度合いに応じてどれだけバネの力を失うのかに関する正確な関係を見積もろうと努力したと教えてくれました。
・・・(略)
前に話した人物(おそらくフックで間違いない)が、稀薄化によって空気がバネを失う比率に関するタウンリーの想定について私が語るのを聞いたとき、自分でもその前の年に同じ目的の観察を行ったと教えてくれました。そして、その観察は、タウンリーの理論に非常によく一致するものだったと彼は認めました。」
ということで、ボイルは、タウンリーと同じ趣旨の実験をしていたフックの助力を得て、稀薄化の場合(すなわち、空気が大気圧より低くなる場合)に、理論値と実測値を測定し、よく一致することを確認した。
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ボイルの記述と順序は逆になるが、フックの工夫したJ字管を使った圧縮の場合(大気圧より高い場合)の、理論値と実測値の表は、次の通り。
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Dが実測値、Eが理論値(ボイル自身の表現では「圧力と体積が反比例するとする仮説にしたがった場合に、圧力のとるべき値」)。かなりよく一致している。文献補遺1:ガッサンディ。
上でボイルがガッサンディを欄外注で次のように引用する。
Gassendus Tomo 1. pag. 211.
これは、Pierre Gassandi, Physica in his Opera Omnia (Lyon, 1658), p.211 のことです。(私が直接確認しています。)文献補遺2:ペケ。
ペケの著作は次。
Jean Pecquet (1624-74),
Dissertatio anatomica de circulationi sanguinis et chyli motu
Paris,1651
ペケの本は、あまり注目されていませんが、こういうふうにけっこう重要です。次のように英訳もあります。Pecquet, Jean,
New Anatomical Experiments of John Pecquet, : by which the hitherto unknown receptacle of the chyle, and the transmission from thence to the subclavial veins by the now discovered lacteal chanels of the thorax, is plainly made appear in brutes. As also an anatomical dissertation of the motion of blood and chyle. Together with the further description of the same lacteal chanels newly discovered in the body of man as well as brutes. Being an anatomical historie ... by T. Bartholinus,
2 vols., London, 1653
1653年の出版ということは原著が出されてすぐです。文献補遺3:フック
ボイルの真空ポンプの製作にあっても、「ボイルの法則」の実験と定式化においてもフックの貢献は本質的です。フックの『ミクログラフィア』(ロンドン、1665)の後ろの方に、この件に関する記述があります。まず、図版を見て下さい。
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ご覧のとおり、とくに左のJ字管が類似しています。フック自身の数字もあります。
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文献補遺4:パスカル
パスカルについては、次の2点。Pascal, Blaise (1623-1662).
Récit de la grande expérience de l'équilibre des liqueurs
Paris : C. Savreux, 1648
Pascal, Blaise (1623-1662).
Traitez de l'équilibre des liqueurs et de la pesanteur de la masse de l'air contenant l'explication des causes de divers effets de la nature qui n'avoient pas esté bien connus jusques ici, & particulièrement de ceux que l'on avoit attribuez à l'horreur du vuide
Paris : chez Guillaume Desprez, 1663
最も重要なのは、「流体の平衡について」と「大気の重さについて」という2論文。これが、1663年出版という事実です。(執筆は1654年以前)つまり、ボイルの『新実験』(1660)とその第2版(1662)の後だという事実です。文献補遺5:トリチェリ
Evangelista Torricelli, 1608-47. トリチェリの実験は、1643年。トリチェリの真空を創る。トリチェリの仕事は、メルセンヌを通して、ヨーロッパ中に伝えられる。(トリチェッリ→リッチ→メルセンヌ、メルセンヌの通信網からヨーロッパ中へ、手紙によって伝えられる。)
