ひとりで5時35分。室温10.3度。雪がうっすらと積もっています。天気予報のとおりです。朝の早い方の足跡がついています。まだまだ寒い日が混じります。(温かくなる日と寒い日が短い間隔で交代していくようです。)[砂のような中国人 ii ]
原文が気になるので、昨日大学図書館で次の本を借りてきました。A/311/245 にありました。
孫文『孫文選集』(全3巻のうち第1巻)(社会思想社、1985)
問題の箇所は次のようになっています。
「民族主義とはなにか。中国の歴史上の社会や習慣など諸事情から考えて、一言で、民族主義とは国族主義だということができます。中国人がもっとも崇拝するのは、家族主義と宗族主義。そのため、中国には家族主義と宗族主義があるだけで、国族主義はありません。外国の傍観者は、中国人をばらまかれた砂だという。その理由はどこになるのか。中国の一般人民には、家族主義と宗族主義があるだけで国族主義がないからであります。」 (20頁)
これで孫文のいわんとすることは明白です。前に記した通り、ナショナリズムがない、という指摘です。
しかし、孫文の民族主義の理解は独特です。上の文章は次のように続きます。「中国人の家族や宗族にたいする団結力はひじょうに強く、宗族をまもるため、家や一身を犠牲にすることさえ辞さないばあいがしばしばある。・・・このような宗族主義がふかく心にくいいっているため、宗族の犠牲にはなれる。ところが国家のこととなると、いまだかつて、崇高な精神をもって犠牲になったことなど一度もない。だから、中国人の団結力は、ただ宗族におよびうるだけで、国族にまでひろげられたことはないのであります。」
社会学の用語で言った方が明確になります。中国人社会は、血縁社会であって、家族と祖先を共通にする宗族だけが中国人のリアルで現実的な繋がりであり、その他の繋がり(縁)のために中国人が自分を犠牲にすることはない、と言えばはっきりすると思います。
日本人でここをリアルに認識できている人は少数だと思います。
そして、いろいろありますが(いろいろの内実は今回は書きません)、何でもかんでも国にたよる、国のせいにする、国をもちだす日本人的慣習よりも、こちらの方が健康だと言える側面があります。アメリカのグラスルーツにある「小さな政府論」に健全さがあるのと同じことです。
逆に言えば、日本に欠けるのは、この健全さです。
左も右も、なにかあればすぐに「国」を持ち出します。そのことが解決できない問題を生みだしていると個人的に思っています。
ひとりで5時55分。室温8.1度。また気温が下がっています。昨日もかなり寒く感じました。今日も同じように寒い。今日は、打ち合わせが続きます。
夕刻次の本が届きました。
ルドルフ・シュタイナー『シュタイナー 悪について』高橋巌訳、春秋社、2012
矢ヶ崎 克馬『隠された被曝』新日本出版社、2010
ひとりで6時55分。室温8.9度。土日に丸一日仕事をすると疲れが残ります。今日は午後に会議。
会議は4時からなので、3時ぐらいまではゆっくりと宿題をこなしつつ過ごすつもりにしています。(明日も打ち合わせが続きます。その準備があります。)
→4時の会議は、6時から次の会議がある方が多く、5時50分には終了しました。
ひとりで6時25分。室温10.9度。季節的業務の続き。昨日よりはゆっくりスタートします。ただし、一度スタートすると緊張を要する時間が終わりまで続きます。
業務はチームに分かれます。運・不運のようなものもあり、順調に進むチームとそうでないチームに分かれます。私の所属したチームは順調でした。この場合、他チームのバックアップ作業に回ります。
メールボックスで次のものを受け取りました。
1.アントニオ・タブッキ『時は老いをいそぐ』和田忠彦訳、河出書房新社、2012
2.『クリトゥーラ』創刊号(ロシア文化情報発信誌、東京外国語大学沼野恭子研究室、2012年)
和田先生、沼野先生、いつも御高配いただきありがとうございます。ちなみに沼野恭子研究室のブログに紹介されています。
沼野恭子研究室のブログ
ひとりで6時30分。室温12.6度。夜半からまた雨。家のなかにいても雨の音が聞こえます。しっかりとした雨足の雨。今日明日は、大学教員の季節的な業務があります。いずれにせよ、丸一日拘束されます。
1時間余裕を見て大学に着きました。業務のあとの会議の準備をしてました。
疲れましたが、業務そのものは無事終了しました。
4時から4時40分まで会議。私が司会をしました。
5時から説明会。5分延びて終了。
ひとりで7時5分前。室温12度。昨日雨があがったあと、気温が上がりました。そして夜には強い風。我が家はちょうど風の音がよく聞こえる場所にあります。夜中中、びゅーん、びゅーん音がしていました。
幼稚園児といっしょに7時20分。幼稚園児はたぶん7時ぐらいに目覚めて、ごろごろしていました。室温12度(正確な温度計で)。最高気温は上がらないようですが、最低気温はそれほど下がらないということです。雨。春に近づく雨が降っています。子どもたちがでかけたあと、本格的な雨降りとなりました。妻は父母会があるということで朝からでかけ、幼稚園児を連れて帰ってくるということです。雨のなか家にひとりです。ちょうどよいので、アバター(アヴァター)の残りを見ることにしました。3時間を超える大作でした。どうしても大佐はアメリカのシンボルに見えます。
[砂のような中国人]
妻がよく孫文の「砂のような中国人」ということばを引用します。今日買って読んでいた『サピオ』にそのことばが文章で引用されていました。
