ひとりで5時10分。今日の仕事のことが気になっていて目が覚めました。おお、もう、3月末です。今日は、一日外です。
朝一番で、やはり府中の銀行へ。
→いきなり忘れ物をしました。外に出て、2分。東大教育学で発表するための資料を紙袋に入れていました。それをまるまる忘れてしまいました。なにもてもとになくても、1時間や2時間は話すことができますが、せっかく用意したものです。すぐに取って返しました。再度家を出てからは、まず、郵便局。収入印紙を買いました。ウェブのよいところですが、収入印紙は要するに税金だということがよくわかりました。契約そのものは収入印紙がなくても法的に何も問題なく成り立つ。しかし、契約内容(取引額)に応じた税金を収入印紙の形で徴収するものだとありました。しかも、消印(割り印)が必要。どういう習慣に由来するのか、そちらも知りたくなりました。一度もどったせいでしょう、朝の10時という約束だったのですが、数分遅れました。まあ、外で待ち合わせしているわけではないので、許容範囲でしょう。というか、着いてから10分程度待たされました。
今回はあらかじめよく勉強しました。銀行が必要だという書類をチェックし、私の所有物(たとえば、パスポートや身分証明証)で銀行が必要だとする書類をコピーする。時間はそのために使われました。すべて終わって、11時。場合によっては、12時までは覚悟していたので、私の目算よりははやく終了したことになります。前回と同じく、京王線で、武蔵台まで行き、そこで10分近く歩いて、西武多摩川線白糸台駅へ。大学の最寄り駅多磨までは一駅です。多磨駅の前で、お弁当を買ってから、研究室へ向かいました。お弁当を食べたあと、メールの処理。それからほんのすこし片づけ。どうせ明日も来ます。片づけはちょっとだけでやる気をなくしました。
午後は、東大の教育学部へ。教育学部へ足を踏み入れるのは、30年ぶりぐらいです。学生時代に教育学部に在籍する友人を訪ねたことがあります。東大の教育学部は、ほんとうのところ、教育学とはあまり関係のない方もいるところです。その友人も、そうでした。
→東大(本郷)へは、御茶ノ水からバスで行くこととしました。いくらかはやめに着いたので、すこし学内をうろうろしてみました。ローソンがあります。学内にコンビニがあるのは、便利は便利です。生協購買部をひやかしてまわりました。アイ・プロテクターがありました。花粉症がひどいときであれば、いちもにもなく買ったと思います。花見をしている集団もいました。たしかに、花見にちょうどよい場所もあります。4月に入ったらもっと増えるでしょう。喉がかわいたので、カフェを探して、アイスティーをテイクアウト。集まったのは、5人。純粋にはじめた会う方は、おひとり。
会議室で、5時半ぐらいまで、発表と討議。(実は私自身の発表は、主催者から方針に会わないとダメだしを食らったのですが、何割かは予想していたことです。異質なものを持ち込んでみたかったのですが、趣旨に会わないということでした。致し方なし。)
はじめてお会いする方の発表は、百科全書に関するものでした。実は、私の関心に重なる内容でした。しばらく情報提供&意見交換をしました。
(ここに記していいのかどうかわからないので、具体的には書きませんが、以上とはまったく別に、よい話をうかがいました。)終わったあとは、(女性お二人は帰られたので)男性3人で食事&飲み会。発表した二人は、食べ物よりも飲み物となりました。
帰宅して10時過ぎ。なんと3才男児はまだ起きていました。昼寝をしたということです。私がお風呂に入り、出てきたあと、妻が先に休憩。もうすこし粘るかと思ったら、ねむうなってからママのところへ行くと言います。おんぶしてママの隣に連れていきました。こういうふうに寝てくれると楽です。
机の上に、アマゾンより届いた次の本がありました。
小澤実・薩摩秀登・林邦夫
『ヨーロッパの中世3 辺境のダイナミズム』
岩波書店、2009
これは、楽しみです。
ひとりで4時45分。昨夜ビールをけっこう飲んだのと、花粉症のせいです。やはり鼻が詰まり、目が覚めてしまします。春休みに入ってからずっと行っている作業(執筆)の関係で、次の論文に目を通しました。
高橋厚「「自然の作品は知性の作品である」―中世アリストテレス主義自然哲学における「生成」の論理」『エピステモロジーの現在』(金森修編著、慶應義塾大学出版会、2008), pp.347-368, 437-441, 477-481.
