新幼稚園児のおしめがあふれて、やはり、6時。新幼稚園児には、お弁当が始まったストレスがあるようです。新しい生活で2週間。お友達と遊べるのはうれしいようですが、新生活に伴うストレス・疲れは確実にあるようです。
ちいさいちびは、昨日から咳。風邪とまではいきません。もともと喉や気管支がすこし弱い。咳だけしています。吉祥寺で熱っぽいと思い、帰宅して体温をはかると案の定微熱がありました。37.3度ぐらい。夕刻寝ている間に少し熱が上がり、38度。典型的な風邪の症状です。先週行事が多かったので、疲れたのでしょう。
[ベイコンを読むボイル ]
6月のスケジュールを見ました。いつもの授業の他に、2回、授業が付け加わります。それだけでも割と負担なのに、金曜日の3限の駒場の授業で「ベイコンを読むボイル」を話します。6月19日。出来れば、すぐに投稿できるレベルまで完成させて話をしたかったのですが、スケジュールをつらつらよく見ると、それは時間的にも体力的にも無理なようです。しかし、できるだけ、完成に近づけておきたい。私のまとめたフランシス・ベイコンと全集を見ていました。ボイルの側から言えば、新しい展開は、全集の第4巻から始まります。『色の実験誌』(1664)と『冷の実験誌』(1665)がはっきりとベイコン的な自然誌・実験誌の著作として刊行されます。両著のタイトルページにベイコンから次のラテン語のフレイズの引用があります。
Non fingendum, aut excogitandum, sed inveniendum,
quid Natura faciat, aut ferat. Bacon.紙の全集を見ていると、ともに、ボイルがベイコンのどこから引用したかは特定されていない(has not been located)と編者は記しています。しかし、私のサイトでは、「編者は、この引用句の出典を、Novum organum (1620), ii, 10 としています。」と記して言います。え?
私は紙の全集版とCD-ROMの全集版を同時に使っています。これは、つまり、紙の全集版の出版の後、編者が引用箇所を突き止め、その情報をCD-ROM全集版に採録したという事態を意味します。わー、これは、ちょっと面倒です。今でも学術作品における引用は通常紙の全集版から行いますが、CD-ROM全集版(とくに編者注)を使った場合には、紙の全集版と照合しておく必要があるということになります。
編者諸子は、改善・改良のために、紙の全集の刊行後わかったことをCD-ROM版に付け加えたのでしょう。それ自体は、よいことです。しかし、私の作業には、もう一手順付け加わることとなります。もちろん、諦めて、もう一手順を遂行するしかありません。
今回の作業では、できるだけ多くの引用箇所を突き止めておきたいと思います。
まったく別の話題になりますが、 Bacon: The Major Works including New Atlantis and the Essays (Oxford, 1996) の巻末の注釈(Brian Vickers)は有用です。とくに、ベイコンの英語は、近代英語(modern english)なので、読めてしまうのですが、同じ単語でもかなり現在の用法からは相当意味がずれているものがあります。正確に読むためには、こうした学術的ツールが必須になります。
また純粋に紹介的な記事も関連事項をよくまとめてくれていて、役に立ちます。
4時40分に目覚めて、雨音。まるでもう梅雨に入ったかのようです。本日は、午後、編集委員会&理事会。
→編集委員会は50分ほど。理事会は、2時間半。疲れがたまっているので、終了後の食事会・飲み会には参加せず、そのまま帰宅しました。
帰宅するとちびどもも帰ってきたばかりでした。ワタミで食事をして、それからカラオケに行ってきたと言うことです。新幼稚園児さえも、マイクをつかんで大喜びで歌を歌っていたということです。[GoogleBook Today : Felix Platter; Boyle in Latin; ]
ボイルのラテン語版を5点、グーグルブックからダウンロードした時点で、21世紀に到達しました。すなわち、2001点に達しました。量質転換。こうした作業の場合、速度は本質的要素です。1.87MB/sec まで見ました。はやく2MB/sec を見てみたい。Platter, Felix
Quaestionum medicarum paradoxarum et endoxarum
Basel, 1625Platter, Felix
Observationum in hominis affectibus plerisque, corpori et animo
1614Platter, Felix
De corporis humani structura et vsu
Froben, 1583Platter, Felix
Thomas Platter und Felix Platter, zwei Autobiographieen
Basel, 1840Boyle, Robert
Tentamina quaedam physiologica diuersis temporibus & occasionibus conscripta
1667Boyle, Robert
Experimenta ... de Coloribus
Amsterdam, 1667Boyle, Robert
Tractatus De Cosmicis Rerum Qualitatibus.
1671Boyle, Robert
Tractatus. In quibus continentur, I. Suspiciones de latentibus quibusdam ...
Amsterdam, 1676Boyle, Robert
Experimenta, circa mechanicam ... qualitatum originem
London, 1692
新幼稚園児のおシッコがおしめからあふれて6時。ともかくよく水分を取る子です。昨夜は何を飲んだのでしょうか。
雨は上がっている模様。→まったく上がっていませんでした。小降りになっていただけのようです。まるではやくも梅雨に入ったかのような、強く降ったり、弱く降ったりという雨降りが続いています。疲れが肩だけではなく、背中全体にも来ています。昨夜は、背中の上部が全体として肩凝りというような状況に陥りました。
駒場の授業。5月祭なので、休みかと思ったら、結構学生がいます。ただし、いつもよる少ないことは少ない。あとで、ちゃんと話を聞くと、午前中は授業があって、午後から学部のみ全学休講ということです。大学院は?という私の質問に、教務課の指示は、好きにして下さい! わおー。なんでしょう、これは。
ベイコンについて、かなり様子が分かってきました。
Knくんから、クリストフの博士論文の一部をもらいました。顕微鏡をどうしてベイコンが評価しなかったのか、という点に関します。一応話の筋はわかります。
(Matter and Microscopes in the 17th Century, A Thesis presented by Christoph Herbert Lüthy to The Department of the History of Science, 1995, pp.231-240.)
しかし、そういう話の筋もありえるというだけで、説得的ではありませんでした。ほんとうのところ、そうした読みを取る根拠が提示されていません。簡単にまとめれば、どれだけ拡大しても、精気は見ることが出来ない。(クリストフの主張では、ベイコンは最初から見えない不可視の存在として精気を規定している。)自然のプロセス、隠れた働きを支配しているのは、精気である。それゆえ、顕微鏡によって、自然の隠れた構造を見出すことはできない。ベイコンはこう考えた、ということです。
最初の時点でそう考えたとしても、ここはまさに微妙 subtle ではないかと思います。第1点。「隠れた構造と過程(latent schematism and process)」という用語はまさに粒子的な配置の方に親和性があると思われること。
第2点。シルヴィア・マンソの丁寧で精密な研究が明らかにしたように、ベイコンは、決して機械論的な原子論(純粋な原子論)の立場に立ったことはないとは言え、原子論的発想にはなじんでいたという点。
かなり直感的表現ですが、8割まではベイコンは原子論者であったことがあったと言えると思われます。「精気→←原子」の相互転換のなかで、ベイコンがどこまで正確に思考できていたかが疑われます。したがって、この問題はベイコンの表現からだけでは決定しがたい問題だと位置づけるべきように思われます。やはり、ポイントとなる箇所を引用しておきましょう。『世界の大思想』から。
(第1巻50)「触知される物体のうちに閉じこめられた精気の作用はまったくかくれていて、人間によってとらえられない。なおまた、粗大な物体の諸部分におけるいっそう微細な構造の変化(それはふつう変化とよばれているが、じっさいは微粒子間におこる移動である)もまったく知られない。しかしそれにもかかわらず、わたくしがうえにあげた二つのものが探究され、正体をあきらかにされないかぎり、自然界において何も大きな成果をあげることはできない。」(p.241)
Itaque omnis operatio spirituum in corporibus tangibilibus inclusorum latet, et homines fugit. Omnis etiam subtilior meta schematismus in partibus rerum crassiorum (quem vulgo alterationem vocant, cum sit revera latio per minima) latet similiter: et tamen nisi duo ista, quae diximus, explorata fuerint et in lucem producta, nihil magni fieri potest in natura quoad opera.
(第1巻51)「人間の知性は、その固有の本性からして、ひき離されたもののほうにひっぱられて、変化するものを恒常不変であると考えがちである。しかし、自然をそのようにひき離すよりも、自然を分解するほうがよいのであって、このことは、他の学派よりも自然をふかくきわめたデモクリトスの学派がなしたところである。われわれが考察せねばならぬのは、むしろ質料、すなわち質料の構造とその変化であり、純粋活動とその活動ないし運動の法則である。というのは、形相は人間の精神がこしらえたものであるからである。もっとも、かの活動の法則を形相と呼ぼうとするのなら話は別である。」(ibid.)
Intellectus humanus fertur ad abstracta propter naturam propriam; atque ea, quae fluxa sunt, fingit esse constantia. Melius autem est naturam secare, quam abstrahere; id quod Democriti schola fecit, quae magis penetravit in naturam, quam reliquae. Materia potius considerari debet, et ejus schematismi, et meta-schematismi, atque actus purus, et lex actus sive motus; formae enim commenta animi humani sunt, nisi libeat leges illas actus formas appellare.
[GoogleBook Today : Kircher]
Kircher, Athanasius
Physiologia Kircheriana experimentalis
Amsterdam, 1680Kircher, Athanasius
Prodromus coptus siue aegyptiacus
1636Kircher, Athanasius
Obelisci Aegyptiaci nuper inter Isaci Romani rudera Effossi Interpretatio ...
Rome, 1666Kircher, Athanasius
Pantometrum Kircherianum
1660Kircher, Athanasius
Arithmologia sive de abditis numerorum mysterijs
1665Kircher, Athanasius
Mundi subterranei: Tomus IIus in V. libros digestus
Amsterdam, 1678Kircher, Athanasius
Sphinx mystagoga
Amsterdam, 1676Kircher, Athanasius
Scrutinium physico-medicum contagiosae...
1671Kircher, Athanasius
Magnes: sive de arte magnetica
Coloniae Agrippinae, 1643Hernandez, Francisco
Opera
Volumen Secundum, Matriti, 1790Busbecq, Ogier Ghislain de
Itinera Constantinopolitanum et Amasianum
Antwerp, 1582Busbecq, Ogier Ghislain de
Epistolae ad Rudolphum II.