トリチェッリは、若死にしており、有名な著作を残さなかった。『幾何学的著作集』(フィレンツェ、1644);『サッジ』Saggi di naturali esperienze (Florence, 1667)
昨夜下で仕事をしていると、2階のちいさいちびの咳の声。苦しそうなので行ってみると、熱。体温計で計ると38度強。本格的な風邪の症状です。アイスノンと冷やしたタオルを用意してやりました。
朝は、あかんぼうが4時半。咳で断続的に目を覚ましていたちいさいちびは、5時20分。体温は37度まで下がっていましたが、起きて活動すると、また上がるでしょう。3限、4限、5限。
3限は普通に講義。4限、5限は、3年生と4年生の連続合同ゼミ。合計5名の学生に発表してもらいました。学生たちが発表にかなり慣れてきました。うれしいことです。
その後、武蔵境の居酒屋で大コンパ。3年生でひとり、4年生でひとりやむなき理由にて参加できませんでしたが、総勢12名のにぎやかなコンパとなりました。
コンパの席ではじめてわかることはすくなくありません。ことしの3年生の男の子たちは、みんながたいがよいということに気付きました。肉体労働をしてもへばらない、じょうぶな胸と腕をしていました。それに身長も高い。これは何かの時に頼りになります。
私は、11時半前に帰り着きました。アマゾンのマーケットプレイスから次の本が届いていました。
加茂儀一『榎本武揚』中公文庫、1988(原本、1960)
ひとりで5時半。雨は上がって、きれいな朝です。このまま晴れると気温が上がりそうです。→とても蒸し暑くなってきました。雨は今日のところしばらく降らないようですが、皮膚にまとわりつく暖かい湿り気です。夜中、ちいさいちびは咳で苦しそうでした。今日は幼稚園を休ませようと思っていたのですが、8時半を過ぎてから本人が「幼稚園に行きたい」と言います。身体がそれほどつらそうでもなかったので、行かせることとしました。
ちょうどよいので、小学校に行った大きいちびを除く全員が乗り込み、車ででかけました。あかんぼうが車のなかで寝てくれるだろうという予想のもとです。
サミットで買い物をして、外にでると大あくび。車が流れていればそのまますっと寝てくれたと思いますが、どういう理由か(梅雨の間の晴れ間なので、工事関係の人たちがはりきっている?)トラックで道が混んでいます。家に帰り着くまでには就寝してくれませんでしたが、私が荷物をもって降りて、妻がぐるっともう一回りしてくるとぐっすり寝入っていました。[188888]
自分でもはっきりとした理由はわかりませんが、このサイトに関しては、188888アクセスがひとつの区切れ目だと思っていました。あかんぼうが寝付いたあと、ちょうど自分で188888を踏みました。[もどす]
夕食のとき、私の膝の上にのってきたあかんぼうが魚の骨を口に入れて、その場で、バーともどしてしまいました。
夕食後、ちいさいちびがひとりで頑張って薬を飲もうとして、錠剤が喉の奥にくっついたようです。気持ち悪かったようで、せっかく頑張って食べたものをすべて、ザー。
風邪を引くと、こういうふうに大混乱となります。
ちいさいちびといっしょに6時半。昨日とほぼ同じ、室温24度、外温22度。曇り。
ちいさいちびにもあかんぼうの咳がうつってしまいました。ほかに風邪の症状は出ていませんが、就寝中かなり苦しそうに咳をしていました。17日の宿題がひとつ残ったままになっていました。あかんぼうがでかけている間になんとかこなすことができました、ふーーー。
[ヤーダマン]
病気のときは機嫌が悪い。今日のあかんぼうは、まさにそうです。すごく機嫌が悪い。何でも、ヤーだマンになっています。やーだ、やーだ。
おお、こっちこそ、やーだ、やーだ。
とくに、薬を飲んで眠くなったときには格別に暴れてくれます。はやくなおってくれ。ああ。
ひとりで5時前。涼しい(室温24度、外は22度ぐらいでしょうか)。曇り。
おおきいちびは、6時半。2限、3限、4限。
3限と4限は、大学院。院生諸君の発表は、さすがに、聞いていて得られるものがあります。余裕があれば、それもいずれ。帰宅するとアマゾンから次の本が届いていました。
茅原 健
『工手学校―旧幕臣たちの技術者教育』
中公新書ラクレ、2007
この書物は科学史的には重要だと思われます。目次を示しておきましょう。
第1章 旧幕臣たちの教育ネットワーク
第2章 工手学校の誕生
第3章 渡邊洪基と一四人のサムライ
第4章 大鳥圭介たちの技術立国
第5章 渋沢栄一の工業立国
第6章 築地工手学校
第7章 国木田独歩の「非凡なる凡人」
第8章 焼失と再出発
第9章 自己評価と精神教育
第10章 明治から大正へ
第11章 創立二五周年
第12章 淀橋工手学校
第13章 中興の祖・古市公威
第15章 工手学校スピリット
第16章 不死鳥のごとく
補章 はみだし人物列伝 〜反骨と異端―
長山 靖生
『奇想科学の冒険―近代日本を騒がせた夢想家たち』
平凡社新書、2007
ちいさいちびといっしょに5時40分。あかんぼうもすぐに起きてきました。とりあえず晴れ。→晴れではないですね、薄曇り。気温はそれほど高くないが、湿度が高い薄曇りです。
→ちょうど12時頃に雨が降り始めました。[ブーブー男]
風邪をひいたあかんぼうがうるさいので、朝方、散歩に連れ出しました。外に出してやるとすぐに自分の三輪車にのり、こぐことはせず、足で地面を蹴って、じょうずに乗っています。上の交差点まで行ってから、三輪車は折り、歩き始めました。ワンブロック進んだところで咳をし始めたので、様子を見計らって、三輪車の場所まで戻ると自分でまた三輪車に乗車して、自宅まで帰ってきました。帰りはいくらか坂を下ります。みていてちょっとこわくなりましたが、上手に家の前まで自分で運転しました。一歳半とは思えない上手な運転です。