「中国人は砂のようだ。いくら手で固く握ってもパラパラと、指の間からこぼれ落ちてしまい、ちっともまとまらない。」
『日中百年の群像 革命いまだ成らず』(新潮社)の紹介記事のなかで使われていました。
私が知りたかったのは、出典です。こういうのはネットが得意です。ざっと検索をかけてみると、孫文「三民主義」第一講(1924年1月27日)日本語訳『孫文選集』(第一巻、社会思想社、1985), p.20 に次の文が収められているということです。
「外国の傍観者は、中国人をばらまかれた砂だという。その理由はどこにあるのか。中国の一般人民には、家族主義と宗族主義があるだけで、国族主義がないからであります。」
つまり、中国が血縁社会であるという周知の事実を「ナショナリズムがない」というふうに言い換えた表現です。さて、『SAPIO』。今週号は、「総検証! 地震と原発」ということで、この1年間を総括しています。私が注目しているのは、小林よしのりの『脱原発論』です。これは非常に興味深い論を提示しています。漫画家よしりんは、党派の人ではなく、個人で考えることをよく示していると思います。
ひとりで6時。室温12度(正確な温度計で)。出張校正の日。池袋から一駅の要町にでかけます。
→妻は幼稚園のお友達の用事で朝からでかけています。ちょうどよいので、ちいさいちびといっしょに40分だけ見たアバター(アヴァター)を見てから校正にでかけることとしました。2時間以内だと思っていたら、もうすこし長く、2時間10分のところで出かけなければならなくなりました。
時間の計算をきちんとせずに飛び出したので現地には20分前に着きました。近所のコンビニにはいって品物と雑誌を見ていました。日刊現代とAKB新聞(!すごい新聞が発行されました!)の2点を購入し、印刷所へ。
会長も見えて、ちょうど1時間で校正は完了しました。完成はいつもとおり3月15日の予定です。
ひとりで5時45分。室温9度(正確な温度計で)。2〜3日前から風邪かな、花粉症かなと思っていたちいさいちびもふくめて全員無事学校と幼稚園児にでかけました。妻は、幼稚園児をおくってから吉祥寺に買い物に出かけました。
その間私は明日印刷所に持っていく原稿の整理をしていました。嗚呼、これがなかなかに大変です。午前中で終わりませんでした。一部を昼食後に持ち越します。結局3時頃までかかりました。編集作業は、時間のかかるときにはかかります。編集に関わった方はたぶんみんな同じような苦労をしていると思います。
昨日、今日とすこし春に近づいてきています。昼間日の当たる場所を歩くとすこし温かく感じました。幼稚園児は、園庭ではしゃぎまわって汗をかいて帰ってきました。夏と言っていました。妻は帰宅するとすぐに下着を着替えさせていました。
[残り22日]
おおきいちびは小学校も残り22日だと言っていました。6年生のクラスでカウントダウンをやっているようです。幼稚園児はもうすこし短いと思います。はやく小学生になって勉強がしたいと言っています。いつまでそういうふうに言ってくれるでしょうか。
小学校入学の準備はほぼ終わっています。中学校入学の準備はこれからです。制服をオーダーし、体育着を注文します。学校からの指定はこれだけです。春からはじまる中学校における武道の必修化ですが、しばらくは柔道着も剣道着も買わなくてよいようです。正確なことは情報がありませんが、どこの学校にももちろん必修化対応のノーハウはない。3ヶ月ぐらいは、体育着で受け身だけをやっているのではないかと予想しています。その後はどうするのでしょうか?私は高校の体育ではじめて柔道をやりました。柔道着は、ご近所さんからもらいました。痩身だったので得意というわけではなかったのですが、とくに苦手という意識もありませんでした。客観的に分析すると、腕力におとり、敏捷性に優れていたと言えるでしょう。力の要らないところでは得意な部分もありました。
ひとりで5時30分。室温8.2度(正確な温度計で)。4年生の成績は、今日が提出締切です。ちょうどよいので、すべての成績を大学に持っていくこととしました。今日は幼稚園児は土曜日の振替でお休みです。小学生達がでて30分ほどしてから私も家をでました。
修論の審査評と成績記入表をたぶん20枚以上教務課に渡しました。成績ですから、教務課は受け取りの際に確認をします。数分脇に立って確認作業を見ていました。その後、学部長室、事務棟4階、教務課教務係で打ち合わせを行い、さらには、学部長・副学部長・教務課の打ち合わせ会議で5分だけ時間をもらい、打ち合わせ事項の確認をしてもらいました。研究院長もいらしたらちょうどよかったのですが、そこまで都合はあいませんでした。
いずれにせよ、今日の重要な仕事は2件とも無事完了しました。家にも仕事が山積しています。そのまま帰宅することとしました。帰宅してすぐに幼稚園児がお弁当が欲しいというので、ガード下の総菜屋さんに買い出しに行きました。250円のものを3個。安くなりました。デフレは静かに着実に進行しています。
ひとりで6時45分。室温7.2度(正確な温度計で)。電波時計でさえ9度を示しています。早朝気温が下がったことを意味しています。午後、東工大で編集委員会。
→1時から2時は、編集委員会。
2時から6時まで、事典編纂委員会。これだけ時間をかけても、3分の1から4分の1ぐらいしか進みませんでした。
帰宅して7時半。[さくらさくら]