Bruxellis, 1631Busbecq, Ogier Ghislain de
Lettres du baron de Busbec ...
Paris,1748
3時半。もちろん、早すぎです。[GoogleBook Today : トマスとカスパーのバルトリン他]
現時点で、UCM(マドリッド大学デジタル・ライブラリー)の蔵書をグーグル・ブックはかなりカバーしているようです。マドリッド大学から提供を受けたということでしょうか。時間があるときにきちんと調べてみます。下は、トマスとカスパーのバルトリン親子の著作から。彼らの自然学教科書はかなり読まれたようです。
Bartholin, Caspar
Enchiridion physicum
Argentinae, 1625Bartholin, Caspar
De tibiis veterum et earum antiquo usu libri tres.
Rome, 1677Bartholin, Caspar
Enchiridon logicum ex Aristotele
1628Bartholin, Caspar
Institutiones anatomicae: novis recentiorum opinionibus
1645Bartholin, Caspar
Anatomicae institutiones corporis humani, utriusque sexus historiam et ..
Gentora, 1626Bartholin, Caspar
Enchiridion physicum ex priscis et recentioribus philosophis accurat ...
Argentinae, 1625Bartholin, Thomas
Thomae Bartholini Casp. f. De latere Christi aperto dissertatio
Lugduni Batavorum, 1646Bartholin, Thomas
Epistolae Medicinales la Doctis vel ad Doctos scriptae
Hafniae, 1663Bartholin, Thomas
De hepatis ex autorati desperata causa
1666Bartholin, Thomas
Th. Bartholini De cometa
Hafniae, 1665Bartholin, Thomas
De Luce hominum & Brutorum Libri III
Hafniae, 1669Bartholin, Thomas
De medicis poetis dissertatio
Hafniae, 1669Bartholin, Thomas
De armillis veterum schedion
Amsterdam, 1676Bartholin, Thomas
De lacteis thoracicis in homine brutisque nuperrim ..
1654Bartholin, Thomas
Thomae Bartholini Cista medica hafniensis, variis consiliis, curationibus ...
Hafniae, 1662Bartholin, Thomas
De luce hominum et brutorum, libri III
Hafniae,1669Bartholin, Thomas
De unicornu observationes novae
Amsterdam, 1678Alpinus, Prosperus
P. Alpini De Medicina aegyptiorum libri quatuor
Paris, 1645
ひとりで5時20分。肩が痛い。たまった疲れが肩に来たようです。[ガリカ・プロジェクト現状]
「千のキミア」プロジェクトとしてスタートしたウェブ上での科学史原典の収集作業ですが、現状、戦後に達しました。すなわち、1951点です。
グーグル・ブックの最近の充実ぶりと高速性に大いに依拠する進展です。初心に帰って全体をもう一度見直す作業を行います。たぶん、それで、21世紀に到達するはずです。ボート大会にて大学は全学休講ですが、会議はあります。しかも重要な会議です。
新幼稚園児が起きて、6時30分。ちびどももほぼ同じ時間に起床したようです。快晴。暑くなりそうです。午前中に要町で出張校正。
要町は2回目です。前回は電車が遅れました。今回はスムーズに動きました。池袋から一駅なので、交通の便はかなりよい。青焼き校正そのものは、1時間半で終了しました。新宿駅で、駅そば(冷やしたぬきそば)を食べてから帰宅。
午後、次の本が届きました。
Phillipp W. Rosemann,
The Story of A Great Medieval Book: Peter Lombard's Sentences
Toronto, 2007出張校正の帰り道、近所の電機屋さんによって、風呂場の換気扇の修理をお願いしました。どうもお忙しいようで、もしかしたら今日の夕刻いけるかもしれないが、金曜日になるかもしれないという返事です。ともあれ、お願いしますと言って帰宅。
夕刻、ちょうどおおきいちびが入浴しているときに、来てくれました。しばらく待ってもらい、おおきいちびには出てもらいました。
新幼稚園児が興味津々。点検の様子をじっと見ています。途中脚立を取りに一度戻られました。結論としては、私の予想したスイッチの故障ではなかったようです。本体が故障しているということでした。電機屋では対応できないので、リフォームに対応している工房または大工さんにお願いして下さい、ということでした。仕方ありません。大きな電機屋さんに行って、換気扇そのものを買い換え、取り付けを依頼することにしました。
ひとりで5時過ぎ。就寝前は、雷を伴う豪雨でした。今は上がっています。天候がどんどん夏に近づいています。2限、3限、4限の授業。
4限の大学院の授業では、中嶋毅(なかしま・たけし)氏による、満洲に存在したロシア系教育機関の研究を発表してもらいました。
当時のハルビンが独特の魅力あふれる都市であったか、よくわかりました。あの種のコスモポリタン的都市は、世界史においても、それほど類例がないと思われます。
ひとりで5時過ぎ。5時をすぎていると、もうすっかり朝です。夜半にすこし雨が降りました。雨上がりの朝となっています。8時頃にまた降り始め、小雨が降ったり、ほぼ止んだりを繰り返し、3時頃にはすっかり晴れ上がりました。
ハロー西荻のお祭りは、今日も継続しています。おおきいちびは昨日と同じコンビで、スタンプラリーの完成に出かけました。2つだけ残していました。11時50分に帰宅。小学校のフリーマーケットにも(予想外でした)でかけ、もたしたお小遣いでいろんなものを買ってきました。
おねえちゃん、ずるい! ちいさいちびの反応です。仕方がないので、午後、ちいさいちびと新幼稚園児を連れて、小学校へ。雨が降ったので体育館でだけフリーマーケットをやっています。たいしたものがありません。新幼稚園児は、10円のブア。ちいさいちびは、ビーズ細工。
おねえちゃんと比べて不満そうなので、おねえちゃんに電話して、本屋さんで、欲しがっていた本を買わせることとしました。二人とも昨日演技者として参加したので図書カードをもらっています。ちいさいちびは20円余り、おおきいちびは100円ちょい超過しました。
雨のなか、小さい子どもを連れていくと、大変です。疲れました。
ひとりで4時半。ちょうど朝が本格化する時刻です。小鳥たちの鳴き声がにぎやかです。外を散歩しても気持ちがよい時間帯です。今日は、ハロー西荻という西荻窪商店街が主催するお祭りがあります。ちびどもは、オープニングセレモニーとして太鼓をやります。その後、お祭りの行事を楽しみにしています。
この土日、九州で学会をやっています。今年は、スケジュールを考えて、参加を見合わせました。金曜日にでかけた駒場では、朝出発した人も、午後出発する人も、いろいろいました。飛行機を使う人も、新幹線を使う人も。
[進歩し拡張するグーグル・ブック]
2007年3月の時点で、どう捜しても見つからなかった本をグーグル・ブックで捜す作業を始めました。たったの2年間ですが、見違えるほどの進展です。版の差異を調べられるほどには至っていませんが、私の研究対象とする16世紀から17世紀にかけては、驚くべき拡張力です。始めたばかりなので、割合は現時点では何とも言えませんが、かなりの確率で捜し出せる感じです。まとまったところで、報告を挙げます。なお、グーグル・ブックの良さは、その高速性にもあります。2M/s まではいっていませんが、私の環境でも、1.8M/s の数字は見ました。他の同類のサイトと比べて圧倒的な速さです。家庭内LAN は、古い10BaseTです。個人的には、Mの単位は、ただの理論的数値だと思っていましたが、回線とサーバーによっては、理論的最高値の何割というレベルまではいくようです。100K/s 前後で一喜一憂していた時代からすれば夢のようです。
取り合えず、何例か。
グーグル・ブックスにマールブルク大学医学・化学教授ヨハネス・ハートマンの『化学実践』がありました。ジュネーヴで1659年に出版されたものです。Hartmann, Johannes
Praxis chymiatrica
Geneve,1659
私のような研究をしていると、これだけの情報では足りません。『化学実践』の版には何種類かの系統があります。初版は、Leipzig 1633。次は、Geneva, 1635。(別の出版者から出ています。)この版では、3つの論考が付加されています。3つ目から、ノンブルを変えています。
I. De oleis variis chymice distilatis.
II. Basilica antimonii Hameri Poppii ...
III. Marci Cornachini D.M. Methodus, qua omnes humani corporis affectiones ab humoribus copia, vel qualitate peccantibus ...
ノンブルと版型は次のようになります。
631, [33], 112, [12] p. ; 16 cm. (8vo).
"Tractatus Joannis Ernesti ... De oleis variis arte chymica destillatis"は、最初のノンブルのpp.397-594 を占めています。
"Basilica antimonii Hameri Poppii.." がpp.595-631 を占めています。
(このように、この1冊でもなかなか複雑です。)
私のような研究をしていると、この情報が必須になります。
ファガソンによれば、この版がその後繰り返し印刷されたとあります。グーグルにあるのは、この系統です。後には、医学化学全集も出版されます。
Opera omnia medico-chymica : in quibus praxis ejus chymiatrica, notae in Basilicam Crollii & Beguinii Tyrocynium, Disputationes chymico medicae, Tractatus de opio, Miscellanea medico chymica & Introductio in vitalem philosophiam continentu
Frankfurt am Main, 1684
[6], 170, [24], 150, [10], 64, [8], 120, [8], 23, [5], 78, [6], 60, [2]p : ill ; 36 cm (Fol.).つまり、7冊の合体と見た方がよい書物です。
ほぼ同じ趣旨での英訳も出版されています。
Bazilica chymica, et praxis chymiatricae, or Royal and practical chymistry in three treatises. Wherein all those excellent medicines and chymical preparations are fully discovered, from whence our modern chymists have drawn their choicest remedies / Being a translation of Oswald Crollius his Royal chymistry, augmented and inl. by John Hartman. To which is added his Treatise of signatures of internal things. Or, A true and lively anatomy of the greater and lesser world. As also the Practice of chymistry of John Hartman, M.D., augmented and inlarged by his son [G.E. Hartmann].
London, 1670
3 v. in 1 : woodcuts ; (fol.)
