ちびどもといっしょに6時15分。あかんぼうは遅れて7時過ぎ。今月は、ここまでに118枚。意外かもしれませんが、いきなりふくらんでいる日があります。
お昼過ぎに、紙のパックが届きました。いつもは駅前のセイユウで買ってくるのですが、ふとアマゾンで帰るだろうと気付き、検索をかけるとやはり買えます。A4、500枚の5セット一箱で、¥2251。
あかんぼうがディズニーチャンネルと見ていると、テレビがいきなりホワイトアウト。真っ白になり、画像が消えました。しばらく前から、色がちかちかしています。どう考えても、寿命が来た症状です。年内ぐらいは持つかな、と思ったのですが、10月末日にて液晶が成仏しました。しばらくテレビがないのもよいかもしれません。
すこし遅くなりましたが、次の本を頂いています。
谷川 道子・柳原 孝敦編著
『劇場を世界に――外国語劇の歴史と挑戦』
発行:エディマン、発売:新宿書房、2008、\3,150目次は次の通りです。
谷川道子「語劇/教育劇の位相と可能性について考える」
栗山民也×谷川道子×柳原孝敦×佐野勝也「演劇と言葉をめぐって」
宮城聡「世界は劇場にあり、教育は劇場にあり」
川上茂信+佐野勝也「教室で演劇を学ぶということ」
野田秀樹×鴻英良「<赤鬼プロジェクト>と語劇」
黒澤直俊「多言語多文化状況のなかの語劇」
麻田豊+ウルドゥー語劇団「語劇、インド・パキスタンへ行く」
内野儀×宮沢章夫×岡田利規「二一世紀の言葉と身体と表現」
遠山顕「語劇の向こうに見えてくるもの」
川上茂信「語学教育としての語劇」
佐野勝也「語劇ワークショップが語るもの」
真鍋求+青葉真紀「身体開発としての語劇」
松本幸四郎「古典と現代、日本と世界」
島田雅彦「演じながら考える」
柳原孝敦「映画原作を舞台で演じる」
渡邊雅司「語劇の百年」
付録資料1:語劇問題の経過報告と私見
付録資料2:語劇の本質の再認識を
語劇年表水曜日のコンパで同席した方々の労作です。組み版もなかなかよくできています。
谷川道子さま、柳原孝敦さま、ご高配いただき、ありがとうございます。
ちびどもといっしょに6時40分。曇り。と思ったら、晴れてきました。いつもより1時間強はやく家を出て、科研費の書類の提出作業。
私にとってはじめての電子申請です。数字を1つ転記ミスしていて、ちょっと苦労しました。ミスの発見のために、書類を精査していたら、タイムアウト。
再開すると、どうもうまくいかない箇所があります。こういう場合は、ゼロから再出発。再出発してからは10分程度ですみました。はじめたときからは1時間すこし。
とりあえず、無事提出できて、ほっとしました。10月になって授業が再開されて、1ヶ月が経過しました。木曜日は、今日で5回目。それなりに進めることができました。私が木曜日の他に講義をしているのは、月曜日ですが、そちらは、3回に留まっています。進んでいないという感触なのは仕方ないでしょう。
(ちなみに、11月では、月曜日が2回、木曜日が3回です。11月末の時点でカウントすると、木曜日が8回、月曜日が5回となります。無視できない差が生じています。)
ちびどもといっしょに6時15分。あかんぼうは6時50分。まだ晴れ。会議の日。
1時〜1時40分:講座会議
1時40分〜2時:研究所所員総会
3時〜4時50分:ハラスメント相談室会議
5時15分〜45分:沼野先生講演会
5時45分〜??:沼野先生歓迎会
最後は、5人残りました。11時15分多磨駅発の電車で帰ってきました。こんな時間まで外にいるのが久しぶりです。残ったメンバーでなかなかに興味深い話を聞くことができましたが、さすがに、ここに記すわけにはいかない種類の話題でした。
ちびどもといっしょに6時10分。あかんぼうは6時ぐらいのもよう。朝は寒さを感じるようになりました。ちいさいちびは今日は遠足。バスに1時間乗って、芋掘りに行くようです。(雨の場合には、葛西臨海水族館。ちいさいちびは、水族館の方がよいようです。)
4号について、ほぼ目処をつけました。(表関係、すなわち、邦語目次、英文目次、会報、会告、奥付等を作成しました。)
昨日の大学院のゼミで、学生が、ヨーゼフ・クライナー氏の仕事を紹介しました。おお、今朝の朝日新聞の「私の視点」に彼の投稿(?)記事が掲載されています。新聞のまとめによれば、「文化外交 日本はもっと力を入れて」。もっともです。
興味をひかれたので、国立情報学研究所で論文や著書を調べると同時に、グーグルで検索をかけてみました。法政大学特任教授としての資格で「沖縄研究の国際的状況」という講演原稿がウェブで見られます。基本的なことがとてもよくわかります。
私には、もちろん、19世紀以前の研究史が一番面白かったのですが、その他の点でもいろいろとわかったことがありました。ちなみに、ヨーゼフ・クライナー氏の著作は日本語でも読むことができます。
ヨーゼフ・クライナー編著
『黄昏のトクガワ・ジャパン : シーボルト父子の見た日本』
日本放送出版協会, 1998ヨーゼフ・クライナー編
『ケンペルのみた日本』
日本放送出版協会, 1996ヨーゼフ・クライナー編
『ケンペルのみたトクガワ・ジャパン 』
六興出版, 1992住谷一彦、ヨーゼフ・クライナー
『南西諸島の神観念』
未来社, 1977A.スラヴィク著
『日本文化の古層』
住谷一彦, ヨーゼフ・クライナー訳 、未来社, 1984ヨーゼフ・クライナー, 田畑千秋共著
『ドイツ人のみた明治の奄美』
ひるぎ社, 1992ヨーゼフ・クライナー編
『日本民族学の現在 : 1980年代から90年代へ』
新曜社, 1996ヨーゼフ・クライナー著 ; 一の宮町史編纂委員会編
『阿蘇に見た日本 : ヨーロッパの日本研究とヴィーン大学阿蘇調査』
一の宮町, 2000ヨーゼフ・クライナー, ハンス-ディーター・オイルシュレーガー共著
『アイヌ : 日本の北辺の狩猟、漁、採集の民 : ラオテンシュトラオホ・ヨースト博物館コレクション収集の収蔵目録 』
小松和弘訳、2002ヨーゼフ・クライナー
『江戸・東京の中のドイツ』
安藤勉訳 、講談社, 2003
ちびどもは6時20分。あかんぼうは7時前。私は、7時20分。快晴。疲れは残っていますが、風邪はほぼよくなりました。3コマの授業。
