ひとりで4時50分。雨。台風による雨が降っています。今日の夕刻関東を直撃するようです。昨夜、ちびどもは4チャンネルを見ていました。イモトの応援です。制限時間内にゴールするシーンを見たかったようですが、2キロ分間に合わず。さすがに選挙特番に切り替わったあとは、(すくなくとも30分間は)ゴールシーンを放映していませんでした。ちびどもはイモトのファンなので、ゴールシーンだけは見たかったようですが、30分で寝させました。
その後は、民主が300議席を確定するところまで、選挙特番を見ていました。やっと政権交代です。新人議員のなかには浮ついた言動をとる人も出てくるでしょうが、すくなくとも執行部は浮つくことなく、現実の課題を確実に処理していってもらいたいと思います。
まずは、新型インフルエンザ対策だと思います。
[医学史研究会 延期]
8月27日にお知らせした次の研究会ですが、主催者から延期の通知が来ました。ほぼ台風直撃の時間帯なので、当然の対応だと思います。日時: 8月31日(月) 17:00−
場所: 慶應三田キャンパス南館地下二階 2B25
報告者:坂本邦暢氏 (東京大学・科学史)
「初期近代の混合理論と原子論における運命のいたずら:スカリゲルの受容」台風が接近する中、午前中に次の本が届きました。
堀越 宏一
『ものと技術の弁証法 (ヨーロッパの中世 5)』
岩波書店、2009
岩波が出している「ヨーロッパの中世」のシリーズですが、全8巻のうち、これが最後から2つ目です。最後の大黒俊二氏の『声と文字』は次回配本とあります。
ひとりで6時20分。涼しい風が吹いています。最高気温は26度の予報。選挙の日です。
朝一番で投票してきたあと、テレビをつけると、「シンケンジャー」が出現しました。日曜日の7時半からテレビアサヒで放映していました。知りませんでした。幼稚園児は8時過ぎに起きてきたので、まだ知りません。しばらくは教えないでいようかと思います。
ちびどもは午前中にリハーサル。おおきいちびは前と同じく、お友達のお母さんが車でいっしょに送り迎えしてくれます。ちいさいちびは、妻が、幼稚園児といっしょに歩きで連れていきました。バスまたは電車ということです。
嵐というほどではありませんが、強い風が吹いています。台風のせいでしょうか。ちいさいちびが外出するときすこし雨がぱらつきました。午後のどこかで雨が降る空模様。
両方の組がともに12時過ぎに帰ってきました。幼稚園児は、駅で歩けないと言っているということで、自転車で迎えに行きました。前に幼稚園児、後ろにちいさいちびを乗せて帰ってきました。おおきいちびは友達と何やら相談。
幼稚園児がミルクといって目覚めて、4時20分。幼稚園児はもちろんミルクを飲んでまたすぐに寝ました。たしかに夏が帰ってきました。朝から30度を超えています。
ちびどもはピアノの練習です。水曜日にあったので、ちいさいちびは、え、きょうあるの?とびっくりしていました。ピアノの発表会が来週の日曜日。リハーサルからカウントすると5時間近くになります。妻がちょっと心配しています。
昼食後、ちびどもの発表会の服を買うために、妻が子どもたちを連れだしてくれました。その間にやっと机の上に散乱させていた編集委員会の資料(9月1日に使います)を整理することが出来ました。暑いときに何が辛いかといって、整理が辛い。涼しいときの1割程度の速度でしか進めることが出来ていません。
かぞくそろって7時過ぎ。明るい朝。再び夏に戻るという予報。今日も幼稚園が午前中だけあります。11時半すぎにひまそうにしていたおおきいちびといっしょに迎えに行きました。
ママが来るのを期待していたのでしょう、私の顔を見た途端、ママイイ、パパヤダ、といって暴れ始めました。幼稚園では、先生と一対一で挨拶してから、別れます。列の最後だったので、ずっと泣いていました。そして、最後は抱っこ。挨拶のときだけ何とかひとりで立って、先生と挨拶していました。園庭で遊ぶことなくそのまま、帰宅。十分泣いたのでしょう、自転車に乗ったときには落ち着いていました。
[医学史研究会]
昨日、次の研究会の案内が来ました。誰でも参加できるということです。日時: 8月31日(月) 17:00−
場所: 慶應三田キャンパス南館地下二階 2B25
報告者:坂本邦暢氏 (東京大学・科学史)
「初期近代の混合理論と原子論における運命のいたずら:スカリゲルの受容」
報告者坂本邦暢氏のブログ
主催者鈴木晃仁氏の医学史ホームページに案内があります。
ひとりで6時40分。快晴。朝の日射しがまぶしい。これほどの好天は久しぶりです。朝の気温は低いので、ほんとうに秋晴れという雰囲気です。
今日は、子どもたちは全員が朝から出動。幼稚園児は、今日明日と幼稚園が朝だけあります。ちびどもはプール。検定だと言っています。
ちょうどよいので、私も久しぶりに大学に出ることとしました。
おおきいちびがプールにでかけ、ちいさいちびがプールから帰ってくる直前あたりで家を出ました。さすがに、郵便物はほとんどなし。ネットは予想通り、繋がるようになっていました。メールの処理。あと、すこし荷物の整理。
移動中に、昨日読み始めた、油井大三郎『好戦の共和国アメリカ―戦争の記憶をたどる』(岩波新書、2008)を読んでいました。一気に読んでしまいました。もうすこし素人に親切に書いてもらえるとよいとは思いましたが、この視点が重要です。基本的な事実は淡々と記されています。事実がもつ意味は自分で考えろ、ということでしょうか。ともあれ、非常に勉強になりました。中野の銀行に寄ってから、帰宅。中野は人口規模に比して、改札が狭く、またアーケード街の道も狭いと感じます。おばちゃんにぶつかられてびっくりしました。
帰宅後、机の上に次の本がありました。
保坂正康
『占領下日本の教訓 』
朝日新書、2009、 ¥ 840半藤 一利・竹内修司・保坂正康・松本健一
『占領下日本』
筑摩書房、2009、 ¥ 2,415子どもたちが寝付いたあと、4人の対談本『占領下日本』を読み始めました。対談は読みやすい。どんどん読んでしまい、就寝時刻が遅れました。私が知りたいのは、アメリカ側の観点と日本と同じようにアメリカの占領や軍政下(あるいは間接的植民地下)にあった諸国との比較です。2009年の書物ですから、もう日本人だけで対談するのではなく、アメリカ人(歴史家または研究者)、フィリピン人/中国人/韓国人(歴史家または研究者)を含めた対談・討論を出すべきだと思いますが、この4人はもちろん非常に詳しい方々なので、対談は興味深いのは興味深い。
幼稚園児が寝言で、「ティンカーベル!」と叫んで、6時20分。涼しい。
幼稚園児はすぐに目覚め、絶好調で遊んでいます。こんどは「シンケンジャー」。何か叫んでいます。[お掃除2]
昨日に続き、お家の大掃除。今日はトイレを頼んでいました。妻は自分では、シンクの周辺。
おおきいちびは、朝一番で学校のプール。昼食後、音楽会のリハーサル。帰ってきて、お絵かき教室。いつも通りの忙しさに戻りつつあります。
ちいさいちびは、音楽会のリハーサルのみ。12時から12時半です。空の様子を見て、私が自転車の後ろに乗せて、杉並公会堂まで行きました。慣れると近い。大人だと10分の距離です。子どもの自転車だと、15分でしょうか。朝方は自分の自転車で行くと言っていたのですが、時間のことも考えて、今回は私が送りました。
油井 大三郎『好戦の共和国アメリカ―戦争の記憶をたどる』(岩波新書、2008)を持っていきました。30分で読める量はたいしたことはないのですが、よい本です。民兵の起源とか、私のほとんど知らないことがきちんと書かれています。アメリカを知るには必読書かと思われます。
ひとりおくれて7時30分。昨夜いつもよりずっと遅くまで起きていたせいです。天気予報の通り、朝晩は涼しくなりました。22度ということです。室温をずっと見ていると、やはりひとつの壁は30度にあるようです。30度以下だとクーらがなくても過ごせます。しかし、30度を超えて、仕事をしていると、すぐに汗まみれになります。
[お掃除]
子育て応援券で、掃除を手伝ってくれる会社のチラシが入っていました。妻が片づけと清掃に意欲を燃やしており、今日おひとり頼みました。1時間半。60歳の感じのよいおばさんが、10時に自転車で来てくれました。
その方にはお風呂場をお願いして、妻と子どもたちは、子ども部屋の全面清掃と網戸の張り替えに取り組んでいました。
お昼に一応完了。
午後学校のプールに行ったおおきいちびの帰りを待って、ユザワヤへ。幼稚園児は行かないというので、ちいさいちびと3人で出かけました。
新学期からの準備です。少し大きいものとしては、ぼろぼろになってしまったちいさいちびの筆箱と、おおきいちびのはさみ。それに食用色素。ちいさいちびはわが家の「ティンカーベル」、すなわちものづくりの妖精です。お絵かきと工作が好きです。
