科学技術史の若手研究者の諸君へ、お知らせ。
明治大学法学部自然科学系科目担当教員募集
2008年9月12日(金)必着
「物質と宇宙」,「生命と人間」,「エネルギーと環境」,「科学と技術の歴史」のうち一つ以上を担当できることとあります。
ひとりで6時前。ちいさいちびは夜中かなり暴れました。何か気分がよくないのでしょう。2歳の頃、この子はほんとうによく暴れました。やはり何か気分が悪かったのでしょう。朝の間に、東大駒場の成績をウェブ上で記入しました。昨日提出した生協寄付講座の成績とあわせて、1学期の成績関係の教務事務はこれで完了です。
ちいさいちびの熱は平熱に戻りました。でも、まだまだです。耳の後ろの腫れていたところがかちかちになっています。いらいらするようで、弟にあたったり、おねえちゃんにあたったり。おねえちゃんには反撃されて、けっこう長く泣いていました。
完治するまでは、嵐の日々になります。
5時半。昨夜はちょうどこどもたちが寝る時間に雷雨。
昨夜の雨のせいでしょうか、いつもよりいくらか涼しい。
ちいさいちびは、6時半頃に起きてきました。熱は下がっていました。(また上がるかも知れません。)耳の後ろがまだ痛いと言っています。週末までかかるかもしれません。朝一番でお医者さんのところへ行ってきました。もうしばらく様子をみないとはっきりしないが、1)耳下腺炎、2)おたふく風邪、ということでした。たぶん、耳下腺炎だが、別の耳の後ろも腫れてきたらおたふく風邪だ、ということです。
本人は熱が下がったせいでしょうか、すこし元気な顔になってきています。午後、夏休み前、最後の会議。
→夏休み前最後の会議、拡大再編部会は3時から始まり、4時40分頃終了しました。帰宅して5時25分。ちいさいちびはいらいらして暴れたあと、昼寝をしたそうです。熱は引いたままです。耳下腺炎ですんだようです。確かに、様子を見ていると、落ち着きがなく、よくいらいらしています。本人は髪の毛を気にしています。髪の毛が暑い、髪の毛が痒いと言っています。[『舎密開宗』基本情報・・・・・]
基本情報の整理のためには、榕菴が典拠としてあげる24点に番号をつけてリストアップするのが便利です。
1.『葛氏舎密』(カステレイン著、1788年刊)
2.『貌氏人身窮理篇』(ブリュメンバス編、1791年刊)
3.『布氏明液論』(フレンキ編、1791年刊)
4.『舎密備要』(フレンキ述、1803年刊)
5.『舎密原本』(ラホイシール著、1800年刊)
6.『依氏広義』(イペイ氏編、1804年刊)
7.『合薬問答』(編者、刊行年不明)
8.『越列機療法』(ウィルレム・ハン・バルネフェルド著、1785年刊)
9.『三有小学』(ブリュメンバス著、刊行年不明)
10.『薬舗指南』(ハーケン著、刊行年不明)
11.『大気修繕法』(ゴイトン・モルヘアウ著、1811年刊)
12.『合薬舎密』(トロンムスドルフ著、1815年刊)
13.『舎密翰海』(オクタヒウス・セギュル編、1817年刊)
14.『福烏多薬論』(ハン・ホウト著、1817年刊)
15.『理学初歩』(イスホルジング著、1818年刊)
16.『舎密崖略』(ヒューマンス著、1820年刊)
17.『幾那塩説』(ストラーティング著、1822年刊)
18.『測山説』(レインワールト著、1822年刊)
19.『紐氏韻府』(ニューウェンホイス著、1825年刊)
20.『和蘭局方』(1826年刊)
21.『利氏人身窮理篇』(リセランド著、1826年)
22.『蘇氏舎密』(スマルレンビュルグ著、1827年刊)
23.『[ワー]多児薬論』(ハン・ワートル著、1829年刊)
24.『ガルファニ記事』(ハン・レイス編、1803年刊)
次の論文を再度読みました。
東徹「宇田川榕菴の化学受容と「杏雨書屋資料」 : カステレインの雑誌を中心として」 『化学史研究』 33(3)(2006): 129-146
カステレインのChemische Oefenigen, 3 vols, 1785-1788 は国会図書館にあるとのことです。後ほど調査します。いつも通り、11時過ぎに昼食をとり、大学へ。図書館へ直行しました。次の2点の論文のコピーを取りました。
Marius B. Jansen, "New Materials for The Intellectual History of Nineteenth-Century Japan," Harvard Journal of Asiatic Studies Vol. 20, No. 3/4 (Dec., 1957), pp. 567-597
Lissa Roberts, "Science Becomes Electric: Dutch Interaction with the Electrical Machine during the Eighteenth Century," Isis, Vol. 90, No. 4 (Dec., 1999), pp. 680-714
&塚原東吾氏の博士論文の書籍化を借り出しました。
Togo Tsukahara
Affinity and Shinwa Ryoku : introduction of Western chemical concepts in early nineteenth-century Japan
Amsterdam : J.C. Gieben, 1993
予想とおり、ここにまとまった情報があります。おお、なんとすでに19世紀のオランダで、『舎密開宗』の参考文献に関する書誌学的研究があったそうです。1.J. J. Hoffmann, Verzameling van Japansche Boekwerden, door Mr. J. H. Donker Curtius, Nederlandsch Commissaris in Japan, op zijn reis naar Yedo in 1858 het Rijk ingekocht
2.Dr. L. Serrurier, Bibliothéque Japaneaise,
Leyden, 1896
日本語の先行研究としては、古い田中実(1964);坂口(1975);宮下三郎(1975) (Miyasita Saburo, "A Bibliography of the Dutch medical books traslated into Japanese," Archives Internationales d'Histoire des Sciences, 25(1975): 8-72)の他に、最近の研究として、石田純郎『江戸のオランダ医』(三省堂、1988)pp.232-236 をあげています。以下に原本の同定の差異をリストの形で示しましょう。
1.『葛氏舎密』(カステレイン著、1788年刊)
坂口:P.J. Kastelein,Beschouwende en Werkende Chemie Tweede Deel, Eerste Stuk, 1788
東:P.J. Kastelein,Chemische en Physische Oefenigen、3dln, Leyden, 1793-1797
塚原:P.J. Kastelein,Beschouwende en Werkende Chemie 2 dln, 1788
Tsukahara notes that Hoffmann and Serruier mistook this for Chemische Oefenigen(1783).
