夜半に目覚めました。すこし仕事をしています。ひとりで6時15分。室温23度。今日だけすこし気温が高いようです。明日はまた最近の気温に下がるということです。
実は、明日が小学校の運動会。ずっと雨マークがついていました。前後は雨が降らないのに土曜日だけ雨マークという天気予報が続きました。しかし、昨日の時点で、土曜日の天気予報から雨マークが消えました。小学校の運動会はここんところいつもひやひやしています。スケージュール調整が難しくなるので、できるだけ最初の予定の日にすっきりと開催できるのが関係するほとんどの人の願いでしょう。おやつの時刻に次の本が届きました。著者の小澤さんのご高配によります。小澤さん、ありがとうございます。
金沢百枝・小澤実
『イタリア古寺巡礼:フィレンツェ→アッシジ』
新潮社、とんぼの本、2011[人工衛星打ち上げ数:国別]
昨夜アマゾンより次の本が届きました
天文年鑑編集委員会編『天文年鑑 2011』誠文堂新光社、2010
これに基づき、例年の作業を作業を行います。月曜日の授業のための準備です。pp.212-215 に「人工天体」の項があります。表1が「2009年8月から2010年7月までに打ち上げられた人工衛星」です。
この表1に基づき、国別の人工衛星打ち上げ数を表を作りました。
アメリカ:22
ロシア: 26
中国: 12
日本: 10
ドイツ: 6
インド: 4
ヨーロッパ宇宙機関:3
韓国:3
ISTO :3
ノルウェー:2
フランス: 2
スイス: 2
スペイン:1
ルクセンブルク:1
オランダ:1
インドネシア:1
サウジアラビア:1
ウクライナ:1
トルコ:1
アルジェリア:1
イスラエル:1 カナダ:1
南アフリカ:1
ユーテルサット:1
ここ数年、1位アメリカ、2位ロシア、3位中国、という上位3位は固定していましたが、2009-2010年度に関しては、再びロシアの打上数の方が多くなりました。シャトルの引退がきいているのでしょうか。
最近の話題を並べます。
1.本日の新聞にあるニュースからいきましょう。
中国は、2020年完成を目指し、宇宙ステーションの雛形となる「天宮1号」を9月29日の夜打上に成功した。「天宮1号」は、全長10・4メートル、最大直径3・35メートル、重さ約8・5トンで、2年間使用。
宇宙における独自の地位を目指し、「軍主導で国内の軍需産業を総動員して」独自開発を進めているということです。
(中国の計画は3段階ということです。第1段階:宇宙船「神舟号」に宇宙飛行士を乗せ安全に帰還させる。第2段階:船外活動とドッキング技術を成功させる。第3段階:中国独自の宇宙ステーションを建造す。
今回の成功は、第2段階の足がかりとなります。ちなみに、第1段階は、有人宇宙船「神舟5号」によって2003年に達成しています。」)2.大気観測衛星「UARS」の落下。
1991年、スペースシャトルによって打ち上げられ、2005年まで大気中のオゾンや化学物質を観測していた大気観測衛星「UARS」が9月24日サモアに近い太平洋上空で大気圏に突入し、南太平洋(同地点から480キロ〜1300キロの範囲)に落下しています。
これに関しては、どのように計算したのかわかりませんが、人間に当たる確率を3200分の1としていました。3200分の1は、こうした数字としてはかなり大きいと思われます。3.「光学4号」打上成功。
ニュースは、次のように記述しています。9月23日宇宙航空研究開発機構(JAXA)と三菱重工業株式会社は「政府の情報収集衛星「光学4号機」を載せたH-IIAロケット19号機を、鹿児島県種子島宇宙センターから打ち上げた。」「情報収集衛星は事実上の偵察衛星。」
H-IIAロケットにとっては、19回目の打上げで、2003年11月の失敗のあとは、13回連続して打上げに成功している。
情報収集衛星の方は、昼間の晴れたときに地上の物体を監視する光学衛星2機と、夜や曇りでも使えるレーダー衛星2機の組合せで運用する予定。2003年からこれまでに8機打上げたが、今動いているのは光学1〜3号機だけ。政府は2機+2機の態勢を早期に確立したいということで、2017年度までに新たに9機を打ち上げる計画だそうです。
なお、情報源としては「しんぶん赤旗」のサイトが一般誌とは異なる視点から有用な情報を提供してくれています。「大規模災害などへの対応」と「安全保障」を名目に導入されたが、たとえば、今回の事故ですっかり有名になった吉井英勝議員が「3月11日の地震・津波の被害や福島第1原発事故の状況について、情報収集衛星の画像を公開するよう」何度も要求したが、政府はまったく応じていないということです。台風12号の被害についても何も画像を公表していないということです。
「スパイ衛星の運用組織」というのが「しんぶん赤旗」のタイトルです。4.スペースシャトル計画の終了。
エンデバーは、2011年6月1日、(1992年5月初飛行)25回目で最後のフライトから無事帰還。
アトランティスは、7月8日打上げ、2011年7月21日、無事帰還。
これにて、スペースシャトル計画が終了。ナサは、古いタイプの使い捨てロケットに回帰。スペースシャトル計画についてはウィキの記述がよくできていると思います。
夜半に目覚めました。すこし仕事をしています。妻と寝場所を交代したおおきいちびが目覚ましをかけて6時半。室温22度。ちいさいちびの熱は高くはなっていないようですが、夜中気分が悪いと言っていたそうです。
今日も会議。
会議は3限の時間帯。ほぼ定刻にはじまり、定刻より10分程度遅れで終わりました。上出来です。来週からいよいよ後期(2学期)が始まります。準備を始めました。
ひとりで5時20分。室温22度。今日は会議の日です。新学部設置準備室会議。午前は、10時に始まり、12時前に終了。お昼ご飯をはさんで、再開し1時から2時40分まで。
お昼休みに大学のキャンパスを半周してみました。生協の購買部はリニューアルして、ほとんどコンビニになっています。4分の3が本屋さん、4分の1程度がコンビニといったところでしょうか。
台風のせいでしょうか、もともと弱っていたのでしょうか、木を切り倒して丸太にしているのが目に付きました。
大学のすぐ側にパン屋さんを発見しました。学生たちにはどのぐらい認知されているのか知りたいところです。
やっと東大から冬学期の時間割がきました。シラバスと便覧は、後期課程係まで取りに来いとあります。もうすこしはやめに連絡しようという気はないのでしょうか? 私には何かが破綻しているように思われます。
[ちいさいちび発熱]
夕食後、ちいさいちびが寒いといって体温をはかりはじめました。その時点では体温計では熱はなかったのですが、額には熱を感じます。早めに休むように言ったところ、お風呂上がりで布団にもぐり、8時過ぎにはいびきをかいて寝入ってしまいました。
そして、9時過ぎには熱が出ていました。いきなりあまりにも活動量が増えました。一番大きいのは疲れでしょう。
ちびどもに続いて6時40分。室温22度。季節がいきなり2ヶ月進んだような気温です。昨日読んだアン・ブレアの論文は、アイシス誌の焦点 (Focus in ISIS)に掲載されたものです。このテーマであれば、どうして私が読んでいないのか疑問になり、調べてみました。