YouTubeの「裏技」で、ステンドグラス状のものをボンドを用いて作るというのがありました。それをいっしょうけんめいやっています。最初はうまくできなくてかなりいらいらしていましたが、最近こつをつかんだようです。だいたい思ったように作れるようです。おねえちゃんも混じってやっています。ちいさいちびの自由研究になりました。
ひとりで6時20分。子どもたちはよく寝ています。朝方はすこし涼しくなりました。
ひとりで4時50分。ちょっとしたリズムの乱れが続いています。必ずしも蒸し暑さが去ったわけではありませんが、早朝には、夏の終わりと秋の到来の予感があります。昨日の朝もそうだったのですが、蝉や鳥が活動を開始するのが、だいたい5時です。夏至の前後は、4時半でした。明らかに朝が遅くなりつつあります。
[シンケンジャー]
昼食後、ちいさいちびと幼稚園児をまた荻窪のツタヤに連れていくことにしました。妻は、コンタクトの調子が悪く、荻窪で交換したいといいます。いっしょにでかけました。まずコンタクト屋さんへ。幼稚園児がうるさくしたので、妻だけ残して、ツタヤへ。ちいさいちびの希望の「時をかける少女」はまだ1枚も戻ってきていません。しかし、幼稚園児待望の「シンケンジャー」がありました。結局、幼稚園児は「シンケンジャー」に「機関車トーマス」。ちいさいちびは、「スティッチ」に「コナン」。戻ってみると、妻は眼科に行ったようです。幼稚園児がママ、ママ、というので、眼科に行ってみました。長くはかからないとふんで、眼科の待合室で待っていました。子ども向けのものはなにもなかったのですが、まずまずそれほど迷惑にならないようにしていました。
コンタクトははやい。妻が眼科からコンタクトレンズ屋に戻り、コンタクトレンズを受け取って帰りました。
帰宅して、さっそく「シンケンジャー」。こういうお話だったか。幼稚園児は真剣に見ています。幼稚園のお友達が「シンケンジャー」と言っているだけのことはあります。ちいさい男の子に受ける内容になっているようです。
ひとりで4時。ちょっとしたリズムの乱れでしょう。気温が非常に高くなっているわけではありませんが、一昨日からむしむしが帰ってきています。編集委員会の仕事(3号の2校)が来ました。
おおきいちびは夜、吉祥寺の小学校の夏祭りへ。家族ででかける友達に誘われました。幼稚園児が行きたがると面倒なので、妻が昼下がり、ちいさいちびと幼稚園児を公園に連れ出しました。その間に、おおきいちびの自由研究の手伝いをしてやりました。空(雲)の写真を夏休みの間ずっと撮っています。そのプリントアウト。紙質を選んだり、用紙サイズを選んだり、そしてなによりも数多くとったデジタル写真のなかから目的のものを探し出すのがなかなか大変です。
これまで少しずつ印刷してやっていたので、今回全部プリントアウトしたわけではありません。しかし、実際やってみるとずいぶん手間がかかります。
L版の写真用紙は500枚のセットで買っているので、用紙の心配はないのですが、一度セットした用紙が切れました。一枚一枚の紙が厚いので、案外少ない枚数しかセットできていなかったせいです。
おおきいちびは幼稚園児に見つからないよう、4時50分に出かけ、8時50分に帰ってきました。8時半からは私が居間でベルリンで行われているマラソンのテレビ中継を見ながら帰りを待っていました。日本選手は世界の上位集団から1歩取り残されたようです。
6時50分。幼稚園児は、かなりはやく起きていました。ちびどもも私の前後。おおきいちびは朝一番で学校のプールへ行きました。ちいさいちびは今日は行かないと言ってだらだらしています。本人の弁では自由研究をやるのだそうです。私は8月に入ったときからいこういこうとおもっていけていなかった散髪屋さんに行ってきました。
昼食後、ちいさいちびと幼稚園児を連れて歯医者へ。定期検診です。幼稚園児は、検診を受けないといっていますが、ともかく連れていきました。
うまく説得して、ともかく診療台に座らせました。診察はなんとか出来ましたが、フッ素の塗布は途中で拒否しました。まあ、この程度で仕方ないでしょう。
ちいさいちびはひとりでもまったく問題なし。歯科検診終了後は、3人で荻窪へ。ツタヤへDVDを借りに。ちいさいちびは、「時をかける少女」を借りたいと言います。
結局、「時をかける少女」は全部でており、借りることはできませんでした。その代わりに「ティンカーベル」。幼稚園児には、「仮面ライダー」と「ミッキー」。シンケンジャーのビデオが2点あったのですが、これも出払っていました。お店の人にないと言われた瞬間泣きましたが、ほかにもあると説得して、本人に「仮面ライダー」を選ばせました。まだ、ウルトラマンもシンケンジャーも仮面ライダーも区別がついていません。やれやれ。帰宅して、「ミッキーマウス」からはじめて、3つとも上演しました。「仮面ライダー」は幼稚園児には難しすぎました。3分の1も見ませんでした。代わりに私が最後まで見てしまいました。初代の「仮面ライダー」は私が中学生のときに始まっています。けっこうインパクトがあって、よく覚えています。昔よりも衣装がよく出来ていました。
おねえちゃんんたちは、「ティンカーベル」。わずかに見ましたが、こういう話になっているとは予想しませんでした。
幼稚園児が起きて、6時50分。夏の暑さが戻ってきています。朝の9時半、おおきいちびがお友達とプールに行きます。ちいさいちびが自分もお友達とプールに行きたいと主張。一番仲のよいお友達は電話をしてもいません。しょげてしまいました。
妻が、別のお友達に電話をさせました。OKということです。幼稚園児も連れて、朝から関根プールへ。
プールのあと、ちいさいちびと幼稚園児は、お友達を連れて来ました。すごくうれしいようです。
いっしょにお昼ご飯を食べ、いっしょに遊んでいます。
おおきいちびは一人で帰ってきて、昼食を食べたあと、やっぱりお友達があとで来るということです。
8月16日以来の二組のお友達です。
幼稚園児は、おねえちゃんたちに遊んでもらって大満足。最近は、けっこう遅くまで起きていることが多かったのですが、今日は疲れたせいでしょう、6時半過ぎにソファで寝てしまいました。寝てくれると親としてはたすかります。
お昼の時間に次の2冊が届きました。偶然ですが、ともに去年発売のものでした。
荒井 信一
『空爆の歴史―終わらない大量虐殺』
岩波新書、2008油井 大三郎
『好戦の共和国アメリカ―戦争の記憶をたどる』
岩波新書、2008
ひとりで6時20分。今週に入って、朝夕は涼しい日が続きます。たすかります。昨日買ってきた、大門正克『日本の歴史15 1930年代から1955年 戦争と戦後を生きる』(小学館、2009)ですが、第5章「戦争の終わり方と東アジア」を中心にその前後をまず読みました。
知りたいことの何分の1かは書かれています。
(第四章「アジア・太平洋のなかの日本の戦争」)
空爆については、205頁にまとまった記述があります。
「アメリカ軍による空襲は、日本本土だけではなく、台湾や朝鮮、満洲でも実行された。一九四四年一〇月一〇日の沖縄・那覇への空襲に続き、同年一〇月一二日以降になると、台湾がアメリカ軍の空襲の目標にされた。近年における台湾での研究によれば、一九四四年一〇月から翌年八月まで、台湾に来襲した爆撃機は一万五九〇八機、爆撃による被害者は、死者六一〇〇名、行方不明・傷者九六七二名、合計一万五七七二名であった。一九四五年初頭からは、朝鮮の工業地帯、中国の旅順・大連の軍事施設や港湾などでもアメリカ軍の空襲が行われた。」
「近年における台湾での研究」とありますから、それ以前は正確には知られていなかったということでしょう。アメリカ側の研究はないのでしょうか? アメリカの資料の所在を知っている方が調べれば、比較的短い期間で調べがつくとおもうのですが・・・。(第5章「戦争の終わり方と東アジア」)
「本章で述べたことのほとんどは、同時代に明らかになったことではなく、その後、かなり長い時間を経てから明らかになったことだった。」
「四・三事件と二・二八事件が語られるようになったのは、いずれも1980年代後半の民主化の過程でのことである。」私が知りたいのは、そうしたことです。
この本に関しては、よい本だと思います。しかし、もっと情報が欲しい。行間をもっと詰めて、1頁に入れる文字数を大幅に増やし、文献注を同じページに載せて欲しかった。歴史を固定されたものではなく、探究中のもの、研究によって少しずつ、ときに大幅に書き換えられるものとして、教科書的記述ではなく、問題関心をはっきりと打ち出す、そういう歴史書にしてもらいたかった。(多くは出版社の責任ですが、執筆陣ももちろん責任を逃れられない。)