キャンパスに着くと、落ち葉が目立ちます。木の下で頭上を見上げると、隙間から日が射してきます。葉が落ちると、空が広くなる。気持ちのよい開放感があります。
体調のせいもあり、帰宅するとくたくたでした。
あかんぼうといっしょに6時20分。疲れはありますが、風邪のタネは、ちいさくなったようです。あかんぼうは、2番目のおねえちゃんの弟子になりました。すなわち、工作大好き男になり、朝から、いろんな道具を集めています。まずは、ストロー。それから、空き缶。輪ゴム。ハサミ。セロファンテープ。それに、理由は不明ですが、下ろし金。
6時過ぎ。あかんぼうは起きていました。ちびどもは、いつもより遅め。雨は上がっています。今日は土曜日ですが、割と忙しい。10時から13時まで、理事会&編集委員会。その後、印刷所に行って、バックナンバーの整理。印刷所の引越に伴うものです。たぶん、終了は、5時ぐらい。つまり、ほぼ9時〜5時の仕事になります。
東工大には、1時過ぎまでいました。1時17分大岡山発の電車で、飯田橋へ移動。会長も手伝いに同行してくれました。
待ち合わせは、2時だったようですが、若干はやく印刷所に到着しました。アルバイトの院生諸子は先に着いていました。
まずは、バックナンバーの数を調べました。それから、6部抜き取り、残部を油紙で包み直す作業。
印刷所の担当者、急遽参加してくれた会長を含めて、6人で作業。予想よりも時間がかかりました。終了は、5時10分頃。
風邪が直りきっていないので、そのまま帰ってきました。身体の芯から睡魔がやってきて、8時過ぎに就寝しました。
ひとり遅れて7時。昨夜は、葛根湯(液体)を飲み、7時半に就寝。もうちょいで、12時間睡眠になるところでした。ちいさいちびも咳まみれ。今日は休ませることとしました。来週の火曜日に遠足があります。それまでには回復するようにという妻の配慮です。
朝から、大雨になりました。昨日は、4限あたりに強い雨が降りました。(帰宅のときにはほぼ止んでいました。)
ちいさいちびとあかんぼうは、けんかしたり、なかなおりしたりして遊んでいます。(あかんぼうがおねえちゃんの言うことを聞かず、作っているものを壊したりするせいです。)昼食前に、1時間半集中して、水曜日の会議のための資料を作文しました。A4で1頁程度のものですが、出来上がると、よれよれ。昼食を食べたら、休みます。
起きて仕事をして、疲れて寝て、を繰り返していましたが、クリーニング屋さんに行ったついでに、本屋さんに寄りました。新装なった『新潮45』(&ちびどものコナン&妻の雑誌)を買ってきました。
普通の『総合雑誌』に変わっていました。
昨夜は7時過ぎに葛根湯を飲んで寝ました。睡眠時の状態はあきらかに風邪。寝苦しい夜でした。6時に目覚めましたが、身体は重いままです。
ちいさいちびも私と同程度の風邪です。咳をし、夜中に何度も起きていました。明日は休ませるかもしれません。もうしばらく頑張る必要があります。午前中に、書類に関して、一応目処をつけました。風邪気味のまま推移しています。
午後、3コマの授業。
→なんとかもちました。最初の講義の途中から、舌が荒れて、痛みがあり、しゃべるのが大変になりましたが、3コマの間はなんとかやりくりしました。
ちびどもといっしょに6時。あかんぼうは起きていました。ハサミで紙を一生懸命切っています。会議の日。大学院諸会議。
風邪が本格化してきました。ちょっとしんどいのですが、会議は出ました。
大学院教授会は紛糾して、終了が6時半。ぐったりです。紛糾させた張本人も玉砕戦法に疲れたのでしょうか、途中からは脱力していました。
ちびどもといっしょに6時前。あかんぼうは4時過ぎに目覚めたということです。早すぎです。今日と明日の午前中は、書類作成に集中します。完成するとよいのですが・・・。
比較的朝の早いうちに、妻があかんぼうを連れだしてくれました。吉祥寺へ。帰宅は1時過ぎ。その間に、最も重要な部分の作文は出来たと思います。今日中の完成は、ちょっと無理、ですが、後一日あれば、何とかなりそうです。
ちびどもといっしょに6時20分。曇り。あかんぼうはとっくにおきていました。月曜日の授業は、今日で後期2回目。
風邪の影響が残っています。2限のために用意した資料を1つ忘れてしまいました。授業そのものはもうベテランの部類に入るので、資料を1つ忘れても、ほとんど影響のないようにやりくりはできます。
しかし、終わったあと、疲れが出てきました。3限は、普通に大学院の演習。カール・シュミット。発表した院生は、「シュミットが来た!」と言っていました。ホッブズ→シュミット→アガンベンという政治的知の系譜に触れていました。(シュミットは昔読んでいました。研究室のなかを見回してみましたが、本の所在を見つけることができませんでした。どこかにはあるはずです。)
4限は、発表のあたっていた院生が、指導教員の授業と重なったので、ごめんなさい、授業に出席できなくなりました、と謝りに見えました。こういうことは、今の体制では、ありえる話です。仕方ありません。他の院生にもそのように伝えて、また来週となりました。すこしだけ事務的用件を処理してから、帰宅。
お風呂に入り、夕食を食べ終わった頃、睡魔が襲ってきました。一人でさきに就寝。極く軽度のものですが、風邪の症状です。
ちいさいちびといっしょに6時20分。あかんぼうはたぶん6時前後。昨日に続き、秋らしい一日になりそうです。土曜日に仕事があっての日曜日。朝ゆっくりと新聞を読んでいました。おお、朝日新聞の朝刊の第5頁に亀山先生の写真が。全面広告です。『カラマーゾフの兄弟』がミリオンセラーになったわけですから、こういうこともあるでしょう。『罪と罰』は3巻構成で、『罪と罰1』は、発売忽ち重版!とあります。
体調はぼちぼち。
妻が子どもたち全員を連れて、青山の子どもの城へ。そういうことができる年齢になったわけです。ちびどもは10時過ぎに出発。帰ってきたのは、4時過ぎ。あかんぼうはベビーカーでよく寝ていました。
私はその間に、明日の準備と校正を最後までやり通すことができました。ありがたい。普段そこまではあまりしないのですが、原典そのものを引っ張り出して、一字一句のチェックをしました。(全部ではありません。引用箇所に関してだけ。)
