ほぼそろって7時前。予報では、今日から春。花粉も本格的に飛散するということです。業務は、9時〜4時。
業務は入試業務。体調がよいときには、それほど負担ではなかったのですが、この肩凝りがちがち状態だと、かなり疲れました。首、肩、腰に痛みがあるので、リラックスした状態でいられません。どこか不自然な力がはいります。そのせいで、信じがたいほど疲れます。
とはいえ恙なくおわって、5時前後には帰宅できました。今日は、ちいさいちびの小学校入学のための説明会がありました。あかんぼうの様子によって、書類だけもらって説明会場には入らずに戻ってきたということです。おおきいちびのときのことはすっかり忘れていますが、ちいさいちびのお友達のお母さん達(とくにはじめての子のお母さん達)がしっかり聞いてくれているはずなので、いざとなったら友達だのみです。
昨日、ちいさいちびの下の前歯が一本抜けました。(抜けたのはこれで2本目。)3月18日が卒園式&謝恩会です。ちいさいちびはそれから3週間の春休み。
幼稚園に通う日数を数えれば、あと2週間すこし。
いまだに牙は隠し持っていますが、感情のコントロールをできるようになりました。大いなる進歩です。そして、見るからにワイルドになったとオカアサンズに言われるあかんぼうのめんどうをずいぶん見てくれます。親としては、これがとても助かる。
4月からは1年間、幼稚園児のいない生活となります。パワーアップしてワイルドな2歳男児との日々が待っています。
おおきいちびといっしょに7時前。はやく起きたおおきいちびは、パパ遅いと文句を言っていました。
睡眠時の様子から、昨日は軽度の病気状態だったことがわかりました。一晩寝てすっきり快復とはいきませんが、よくはなっています。妻の薦めにより、新しいマッサージ屋さんへ。以前ずっと通っていたマッサージ屋さんが悪いわけではありませんが、混みすぎです。すぎなみ子育て応援券が利用できるということで、探し出しました。
足も腰も筋肉がひどく固くなっているということです。しかし、何よりも首筋から肩ががちがちに固まっているという診断でした。ずっと座っている生活が根本的によくない。
そういえば、葛根湯には、「初期の風邪と肩凝りに」と書かれています。私の今の状態は、風邪ではありませんが、風邪の症状に似ているところもあります。今日は葛根湯を飲んではやめに就寝することとします。(明日も一日業務)
ひとりで6時前。昨夜強く降っていた雨は止んでいます。朝方の気温は高め。疲れが残っています。軽いものですが、頭痛があります。
簡単には休める業務ではないので、いつもとおりにちいさいちびといっしょに家を出ました。だいたい2時間程度で、分担分は終了。
午後4時から5時半まで、会議。
おおきいちびといっしょに6時半。本日も業務。10時から5時半。昨日よりすこしましですが、やはり疲れました。
午後2時を過ぎたあたりから、肩が限界に近づきました。五〇肩の影響もあるのでしょうが、根を詰める作業のときには、ときにほんとうにひどい肩凝りに襲われます。そういうときは同時に視力も落ちます。明日も業務。そして、午後遅くに会議。
ひとりで6時前。今日は1日、業務。どうもちいさいちびが起きてくる前に、家を出ることになりそうです。ゴミを出すために外に出ました。日射しは春なのに、冷たい空気。遠からず春がやってくるでしょう。
ワー、疲れました。
業務終了後2つの会議。
今月は、ここでやっと100枚。いくらか無理矢理な仕方で、増やしました。ひとり遅れて7時半。
あかんぼうの牛乳を買うために朝一番で外出。春の嵐は継続中でした。近所の99ショップなのですぐなのですが、帰宅すると目が痒い。花粉症の先駆けなのか、大気中に飛散している大量の埃・塵のせいなのかわかりません。
[脱線形式]
「脱線形式」ですが、ウェブで検索をかけるときちんとした研究に数多く出会えると思っていましたが、当てはずれでした。脱線を多く使う文学者・文学作品についての個別の研究はありましたが、形式そのものについては、これぞというものを探すことができませんでした。(もちろん、探し方の問題かもしれません。)それこそ脱線ですが、検索中、次の論文がヒットしました。
高垣由美「テクストのミクロ構造・マクロ構造―日本時フランス語学習者の問題点とその言語学的分析―」
日本人の作文が、かなり上級に達したときにも、「堂々めぐりで、一貫性に欠け」、「(個人的で主観的な印象という形の)脱線が数多く」「とりわけ冗長である」ことに(日本人にフランス語を教えるフランス人教師は)当惑する、というフランス語教師に広く共有される経験から、日本語のテクストの特徴を捉えようとするものです。
日本語のテクストのこの特徴は、実は、フランス人の目からすれば、日本の新聞や社説にも見られる。
普通、こうした事例は、日本語が論理性(loguque)に欠ける証拠、あるいは日本人に論理性が欠けている証左ととられてきた、あるいは日本語が論理的な否かという論争を引き起こしてきた。
しかし、高垣さんは、単文と単文の接続の問題(ミクロ構造)とマクロ構造を峻別したうえで、フランス語や英語では、単文と単文の接続は線形性をよしとするのに対して、日本語は言語外コンテキストへの依存性が高く、そのことが非線形で、ぐるぐるした結びつきのテクストを生み出すのであろう、と主張しています。
とてもよくわかる議論です。私の関心に引きつけて言えば、線形を基本とする英語やフランス語の世界では、「脱線」が文章技法として明確な意義を有するが、(欧米人の目からすれば)そもそも脱線的で余談・冗句が多い日本語の世界では明示的な「脱線形式」が成り立ちづらい、こういうことになるでしょうか。
ひとりで6時45分。3番目。今日はとても暖かくて、明日冬に逆戻りという天気予報。今日はちいさいちびのリズム参観。リトミック(リズム運動)の時間だけ、参観に行きます。
年長さんの参観は、11時から。10時45分に、残り全員ででかけました。年中組と入れ替わり。年長組はもうすぐ小学生。さすがにずいぶん上手になっています。合唱では、「おとうさん、おあかさん、ありがとう」に思わず涙が出てしまったお母さんがけっこういました。
残るは、英語参観と謝恩会です。
(謝恩会は、おかあさんと園児と先生達だけの会合です。おとうさんには参加の余地なし。たぶん、椅子がないのだと思います。)
しばらく園庭で遊んだ後、駅前のジョナサンで昼食を食べて帰宅。
あかんぼうが勝手に本屋さんに入ってしまいました。私とおおきいちびは先に帰りました。あかんぼうはプラレールのカードを手に持って帰ってきました。2時ぐらいから春の嵐。春一番は吹くかも知れないという予報でしたが、埃が大気中に舞い、隣家のトタン屋根がガタガタ音を立てる春の嵐となりました。その嵐のなか、あかんぼうは傘をもって散歩にでかけ、車のなかで昼寝して帰ってきました。
ちびどもは3時半からピアノ。昨日の続きで、ウェブで検索をかけていると、2007年東大の日本史入試問題が出てきました。へー3つ。おもしろいのでそのまま引用します。
【3】次の(1)〜(4)の文章を読んで、下記の設問に答えなさい。
(1) 平賀源内は、各地の薬草や鉱物を一堂に展示する物産会を催し、展示品360種の解説を集めた『物類品隲』を1763年に刊行した。
