ひとりで6時。晴れ。10月は248枚、わずかに250に届きませんでした。
小学校の学校開放(参観)日です。おおきいちびだけ学校に行きます。インフルエンザの流行を考えて、学校開放(参観)は取りやめにするかと思っていましたが、小学校は、スケジュールを優先したようです。延期にすると日程がとれないのでしょう。
ともあれ、おおきいちびは元気に出ていきました。妻は、1限と5限に参観に行くと言っています。
ちいさいちびの一番のお友達も(家族揃って)インフルエンザに罹ったようです。おおきいちびの友達は、みんな軽く済んで、ほぼもう回復しているようです。わが家は今のところ、フルの徴候はありません。もちろん、これだけ流行していると、いつ罹ってもおかしくないわけで、覚悟というのか気持ちの準備は出来ています。
机の上の片づけをしていると、次の論文が出てきました。6月にコピーを取ったまま机の上の地層に埋もれていました。
Warren Alexander Dym,
"Alchemy and Mining: Metallogenesis and Prospecting in Early Mining Book,"
AMBIX, 55 (2008): 232-254.
同じとは言いませんが、私の研究関心と重なる領域の論文です。感覚的には、ほぼ正しい筋だと思います。鉱山業・鉱物学文献におけるマテジウスの重要性と、パラケルススの前後の差を主張しています。しかし、その点に関するもうすこし詳しい記述が欲しかった。→パラケルスス前後というのは、1590年を境にして、と位置づけています。1589年から1591年にかけてのヨハン・フーザーによるパラケルスス全集の出版を時代区分のメルクマールとしています。「トレヴァー=ローパーはバーゼルだけでも1570年から1603年にかけて70ものパラケルススの著作を数えている。ペトルス・セルヴィヌスの『哲学的医学のイデア』(1571)は、宮廷生活にパラケルススの思想を広めるのに貢献した。」(p.244)
17世紀の鉱山文献として、ダイムは、3点を取り上げています。1点目は、アンナベルクの鉱山マイスターのマニュアル本です。
Hans Uttman, Bericht, von denen Ertz-Gebürgen, Streichendere Gänge, Stöcke, Flöze, Klüffte, Ertxe, Berg Achthen und allen Metallen, auch von Schürffen, Seiffenwercken und andern Arthen der Bergwercken. Saxony Goverment Archive, loc. 36070.
もとは1601年のマニュアルで、はじめて印刷されたのは1732年(ドレスデン)とあります。2点目は、テルデ=バジル・ヴァレンティンです。『最後の遺言』Letztes Testament(1626)です。これは、5部からなる、鉱山業、鉱物、錬金術、錬金術的医薬に関する論考。
3点目は、鉱山マイスター、アブラハム・レーヴェルの1671年の草稿(Abraham Löwel, Memorial betreffend die Bergwissenschaft 1671, Aäschische Landes- unde Universitätsbibliothek Dresden, B158, 1 ) です。
この3点は、なかなか興味深い内容です。そもそも、ウトマンもレーヴェルもはじめて聞く名前です。この辺りは、ダイム論文の価値でしょう。
個人的には、テルデ=バジル・ヴァレンティンが面白かった。p.252 「地学史(地球科学)と鉱山業の歴史家は、アグリコラの価値を主としてその技術書『デ・レ・メタリカ』故に認知し、そして、ヨハン・マテジウスをほとんど忘れている。」
ひとりで3時50分。もちろん、早すぎます。今日、学校にでかけるのはおおきいちびのみ。ちいさいちびは学級閉鎖ですが、幼稚園児は昨日から再び咳をするようになったので休ませます。
休ませたのはよいのですが、元気です。どうもほんとうに咳だけのようです。元気なので、暇になると邪魔に来ます。ある程度は相手をしてやった方が何事もスムーズに進むのですが、相手をしていると疲れます。
このところしばらく行っていた電信柱の移設工事ですが、やっと今日で完了したようです。最後に残っていた大きな電信柱を引き抜きました。あと、NTTが回線の取り替え工事を行っていました。東京電力、NTT、KDDI、ケーブルテレビと、会社毎に工事をしていました。今回は、一番大きな電信柱の持ち主、東京電力の電柱に全ての回線が架かるようになったようです。
検索の最中に次のサイトを見つけました。イタリア語が主ですが、有用な方もいるのではないでしょうか。
IntraText
夜半に目覚めて、少し仕事。幼稚園児が起きて、7時。曇り。どんよりとした曇り空となっています。9時を過ぎる頃には、陽がさしてきました。
とうとう来ました。妻が幼稚園児を幼稚園におくっている間に、ちいさいちびのクラスの学級閉鎖の報せが来ました。6人休んだ、明日・明後日、学級閉鎖にするということです。(明後日というのは、土曜日ですが、学校開放=参観日の予定でした。)
おおきいちびの仲のよいお友達は、ほぼみんなインフルエンザにかかったようです。今のところ、おおきいちびは時間を持て余しています。ちいさいちびは、1時45分、2年2組、学級閉鎖と報告しながらうれしそうに帰ってきました。小2だとそんなものでしょう。明日、明後日は、おねえちゃんと攻守交代。
ひとりで6時前。やむなき理由にて、大学へ。グーグルスカラーですぐにキャッチできる、Steven Shapin, ""A Sholar and Gentleman": The Problematic Identity of the Scientific Practitioners in Early Modern England," Hist. Sci., xxix(1991): 279-327. をもってちいさいちびのすぐあとででかけました。これは、今の私の関心からはちょっと違いました。しかも、ほぼ50ページ。長すぎます。
大学で1冊、わが家で1冊、見つけたい本があるのですが、まだ見つけることができていません。ともに手にとってどこかにおいた記憶があるのですが、そのどこかがわかりません。
保健センター便りにより、大学のインフルエンザ数もわかりました。10月23日までの累計で69名ということです。おおきな流行にはなっていないことがわかる数字です。日本における新型インフルエンザの初期の集団発生事例と同じく、部活で感染が広がっているということです。(4つの部で、4〜12名の発生があったということです。)
[見えざる技師]
読んでいたと思っていたシェイピンの『真理の社会史』(1994)ですが、途中で投げ出していました。いつ読みかけたのか、どうして投げ出したのかは記憶がまったくありません。(今はなきBritish Rail のチケット(1994/7/30, オクスフォードへの一日往復券)が挟んでいました。ロンドン留学中に買って読みかけてものだと思われます。あのときの関心は、いまとはすこし違います。その辺が関係がするかもしれません。)
第8章がやはり「見えざる技師:主人、召使い、実験的知識の形成」です。序文には、『アメリカン・サイエンティスト』の論考のことは挙げていませんが、8章の注に、一般向けの論考ということで、簡単に触れていました。8章は、『アメリカン・サイエンティスト』に発表した論考の拡張版になっています。細かい事実をきちんと提示してあるので、もちろん、私にはその事実が有用ですが、確かに一般向けには『アメリカン・サイエンティスト』の記事の方がずっと読みやすいでしょう。全部で8章のうち、直接ボイルの名前を出しているのは、4章「ボイルとは誰か? 実験的同一性の創出と提示」、7章「確実性と礼儀正しさ(civility):数学とボイルの実験的会話」、そして第8章「見えざる技師:主人、召使い、実験的知識の形成」です。
4章「ボイルとは誰か? 実験的同一性の創出と提示」は、もともとは、ウィリアム・アンドルース記念図書館の講演(1991年11月23日)、そしてストールブリッジ・ボイル・シンポジウム(1991年12月14日)の講演の発展であり、7章「確実性と礼儀正しさ(civility):数学とボイルの実験的会話」は、"Robert Boyle and Mathematics: Reality, Representation, and Experimental Practice," Science in Context 2(1988): 23-58 の拡張であると、序には記しています。
ひとりで6時過ぎ。台風一過の東の空がきれいな朝焼け。昨夜は台風のへりの風雨だったようです。天気予報をみていなければ、台風のせいとは気付かないぐらいでした。(→一日中、抜けるような青空でした。台風のぶり返しでしょうか、風が強い時間帯がありました。)
さて、おおきいちびは学年閉鎖でしばらく休みです。ちいさいちびがうらやましがっていますが、さすがにこれは説明して納得させました。
幼稚園児は今日は元気です。最近たまに朝の幼稚園へのお送りに、パパを指名することがあります。ささっと送っていきました。途中でお友達といっしょになり、仲良く園内に駆け込みました。
さて、妻はおおきいちびを連れて、お買い物。二人だけで動くのは久しぶりだと言って出かけました。その間に、電信柱の移設工事の人が来ました。たぶん、最終工事かと思います。
プリンターの調子がおかしい。説明書を探し出して、調べると、ドラムユニットを交換する必要があるようです。説明書に挿入されていた注文シートによれば、ドラムユニットの値段が22,000円。え! 本体価格よりもしかしたら高いくらいです。早速アマゾンで調べました。本体より高いのであれば、本体を買い換えるのもオプションかと思ったのですが、アマゾンでは1万4千280円で売っています。しかも、本体は、品切れ。仕事上、プリンターは必要なので、1万4千280円のドラムユニットを注文しました。
ちなみに、ドラムユニットは、1本で約2万枚印刷可能(A4 5% 印字)とあります。トナーカートリッジの方は、多い方で1本あたり約6500枚印刷可能(A4 5% 印字)とあります。トナーカートリッジ3本につき、ほぼドラムユニット1本を交換しないといけない計算になります。
さらに、ちなみに、このプリンター(BROTHER HL-5040 A4レーザープリンタ)は、2005年4月9日に¥ 20,800で購入しています。ドラムの交換ははじめてなので、4年半で2万枚に達したということになります。1年では5千枚弱という計算です。
ひとりで6時40分。子どもたちはすぐに起きてきました。幼稚園児は7時15分。雨はまだ降っています。雨のなか久しぶりに大学に行って来ました。武蔵境の駅では、中央線の高架化が進展していました。向かいにホームが出来ていました。実際の開通は相当先だと思われますが、工事は着々と進んでいます。
提出した書類は、年末調整の書類。ちょっとややこしい点があり、直接渡す必要がありました。もう1点は、郵便物。編集委員会宛の郵便が来ていました。春ぐらいから、和光に変わりますよ、と通知はしていたのですが、古い情報で送って見える方はすこしはいるかもしれないと思ったら、実際にいたわけです。こういうのは、まあ、仕方ありません。すぐに帰宅すると、おおきいちびのクラスまたは学年が閉鎖ということです。具体的な数字は、おおきいちびが持って帰ってくる書類を見ますが、見事に広がったようです。おおきいちびは元気なので、1時半まで待機して帰ってくるということです。熱が出た子は、すぐに帰らせたようです。
おおきいちびは2時頃帰ってきました。1年2組学級閉鎖、3年2組学級閉鎖、4年学年閉鎖、です。おおきいちびの学年の欠席者が突出して多い。おおきいちびによれば、検温して熱が出た子は帰したので、クラスがふだんの半分以下になったそうです。
本人は元気です。ちいさいちびはいつも通りの時間に帰ってきました。先のことはわかりませんが、今は2年生が一番影響を受けていません。
午後、次の本が届きました。もっと大きな本を予想していたのですが、246頁のペーパーバックでした。
Suhling, Lothar.
Aufschliessen, Gewinnen und Förden. Geschichte des Bergbaus.
(Deutsches Museum, Kulturgeschichte der Naturwissenschaften und der Technik)
Reinbek, 1983.
→アグリコラの肖像がでてくるのが、96頁。この遅さは、古代、中世に紙幅を割いているしるしです。日本語でもあってほしい種類の書物です。
→本からスリップが落ちてきました。どこへ注文したかは忘れていました。アマゾンのマーケットプレイスでした。本体15ドル、送料12.49ドル、しめて27.49ドル。2500円程度です。スリップには、お父さんが亡くなって、発送が遅れました、ごめんなさいと書かれていました。[見えざる技師]
シェイピンが『アメリカン・サイエンティスト』に発表した「見えざる技師」ですが、今日午後図書館にコピーを取りに行こうと思っていましたが、念のため、グーグル・スカラーで検索をかけてみると、一発で pdf ファイルに辿り着きました。この雨のなかもう一度でかけるのはおっくうなので、たすかりました。Shapin, S. "The invisible technician," American Scientist 7(1989) : 554-563
ウェブにあるシェイピンの業績リストを見ると、この論文は、フランス語とスペイン語に訳されています。クーンの次の世代では、シェイピンはもっとも影響力の大きな科学史家かもしれません。『リヴァイアサンと空気ポンプ』も非常によく読まれているようですし、「見えざる技師」の議論も大きな波紋を生じています。ちょっと違うと思う点はあるのですが、英語でのプレゼンは圧倒的に上手です。
面白い論文です。読み通すつもりがなく、最初の文字に目を落とすと、結局、最後まで一気に読んでしまいました。扱われている歴史的事例は、ボイルです。事実としてはほとんど知っている事柄ですし、私自身が、論文とエッセイのほぼ中間的な2つの論考([ヘッドライン]「ロバート・ボイルの化学研究の現場」『化学と教育』Vol.55(2007), No.6, pp.266-269.&「弱視の貴族科学者ロバート・ボイル」『サイエンスネット(数研出版)』第24号(2005年9月), pp.6-9)で書いた内容に重なります。しかし、議論の組立方がうまい。『アメリカン・サイエンティスト』は科学史の専門雑誌ではないという点もありますが、ほとんど小説のような書き出しです。そして、科学社会学的なリマークで終わっています。
ひとりで6時40分。小雨。子どもたちはまだ寝ています。昼前には雨は上がりました。気温は低いままです。晩秋という雰囲気です。
昼食後、幼稚園児のズボン(我々の世代ではズボンです)とちびどものノートを買うために吉祥寺へ。インフルエンザが流行している時期です。人が多くいる場所に長居は無用です。まず、ヨドバシカメラに向かいました。幼稚園児用のちょうどよいズボンというのはなかなかないようです。すぐに諦めて、地下でノートを4冊購入し、それからパルコへ。パルコの7階には、子ども用品が集まっています。子どもたちは、量り売りのお菓子、ママはひとりでズボン探し。マザーケアにちょうどよいのがありました。
そのまま帰宅。西荻のセイユウで、妻は買い物。子どもたちは、お母さんの買い物の間に、たこ焼き。3人並んで椅子に座り、とりあえず仲良く食べています。あまり見ない光景です。注目していくママは多いのですが、半分は笑っている、半分は不審そうな顔をして通り過ぎていきました。幼稚園児もいっちょうまえによく食べていました。
買い物はたぶん最短で終わらせて、すぐに帰宅。
[見えざる技師]
今回の研究では、シェイピンの“見えざる技師”の議論を改鋳して使うつもりにしています。『真理の社会史』は一応目を通しているのですが、ノートを取っていません。原論文といっしょに読み直す必要があります。
ウェブで検索をかけていると、次のレヴューに出会いました。Rob Illiffe, "Technicians", Notes Rec. R. Soc.62(2008): 3-16
特集のゲストエディターとして、特集の趣旨説明と研究史をまとめてくれています。研究史が私には有用です。
そして、ありがたいことに、特集の寄稿者のおそらく誰も、私の考えている方向には議論を展開していません。
一般的に、この議論は、科学論者やSTSやSSKの研究者の方の関心を引くものだと思います。そして、確かに、科学史家だけではなく、科学哲学者・科学社会学者、あるいはSTSやSSKの研究者を集めたフォーラム・シンポジウムを企画し、雑誌の特集にする価値は十分になります。科学史家にとってはチャレンジングなテーマだと思います。
日本人の研究者のなかでは、きくち博士の研究をこの観点から見直すのは非常に面白いと考えています。(アンビックスの最新号にきくち博士の論文が掲載されています。)
ちなみに、ロブは、つぎのように書き出しています。「ほとんど20年前、スティ−ヴン・シェイピンは、科学のプロセスにおける「技師」の役割、仕事、存在さえもが科学史家の注意を引いていない事実を指摘した。科学者と天文学者の(助手や技師として)手助けをした男性と女性は、3重の意味で見えない存在であった。第1に、彼ら/彼女たちが働いた場所を仕切った者が彼ら/彼女たちを無視した、第2に、出版物に名前が掲載されなかった(著者としてはもちろん、科学論文のなかで名前を挙げることもされていない)、第3に現代の歴史家が無視をしている。」
まったく、その通りです。17世紀では、operators, workmen, servants, laborants、と呼ばれ、現代では院生・学生がその役目を果たしていることも多い。→思い出しました。ラヴォワジェ夫人に関する川島慶子さんの研究も、このテーマに関係します。川島さんの場合には、ジェンダーが中心ですが、やはりこのテーマに関係しています。
ひとりで4時半。早すぎです。この時期の4時半は、まだ夜のうちです。曇り。朝になったと思えたのは、6時が過ぎてからでした。朝食のパンと牛乳が足りなくなっていたので、近所のコンビニにかいだしに出ました。早朝の散歩でしょうか。
昼食後、上の子を歯医者さんに連れていきました。朝方、詰め物がとれました。1時半に予約を入れて、1時25分ぐらいに着きましたが、すごく混んでいて、結局2時半までかかってしまいました。土曜日なので、仕方ないかもしれません。ウィークデーは来られない人が来るのでしょう。
日が暮れてから、雨が降り始めました、気温も下がっています。もう素足では床が冷たく感じられます。
ロルフィンクがないかと調べていて、ドレスデン大学のデジタル・ライブラリーにヒットしました。
ドレスデン大学デジタル化の現状(リスト)
(純粋のテキストファイルとしても、1Mの大きなファイルになります。)
相当の稀書もデジタル化されてきています。私の研究に関係するところで、例を挙げましょう。かなり昔に必要があって、次のマイクロフィルムをBLから取り寄せ、プリントアウトしています。
Antonii Gütheri Billichii Thessalus in chymicis redivivus, id est, de vanitate medicinae chymicae, hermeticae, seu spagyricae, dissertatio. Eiusdam Anatomia fermentationis Platonicae. Accesserunt de eadem Hermanni Conringii exercitationes & Danielis Sennerti epistola. Francofurti ad Moenum: : Impensis Johannis Beyeri, typis Casparis Rötelii, 1643
ビリッヒのこの書物の初版は、1640年です。この初版が、ドレスデンにありました。早速ダウンロードして、版の異同を調べてみました。
copac の physical description を見る限り、1640年初版と1643年版は同じです。ほんとうに同じかどうか自分の目で確かめました。本文は、全く同じです。すなわち、まったく同じ版組を用いています。ただし、表題は、いくらか違います。初版のタイトルは次です。
Thessalus in chymicis redivivus : id est, de vanitate medicinae chymicae, hermeticae, seu spagiricae dissertatio fundamentalis: ex ipsismet artis chymicae proceribus Quercetano, Beguino Crollio, &c. deducta. accessit Anatomia Fermentationis Platonicae apodictica & paradoxologa.