高橋厚氏の主張内容に関しては、すでにある程度知っています。今回は、形式を見たかった。ふむ、ふむ、なるほど。
ついでに次の論文も読みました。
香川知晶「デカルト哲学のなかでの医学」『エピステモロジーの現在』(金森修編著、慶應義塾大学出版会、2008), pp.23-57, 417-418
香川知晶氏のものをきちんと読むのははじめてです。個人的には、デカルトの「自然の誤謬」の概念が興味深いものでした。
昼食後、おねえちゃんはクラスの友達の誕生会へ。昨日クッキーを4種類作り、そのなかから2種類を袋詰めして持っていきました。
おなじく昼食後、3才男児とちいさいちびは、妻に連れられて、ドングリ公園へ。3時間近く遊んでから帰ってきました。体調がもどらない妻は、帰宅したとき、うんと疲れていました。
ひとりで5時15分。花粉症で鼻が詰まったせいです。目の痒みの方は快方に向かっています。しかし、鼻の方は悪化してきています。ふとしたきっかけで詰まってしまい、非常に息苦しい思いをします。ああ、花粉症いまだ去らず。今日は、夜新宿西口で、去年の卒業生を中心とする同窓会です。
→結局、働いて1年目の卒業生が3人と、卒業式を済ませたばかりの学生が1人、私を含めて、5名が集まりました。働いてやっと1年。まだ仕事に慣れたとは言えない、と言っていました。来る予定だった2人は、仕事で来られず。日曜日と言っても、業種によっては、働かざるを得ない場合があります。
なんと集まった5人中、3名までが西荻でした。
ひとりで6時半。曇り。寒い。3才男児はすぐ起きてきましたが、昨夜11時までアニメを見ていたちびどもは8時過ぎになりました。
ちびどもが買い物があると言います。新学期に向けて、そろえておくべき文房具があるというので、昼食後、3才男児に気付かれないようにそっと外に出ました。
こうした場合は、ユザワヤ。ちいさいちびが買った文房具は、ノートだけ。おおきいちびは、ノート4冊、足りなくなった絵の具6色、墨汁、糊。ちいさいちびは、色粉すなわち食用色素がほしいと言っています。台所用品コーナーで探し出して、5色をゲット。隣の棚に、カラーのタピオカがありました。一袋だけなら家ってあげるというと、ピンクを選びました。
ちいさいちびが喉が渇いたというので、駅のなかのコンビニに。もう1点買うものがありました。台所用秤。再び、ユザワヤ5階に戻り、秤を捜しました。ちびどもに選ばせました。2900円のデジタル式のものをふたりで選びました。
ちびどもは昨日の夜遅かったせいで、疲れ気味。私は、16キロの3才男児をけっこう抱っこしたりおんぶして運んだせいで、疲れが出てきました。
駅前のコンビニでおやつを買って帰宅。3才男児には、デジタル式秤をお土産だと言って渡しました。その間におねえちゃんたちには自分の買い物を自分の場所にしまわせました。
今日は、夕刻、六本木のクラブに行く予定だったのですが、この疲れで行くとやばいかもしれないと考え直し、休むこととしました。新宿くらいまでであったら行けたかもしれません。がくちゃんとかともきとかのだくんとか、会いたい人間(昔の卒業生)はいたのですが、今回は見送りです。
ひとりで7時過ぎ。3才男児はすぐあとに起きてきました。気温は低いが、明るい。明るさが、寒さを忘れさせます。(正確には忘れさせるほどです。)学年末(大学では卒業式があります)ですが、まだまだいろんな用件があります。休みになって部屋にいるおねえちゃんたちを3才男児が邪魔をします。ちょうどよいので、大学に連れていくこととしました。
昼食後、しばらく休んでから出発。予想通り、行きはちゃんと歩いてくれます。私はまずメールボックスに入っている新しい『化学史研究』(2009年第1号、編集委員会用の20冊)を受け取り、それから、総合文化研究所へ向かいました。『総合文化研究』の第12号(2008年度の号)が無事に出来上がり、届いていました。3才男児に挨拶しなさいと言うと、とりあえず、手を振って挨拶をしていました。
それから研究室へ。届いた雑誌のうち、5冊だけをカバンに入れ、外へ。3才男児には公園に行くと言って連れてきています。外に連れだし、グラウンドの方へ。自分で勝手に遊んでいます。練習前のたぶんサッカー部の学生が10名近くいただけでした。あっちこっちうろうろしたあげく、おもちゃところへいこうと言って何とか帰途へ。これも予想通り、帰りは、途中でうずくまって抱っこ。仕方がないので、おんぶしたり、歩かせたりしていました。
中央線では三鷹駅でいくらかすいて、膝の上に乗せて座席に座ることができました。ぜいぜい。電車に乗った途端、席がなかったので、抱っこしろとの無体な要求。もう17〜18キロあります。抱っこすると、腕だけではなく、全身に疲れが襲ってきます。
そうこうするうちにおとなしくなったな、と思ったら、西荻窪駅に着く直前に寝入ってしまいました。これにはまいった。あきらめてえいやと抱っこし、エレベーターで改札まで下りると、なんと目覚めました。寝ていたのはほんの数分です。ヘルプを呼ぼうと思って、借り出したちいさいちびの携帯をカバンから引っ張り出しましたが、電池切れ。仕方がないので、おんぶして、自転車乗り場まで。
自転車に乗せると、おもちゃのことよりも、お腹が空いたようで、ミルクが欲しいと言います。好都合。まあ、こんなものでしょうか。
3才男児がいないあいだに、ちびどもは上手にチョコクッキーを作っていました。私の分は、3才男児の取られて、一口味見をしただけでした。私は、届いたばかりの雑誌を年会準備委員に送付すべく、すぐに郵便局に出かけました。ついでに、銀行にも。
花粉症で鼻がつまって、ひとりで5時半。昨日午後一日外に出ていたせいでしょう。軽い頭痛も残り、花粉症の辛さを再認識。昨日届いていた『理科教室』の連載記事「時代を切り拓いた科学者」の第25回を読みました。内田正夫氏による「気体分子への道を拓いたアヴォガドロ」です。