"Focus: Scientific Readers" は、2004年号の特集です。ちょうど私が「ボイルの読書/引用/執筆」論文を執筆したときに出版されています。気付けば読んでいたと思いますが、ISIS2004年号が届いたときに(自分のテーマに深く関係しているにも関わらず)見過ごしてしまったのでしょう。
3点の短い特集です。
Ann Blair, "An Early Modernist's Perspective," ISIS 95(2004): 420-430
Jonathan R. Topham, "A View from the Industrial Age," ISIS 95(2004): 431-442
Loraine Daston, "Taking Note(s)", ISIS 95(2004): 443-448
ウェブで3点とも入手できます。ダストンのものは、レビューです。今からすればちょっともの足りない特集です。→さらに調査を継続すると、BJHS(イギリス科学史学会誌)も2000年の号で同様の特集を組んでいることに気付きました。
special section: book history and the sciences
「特集:本の歴史と科学」JONATHAN R. TOPHAM, "Introduction to BJHS special section: book history and the sciences," The British Journal for the History of Science 33(2000) : 155 - 158
ADRIAN JOHNS, "Miscellaneous methods: authors, societies and journals in early modern England," The British Journal for the History of Science 33(2000) : 159 - 186
LESLIE HOWSAM, "An experiment with science for the nineteenth- century book trade: the International Scientific Series," The British Journal for the History of Science 33(2000) : 187 - 207
NICOLAAS RUPKE, "Translation studies in the history of science: the example of Vestiges, " The British Journal for the History of Science 33(2000) : 209 - 222
これは探せば、この部屋か研究室にあるかも知れません。
トッパム氏のイントロはウェブにあります。ダウンロードしてさっと読みました。Book History という雑誌が創刊されたとあります。この種の特集は日本でも必要だと考えます。関心を共有する方、いませんか?
夕食の前に次の本が届きました。
Ann M. Blair
Too Much to Know: Managing Scholarly Information before the Modern Age
New Haven and London: Yale University Press, 2010
バックカバーには、ウィリアム・シャーマン、ナンシー・シライシ、アンソニー・グラフトンの推薦文が掲載されています。
ひとりで6時5分前。室温22度。やはりいくらか寒く感じます。幼稚園児はまだ喉の痛みがあるというので、大事をとってお休み。小学生は1限に運動会の全校練習があると言って元気に出かけていきました。
→ただ休ませればよいと思っていましたが、念のため、喉の奥を見てみると赤い。お医者さんに診てもらうことにしました。真っ赤に腫れているので直るまで休ませて下さい、ということでした。[Robert Hatch]
一昨日私の知らないハッチさんと記しましたが、自分のサイトで検索をかけると、忘れていただけでした。2007年5月18日に次の論文を紹介しています。
Robert Alan Hatch, "Clio Electric: Primary Texts and Digital Research in Pre-1750 History of Science", ISIS, Volume 98, Number 1, March 2007, pp.150-160今年の3月5日に次のものを挙げています。
Robert A. Hatch, "The Republic of Letters: Boulliau, Leopoldo and the Accademia del Cimento," in Marco Beretta, Antonio Clericuzio and Lawrence M. Principe (eds.), The Accademia Del Cimento and Its European Context (Sagamore Beach. Mass.; Science History Publications, 2009), Chap.11.目次がないようなので、『科学革命のアーカイブ:17世紀ヨーロッパにおける思想の形成と交換』を作っておきます。
Michael Hunter ed., Archives of the Scientific Revolution: The Formation and Exchange of Ideas in Seventeenth-Century Europe, Woodbridge: Boydell Press, 1998Michael Hunter, chap.1, "Introduction"
Massimo Bucciantini, "Celebration and conservation: the Galileian Collection of the National Library of Florence, "
Mark Greengrass, "Archive Refractions: Hartlib's papers and the workings of an intelligencer,"
Robert A. Hatch, "Between Erudition and Science - the archive and correspondence network of Ismael Bouillau,"
Frances Harris, "Ireland as a laboratory : the archive of Sir William Petty,"
Joella Yoder, "The archives of Christiaan Huygens and his editors,"