あかんぼうは、8時過ぎに一度目覚めましたが、1時間もせずに再度眠りにつきました。ちびどもも遊びに行って満足したようです。横になったら、数分のうちに眠りにつきました。
ひとりで5時45分。今日は土曜日ですが、一日業務。
10時過ぎに大学に到着。5時ぐらいまでは覚悟していましたが、2時半には私の仕事は終わり、あとは責任者の方にお任せして帰ってきました。
帰宅して、舌の先が炎症を起こしていました。いつも2〜3時間で直るのですが、なかなかに変な感じがします。
風邪の調子はぼちぼちです。それほど悪化しているということもないのですが、元気回復ということにもなっていません。
ひとりで6時。まだ誰も起きていません。珍しい。疲れのせいか、あるいは急激な気候の変化のせいか、風邪気味です。ちょっと活動して、ちょっと休むという繰り返し。
葛根湯を飲んで、ちびどもといっしょに就寝しました。明日は一日業務なので、それがつとまる程度には回復する必要があります。
夕刻次の本が届きました。
小林 英夫
『満州と自民党』
新潮新書, 2005
5時半。昨夜4時半に眠ったあかんぼうはそのまま寝続けて、3時半に目覚めたということです。わおー、ついていくのが大変です。午後、3限、4限、5限、の授業。
帰宅すると次の本が届いていました。
小林 英夫
『戦後アジアと日本企業 』
岩波新書,2001大江 志乃夫他編
『岩波講座 近代日本と植民地 帝国統治の構造』
岩波書店、1992
ひとり遅れて7時。雨は上がっています。あかんぼうの幼稚園の説明会。がっこうにいくといって、朝から張り切っています。カバンをふたつも用意し、いろんな荷物を詰め込んでいます。
待ちかねて出発。歩くというので歩き始めました。威勢がよい。と思ったら、5分も経たずに電話。あかんぼうがもう歩けないと言っている、自転車を持ってきてくれという妻からのヘルプ。200メートルも歩いていませんでした。
会議の日。家を出る直前に次の本が届きました。
ピーター・ドウス&小林英夫編
『帝国という幻想 : 「大東亜共栄圏」の思想と現実 』
青木書店, 1998学部教授会は、2時半〜4時45分。紛糾するかもしれないという予想があったのですが、十分早く終わりました。
5時〜6時半で、拡大再編部会。
8時を覚悟していたので、十分はやかったのですが、やはり疲れました。
帰宅して、今日はサッカーがあることに気付いたときには、前半が終了していました。やばいなと思ったら、結局1対1の引き分け。引き分けは引き分けですが、両チームともに負けたに近い内容です。
たしかに長い予選のなかでは、こういうこともあります。勝てるところで、きちんと勝つことが重要となります。図書館で次の論文のコピーを取り、帰宅してから読みました。
ピーター・ドウス(藤原帰一訳)「植民地なき帝国主義―「大東亜共栄圏」の構想」『思想』814(1992.4)pp.105-121.
藤原帰一氏の解説にあるとおり、「植民地なき帝国主義」という観点は、むしろ第2次世界大戦後のアメリカやソ連のあり方を考えるうえで、重要なアイディアだと思われます。第2次世界大戦後のソ連の東欧諸国支配のあり方は、具体的にはどう規定すべきか、今すぐには思い出すことができません。どういうふうに位置づければよいでしょうか? (詳しい方、お教えいただければ幸いです。)
また、第2次世界大戦後のアメリカの日本、韓国、フィリピンへの関わりあい方ですが、19世紀的な植民地ではないものの、帝国主義的関係という観点は必要かと思われます。何割か植民地(3分の1,4分の1,5分の1? 具体的数字をだすのは難しいのですが、)と見た方がすっきり説明がつくでしょう。アメリカ軍が駐留していることの意味は軽視することはできない。それに、(経済的)システムの強要。
あかんぼうに続いて、5時20分。今日は夕刻/夜には雨という予報。[満洲_先行研究]
満洲に関する先行研究ですが、ちゃんとした研究書を読むのがはやいと思い、玉野井麻利子「序章 満洲―交錯する歴史」『満洲:交錯する歴史』(玉野井麻利子編、山本武利監訳、藤原書店、2008),pp.23-56 を昨夜寝る前に読みました。
よい整理です。
きちんと重要な先行研究がリストアップされています。次の4点。Peter Duus, Ramon H. Myers, and Mark R. Peattie eds.,
The Japanese informal empire in China, 1895-1937
Princeton University Press, 1989Peter Duus, Ramon H. Myers, and Mark R. Peattie eds.,
The Japanese wartime empire, 1931-1945
Princeton University Press, 1996Soren Clausen and Stig Thogersen
The making of a Chinese city : history and historiography in Harbin
M.E. Sharpe, 1995Thomas Lahusen
Harbin and Manchuria : place, space, and identity
Duke University Press, 2001
(The South Atlantic quarterly ; Winter 2000, vol. 99, no. 1)Duusって誰だろう、見かけないスペルだな、と思ったら、日本でも有名なピーター・ドウスさんでした。翻訳もちゃんと出ています。
ピーター・ドウス&小林英夫編
『帝国という幻想 : 「大東亜共栄圏」の思想と現実 』
青木書店, 1998
ピーター・ドウス「想像の帝国」
ピーター・ドウス「朝鮮観の形成」
ダグラス・R・レイノルズ「東亜同文書院とキリスト教ミッション・スクール」
栗田尚弥「引き裂かれたアイデンティティ」
マーク・R・ピーティ「ミクロネシアにおける日本の同化政策」
山室信一「植民帝国・日本の構成と満洲国」
小林英夫「東亜聯盟運動」
後藤乾一「東条英機と「南方共栄圏」」
ピーター・ドウス(藤原帰一訳)「植民地なき帝国主義―「大東亜共栄圏」の構想」『思想』814(1992.4)pp.105-121.