Goodman: P.J. Kastelein,Chemische Oefenigen, Amsterdam, 1783.2.『貌氏人身窮理篇』(ブリュメンバス編、1791年刊)
坂口&塚原&Goodman:J. O. Frid. Blumenbach,Grondbeginselen der Natuurkunde van den Mensch tr. by G. J. wolff, Amsterdan, 17913.『布氏明液論』(フレンキ編、1791年刊)
塚原:J.J. Plenck, Natuur- en scheikundige verhandeling over de vochten des menschlijken ligchaams, Dordrecht, 1797
Goodman:J.J. Plenck, Grondbeginselen der Scheikunde, Amsterdam, 1803.4.『舎密備要』(フレンキ述、1803年刊)
塚原:J o s e p h J a c o b P L E N C K , Grondbeginselen der Scheikunde, Amsterdam, 18035.『舎密原本』(ラホイシール著、1800年刊)
全員一致:A. L. Lavoisier, Grondbeginselen der Scheikunde, Utrecht, 18006.『依氏広義』(イペイ氏編、1804年刊)
全員一致:Adolphus Ypey, Sijstematische Handboek der Beschouwende en Werkdaadige Scheikunde9 vols., Amsterdam, 1804-18127.『合薬問答』(編者、刊行年不明)
塚原:N. Niewenhuis, D'apotheek in vraagen en antwoorden.8.『越列機療法』(ウィルレム・ハン・バルネフェルド著、1785年刊)
塚原&Goodman:Willem van Barneveld, Over de Geneeskundige electriciteit , Amsterdam, 17859.『三有小学』(ブリュメンバス著、刊行年不明)
塚原:J.B. Blumenbach, Handboek der natuurlijk historie of natuurgeschiedenis, 1802, or Kleine Schriften zur vergleichenden Physiologie un Anatomie unde Naturgeschichte gehörig, 1800.10.『薬舗指南』(ハーケン著、刊行年不明)
全員一致:K. G. Hagen, Leerboek der Apothekerkunst, Amsterdam, 180711.『大気修繕法』(ゴイトン・モルヘアウ著、1811年刊)
塚原&Goodman: L. B. Guyton de Morveau, Verhandeling over de middelen om de luft te suiveren, Leiden, 180212.『合薬舎密』(トロンムスドルフ著、1815年刊)
全員一致:J. B. Trommsdorff,Leerboek der Artsenneimengkundige,Proefondervindelijke Scheikunde, tr. by N. C. Meppen, Amsterdam, 181513.『舎密翰海』(オクタヒウス・セギュル編、1817年刊)
塚原&Goodman:Octavius Segur, Brieven over de grondbeginselen der scheikunde, Rotterdam, 181114.『福烏多薬論』(ハン・ホウト著、1817年刊)
全員一致:H. J. van Houte,Handleiding tot de Materies Medica, Amsterdam, 181715.『理学初歩』(イスホルジング著、1818年刊)
全員一致:J. N. Isfording, Naturkundig Handboek voor Leerlingen in de Heel- en Geneeskunde , tr. by G. J. van Epen, Amsterdam, 182616.『舎密崖略』(ヒューマンス著、1820年刊)
全員一致: Dr. H. S. Hijmans,Ontwerp van eene Algemeene Scheikunde, Dordrecht, 182017.『幾那塩説』(ストラーティング著、1822年刊)
塚原&Goodman: S. Stratingh, Scheikundige Verhandeling over de Cinchonine en Quinine, Groningen, 182218.『測山説』(レインワールト著、1822年刊)
坂口:C. G. C. Reinwardt, "Over de Hoogte en verdere Natuurlijke Gesteldheid van Eenige Bergen, in de Preänger Regentschappen 1823. (Verhandelingen van het Genootsschap, van Kunsten en Wetenschappen)
塚原&Goodman:C. G. C. Reinwardt, "Voorlezingen over de hoogte en verdere natuurlijke gesteldheid van eenige bergen in de Preanger regentschappen", uit Verhand. Bat. K.&W. , IX deel, 182219.『紐氏韻府』(ニューウェンホイス著、1825年刊)
坂口: Egbert Buys, Nieuw en Volkomen Woordenboek van Konsten en Wetenschappen, 10 vols., 1769-1778
菅原:Gt.Nieuwenhuis, Algemeen Woordenboek van Kunsten en Wetenschappen, 1820
塚原&Goodman:Gt.Nieuwenhuis, Algemeen Woordenboek van Kunsten en Wetenschappen, 8 vols., 1820-182920.『和蘭局方』(1826年刊)
全員一致:Nederlandsche Apotheek, 's-Gravenhage, 1826; Utrecht, 1841; 's-Gravenhage, 1851 and 187121.『利氏人身窮理篇』(リセランド著、1826年)
全員一致: A. Richerand, Nieuwe Grondbeginselen der Naturkunde van den Mensch, Amsterdam, 182622.『蘇氏舎密』(スマルレンビュルグ著、1827年刊)
全員一致:F. van Catz Smallenburg, Leerboek der Scheikunde, 3 vols., Leyden, 1827-183323.『[ワー]多児薬論』(ハン・ワートル著、1829年刊)
全員一致: J. A. van de Water,Beknopt doch zoo veel mogelijk Volledig Handboek voor de Leer der Geneesmiddelen (Materia Medica), Amsterdam, 182924.『ガルファニ記事』(ハン・レイス編、1803年刊)
塚原&Goodman:Van Rees, Verzameling van stukken, als bijdragen tot het galvanismus, zoo in opzicht tot dezelfs genee- als natuurkundige werkingen, 2dln (deel 1 in 1803 en deel 2 in 1805), Arnheim, 1803-05.