(2) 杉田玄白・前野良沢らは、西洋解剖書の原書を直接理解する必要性を感じ、医学・語学の知識を動員して、蘭書『ターヘル・アナトミア』の翻訳をすすめた。そして1774年にその成果を『解体新書』として刊行した。
(3) ドイツ人ヒュプネル(ヒュブネル)の世界地理書をオランダ語訳した『ゼオガラヒー』は、18世紀に日本にもたらされ、朽木昌綱の『泰西輿地図説』(1789年刊)など、世界地理に関する著作の主要材料として利用された。
(4) 本居宣長は、日本古来の姿を明らかにしたいと考え、『古事記』の読解に取り組んだ。古語の用例を集めて文章の意味を推定する作業をくり返しつつ、30年以上の年月をかけて注釈書『古事記伝』を1789年に完成させた。設問
18世紀後半に学問はどのような発展をとげたか。研究の方法に共通する特徴にふれながら、5行(150字)以内で述べなさい。
これは、良い問題です。たぶん、誰にとっても一読では回答が思い浮かばないでしょう。設問を繰り返し読み、自分の知識と照らしあわせ、考える作業が必要になります。これを大学院の入試で採用したいと思う大学教師はすくなくないでしょう。ちなみに、ウェブには、駿台予備校の模範解答があります。やはり引用してみましょう。
「江戸初期以来の朱子学の実証的・合理的研究の蓄積は、18世紀後半の諸学問発展の前提となった。薬草研究などを本草学として発展させ、また、医学・地理学など西洋知識を受容して洋学を興隆させる素地となった。一方、契沖らの実証的古典研究を前提に、本居宣長は儒仏など外来思想を排して民族精神を究明する国学を大成した。」
私は、大学受験の日本史を勉強したことがありません。ですから、受験の日本史の世界はわかりません。受験の日本史だとこの回答例でよいのかもしれませんが、やはり不満です。出題者の方には、ここで私が記しているのと似た問題関心があったと思われます。(「オリエンタリズム」的関心の所在を回答者の受験生には期待していないと思いますが、出題者の意識にはあったはずです。ヨーロッパにおける科学・学問の展開も清朝における展開も出題者の念頭にはあったはずです。
150字で書き尽くすことはできませんが、それ以前の学問との差異についても、せめて模範答案では触れて欲しいところです。)
そして、我等の山田博士の16世紀研究会における報告「北東航路というモチーフ−地理学史(3)」(2002.7.11)もあります。山田博士は、私の研究(1990)も引用してくれています。関係するところを1行だけ引用しておきましょう。
「クラシェニンニコフ『カムチャッカ誌』(1755) [露語]→英訳本(1764)→ヒュブネル『ゼオガラヒ』(3版, 1761-66) [独語]→蘭訳本(1769)→前野良沢「束察加(カムサッカ)志」 (1791, 寛政3 記)」
ひとりで7時過ぎ。やはり4番目。[『交錯するアジア』]
一昨日に偶然研究室で見つけて読み始めた、『交錯するアジア』(東京大学出版会、1993)がとてもおもしろい。
どれも勉強になるのですが、私の観点にとっては、次のものが重要です。鳥井裕美子「近世日本のアジア認識」pp.219-252
日本のアジア認識が、西洋のアジア認識を吸収したものであることが、具体的に論じられています。オリエンタリズムという用語を使えば、すでに近世の地理書において、日本はヨーロッパ起源のオリエンタリズム的視線によって亜細亜を見ていた、と言えます。
また、アメリカの地域研究が植民地経営のための政策科学に由来するとすれば、地域研究の前身たるヨーロッパの地理学が植民地主義的視線を内在させており、それを導入した日本近世も現実に植民地化に乗り出すずっと前から植民地主義的視線でアジアを見ていたということができます。
厳しい言い方になりますが、福澤諭吉流の「脱亜論」も岡倉天心流の「アジア主義(アジアはひとつ)」にせよ、ともにオリエンタリズムのアジアでしかなかったと評さざるを得ません。問題点は幾重にも折り重なっています。
そして、この問題は、けっして過去のものになってはいません。鳥井さんの論点紹介に戻ろう。
東南アジアに関しては、「豊富な資源と愚民」という認識であった。「日本人にとって東南アジア諸国は植民地化された哀れな存在でしかなく、興味の対象は天然資源にあったのである。日本と東南アジアの距離は、ヨーロッパと東南アジアの距離に等しかった。幕末に佐藤深淵・帆足万里・吉田松陰らがルソン、ミンダナオ、ジャワ等の攻略を論じ、南方進出を図った土台は、十分に用意されていた」(249頁)。中国、朝鮮という東アジアに関しては、もうすこし複雑ですが、西洋近代科学(とくに、医学、天文学、地理学、暦学)の摂取(蘭学)によって、中国のそれが「西洋ホド精密ナルハ」ないという劣位に置かれ、西洋の進んだ学術を摂取した日本が中国に優位に立つものと認識された。「自然科学上の西洋優位認識に地理認識が加わって「中華」は支那に変貌した」(244頁)。「中国・朝鮮に対する優越意識、とくに中国へのそれは一八世紀後半以降、自然科学分野で、また地理書の記述にも明確化されてくる」(246頁)。
その地理書ですが、江戸初期から幕末までに、二百数十冊刊行されたということです。
とくによく利用されたヨーロッパの地理書(地理学的知識を含む、地理学書、地図、地誌、地名辞典、奇談、漂流記等々)としては、次のものがあったということです。利瑪賓(マテオ・リッチ)『坤輿万国全図』(1602)
艾儒略(字は思及)『職方外紀』(1623) ジュリオ・アレニ Giulio Aleni
ヒュブネル(Johan Hübner)『ゼオガラヒー』Algemeene Geographie of beschrijving des geheelen Aardrijks, 1769
ヒュブネル『コウラントトルコ』Hubner, Johan (1668-1731), De nieuwe, vermeerderde en verbeterde kouranten-tolk, of Zakelyk, historische- en staatkundig woordenboek,1748
プリンセン『地理学教科書』P.J. Prinsen, Geographische oefeningen; of leerboek der aardrijkskunde, met XX genommerde kaarten, naar de nieuwste ontdekkingen en volgens de tegenwoordige verdeling der landen, opgemaakt uit de eerste schriften en nieuwste landkaarten.,1817
魏源『海国図志』(1847)
日本のものは、次のような書物。
『万国新話』
『安南紀略藁』
『亜細亜諸島誌』
『阿媽港紀略藁』
『印度志』
『百児西亜志』
『南海紀聞』
西川如見『増補 華夷通商考』(1708)
新井白石『采覧異言』(1713序)
山村昌永『訂正増補 采覧異言』(1803年成立)
箕作省吾『坤輿図識』『坤輿図識補』
杉田玄端訳『地学正宗』
体系的に調査したわけではありませんが、このあたりの和書(&日本に関する書物)について、もっとも充実したサイトは、 京都外国語大学の世界の美本ギャラリーのようです。 http://www.kufs.ac.jp/toshokan/gallery/galfra6.htm
