あかんぼうが目覚めて泣いて、全員6時前。興奮がまだ残っていたようです。寒さが続いています。ずっとかなり暖かだったのに、急に気温が下がったということです。東京よりも寒く感じます。
お昼にお庭でバーベーキュー。弟が来るようです。
準備は10時ぐらいから。途中から知り合いの方が釣ったという鯛をまるまる一匹焼きました。なるほどうまい。あかんぼうは火を燃やしたり、炭火を作ったりというのは面白かったようですが、お肉は一口も口にせず。まあ、あかんぼうですからそんなものでしょう。日射しがあってそれほど寒くはありません。しかし、お昼頃から風が強くなりました。家のなかに退去していてもすごい音が聞こえます。「今日は台風?」とちいさいちびは聞きました。そのぐらいひゅるるひゅるると音が聞こえます。
ひとりで6時15分。今日から1週間ほど、私の田舎に帰省します。はじめて新幹線を使います。ちびどもはもう大丈夫でしょう。2歳男児は、乗せてみないとどうなるかわかりません。乗り物は大好きなので、喜ぶことは間違いないと思われますが、。。。
→興奮したせいでしょう、ちびどもははやく起きすぎです。ちいさいちびなんか、いつもより1時間半もはやく目覚めてしまいました。
新幹線は、N700系ののぞみです。新型車両です。こどもたちはすっかり名前を覚えています。東京駅発は11時10分。我が家にはあかんぼうがいますから、9時45分に家を出ました。中央線は予想通り、この時間帯だとまだ混んでいます。荻窪で前の席の方が下車したので、ともかくあかんぼうのスペースは出来ました。その後隣の方が席をくれました。2つ席があれば、まあ、東京までは大丈夫でしょう。
東京駅に着くと、すぐに「おしっこ」。地下のトイレを捜して見つけると、女子トイレには列。数が足りないのでしょう。
すぐに新幹線のプラットフォームに向かいました。まず、お弁当。5つ。5千数百円。5人で動くと当然ですが、なかなか高い。あかんぼうはもうお腹が空いたようです。食べるといって聞きません。ともあれ、乗り込む電車の前まで歩いていってそこの待合室であかんぼうだけもうお弁当。ノゾミ23号はすぐに乗車可となりました。
乗り込んですぐに席を向かい合わせにし、全員でお弁当。ちびどももお腹が空いたようです。飛行機に比べて座先が楽でよいと喜んでいたのは15分。睡眠不足がこたえたのでしょうか、途中からまだつかないかまだつかないかと言い始めました。あかんぼうは5つの席をぐるぐるぐるぐる。途中から座席には、もってきたブアを並べ、自分は床の上に座り込みました。座席に下にもぐり込みそうになりましたが、さすがにやめさせました。
新大阪までは2時間半。何と、あかんぼうは京都の前あたりでお昼寝。新大阪での乗換時間は20分。あかんぼうは寝ているので、スムーズに動けます。紀勢本線にはいるくろしお号は、すぐに見つかりました。ちびどもはアイスクリームが欲しいと言ったのですが、キオスクには置いていませんでした。かわりにポッキー。
特急と名乗っていますが、くろしお号は、昔の急行のように多くの駅に止まります。新大阪から2時間。電車に乗ることが非日常から日常に変貌したのでしょう。ちびどもはしばらくふたりでなかよくトランプをしていました。しかし、1時間ほどしたころから、ちいさいちびが気分が悪いと言います。ビニール袋に3回戻しました。その後疲れたのか寝てしまいました。おおきいちびは春から3年生です。体力がついたのでしょう、文句は言っていますが、平気でした。
到着10分前にあかんぼうは目覚め、ちいさいちびも目を覚ましました。プラットフォームに降りると、風が冷たい。寒いと言うことを予想していませんでした。3時間近く昼寝をしたあかんぼうは絶好調。駅で待つおじいちゃんの大きい車に乗り込んで、5分でおじいちゃん家に着きました。おじいちゃん家であかんぼうを待っていたのは、新しい三輪車。去年買ってもらっていた車とあわせて2台。大喜び。ちいさいちびと二人で、家の中をぐるぐる。
5時過ぎに夕ご飯。うどん。もどしたちいさいちびは、ご飯をおかわりするほどよく食べました。ちびどもの希望で、6時過ぎに鶴の湯に出かけ、帰宅後はこたつに入って、テレビチャンピョンを見ていました。ディズニーがテーマ。ちびどもには回答できる問題があり、がやがや見ていました。
夜半に目覚めて、すこし仕事。目覚めたのは、花粉症のせいです。鼻がつまりました。本日2回目の起床は、8時。まあ、ちょうどよい時間帯でしょう。
午後は、駒場で、加藤氏・柿原氏主催による「村上陽一郎先生退任記念シンポジウム」。
妻の体調がもどっていないので、はやめに帰ってきます。夜は、同窓会的飲み会になると予想されます。
12時45分頃に会場に着きました。主賓も主催者も幹事長の方も受付の方もみなさん揃っていました。開場は1時15分、開始は1時半。
私は、最初の発表の川田氏の代読。川田氏はユーモアあふれるコメントをしてくれました。6時、全体討論会がはじまる前に帰途に着きました。遠くから見えた珍しい方も多くいらしたので、挨拶ぐらいはしたかったのですが、余裕がないときとはこういうものです。またの機会を期します。帰宅してみると、妻はとても疲れた顔をしていますが、ダウンはしていません。なんと2歳男児は、おねえちゃんたちといっしょに最後まで(昼寝をせずに)起きていました。最後すこしごねましたが、体力がついてきました。
ひとりで6時。昨夜こどもたちといっしょに寝てしまったせいです。11時にこどもたちの歯の検診。全員ででかけました。いちばん心配だった2歳男児もとりあえず、終わるまでかしこくしていました。終わって外に出た途端、ブア、ブアと言って別の方向に行こうとします。どこかに遊びに行くつもりだったのでしょうか。ちょっと簡単には動きそうになかったので、ちびどもといっしょに先に帰ってきました。
午後はちびどもが幼稚園の同窓会。1時から3時まで。私は大学に行って荷物(郵便物)を取ってくる必要があります。2歳男児に気付かれないようにちびどもといっしょにでて、そのまま大学に向かいました。武蔵境1時半の電車に間に合いました。大学では郵便物だけ受け取って、そのままトイレ以外はどこにも寄らずにリターン。2時10分ぐらいに西荻の駅に着きました。駅前ですこし買い物をしてから、帰宅。
大学に次の本がアマゾンから届いていました。発送予定時を見て、自宅では受け取れないかなと思い、大学に送ってもらったのですが、ずっとはやく発送できたようです。Ursula Klein and Wolfgang Lef&egarave;vre eds.,
Materials in Eighteenth-Century Science: A Historical Ontology
Cambridge, Mass.:The MIT Press, 2007
7時半。夜半から雨。体調がまだ回復していません。いつもより遅くまで作業をしていたせいもあります。今日は図書館の用と打ち合わせがあり、駒場。水曜日にもでかけます。
雨のなか、まずは図書館に行って、借りていた本を2冊返却しました。それから10分ほど、DSBより、18世紀ドイツ化学者の項をコピーしました。[なんだかそんした!]
おおきいちびの酔い止めの薬をもらってくるついでに、ちいさいちびの血液型検査をしてきたようです。
帰り着くなり、ちいさいちびは、「ママびっくり」。妻のそっくりさんのなので、ほとんど誰もがO型だと予想していたちいさいちびの血液型がA型だったそうです。
居間に落ち着いてから、ちいさいちびの漏らした感想:「なんだかそんした。」
わかるような、わからないようなコメントでした。
そして、寝る前に、毛布で身体を包み、顔だけだして「A型やだ、A型やだ」。その姿がおもしろく、部屋中大爆笑。
7時20分。ちびどももほぼ同じ時間。あかんぼうはすこしはやめにおきていたようです。まだ晴れ。K氏の案内で、Kくんのお見舞いに行ってきました。聞いていたよりずっとよい感じでした。なんと言ってもちゃんとしゃべることができます。K氏によれば、最近、学問的な話題にも逃げずに向き合うようになったということです。
帰宅すると、妻がダウン中。2階でひとりで寝ていました。3人の子どもたちは、勝手になかよく遊んでいました。妻によれば、私がいないときは割と賢くしているということです。親が二人いるとどうしても甘えて、ごねてみたりするようです。
実は、昨日割と遅くまで作業をしていました。そのせいで、夕食後すごく眠くなりました。「おとなふたりねてるし。」おおきいちびの声が聞こえました。
こういうときには、あかんぼうもうまくあやして、おねえちゃんふたりでちゃんと9時に寝ました。おやがふたりともげんきなときには、わけのわからないわがままをいうこともすくなくないのですが、こういうときには別人のようです。
ひとりで6時過ぎ。好天。明るくなりました。このぐらい明るくなると、朝窓を開け放つのが気持ちよい。[18世紀化学史: 論点整理]
論点整理の作業をすこしずつ進めていきます。1.化学史学。
ブールハーヴェにもありましたが、化学史を主題とする本が、ヨハン・クリスチャン・ヴィークレープ(1777)、ヨハン・フリードリッヒ・グメリン(1797)、ヨハン・バルトロメウス・トロムスドルフ(1803)、そしてヘルマン・コップ(1843)によって執筆されています。
こうした化学史学については、下(ヴィークレープのところ)で紹介したワイヤーの次の本がよいようです。
Weyer, Jost, Chemiegeschichtsschreibung von Wiegleb (1790) bis Partington (1970) : eine Untersuchung über ihre Methoden, Prinzipien und Ziele , Hildesheim, 1974
物理学史の分野でも、19世紀後半になりますが、ヨハン・クリスチャン・ポゲンドルフ(1879)のものがありますし、一般科学史に関してはなんと言ってもフリードリッヒ・ダンネマン(1896) のものがあります。
→ダンネマンは引っぱりだして関連箇所を見ました。私がここで追究している事柄に関しては、ほとんど取り上げられていません。ダンネマンは、物理学が中心で、医学・薬学にはほとんど触れられていません。物理学におけるニュートン革命やアインシュタイン革命・量子力学、化学のラヴォワジェ革命に匹敵するものを、医学・薬学の分野では簡単には挙げることができません。そういう事情がきいているのでしょう。
医学史の本(川喜田さん)も繙きましたが、やはり、ほとんど言及がありません。論述の流れでひっかかりそうになったところはあったのですが、すぐに別のテーマにうつっています。2.医者=化学者。
ブールハーヴェがそうですが、初期近代の時期に化学に関わった人物は、職業としては医者であるものが多い。パラケルススもファン・ヘルモントも、そうです。
基本は、薬の調合という実践=関心があります。2.薬剤師=化学者。
18世紀ドイツの化学史を特徴づける社会的要素は、なんと言っても、18世紀ドイツ化学史に名を残すものには、圧倒的に薬剤師=化学者が多いという事実でしょう。まず、もっとも多くの化学物質を発見したと言われるシェーレがそうですし、1780年の時点で、トップ化学者9人をリストアップすると、そのうち6人までが薬剤師=化学者です。具体的には、グレン、ヘルムシュテット、クラープロート、ヴェストルンプ、ヴィークレップ、ゲトリンクです。残り3人は、クレル、グメリン、アーカート。
薬剤師というのは、当時はまだ職人の身分です。つまり、丁稚奉公(徒弟としての修行)を経て、職人(journeyman)になり、場合によっては親方として、お店(薬種屋=アポテカリー)を経営します。このアポテカリーは、いまのドラッグストアと違って、そこで薬を調合して売ります。(製造=小売りを兼ねる)また今のドラッグストアと同じく、食品雑貨(grocer)を兼ねていました。各種香辛料やワインを筆頭に酒類も販売しています。
職人層ですから、大学教育とは基本的には無縁の世界です。つまり、学位をもたないものが圧倒的です。3.職人の修行の旅。
職人は、修行の旅に出ます。その旅の途中で、ヨーロッパの各地の薬剤業界の様子や、最先端の化学の講義に出席したりします。知的交流という点で、おおきな役目を担っていました。4.教育機関としてのアカデミー。
17世紀に設立されたロンドンの王立協会やパリの王立科学アカデミーと違って、ドイツで17世紀末から18世紀にかけて設立された各地のアカデミーには、研究機能だけではなく、教育機能も備わっていました。つまり、学校でもあったわけです。
そのなかで、もっとも有名なのは、フライベルクの鉱山学校でしょうか。1765年に Bergakademie Freiberg として設立されています。
このベルクアカデミー・フライベルクが19世紀に至って世界の鉱山学・鉱物学の中心となります。開国期日本からも50名近くの留学生がこの地で鉱山学・鉱物学を学び、日本の鉱山学・鉱物学の中心人物となります。東京帝国大学工科大学や秋田鉱山専門学校、明治専門学校の初期の教授は、フライベルク帰りが占めます。
ひとりで6時。あかんぼうは6時半。雨は昨夜のあいだに上がっています。→と思ったらそうでもありませんでした。まるで小さな春の嵐です。時折、風雨が強まります。さて、今日は、本年度最後の教授会。2時半から学部教授会があります。
11時過ぎに家をでました。西武多摩川線で同僚の先生と会いました。今年はじめて花粉症にかかったそうです。目が痒くて夜中に何度も目覚める、そのせいでずっとぼうとしているということでした。いきなり激烈な症状が出たようです。
12時半から研究所で、引継の打ち合わせ。
その後、教授会。停年退職される先生方の挨拶が最初の30分間にありました。18歳から63歳までほぼ半世紀も大学にいたという方の挨拶がありました。外語で学生だった方は学生時代のことも話されていましたが、昔はとてもゆるかったことがよくわかります。
教授会は4時半には終了。私は、4時40分多磨発の電車で帰ってくることができました。
4番目で8時。雨。昨日の夕刻からの雨が降り続いています。→雨は日が暮れるまで降り続きました。気温は上がらず。外出したのは私だけでした。あかんぼうの襲撃を受けつつも、なんとか、次の本を読み通しました。
Karl Hufbauer,The Formation of the German Chemical Community (1720-1795)(University of California Press, 1982).