→ウィキペディアに「台北大空襲」の記事がありました。よくわかります。
1945年5月31日、アメリカ軍は台北に空襲(無差別爆撃)をかけた。市民の死者 約3千人。
他の空襲も出ています。
1943年11月25日、新竹飛行場を空爆。
1944年10月12日以降の作戦。(下に引用したものです。)
「屏東、虎尾の製糖アルコール生成工場、高雄港、岡山航空廠」を空爆した。台北も空襲されるようになった。嘉義は全市が焼失した。この記事には、親米路線の中華民国政府(国民党政権)が行った検閲の結果、マスメディアや教科書では取り上げられなかったと読める注記がついています。(原文は、そのままでは、意味が不鮮明です。)
台湾以外で空爆された場所としては、鞍山の昭和製鋼所、朝鮮の鉄道と軍施設。
→ここまで分かれば、先に進めます。
ウェブに、屏東製糖所に勤めた方による中国語/日本語のサイトがあります。それによると、一時アジア最大の製糖工場であった屏東製糖所は、1945年6月30日、アルコール工場と砂糖工場が米軍の空爆で爆破された、とあります。(2年後に復興したが、現在は、盛時の1割以下となったとあります。)
昼食時に次の本が届きました。
片倉 佳史
『台湾に生きている「日本」』
祥伝社新書149,2009柯 徳三
『母国は日本、祖国は台湾―或る日本語族台湾人の告白』
桜の花出版、2005片倉佳史『台湾に生きている「日本」』に、宜蘭(ぎらん)の飛行場跡を訪れた記述があります。宜蘭の飛行場から神風特別攻撃隊が飛び立ったとあります。
はっきりと残っているのは、掩体壕(飛行機を敵軍の空爆から隠すもの)です。滑走路も残っているところには残っています。
幼稚園児が起きて、6時50分。全員が起きました。昨日に続き、涼しい朝。午前中に、ちびどもの発表会の練習があります。ちいさいちびは30分、おおきいちびは1時間半。去年の反省の結果でしょう。
妻の状態を見て、私が連れていくこととしました。場所は発表会のある杉並公会堂。バスで行くつもりでしたが、駅前のバス乗り場に着いてみるとバスは出たばかりで、次のバスを待つと時間に間に合いません。ちびどもと相談して電車で行くこととしました。荻窪から徒歩。時間の予想がつかなかったのですが、途中の地面に杉並公会堂まであと300メートルの表示がありました。なら、そこから5分です。
10分前に着きました。
一組しか待っている人がなく、ちょっと心配になりましたが、5分ぐらい前に先生達が来て、あることははっきりしました。
ちいさいちびの練習が10時から10時半まで。おおきいちびの練習が10時半から12時まで。
10時半にちいさいちびが出てきました。12時までは時間がありすぎます。ちいさいちびは先に連れて帰ることとしました。外にでるとちょうど来たバスに間に合いました。
バスを降りたところにある99ショップでミルク他を買って、帰宅。お腹が空いたので、先に昼食を取りました。
さて、おおきいちびですが、自転車で迎えに行くこととしました。いまいち距離感がつかめておらず、20分前に家をでました。10分で杉並公会堂に着きました。脇から入る地下一階にちゃんとした自転車置き場があります。すこし待つかなと思ってソファで座っているとおおきいちびはすぐに出てきました。
自転車は、ちいさい子どもを乗せる仕様です。おおきいちびにはすこしきつい。しかし、しばらく我慢してもらいました。なんと、荻窪八幡のところから走ると言います。そこで降ろして、私は一人で帰宅。おおきいちびもすぐに帰ってきました。
[妻によれば、台湾も和歌山も田舎は同じ2]
昨日の記事ですが、NHKの番組はウェブで検索をかけてすぐにわかりました。今年の春放映された、NHKスペシャル「JAPANデビュー」です。かなり波紋を呼んだようです。いろんな意見・批判がありました。私はまだ見ていませんが、YouTubeでだいたい見られるようです。
さて、私が気になっているのは、空爆です。
妻が本を貸してくれました。伊藤潔氏の『台湾』(中公新書、1993)の132頁に「台湾にも米軍の空爆はあったが、沖縄のような敵兵の上陸はなく、[1945年8月15日の玉音放送は台湾にも流れたが]敗戦といっても台湾総督府をはじめ行政機関は健在であり、日本軍もまだ駐屯していた。」とあります。ウェブで調べると、「台湾の主要都市もアメリカ軍の空爆の標的となり、市民の死傷者・行方不明者は1万5千人にのぼった」という記述があります。
私が知りたいのは、いつどのようにどうしてという具体的なことです。
→ウィキペディアによい記事がありました。「台湾沖航空戦」です。
それによれば、アメリカ軍は、レイテ沖開戦の前哨戦として位置づけられる台湾沖航空戦において、台湾から沖縄にかけての航空基地を攻撃した。1944年10月12日から16日にかけてのことであった。
10月12日、アメリカ軍(第3艦隊)は、台湾に延べ1378機を投入して大空襲を行った。(日本軍拠点、航空基地を叩き、制空権・制海権を確保することが目的だったようです。)10月14日、第3艦隊による台湾への空襲をうち切った。以上の記述を信じれば、アメリカ軍の台湾空襲は、1944年10月12日から14日の3日間だけ行われたことになります。そして、同じ作戦のなかで、フィリピンの日本軍基地も空爆されている。
以上で、話の筋はわかりました。しかし、具体的な地名が書かれていません。例外的に新竹の名前は挙げられていますが、きちんと台湾の日本軍地図を見ながら、確認をとっていく必要があります。
おやつの時間に、おおきいちびを連れて、新しく出来た本屋さんへ。おおきいちびには買いたい本があったようです。私は、『サイゾー』の最新号と次の本を買ってきました。
大門正克『日本の歴史15 1930年代から1955年 戦争と戦後を生きる』
小学館、2009
ひとりで6時20分。涼しくて良い天気です。さて、子どもたちの夏休みも残すところ、あと2週間。幼稚園児は、昨夜、私が今日仕事に出るという話を聞いて、自分も幼稚園に行きたいと泣いていました。こればっかりはどうしようもありません。
[2009年度1学期成績処理完了]
大学が夏期閉鎖から今朝開きます。閉鎖中手をつけることができなかった成績関係の残務を遂行するために、朝一番で大学に向かいました。9時10分頃到着。研究室に着くと、停電の後遺症が出ています。ネットに接続できません。でも、今日はネットは必要ありません。(事務に連絡すれば、数時間以内に対応してくれると思いますが、後回し。DNS サーバーに ping が通らないので、私の推定では、ポートが死んでいるあるいはルーターの一部が動いていません。)
机の上を片づけてから、レスポンスシートの数を数え、すでに採点してある最終レポートの得点と足しあわせる作業をしました。
レスポンスシートの数を数えるというのに時間がかかります。2時間以内ですむと予想していましたが、3時間弱かかって12時過ぎに終了しました。
一息入れてから、再確認し(再確認は必要です。1点ですが、エラーを見つけ、修正しました)てから、1時10分過ぎに事務に手渡しました。
1学期の成績を全部渡しました。ともあれ、成績関係の仕事はこれにて完了。ほっとしました。
[妻によれば、台湾も和歌山も田舎は同じ]
夜ほっとしてちびどもといっしょに居間で休んでいると、体調がまだ回復せず、寝室で休んでいた妻がテレビで面白い台湾番組をやっていると呼びます。最近、見ようと思ってみるテレビ番組はほとんどありません。どこのどういう番組だかわからないまま最後まで見ました。終わったあと、NHKの番組だとわかりました。
内容的には気楽な旅行もののつくりで、つるべえと私の知らない女優が台南を訪れるというものでした。妻によれば、最近、NHKが台湾に関して変な番組を放映したので、それ(批判や反響)に対する応答として制作した番組ではないかということです。変な番組は噂には聞いていますが、内容紹介の記事もあるいは批評的な言辞もきちんと読んだ記憶がありません。つまり、何となく雰囲気は感じていますが、知っているわけではありません。
ちょっとびっくりしたのは、台南にある製糖工場をアメリカ軍が空爆をしたというその工場に勤めていた方の証言でした。日本軍の施設があれば、アメリカ軍が空爆していても不思議ではない。しかし、アメリカ軍が台湾を空爆したという知識はなかったので、え、と思ったわけです。妻によれば、国民党政権がそうした情報をすべて抑圧したせいではないか、ということです。
詳しい方がいたら、教えを請います。
第2次世界大戦の終了時、アメリカ軍は、アジアのどの範囲をどのように空爆したのでしょうか?(どうして、製糖工場? 精糖工程の先に何か燃料やエネルギー源を作ろうとしていたのでしょうか?)