編集委員会の前に、「さくら さくら ――サムライ化学者 高峰譲吉の生涯――」を受け取りました。映画のDVD化です。梶さんは映画上演をご覧になったようです。私はできれば授業の教材として使えないかと考えています。出演者は、萩尾みどり、夏木陽介、松方弘樹というベテラン陣、加藤雅也、ナオミ・グレース、国分佐智子等々と著名人が多い。
副題の次には「日本とアメリカの架け橋となった二人の愛の物語」とあります。譲吉と妻キャロラインのドラマが中心となっている模様です。
ひとりで6時40分。室温8.9度(正確な温度計で)。新聞をとるため玄関のドアをあけると溶けにくい場所だけにうっすらと雪が積もっていました。今日は幼稚園児のリズム参観。ちゃんと動画を撮るように指示されています。
→年長さんは、11時から。45分過ぎにでかけました。B組さんのリトミックがちょうど終わるところでした。
プログラムを引用すれば、入場(二人スキップ)、聴音、拍子とり、音符表現、遊戯、退場(川)、メロディオン合奏(はたけのポルカ)、ハンドベル合奏(キラキラ星)、うた(きみとぼくのラララ)。最後の「きみとぼくのラララ」の半分ぐらいにさしかかったところで、一番前の女の子が泣き始めました。そして、4分の3ぐらいに達したところで、なおの隣の女の子も泣き始めました。
ママたちが泣くのはこれまでもあります。え?なんで? 子どもが泣くのでしょうか? あとからお母さんが先に泣いて、それを見ていた子どももついつられて(?)泣いてしまったことが判明しました。
私はそのままセイユウにでかけ、お昼ご飯を調達。ママとなおは、普通に挨拶をすませて、12時過ぎに帰ってきました。
ひとりで5時55分。室温10度(正確な温度計で)。もうそろそろ成績評価の仕事は終わりした方がよいと思い、小学生と幼稚園児のまんなかあたりで家をでて、転記の仕事を行うこととしました。転記は単純な作業です。しかし、相当数が多いので、ある程度時間がかかります。昼食(生協食堂でとりました)を挟んで、約3時間かかりました。終了が12時半。
腰が痛くなっていたので、今日はそれで終わりとしました。[インドの原子力]
インドの物理学者バーバ博士のことが気になったので、グーグルスカラーで検索をかけました。次の論文があったので、ダウンロードして読みました。
三上喜貴「技術大国インドの研究(中編)」『長崎技術科学大学研究報告』第23号(2001): 63-81
最初の部分にインドの原子力開発戦略の特徴がまとめられています。
1.インドの場合、原子力発電の主力が天然ウラン炉である。濃縮ウラン燃料を使う軽水炉はアメリカから提供されて2基動いているが例外であり、この2基を除き、燃料自給を達成している。
2.2001年の時点で高速増殖炉の開発を進めている。
3.ほぼ自給的な核燃料サイクルを保有している。
インドのこともきちんと押さえておく必要があります。
7時20分。室温11度(正確な温度計で)。ちいさいちびは起きてひとりで朝食を食べていました。おおきいちびは風呂場の隣の洗面台で髪の毛。いつものことです。
どんよりとして寒い冬の一日になりそうです。[岡本拓司「原子核・素粒子物理学と競争的科学観の帰趨」]
昨日会議の合間に次の論文を読みました。
岡本拓司「原子核・素粒子物理学と競争的科学観の帰趨」『日本の科学思想史』(金森修編著、勁草書房、2011)第1章、pp.105-183
第5節が「中間子論、サイクロトロン、新型兵器」、第6節が「敗戦下の原子核・素粒子研究」です。戦時中の仁科や荒勝の原子力爆弾の開発に関する記載が一部ですがあります。新型兵器、すなわち原子力爆弾そのものとその威力についての情報が戦時中の日本でもかなりの範囲で共有されていたことがわかります。仁科の態度(の豹変)がポイントでしょう。
→矢崎為一(1902-1970)や嵯峨根遼吉を重視しています。採点の残り(成績の転記)は日にちをあらためて、今日は、一日家にいて、その他のことを行うことにしました。
[ライフライン調査工事]
外大の北側に、大きな未使用の敷地があります。かつて関東村だったころの米軍宿舎の北側部分がそのまま残っていました。今月に入ってそこで工事をしています。ぱっと見てわかるのは、木を切っていることです。ほぼ全面的に木を切り倒しています。おかげで見通しがとてもよくなっています。
いったい何をやっているのか気になっていましたが、月曜日にその場所を一周して確かめてきました。次の掲示が張り出されています。平成24年2月 日
ライフライン調査工事のお知らせ
隣接する土地(国有財産)のライフライン調査を下記の日程で行う予定です。
ご協力のほどよろしくお願い致します。*当工事は構造物等を建築するものではありません。
作業日程 平成24年2月1日 〜 平成24年3月30日
作業場所 府中市朝日町3-8-1
作業内容 ライフライン(上下水道、ガス管等)の有無確認
作業方法 掘削機で掘削を行います。
今工事を請け負っている業者がなにかを建てるわけではないのは確かだと思います。ですが、将来的に何もしないのかは不明です。工事の実際を見ると、ただ調査をしているだけではなく、地中に埋まっている管をすべて掘り出しています。どう見ても更地にする作業をしています。
この土地はけっこう広い土地なので、マンションやすこし大きめの商業施設には向くと思います。どなたかこの土地の使用計画をご存じの方、お教えいただけないでしょうか?なお、大学の施設課から次のメールをもらっています。
「現在、本学敷地北側道路を挟んだ反対側の国有地内にお いて、敷地のライフライン調査工事が行われています。