私のよく知っている分野で言えば、マイケル・ハンターの王立協会史に匹敵する基礎的な研究です。化学の内容は、最後の2章を除き、ほとんどでてきません。科学の社会史あるいは科学社会学で取り上げられる事項に関する、緻密で網羅的な研究です。
最後の2章は、ドイツの化学者共同体における、ラヴォワジェ受容の問題を扱っています。同一のドイツ化学者共同体内部におけるアンチフロギストン派とフロギストン派の闘いが描かれています。焦点は、水銀の金属灰(金属酸化物)から酸素を取り出したラヴォワジェの実験の再現性にしぼられた。何人かの当時のドイツの中心的化学者から、ラヴォワジェの実験は再現できない(つまり、酸素を取り出すことができない)という報告があったあと、数年のうちに、適切に実験を遂行すれば、ラヴォワジェの示した通り(すなわち、水銀と酸素の重量で)に酸素が得られることが大半のドイツ人化学者の認めるところとなった。その後もなお、フロギストン説に執着する化学者もいるにはいたが、大勢はラヴォワジェ説(アンチフロギストン説)に組みするようになった、この経緯がしっかりと描写されています。さて、フフバウアーの著作の中心は、ローレンツ・クレル (Lorenz Crell, 1745-1816) の創刊した化学専門雑誌『化学雑誌』Chemisches Journal für die Freunde der Naturlehre, Arzneygelahrtheit, Haushaltungskunst, Manufacturen (『自然科学、医学、家政学、製造業の同胞のための化学雑誌』ぐらいの訳になるでしょうか)の分析です。一度実物を見たいと思い、日本国内に所蔵がないか調べてみましたが、私の検索範囲では見つかりませんでした。(所蔵をご存じの方がいらしたら、是非、お教え下さい。)
検索中に、テキサス大学のChemical Library Pathfinder Historical Literatureというサイトに出会いました。「ケミカル・アブストラクト以前の化学文献の探し方」がよく出来ています。そこに "Finding the earlier chemical literature can be a real challenge" とあります。なるほど、なっとくです。「ケミ・アブ以前の化学文献を探すのは、とても大変かもしれない」ということですが、この英語の表現がなかなか悪くないと思われます。
紹介のなかで、ガリカで入手できるものをリストアップします。
Comptes Rendus
Annalen der Physik
Chemische Berichte
Catalogue of Scientific Papers, 1800-1900, 19 vols.,
→
薬剤師に向けてこの時代に発刊された雑誌には、クレルのChemisches Journalのほかに、ゲトリンク (Johann Friedlich August Göttling, 1753-1809)の『アルマナク』(Almanach oder Taschenbuch für Scheidenkünstler und Aptheker アルマナック、あるいは化学者と薬剤師のためのポケットブック、1780-、1年に1巻)、並びにトロムスドルフ(Johann Martholomaus Trommsdorff, 1770-1837) の『薬学雑誌』Journal der Pharmacie, 1794-)があります。
このことひとつをとっても、18世紀後半にドイツ化学の制度化が着実に進行していたことがわかります。→
さて、所在について。このあたりになると、日本の図書館はとてもよわくなります。トロムスドルフ:nii にまったくなし。
クレル:次のものだけがあるようです。(阪府中央)
Auswahl vorzüglicher Abhandlungen aus den sämmtlichen Bänden der französischen Annalen der Chemie : zur vollständigen Benutzung derselben durch Ergänzung der von ihrem Anfange an den chemischen Annalen einverleibten Aufsätze für deutsche Scheidekünstler
von Lorenz von Crell, Bd. 1, Bey C.G. Fleckeisen, 1801ゲトリンク:2点が所蔵されています。(ともに阪府中央)
Praktische Vortheile und Verbesserungen verschiedener pharmaceutisch-c hemischer Operationen fur Apotheke
Weimar, 1797Einleitung in die pharmacevtische Chymie fur Lernende
Altenburg, 1778→
この時代のドイツ人化学者で重要な人物に関して、同様な調査を続けます。ヘンケル Johann Friedrich Henckel,1678 or 79-1744:次の著作のみ。
Mediorum chymicorum non ultimum : conjunctionis primum, appropriatio, jam in argenti cum acido salis communis combinatione, experimento novo
Dresdae ; Lipsiae : F. Hekel, 1727ゲラート Christlieb Ehregott Gellert, 1713-1795:nii にまったくなし
レーマン Johann Gottlob Lehmann 1719-1767:nii に次の1点。
Abhandlung von den Metall-Müttern und der Erzeugung der Metalle : aus der Naturlehre und Bergwerckswissenschaft hergeleitet und mit Chymischen Versuchen erwiesen
Berlin : Verlegts Christoph Gottlieb Nicolai, 1753
(なお、レーマンに関しては、「千のキミア・プロジェクト」はドイツ語原典2点、フランス語訳3点をダウンロードしています。)クラープロート Martin Heinrich Klaproth, 1743-1817: 次の著作が東大にはリプリントが阪府中央にはオリジナルが所蔵されているようです。
Beiträge zur chemischen Kenntniss der Mineralköpper
5 vols., Berlin : H.A. Rottmann, 1795-1810マールグラーフ Andreas Sigismund Marggraf, 1709-1782: オストヴァルト・クラシカーのシリーズで出版された2点があります。
Einige neue Methoden, den Phosphor im festen Zustande sowohl leichter als bischer aus dem Urin darzustellen als auch denselben bequem und rein aus brennbarer Materie (Phlogiston) und einem eigentümlichen, aus dem Urin absuzschiededen Salze zu gewinnen
(Ostwald's Klassiker der exakten Wissenschaften ; Nr. 187)
Leipzig : W. Engelmann, 1913mit F.C. Achard, herausgegeben von Edmund O. von Lippmann
Chymische Versuche, einen wahren Zucker aus verschiedenen Pflanzen, die in unseren Ländern wachsen, zu ziehen . Anleitung zum Anbau der zur Zuckerfabrication anwendbaren Runkelr&uum;ben und zur vortheilhaften Gewinnung des Zuckers aus denselben
(Ostwald's Klassiker der exakten Wissenschaften ; Nr. 159)
eipzig : W. Engelmann, 1907クラメル Johann Andreas Cramer, 1710-1777: nii にまったくなし
(なお、「千のキミア・プロジェクト」はラテン語からの英訳を1点ダウンロードしています。)カスパー・ノイマン Caspar Neumann, 1683-1737: nii で見つかったのは、次のルイスによる英訳1点のみ。
The chemical works of Caspar Neumann : abridged and methodized : with large additions, containing the later discoveries and improvements made in chemistry and the arts depending thereon
by William Lewis
London , 1759
(これは、「千のキミア・プロジェクト」にあります。)ヴィークレプ Wiegleb, Johann Christian, 1732-1800 : nii で次の3点。
Historisch-kritische Untersuchung der Alchemie, oder der eingebildeten Goldmacherkunst : von ihrem Ursprunge sowohl als Fortgange, und was nun von ihr zu halten sey
Reprint of 1777 original edition, Leipzig, 1965.Die natürliche magie aus allerhand belustigenden und nützlichen Kunststücken bestehend : erstlich zusammengetragen
Berlin, 1801Weyer, Jost
Chemiegeschichtsschreibung von Wiegleb (1790) bis Partington (1970) : eine Untersuchung über ihre Methoden, Prinzipien und Ziele
Hildesheim, 1974
カルトホイザー Cartheuser, Johan Friedrich, 1704-1777 : nii ではなにも見つからず。
カルトホイザー Cartheuser, Friedrich August, 1734-1796, son of Johan Friedrich Cartheuser : nii ではなにも見つからず。
ゲルハルトGerhard, Carl Abraham, 1738-1821 : nii ではなにも見つからず。
グレン Gren, Friedrich Albrecht Carl, 1760-1798: nii に2点。ともに大阪府立中央図書館。大阪府立大には、誰かこの分野の文献を集めた人がいるようです。もしご存じに方がいらしたら、是非、お教え下さい。
Grundriss der Naturlehre : zum Gebrauch akademischer Vorlesungen
Halle, 1788Grundriss der chemie : nach den neuesten Entdeckungen entworfen und zum Gebrauch akademischer Vorlesungen
Halle : Im Verlage der Waisenhaus-Buchhandlung, 1796-ヘルムシュテート Hermbstädt, Sigismund Friedrich, 1760-1833: nii になし。
ヴェストルンプ Westrumb, Johann Friedrich, 1751-1819: nii になし。
アーカート Achard, Franz Carl, 1753-1821: nii になし。
ヴェーデルGeorg Wolfgang Wedel, 1645-1721, M.D.1669 Jena:nii になし。
ヴェーデルJohann Adolph Wedel, 1675-1747, M.D.1697 Jena:nii になし。
ハンバーガーGeorg Erhardt Hamberger, 1697-1755, M.D.1721 Jena:nii になし。