[山田俊弘氏新論文]
山田俊弘氏より次の論文を頂きました。ありがとうございます。Toshihiro Yamada, "Hooke-Steno relations reconsidered: Reassessing the roles of Ole Borch and Robert Boyle," in Gary D. Rosenberg (ed.), The Revolution in Geology from the Renaissance to the Enlightenment (Geological Society of America, Memoir 203), Geological Society of America, Boulder, 2009, 283pp., pp. 107-126.
ひとりで6時10分前。良い天気です。7時現在、ほかには誰も起きてきません。昨日から湿度が下がっているので、暑くはあっても、もやもやとして湿舌(絶妙の表現ではありませんか)からは逃れられています。
朝、おおきいちびは友達といっしょにプールにでかけました。ちいさいちびも行きたい、もちろん、幼稚園児も行きたいということで、妻がちいさいちびと幼稚園児の友達を誘ってプールに行きました。
前におもてなしをしてもらったお返しに、あわせて3人のお友達を昼食に誘い、その後わが家で遊ばせることとしました。
そうすると、昼食は私の担当となります。帰ってくるのはおそらく12時半過ぎ。ご飯をしかけ、クイーンズ伊勢丹へ。ぎゃ。妻の提案では、唐揚げがあればよい。しかし、ご近所おじいちゃんおばあちゃんがクイーンズ伊勢丹に集結しています。私が見たことのない列がレジに出来ています。唐揚げなんてひとつも残っていない。
すぐに食べられるものとして、お寿司、チンすればよいものとして、シュウマイと春巻き、簡単に炒めればよいものとして、餃子を選択しました。
子どもというのは実際に付き合ってみないとわかりません。どれかは食べてくれるでしょう。さて、どうなることやら。
→予想よりいくらか早く、12時30分前に帰ってきました。ひとり脱落して、ちいさいちびの友達一人と、おおきいちびの友達一人だけ来ました。
→疲労と冷えのせいでしょう、妻がダウンしました。胃が痛いと言っています。
ひとりで6時前。快晴。朝のうちはまだ涼しさを感じます。[はじめての六本木ヒルズ]
妻と相談して、はじめて六本木ヒルズに行ってみることとしました。始動が遅くなったので、駅前のラーメン屋さんでまず昼食をとってから、出発です。ルートはわかりやすさを優先して、東中野乗換、大江戸線で行きました。幼稚園児の様子がいまいちです。乗換のときに、もう電車嫌だ、ここで降りると言います。言い分を聞いていたらどこにも行き着きませんから、無視して、大江戸線。
六本木ヒルズの地図上の位置をきちんと確認したことはなかったのですが、行ってみると、何だ簡単です。青山ブックセンターから246沿いに数分渋谷方面に歩いたところにありました。青山ブックセンターの場所は覚えていますから、何だ、ここか、という感じでした。
さて、目的は、スカイ・アクアリウムです。「六本木ヒルズ天空の水族館」とあります。噂には聞いていましたが、六本木ヒルズはたぶん意図的にわかりづらく設計しています。子連れで地図を見ながら捜すのは大変です。すぐにインフォメーションを見つけて、係のおねえさんに尋ねました。
聞かないとなかなかわからない場所に、チケット販売所があります。チケットは高い。子どもは700円です。これはまずまず。大人2千円というのが高い。我々は全員で5千4百円。
高い分でしょうか、案内係の方は十分います。エレベーターでも案内されて、52階へ。東京シティビューの見晴らしはさすがになかなかよい。東京湾も青山墓地も副都心も上空からしっかり見えます。
スカイ・アクアリウムは、東京シティビューをほぼ一周した奥にありました。
空の水族館というよりも夜のイルミネーションの水族館というつくりです。はいった瞬間から幼稚園児はおおはしゃぎ。大きな魚はいませんが、子どもは喜ぶ工夫が凝らされています。
しかし、幼稚園児の一番気に入ったのは、鏡張りでした。通路の壁がほぼすべて鏡張り。90度のコーナーを見つけて、分身3人とともに踊っていました。暗闇なので、あまり目立ちません。
ちびどもは、明滅する色つきの光線に照射されたクラゲが気に入ったようです。
幼稚園児が飽きたところで、外に出て、その1階上にある森美術館も見ました。幼稚園児は遊べないので不満です。すぐに降りて、地上の自販機のコーナーで水分補給。
そして、外に出て、ドライミストの舞うコーナー(テレビアサヒのお天気姉さんがたまに立っている場所ということです)で遊ばせました。(水族館を除けば)幼稚園児にはここがいちばんおもしろかったようです。
おおきいちびがお腹が空いたというので、もと来た道をすこし戻って、おやつ。子どもたちはアイスクリームにたこ焼き。我々はコーヒー。
休んだ場所は日陰で風がよく吹いていました。帰途は、バスでまず渋谷に出ることとしました。それから井の頭線で、吉祥寺へ。なんと、久我山辺りで幼稚園児が昼寝。よくないタイミングです。
案の定、吉祥寺に着いて、暴れていますが、相手してやる余裕はありません。妻が抱っこしたり、ベビーカーに乗せたり、おんぶしたりして、なだめながら、99ショップまで。お菓子を2つ買ってもらってなんとか復活しました。
同時に買った夕食をかかえて帰宅。
久しぶりの六本木でした。
[日本という「悪い場所」]
おそらく最終便でアマゾンより次の本が届きました。椹木 野衣
『日本・現代・美術』
新潮社、1998佐々木敦『ニッポンの思想』(講談社現代新書、2009)を読んで、一番読んでみようと思った本です。(福田和也の主著にあたるものも引かれたのですが、ちょっと夏休みの気分には合わないと感じました。)
帯に「日本という「悪い場所」
現代という「閉じられた円環」
そこに分裂症的な生を営む私達は
いかなる美術を創造してきたのか?