すなわり、実践的化学教科書(レシピ集)の合体版と見ておけばよいでしょう。実践的にはこのあたりが標準的なものだったわけです。(レムリに繋がる系譜もありますが、どの程度の違いがあったのでしょうか。)
Gassendi, Pierre
De apparente magnitudine solis humilis et sublimis epistolae
Paris, 1642Olaus Magnus
Historia de gentibus septentrionalibus... sic in epitomen redacta
Antwerp, 1558Olaus Magnus
Historiae septentrionalium gentium breviarium, libri XXII
Lugduni Batavorum,1645Manasseh ben Israel
Theophili Spizelii Elevatio relationis Montezinianae de repertis in America Tribubus Israeliticis; et Discussio Argumentorum Pro Origine Gentium Americarum Israelitica
Basel, 1661Manasseh ben Israel
De termino vitae libri tres
Amsterdam, 1639Heer, Henri de
Observationes medicae oppido rarae.
Accessit ejusdem Autoris Spadacrene Editio Secunda.
Leipzig, 1645Zwelfer, Johannes
Animadversiones in Pharmacopoeiam Augustanam
Norberigae, 1667Zwelfer, Johannes
Animadversiones in Pharmacopoeiam Augustanam
Norberigae, 1675Zwelfer, Johannes
Pharmacopoeia regia seu Dispensatorium novum locupletatum et absolutum
Norberigae, 1668Zwelfer, Johannes
Pharmacopoeia regia seu Dispensatorium novum locupletatum et absolutum
Norberigae, 1693Veer, Gerrit de
Vraye description de trois voyages de mer tres admirables faicts en trois ...
Amsterdam, 1598Veer, Gerrit de
Verhael van de vier eerste schip-vaerden der Hollandtsche en Zeeuwsche ...
Amsterdam, 1663Worm, Ole
Olai Wormii et ad eum doctorum virorum epistolae
2 vols., Havniae, 1751Bartholin, Thomas
De armillis veterum schedion: Accessit Olai Wormii de aureo cornu danico ad licetum responsio
Amsterdam, 1676Varenius, Bernhardus,
Geographia generalis,
Amsterdam, 1650
Varenius, Bernhardus,
Geographia generalis,
Amsterdam, 1664
Varenius, Bernhardus,
Geographia generalis,
Cambridge, 1693
Varenius, Bernhardus,
Descriptio regni Japoniae et Siam,
Cambridge, 1673
Varenius, Bernhardus,
A compleat system of general geography,
2 vols., London, 1734
Olearius, Adam
Relation du voyage de Adam Olearius en Moscovie, Tartarie et Perse
Paris, 1666
Olearius, Adam
Persiaensche reyse uyt Holsteyn, door Lyslandt, Moscovien, Tartarien
Amsterdam, 1651
Piso, Willem
Indiae utriusque Re naturali et medica libri quatuordecim, Quorum contenta pagina sequens exhibet
Amsterdam, 1658
Baerle, Caspar van, 1584-1648.
Casparis Barlaei rervm per octennivm in Brasilia et alibi gestarum, sub praefectura illustrissimi Comitis I. Mauritii Nassaviae &c. comitis, historia... Editio secunda.
Cleve: Tobias Silberling , 1660
新幼稚園児が、ママ、パンツ変えて、と言って、5時20分。夜だけしているおしめがあふれたようです。子どもたちは、やはり6時前後に起きてきました。私は、昨日処理すべきことを忘れており、急いで対応しています。
駒場の授業ですが、ライプニッツ研究家の院生にロッシを発表してもらいました。ライプニッツが何でも読み、何でも吸収する思想家ということで、ベイコンにも呼応しています。もちろん、ロッシが大家であり、レベルの高い研究者であることが大きいのですが、コメントもさすがライプニッツ研究家というものでした。
ただし、私は、妻のPTAの会合に間に合うよう自宅に帰る必要がありました。10分前に本日は打ち切りということにさせてもらいました。
走ることはしませんでしたが、たぶん最短経路で帰宅しました。ちょうどちいさいちびが帰り道を歩いている最中でした。お友達と二人でゆっくりと歩いています。追い越して、先に帰宅しました。PTAの会合は、遅ければ6時半、早ければ5時半と妻は予想して出かけました。6時過ぎに帰ってきました。
その間、おおきいちびはお友達が二人やってきて遊んでいました。新幼稚園児は途中から3人のおねえちゃんたちの間に無理矢理割り込んでいました。最初は嫌がっていたおおきいちびも諦めて付き合ってやったようです。ちいさいちびは、ひとりで、YouTubeを見たり、お絵かきをしたり。
次の本がアマゾンから届きました。
逸名作家、池上俊一訳
『西洋中世奇譚集成 東方の驚異』
講談社学術文庫、2009、600円宮台 真司
『日本の難点』
幻冬舎新書、2009『西洋中世奇譚集成 東方の驚異』は、予想よりずっと薄い本でした。『日本の難点』は授業でも使おうと思い、2冊目を購入したものです。
ひとりで5時半。昨日に引き続き、見事な快晴。夏の日射しが隣家の消えた窓から差し込みます。まぶしい。子どもたちは、6時前後に目覚めました。朝から仲良く遊んでくれるのはいいのですが、うるさい。仲良くしてもうるさい、けんかするともっとうるさい。仕方ありませんね。
3限、4限、5限の授業。その後、3年生ゼミと4年生ゼミ合体のコンパ。学生達が自分たちで設定から連絡までやってくれました。私は指定された場所に指定された時刻に顔を出せばよいだけです。去年からこういう感じが続いています。よい傾向です。
→卒論ゼミの学生たちといっしょに6時40分多磨駅発の電車に乗り、ちょうど待ち合わせ時間の6時50分に武蔵境駅北口に。すぐに全員が集合しました。
私は明日があるので一次会で失礼しましたが、学生諸君は割と多くが2次会に向かったようです。[本日の解体工事]
いつもは8時前後に、工事のおにいさんがたが数名見えます。新幼稚園児がでかける時点でまだ来ていなかったので、今日は休みかと思ったら、9時過ぎに来ました。かなり残っているゴミの片づけ中。[本日のGoogleBook]
研究室でふと思いついて、ホッティンガーの『オリエント史』がグーグルブックに上がっているのではと検索をかけてみました。ありました! ずっと捜していたものです。グーグルブックの拡張力にはすばらしいものがあります。Johann Heinrich Hottinger,
Historia Orientalis,
Zurich, 1660
なお、1660年版は、第2版です。1651年初版の増補改訂版です。もちろん、私の目的のためには、1651年の初版も欲しいのですが、ともあれ、実物を見る/読むことができるのは、大違いです。物理的状態ですが、初版は、 [16], 373, [23]p. ; 4o. 第2版は、 [20], 600, [24]p. (4o) です。オクタヴォは同じですが、本文が373頁から600頁へと大幅に増えています。内容的にどの程度増補されたかは、もちろん、本文を見比べてみないとわかりませんが、かなりの増補であることに間違いはないでしょう。
これはかなり興味深い書物です。初期のボイルが利用していたことははっきりしています。ボイルが一時期かなりアラビア語を勉強したと自分で書いているのは、これをよく読んだということかもしれません。世界でも取り組んでいる研究者はごく少ない模様です。十分価値のあるテキストだと思われます。
Boyle, Robert,
Some considerations touching the style of the holy Scriptures,
London, 1825
GoogleBookBoyle, Robert,
Treatises on the high veneration man's intellect owes to God,
London, 1835
GoogleBookDrummond, William
Origines: Phoenicia Arabia,
1826
GoogleBookThilo, Johann Karl ,
Codex apocryphus Novi Testamenti,
1832
GoogleBookHerbert, Algernon ,
Nimrod: A Discourse on Certain Passages of History and Fable ,
1829
GoogleBook
ひとりで4時。はやすぎます。4時だとまだ暗い。ちびどもは6時前。窓のところにちいさいなこどものゴキブリがいました。大騒ぎ。私はもう一度寝直しました。
快晴。隣家の消えた窓から、強い日射しが差し込んできます。
今月はこの時点で100枚。
午後、会議が4つ。授業の時間帯にあわせて、行われました。後半の3つは同じ部屋で連続です。
[本日の解体工事]
帰宅すると、道を隔てた平屋の隣家は一日にして解体されていました。ゴミは残っていますが、家はなし。
ひとりで4時40分。新幼稚園児は夜中なんども暴れていました。昨日一日いい子にしていたやっぱりストレスがあったようです。ちいさいちびは、今日はピクニック。1年生と2年生で、野川公園に行くと言うことです。私の勤める大学のひとつ手前の駅で下車します。
妻は PTAの仕事があります。朝新幼稚園児を送っていって、帰ってくるのも新幼稚園児といっしょということです。
妻にとっては、ほんとうに久しぶりにお昼に自由になれますが、今週は、PTAの仕事がピークだということです。実は、2週間ほど前から浴室の天井の換気扇が動かなくなっていました。ナショナル天井埋込形換気扇FY-17X5という型番があります。先日部屋の片隅から取扱説明書を引っ張り出してきました。一応メインテナンスの連絡先が書いています。電話してみました。2度電話して、2度とも電話中でした。前に、東京ガスがこういうサービスをやっているのを思い出しました。駅前のエネフィットというお店に連絡すると、一度見せていただきます、ということで、午後2時前にお兄さんが来てくれました。風呂場に案内して、スイッチを数度パチパチすると、ずっと一度も動いていなかった換気扇が動いています。お医者さんに行った途端に病気の治る子どものような機械です。