ちいさいちびといっしょに5時45分。ちいさいちびの熱は下がったようです。→と思ったのですが、一時的に下がっただけでした。今日一日ずっと横になったままです。ご飯もほとんど食べません。熱も、上がったり下がったり。
夕方寝付く前には、38度5分まで上がりました。寝付いたあと、育児ブックを妻が開き、どうもおたふく風邪ではないかと言ってきました。記述を読むと、確かにおたふく風邪の症状にも似ています。耳の後ろが腫れて、食事のときに痛がるというのは一致します。
明日の朝、近所のお医者さんに連れていって診てもらいます。かなり、おたふくぽいです。
オランダの本ですが、なかなか苦労しています。
Short Title Catalogue Netherlands (STCN)
古い本に関しては、これがたぶん基本です。イギリスのShort Title Catalogue に合わせて、オランダで進んでいるのが Short Title Catalogue Netherlands (STCN) です。1540-1800 をカバーします。2009年に完成予定とありますから、現時点で相当程度をカバーしていると言えるでしょう。なお、この STCN によっても、カステレインのChemische OefenigenとプレンクのGrondbeginselen der Scheikunde はヒットしません。 STCN はまだ100%ではありませんから、0ヒットだからといってないということにはなりませんが、相当に珍しい稀書、稀書中の稀書であるようです。
また、 STCN によれば、Beschouwende en werkende pharmaceutische, oeconomische en natuurkundige chemie の出版年は、第1巻が1786、第2巻が1788、第3巻が1794です。出版年を重視すれば、『葛氏舎密』が再び、Beschouwende en Werkende Chemieである可能性も残っているということになります。ややこしや!
Utrecht University Library opac
筑波大学図書館 図書館リンク集: オランダの図書館
新しい検索サイトのニュースがありました。
ひとりで5時45分。快晴。昨日の雨はおしめり程度でした。夕立がほしいな。どうも調子が悪いな、と思っていたちいさいちびが夕刻熱を出しました。37度5分の微熱です。顔に生彩がなく、疲れている模様だったので、ソファーで横にならせていたら、熱が出てきたものです。2日続けて、プールにはいって、疲れたのでしょう。本人はずいぶん喜んでいますが、プールに入ると夏が出やすくなるようです。
ずっとなきべそをかいていましたが、5時前後で寝付きました。あかんぼうは5時過ぎに寝付きました。二人とも7時には、2階に運び、就寝体制。実は私も目の奥の頭が痛い。ちいさいちびといっしょに休みました。
研究室に残してきた資料を取りに朝一番で大学へ。8時半武蔵境発の電車で。目的の書物は次。
Grant K. Goodman,
Japan and The Dutch 1600-1853
Padstow, 2000
この本のpp.259-261 に榕菴が『舎密開宗』執筆に用いた本の一覧があります。24点のうち21点が挙げられています(特定されています。)
注目すべき点だけまずは取り出します。1.カステレイン
P.J. Kasteleijn, Chemische Oefenigen voor de Beminnaars der Scheienkunst in het Algemeen en de Apothekers in 't Bijzonder.
Amsterdam, 1783.
東氏の同定されたものと同系列なのは、タイトルの類似からすぐにわかりますが、しかしタイトルが微妙に違います。さらに、出版地・出版年が違います。両者の異同を調べる必要があります。→少し調べてみました。やはり、Chemische Oefenigen, 3 deelen, 1785 とChemische en Physische Oefenigen, 13 stukjes, 1792 は別物です。榕菴は、1788年刊と記しています。
→次の論文を読み直しました。
東徹「杏雨書屋資料「舎密書」と『舎密開宗』」『弘前大学教育学部紀要』99 (2008): 63-74
東氏は、カステレインの化学書として3点を挙げています。
(1)Beschouwende en Werkende Pharmaceutische- oeconomische, en natuurkundige Chemie, 3 dln, Amsterdan, 1784-1794
(2)Chemische en Physische Oefenigen、3dln, Leyden, 1793-1797
(3)Chemische Oefenigen, 3 dln, Amsterdan, 1785-1788
(1)について。第1巻は1786[1784のミスタイプか?]、第2巻は1786、第3巻は1794年に出版された。第1巻と第2巻は、金沢大学附属図書館医学部分館に所蔵されている。第3巻は国内では見出されていないが、舶載されたことそのものは、[東が]見出した。
第2巻の訳稿が「杏雨書屋資料」に残されている。『舎密書』(78丁)。この翻訳は、『舎密開宗』にも反映されている。
東氏の研究は、緻密で確実なものです。言われている点は間違いないでしょう。
ただし、私にとって残された疑問は、東氏が(3)Chemische Oefenigenを、最初にあげているだけで、論文の本文中でまったく取り上げていない点です。中身を検討されなかったのでしょうか? 榕菴のあげる「1788年刻」という出版年に合うものがあるのは、(1)から(3)の中では、(3)のみです。
(1)〜(3)の出版年は近接・重複しています。順番としては、(1)(3)(2)となります。純粋の可能性として、(1)と(2)と(3)は中身が重なっており、とくに(3)は(2)をタイトルからして拡張した版であることが想像されます。
事柄を100%確定させるためには、(3)の中身の検討も必要です。2.プレンク
J.J. Plenck, Grondbeginselen der scheikunde. Uit het Latijn vertaald door J.S. Swann,
Amsterdam, 1803.
グッドマンは、このプレンクの『化学原論』を『布氏明液論』(Plenck's essay on clear liquids) としています。これは、私の推定と矛盾します。Grondbeginselen der scheikundeを榕菴が『布氏明液論』と訳すことはありえないように思われます。
また、グッドマンは、この21点のリストが何によるのかまったく述べていません。2次資料から?あるいは、自分である程度調べたのでしょうか?