Domenico Bertoloni Meli, "The archive and Consulti of Marcello Malphighi :some preliminary reflections, "
Michael Hunter, "Mapping the Mind of Robert Boyle: the evidence of the Boyle Papers,"
Rob Iliffe, "A 'connected system'? : the snare of a beautiful hand and the unity of Newton's archive,"
James G. O'Hara, "A' chaos of jottings that I do not have the leisure to arrange and mark with headings' : Leibniz's manuscript papers and their repository, "
Mordechai Feingold, "Of records and grandeur - the archive of the Royal Society,"
Christiane Demeulenaere-Douyere and David Sturdy, "Image versus Reality : the archives of the French Academie des Sciences, "
調べていくうちに、結局、アン・ブレアの論文を2点ダウンロードすることになりました。
Ann Blair, "An Early Modernist's Perspective," ISIS 95(2004): 420-430
Ann Blair, "The Rise of Note-Taking in Early Modern Europe," Intellectual History Review 20(2010): 303-16
ともにDigital Access to Scholarship at Harvard からです。
→両方をさっと読み通しました。面白い。私に面白いのは当たり前と言えば当たり前です。もともと関心を共有します。提示される事例も科学史に関わるものであれば、相当割合で私の頭のなかにあるものです。
幼稚園児が起きて6時30分。熱は下がりましたが、口のなかが苦いと泣き声。風邪が直るにはもうしばらくかかるようです。室温22度。寒く感じます。ほっておくとずっと家のなかにいるちいさいちびを連れ出す意味もあって、朝からちびどもを原宿に連れていくことになりました。
竹下通りは、すごい人混みです。おおきいちびはもうアイドルショップの場所を覚えたようです。アイドルショップは狭いので、私は外で待つこととしました。ぼんやり通り過ぎる人を見ていました。カメラを手にしているのは、多くは外人さんでした。取材しそうな感じの人もいましたが、実際に取材はしていませんでした。
セブンイレブンのあるところがアイドルショップ巡りの終点です。その時点で11時半。昼飯を食ってから帰ることにしました。おおきいちびがスイートパラダイスがよいというので、ともあれ行ってみました。階段の外に長蛇の列。中学生とか高校生の女の子のグループが並んでいました。
おおきいちびもその列をみてあきらめがついたようです。
竹下通りは離れた方が賢明です。ラフォーレの方に向かい、交差点の近くのお店に入りました。ちびどもはハンバーグ、私はスパゲッティ。3人で完食。おおきいちびがもういちどお店をみたいというので、竹下通りに戻りました。今度は、雑貨屋さん。ちびどもにもちびどもの選択基準があるようです。2軒のお店に入り、けっこう長く見ていました。今回も私は外で待っていました。やはり入店に列ができているところもありました。1時10分頃、原宿駅にもどることができました。
西荻窪の駅からちびどもはまっすぐ帰りました。私は妻と幼稚園児のお土産を駅前のセブンにレブンで調達しました。
ひとりで6時50分。室温22度。外は見事な秋晴れになりました。朝10時過ぎ、幼稚園児がソファーの上で昼寝していました。昨日張り切って遊んで疲れたのでしょう。このあたりがまだまだ幼稚園児です。→30分ほどで起きてきました。おやあつい。熱が出ていました。38度6分。誰かから風邪をもらったのでしょう。
寝ると元気になる、しばらく起きているとまたぐんなりして寝る、を繰り返しました。この子は風邪をひくとすぐに高熱が出ます。[薔薇十字]
ICU の講演会の後の質問をきっかけに、歴史における薔薇十字運動をまとめてみました。
このサイトは、自分のための覚え書きの方にウェイトを置いているので、親切ではない部分は親切ではありません。
薔薇十字運動に関心をもった学生諸君のために、簡単に手引きを記しておきます。
最初は、ヨーハン・ヴァレンティン・アンドレーエ『化学の結婚:付・薔薇十字基本書』種村季弘訳・解説(紀伊国屋書店、1993)をきちんと読んでもらうのがよいと思います。
この書は、『化学の結婚』のテキストを日本語で紹介することを主眼としていますが、他に薔薇十字基本書として、Fama『薔薇十字の名声』、Confessio『薔薇十字の信条告白』、『全世界の普遍的かつ総体的改革』を訳出しています。
さらに訳者の種村さんによる、1)「『化学の結婚』解題(付・図版)、2)「ヴァレンティン・アンドレーエと薔薇十字団」が付されています。
1)解題には、基本的な研究書と日本語の参考文献が挙げられています。2)には力ある文人による解説があります。
ここから研究文献に進んでもらえれば、歴史における薔薇十字運動に迫っていくことができるでしょう。Robert A. Hatch, "Correspondence Network," in Encyclopedia of the Scientific Revolution, pp.168-170 を読みました。駒場の授業の準備作業です。ハッチさんはまったく知らない方ですが、この記事は勉強になりました。参考文献は5点挙げています。うち2点は自身の論文です。
Robert A. Hatch, "Between Erudition and Science: The Archive and Correspondence Network of Ismaël Boulliau," in Michael Hunter ed., Archives of the Scientific Revolution: The Formation and Exchange of Ideas in Seventeenth-Century Europe, Woodbridge: Boydell Press, 1998, chap.4
Robert A. Hatch, "Peiresc as Correspondent: The Republic of Letters and the Geography of Ideas," Science Unbound: Geography, Space, Discipline, ed. BrianP.Dolan., Sweden, 1998, chap. 1