設置されてからたぶん15年ぐらいは経っていますから、いずれ寿命になると思いますが、動く間は、このままで行こうと思います。ずっと連絡しないといけないと思っていて、やっと連絡して来てもらうと、途端になおる。不思議なものです。
→直っていませんでした。夜、お風呂に入ろうと思ったら、スイッチの明かりが消え、換気扇が回転していません。スイッチが消えているので、スイッチ部分の故障(電気系統の接触不良)であることがはっきりしました。スイッチを交換してもらう必要があります。
[本日の解体工事]
建物は昨日の時点ですっかりなくなっていました。今日は、地面に散らばるものを片づけつつ、コンクリートの壁を壊しています。今日中に終わる様子です。
たぶん工事主任が若いのを叱る声がよく聞こえてきます。手順に関するものです。いちいち指示されなくても、自分で手順を考えて、やれという趣旨です。こういう工事現場では一番多い叱責でしょうか。[蒸留小史]
お昼過ぎに、スコットランドの本屋さんから次の本が届きました。R. J. Forbes, Short History of the Art of Distillation
Leiden : Brill, 1948
この分野の基本書です。実は、先週の金曜日に提出した(提出したあと何の音沙汰もないのはちょっと心配です)原稿のために発注したものですが、PayPal の手続きに手間取って、原稿執筆には間に合いませんでした。(でも、見直しが許されるのであれば、使うつもりです。)
PayPal はわかってしまうと便利な送金方法です。相手方に、クレジットカードのナンバーを教えることなく、スムーズに世界中どこへでもお金が送れます。
今回私が手間取ったのは、私の今使っているMacOS9+Internet Explorer のシステムが対応し切れていなかったせいです。途中まで行って、違ったかと思い、変更を試みたところ、フリーズ。ウィンドーズ側で説明をしっかり読んだ上で、操作をし直し、本屋さんと数度連絡を取りました。そういうことがなければ、何とか間に合ったはずだったのですが。。。実は、すでに他でも私の使っているPCシステムは、対応し切れていない点があります。アマゾンの入力欄が化けます。(化けるのはそこだけなので、欲しい商品を注文することはでくるのですが、もちろん、すこしだけ不便です。)グーグルニュースが表示されません。そして、ダウンロードの速度が遅い。
そろそろ変え時かもしれません。タイミングを見計らっています。
(ちなみに、有名な技術史家フォーブズのこの『蒸留術小史』は、ウェブキャットによれば、4館のみが所蔵しています。もちろん、ILL で取り寄せて利用することも考えましたが、将来のことを見越して、購入しておくことにしたものです。)
ひとりで6時20分。きれいに晴れています。昨日4時半に昼寝した新幼稚園児はそのまま寝続けて、6時35分現在まだ寝ています。よく寝てくれると助かります。寝不足だと、暴れたり、わがままをいったり、ひとにからんだり、ということがあります。こういう点、ちいさいこどもはわかりやすい。
2限、3限、4限の授業。
今日は新しいことが2点。
ひとつは、新幼稚園児のお弁当が今日からはじまります。つまり、これまでのように11時40分終了ではなく、2時まで幼稚園にいることになります。さて、ひとりでちゃんとお弁当が食べられるでしょうか。
よく寝たのがきいたようです。お弁当もちゃんと食べ、夕食もよく食べ、お風呂もひとりでよく入り、8時過ぎにみんなにおやすみの挨拶をしたあと、寝ました。ほんとう、こどもは睡眠です。よく寝ると、よい子になります。暑くなりました。28度4分ということです。疲れて帰ってくると、5月11日始まっ た隣家の解体工事が完了していました。(解体工事にかかった時間はちょうど1週間ということになります。)これまでは隣家に隠れて見えなかった私の部屋の窓が道路から丸見えです。窓際に、CDやら文房具やら何やらをただ雑然と置いている様子がありありとわかります。うーん、どうしましょう、片づけましょうか。それとも、遮光カーテンを買ってきて付けましょうか。
ひとりで5時20分。雨。9時前には雨は上がりました。
ベイコンに端を発して、フック以前の顕微鏡研究の様子を確認しておこうと思いました。ピエール・ボレル(Pierre Borel, 1620?-1671)のものがフック以前では、もっともまとまったもののようです。次の2点は、グーグルで入手できました。
Borel, Pierre (1620?-1671),
Historiae et observationes medico-physicae: Centuriae IV,
Frankfurt, 1670
Borel, Pierre (1620?-1671),
De vero telescopi inventore, cum brevi omnium conspiciliorum historia,
1655
しかし、顕微鏡による観察結果の集成としてもっとも重要な次の本はまだ見つけることができていません。
Pierre Borel, Centuria Observationum microscopicarum, 1655
あまり期待できませんが、ウェブキャットでも調べてみました。言語学者(言語の収集家)としてのボレルの著作は、日本の図書館にも入っています。しかし、科学史関係の著作はどうもまったくどの図書館も所蔵していないようです。嗚呼!
(私がリプリントで持っているBibliotheca chimica (1656) さえも所蔵しているところが見あたりません。)もちろん、Stelluti, Persio Tradotto, Rome, 1630 もOdierna(1644) も Fontana(1646)も見つかりません。
このあたりに、日本の科学史研究だけではなく、歴史研究の底の浅さが出現しています。もちろん、一義的には私を含めて科学史家の責任ですが、私には、一般史家だから、あるいは哲学者だから、顕微鏡や望遠鏡に関心をもたなくてよい、とする感覚が理解できません。たったひとつの小さな道具の発明が世界を変える(正確には世界の見え方を変える)ことがあります。もちろん、逆に、科学史家だから技術史家だから、社会に、法制度に関心をもたなくてよいとする考えもまったく理解できません。初期の顕微鏡研究の中心地は、チェシ公のリンチェイ・アカデミーのようです。ロッシとシンシアの著作によれば、最初に "microscopium" という用語を使ったのは、ヨハネンス・ファーバーがチェシ公に送った1625年4月13日付けの手紙のようです。
もう1点知りたかったのは、フック以前の複式顕微鏡そのものの様子です。ボレルの著作に解説図があります。意外でした。望遠鏡と同じく、凹レンズと凸レンズの組合せでできています。実物を見てみたい。レプリカでもよいので、どの程度見ることができるのか自分の目で確かめてみたいと思います。
さすがに欧米の(科学)博物館にはあるでしょう。日本はどうでしょうか。→『科学大博物館』における記述も読んでみました。1625年に「顕微鏡」と名付けられたことは記されていますが、私の知りたい部分は弱い。しかも、スワンメルダムが昆虫の変態という概念を反駁したという文は、明らかに誤訳だと思われます。スワンメルダムがはじめて下等昆虫でさえも(たとえば蝶)、自然発生するのではなく、卵から変態の過程を通して出現することを唱えたわけですから、まるで逆です。他の部分も翻訳が甘い。(意味を正確に捉え損ねているように思われます。)これは監訳者の責任でしょう。
→原文が手近にないので、ただの推測ですが、ここは、伝統的なメタモルフォーセスの概念(つまり、オヴィデウスの変身物語に出てくるような、任意のものから任意のものに変化するようなメタモルフォーセスという考え方)を拒否したということでしょう、おそらく。
新幼稚園児のおしめがあふれて5時20分。半袖では寒いぐらいです。さすがに寝る前に長袖のパジャマに着替えました。ちびどもがピアノの練習から帰ってきてからすぐに荻窪へ。ちびどもは、おじいちゃん、おばあちゃんが来たとき、いっしょに食べたレストランの、甘味パフェバーが気に入ったようです。ちゃんと食事をしたあと、3回もお代わりに行きました。子どものときから甘味は別腹なのでしょうか。びっくりするやら感心するやら。
食後、ちびどもとママが買い物をするあいだ、新幼稚園児を連れて屋上へ。あっちの乗り物、こっちの乗り物、乗り物に飽きると、滑り台、とばたばたばたばた動きまわっています。おねえちゃんたちが合流してからは、チューブで遊んでいました。私はひとりで先に帰りました。駅前のセブンイレブンですこし用事をすませてから、帰宅。ゆっくり休めるかと思ったら、割とすぐに、元気な新幼稚園児を筆頭に帰ってきました。
新幼稚園児が7時前に就寝してから、編集委員会の仕事。本体の2校と表紙の初校の校正。表紙は赤を入れるところが多く、手間取りました。
ひとりで4時半。涼しい。半袖、半ズボンのせいもあります。[今週のベイコン]
駒場の授業。リーズを読んでもらいましたが、その汎精気論とでも呼ぶべきコスモロジーは、ずいぶん不思議な世界だと感じられたようでした。
私がはじめてリーズを読んだときには、ともかく、これはすごい思想だとびっくりしたことを覚えています。リーズは「思弁哲学」と名付けていますが、ベイコンが読んだ中世・ルネサンスの自然哲学書・宇宙論書から、ベイコンが思弁によって構想したコスモロジー体系に他なりません。かなり独特のもので、他にほとんど類例を思い出すことができません。
汎精気論ということで言えば、ストア派も汎精気論ですが、ストア派のものともかなり違います。内容的に言えば、私は、ベイコンはまさにルネサンスの思想家と位置づけるべきだと考えています。読んでもらったのは、次。
Graham Rees assisted by Christopher Upton, Francis Bacon's natural philosophy : a new source : a transcription of manuscript Hardwick 72A with translation and commentary, (BSHS monographs ; 5), Chalfont St Giles, 1984なお、Knくんから、次の論文のコピーをもらいました。
Valeria Giachetti Assenza, "Bernard Telesio: Il migliore dei moderni, I riferimenti a Telesio negli scritti de Francesco Bacone"
→ベイコンがテレジオを使う箇所をたぶんほぼすべて特定しています。これで、ベイコンが何を使ったか、おおよそ見当がつきます。
[先週のベイコン]
先週のベイコンは、次のリサの論文を発表してもらいました。Lisa Jardine, "Revisiting Rossi on Francis Bacon: hands-on science," in John L. Heilbron (ed.), Advancements of learning : essays in honour of Paolo Rossi (Firenze : L.S. Olschki, 2007), pp.59-76
私の関心に重なるということもあり、大変面白い論文でした。この論文がよいのは、彼女が発見した鉱脈を掘り尽くしていない、むしろ、ここに鉱脈があるという指示にとどまる点です。さらにこれから自分でよい鉱石を掘り当てる可能性が残されています。(本人も自覚しています。)
私がとくに注目した点のひとつは、リサ(p.62)の引用する次の『ノーヴム・オルガヌム』(第2部39)の章句です。服部英次郎・多田英次訳を示しましょう。(p.361)
特権的事例のひとつに、「戸口の事例」または「門の事例」と呼べるものがある。感覚のなかで中心を占める視覚では、1)見えないものを見えるようにするもの、2)遠距離から知覚できるようにするもの、3)いっそう精密に見えるようにするもの、という3種類が考えられる。