Francofurti ad Moenum, : Impensis Johannis Beyeri, typis Casparis Rötelii., M. DC. XL.検討する対象の著者名が初版では、ケルケタヌス、ベガン、クロルというふうに明示されています。この3者の名前が、1643年版ではタイトルから消えました。
序文に関しては、非常にわずかな違いがあります。序文の1頁目に入っている文字が1文字だけ違います。(残りは同じです。)また目次のページは、初版は3頁にわたっていますが、1643年版は2頁にまとめられています。その代わりに、初版では半頁で済んでいたErrata(正誤表)ですが、1643年版では、1.5頁に増補されています。
つまり、正誤表で1頁増えた分の帳尻を合わせるために、目次を1頁減らしたわけです。そうすれば、残りはまったく同じ組版を使うことができます。ということで、1640版と1643版は、実質的には同じ版として扱うことが出来ます。ただし、物理的存在の本としては、ごくわずかに差がある、ということになります。
こういう版の異同は、実物にあたればすぐにわかることですが、以前の日本にいては調べることが非常に難しかった。もちろん、たとえば20世紀においても見たい版のすべてのマイクロフィルムを取り寄せる、あるいは現地に飛んでBL等に籠もり、調べる版を照合することはできたわけですが、これだけのことを調べるためにそこまでするのは目的に照らして経済的に非合理です。
ただし、個人的には、20世紀の日本において、そこまでやった学者・歴史家が存在するかどうかは知りたいところです。
いてほしいような、いるはずがないような・・・。
もうすこし、例を示しましょう。ドレスデンには、ゼンネルトの『一致と不一致』の初版があります。我々は、今、ウェブ上で、初版(1619)、第2版(1629)、第3版(1633)をダウンロードすることができます。版の異同が重要な書物の場合、研究状況としては決定的な条件です。(版の異同については、ゼンネルトの項を見て下さい。)
2005年においても、こういうことはあり得なかった。(私は欲しかったのですが、その時点では入手できなかった。)別の例は、ヨハン・ゲルハルトです。平井さんとの共同研究で使った稀書『10の問題』がありました。ドレスデンのメリットは、(すこしファイルの容量は大きくなりますが)写真をきれいにとっていることです(解像度を上げている)。
実際に読むときには、これは大きな利点となります。また別の例は、ヨハン・ボン。ボンについては他では見つけることが出来ませんでした。ドレスデンには次のものがあります。
Bohn, Johann
Meditationes Physico-Chymicae De Aeris in Sublunaria Influxu. Sc. hunc neqve secundum Peripatheticos, nec Chymicos, materialem, sed formalem saltem, videri
Lipsiae, 1678Bohn, Johann
Dissertationes chymico-physicae
Lipsiae, 1696Bohn, Johann
Epistola ad virum ... Joelem Langelottum ... de alcali et acidi insufficientia pro principiorum seu elementorum corporum naturalium munere gerendo
Lipsiae, 1675Bohn, Johann &Johann Wilhem Pauli
Dissertationum Chymico-Physicarum Prima De Corporum Dissolutione
Lipsiae, 1679さらに別の例は、ドレベル。次があります。
Drebbel, Cornelis Jacobus
Ein kurtzer Tractat von der Natur Der Elementen, und wie sie den Wind, Regen, Blitz unnd Donner verursachen
Franckfurt am Mayn, 1628「千のキミア」プロジェクトとしてスタートした計画ですが、現状で2121ファイルに達しています。グーグルブックの威力は絶大です。
ちびどもといっしょに、6時半。幼稚園児は、ちびどもが小学校に出るときに、目覚めました。よく寝たので、とりあえず元気です。帰宅したおおきいちびですが、インフルエンザ注意報をもって帰ってきました。おおきいちびのクラスでは、インフルエンザ2名を含み、6名が欠席し、3名を発熱で早退させたということです。この状態が月曜日も続けば、学級閉鎖でしょう。
発熱での早退というは、クラス全体で熱を計り、37度以上ある子どもは、親と連絡をとって(連絡が着いた場合)帰宅させる、という方針のもと、学校側が帰宅させています。おおきいちびは、36.9度でぎりぎり大丈夫だったそうです。この数字は微妙。
今年の流行は、中学校でまず流行し、小学校の高学年への流行が移ってきているそうです。おおきいちびと同じ学年の別のクラスでは、兄弟がインフルエンザに感染したという理由による欠席もあります。
今回のインフルエンザの場合、1週間休むことになりますから、親はかなり大変です。次の研究では、プロソポグラフィーの手法を採用しようと思っています。もちろん、そんな大規模にはできませんが、範囲を限定すれば、私でもある程度のことは可能だと見ています。
資料の整理作業ですが、さて、パラケルススをどうしてものか、思案中です。
数字だけをまず把握すると、サットンさんのサイトには、35点、46冊が上がっています。グーグルには、(1660年までに出版年代を限定して)31点上がっています。ブラウンシュバイク・デジタル・ライブラリー(Digitale Bibliothek Braunschweig)にSämtliche Werke(1922 - 1929 Munich-Berlin)が揃っているのは、便利です。
しかし、この数の多さは、悩ましいところです。特別研修中ですが、書類の処理のために、大学にでなければならないようです。ちょっと面倒です。(書類の処理そのものも、実は、けっこうやっかいな点がありました。)
(→月曜日に処理することとしました。)
ちびどもとほぼいっしょに、6時半。今日も晴れ。
幼稚園児は、ちびどもが小学校に行ったあと、やっと8時半に起きてきました。いくら幼稚園児とはいえ、ちょっと寝過ぎかもしれません。今月は、ここまでで、200枚を越えました。まずまずといったところでしょうか。
ハブにファン・ヘルモントのドイツ語訳があることがわかりました。早速ダウンロードを試みましたが、444Mの巨大ファイル。私の環境で、たぶん1時間以上かかりました。(正確な数字はわかりません。速度は、45K程度でしたから、1万秒の世界です。計算すると2時間半・・・)
ファン・ヘルモントドイツ語訳
Jan Baptista van Helmont,
Aufgang der Artzney-Kunst Das ist: Noch nie erhörte Grund-Lehren von der Natur zu einer neuen Beförderung der Artzney-Sachen so wol Die Kranckheiten zu vertreiben als Ein langes Leben zu erlangen
Nürnberg, 1683
ハブでは他に、次のものがダウンロードできます。Opuscula Medica Inaudita : I. De Lithiasi. II. De Febribus. III. De Humoribus Galeni. IV. De Peste
Coloniae Agrippinae : Kalcoven, 1644Doctrina Inaudita De causis, modo fiendi, contentis, radice, & resolutione Lithiasis
1644Febrium Doctrina Inaudita : Accessit Tractatus contra quatuor humores Scholarum
1644Tvmvlvs Pesti
1644アグリコラ apud GoogleBook
Agricola, Georg
De animantibus subterraneis liber
Basel: Froben ,1549Agricola, Georg
De peste libri tres
Basel: Froben, 1554Agricola, Georg
Mineralogische Schriften
Vol.1, Freyberg, 1809
(エルンスト・レーマンによるDe Natura Fossiliumの解説付きドイツ語訳です。19世紀に入ってからのものである点に注目しておいてよいでしょう。)Agricola, Georg
Mineralogische Schriften
vol.3, Freyberg, 1810
かぞくほぼそろって、6時半から40分。晴れ。UCHDさんに次のサイトを教えてもらいました。
学術の動向
大学には来ているようですが、日常的に手に取る雑誌ではありません。しかし、科学論やSTSに関心のある者には、意外に興味深い特集が組まれています。こんなところに書いているんだ!ふーん。化学の教科書。
Libavius, Andreas, Alchemia..., Frankfurt, 1597
Croll, Oswald, Basilica Chymica, 1609
Beguin, Jean, Tyrocinium chymicum, Paris, 1610, 1612
Le Fèvre, Nicolas, Cours de Chymie, pour servir d'Introduction à cette Science, Paris,1660
Glaser, Christoph, Traites de la Chymie Enseignant par une brieve et facile methode toutes ses plus necessaires preparations, Paris,1663
Lemery, Nicolas, Cours de Chymie, Paris,1675
リバヴィウス Libavius [Libau], Andreas, ca. 1560-1616
イエナでPh.D、バーゼルでM.D. を取得した医師・大学教授。
1588-1591, イエナ大学歴史と詩学の教授
1591-1607、ローテンブルクの都市医となる。(都市医ではあったが、開業医としての業務にはほとんど関心がなかったと記されています。)
1607-1616、コブルクに戻り、新しく設立されたギムナジウム(Gymnasium Casimirianum Academicum) の校長に任命される。最初の化学教科書『アルケミア』は、医学教授や化学教授(ハートマンが占めたマールブルク大学化学教授あるいはLandgrave Maurice of Hesseの宮廷に地位を欲したが、得られなかった)として出版したものではない、ということです。
Libavius, Andreas
D.O.M.A. Singularium Andreae Libauii ... pars prima
Frankfurt, 1599Libavius, Andreas
D.O.M.A. Singularium Andreae Libauii ... pars secunda
Frankfurt, 1599Libavius, Andreas
D.O.M.A. Singularium Andreae Libauii ... pars tertia
Frankfurt, 1601Libavius, Andreas
D.O.M.A. Singularium Andreae Libauii ... pars quarta [et] vltima
Frankfurt, 1601Libavius, Andreas
Examen philosophiae novae
Frankfurt, 1615Libavius, Andreas
Praxis alchimiae
1604Libavius, Andreas
Andreae Libavii schediasmata medica et philosophica: pro Galenicae medicinae
Frankfurt, 1596Libavius, Andreas
Quaestionum physicarum controversarum inter Peripateticos et Rameos tractatus
Frankfurt, 1591(モランには、リバヴィウスに関するモノグラフがあります。Andreas Libavius and the Transformation of Alchemy(Science History Publication, 2007)。その文献リストを見ると、リバヴィウスに関しては、40点の著作と、10点の往復書簡が上がっています。この数の多さには、びっくりです。まるで作家のように数多くの本を執筆しています。本人としては、医者というよりも、ものを書く知識人・学者という意識だったのでしょうか。)
クロル Crollius [Croll], Oswald, c.1560-1609 pp.108-9
マールブルク、シュトラスブルク、ジュネーヴ、ハイデルベルクで学ぶ。マールブルク大学より1582年、M.D. 取得。医師。
1593年から死の年まで、プラハとブルノ(Brno)で開業医として働く。
エヴァンズは『魔術の帝国:ルドルフ二世とその世界』p.179で、次のように記しています。「クロルはプラハにおけるアンハルトの代理人といった役どころの人物で、医化学書『化学の殿堂』の著者である」。Croll apud GBook
Croll, Oswald
Basilica chymica
1611Croll, Oswald
Basilica chymica
1631Croll, Oswald
La royale chymie de Crollius
Paris, 1633Croll, Oswald
Basilica chymica
1643Croll, Oswald, and Paracelsus
Philosophy reformed & improved in four profound tractates
London, 1657ジャン・ベガン Beguin, Jean, ca. 1550-ca. 1620 pp.112-13
大学教育を受けず。ドイツ旅行し、ハンガリーの鉱山とシェムニッツを訪れている。国王侍医(Jean Ribit, Turquet de Mayerne)の力で、実験室を建て、ケルケタヌス等の新しい(パラケルスス派の)薬剤調合のための公開講座(パブリック・レクチャー)の開催の許可を得る。1608年、王(アンリ4世)の施物分配係。
彼の教科書は、もともとは、学生教育用のプライベート版(Paris, 1610)であったが、それが漏れて海賊版が先に出版されてしまう(Colon,1611)。ベガンは、その自体を見て、自分の名前をきちんと出した教科書(『化学の徒弟修行』この訳はモランのもの)を出版する(Paris, 1612)。実験室のテクニックと化学の手順に関しては、多く、先行する化学教科書リバヴィウスの『アルキミア』から一字一句写している。
(Tyrocinium Chemicum (Paris,1610)学生のために個人的に印刷される。→漏れる→海賊版出版(Colon,1611)→著者名を出したもの(Paris,1612))
職業としては、薬剤師と見るべきでしょう。(ベガンに関しては、入手できるものは少ない。サットンさんがベガンについて挙げるのは、たった1点です。グーグル・ブックにも何もありません。そもそも、ベガンは、『化学の徒弟修行』だって自分では出版するつもりはなかったのですし、リバヴィウスのような学者・知識人とは、所属する社会階層においても、自己規定においても違っていたとみてよいでしょう。)
ルフェーヴル Le Febvre, Nicaise c. 1610-1669
父親は薬剤師。1625年父の薬局で、徒弟修行に入る。大学教育は受けず。
父の死後も、父の薬局で働いていた(1646-1647まで)が、パリに出て、医師Samuel du Closの後援を受ける。薬剤製法化学について、個人的に教え始める。
1652年、王立植物園の化学実地教授に任命され、1654年王の薬剤師・蒸留人のプリヴィリジを受ける。同時に、自分の薬局の経営は、続ける。
ルフェーヴルの化学講義に出席したことのあるチャールズ2世が、1660年、彼をイギリスに呼ぶ。1663年、王立協会会員に選出される。
以上、ルフェーヴルはまさに薬剤師です。ルフェーヴル『化学教程』apud GALLICA
Le Fèvre, Nicolas, Cours de Chymie, pour servir d'Introduction à cette Science
5th edition, 5 vols, Paris, 1751(ルフェーブルについても多くは知られていません。名前も、Le Febure 、Lefebvre と綴るものがあったようです。ウェストフォールは、P. Dorveaux, "L'apothicaire LeFebvre Nicaise, dit Nicolas," in Proceedings of the Third International Congress of the History of Medicine, London 1922, (Antwerp, 1923), pp. 207-12 という論文を挙げています。伝記的事項に関して、わかっていることは実に少ないようです。父クロード・ルフェーブルは、プロテスタントの迫害を逃れて、セダンに移った薬剤師であったとあります。そういう事情も働いているのでしょう。)
グラゼ Glaser, Christopher ca. 1615-1672
スイスのバーゼルに生まれる。バーゼルで薬剤師として修行したように見受けられる。(大学教育を受けて、M.D.を取得したと主張する研究者もいるが、J.P.Contant, L'enseignement de la chimie au jardin royal des plants de Paris, Paris, 1952 によれば、大学教育は受けていない。)著作のなかの記述から判断すれば、トランシヴァニアやハンガリーの鉱山を実地に見学した模様である。
1658年頃、パリに落ち着き、 Faubourg Saint-Germainに薬局を開き、繁盛した。国王の薬剤師に選ばれる。
1660 - c. 1672, ルフェーブルを継いで、王立植物園の化学実地教授、そして、化学教授に昇任。1672年、突然、公衆の前から消える。(死去したとも、バーゼルに帰って開業したとも。)
ということで、やはり、薬剤師です。Glaser apud GoogleBook
Glaser, Christophe
Traite de la chymie: enseignant par une brieve et facile methode...
1663Glaser, Christophe
Traité de la chymie: enseignant par une brieve & facile methode...
Paris, 1667Glaser, Christophe
Traite de la chymie
Lyon, 1670Glaser, Christophe
Novum laboratorium medico-chymicum
Nürunberg, 1677レムリ Lemery, Nicolas 1645-1715
父の死の年の1660年から1666年まで叔父のもとで薬剤師の徒弟修行。それから6年間は、遊学travel and study。1670年、モンペリエ大学に入学。1683年、カーン大学でM.D. (典型的なカーンのM.D.)