この子は、家のなかでもブーブーを喜んで乗り回しています。好きなおもちゃもブーブー(本人は、「ブーアー」と発音しています)です。近々100台に達しそうです。
ブーブー男となっています。
さて、このブーブー男ですが、食卓の椅子に登っていろいろ遊ぶのが大好きです。そして、椅子の背もたれの隙間に足を入れます。いつかはまると思ったら、夕食後一休みしているときに、レスキューの声。食卓のところに行くと、見事に後ろ向けにはまっていました。すぐにとれるかと思ったら、入れてから変にひねったようで、すぐには抜けません。難しかったのですが、木と木の間を広げつつ、足を上に引き上げて、なんとか抜きました。ブーブー男はショックでそのまま睡眠につきました。やれやれ。
ブーブー男は、おねえちゃんたちがしなかったいろんなことをしてくれます。[琥珀の歌姫]
夕刻にアマゾンから次の本が届きました。
荒 このみ
『歌姫あるいは闘士 ジョセフィン・ベイカー』
講談社、2007
表紙を飾るのは、とても格好良いジョセフィン・ベイカー。裏表紙には、英文タイトルが記されています。
Josephine Baker A Fighting Diva: A Biography by ARA Konomi
20世紀初頭の芸術全般にふいた新しい風の香しさ。その香りをかいだことがある方は、是非、手に取ってみて下さい。この格好良さは格別です。
西荻のA先生宅から帰って午前1時半。あかんぼうの咳の音が聞こえました。本格的な風邪の症状を呈してきました。ひとり遅れて7時半。ずっと咳をしていたあかんぼうは4時半に目覚めたようです。快晴。妻は朝一番で、あかんぼうを病院に連れていくと言っています。
お昼の郵便で新しい『科学と教育』誌が届きました。ヘッドラインの特集が「化学史研究の現在と化学教育」です。
次の構成です。
内田正夫「酸・塩基・塩の歴史」
河野俊哉「18世紀化学史研究の現在―ジョーゼフ・プリーストリの事例をもとに」
吉本秀之「ロバート・ボイルの化学研究の現場」
吉原賢二「再発見―ニッポニウムの真実」
古川安「カローザースとナイロン―伝説再考」
私が加わっていて言うのも何ですが、現時点における化学史入門として非常によい特集となっていると思います。
化学と教育のホームページ
2006年第6号までのバックナンバーの目次(pdfで見ることができます。)
[日本化学史文献プロジェクト]
久しぶりに、日本化学史文献プロジェクトに手を入れました。準備はしていたのですが、「池田菊苗」のファイルを作るのを忘れていました。まだ抜けている項目はあると思いますが、現時点で全体を整理し直してみました。
作成したファイル数が88。整理するだけでもそうとうの手間と時間がかかります。
たぶん、点数としては3千程度です。
→計算すると、会誌の刷り上がりで76頁程度になります。(実際に組んだときには、少し前後します。)
あかんぼうが起きて、5時過ぎ。夏至の日ですが、朝方から雨。梅雨なのに、晴れの日が続いていましたが、やっと雨。
あかんぼうは微熱。昨日お医者さんは37.5分ぐらいに熱が出るかも知れません、と言ったということですが、まさにその通りになりました。ニッサンからリコールの報せが来ていました。変速機の部分に問題があるのもあるので、来て欲しいという通知です。先週の予定だったのですが、無理ということで、1週間遅らせたものです。調べて問題なければ10分で帰れる、もし問題が見つかれば1日預かって問題の部位を取り替えるということです。どちらになるかはわかりません。
ニッサンが開くのは9時半です。ちょうどよいので、ちいさいちびといっしょに車ででて、サミットですこし買い物をしてから、調査をしてもらうことにしました。
と思ったら、あかんぼうがサミットをでてすぐに寝付きました。あかんぼうと、買ったものと私を一度自宅で降ろしてから妻がひとりでニッサンに向かいました。ちょうど、ちびどもがでかけるとき一度止んでいた雨が降り始めてきました。→車の部品の交換ですが、必要ということです。スケジュールが混んでいて、7月の第1週末まで待つ必要があるということでした。ということで、七夕前まで待つこととなりました。
午後7時から、同僚のA先生宅で食事会。近所なので、20分前に家をでて、駅前の果物屋さんで、佐藤錦を買ってからお家に向かいました。
おうちには一度もお伺いしたことはなかったのですが、最後の角を曲がるとちょうど10メートル前を客人の一人のT氏が歩いていました。ということで、T氏と同じタイミングで玄関にはいりました。
もうおひとりも、近所の方で、すこし遅れて10分後。桐箱にはいった赤ワインを持ってきてくれました。とても上品でおいしいワインでした。
予定では、鰻丼だったのですが、注文しようとしたお店が臨時休業ということで、すき焼きに変更になっていました。
あれやこれやと話しているうちに、1時過ぎになっていました。1時20分にお家をおいとましました。近所だからできることです。(Tさんがひとり近所でなかったのですが、友人宅に泊まると言っていました。)
おおきいちびといっしょに5時20分。疲れてくると遅れてきます。今朝も快晴。蒸し暑くなりました。
いつも通り、3限、4限、5限。
かなり疲れたので、5時50分に大学を出ました。6時4分多磨駅発の電車に間に合い、6時半すぎには帰宅することができました。多磨駅からいっしょになった同僚の先生も、見るからに疲れていました。この蒸し暑さのなかで、仕事をすると疲れもします。
ちしさいちびを除き、5時40分。ちいさいちびは30分遅れ。梅雨はどこへいったのでしょうか。快晴。
あかんぼうが昨日から咳をします。まだ軽い咳ですが、風邪になると、もうこれはたいへんです。本格的な風邪にならないように気をつけてあげないと。前から連絡があったのですが、今日は大学の研究室の鍵交換の日。研究室に着くと、古い鍵は使えなくなっていました。先週の月曜日に鍵はもらってカバンに入れています。そちらを出して、古い鍵はお役ご免です。