マンゴルトChristoph Andreas Mangold, 1719-1767, M.D.1751 Erfurt:nii になし。
バルディンガーErnst Gottfried Baldinger, 1738-1804, M.D.1760 Jena:
Ueber Universitaetswesen und Unwesen, litterarisch und statistisch betrachtet
Marburg : Gedrukt mit Kriegerschen Schriften, 1797Pallas, Peter Simon, 1741-1811 ; Baldinger, Ernst Gottfried, 1738-1804 ; Erxleben, Johann Christian Polykarp, 1744-1777
Peter Simon Pallas, der arzneywissenschaft doctors, ... : Naturgeschichte merkwürdiger thiere, in welcher vornehmlich neue und unbekannte thierarten durch kupferstiche, beschreibungen und erklärungen erl&aum;utert werden : Durch den verfasser verteutscht
Bd. 1, Berlin, 1769-1778
Bd. 2 (Eilfte sammlung): published Berlin, 1779. Each part has separate pagination. Pt.1-3: Aus dem lateinischen von E.G. Baldinger.さて、以下はもう19世紀に活躍した化学者となります。
カストナーKastner, Karl Friedrich Wilhelm Gottlob , 1783-1857 Ph.D 1805 Jena: 次の1点。
渡邊慶昭「カール・ヴィルヘルム・ゴットロープ・カストナー - リービッヒの師の評伝 -」『化学史研究』 26(1999): 79-95リービッヒ Justus von Liebig, 1802-1873 Ph.D 1822 Erlangen: 多数。(『化学史研究』第33巻第4号(2006)には、原典の邦訳6点、邦語2次文献23点。他に、邦訳原典1、邦語2次資料6点。)
あかんぼうとほぼ同時で、7時10分。ちいさいちびだけよく寝ています。くもり。昨夜はまるでチャットのようでした。メールを15点出しています。連絡が重なる時期があるようです。
雑誌を受け取るために、大学へ。
受け取りは1時。11時20分ごろ大学に着きました。研究室で書類の片づけをしたあと、特別食堂へ。今日は団体さんがいました。国際的シンポジウムの関係者のようです。本を一章読んでから、研究所へ。コピーをすべきものをコピーして、折っているうちに、業者の方が、『総合文化研究』第11号(2007年度)を持ってきてくれました。600部はかなりの量になります。2度に分けて、運んでくれました。
教務補佐の諸子がメールボックスに配布してくれたのを確認して、帰宅。吉祥寺で一度下車して、ちびどもの鉛筆を購入。各自4B二本、赤鉛筆一本、青鉛筆一本。
駅前で少し買い物をして家に辿り着くと、妻がダウンしていました。心身両面の疲れでしょう。あかんぼうもちいさいちびもパジャマのまま。駅前の鳥一で買ってきたもも焼きをふたりともよく食べました。
ひとりで4時10分。花粉症のせいです。鼻がつまりました。いよいよ、今日でちいさいちびの幼稚園最終日。2歳男児が邪魔をしないように、4時間ほど逃亡しなければなりません。さて、どこへ逃亡しましょうか。2歳男児の好きな車のあるところになると思います。
小学校に行ったおおきいちびを除き、9時15分頃家をでました。ちいさいちびは9時半集合(厳守)でした。25分に着きました。2歳男児は途中で逃亡しそうになって、いくらか遅れて着きました。
卒園式そのものは、10時から。下の子がいる人はみんな苦労していました。我が家の2歳男児もまずまず椅子には座っていましたが、式が始まって5分も経たないうちに耐えきれなくなって外に逃亡。私と二人で、電車に乗って、吉祥寺に行くこととしました。吉祥寺では、ユザワヤでしばらく遊ばせました。
買い物があるので、次は、三浦屋。ここで、当初の目的の他に、おむすびを2個買いました。2歳男児はおなかが減っていたようです。ご飯を食べると言います。伊勢丹の前の広場に座り、さっき買ったおむすびをたべさせました。ついでに、釜揚げシラスも。だいたいおむすび1個は食べたでしょうか。
それから、伊勢丹のなかのおもちゃ売場へ。2歳男児には新鮮だったようで、けっこうよく遊んでいます。こちらもそろそろ疲れてきました。ボールを買ってやって、バスに乗ろうと誘いました。なかなか思うようには動いてくれませんが、バスは好きなので、バス停まで何とか連れていくことができました。東急本店前のバス停で、すぐに西荻行きのバスが来ました。
今日は、東京女子大の卒業式のようです。東京女子大前からは、和服(袴)姿の学生が数名乗り込みました。バスのなかでいくらか眠くなったようですが、駅のひとつ手前のバス停で停車。もう歩こうとはしません。そこから抱っこして、我が家まで。たぶんもう15キロに近づいているはずです。手が痛くなりました。1時10分頃帰宅。
寝るかと思ったら、復活して元気に遊んでいます。2時10分頃、妻から携帯(こういう場合最近はちいさいちびの携帯を私が持つことになっています)に今終わったという連絡がありました。自転車の後部座席にちいさいちびを乗せて、迎えに行きました。
妻が担当したCDラジカセを含めて、相当量の荷物。ちょうど自転車の前の座席に乗せることができました。そのまま、前の座席に荷物、後ろに2歳男児という形で帰宅。
ちいさいちびは満足したようです。ただし、いくらか疲れ気味でした。よく遊んだので、2歳男児ははやく寝るかと思ったら、何と昼寝せず、8時まで起きていました。眠くなると、ごねたり、ひとの邪魔ばかりするようになります。それでも寝ずに8時過ぎまで起きていました。体力がついてきたしるしです。
4番目。7時20分。うすくもり。ちいさいちびの幼稚園のあと2日で終わり。今日は、明日の卒園式&謝恩会の準備に妻が駆り出されます。休むわけにはいかないということで、2歳男児の相手は私がすることになりました。なんと、ちいさいちびより先に外へでるというので付き合ってやりました。ひとりで公園へ向かいました。もうちゃんと道を覚えています。途中、ゴミ収集車を見学しました。車のなかでは、消防車がいちばんのお気に入りです。ついでパトカー。ゴミ収集車もけっこう気に入っています。
公園に着くと、ひとしきり自分の覚えたもので遊びます。滑り台、ブランコ、丸太渡り、砂場等等。1時間ほどで帰ってきました。妻の仕事は10時半からということで、気付かれないようにそっと外に出ていきました。最近は勘がよくなっていて、すぐに気が付きましたが、10分から15分ほどめそめそしたあと、自分で立ち直り、ディズニーチャンネルを見ながら、お気に入りのブアで遊んでいます。私はその間昨日買ってきたニューズウィークと新聞をじっくり読んでいました。
妻とちいさいちびが帰宅したが12時半。今日は大学院会議の日。12時半から別の会議がありましたが、上の事情で欠席。
2時半〜3時半:大学院コース委員会。
3時半〜5時半:大学院教授会。(3時半には始まりませんでした。たぶん、スタートは4時前だったと思います。)
6時〜7時:大学院企画運営会議。
ひとりで7時前。あかんぼうもおおきいちびもすぐに起きてきました。くもり。→午後晴れてきました。3時ぐらいから妻がダウン気味。
[18世紀化学史]
今回の18世紀化学史ですが、発表までに、確実に読んでおきたい本がありました。たしかタイトルは『化学革命』だったと記憶していますが、著者名(夫妻の共著だったはずです)を失念していました。コールだったかと検索をかけてみましたが見つかりません。ウルスラ・クラインさんの論文を読んでいて、コールではなく、クローさんだと判明しました。Archibald Clow, Nan L. Clow,
The Chemical Revolution,
Philadelphia,1992 (Ayer Co Pub,1952)
こちらに置いているのか、研究室か記憶がありません。今週中に探し出そうと思います。化学革命といっても、こちらは、ラヴォワジェの方ではなく、産業革命と関係する化学、化学産業の革命を扱っています。
普通は技術史の分野で扱われることがらです。→08.3.18 朝着替えているときにぼんやり本棚を見回していると、ありました。イギリスに滞在中に買った本です。正確な記憶はありませんでしたが、ぼんやりとした本のイメージが残っており、背表紙を見ることによりそのイメージが甦りました。
Table of Contents of Clow & Clow, The Chemical Revolution (Philadelphia,1992)
1. Minerals and Manufactures
2. The Economy of Common Salt
3. The Trade on Ashes and Kelp
4. The Palaeotechnic Transition
5. Soap
6. Vitriol in Industrial Revolution
7. Balloons
8. Cognates to the Textile Industry
9. The Scottish Bleaching Industry
10. The Philosophy of Colour
11. Calico-printing
12. Mordants and the Macintoshes
13. Scottish Paper-mills
14. The Art of Glass
15. Pottery
16. Iron and Iron-masters
17. Scotland's Treasure-house
18. The British Tar Company
19. Light and Labour
20. Instantaneous Lights
21. Farm Factories and the Economy of Vegetation
22. Saccharopolis
23. Fermentation Industries
24. Appertizing
25. Social Personnel
補としては次。
Glossary of Dead Chemical Language, pp.618-622
Chemical Chronology, pp.623-632.
この年表は、化学産業と化学物質に焦点をあてていて、有用です。
家族で4番目、7時過ぎ。最低気温10度はなるほど暖かい。[18世紀化学史:ドイツ]
18世紀のドイツ化学史ですが、12月に購入した次の本が非常によくできています。 ある種感動的です。Karl Hufbauer,
The Formation of the German Chemical Community (1720-1795)
University of California Press, 1982.まずは、補遺から紹介しましょう。
補遺1.伝記的詳細と称されたこの補遺には、1635年から1775年のあいだに生まれ、1700年から1800年のあいだに生きていた65人のドイツ人化学者の伝記事項がpp.153-224 にわたり、記されています。
順序は生年順です。
Kunckel, Johann 1638?-1703
Bohn, Johann 1640-1718
Wedel, Georg Wolfgang 1645-1721
Hoffmann, Johann Moritz 1653-1727
Stahl, Georg Ernst 1659-1734
Hoffmann, Friedrich 1660-1742
Dippel, Johann Conrad 1673-1734
からはじまり、
Pfaff, Christoph Heinrich 1773-1852
Gehlen, Adolph Ferdinand 1775-1815
までです。
→p.51 には、"Table 8: Lifspans of Selected German Chemists" があります。上のクンケルからゲーレンまでがひとつの年表に収められています。これがまさに私の欲しかったものです。補遺2.制度史と称され、1700年から1800年のあいだに化学の教授あるいは学者を雇用したすべての大学・アカデミー・学術機関(全部で55機関)をリストアップしています。すべての機関に関して、創立・重要な発展、最初の化学の講義、化学のポスト、文献が挙げられています。pp.225-265.
補遺3.クレルの会員(1784-1791) 。Chemische Annalenの購読者リスト。pp.271-299.