ということで、レムリは、薬剤師ですが、形式的にはM.D を取得しています。
1699年、王立科学アカデミーの会員に選出される。(1699-1715)。二人の息子(ルイとジャック)も、王立科学アカデミーの会員に選出されている。
1670年代から個人的に化学を教授し始めるが、大人気を博する。ナントの勅令の廃止される1685年まで。1675年に出版された『化学教程』は、30版以上を数える。Lemery apud GoogleBook
30版以上を数えた『化学教程』です。グーグルでも、7つの版が入手できます。さらに、翻訳も3点。レムリには、他に薬学関係の著作があります。ということで、やはり薬剤師ですが、後半生ではアカデミーの会員として、社会的地位が上昇したと見てよいでしょう。
ひとりで5時50分。ちいさいちびは遠足(名目は、生活科の見学ですが、葛西臨海公園なので、実質的には遠足です)、幼稚園児は芋掘りです。
天気予報では夏日。ちょっと暑いかもしれませんが、遠足にはちょうどよいでしょう。いつもの時間に元気に出ていきました。[ブルース・モランの『蒸留の知:錬金術、化学、化学革命』]
モランの本のメリットは、他の本ではあまり扱われていないドイツ語圏の化学教授を取り上げていることです。私の関心にもっとも関わる第4章「学問の場所site と化学の言語」で取り上げられているのは、順番に次のようになります。
Oswald Croll, ca.1560-1608
Zacharias Brendel, 1553-1626
Zacharias Brendel (son), 1592-1638
Werner Rolfinck, 1599-1673
Daniel Sennert, 1572-1637
Johannes Hartmann, 1568-1631
Johann Bohn, 1640-1718
Georg Ernst Stahl, 1659-1734
Friedlich Hoffman, 1660-1742
Fransiscus de la Boë Sylvius, 1614-1672
Otto Tachenius,
Guillaume Davisson (William Davidson), ca. 1593-ca. 1669
Nicolas Le Fèvre, ca. 1615-1669
Christoph Glaser, died ca.1670-1678
Nicholas Lemery, 1645-1715
Thomas Willis, 1622-1675
Georg Stahl, 1659-1734
Wilhelm Homberg, 1652-1715
Conrad Barchusen, 1666-1723
以下の記述は、ウェストファールのガリレオ・プロジェクトを参照しています。
ロルフィンク Rolfinck, Guerner [Werner], 1599-1673 p.106
イエナ大学の初代解剖学劇場(1629)、初代植物園(1631)、化学実験室(1630)を設立した。パドヴァ大学でPh.D とM.D.。ヴィッテンベルクのゼンネルトのもとで医学を学ぶ。
1628-29 ヴィッテンベルク大学解剖学教授
1629-73 イエナ大学解剖学・外科学・植物学教授
1639 Director Exercitii Chymia 化学コース主事に任命される。1641年、この地位は化学教授職となる。
→かなり興味深い経歴だと思いますが、ウェストファールは、ロルフィンクに関するモノグラフを挙げていません。研究されていないのだと思われます。(グーグル・ブックには、ロルフィンクの著作は下のもの以外出てきませんが、多くの著作があります。サットンさんは、15点を挙げていますが、ほとんどは「教育」に分類しています。医学2点、解剖学1〜2点といったところでしょうか。
化学として重要なのは、次の書でしょうか。
Guerneri Rolfincii phil. ac med. doct. et prof. publici Dissertationes chimicae sex : de tartaro, sulphure, margaritis, perfectis metallis duobus auro et argento, antimonio, et imperfectis metallis duris duobus ferro et cupro
Jenae, 1660.
6つの化学論考ですが、それぞれ別個のタイトル・ページを持ちます。
Dissertatio Chimica Prima, De Tartaro,
Dissertatio Chimica Secunda, De Sulphure,
Dissertatio Chimica Tertia, De Margaritis,
Dissertatio Chimica Quarta, De Metallis Perfectis Auro et Argento,
Dissertatio Chimica Quinta, De Antimonio,
Dissertatio Chimica Sexta, De Metallis Imperfectis duobus, Ferro et Cupro,
ハブには99冊があります。ダウンロードできるものはありません。この冊数から判断するに、当時においてはかなり人気にあった著者といってよいでしょう。→09.10.24 ドレスデン・デジタル・ライブラリーにあることがわかりました。次のものがダウンロードできます。
Rolfinck, Werner
Guerneri Rolfincii, Phil. Ac Med. Doctoris Et Professoris Publici Non Ens Chimicum
Ienae, 1670Rolfinck, Werner
Guerneri Rolfincii, Phil. Ac Med. Doctoris Et Professoris Publici Chimia In Artis Formam Redacta
Francofurti ad Moenum, 1676Rolfinck, Werner
Destillatoria Curiosa
Berolini, 1674 )ブレンデル Brendel, Zacharias 1553-1626 (father) p.106
1595年の時点で、化学にアカデミックな装束を着せる共同体的営みのリーダーに相応しい人物は、おそらく、イエナ大学教授ブレンデル(父)であったであろう。リバヴィウスは、天文学におけるティコ・ブラーエの役目を化学においてはブレンデルに期待した。同じ名前の息子(Brendel, Zacharias, 1592-1638)とともに、イエナ大学で化学的な製薬法を教えた。それを引き継いだのが、ロルフィンクであった。
Brendel apud GoogleBook
Brendel, Zacharias
Pro veterum technologia rethorica adversus P. Rami Sectatores brevis disputatio.
1580Brendel, Zacharias
Chimia in artis formam redacta. Cum discurs de Auro Potabili. Post obitum autoris consilio Werneri Rolfinck, Philo. & Med. Doct. Pract. et Chimiae Professoris.
Leiden, 1671
バルフーゼン Barchusen, Johann Conrad, 1666-1723 p.128
大学教育を受けていない。公的教育は受けずに、様々なドイツの薬剤師のもとで薬学を学ぶ。1693年以前には、巡回医師・薬剤師であったと位置づけられよう。1694年ユトレヒト大学化学の私講師となる。1695年、ユトレヒト市長老団(? City Fathers of Utrecht) は彼に実験室を与える。1698年、ユトレヒト大学化学講師 (Lector in Chemistry) となる。1703年化学員外教授となる。
大学の化学コースで技術的コース(冶金術)を教えた最初の人物。
(グーグルでダウンロードできる著作のリストは前日の項目。)以上見るように、Barchusen は大学教育を受けずに、大学教授になった薬剤師の一人です。18世紀のドイツに割と多く見られるパターンです。
→1967年のアンビックスにハナウェイによる論文があります。
O. Hannaway, "Johann Conrad Barchusen (1666 - 1723): Contemporary and Rival of Boerhaave", Ambix, 14 (1967): 96 - 111個人的に必要なので、出生順(つまり年齢順)のリストも作ってみました。
Vannoccio Biringuccio, 1480-1537
Paracelsus, 1493-1541
Georgius Agricola, 1494-1555
Lazarus Ercker, ca. 1530-1594
Andreas Libavius, 1540-1616
Joseph Duchesne [Quercetanus], ca. 1544-1609
Jean Beguin, ca. 1550-ca. 1620
Zacharias Brendel, 1553-1626
Oswald Croll, ca.1560-1608
Johannes Hartmann, 1568-1631
Daniel Sennert, 1572-1637
Cornelius Drebbel, 1572-1633
Antonio Neri, 1576-ca. 1614
Joan Baptista van Helmont, 1579-1644
Guillaume Davisson (William Davidson), ca. 1593-ca. 1669
Werner Rolfinck, 1599-1673
Johann Rudolf Glauber, 1604-1670
Fransiscus de la Boë Sylvius, 1614-1672
Nicolas Le Fèvre, ca. 1615-1669
Christoph Glaser, ca. 1615- ca.1670-1678
Thomas Willis, 1622-1675
Robert Boyle, 1627-1691
George Starkey , 1628-1665
Johann Kunckel, 1630/1638-1703
Johann Joachim Becher, 1635-1682
Johann Bohn, 1640-1718
Isaac Newton, 1642-1727
Nicholas Lemery, 1645-1715
Georg Wolfgang Wedel, 1645-1721
Wilhelm Homberg, 1652-1715
Johann Moritz Hoffmann, 1653-1727
Georg Ernst Stahl, 1659-1734
Friedlich Hoffman, 1660-1742
Conrad Barchusen, 1666-1723
Johann Conrad Dippel, 1673-1734
Johann Friedrich Henckel, 1678-1744
Johann Juncker, 1679-1759
Otto Tachenius,
たぶん、こんなものだと思いますが、抜けている人物(化学者)がいればお教え下さい。
ちびどもといっしょに6時半。薄曇り。
結局、子どもたちが学校に出かける頃には、昨日と同じぐらいの天気になりました。晴れて暖かい。ブルース・モランの『蒸留の知:錬金術、化学、化学革命』を読み始めました。副題が内容を示しています。蒸留術の歴史を扱った本ではなく、科学革命の時代における化学=錬金術の概説書です。文献表はありますが、細かい脚注や後注はありません。
ざっと読んでもらうことを目標としているのでしょう。
個別の記述に関して、専門家には不満が残るかもしれません(私も、ボイルの箇所には、満足していません)が、有用なサーベイになっていると思います。
これをガイドラインにして、今一度、どの程度原典が入手できるようになっているのかを確認したいと思います。まずは何よりも、グーグル・ブックで検索をかけてみました。[Tahcenius, Otto]
Tahcenius, Otto
Antiquissimae hippocraticae medicinae Clavis
Franfurt, 1669[Tahcenius, Otto]
Tahcenius, Otto
Hippocrates chimicus
Brunsvigae, 1668[Barchusen, Johann Conrad, 1666-1723, Utrecht University]
グーグル・ブックより。Barchusen, Johann Conrad
Collecta medicinae practicae generalis
Amsterdam, 1715Barchusen, Johann Conrad
De medicinae origine et progressu dissertationes
Trajecti ad Rhenum, 1723Barchusen, Johann Conrad
Historia medicinae
Amsterdam, 1710[Stahl, Georg Ernst, 1659-1734]
Stahl, Georg Ernst
Opusculum chymico-physico-medicum
Halae Magdeburgicae, 1715Stahl, Georg Ernst
Opusculum chymico-physico-medicum
Halae Magdeburgicae, 1715Stahl, Georg Ernst
Chymia rationalis et experimentalis
1729Stahl, Georg Ernst
Experimenta, observationes, animadversiones CCC. numero chymicae et physicae
Berolini, 1731Stahl, Georg Ernst
Collegivm casvale: sic dictvm minvs, in qvo complectvntvr casvs centvm et ...
Svidnitii & Hirschbergae, 1734Stahl, Georg Ernst
Fundamenta chymiae dogmaticae & experimentalis
Berolini, 1747Stahl, Georg Ernst
Oeuvres médico-philosophiques et pratiques
Paris, 1864
かぞくそろって7時半。子どもたちは朝方はあまり咳をしていません。このままおさまってくれると助かるのですが。。。好天。きれいな秋空になりました。ずっと家のなかというわけにもいかないので、妻が子どもたちを井の頭公園に連れていきました。日光消毒でしょうか。
幼稚園児ですが、寝床について1時間ほど経った頃、ごほんごほんと咳をして、もどしてしまいました。今日はせっかくよく食べたのに、ほとんどもどしてしまったようです。布団の上でもどされるとやっかいですが、ちいさいちびで慣れているといえば慣れています。大げさに言えば、ちいさいちびが2歳の冬は、毎日、毎晩、処理に追われていました。妻が着替えやシーツ変え等子どもの面倒を見、私がもどしたものの処理にあたるという役割分担が自然にできています。
もどしたものの臭いは、なかなかに強力です。その場で、洗い流しておかないと次の日が困る。風呂場でその処理にあたります。
兄弟姉妹です。体質は、どこか似てしまいます。[『理想』の特集「中世哲学」]
正午に、次の本(雑誌)が届きました。『理想』2009、No.683 特集「中世哲学」
目次は次の通りです。
水落健治「ギリシア哲学とキリスト教との出会い―ユスティノス『ユダヤ人トリュフォンとの対話』序文を読む―」
出村和彦「教父哲学のアクチュアリティ―ギリシア教父とアウグスティヌスのフィロソフィア―」
中川純男「アウグスティヌスの真理論」
今義博「隠れたるものの現れ―エリウゲナの物の見方」
上枝美典「トマス・アクィナスにおける本質の構造―新たな普遍論に向けて」
桑原直己トマス・アクィナスにおける「性向としての徳」概念―自己否定を超えた自己肯定の基盤」
長町裕司「ドイツ神秘主義思想からの照射」
阿部善彦「ドミニコ会士としてのマイスター・エックハルト」
八巻和彦「ニコラウス・クザーヌス」
酒井潔「中世哲学の総合者としてのライプニッツ―ratioとsignumをめぐって」
山内志朗「中世の論理学」
三村太郎「中世イスラームにおける「ギリシャ哲学者」の存在意義とは」
→三村太郎氏の「中世イスラームにおける「ギリシャ哲学者」の存在意義とは」だけ、先に読み通しました。
伝統ある『理想』ですが、今は年2回の刊行となっています。台所事情がとても苦しいようで、最後のページに、執筆者の名前の印刷ミスを詫びています。ほんとうは商業出版として出すのは無理なのかも知れません。
せっかく貴重な特集を組んでいるのですから、どこかに編集方針が書かれていてもよいように思われます。あるいは、短くてもよいので、研究史の展望が付されているとよいと思います。
幼稚園児といっしょに7時40分。よく寝ました。朝はともあれ晴れています。(天気予報ではにわか雨があるかもしれない、ということです。)ちびどものピアノが終わったあと、妻がちびどもをお医者さんに連れていきました。すごい人だったということです。インフルエンザを含め、子どもの風邪がそれだけ流行っているということです。
わが家では、大きいちびは鼻詰まり、ちいさいちびの咳がひどくなっています。お医者さんから気を付けて下さいと言われたそうです。ということで、今日は、ビデオを見せて、外出させないようにします。
2〜3日前に散歩の途中、近所(1キロ以内)にビデオレンタル店があることを確認しています。幼稚園児を自転車の後ろに乗せて、「シンケンジャー」と「ミッキー」と「スティッチ」、それにおねえちゃんの要望で「クレヨンしんちゃん」を借りに行きました。夕食後、ちいさいちびの咳がひどくなりました。寝る前もずいぶん苦しそうに咳をしていました。いっときの幼稚園児といっしょです。なおったと思った幼稚園児もいっしょに咳をしています。ちいさいちびほどひどくはありませんが、こまったものです。ぶり返されるととても面倒です。
[ベッヒャー Johann Joachim Becher 1635-1682]
グラウバーをまとめたのであれば、ベッヒャーもまとめておかないわけにはいかないでしょう。まず、基本から。グーグル・ブックには、次の14点があります。すばらしい。
Becher, Johann Joachim
Institutiones chimicae prodromae
1664Becher, Johann Joachim
Acta Laboratorii Chymici monacensis: libri 2
Frankfurt, 1669Becher, Johann Joachim
Moral-Discours von den eigentlichen Ursachen des Unglücks und Glücks
Frankfurt, 1669Becher, Johann Joachim
Experimentum Chymicum novum
Frankfurt, 1671Becher, Johann Joachim
Natur-Kundigung der Metallen, mit vielen curiosen Beweissthumben ...
Frankfurt, 1679Becher, Johann Joachim
Experimentum novum ac curiosum de minera arenaria perpetua
Frankfurt, 1680Becher, Johann Joachim
Politische Discurs, von den eigentlichen Ursachen, des Auft- und Abnehmens ...
1688Becher, Johann Joachim
Des Hoch-beruehmten Becheri Medicinische Schatz-Kammer
Leipzig, 1700Becher, Johann Joachim
Physica subterranea
1703Becher, Johann Joachim
Institutiones Chimicae prodromae
Frankfurt, 1705Becher, Johann Joachim
Oedipus chymicus
Frankfurt, 1716Becher, Johann Joachim
Tripus hermeticus fatidicus
durch Friedrich Roth-Scholtz
1719Becher, Johann Joachim
Närrische Weissheit und weise Narrheit
1725Becher, Johann Joachim
Physica subterranea
1740同じく、ハブにも、ダウンロードできるものだけで14点あります。(全部では120冊。)当然、すばらしい。
Becher, Johann Joachim
Glauberus Refutatus Sev Glauberianarum Sophisticationum Centuria Prima, Eiusdem inutilium Processuum Centuriセ Primセ Opposita.
[S.l.], 1661
HABBecher, Johann Joachim
Parnassus Medicinalis Illustratus.
Ulm : Görlin, 1663
HABBecher, Johann Joachim
Parnassi Illustrati Pars Prima, Zoologia Das ist: Dess erlärterten Medicinalischen Parnassi Erster Theil, Nemlich das Thier-Buch
1662 [erschienen 1663]
HABBecher, Johann Joachim
Parnassi Illustrati Pars Altera, Phytolologia Das ist: Dess erlärterten Medicinalischen Parnassi Ander Theil, Nemlich das Kräuter-Buch
1662 [erschienen 1663]
HABBecher, Johann Joachim
Parnassi Illustrati Pars Tertia, Mineralogia Das ist: Dess erlärterten Medicinalischen Parnassi Dritter Theil, Nemlich das Berg-Buch
1662 [erschienen 1663]
HABBecher, Johann Joachim
Parnassi Illustrati Pars Qvarta, Schola Salernitana. Das ist: Dess erlärterten Medicinalischen Parnassi Vierdter Theil, Nemlich die Salernitanische Schu
1662 [erschienen 1663]
HABBecher, Johann Joachim
Moral Discurs Von den eigentlichen Ursachen dess Glücks und Unglücks
Franckfurt am Mayn : Zunner, 1669
HABBecher, Johann Joachim
Novum, Breve, Perfacile, & Solidum Organum Pro Verborum Copia
Francofurti : Zunnerus, 1671
HABBecher, Johann Joachim
Machiavellvs Gallicus Seu Metempsychosis Machiavelli in Lvdovico XIV. Galliarum Rege.