この国に「前衛」は存在しえたのか?
気鋭批評家による衝撃的な反=現代日本美術史」
とあります。最初の1行にインパクトがあります。そう、日本という「悪い場所」。日本という言論・思想空間の閉鎖性(鎖国性)を指摘する声は多くありました。実際私もそうだと思います。しかし、その空間を「悪い場所」と表現したのは、画期的です。芸術批評家の力でしょう。→ちなみに、筆者が「悪い場所」に込める意味を理解するために、一文を引用しておきましょう。
「「日本の前衛」とは、この「帰還不可能な地点」が、「かつていた場所」とループを描いて結びついてしまう「悪い場所」ゆえの「円環」に閉じこめられているような性質のものだ」(p.33)
→自覚的ではあるようですが、椹木野衣氏の美術批評そのものが、ループを閉じ、「悪い場所」をより強固にすることに貢献していると言えると思います。
科学から借用した用語の利用(科学的術語の比喩的使用)で端的に間違えているところが目立ちます。(もちろん、これは椹木さんだけの問題ではなく、日本の文芸批評に内在する問題だと思います。椹木さんの引用するものでは、花田清輝の『復興期の精神』におけるプラトン的な円と、ティコ・ブラーエ=ヨハネス・ケプラーの楕円がそうです。花田清輝の言い分は、私には端的に無意味です。佐々木敦氏が取り上げる思想家のなかでは、中沢新一氏のものがその最たるものだと言えます。)批評文としては、非常に面白く、わくわくして読んでいます。村上隆の位置付けは、たぶんそうでしかありえない核心を捉えていると思います。
しかし、単純に外部は存在する。日本に隣接する韓国、台湾、中国からの視点が欠けています。そして、単純に英語だけを取り上げても(日本語以外の言語で表現される批評であればほんとうは何語でもよいのですが)同じ問題関心で書かれた著作や論考は必ず存在すると思われますが(私はその世界の人間ではないので、具体的に指摘できないのが残念です)、そうした日本語の外の批評・研究の世界に触れた様子がないのが残念です。
椹木野衣氏が日本の美術の特徴として描いているポイントは、椹木氏が最初から円環から逃れられていると措定している西洋の限芸芸術にももしかしたら当てはまるのではないでしょうか。
ひとりで6時20分。曇り。今日も暑くなるようです。午前中に片づけを一度中断して、一昨日購入した佐々木敦『ニッポンの思想』(講談社現代新書、2009)を読み始めました。
今日も昼食後、妻が子どもたちを外に連れだしてくれました。(ちびどもの希望でカラオケに行きました。)その間に読了。昨日読んだ、野中広務・辛淑玉『差別と日本人』(角川ONEテーマ21,2009)は勉強になりました。今日読んだ、佐々木敦『ニッポンの思想』は面白く、一気に読み通してしまいました。ある世代の幅に属しており、人文社会系の人間は、ここで扱われているニッポンの思想家を読んできていると思います。著者の佐々木氏は、私の6歳下です。
とくに感心したのは、福田和也の位置付けとゼロ世代における東浩紀一人勝ちの分析です。浅田彰の言葉を借りれば、ブリリアントな記述/分析です。ちなみに、『ニッポンの思想』は1980年代以降のニッポンの思想です。取り上げられているのは、「ニューアカ」の始まった1980年代では浅田彰・中沢新一・蓮実重彦・柄谷行人の4人、1990年代では福田和也・宮台真司・大塚英志の3人、そしてゼロ年代(2000年代)では東浩紀のひとりです。
よく考えると、これは妥当な選択だとわかります。
ひとりで6時50分。7時現在、まだ誰も起きてきません。夏の暑さが戻ってきました。
昨日買ってきた野中広務氏と辛淑玉氏の対談本を読み始めました。幼稚園児に邪魔されたところで、机の上にたまっている仕事の片づけに入りました。今週中にはすくなくとも机の上は片づけたい。
妻が昼食後子どもたちを吉祥寺に連れていってくれているあいだに、野中広務・辛淑玉『差別と日本人』(角川ONEテーマ21,2009)を読み終わりました。
読み終えた瞬間、子どもたちが帰ってきました。[吉祥寺から消えゆくもの]
妻が、ユザワヤがなくなるという話を聞いてきたようです。調べてみると、ユザワヤのサイトには通知はありませんが、来年春に、今はいっているビルが取り壊されて建て直すようです。建て替えに5年間かかるとあります。(最近ただのビルの建て替えで5年間かかることはあまりないと思われます。京王電鉄が所有しているということで、もっと大がかりな新装開店を狙っているのかもしれません。)
その5年間、どう対応するかはまだ公表していなようです。同時に、伊勢丹吉祥寺も今年度で店じまいするとありました。伊勢丹の近くでは、三浦屋がすでに撤退しています。今の伊勢丹ビルに何が入るかの情報は見つけられませんでしたが、ともあれ、吉祥寺の中心部に変化が生じていることは間違いありません。
個人的に、伊勢丹は使うことがほとんどないので影響はないのですが、ユザワヤは便利なので、建て替え中の5年間にも吉祥寺の比較的便利な場所で営業を続けてもらうとよいのですが、こればかりはどうなるかわかりません。
ひとりで7時10分。おおきいちびだけ起きていました。おおきいちびは今日から友達とプールに行きます。水着を入れた荷物が届いていないので、友達のものを借りるようです。2番目と3番目は8時過ぎに起きてきました。この時期ではよく寝たくれた方がありがたい。
曇り。雨の確率、20%という予報。
おおきいちびが帰省前、幼稚園の近くに新しい本屋さんができたと言っていました。おやつのあと、幼稚園児と2番目のおねえちゃんを連れて、一度見に行ってきました。
西荻窪颯爽堂という名前で旗が立っています。名前だけではわかりませんが、どこか大手の本屋の系列ではないようです。
妻に頼まれた 『VERY』を入り口で見つけたあと、入り口の本を見ていたら、なかで幼稚園児の声。シンケンジャーの本を見つけたとちいさいちびが報告してくれました。シールブック。ちいさいちびはマンガコーナーで最近ちびどもふたりで流行っているマンガの第21巻(『こっちむいて!みい子』ちゃおコミックス、小学館)を見つけました。おねえちゃんにも、というので、コナンのガイドブック(『劇場版名探偵コナン 全人物調書』小学館)を選んでやりました。
幼稚園児を連れていって、ゆっくり捜す余裕はありません。新書コーナーでぱっと目に付いた次の2冊を私は購入しました。
野中広務・辛淑玉
『差別と日本人』
角川ONEテーマ21,2009佐々木敦
『ニッポンの思想』
講談社現代新書、2009私の欲しい本が置いている本屋かどうか、この短い店内探索ではわかりませんでした。町のちいさな本屋さんよりは大きい。もちろん、大規模書店ではありません。中規模書店ということになるでしょうか。
ほんとうに存続できるかはちょっと心配です。今日から残している宿題の片づけに専念します。もし忘れているぞ、ということがあれば、遠慮なさらずどしどし連絡下さい。大学が閉まっている(来週の月曜日の朝再開するそうです)あいだに何とかしたいと思います。
台風にも負けず、地震にも負けず、無事帰ってきました始めて乗ったオーシャンアロー8号は、和歌山線の遅れの影響を受けて、新大阪に10分ほど遅れて到着しました。しかし、10分遅れはまったく問題なし。
問題は、早朝5時7分静岡で発生した地震で止まっていた新幹線です。おじいちゃんおばあちゃん家を出るときにはまだ止まったいた新幹線がいつ動き出したのか、そして動き出したとして、どの程度正常化しているかが問題です。
新大阪の新幹線乗換口のチケット売場には長蛇の列。当然でしょう。ただ、雰囲気としてはもう動いている様子です。
まず、新幹線の改札を通過し、一番最初にあったお弁当売場で全員分のお弁当を買い込んで、プラットホームへ向かいました。
とりあえず、新大阪は予定通りに出発するというアナウンス。これは乗り込むしかありません。
名古屋までは順調に運行しました。しかし、途中、静岡と掛川間で再度線路の点検をするということで、しばらく停車しました。