ちいさいちびといっしょに7時20分。曇り。一雨欲しいところです。
昨日、おねえちゃんたちだけが「うみ」(あかんぼうはプールもお風呂もこう呼びます)に行って自分が置き去りにされたことに気付いたようです。夜泣いたということです。ということで、いろいろ相談しながら考えて、妻がちびども全員を昭和記念公園のレインボープールに連れていくことになりました。
あかんぼうはおおはしゃぎ。
9時45分頃でかけ、3時過ぎに帰ってきました。帰宅は、ちょうど雨がちょっとだけ降った時間帯でした。あかんぼうはベビーカーですやすや寝ていました。外語大のサイトに、来年4月からの組織改編のことが出ています。
変更点は大きくは、次の2点です。
教員所属の変更:現在の学部と大学院所属の教員が大学院所属(総合国際学研究院)で一元化されます。
大学院博士後期課程:現在の1専攻(「地域文化専攻」)から、2専攻(「言語文化専攻」と「国際社会専攻」)となります。
組織改編に伴い、学部・大学院の運営組織に変更があります。(細部はまだ未定。)
学部学生の立場からは、この組織改編はほとんど見えない変更になると思われます。
どういうふうになるのかは、他大学ですでに大学院重点化/部局化を実現しているところを見てもらえばわかると思います。(旧帝大系や東工大等の基幹大学はとっくのむかしに重点化/部局化しています。見分け方は簡単です。名刺に、○○学部教授ではなく、◎◎大学院教授となっている大学は、ほとんどが大学院重点化/部局化した大学です。)部屋の中を検索し、次の論文を見つけました。
菅原国香「『舎蜜開宗』の参考書『紐氏韻府』の原本とその引用をめぐって」『科学史研究』第II期 Vol.42(No.225)(2003): 40-48
26日の箇所に記した通りでした。
榕菴が『紐氏韻府』と記している書物は、坂口氏の述べているEgbert Buys, Nieuw en Volkomen Woordenboek van Konsten en Wetenschappen, 10 vols., 1769-1778 ではなく、Nieuwenhuis, Gt. Algemeen woordenboek van kunsten en wetenschappen8 vols., Zutphen : H.C.A. Thime, 1820-1829でした。榕菴は、1825年刊と示しています。1825年に刊行されたのは、[N-Q]の巻です。[N-Q]の巻が榕菴の引用する内容とぴったりあうことを菅原国香氏は示しています。
菅原国香氏は指摘していませんが、そもそも、Egbert Buysをどう読んでも、「ニーウェンホイス」とはなりません。つまり、坂口氏が「舎密開宗のオリジナルテキストについて」『舎密開宗研究』(講談社、1975)の九「『舎密開宗』の成立まで―テキストの選定―」の(四)「『開宗』の援用文献」pp.24-25 でリストアップしている、「『開宗』序例に挙げている二十余冊の、訳述のさいの参考書の原名」は、一部ゲスワークであるということです。
その「一部」がほんの一部なのか、ほとんどすべてなのかは、俄には断定しがたいのですが、東氏が明らかにした『葛氏舎密』の件も考えあわせると、照合は基本的に行っていないのではないかと予想されます。
もちろん、照合をしなくても、状況証拠からだけでも明々白々のものもあります。しかし、原則ゲスワークであり、照合作業をしていないでは、と見ています。
(そもそも、ヘンリーやトロムスドルフやイペイの書物の扱いを考えあわせると、こう考える方が事の真相を言い当てている蓋然性が高いと言えるでしょう。)榕菴の『越列機療法』(ウィルレム・ハン・バルネフェルド著、1785年)ですが、たぶん、次のものです。我ながらよくわかったものだと思います。
Willem van Barneveld
Geneeskundige electriciteit
Amsterdam: J.B. Elwe en D.M. Langeveld, 1785
今のところ、国立情報学研究所のウェブキャットでもGeNiiでも0ヒット。早稲田の古典籍にもありません。おお、不明だったものがおおよそわかりました。
『大気修繕法』(ゴイトン・モルヘアウ著、1811年)は次。
Guiton Morveau, L. B.(Guyton de Morveau)
Verhandeling over de middelen om de lucht te zuiveren,
Leiden, 1802.
ギトン・ドゥ・モルヴォーだったとは。早稲田の古典籍に、宇田川家旧蔵&勝俣銓吉郎旧蔵 のこの書物があります。これは、これで一挙に問題解決です。『舎密翰海』(オクタヒウス・セギュル編、1817年)は次。
Octavius Segur
Brieven over de grondbeginselen der scheikunde,
Rotterdam, 1811
所在はまだ不明。『ガルファニ記事』(ハン・レイス編、1803年)は次。
Van Rees
Verzameling van stukken als bijdragen tot het galvanismus, 200 inopsicht tot deszelfs genees als natuurkundige werkingen
Arnhelm, 1802-5.
ガルヴァニズムの本です。所在はまだ不明。ということで、まったく手がかりのつかめていないのは、『合薬問答』(編者、刊行年不明)だけということになりました。これは、編者も刊行年も不明なので、特定するのはとても難しい。
以上で足りないところは、一両日中に。
ちいさいちびといっしょに7時20分。昨日の猛暑のせいでしょうか。今月は、今日で100枚を突破。111枚。
畏友八耳氏の次の労作を引っ張り出して読みました。
八耳俊文「清末期西人著訳科学関係中国書および和刻本所在目録」『化学史研究』第22巻(1995): 312-358
インターネットが一般に普及し始める年の最後に出版されています。つまり、八耳氏は、この価値高き労作を、すべて古典的技法で、すなわち日本各地の図書館・文庫を実際に訪問して、文献の所在調査を(昔の文献カードを繰りながら)行っているということになります。そのときの編集長が「神様、仏様、八耳様」と冗談に言っていたことを思い出しました。私には到底まねのできない作業です。そして、おそらく今後誰もまねのできない仕事だと思われます。
ご本人の弁では次の通り。「調査方法は、全国の図書館の蔵書目録から目的の図書を採録するという手法をとったが、それらをできるだけ近年の研究成果に従い区分を行い、一部の図書については直接、図書館に赴き対査して、目録の精度と水準を高めるように努力した。」
「本目録では、19世紀中期に欧米人が中国語で著訳した科学関係書、およびその和刻本のうち、原則として日本で所在が明らかな図書を対象とした。・・・なお『国書総目録』『古典籍総合目録』では、収載書目の範囲を慶応3年までに日本人の著編撰択した書籍と限り、漢籍の場合原文に句読訓点に施したに過ぎないものは収めないと定めているため、本目録で収録された図書は掲載しておらず、内容が重なることはない。」(p.312)ふと見ると、『科学史研究』の2002年春号が机の地層の最上にあり、そこに、次の論文がありました。
野村正雄「前野良沢の『翻訳運動法』、『測曜機[王ヘンですが、この字を当てておきます]図[こちらも旧字です]説』と蘭書典拠」『科学史研究』第41巻(No.221)(2002): 1-13
1.前野良沢の2つの写本『翻訳運動法』と『図説』(1770年代成立と考えられる)のオランダ語典拠を次の書物であると確定しています。De Natuurkunde uit ondervindingen opgemaakt door Joann Theoph. Desaguliers. Uit he Engels vertaald door een Liefhebber der Natuurkunde. Amsterdam, Isaak Tirion, 1751. 3 vols. Translation of Physics based on experience by J. T. Desaguiliers.