世界の古聖書と宗教関係書
世界の文学と民話
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ニッポナリア
貴重書デジタルアーカイブ
世界の古辞書・古事典
我が国の対外交渉史料
世界を変えた理論
ひとりで7時20分。昨日と同じく、家族のなかで4番目。たしかにかなり暖かくなってきました。朝方の次の本が届きました。
Simon Varey, Rafael Chabrán and Dora B. Weiner eds.,
Searching for the Secrets of Nature: The Life and Works of Dr. Francisco Hernandez
Stanford: Stanford University Press, 2000
お昼過ぎに新しい『生物学史研究』(第79号、2007年12月)が届きました。
ざっと見ていて、あれっと思ったのは、次の書評です。
松永俊男「C.ラッセルほか(藤井清久ほか訳)『科学革命とキリスト教』3巻、すぐ書房、2003年」
2003年の出版物を今紹介するのかな?と思い、書評を実際に読んでみました。
これは、昔創元社からでていた『OU 科学史』3巻(創元社、1983-84)を内容はほぼ同一のまますこし変更を加えて、すぐ書房から再版されたものについての、書評でした。もとは、イギリスの放送大学 (Open University ) の科学史の教科書 Science and Belief: from Copernicus to Darwin, Open University Press, 1974 です。
なつかしいな。
私が学生時代に故渡辺正雄先生の授業ではじめて読んだテキストです。20歳だったと思います。まだ英語の本を自分で買うことはほとんどなかった年代です。大きさはフォリオで6分冊のテキストがまぶしかった。研究室を探せば、まだどこかにあるはずです。
邦訳が出版されたのも、記憶しています。邦訳も全部ではありませんが、読んでいます。こちらは、研究室での配置を記憶しています。さて、すぐ書房の再版ですが、アマゾンで調べてみました。第3巻のみ、2006年で、第1巻と第2巻は、2007年12月とあります。
ウェブキャットでも調べてみました。第1巻と第2巻が2003年、第3巻が2006年です。
実物を見ればはっきりしますが、すぐ書房は、おそらく、2003年に最初の2巻、2006年に最後の第3巻を出版し、2007年12月に最初の2巻を再刷(増刷)したのでしょう。
ひとりで7時すぎ。ちいさいちびだけまだ寝ています。天気予報によれば、やっと寒さがゆるみ、最高気温が12度まで上がるということです。たしかに朝からすこし春めいた空気になっています。会議の日。大学院の会議が午後続きます。
片づけを続行しようと思い、すこし早めに家をでました。大学に着いて、ちょうど11時。まずは腹ごしらえ。1番乗り&貸し切り状態で、食事。その後、総合文化研究所に向かい、『総合文化研究』の完成作業。12時過ぎに印刷所に引き渡します。原稿の最終チェック。目次のエラーを直してから、印刷所の方に、印刷物とデータ(CD にアウトライン化したものと、そうでないファイルの両方を焼いたもの)を渡しました。
完成原稿なので、1カ月後に仕上がります。その後、研究室に戻りましたが、片づける気がまったくしません。
研究室においている『講座 現代の地域研究』を引っぱりだしました。4巻本のうち、3冊買った記憶があります。買っていなかったのは、『講座 現代の地域研究 (2)世界単位論』でした。
その隣に、『交錯するアジア』(東京大学出版会、1993)が置いてあります。この本の存在はすっかり忘れていました。こちらから読み始めることとしました。
なお、これは、「アジアから考える」という7巻本のシリーズの初回配本です。私の今の関心にとっては意味のあるシリーズです。正確な書誌を記しましょう。
溝口雄三・濱下武志・平石直昭・ 宮嶋博史編
『アジアから考える(1) 交錯するアジア』
東京大学出版会、1993
目次は次の通りです。
浜下武志「序 アジア研究の現在」
園田茂人「フィールドとしてのアジア」
小島毅「 地域からの思想史」
伊藤亜人「 東アジアの社会と儒教―韓国の民族誌による展望」
弘末雅士「 東南アジア像」
川崎有三「部族・民族・エスニシティ」
林正寛「伝達と規範意識―多言語社会における人とことば」
李*然(リーチェウクイン)「歴史観・歴史意識」
吉田伸之「都市と農村、社会と権力―前近代日本の都市性と城下町」
鳥井裕美子「 近世日本のアジア認識」
J・フォーゲル「戦前日本の民間中国学」
中見立夫「地域概念の政治性」
他の巻は次の通りです。
『アジアから考える(2) 地域システム』
浜下武志「地域研究とアジア」
佐藤幸男「アジア地域国際関係の原像」
重松伸司「ベンガル湾という世界」
劉序楓「十七、八世紀の中国と東アジア」
岡本さえ「中国とヨーロッパ」
陳達生「中国沿海地域のイスラム」
黒木英充「中東の地域システムとアイデンティティ」
菊池道樹「東南アジアと中国」
茂木敏夫「中華世界の「近代」的変容」
『アジアから考える(3) 周縁からの歴史』
浜下武志「序 周縁からのアジア史」
D・ウルフ「シベリア・北満をめぐる中国とロシア」
江夏由樹「近代東三省社会の変動―清末、旧奉天省における在地勢力の抬頭」
中見立夫「モンゴルの独立と国際関係」
蔡志祥「華南地域社会論―定住権を中心として」
呉密察「台湾史の成立とその課題」
真栄平房昭「十九世紀の東アジア国際関係と琉球問題」
新免康「「辺境」の民と中国―東トルキスタンから考える」
結城史隆「ネパール社会における二つのシステム」
松浦章「清代の海洋圏と海外移民」
浜下武志「朝貢と条約―東アジア開港場をめぐる交渉の時代1834‐94」
『アジアから考える(4) 社会と国家』
溝口雄三「序 アジアにおける社会と国家形成」
陳其南「伝統中国の国家形態と民間社会」
村田雄二郎「王朝・国家・社会―近代中国の場合」
寺田浩明「明清法秩序における「約」の性格」
宮嶋博史「 朝鮮両班社会の形成」
黒住真「キリシタン禁制と近世日本―秀吉「天正十五年六月十八日付覚」をめぐって」
金鳳珍「朝貢体系と朝鮮の近代国家形成」
鐸木昌之「首領制国家における神話―「口号木」と「光明星伝説」を中心に」
坪井善明「ヴェトナムにおける「独立」」
『アジアから考える(5) 近代化像』
平石直昭「序 アジアの近代―民衆運動と体制構想」
J・W・エシェリック「義和団の文化的前提―教派・武術・民衆文化」
趙景達「東学における正統と異端」
長崎暢子「インド大反乱と「国民」形成―サーヴァルカルの思想を中心に」
渡辺浩「「進歩」と「中華」―日本の場合」
宮村治雄「自由主義如何―陸羯南の政治思想」
佐藤慎一「近代中国の体制構想―専制の問題を中心に」
「近代日本の「アジア主義」―明治期の諸理念を中心に」
『アジアから考える(6) 長期社会変動』
宮嶋博史「序」
川勝平太「東アジア経済圏の成立と展開―アジア間競争の500年」
上田信「中国における生態システムと山区経済―秦嶺山脈の事例から」