アヴォガドロに関する科学史がとてもわかりやすく整理され、記述されています。これまでここに記す余裕がありませんでしたが、『理科教室』は毎月送ってもらっています。すくなくとも連載記事「時代を切り拓いた科学者」には目を通しています。よく書けていると関心する記事がすくなくありません。どんなに専門の世界に深入りしたとしても、基本的事項を丁寧にわかりやすく整理し、提示した記事は、有用です。価値のある連載となっています。前回と同じく、朝一番で法務局に行って来ました。ここのところ何回か行ったガーデニングのお店に行く道を辿ってしまいました。青梅街道についた時点で、目的地の間違いに気付きました。知っている場所ではないのですが、方向はつかめています。一度桃2小のところに出て、そこから、法務局への道を辿り直しました。
申請書類を書いて、窓口に提出すると、5番の番号札をくれました。今日の5番目だったようです。書類は、5分で出てきました。空いているときは、実に迅速に対応してくれます。(1通千円で、計3千円。)
帰宅して、9時10分前。あまりのはやさに妻が驚いていました。
さて、今日の仕事として、郵便局に行って割とおおきな郵便物を送る必要があります。ちょうどよいので、5分後に、大きな袋をかかえて、郵便局へ。8時59分に着きました。1分待って、一番で窓口へ。普通郵便で580円。
必要な書類は、もうすこしあります。セイユウに行って、書類を収めるファイルを買い、セイユウの店内にある杉並区の印鑑登録証兼住民票・税証明自動交付機で、書類を3点ゲット(これは1点200円で、計600円)してから、小麦粉を二袋買って、帰宅。
ひとりで6時半。今週は冬の寒さが戻ってくるということです。たしかにいくらか寒く感じます。ちびどもは春休みの始まり。1時から幼稚園の同窓会があります。私は、府中の銀行に用事があります。ちょうどうまく時間帯があったので、雨のなか、ちびどもを幼稚園まで送ったその足で、府中に出かけました。
私は、府中と調布を混同しているようです。明大前から久しぶりに京王線特急に乗り、つい調布で降りてしまいました。銀行は北口1分の表示があります。最初は、南口の方に降り、ああ、まちがえたと思い、階段を上り下りして、北口にでて、しばらく歩いていると電通大のしるしがあります。電通大は、2008年の科学史学会で来ています。アア、間違えたと気付き、カバンから書類を出して、よく読みました。調布ではなく府中で降りるべきでした。(そもそも、そのとき、どの駅に降りたのかもはっきりとした意識はなかったのですが。)ああ、しまったと、再び、京王線へ。今度は各駅停車で、府中に向かいました。すこしはやめに出ています。ちょうど約束の時間に銀行に着きました。
寒いせいか、お手洗いに行きたい。銀行でトイレを貸して欲しいというと、ない、との返事。一番近いのは駅のなかというので、駅のなかのビルに戻り、トイレを捜しました。
戻って約1時間打ち合わせ。案外手間がかかることが判明しました。(今一度、法務局にでかける必要があります。日常生活では心理的な壁のある機関ですが、今回はすでに一度行っています。なかの様子と書類のイメージが残っているだけでもずいぶん違います。前回のように空いているかどうかはわかりませんが、もう地番とかで困ることはありません。行けばよい。)
ちょうどよいので、再度京王線に乗って、武蔵台で下車しました。5分から10分の間、あるいて、白糸台の駅へ。一駅乗ると、多磨駅。つまり、大学で、メールボックスに入っている書類・郵便物を受け取りました。
フィラデルフィアの平井さんが送ってくれた次の本が届いていました。
Charles Ramond et Myriam Dennehy (eds.),
La philosophie naturelle de Robert Boyle
Paris: Vrin, 2009平井さん、丁寧な手配、ありがとうございます。
寝不足でしょうか、けっこう疲れていました。しばらく研究室で休んでから帰途へ。電車のなかで、届いたばかりのLa philosophie naturelle de Robert Boyleを見ていました。もともと英語で発表された論文もすべて仏訳していました。編者のラモンさんとミリアン嬢の仕事です。ペーパーバックですが、きれいな仕上がりです。
帰宅して、風呂に入り、夕食を食べて、布団に入りテレビをつけているうちに寝入ってしまいました。やはり、疲れのおおもとは睡眠不足でした。頭痛もあったのですが、それも同じ原因によるようです。
ひとりで5時。今朝はいくらか寒く感じます。午前10時から打ち合わせがありました。うまく、30分で終わってくれました。
10時半(日本時間)からWBCの決勝、日本対韓国戦。日韓戦は、今回のWBCで5回目。しびれる展開となりました。守備力は日本に分がありました。予想しなかった延長戦。5対3で日本の勝ち。出場機会は少なかったが、私は川崎にMIPをあげたいと思います。
ちびどもに続き、6時40分。雨は降っていませんが、風が強い。ちびどもは明日が終業式なので、ちゃんと授業があるのは今日が最後です。ちいさいちびはやっと黄色い帽子とおさらばできます。車の運転手や外から子どもを見る立場から言えば、黄色い帽子は便利です。でも、かぶる本人やかぶらせる親の立場からは、少々面倒に感じます。
WBCの日本対アメリカ戦を見た後、3歳男児を外に連れていってやりました。まず、私の用事で、郵便局へ。その後、近所の公園へ。一日中強い風が吹いていました。3日ほど前から3歳男児は、おしめではなく、トイレでおシッコをしてくれるようになりました。トイレに行きたがらず、おしめをつけたまま幼稚園かと思っていましたが、ぎりぎりになってトイレに行く気になったようです。もちろんまだ失敗もありますし、完全ではありませんが、ともあれ、自分からトイレに行くようになったことは進歩です。
わが家にはいわゆる男子小便専用のトイレがありません。公園で、トイレに行きたいと言ったとき、はじめて男子小便専用のトイレでおシッコをしました。
3歳男児はどこでもよく遊びますが、さすがにこの強風のなかは私が寒い。はやめに帰宅しました。
ひとりで5時半。7時までに、昨日の編集委員会の宿題を終えることができました。はやくすむのはありがちのですが、私の仕事が短くすむのは、原稿が少なかったということを意味します。編集委員会としては、めでたいことではありません。曇り。午後雨が降ってきそうです。
→今日はみんな家のなかにとじこもっていました。誰も外出せず。