11日からの作業の続きで、タイトルに「満洲」がなくても、たぶん基本的な研究書だと思われるものが何点か絞り出すことができました。
江夏由樹ほか編
『近代中国東北地域史研究の新視角』
山川出版社, 2005
黒瀬郁ニ「両大戦間期の天図軽便鉄道と日中外交」
江夏由樹「東亜勧業株式会社の歴史からみた近代中国東北地域 : 日本の大陸進出にみる「国策」と「営利」」
塚瀬進「中国東北地域における大豆取引の動向と三井物産」
小林英夫「国策会社のなかの満鉄」
中見立夫「満州国の"外務省" : その組織と人事」
寺山恭輔「スターリンと中東鉄道売却」
田嶋信雄 「リュシコフ・リスナー・ゾルゲ : 「満州国」をめぐる日独ソ関係の一側面」
石井明 「第二次世界大戦終結期の中ソ関係 : 旅順・大連問題を中心に」
山本有造「国民政府統治下における東北経済」
井村哲郎「戦後ソ連の中国東北支配と産業経済」
丸山鋼ニ「戦後満州における中共軍の武器調達 : ソ連軍の「暗黙の協力」をめぐって」
西村成雄「戦後中国東北地域政治の構造変動」
『近代日本と植民地 2 帝国統治の構造』
岩波書店, 2001
大江志乃夫「植民地戦争と総督府の成立」
近藤正己「台湾総督府の「理蕃」体制と霧社事件」
ピーター・ドウス「日本/西欧列強/中国の半値民地化」
若林正丈「一九二三年東宮台湾行啓と「内地延長主義」」
糟谷憲一「朝鮮総督府の文化政治」
後藤乾一「台湾と南洋」
三谷太一郎「満州国国家体制と日本の国内政治」
石島紀之「中国占領地の軍事支配」
倉沢愛子「東南アジアの民衆動員」
L.ヤング
『総動員帝国 : 満洲と戦時帝国主義の文化』
加藤陽子ほか訳, 岩波書店, 2001山本有造編著
『満洲 : 記憶と歴史』
京都大学学術出版会 , 2007山本有造編
『「満洲国」の研究 』
京都大学人文科学研究所 , 1993坂部晶子
『「満洲」経験の社会学 : 植民地の記憶のかたち』
世界思想社 , 2008
あかんぼうに続いて、6時前。大人にとって砂浜は疲れます。昨夜はそのまま寝てしまいました。祝日(体育の日)。助かるのは助かるのですが、冬学期がはじまって2回目が休みというのも、ちょっと興ざめです。
好天。おおきいちびの靴底に穴が空きました。おおきいちびはママといっしょに吉祥寺に買い出しに。ちいさいちびとあかんぼうは私がどんぐり公園に連れていきました。
朝10時過ぎです。公園にはまだ子どもの姿はほとんどありませんでした。あかんぼうも最近ではほとんど同じことができます。二人で仲良く遊んでいます。私はたいてい座ってみてればよいのですが、たまにできないことがあると呼ばれます。
ドングリを拾って、坂を転がす遊びを始めました。と思ったら、近くの草むらにバッタがいました。取れ、というので、取ってやりました。持って帰りたいというので、手でつかまえたままでいました。あかんぼうは何かをゲットすると家に帰りたがります。バッタを手につかまえたまま自転車に乗るわけにはいきません。まわりを見回すとペットボトルが落ちていました。ちょうどよい。中身をからにして、ペットボトルにバッタを入れました。5分ぐらい時間がかかりましたが、ちいさいちびも帰ることに同意しました。
帰り着いて、11時15分。第二陣が出発しようと準備していたところでしたが、時間的にちょうどよいので、まず昼食。
7時。快晴。気温が下がり、ひんやりとした秋晴れの日となりそうです。[お台場のヤドカリ]
3連休です。天気もよいことですし、外出することにしました。ちびどもに聞くと、海がよいとのことです。お台場海浜公園に出かけることとしました。新宿で乗り換えれば、埼京線がりんかい線と相互乗り入れしており、一本で行けます。(一回の乗換ですむ。)駅は東京テレポート。西荻から数えて、電車に乗っている時間は40分程度でしょうか。
実は、私はお台場ははじめてです。
駅を降りて、地図をじっと見ると、まわりに大きな建物がいっぱいあります。目立つのは、ジョイポリスとフジテレビ。歩いて行くと、砂浜への入り口がちょっと難しいところにありました。
砂浜に着いて、10時45分。ちいさいちびがお腹が空いたというので、早速、お弁当。ちびどももよく食べます。
たぶん、買った砂でしょう。石英の多い、きれいな白い砂でした。湾のほんとうに引っ込んだところにあります。波もほとんどありません。ちびどもは砂浜を走り回って、あるいは砂山で遊んでいました。私はしばらくレジャーシートにねっころがっていたのですが、ちいさいちびとあかんぼうがズボンの裾をめくって海に入るというので、アテンド。
そうこうするうちに、小さい子たちが、岩場で何かを取っていて、あかんぼうはパパも来いといいます。ちいさなヤドカリがわんさか海中をうごめいていました。最初はただ砂浜の上に置いて遊んでいたのですが、途中から、お弁当を入れていた箱をあかんぼうがママからもらってきました。
子どもにはとても楽しいようです。わらわらと集まり、6〜7名で、ヤドカリ漁り。たまにちいさな蟹もいました。
海底にハゼの子がいっぱいいたので、それも取りたかったのですが、素手で取るのはちょっと難しい。網があれば取れたのですが、そういう用意はまったくなし。
あかんぼうのズボンはびしょぬれ。ちびどものジーンズもかなり濡れました。
朝が早かったあかんぼうは、1時過ぎにそろそろ眠そうな雰囲気になりました。ペットボトルの水を買って、水を飲んでしまい、空いたペットボトルに8割ほど海水を注ぎ、その海水のなかに10個だけ採集したヤドカリを入れて持って帰ることとしました。あかんぼうは収穫物があると、おうちかえる、といいます。
東京テレポートの駅で電車を待っているうちに、あかんぼうは寝入りました。3時過ぎには帰宅することができました。
帰宅して、ちいさいちびがまずしたことが、前にカメを飼っていたボックスにヤドカリを移してやることでした。自分でやるといって自分でやっていました。あんまりこういうものには関心がないのかなと思っていた、おおきいちびも途中から参加して、ああだ、こうだと大騒ぎ。何をしているのかと思うと、石で橋を造ってみたり、隠れ家を造ってみたり、そして、ヤドカリ競争をさせてみたり。
子どもには普遍的に楽しいのでしょうか。
気がつくと、おむすびの残りをエサとして、やっていました。どのくらい食べるのでしょうか、わかりません。
起こさないでくれと昨夜言っていたちびどもですが、ほぼいつもの時間に自分たちで目覚めていました。私は6時半。昨夜遅かったのですこし眠い。雨。雨量はほとんどありませんが、雨空です。来年の大学院の授業は、満洲を取り上げようと考えています。ふと部屋を見回してみると、地層の上に『満洲:交錯する歴史』があります。次の論考を読んでみました。
ソクジョン・ハン
「植民地を模倣する人々:満洲国から韓国への統制国家の遺産」
『満洲:交錯する歴史』(玉野井麻利子編、山本武利監訳、藤原書店、2008), pp.273-298.
おそらく我々日本人の盲点となる歴史の系譜を見事に描き出しています。感服。北朝鮮のことも気になります。ちなみに、著者のソクジョン・ハン氏ですが、韓錫丁(ハン・ソクジョン)氏ではないかと思われます。(確信があるわけではありません。)巻末の著者紹介では、Suk-Jung Han とあり、韓国東亜大学社会学教授、1995年シカゴ大学で博士号取得。Reinterpretaion of the Manchukuo state-formation(韓国語)、並びに、"The Problem of Sovereignty: Manchukuo, 1932-1937", Positions: East Asia Critique(2004) .