嶋陸奥彦「親族制度からみた朝鮮社会の変動―族譜の検討を中心に」
杉原薫「華僑の移民ネットワークと東南アジア経済―19世紀末 1930年代を中心に」
鬼頭宏「近代日本の社会変動―歴史人口学の視点から」
柳沢悠「 南インドにおける小農化傾向と農村小工業」
堀和生「 両大戦間期の東アジア地域社会」
『アジアから考える(7) 世界像の形成』
平石直昭「序 日本思想史の構想」
池田知久「中国古代の天人相関論」
溝口雄三「中国における理気論の成立」
松本史朗「仏教の批判的考察」
大隅和雄「鎌倉仏教と民衆」
金容沃「朝鮮朱子学と近代」
平石直昭「徳川思想史における天と鬼神」
最初の専攻会議が延びて、大学院教授会はスタートが30分遅れました。大学院教授会では、臨時に学長の説明がありましたが、それをいれても6時前に終了。6時16分多摩発の電車で帰ってくることができました。
帰宅すると次の本が届いていました。
アンドリュー・ドルビー
『スパイスの人類史』
樋口幸子訳、原書房、2004ジル・ノーマン
『スパイス完全ガイド 最新版』
山と渓谷社、2006Simon Varey ed.,
The Mexican Treasury: The Writing of Dr. Francisco Hernández
Stanford: Stanford University Press, 2000
これは、今、斜塔堂氏のサイトで盛り上がっている『メキシコ宝鑑』の部分英訳+書誌学的研究です。
矢野暢編集代表『講座 現代の地域研究』4巻、弘文堂, 1993-1994
この4巻本についても、目次をとっておきましょう。『講座 現代の地域研究 1 地域研究の手法』
1章 地域研究とは何か
2章 「地域」とは何か
3章 専門分野と地域研究
4章 自然科学と地域研究
5章 民族誌と地域研究―「他者」へのまなざし
6章 現地調査―歩く・見る・聞く
7章 ふれあいの作法―臨地研究法の確立に向けて
8章 文化の翻訳―意味空間のなりたち
9章 問題群としての地域
10章 普遍言語としてのエトス
11章 地域研究の世界観
『講座 現代の地域研究 2 世界単位論 』
1章 世界単位とは何か
2章 世界のなかの「世界単位」
3章 山地―インタクト・コスモスの論理
4章 海域―開かれたネットワーク
5章 ジャワ―内向的政治文化の世界
6章 デルタ―奇跡の世界単位
7章 中華世界
8章 インド
9章 世界単位としてのオセアニア
10章 「世界単位」―中東の場合
11章 アフリカ
12章 新しい世界観の条件―「発明主義」の超克を求めて
『講座 現代の地域研究 3 地域研究のフロンティア 』
1章 「世界」を区切る旅
2章 南の森へのいざない
3章 自然と人間の共存
4章 たたなわる海域世界
5章 拓かれる生活空間
6章 圏―伸縮する社会単位
7章 飼育されるエスニシティ
8章 〈関係〉の政治学と〈無関係〉の政治学
9章 創られる国民国家―インドネシア独立記念日考
10章 固くて柔らかな支配
『講座 現代の地域研究 4 地域研究と「発展」の論理』
1章 「進化」と「発展」の意味連関
2章 伝統と近代―時間・変化・歴史
3章 直線的時間と循環的時間―ジャワの時間論
4章 農村の変化と無変化
5章 フロンティア社会の変容
6章 農業インヴォリューションをめぐって
7章 「貧しさ」から「豊かさ」へ
8章 近代化の功罪
9章 「未完の日程表」を問う
10章 人類の過去、現在、未来
ひとりで6時。おやつの時間までに、昨日カバンに入れて、読み始めていた羽田正(はねだまさし)氏の『東インド会社とアジアの海』(講談社、2007)を読了しました。前にも記しましたが、これはよい本です。
読み終わる直前に、古書店から、次の2冊が届きました。
『季刊へるめす 第11号』(岩波書店、1987年6月)
『現代思想 1995年3月、特集:サイード―オリエンタリズム以後』(青土社、1995年)
夕刻、次の本がアマゾンより届きました。
五十嵐恵邦(いがらし・よしくに)
『敗戦の記憶:身体・文化・物語、1945-1970』
中央公論新社、2007
ひとりで6時40分。成績を提出し、研究室を片づけるために、大学に出ることにしました。
ちいさいちびが幼稚園に行くのにあわせて、あかんぼう、妻もいっしょにでました。道草は仕方ないにせよ、あかんぼうはけっこうよく歩くようになっています。
幼稚園を過ぎて、銀行のところで、あかんぼうと別れて大学へ。9時半多磨駅発の電車に間に合いました。教務で最後の成績を提出したあと、研究室へ。片づけをしつつ、捜し物。オリエンタリズムを特集する雑誌を探します。
もしかしたらほんとうは持っているのかもしれませんが、見つかったのは、『大航海』の1996年11月号のみ。『現代思想』の特集は見つかりませんでした。燃えるゴミを二袋、燃えないゴミを一袋処理してから、昼食へ。
昼食後図書館に赴いて、次の2点の論考をコピーしました。今沢紀子
「オリエンタリズムをめぐる批判」
『東方学』通号73(1987): 199-210臼杵陽
「オリエンタリズムと地域研究:サイードの逝去に寄せて」
『地域研究』6(1)(2004): 153-164
家に帰って、いっぷくしたあと、両方読みました。なんと『東方学』は、旧字です。雑誌名も正確には、『東方學』です。びっくり。
今澤さんのレビューは、有用です。サイード以前では、3点(A.L. Tibawi, "English-Speaking Orientalists: A Critique of Their Approach to Islam and Arab Nationalism, Part I", Islamic Quarterly 8, nos.1,2(1964): 24-44; "part II", 8, nos.3,4(1964): 73-88. ; Anwar Abdel Malek, "Orientalism in Crisis", Diogeness 44(1963): 107-108>. ; Bryan S. Turner,Marx and the Orientalism , London, 1978: 邦訳、ブライアン・ターナー『イスラム社会とマルキシズム―オリエンタリズムの終焉』第3書館、1983)、サイード以降では、バーナード・ルイスとベンジャミン・シュウォルツを取り上げています。臼杵陽さんのレビューは、矢野暢氏の論考をたたき台にしています。
矢野暢「地域研究とは何か」『講座 現代の地域研究 (1)地域研究の手法』(弘文堂、1993),pp.1-21
矢野暢「世界単位とは何か」『講座 現代の地域研究 (2)世界単位論』(弘文堂、1994),pp.3-23
矢野暢「新しい世界観の条件―「発明主義」の超克を求めて」『講座 現代の地域研究 (2)世界単位論』(弘文堂、1994),pp.283-310
ひとりで7時20分。昨夜いつもより遅くまで本を読んでいたせいです。読んでいたのは、『GS 3号 千のアジア』のなかの、中国像の歴史を扱った論文です。おや、これは、『思想史事典』の訳でした。
ドナルド F.ラック(高山宏訳)「中国像(西洋の思想と文化における)」『西洋思想大事典』(平凡社、1990),第3巻, pp.297-316.