昨日の疲れのせいでしょうか、妻がダウンです。夕食は、ピザを取ることとしました。ネットで調べると比較的近所にドミノピザがあります。ネットで会員登録してから注文すると5%オフとあります。ちびどもと相談して、ミートママとマルゲリータのMサイズを注文しました。合計3705円。
指定した時間通りに来てくれました。3歳男児はチーズだけを食べていました。ちびどもはひとり3切れ半食べました。わが家にはちょうどよい量でした。ピザは高いと妻は言っていましたが、確かに安い外食と比べて、けっこう高いことがわかりました。
ひとりで6時半。花粉症のせいで、ひどく寝苦しい夜でした。鼻が通らず、布団に入っても1時間以上、くんくんしていました。寝てしまったあとのことは正確にはわかりませんが、半分は口で息をしていたようです。喉の奥がからからです。外出のときには、ゴーグルが必要かもしれません。
午後は、東工大にて、編集委員会と理事会。
→昼食後、子どもたちは妻が動物園に連れていってくれました。私はソファで休んだあと、2時前に家を出ました。大岡山には3時15分前に到着。駅中のコンビニで、おやつと缶コーヒーを買ってから、建物へ。みなさんほぼ同じ電車で見えたようです。入り口で4人が集合。何かの学会をやっているようです。土曜日なのに、ずいぶん大勢の方が入り口にたむろしていました。編集委員会は、3時〜4時。
理事会が、4時から7時まで。疲れました。花粉症は、昨日と比べるとましでした。でも、その時点でくたくた。夕食にはつきあわず、さっさと帰ってきました。
ひとりで5時前。寝た時間からすると早すぎます。脳に昨日の興奮が残っていたのかもしれません。日本時間午前10時から、WBC4度目の日韓戦。朝一仕事したあと、今度は勝ってくれるだろうと期待してみていました。
お互いにぴりっとしない試合運びとなりましたが、この試合に関しては日本の方が勝つ意欲が強かったようです。6対2で、日本の勝ち。これで2勝2敗の五分となりました。次はアメリカ戦ですが、これもやってみないとわかりません。野球の試合は、先発投手の出来次第でおおきく左右されます。
朝方は天気が悪く、暗い空から雨が落ちてきていました。しかし、日韓戦が終わるころにはきれいに晴れ上がっています。ちいさいちびはまだ体力がもどっていないようで、けんかしてよく泣いています。3歳男児は、元気が余って、おねえちゃんたちにからみ、けんかを引き起こしています。
気分転換を兼ねて、吉祥寺に出かけることとしました。私は、ヨドバシで買い物があります。
買い物はすぐに終わったので、その足で、東急本店の屋上へ。3歳男児は、ほとんど走っています。雨上がりの上に、風が強い。そうです、花粉が大量に空に舞っています。(もちろん見えるわけではないのですが。)目が泣きたくなるほど痒い。かわいそうに、小学3年生で花粉症を発症したおおきいちびも相当痒いようです。しばらく遊んだあと(そうはいっても3歳男児は、乗り物に4回も乗りました)、すぐにバスで帰還することとしました。帰宅して、目を洗浄し、30分もするとやっと痒さが和らぎました。なくなったわけではないのですが、あの悶絶するような強い痒みは消えました。
ひとりで5時半。昨日疲れて、ちびどもといっしょに寝たせいです。花粉症が悪化しています。鼻がつまり、苦しい。そして、頭痛。疲れと花粉症の重なった頭痛だと思います。実は、今日も会議。今年度最後の教授会。
メールで、会議の開始時刻は3時半という連絡がきました。ありがたい。WBCの日本対キューバ戦をかなり見てからでかけることができます。岩隈の制球がよく、4点取った時点で今日は勝つだろうと思い、家を飛び出しました。3時20分に大学に到着しました。事務的な用件をすませているうちに、3時35分。研究室によることなく、大会議室に向かいました。今年定年退職される方は8名います。その8名の方の公式の送別会が6時からあります。教授会の受付で、その会費5千円を徴収していました。一番合理的なのでしょう。教授会では最初に8人の方のお別れの挨拶。何年勤めたのか言及されなかった3人を除き、勤務期間は、22年、16年、23年、36年、9年、20年、ということでした。
本来の教授会ですが、内容的には2時間でも3時間でも審議すべき案件がありましたが、送別会の6時〜8時は動かせず、6時数分前に教授会は終了しました。
8時半ぐらいまで会場に残っていました。8時40分多磨駅発の電車に乗ることができ、9時過ぎには帰宅することができました。ちびどもは寝ていましたが、3歳男児だけまだ頑張っていました。ですが、みるからに眠そうな顔をしており、9時半すぎに私の後ろに来て、ソファーにうつ伏せになったと思ったら、すぐに寝入りました。
ひとりで3時50分。もちろんはやすぎます。花粉症が悪化して、鼻がつまったせいです。自分の目で確かめることはできていませんが、昨日は日本列島を黄砂が襲ったようです。ニュース番組は、黄砂は花粉症を加速させると言っていました。かんべんしてよ、です。会議の日。WBCの日本対韓国戦との時間の兼ね合いが微妙です。
2時半からの会議は、30分もかからず終了。
3時半からの大学院教授会は、予想よりずいぶん時間がかかり、6時半。疲れました。帰宅して7時20分。ちびどもがちょうど夕ご飯を食べていました。ちいさいちびも大丈夫だったようです。必要があって、ケルケタヌス(ジョゼフ・デュシェーヌ)の著作をガリカからダウンロードしました。
Joseph Quercetanus,
Opera Medica
Lyon, 1596Joseph Quercetanus,
Opera Medica
Lyon, 1600Joseph Quercetanus,
Sclopetarius
Lyon, 1576Joseph Quercetanus,
Ad Iacobi Auberti Vindonis de Ortu et Causis Metalorum contra Chymicos Explicationem
Lyon, 1575Joseph Quercetanus,
Ad Veritatem Hermeticae Medicinae ex Hippocrasis veterumque decretis ac Therapeusi
Paris, 1604Joseph Quercetanus,
La Pharmacopée des dogmatiques réformée...