英語もすこし調べました。満洲国は、Manchukuo or Manchuguo です。小ブリタニカの説明では、Manchuria に1932年日本の傀儡国家として建設された国。せっかくですから、アマゾンで検索をかけてみました。満州でも満洲でもともに48点がヒットします。ざっと見たところ、重なっているものはほとんどありません。
[満洲_amazon]
矢野 仁
『満洲近代史』
1941中見 立夫 藤原書店編集部
『満洲とは何だったのか』
藤原書店,2006西沢 泰彦
『図説 「満洲」都市物語―ハルビン・大連・瀋陽・長春』
1996錦州会
『最後の満洲―錦州終戦前後』
1979山川 暁
『満洲に消えた分村―秩父・中川村開拓団顛末記』
1995河内 良弘
『満洲語文語文典』
1996山本 有造
『満洲―記憶と歴史』
2007安冨 歩
『「満洲国」の金融』
1997戸島 健太郎
『懐かしの満洲鉄道―写真集』
1980草柳 大蔵
『実録満鉄調査部』
(上) (朝日文庫) ,1983沖田 信悦
『植民地時代の古本屋たち―樺太・朝鮮・台湾・満洲・中華民国-空白の庶民史』
2008岡村 敬二
『「満洲国」資料集積機関概観』
2004南満州鉄道株式会社 金井 真澄
『満洲大豆粕飼料化試験成績報告〈第1報〉』
1935
『されど、わが「満洲」』
文芸春秋,1984半藤 一利
『ソ連が満洲に侵攻した夏』
1997草柳 大蔵
『実録満鉄調査部』〈上〉
1979田上 洋子
『親と子が語り継ぐ満洲の「8月15日」―鞍山・昭和製鋼所の家族たち』
2008加藤 聖文
『満鉄全史 「国策会社」の全貌』
講談社選書メチエ,2006池上 二良
『満洲語研究』
1999朽木 寒三
『馬賊戦記―小日向白朗と満洲』
1966
『あ丶満洲―国つくり産業開発者の手記』
1965小林 英夫
『満鉄調査部―「元祖シンクタンク」の誕生と崩壊』
平凡社新書,2005浜野 健三郎
『あゝ満洲』
中山 隆志
『ソ連軍進攻と日本軍―満洲--1945.8.9』
1990森田 拳次
『マンガ・ぼくの満洲〈下〉』
2002池上 二良
『ツングース・満洲諸語資料訳解』
2003ラナ・ミター 玉野井 麻利子
『満洲-交錯する歴史』
2008宮下 隆二
『イーハトーブと満洲国―宮沢賢治と石原莞爾が描いた理想郷』
2007森田 拳次
『マンガ・ぼくの満洲〈上』
2002塚瀬 進
『満洲国―「民族協和」の実像』
1998井上 友一郎、豊田 三郎、 新田 潤
『満洲旅日記―文学紀行』
1942田中 重光
『大日本帝国の領事館建築―中国・満洲24の領事館と建築家』
2007ルイーズ ヤング、Louise Young、加藤 陽子、 高光 佳絵
『総動員帝国―満洲と戦時帝国主義の文化』
2001
『満洲建国十年史』
明治百年史叢書,1969レジナルド・F・ジョンストン 岩倉光輝
『新訳 紫禁城の黄昏』
2007内藤 陽介
『満洲切手』
角川選書,2006西澤 泰彦
『図説 「満洲」都市物語』
増補改訂版,ふくろうの本,2006小林 英夫
『BRICsの底力』
ちくま新書 735,2008西沢 泰彦
『図説 満鉄―「満洲」の巨人』
ふくろうの本,2000小林 英夫
『日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ』
講談社現代新書,2007芳地 隆之
『ハルビン学院と満洲国 』
新潮選書,1999植村和秀
『昭和史の教訓と現在の中国――国家理性の危機』
2008
『満洲帝国―北辺に消えた“王道楽土”の全貌』
歴史群像シリーズ (84),2006川村 湊
『満洲鉄道まぼろし旅行』
1998小林 英夫
『満洲-その今日的意味』
2008宮脇 淳子
『世界史のなかの満洲帝国』
PHP新書,2006[満州_amazon]
太平洋戦争研究会
『図説 満州帝国』
ふくろうの本,1996加藤 陽子
『満州事変から日中戦争へ』
岩波新書,2007太田 尚樹
『満州裏史―甘粕正彦と岸信介が背負ったもの』
2005太平洋戦争研究会
『「満州帝国」がよくわかる本 なぜ築かれたのか、どんな国家だったのか』
PHP文庫,2004太平洋戦争研究会
『満州帝国』
河出文庫,2005小林 英夫
『満州と自民党』
新潮新書,2005佐野 眞一
『阿片王 満州の夜と霧』
2005
『満州の記録―満映フィルムに映された満州』
1995山室 信一
『キメラ―満洲国の肖像』
中公新書,2004小林 慶二 福井 理文
『観光コースでない満州―瀋陽・ハルビン・大連・旅順』
2005麻野 涼
『満州「被差別部落」移民―あの南天の木はまだあるか』
2007迎春花 李香蘭他
『満州アーカイブス 満映作品集(映画編)』
DVD , 2005佐野 眞一
『阿片王―満州の夜と霧』
新潮文庫 さ 46-8,2008井上 ひさし こまつ座
『井上ひさしの大連―写真と地図で見る満州』
2001
『満州古写真帖―秘蔵写真で巡る悠久の大地、激動の足跡』
(別冊歴史読本永久保存版―戦記シリーズ (91号),2004高橋 健男
『満州開拓民悲史―碑が、土塊が、語りかける』
2008
『NHK「その時歴史が動いた」 満州事変 関東軍独走す「日中・太平洋戦争編」』
VHS , 2003角田 房子
『甘粕大尉』
ちくま文庫,2005城戸久枝
『あの戦争から遠く離れて―私につながる歴史をたどる旅』
2007黄 文雄
『日本の植民地の真実』
2003赤塚 不二夫、北見 けんいち、ちば てつや、 上田 トシコ
『ボクの満州―漫画家たちの敗戦体験』
1995今井 和也
『中学生の満州敗戦日記』
岩波ジュニア新書 590,2008ハインリッヒ シュネー、Heinrich Schnee
『「満州国」見聞記―リットン調査団同行記』
講談社学術文庫,2002佐野 眞一
『甘粕正彦乱心の曠野』
2008相良 俊輔
『赤い夕陽の満州野が原に―鬼才河本大作の生涯』
光人社NF文庫,1995水木 しげる
『コミック昭和史 (第2巻) 満州事変〜日中全面戦争』
文庫 , 1994蓑口 一哲
『開拓団の満州―語り継ぐ民衆史〈3〉』
2005
『満州アーカイブス 満鉄記録映画集 DVD-BOX』
DVD , 2005黄 文雄
『満州国は日本の植民地ではなかった』
ワックBUNKO,2005倉本 和子
『満州の遺産―Manchurian Legacy』
2003NHK取材班
『日本の選択 (8) 満州事変 世界の孤児へ』
文庫 ,1995児島 襄
『満州帝国 (2)』
文春文庫,1983塚瀬 進
『満洲の日本人』
2004満州と満洲の重なりですが、いくらかありました。どういう基準で分けているのかは分かりませんでした。