このたび、当該工事の受託者より当工事の工期を3月末 まで延長した旨の通知が添付のとおりありましたので、 皆様にお知らせするものです。」
(大学側の申し入れは、入試のときに騒音を出さないようにというものです。当然の要求です。)
ひとりで7時5分前。室温10度(正確な温度計で)。一昨日、昨日と同じく幼稚園児といっしょに出て、私はその足で大学に向かいました。ともかく、期末レポートの採点です。ほぼ予想通り、12時半過ぎに終わりました。午後の会議は1時半スタートです。1時間余裕があれば、充分です。
(転記はあえて行いませんでした。木・金・月のいずれかで行います。)今日の会議は次の通りです。
博士前期課程専攻会議
博士後期課程専攻会議
研究科教授会
研究院教授会
学部教授会長い会議を終えて帰ってくると、次の本が届いていました。
趙承勲
『韓国は如何に日米両国と関わってきたのか: 政治経済・科学技術・理工系教育面のアプローチ』
東北大学出版会、2008目次は次の通りです。
第1章 はじめに
第1節 21世紀の共存共栄への道
第2節 なぜ日米韓三国関係か
第3節 本書の構成第2章 日米韓三国関係の歩みとその特質
第1節 韓米関係の歩みとその特質
第2節 日韓関係の歩みとその特質
第3節 日米関係と東北アジア第3章 韓国における経済成長と日米両国
第1節 アメリカ軍政期(1945−1948)の韓国経済
第2節 朝鮮戦争とアメリカの経済援助
第3節 韓国の農地改革
第4節 韓国経済における日米依存型発展の実相−1960〜70年代−
第5節 韓国経済における日米依存型発展の実相−1980年代−第4章 韓国の科学技術体制の成立過程とアメリカ
第1節 科学と技術の意味
第2節 日米韓三国の科学技術政策の特徴
第3節 韓国の原子力院の設立
第4節 韓国科学技術研究所(KIST)の成立とその役割第5章 韓国における理工系教育と日米両国−日米留学を中心に−
第1節 韓国における理工系教育の概要
第2節 1945年以前における韓国の理工系教育と日本
第3節 大戦後における韓国人の日本留学
第4節 韓国の理工系教育とアメリカの教育援助
第5節 韓国の理工系教育とアメリカ留学第6章 おわりに−環日本海時代をめざして−
→私の一番の関心である第4章だけまず読んでみました。韓国の原子力の初期のおおよそがわかります。それだけでも有用でしたが、もちろん、もうすこし幅の広い記述に基づく深い分析を読んでみたいと思いました。
インド人のバーバー博士、Homi Jehangir Bhabha, 1909-1966 についていくらか記述があります。
ひとりで6時30分。室温10度(正確な温度計で)。今日も昨日と同じような時間割で動きます。昨日とは違って、午前中に公的な仕事。午後採点に専念します。
忘れていました。今日はちいさいちびの歯医者さんの日です。4時半に予約を取っています。その時間に間に合うよう、採点作業を切り上げて、帰宅します。
さて、友チョコを配るバレンタインデーですが、どうも小学校から帰ってくる頃には雨のようです。
→午前中に修論の審査が2件。
採点(レポート読み)はやる気がしないな、と思いつつ、目の前の山に着手しました。体調を考えて、3時間以内におさめることにしました。
帰宅するときには雨が降っていました。4時過ぎにちいさいちびを連れて歯医者さん。今日は先週作ってもらった型を詰めます。その後、雨のなか、友チョコ配りに付き合いました。ちいさいちびは遠くのお友達の家を正確には覚えていません。遠くのお家から配り始めました。近くに行くと、思い出したようです。走り出して、郵便受けに入れていきます。歩いた距離は、2キロから3キロぐらいでした。配る数が圧倒的に多いおおきいちびは、10キロ程度歩いていたようです。
ひとりで4時40分。室温8.9度(正確な温度計で)。300人の答案(期末レポート)をそのまま放置しています。今日からできれば3日間で採点をすませてしまいたいと思います。
今日は夕刻に準備室会議。
明日は、修論の面接。
明後日は、午後ずっと会議。→お弁当をもって、幼稚園児といっしょにでました。幼稚園児は1週間ぶりの幼稚園です。幼稚園につくと、みんな、おお、なおくんと出迎えてくれました。自分で今日は11時40分早お帰りと先生に伝えました。
私は銀行によってから、大学へ。レポートの山をともかく処理していきます。やはり3日かかる量があります。採点ばかりしていると精神衛生上よくありません。部屋の片づけも行いました。明日、修論の面接に使うテーブルだけはなんとかきれいにしました。あとは少しずつです。
一度、散歩にもでました。大学のまわりの様子をデジカメを手に確認してきました。
期末レポートそのものですが、なかなかよいものもあります。たとえば、次の本を使ったものはとても勉強になりました。
趙承勲『韓国は如何に日米両国と関わってきたのか? 政治経済・科学技術・理工系教育面のアプローチ』
韓国との比較は、日本のおかれている状況を知る上で、貴重なステップとなります。
しかし、ウィキ等をまるうつしするのは剽窃だとあれほど言ったにもかかわらず、まるうつししたものもありました。残念です。5時から会議。予想通り、7時半を過ぎました。案件が多いので、致し方なし。もめたわけではありません。
ひとりで2時40分。室温12度(正確な温度計で)。2回目の起床は、7時50分。幼稚園児は8時1分に起きてきました(本人の弁)。ちびどもは起きてはいるようですが、8時半現在、下に来ていません。