Paris, 1630そして、次も。
Adam Olearius Relation du Voyage en Moscovie, Tartarie, et de Perse, Augmentee en cette Nouvelle Edition de plus d'un, & particulierement d'un second Partie, Contenant Le Voyage de Iean Albert de Mandelslo aux Indes Orientales.
2 vols.
Paris, 1666
ひとり遅れて、7時半。昨夜けっこう遅くまで執筆に専念していたせいです。ちいさいちびの体調はまだ戻りません。今日もお休み。
お昼に次の本が届きました。
Johann Agricola
Chymische Medicin
Leipzig, 1638/39, Reprinted by Oliver Humberg, Elberfeld, 2000.
リプリントですが、相当レアな本です。ウェルカム・ライブラリーにはありましたが、日本ではおそらくこの1冊だと思われます。
ひとりで6時20分。しばらく気がつかなかったのですが、日本対キューバ戦の真っ最中でした。テレビをつけたときは、3対0で日本がリードしていました。そのまま得点を少しずつ重ね、結局、6対0で日本の勝利。今日は、ピッチャーがよかった。本人と相談して、ちいさいちびは今日も休ませます。快晴。
→土日でよくなったかと思っていたのですが、昼食後、気分が悪いといって、戻しました。冷えたのかもしれません。
3歳男児が起きて、6時50分。晴れ。ちいさいちびの熱も下がったようです。[フランシス・ベイコン 2.15]
『自然の死』で有名なマーチャントの次の論文ですが、なかなかすごいことになっています。Carolyn Merchant, ""The Violence of Impediments": Francis Bacon and the Origins of Experimentation", ISIS, 2008, 99: 731-760
出発点は、彼女の書物、Carolyn Merchant, The Death of Nature: Women, Ecology, and the Scientific Revolution (San Francisco, 1980)です。いろんな議論がありましたが、次の転換点は、アイシス2006年の特集(フォーカス)「『自然の死』に帰る:キャロライン・マーチャント再読」です。
その特集におけるマーチャントの論文は、次。Carolyn Merchant, "The Scientific Revolution and The Death of Nature", Isis, 2006, 97: 513-533.
マーチャントが今回の論文で特に論争相手として取り上げているのは、Pesic の2点の論文です。
Peter Pesic, "Nature on the Rack, Leibniz's Attitude towards Judicial Torture and the 'Torture' of Nature", Studia Leibnitiana, 1997, 29: 189-197.
Peter Pesic, "Wrestling with Proteus, Francis Bacon and the 'Torture' of Nature", Isis, 1999, 90: 81-94.この問題に関して、有名なベイコン学者ブライアン・ヴィカーズが長めの論考を思想史雑誌に寄せています。
Brian Vickers, "Francis Bacon, Feminist Historiography, and the Dominion of Nature", Journal of the History of Ideas , 69.1 (2007): 117-141なお、今回の論文の要旨は次の通りです。
「生まれつつあった実験の概念を特徴付けるためにベイコンが用いた比喩は、彼の時代の歴史的文脈において解釈されなければならない。彼の実験に対するアプローチは、自然が阻害物の暴力により強制され、技術と人間の手により新しくされる、というものである。彼の自然に関する言葉使いは、統制・支配された実験の概念という歴史的文脈において理解されなければならない。その概念は、法廷、解剖学劇場、実験室のような空間における裁判実践、拘束された自然の観念、自然の秘密の伝統に由来する。」
この主張そのものは、基本的には妥当でしょう。ただし、不必要に言葉が強い気がします。まさに、論争的文脈において理解されるべき主張でしょう。つまり歴史学としては当たり前(正しいこと)を自分に有利なように弁護的に・攻撃的に主張している、そうした文章だと理解されるべきでしょう。
ひとりで4時45分。昨日の夜、疲れて、子どもたちと同じ時間に寝てしまったせいです。雨は降っていますが、予報とは違い、静かな雨。(春2番という予報でした。)→と思いきや、風雨の激しくなるときがあります。この場所は、低気圧の本体からは遠かったようですが、東西線の地上部分が運行中断になったとか、嵐の場所もあるようです。
→10時には雨もほとんど止みました。→結局、一日、降ったり止んだりしました。夕刻には、雨上がりの晴れ間が見られました。ちいさいちびの顔色は戻りました。お腹の方もだいぶよくなったようです。と思ったら、熱が出てきました。朝方37度を超え、お昼近くに38度3分まで上がってきています。先にお腹にきて、次に熱が出てくる風邪のようです。
→本格的な風邪だったようです。居間のソファーに横になって起きたり、寝たりしていました。熱のせいで、顔がまっかでした。
夕方になってすこし食べられるようになりました。明日一日休めば直るように思います。どうも私も軽い風邪のようです。引き込まれるように眠くなります。夕食後、まだ7時にもなっていないのに、先に布団にもぐりました。起きて、夜の10時。熱は出ていませんが、これは風邪の症状だと思います。