ちなみに、サイニーでは2022件、ウェブキャットでは16067件、科研費では252件、NiiBBR では123件ヒットします。
本の数が圧倒的です。簡単には見通せません。ただし、満洲は、国際的な存在でした。日本語、中国語、韓国(朝鮮)語、英語、ロシア語、モンゴル語、満洲語等の先行研究をきちんと視野に入れた研究伝統が存在するのかどうかは不明です。
ちびどもといっしょに6時過ぎ。ちびどもは朝のリズムが確立したようです。曇り。もしかしたら、本来は体育の日。13日の月曜日が体育の日で祝日なのは、連休になるようにという配慮で動かしたのかもしれません。昨日のことですが、『罪と罰』が店頭に並んでいたそうです。
正確な書誌を記しましょう。
ドストエフスキー (著), 亀山 郁夫 (翻訳)
『罪と罰 1 』
光文社古典新訳文庫 Aト 1-7
488ページあり、発売日は、2008/10/9。『カラマーゾフの兄弟』に続く、亀山さんの翻訳。超人的な仕事ぶりです。難しい案件が続いたせいでしょう、横になったらけっこう長く昼寝をしていました。ぐっすり寝込んでいるときに、「パパ寝ている」の声。ちいさいちびがお友達を連れて帰ってきました。2分ほどかかって起きあがり、部屋を片づけてやりました。結局、お友達が3人来て、総勢4人。あかんぼうも途中から参加しました。2階は大騒ぎ。
なんかけんかをしたようで、あかんぼうは途中でリタイア。お友達のひとりがあかんぼうを抱っこして降りてきてくれました。
5時にその子のお母さんが第1号で迎えに見えました。なんとその子のお兄さんが、9月27日ちびどもの運動会であかんぼうの相手をしてくれたその人でした。妹にはあまり優しくしてくれない、とのコメント。そういうことはあるでしょう。
おおきいちびは遅く帰ってきて、すこし遠目のお友達のうちに、近所で一番仲の良い子と出かけました。帰宅は5時半の約束。5時15分に自転車に乗って迎えに行きました。雨。ずぶぬれになる雨ではありませんが、雨。
さすがに自転車で行っています。おおきいちびとお友達を従えて、雨のなか帰ってきました。お友達の家まで送ってから、リターン。
昼寝から起こされたあと、ばたばたした午後でした。
落ち着いている時間帯に、駅前の本屋さんで総合雑誌を2冊買ってきています。『中央公論』と『文芸春秋』ともに11月号が発売になっています。
余裕がなくて、ここには記していませんが、総合雑誌を買ってきて読むことは続けています。世界を破綻させるアメリカン・システム。そこまではっきりと言ったわけではないのですが、世界を危機に陥れるアメリカン・システム、ということは何度かこのサイトでも指摘しました。
金融のことには、もともとは関心がなかったのですが、世界のシステムのなかに組み込まれてしまった以上、仕方ありません。少しずつ、勉強していました。
『中央公論』の「大恐慌の瀬戸際か」特集のうち、熊野英生氏の「米投資銀行の落日と新興国バブルの崩壊」(pp.148-157) がもっとも勉強になりました。
とくに、図表3に、「国別の景気格差」として、OECD景気先行指数2007年前半と、2008年(5月6月7月平均)の差分の表が出ています。今回のリーマン・ショックの影響はまだこの表には現れていませんが、国別の動向ははっきりとわかります。マイナスの大きい方から並べると、アイスランド、韓国、スウェーデン、スペイン、となります。日本は、OECD合計よりほんのすこしだけ良く(それでも小さくないマイナス)、ドイツ、欧州と同じ水準です。プラスのは、大きい方からあげれば、インドネシア、ロシア、メキシコ、ブラジル、ハンガリー。→『文芸春秋』にも、関連論考があります。
田代英敏「恐慌前夜:ドル崩落が日本を襲う」『文芸春秋』2008年11月号, pp.168-178
荻原博子「資産を守るのは投資より貯蓄」『文芸春秋』2008年11月号, pp.270-276
荻原さんのは、一般人対象なので、基本的なことが記されています。つまり、今回アメリカが投入を決めた公的資金ですが、日本の1年の国家予算に匹敵する金額です。大きな金額に関しては、一般人には感覚がありません。比較の対象を提示することがいつも必要だと思います。田代さんの論考には、日本のGDPが出ています。561兆円。この数字は、アメリカのフレディマック(米連邦住宅貸付抵当公社)とファニーメイ(米連邦住宅抵当金庫)が保証している住宅ローン担保証券の金額5兆ドルとほぼ同程度ということです。
つまり、今回の世界的金融危機の出発点を与えたフレディマックとファニーメイが共倒れになれば、日本経済が全く倒れてしまうに等しい衝撃力を持つ、と言える。
膨張させすぎです。→しばらく耐えるしかない状況だと思われます。
昨夜のメールに腹立たしいことがあり、5時45分に目が覚めてしまいました。新聞を取ろうと郵便受けを見ると、妻の年金特別便が来ていました。
ちいさいちびが6時10分にひとりで起きてきました。ちいさいちびのリズムがやっと安定してきたようです。
今日は2コマの授業。卒論演習の発表のあたっていた学生が、都合により、1週間発表を延期したせいです。
5限は、事務の方との打ち合わせに使いました。きちんと話して、解消&解決しました。
ひとり遅れて、7時。雨。昨夜から降り始めました。ちびどもは6時10分。たぶん、今の学生諸君にはまったく実感がわかないだろうことに、戦後の日本はしばらく海外旅行が自由にできなかったということがあります。
海外観光旅行の解禁は、オリンピックの年、1964年です。そして、海外にもち出せる外貨も制限されていました。しかも、1ドル360円の固定相場制。(1ドル=360円が最初に崩れるのが、いわゆるニクソンショックの1971年、1ドル308円となります。固定相場制そのものが変動相場制にかわるのは、1973年です。)会議の日。午後に3つ。
すこし研究室の片づけをしようと思い、10時に家を出ました。
箱をひとつ分、ゴミを出してから、昼食。図書館で本を返してから、先日は、冷蔵庫が故障したからと休業していた特別食堂へ。11時直後ということもあり、やはり貸し切り状態でした。
1時前に、荷物を持って、学校の前のコンビニに。宅急便に出しました。大学院専攻会議:2時半〜3時40分。
打ち合わせ:3時40分〜4時。
大学院教授会:4時〜4時55分。
大学院企画運営室会議:5時10分〜6時15分。
来週は、ずっと遅くなることを覚悟するようにと言われてから帰途へ。おお、3人の物理学賞受賞に続き、ノーベル化学賞でも日本人の学者が受賞したというニュースが流れていました。物理学賞の3人は知っていましたが、こちらは知らない業績です。