20分から25分程度停車したでしょうか。結局、80分程度の遅れで、東京に到着しました。
我々はともかくずっとエアコンのきちんときいた新幹線内で座っていましたし、子どもたちも比較的順調だったので、地震の日としてはかなりましだったのではないでしょうか。子連れでこれからお盆の帰省する人たちがいちばん大変だったのではないかと想像します。新幹線は明日にはほぼ正常化するかもしれませんが、路肩の崩落した東名高速がいつ通行可となるかは、予断を許さない状況だと言えるでしょう。
わが家はたぶん震度3か4だったはずですが、地震の影響は見られませんでした。妻がでかける前に頑張って片づけ・清掃をした甲斐があって、これまでではいちばん状態のよい家に帰ることができました。
道中はかなり賢かった3歳児ですが、帰ってくると限界だったのでしょう、いろいろ暴れています。早く寝付いてくれるとよいのですが・・・。
帰省
8月3日 月曜日
東京駅は11時発。子どもたちがいることを考えて、9時半に家を出ました。ほぼ1時間の余裕を見たことになります。
東京駅には10時過ぎに着きました。お土産を買い、お弁当を買ってからプラットホームへ。約40分待ちました。
乗車してすぐにお弁当。乗車時間は2時間36分。
新大阪は14時4分発。やはりプラットホームで20分待ちました。特急とはいえ大阪市内はゆっくり走ります。和歌山市に着いたころには子どもたちはすっかり飽きていましたが、仕方ありません。新幼稚園児は30分ほどで昼寝。これは助かります。
紀勢本線はレールの状態がよくない。けっこうゆれます。ちいさいちびの顔色が御坊前から悪くなり、到着の2分前に戻してしまいました。せっかくよく食べたのに。戻したものは急いでお手洗いに流し、ささっと下車の準備。予想したとおり、新幼稚園児は、下車のために妻が抱っこした途端目覚めました。
しばらくベビーカーに座らせてやると、階段のところから歩き始めました。おばあちゃんが改札のところで待っていてくれます。
駅前ではおじいちゃんが大きなノア(たぶん7人乗り)で待ってくれています。
帰るとたこおじさんがいます。弟夫妻の休みが取れるが今日だけということで、夜は弟夫妻が来て、バーベキュー。とはいえ、庭の炭火で焼くのは、牛肉と鮎だけ。野菜は室内のホットプレートで焼いておきます。
人数が多いと、最近ほとんどちゃんと食べていない新幼稚園児もある程度は食べます。お肉を数切れと鮎一匹。
私は連日の疲れが出てきて、一番はじめに寝てしまいました。収まったかと思った腰痛が復活してきました。状態が根本的によくなったわけではなく、一時的に痛みが消えていただけのようです。
近畿地方は今日梅雨明けだそうです。記録的な遅さということです。
記録:新幹線は、のぞみ227号(東京発11時、新大阪着13時36分)。紀勢本線は、くろしお19号(新大阪14時3分、南部着16時6分)
8月4日 火曜日
近所の犬がうるさく鳴いて、5時前後に目が覚めました。新幼稚園児も5時過ぎに目を覚ましました。ちびどもも5時半ぐらい。私もあきらめて6時には起きました。
新幼稚園児はおじいちゃんのゴミ出しについていきました。
夏が来ています。しかし、去年の暑さではありません。
4時過ぎに鹿島の真向かいにある海の上のレストランに向かいました。海に向かった席には双眼鏡が置いています。これで海や島を見ろということでしょう。ピザはおいしかったが、大人の頼んだカレーは普通でした。
その後、ロイヤルホテルの温泉へ。新幼稚園児は、おじいちゃんといっしょにお風呂に入ると言って、実際男風呂の方についてきました。まず露天風呂に連れ出しましたが、3歳児にはちょっと熱い。ともあれ、足だけでもと思い腰掛けさせました。あっちいってこっちいってしましたが、片隅に墨湯というのがあります。これはぬるくてちょうどよい。別の親子といっしょにしばらくぬるい墨湯に入っていました。もういいというので、何とかなかの洗い場で頭を拭き、身体を洗ってやりました。シャワーはいやだと主張するので、掛け湯ですませました。わー、いそがしい。
おじいちゃんといっしょに外に出ると、そこはゲームセンター。いろいろやりたがりました。8月5日 水曜日
ちいさいちびといっしょに6時20分。腰痛ですが、昨夜よりはましになっています。朝から串本に出かけます。イルカといっしょに泳ぐ場所があるのだそうです。
10時に出発。富田川の川沿いに着いたあたりで、おおきいちびが気持ちが悪いと泣いてから戻しました。空き地を見つけて一度休憩。外に出て、一服すると、一応立ち直りました。そして、再出発してすぐにコンビ二。今度は運転手のおじいちゃんがおしっこということです。ちびどもはおなかがすいたということで、フランクフルトとチキンナゲットを買い、車中で食べていました。市内は信号が多くて、おおきいちびには負担だったようですが、風の入る窓側に席を替わり、信号のほとんどない海辺の道に入ると持ち直したようです。日置のあたりで昼食。浜辺に面しています。
ラーメンをたのんだ妻以外は、全員きつねうどん。車のなかでおにくをよく食べた新幼稚園児は、かまぼこを一切れかじっただけで、外へ。浜へ出ました。台風の接近のせいでしょう、波は荒い。食べ終わったちびどもも合流して、波打ち際できゃきゃ。大きな波が迫ってくるのがおもしろいようです。全員太ももから下がびしょ濡れ。子どもたちは車中で着替え。妻はジーンズがべたべたして気持ち悪いと言っていました。
しばらく行って、串本海中公園。新幼稚園児に車を一台買わされました。短い休憩のあと、目的地の太地へ。どこへ行くのか正確には聞いていませんでした。
車中、雨がずっと降っていましたが、串本に着いたあたりで、ふったりやんだりに変わっていました。雨のおかげで、気温は低い。25度近くまで下がっています。この時期の太地ではあまりないぐらい低くなっているようです。
ホテルは、ドルフィン・ホテル。フロントで話を聞いただけで、鯨博物館へ。ちょうど鯨のショーの時間でしたが、あいにく雨が強くなりました。生簀に一度近づいて見ましたが、車のなかで昼寝をして、鯨博物館に着いてから目覚めた新幼稚園児が目に雨が当たるとうるさいので、屋根のある場所まで戻って見ていました。鯨はイルカに比べて、動きに鋭さが欠ける。おおきいちびがおしっこというので、博物館の中に戻りました。かなり大きな鯨の模型とたぶん実物の鯨の骨があります。標本もあります。
鯨のショーから戻ってきた残りのメンバーも合流して、見学。おじいちゃんとおばあちゃんは、一階の大きな椅子で休憩。われわれは2階を見て回ったあと、角のコーナーで、ポップコーンと飲み物。大人はコーヒー。子どもはアイスココア。
新幼稚園児は自分のポップコーンのカップはおじいちゃんにあげると言って一階へ。博物館にあるベビーカーでの移動。
一服したあとはすぐにホテルに。ホテルに付属の施設で、イルカにえさやりする時間が近づいているということです。えさやりは新幼稚園児の仕事。どういう場所か全然わからなかったのですが、係の人の案内に従い、長靴に履き替えて2階に上ると、イルカのプールが3つありました。右側の大きなプールでは、イルカといっしょに泳いでいる人たちがいます。後にちびどもが参加することになっています。新幼稚園児は年齢制限(5歳以上が参加条件ということです)に引っかかって参加できません。えさやりだけです。おそらく雨のせいでしょう、スケジュールが遅れているということで、しばらくイルカ2匹とボールのキャッチボールで遊んでいました。
15分ほど遅れて、えさやりが始まりました。おじいちゃん・おばあちゃんは後ろの席で見学。われわれ全員で6人分のえさやり。イルカに触って、切れ身の魚を口のなかに投げ込んでやるの繰り返し。イルカに触ったのは私も初めてです。思ったよりしっかりした皮膚。硬い感じがしました。全員がイルカと接触して終了。