[S.l.], 1674
HABBecher, Johann Joachim
Methodvs Didactica Seu Clavis Et Praxis Super Novum Suum Organon Philologicvm
2nd Edition, Franckfurt : Zunner, 1674
HABBecher, Johann Joachim
Cammer- und Commercien-Raths Närrische Weissheit Und Weise Narrheit
Franckfurt : Zubrod, 1682
HABBecher, Johann Joachim
Mineralisches A B C. Oder Vier und Zwantzig Chymische Theses Von der Geburt denen Principiis, Unterschied Vermischung und Auflösung deren Mineralien Metallen und übrigen Unterirdischen Dingen [et]c. : Aus dem Lateinischen ins Teutsche übersetzet
Nürnberg : Tauber, 1723
HABBecher, Johann Joachim
Physica Subterranea Profundam Subterraneorum Genesin
Lipsiae : Weidmann, 1738
HAB Lipsiae : Weidmann, 1738Becher, Johann Joachim
Specimen Beccherianum Sistens Fundamenta, Documenta, Experimenta, Quibus Principia Mixtionis Subterraneae, & Instrumenta Naturalia atque Artificialia demonstrantur
1738
HAB
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(Schema Insturmentorum Laboratorio Portatili Inservientium
ベッヒャーのポータブル・ラボラトリー、Tripus Hermeticus(1689)より)ベッヒャーに関しては手頃に読めるパミーラ・スミスの本があります。Encyclopedia of the Scientific Revolution from Copernicus to Newton にそれを思い切り圧縮した記事を書いています。pp.77-8。この長さの記事としてはとてもよく書けています。
1635年、ルター派の牧師の子どもとして生まれる。父が早く没し、生地シュパイヤーを離れ、大陸を転々とする。従って、公的教育はほとんど受けていない。つまり、ほどんどを自習・独学した。1660年永久運動機関の提案がマインツの選帝侯の関心を引き、すぐに侍医兼数学者として採用され、最小限の訓練の後に、その地の大学から医学博士号を取得した。1663年マインツ大学の医学教授に任命される。就任演説は賢者の石の実在に関するものであった。1664年、バイエルン選帝侯が彼をミュンヘンに呼び寄せた。1670年にはウィーンに移動し、商業コンサルタントとして1676年まで働いたが、宮廷の寵愛を失い、オランダから英国に移住していった(1680)。1682年、イギリスで死去。
以上の通り、医学博士号は取得し、医師にもなり、医学教授にもなりますが、正規の大学教育を受けたわけではなかった。グラウバーよりも社会的地位においては上位ですが、放浪する宮廷錬金術師のキャリアと位置づけてよいでしょう。
ディーバスは、伝記的記述のあと、次のようにまとめています。
「ベッヒャーの遠大な経済構想は失敗に終わったとはいえ、彼の全成果は徹底的に再検証されるべきである。」(p.407)
まったくです。ベッヒャーは、個人的な重要性もあります。上記の通り、ベッヒャーの晩年は、英国です。死の年(1682)英国で、2冊の本を出しています。
Chymischer Gl6uuml;cks-Hafen
Närrische Weiszheit und Weise Narrheit (愚かなる知恵と知恵ある愚かさ:あるいは、百の政治的、物理的、機械的、商業的なコンセプトと提案、成功したものあり、無に帰したものもあるが、その原因、付帯状況、記述を含む)。
唯一の英語の出版物は、『マグナリア・ナチュラリア:賢者の石の真実が最近公衆の面前に提示され、販売される』(London, 1680) は、実はボイルへの献辞を有します。
王立協会の会員(F.R.S)には選出されませんでしたが、王立協会ともボイルとも個人的な繋がりがあったわけです。
(ベッヒャーは、現地に足を運んで、スコットランドととくにコーンウォールの鉱山の調査をしています。)さて、Helen Liebel-Weckowicz (ヘレン・リーベル-ヴェコビッツ?)は、パミーラ・スミスの書評で次のように記述しています。(Canadian Journal of History, 1995)
「マイナーな発明家として、彼は鉱石を製錬するための「ポータブル・ラボラトリ」炉を考案した。ロバート・ボイルは、これにとても似たそうした炉(one made just like it)を所有していた。」
書評なので、この記述の典拠は示されていません。ボイルがベッヒャーのタイプの「ポータブル・ラボラトリ」を所有していた可能性はあると思いますが、この種のことは典拠を示す必要があります。ほんとうに典拠があるのでしょうか?私の関心は、職業=社会的地位と、著述家としての信頼性(社会的権威)の問題にあります。そう、ボイルも、大学教育を受けていません。ボイルは貴族なので、グラウバーやベッヒャーとは違いますが、大学教育を受けていない点は重視されなければなりません。
この点に関して、調べなおしてみると、マイケル・ハンターが指摘していました。(Robert Boyle: Scrupulosity and Science, pp.150-1)
「公的な教育を受けていないボイルは、それ故に伝統的な知識人社会のアウトサイダーであった。この点で、彼は、グラウバーやジョージ・スターキーやベッヒャーやフックのような人物と類似性を持っている。彼らは、両義的な人物である。自然の真の理解のためには自分たちの知識が重要であると主張するが、自然の理解の営みが伝統的に行われてきたアカデミックな環境の外部にあって、ただの職人として無視される恐れがあった。実際、スターキはこの地位の問題に敏感であり、ボイルとの関係では、主人-召使いという関係を拒否した。ウィリアム・ニューマンが示した通り、ボイルは、スターキーに依拠する程度に関して、とても正直とは言えなかった。このことは非常に徴候的である。ベッヒャーもまた、職人層に結びつけられやすいがために、常に自分の地位と独立性を強調し、専門家としての地位を主張しなければならなかった。フックの地位ががこうした灰色の領域にあることは、いまやほとんど常識と言って良いだろう。次の世代では、デザギュリエ。・・・・」
(この点に関係して、ボイルに企画士プロジェクターの側面があったことは指摘してよおいてよいであろう。1680年代に、彼は、海水から真水をつくるプロジェクトに深く関わった。甥っ子が全面に立ったが、黒幕はボイルであった。)
ハンターの指摘は、私が考える問題の核心をついています。ボイル自身、伝統的知識人=学者と職人層のマージナルな位置にあった。(ボイルに関しては、中間とは言えない。ハンターが挙げる残りの人物は、中間と位置づけることができる。)それゆえ、ボイルの職人の知識に対する対応・態度が課題として浮かび上がってくる。プリンシーペは、『アデプトを熱望して』で、次のように述べます。pp.112-3.
「ヨハン・ヨアキム・ベッヒャーは、ボイルと本格的に錬金術の交流をもった。ベッヒャーは、1679年にオランダを発ち英国に向かったが、英国のボイルと、これまで実質的には気付かれていないほど、交流をもったように思われる。」『マグナニア』の献呈。「1689年、ベッヒャーの死後出版『鉱物ABC』―Tripus hermeticus fatidicusの3部をなす―もボイルに献呈されている。その書において、ベッヒャーはボイルを「私の『地下の自然学』の賞賛者のひとり」として引用している。この書の草稿は、元々は、ボイル草稿のなかにあった。ヘンリー・マイルズのカタログ(1740年代初頭)にはあった。おそらく、ボイルの作品ではないという理由で廃棄されたのであろう。これは非常に残念なことであった、なぜなら、その草稿は、1680年代ボイルの名前を被献呈者として挙げるためにベッヒャーがボイルに送ったものだと思われるからである。
『鉱物ABC』の草稿は残っていないが、その他のベッヒャーの草稿がボイル草稿のなかに残っている。そのなかでもっとも興味深いのは、Concordantia purgationis、である。これは、賢者の石を調剤するために金属(とくに銀)の水銀を得る方法を要約し、比較する著作である。このテキストは、1689年フランクフルト版の『鉱物アルファベット』に付され、1719年に再刷された。『鉱物アルファベット』と同様この著作もとくにボイル自身のために書かれたものと言うこともできよう。それは、40年間ボイルの思考を支配した金属の水銀のテーマにぴったり当てはまる。・・・さらにもっと短い未出版の草稿があり、それは、前の草稿と同じ書字生により書かれ、「金属の生成と取り扱いに関するドクター・ベッヒャーの理論または彼自身の意見」というタイトルを有する。また、同じ書字生によって書かれたベッヒャーの1680年の著作De arenaria pertetuaからの長いノート・抜粋も存在する。」ハンターの『ボイル・ペーパーズ』で、ボイルの草稿におけるベッヒャーを確認しておきましょう。
p.72, note 134「ロバート・フックが1693年ムーアフィールで、おそらくボイルの蔵書から購入したベッヒャーのNovum Organum philologicum(Frankfurt, 1674)は、ウェルカム・ライブラリーがごく最近購入した。」
p.376. BP 19, fols, 57-77 'Dris J.J.Becheri Concordantia Purgationis' 1670's - 1680s Latin treatise by Becher on chemistry, especially experimentation with mercury in search of philosopher's stone Latin Possibly a version of J.J. Becher, Chymischer Glücks-Hafen(1682)
p.425 BP 29, fols. 1-10 'Dr Becheri Theoria, seu Opinio Singularis de Metallorum Generatione et Tractatione' 1670s- 1680s Copy of Latin tract by Becher, with further page of relevant text Hand: L.? Latin
p.427 BP 29, fols. 183-6 'Johannis Joachini Becheri Sr. Caesareae Majestatis Ferdinandi III quodam Mathematici Nova Inventio Argo-nautica' c. 1650s Latin text on an invention by Becher, date of original pre-1657 Hand: unknown Latin
p.433 BP 31, pp.295-397 Latin notes and extracts from Johann Joachim Becher's Minera Arenaria Perpetua (London, 1680), together with notes on various processes by other experimenters, evidently also from Becher P.398 blanck Hand: L Latin
p. 589 BL 1, fols. 57-8 Johann Joachim Becher to Henry Oldenburg 26 Oct. 1671 Original letter. 2 leaves, 4o Latin Summarised in Correspondence, vol.6, p.416. Published in Oldenburg, vol. 8, pp.303-4.
ちびどもといっしょに6時20分。晴れ。ちびどもの部屋には朝のまぶしい光が射し込んでいます。
体調はすこしずつ回復していますが、体力はまだまだです。集中して仕事をすると、夜は子どもたちよりも先に、ことっと寝てしまいます。わが家の小学生よりもよく寝ていることになります。グラウバーの蔵書リストは、少しずつ、打ち進めています。オランダ語がやはり難しい。ドイツ語の髭文字とオランダ語の髭文字は字体を分けています。このオランダ語の髭文字が難しい。BとVの大文字は、まだほとんど同じに見えます。(Bの方がいくらかおなかがおおきいのですが、昨夜は、Vier が Bier にずっと見えていました。)
また、一定割合、copacにはない、つまりBritish Library を含め、イギリスの主要な研究図書館のどこも所蔵していない、稀書をグラウバーが持っていることが見えてきました。別言すれば、グラウバー当時、オランダ語やドイツ語で出版された書物は、必ずしも英国には入っていない、ということです。もちろん、その後も入っていない。
→まだ読みとれない文字が残り、タイプミスも残っていると思いますが、一応全体にはわたりました。もし、オランダ語をチェックして上げようという方がいらしたら、是非、お助け下さい。よろしくお願いいたします。
(グラウバー(蔵書))蔵書リストには、グラウバー自身の出版リストもついています。以下の通り、32点を挙げています。
1. Von den Distiller-Oefen; der Erste, Zweitte, Dritte, Vierte und Fünffte Theil.
2. Appendix über den Fünfften Theil.
3. Pharmacopoeiae Spagyricae
4. Appendix über den Siebentten Theil.
5. Teutschlandes Wohlfahrt, Erste, Ander, Dritte, Viertte, Fünffte und Sechste Theil.
6. Appendix über den Fünfften Theil.
7. De Natura Salium.
8. De Signatura Salium.
9. Miraculi Mundi, Erster Theil.
10. MIraculi Mundi, Ander Theil.
11. Contitunatio Miraculi Mundi.
12. Explicatio Miraculi Mundi.
13. Annotationes über Miralucum Mundi.
14. Operis Mineralis, 1. 2. 3. Theil.
15. Trost der Seehefahrenden.
16. Explicatio über die wortten: in Herbis, Vorbis & Lapidibus.
17. Liber Dialogorum.
18. De Auro Potabili.
19. De Medicina Universali.
20. Erste Centuria.
21. Zweitte Centuria.
22. De Tribus Principiis Metallorum.
23. Von dem Schweffer / Mercurio und Sale Philosophorum.
24. Von den drey allerbesten Steinen von drey Feüeren gebohren.
25. De Elia Artista, oder Sale Artis.
26. Von der Hüllischen Göttin Proserpina.
27. Purgatorium Philosophorum.
28. Laboratorium Glauberianum.
29. Novum Lumen Chimicum.
30. Glaubers Redivivus.
31. Glauberi Testimonium Veritatis.
31. Von der Weinhefen ein Tracätlein.
化学書が中心を占めるのは、当然ですが、歴史家にとっては、『ドイツの繁栄』(1656-61)が非常に興味深い資料ではないかと見ています。ディーバスが邦訳のpp.397-404 で取り上げ、論じています。(注を丁寧に見てもらえばわかるように、ディーバスは英訳を上手に使っています。)
ひとりで4時50分。体調の回復は、ほんとうにゆっくりとしか進んでいません。昨夜は鼻が半分詰まって苦しい思いをしました。ちびどもは6時過ぎに起きてきました。おおきいちびにも軽い風邪の症状が出てきています。すこしの咳と、軽い鼻詰まり。
せっかくなので、邦語論文も捜して読んでいます。昨夜は、次のものをダウンロードし読みました。
瀬原義生「中世末期・中世初頭のドイツ鉱山業と領邦国家」『立命館文學』585(2004), pp.42-83
著者に関しては、本学名誉教授とあります。おそらく立命館を退職したあと研究の総まとめをされたもののように思われます。総説としてとても有用です。結びを引用しておきましょう。
「以上、中世末期から近世初頭にかけてのドイツ鉱山業について概観してきた。坑道設置の仕組み、それをめぐる複雑な法的関係、採鉱から精錬への過程、採鉱運営の実情、採鉱夫とその補助労働者間の関係、坑夫組合の実態、領邦国家財政内における鉱山の地位、大資本の鉱山進出とその経営の困難さ、などについて、一応の姿を描いたのであるが、表面を撫でたにすぎない。一歩奥へ突っ込みと、もう判らない事だらけ、というのがいつわらざるところである。・・・
しかし、特定の国家であるが、鉱山をもつ領邦国家内における鉱山の財政的重要性を確認できたことは、一つの成果であった。オーストリア系ハプスブルク、スペイン系ハプスブルク、ザクセン選帝侯国など、16世紀宗教改革時に主役を演ずる国々の経済的基盤が、なんらか明らかになったのではないか、とおもうのである。それにしても、ハプスブルク家は、ティロル銀、新大陸銀を、なんと湯水のように消費したことであろう。それも、シュマルカルデン戦争、オランダ独立抑圧の戦争のためにほとんどが費消され、国内的にはなんらの産業を興す投資にもなっておらず、国家自体は絶えず国家破産の危機に見舞われるという有様なのである。」
これは、正直に書かれていると思います。私にとって、驚きなのは、ネフ等共通するものは当然あるものの、コナリーの挙げる文献と重なるところがほんとうに少ないという点です。
瀬原義生氏が挙げる邦語文献を抜き出しておきましょう。
瀬原義生「フッガー研究序説―学説史展望」『西洋史学』30(1965)
藤井博文「ドイツ中世前期における鉱工業と地域」『立命館文學』558(1999)
前間良爾「一五・六世紀ドイツにおける鉱山労働者の蜂起とその再編成―エルツ山脈地方を中心に―」『(九州大学)西洋史学論集』第五
諸田実『ドイツ初期資本主義研究』有斐閣、1967、第一章「フッガー家の時代」における鉱山業とその特質
矢澤毅「近世初頭中部ドイツにおける精銅取引と商業都市」『長崎県立大学論集』35-4(2002)
瀬原氏には、著作がかなりあります。『ドイツ中世都市の成立とツンフト闘争』(社会科学ゼミナール〈59〉1975)『現代史入門 』(1960年)『ドイツ中世都市の歴史的展開』(1998)『ドイツ中世農民史の研究』(1988)他に翻訳も数多く出版されています。
次の論文のpdfもゲットできます。
諸田実「中世末期におけるドイツ鉱山業の繁栄とその特質」『商学論集』第26巻第1号
諸田実「中世末期におけるドイツ鉱山業の繁栄とその特質(2)」『商学論集』第26巻第2号ドイツです。ドイツ語のウィキペディアの記事も有用です。
German Mining, Bergbau aus Wikipedia
German Mines, Liste von Bergwerken in Deutschland
(歴史上有名な鉱山は、すでに廃山となっているものが多いことがよくわかります。当然です。ひとつの山の埋蔵量には限界がありますから、そう、長くは持たないでしょう。)下に紹介したドイツ語の雑誌『アンシュニット:鉱山業における技術と文化の雑誌』ですが、サイトDer Anschnitt: Zeitschrift für Kunst und Kultur im Bergbau.を捜して、目次と文献リストを見てみました。わー、ドイツ、ドイツ、ドイツ、です。1%ぐらいでしょうか、英語(たぶん、書評のためのタイトルだけ)も混じっていますが、ほぼ完全にドイツ語の世界です。ともあれ、充実した研究の世界があることはわかります。
1947年に創刊され、すでに60年以上の歴史がある、とあります。
夜中に目覚めてすこし仕事。ひとりで5時45分。少しずつですが、体調がもどりつつあるようです。
(51歳になって、同じことですが、特別研修期間が始まって、始めたことがあります。ひとつは、青汁。野菜をあまり食べないちいさいちびですが、抹茶系は割と好んで飲みます。青汁もあまり苦にせず、むしろ喜んで飲んでいます。私は、好き嫌いがほとんどないタイプなので、栄養の偏りはそれほどないと思われますが、一種の保険として、1日に1度か2度、青汁を飲むことにしたものです。もうひとつは、運動。スポーツをするのは大変なので、できれば30分、散歩することにしたものです。
医師に調べてもらったわけではないのですが、私の体感で、いちばんひどいのは、肩凝りです。肩から背中、腰までの凝りだと思われます。ずっとコンピュータに向かっているとひどくなりますから、悪くしないためにもこの程度の運動は必要だと考えた次第です。)ちびどもは、6時半ごろ起きてきました。早速体温をはかっていました。今のところ、インフルエンザの徴候はありません。冬になるといつもかかる喉の風邪です。私もそれほどひどいものではありませんが、咳が出ています。
幼稚園児はいつも通り、7時半頃でしょうか。まあ、元気な顔をしています。
せっかくなので、コナリーのもう1点の論文を読んでみました。
David E. Connolly, "Ulrich Rülein von Kalbe's Bergbüchlein in the Context of Sixteenth-century German Mining/metallurgical Literature," in Rober Bork (ed.), De re metallica. The Uses of Metal in the Middle Ages (Aldershot: Ashgate, 2005), 347-366.