最初のものは手元にあります。2番目のものは存在を知りませんでした。取り寄せて読んでみます。→取り寄せるには、存在していないといけません。ワールドキャットで検索すると、もっとも近い所蔵として、ケンブリッジ大学が出てきました。相当の稀書です。(日本の図書館が所蔵しないのはもちろん、アマゾンでもAddALL used books でも見つかりません。)
→最初のハッチ「博識と科学:イスマール・ブーリョのアーカイブと交信網」には、有用な地図がついています。
地図1:ペレスクの交信地図:Nicolas-Claude Fabri de Peiresc (1580-1637) はおよそ1万から1万4千通の手紙を死去に際して残した。おそらくその半分が残存している。地図はほぼ3200通の出版された手紙(1598-1637)をマッピングしている。
地図2:メルセンヌの交信地図:『マラン・メルセンヌ書簡集』(全17巻)は1871項目を含む。そのうち半分よりすこしだけ多い手紙がメルセンヌ宛て&メルセンヌMarin Mersenne, 1588-1648) の受け取ったものである。地図は、1,099通(1617-48)をマッピングしている。
地図3:コレクション・ブーリョの書簡:Ismaël Boulliau (1605-94) は、死に際し、約1万通の手紙を残した。その約半分が残存している。地図は4200通(1632-92)をマッピングしている。
地図4:オルデンバーグの交信書簡:『ヘンリー・オルデンバーグ書簡集』(全13巻)。地図は3170通(1641-78)をマッピングしている。
ひとりで3時45分。室温24度。外の気温は、20度を下回ったようです。秋分の日で休日。小学生二人は外出しないというので、午後、幼稚園児とふたりで吉祥寺に行ってきました。私はユザワヤでリングファイルを買いました。それから井の頭公園へ。幼稚園児がボートに乗りたいというので、足漕ぎ式のボートへ。まだペダルが遠いのですが、2〜3割は漕いでいました。
その後、自分はガチャポン、おねえちゃんたちには団子をお土産に買ってから、遊具のある場所へ。滑り台やブランコ。
まだ遊び足りないようです。大道芸人たちの場所に行ってみました。顔面紙芝居というのがちょうどはじまったばかりでした。10数人こどもがすわってみています。仲間に入りました。
幼稚園児は、客としての乗りは一番よいタイプです。たぶん一番大声で叫んでお土産をもらいました。一等賞と言って、大喜びで帰途に着いてくれました。
ひとりで6時半。室温25度。台風一過の秋晴れ。きれいな青空が窓から見えます。午後はまた暑くなるという予報。
→見事な青空になっています。ここしばらくは薄曇りが続いたので、空が抜けたかのように感じるきれいな青空です。昨晩読もうと思って布団の脇に持っていった種村季弘「ヴァレンティン・アンドレーエと薔薇十字団」『化学の結婚』(紀伊国屋書店、1993)pp.293-343 を朝のうちに読み通しました。たぶん、これで3回目になるでしょうか。とてもよく書けています。ただしやはり知識を前提とする部分があり、今が一番よくわかった気がします。種村さんの脱稿は1993年3月21日です。たぶん春分の日ではないでしょうか。
私自身がふとしたきっかけで、薔薇十字運動に関心をもったのは、幼稚園児が誕生した1ヶ月後です。前後の日記には、和歌山から私の父母に来てもらったり、台北から妻の母に来てもらったりした際の記述があります。ICU の公開講演会が終了したあと、私の仕事として大至急具体化すべきは、東大駒場の授業進行です。自分のために基本的情報をまとめます。
2011年 東京大学教養学部 後期課程 冬学期開講 「科学史特論 V」
曜日教室 金曜日5限(16時20分〜17時50分)14号館308室
授業内容 「ロンドン王立協会・パリ科学アカデミー再訪:科学革命の見直しにむけて」授業開始日 10月7日(金曜日)
最終授業日 1月27日(金曜日)まだ案内は来ていませんが、大学のサイトで見ると、冬学期は10月6日スタートとあります。2月1日が冬学期に終了日で、2月2日から2月14日が試験期間とあります。また1月10日(火曜日)の午後は、火曜日の授業を行わず、金曜日の授業を行うとあります。
10月7日
10月14日
10月21日
10月28日
11月4日
11月11日
11月18日
11月25日 駒場際で休講か
12月2日
12月9日
12月16日
1月13日 午後はセンター試験で休講?
1月20日
1月27日
こういう感じになります。私自身はどなたが参加してもらってもかまいません。あるいはむしろ歓迎します。初回に教室に来てもらえればと思います。
東大駒場2011年冬学期「科学史特論 V」上のリンクにまとめました。他に、可能なテーマとしては、種村季弘「ヴァレンティン・アンドレーエと薔薇十字団」『化学の結婚』(紀伊国屋書店、1993)pp.293-343 に記述されているような、実際の学者共同体ではなく、ユートピアとしての学者共同体の思想史もあると思います。(王立協会やパリ科学アカデミーの思想的背景。)
フランシス・ベイコン『ニュー・アトランティス』;トマス・モア『ユートピア』;カンパネッラ『太陽の都』;アンドレアーエ『クリスティアノポリス』等々を比較する作業です。次の場所に公式のシラバスがありました。
東大駒場2011年冬学期「科学史特論 V」公式シラバス
ひとりで5時半。室温23度。一気に気温が下がりました。台風の雨が降っています。予報によれば、午後3時頃東京を通過するようです。場合によっては直撃かもしれません。小学生は大雨警報のなか登校しました。
→さすがに学校から連絡があり、はやめに給食を食べさせて(12時20分を目処に)、下校させるということです。テレビを見ていると、ほんとうに珍しく東京を直撃する可能性も出てきました。午後は、自宅でおとなしくしているのが正解だと思います。→台風は駆け足で抜けていきました。サッカーのオリンピック予選が佐賀で始まる頃には、風も雨も終わっていました。4時頃しめた雨戸も再び開けました。6時前後の1時間から2時間が一番風が強く吹いていました。浜松に上陸したあと、今は甲府とテレビに映ったあとは、すぐに埼玉の秩父でした。
私は、『化学の結婚』に付された種村季弘氏の解説論考「ヴァレンティン・アンドレーエと薔薇十字団」を読もうとして2階に上がった途端、オリンピック予選を見てしまいました。日本対マレーシア。マレーシアに負けることはまずないでしょう。たぶん観戦した多くの方の関心は何点ゴールをあげるかにあったと思います。2ゴール。
見ている側はゴールの量産を期待しますが、まずは、よいスタートだったのではないでしょうか。
午後3時半から5時まで。次の講演を行います。出席はまったく自由ということなので、お時間のある方はどうぞ。ICUキリスト教と文化研究所主催
公開講演会「科学史フォーラム」
吉本秀之 (東京外国語大学・科学史)
「初期近代の読書:ロバート・ボイルの事例」
国際基督教大学 教育研究棟(ERB)257/259号室当初は「読書空間」としたのですが、よく考えると「読書の実践 reading practice」を問題とします。このわずかの変更は、現場でなおします。