会議の日。
おお、今日だけ**長の忙しさです。
12時に大学について、12時15分から打ち合わせ。12時55分まで。
1時に事務に行って、行方不明になっていた郵便を探し出し、1時10分から総合科目推進室会議。これは、私が司会を務めます。あとがつかえているということで、ちょうど30分で終了しました。
20分の時間があいたので、研究室でカバンにつめてもっていったドーナツをかじり、冷たいアイスコーヒーで一服。
2時から2時55分まで再度打ち合わせ。
3時から4時は、大学院の企画運営室会議。和田先生は、なんとぴったりに終了してくれました。たすかります。
4時から、ハラスメント研修会。近くの大学の専門家の方にお話を伺いました。とても勉強になりました。私が知っている以上に、深刻化しているようです。
その後、同じ会場にて打ち合わせ。今後の進め方について、おおよその合意を得ました。終了して、6時半。
一度研究室に帰ってから、帰宅。7時20分に帰り着きました。えらいひとたちは、こういう日々です。お昼ご飯を食べ損ねることも珍しくないようです。今日の講演者も指摘されていましたが、法人化の2〜3年前あたりから、大学のなかはひどい状態に陥っています。
帰りの電車で偶然いっしょになった同僚の方と話していましたが、「このまま停年を迎えるのでしょうか。」なんともぱっとしない未来です。帰り着くと、年会で頼んでいた次の本が届いていました。
芝哲夫訳『ポンペ化学書 ―日本最初の化学講義録―』化学同人、2005
芝先生は、もう80歳を優に超えているのに、ほんとうによい仕事をされます。感服。[和光大学『東西南北』]
上の行方不明になっていた郵便物ですが、和光大学より送ってもらった『東西南北』です。ワン・セットを先月末に送ってもらったのですが、事務からずっと連絡がなく、昨日、総務課総務係に直接行って調べてもらうと1分で見つかりました。
事務の方は、最初留日に行ったので云々ということでしたが、時間の余裕もなかったので、段ボール箱だけもらって次の会議に参上しました。段ボール箱を机の上においたまま会議を行い、段ボール箱をかかえたまま学内を移動しました。
内田さん、ご配慮、ありがとうございます。なお、全文が次のサイトで公開されています。
和光大学『東西南北』
やはり、4時45分。どうもこのリズムが身についたようです。土日の学会から持ち帰った宿題ですが、なんとか午前中で処理できたと思います。日曜日に昼休みにこれも強行軍で編集委員会を開催しています。(ちょっと大変だったかなと反省しています。)そのときの宿題です。印刷所に入稿するものは入稿し、査読結果を返し、等々の仕事です。
→この仕事は、送ったメールに対して、返事が来るので、また回答するという事がしばらく続きます。午後にやはり数件のメールがあり、返信しました。
ウェブで検索をかけていたら、次のサイトに出会いました。
産科医療のこれから
医療の情報がしっかり収集されており、有用です。
ひとり遅れて、5時50分。疲れが残っていますが、今日も授業。
大学のホームページが刷新されました。
東京外国語大学ホームページ
H先生を中心とする労作です。英語の紹介に力を入れたということです。そのリニューアルなったサイトで、たぶん目玉のニュースとして、外大の提出したプログラムがグローバルCOEに採用になったという記事が紹介されています。
グローバルCOEプログラム−日本学術振興会
グローバルCOE拠点採用校 人文系
[はじめてのディズニー]
今日はちいさいちびの幼稚園は、土曜日(参観日)の振替で休日です。予定では、妻の姪っ子をディズニーに連れていってあげるはずでした。(いろんな事情があって、来日を取り止め。)
ともかく、一度はディズニーに連れていってあげるという約束を、妻はちびどもとかわしており、気温(この時期にしては比較的涼しい)と学校のことを考えて、今日がちょうどよいと判断したようです。
アクセスは、いろいろ調べましたが、東西線で最寄り駅まで行き、そこからタクシーが一番楽であろうという結論に達しました。(新宿にでて、高島屋の前からリムジンバスというのが次の選択肢でした。)
私はいつもと同じように仕事にでかけるので、妻がこども3人を連れて、8時前に出かけました。小学生の登校時間の前です。
9時過ぎにディズニーランドに着いたようです。
疲れ過ぎて帰ってくることを心配していましたが、4時半頃、4人とも比較的元気に帰ってきました。あかんぼうも楽しかったようです。ミルクを一度も飲むことなく、はしゃいでいたということです。
あかんぼうを入れて3人の子どもを連れているとさすがに配慮してくれるようで、基本はセルフサービスの食事も、係の方が、席をとってくれて、注文品を運んでくれたということです。(ただし、食べ物そのものは、おいしいものがない、と言っていました。)月曜日なのに、子ども連れが大勢いたということです。中国からも台湾からもけっこう来ていたらしい。
ディズニーリゾートのホテルは、数万しますが、すこし離れた場所では、1万円強のものもあることをタクシーの運転手が教えてくれたとのこと。私は、ディズニーの影響を直接受けることなく育っているので、あこがれもなにもありませんが、子どもたちはさすがに大満足していました。ちいさいちびは、次に行くことをもう口にしていました。(昼の込み具合と気温を考えると、しばらく無理です。)
[2007年度化学史学会2日目]