苦しいのは、鼻がつまって息ができないこと。だとすれば、これは、花粉症が悪化しただけのことなのでしょうか。[フランシス・ベイコン 3.14]
2月7日に捜してなかった次のリーズによるベイコンですが、いつもはあまり見ない本棚を、ここも片づけないといけないなと見ているときに、横にしているのが見つかりました。ペーパーバックで高い本ではありませんが、ウェブキャットで所蔵するのは1館だけです。今年の年頭、いきなり消滅してしまった文部省「在外研究」というシステムで、イギリスにいたときに買ったものです。
いつか部屋のなかで見つかると思っていましたが、一番考えていなかったコーナーに置いていました。片づけを途中で中断して、忘れてしまったものと思われます。Graham Rees assisted by Christopher Upton
Francis Bacon's natural philosophy : a new source : a transcription of manuscript Hardwick 72A with translation and commentary,
(BSHS monographs ; 5)
Chalfont St Giles, 1984お昼に、ISISの最新号(第99巻第4号、2008年12月号)とISIS Current Bibliography 2008の2冊が届きました。早速、ISIS Current Bibliography 2008を繰っていました。
ベイコンに関しては、ベイコンで14件、ベイコン主義で5件、主題索引に取り上げられています。2007年ぐらいから再び研究が活発化してきたのかもしれません。調子が戻ってからきちんと数え直しますが、博士論文(アメリカのPh.D)が3点もありました。論集では、次のものが重要だと思われます。
John L. Heilbron ed.,
Advancements of learning : essays in honour of Paolo Rossi
Firenze : L.S. Olschki, 2007
早速イタリアの本屋さんに注文しました。しかし、いつ届くことやら。ウェブキャットで調べた範囲では、日本では、京大の科学史・科学哲学教室1館だけが所蔵しています。京大の伊藤和行氏が入れられたのでしょう。
(その他は、追ってまた)ISISの最新号(第99巻第4号、2008年12月号)の方にも、関連する論考があります。
Carolyn Merchant: "The Violence of Impediments": Francis Bacon and the Origins of Experimentation, pp.731-760
FOCUS: LAboratory History
Robert E. Kohler: Lab History: Reflections, 761
Ursula Klein: The Laboratory Challenge: Some Revision of the Standard View of Early Modearn Experimentation, 769
Graeme Goody: Placing or Replacing the Laboratory in the History of Science?, 783
Thomas F. Gieryn: Laboratory Design for Post-Fordist Science, 796
まず、ウルズラ・クラインの論文だけ読んでみました。関心が重なることもあり、よくわかる論文でした。
「19世紀以前における「実験室」の語の使用を調べてみると、2点顕著なことがわかる。ひとつには、「実験室」という語は、ほとんどの場合、蒸留、苛焼、溶解といった化学操作がなされる部屋または建物だけを指す言葉だったということである。ふたつめには、「実験室」は、ひとえに科学的設備というものではなく、職人の作業場でもあったということである。歴史の登場人物が具体的にどのように「実験室」を利用しているかに焦点をあわせて、このエッセイは、第1に、18世紀における技術者の実験室と科学者の実験室の対応の証拠(当然一部は分散している)を提示する。特に教示的な事例は、プロシア科学アカデミーの実験室がどのように装置を備え付けるに至ったかということである。この場合、器具、容器、材料は、薬剤師の実験室からアカデミーの実験室に直接移された。このエッセイは次に初期近代においては2つの異なる実験的伝統を区別しなければならないと主張する。すなわち、実験哲学ならびに自然の探求と技術革新を結びあわせた実験室の伝統である。」「フォーカス:実験室の歴史」の序文にあたるコーラーのサマリーも訳しておきましょう。
「1980年代に豊かなスタートを切った実験室の歴史は、今驚くほど無視されている。焦点は、実験室科学としてではなく、社会制度としての実験室である。関心を再興させるため、特定の時代(初期近代、近代、ポストモダン)の実験室を見てみること、ならびに各時代の支配的な社会制度と実践を個別に見てみることを提唱したい。・・・・(以下略)」
ひとり遅れて7時10分。直前に、布団の上で、もぞもぞもぞもぞしていた3歳男児は、起きて自分で階下に行きました。すこしだけ進歩です。これまでは、起きてママがいないと、大声でママーと呼んでいました。すぐに来てくれないと、泣きながらママー。ちいさいちびのようすがいまいちです。変だなと思っていたら、もどしました。お腹に来る風邪でしょうか。
ということで、今日は学校を休ませます。大学に出る前に、郵便局で、奨学金の返還。
学部・大学院時代に、地元和歌山県の奨学会(竹中養源会)から奨学金を借りていました。総額153万6千円。これまでに、144万円返しています。残るは、9万6千円。一月6千円(1年7万2千円)で返却してきました。
(→書類を見直してみました。学部時代には月に1万2千円、院生時代には月に1万6千円借りています。お金が必要なときには、駒場から歩いて渋谷の東洋信託銀行まで行っていました。なにかすこしその時代のことを思い出しました。もちろん、東洋信託銀行はいまはありません。三菱UFJ信託銀行に吸収合併されたはずです。)