なお、3人のノーベル物理学賞のニュースですが、毎日の切り口(留学経験ない「純国産コンビ」に栄誉)が一番面白いと感じられました。京都産業大教授の益川敏英さん(68)も高エネルギー加速器研究機構名誉教授の小林誠さん(64)も海外への留学体験がないということです。益川さんに至っては、パスポートも持っていないということです。今回の受賞によるスウェーデン渡航講演がはじめての海外旅行になるとありました。南部陽一郎さんも、化学賞の下村脩さんも海外(米国)で活躍されています。確かに、益川さん・小林さんは異色かもしれません。
ちいさいちびといっしょに6時。ちいさいちびも元気が戻ってきたようです。曇り。
おおきいちびもあかんぼうもすぐに起きてきました。私はちびどもが家を出るまでに、たまっていた事務的用件を処理しました。10月11月にはどんどん仕事が入ってくるので、ともかく目の前のものをどんどん処理していかないと忘れてしまいます。
ちびどもといっしょに6時15分。ちびどもは、6時20分、6時20分と寝る前に言っています。学校は徒歩5分。そんなに急がなくても、7時でも十分間に合うと言いますが、やっぱり6時20分がよいそうです。雨。しばらく晴れていましたが、昨夜から雨。
月曜日の授業は、今日がスタート。
→木曜日はそうでもなかったのですが、今日は疲れました。授業をやっている間は大丈夫なのですが、終わるとお腹が少し痛くなりました。
3限も4限もともに参加者は3人でした。ファミリアな雰囲気でやっていけるでしょう。(ともに1〜2名の増減はありえます。)
4限の方は、韓国からの留学生が2人でした。気になるので、いろいろ聞いてみました。韓国の経済は、日本よりずっと大変なことになっているということでした。(そのことはすこしは知っていました。)原因を問うと、政府の経済金融政策の失敗だということです。彼の発言では、韓国人は投資が好きで、今回のアメリカに端を発する金融危機によって、大きな損失を被った人が大勢いる、また政府が手持ちのドルを投資して失敗した(具体的にはどういうことかはわかりません)、そして、ウォンが安くなっている、ウォン安はウォンを送金してもらっている留学生の生活を直撃している、ということでした。もしかしたら、投資ではなく、貯金にお金を回すのは、アジアで比べてみても、日本の傑出した特色かもしれません。(アジアだけではなく、世界中でもそうかもしれません。)
「日本人は、自分たちがお隣の国韓国に実は無関心であることを知らない。」
2008年の今となってもこの「無知の知」から始めなければならない、そういうふうに感じました。→具体的な数字が気になるので、調べてみました。
2007年10月31日の時点で、1ドル=900ウォン。
2008年3月の時点で、1ドル=1000ウォンのラインに近づき、2008年10月7日終値で、1ドル=1328.1ウォン。日経は、「直近高値をつ けた昨年7月から1年強で約6割下落した」と記しています。無茶苦茶な数字です。
生活している人間の感覚からすれば、この下落は、価値が半減したように感じられると思います。あるいは、物価が倍になったと言えばよいでしょうか。
円に対しても、100円=1200ウォン台という10年7カ月ぶりの水準まで下がったということです。サムソンにとってはもしかしたら福音かもしれませんが、ウォンをもって留学した学生諸子にとっては大変な数字です。→もう少し長期的な動向を見てみました。1990年代のアジア通貨危機のときには、一時、1ドル=1900ウォンまで下がっています。これは半分に感じるではなく、本当に半分、あるいは半分以下です。21世紀に入ってもしばらくは1200〜1300の数字です。
1ドル=360円時代の日本で海外留学、海外旅行が大変だったように、こんな数字で海外に行くのはほんとうに大変です。
ひとり遅れて7時15分。朝はまだ好天。ちいさいちびの誕生日。7歳。10時過ぎに妻が子どもたちを全員アニメミュージアムとはらっぱ公園に連れだしてくれました。明日の準備が落ち着いてできます。
ひとりで4時50分。まだ興奮が残っていたようです。ひとりで机に向かっていても進まないことがあります。何人かで話しているとふとしたことがきっかけで思考が進展することがあります。ちょっと違う、何か違う、え、そう、そういうこともあるか、等々が新しい視界を与えてくれることがあります。
身体には目と肩を中心に疲れがたまっていますが、脳が回転しています。そのせいで(寝た時間はいつもと変わらないのに)ふとはやく目覚めてしまいます。秋の好天。明日は天候が崩れるようです。
妻と相談して、ちびどもを新宿御苑に連れていってやることとしました。午前中はピアノの練習があります。昼食後すぐにでかけることとしました。
西荻窪の駅で電車を待っていると、左肩に違和感。肩痛かと思ったのですが、どうもちょっと違う感触。妻にシャツと下着の間を見てもらうと、ぎゃー。芋虫が下着の上にくっついていました。虫を含めて小動物は平気です。見えないままに右手ではがすと、アゲハチョウの幼虫でした。びっくり。
アゲハチョウの幼虫ははじめてですが、私にはたまにこういうことがあります。まわりの人たちもさすがにびっくりしていました。
近くにゴミ箱もなく、ちょうどよい離す場所も見つかりません。プラットフォームに幼虫を置き去りにして、電車に乗り込みました。
(しばらくどこでこういう不思議なことが生じたのか思いつかなかったのですが、ピアノの先生ところだと思いつきました。子どもたちを終わって出てくるのを待っているとき、外の植え込みのところで待っています。ピアノの先生のところはきれいに手入れされていて、アゲハチョウの幼虫の好きそうな木々・葉っぱがあります。今朝は5分ぐらい植え込みのところで座っていました。その間に、移ってきたものでしょう。待っているときにはほんとうにぼんやりとして待っていますから、まったく気がつかなかったということでしょう。わが家の家族で私以外にこういうことが生じると、卒倒しかねません。)新宿御苑には千駄ヶ谷からが便利です。ついてすぐにおやつ。12時半ですから、まわりはほとんどお弁当の時間です。
大きな木の下で、子どもたちは3人、ままごとで遊んでいました。
それに飽きたら、運動会で見た組み体操。足を持ってやったり、膝で体重を支えてやったりといろいろと支持役をやりました。
日陰は寒く、日当たりのある場所は暑い。風邪をひくと困ります。早めに帰ることとしました。帰途、紀伊国屋書店により、ちいさいちびは、大人の科学マガジンの第19巻の「ガリレオの望遠鏡」、あかんぼうは、科学のタマゴシリーズの「コロボット」を選びました。おおきいちびはマンガ雑誌がよいということで、それは西荻に帰ってから買うこととしました。
あかんぼうは電車に乗るまでに昼寝に落ちました。
帰ってすぐに「ガリレオの望遠鏡」製作。それほど難しい組立部分はなく、ちいさいちび(もちろん私が協力しましたが)でも、1時間もかからず完成しました。