いつもよりゆっくりめで6時半。ホテルの朝食は込みではなかったのですが、外に出て喫茶店等を探すのもおっくうなので、7時になるとすぐに、ホテルの食堂で、朝食をとりました。目の前にまっしろな容器。ミルクピッチャーだと思ってコーヒーに入れたら、醤油。これは間違えます。コーヒーは替えてもらいました。すぐ後から来た人も同じ間違いをしていました。あんなにミルクの入れ物に似ている容器を醤油入れに使うと、間違う人が続出ではないかと思われます。
食堂のテレビでは、MLBで松坂が投球する姿が。しばらく見ていました。午前中の部は、10時スタートです。私は、最初の2件に関して座長の仕事があります。ホテルでぼんやりしていても退屈なので、8時40分ぐらいにチェックアウトをすませ、会場の愛知県立大学に向かうこととしました。
リニモでK氏といっしょになりました。車中いろいろおしゃべりしながら、9時半頃には大学に着きました。おお、まだ30分もあるのに、受付のアルバイトの学生もいますし、会場にも数名が着いていました。朝が早い人間には、10時開始は逆にすこし時間を持て余す感じがします。10時にスタートした講演では、けっこう困った質問が続きました。さすがに、2人目の方のときには、講演者の講演内容に関して筋違いであるということを座長として発言してから、本筋の質問をしました。
午前の後半の座長は、八耳氏に交代。
終わってすぐに、会場で話し込みそうな編集委員のみなさまをなんとか連れて、編集委員会の会場へ。
午後は1時からスタートです。余裕がないので、30分限定で、12時20分〜50分で開催しました。私は資料を用意したうえで司会をする必要があります。
お弁当を食べる時間はなく、みなさんが退出されたあと、ひとり残ってお弁当を食べていました。4時間
家のことが心配なので、お昼ご飯を食べ終わってから、すぐに帰途に着きました。
2時44分ののぞみ号の席を取ることができ、4時半には東京着。5時10分過ぎには家に帰り着きました。
つまり、会場をでて、ほぼ4時間で帰宅できたことになります。行きもほぼ4時間でした。
→やはり、すこし強行軍だったようで、五十肩の左肩だけではなく、右肩も痛くなっています。今日ははやめに休んで、明日の授業に備えないといけません。
[2007年度化学史学会初日]
ひとりで4時50分。おお、一昨日、昨日とほとんど同じです。だいたいリズムが決まってきたようです。今日、明日と化学史学会。私は、今日朝一番で出て、明日夜に帰ってきます。強行軍ですが、仕方ありません。
実は、今日はちいさいちびの参観日です。土曜に設定されているのは、お父さんも参加できるようにという配慮からです。実際、お父さんもかなり見えます。もちろん、私は無理ですが、おおきいちびが写真係、妻、あかんぼうと参観します。いちばんうれしいのは、たぶんあかんぼう、次いでちいさいちび本人でしょう。
帰ってきて、翌日は朝から授業。ということで、月曜日2限の準備もすませてから出発します。こういう場合、休講にすることもあるのですが、今年はできる限り頑張っておこうと思います。
4時間
→家族全員が起きるのを待ってから、出発することにしました。6時半ごろには家をでることができました。駅につくと緑の窓口はまだ閉まっています。しばらく考えてから、いつものスイカで構内にはいり、荻窪で快速に乗り換えて、東京駅に向かいました。
のぞみのチケットは問題なく購入できました。
会場の愛知県立大学は、名古屋駅から地下鉄(東山線)で終点まで行って、そこでリニモに乗換、愛知万博の跡地の駅で降りて、徒歩5分という案内でした。名古屋駅からは、約1時間ということでした。
たしかに、1時間で、山の中の真新しい、でもほとんど人のいないキャンパスに着きました。
講演会場にはいったときには、2番目の方の講演が始まったばかりでした。つまり10時半過ぎ。
家をでて、4時間で、会場に着いたことになります。
思ったよりもずっと近かった、というのが感想です。→学会そのものですが、この学会では、私の専門としない日本科学史と技術史の分野の発表が勉強になります。耳学問です。
とくに、企業の開発現場におられた方がなされる講演は、私のようにずっと大学に籍を置く人間にはとても勉強になります。もちろん、ほとんど聞いたこともないような物質・素材・プロセスが取り上げられることも多いのですが、それはそれで新鮮です。
ひとりで4時45分。おお、昨日とまったく同じです。妻の回復率は6割程度。
夕刻に、遅れていた原稿を提出しました。やれやれ。
ひとりで4時45分。わー、さすがにきつい。
ともかく、3コマの授業はこなしました。
10日締切の原稿も、やっと第1次稿までこぎつけました。1週間は待ってくれるということで、何とか間に合わせることができそうです。
ひとりで5時前。妻がおなかをこわしてダウン。
2時半から大学院と学部の臨時合同教授会。
4時過ぎから、学部教授会。
議題が深刻なものだったので、紛糾しました。私は、こどもたちと妻のことが心配だったので、学部教授会の審議事項が終了した時点でおいとましました。それでも、帰り着いて7時。
上の子ふたりは割とかしこくしていたようですが、やはりあかんぼうが暴れていたようです。→昨日アマゾンのマーケットプレイスより届いた、次の本をカバンに収め、電車のなかで読んでいました。
長崎暢子・山内昌之編
『現代アジア論の名著』
中公新書、1992
あかんぼうが起きて、5時40分。リレー講義で、1年に1度1限の講義をします。
→おおきいちびといっしょにでて、大学へ。武蔵境駅で走れば8時18分発に間に合ったかもしれませんが、急ぐこともないだろうと、1本遅らせ(8時30分発)、パンとコーヒーを買ってから、電車に乗り込みました。
教室は木曜日3限にいつも授業をしている部屋なので、よくわかっています。1回限りの授業ですし、配布物があるので、2〜3分前に教室に入りました。そのときに教室にいた学生の数は20名強でした。