よい記事です。基本的参考文献に指定できます。せっかくですので、『西洋思想大事典』を繰ってみました。基本的な記事がいくつか見つかりました。
カールT.ジャクソン「東洋思想(アメリカ思想における)」第3巻,pp.404-416
サイイド・フセイン・ナスル「イスラムの知的概念」(Islamic Conception of Intellectual Life)第1巻、pp.89-101
(これは、邦語タイトルから、ヨーロッパ人の見たイスラムに対する知的概念かと思っていました。英語があるので、そうではなく、イスラームの考えた知的生活であることがわかりました。)
ひとりで6時40分。火曜日の夜に、来学期駒場の大学院で開講する授業のシラバスを作成し、郵送しました。ここに引用します。下に掲げる案のほかに、こういうのもあるというのがあれば、お教え下さい。
008年度「相関基礎科学特殊講義III 」
金曜日5限、4月スタート第1に学術的ツールの歴史を追究し、第2に現状の学術的ツールの評価を授業参加者と一緒に行いたいと思います。
1.学術的ツールの歴史
本の内部においては、欄外注、脚注、マージナリア、序論、引用、参考文献、見出し、小見出し、部・章・節分け、脱線、本の外部においては、コモンプレイスブック、カード、読書ノート、といった学術的ツールの歴史を追究したいと思います。2.現在の学術的ツールの評価
(科学史を中心として)レファレンスの現状をできるだけ広くおさえ、批判・評価をしていきたいと思います。インターネット上のデジタルライブラリー、ウィキペディア、種々の百科事典、専門事典、ISIS Current Bibliography、コンコーダンス、グロッサリー、等々を対象にします。評価の結果は、何らかの形で公表します。私自身が初期近代の科学史を専門としていることから、初期近代と科学史が詳しくなりますが、人文系の方法に関心のある方であれば、所属を問わず、参加を歓迎します。
参考文献(例示)
ピーター・バーク『知識の社会史』新曜社、2004
佐藤健二『読書空間の近代』弘文堂、1987以下は、今考えている案です。(順不同)
1.1次資料、2次資料、3次資料そのもの
Colin A. Russell, "Some Approaches to the History of Science" in Science and Belief: from Copernicus to Darwin Part 1, (Open University Press, 1974).
邦訳、ラッセル「科学史へのさまざまなアプローチ」『OU 科学史』(創元社、1983)第1章。1.柳田国男の読書
(佐藤健二氏の『読書空間の近代』(弘文堂、1987)を読んで、柳田国男の読書方法を再構成して示す。吉増剛造氏の柳田国男論も使ってもらう。
『私のこだわり人物伝 2006年2-3月 白洲正子 目利きの肖像(語り手 細川 護煕)/柳田国男 詩人の魂(語り手 吉増剛造)』 日本放送出版協会、2006)
カードの利用についても注目してもらう。1.デジタル・ライブラリー
Sage Ross, "Wikipedia and the History of Science", Newletter of the History of Science Society, Vol.37, No. 1(Jan. 2008), pp.1, 6.
Robert Alan Hatch, "Clio Electric: Primary Texts and Digital Research in Pre-1750 History of Science", ISIS, Vol.98, No.1 (March 2007), pp.150-160.
吉本秀之「化学史のデジタル・ライブラリー」『科研費研究成果報告書』(2007)1.研究図書館
HAB: Herzog August Bibliothek
A Treasure House of Books: The Library of Duke August of Brunswick-Wolfenbüttel1998
1.日本の科学史文庫
桑木文庫、下村文庫、坂本文庫ほか
どこまで使えるのか、評価する。1.コモンプレイスブック
Walter J. Ong, "Commonplace Rhapsody: Ravisius Textor, Zwinger and Shakespeare," in R.R. Bolgar ed., Classical Influences on European Literature, A.D. 1500-1700, (Cambridge University Press, 1976), pp.91-126.