しかし、「ガリレオの望遠鏡」は視界の狭さで有名です。晴れた夜に月を見ることからはじめるのがちょうどよいのですが、あいにくの曇り空。また晴れた日に確かめてみることとしました。昼寝についてちょうど3時間(我々は夕食中でした)で、あかんぼうが目覚めました。買ったものは簡単には忘れません。起きてすぐに、ロボットがないと泣きます。まず、ちいさいちびができるところから組立をはじめ、夕食をすませた私が手伝いに入りました。さすがにこれは1年生では無理です。私が何とか組み立ててやりました。
電池を入れて、スイッチオン。なに、これ。「じたばたロボコロボット」という表現はウソではありませんでした。2千円強でここまでできるか、という感想。ちいさいちびとあかんぼうはおおいに気に入ったようです。
例によって、月曜日の授業のために、2006年8月から2007年7月までの1年間に打ち上げられた人工衛星の国別数をカウントしました。出典は、『天文年鑑2008』pp.204-5 です。総計116機。
アメリカ:50
ロシア:12
中国:11
日本:10
サウジアラビア:6
インド:5
ドイツ:3
フランス:2
イタリア:2
1機は、ヨーロッパ宇宙機関、ユーテルサット、韓国、オーストラリア、アラブ首長国連邦、マレーシア、アルゼンチン、オランダ、イギリス、カナダ、エジプト、コロンビア、ルクセンブルグ、ナイジェリア、イスラエル
特徴としては、ロシアの少なさ、世界第3番目の宇宙開発国となった中国の躍進、日本も割と多いこと、この年はサウジとインドが多く打ち上げたことでしょうか。
橋本就安氏の解説では、人工的に生み出されたスペースデブリを取り上げています。とくに、中国が2007年1月11日ミサイル(4発目のミサイル)で、高度860キロを飛行し老朽化していた風雲1C を破壊したことが筆頭にあげられています。世界中から批判を浴びたこの破壊実験により生じたスペースデブリの数が、2126個。中国の問題行動です。
また2006年2月28日に打ち上げられたアラブサット4A の打ち上げに使われたロシアのロケットは、中高度を旋回していたが、2007年2月19日に突然爆発し、1111個の破片になったとアメリカ空軍は発表した。爆発原因としては、マイクロ隕石あるいはスペースデブリが取りざたされている。しかし、橋本就安氏は、ロケットに残存していた燃料が太陽熱によって爆発したという説を唱えている。
ひとりで5時15分。昨日久しぶりに授業をした興奮が身体に残っていたせいです。昨日、大学に行く前に吉祥寺で下車して、ユザワヤ地下の本屋さんに寄っています。欲しい本(一番は、『天文年鑑2008』)が置いていませんでした。
ということで、朝方に新宿のジュンク堂に行くこととしました。がーん。10時開店だと思い、10時過ぎに着いたら、11時開店の表示がありました。紀伊国屋がすぐそばです。紀伊国屋の4階、3階、5階とこの順に回りました。必要な本は見つかりました。
実は、大きな本屋さんに寄るのは実に久しぶりです。本以外のものがかなり増えていました。DVD。気をひかれるものもあったのですが、今日はその余裕がありません。無理矢理見ないことにしました。私たちの子供時代の、あの懐かしの科学と学習の付録のような、おもちゃ(科学教材)+マニュアル本のセットも数多く置いていました。ガリレオ式望遠鏡やニュートン式望遠鏡もあります。別のシリーズですが、子ども用の顕微鏡も千円代であります。私の子ども時代には考えられない値段です。
(私の子ども時代、望遠鏡や顕微鏡は欲しくても、欲しいということさえ言い出せない遠い存在でした。だいたい、私の行動範囲のお店で売っているのを見たことがありません。)
ちょうどちいさいちびが望遠鏡を作りたがっています。大人のための工作マニュアル本(月野俊介『大人の工作教室』ラトルズ)を1冊買っておきました。
ひとりで5時50分。やっと晴れ。しばらく晴れるようです。私の後期の授業は、今日から。午後に3コマ。
夏休みを挟んで、ほとんど3ヶ月ぶりに近い、久しぶりの授業。
外語大に着任して20年が経ちました。たぶんもうベテランの部類に入ります。恙なく再開できましたが、現場では感じることのできない身体の興奮と疲労はコントロールできません。
50歳になりました。年をとる変わり目では、久保正彰氏の仕事を読んでいました。定年退職後の仕事として、たぶんご本人にとっても非常にやりがいのある面白い研究なんだと思われます。大げさに表現すれば、日々に出会いがあり、日々に進展がある、まったく未知の領域を切り開く研究です。
そういうふうに老後を過ごしたい。そういう発言が身の回りで多くなっています。
ちびどもといっしょに7時前。あかんぼうにパパの誕生日と教えると、ケーキ?、という返答。自分の好きなものはよくわかっています。
2学期のスタート。会議。
大学に着くと次の2冊の本がメールボックスに届けられていました。和田忠彦
『ファシズム、そして』
水声社、2008年9月
和田先生、いつもご高配、ほんとうにありがとうございます。装画は、同僚の松浦先生。わー、とてもきれいにできています。テーマは、未来派またはファシズムの美学。ピエール・ラズロ
『塩の博物誌』
神田順子訳、東京書籍、2005.2
こちらは、編集委員会よりの献本依頼に対して、もっとも迅速に対応してもらったものです。担当編集者の角田さん、ありがとうございます。会議の日。
1時〜2時:総合科目推進室会議。これは、私が司会をしました。
3時〜4時過ぎ:とある会議。[あかちゃんに会う]
帰途、近所に住むO氏のあかちゃんに会いました。家への最後のコーナーを曲がったら、ベビーカーを押しているカップルの後ろ姿が見えました。背格好から、すぐに、O氏とわかりました。10メートル程度の距離だったので、後ろから声をかけました。やはり。あかちゃんは男の子で、1ヶ月前に生まれたばかりということでした。最近のうちのあかんぼうの決まり文句は、なお、おおきくなった、です。O氏のあかちゃんはとても小さく見えます。生まれたときは3080グラムだったということですから、平均より小さいわけではありません。生まれたばかりのあかちゃんはこの程度小さかったのだという感慨です。
はじめての外の散歩ということでした。すやすや寝ています。生きているのか心配になるぐらいです。わが家の子どもたちにも昔そういうふうに思ったことを思い出しました。とくに最初の子は、親にとっても分からないことだらけです。生まれたばかりの病院のベッドでしばらくしゃっくりが止まらない長女を見つつ、本気で心配したシーンは、鮮明な記憶として残っています。
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