ちょうどよいので、残額の9万6千円を全部返還しました。21年間にわたる返還の最後です。
とりあえず、気持ち的にはひとつすっきりしました。今日も一日業務。
10時から6時まで。途中で、『総合文化研究』の見本校のチェックをしました。ほとんどは教務補佐の諸君がやってくれました。私は、ざっと見ただけです。細かい点を除けば問題なしのようです。帰宅すると、ちいさいちびが朝と同じ顔。妻によれば、昼寝をしたあと、ずっともどしていたということです。日が落ちて、薬を飲ませてからやっと収まったそうです。最近は、元気によく食べていました。戻しやすい体質は持続していたようです。
よなかにめざめてすこし仕事。ひとりで6時。どんどん夜明けがはやくなっています。6時でもう十分明るい。たぶん、晴れ。
今日は一日、業務。
→午前中は、後期日程入試、午後2時半から学部教授会。教授会は3時過ぎに終わるという記録的なはやさ。助かります。
難しい業務ではないのですが、昨夜起きて仕事をしていた分、睡眠時間が足りていません。帰宅して、疲れが出ました。ちびどもは順番に太鼓。おおきいちびを場所までおくっていって、ちいさいちびを迎えて帰ります。おおきいちびはお友達といっしょ。子犬がじゃれあうようにまったく進みません。すぐに見限って、太鼓の場所へ。おおきいちびとお友達は、5分後に来ました。それを確認してから、ちいさいちびといっしょに駅前の商店で、夕ご飯のおかずを2点、牛乳、パン、フルーツを買って帰りました。
牛乳の値段がいきなり上がっています。2割近い上昇。
妻によれば、どのお店のものも上がっているということです。何があったのでしょうか。
遅れて、7時半。昨日昼寝をしたせいで、昨夜12時近くまで起きていた3歳男児は、まだよく寝ています。→ちびどもが学校に出かけたあと、しばらくしてから目覚めてきました。朝方は曇りでしたが、時間が経つにつれ、晴れてきました。午後、1つ会議。3時から4時で予定されています。
→2時50分に大学に到着しました。会議は、3時5分から始まり、4時5分前に終了しました。4時すぎの最初の電車に間に合い、4時半には家に帰り着きました。妻と大きいちびが速すぎと言っていました。もうすぐアクセスカウンターが234567を通過します。そのころに、このページだけでもブログ化したいと思っていましたが、間に合いそうにありません。
(少しずつ、細かい調整は続けています。)
ひとりで6時。雨。雨足は弱くなっています。
ちびどもが出かける頃には、晴れてきました。夜半には屋根を打つ雨音で、かなり降っていたことがわかりました。先週末あたりから、花粉症が目だけではなく、鼻・口にも来ています。朝起きると喉がからから。鼻がつまって、口で息をしていたせいでしょう。
総体としては、ほぼ風邪の症状。軽いものですが、頭痛もあります。(頭痛はもしかしたら別の原因かもしれません。)土日の疲れからか、妻がダウン気味。
午前中に、クイーンズ・イセタンに昼食のお寿司とキャベツの買い物に。
午後、駅前の本屋さんで『文芸春秋』と『中央公論』の最新号、すなわち2009年4月号を買ってきました。
水野和夫氏の「製造業立国・日本の終焉:先進国と新興国の地位逆転という「空間の革命」」『中央公論』2009年4月号、pp.70-78 が21世紀(今後)の経済の行方に関して、非常によい見通しを与えてくれます。水野氏の論考は、大状況に関する数字がしっかりしているので、物事を大づかみにするには最適です。
今回の危機は、日本にとっては、「100年に1度」というよりも、むしろ、近代化以降最大の危機だと結論づけています。水野氏は、そういう表現は取られていませんが、日本はどう頑張っても「衰退局面」に入った、そして、よりよく生きるためにではなく、生き延びるために、アジア向けにチューニングしなければならない、ということです。
ひとりで6時50分。ちびどもは、7時過ぎ。昨夜遅かった3歳男児は、まだよく寝ています。朝方はかなり曇っていますが、たぶん、晴れ。→むしろ、曇りのままのようです。
夜半に目覚めて、すこし仕事。3歳男児に続き、6時50分。ちいさいちびは7時過ぎ。どんよりとした曇り。
ちびどもは、朝から太鼓の発表会。区民センターで。9時過ぎに出かけていきました。
12時前に帰宅。ささっと昼食をすませ、午後は、アニメーションスタジアムへ。ちいさいちびのお友達一人、おおきいちびのお友達ならびにその弟1人、わが家の3歳児一人、計7人の大軍を妻は引き連れていきました。第一陣は、3時過ぎに帰ってきましたが、第二陣のひとりはベビーカーの上ですやすや寝ていました。おねえちゃんのお友達は、わが家でコナンを読んでいました。ちいさいちびが何をしていたのかは不明。
2時間以上昼寝をした3歳男児は、なかなか寝付いてくれず、11時20分頃床に仰向けで寝付いていました。
ひとりで7時10分。雨は上がっています。居間の室温は16度。そろそろ床暖房が必要なくなりそうです。子どもたちは、7時半すぎにやっと起きてきました。ちびどもは、午前10時〜11時と、ピアノ。
4時から6時まで、太鼓の練習。明日が本番。区民センターでリハーサルをしてきました。その間、3歳男児は、ニモを見ていましたが、ちびどもが帰宅する直前の5時45分、ソファーの上でことんを寝入りました。おかげで、夜は、静かにのんびりと過ごすことができました。
夕食はうどん。私がカルディで買ってきた麺を使いました。妻がアルコールのにおいがすると言います。そんなことはないだろうと思っていましたが、夕食後、ちびどもと妻の顔が赤くなっています。麺の袋を読むと、酒精とあります。実際、アルコールを使用したきしめんでした。もちろん、量的にはたいしたことはないのですが、ちびどもは酔っぱらいのまねをして、お風呂に入っていました。すなわち、大声で歌を歌って、すっきりしたということです。大笑い。
ひとり遅れて、7時半。疲れが出ました。雨。冷たい雨がよく降っています。このサイトにおける[ニュートンの蔵書]ならびにオルデンブルグの蔵書をまとめました。
ひとりで5時半。昨夜、久しぶりに割と多めにアルコールを摂取したせいです。アマゾンより午前中に次の本が届きました。