7時起床。室温25度。ちびどもと妻は起きて朝食中でした。幼稚園児は、7時半前に起きてきました。昨夜から降り始めた雨は小降りになっています。止みそうな雰囲気ですが、どうでしょうか。
→昼食後しばらくしてから大学に向かいました。まずは今日の講演会の配付資料をコピーしました。過去の例からして、30部で間に合うと予想しましたが、念のため35部用意しました。A3 の表裏に1枚(A4 で4枚分)に収めました。
それから研究室ですこしだけ事務的処理。2時28分多磨駅発の電車に間に合うよう片づけは切り上げました。武蔵境2時52分発のバスで間に合うはずです。武蔵境の駅でバス停の方に向かっているとちょうど ICU 行きのバスが入ってきました。わずかに寄り道するつもりだったのですが、すぐに列にならんで乗り込むことにしました。乗り込むと同僚の先生が座っていました。話を伺うと、ICU はすでに秋学期が先週から始まっているのだそうです。非常勤で3時から7時過ぎまで仕事があるということです。働く側からすると ICU はきついな。体力のある方には、効率的かもしれません。
キャンパス内に建物は数多く建っていますが、研究教育棟はひとつということです。研究教育棟のウイングみたいな建物の2階にキリスト教と文化研究所が入っています。3時前後に研究所にお伺いし、5分前に会場に入りました。
話したのは、4時43分まで。たぶん、1時間ちょい話したことになると思います。
終了はおそらく5時40分。
最後に ICU の4年生の学生さんから、薔薇十字運動について質問を受けました。ジリーという名前の研究者のものをお読み下さい、他に日本でも信頼できる文献があります、と回答しました。
思い起こすために、私のサイトの記述を検索してみました。2005年12月をご覧下さい。まとまった情報があります。
Carlos Gilly, Adam Haslmayr, Der erste Verkünder der Manifeste der Rosenkreuzer (Amsterdam, 1994)
私の手元にあるカーロス・ジリー氏の著作はこれです。トビアス・ヘス Tobias Hess、ヨハン・アルント(Johann Arndt)、ロラン・エディゴフェル『薔薇十字団』(田中義廣訳、白水社、1991)、ドイツ神学、種村季弘氏の「『化学の結婚』解題」あたりから調べてもらえば、欲しい情報に辿り着くのではないでしょうか。
せっかくですので、私のサイトの情報を以下にまとめました。
歴史における薔薇十字運動それから1時間あまり、研究所のスタッフの方と話していました。
帰りは高木さんの車のお世話になりました。「ICUキリスト教と文化研究所」のみまさま、暖かいおもてなし、ありがとうございました。
ひとりで5時10分。室温28度。やはり薄曇りの晴れ。上の通知した明日の講演会のための準備をしています。ゼンネルトの英訳を綴じたファイルをずっと探していましたが、やっと見つけました。該当個所を講演までに読み直しておきます。
原子論の歴史について昔作ったレジメも見つかりました。出版史の部分だけ、紹介しておきましょう。
1417 Poggio Bracciolini がとある修道院で De rerum narutaのMsを発見。ニコロ・デ・ニコリが写しをとる。これが15世紀の多くの写しのもととなる。
1473 Bressiaで最初の印刷本。
1500 ベニスで初めてのアルドゥス版。
1475 ディオゲネス・ラエルティオスの『哲学者列伝』の初めてのラテン語訳。
ガッサンディの『エピクロス伝』(Lyon, 1647) は出版の20年前に完成していた。全集版では、V, 167-236
ガッサンディの『哲学集成』は、エピクロス哲学の解説ではない。ガッサンディ自身の哲学思想の大要を提示してる。また、晩年の思想の提示ではない。25年間にわたる資料を組み入れている。前にこのサイトで追究していた、"chemical analysis" という用語の起源ですが、パラケルスス派のどこかであろう(本当の最初は突き止めることができていない、ファン・ヘルモントに“火による分析”の用法がある。ボイルには“化学分析”の用例がある)ことは言っています。ビリッヒに“分析(と合成)”の用法があることに先ほど気付きました。
Anton Günther Billich,
Observationum ac Paradoxorum chymiatricorum Libri Duo: Quorum Unus medicamentorum Chymicorum praeparatione, Alter eorundem usum succinte perspicuèque explicat
Leiden, 1631
基本的には Anatomy という語を使っていますが、かなり多くの箇所で、"analysis" を使っています。(たとえば、p.21. 本文中で、"ab ipsa corporum analysi et synthesi constituitur; 欄外で、"Analyticus, Syntheticus, ut ab initio dictum.")しかも、"synthesis" と対で使っています。ビリッヒは、サラの弟子ですから、サラの周辺で使われはじめたのかもしれません。ともかく、継続調査です。
息子といっしょに6時30分。室温28度。室温は高いままですが、窓を開けたときに感じる空気には涼しさがあります。もうすこしでしょう。日中は快晴となりました。きれいな青空はよいのですが、暑い。木陰に吹く風は涼しいが、一歩日射しをまともに浴びると夏そのものです。
ちびどもはふたりとも夕方からお祭りにでかけました。幼稚園児を連れていくとたいへんなので、午前中ヨドバシに連れていって、ポケモンバトリオを3回やらせました。おねえちゃんたちが出た後、駅前のおもちゃ屋に連れていって、ポケモンカードを買ってやりました。これでおねえちゃんたちの3分の1から4分の1ですみました。
おねえちゃんたちは、8時から8時15分の間に帰ってきました。
ひとりで6時15分。室温28度。薄曇りの晴れ。地面が濡れています。夜半に雨が降ったようです。私は気付きませんでした。ちいさいちびの風邪はまずまずのようすです。鼻と喉に症状がすこし残っていますが、すこしだけです。妻は風邪でダウン。寝込んでいます。
おおきいちびは午後お友達といっしょに八幡神社のお祭りに。帰宅が8時半になると言っています。私は、20日の講演のスクリプト作成作業を継続しています。この状況ですから、少しずつしか進めることができていません。→400字詰め換算で52枚まで。もちろん全部を発表することは考えていません。考えをまとめておきたいと思い、とめずに進めています。
幼稚園児といっしょに6時30分。室温27度。薄曇りの晴れが続いています。お昼前に次の本が届きました。アマゾンのマーケットプレイスからです。
David B. Malament ed.,
Reading Natural Philosophy: Essays in the History and Philosophy of Science and Mathematics