2.次いで、前野良沢の物理学理論(力学)の理解の度合いをはかっています。
[『舎密開宗』基本情報・・・・]
もっとも基本、所在から調べる必要があると思うようになりました。蘭学の時代に日本に舶来されたオランダ語の書籍リストがあると簡単に片が付くのですが。。。逆順で調べていきます。
ハーケン Hagen, K.G.
K. G. Hagen,Leerboek der Apothekerkunst(『薬舗指南』)
Wecat:0 , Nii: 0ハン・ワールト van de Water, J. A.
J. A. van de Water,Beknopt doch zoo veel mogelijk Volledig Handboek voor de Leer der Geneesmiddelen (Materia Medica)1829(『[ワー]多児薬論』)
原本(Amsterdam : C.G. Sulpke, 1838): 2館(日文研, 福井大)
翻訳『◆U7A8A◆篤兒藥性論』18冊( 1:巻1 - 18:巻21)、江戸 : 須原屋伊八, 安政3 [1856]、 所蔵(長大医、日文研他)スマルレンビュルグ van Catz Smallenburg, F. ファン・カッツ・スマレンブルク
F. van Catz Smallenburg,Leerboek der Scheikunde 3 vols., 1827-1833 (『蘇氏舎密』)
原本 (Leyden: A. en J. Honkoop, 1827-1844, 5 v.): 3館(日文研、早稲田古典籍、武雄鍋島文庫)リセランド Richerand, A.
A. Richerand,Nieuwe Grondbeginselen der Naturkunde van den Mensch , 1826 (『利氏人身窮理篇』)
オランダ語版:A. Richerand's nieuwe grondbeginselen der natuurkunde van den mensch 2 vols., Amsterdam : C.G. Sulpke, 1821: 2館(京大、日文研)
フランス語原本:Nouveaux elemens de physiologie, Paris : Chez Richard, Caille et Ravier, 1801; 11th ed. Bruxelles : H. Dumont, 1833: 1館(日文研)
邦訳:『利攝蘭度人身窮理』3巻, 越爾百許謨譯 ; 廣瀬元恭重譯, 時習堂, 安政2 [1855]: 2館(日文研、九大医)
Nederlandsche Apotheek1826 (『和蘭局方』)
オランダ語原本:C. van der Post Jr., 1841:1館(日文研);Algeneene Lands-drukkerij, 1851:2館(金沢、日文研)
『和蘭局方』2巻、宇田川先生譯 ; 木邨秀茂輯, [書写地不明] : [書写者不明] , 文化7 [1810] :1館(九大医)
『和蘭局方』宇田川玄真訳 ; 木村秀茂輯 ; 上 , 中 , 下. [書写資料] -- [製作者不明], [1---] :1館(日文研)
『和蘭局方』江馬(修)静安訳. [書写資料] -- [製作者不明], [19--] (武田研究所蔵本を写す):1館(日文研)、1館(九大医)
『和蘭局方』必的尓波滅児(Pieter van Hamel)著, [1] , [2]. [書写資料] -- [製作者不明], [1---] [写], 2冊:1館(日文研)ニーウェンホイス*紐氏 Buys, Egbert ボイス
Egbert Buys, Nieuw en Volkomen Woordenboek van Konsten en Wetenschappen, 10 vols., 1769-1778 (『紐氏韻府』)
原本:4館(佐大、長大経、 日文研、福大 )
英語原本\:A new and complete dictionary of terms of art: Containing a fufficient explication, of all words derived from the Hebrew, Arabic, Greek., Latin, Spanish, French, English, German, Dutch and other languages ; made use of to expres any art, science, custom, sickness, medicine, plant, flower, fruit, tool, machine, &c. Chiefly, a full explanation of all the difficult words or expressions, used by the most celebrated antient bards and authors; also of the most obscure law-terms in Great-britain, Amsterdam : Kornelis de Veer, 1768-1769:1館(長崎)
*どうして、宇田川榕庵が「ホイス」ではなく、「ニーウェンホイス」としたのでしょうか? →08.7.27 やっとわかりました。これは、榕菴のミスではなく、坂口氏のミスです。もちろん、ニーウェンホイスはボイスではありません。榕菴が言及しているのは、次の書物だと思われます。
Nieuwenhuis, Gt.
Algemeen woordenboek van kunsten en wetenschappen
Zutphen : H.C.A. Thime, 1829
これは早稲田の古典籍の所蔵する版です。
8 vols., Zutphen : H.C.A. Thieme, [1820]-[1829] のものは、京大と福井大学に入っています。
菅原国香氏の次の論文はたぶんこの点に関するものだと思われます。(未見)
菅原国香「『舎蜜開宗』の参考書『紐氏韻府』の原本とその引用をめぐって」『科学史研究』第II期 42(225)(2003): 40-48
菅原国香氏は、科研費の報告で、「『榕菴先生和蘭遺書』の「Atoom」の項目は、Gt.Nieuwenhuisの百科事典Algemeen Woordenboek van Kunsten en Wetenschappenの1820年の「A-B」巻の"ATOOM"の項目の説明を写し、一部和訳したものである。」と記されていますから、私の推測で間違いないと言えるでしょう。
\ 松田清「洋学史研究ノート2」によれば、この書物は、もともとは英語の書物が先で、それをボイスが翻訳・増補したものであるということです。レインワールト* Reinwardt, C. G. C.
C. G. C. Reinwardt,"Over de Hoogte en verdere Natuurlijke Gesteldheid van Eenige Bergen, in de Preänger Regentschappen, 1823 (Verhandelingen van het Genootsschap, van Kunsten en Wetenschappen)(『測山説』)
C. G. C. Reinwardt の他の著作は、ウェブキャットで3点。これは、なし。論文もなし。
『舎密開宗』(講談社、1975)p.15 下は、「レインソールト」となっているが、単純なミスプリであろう。ストラーティング Stratingh, S.