まだしばらく冬の快晴が続くようです。さて、今日も友チョコつくりを手伝い必要があります。ちいさいちびのクッキーは切って焼くだけです。オーブンの設定だけ手伝ってやれば大丈夫でしょう。
おおきいちびの方は、湯煎が上手にできないので、パパ手伝ってと先に言われています。チョコはいつも苦労します。
今日の午後は、私と同じ苦労をするお母さん達は多いのではないでしょうか。私と同じようなパパもすこしいると思われます。→ちいさいちびは昨日から気になっていたのでしょう。下に降りてきて、すぐにクッキーを焼くと言います。冷蔵庫に寝かしている生地を取り出し、包丁で4〜5ミリに切るとありますが、本人は半分程度の薄さに切りました。
オーブンの方は私が面倒を見ます。指示では、180度で10分〜15分でしたが、薄いので10分で充分だと判断しました。まずまずの出来上がりです。10時からは交代でおおきいちびのマシュマロチョコ。こちらは、小さく刻んだマシュマロに湯煎にかけたチョコをまぶします。(作業としては、逆です。湯煎にかけたチョコのなかにマシュマロをいれてかき混ぜ、別の容器に移してから、冷蔵庫で冷やします。)
11時40分には両方の作業が終了しました。その間、幼稚園児はふくくんになると言って散髪屋に行きました。いるとどうしても邪魔をしますから、ちょうどよいタイミングです。おねえちゃんたちが作ったので、自分も午後つくると言っています。これも付き合ってやるしかありません。
おねえちゃんが作っている最中に、友チョコ配り隊の第一陣が来ました。確かに、日曜に配ってしまうのも一つの手です。
幼稚園児は風邪で1週間幼稚園を休みました。そろそろ限界です。暇になると他人にからみにいく(遊びたいのですが)ので、3時過ぎに本人が行きたいというヨドバシに連れていくことにしました。カードを買うつもりだったようですが、カード売場にたって、いつも同じカードが出ることを思い出し、パックゲーム機(ポケモンゲーム、バトリオ)をやりたいと言います。2台あるものの、1台が故障中です。並んでいますが、そういうことはあまり気にしないタイプです。並んで3回やりました。
新しいパックが2つ出たといって喜んでいます。
デコペンを6本買って帰りました。
ひとりで7時20分。室温11度。7時45分現在、誰も下に来ません。昨日はもっとも楽な移動でしたが、疲れが残っています。おおきいちびが友チョコを入れる袋を買いに行くと言います。吉祥寺のパルコの地下1階で見つけているのだそうです。昼食後すぐに買い物にでました。まっすぐにパルコに行き、目当てのものを買いました。
他にマシュマロも欲しいそうです。隣のお店にちょうどよいものがありましたが、これも前にママと来たときに、お菓子のまちおかでいいものを見つけているのだそうです。
数十メートル移動して、まちおかに。ちいさいちびと幼稚園児の欲しがったチョコペンも購入しました。これで帰途へ。おおきいちびはおともだちと遊ぶ約束がありました。西荻窪の駅からはひとりで帰りました。私はセイユウによって、牛乳、卵、クッキングシートと重いものを買いました。
帰宅するとちいさいちびが友チョコ作りを始めています。市松模様のクッキーを作るということです。ちいさいちびの力では足りないところを手伝ってやりました。しっかりとかき混ぜる必要が何カ所かであります。たぶんそこを頑張らないと大味になるのでしょう。
焼くのは明日にするということです。生地をつくって冷蔵庫に寝かしています。
ひとりで5時35分。室温12度(電波時計でももっとましな時計でも)。日帰りで親の様子を見に帰ります。
ちなみに、父は、昭和8年5月生まれですから、現在79歳です。母は、昭和11年3月生まれで、現在76歳です。→飛行機のチケットの予約は、妻に頼んで昨晩やってもらっています。朝一番の便で南紀白浜に向かい、夕刻最終便で帰ってくるというプランです。
といって羽田と南紀白浜の間は、一日3便です。1番目で行って3番目で帰ってくるだけです。1番目は、9時45分羽田発。帰りは、7時10分白浜発です。風の向きの影響で、行きは1時間15分程度。帰りは45分程度のフライトです。乗換案内では、8時で間に合うとでましたが、飛行場内での動きを考えて、7時半に家をでました。ラッシュの電車に乗るのは、ほんとうに久しぶりです。慣れていないので、いくらか疲れました。中央線、山の手線が混んでいるのは予想通りですが、モノレールまで混んでいるとは予想していませんでした。モノレールの駅のまわりに、経済拠点ができているということのようです。
出発ロビーに着くと、昔のように航空会社のおねえさんが並んでいる発券ロビーは見つかりませんでした。代わりに、チケット販売機がありました。タッチパネル方式で、発券からチェックインまで行うようです。操作にとくに難しい点はありませんが、老人にはハードルが高いのではないでしょうか。
1日3便の路線ですから、競争はありません。往復で52,540円とかなり高めですが、仕方ありません。チェックインはチケットに印刷しているバーコードを読み込ませる方式に変わっていました。チェックインのためにはバーコードを当てて下さいと画面に出たときには、え? と思いましたが、領収書にも搭乗券にもバーコードが印刷されていました。1日3便のゲートは、当然一番端っこです。ゆっくり歩くと10分程度はかかり距離です。時間は30分程度の余裕があったので、一番近くにあるお店でそばを食いました。
疲れが残っています。飛行機の座席に座るとすぐに寝ました。7〜8割の時間は寝ていたと思います。