CDを5枚、CDプライヤーにセットし終えてから、授業開始。疲労している身体とは逆に、声はうまく出ました。授業や講演は、最初の発声でおおよそ決まります。声がうまく出る日は、気持ちよく最後までしゃべることができます。そうでないときには、すこし苦労します。
たぶん、最終的には150人程度が出席していました。
レスポンスシートに時間がかかった学生がいるので、ちょうど次の授業がはじめる30秒前まで教室にいました。
それから1度、研究室にもどり、一番で特別食堂へ。
先ほど集めたレスポンスシートを読んで採点しながら、注文したお昼ご飯が来るのを待ちました。お昼ご飯終了後もしばらくレスポンスシートを読んでから研究室へ戻りました。せっかくなので、今日のレスポンスシートは全部目を通しました。
ひとりすこしだけ遅れて6時。予報に反して、雨。3コマの授業。
ひとり遅れて7時。疲れがでてきました。昨夜は雨が降りましたが、朝は上がっています。
→ちびどもが荻窪に遊びに出かける頃から雨が降り始めました。雷光に雷鳴。そして、一次的な豪雨。お昼過ぎには、空も暗くなり、雨音もそうとう強くなりました。駅前の本屋さんで次の4冊の雑誌を買ってきました。
『月刊現代』『論座』『中央公論』それぞれ2007年7月号、それに『大航海』2007 No.63:特集 白川静と知の考古学
『大航海』を買うのは久しぶりです。もちろん、特集故に買いました。
あかんぼうとちびどもに起こされて、6時過ぎ。曇りのち雨の予報ですが、まだ晴れています。[国立国会図書館インキュナビア]
国立国会図書館のサイトで、所蔵する15点のうちの13点が画像でアップされています。そう、(偽)アリストテレスの諸問題のインキュナビアもあり、びっくりしました。
13点のリストは次の通り。Albertus Magnus ,
De mysterio missae
Ulm: Johann Zainer, 29 May 1473. 1 v.
Vincent of Beauvais ,
Speculum naturale
[Strassburg: The R-Printer(Adolf Rusch) , not later than 15 June 1476] 2 v.
Cassiodorus, Magnus Aurelius ,
Expositio in Psalterium
Basel: Johann Amerbach, 1491. 1 v.
Pope Gregorius I ,
Magna Moralia
Basel: Nicolaus Kesler, 1496. 1 v.
Aristoteles ,
Problemata
[Leipzig: Conrad Kachelofen] 1494. 1 v.
Calderinus, Domitius. ,
Commentarii in Martialem
Venice: Jacobus Rubeus, 13 Sept. 1474. 1 v.
Biblia Latina
Venice: Franciscus Renner, de Heilbronn and Nicolaus de Frankfordia, 1475. 1 v.
Euclides ,
Elementa geometriae
Venice: Erhard Ratdolt, 25 May 1482. 1 v.
Valerius Maximus, Gaius ,
Facta et dicta memorabilia
Venice: Johannes and Gregorius de Gregoriis, de Forlivio, 8 Mar. 1487. 1 v.
Augustinus, Aurelius ,
De civitate dei.
Venice: [Bonetus Locatellus] 18 Feb. 1489/90. 1 v.
Rampigollis, Antonius. ,
Figurae Bibliae.
Venice: Georgius Arrivabenus, 15 Nov. 1496. 1 v.
Jamblichus. ,
De mysteriis Aegyptiorum
Venice: Aldus Manutius, Romanus, Sept. 1497. 1 v.
Albertus Magnus ,
Mariale
Milan: Uldericus Scinzenzeler, 17 Apr. 1488. 1 v.
ご覧のとおり、聖書や神学関係が多いのは当然として、『アリストテレスの諸問題』、アルベルトゥス・マグヌス2点、ユークリッド1点、『自然の鏡』、イアンブリコスとくると、これはまさに科学史の世界です。もちろん、時間を見つけて全巻ダウンロードしておきたいと思います。
→気になるので、イアンブリコスのものを調べてみました。
De mysteriis Aegyptiorum, Chaldaeorum, Assyriorum
Proclus: In Platonicum Alcibiadem; De sacrificio et magia.
Porphyrius: De divinis et daemonibus.
Synesius: De Somniis.
Psellus: De daemonibus.
Priscianus et Marsilius Ficinus: In Theophrastum De sensu ...
Alcinous: De doctrina Platonis.
Speusippus: De Platonis definitionibus.
Pythagoras: Aurea verba et symbola.
Xenocrates: De morte.
Marsilius Ficinus: De Voluptate.