ちいさいちびといっしょに7時45分。身体の奥に疲れが蓄積しています。下に降りるやいなやおおきいちびは小学校にでかけました。どんよりとしたくもり。雨が降ると思われます。そういえば、今日はホワイトデー。1カ月前なんと2歳男児も幼稚園ですこしチョコをもらったようです。何人かにお返しをしないといけないと妻がお菓子を用意していました。ちいさいちびもたぶん何人かからお返しをもらってくると思われます。
おおきいちびはそういうのが苦手なタイプで、女の子の友達と「友チョコ」を交換していました。起こってしまえば、そういうのもあり、ですが、予想はできなかった慣習です。[18世紀化学史]
コンピュータで作業をするようになる前は、カードシステムを採用していました。論文や著作を読んで、何らかの重要性があると思うと、カードをとっていました。カードバインダーを本棚から引き出して、関連する項目を抜き出します。
参考になることもあるかと思い、そのまま抽出します。(昔=1990.11.19 記したまま転記しています。)・Hannaway,Owen and A.Kent,
"Some New Consideration on Beguin and Libavius,"
Ann.Sci.,16(1960): 241-250.
copy 19/11/90 read19/11/90ベガンのTyrocinium chymicumの初版(1610)は、3点しか知られていない。これはもともとはパリの医薬方の学校生徒のために個人的に編まれたものだが、海賊版が出版されて、ベガンはずいぶん手を入れた2版(1612)を出した。
ベガンの初版とリバヴィウスの『アルケミア』の初版(1597)は、著しい類似を示している。ともに、穏健なパラケルスス派で、医化学派のたいそうな主張は退けたが、医学の化学的体系とガレノス体系の総合を目指していた。・・・技法とプロセスを描いた章では、リバヴィウスの長いパッセージが一字一句そのままベガンの方にも見いだされる。『アルケミア』はずいぶん長い本なので(400頁超)、ベガンはリバヴィウスのものを編集して自分の初版を作ったように思われる。
(両者がともに共通のソースによった可能性ももちろん見過ごされてはならない。)
→私にとって重要なのは、17世紀に非常によく使われた化学教科書であるベガンのTyrocinium chymicum(1610)も海賊版からスタートしているという点です。17世紀初頭から、ある種の化学教科書に需要があったという印です。出版史においてもこの点は重要な事実となるでしょう。
次のカードは古い。1937年の論文です。読んでカードをとったのも1983年。
・Patterson,T.S.,
"Jean Beguin and His Tyrocinium Chymicum,"
Ann.Sci.,2(1937): 243-298.
read 28/6/83書誌事項の辞書的に有用。Beguin,ed. Novum Lumen ( Paris,1608) ; Tyrocinium Chemicum (Paris,1610)学生のために個人的に印刷される。→漏れる→海賊版出版(Colon,1611)→著者名を出したもの(Paris,1612) ; Les Elements de Chymie ( Paris ,1615). Hartmann (Glueckradtの偽名で)編(Regiomont, 1618) ; P.Mueller, Miracula ( Wittenberg,1614=2nd ed=)にLumen とTyrocinium が付加されている。;弟子のBarth 版、Secreta Spagyrica (フランス語版から増補翻訳)(Francfurt-an-der Ode?, 1618 ) et passim.
pp.250-1 にリスト。
p260. 鉛精(アセトン)に関してボイル言及(大沼訳、100頁)
p.262 イオウのチンクチャーに関してボイル言及(Hist.Colours,p.79)
* Pamela H. Smith,
"Alchemy as a Language of Mediation at the Habsburg Court,"
ISIS,85(1994): 1-25
# copy 23/5/94 $read 24/5/94産業と商業、商品経済、貨幣経済の推進者としての錬金術師ヨハン・ヨアキム・ベッヒャーのハプスブルグの宮廷での活動について。
* Pamela H. Smith,
"Consumption and Credit: the Place of Alchemy in Johann Joachim Becher's Political Economy,"
in Z.R.W.M. von Martels (ed.), Alchemy Revisted (Leiden: Brill, 1990), pp.215-221ベッヒャーはたしかにパラケルスス派の伝統によっているが、しかし彼の企画はもはや直接的には世界の宗教的救済ではなく、むしろ権力の象徴の維持と30年戦争後に必要となる権力の現実的な物質的資源を皇帝に理解してもらうよう、これらの象徴を操作することだった。つまり、ベッヒャーの錬金術の企画(project)をハプスブルク家の宮廷というコンテキストで理解しようとするのが私の目的である。
こうしてベッヒャーの企画は、近代初期ヨーロッパの貨幣経済のなかにすっぽりとおさまっている。古い錬金術の宗教的救済のイメージは、皇帝に、その目的、物質的生産物、とりわけ貨幣の世界を理解してもらうために使われている。* Teich, Mikulás,
"Interdisciplinarity in J.J. Becher's Thought,"
History of European Ideas, 9(1988): 145-60ベッヒャーの思想の全体に浸透しているのは、循環性 (cylce-mindedness)のアイデアである。自然界における循環と経済世界における物(商品)と貨幣の循環。これが事物の自然的&経済的秩序の根底を流れる原理である。
「貨幣は国家の神経にして魂である」という重商主義も以上の背景から読みとられるべきである。
ベッヒャーのもともとの意図:国家が運営する Manufacturen の導入のための学校/セミナーを開設することだった。→ The House of Arts and Work in Vienna として、1676年に、出来た(プランは実現した)が、意味ある生産活動は行えなかった。
ベッヒャーにとってフロギストン (terran pinguis)は後のシュタールのような中心的位置を占めず。物質界の**でもある土の一種に止まる。* Teich, Mikulás,
"J.J. Becher and Alchemy,"
in Z.R.W.M. von Martels (ed.), Alchemy Revisted (Leiden: Brill, 1990), pp.222-228.ベッヒャーの怪語源学 al=アラビア語の金; chymos=ギリシャ語の液
アルケミストの仕事→火薬製造、ガラス製造、インク製造、石鹸製造、染色、等々。アルケミーは、哲学的 ie. 科学的な冶金術に対する鍵。
金属の変成は彼の前提。しかし、長寿のために、生命のエリクシル等には懐疑。
「アルケミーに反対する者は必ずや冶金学と貨幣鋳造が国王の収入の大半を占めることを十分に理解していなかったと知らねばならないであろう。」
彼の経済=政治論 人民に2グループ (1)農民、工人、商人、(2)王、聖職者、学者、医師、薬剤師、外科医、・・・、兵士。経済活動のなかでだれが中心たるべきか? ―彼は、きっぱりと「商人」と答える。ここでベッヒャーの言う商人は、小売人というよりも、Verlaeger (商人-製造業者)。ここで、円、循環にイメージに訴えかけている。 17世紀では循環〜蒸留。
ひとりで5時45分。本格花粉症。しばらくしんどい日々が続きます。
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3月11日に報告した旧関東村アメリカ軍兵士家族宿舎の最後のコンクリートです。お正月にはあった宿舎が写真のようにコンクリートの土台を残すだけになりました。次どうなるのか、今のところ情報はありません。
(これは、本日大学からの帰り際に撮った写真です。お正月には数軒見えていた放置されてきた宿舎ですが、今日の時点でまったく見えなくなっています。全部取り壊したということです。お正月に写真を撮っておいてよかったな。2008年度の新入生は自分の目で日本にいたアメリカ軍の跡を見ることができません。)
大学に行くと次の本が献本されていました。化学同人の編集者のIさん、ご高配ありがとうございます。
有機合成化学協会編
『化学者たちの感動の瞬間』
化学同人、2006.12
[18世紀化学史:歴史記述: hisitoriography ii]
ウェブで検索をかけていると、次のものに出会いました。John G. McEvoy, "Disciplinary Identity and the Chemical Revolution",
たぶん、どこかの講演原稿です。ワードファイルで8頁の短いものです。私にはこの短さが助かります。18世紀化学史の歴史記述の問題に関して、この8頁で、一応の見通しを得ることができます。
そう、そして、現実に18世紀化学史に関しては、歴史記述を扱った論文が数多く存在します。気が付いた範囲でリストアップしてみます。Christie,J.R.R and J.V.Golonski,
"The Spreading of the Word: New Directions in the Historiography of Chemistry 1600-1800," History of Science,20(1982): 235-266.J.R.R. Christie,
"Historiography of Chemistry in the Eighteenth Century: Hermann Boerhaave and William Cullen, "Ambix, 41(1994): 4-19Marco Beretta,
"The histography of chemistry in the eighteenth century: a preliminary survey and bibliography",Ambix, 39(1992): 1-10.G.S. Rousseau and Roy Porter, eds.,
The ferment of knowledge. Studies in the historiography of eighteenth-century science
Cambridge: Cambridge University Press, 1980
(この書物は、大学に置いています。研究室で探しはじめて1分で見つけました。化学の項は、クロスランドが書いています。)以下は、そのマケヴォイが挙げる文献(未入手)です。遠くないうちに入手します。
John G. McEvoy,
"Positivism, Whiggism, and the Chemical Revolution: A Study in the Historiography of Science," History of Science 31(1997) : 1-33.John G. McEvoy,
"Modernism, Postmodernism, and the Historiography of Science," Historical Studies in the Physical and Biological Sciences 37(2007) : 383-408John G. McEvoy,
"Postpositivist Interpretations of the Chemical Revolution," Canadian Journal of History36 (2001): 453-469.F. L. Holmes,
"The 'Revolution in Physics and Chemistry': Overthrow of a Reigning Paradigm or Competition between Contemporary Research Programs," Isis 91(2000) : 735-753.
→ISIS はとっています。部屋の中を探すと5分ででてきました。どの程度関係するのかわかりませんが、技術史の歴史記述に関し次のものもあります。
Layton, Edwin
"The Historiography of Technology." Technology and Culture15 (1974): 1-48.
大学への行き帰りのあいだで次の論文を読みました。これは、ショーに関する最も基本的な論文です。ゴリンスキーが(私からすればあまり意味のない)抽象的用語(現代思想においてはやりの用語に由来したりしますが)に依拠しがちなのと比べて、きわめてかちっとしています。F. W. Gibbs, "Peter Shaw and the Revival of Chemistry,"Annals of Science 7 (1951): 211-37
自分に対する備忘録として何点か抽出しておきます。(ギブズの論文の重要な点ではありません。私の観点から必要な事実事項です。)
pp.215-6. 1.チェンバーズとの協力。
ブールハーヴェの化学教科書の英語版の出版に当たっては、あのチェンバーズと協力している。1726 ロンドンでチェンバーズと出版準備作業を行っている。(1726年パリでいわば海賊版のブールハーヴェ化学教科書が先行出版されていた。) ショーとチェンバーズは、パリ版の欠点を理解していたので、ブールハーヴェの化学講義に出席していた別のライデンの学生のノートを入手し、パリ版と照合した。「そうした異なる版を照合した上で、正しい英語版を準備した。」
チェンバーズの事典の内容と(化学の項目)とショーの化学的著作をきちんと比較してみる価値がある。p.217.ff. 2.ルイスとの協力。
18世紀後半の化学教科書で有名なウィリアム・ルイスとも協力している。『エジンバラ薬局方』の翻訳(ラテン語から英語へ)にあたっては、ショーが忙しすぎる場合は、翻訳はルイスがあたった。
なお、ルイスのものは2点手元にあります。Lewis, William (1708-1781),
A course of practical chemistry : in which are contained all the operations described in Wilson's Complete course of chemistry : with many new, and several uncommon processes : to each article is given, the chemical history, and to most, an account of the quantities of oils, salts, spirits, yielded in distillation, &c. : from Lemery, Hoffman, the French Memoirs, Philosophical transactions, &c. and from the author's own experience : with copper plates
London, 1746
基本は、ウィルソンの『全化学教程』によること、新しい事実は、レムリ、ホッフマン、フランスの科学アカデミーのメモワール、ロンドン王立協会の『哲学紀要』によることがタイトルに明示されています。Lewis, William (1708-1781),