1.脚注
グラフトンの『脚注』
ie. Anthony Grafton, The Footnote: A Curious History,Cambridge, Mass.; Harvard University Press, 19971.アクタ・エルディトルムの世界
学術雑誌、専門雑誌
ie. Hub. Laeven, The Acta Eruditorum under the Editorship of Otto Mencke: The History of an International Learned Journal between 1682 and 1707, Amsterdam and Maarssen: Apa-Holland University Press, 1990
Translatede from The Dutch by Lynne Richards Mit Einer Zusammenfassung in Deutscher Sprache.1.引用文献リスト
1.専門用語辞書・グロッサリー
1.百科事典
1.ISIS Current Bibliography
1.脱線形式
松尾氏の先駆的論文の拡張を目指す。
松尾幸とし「動物精気についての脱線」『生物史学研究』第37号1.各自の関心テーマに関し、画期的な論文を探し出して、紹介する。
(その論文が利用した資料を洗い出す。)
[オリエンタリズム再訪(継続)]
外語の大学院では、2008年度も「オリエンタリズム再訪」を継続します。日本語の文献は、できる限り網羅的に収集しておきたいと思います。雑誌の特集
まず、雑誌の特集を気付いた範囲で挙げます。『GS 3号 千のアジア』(冬樹社 、1986 )
『現代思想 1989年12月、特集:イスラーム―オリエンタリズムと現代』(青土社、1989年)
『現代思想 1995年3月、特集:サイード―オリエンタリズム以後』(青土社、1995年)
『早稲田文学 (第8次)』通号132号、特集:オリエンタリズム/おりえんたりずむ、(1987年5月)
『季刊へるめす 第11号』(岩波書店、1987年6月)
『大航海 1996年11月号 特集:オリエンタリズム再考』(新書館、1996)
サイードの『オリエンタリズム』(平凡社、1986)に関する書評は数多くあるようです。これを集めきれるかどうかはわかりません。
→こうしてみると、GSの特集は、サイード『オリエンタリズム』邦訳出版の年ですから、はやいと言えます。『早稲田文学』と『ヘルメス』がそれに次ぐ(翌年)ということでしょうか。
わかる範囲で、『現代思想 1995年3月、特集:サイード―オリエンタリズム以後』の目次を採ってみます。
Edward W.Said; Jennifer Wicke; Michael Sprinker「インタヴュー」pp.72-109
Edward W. Said(黒田美代子訳)「他のアラブ・ムスリムたち」pp.110-132
大橋洋一「マッピング・サイ-ド--その方法と批評」pp.133-144
臼杵陽「方法としての<パレスチナ>--エドワ-ド・サイ-ドにとってのエルサレム・カイロ」pp.145-158
富山太佳夫「錯覚」pp.159-161
姜尚中「東洋(オリエント)の発見とオリエンタリズム」pp.162-172
崎山政毅「<自由な祖国>と<死>の間隙から:「向う側」の反乱についてのある歴史」pp.284-302
Homi K. Bhabha(谷真澄訳)「ポスト・コロニアルとポスト・モダン」pp.258-283
Bhikhu Parekh; Homi K. Bhabha(盛田良治訳)「アイデンティティのオン・パレ-ド」pp.304-311
鈴木規夫「眠れぬ<エウロペ>:フィロロジ-・<記憶殺し>・イスラ-ム」pp.323-337
ひとりで4時半。たぶん、昨夜着手して残していた採点のことが気になっていたのでしょう。最近ではもっともはやい起床です。[採点終了中]
さすがに朝のあいだに、採点そのものは終了しました。残るは、転記と提出。用件が3つ重なったので、今日は大学に行くこととしました。まず、事務棟で2件の用事をすませ、研究室にはいってから1件用事をすませました。
転記には、すこし広い場所が必要です。総合文化研究所の広い机を借りて作業。朝からばたばた動いてお腹が空いたので、11時過ぎに特別食堂へ。3番目でした。
食べているときに、最後の転記の作業は後回しにしてもよいと思うようになりました。ということで、食後すぐに大学を出て、ユザワヤへ。
6階の文房具売場で、絵の具や色鉛筆やパステルを見ていました。2つ買うべきか、1つですませられるかで迷って、紙だけ買って帰ることとしました。帰宅して、あかんぼうが幼稚園にちいさいちびを迎えに行っているあいだに、転記の作業は終了しました。この成績表は急がないので、来週の水曜日にでも教務に提出しようと考えています。
[採点終了]
採点を終えるとさすがにほっとします。(内容的には問題があったのですが、そのことは後に。)入試にかり出されるまでに、来学期の準備をすすめておこうと思います。新学期がはじめるといきなりぐんと忙しくなることは目に見えています。4月が終わるところぐらいまでは準備が整っていないと、もたない気がします。
おおきいちびといっしょに6時半。「寒いバレンタイン」、そういうふうにニュースが言っていたそうです。[採点続行中]
私自身の授業、月曜日2限の「科学技術と社会」並びに木曜日3限の「科学思想史」については、転記まで終わりました。あとは、教務課に提出するだけです。さて、これで終わらないのが今年のつらいところ。木曜日5限の「表象文化とグローバリゼーション」の答案が、終わったものをあわせたのとほぼ同じ数あります。
たいへんな仕事をがんばってやっと終わったと思ったら、同じ量の仕事がふりかかってきたのと同じような事態です。一度終わったと思っただけに、よけいきついのですが、この週末で処理したいと思います。目の前にやっていない仕事が山をなしているのも、精神衛生上よくありません。土曜日ぐらいまでに、息をつめて、がんばりたいと思っています。ずっと家のなかにいると運動不足になります。編集委員会の郵便物を郵便局に出すついでに、近所を一周して、次の2冊の雑誌を買ってきました。
『文芸春秋』2008年3月号
『現代思想』2008年2月号、特集:医療崩壊―生命をめぐるエコノミー
採点の息抜きに、『文芸春秋』は目を通しました。
ひとりで6時半。肩凝りがひどい。あかんぼうは起きていました。ちびどもも7時までには起きてきました。9時にちいさいちびといっしょに家をでて、まず郵便局で2点編集委員会の仕事を処理したあと、幼稚園にちびをおくりました。それから、総武線に乗車し、飯田橋へ。強風が帽子を飛ばしそうになるなか、印刷所まで歩いていきました。
もうひとりの編集委員の方といっしょに青焼き校正(最終校正)。
3月5日前後に発送されます。そのままその方と新宿までご一緒したあと、私は大学へ。
多磨駅に着いたのが、12時過ぎ。駅前の中華料理屋で、四川焼きそばを食べてから、研究室へ。13時〜13時40分と、17時20分〜18時の2回、修論の審査があります。
その間がおおきくあくので、最終段階に入っている『総合文化研究』11号の編集作業に立ち会っていました。優秀な院生諸子がやってくれているので、任せても安心なのですが、責任者が判断しないといけない箇所もでてきます。編集というのは、首尾一貫性・論旨一貫性・表記一貫性を確保するため、どんなえらい先生の原稿でも赤を入れる必要があります。びびったときにあとおしをする、それが私の役目です。表紙、裏表紙の図案もほぼ固まったところで、帰ることにしました。
なんと、昨日とまったく同じ多摩駅6時52分発の電車でした。
帰宅すると、あかんぼうはすでに就寝したあとです。食後妻に聞くと、あの寒い風が吹くなか、三輪車でクイーンズまで行ったんだそうです。私が自転車で行ってもきつい坂があります。あかんぼうはクイーンズに着いた時点で三輪車はいやになったようです。
そのままクイーンズに三輪車を残したまま、歩いて帰ってきたそうです。体力がついてきました。
ひとりで7時前。あかんぼうはとっくに起きていました。今日はまた寒くなり、雨/雪という予報。午後から会議。
大学院企画運営室会議:1時〜2時(?)
学部教授会:2時半〜?