ラテン語訳は、フィチーノ。ネオプラトニズムの著作家の短い作品の集成。最後は、フィチーノによる『快楽について』。慶応のサイトに、解説があります。
『エジプト人、カルデア人、アッシリア人の秘儀』
あかんぼうが昼寝から目覚めて落ち着いてから、家族揃って車で吉祥寺へ。ロフトの2階にキッズコーナーができたということなので、見学がてら行ってみました。とくに目新しいものはなし。私は、台所のシンクの下の取っ手が壊れたので、ないかと思ったのですが、ロフトにはありませんでした。
東急の1階で、おやつを食べていると雲行きがあやしい。いそいで帰りました。4時前。うわー、疲れた、とソファに横になっていると寝てしまいました。目覚めて6時。しんどかったわけです。
ひとりで5時半。昨日、出かけに少し雨が降りましたが、結局、止みました。今朝もまだ晴れています。たぶん、平均値で言えば、今日あたりが梅雨入りの日に当たると思われます。雰囲気は、梅雨入り前ですが、雨がいつ降り始めるのかはわかりません。5月に大学生協で購入して、記載するのを忘れていた本です。
鈴木謙介
『ウェブ社会の思想:<遍在する私>をどう生きるか』
NHKブックス、2007
買ったときに研究室ですこしですが、読みかけています。
あかんぼうが起きて騒いで(起こしに来て)5時。頭痛と腹痛が残っているので、もうすこし寝ていたかったのですが、あかんぼうには勝てません。まだ晴れ。ちびどもはいっぱい蚊に刺されていました。ちょうど2〜3日前から蚊の活動が活発になりました。おおきいちびは刺されるとまだおおきく腫れます。あかんぼうもよく刺されており、けっこう腫れています。
午後に3コマの授業。
ひとりで5時半。今日は、健康診断があります。朝食抜きです。空腹には弱いタイプなので、しばらく辛抱です。おおきいちびといっしょに出て、大学へ。8時半武蔵境発の電車に間に合いました。健康診断は9時からなので、一度研究室に行って、気になっている用件に着手しました。朝一番で健康診断に並ぼうかと思っていたのですが、一波が過ぎてからと考え直し、9時15分過ぎに並びました。採血が最後で、それが終了してちょうど10時でした。
それから、先ほど着手した用件に戻りました。
わー、めんどくさー。まず、マッキントッシュのインターネット・イクスプローラーからは入力ができないとあります。なんたること!ほかに環境のない方はいったいどうすればよいというのでしょうか?
と言っても、もしかしたら、保証しないだけで使えるかもしれないと思い、使ってみるとしばらくは使えました。しかし、途中から、日本語の入力が使えない&コピーペーストしても化けるという状況に陥り、どうしても抜けられなくなりました。そういう場合は仕方がないので、最近はネットスケイプを代替手段として使います。ネットスケイプでも、文字化けは生じたのですが、回避策を見出すことができました。説明文がとてもわかりづらく苦労しましたが、何とか頭をひねって、解決策を見出しました。
ということで、普通に入力すれば、30分以内にすむ量の入力に2時間近くかかりました。
ほんとうにこういう点はどうにかしてほしいと思います。大学のなかの無節操な官僚主義が、善意の構成員を疲弊させています。
なんとかしないと、ほんとうにやばい、と思います。3時から会議。こちらは、内容として頭の痛い会議。誰かが担当しなければないので、仕方なく出席していましたが、頭が痛いことに変わりはありません。あんまり、変なことが起きなければよいのですが。
そういえば、今日は朝起きたときから軽い頭痛がありました。途中でひくかとおもったのですが、就寝時まで続きました。目の奥の疲れに由来する頭痛だと思われます。ひどい頭痛ではありませんが、元気はでません。
ひとり遅れて6時50分。昨日おそくに起きていたせいです。
あかんぼうは、夢のせいか、4時に起きたそうです。私とちびどもは6時に起こされました。まだ好天。3コマの授業。
あかんぼうが起きて、5時40分。今日もまだ良い天気。
[はしかのいま]
大学のサイトを見ると、東京外大では、4名がはしかにかかり、3名は直った、1名だけが自宅療養中とあります。
いまのところ、全員が市中感染で、学内感染はない。ただし、4名のうち2名は、有症期間内(症状があって、ウイルスを排出している期間)に登校しているので、学内での2次感染の恐れは残っている、とあります。
これは、たぶん、注意報にあたるでしょう。さて、同じ大学のページにウェストナイルウイルスについての記事があります。1999年ニューヨークに上陸し、カラスを多数死亡させたウェストナイルウイルスが、2002年全米に広がり、患者数4156名、死者284名に登ったとあります。
ということで、すこし調べてみました。
2003年 患者数9862人、死者264名。
2003年には、カナダにも広がり、カナダで噛んじゃ1119人、死者10名を数えた。
2004年 患者数2470人、死者88名。
2005年 患者数3000名、死者119名。
2006年 患者数4028名、死者135名(10月17日時点での集計)
日本に上陸するのは時間の問題だとあります。この数字を見る限り、そうでしょう。
あかんぼうが起きて、6時前。40分間は、あかんぼうと二人だったので、つきあってやりました。40分に妻、50分にちいさいちびが起きてきました。疲れているのでしょう、おおきいちびが珍しくまだ寝ています。たぶん、梅雨入り前の晴れ間でしょう。個人的には1年のうちでもっとも過ごしやすい季節です。たぶん、麦秋でしょう。
あかんぼうが起きて、6時前。全員が起きてしまいました。今日は、京都の日文研(国際日本文化研究センター)に行きます。個人研究費による研究出張です。
あかんぼうと妻の様子をみて、行く時間を決めることとしました。
→あかんぼうに咳がでました。かなりひどい咳です。昨夜一晩ずっと苦しんでいたということです。朝一番にお医者さんに妻が連れていくこととしました。