飛行場には弟が迎えに来てくれていました。仕事がちょうど朝と夕刻に分かれ、昼間の時間があいていました。
空港から病院までは2キロほど。車で10分かからない距離です。
もともと国立病院だった場所だと言うことです。父が癌の治療にずっと通っていた病院です。入院もながく体験しています。病室に入ると、父も母もすっかりなじんでいました。
今回の入院は、結局、ノロウィルスによる激しい下痢が原因のようです。一昨日、昨日は相当の低血圧となっていて、動く気にはまったくならなかったようです。今日は少し血圧ももどったということですが、部屋のなかにトイレにいく以外は動こうとしません。看護婦さんにすこし動きましょうかと勧められても、いろいろ理由をつけて断っています。身体にまだ元気がないのでしょう。
お昼ご飯のころです。母は、すぐにひとりで病院の外にでて、私と弟の分のお弁当を買ってきました。病院のお昼は、付添の母の分もでます。
父は食べないと聞いていましたが、すこしは食べています。ただし、嫌いなものには箸をつけません。父は久しぶりの会話に疲れたのでしょう、2時頃には横になって寝入りました。母の希望で、近所のスーパーへ。私もついて行きました。カワキュウという有名な(バブルで失敗した)ホテルのすぐ近くでした。弟によれば、魚屋はいい魚屋が入っているということです。総菜もわりと上手ということでした。
母は、おじいちゃんはイチゴならすこし食べるということで、イチゴと、焼き魚を買っていました。病院にもどってすぐに弟は職場に。病室で私と父母で四方山話。親戚や知人の近況。
6時前に弟が来て、飛行場まで送ってもらいました。時間があったので、空港のなかのレストランでラーメンを食べました。昼食のお弁当がすごくボリュームがあった(看護婦さん達は2回に分けて食べているのだそうです。それだけの量がありました)ので、さすがにちゃんとしたものを食べる気にはなりませんでした。
ちびどものためにお土産を買ってから、ゲートに。たぶんポケットの小銭、腕時計、ベルトのバックルのせいでしょう、数回セキュリティゲートを通りました。
帰りのフライトも8割方寝ていました。中央線は東京駅が始発です。座ることができます。9時半の予想でしたが、9時40分に帰宅することができました。妻だけが起きて待っていました。様子を伝えて、11時まで。一番楽な旅程でしたが、疲れがあったのでそのまま風呂に入らず、就寝しました。
ひとりで6時5分前。室温12度(電波時計で)。もっとましな時計では10度。また真冬が舞い戻ってくるという予報です。なおったと思った幼稚園児ですが、日が暮れてから咳がひどくなりました。やっと寝付いてくれたあと、暑がったり寒がったりします。触ってみると、たぶん37度半ばの熱です。苦しそうな咳はかわいそうですが、ともかくよく寝てくれることを祈るばかりです。
→幼稚園児は、結局今週いっぱい休ませることにしました。他にも似たような感じで風邪を引いている子どもも大人も少なくないようです。インフルエンザもそうではない風邪も混じっているようです。
10時半から12時過ぎまで、妻は、小学校入学のための説明会に行ってきました。もちろん、3人目ですから必要なことはもうわかっています。書類をもらうのが第一の目的でした。春からの新入生は100人近くになるそうです。校長先生が今の比較的学校を自由に選択できる学区制は見直す必要が出てきています、という発言をされたそうです。親の行動を見ていると、私もそう思います。
疲れがあったのですが、7時から吉祥寺で追い出しコンパがあります。井の頭公園に近いピッツェリアGGという場所を予約してくれていました。
うまく時間が合わなかったようです。来ていたのは半分ぐらいでした。ピッツェリアは本格的ピザ屋さんでした。ナポリ流の本場のピザを出してくれるようです。宅配のピザ屋より安くて美味しいというのが一致した見解でした。飲み屋で開催するよりずっと安くつきました。ピザ屋で長居するのも変です。9時過ぎには解散しました。
お店にいるときからジンマシンが出てきました。帰宅するとそのままお風呂に直行。深い身体の疲れがあるときに、アルコールを一定量以上飲むと出てくるようです。久しぶりでした。量は半端ではなく、左腕は8割程度を覆っていました。たぶん発症した面積ではこれまでで最大です。痒いのですが、なんとか我慢しました。お風呂から出て、すぐに就寝しました。目覚めたときにはすっかり引いていました。自分の身体ですが、なかなか不思議なものです。
ひとりで7時5分前。室温14度(電波時計でももっとましな時計でも)。幼稚園児はすぐに起きてきました。咳はしていますが、元気そうです。幼稚園児は咳がかなり残っているものの元気にはなりました。いつものようにぴょんぴょん動いています。昨日、一昨日には見られなかった動きです。子どもはこういうところがわかりやすい。
妻は昨日と同じぐらいでしょうか。強い頭痛は去ったようですが、立ち上がるとしんどいようです。昼間の時間も半分ぐらいは横になっている、その程度の回復ぐあいです。
ちびどもには、7割かなと説明しました。病気のはじめを0、病気のおわりを10割として、私の目算をしたものです。年度末は学校の行事が続きます。今日は小学校の引き渡し訓練がありました。親たちが1時半から2時までの間に小学校のクラスに直接おもむいて、自分の子どもを連れて帰る訓練です。上級生からということで、6年2組に先に行っておおきいちび、次いで4年2組に行ってちいさいちびを引き渡されました。訓練でなければ、寄って用事をすませたいこともあったのですが、そこは諦めて、一度家に帰りました。