→大学院企画運営室会議は2時25分までかかりました。
→学部教授会はなんと、6時50分までかかりました。最近では最長です。
ひとりで6時前。風邪の状態は、一進一退。昨夜は鼻がつまり苦しい思いをしました。おおきいちびも同じ症状。ひさしぶりに家族そろって外出し、お昼ご飯。ちびどもの希望により、荻窪の駅ビル。
食後、おもちゃ売場で遊んでいましたが、おもしろくないとのこと。屋上に行きました。今日は、風も弱く暖かい。こどもたちが大勢集まっていました。休日なので、お父さん達の姿もちらほら。
最近は、ちびどもがあかんぼうの遊び相手をしてくれます。ほとんど座ってみているだけですみます。室内に入ったあとのクレーンゲームだけすこし手伝ってやりました。
あかんぼうもやる気満々です。とりあえず、5円玉と10円玉をもたしてやりました。
かぞくそろって7時前。積雪1センチでしょうか。思ったほど降らなかったようです。本日は、午後東工大で編集委員会。
その前に打ち合わせがあり、1時15分に家をでました。駅前の本屋さんで『中央公論』と『アエラ』を買ってカバンに入れ、電車のなかで読んでいました。
あれ、と思ううちに、大岡山に着いていました。喫茶店を探して、大岡山駅前の商店街を少し探索しました。
打ち合わせは、無事にすみました。
4時から、東工大で編集委員会。こちらもスムーズに進行しました。5時50分ぐらいに終了。体調もあり、夕食にはつきあわず、そのまま帰ってきました。帰宅すると次の本が届いていました。
浅田彰・伊藤俊治・四方田犬彦責任編集
『GS・たのしい知識 3号 特集=千のアジア』
冬樹社 、1986特集に関わる目次は次の通りです。
松枝到「外のアジアへ、複数のアジアへ」
柄谷行人×浅田彰「〈オリエンタリズム〉をめぐって」
エドワード・サイード「オリエンタリズム 序説」(板垣雄三訳)
丹生谷貴志「歴史の〈外部〉」
笠井潔「〈オリエンタリズム〉とライダー・ハガード」
ドナルド・F・ラック「キャセイ:ヨーロッパの鏡,解釈の織り布」(高山宏訳)
高山宏「〈アジア〉フェイクロア」
山口幸夫「上海:二つの通りから」
エレーヌ・ラロッシュ「なぜ〈マカオ或いは差異に賭ける〉なのか?」(鈴木圭介訳)
イェルジー・ヴォイトヴィッチ「我々の街の過去と現在の記憶」(鈴木圭介訳)
村松伸「天安門にゴジラが出没する日」
島尾伸三+潮田登久子「繪圖増注朱子政治家格言」
「上海之騙術世界」(郭中端編注)
久保キリコ「シンガポール絵日記」
エリック・アリエーズ+ミシェル・フェエール「ソフィスティケーテッド・シティ」(浅田彰・市田良彦訳)
朝吹亮二「詩的東洋:I.Y.への手紙」
松浦寿夫「東紅」
藤井省三「魯迅における「白心」の思想:エーデンの童話と蕗谷虹児の抒情画」
西澤治彦「飲茶の話」
杉山太郎「中国映画『舞台姉妹』のシネマツルギ」
国吉和子「功夫映画:「見せる武術」の装置」
市田良彦「毛沢東の戦争論」
生井英考「ジャングル・クルーズにうってつけの日」
荒俣宏「環太平洋ユートピア構想ノート─あるいは大東亜共栄圏の不可能性」
伊藤俊治「バリBALI 神々と遊ぶ、神々と死ぬ(南島論1)」
管洋志「バリ」
小沢秋広「アルトー・バリ島演劇・メキシコ‐アジアを通って」
岩瀬彰「「洗礼」の変容」
浅田彰+四方田犬彦「ナムジュン・パイクへの質問」
金両基+四方田犬彦「ハングルの世界」
植垣外憲一「ハングル論」
李康列「マダン劇小考:仮面劇の現代的伝承のために」
催仁浩「訪日エッセイ」
関川夏央「ソウルの復習問題」
四方田犬彦「タルチェムからマダン劇へ」
ちいさいちびといっしょに7時前。あかんぼうはとっくに起きていました。今日は、学校開放日(昔の授業参観日)のおおきいちびもいつもと同じぐらいの時間に起きたようです。私は、朝一番の仕事です。おおきいちびといっしょ、あるいはおおきいちびより少し早めにでます。7時45分に家をでました。8時6分武蔵境発の西武多磨線に間に合い、8時20分頃には大学に着きました。
西荻の駅には、東京女子大の受験生が集まってバスを待っていました。お母さんもけっこう混じっています。武蔵境の駅には、ICU の受験生がバスを待っていました。
土日の朝早くでなければ、出会わない光景です。
お茶を入れてから、すこし処理。それから業務。業務は9時半には終了したので、そのまま帰ってきました。西荻駅に10時過ぎに到着。駅前のセイユウで紙と薬(葛根湯)を買い、小学校の前を通って帰ってきました。おおきいちびのクラスは校庭でサッカーをやっていました。おやつの時間に小雪が舞ってきました。すぐに止みましたが、気温がぐんと下がりました。肌を刺す寒さ。この雰囲気だと夜には雪が降り積もるのではないでしょうか。
夜になると、パラパラと音を立てて雪が降り始めました。
ひとりで6時20分。あかんぼうは起きていました。今日が誕生日のおおきいちびは6時半。ちいさいちびは8時過ぎ。おねえちゃんがでかけたあとです。さて、明日も仕事。日曜日も仕事。
ちいさいちびの風邪がうつったのか、鼻水と咳。まだ風邪ではありませんが、2歩手前といったところです。妻は、1歩手間といったところです。
もうしばらくは頑張らないと。昨日の試験のうち、科学思想史の採点をぼちぼち進めています。こちらは、悪くはありません。月曜日2限と比べるとぐんとまし。
自分のための覚え書きです。
駒場シラバス提出締切:2月15日(金曜日)
4年生成績提出締切:2月19日(火曜日)
その他成績提出締切:2月29日(金曜日)
来年度の月曜日と木曜日。(授業日程)
2008年度月曜日
2008年度木曜日
科学思想史の採点は終わっていませんが、様子を見たかったので、ちびどもが寝静まってから、「表象文化とグローバリゼーション」の方も、1時間ほど採点してみました。こちらは、2極分解しています。
ひとりで7時。あかんぼう、おおきいちびは起きていました。午前中に、月曜日の試験の採点を終了しました。正直に記しましょう。がっかりでした。
今日は、2コマの試験。大学の学年末試験はこれで終わり。
→無事終了しました。3限の試験では、2人、5限の試験では、1人、学生証を持っていない学生がいました。そのうち、2人は、財布も何も持っていませんでした。信じがたいことですが、そういう剛胆(?)な学生がいるわけです。
ちいさいちびといっしょに7時20分。今日は一転して寒いという予報。最高気温4度。気温の変動のせいか、妻とちいさいちびがよく咳をしています。朝方から雪がちらつきはじめました。日中は積もることがない雪だと思われます。しかし、このまま降り続けると、明日の朝には積もっているかもしれません。
ひとりで6時。昨日昼寝からそのまま寝続けたあかんぼうはとっくに起きていました。やっと暖かくなるという予報。一歩も外出しませんでした。
今私は編集長を2つやっています。ひとつは、『化学史研究』。こちらは、梶さんから引き継いでから1年が経ちました。もうひとつは、学内の研究所(東京外国語大学総合文化研究所)の『総合文化研究』第11号です。こちらは、この1号限りの編集長です。
今日家にいるあいだに、2つともに、編集後記を記しました。どちらもそれほど長いものではないのですが、気持ちが乗らないときには、着手できません。
今日は学生の答案は一切見ることなく、この原稿を仕上げることを優先しました。