「第1類のものには(正常でない視力の欠陥を矯正し軽減するのに役立つだけで、したがってそれ以上には何も告知しない眼鏡などといったものを別にすると)最近発明された顕微鏡がある。これは物体のひそんでみえない細部と隠れた構造と運動とを(映像の大きさを異常に増大させることによって)示してみせるものであった、その力を用いると、ノミ、ハエ、シラミの身体の正確な輪郭や特徴が、そしてまた以前にはみえなかった色や運動が識別されて、大いにおどろくのである。・・・・・・この顕微鏡はただ微で細であるものに対して役だつだけであって、このような顕微鏡を、もしもデモクリトスがみたなら、おそらく彼はとびあがって喜び、アトム(これをかれはまったくみえないものだと断定した)をみる方法が発見されたと考えたであろう。」「第2類のものには、ガリレオが記憶すべき努力によって発明した望遠鏡がある。これの助けを借りると、ボートや小舟によってのように、天体との交通はいっそう近い道を拓かれて、実行されることができるであろう。すなわち、これによると、銀河はまったく別々で独立した小さな星からなる大群または集団であるということ―このことについて古人のあいだではただ推測がなされただけである―が確実に知られる。・・・」
私の記憶では、望遠鏡は1608年に発明されて、すぐ翌年にガリレオが自作し1609年の夏天文観測に明け暮れて、翌年春『星界の報告』を出し、ヨーロッパ中にセンセーションを巻き起こしたのに対して、顕微鏡の方は、ずっと早くに発明されていた(1591年に眼鏡職人のハンス・ヤンゼンとツアリス・ヤンゼンが発明されたと言われている)のに「ほんの少数の例外は別にして―50年以上にわたって科学のために使われることがなかったのである。」(ヴァイグル、p.98)顕微鏡に関しては、これが通説です。そして、望遠鏡における『星界の報告』にあたるものは、顕微鏡ではフックの『ミクログラフィア』(1665)ですが、なんと1665年の出版です。
すると1620年出版の『ノーヴム・アルガヌム』でもしほんとうにベイコンが顕微鏡を科学研究に用いており、新しい「近代科学」の研究のひとつのモデルと位置づけていたとすれば、学説史を根本的に書き換える必要があります。
リサは、そうはっきりと書いているわけではないのですが、ベイコンの顕微鏡研究の重要性を称揚したいようです。
順番に行きましょう。
まず、用語から。英訳では "microscope" 、邦訳では「顕微鏡」となっていますが、ベイコンが "microscope" という語を使ったとは思われません。当該箇所のラテン語原文を確かめました。もとのことばは、 "perspicilla" です。ちなみにすこし後で出てくる望遠鏡の言語も、 "perspicilla" です。ベイコンは、"altera perspicilla" と呼んでいます。
(翻訳で、 "microscope"、「顕微鏡 」を使うことそのものに問題はありませんが、 "microscope"、「顕微鏡」 が器具としても用語としても確定した用法となっていたと思われると端的に誤解です。)OED を引いてみましょう。英語での "microscope" の初出は、1656年ホッブズの『哲学原理』の英訳です。次いで、1662年、1678年のほとんど知られていない著作を挙げています。フックの『ミクログラフィア』(1665)の副題は、「拡大鏡(magnifying glass)でなされた観察と探求による微小物体の自然学的記述」です。つまり、 "microscope" は使っていません。
フック以前の例外的研究を挙げておきましょう。ヴァイグルが指摘するのは(p.102)、次のものです。
1.フランチェスコ・ステルッティ“蜜蜂の絵”(1625)
Francesco Stelluti, Melissographia, Rome, 1625
2.パレルモのオディエルナ(1644)
Odierna,
3.ピエール・ボレル『顕微鏡による観察』(1656) Pierre Borel, Centuria Observationum microscopicarum, 1655ポイントは、ベイコンの『ノーヴム・アルガヌム』が1620年出版なので、上記の例外的研究よりもはやいということです。考えられるのは、手紙により、イタリアやフランスからの情報を仕入れていたということですが、この点はきちんと調べてみないとなんとも言えません。つまり、残された課題ということになります。
(ちなみに、ベイコン全集の編集者のスペディングは、この箇所への注記で、「アフォリズム13の28節と比べよ。このテキストの章句からは、ベイコンは、新しく発明された顕微鏡をひとつも見ていないように思われる。」と記しています。)次に望遠鏡ですが、ベイコンは前に引用した箇所に続けて、次のように記します。
(ガリレオの『星界の報告』におけるいろんな発見を列挙したあと)
「これらすべての発見は、この種の証明が信用してまちがいのないものであるかぎり、たしかに貴重なものである。しかし、その証明は、わたくしには、はなはだ疑わしいと思われる・・・。」
「はなはだ疑わしい (quae nobis ob hoc maxime suspectae sunt)」とは、まるでガリレオの望遠鏡の生みだした像をイルージョンとしたアリストテレス主義者のようです。ベイコンの挙げる理由は「それというのは、この実験はこれら少数の発見をしただけであって、それらと同じく探究に値する、他の多数のことがらはまだこの方法によっては発見されてはいないからである。」つまり、アリストテレス主義者の挙げる理由とは異なります。しかし、この強い留保は、非常に印象的です。望遠鏡の用語の歴史に関しては、OEDにラテン語を含めたよい記述があります。
"telescopio" の初出は、ガリレオ(1611年)。"telescopium" の初出は、ポルタとケプラー(1613年)。それ以前は、基本的には、"perspicillum" です。(ケプラーは、いろんな用語を使っています。)
英語では、1619年に、"telescopium or Trunke-spectacle"の用法があります。 (やはりスペディングは、望遠鏡は当初ハリオットの例に見られるように"trunks"と呼ばれたと注記しています。これは、日本語における「筒眼鏡」の用法に匹敵するでしょう。)1648年にはボイルが『神的愛』において、「私がフィレンツェで見たことを覚えているガリレオの光学鏡、そのひとつが望遠鏡ですが・・・」という記述をOEDは引いています。つまり、比較的早くに用法が確立したと言えるでしょう。それにしても、ベイコンの顕微鏡と望遠鏡に対する評価の低さは意外でした。とくに望遠鏡に対しては、あまりに低い評価。これだけの資料から断定はできませんが、ベイコンのまさに「思弁的」宇宙論に抵触したと見てよいように思われます。
09.5.19
もう1点リサの論文で私が重要だと思ったのは、私の昔からの関心、一次質-二次質の区別に関わる章句です。
『ノーヴム・オルガヌム』第1巻65(邦訳、p.249)に次のことばがあります。
「そしてこの第1の考え方からいわゆる第1次的な基本的性質が考えられ、第二の考え方からいわゆるかくれた性質と特殊な性能が考えられるようになったのであるが、両者はいずれも自然研究の空虚な簡約に属するものであって、人間の精神はそれらに満足してしまって、いっそう堅実な研究をなそうとしなくなる。しかし、医師たちが事物の第二次的な性質と誘引、反撥、稀薄化、濃厚化、膨張、収縮、分散、成熟などの作用との研究に努力するのはいっそう適切であって、かれらはさきの二つの簡約によってそのほかのものをそこなう―そのほかのものを第一次的性質や第一次的性質が微妙で測り知れない仕方で混合した性質にひきもどしたり、あるいはその正しく観察したものをなおいっそう注意深く観察しつづけて、第3次性質や第4次性質にまで進まずに、研究を途中でうち切ってしまったりして―ことがなかったら、ずっと大きな進歩をなしたであろう。なおまた、そのような特殊な性能(それとまったく同一のものでなくてもそれと類似のもの)はただ人間の身体の医薬のうちだけではなく、その他の物体の変化のうちにも探究されなければならない。
・・・・
しかしながら、それよりもずっと大きな悪弊をともなうことは、事物が「何から」できているかという、静的原理が考察され探究されて、事物が「何によって」おこるかという、動的原理が無視されていることである。というのは、前者はただ議論にかかわるだけであるが、後者は成果をあげることにかかわるからである。
・・・・
なおまた、それにおとらず大きな悪弊は、綱要と成果をあげる力はすべて中間の一般的命題にあるにもかかわらず、これまでの哲学とその研究においては、事物の第一原理と自然の終局的根拠との探究と説明に努力が傾注されていることである。そしてそのために、人びとは可能的で形相のない質料に到達するまで自然を抽象化することをやめないのであり、またアトムに到達するまで自然を分解することをやめないのであるが、しかしそのようなものは、たとい真実のものであっても、人間の幸福を増し進めることにはほとんど役だたないのである。」中間的命題に関しては、103でも取り上げられています。
「人間の仕事と運命がそれにかかわる中間の一般的命題は真実で、実質のある、生きたものであって、それらの一般的命題のうえに、最後に、かのもっとも一般的命題、すなわち、抽象的でなくて、これらの中間的な命題によって正しく限定された一般的命題があるからである。」→ベイコンの一次質、二次質への言及ですが、私の関心は、三次質、四次質という表現と、どうしてここで医師たち(medici)なのかということです。実は、ボイルにも類似の表現があります。昔、一次質-二次質の区別を調べたときには、そこまで調査が及びませんでした。今回は、できるだけそうしたところまで解明したいと思っています。
なお、この翻訳では伝わらないと思われますが、「特殊な性能」というのは、特効薬といった場合の「特別な力」のことです。ともあれ、上記のベイコンの引用には、重要な観点が示されています。
ひとりで5時50分。この時期の通常の気温に戻ったようです。涼しくて気持ちのよい朝。快晴。午後に3コマの授業。他にすこししなければならない仕事があります。
5限の卒論ゼミは、「痴漢冤罪」の話題。身近なオタクとか、不思議な方向に話が盛り上がりました。
大学の教務システムにログインして、今年度の正式の履修登録者数を確認しました。
総合科目「科学技術と社会」 145
総合科目「生協寄付講義」 166
総合科目「表象文化と・・」 264
科学思想史(講義) 89
科学思想史(演習) 13
卒業論文演習 5
講義の授業に関しては、出席している学生の数よりいくぶんか多い。ただ時間割が空いていて、埋めるという行動パターンの学生がまだ一定数いるのでしょう。
新幼稚園児が起きて、5時半。新幼稚園児は5時過ぎには目覚めたようです。おおきいちびの熱は、37度3分。顔は元気になっていますが、今日は休ませます。今日一日休めば、明日はたぶん全く問題ないでしょう。
一番上が風邪、一番下が虫さされ。子ども二人にトラブルがあると、たいへんです。なんだかんだとやることが多くて、ぐったりです。とくに、新幼稚園児はもともとあれこれうるさく要求してくるタイプですが、調子が悪くなると、その傾向がひどくなります。付き合うだけで、相当の体力を要します。わー、もう、むり、という事態がすぐに生じます。朝方、ろうきんのキャッシュカードがやっと届きました。4月21日に通帳はもらっていますから、予想より1週間長くかかっています。もちろん、間に連休が挟まっているので、理解はできるのですが、個人的には10日間かと思っていました。
10時頃、司法書士さんから書類が届きました。不動産登記権利情報という書類です。4月28日に府中のろうきんで決済した件に関する、最終書類です。
ああ、やれやれ。今回は苦労しましたが、いろいろ勉強になりました。時間のあるときに少し詳しく記述してみようかと思っています。妻が新幼稚園児を迎える出るのといっしょに家を出ました。私は、郵便局によって払い込みをし、セブンイレブンで朝一番に届いたキャッシュカードが使えることを確認し、それから銀行によって、定額給付金の振り込みを確認しました。
おお、いっきに懸案事項が解決していきます。そのまま大学へ。
会議の日。午後に3つ。もしかしたら、もうすこし増えるかもしれません。
3時半スタートの研究院教授会ですが、学長の話が4時15分までありました。しかし、研究院教授会そのものは議長の手際もよく、てきぱきと議事が進行して5時前には終了。次の学部教授会が予想外に長引いて、6時40分。この議題であれば、もっともっと長く審議すべきであったのですが、議長が我々の疲れを配慮して、はやめに切り上げてくれました。
帰宅して、7時10分。りそなより、「戻し保証金」の通知が来ていました。これで、ほんとうに全て完了です。
去年の8月に始まった事案ですが、これにて、すべておわり。片が付くまで長かった、というのが素直な感想です。