それから一度ホテルの部屋へ。建物は隣です。おじいちゃんとおばあちゃんはベッドの部屋。われわれは畳の大部屋。子どもたちはホテルの部屋が大好きです。おおはしゃぎ。 いるかといっしょに泳ぐショーは4時半から。4時20分に係の方から電話がありました。ちびどもを連れて3人でそっと抜け出しました。新幼稚園児に見つかると自分もやると泣くに決まっているからです。
先ほどと同じ案内所に出かけると、先客がいます。専用の靴を履き、ウェットスーツに着替えるということです。水着を着て、その上にウエットスーツという説明ですが、ちびどもは着替えとタオルしかもって来ていません。ホテルの部屋に取りにもどりましょうか、と聞くと、下着のままでウェットスーツでもかまいませんという言葉。女性の更衣室に私が入るわけには行きません。係の方に任せました。
しばらくするとウェットスーツに身をつつんだちびどもが出てきました。プールのある2階に上がると、ほぼ10人の参加者がいるようです。イルカと接するときの注意を係の方から聞いたあと、救命防具と足ひれをつけて、プールのなかに入っていきました。水温になれるために2分ほどじっと座っていました。その間にプールに入った全員が自己紹介をしていました。
イルカはメスの2匹。おおきいちびが怖がるかと思いましたが、ひとより遅れてですが、ちゃんとイルカに触っています。ちいさいちびは志村動物園の大ファン。積極的にイルカに触りに行っています。ただし、イルカにはイルカの事情があります。一頭がすこしナーバスになっていました。もう一頭はまったく平常心。急いで部屋を出たので、カメラを持ち出すのを忘れました。ふったり止んだりする雨のなか、私はただただ見学していました。イルカが人間に慣れているので、よほど変な行動をしない限り、たぶん誰でも大丈夫だと思われます。前の回では、おそらく80歳ぐらいのおばあちゃんも参加していました。
時間ははかったわけではありませんが、たぶん30分程度。
自分たちで更衣室に行かせていると妻が来ました。役割交代。新幼稚園児は1階のロビーにあるコンピュータで遊んでいるということです。新幼稚園児のところへ。ママがいないと言って泣いています。自分だけ取り残されたことに気づいたのでしょう。こればかりは泣かれても仕方なし。しばらく相手をしてやってからおんぶをして、イルカ設備の方へ。ちょうどちびどもがウェットスーツを脱いで出てきているところでした。妻によれば、子どもたちだけでは到底脱げないほど重いということでした。
6時から食事。時間が20分あったので、急いで温泉に入ることとしました。昨日は私の方についてきた新幼稚園児ですが、今日は、ママについていきました。
風呂上りに食事。新幼稚園児は相変わらずすこしだけ食べます。ちびどもはよく食べました。
食後、子どもたちはロビーのそばの売店でお土産を買いました。東京のお友達に買って帰るということです。もちろん新幼稚園児もほしいと言います。おおきいぬいぐるみを選びそうだったのでうまく誘導して、ぶつかると光るぷにょぷにょを見つけてやりました。気に入ってくれました。
食事中に布団を敷いてくれると聞いたのですが、部屋にもどるとそのまま。自分たちで布団を敷きました。案の定、新幼稚園児はころころして喜んでいます。
ほぼいつもの時刻に就寝。8月6日(木曜日)
ほぼいつもの時刻に起床。6時。新幼稚園児もはやく起きました。
朝食は7時からバイキング方式。6時55分におじいちゃんおばあちゃんの部屋に新幼稚園児といっしょに声をかけにいきました。レストランには、おじいちゃんおばあちゃんが一番乗りしていました。
子どもたちはバイキング方式には慣れています。もちろん、おじいちゃんおばあちゃんは和食。われわれは洋食。見ていると、おおきいちびもちいさいちびもよく食べています。昨日の夜からミルクミルクと言っていた新幼稚園児にもちゃんとミルクがあります。(昨夜は、ホテルの周辺にミルクがまったくなく、妻が食堂でコップ一杯のミルクを200円で買って飲ませていました。このあたりがはじめての場所の難しいところです。牛乳がないということを予想できませんでした。)今日は雨。かなり強く降っています。
おばあちゃんは、橋杭岩の近くの和菓子屋さんで、ここの薄皮饅頭がおいしいのだとけっこういろいろ買っていました。できたてほやほやのものを買うことができたようです。
まずは、串本海中公園を目指しました。せめて海中公園が見られるかと思ったのですが、強い雨のため、舟も海中展望台も中止ということです。致し方ありません。
水族館だけ見て回りました。こういう場所に来たときの幼稚園児の動きのはやいことはやいこと。
さっさ、さっさと次の場所に移動します。
そして、お土産物売場。ブアの前で、なお、これほしい、攻撃。よくないなと思いつつ、急ぐので、買ってやりました。オフロードタイプのブア。
その後は、荒れる海を左手に、雨中を北上しました。
結局昼食は、田辺のぎんちろ。おおきいちびが限界(もどしそう)だったのですが、駐車場で車の外に出て、戻すかなと思ったら、ぎりぎりセーフでした。幼稚園児は、朝から車中で昼寝に入っています。無理に起こすと機嫌が悪いので、妻にはお弁当を買ってくることにして、2階へ。
混んでいます。ちびどもがおしっこというので、トイレに連れていってやったあと、もしやと思い、駐車場へ様子を見に行きました。案の定、ちょうど幼稚園児が目覚めたところでした。妻が抱っこして、みんなの待っている場所へ。
ちびどもと妻はすしを、私は豚カツを、おばあちゃんは牛肉を、おじいちゃんは鰻丼、そして、幼稚園児はお子さまセット。
ほぼ片道100キロの道程。ちびどもは車にもかなり慣れてきたようです。
8月7日(金曜日)
おおきいちびが一番。私は6時40分。ちいさいちびはすぐあと。新幼稚園児はまだ寝ています。はしゃぎすぎて疲れたのでしょう。
晴れ。雷注意報が出ています。
本格的な夏の暑さ。朝9時の室温が30度を超えています。時期的には当たり前のことですが、今年はずっと雨模様で冷夏でした。暑さがこたえます。
朝の10時半、子どもたちのために、庭にプールを用意。まず、勝玄号をセットアップ。いとこたちの二人乗りボートです。ついで、物置の奥から、円形のビニールプールを引っ張り出してきて、水を入れていきました。水道水と井戸水の2系統で水を入れましたが、さすがに時間がかかります。その間にこどもたちが水着に着替えて水が入るのを待っています。
3人仲良く遊んでいます。
風が吹くといくぶんか涼しく感じますが、たぶん、気温は33度を超えています。暑い。お昼はちびどもの希望で、ソーメン。
こどもたちは2時半ごろ、おばあちゃんの発案で町にケーキを買いに行きました。しばらくして、ケーキと漫画を買って帰ってきました。私はひとり留守番で刑事もののドラマを見ていました。
5時前後で夕食を食べたあと、鶴の湯温泉へ。昔野球場があった場所に大きな幼稚園を建設中でした。今年中には完成するようです。
新幼稚園児は、パパの方についてきました。露天温泉の方に走りましたが、お湯が熱く、一分程度腰掛けただけでもう出る。熱いのはいやだというので、ぬるま湯と水の間ぐらいの温度で首筋からシャワーをかけてやりました。前はいやだということです。
おお、なんというさわしなさ。私は1分温泉につかり、1分頭からシャワーを浴びただけで飛び出すこととなりました。服は自分で着ました。ドライヤーも自分でしました。あとは待合室に戻り、座布団を並べたり、マッサージ器に横になってみたり。
財政的な問題のせいでしょうか、百円入浴料が上がり、様子がいくらか変わっていました。8月8日(土曜日)
ひとりで5時40分。首と腰が痛くて目覚めました。昨日に続き、朝から快晴。
朝6時半の時点での室温は、28度。今日も33度、34度あたりまで上がりそうです。おじいちゃん、おばあちゃん、私、妻が昼寝から起きてから、プールへ。いつも温泉に行っているロイヤル・ホテルにプールがあります。調べると、大人千円、子ども5百円。ともかく一度行って見ようということになりました。