S. Stratingh,
Scheikundige Verhandeling over de Cinchonine en Quinine,1822 (『幾那塩説』)
Wecat:0 , Nii: 0ヒューマンス Hijmans, H. S.
Dr. H. S. Hijmans,Ontwerp van eene Algemeene Scheikunde,1820 (『舎密崖略』)
この著者のものは次の1点のみ。
Grondbeginselen van eene algemeene physiologie, of natuurkunde van den mensch, Dordrecht : F. Boekee, 1820 :1館(京大)イスフルジング Isfording, J. N. イスフォルディンク
J. N. Isfording, Naturkundig Handboek voor Leerlingen in de Heel- en Geneeskunde tr. by G. J. van Epen, 1826 (『理学初歩』)
原本:2館(京大、九大)
『理學入門 』信夫古作, 安政4 [1857] [刊], 45丁. :九大
『内科医科理学入門』(独)イスホルチンク著 ; (蘭)ハン・エペン訳 ; 前篇 , 後篇. [書写資料] -- [製作者不明], 1826序 [写], 2冊:日文研ハン・ホウト福烏多 van Houte,H. J.
H. J. van Houte,Handleiding tot de Materies Medica, 1817 (『福烏多薬論』)
Wecat:0 , Nii: 0カステレイン葛氏 Kastelein, P.J.
P.J. Kastelein,Beschouwende en Werkende Chemie, Tweede Deel, Eerste Stuk, 1788 (『葛氏舎密』)
Wecat:0 , Nii: 0
*下に記した通り、東氏の研究によれば、『葛氏舎密』は、次のものです。
P.J. Kasteleijn, Chemische en Physische Oefenigen, voor de Beminnaars der Scheien Naturkunde in 't Algemeen, ter Bevordering van Industrie en Oeconomiekunde, en ten Nutte der Apothekers, Fabrikanten en Trafikanten in 't Bijzonder.3 dln., Leyden, 1793-98.
カステレインに関しては、東氏がずっと追求されています。東徹「『舎密開宗』とカステレインの化学書」『化学史研究』 30(2)(2003): 108
東徹「宇田川榕菴の化学受容と「杏雨書屋資料」 : カステレインの雑誌を中心として」 『化学史研究』 33(3)(2006): 129-146
東徹「杏雨書屋資料「舎密書」と『舎密開宗』」『弘前大学教育学部紀要』99 (2008): 63-74
トロンムスドルフ Trommsdorff, J. B. トロムスドルフ
J. B. Trommsdorff,Leerboek der Artsenneimengkundige, Proefondervindelijke Scheikunde, tr. by N. C. Meppen, 1815 (『合薬舎密』)
Wecat:0 , Nii: 0
このオランダ語版が早稲田古典籍にある。Leerboek der artseneimengkundige, proefondervindelijke scheikunde, 2 vols., Amsterdam, 1815 (宇田川印信,岡村氏珍蔵記)。また、武雄鍋島文庫にも1点(『薬物の実験的分析的分析学教程』1832)イペイ Ypey, Adolphus
Sijstematische Handboek der Beschouwende en Werkdaadige Scheikunde, 9 vols., 1804-1812 (『依氏広義』)
Wecat:0 , Nii: 0
武雄鍋島文庫に1点(『検討的有効なる分析術の系統的便覧』1804-1812)。長野県松代町の真田宝物館に1点。ラホイシール Lavoisier, A. L. ラヴォワジェ
A. L. Lavoisier,Grondbeginselen der Scheikunde 2 vols., tr. by N. C. De Fremery; P. van Werkhoven, 1800 (『舎密原本』)
オランダ語版(2 vols., Te Utrecht : Bij G.T. van Paddenburg en Zoon, 1800):1館(日文研)ブリュメンバス Blumenbach, Johann ブルーメンバッハ
J. O. Frid. Blumenbach, Grondbeginselen der Natuurkunde van den Mensch tr. by G. J. wolff, 1791 (『貌氏人身窮理篇』)
Wecat:0 , Nii: 0
この書ではない、ブルーメンバッハの書物は、比較的多く所蔵されている。また2点の論文がある。
ひとりで5時過ぎ。曇り。すこし雨が降ってくれるとよいのですが。昨日持ち帰った最終レポートの採点ならびに出席点との合計作業。終わりが見えた頃、ゴキブリと叫ぶ声。ちびどもが食器棚の抽出でゴキブリを発見しました。
一匹だけではなく、複数匹出現しました。以前から怪しいなと思っていた場所です。8つの抽出全部を整理・掃除することとしました。
案の上です。糞がいっぱいたまっています。すみかだったようです。
ゴキブリが大の苦手の妻は、ショックで半ばパニック状態。ゴキブリをやっつけつつ、全部の抽出を片づけました。
ごきぶりは10匹以上処理しました。
汗だくになりました。お昼ご飯の時間を過ぎましたが、さすがに、この状態でご飯を作る気にはなりません。車で食事に。ジャナサン。食後、サミットとコジマで簡単な買い物。
帰宅してすぐに残っていた採点・合算を行いました。この授業は、開講した甲斐がありました。学生達のレポートでそれがはっきりと伺えます。ゴキブリ騒動を2時間挟んだので着手してから、5時間以上かかりましたが、ともあれ完了。あとは、成績記入票に転記するだけです。
ああ、それにしても、今日は本格的な暑さがやってきました。ちょっと働いただけで汗がしたたりおちます。
ひとりで4時20分。早すぎです。地震のせいでしょうか。ちびどもが起きる頃に眠くなって2度寝。起きて8時半。昨日大学のメールボックスに6月12日に行った健康診断の結果が入っていました。
身長:174.6センチ、体重:68.2キログラム
BMI値:22.3。肥満度+1%。