タイトルにあるとおり、鉱山業と冶金術に関する最初の出版物、ウルリッヒ・リュラインの『鉱山小著』(ca. 1500) の分析をしています。テキストタイプの分析と、言語学的分析です。
言語学的分析とは何かと思ったら、パラタクシス(並列)、語やフレイズの併置現象を分析しています。同格的併置、説明的併置をリュラインが多用している事実を分析しています。「○○、または××」、「○○、すなわち××」、「○○、換言すれば××」、「○○、別の言葉では××」という表現をリュラインは鉱山・鉱物のの専門用語に慣れない読者に正しく簡明に明瞭に伝えるために多用しています。
科学的内容、技術的内容を求める読者からは肩すかしですが、これは、これで、有用です。専門用語、専門術語の形成期に、この表現戦略はよく採用されるでしょう。
ちびどもが起きて、6時45分。幼稚園児の咳はほぼ収まりましたが、今度は、ちいさなちびが咳をしています。就寝前と起床後によく咳をします。とくに今朝はひどく咳き込んでいます。幼稚園児の喉風邪をもらったようです。
小学校は小学校で、インフルエンザが流行っています。さて、どうしたものか?
→小学校は休ませることとしました。幼稚園児は暴れていましたが、妻がほとんど無理矢理連れていきました。おおきいちびが情報を持って帰ってきました。5年生の他に、3年3組が学級閉鎖、6年生が学年閉鎖となりました。6年生の場合、19名が欠席したということです。(全員がインフルエンザというわけではありません。)
ちょうど流行の真っ最中といったところでしょうか。今日も快晴。わが家の近くの私道で、電信柱の移設の作業が始まりました。説明に見えた東京電力の方によれば、今月中に完了するということです。
今月は、ここまでで、108枚。グラウバーの蔵書目録が枚数を稼いでいます。
→鉱山説教に関する先行研究はないかとグーグル・スカラーで検索をかけていて、次の博士論文にヒットしました。
David E. Connolly
Problems of Textual Transmission in Early German Books on Mining: "Der Ursprung Gemeynner Bergrecht" and the Norwegian "Bergkordnung"
Ph.D. dissertaion, The Ohio State University, 2005
コナリーの文献リスト(David E. Connolly, "A Research Bibliography of Early Modern German Mining and Metallurgy," in Rober Bork (ed.), De re metallica. The Uses of Metal in the Middle Ages (Aldershot: Ashgate, 2005), 387-401. この論文に関しては、pdfを作成しています。欲しい方は遠慮なくどうぞ。)は、この分野に関する最もよいものです。早速、読んでみました。『一般鉱山法の起源』(Der Ursprung Gemeynner Bergrecht, おそらく1535-1538。鉱山業に関する法的・科学的テキストのコンペンディウムとしては最初に出版されたもの) と『ノルウェイ王国、ゴルムスベルク(Gullnes)のすばらしき新鉱山に対する鉱山業規制』Bergkordnung des Löblichen newen Bergwergs/ auff dem Golmsbergk/ im Königreich Norwegen(1540)の分析を中心としています。2章と3章は、2著の校訂版を掲載してます。4章と5章では、それぞれの英訳を提示しています。1章でレビューと分析が示されます。(見通し;中世と初期近代におけるヨーロッパの金属鉱山業;ドイツ語の鉱山文献の発展;初期の鉱山業と鉱山文献に関する最近の研究のサーベイ;『一般鉱山法の起源』;1540年出版のノルウェイ王国『鉱山規制』;技術情報の編集:『一般鉱山法の起源』と『鉱山規制』における知識の蓄積とテキスト・タイプの形成;技術情報の伝播:『一般鉱山法の起源』と『鉱山規制』の出版史における変化と連続の諸相;テキストの諸版と英訳;結論)。
研究史と研究文献紹介は、歴史に関心がある誰にも有用でしょう。私も大いに学びました。(ドイツ語圏に研究が集中しており、ドイツ語圏の外にほとんど出ていない研究領域です。重要な文献は、ほとんどがドイツ語です。)
エイマン、パミラ・スミス、パミラ・ロングに並べて、ハーバーマンの著作を挙げています。
Habermann, Mechthild. Deutsche Fachtexte der frühen Neuzeit. Naturkundich-medizinische Wissensvermittlung im Spannungsfeld von Latein und Volkssprache. Berlin and New York: Walter de Gruyter, 1983.鉱山文献に関する唯一の包括的な研究は、コッホの著作ということです。
Koch, Manfred. Geschichte und Entwicklung des bergmännischen Schrifttums. Schriftenreihe Bergbau-Aufbereitung 1. Goslar: Hermann Hübener, 1963.
(ウェブキャットでは、この本を所蔵する図書館がありません。なんということでしょうか。)英語で最良なものは、パミラ・ロングの論文と著作である。
古くて、焦点がぼけているが、詳しい説明があるのは、アダムスの『地質学の誕生と発展』(1938)である。―平井さんに教えてもらって、古いペーパーバックを持っています。いろんな話題に拡散していますが、取り上げてるテーマに関しては詳しいので有用ではあります。―
ドイツの視点からする鉱山業に関するもっとも見通しのよい、よくまとまった書物は、ズーリンクのものである。
Suhling, Lothar. Aufschliessen, Gewinnen und Förden. Geschichte des Bergbaus. Reinbek, 1983.英語圏では、ネフのものがなおまだ決定的である。
(ネフ『一六・七世紀の産業と政治―フランスとイギリス―』紀藤信義・隅田哲司訳、未来社、1958 は2007年7月に入手しています。しかし、所在が不明です。またいつか探し出す必要があります。→何となく、記憶がありました。10分で探し出すことが出来ました。この著作では、ドイツは扱われていませんが、ネフの考え・見通しはよくわかります。なお、決定的だといわれるのは、John U. Nef, "Minung and Metallurgy in Medieval Civilisation," Cambirdge Economic History of Europe, volume 2: Trade and Industry in the Middle Ages, 2nd ed., ed. M.M. Postan and Edward Miller, Cambridge, 1987, pp.691-761. )『中世辞典』(Dictionary of the Middle Ages)におけるVerdier(on metallurgy) とPound(on mining) の記事は有用である。
ドイツのリーガル・ディクショナリーのサイトは、鉱山法に関する大きなコレクションを有する。
DRW: Deutsches Rechtwörterbuch
ドイツの鉱山業に関する決定的レキシコンは、19世紀のもの。
Veith, Heirich. Deutsches Bergwörterbuch. Breslau, 1871. [Reprint: Wiesbaden: M. Sändig, 1968.]Early New High German (ENHG) の鉱山業の用語に関しては、バオフェルトの『高ドイツ語小辞書』がもっとも使いやすいであろう。
専門雑誌としては、次。
Der Anschnitt: Zeitschrift für Kunst und Kultur im Bergbau.
ひとりで6時半。今日も快晴の模様。昼下がり、妻が子どもたち3人を原っぱ公園に連れていってくれました。その間に、作業を進めることができました。
[グラウバー2 Johann Rudolf Glauber (1604-1670)]
グーグル・スカラーで検索をかけていたら、次の論文があることがわかりました。Pamela H. Smith,
"Vital Spirits: Redemption, Artisanship, and the New Philosophy in Early Modern Europe,"
in Margaret J. Osler ed., Rethinking the Scientific Revolution
(Cambridge, 2000), pp.119-135.部屋を見回すと、この本は、10近く積み上げている本の山の一番上にありました。早速読んでみました。
タイトルにグラウバーの名前が出ていませんが、このスミスの論文は、グラウバーの研究です。しかも、私の知りたい点に直接触れています。それは、グラウバーの職業と社会的地位です。
p.124 に情報がまとめられています。
グラウバーは、理髪師の息子として生まれた。彼がどういう教育を受けたのか、どういう職業訓練を受けたのか証明する資料は残っていない。
しかし、金属加工業の訓練を受けたことがあるようである。また、1630年代以前には、鏡製造で生計をたてた時期があると自分で記述している。
どういう資格かはっきりしないがギーセンの宮廷薬局で働いていた時期がある。(1635/6)
1641年、アムステルダムで、市のギルドには所属していなかったが、自分を薬剤師と呼んでいる。
つまり、商業社会におけるアントルプルヌール(企業家、事業主)であったことは間違いない。こう、パミラは結論付けます。彼は、彼のラボラトリー(実験室・作業場・製造場)で製造したものを、市場に出した。つまり、売った。職業としては、自営の製造・販売業者ということになるでしょう。しかし、その形態は社会のなかでは確立されたものではなかった。パミラは、ギルドの所属する職人層と大学教育を受けた学者・知識人の境界にあったもの(彼女はリミナル、境界人という用語を使っています)としています。
"Practices"に注目する科学の社会史的観点から、非常に興味深い事例を与えてくれると言えます。ベッヒャーとの親近性はすぐに見て取ることができます。(パミラの本 The Business of Alchemy がそういう仕事をしています。)
18世紀のピーター・ショーやルイスも同様な観点から見ることができるでしょう。
(些細なことですが、パミラは、グラウバーの多くのドイツ語の著作を使っています。しかし、Furni Novi Philosophiciは、触れてはいますが、書誌をあげることもしていません。単純に落としたのか、意図があるのか、不明です。)
グラウバーの蔵書。
パミラ・スミスは、グラウバーの著作Glauberus concentratus(Amsterdam, 1668) に採録されたCatalogus librorum,すなわちグラウバーの蔵書目録を紹介しています。地理書27冊、化学書49冊、宗教22冊を数えています。 Glauberus concentratusはHABからダウンロードしたばかりです。早速当該箇所をプリントアウトしてみました。私には非常に興味深いリストです。
下記のように、本の版型毎に分類されています。この時代には、この分類が多い。フォリオで42冊、クワトロで38冊、オクタヴォで62冊、12折りで25冊、総数で167冊がリストアップされています。全部ではありませんが、明らかに、出版地と出版年は記述する、という習慣が形成されつつあったことが伺われます。
なお、オランダ語の本も(当然かもしれません)混じっています。ドイツ語とオランダ語は髭文字です。オランダ語とドイツ語ではすこし字体を変えています。オランダ語の髭文字が難しい。[Glauber's Library]
Catalogus Librorum In Folio, gebunden. [42 Books]
1. Atlas Major, Erster Theil, durch Johannem Jansonium, Amsterdam, anno 1647.
2. Ejusdem, Ander Theil, per Eundem, ibidem.
3. Ejusdem, Dridter Theil, per Eundem, ibidem.
4. Ejusdem, Fierdter Theil, per Eundem, ibidem.
5. Lüneburgische Bible mit Summarien Osiandri, und Föters, Lüneb. anno 1650.
6. Remberti Dodonaei Herbarius, Niederd. Antwerp. 1644.
7. Calepini Dictionarium Octo linguarum, Lugduni, 1647.
8. Theophrasti Paracelsi Operum ominium Volumen 1. Genevae, 1658.
9. Ejusdem Volumen 2. & 3. ibid.
10. Ejusdem Theophrasti Paracelsi Operum ominia, Deutsch durch Johan Huserum in zehen unterschiedliche theil herauszgegeben Straszburg annno 1603.
11. Ejusdem Operum ander Theil, ibid.
12. Ejusdem Chirurgische Bücher und Schriften, ibid. anno 1618.
13. Bernhardi Coesii Mineralogia, Lugduni, 1636
(Bernardus Caesius [Bernardo Cesi], sive naturalis philosophiae thesauri)14. Coleus redivivus, sive M. J. Coleri Opus Oeconomicum, Editio novissima, Francofurti, anno 1640. Teütsch.
15. Georgi Agricolae Bergwerck-Buch, Basel, 1621.
16. Ejusdem de re Metallica Libri X II. Item, de Animantibus Subterraneis Liber, Basileae, 1621.
17. Ejusdem Agricolae de ortu et causis Subterraneorum, Libri V. &c. vide Catalogum Librorum in Octavo, sub N. 85.
18. Item, Ejusdem de Animantibus SubterraneisLiber, videatur ibidem, sub N. 85.
19. Martini Zeilleri Itinerarium Italiae, Franck forth bey Matth. Merian. im Jahr 1640.
20. Topographia Helvetiae, Rhetiae & Valesiae, ibid. 1642.
21. Topographia Bavariae, ibid. 1644.
22. Item, Topographia Palatinatus Rheni & vicinarum Regionum, ibid. 1645.
23. Topographia Arch-Episcopatuum Moguntinensis, Trevirensis & Coloniensis, Franckfurth durch Matth. Merian, 1646.
24. Item, Topographia Sueviae, ibid. 1643.
25. Topographia Franconiae, ibid. 1648.
26. Topographia Westphaliae, ibid. 1648.
27. Item, Topographia Hassiae & Regionum vicinarum, ibid. 1648.
28. Topographia Provinciarum Austriacarum, Austriae, Styriae, Carinthiae, Carniolae, Tyrolis, & c. ibid. 1649.
29. Topographia Bohemiae, Moraviae & Silesiae, ibid. 1650.
30. Topographia superioris Saxoniae, Thuringiae, Misniae, Lusatiae, &c. ibid. anno 1650.
31. Topographia Saxoniae Inferioris, ibid. 1653. alle in Hochdeutsch.
32. M. Adami Olearii Beschreibung der Rewen Orieltalischen Reyse. Schleszwig. anno 1647.
33. Joannis de Laat Beschrijbung van Welt-Indien [in Dutch], Elzeviers, anno 1630.
34. Jean Huygens van Linschoten Itinerarium, ofte Schipvaart naar Oost-ofte Portugaals-Indien, Amsterdam, 1644. in sequentibus sub N.51. plura Ejusd.
35. Item, Ejusd. Reysgeschrift vande Navigatien der Portugaloysers in Orienten, ib.
36. Zwelferi Animadversiones in Pharmacopoeiam Augustanam, & annexam ejus Mantissam cum annexa Appendice, Noribergae, 1657.
37. Idem, Adhuc semel.
38. Verae Alchimiae artisque Metallicae, citus Aenigmata, Dcotrina, per Guillielmum Grataromum edita Basileae, 1561. cum annexis variorum Philosophorum scriptis.
39. Item, Dialogus de Ligno vitae Iohan. Bracesci, &c.
40. Joh. Ludovici Gottfridi Historische Chronica, durch Matth. Merians, Franckfurth, anno 1542. Welche von anfang der Welt bis auf 1618 geschehen.
41. Lazari Erckers Beschreibung aller fürnehmesten Mineralischer Ertzt und Bergkwercks -Arthen Franckfurth anno 1629.
42. Idem, Adhuc semel.
In Quartro [38 Books]
1. Begin ende Voortgangh van de Vereenighde Nederlantsche Geoctroyeerde Oost-Indische Compagnie, 't Erste deel, 1646.
2. Ejusdem, 't Tweende Deel, ibid.
3. COnradi Khunrads Medulla Destillatoria, & Medica sectum aucta, & renovata, Hamburg, 1638.
4. Claudi Deodati Pantheum Hygiasticum Hippocratico-Hermeticum, Bruntruti, 1628.
5. Ejusdem, Liber Secundus, ibid.
6. Joh. Schröderi Pharmacopoeia Medico-Chymica, Ulame Suevorum, anno 1655.
7. Joh. Baptiste van Helmont ortus Medicinae, edente Francisco Mercurio van Helmont, Amsterodami, 1648.
8. Joh. Rudolphi Glauberi Opera Chymica, Franckfurth, 1658.
9. Ejusdem Operum Chymicorum anderer Theil, ibid. in duplo R.
10. Direk Rembrants van Nierop Nederduytsche Astronomia, t'Amsterdam, 1658.
11. Item, ****
12. Georgii Horstii de Natura Humana Libri duo, Francof. 1612
13. *******, Franckfurth, 1619.
14. Willem J. Blaeuws, Globen, t'Amasterdam. vid. in sequentibus, sub N.78. in Octavo.
15. Filip van Zesen Moralia Horatiana, Amsterdam, 1656.
16. Trois Traictez de la Philosophie Naturelle, ou, le Secret Livre du Tresancien Philosophe Artephius Latin-Francois, à Paris, anno 1612.
17. Jan Huygens van Linschoten Histoire Naturael en Moral van de Westersche Indien, t'Amsterdam, 1624. plura in praecedentibus, sub.N.29.