おおきいちびが遊びに出たあと、荻窪までバースデーケーキを買い出しに行きました。昔西荻の駅前にコージーコーナーがあったのですが、2〜3年前になくなっています。ちょうど懐中電灯の電球が切れており、LED の懐中電灯とふつうの懐中電灯の電球を買おうと思っていました。100円ショップにあったので、210円で2点を購入し、セイユウの食品売場で、夕食のピザの材料を買い、それからセイユウの一角にあるコージーコーナーで誕生日ケーキを買いました。子どもたちが好きなものは決まっているので、選択で迷うことはありません。いくつかおまけをつけて1800円ほど。(おまけがなければ、1450円。)
ということで、おおきいちびも無事12歳の誕生日を迎えました。
ひとりで7時5分。室温12度(電波時計でももっとましな時計でも)。幼稚園児はすぐに起きてきて、泣きべそをかいています。喉に痰がつまって苦しいと言っています。熱は下がっています。熱は下がったのでよくしゃべります。大人の表現では、もどしたいのにもどせない、そういう状態が続いているようです。大騒ぎ。あとから起きていたちびどもはさすがに、騒いでいる幼稚園児にはあまり近づかないで、自分たちで朝食を用意し、学校の準備をして、昨日から降り続く雨の中、出かけていきました。予報では15度まで気温が上昇するということです。今日だけ、南風が入るようです。
妻と子どもに風邪を引かれると、さすがに夜にはぐったりしていました。しかし、その子ども、幼稚園児がなかなか寝てくれない。気分転換に10時から1時間居間でテレビを見させました。そのあとは、すぐにというわけではありませんが、なんとか寝入ってくれました。
卒論・修論はすべて読了しました。あとは、採点です。我が家の状況からするとぎりぎりになりそうです。
幼稚園児が咳き込んで、6時15分。熱は上がったり下がったりです。ひどく高くはなっていません。普通の喉の風邪でしょうか。室温13度(電波時計)。
電波時計の表示はそれほど正確ではありませんが、それでも13度あると、さむーという感じはありません。ちびどもはふつうにでかけました。
午前中から雨が降り始めました。こういうふうに雨量のある雨は久しぶりです。気温はまだまだ低い日が続くようですが、この雨は春の到来を告げていると言えるでしょう。
2限に試験(期末レポートの作成&提出)なので、私もいつもと同じ時刻にでかけました。人数が多いと、どうしても不規則行動をする学生が出てきます。1学期よりはずっとましでしたが、4人。全員にきっちりと話を伝えるのはほんとうに難しいと思います。
大学院はもう終了しています。簡単に昼食をとってから、帰宅。
幼稚園児は、LDKに布団を敷いて寝ています。妻によれば、39度まで熱が上がったと言うことです。幼稚園の他のお友達も、ほぼ同じ症状だとメールがあったそうです。その子は、インフルではないそうです。症状だけからは、インフルかどうかはわかりません。
妻もいくらか咳をしてます。こちらもうつったのかもしれませんし、そうではないのかもしれません。現状ではどちらとも言いかねます。
→妻も熱がでました。幼稚園児と同じかどうかはわかりませんが、ともかく、風邪です。いっしょに寝室にあがり、二人で先に休みました。
ひとりで4時5分。室温11度(電波時計)。もっとましな温度計では、10度。午前中に、妻、ちびども、ちいさいちびの友達の4人で AKB の映画を見に行きます。私と幼稚園児が留守番。幼稚園児は昨日よく咳をしていました。友達がインフルエンザで寝込んだばかりです。風邪かと心配したのですが、どうもただの咳のようでした。
今日は、残っている修論・卒論を読もうと思います。
[幼稚園児の風邪]
幼稚園児は、咳だけかと思いましたが、ほんとうに風邪かもしれません。ママとおねえちゃんたちがいないのでつまらないと言います。元気なときはあまり気にせず遊んでいます。
待ちに待ったママたちは、3時15分過ぎに帰ってきました。ママの顔を見て安心したのでしょうか、すこし顔がとろんとしています。熱を計ると案の定37度5分。まだあがりそうな雰囲気です。
風邪で間違いありません。金曜日にお友達が風邪でリタイアしています。同じ種類の風邪でしょう。インフルエンザの可能性もいくらかあると思います。[日本対シリア戦]
オリンピック予選の日本対シリア戦を見ました。2対1で日本の負け。負けにはいくらかの不運もありますが、基本的には日本のチームに期待されていることができていなかったと思います。
2位とは言え、勝ち点では並んでいます。ここから立て直す力が問われていると思います。
立春。
ひとりで4時45分。室温9度(電波時計)。もっとましな温度計では、7.9度。室温でさえも着実に下がっています。
来年度のシラバス入力をほぼ終えることができました。全部ではありませんが、残っているのは、重要性が低いので、後回しにしました。来週中にはどうにかします。
節分。
ひとりおくれて7時40分。室温10度(電波時計)。子どもたちはもう朝食もすませて、各自のパソコンを見ていました。
幼稚園児といっしょに家をでて、その足で大学へ。10時10分から11時半ぐらいまで会議。それから、駅前の中華料理屋に足を延ばし、昼飯。中華の焼きそばが好きなので、ほとんどの場合、五目焼きそば。
研究室に帰ってから、途中までやっていた採点の仕事に着手。1時を過ぎた頃から、もっとも大変なレスポンスシートの整理に入りました。人数が多いと、不規則な行動をする学生の数も感覚的には母集団の自乗に比例して増えます。