Chicago and La Salle: Open Court Pub, 2002
先月の8月26日に記した本です。結局ちいさいちびは実際軽い風邪にかかったようです。喉の痛みと鼻水。
そして、何と妻も夕刻同じ症状であることが判明しました。もらったと言っています。一番先に休みました。
ひとりで5時30分。室温28度。薄曇りの晴れ。昨夜ちいさいちびの熱が37.4度まで上がりました。雰囲気からして軽い熱中症ではないかと思います。冷えピタをおでこにはり、今年の夏一気にはやった冷却タオルを首に巻いて寝させると、とりあえず朝はもとに戻っていました。この暑さなか運動会の練習に励む子どもたちの中には、熱中症にかかる子が一定数いるのではと思われます。
昨日は私自身も汗のかきかたと体感でごく軽い熱中症ではなかったかと思っています。さて、今日は夕刻に仕事。1年に1度、御茶ノ水の医科歯科に行って、3時間の講義を行います。2コマ連続、3時間というのがこの講義のポイントです。
→4時45分頃夕食をとり、5時前に家をでました。5時半には御茶ノ水に着きました。駅前の丸善の店頭特売で幼稚園児用のお手紙セットと電卓を買い、本を少しだけ見てから、東京医科歯大学の教室に向かいました。5時50分に到着。TA の院生が一人。みなさん昼間は仕事をしています。初回の栗田先生からは21人と聞いています。10人が集まった時点ではじめました。
授業は2ヶ月ぶりになります。声はいまいちですが、マイクなので問題はありません。時間の感覚がずれています。最後15分は余らせて、コメントを言ってもらおうと思ったのですが、3分ぐらいしか余られることができませんでした。簡単にレスポンスシートだけ書いてもらいました。
暑さのせいもあるでしょうが、3時間立って喋り続けたことが疲労を呼んだようです。ともかく疲れました。午後次の本がアマゾンより届きました。
ナオミ・クライン
『ショック・ドクトリン〈上〉 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』
幾島幸子・村上由見子訳、岩波書店、2011
上下に分かれているとは思いませんでした。奥付によれば、9月8日初版発行。
ひとりで5時50分。室温27度。薄曇りの晴れ。週末まで夏が居残るということです。会議は1時スタートです。全部で6つありました。最後のが終わって7時。昨日よりはましです。それでも、6時間です。疲れました。
会議の合間をみて、次の本を図書館から借り出しました。
日外アソシエーツの『人物レファレンス事典 科学技術篇』(日外アソシエーツ、2011)
事典の事典です。たとえば、ボイルであれば、どの事典に記載があるかの情報をまとめたものです。日本で出版された事典だけを調査範囲にしています。日本での注目度を見るにはちょうどよい事典です。帰宅すると新しい化学史研究が届いていました。2011年第3号。目次は次の通りです。
[シリーズ 日本の化学者]伊藤良一「旧制高校最後の生徒から見た創造的化学教育者 山岡望」第38巻(2011): 115-124
[表紙絵解説]金城徳幸「キュリー夫妻の描かれたフランス紙幣」 第38巻(2011): 125
[総説]金城徳幸「科学者の写真を用いた科学教育に関する一考察」第38巻(2011): 126-142
[総説]大野 誠「ニュートン錬金術手稿の研究現状」第38巻(2011): 143-153
[広場]渡邊慶昭「化学啓蒙書の系譜:19世紀フランスの啓蒙書」第38巻(2011): 154-157
[広場]河野俊哉・渡部智博「第7回化学史研修会報告」第38巻(2011): 158-160
[紹介]金城徳幸「石原あえか『科学する詩人ゲーテ』」第38巻(2011): 161-162
[紹介]田中浩朗「藤井浩樹『ドイツ化学教授学の成立に関する研究』」第38巻(2011): 163
[資料]「博士号リスト(国内) 博士号リスト(海外)」第38巻(2011): 164-166
[資料]「博士論文概要(隠岐さや香、河野俊哉)」第38巻(2011): 167-172
ひとりで5時10分。室温27度。中秋の名月の翌朝は、きれいな朝焼けです。夏はまだ去ってくれません。お昼前に次の本が届きました。郵便屋さんは、国際速達便と言っていました。アマゾンのマーケットプレイスからです。
R. P. Multhauf
The Origins of Chemistry
London: Oldbourne, 1966
45年前の書物です。今の私の仕事にはてもとにあるべきだと思い、発注したものです。4時半スタートの会議は、順調に終わりました。
5時40分スタートの会議は、もともと議案が多かったこともありますが、全部は処理しきれずに、9時までかかりました。嗚呼! 明日は、午後教授会が続きます。
ひとりで5時15分。室温27度。薄曇りの晴れ。中秋の満月です。さて月見はできるでしょうか。[執筆中]
朝起きてからすぐに、来週の火曜日(9月20日)国際基督教大学で開かれる公開講演会「科学史フォーラム」(ICUキリスト教と文化研究所主催)の読み原稿(スクリプト)の作成に入りました。一応400字詰め原稿用紙換算で44枚(普通の A4 へのプリントアウトで10枚程度)に達しました。
執筆の最中にずっと見失っていた資料をやっと見つけました。ここ数年のリサーチ結果をリングファイルに綴じています。これだけはきちんと著者のアルファベット順にならべて綴じています。しかし、所在を見失っていました。残りのものとはまったく違う棚にならべていました。いずれ見つかりますが、同じ場所、近い場所に並べておく必要性を痛感しました。
ボイルはロジャー・ベイコンをサラの全集から引用しています。その箇所を見つけた記憶はあったのですが、具体的な数字はもちろん記憶していません。ちゃんとファイルしていましたが、何度か探している最中にも見逃しています。捜し物にもなにか慣れに近い感覚が必要です。
→せっかくですから、具体的に記述しておきましょう。
ボイルはその著作集ではたった3回だけロジャー・ベイコンの名をあげています。そのうち2回は、「我々の有名な同国人ロジャー・ベイコンは、とくに次の言い回しをしています。"Facilius est aurum facere quam destruere" (金は壊すよりも造る方が簡単である。)」(NewRBW, V.2, p.281 『懐疑的化学者』)
編者注は、これはベイコンの『小著作』(1266-7)からの引用であるが、ボイルの正確なソースはわからないと記しています。
私はこれがサラの『7惑星』からの重引であることを突き止めました。(2010.1.21)
Angelo Sala, Septem Planetarum terrestrium explicatio in Opera (1682), p.189 の左のコラムにそのフレイズがあります。
もちろん、1661年の著作で1682年のサラ著作集を引用することはできませんから、Septem Planetarum terrestrium explicatioのもとの版のどれかを利用したと考えるべきでしょう。