The chemical works of Caspar Neumann, professor of chemistry at Berlin, F.R.S. &c. Abridged and methodized : With large additions, containing the later discoveries and improvements made in chemistry and the arts depending thereon
2nd edition, 2 vols., London, 1773
ベルリン大学化学教授のカスパー・ノイマンの翻訳(簡略化し整序化の手を加えている)です。3.産業技術としての化学に明確な焦点を当てている。
「1つには哲学的化学、もうひとつには技術的あるいは商業的化学、そして3つめには経済的化学」という表現をとっている。
今月は、12日で、100枚を突破。単純な資料の提示が枚数をかせいでいます。あかんぼうとほぼ同時に6時40分。昨夜は葛根湯を飲んで寝ましたが、頭痛は治っていません。今日は一日業務です。妻の使っている頭痛薬を起きてすぐに服用しました。原因ははっきりしませんが、どうも肩凝り(首筋の凝りがひどい)のような気がします。
と思っているうちに、ジンマシン。首筋と頭と腰が痒い。おおきいちびといっしょにでかけると、ちょうど武蔵境8時半の電車に間に合います。7時半ごろから痒みが生じ、出かける頃に最高潮に達しました。薬のおかげで、頭痛は引きましたが、とくに頭髪の部分がなんとも表現のしようのない痒み。でも、体感的には1時間以内で収まるもののように感じました。痒いまま、電車に乗って、大学へ。
人身事故ということで中央線はけっこう遅れていました。私は、8時半の電車に間に合ったのですが、かなり混乱しているようです。多摩地区の大学で相談して、試験開始を30分遅らせることとした、という通知がありました。ということで、試験監督業務は、10時から12時となりました。
業務終了後、大学から一番近いコンビニでおむすびとカップラーメン。学生時代にけっこう気に入っていたラーメンライスに近い昼食をとりました。その後は、1時から講座会議。すこしはやめに行って、椅子並べ。委員の改選が主たる議題でした。
委員ですが、開催時刻が重なり、片方にでられない事態が今年は少なくありませんでした。自分できちんと把握しておく必要があります。
総合科目推進室(長)
ハラスメント相談室(長)
大学院企画運営室員
(大学院再編部会)
学術公開推進室員
ISPTUFS推進室
CG化(キャンパス・グローバル)推進室
教育情報化支援室
この7つでたぶん間違いないでしょう。一休みして、2時半から学部教授会。わりとはやく終わって、4時過ぎ。そのまま、電車に飛び乗って帰ってきました。5時50分には帰宅できました。あかんぼうは昼寝中。ちびどもはテレビを見ていました。最近お気に入りのディズニーチャンネルです。
私は、教授会がはじまるあたりから、鼻水。花粉症の症状がそろってしまいました。
帰ってきて妻と話し、春先によくでるジンマシン(アレルギー)は、もしかしたら、花粉症に関係あるかもと思うようになりました。他の季節にもでますが、ひどいのは、春先です。
ほぼかぞくそろって7時前。昨日は予報ほど気温が上がらなかったということですが、今日は暖かくなりそうです。肩凝りのせいなのか、花粉症が悪化したせいかよくわからないのですが、朝起きたときからけっこうつらい頭痛に襲われました。
しかし、妻には幼稚園の用事があり、朝から12時ぐらいまで2歳男児の相手をしないといけません。
なんとなく朝から気付いていて、妻とちいさいちびがでかけるとすぐに気付き、自分も外に行くといいます。あきらめてつきあってやりました。まず、駐車場に行きます。車に乗ることでできないとわかると、またママママ言っていますが、何とか電車の見える場所まで誘導しました。電車がききました。電車に乗る気になってくれたので、そのまま電車に乗って吉祥寺へ。9時40分。まだ遊べるお店は開いていません。ちびが井の頭線の方に登っていくので、そこにあるスターバックスに入りました。キッズミルクというのがあります。私はカフェモカとサンドイッチ。ちょうどユザワヤが開店するまでソファに座っていました。
ユザワヤの開店と同時に、ユザワヤの8階のおもちゃ売場へ。しばらく遊んでいました。新幹線のDVDを買ってやると家に帰ってもよいと言います。
帰りの道は歩きませんでしたが、なんとかおんぶとだっこで帰り着きました。11時過ぎ。ミルクを飲ませ、DVDを見せているうちにママが帰宅。やれやれ。頭痛はひかなかったのですが、会議が3時からあります。幼稚園に迎えにいくのにあわせてでて、大学へ。武蔵境2時半の電車に乗りました。天気もよいし、3時までいくらか時間があったので、大学の外回りを半周しました。
お正月に写真を撮った米軍の宿舎を取り壊しています。個人的には、アメリカの日本占領のあとは記念物としてそのままいくつかは残しておいた方がよいと思いますが、国の方針かあるいは都の方針で全部取り壊すことにしたようです。会議の前にメールボックスを見ると、学会の用件が6点入っていました。1点は、1号に関するコメントの郵便。1点は、一般講演の要旨。そして残り4点は、献本です。献本していただいた出版社のみなさま、ありがとうございます。ちゃんと書評者のもとに転送します。
1.アントニオ・ネリ
『ラルテ・ヴェトラリア―17世紀初頭のガラス製造術』
春風社、2007年2.E・グラント(小林剛訳)
『中世における科学の基礎付け』
知泉書館 20073.土井康弘
『本草学者 平賀源内』
講談社選書メチエ,20084.Maurice Crosland,
Scientific Institutions and Practice in France and Britain, c.1700 - c. 1870
(Aldershot : Ashgate Publishing Group, 2007). ISBN978-0-7546-5913-6
ひとりで5時半。花粉症がすこしずつ進行してきたせいです。昨日一昨日あたりから、寝ていると鼻がつまるようになってきました。今朝は喉が痛くて目が覚めました。
耳をすますと、雨の音。天気予報のとおり、暖かい春の雨。(5時半で居間の室温は15度でした。そろそろ暖房が不要になります。)[18世紀化学史:2次資料収集]
ちょうどよい時期です。ちいさいちびといっしょにでて、駒場の図書館に行って来ました。(外語の図書館は、なんと春休み中!)
ギブズとゴリンスキーのショーに関する論文、ならびに、次の論文のコピーをとりました。(地下の書庫にて)Ursula Klein,"Experimental History and Herman Boerhaave's Chemistry of Plants." Studies in the History and Philosophy of Biological and Biomedical Sciences 34(2003): 533-67.
ついで、D.S.B. より、ベッヒャー、ブールハーヴェ、ホンベルグ、ホッフマン、シュタール、ショーの記事をコピーしました。
最後に、ベッヒャーに関する論集とホームズの18世紀化学史を借り出しました。ひとまずは、これぐらいでOKでしょう。
駅前のマルカでざるそばを食べてから帰宅。家をでるときには割と強く降っていた雨は、図書館にいるあいだに上がっていました。しばらく晴れ間がのぞいたあと、また暗くなりましたが、天気が崩れることはしばらくないでしょう。
ドイツ語圏の化学教授。
Georg Ernst Shahl, 1659-1734
Friedlich Hoffman, 1660-1742
John Eller, 1689-1760
Johann Heinrich Pott, 1692-1777
Johann Friedlich Gmelin, 1748-1904
Christian Ehrenfried Weigel, 1748-1831
ちなみに、関連人物の生没年も挙げておきます。
Wilhelm Homberg, 1652-1715
Hermann Boerhaave, 1668-1738
Johann Joachim Becher, 1635-1682
Peter Shaw, 1694-1764
見やすさを考えて年齢順(即ち生年順)に並べ替えてみます。
Johann Joachim Becher, 1635-1682
Wilhelm Homberg, 1652-1715
Georg Ernst Shahl, 1659-1734
Friedlich Hoffman, 1660-1742
Hermann Boerhaave, 1668-1738
John Eller, 1689-1760
Johann Heinrich Pott, 1692-1777
Peter Shaw, 1694-1764
Johann Friedlich Gmelin, 1748-1904
Christian Ehrenfried Weigel, 1748-1831→今回の研究は、1750年で一応切るつもりです。18世紀前半に集中し、ラヴォワジェには直接触れないつもりです。しかし、ここでは、参照のために、ラヴォワジェ周辺の人物の生没年を同じように挙げておきます。(アクセント記号はつけていません。)
Antoine Laurent Lavoisier, 1743-1794
Guillaume Francois Rouelle, 1703-1770
Jean-Antoine Nollet, 1700-1770
J.E.Guetard, 1715-1786
Bernard de Jussieu, 1699-1777
Joseph Black, 1728-1799
David MacBride,1726-1778
Joseph Priestley, 1733-1804
Carl Wilhelm Scheele, 1742-1786
Rene Antoine Ferchault de Reaumur, 1683-1757
Pierre Simon de Laplace, 1749-1827
Mathurin Jacques Brisson, 1723-1806
Alexandre Theophile Vandermonde, 1745-1796
Gaspard Monge, 1746-1818
Charles-Augustin Coulomb, 1736-1806
Henry Cavendish, 1731-1810
L.B.Guyton de Morveau, 1737-1816
Claude Louis Berthollet, 1748-1822
A.F.Fourcroy, 1755-1809
Jean H. Hassenfratz, 1755-1827
P.A.Adet, 1763-1832
Etienne Bonnot Condillac, 1714-1780
Torbern Olof Bergman, 1735-1784
Pierre Joseph Macquer, 1718-1784
Richard Kirwan, 1733-1812
Armand Seguin, 1765-1835
ラヴォワジェに関しては、化学史研究で、<特集ラヴワジェ研究入門>というシリーズを組んでいました。1988年にスタートし、1992年に11回の連載(?)をもって終了しています。
『化学史研究』<特集ラヴワジェ研究入門>リスト
そのなかに文献案内が2つあります。大野誠「文献案内(1963〜1985)」第43号(1988年): 67-73.
川崎勝「文献案内Part2(1985-1990)―ラヴワジェ『化学原論』200周年祭を終えて―」第18巻(1991): 137-143.
文献案内Part2(1985-1990)のカバーする範囲から数えて、もう18年経ちますから、こうした種類のものが準備されてもよいか思われます。今回私にその余裕はたぶんありませんが、18世紀前半に関しては、そのもとになるものを作成しておこうと思っています。これぞ重要という文献があれば、ご教示いただければ幸いです。
17世紀の化学教授。
William Davidson, the first Professor of Chemistry at the Jardin des Plantes in 1648.
Nicolas Lefevre,
Christophe Glaser
Moyse Charas
de Renaul, Professor of Chemistry at the University of Louvain in 1685.
Dr. Robert Plot (1640-1696), the first Professor of Chemistry at Oxford in 1683.
John Francis Vigani (c. 1650-1713), "Honorary Professor of Chemistry" in 1703.
Johann Hartmann as Professor of Chymiatria at Marburg in 1609.
Werner Rolfinck (1599-1673), the first Professor of Chemistry at Jena in 1641.
4番目で7時10分。今日はもう春の気温になるということです。朝食を食べた後、昨日はじめた片づけを続行。なんとアマゾンから届いて、開封していない封筒がありました。開封するとでてきたのは、萩尾望都『山へ行く:シリーズここではない*どこか1』小学館、2007。納品書の日付は、2007年8月30日になっています。発注したことだけかろうじて記憶のすみにあります。
[18世紀化学史:歴史記述]
18世紀の化学史をすこしでも調べてみれば、18世紀前半の化学史がきわめて貧弱であることはただちにわかります。「ラヴォワジェ革命」という歴史記述がウィギッシュな史観として支配的であったために、ラヴォワジェの敵役の地位しか割り当てられてこなかったと言えます。
それでも、(ベッヒャー)シュタール、ブールハーヴェに関してはいくらか研究の蓄積がありますが、たぶん誰もが重要だと思っていて、本当に研究のなされていない人物にピーター・ショーがいます。
2次資料としては、直接ショーを扱うのは(私が現時点での調査では)次の2点ぐらいです。(パーティントンとかは抜いています。)F. W. Gibbs, "Peter Shaw and the Revival of Chemistry,"Annals of Science 7 (1951): 211-37
Jan V. Golinski, "Peter Shaw: Chemistry and Communication in Augustan England," Ambix 30 (1983): 19-29
ショーの仕事は、翻訳家、編集者、著作家の3方面にわたっています。マリー・ボアズ・ホールは、DSB の記事で、ショーは、翻訳、著述、編集で生計を立てていたと記しています。晩年はロンドン医師会から認められて医師として開業し、王立協会会員にも選ばれ、国王侍医も務めていますが、若い頃は筆で食っていたわけです。この辺も重要な事情です。
翻訳あるいは編集の大きな仕事としては、ベイコンとボイルの全集(正確には全集ではありませんが、日本語では Worksを全集と呼ぶ習慣があるので、わかりやすさを優先してとりあえず全集と呼んでおきます)があります。
The Philosophical Works of Francis Bacon, Baron of Verulam, Viscount St. Albams, and Lord High Chancellor of England; Methodized and made English, from the originals. With occasional notes, to explain what is obscure; by Peter Shaw, M.D.BR> 3 vols., London, 1733.