『化学史研究』第1号の編集後記は、今手元にあるHSS のニューズレターの冒頭記事(「ウィキペディアと科学史」)に触れる形で書きました。専門的知識を有する者がウィキペディアの編集にコミットした方がよいという趣旨です。
7時10分。地面はところどころ凍結しています。晴れ。昨日の夜、一応、シラバスを作ってみました。
卒論演習
総合科目III「科学技術と社会」
科学思想史(講義)
科学思想史演習
大学院(月曜日3限)
大学院(月曜日4限)
(リレー講義は別途)ちいさいちびを幼稚園におくったあと、大学へ。まずは、試験の準備をしました。今回は、解答用紙も作ったので、解答用紙を人数分+α印刷しました。
試験は、とくにトラブルもなく終了。ひまだったときのためにポケットに一冊文庫本を忍ばせましたが、教室を見回ったり、考え事をしているうちに時間は過ぎました。
知っている顔は2人のみ。ゼミの学生です。二人ともほぼ最後まで頑張っていました。お昼ご飯のあとは、まず本年度残った予算の処理。ついで、昨日作成した来年度シラバスをウェブ入力しました。正確には、しようとしました。数度パスワードをけられました。関係事務に問い合わせようと思った瞬間、パスワードの最初が数字のゼロ0ではなく、大文字のオーO であることが判明しました。これはわかりづらい。ふりがなをつけてもらいたいと思いました。
前期・後期に分割しているので、入力する数が多く、1時間半近くかかりました。編集作業のときにいくらかまた修正したので、上にあげているものと表現がいくらか違ってきました。(内容として本質的な差はもちろんありません。)その後、研究所に赴き、『総合文化研究』の編集進行状況を見てきました。&同僚の先生方といくらか雑談。
帰宅すると、アマゾンより次の本が届いていました。
Scott Yanow
Jazz On Film: The Complete Story of the Musicians & Music on Screen
San Francisco: Blackbeat Books, 2004持ち帰った答案をいくらか採点してみました。うーん。人の話をきちんと聞いて、きちんとまとめるという基本において、心配になってきました。ノートを取る力が落ちてきているのではないでしょうか。
→聞く力は必要です。人の話をきちんと聞く人間がいなくなるという事態を想像するのは恐ろしい。すこし、授業や試験のやり方に新しい工夫が求められるかもしれません。来年度に向けて、考えます。
ひとりで6時50分。外が白い。窓を開けると、一面の雪。積もっている量から言って、早朝に降り始めたものでしょう。
あかんぼうは4時半ということです。ちびどもは7時から8時の間でしょう。夕刻になっても雪が降り続けています。ただし、べたべたの雪です。どうせ降るなら、ふわふわさらさらの雪がよいな。
面倒くさくてずっと放置していた、駒場の授業の成績をウェブでつける作業を行いました。面倒なのは、ID とパスワードです。せいぜい1年に2回しか使わない数字・記号です。とても覚え切れません。
ですが、実際にアクセスしてみると、拍子抜けするほど実に簡単にできました。紙に記すより心理的な壁が高いという状況はしばらく続くと思われます。
(世代の問題かもしれません。今の学生諸君は、まったく壁を感じていないかもしれません。)同じく面倒くさくて放置していた、来年度のシラバス作成作業を開始しました。まず、今年度のものをプリントして、赤を入れていきます。すべてべったりと私が授業を行うわけではありません(リレー講義の世話役が2つあります)が、10コマの授業のシラバスを記入する必要があります。2月7日までには完成させようと思います。
明日から試験。登録者数を確認しました。
総合科目III「科学技術と社会」:83名
「科学思想史」:94名
総合科目II「表象文化とグローバリゼーション」:212名
ひとりで7時10分。あかんぼうは昨日に続き、5時起きということです。昨日は昼寝をして、そのまま起きませんでした。すぐにでも雨が降りそうな空模様。
外部
昨夜、家族が寝静まったあと、ふと手元にある、相倉久人『背中あわせの同時代』を繙きました。「量子力学的筒井像」を読んでみました。筒井の文章の特徴を、量子力学的と形容するのが正しいのかどうかはひとまずおいておいて、新鮮な空気に触れた感覚がありました。テキストの深層の音楽的要素/身体的要素が聞こえてきます。
2007年度最後の講義は、イントロの部分だけ読み原稿を作って、あとは、話しの勢いにまかせました。私の場合、話す内容は原稿を仮に読み上げても大丈夫なように用意します。そうしないと、教壇においては話そうと思っていたことを忘れてしまう、また話し終えたあと何を話したのか忘れてしまう、からです。
しかし、1年に1〜2度、トピックスに関するメモだけで、自由に話すことがあります。いつもではありませんが、そういうときにふと訪れるドライブ感が一体何か、考えていました。読み原稿は用意しても、読み上げることはしない(あるいはできない)のですが、そういう場合と比べて、メモだけで話しているときには、明らかに身体のより深い部分が反応しています。そうしたとき、忘れていた感覚・感情を思い出すことがあります。
ひとりで7時。おお、もう、2月。昨日帰宅すると、アマゾンのマーケットプレイスより次の本が届いていました。
渡辺裕
『日本文化:モダン・ラプソディ』
春秋社、2002序 章 もうひとつの日本文化
第一章 「東洋」と「西洋」のはざまで―「新日本音楽」をめぐって
第二章 花柳文化と「近代」レコード産業
第三章 坪内逍遙のみた大阪―宝塚・歌舞伎・上方舞の出会った場
第四章 洋楽受容史再考―大阪からのまなざし
第五章 地場産業としてのレコード会社
第六章 日本舞踊とモダンダンスの「異文化接触」―楳茂都陸平の活動
第七章 「宝塚アイデンティティ」の形成とオリエンタリズム
第八章 近代国家日本の「国民劇」―宝塚と東宝の「戦時体制」
昼食後、郵便局で編集委員会の仕事を投函したあと、いつもの本屋さんで、次の2冊の総合雑誌を買ってきました。
『月刊現代』2008年3月号、『論座』2008年3月号授業そのものは、昨日で終了しました。いろんな事務的用件が残されています。編集委員会の仕事はもうすこしで第1号を完了することができます。(あと2頁分。)
3時過ぎに、次の本が届きました。去年の10月21日に発注したものです。
Brunetto Latini
The Book of the Treasure
Li Livres dou Tresor
(Garland Library of Medieval Literature)
Translated by Paul Barrette and Spurgeon Baldwin, Garland, 1993発注から時間が経っています。何を思って発注したのか忘れてしまっています。内容を見ると、確かに私には有用であることに違いはないのですが。。。
2008年
1月
2007年
台北滞在記2007
(台北滞在記2004)
田舎にて2007
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1997年
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