ひとりで5時半。昨夜、子どもたちよりも先に寝たにしては、遅い。6時過ぎに、新幼稚園児が起きてきました。わー、かわいそう。虫さされの影響で、顔の左側が全体的に腫れて、目が開きません。夜中に、ママ、目が開かない、と泣いていたのは覚えています。虫に刺されたのは、一昨日の晩。上の子たちも最初の虫さされではひどいことになっています。ちいさいちびも顔が腫れ上がって、だれ?となりましたが、それよりもひどい。元気ではありますが、痒いのも痒いようです。
偶然ですが、今日は幼稚園はお休み。今日中に直ってくれるとよいのですが・・・。→小型アイスノンで冷やしてやるとすこし状態がよくなりました。少なくとも目は開けられるようになりました。腫れは残ったままですが、目が開くだけでもかなり違います。本人はなおったといっています。
ずっと家のなかにいると体力が余って暴れ始めます。お昼過ぎに公園に連れ出すこととしました。ドングリ公園。しばらくひとりで遊んでいましたが、たぶん、2〜3才の女の子二人連れに交じって遊ぶようになりました。おもちゃのとりあいはありましたが、けっこうなかよく遊んでいました。
途中から男の子の大軍団が来ました。勝手に交じって遊んでいましたが、そのなかの一人の子と、いざこざ。滑り台でぶつかりました。その子が手を振り回したので、反撃。たいしたけんかにはなりませんが、わが家の新幼稚園児の性格で、しつこく、あっかんべろべろばーをしています。途中で、ストップ!
しばらく別の場所で遊んでいたのですが、別の場所でその子と出会うと、再度、あっかんべろべろばー。2時間半以上遊んでいましたし、ちょっと眠そうな雰囲気もあったので、無理矢理連れ帰りました。もっとお友達と遊びたかったようです、自転車の上でずっと泣いていました。家に帰ってもしばらく泣いていましたが、思ったように昼寝はしてくれず、復活。
4時過ぎにおおきいちびが帰ってきました。泣きそうな顔。元気がありません。自分で熱を計って、37度強。疲れで風邪をひいた模様。歯医者さんに予約してあるので、歯医者さんに連れていきました。待ち時間30分。治療はフッ素を塗るだけ。
帰ってきて熱を計ると上がっています。完全に風邪です。そのまま寝かせました。
参考までに、今回の執筆で使った資料を挙げておきましょう。まずは、1次資料から。最初の2点は、物理的な本です。3点目からはデジタルライブラリーの蔵書です。
Brunschwig, Book of Distillation, New York and London: Johnson Reprint, 1971
Agricola,Georgius , De re metallica , The English translation by Hoovers, London, 1912
Agricola, Georg, De re metallica libri XII Basel, 1621
Boerhaave, Herman. , A new method of chemistry; including the history, theory, and practice of the art: translated from the original Latin of Dr. Boerhaave's Elementa chemiセ, as published by himself. To which are added, notes; and an appendix, ... With sculptures. By Peter Shaw , 2 vols., London,1741 (2nd edition)
Barchusen, Joannis Conrad Elementa Chimiae, 1718
Brunschwig, Hieronymus , Das Buch der wahren Kunst zu destillieren, Strassburg,apud Johann Grüinger, 1512
Charas, Moyse , Pharmacopea regia chymica, 1684
Croll, Oswald, Basilica chymica, Geneve,1658
Gesner,Conrad, Thesaurus Evonymi Philiatri de remediis secretis , Lyon, 1577
Khunrath, Heinrich (1560-1605), Amphitheatrum sapientiae aeternae, solius, verae, Frankfurt, 1653
Lavoisier, A.L. , Traité élémentaire de chimie : présenté dans un ordre nouveau et d'après les découvertes modernes. Oeuvres de Lavoisier Tome 1, Paris, 1892
Lemery,Nicolas , Cours de chymie Paris, 1675
Lemery,Nicolas , Cours de chymie Paris, 1690
Lemery,Nicolas , Cours de chymie Paris, 1697
Lemery,Nicolas , Cours de chymie Leiden, 1716
Lemery,Nicolas , Cours de chymie Bruxelles, 1744
Lemery,Nicolas , Cours de chymie Paris, 1757
GALLICALemery,Nicolas , A Course of Chymistry Translated from 11th edition, London, 1720
Libavius, Andreas Alchemia , Frankfurt, 1597
Lulle, Raymond De secretis naturae sive quinta essentia liri duo , Strasbourg, 1541
Libavius, Andreas Alchemia , Frankfurt am Main, 1606
Pettus, John, Fleta Minor, London, 1683
Porta, Giambattista della (1535?-1615),De distillatione libri IX, Rome, 1608
Porta, Giambattista della (1535?-1615) ,Magiae naturalis libri viginti, Rouen, 1650
Rupescissa, Johannes de ,De consideratione quintae essentiae rerum omnium, opus sane egregium, Bale, 1597
Ulstad, Phillipp, Coelum philosophorum, seu secreta naturae, Paris,1543
利用した2次資料は次の通りです。
マルコ・ベレッタ(吉本秀之訳)「化学実験室の図像表示―ルネサンスからラヴォワジェまで―」『化学史研究』第27巻(2000): 1-15
『科学大博物館―装置・器具の歴史事典―』朝倉書店、2005、とくに「蒸留」「化学天秤」「炉」
W.H. ブロック『化学の歴史 I』 朝倉書店,2003
ガレス・ロバーツ『錬金術大全』東洋書林,1999
Hieronymus Brunschwig, Book of Distillation, London, 1535; reprinted by Johnson Reprint, New York and London, 1971 とくに、Introduction by Harold J. Abrahams
Homes and Levere (eds.), Instruments and Experimentation in the History of Chemistry, Cambridge, Mass.,: MIT Press, 2000
Owen Hannaway, "Laboratory Design and the Aim of Science: Andreas Libavius versus Tycho Brahe," ISIS, 77(1986): 585-610
Ursula Klein, "The Laboratory Challenge: Some Revision of the Standard View of Early Modearn Experimentation, " ISIS, 99(2008): 769-782
出発点は、エイブラハムがブルンシュヴィック『蒸留の書』(もとドイツ語のKleines Distillierbuch. Books 1-2. リプリントは、The vertuose boke of the distyllacyon of all maner of waters...nowe of late newly translated into Englysshe...by...Laurence Andrew, [c.1530]. から。)に付した序文(解説論考)です。
一通り、書き上げたあと、ウェブで平井さんの次の論考にヒットしました。
平井浩「蒸留術とルネサンスの錬金術:エリクシルから第五精髄、そしてアルカナへ」『アロマトピア』第53号(2002)所収。
この論考が『アロマトピア』に出ているのは、(『アロマトピア』には悪いのですが)もったいないと思いました。エリクシルの思想史がとてもよくわかるように書かれています。蒸留技術を扱ったので当たり前といえば当たり前ですが、同じ資料群を取り上げています。図版はウルシュタットを使っています。私もウルシュタットのものを使いたかったのですが、紙幅の都合で諦めました。(擬ルルスの『自然の秘密について』のものも魅力があったのですが、同じ理由で諦めました。リバヴィウスのものも諦めました。)
BIUM のサイトに、カーンによるルペシッサの『あらゆる事物のクィンタ・エッセンティアについて』、擬ルルスの『自然の秘密について、あるいはクィンタ・エッセンティアについて』、他2作品の解説もありました。
個人的には、リュフが気になります。ウェブで調べているうちに、エイマンの次の論文にヒットしました。
William Eamon, "Arcana Disclosed: The Advent of Printing, the Books of Secrets Tradition and the Development of Experimental Science in the Sixteenth Century", Hist. Sci., 22(1984): 111-150
次の本も持っています。
William Eamon, Science and the Secrets of Nature: Books of Secrets in Medieval and Early Modern Culture, Princeton: Princeton University Press, 1994
部分的には使った形跡がありますが、きちんと通読するのを忘れています。まずは、子どもたちが寝静まってから、論文の方を読みました。一番印象に残ったのは、当時の印刷工房がまさに化学も関係する職人の作業場であったという事実です。指摘されればそうなのですが、つい今の出版業のことが頭にあると、この点を忘れてしまいます。
議論はすこし単純ですが、とても読みやすい英語で、よくわかるように書かれています。今金曜日5限の授業で扱っている「ベイコン主義諸科学」(クーンの分類です)にも関係してきます。職人の工房=実験室の実践知の科学化について、(材料としては)基本ラインのひとつを与えてくれます。
ただし、エイマンの議論はよく考えられているとは思われません。同じ材料でもっとブリリアントな/事態を明晰に照射する議論が可能なように思われます。
そして、そのことが、ベイコンの科学についても、新しい光を投じてくれるように思われます。私にすぐにその議論を展開する準備はありませんが、何点か気になった点を指摘しておきます。
1.リバヴィウスがドイツ語のテクニカル・タームをよく使っていること。
このドイツ語は職人的伝統を意味しているであろう。化学の専門性が職人の伝統(技術的専門性)に由来していること。2.リバヴィウスの『アルキミア』が現実にどの程度どのように技術マニュアルに由来するのか?