The philosophical works of the Honourable Robert Boyle esq. abridged, methodized, and disposed under the general heads of physics, statics, pneumatics, natural history, chymistry, and medicine by Peter Shaw
3 vols., London, 1725キーワードの"Methodized" が示すように、ショーの手によって、方法的に=体系的整序を加えて編集されています。ボイルの場合には、省略され、整序され、物理学、静力学、空気力学、自然誌、化学、医学という一般項目に分類されています。
化学書としては、ゲオルグ・エルンスト・シュタールとブールハーヴェの化学教科書を英訳して出版しています。
この2点の化学教科書は、18世紀によく使われたものです。以上の4点だけでもショーのもつ重要性は疑いようがありません。化学の分野の翻訳・編纂物には、当時のドイツの有名な医学・化学教授ホッフマンの鉱水論考を編集し、注釈をつけた次の翻訳・編著もあります。
Friedrich Hoffmann,
New experiments and observations upon mineral waters: directing their farther use for the preservation of health, and the cure of diseases. By Dr. Friderick Hoffman, ... Extracted from his several essays upon this subject, and illustrated with notes, by Peter Shaw, M.D.
London, 1731他に、ヴァレニウス(またはファーレン)の有名な『一般地理学』をニュートンが増補したものも訳しています。
Varenius, Bernhardus,
A compleat system of general geography: explaining the nature and properties of the earth; ... Originally written in Latin by Bernhard Varenius, M.D. Since improved and illustrated by Sir Isaac Newton and Dr Jurin; and now translated into English; ... By Mr Dugdale. The whole revised and corrected by Peter Shaw, M.D.,
2 vols., London, 1734
位置づけが未調査ですが、次の翻訳もあります。
『エジンバラ医師会薬局方』
The dispensatory of the Royal College of Physicians in Edinburgh. Translated from the Latin, and illustrated with notes, by Peter Shaw, M.D.
London, 1727有名なフランシス・ホークスビーの甥っ子(やはりフランシス・ホークスビーと言う名前, 1688-1763) と組んで次の2冊の本を出版しています。
Peter Shaw and Francis Hauksbee,
An essay for introducing a portable laboratory : by means whereof all the chemical operations are commodiously perform'd, for the purposes of philosophy, medicine, metallurgy, and a family
London, 1731Peter Shaw and Francis Hauksbee,
Proposals for a course of chemical experiments: with a few to practical philosophy, arts, trades, and busines
London, 1731また、クインシーの次の書物を草稿から編纂して出版しています。
John Quincy, Praelectiones pharmaceuticae; or a course of lectures in pharmacy, chymical and Galenical; explaining the whole doctrine of that art. By the late learned Dr. John Quincy. Published from his original manuscript, with a preface, by P. Shaw, M.D.
London, 1723.著作としては、次。
Chemical lectures, publickly read at London, in the years 1731, and 1732; and at Scarborough, in 1733; for the improvement of arts, trades...
London, [1734?].An enquiry into the contents, virtues, and uses, of the Scarborough spaw-waters: with the method of examining any other mineral-water
London, 1734.Essays for the improvement of arts, manufactures, and commerce, by means of chemistry
London, 1761The juice of the grape: or, wine preferable to water
London, 1724A new practice of physic
2 vols., London, 1726
The seventh edition, London, 1753
A philosophical and chymical analysis of antimony
London, 1747The reflector: representing human affairs, as they are; and may be improved
London, 1750The tablet, or picture of real life
London, 1762A treatise of incurable diseases
London, 1723題名からだけでは内容の想像しがたいものもあります。個人的には『化学による技術・産業・商業の振興に関するエッセイ』が重要ではないかという予想しています。ほんとうのところはもちろん、読んでみないとわかりません。
手元に原典は欲しいので、まずは、次の3点をダウンロードしてストックしておきました。
Shaw, Peter
A philosophical and chymical analysis of antimony
London, 1747
EECOShaw, Peter
An enquiry into the contents, virtues, and uses, of the Scarborough spaw-waters: with the method of examining any other mineral-water
London, 1734.
EECOShaw, Peter
Essays for the improvement of arts, manufactures, and commerce, by means of chemistry
London, 1761
EECO
ちびどもに続いて7時15分。今月はここまでで78枚。
昨日、地方の奨学会から返還のための振込用紙が届きました。
すっかり忘れていました。総額で153万6千円借りました。残る返済金額は、16万8千円。1年に7万2千円(月々6千円)返却しています。今年の分を返すと、1年と4カ月分だけが残ります。完済まで先が見えました。新学期に向けて、部屋の片づけをはじめました。相当ひどい状態になっています。掃除機と椅子(棚の上にものを乗せるためです)を持ち込んで作業を開始しました。
手間がかかるのは、処理していない文書が見つかるからです。コピーをとって、印を付けて、あるいは書き込みをして、そのままのものが多くあります。(どの程度あるのかは思い出したくありません。)
ずっと行っていた作業に関わるものが1点、未整理で見つかりました。コピーのp.169 の部分に、"Boyle cites V3.246" と赤字で記しています。著作のタイトルは、上部に Descriptio Regni Japoniae とあります。
これが、Varenius, Descriptio Regni Japoniae であることはすぐに思い出しましたが、確か2つの異なる版をダウンロードしてストックしたはずです。そのふたつは、iBook に蓄積していました。これはすぐに、Varenius, Descriptio Regni Japoniae, Amsterdam, 1649 であることがわかりました。
さて、ボイルの方ですが、全集の第3巻246頁を見てもそれらしき箇所はまったくありません。別のファイルを探して、これが、426頁の転記ミスであることがわかりました。(こういうフロイディアン・ミステイクを私はよくおかします。)
さて、426頁の関連する編集者注を読むと、ヴァレニウス(またはファーレン)の言及する「アルメイダが誰か我々は同定できない」とあります。
赤字を入れたときには、私にもわからなかったと思いますが、今は直ちにわかります。 吉本秀之(責任編集)「日本における化学史文献:日本篇」『化学史研究』第34巻(2007): 205-330を作成したせいです。Luis De Almeida (1525?-1583)については、pp.61-2 で7点の文献をリストアップしています。
アルメイダは、1525年頃リスボンで「新キリスト教徒」(ユダヤ人またはムスリムからの改宗したクリスチャン)の家庭に生まれ、商人として1552年来日した。商人としては、日本とマカオを往復して大いに儲けた。イエズス会宣教師トーレス神父に出会い、まず、豊後府内に乳児院を建て、ついで、1557年日本ではじめての病院を建てた。この病院が日本ではじめて西洋医学が導入された場所だ、ということです。1580年マカオで司祭として叙階されたあと、日本で宣教活動と医療活動を熱心に取り組むが、1583年10年天草で没した。
彼は外科医でもあり、彼自身の建てた病院では、外科の治療にあたり、多くの日本人を助けたとあります。
もちろん、このことは、ボイル全集編集者のマイケルに伝えます。
ひとりで6時20分。あかんぼうもおおきいちびもちいさいちびも続いてすぐに起きてきました。地面が濡れています。気付かなかったのですが、朝方にすこし雨が降ったようです。18世紀化学史の作業をしていて、次の本が手元にないことに気付き、昨日アマゾン.jp に発注したところ、今日着きました。
Lawrence M. Principe,ed.
Chymists and Chymistry: Studies in the History of Alchemy and Early Modern Chemistry
Sagamore Beach: Watson Publishing, 2007
2006年にフィラデルフィアのケミカル・ヘリテッジ財団で開かれた大きなコンフェランスの論集です。22章(22人)からなります。
→18世紀化学史に関係するのは、次の5点です。Bernard Joly, "Quarrels between Etienne-Francois Geoffroy and Louis Leémery at Académie Royal des Sciences in the Early Eighteenth Century: Mechanism and Alchemy", pp.203-214
Ku-Ming (Kevin) Chang, "From Vitalistic Cosmos to Materialistic World: The Lineage of Johann Joachim Becher and Georg Ernst Stahl and the Shift of Early Modern Chymical Cosmology", pp.215-226
John C. Powers, "Scrutinizing the Alchemists: Herman Boerhaave and the Testing of Chymistry", pp.227-238
Hjalmar Fors, "Occult Traditions and Enlightened Science: The Swedish Board of Mines as an Intellectual Environment 1680-1760", pp.239-252
Claus Priesner, "Alchemy and Enlightenment in Germany: Ideas, Biographies, Secret Societies and a Changing Cultural Context", pp.253-264
[千のキミアプロジェクト復活]
18世紀化学史のために、しばらく休んでいた「千のキミアプロジェクト」を復活させます。どの程度持続するかは不明です。Tachenius, Otto, d. ca. 1670.
Otto Tachenius his clavis to the ancient hippocratical physick or medicine made by manual experience in the very fountains of nature, whereby through fire and water, in a method unheard of before, the occult mysteries of nature and art are unlocked and clearly explained by a compendious way of operation.
London, 1677
EEBOTachenius, Otto, d. ca. 1670.
Otto Tachenius his Hippocrates chymicus, which discovers the ancient foundations of the late viperine salt and his clavis thereunto
London, 1677
EEBOAgrippa von Nettesheim, Heinrich Cornelius
Female pre-eminence, or, The dignity and excellency of that sex above the male an ingenious discourse
London, 1670
EEBOダウンロードとは別に、EEBOとECCO にどの程度あるのか、確認しました。
シュタール。EEBOになし、ECCOで1点(Philosophical principles of universal chemistryのみ。
ベッヒャー。EEBOに4点(晩年渡英していたせいでしょうか)、ECCOになし。
ブールハーヴェ。EEBOになし、ECCOで多数(54点)。
ブールハーヴェの教科書(医学と化学)がいかに英国で人気があったかよくわかります。スウィーテンの注釈付の版(英訳)も4点あります。ラテン語版も英訳版もありますから、ブールハーヴェの医学と化学は英語でも十分勉強できたということになります。
かぞくでは4番目。7時前。朝の明るさは春らしくなってきました。[18世紀化学史:Timetable: 年表]
1700
Berlin Societas der Wissenschäften1704ニュートン『光学』初版 Newton Opticks1707G.E. Stahl, Theoria medica vera1708H. Boerhaave, Institutiones medicae1709H. Boerhaave, Aphorism de cognoscendis et curandis1710ニュートン「酸の本性」1714ファーレンハイト水銀温度計 Gabriel Fahrenheit invented a mercury thermometer.1718ジョフロア「親和力の表」提出 Etienne Geoffroy presented Table des différents rapports en chimie to the French Academy.1723G. E. Stahl, Zufüllige Gedancken und nützliche Bedencken über den Streit, von dem so genannten Sulphure, Halle, 1718
G. E. Stahl, Fundamenta chymiae dogmaticae et experimentalis1727Stephen Hales, Vegetable Staticks1730Johann Juncker, Conspectus Chemiae theoretico-practicae1732Georg Brandt discovered Cobalt.
H. Boerhaave, Elementae Chemiae1736Henri Louis Duhamel du Monceau, Sur la base du sel marin1751Pierre-Joseph Macquer, Eléments de chymie théorique& Eléments de chymie pratiqueここまでが18世紀の前半。シュタール、ブールハーヴェが化学教科書の中心だったことがわかります。やっと1851年にマッケ。もう1点、あいだがかなり空いているのも印象に残ります。
1755
Joseph Black finds "fixed air"1756Joseph Black, Experiments upon magnesia, quicklime, and other alkaline substances1765Karl Wilhelm Scheele discovered prussic acid.1766Henry Cavendish, On factitious airs1767Pierre-Joseph Macquer, Dictionaire de chymie
Joseph Priestley, The history and present state of electricity1770Karl Wilhelm Scheele discovered tartaric acid.1771Ruggerio Giuseppe Boscovich, Theoriam philosophiae naturalis redacta ad unicam legem virium in natural existentium1772Louis Bernard Guyton de Morveau, Digression académiques1773Priestley, Observations on different kinds of air
Priestley, Directions for impregnating water with fixed air
Scheele discovered "fire air"(oxygen).
Daniel Rutherford, Joseph Priestley, Karl Wilhelm Scheele and Henry Cavendish discovered nitrogen independently.