Angelo Sala (1576-1637) の有名は3部作は、Anatomia vitrioli (1609), Tartarologia(1632), Saccaralogia (1637) です。『7惑星』(すなわち7つの金属)は、Septem Planetarum terrestrium spagyrica recensio (Amsterdam, 1611, 1614) です。もちろん、ボイルの利用した版を特定する情報はここにはありません。
→サラについて、もうすこしきちんとした情報を得たいと考えて、まずファーガソンを読みました。次に、百科辞典.com のサイトでCompleteDSB からGisela Kangro の執筆するサラをダウンロードしプリントアウトして読みました。手軽に利用できるものではこれた一番しっかりとした記述だと思われます。
まずサラの版ですが、Opera medico-chymica (Frankfurt am Main, 1647; Rouen, 1650; Frankfurt am Main, 1682) とあります。1647年の版も1650年の版もともに1661年に間に合います。ボイルはこの『サラ医化学著作集』を手元においていたのでしょうか。
カングロの記述を読む限り、サラは、もっとしっかりと研究されるべきだと思われます。明日明後日は会議です。とりあえず、行けるところまで行こうと思います。もちろん全部は話せないので、スクリプトが出来上がってから削る作業をします。(最初は自分のために流れの全部を作っておきたい。)
→今の私の体力では、44枚以上は無理でした。頭が拡散してしまいました。スクリプトの作業は中断し、気になっている点だけ備忘録として書きだすことだけができました。
ひとりで6時。室温28度。夏が舞い戻っています。10時前にすこしだけ雨が降ってすぐに上がりました。夏とも秋ともいえない、微妙な青空となっています。微妙といったのは、雲が夏雲でも秋雲でもない感じだからです。
昨日の275枚ですが、何とか朝のうちに最後まで読み通しました。自分でノートをとっていても忘れていることは忘れています。ノートを取らなかったことは、漠然とした印象しか残っていなくて当然です。
ICU の講演では、1)基本を話す、2)テーマをしぼることを決めました。
ひとりで6時。室温27度。またしばらく夏が居座るようです。午後おおきいちびは中学校の説明会にでかけます。お友達と大勢で行くようです。中学ですからまだ親がついていく必要があります。妻が困っていました。
ともあれ、1時45分集合という約束ででていきました。
4時半頃、疲れたといって帰ってきました。バザーをやっていて、すこし買い物をしようと思ったら、財布を忘れたことに気付いたそうです。私の妹がバザーの受付をしていたので、千円借りたそうです。夕食前に幼稚園児を連れて買い物を兼ねお金を返しに行っていました。[特別研修中の日記]
ICU の講演にむけて、特別研修中の日記を読み直すことにしました。新編雑記をはずして純粋に研究ノートの部分だけをひとつのファイルにまとめました。2009年10月から2010年3月までの6ヶ月分のファイルです。
文献リストを含みます。ペンをもって読むために印刷しようとすると275枚という量になりました。途中で一度プリンターの調子がすこしだけ悪くなり、結局1.5回分印刷することになりました。(途中でトナーを交換しました。)
この量ははんぱではありません。ただ目を通すだけでも今日の間には終了できませんでした。
6時40分。妻とちびどもは起きていました。たぶん6時半ぐらいでしょう。室温26度。新聞を取るために郵便受けを見ると、イブン・ハルドゥーン『歴史序説』(森本公誠訳、岩波文庫全4巻、第4巻、2001)が届いていました。
→イブン・ハルドゥーンの錬金術に関する記述の大部分は、アブー=バクル=ブン=ビシュルーンがイブン=アッサムフに宛てた手紙の抜粋です。pp.15-34. pp.12-36 中のpp.15-34 ですから20頁/25頁でちょうど8割が手紙の抜粋です。
歴史家としては、この手紙をどういう形でイブン・ハルドゥーンが所持していたのかは気になります。何かに引用されていたのでしょうか? それとも写しを一部もっていたのでしょうか? 14世紀のマグレブにおける本や書簡の流通の仕方がわからないので何とも言えないのですが、14世紀のヨーロッパの事情と大差ないと考えることが許されるのであれば、手紙の写しを持っていたと見る推測がなりたちます。
他に、イブン・ハルドゥーンは、ジャービル・ベン・ハイヤーンの70の論文、東方の哲学者アッ・トゥグラーイーの書物、マスラマ・アルマジュリーティーの『賢者の階層』(『賢者の極み』と対をなすものとして)、イブン=アルムガイリビーの詩句、ガザーリー(ガザーリー偽書)。
手紙の言葉として興味深いのは、「分解と分裂は錬金術の操作に関する限り、生命と存続を意味する。一方合成は死と消滅を意味する」という「初期の哲学者」の言葉です。
佐藤圭四郎氏の論文は、フワーリズミーの書から、7つの「肉体」として、金、銀、鉄、銅、鉛、錫(白鉛)、アンチモニー、「霊魂」として、硫黄、砒素、水銀、塩化アンモニウムの4つをあげている。
そして、フワーリズミーの書の次の文を引用しています。
「前者(肉体)は、火の上にあって、じっとそのままの形を保持しているから、肉体と名付けられる。後者(霊魂)は、火がそれに接触すると飛び去るから、霊魂と名付けられる。」(Khwarz, 147, 15-16)
これはとても明確な定義です。要するに火によって揮発するものが精気(イスラーム系の研究者は霊魂と訳していますが、ここは精気でよいと思います)、火によっても揮発しない(形を保持する)のが物体(金属体)ということです。
エリクシル(イクシール)については次。
「 iksir の塩は、それでもって、溶解した肉体(金属)を処理すると、それを金または銀に変成する。または、それを白色または黄色に変ずる。」(Khwarz, 150, 11-12)午後2時から会議(外国語学部協議会)。昼食後、でかけました。
会議そのものは30分程度で終了しました。そのまま帰宅。暑い。再び夏が舞い戻っています。
ひとりで6時半過ぎ。室温25度。朝夕は涼しい。日中は夏日の模様。
すぐに、小学校4年生、妻、小学校6年生の順に起きてきました。幼稚園児だけ寝ています。幼稚園児は昨晩、日付の変わる頃、足が痒いといってしばらく泣いていました。足の指先を蚊に刺されたようです。薬を塗り、さらに冷えピタを張ってやりました。30分ほど泣いていたでしょうか。ママにとんとんしてもらってやっと寝付きました。
この夜の事件がきいたのでしょうか、8時半をすぎてやっと起床しました。かゆい&くすぐったいといって足を引きずっています。そういう性格の子です。なんとか説得して幼稚園には行ってもらいました。朝のうちに昨日持ち帰った宿題を一応こなしました。打ち合わせメンバーにメールで送り出したので、一段落がついた感じです。
ひとりで6時。室温25度。涼しくなりました。外は22度程度のようです。今日は1限の時間帯に打ち合わせがあります。ちびどもと同じころでかけます。