18. Alert Jansz, *** *** Wisse tijding van de Nabyheydt des jongsten dages, t'Amsterdam, anno 1665.
19. Ein geschreiben Buch von etlichen Particular-Stickten und Procesten.
20. Wolfgangi Hildebrands Magia Naturalia, Erfurth, anno 1650.
21. Johan van Twist Generale beschrijvinge van Indeian, t'Amsterdam, anno 1648.
22. Item, Jan Somers, Hendrick Browwers, Wilhem Bontekoes van Hoorns, en verschenden andere Voyagien.
23. M. Joh. Schreiters Decimae Metallicae, Leipzih, anno 1615.
24. Item, Ejusd. Ander, Dritter und Vierdter Theil, ibid. 1616.
25. Item, Encoenia Metallica Ejusdem, Leipzig, 1616.
26. Jan Verqualiae, Uytvindingh der langhte van Oost en West, t'Amsterd. 1661.
27. Ein geschreiben Buch von allerhande Edes Gesteine Collaren und Perlen zu machen.
28. M. Joh. Mathesii Sarepta, Leipzig, 1619.
29. Herberts, Zee- en Landtreyse naar Asia en Africa, tot Dordrecht, anno 1658.
30. Schoberi Barnabas segregetus, hoc est Revocations Predigt, Wittenb. anno 1652.
31. Joh. J. Eregringii Tractatus de sex Dierum operibus, 1650.
32. Glasii Revocationes-Predigt, Roppenhagen, 1657.
33. M. Zachriae Theobaldi, Casparus Brunschius Redivivus, Wittenberg, anno 1612.
34. D. Joh. Michael Wackers Disputatio Medica Inauguralis de Pleuritide. Argentorati, 1650.
35. Franc. de le Boë Sylvii Oratio Inauguralis de hominis cognitione, habita Lugduni Batavorum, anno 1658.
36. Willem Cornelis Schouten van Hoorn Journael der Reyse t'Amaterd. 1643.
37. Die vier und zwantzigste Schiffahrt, darin Bontekuhes anderer Reysen nach Oost-Indien , Franchfurth, anno 1648.
38. Icones Biblicae, praecipuas Sacrae Scripturae Historias eleganter & graphice, durch Matthaum Merian, Strassburg.
In Octavo [62 Books]
1. Dictionarium Tetraglotton Latino-Gallico-Graeco-Belgicum, Amsterdami, anno 1645.
2. Samuelis Fabricii Cosmo-Theorica Sacra, Franckfurth, 1625.
3. Kilianus Auctus, seu Dictionarium Teutonico-Latino-Gallicum, Amstelod, anno 1642.
4. Theatri Chymici Volumen Primum, Urselis, anno 1602
5. Ejusdem Volumen Secundum, ibid.
6. Ejusdem Volumen Tertium, ibid.
7. Ejusdem Volumen Quartum, Argentorati, 1613.
8. Ejusdem Volumen Quintum, ibid. 1622 .
9. Philippi Morgensterus Turba Philosophicum, Basel, 1613.
10. Guiliemi Blauw Institutio Astronomica, Amsterdami, 1640. vide sub N.48. in Quatro, in praecedentibus.
11. Johan Henrici Alstedii Thesaurus Chronologiae, Herbonae Nassoviorum, 1637.
12. Manuale Hermeticum, sive Introitus Quadrisoris in Menstrui Universalis, sive Liquoris Alkahest scrutinum, Wolferbytii, 1655.
13. Gluaber la Descrption des Nouveaux Fourneauz Philosophiques tradnit, parle Sieur du Teil, à Paris, 1659.
14. Comenii Vestibulum Rerum & Linguarum, Amsterdami, 1658.
15. Item, In Seqq. Sub N.105.
16. Nathanis Albinei Bibliotheca Chemica, Genevae, anno 1653.
17. Item, Novum Lumen Chimicum, ibid.
18. Item, Enchiridion Physicae Restitutae, & Arcanum opus Hermeticae Philosophiae, ibid.
20. Gerogii Agricolae de ortu et & causis Subterraneorum Libri V. Wittenbergae, 1612.
21. Ejusdem de Animantibus Subterraneis Liber, edente Joh. Sigfrido, ibid. anno 1614.
22. Joh. Baptistae Portae Magiae Naturalis, Libri XX. Hanoviae, 1619.
35. Uffenbachii de Sale, Libri IV. Ursellis, 1605.
36. Praxis Barbettiana, Amsterdami, 1665.
37. Joh. Frid. Heloetii AMphitheatrum Physiognomiae Medicum, Heyselberg, 1660.
38. Ejusdem Xistus Herbarum, ibid. 1661.
39. Virgilii Maronis Opera, Amsterdami, 1619.
40. Theodori Hoens Naturlÿche Astrology, tot Leeuwardenm, 1659.
41. Herrn Henrici Cunrads Tractatus de igne Magorum Philosophorumque secreto externo & visibili, Strasburg, 1608.
42. Johan Poppenns Chymische Medicin, Franckfurth, 1617.
50. Joh. Ludobici à Frundek Tractatus de Elixire Arboris vitae Hagae Comitis, 1660.
52. C.C.L. Medulla Destillatoria & Medica, Leipzig, anno 1594.
55. Joh. Issaci Hollandi, opus Vegetabile, von falschen Sohne Sendivogii genandt J. F. H. S. herausgegeben, Amsterdam, 1659.
In Duodecimo. [25 Books]
1. Simon Oomii Schriftuerlijcke Prognosticatie, t'Amsterdam, anno 1666.
2. Van Santens, Spiegel der Gedenckweerdighste Geschiedenissen onses tijds in Europa voor-gevallen, t'Amsterd. 1661.
3. Shristian Hohenburgs Deutsch Evangelisches Judenthumb, 1644.
4. Zeilleri Fidus Achates, 1651.
5. Harmonia Sapientiae, Amsterdami, 1649.
6. Eckhardi Leichneri de Philosophica Scholarum emendatione Isagogicon, Erfurti, 1652.
7. Prae-Adamiten, 1661.
8. Joh. Frid. Helvetii Mors Morborum, ’s Graven-Hage, 1655.
9. Pauli Felgenhawers Harmonia Fidei & Religionis, Amsterdami, 1654.
10. J.A. Comenii Janua Latinitaris & Vestibulum in Illustri Guttulana, 1657.
11. Staricii New Reformirter Heldenschas, Franckfurth, 1614.
12. Regreri de Graef Disputatio Medica de Succo Pancreatico, & c. Lugd. Batavorum, 1664.
13. Amadei von Friedleben Fürstliche Erinne, rung an die Priesterschaffte, anno 1646
14. Fr. de le Boë Sylvii Disputationum Medicarum, Pars Prima Amsterdami, 1663.
15. Les Adventures du Pholosophe inconnu, de la Pierre Philosophale, à Paris, 1646.
16. Erasimi Colloquia, Amsterdami, 1635.
17. Thomas à Kempis de Imitatione Christi, Coloniae, 1616.
18. Pharmacopoeia Amstelredamensis, Amsterdami, 1639.
19. Solini Saltszthaltz Regiomontani, de Lapide Philosophorum.
20. Hermetis Trismegisti Phoenicum Aegyptiorum, per Krigsmannum.
21. Der falscher Filius Sendivogii, J.F.H.S.
22. Lettre Philosophique, per Antonie du val.
23. Eccardi Leichneri Isagogicon de Philosophica Scholarum ementdatione.
24. Mars vom Alkahest.
25. Joannis Issaci Hollandi Opus Vegetabile.
この蔵書リストはかなり興味深い。チェシの鉱物論は、UCMにあったのですが、今はサイトをしばらく閉じている(更新作業中でしょうか?)ようです。残念。
ヨハネス・シュライテル(シュライター)の著作は、稀書です。ソーンダイクの索引にもファーガソンにも copac にもありません。ハブは所蔵しています。それによれば、
Johann Schreiter, 1578-1638
Decimae Metallicae, Oder Zehen Bergpredigten, vom Geistlichen und Leiblichen Bergwergk, in zwene Theil unterschieden
Leipzig: Jacob Apel, 1615-16
Theil 5 には、別のタイトルが付けられています。
Encaenia metallica, Das ist eine christiliche Bergk- und Einweihungspredigt der Bergkkirchen aoff S. Annabergk..., 15. October 1614
Leipzig: Jacob Apel, 1616マテジウスの『鉱山説教』については、平井さんとの共同研究で言及しました。シュライターは、ドイツの有名な鉱山地帯の鉱山都市アンナベルクの人です。現在は、アンナベルク-ブーフホルツと呼ばれます。エルツ山地博物館があるということです。
たぶん、ほとんど未開拓の著者・著作です。(ステンド・グラスの作品がとても有名なようです。)鉱山説教の系譜を含め、誰かきちんと研究してみる価値があると思われます。アルビネウスの『ビブリオテーカ・キミカ』も知識にありません。調べてみました。これは、ファーガソンが載せています。
Albineus, Nathan. (Aubigné Nathan d', 1600 or 1601-1669.)
Bibliotheca chemica contracta ex delectu & emendatione Nathanis Albinei
Genevセ : sumpt. I. A. & S. de Tournes, 1653.
錬金術の論考集成です。1.ヘルメスのエメラルド板。2.と3.Espagnet のEnchiridion physicae restitutae, Arcanum hermeticae philosophiae opus。4.と5.センディヴォギウスの『新化学光』と『イオウ考』。6.アウグレルスのChrysopoeia et Vellus Aureum。そして、最後がアルビネウスの『カルメン・アウレウム』です。
グラウバーは、個別の論考の著者名ではなく、編者名を拾っています。ウッフェンバッハの『塩論』も知識にありません。調べてみました。
Gómez Miedes, Bernardino bp. of Albaracin.
Alographia siue diascepseon de sale libri quatuor, revisi per P. Uffenbachium
Ursellis, 1605.
グラウバーは、最初の著者ではなく、注釈者の名前を拾っています。C.C.L. の『蒸留術心髄』ですが、これも知識にありません。調べてみました。
KHUNRATH, Conrad. (C[onrad] C[unrath] L[ipsiensem])
Medulla destillatoria et medica. Das ist, Wahrhafftiger ... Bericht, ...
Leipzig, 1594.
出版地は、Schleszwigの方が多いようです。ファーガソンは、第3版において大幅に増補され、第6版はハンブルクで1638年に出版されたと記します。人気があったようです。「コンラート・クーンラートは、おそらくハインリッヒ・クーンラートの兄弟であり、ライプチッヒの医師兼化学者である。デンマークに一時住んでいた。シュレースビッヒに住んでいた1594年に『蒸留術心髄』を出版した。・・・この本は成功を収め、数多くの版が出版されたが、出版年が記載されていないものが多く、版を枚挙するのは困難である。ハンブルクで第6版81638)、1680年、1703年にはライプチッヒの版がある。」ヨハン・イサーク・ホランドゥスもなかなか難しい。ファーガソンは、イサークが父で、ヨハン・イサークが子とするものが多いが、反対とするものもある。また生存していた時期に関しても、まちまちの説が共存している。15世紀から17世紀初頭まで。グラウバーが挙げる本は次です。
Hollandus, Johan Isaac
...Johannis Isaci Hollandi Opus Vegetabile : Worin er den treuhertzigen Filiis doctrinae,...hergegeben vom Sohn Sendivogii genannt J. F. H. S.
Amsterdam, 1659
最後に名前が出ているのは、お騒がせ者ヨハン・ハープレヒト(Harprecht, Johann, b. 1610?)です。
英訳があります。
An exact collection of the choicest and more rare experiments and secrets in physick and chyrurgery (both cymick and Galenick) : viz. of Leonard Phioravant, Knight and doctour in physick and chyrurgery, his Rational secrets and chyrurgery &c. : whereunto is annexed Paracelsus's One hundred and fourteen experiments : with certain excellent works of G.B. `a ortu Aquitano ; also Isaac Holandus, his secrets concerning his vegetal and animal work : with Quercetanus his Spagyrick antidotary for gun-shot : also certain collections out of some manuscripts of Dr. Edwards and other physitians of note ...
London, 1659同じく、次の論文がヒットしました。
Abbri, Fernidando,
"Alchemy and Chemistry: Chemical Discourses in the Senventeeth Century,"
ESM, 5(2000): 214-226
ウェブで入手できるので、ダウンロードして読んでみました。歴史記述の問題を扱っています。私には納得できる議論でした。
サマリーを訳しておきましょう。「17世紀の化学のランドスケープは複雑である。化学と錬金術の間にクリアカットな区別をつけることは不可能であるし、化学と錬金術に関してシンプルな同一性定義をなすこともできない。17世紀の文化的コンテキストは、特定の実験の記述から、化学そのものの有効性を正当化する議論まで、また非常に古い起源を有するという観点からの新規性を訴えるものまで、豊かで多様な化学的言説を含む。O.ボルク、J.J.グラウバー、J.J.ベッヒャーの著作の分析に基づき、この論文は、化学の歴史的再構成はこうした化学の言説の多様なレベルを考慮しなければならないことを立証しようとする。そうしてはじめて、近代化学を建設するのに果たしたG.E.シュタールの大きな役目を正しく理解することができる。この論文は、17世紀化学の歴史研究のコンテキスト化を支持するものである。」
この論文のメリットのひとつは、Ole Borch (Olaus Borrichius)の著作を分析していることでしょう。ボルク(ボリキウス)は、デンマークの医師で、バルトリンやステノの友人です。『化学の起源と進展』De ortu et progressu chemiae dissertatio(Haffniae, 1668) はかなり有名です。 ボルク(ボリキウス)によれば、化学は、トバルカインのおかげで、大洪水以前に、冶金術的クラフトとして誕生しています。
(Hermetis, Aegyptiorum et Chemicorum sapientia ab Hermanni Conringii animadversionibus vindicata, Copenhage, 1674.)
死後出版されたパンフレット Conspectus Scriptorum Chemicorum Cerebriorum (Copenhagen, 1697) は、化学史の文献的エッセイを含むが、化学の種は、アダム自身がヘルメス・トリスメギストスのエジプトに蒔いたというアイディアを示している。
(ボルクは、英国を訪問したとき、ボイルとあって、実験について議論している。)
ベッヒャーの化学の分類も面白い。(Johann Joachim Becher, Oedipus Chimicus, 1664). 化学の理論的部分は、3つに分けられる。スパギリックス、化学、錬金術。スパギリックス(分析術)は、物体を分離し分析する技術を教え、化学と錬金術に仕える。化学は、抽出物と液汁(ジュース)を得る仕方を教え、そのフィールドは植物界と動物界である。錬金術は、金属の変成に関わり、エリクシルを得る方法を教える。
このベッヒャーの分類が一般化していたとは思えませんが、興味深い分類であることは確かです。
J. Bohn, Dissertationes chymico-physicae(Leipzig, 1676) の分類も面白い。4つに分類しています。哲学、薬局方/薬、メカニカ/操作、錬金術。
ひとりで6時15分。幼稚園児は、睡眠の前後で咳をします。喉風邪が長引いています。
雨戸を閉めていてもわかる快晴です。すごくよい天気ですが、幼稚園児もちいさいちびも外出したくないと言います。妻とおおきいちびがふたりで吉祥寺に買い物に出かけました。主目的は、ポポのビタミンE ですが、いろいろ買って帰ってきました。
ちいさいちびは、裏技サイトにでている生チョコを作りたいということで、妻が買ってきたチョコレートが使って、早速生チョコ作り。といって、チョコとアイスクリームを混ぜ合わせ、冷蔵庫で固めて、ココアパウダーをふりかけるだけなので、非常に簡単な手間ですみます。[グラウバー Glauber, Johann Rudolf(1604-1670)]
さて、グラウバーとは、誰か?