3.図版をそもそも数多く使うことは、技術マニュアルの特徴ではないか?
図版を多く掲載する錬金術=化学の書物の系譜と、ほとんど使わない系譜を分けることができるのではないか。いわゆる錬金術的図版とは別に、ほんとうに図解のための図版、教育目的のための図版の系譜があり、それは技術実用書のおおきな特徴ではないか。この時代を扱う学者はたぶん図版のない本に慣れていると思われる。(外科と植物関係が例外か。)図版のある書物は、別種の知識の宝庫ではないか。
もちろん、観点としては山本義隆氏の『一六世紀文化革命』(二巻、みすず書房、2007)に重なります。よく書けた書物ですが、私には安直にエイマンやロングの議論によりかかりすぎているように感じられます。
ひとり遅れて6時10分。子どもたちは、5時半ぐらいでしょうか。起きてばたばたしていた音は聞こえました。快晴の模様。朝方に、解体工事の業者の方の挨拶がありました。空き家になっているわが家のお隣さんをとうとう解体するのだそうです。2軒あるので、3週間かかるとのことでした。
今日は、部屋の中の片づけを行っていました。2限、3限、4限の授業。
新幼稚園児といっしょに出かけました。大学についてからは、コピーをとり、それからブタ由来の新型インフルエンザの最新情報をチェックしました。新聞のニュースよりも、国立感染症研究所の感染症情報センターや、外務省の海外安全ホームページの方がずっとあてになる情報を掲載しています。たぶん誰もが感じていることでしょうが、マスメディアの報道には、明らかに問題があります。帰宅したあと、疲れが出てきました。
ひとりで4時40分。小鳥たちがにぎやかに鳴いています。好天の模様。妻が子どもたちを井の頭公園に連れだしてくれました。何と9時前。1時過ぎに、なおが歩けないから迎えに来て、とおおきいちびから電話がありました。気温28度。いきなり暑くなりました。自転車で駅まで迎えに行き、新幼稚園児だけ乗せて帰ってきました。ちびどもは、ママのためにカーネーションを一本ずつ買って帰ってきました。朝出かけるとき、母の日にお花を贈りたいとおおきいちびが言うので、一人千円ずつ渡してありましたが、それは、どうも丸々したパンダの縫いぐるみに化けたようです。ひとり110円援助してやりました。
子どもたちが出かけている間に、一応、原稿は埋めました。後は推敲です。要旨とかは仮に入れてあります。そういう文章は見直しが必要です。でも、ほっとしたのはほっとしました。どうなることかとけっこう心配でした。締切は15日。間に合うでしょう。
出かけている間に、アマゾンから次の本が届いていました。
ルイーズ・ヤング
『総動員帝国―満洲と戦時帝国主義の文化』
岩波書店、2001
いい本なんでしょうが、7600円とちょっと高い。なお、出かけたのは、駅前の本屋さん。新しい『中央公論』(2009年6月号)と宮台真司氏の話題の新書『日本の難点』(幻冬舎新書、2009)の2点を買ってきました。→早速読み始めました。2章まで読みました。もともと知っているということもありますが、よくわかる話です。
新幼稚園児が起きて、5時50分。新幼稚園児は昼寝から一度お腹が空いて起きた以外はずっと寝ていたので、睡眠時間は足りています。ですが、下に降りて、ミルクを飲み、リンゴを囓ると、再び寝室に戻ってしまいました。
予想通り、わりとすぐにまた下に降りてきました。執筆中。・・・。
ひとりで6時前。雨はまだ降っています。まるで走り梅雨のようです。ちびどもが出発する前には、雷が鳴っていました。新幼稚園児が長靴・雨合羽・傘で水たまりを攻めながら出発したときには、そうとうの雨足になっていました。
しかし、妻が歯医者から帰ってきた1時間後、すっきりとした青空になっていました。5月らしい気持ちのよい空が帰ってきました。
と思いきや、気持ちのよい青空は一瞬で、また曇ってきました。雨もにわか雨のように降るときもありました。3限に駒場の授業。
自宅から駒場に行くのに電車に乗っている時間は、30分であることがわかりました。歩く時間、電車の待ち時間を含めて、45分から50分で着くことになります。
今日は時間がなかったので、授業終了後、生協購買部で2Gで620円のUSBメモリーを購入したあと、図書館に寄り、『技術の歴史』の第4巻の一部をコピーしただけで帰ってきました。コピーは、電車のなかで読みました。古い記述ですが、役に立つところはあります。今回の作業で、Owen Hannaway, "Laboratory Design and the Aim of the Science: Andreas Libavius versus Tycho Brahe," ISIS, 77(1986): 585-610 を読み直しました。ハナウェイは、リバヴィウスのCommentariorum Pars Primaを使っています。
→せっかくですから、そのときのカードを丸々転写しておきましょう。
87/12/14
さすがやねー。p.599, Libavius, Commentariorum Pars Prima, Bk. 1, p.92.
「我々は化学者が敬虔な行為を無視したり、正しい生活のその他の義務から免れて、暗き炉中にてやせ衰えるのを望まない。むしろ我々は、彼に、市民生活におけるフマニタスを育み、正しき家政によってその職に輝きを付け加え、そうして、祖国に役立つものとして友人と協力しながらあらゆる徳を求めることが出来るよう願う。かくて我々が彼に、a chymion あるいは実験室を考案するのは、彼がそれをただ秘教的な研究にのみ用い、そして彼の営みが他の誰かよりも目立ったものとなるために引っ込んで研究できるようにということを意図しているのではない。むしろ、我々が彼に与えるのは、社会に礼儀正しく参加し、自由人の生活を送るのにふさわしい住居、ならびにそうした生存に必要なすべての付属物なのである。かくて、忠実な僕と家庭の母が面倒を見るべき、country estate の他に、町に住居をもち、法を大切にする厳密に敬虔な政体のなかで生活をさせよう。」ところで、リバヴィウスのCommentariorum Pars Primaというのは何でしょう? 私の知識のなかにはありません。調べてみることとしました。
リバヴィウスの『アルキミア』(1597)の初版は、ガリカからダウンロードしています。もしやと思い、もう一度検索をかけてみました。BIUMに第2版(1606)があります。早速ダウンロードして、中身をチェックしました。2版のタイトルは次。
Alchymia Andreae Libavii, recognita, emendata, et aucta : tum dogmatibus & experimentis nonnullis : tum commentario medico physico chymico : qui exornatus est variis instrumentorum chymicorum picturis; partim aliunde translatis, partim plane novis
Commentariorum Pars PrimaとCommentariorum Pars Secunda はこの2版の後半部分を占めていました。それぞれ別々のタイトルページを持ち、別々にノンブルが振られています。
この辺がこの時代の書物の難しいところです。1冊に綴じられていますが、新しい書物の付加です。(現時点では、後半だけが独立した著作として出版されたかどうかはわかりません。パーティントン第2巻,pp.247-50を見ればわかるようです。)注釈第1部の方のタイトルは次です。
Commentariorum alchymiae Andreae Libavii med. d. pars prima, sex libris declarata: continens explicationem operationum chymicarum priore artis libro comprehensarum adiectiss fornacum et aliorum vasorum figuris, partim ex impressis antehac autoribus, partim aliunde accepits, et ex latibulis officinarum productis.
ちなみに注釈第2部の方のタイトルは次。
Commentariorum alchemiae ... pars secunda, continens tractatus quosdam singulares ad illustrationem eorum potissimum, quae libro alchemiae secundo habentur difficiliora laboriosioraq[ue], quaeq[ue] plurium simul artium adminiculo indigent, & veluti ex multis constituta, peculiarium scientiarum dignitatem & nomen merentur ...