この学生各自のレスポンスシートを集めるという単純作業がなかなかにやっかいになります。とはいえ、0からの仕事ではないので、2時間程度でなんとか最後まで辿り着きました。3時半には帰途に。この種の神経を使う単純作業は疲れます。このあたりが潮時でしょう。
おおきいちびがお風呂から出てくるのをまって節分の豆まき。幼稚園児が鬼の面を3つ用意して大張り切り。豆も大好きで、よろこんで食べていました。
ひとりで7時5分。室温10度(電波時計)。
予報では、昨日より最高気温が7度下がって、4度または5度ということです。燃えるゴミを出すために外に出ましたが、空気が冷たい。まだまだ寒い日が続くようです。昼食後、大学に出て、採点ならびに部屋の片づけを行うことにしました。
科学思想史(講義)に関しては、3分の1ぐらいまでレポートを読むことができました。ずっとやっていると身体に悪いので、合間に、月曜日のレスポンスシートの整理(学籍番号順に並べ替えること)や3.11で落ちた本の救出を続行しました。机の上があいたので、机の上に乗って、本をもとの場所に戻す作業を行いました。着手しただけで大きくは進んでいませんが、春までになすべきことは見えてきました。
この種の仕事を長く続けるとばてます。授業にして2コマ分、すなわち3時間で打ちきってまた明日としました。明日は午前中に会議があります。その前後でもうすこし進めておこうと思います。
ひとりで6時35分。室温10度(電波時計)。もっとましな温度計では、8.7度。幼稚園児は体験入園のためお休み。ママと公園に行くようです。
私は教務関係の仕事を再開します。卒論・修論を読むこと、採点、成績評価、シラバス入力等の仕事です。それから、午後遅く、会議があります。
妻の弟がテレビに出てきたので、普段は検索しない、グーグルの動画や画像も検索をかけて遊んでいました。妻の弟が婚約者といっしょにインタビューに答えている動画もありました。
知人・友人がどうなっているのか見ていると、なんと、八耳さんが次期学長に選出されたというニュースがありました。
青山学院大学女子短期大学の次期(2012年4月から4年間の任期)学長ということです。八耳さん、ごくろうさま、といったところです。会議の準備をしていると妻から電話がありました。緊急事態です。(内容は時間があるときに記します。)
急遽荷物を用意して井の頭動物公園へ。タクシーを使うことも考えましたが、道を考慮すると、歩いて電車に乗ってまた歩いた方がはやい、あるいはほとんど差がないだろうと計算し、電車を使っていきました。
動物園で落ちあって、私は、池のある公園の方に向かい、井の頭団子を3本購入し、待ち合わせ場所の丸井に向かいました。すごい風。台風のときに近い風がいきなり吹いてきました。ドアを閉めていないお店では商品が飛んでいました。ガラス製品の割れる音も聞こえました。商品にいくらか損害が出たようです。
丸井の前では、店員さん達が表に出しているものを急いで仕舞っています。それが正解です。こういうときははやく帰るに限る。
いっしょに駅の中まで行き、妻と幼稚園児は総武線で西荻に、私は快速電車で大学に向かいました。会議までにはすこし時間がありますが、思った通り、1つ書類を印刷するのを忘れてきました。研究所に行ってプリントアウト。面倒を見ていないので、研究所のマックはいまいち調子が悪い、つまり、プリンターとの接続が切れています。教務補佐の使っているウィンドーズを借りてプリントしました。
ついでに、プリンターが変な指示を出していたので、それをなおしました。慣れていればなんてことはないことですが、触ったことがない方には解決不能なトラブルでした。(具体的には、黄色のトナーの残量が0で、印刷できないとありました。トナーを一度抜いて入れ直してやるとすぐに直りました。残量もまったく問題ありませんでした。他の色より多く、7割程度残っていました。)残りの時間は、3.1のときに落ちた本の救出を続行しました。まだまだ100%には達していませんが、プリンターを載せていた机の裏側は片づけました。意外な本が落ちていました。
それから机の上に積み重ねている本の片づけにも着手しました。新学期が始まるころまでにもうすこしすっきりとした部屋にしようと決心しました。
4時からコース会議。1時間半を見込んでいましたが、1時間で終えることができました。残り30分は研究所員会議。
司会をすると、どうしても見落としてしまう点が出てきます。中心的問題に意識をずっと集中するので、離れた問題、周辺的問題は意識の視野から消えてしまう、といった機制でしょうか。
私のコースの先生方は優しい方ばかりなので、こちらが用意していた方向で同意してくれました。もめた場合には、調整がやっかいな問題がありました。
3つのコース会議が同時に開催されています。他コースはどうでしょうか? もめた/白熱したのでしょうか?7時前に帰宅すると次の本が届いていました。前に上が届いたものの下です。
ナオミ・オレスケス+エリック・M.コンウェイ
『世界を騙しつづける科学者たち』下
福岡洋一訳、楽工社、2011
帯には「温暖化、オゾン層、核戦略
彼らの嘘が世界を動かす!
40年間にわたって全人類的課題についてニセ情報を流し、
対策を遅らせてきた科学者たちの暗躍を描く、衝撃の書。」
とあります。この帯の提示の仕方が、STS的課題だと言えるでしょう。
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