日本語で読める最良のグラウバーは、ディーバスの『近代錬金術の歴史』第6章(邦訳でpp.391-407)です。短い記述は、ファーガソンに(vol.1, p.329)にあります。それによると、1603年または1604年にドイツのカールシュタットで生まれた。大学教育を受けたことはなく、また薬剤師としての修行も受けていない。つまり、職業としては、医師でも薬剤師でもない、ということです。
化学は、独学し、それまで以上の高温を到達できる炉を開発した。そして、1648年アムステルダムで、独自の化学実験室を建造し、運営した。
職業としては、独立自営の企業家と言えるでしょう。初期の化学工業家と呼べるかもしれません。(この辺りは、もうすこしきちんと考えてみないといけません。ディーバスは、J.W. van Spronson, "Glauber Grondlegger van Chemische Industrie," Overdruk uit Nederlandse Chemische Industrie (Mar.3, 1970), pp.3-11 を挙げています。うーん、オランダ語。)
(ダンネマンは、「化学の工業に与えた影響」でグラウバーを記述しています。歴史記述としてはあまりにも古びていますが、位置付けはいいあたりをついています。)グラウバーの化学の起源・典拠ですが、ディーバスは、バシリウス・ヴァレンティヌス、エルカー、アグリコラ、そして誰よりもパラケルススであると記述しています。
グラウバーの主たる関心は、「個人にとっても国家にとっても実践的意義を有している地中現象ならびに金属、塩、化学合成物にあった」(p.394)。
ふと思い立って、ウェブキャットで検索してみました。おお、日本国内にはグラウバーの書物を所蔵している図書館がありません。え? です。
(→早稲田では、マイクロフィルムとそれに付随するpdf として、15点を見ることができます。)さらに、サイニーでも検索をかけてみました。0ヒットです。サイニーが捉えている範囲には、グラウバーについての研究はないということになります。
アマゾンで調べる限り、リプリントは2009年に入ってから2点がリプリントされています。
De Auri Tinctura, Sive Auro Potabili Vero: Quid Sit Et Quommodo Differat Ab Auro Potabili Falso Et Sophistico (1651)
(Hardcover & Paperback)
La Description Des Nouveaux Fournaux Philosophiques: Ou Art Distillatoire (1674)予想できたことですが、HABが充実したグラウバー・ライブラリーを持っています。(デジタル・ライブラリーだけで21点。総数で116点。)ここに出した表題だけではわからないのですが、多くはドイツ語の著作です。『新哲学的炉』(1661)もドイツ語版です。
Glauber, Johann Rudolf
Operis Mineralis Theil 1
Amsterdam, 1651Glauber, Johann Rudolf
Pharmacopoeae Spagyricae Theil 1-Theil 3
Amsterdam, 1654-57Glauber, Johann Rudolf
Tractatus De Signatura Salium, Metallorum, Et Planetarum
Amsterdam, 1659Glauber, Johann Rudolf
Continuatio Operum Chymicorum, Theil 1 und Theil 2
Franckfurt am Main, 1658-59Glauber, Johann Rudolf
Furni Novi Philosophici, Theil 1 -Theil 5
Amsterdam, 1661Glauber, Johann Rudolf
Glauberus Refutatus Sev Glauberianarum Sophisticationum Centuria Prima, Eiusdem inutilium Processuum Centuriae Primae Opposita
Amsterdam, 1661Glauber, Johann Rudolf
Glauberus Concentratus Oder Laboratorium Glauberianum
Amsterdam, 1668
and others.サットンさんのサイトでは、17点のグラウバーを掲載しています。ネオラテンのサイトなので、ラテン語のもののみです。そのうち11点は、Biblioteca Universidad Complutense のものです。コップ『化学史』(横田徳郎訳、2008)によれば、グラウバーの著作は、40点を超えるとあります。ウェブでかなりの割合を入手できることになります。
ひとりで5時45分。鳥たちがにぎやかに鳴いています。おお、また、3連休です。親の立場からすれば、子どもたちは、変な休みが入らず、ほんとうに規則正しく、学校に通ってもらった方がありがたいのですが、こればかりは致し方なし。まだ十分に風邪の直っていない幼稚園児には、ちょうどよい休みかもしれません。ちいさいちびがまた世界堂に行きたいというので、昼食後、(風邪の幼稚園児に気付かれないように)ちびどもと私の3人で、出かけました。
ちいさいちびは、電車のなかに上着を置き忘れたようです。世界堂につく直前に気付きました。
買い物は、お友達へのプレゼントです。ちいさいちびが1人分、おおきいちびが2人分買いました。ちいさいちびが欲しかったのは、最初に来たときに見つけたものです。ステンドグラス状の工作を、固まる透明ボンドで行うと説明すればよいでしょうか。約束は千円まで。しかし、セットは1260円します。
まあ、仕方がないか、と思ったら、世界堂は、カードで24%引きになります。千円でお釣りがきました。妻がダウン中なので、駅前の総菜屋で、夕食のおかずを買って帰りました。コロッケ、春巻き、大学芋、イカ、春雨サラダ。
前はあまり芋を食べなかったちいさいちびですが、夕食時、おおきいちびと競いあって、すぐに完食してしまいました。妻の表現では、ふたりとも(好きなものでは)おばあちゃんに似てきた。
[グラウバー Glauber, Johann Rudolf(1604-1670)]
グーグルでは、次の9点がダウンロードできます。(すでにガリカ等から13点をダウンロードしてストックしています。)Glauber, Johann Rudolf
Operis mineralis pars prima [-tertia]
Amsterdam, 1651Glauber, Johann Rudolf
Apologia contra mendaces Christophori Farnneri Calumnias
Amsterdam, 1655Glauber, Johann Rudolf
Prosperitatis Germaniae pars prima [-sexta]
1656Glauber, Johann Rudolf
De auri tinetura sive aure petabili vero
Amsterdam, 1658Glauber, Johann Rudolf
Furni novi philosophici, sive descriptio artis distillatoriae novae
Amsterdam, 1658Glauber, Johann Rudolf
Miraculi mundi pars altera
Amsterdam, 1660Glauber, Johann Rudolf
Novum lumen chymicum
Amsterdam, 1664Glauber, Johann Rudolf
La description des nouveaux fournaux philosophiques ou art distillatoire
Paris, 1674Glauber, Johann Rudolf
Glauberus concentratus: oder, Kern der. Glauberischen Schrifften
Leipzig and Breslau, 1715今回私がきちんと調べようと思ったのは、影響力の大きさ故に主著と呼べる『新哲学的炉』です。ラテン語版は、1651年に初版が出版されています。今回、グーグル・ブックでやっと1658年版が見つかったわけです。
ダウンロードしたpdfで版の状態を確認しました。6部からなります。各部は、独立のタイトルページと独立のノンブルを持ちます。ただし、タイトルページは、第5部のみ1651年の出版年。この時代の書物に、各部を独立した書物として扱う(そういう体裁の扉とノンブルをつける)ことは珍しくありませんが、6部のうち1部だけ違う出版年というのは、異例です。
こういうときは、基本に返ります。ファーガソンの『ビブリオテーカ・キミカ』を見てみました。1651年の版でも、各部を独立したものをして扱うのは同じです。そして、次の記述。
Pars prima, pp. 67, Index[3], [2 blank]; Folding leaf of appatatus. Pars Altera, pp. 148, Index[4]. Pars Tertia, pp. 55 [1 blank]. Pars Quarta, has lost its title, pp.3-83 (wants pp.71-74), Index[2] [3 blank]. Pars Quita, pp.54 [2 blank]. 7 woodcuts in the text. Annotationes in Apendicem Quintae Partis, pp.72.copac での標準的な、physical description では次のようになります。
67, [5]; 148, [4]; 55, [1]; 83, [5]; 54, [2]; 72; 75, [5] p., [3] folded leaves of plates : ill. (woodcuts)1658年の版のphysical descriptionは次の通りです。(わずかに表記法が違いますが、違いはより丁寧に表記しているというだけです。)
Pt. 1: 67, [5] p., [1] folded leaf of plates ; pt. 2: 148, [4] p., [1] folded leaf of plates ; pt. 3: 55, [1] p., [1] folded leaf of plates ; pt. 4: 83, [5] p. ; pt. 5: 54, [2] p. ; pt. [6]: 72 p.つまり、1651版と1658版は、基本的に同一だとみてよいことになります。ただし、グーグルの方は、第7部として、De auri tinctura, Sive Auro Potabili vero , Amsterdam, 1658, pp.22 がさらに加えられています。
1661版もあります。physical descriptionは次。
Pt. 1: 67, [5] p., [1] folded leaf of plates ; pt. 2: 148, [4] p., [1] folded leaf of plates ; pt. 3: 55, [1] p., [1] folded leaf of plates ; pt. 4: 83, [5] p. ; pt. 5: 54, [2] p. ; pt. [6]: 72 p.
やはり、1651版、1658版と同じと見てよいことになります。
(他の版もありますが、基本は、この3つでしょう。)ドイツ語版は、1652年の日付を持ちます。英訳は、ラテン語版と同じ1651年、仏訳は、1659年。
英訳の速さが目立ちます。ラテン語版と同じ年、ドイツ語版より先に出版されています。重要性が認識されていたしるしだと言えるでしょう。→これでは、ドイツ語版が謎です。ダンネマンを見てみました。(第4巻、pp.450-1)。「1648年に『蒸留術の記述』というドイツ語の題をつけて刊行された。」とあります。それであれば、理解できますが、版はもうすこし調べてみる必要があります。『科学史技術史事典』(弘文堂)(p.293)における島尾永康氏の記述では、「主著『新蒸留技術』Beschreibung einer Neuerfundener Destillerkunst, 1646-49」とあります。そして、「アグリコラ、ビリングッチョなどの冶金学的伝統と、パラケルスス、ファン・ヘルモントなどの錬金術、医化学的伝統の両方の影響を受けている。・・・ボイル、ルフェブル、クンケルらに影響した。」
→ウェブで調べてみました。openlibrary.org は、次の記述。
Furni novi philosophici, oder, Beschreibung einer new-erfundenen Distillir-Kunst
1646, Gedruckt bey Johann Fabeln (Amsterdam)これは、Landmarks of science IIでマイクロ化されています。実物を見ているわけです。これはこれで間違いないでしょう。ただし、他のサイトも見ていくと、出版年の記述には混乱があります。digital.slub-dresden.de のオリジナルの記述では、出版年が16XXとあります。
Newton Project のサイトがヤングの本の文献表を載せています。それによれば、
Furni novi philosophici Oder Beschreibung einer New-erfundenen Distillir-Kunst (Amsterdam, 1646-9)
ヤングはこのあたりの専門家なので、最終的には、これでよいでしょう。
(John F. Young, Faith, Medical Alchemy and Natural Philosophy: Johann Moriaen, Reformded Intelligencer, and the Harlib CircleAldershot, 1988)copac では、この1646-49版の所蔵は、British Library 1館のみです。書誌に混乱があるのは、このドイツ語初版が相当の稀書であるせいかもしれません。
ボレルの『ビブリオテーカ・キミカ』には、1651年の版だけが記載されています。
ドイツ語の『錬金術辞書』では、ミューラー・ヤーンケが記事を書いていますが、1652 und später と記しています。文献はしっかりフォローしています。→検索中に次の論文に出会いました。
Bruce D. White and Walter W. Woodward, ""A Most Exquisite Fellow" -- William White and an Atlantic World Perspective on the Seventeeth-Century Chymical Furnace," AMBIX, 54(2007): 285-298
必要な情報があるかと思い、プリントアウトして、さっと読みました。私の今の関心にとって、有効な情報がありました。ウィリアム・ホワイトという人物は、スターキーの師です。従って、化学の技術とくに炉の技術に関しては、ホワイト→スターキー→ボイルという系譜が描けます。
グラウバーの炉の革新点もよくわかりました。第4部にそのポイントが記述されています。煙突と空気(吸気-排気)のコントロールがポイントということです。
「炎と煙用に、炉のなかに、炉の内径の3分の1の大きさの丸い穴を作れ。そして、もし強烈な火を使うのであれば、その5,6,8,12フィートの高さの強靱な鉄のパイプを入れよ。パイプの高さを高くすればするほど、強い火をおこすことができよう。」(英訳、p.234)
この技術をホワイトは、1646年以前に知っていたようです。2人の著者は、その原因を共通のソースに求めています。それが、ドレベルです。新しい炉の技術を出版物において(自分の発明として)吹聴したのはグラウバーですが、実質的にはドレベルが技術革新を行っていたという主張です。この時代だとまったくありえることです。
[幼稚園の運動会]
7時前。妻とちびどもは起きていました。今日は、幼稚園の運動会。幼稚園児が時間に起きてくれるか心配だったのですが、7時15分には起きてくれました。上出来です。
幼稚園の園庭が狭いので、吉祥寺のスポーツクラブの場所を借ります。どうやって行くか、妻は悩んでいましたが、昨夜、車に同乗しませんかという誘いがあり、乗せていってもらうこととなりました。その方が安心です。私はちびどもを送り出してから、出かけます。ちびどもがでかけてから、自転車で、春光スポーツクラブまで行きました。ルートはいろいろあるのですが、今日は、まずは南下して、井の頭通りに出ることとしました。井の頭通りから吉祥寺通りに入り、ジブリ美術館の先が、運動会の開かれる会場です。
自転車だとわが家から、20分から25分といったところでしょうか。運動場に着くと、幼稚園児は、お友達と走り回っていました。汗もかいています。途中でばてなければよいのですが。
妻によれば、トイレですこしミルクを戻したそうです。咳き込んだということです。年中さんが4人休んだということですが、運動会そのものは順調に進みました。風が残っていましたが、天候は絶好です。
妻が「母の会」で仕事をしているので、私がカメラ係です。今度のカメラは望遠があるので、少々遠くからでも割としっかりと撮ることができます。ただし、ファインダーがなくなっているので、遠くのものは、枠内にきちんといれるのがすこしやっかいです。(常に液晶画面を見ていないといけないのは、不自由に感じます。)
妻は、最後まで持つかどうか心配していましたが、なんとかもちました。かけっこは、のんびり走って、4位。つまり、最後でした。
予定通り、11児45分頃に終了。さて、帰りはどうするか? 幼稚園児がママといっしょがいい、というので、今度はママが自転車の後ろに乗せて帰ることとなりました。私は、吉祥寺駅まで歩き、電車で帰宅することとしました。
もとの99ショップ(今はローソン100)でお昼の材料を買って帰っていると、後ろから妻と幼稚園児の声。パパより先に帰らないといけないといって、追い抜いていきました。
親は疲れましたが、幼稚園児の体調のことを考えると、まずまずでしょう。
カメラですが、ちびどもの運動会のときからそのままです。たぶんそうなるのでしょう、最後は電池切れになりました。(SDカードの容量は、まだ余裕があります。)
そうこうするうちに、ちいさいちびが帰ってきました。なんと、5年生は23名が欠席し、そのうち22名はインフルエンザということです。一気に感染が広まったようです。連絡がついた家庭の子どもは早退させ、火曜日まで学年閉鎖とする、という報せが入っていました。今回のインフルエンザの感染は、こういうふうに、来るときは一気に来るようです。わが家の子どもたちは、今のところ、インフルエンザの徴候はありませんが、この先はどうなることか予想がつきません。
帰宅すると、別のゲラが届いていました。こちらは、2日以内に返送せよの指示があります。幼稚園児がママを追いかけて2階に行っている間に、集中して、校正をすませました。(原稿の種類もあるのですが、こちらの原稿に赤字を入れる箇所はありませんでした。)
([ヘッドライン]「錬金術から化学へ:器具と実験室の図像表示」
『化学と教育』forthcoming in November, 2009)
この原稿は、最初からフォーマットが完全に決まっていて、定型句のような論考となります。文献もできるだけ邦語の総説的なものに限定するように指示があります。こちらが常識だと思っていても、向こうの編集委員会では常識が違うことがあったりで、最近よく使われる表現を用いれば、アウェイの仕事でした。作業の途中、本文に現わすことができなかったことで、私自身にはとても役だったことがあります。それは、平井浩さんが『アロマピア』53号(2002)に発表された「蒸留術とルネサンスの錬金術」で的確に記述された蒸留の書の系譜をボイルがほとんど使っていない事実が判明したことです。
ルペシッサ『クィンタ・エッセンティアについて』14世紀
偽ラモン・ルル(ルルス)『自然の秘密について』
ブルンシュビック『蒸留術の書』(もとドイツ語、Liber de arte distilandi, 1500)
ウルスタット『賢者の天空』(Coelum philosophorum, 1525)
リュフ『新大蒸留書』(ドイツ語、1545)
ゲスネル(エヴォニムス・フィリアテールの変名のもと)『秘密の療法について』(1552-59)
デッラ・ポルタ『蒸留について9書』(1608)
リバヴィウスも入手していたかもしれませんが、ほとんど使っていません。蒸留派(あるいは、エリクシル-エッセンシャルオイル派)には、強い関心はなかったと言ってよいでしょう。
その代わりにと言ってよいのかどうかわかりませんが、ボイルが化学者としてのキャリアの出発点から非常に気にしているのが、グラウバーです。17世紀後半に、ファン・ヘルモントと並び、よく読まれたグラウバーです。とくに、『新哲学的炉、または新しい蒸留の書』(ラテン語訳は、Furni novi philosophici, 1651)のことを気にかけています。一種の先取権論争の文脈において、気にしています。
[風台風]
ひとりで7時10分。子どもたちはよく寝ています。ちいさいちびは、昨夜、怖くて眠れないといって布団をもって、こちらの寝室に来ました。子どもたちにとっては、はじめての本格的な台風体験です。風と雨の力に、怖さを感じるときがあるのでしょう。
私は、夜、2回、倒れた自転車を戻しました。日が暮れる前に、自転車は倒れないようになおしたつもりでしたが、あまりうまいやり方ではなかったようです。親亀がこけると子亀がこけるように、2回、3台がいっしょに大きな音をたてて倒れました。さすがに、2回目に並べ方を変え、3台同時に倒れることだけはないように配置換えをしました。おおきいちびがやっと7時半に下に降りてきました。天気番組を見る限り、風のもっとも強まるのは、これからです。
雨は、もうほとんど降っていません。空が晴れてきました。台風が通過したと勘違いして、トラブルにあう人がでてきそうな状況です。風はこれからです。(ただし、大丈夫な所は、大丈夫です。台風の特徴です。被害を受けるのは、一部で、残りのたいていのところは、大丈夫なまま、台風一過となります。)(上陸地は、実家のあたりではなく、愛知県の知多半島となったようです。)
昨日のゲラをもう一度見直しました。人名のスペルにいくらかミスが発見されました。私の打ち間違いです。(本日、2回目を通して、終了としました。)
[本日オープン]
台風接近中ではありますが、ずっと工事をしていたガード下の新しいお店の最後が今日オープンします。正式には、My ROADマイロード JR西荻窪高架下商店街 Daily Foods 食品館「九州屋」と「肉のジャンプ」です。本日8日午前10時オープンというチラシが入っていました。品揃えと値段に関しては、実際に足を運んでみないとわかりませんが、便利になることは間違いありません。
さて、これで、近所のスーパーの勢力図がいくらか変わってくるでしょう。他のスーパーに変化があるかも知れません。→夕食前に、幼稚園児を連れて、夕食の材料を買い出しに行きました。さすがに初日、混んでいます。思い切った特売もしているし、私のように様子を見に来る人も少なくないでしょう。幼稚園児を連れていったときにはゆっくり見る時間はありません。まるで台風のように、お肉屋とスーパーで買い物をすませて、帰ってきました。
ともあれ、わが家からは、場所が便利です。
ひとり遅れて7時半。雨。ただし、ちびどもがでかける瞬間は止んでいました。幼稚園児の喉の状態は、相変わらずです。目覚めたとき、隣にママがいなくても泣かなかったので、よくなっているとは言えるでしょう。午前中に、ゲラが届きました。12月に発行される論文です。他の作業中でしたが、一端中止して、校正に集中しました。数カ所の赤ですみそうです。
([シリーズ:18世紀の化学の諸相]「18世紀ドイツの化学:歴史記述の問題」 『化学史研究』forthcoming in 第36巻(December, 2009), No4.