1点だけ指示がありました。血圧です。122-73 の数字に対して、収縮期のものがいくらか高めのようです。A判定は, 100-119 の範囲。B判定が、120-129, 80-99。もともと低血圧体質です。個人的には、測定誤差の範囲内ではないかと思います。あるいは、そのときの一時的現象。夏休み前最後の授業。大学院です。午後に3コマ。
昨日と同じく、すこし早めに大学にでて、レスポンスシートの整理を行いました。1200枚強を学生別に分けました。1時間半ほどかかりました。昨日は30分ほど作業したので、計2時間かかったことになります。あとは、最終レポートとあわせて、評価する仕事が残っています。
→午後3コマ連続して大学院のゼミ。発表が3件です。
5名、3名、2名の出席者。終了後、近所の沖縄料理屋で打ち上げ。
10時前に帰宅しました。
ひとりで6時。今日も晴れ。会議の日。今日が最終回ではありません。来週が最終回。
すこし早めに出て図書館作業。次の3点をコピー。肉体労働です。汗まみれ。
宮下三郎
「阿山薬と万金丹―江戸の製薬革命―」
『論集日本の洋学1』(1993): 157-175
土井康弘
「宇田川榕庵の主著『植学啓原』と『舎密開宗』をめぐる学術交流」
『洋学3 日本洋学史研究会年報』(1993): 107-133島尾永康
「宇田川榕庵のLavoisier研究-1-」
『関西大学社会学部紀要』第3巻第1号(1971): 40-55いつも通り、それから昼食。取ったコピーを読みながら、ゆっくり昼食。
それから、研究室で捜し物。半分見つかりました。
塚原東吾「「離合原本」「製煉発蒙」「分離学律」「舎密備要」「舎密加総論」「舎密 全書」などを含む、『舎密開宗』周辺の科学関連書の諸写本の研究」(第2報)、 日本科学史学会年会、愛知大学、1998年、6月
第1報の掲載されている年会レジメ集は見つからず。1時前後に3名の客人。2名は学生。書類に署名し判子を押しました。もうひとりは、生協の岸田理事。4限の授業のレスポンスシートを持ってきてくれました。1200枚強。手強い量です。
プレンクの検索を続行。プレンクの『舎密備要』の原本(もとはラテン語。そのオランダ語訳、アムステルダム、1803)は相当に珍しい書物のようです。私がいつも使っているドイツ、イタリアの大学図書館のopac では見つかりませんでした。
次のものが見つかったので、ダウンロードしておきました。Plenck, Joseph Jacob, Ritter von, 1738-1807
Josephi Jacobi Plenk ... Elementa terminologiae botanicae ac systematis sexualis plantarum
Viennae: Apud A. Blumauer, 17962時10分からうち合わせ会議。
2時半から大学院教授会。
2時50分〜4時20分。4限の生協寄付講座「生活と権利を守る」の最終回。一種のテスト。正確には、最終レポートを時間のなかで書いてもらいました。
見るからに体育会系の男子学生2名が机で寝ています。一人は座ったまますやすや。もう一人は、うっぷしてすやすや。左の学生は途中で目覚め、本を読み始めました。そうこうするうちに教室を出ました。もう一人の学生は、ほとんどの学生がレポートを出したことに目覚め、しばらくもぞもぞしていましたが、レポートには手をつけずに出ていきました。最後の学生がレポートを出したあと、急いで会議室に戻っていると、教室の外の近くのベンチで、教室に入ったときと同じように座ってすやすやしています。よほど眠かったのでしょう。試験中にあれほどよく寝る学生ははじめて見ました。会議室に戻ると、教授会は終了しており、FDをやっていました。1時間ほどFDに参加してから、研究室に戻り、いくから荷物を片づけてから、帰宅。
ちびどもは、ナンジャタウンに連れていってもらったということで上機嫌。
ひとりで4時50分。今日も好天。暑くなりました。
[『舎密開宗』基本情報・・・]
宇田川榕庵が引用文献をどの程度利用したのか見てみたい。固有名詞索引から拾います。坂口氏のリストの順番で見てみます。
『葛氏舎密』14回:14, 144, 151, 154, 171, 288, 346, 361, 374, 402, 404, 450, 451, 504
『貌氏人身窮理篇』1回:14
『舎密原本』15回:14, 26, 29, 37, 40, 41, 43, 51, 92, 109, 110, 355, 376, 380, 406
『依氏広義』多数回:14 et al.
『合薬舎密』多数回:14 et al.
『福烏多薬論』1回:14
『理学初歩』2回:15, 25
『舎密崖略』2回:15, 187
『幾那塩説』1回:15
『測山説』2回: 15, 28, 82
『紐氏韻府』11回:15, 29, 64, 185, 263, 333, 359, 360, 383, 518, 523
『和蘭局方』15回:15, 94, 97, 124, 137, 155, 175, 185, 287, 293, 294, 329, 340, 352, 363
『利氏人身窮理篇』2回:15, 352
『蘇氏舎密』42回:15, 43, 46, 61, 68, 80, 81, 84, 86, 102-104, 117, 118, 126, 135, 136, 143-145, 153, 160-162, 170, 172, 174, 175, 178, 180, 197, 198, 206, 237, 239, 240, 264, 384, 386, 388, 393, 410, 416, 418-420, 426, 436, 437, 464, 490
『[ワー]多児薬論』7回:15, 175, 200, 207, 219, 386, 388
『薬舗指南』3回:14, 370, 461
坂口氏が同定できなかった著作。
『舎密翰海』15回:14, 97, 114,147, 153, 195, 207, 211, 213, 280, 309, 405-408, 416
『舎密備要』23回:14, 47, 94, 114, 124, 134, 135, 193, 194, 197, 203, 205, 207, 214, 218, 220, 326, 329, 356, 358, 371, 375, 378
『布氏明液論』2回:14, 44
『三有小学』3回:14, 103, 220
『合薬問答』2回:14, 360
『ガルファニ記事』2回:15, 56
『越列機療法』1回:14
『大気修繕法』1回:14
以上から、原稿を執筆するときに本当に座右にあったものがわかります。
多数回:『依氏広義』『合薬舎密』
42回:『蘇氏舎密』
23回:『舎密備要』
15回:『和蘭局方』『舎密原本』『舎密翰海』
14回:『葛氏舎密』
11回:『紐氏韻府』坂口さんの時点では突き止められていない『舎密備要』ですが、4番目に多く利用されている文献です。これは同定しなければならない書物だと思われます。また『舎密翰海』もかなりよく使われています。やはり同定の必要があると思われます。