Antoine Baumé, Chimie expérimentale et raisonnée1774Lavoisier, Opuscules physiques et chymiques1775Johann Gottlieb Gahn discovered manganese.
Scheele discovered formic acid.
Scheele discovered chroline, manganese, and barium.
Torbern Brigman, Essay of electric attractions1776Scheele and Bergman discovered uric acid independently.1777Scheele, Chemische abhandlung von der Luft und Feuer1778Bergman, De analysi aquarum1779Peter Jacob Hjelm discovered molybdenum
Adair Crawford, Experiments and observations on animal heat and the inflammation of combustible bodies1780Scheele discovered lactic acid.1782Torbern Brigman, Sciagraphia regni mineralis1783Joseph Müller discovered tellurium.
Don Fausto d'Elhuyar and Juan José d'Elhuyar discovered tungsten.1784Laboisier, Reflexions sur la phlogistique
Scheele discovered glycerine.
Scheele discovered citric acid.1787Guyton de Morveau, Lavoisier, Berthollet, and Fourcroy, Méthode d'une nomenclature, the first volume.1789Antoine-Laurent Lavoisier, Traité elémentaire de chimie1791Martin Heinrich Klaproth discovered uranium and zirconium.
William Gregor discovered titanium.1794John Gadolin discovered yttrium.1797Louis-Nicolas Vanquelin discovered chromium.1798Louis-Nicolas Vanquelin discovered beryllium.
ひとりで3時半。昨夜ひさしぶりに摂取したアルコールのせいです。午前中にまたどこかで眠くなるでしょう。午後に、学部教授会。
→12時半に家を出ました。大学着は1時過ぎ。メールボックスに入っていた新しい『化学史研究』を受け取り、そのまま研究所へ。『総合文化研究』の最終チェック用ゲラが届いていました。コンピュータの画面の色と印刷の色を合わせるのは難しいのですが、ちょっと表紙の色が薄く出ていました。大きな問題はとくになく、極些細な手直しを1点だけ行いました。
その後、研究室に行って、パソコンの前に座ると、コンピュータが不機嫌。教授会の時間まで、ノートン先生に診断・修復を行ってもらっていました。教授会は、今日ははやく終わりました。2時半開始で、4時過ぎには終了。5時10分前に帰宅できました。
[18世紀化学史:Johann Joachim Becher]
18世紀の化学史のためには、ベッヒャー、シュタールを欠くわけにはいきません。書誌の確認から行います。
まず、ヨハン・ヨアキム・ベッヒャー。
『地下の自然学』 Physica subterranea 1669.
3冊の補遺(1671, 1675, 1680)
4冊がまとめられて、完全第2版(1681)。
ベッヒャー自身によるドイツ語訳。『化学実験室、あるいは地中の博物学』Chymisches laboratorium, oder Unter-erdische Naturkündigung (1680)
18世紀には、シュタールを通して知られる。シュタールは、『ベッヒャー例解』Speimen Beccherianum(1703、1738) を付したベッヒャーの版を出版する。これが18世紀の化学者には、フロギストン説の入門書の役割を果たした。
(以上、ディーバス『錬金術の歴史』pp.419ff.より。)私がすでにダウンロードしているのは、次の5点です。
Becher,J.J.,
Physica subterranea profundam subterraneorum genesin, e principiis hucusque ignotis ostendens,
Leipzig,1733
Becher, Johann Joachim,
Chymischer Glücks-Hafen
Francfurt,1682
Becher, Johann Joachim, 1635-1682. ,
Minera arenaria perpetua
London, 1680
EEBOBecher, Johann Joachim ,
Magnalia naturae: or, The truth of the philosophers-stone asserted having been lately expos'd to publick sight and sale.
London, 1680
EEBOBecher, Johann Joachim ,
De nova temporis dimetiendi ratione, et accurata horologiorum constructione, theoria experientia
London, 1680
EEBOベッヒャーは政治経済畑でも重要です。日本の図書館にも割と多く所蔵されています。原典としては、次のものです。
Chymischer Glücks-Hafen
Francfurt,1682
Reprinted by Olms, 1974
D. Joh. Joachim Bechers, Rom.Kais.Maj. Cammer-Raths, Narrische Weissheit und weise Narrheit, oder, Ein hundert so politische als physicalische, mechanische und mercantilische Concepten und Propositionen, deren etliche gut gethan, etliche zu nichts worden
[S.l.] : [s.n.], 1725
(一橋 古典 Menger)Chymisches laboratorium
1680,
Reprinted by Olms-Weidmann, 2002Politischer Discurs
3. ed. In Verlegung Johann David Zunners, 1668
Gsellius, 1754
In Verlag Georg Conrad Gsellius, 1759
Detlev Auvermann KG, 1972
Wirtschaft und Finanzen, 1990. -- (Klassiker der Nationalokonomie)
Experimentum Chymicum Novum : Oder Neue Chymische Prob,...
Olms-Weidmann, 2002ご覧の通り、リプリントが割と出版されています。
最近の研究書としては、パミーラ・スミスのものが一番流通しているでしょうか。
Pamela H. Smith, The business of alchemy : science and culture in the Holy Roman Empire, Princeton University Press, 1994, 1997
Pamela H. Smith, Alchemy, credit, and the commerce of words and things : Johann Joachim Becher at the courts of the Holy Roman Empire, 1635-82, U.M.I., 1990
[紹介]橋本毅彦「Pamela H.Smith, The Business of Alchemy」『化学史研究』第23巻(1996): 186-187[18世紀化学史:Georg Ernst Stahl]
シュタールに関しては、邦訳があります。
ゲオルク・エルンスト シュタール (著), Georg Ernst Stahl (原著), 田中 豊助 (翻訳), 石橋 裕 (翻訳), 原田 紀子 (翻訳)
『合理と実験の化学』(1720)
内田老鶴圃 (1992/10)
(翻訳の質については、コメントしません。)研究論文も川崎勝氏によるものがいくつかあります。
[一般講演]川崎勝「ピーター・ショウとシュタール化学のイギリスへの導入 」『化学史研究』第40号(1987年): 139
[特集ラヴワジェ研究入門第4回]川崎勝「シュタール化学の原像 ―18世紀化学の一つの出発点―」『化学史研究』第44号(1988年): 119-134
[シンポジウム:ラヴワジェ『化学原論』200年]川崎勝「フランス・シュタール主義とラヴワジェ」『化学史研究』第16巻(1989): 137シュタールに関しては、私はダウンロードのためのチェックを忘れていたようです。現時点で0点でした。サットンさんは次の5点をリストアップしていますが、3点は詩なので、我等の関心からははずれるかもしれません。
Stahl, Georg Ernst (1660 - 1734)
Disquisitio De Mechanismi Et Organismi Diversitate
Halle,1706
HABStahl, Georg Ernst (1660 - 1734)
Dissertatio Medica Qua Temperamenta Physiologico-Physiognomico-Pathologico-Mechanice, enucleantur
Halle,1698
HABStahl, Georg Ernst (1660 - 1734)
Mortis theoria medica
Halle,1702
HABStahl, Georg Ernst (1660 - 1734)
Propempticon Inaugurale De Synergeia Naturae In Medendo
1695
HABStahl, Georg Ernst (1660 - 1734)
Propempticon Inaugurale De Periculo Nonae Diei In Acutis.
1702
HAB日本の図書館にも多くはありませんが、いくらか所蔵されています。
Aliorumque ad ejus mentem disserentium, scripta
Apud Petr. Conr. Monath, 1726Observationes medico-practicae
Apud Petr. Conr. Monath, 1726Karl Wilhelm Ideler
Georg Ernst Stahl's Theorie der Heilkunde
Berlin : Enslin, 1831-2
1.Nosologie, Enslin, 1832
1.Pathologie, Enslin, 1831
1. Physiologie, Enslin, 1831
Theoria medica vera
Literis Orphanotrophei, 1708主著と目されるのは、次のあたりでしょうか。
Zymotechnia fundamentaiis sive fermentations theoria generalis,
1697Specimen Becherianum
1702Experimenta, observationes, animadversions . . . chymicae et physicae
1731Theoria medica vera
1707Ars sanandi cum expectatione
1730Kevin Chang (2007) は、出版史に関して重要な情報を含みます。出版史に焦点をあわせて、紹介しておきましょう。
Chymia rationalis et experimentalis(1720) は、1684年イエナ大学でシュタールが行った化学講義から学生がとった講義ノートに基づくドイツ語の教科書である。
この著作は、ピーター・ショーによる英訳『普遍化学の哲学原理』(1730)のせいで、英語圏ではもっともよく知られているシュータルの著作となっている。
Chymia rationalis et experimentalis(1720)もPhilosophical Principles of Universal Chemistry(1730) もともに、ラテン語版に基づくと言われているが、ラテン語版そのもの、すなわちFundamenta chymiaは、やっと1723年に出版されている。つまり、シュタール自身が著したのではないラテン語の草稿が1720年以前に流通していたということを示している。[私のコメント]まず、注意を要するのは、Chymia rationalis et experimentalis(1720)は、タイトルはラテン語ですが、本文はドイツ語だということです。しかも、シュタール自身が執筆したのではなく、出版時からすればずっと昔の学生のとっと講義ノートからドイツ語訳されて出版されているということです。
この時代のもう一人の有名な化学教師ブールハーヴェの場合にも、学生の講義ノートからInstitutiones et experimenta chemiae(1724)が出版されます。現在の基準で言えば、これをブールハーヴェの著作とすることには無理があります。(そして、ブールハーヴェ自身は認知することがなかったこの講義ノートから、ピーター・ショーの関与した英訳が作られています。)
ブールハーヴェ自身の化学教科書は、ずっと後になって、次の形で出版されています。
Elementa Chemiae(Leiden, 1731)もう1点注意を要するのは、そもそも大学人がドイツ語で書くという習慣です。出発点は、トマジウスが1687年大学の講義をドイツ語で行ったことにあります。そして、18世紀前半のドイツの最も重要な著作家クリスチャン・ヴォルフが直にドイツ語で著作を執筆して出版します。(有名なのは、『ドイツ論理学』(1713))。
そもそも、17世紀においては、ゼンネルト、ヴェルナー・ロルフィンク、ゲオルグ・ヴォルフガング・ヴェデルという3世代にわたる医学-化学の著作は、ドイツ語に訳されることもありませんでした。
ラテン語で執筆するのか、ドイツ語で執筆するのか、ラテン語で執筆してもドイツ語訳が出版されるのか否か、このあたりは大きな差となります。この点に関するきわめて重要な変化が17世紀末から18世紀初頭にかけて起きたということになります。
ひとりで6時20分。朝の室温は14度で昨日と同じ。日曜日にメールで出した献本の依頼ですが、予想通り、欧米時間で月曜日になるとすぐに返事がありました。きちんと仕事をしているところは、こういうリクエストに対する対応は迅速です。それがよい仕事人の条件だと思います。直ちに送るということだったので、3月中には到着するでしょう。
[New Black MacBook]
妻とあかんぼうがちいさいちびを送っていったすぐあと、妻の新しい MacBook が届きました。2月29日の夜にウェブで注文しました。アップルはどうも土日は休むようです。金曜日の夜遅くに注文を受けると、月曜日に配送業者に出して、火曜日に届ける、といった配送スケジュールのようです。
妻がブラックの方がよいと言ったので、Black MacBook。HD250G、メモリー2G搭載です。
データ引っ越しの準備は、その土日のあいだにすませています。家庭内ランに接続している iBook にデータを移し、CD-R に焼きました。
今日の作業は、まずはネットワークの設定。最近のマシーンは、インターネット接続そのものは自動です。苦労したのは、メールの設定。昔と何が違うのかわからなかったのですが、結局セキュリテイの設定でした。新しいものは、初期状態でセキュリティをしっかり設定している。それをはずさないと、メールサーバーに接続できるようになりませんでした。
それで、JCOM の方は問題なくメールサーバーに繋がりました。リムネットの方は、パスワードをどうしても思い出すことができず、そもそもメールサーバーにアクセスできませんでした。途中から、JCOMのメールアドレスに一本化することで対応しようとなりました。
残るは、オフィス。それは、明日になります。妻がこれまで使っていたのは、99年製の黒い(その当時はアメ車みたいだったPower Book G3)ノートブックです。インターネットに接続したときに、遅さが目立っていました。
なお、私がいま使っているのは、96年製のデスクトップ。これは、もうだめ、というところまで使うつもりにしています。(新しいマシーンは私の使っているマシーンと比べて、HDの容量で10倍以上、メモリー搭載量で10倍程度あります。CPU の能力は単純には比較できません。)夕刻に、T氏の激励会/尻叩き会。主役のひとりのK氏に時間の余裕がなかったので、あまり多くの方には声をかけませんでした。来るはずのAさんが見えず、結局4名。終了後、K氏が京葉線を利用することを考えて、京葉線の東京駅の近くの飲み屋にしました。ネットで検索をかけてささっと決めました。
久しぶりの東京だったので、東京駅近辺の新しいビルを見てきたかったのですが、家を出る直前に、昼寝をしたばかりのあかんぼうがもどして、ぎりぎりになりました。次の機会を期します。[Boerhaave v]
夏に開くシンポジウムの準備として、まず、ブールハーヴェにもどりました。
資料の整理から。手元にダウンロードしていたのは、次の2点。ガリカからダウンロードした植物誌と化学の新方法の英訳。Boerhaave, H. ,
Index alter plantarum quae in horto academico Lugduno-Batavo aluntur ,
Leiden,1727
GALLICA
Boerhaave, Herman. ,
A new method of chemistry; including the history, theory, and practice of the art: translated from the original Latin of Dr. Boerhaave's Elementa chemiセ, as published by himself. To which are added, notes; and an appendix, ... With sculptures. By Peter Shaw ,
2 vols.