実際に行って見るととても気楽。プールに入らなければ、入場料はかからないということです。料金としては、小学生2人と大人は私ひとりで、しめて2千円。妻とおじいちゃんおばあちゃんは見学です。
プールは幼児用の浅い円形プールと1.2メートルの深さの比較的大きなプールがあります。本格的に泳ぐプールではありません。実際来ていたのもほとんど子供づれです。小学生にちょうどよい大きさ・深さです。
ちびどもは二人で泳いでいます。深いところでは1.3メートルあり、ちいさいちびには少し深く感じられるようです。小学校のプールは、胸までの深さで浅いということです。まだ水に慣れていない新幼稚園児は、幼児用のプールに浸かって遊んでいます。目の近くに水がかかるといやなようです。ちょっとかかっただけで泣いて、タオルをもった私のところに来ます。私はプールの外周に腰をかけてただただ新幼稚園児を見てやりました。子どもたちをプールに連れて行って一番つらいのは日焼けです。陽射しが強いと一日で肩が痛くなります。今回は肩にタオルをかけていたので、日焼けの心配はほとんどありません。
新幼稚園児は1時間あまりで飽きて、妻といっしょにホテルのなかに戻りました。おなかがすいた、と言っていました。ちびどもは、ほぼ2時間泳いでいました。今年ちびどもの泳ぎを見るのは初めてです。ちいさいちびも小学校のプールの時間だけである程度泳げるようになっていました。息継ぎが難しいようで、5回程度までしか息継ぎができません。深いところではおねえちゃんに背負ってもらっていました。こういうところは、姉妹仲良しです。8月9日(日曜日)
おばあちゃんは4時40分に起きて、大正琴の全国大会に。参加者が順次バスに乗り込んで大阪に向かいます。おばあちゃんの乗車時刻は6時。台所に残っているものから見ると、おにぎりを作って出かけたようです。乗車した場所に夜の8時に戻ってくる予定です。
われわれは6時半。新幼稚園児が最初に目覚めました。
夜半から雨。山のてっぺんが霧で真っ白です。ちょうど今は止んでいますが、天気予報によればかなり強い雨が降るようです。朝から雷鳴も聞こえます。一日中、雨が降ったり止んだり。熱帯低気圧が近づいてきているということです。気の早いおじいちゃんは、家の周りのものを風に飛ばされないように片付けていました。
おばあちゃんは予定より1時間遅れて、9時過ぎに帰ってきました。おおきいちびはおばあちゃんが帰ってくるまで布団のなかでおきていました。
8月10日(月曜日)
[台風9号接近中]
新幼稚園児が起きて、6時半。とりあえず、雨は降っていません。
ちびどもは起きてすぐに、DS。ともだちコレクションが気に入っています。
新幼稚園児がおじんちゃんちにあるいろんな機械に手を出しています。血圧計を見つけて、使いたいとごねます。電源を接続してやりました。せっかくですから、計測して見ました。
今朝7時前の数字です。最高血圧126mmHg、最低血圧81mmHg、脈拍58回/分。まずまずでしょう。ちいさいちびが新庄の公園に行きたいと言います。台風の影響がはっきりしません。おじいちゃんおばあちゃんが昼寝から目覚めたあと、相談しようと言っておきました。
2時前に昼寝からおきてきました。
田辺のオークワのパビリオンシティに行くことにしました。ボーリングという妥協案でちいさいちびも納得しました。高速のおかげでパビリオンシティにはすぐです。
10時半に昼ごはんを食べたちいさいちびがおなかがすいたというので、まず、ミスタードーナッツ。ちびどもは二つずつ、新幼稚園児もすこし食べました。
1階上がってボーリング場のレーンへ。子供用のレーンはあいていました。申し込んですぐにプレイをすることができました。子どもたちだけのプレイ。
身体が大きくなったおおきいちびは力もついてきたようです。まっすぐに投げることができるようになっています。ちいさいちびはまだ腕の力が足りません。新幼稚園児はいつも通り、両腕で転がしています。
新幼稚園児は7ゲームぐらいであきました。
成績ですが、おおきいちびが110点、ちいさいちびが71点、なおが69点です。
もちろん、普通の大人のレーンだと、半減以下となります。プレイ終了後は、おじいちゃんの希望で餃子の王将へ。4時半。さすがに空いています。おお、新幼稚園児がよく食べています。おばあちゃんのめんめんをもらいましたが、お代わりをしています。この夏いちばんよく食べたかもしれません。
その後温泉へ。国民宿舎に行くと、外来受付は終了しましたの表示。仕方がないので、ロイヤルへ。新幼稚園児は今日はママについていきました。私は1週間分のひげをそりました。
8月11日(火曜日)帰京日
ひとりで6時。和歌山のこの地から台風は去ったと言って良いようです。台風一過の青空とはなっていませんが、すこし雲の多い夏の日の朝です。
テレビをつけると地震のニュース。我が家にとっては新幹線がきちんと動くかどうかが問題です。始発からしばらくは運転を見合わせるということです。記録:紀勢本線は、オーシャンアロー8号(南部発8時43分、新大阪着10時49分)。新幹線は、のぞみ334号(新大阪発11時27分、東京着14時3分)。
現実には、新大阪着は11時ぐらいでした。東京着は、3時半ぐらいでした。大人の乗車券は10190円、新幹線は5740円、紀勢本線特急券は1190円でした。5人で往復して、11万320円。飛行機を使うと20万近くかかります。
ひとりで6時。雨は止んだようです。家族揃って帰省しています。新幼稚園児がおじんちゃんおばあちゃんところに行くと言って、ずっと前から一番楽しみにしています。
ということで、しばらく更新が出来ません。緊急に用事がある方は、リムネットのアドレスに連絡下さい。レッツノートは持っていきます。
ひとりで5時45分。昨夜のお酒がまだいくらか残っています。久しぶりです。ひどい症状ではありませんが、これは二日酔いでしょう。昨夜飲みすぎたようです。
片づけ以外はほとんど休んでいました。一日中、降ったり、止んだり。
新幼稚園児が寝言で、なおのくるまない、おおきいくるま、と言って、6時。ほんとうにくるまの好きな子です。おお、もう、8月。晴れ。まだ気温はそれほど高くなっていません。
昨日の残りを処理するために、10時前に家を出て、大学へ。
昨日は総合文化研究所の奥の部屋で作業をしていました。棚にそのまま残してあります。わずかに残ったレスポンスシートを処理し、成績記載票に転記し、そのバックアップコピーをとり、研究室からもっていったぼっくすに全ての紙をしまって、今日の後処理は完了。
成績をつけるべき科目はもうひとつ残っていますが、疲れでエラーを起こしやすい。再び東京にもどってから処理することとしました。(つまり、手をつけず。)
大学は、8月11日から17日の早朝まで閉鎖されます。その後にもう一度でかけて、成績の処理だけ行うことになります。また、その間に全館停電があるので、気がついた範囲で電機製品の電源を落としてきました。パーフェクトではないかもしれませんが、こんなところでしょうか。
夕刻に、新浦安で、飲み会。大学の友人たちなので、まあ、同窓会に近いでしょうか。
→新浦安は京葉線です。わかりやすさで言えば、中央線で東京まで行って、京葉線に乗り換えですが、あいにく土日は中央線(快速)は西荻窪に止まらない。乗換案内で調べて、市ヶ谷まで総武線、そこで有楽町線に乗り換えて、新木場まで。新木場から京葉線という道筋にしました。乗換案内では、1時間9分。実際、ほぼ1時間10分前後で着きました。幹事より指定のお店は、駅前のダイエー(ショッパーズプラザ)の4階にあります。6時開始のメールをもらっていましたが、6時5分に着きました。
3時間のコースということで、9時過ぎまで。腰痛を抱えるO氏と二人だけ、1次会でお暇しました。飲み会では、それぞれの老化現象で盛り上がっていました。そういう年齢になったわけです。
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