これは、広く科学史に関心を持つ人であれば、どういう専門の方でも読んでもらいたい種類の論考です。科学史の歴史記述の基本的問題を扱っています。)台風接近中。ちびどもは、1時15分から半の間に帰ってきました。明日は学校が台風のために休校になるという知らせを持ってきました。ちょうどよいでしょう。区立幼稚園も休みということです。
なお、台風は、実家(子どもたちのおじいちゃん・おばあちゃんの家)の辺りを直撃しそうなルートを進んでいます。天気予報では、明日のお昼にはほぼ雨が上がるようです。ということは、日が変わったあたりから、早朝にかけてもっとも激しく降るということになりそうです。
[ハンターによる新ボイル伝]
ちいさいちびが帰ってくるのとほぼ同時に次の本が届きました。Michael Hunter
Boyle: Between God and Science
New Haven: Yale University Press, 20099月11日に予約していたものが今届きました。タイトルからはわからないかもしれませんが、ハンターによるボイル伝です。今後ボイル伝の基本となるでしょう。
目次は次の通りです。
序文
第1章 1627-1635 ボイルの誕生、背景、家族
第2章 1636-1639 イートン、ストールブリッジ、ボイルの家督
第3章 1639-1644 グランドツアー
第4章 1645-1649 モラリスト
第5章 1649-1652 転換点
第6章 1652-1658 アイルランドとオクスフォード
第7章 c.1655-1658 ボイルのプログラムの進展
第8章 1659-1663 公の舞台
第9章 1664-1668 王立協会
第10章 1668-1676 ‘ロンドン時代’初期
第11章 1676-c.1680 秘密と光
第12章 c.1680-1683 伝道活動、護教論、決疑論
第13章 1683-1687 医学と事業
第14章 1688-1691 死の準備
第15章 ボイルの遺産
書誌学的エッセイ
ボイルの所在年表ハンターの本の特徴は、「書誌学的エッセイ」にあります。研究史の整理をしてくれています。まずは、この部分をしっかり読みました。いつものことながら、とても勉強になります。
(アンスティの論文の次に、読書と文献の使用法については、平井さんとの共著論文を見よと取り上げてくれています。また、この時期におけるボイルの引用の習慣(citation practices)の変化については、私自身の論文を見よ、と書いてくれています。日本語の論文なので、申し訳ない気がしますが、リストの部分はそのまま利用できます。)序文は、次のように始められています。「科学者ロバート・ボイル(1627-91)についてのこの書がこの40年間においては最初の本格的な伝記であり、また、ボイルの死後3世紀にわたっては5番目のものに過ぎないというのは、驚くべきことかもしれない。」
その通りです。
1番目は、Thomas Birch, Life
2番目は、Flora Masson, Robert Boyle: A Biography, London, 1914
3番目は、Louis Trenchard More, The Life and Works of the Honourable Robert Boyle, New York, 1944
4番目は、R. E. W. Maddison, Life of the Hon. Robert Boyle, F.R.S., London, 1969
ハンターは、今回の書誌学的エッセイでは、研究に有用なサイトを数多く挙げています。次です。(過去の紹介したものもありますが、重複を恐れず、紹介しておきます。)
Workdiaries of Robert Boyle, Center for Editing Lives and Letters
National Library of Ireland, Collection List No. 129, Lismore Castle Papers
ひとりで5時半。雨。今週は秋雨が続きます。昨夜、幼稚園児が寝ている間に咳をして、一度目覚めました。喉がぜーぜーいっています。それほどひどい音ではありませんが、喉の風邪をひいたようです。熱はなし。ということで、今日は幼稚園を休ませました。
運動会の疲れで、妻は、ダウンしていましたが、喉の様子が心配なので、雨のなか妻がお昼前に近所の小児科医に連れていきました。(私は牛乳の買い出し係。)
喉が腫れているが、他は大丈夫という診断でした。たまに声がぜいぜいしますが、確かに元気です。明日も休ませて様子を見ます。
わが家の幼稚園児は、芸達者というのか役者というのか、病気といわれた途端、すっかり病人になっています。必要もないのに、咳をします。本人のなかでは、演じているというよりも、その気になっているようです。
夕刻、JCOMで放映していた「トミカ、ハイパーレスキュー」が気に入って、YouTubeで何度も見ていました。「シンケンジャー」が好きですが、でも、「シンケンジャー」でなければならないということはありません。その種のものが好きということです。
夜、新しい『科学史研究』第48巻(2009年秋)が届きました。隠岐さんの論文が掲載されていました。
隠岐さや香「18世紀における河川整備事業とパリ王立化学アカデミー」『科学史研究』第48巻第3号(2009年秋): 129-141
ちなみに、特別研修に伴う月曜日2限「(総合科目)科学技術と社会」の講義は、隠岐さんにやってもらっています。外語の学生諸君、私の話とはおおきく視点が違うところから講義してくれます。1学期取っていなかった学生も、是非、出席してみて下さい。
同時に『科学史通信』2009年 No.393 が届きました。新しい編集委員長が松原洋子さんになったことが告知されていました。(噂には聞いていましたが、文書で見るのはこれがはじめてです。)『科学史研究』には、革命とまではいいませんが、革新(Great Instauration)が必要です。新編集長に期待!
[250,000 アクセス]
夜の間に、250,000 アクセスを通過していました。
ひとり遅れて7時前。結局爆睡した幼稚園児は、たぶん5時台で起きた模様。ちびどもも6時半頃には起きたようです。[ちいさいちびの誕生日]
ちいさいちびの誕生日。ずっとディズニーランドに行く予定でしたが、第1に幼稚園児の総練習が午前中にあること、第2に午後雨が降ることを考えて、ディズニーは延期としました。代わりにDSのソフトを買ってやります。本人もそれで納得しました。運動会の振替休日です。ちびどもの学校と同じく、今日が振替休日の学校は少なくないと思われます。ディズニー雨天決行の家庭も少ないかも知れません。
幼稚園の総練習は、どうも予定通り決行のようです。いつもの時刻に、ママといっしょに出かけました。総練習は、ママも参加。
ちびどもの欲しいソフトは、「かわいい子猫 DS2」です。ネットで調べると、どこも在庫僅少です。まず、吉祥寺のヨドバシに出かけました。おおきいちびが1つだけ残っているのを見つけました。ただし、1つだけ。伊勢丹、東急、ユザワヤと回ってみましたが、店頭在庫なし。東急を出たところで、ちいさいちびが疲れた、うちに帰りたいと言います。ともあれ、先に帰宅することとしました。
駅のケーキ屋さんで、ちいさいちびの誕生日ケーキを買い、鳥屋さんで、昼食の鶏肉を買ってから、幼稚園の前を通りました。総練習は終わって、お祈りをしているところでした。ちびどもにママのところに行かせて、打ち合わせをさせました。
帰宅すると、二人でゲームにとびついています。
そうこうするうちに、妻が帰宅。お腹が空いていたので、ささっと昼食。自分のソフトがなかったおおきいちびは、新宿に行って買うといいます。仕方がないので、疲れ果てた妻を家に残し、おおきいちびといっしょに新宿までソフトを探しにでかけることとしました。西口のヨドバシ本店を目指しました。新宿のヨドバシはおおきく、まずは行き先を捜しました。ゲームソフト等の専門店があります。そこの2階に行って、おにいさんに尋ねるとしばらくして「かわいい子猫 DS2」を出してきてくれました。わたくしもおおきいちびも見つけることはできなかったので、最後の店頭在庫だったかもしれません。ああ、よかった。これ以上探し回るのは、さすがにきつい。
1時間20分程度で帰宅できました。
はじめてのお店で買ってきたチョコレートケーキですが、大人には甘過ぎますが、子どもたちはよろこんで食べていました。(日本のこの種のケーキのほぼ平均値かなという甘さです。)実は、おおきいちびは、自分の分+αを平らげます。ちいさいちびは、クリームが好きで、本体(スポンジ)の部分はいくらか残します。幼稚園児は、ローソク吹きとプレートが好きで、ケーキは1口2口なめる/食べる程度です。親からすればありがたいことに、幼稚園児はそれほど甘いもの好きではありません。
(子どもの虫歯は、なかなかにやっかいです。ならないにこしたことはありません。)
[運動会]
ひとりで5時45分。昨日とほぼ同じ。天候は、予報通りに、推移しています。今日の日曜日は、貴重な晴れ間があるようです。雨も降っていません。昨日は、小学校の屋上の旗を見に行きました。やる場合には、校旗と日章旗を掲げる、という仕方で通知するというやり方です。伝統のようです。でも、さすがに、今日からホームページで6時半に通知する、と文書に連絡がありました。
今日の場合には、迷う要因はないのですが、一応ホームページで開催を確認しました。妻が全員分のお弁当を作り、運動会です。子どもたちはいつも通りの時間に出かけていきました。予定では、8時50分開会式。幼稚園児と妻と私は、開会式の直前に校庭に到着しました。
わが家にとって、最初のイベントは、おおきいちびの75メートル走。3番目のプログラムです。おおきいちびは、リレーの選手にも選ばれています。もって帰った体力測定の数字を見る限り、学年ではトップクラスの成績です。平均よりすこしだけ速いという私の子供時代を考えるとちょっと意外ですが、妻の遺伝かもしれません。
男の子も混じった5人競争で、2メートルぐらいの差をつけて、1位。子どもがきちんと走る姿なんて、親はあまり見ることがありません。実際走る姿を見て、ああ、速いんだな、と納得しました。わが家の場合、親がどの程度子どもの競技を見られるかは、いちに幼稚園児にかかっています。長く見学できるはずもなく、途中から、他のお友達を見つけて、遊び始めました。幼稚園のクラスメートが5名来ていました。その5人で、校庭の隅っこをあっちにいって、こっちに走って、遊んでいました。すくなくとも2〜3名の親はそれを追いかけて、ぜいぜい。
途中から幼稚園児は、お友達の輪から離れ、池のまわりでアリを追いかけ始めました。大きなアリが10匹以上、コンクリートの上をうろうろしていました。
幼稚園児のアテンドは私がやったので、ちいさいちびの40メートル走は見ることができませんでした。ちいさいちびの場合、数字も何もないので、足が速いかどうかまだよくわかりません。妻によれば、男の子も混じって数人で走って一番だったということです。おねえちゃんも1年生のときは、リレー選手ではありません。ちいさいちびも、体が大きくなってきたら、おねえちゃんのように、足も速くなるのかもしれませんし、5段階評価でいえば、4程度の速さのままかもしれません。昼食は、子どもたちは教室で、お弁当を食べます。親は、昼食時体育館が開放されるのでそこで食べてもよいということでしたが、幼稚園児が帰るというので、家に帰りました。ちびどもと同じお弁当。
午後は、1つ目のプログラムの終了時に校庭に着きました。
朝の時点で、ずいぶん遊んでいたので、幼稚園児は疲れ気味です。PTAをやっている妻が係をしないといけない唯一の競技、学年対抗親の綱引きのときに、ママがいないと気付いて、泣き始めました。妻は、判定役で旗揚げをやっていました。(本人によれば、偽判定役だということです。別の方が判定し、私はただ旗を上げただけということです。)
たまった疲れのせいで、幼稚園児はよく泣きましたが、これだけは泣かれても仕方ない。競技が終わってから、係の人間のたまり場に連れていきました。抱っこしてもらい、やっと落ち着きました。紅白対抗です。去年は、ちびどもは二人とも赤で、ダブルスコアに近い惨敗でした。今年は二人とも白で、今年は白が勝てそうだという話でした。途中まで、シーソーゲームでした。
ゲームのピークはリレーです。低学年リレー(1年生から3年生までの混成チーム)と高学年リレー(4年生から6年生までの混成チーム)です。おおきいちびは、高学年リレーの最初に走ります。白2チーム、赤2チームの、計4チームで勝敗を競います。おおきいちびは、最後のコーナーまではトップで、最後のコーナーで、同じ白の男の子に並ばれましたが、ほぼ同着で2番目の子にバトンを渡しました。途中、おおきいちびのチームは順位を下げましたが、アンカーの男の子が速くて、首位を奪還しました。おおきいちびの話していた通りです。
1114点対1014点で白の勝ち。子どもたちはうれしかったようです。
PTA会長の話を聞いてから、帰途へ。幼稚園児は、限界に近づいています。
夕食前、妻が近所にお弁当を買いに出ました。私も疲れが出て、ソファーでうとうと。幼稚園児が寄りかかってきます。そうこうするうちに、私は寝入りました。気がつくと、幼稚園児が私の上で寝ています。同じ息で寝入ったようです。
これだけ動いたのは、久しぶりでしょう。3時間たった現在も、まだ寝続けています。場合によったら、このまま爆睡というパターンもありえます。
ひとりで5時50分。ちょうど鳥たちが鳴き始めました。ふと思いついた疑問ですが、どうして鳥たちは、目覚めたときに鳴くのでしょうか?予報に反して、快晴。晴れ渡っています。窓からまぶしい光が射し込みます。5時50分発表の天気予報では、まだ雨マークがついていますが、これだけ晴れていると、小学校の責任者は、実施すると判断するしかないと思います。(え、これでやらないのという声が押し寄せる。)しかし、気象庁の予報は、日本列島にかかる雨雲の様子・動きを見ているわけで、雨が降ってくる可能性はもちろん0ではないでしょう。でも、こういう場合、仕方ないかと思います。(降ったときは降ったときです。)
→グラウンドの整備のために、30分遅れてスタートというメールが来ました。そろそろ家をでようかと思っていた矢先、8時20分に雨が降り始めました。本格的には降らないかもしれませんが、もっともやっかいな天候となりました。小雨決行でスタートさせるしかないでしょう。子どもたちは、傘をさして、でかけました。雨は、20分ほどで弱くなりました。
→我々は、9時過ぎに小学校の校庭に到着。やはり微妙な状態です。開始の挨拶のための小学生たちが集合した時点で、雨足が強くなりました。ひまだったのでしょう、幼稚園児は、もう帰ると言います。仕方がないので、抱っこして帰りました。
雨足は、我々が帰宅したあとも弱まりません。これは無理だなと思っていたら、中止になったという知らせがあり、しばらくして妻が帰宅。子どもたちは10時45分に下校させるということです。11時ぐらいに帰ってきました。
そのまま、用意していたお弁当を食べて、今日は終わり。ありがちなことですが、中止を決めてから、雨が上がりました。その後は、一時空が明るくなりましたが、またどんよりした曇り空のまま推移しています。
天気予報によれば、明日は大丈夫なはずです。運動会は、たぶん、明日行われるでしょう。
ちびどもに続いて、6時40分。このぐらいがちょうどよいのですが、リズムが安定しません。
朝食を用意しているときに、強い雨。ややこしい天気になりました。幼稚園の運動会も小学校の運動会も微妙な状況になりました。当日の朝にならないと判断が付きません。当日に朝になってもただちには判断がつかないかもしれません。
→久しぶりに、家の中にいても、雨音がはっきりと聞こえる強い雨足の雨となりました。現時点での天気予報による限り、この先1週間で、雨が降らないのは、日曜日だけになりそうです。グランドの状態によりますが、小学校の運動会は、この日に開くことができそうです。(この日に開けないと、結局流れてしまう可能性もあります。噂では、流れた年があったそうです。)幼稚園の運動会は、しばらく総練習も難しい状況にあります。こちらも流れる可能性も考えておいた方がよいようです。
ひとりで7時20分。幼稚園児はよく寝ています。ちびどもは起きているようですが、下には降りてきません。どんよりとした曇り空。国慶節、すなわち、中華人民共和国の60回目の誕生日です。
同時に、都民の日。小学校も幼稚園も休みです。
(ということで、わが家は今日全員揃っています。)そして、私は51回目の誕生日です。体をきちんとするのが第1目標です。
(それに、特別研修の開始日)。[ベトナム料理と世界堂]
ということで、お昼前に新宿に出かけました。ルミネ1のベトナム料理店へ。ルミネ1のレストランは、割とよい感じです。タイ料理は、辛すぎてちびどもには無理だと考え、ベトナム料理の方を選びました。フォーと春巻き。ちゃんとした味です。妻が喜んでいました。日本の料理は、たとえば、中華料理といっても、中国の料理とかなりずれています。妻の舌には、おいしいと思えないものが多いということです。たとえば、ラーメン。来日した当初は、食べられなかった(いまは大丈夫です)と言います。鹹水を使った麺があわないようです。
私も変に工夫をこらして、基本からはずれた料理はあまり好きではありません。その私の舌にも、ちゃんとおいしい。
子どもたちも喜んで食べていましたが、なにぶん、量が大人の量。私以外は、完食はできませんでしたが、満足はしたようです。ちびどもは食後にタピオカ。
食後、世界堂へ。ちいさいちびには必要なノートがあります。妻は妹からの要望で、紙粘土と顔に描ける絵の具と言っていました。私は、最近大学生協からもユザワヤからも消えてしまった種類のPost-it と葉書ファイルを常々欲しいと思っていました。
すこしだけ距離はありますが、人通りのすくないまっすぐな道で移動できます。
普通でも定価の2割引です。(有効期限2年、会費500円の)カードを作れば、さらに5%割引です。これは、大きい。
しかも、とくにちいさいちびのほしがっていたものがやはりおいていました。そうしたものは、今度検討することにして、今回は必要なもの+α(たとえば、幼稚園児用の粘土)を購入しました。運動会の練習で疲れがたまっているようです。そのまま今度は東口の方から帰ってきました。
西荻駅前で、誕生日ケーキを買ってから帰宅。子どもたちはげんきんなものです。ケーキをもった途端に元気になりました。
これが、51回目の誕生日でした。
[特別研修 2009.10.1〜2010.3.31]
大学の特別研修制度(サバティカル・リーブ)により、2009年10月1日から2010年3月31日まで、教育タスクと学内業務が免除されます。その間、大学に一度も行かないとは決めていませんが、基本的には自宅または適当な場所で、研究に専念します。
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