London,1741 (2nd edition)
ECCO
サットンさんのサイトには、次の10点がリストアップされていました。
Boerhaave, Herman (1668 - 1738)
Aphorismi de cognoscendis et curandis morbis
Leiden,1709
HABBoerhaave, Herman (1668 - 1738)
De usu ratiocinii mechanici in medicina
Leiden,1709
HABBoerhaave, Herman (1668 - 1738)
De usu ratiocinii mechanici in medicina
Project GutenbergBoerhaave, Herman (1668 - 1738)
Elementa Chemiae
2 vols.
Leiden ,1732
HABBoerhaave, Herman (1668 - 1738)
Epistola (1716)
Uppsala University Library
Boerhaave, Herman (1668 - 1738)
Epistola (1719)
Uppsala University LibraryBoerhaave, Herman (1668 - 1738)
Epistola (1733)
Uppsala University LibraryBoerhaave, Herman (1668 - 1738)
Index alter plantarum quae in horto academico Lugduno-Batavo aluntur
Leiden,1720
uni-goettingen.deBoerhaave, Herman (1668 - 1738)
Institutiones medicae
Leiden, 1708
HABBoerhaave, Herman (1668 - 1738)
Libellus de materie medica et remediorum formulis
1728
u-strasbg.fr
ご覧の通り、HAB が強い。ともあれ、下の2点をまずダウンロードしました。邦語2次資料としては、なんともさびしいことですが、研究書が1点と翻訳(英訳からの部分訳)が1点、紹介論考が1点のみです。江戸時代まで遡れば、ブールハーヴェの高弟ファン・スウィーテンが注を施したCommentaria in Hermanni Boerhaave aphorismos de cognoscendis et curandis morbis by Gerardi van Swieten の蘭訳本を坪井信道が翻訳しています。
『蒲爾花歇萬病治準』(斯微甸註)(1823-26)
他に、『蒲爾花歇内病論』もあります。木村專太郎「医者も知りたい「医者のはなし」(第27回)オランダ人・ブールハーフェ(1668-1738) Hermann Boerhaave 臨床医学・ベッドサイド教育の父」『臨床整形外科』43(1)(2008/1): 52-54
日本国内所蔵の原典としては、次のものがあります。
Aphorismi de cognoscendis et curandis morbis : in usum doctrinae domesticae digesti ab H. Boerhaave
Apud Johannem vander Linden,1709
Apud Samuelem Luchtmans : Apud Theodorum Haak, 1728
Apud Joan. Franc. Vanoverbeke sub signo Lampadis Aureae, 1752Gerardi van Swieten
Commentaria in Hermanni Boerhaave aphorismos de cognoscendis et curandis morbis
tomus primus, Apud Johannem et Hermannum Verbeek, 1742
tomus tertius, tomus quartus. --editio secunda. -- Johannem et Hermannum Verbeek, 1755
tomus secundus. -- editio tertia -- Johannem et Hermannum Verbeek, 1759
tomus primus, Johannem et Hermannum Verbeek, 1766Elementa chemiae : quae anniversario labore docuit, in publicis, priva tisque, scholis
2 vols., Apud Isaacum Severinum, 1732Hermanni B. praelectiones publicae de morbis oculorum
Ex codice M. S. ed. -- Vandenhoeck, 1746Hermanni Boerhaave ... Methodus discendi medicinam.
[s.n.], 1726Hermanni Boerhaave ... Methodus studii medici, emaculata & accessionib us locupletata ab Alberto ab Haller
2 vols., Sumptibus Jacobi a Wetstein, 1751Hermanni Boerhaave Opera omnia medica ... : accedit in nova hac editio ne auctoris vita et effigies.
Apud Laurentium Basilium, 1751Index plantarum, quae in Horto academico Lugduno-Batavo reperiuntur Conscriptus ab Hermanno Boerhaave
Vol. 1-2.. -- sumptibus auctoris, 1720Institutiones medicae in usus annuae exercitationis domesticos digestae ab Hermanno Boerhaave
Editio altera prima longe auctior, Apud Johannem vander Linden, 1713Institutiones medicae : in usus annuae exercitationis domesticos digestae
Ultimo editio, prioribus longe auctior & accuratior, Apud Guillelmum Cavelier, 1747以上の通り、日本の図書館にも、ブールハーヴェの原典はよく入っています。18世紀にいかに人気を博した医学・化学の教師であったかがうかがわれます。
原典の訳としては、次のもの。
A new method of chemistry : including the theory and practice of that art: laid down on mechanical principles, and accommodated to the uses of life : the whole making a clear and rational system of chemical philosophy : to which is prefix'd a critical history of chemistry and chemists, from the origin of the art to the present time
translated from the printed edition, collated with the best manuscript copies, by P. Shaw, M.D. and E. Chambers, gent., with additional notes and sculptures, Printed for J. Osborn and T. Longman ..., 1727Boerhaave's orations
translated with introductions and notes by E. Kegel-Brinkgreve and A.M. Luyendijk-Elshout. Published for the Sir Thomas Browne Institute [by] E.J. Brill, 1983Elements of chemistry : Being the annual lecturesc of H. B.
tr. fr. the original latin, by Timothy Dallowe ; Vol. 1-2.. Pr.for J. Pemberton, 1735H. B. s...kurze doch grundliche Abhandlung von Augenkrankheiten, und derselben Cur, durch bewahrte, sichere, auch auf eigene Erfahrung gegrundete Mittel und beygesetzte Recepten
nach der neuesten lateinischen Aufl. in das teutsche ubers. von Gabriel Friedrich Clauder. 4. Aufl. Schwarzkopf, 1771Herrmann Boerhaavens Kurtze Lehr-Satze von Erkennung und Heilung der Krankheiten nebst dessen Buch von denen Artzeney-Mitteln welche einer jeden Krankheit mitbeygefuget sind
aus dem Lateinischen ubersetzt und mit einigen Anmerkungen dersehen. Haude und Spener, 1763R. James
The modern practice of physic : as improv'd by the celebrated professors, H. Boerhaave, and F. Hoffman, physician to the late and present King of Prussia
[1st v.], 2nd v.. Printed for J. Hodges, 1746Verklaaring der korte stellingen van Herman Boerhaave, in zyn Ed. Leeven hoogleeraar der geneeskunde in de Academie te Leyden, &c. : over de kennis en geneezing der ziektens
door Gerard Baron van Swieten, uit het Latyn vertaald ; 1. deel, 1. stuk - 2. deel, 2. stuk. By Joh. en Herm. Verbeek, 1763
ひとりで4時50分。まだ暗い。下に降りてくると、居間の室温は14度ありました。ずいぶん暖かくなりました。朝新聞を取るため、郵便受けを見ると、次の本が入っていました。
中村邦光
『世界科学史話』
創風社、2008
どういう理由で私のところに献本があったのかよくわからないのですが、ともあれ、中村さん、有り難うございます。
なお、中村さんは、去年も類似の本を出版されています。中村邦光
『江戸科学史話』
創風社、2008
今日も朝一番でマッサージ屋さんにでかけました。2回目。痛みはあまりないのですが、腰からお尻のあたりの固まり方がひどいと言われました。もともと股関節が固くなっていることには自覚があったのですが、そこまで固さに浸食されているとは思いませんでした。すくなくとも3月中は、治療に力を注ぎます。
印刷所の方から、『化学史研究』2007年第4号のpdf を送ってもらいました。次の化学史研究のサイトにアップしています。
吉本秀之(責任編集)「日本における化学史文献:日本篇」『化学史研究』第34巻(2007): 205-330
(ファイルの大きさは2M強あります。)
日本化学史だけではなく、日本科学史に関心のある方には、利用価値があるのではないかと思います。
ひとりで7時。たまった疲れにより、身体の芯が重い。朝のあいだに、昨日の編集委員会から持ち帰った宿題を9割方終了しました。残りは、英語の作文。難しい内容ではないのですが、すこしだけ敷居が高い。
→こういうのは、さっさと処理するに限ります。昼食後、ウェブで検索をかけて、Review Copy の依頼アドレスを探し出し、one review copy を送ってくれるよう、メールを出しました。日本の出版社には、封書で出していますが、英語圏の出版社はレビュー・コピーの扱いに慣れているであろうという推測のもと、メールで依頼しました。メールであれば、たしかに、楽です。→『化学史研究』に書評を書いていただけるのであれば、どんな本でも依頼してみることはできます。(会員になっていただくのがありがたいのですが、書評は、会員以外のかたにも積極的に書いてもらっています。)もし、気にかかるものがあれば、気楽に私の方までコンタクトしてみて下さい。
(日本の書評に不満を持っている方、遠慮せずにまっすぐにまっとうに書いてもらってけっこうです。研究史のなかにきっちりと位置づけ、その著作のもつ意味を真っ正面から批判的に評価する作業を期待します。)
2歳児に起こされて7時過ぎ。昨夜すこしおそくまで起きていたので、もうすこし眠かったのですが、仕方ありません。朝一番でずっと行きたかった散髪屋さんへ。外にでると暖かい。今日は春の陽気のようです。
午後は、学会の理事会・編集委員会。たぶん3時から6時ぐらいまで。
昼食後、かぞくそろって荻窪へ。駅ビルの屋上に向かいましたが、風が強く、外は向きません。ちびどもがクレーンゲームをやりたいと言っています。小銭入れに入っていた100円玉を何枚か渡してやりました。
一通り遊んでから、6階のおもちゃ売場へ。ちびどもはカードゲーム、あかんぼうは車のところで遊んでいましたが、疲れて帰りたくなったようです。
私が東工大に行くのにあわせて、一緒にプラットホームへ。大岡山には3時15分前に着きました。
会議は、ほぼ予想とおり、3時〜6時。花粉症用の目薬をポケットに入れるのを忘れました。なかなかに痒かった。
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