逆に、1回しか引用・言及されていないものは、確かに参考にはしたが、手元において翻訳作業を進めたわけではない著作だと評価できます。
1回:『貌氏人身窮理篇』『福烏多薬論』『幾那塩説』『越列機療法』『大気修繕法』
→こうした事柄がまったく調べられていないわけはないと思い、今一度検索をかけてみました。神戸大の塚原東吾氏がやはり調査していました。実は、今学期の駒場の授業の最終日またはその前の週に塚原氏をお呼びしようと思い、声をかけたのですが、時間がとれないということで断られました。来ていただいていたら、ずいぶん状況がはっきりしたと思います。
手元では、関連する資料が見つかりません。(明日大学の研究室で捜してみます。)手元にあった『化学史研究』第25巻(1998)第1号のシンポジウム「宇田川榕庵研究の新潮流」の記事を読んでみました。
塚原東吾「宇田川榕菴の舎密学研究」『化学史研究』第25巻(1998)第1号: 57-58
予想通り、関心は今私が行っている調査に重なっています。直接上記の問いに回答するものではありませんが、関連して重要な事実を指摘しています。
1.写本 藤林普山『離合源本』がプレンクの化学書, J.J. Plenck, Grondbeginselen der scheikunde, of oversicht over alle de vakkenの逐語訳とあります。
2.写本 坪井信道『製煉発蒙』の原本は、「プレンクとされているが、それのみであるとは言い難く、・・・『舎密開宗』との関連は濃いものと考えられる。」
3.写本 緒形洪庵『舎密全書』 ファン・カッツ・スマレンブルグの全訳。
同じシンポジウム中で、東徹氏の「『舎密開宗』の参考文献『葛氏舎密』について」は、私の提起した問題に直接回答してくれています。
坂口氏は、『葛氏舎密』の原本を P.J. Kasteleijn, Beschouwende en Werkende Pharmaceutische- Oeconomische, en Naturkundige Chemie(Amsterdam, 1786-88) とされたが、むしろ P.J. Kasteleijn, Chemische en Physische Oefenigen, voor de Beminnaars der Scheien Naturkunde in 't Algemeen, ter Bevordering van Industrie en Oeconomiekunde, en ten Nutte der Apothekers, Fabrikanten en Trafikanten in 't Bijzonder.3 dln., Leyden, 1793-98. ではないかという説を唱えるものです。立論は説得的です。東氏の主張が正しいと言ってよいでしょう。
→J.J. Plenck, Grondbeginselen der scheikundeですが、ライデン大学でもユトレヒト大学にも所蔵されていないようです。ウェブでは、1冊の本のなかの記述以外にはヒットしません。(copac にはないことを確認しています。)相当に珍しい書物なのでしょうか。なかなか手強い探査です。
あかんぼう、ちいさいちびに続き、7時前。朝方すこし雨。今は曇り。雨が降ったのでのいくらか涼しい。[崖の上のポニョ]
ちびどもがポニョ、ポニョというので、朝一番で、吉祥寺の映画館にでかけました。上演は9時10分から。8時20分に家を出ました。
席はありましたが、前から4番目。祝日です。親子連れで混んでいました。我々がはいって15分ほどで満席となりました。
あかんぼうがもつかどうかは確信がなかったのですが、まあ、8割方はもちました。1時間を過ぎたあたりで、ミルクを飲みたいと言い始め、ママといっしょに外にでました。そのまま外から思ったら、パンフをもって帰ってきました。
終了5分前には、私の膝の上で、やはりミルク、ミルクと言います。映画館の隣にスーパーがあります。スーパーに連れていって、牛乳パックを2本買ってやりました。
映画館の入り口にもどるとちびどもの姿が。そのまま、最寄りのファミレスで、昼食。
あかんぼうはなんとケーキが欲しいといいます。ちびどもはオムライス。
昼食を食べて帰宅。
「崖の上のポニョ」は幼稚園児から小学校低学年を対象とする童話です。ちびどもは面白かったと満足でした。[『舎密開宗』基本情報・・]
19日に始めた作業を継続しています。坂口氏が原典を突き止めていないものです。林氏他の現代語訳をとります。
『布氏明液論』(フレンキ編、1791年)
『舎密備要』(フレンキ述、1803年)
『合薬問答』(編者、刊行年不明)
『越列機療法』(ウィルレム・ハン・バルネフェルド著、1785年)
『三有小学』(ブリュメンバス著、刊行年不明)
『大気修繕法』(ゴイトン・モルヘアウ著、1811年)
『舎密翰海』(オクタヒウス・セギュル:攝牛:氏編、1817年)
『ガルファニ記事』(ハン・レイス編、1803年)
→私には、未知の世界です。とりあえず、原本探しをしてみます。
[プレンク Joseph Jacob Plenck]
まず、フレンキですが、プレンキだと思われます。Joseph Jacob Plenck (1735-1807) 。今の表記だとプレンクとなるでしょう。蘭学では馴染みの名前のようです。次のものが翻訳されています。
『外科新書』巻1-8 / 雅古弗斯不冷吉 撰著 ; 達非度業斯爾 増補 ; 吉雄権之助 訳
『瘍医方範』 巻1 / 郁泄弗牙哥勃不冷吉 著 ; 杉田恭卿 訳
『眼科新書』 巻之1-5,附録 / 不冷吉 撰 ; 不路乙斯 重訂 ; 杉田立卿 訳述
『和蘭眼科新書』プレンキ , 杉田 立卿、文化12年 (1815)
『泰西医源』杉田立卿訳文政四年写(プレンク『解剖学概説』から)
『解体則』新宮凉庭訳、安政五年1858刊(プレンク『解剖学概説』第四版(Amsterdam, 1804)から)さて、フレンキ編『布氏明液論』ですが、おそらく次の書物だと思われます。
P l e n c k , J o s e p h J a c o b , R i t t e r v o n , 1 7 3 8 - 1 8 0 7
H y g r o l o g i a c o r p o r i s h u m a n i . S i v e d o c t r i n a c h e m i c o - p h y s i o l o g i c a d e h u m o r i b u s , i n c o r p o r e h u m a n o c o n t e n t i s
V i e n n a e : A . B l u m a u e r , 1 7 9 4
この書物は、人気を博したようで、フランス語訳も英語訳もあります。このラテン語元版のオランダ語訳が『布氏明液論』ではないかと推測します。フレンキ述『舎密備要』もおそらく、次のラテン語版のオランダ語訳だと推測されます。
P L E N C K , J o s e p h J a c o b v o n,