ということで、ちいさいちびを幼稚園に送っていった足で、京都に向かうこととしました。乗車券だけ買って、中央線に飛び乗りました。私は、割と先頭車両に乗ることが多いのですが、どうも様子が違います。おお、何と、女性専用車両でした。荻窪駅に着いた時点で隣の女性から指摘があり、一度降りてからあわてて隣の車両に移りました。いつもの通勤とは逆の方向なので、念頭にありませんでした。おお、隣の車両はほとんど男性ばかりでした。めにはいる範囲では、おばあちゃんがひとりだけ座っているのが見えました。
9時53分ののぞみの席が取れました。車中で、昨日届いていた『地質学史懇話会会報 第28号』を読みました。もうすこし丁寧な編集をした方がよいと思います。(表紙の裏=2頁に、2006年の総会報告があります。大学史の発表の要約が掲載されていますが、「当時の教科書とは、例外なく「アラビア語原典をギリシャ語訳したもの」あるいは「そのギリシャ語翻訳をさらにラテン語訳したもの」を意味した」は、いけません。専門的な発表で本人がこんなことを言ったらいっぱつでアウトです。たぶん、これは、聞いた方の要約でしょうが、誰かがチェックをする必要があった。)京都駅には、12時10分過ぎに着きました。家を出たのが9時前で、まあ、2時には現地に着くだろうと思っていましたが、ずっとはやく到着できそうです。
地下鉄に乗り、四条で乗り換えて、阪急。桂には、すぐに着きました。若き数学史家に「山登りがきつい」とあらかじめ教えてもらっていたので、迷わずタクシーにしました。確かに、右に行ったり左に行ったりしながら山を登っていきます。1300円で、風光明媚な場所にたつ、非常に立派な建物に着きました。
貴重書の閲覧ということで、あらかじめ申請書類を郵送して、許可書を返送してもらっています。大学図書館からの紹介ファクシミリとの2点を受付に提出すると、奥の方からその準貴重書を持ってきてくれました。ちいさな昔のBLという感じの、丸いしゃれた図書館です。受付の真ん前の机で、受け取った貴重書を見ました。保存状態は17世紀のものとしては驚くほどよい。(たぶん、購入したひとがまったく使用せず、丁寧に保存していたものでしょう。)
内容的には、ほぼ予想通りでした。必要なノートをとって、約40分で完了。
さて、帰り道ですが、タクシーで来た道を思い出しながら、山を下り、バス停を見つけました。タクシーが通ったらタクシーでもよいな、と思っていたのですが、タクシーが流しているような道路でもありません。仕方がないので、気長にバスを待つこととしました。ちょうど2時頃に、京都駅行きのバスが来ました。15分ぐらい待ったでしょうか。バスに乗ると町の様子がよくわかります。かかる時間もよくわかりませんが、京都駅までバスで行くこととしました。
バスは、山のなかをあっちこっちしたあと、桂川を超えて、市内に入りました。京都市内も、西荻ほどではありませんが、更地が目立ちました。この町並みでは、古い建物もある、地方都市です。都という感じはもうありません。
2時50分には京都駅に着き、3時6分初ののぞみの切符を買うことができました。
帰りの新幹線では、半分寝ていました。起きてから、別の冊子を読んでいると、おっと5時前にに東京駅に着きました。6時には西荻窪駅に着いていました。
最近はあかんぼうだけがちゃんと出迎えてくれます。(ちびどもはテレビに夢中でした。)9時前に家を出て、6時過ぎに帰ってこれるのであれば、上出来です。つまり、京都であれば、十分日帰りが可能です。現地で仕事ができるのは、たぶん6時間ぐらいまででしょうが、それでも十分だと思われます。
日文研についての感想。環境もよく、建物も立派です。もうすこしアクセスがよければな、というところです。科学史の面から言えば、どういう経緯で収められることとなったのかはわかりませんが、「宗田文庫」「野間文庫」「廣重徹旧蔵コレクション」が収納されています。この3つだけでも、東京に来ないかな、と勝手なことを考えてしまいます。
[Van Helmont, Opera Ominia(1682)]
さて、今回の目的は、日本でただ1館、日文研だけが所蔵している Van Helmont, Opera Ominia(Frankfurt, 1682) を見ることでした。
あらかじめ、copac 等の情報により、これは、Ortus Medicinae(1648)と基本的には同じであろうという予想がありました。
実際に、内容的には同じでした。ただひとつ、新しい論考"Tractatus novus de Virtute magna Verborum ac Rerum" が付加されている以外には、内容的にはOrtus Medicinae(1648)と同一でした。
ただし、Ortus Medicinae(1648)よりも見やすく組んでいます。
すなわち、第1に、節毎に改行を施しています。これでずいぶん見やすくなっています。
第2に、もとのものにはなかったよい索引が付加されています。その索引は、ページ数と節の数が "200.10" という仕方であげられています。つまり、"pag.200, Num.10" ということです。これは、とても便利な表記法です。必要な箇所をただちに見つけることができます。
私が以前追っていたもので示せば、次のようです。BUR
Bur quid sit 51.13
quale 151.39
metallorum productor 112.31
ページですが、ほんのいくらか、もとのものより小さい。たとえば、「魂についての論考」は、Ortus Medicinaeでは349頁、Opera Ominiaでは329頁から始まります。せっかくですから、両作品の対照ページ表を作っておきました。(ついでに、前に作ってあった表のミスタイプも少しですが、修正しておきました。)
ということで、手元において使うためには、Ortus MedicinaeよりもOpera Ominiaの方がずっと便利です。
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