山室 信一
『キメラ:満洲国の肖像』
中公新書、増補版版 、2004太平洋戦争研究会
『図説 満州帝国』
河出書房新社、ふくろうの本,1991コンパの最後の仕事は、昨日の料理の支払い。駅前のラチェロにお願いしていました。25人分で7万円。ちょうどお昼頃にお店について、支払いました。研究室によってから、昨日のあとを確かめるために研究所へ。さすがにアルコールのにおいが残っていました。料理もけっこう残っていました。学生諸君のコンパだと完全になくなっていたとおもいますが、たぶん平均をとると50を超える集まりでした。みなさん、食べる量がすくない。デザート(ケーキ2種類)も、私より年長の男性教員は誰も口にしなかったようです。
部屋の換気をして、若干反省会をしてから、帰宅。[連休 2009]
娘の小学校の2009年度行事予定が届きました。連休が多くなっています。一番目立つのは、4月末から5月上旬。4月29日(水曜日)昭和の日、4月30日(木曜日)開講記念日、ということで、5月1日(金曜日)は学校がありますが、5月2日から5連休(ゴールデンウイーク)。仮に金曜日を休めば、8連休になります。こいつは大変だ。
秋は、シルバーウイークはそのままで、10月1日(木曜日)は都民の日。10月3日が運動会で、その振替休日で10月5日(月曜日)が休み。
11月では、10月31日(土曜日)が学校公開(授業参観)で、11月2日(月曜日)が振替休日となります。つまり、11月1日から3日が3連休となります。
11月14日(土曜日)が学芸会。その結果、11月16日(月曜日)が振替休日。以上のように、小学校の日程では、土曜日に授業を行った明くる月曜日の振替休日がスケジュールのポイントとなります。子どもたちをちょっと遠くに遊びに連れていくのであれば、この振替休日がちょうどよい。
このサイトにおけるベイコンをまとめました。
3歳男児が咳で目覚めて、6時半。雪かもという予報でしたが、結局、雨。雨がまだ降り続いています。午後に会議。&送別会。
→学部教授会は、2時半〜5時。
荒 このみ先生、渡邉 雅司先生、中山 和芳先生、3人の定年退職をお祝いする会/送別会。6時より、総合文化研究所にて。
27名参加。実は、私が幹事。予定より大勢の方が参加してくれて、よいコンパになったと思います。
午後10時にしめました。
ちびどもといっしょに6時半。昨日5時半に寝てしまった3歳男児はまだよく寝ています。そういう日もあります。
雪の予報。しーんと冷えてきています。
→部屋が寒くて、つい動いてしまいます。雛祭り。ちびどもは朝から雛あられを食べています。
運動も兼ねて、昼食後、吉祥寺へ。三浦屋にお気に入りの漬け物があります。それが目的だったのですが、ががーん、三浦屋の前に着くと、2月28日をもって閉店しましたという張り紙がありました。ががーん。
仕方がないの、カルディでちょっとしたものを買ってから帰宅。ネットで調べると、吉祥寺店は閉店、代わりにでしょうか、武蔵小金井店が3月19日オープンとあります。地価の高い吉祥寺店の店舗を売ったと見てよいのではないでしょうか。
[連休 2009]
訳あって、2009年の連休を調べました。5月のゴールデンウィークは、5月2日(土曜日)から5月6日(水曜日)まで、5連休となります。
7月に、18日(土曜日)、19日(日曜日)、20日(海の日)の3連休があります。
そして、9月に、9月19日(土曜日)から9月23日(水曜日)までの5連休があります。シルバーウィークと称するようです。
10月に、10日(土曜日)から12日(体育の日)までの3連休。
11月には、21日(土曜日)から23日(勤労感謝の日)までの3連休。
ということで、なんと言っても特筆すべきは、9月の5連休でしょう。旅行に出るには、最適な時期です。あらかじめ予定を組んでおくとよいのではないでしょうか。
自分のために、 私のボイル研究 after 1999を作りました。
3歳男児に続き、7時。ちびどもはもう起きていました。晴れ。快晴です。訳あって、朝一番で法務局へ。8時半から開局とあります。強風のなか自転車で出かけました。思ったより近くて、8時20分に到着しました。
どうも2番目ぐらいだったようです。こういう場所に来ることは10年に1度もありません。カスタムが身についていないのでなかなか難しいのですが、係の方はさっと対応してくれました。
書類を4点とり、2千円でした。ということで、9時前に自宅に帰ることができました。
[花粉症]
きた、きた、きたーー。本格的な花粉症がやってきました。暖かさと強風がもたらしたものでしょう。
今年は軽症ですむかと思っていたら、本格的な花粉症がついにきました。今は、目の痒みがすごい。
3歳男児に続き、7時。曇り。おや、もう、3月。
昼食後、ちびどもをカラオケに連れていってやりました。3人1時間で798円。安上がりな娯楽です。よい気分転換になったようで、ちびどもはその後機嫌がよい。
その間、3歳男児は、庭(正確には家の前の私道)で遊んでいたようです。おかげでやはり機嫌がよい。
合間に、宮脇淳子『世界史のなかの満洲帝国』(PHP新書)を読み通しました。0から3分の1,3分の2から1,3分の1から3分の2へと変な順序で読み通しました。一度ではなかなか頭に入りません。それだけ事態と推移が複雑です。
「日本人が建てた満洲帝国とこれら日本人の歴史は、日本史の一部ではないだろうか。もちろん、いまではそこは外国であるし、当時でも日本とは異なった伝統や文化をもつ場所であった。しかし、戦争の歴史は別にして、戦後の日本史がこの人びとを、勝手に外国に渡った例外の日本人としてあつかうのは、学問的に正確ではない、と私は思う。
また、日本人だけを取り上げ、日本的な見方だけで論じるのも、同じくらい学問的ではない。当時の現地が、いまの日本とまったく違った社会であったことを、私たちは知る必要がある。それと同様に、いまの中国とも違っていたことにも留意しなくてはならない。」
(204頁)
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