ざっと見てみました。これが面白い。ルネサンスの技術書からの借用が明白です。ハナウェイは、エルカー『鉱石と試金の書』から借用していると注記しています。リバヴィウスは、ランニングタイトルに、ピロテクニカという語を使っています。ビリングッチョの『ピロテクニカ』からも借用していることが想像されます。もちろん、アグリコラの『デ・レ・メタリカ』からも借用している可能性を考えておいてよいでしょう。
→読んだわけではないのですが、ざっと見てみました。リバヴィウス自身は、エルカーとアグリコラの名前をよく挙げています。ざっと見た範囲では、ビリングッチョの名前はありませんでしたが、この程度の目の通し方ではないとは言えません。
ちょっと意外だったのは、デラ・ポルタの『自然魔術』をよく使っていることです。とくにその第10書「蒸留について」はよく使っています。
すこし考えれば、とくにおかしなことではないのですが、ルネサンスに数多く出版された技術書の範疇に入れて考えると腑に落ちます。「自然魔術」ということばにひかれすぎると位置づけを間違えます。ハナウェイの論文は、よい論文だったと思いますが、リバヴィウスとその『アルキミア』に関しては、まったく別の観点からのアプローチが残されていると言ってよいでしょう。
(ハナウェイは、自分の使ったところ以外はあまりちゃんと読んでいないようです。少なくとも、アグリコラは、エルカーに並べて挙げる必要がありました。ポルタも挙げた方が適当です。)[ゼンネルト 2009.5.8]
平井さんとBIUMの共同作業の結果、ゼンネルトの『一致と不一致』の第2版(ヴィッテンベルク、1629)もBIUMのデジタル・ライブラリーにアップされました。平井さんとBIUMに感謝。私のまずなすべきは、版の照合です。第2版の最終頁は、434頁です。ページ数は、第3版と同じ。ということで、1629年版も1633年版も基本的には同じと見てよいことになります。ただし、子細に点検すると、1629年版の方が1コラムに入れる文字数がわずかに多く、1コラムの行数がわずかに少ない。つまり、見た感じで言えば、1629年版の方が横に広く感じます。ただし、同じページには同じ文字が入っています。つまり、行数を問題にするのでない限り、同じ版として扱ってよいということになります。(ページ数で引用する限り、違いはまったくない。)
→ここからは、パリの印刷業者の仕事が想像できます。ヴィッテンベルクで出版された2版(1629年版)を手元において、ページの最初の文字と最後の文字をあわせ、あとは2版(1629年版)を注視しながら活字を拾っていく作業です。
ノンブルがついていないページに関しては、この作業は必要ありません。したがって、索引に関しては、ページの最初の文字にずれが生じています。
夜半に目覚めてすこし仕事。15日締切の原稿に追われています。2回目の起床は、6時過ぎ。新幼稚園児は、とっくに起きて、元気に遊んでいました。まだ雨は上がりません。
ちびどもが小学校にでかける時間には、雨は上がっていました。でも、空は晴れず、どんよりとした曇りのままです。
→本降りにはならなかったが、結局終日雨。授業の再開。午後に3コマ。
夜半に目覚めてすこし仕事。おじいちゃん、おばあちゃんの帰る日。新宿からバスに乗るようです。飛行機は午後1時の便です。10時頃に出るかと思いきや、何と8時半に世話になったと出ていきました。今回はちゃんと人に聞きながら行くと言っていました。新宿西口のバス乗り場からして、東京に慣れていない老人に説明するのはなかなかに難しい。まして、最近のエアーターミナルは複雑です。人に聞くのが一番です。
新幼稚園児が4時過ぎにおばあちゃんと話すというので、電話をかけてやりました。ちょうど帰宅したばかりということでした。ほんとうにゆっくりゆっくり動いたようです。
連休最終日。小降りになっていた時間帯はありましたが、終日雨でした。
ひとりで5時半。子どもの日。薄曇り。朝から雨が降り始めました。終日雨。
荻窪のファミレスで昼食。妹と次男だけが来ました。長男は、起きてこないということです。旦那は仕事。
夜半に2時間ほど仕事。新幼稚園児が目覚めて、5時半。もうすこしゆっくり寝てくれるとよいのですが。曇り。
今日は駅前まで。7人で、駅前まで歩き、うどんやさんを捜したのですが見つかりません。九州ラーメン屋さんにしました。ちょうど開店時刻。新幼稚園児はちょびちょびしか食べなかったのですが、ちびどもはよく食べました。おばあちゃんは、餃子が美味しかったと言っていました。昨日の高島屋の洋食屋さんで食べたスパゲッティは、しつかった(味が濃かった)ということです。
帰ってきて、新幼稚園児が不機嫌に怒ることが多い。睡眠不足です。2時過ぎにちびどもを荻窪に連れ出しました。ピンポンをそれぞれ2回。クレーンゲーム、本屋さん、文房具屋さん、園芸コーナー(私が石を買いました)とまわってから帰宅。案の定、新幼稚園児はよく寝ていました。
夜半に目覚めてすこし仕事。新幼稚園児は5時過ぎ。残りは、7時前。新幼稚園児は起きた途端、元気いっぱいです。おじんちゃん、おばあちゃんが起きるのを聞きつけると、すぐに襲撃に行きました。
家庭の平和のために、今日は、新宿のサザン・テラスに行くこととしました。新幼稚園児は大張り切り。走っています。ちょうど現地に着いて開店時刻となりました。
おじいちゃんは、病気のせいで、歩くのがずいぶん遅くなっています。全体としてゆっくりと移動します。
まず、東急ハンズへ。しばらく休んでから、紀伊国屋さんへ。ちびどもは、昨日おばさんからもらって図書券でマンガを1冊ずつ購入しました。新幼稚園児は、昨日遊んでもらったロボットが欲しいと言います。前と同じ箱入りのロボットを捜しましたが、ありません。
何か勝手やらないとうるさいので、ハンズに戻って、ロボットを捜しました。ありますが、高い。迷っていると、新幼稚園児は、銃形式のシャボン玉器を見つけました。ばずーん、ばずーん、と呼んでいます。ロボットよりずっと安い。こっちがよいというので、そのシャボン玉器を買ってやりました。
それから、食事へ。数分待って、お店が開きました。最近ちいさいちびがよく食べるようになっています。(おねえちゃんはもともとよく食べます。)大人のオムライスをほぼ平らげました。新幼稚園児も走りまわったせいでしょう、まずまず食べました。
ちびどもが外でしばらく遊びたいというので、再び、橋を渡りました。新幼稚園児が早速シャボン玉をやりたがります。人の少ない側(奥の方には人はほとんどいませんでした)に行って、ちいさいちびといっしょにシャボン玉遊び。その間に、いつもは列の長さのせいで諦めていたクレスピー・クリーム・ドーナッツの列が例外的に短いことを発見した妻とおおきいちびが列に並び、ドーナッツを購入。(あとで聞いたところでは、ほとんど待ち時間ゼロだったようです。セットであれば、別のレジで対応してくれるということで10点盛り合わせ?を買ったようです。)
しばらく遊んでから帰宅。12時過ぎにサザンテラスを離れました。
新幼稚園児が遊び足りないようなので、近所の公園で付き合ってやりました。しかし、30分もせずに帰ると言います。予想通り、2時半頃、昼寝。
新幼稚園児が起きて、5時半。新幼稚園児はおきてすぐにおばあちゃんと呼びました。9時半頃、おばちゃんが買い物に行くと言います。10時前に空いているスーパーは限られています。私と新幼稚園児がついていくこととしました。新幼稚園児は自分の好きなものを5点も取って大満足。
帰宅すると、ちびどもはままといっしょに買い物に出かけていました。
3時に妹宅に集合。おにいちゃんは塾、おとうさんは仕事ということで、2人だけ。新幼稚園児は、予想通り、中学生になったいとこのお兄さんに遊んでもらって大興奮。5時過ぎに帰宅しましたが、帰らない、と言いました。ロボットのおもちゃで遊んでもらったのがとても面白かったようです。
次のものをダウンロードしました。
Khunrath, Heinrich (ca.1560-1605)
Von hylealischen das ist, pri-materialischen catholischen, oder algemeinemx natürlichen...chaos der naturgemässen alchymiae und alchymisten,
Magdeburg, 1597
Libavius, Andreas
Examen Philosophiae Novae
Frankfurt, 1615
GoogleBookLibavius, Andreas
Alchemia
2 vols., Frankfurt, 1597
GALLICA→今回の目的は、図版のチェック。史上最初の化学=錬金術の教科書と評価されているリバヴィウスの『アルケミア』に図版が掲載されているかどうか確認しました。子どもの絵のようなペリカンは1点ありますが、実質的には(つまりイラストレーションとしては)ゼロです。17世紀まで、私の印象では、図版は掲載されていなかったように思われます。(確認する必要があります。)
→思い出しました。レムリの『化学教程』の英訳には初版のフランス語版にはない図版がついています。明らかにきちんと化学装置・器具をイラストし、説明しようという意図で付けられています。後のフランス語版でも付けられています。このあたりにも、レムリの化学教科書が人気を博した理由があるのでしょう。
→もうすこし正確な扱いが必要です。レムリの場合、化学装置・器具の図版は初版のものにはついていません。しかし、18世紀のものにはついています。私の見た英訳も18世紀のものなので、どの版からついたのか正確に調べる必要があります。
→17世紀末(7th edition, 1690)の版ですでに図版はついています。かなりはやい時期に付加されたと考えてよいようです。
Lemery,Nicolas ,
Cours de chymie
Paris, 1675
GALLICALemery,Nicolas ,
Cours de chymie
Paris, 1690
GoogleBookLemery,Nicolas ,
Cours de chymie
Paris, 1697
GoogleBookLemery,Nicolas ,
Cours de chymie
Leiden, 1716
GoogleBookLemery,Nicolas ,
Cours de chymie
Bruxelles, 1744
GoogleBookLemery,Nicolas ,
Cours de chymie
Paris, 1757
GALLICALemery,Nicolas ,
A Course of Chymistry
Translated from 11th edition,
London, 1720
ECCOちなみにレムリの師匠格のグラゼには、最初から図版がついています。次の3点で確認しました。
Glaser, Christophe. ,
Traité de la chymie, enseignant par une briéve & facile methode toutes ses plus necessaires preparations .
Paris, 1663
GoogleBookGlaser, Christophe. ,
Traité de la chymie, enseignant par une briéve & facile methode toutes ses plus necessaires preparations .
2nd ed., Paris, 1668
GALLICAGlaser, Christophe. ,
Traité de la chymie, enseignant par une briéve & facile methode toutes ses plus necessaires preparations .
Nouvelle ed., Paris, 1672
GALLICAベガンでも確認しました。ベガンには図版はついていません。
Beguin, Jean.
Tyrocinium chymicum
Venice, 1643
Private SiteBeguin, Jean.
Tyrocinium chymicum, or, Chymical essays: acquired from the fountain of nature and manual experience,
London, 1669
EEBO
ひとりで4時15分。新幼稚園児もいちど目覚めそうになりましたが、再び寝付いてくれました。わけあって、おじんちゃんとおばあちゃんが今日やってきます。白浜11時→羽田12時の便です。わが家には3時から4時の間に到着するでしょう。新幼稚園児は、楽しみで仕方がないようです。
→3時半に到着しました。やはり、新幼稚園児はうれしいようです。おじんちゃんとおばあちゃんにつきまとっています。極めつけは、おじいちゃんといっしょにお風呂に入りました。おじいちゃんは、実は、そういうことは苦手です。でも新幼稚園児は強引におじんちゃんをいっしょにお風呂に連れていきました。
本日の駒場の授業は、ありません。休講ではなく、水曜日の振替です。疑問だったので、もういちど履修案内をよく読んでみました。7月15日(水曜日)午後は、水曜日の授業ではなく、金曜日の授業を行うとあります。私なんか、面倒だから、この水曜日=金曜日の振替はしない方がわかりやすいと思いますが、4月29日、5月6日と水曜日の休日が2回続くので、水曜日の授業の継続性(あまりおおきく間があかないようにという配慮で)において、こういう面倒な振替をしたのでは、と思い至るようになりました。
学期における回数は変わらないので、私は、そのままの方がよいと思いますが、誰かがこういう面倒な振替を考えつき、委員会を通したのでしょう。
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