→実際には、ちびどもよりも10分先に家をでました。武蔵境の駅で西武線に乗り込むと、事務の方が大勢乗り合わせていました。
最初に研究所によって書類の準備。一度研究室にもどり荷物を整理してから再び研究所に向かいました。6人での打ち合わせ。打ち合わせはこのぐらいの人数で行うのが効率的です。9時からはじめて1時間半。
私には宿題が発生しましたが、ようやく頭が夏休み呆けから少し回復しました。大学に次の本が編集委員会宛の献本として届いていました。ご高配いただいた原書房の担当者の方に感謝します。
ジョーゼフ・ボーキン
『巨悪の同盟 ―ヒトラーとドイツ巨大企業の罪と罰―』
佐藤正弥訳、原書房、2011
ドイツ巨大企業というのは、I.G. ファルベンです。I.G. 社と略称されています。私自身はこのあたりのことに詳しくありませんが、非常に興味深い書物です。
I.G. ファルベンは重要な企業なので、何点かの研究書がすぐに見つかります。
工藤章『イー・ゲー・ファルベンの対日戦略-戦間期日独企業関係史-』東京大学出版会, 1992
工藤章『現代ドイツ化学企業史―IGファルベンの成立・展開・解体』ミネルヴァ書房 ,1999
フォルカー・コープ『ナチス・ドイツ、IGファルベン、そしてスイス銀行』創土社, 2010その後、図書館に寄って借りた本を返却するとともにイブン・ハルドゥーンの歴史序説の翻訳を2種類借り出しました。
イブン・ハルドゥーン『歴史序説』森本公誠訳、岩波文庫全4巻、第4巻、2001
イブン・ハルドゥーン『歴史序説』森本公誠訳、岩波書店(イスラーム古典叢書)全3巻、第3巻、1987
もう一種類、アジア経済研究所が出版した版がありますが、そちらは手に取っていません。帰りの電車でまず訳者により解説だけ読み始めました。とてもおもしろい。
さて、どうして私がイブン・ハルドゥーンか? 8月23日、佐藤圭四郎氏の「イスラーム錬金術に関する覚書」『西南アジア研究』11(1963): 13-34 を読んだとき、イブン・ハルドゥーンの「歴史哲学序説」から錬金術の紹介がありました。
これはもしかしたら邦訳があったかも知れないと思い、後になって調べてみました。新しくは岩波文庫、古くは岩波のイスラーム古典叢書、そしてさらに古くはアジ研が邦訳を出していることがわかり、是非、手元におこうと考えたものです。岩波文庫は発注したので今週中にはつくと思いますが、古いのも見たいと思い、いっしょに借りてきたものです。
錬金術は、第6章「学問の種類、教育の方法、それらに関連するあらゆる事項、ならびに序言と附言」のうちの(30)にあります。
(30) 錬金術の学問
(33) 錬金術の効用の否定、その存在の不可能性、それが及ぼす害について
それぞれ、イスラーム古典叢書では第3巻、pp.1127-46; pp.1168-81、岩波文庫では第4巻、pp.12-36; pp.63-80 です。
ひとりおくれて7時40分。室温26度。幼稚園児は8時10分現在まだ寝ています。夜は雨が降っていました。今は上がっています。秋らしい青空が見えますが、また夏日の予報です。ということですが、朝のうちは窓から入ってくる風がほんとうにきもちよい。
幼稚園児は8時半に起きてきました。朝遊ぶ時間がすくなくなったので、もっとはやくおきたらよかったと言っています。まったくそのとおりなのですが、寝てくれないときは寝てくれません。
幼稚園児のお弁当は木曜日始まりです。つまり、まだ午前中に帰ってくるということです。今日はお友達をひとり連れて帰ってきました。「お預かり」という説明です。張り切って自分の部屋に案内していました。
ひとりで6時10分。室温27度。小雨ですが雨が降っています。今日から幼稚園も再開です。子どもたちの夏休みはやっと終わりです。台風の終わりははっきりしません。
9時半頃また比較的雨足の強い雨が降り始めました。強い雨そのものは長くは続かないと思いますが、終わりの見えない雨模様です。
[日本対オーストラリア戦]
なでしこジャパンのオリンピック予選、日本対オーストラリア戦は、夕食の前にありました。もう少し苦戦を予想したのですが、オーストラリアが日本の守備を崩す攻撃をしかける場面はほとんどなく、日本がシュートを決めるか決めないかだけの試合になっていました。パスミスも少なくなかったのですが、落ち着いて試合を進められたことが大きかったと思います。1対0で勝利。ベイコンの錬金術
邦訳、407頁。(『大著作』例3)
「しかし経験学はアリストテレスの『秘中の秘』によって、二四のみならず三十、四十いやわれわれが望む限りの等級の金をつくりだすことを知っている。このことゆえに、アリストテレスはアレクサンドロスに対し、「私は最大の秘密を明らかにしたい」と述べたのである。実際それは最大の秘密である。なぜなら、それは金の充溢のゆえに、国家の利益および万人に必要とされるものを獲得するのみならず、またはるかに価値あることには、寿命の延長を与えるであろうから。なぜなら、卑しい金属のあらゆる穢れと堕落とを取り除き、きわめて純粋な銀と金とを生じさせるような医薬は、賢者達によれば、人体の堕落を取り除き何百年にわたって寿命を延ばしうると考えらえているからである。これは諸元素の正しく混和した物体であって、それについては先に述べた。」
金属の錬金術と人間身体の錬金術の一致する点、すなわちエリクシルの思想を的確に表現してくれています。
訳者の高橋氏によれば、ベイコンにとって alkimia は魔術ではなく、自然学の専門分野7つのうちのひとつであった。
先に述べたとあるのは、小著作、または第3著作第一二章、ということです。以上、『科学の名著3 ロジャー・ベイコン』からです。訳出されているのは、『大著作』の第四部、第五部、第六部です。1980年にこれが出版されたことは、日本の科学史の世界に対する非常に大きな貢献です。ですが、いまからすれば、1部、2部、3部の訳もあったらどんなによかったのに、と思います。
ひとりで6時。室温27度。7時頃また雨が降ってきました。台風のはしっこの雨雲によると思われます。10分程度で止みました。台風はやっと四国から中国地方を縦断したようです。速度があまりに遅く、いつ台風一過となるのかわかりません。[災害見舞い]
私のところに1件。妻のところに1件。災害見舞いがありました。災害報道は被害の大きいところに集中します。私の実家は大丈夫だろうと思っていましたが、確認のために実家に電話してみました。
南部川をのぼった上流(おばあちゃんのことばでは高城、新聞報道では清川)で青年がひとり土砂に埋まって亡くなったそうです。たぶん現場に行ったテレビ関係者はいなかったのでしょう、テレビの映像にはまったくでてきていませんでした。
また、昔子どもたちを泳ぎに連れていった辺川では崖崩れがあり、道路が半分土砂に埋まっているということです。それで交通が寸断されているのかもしれません。
現場にいないとなかなかほんとうのところは分かりづらいのですが、相当量の雨が降ったことに間違いはないようです。
ひとりで5時30分。室温28度。台風接近中。風が強くなっています。雨は降っていません。昨日も雨はごく短い時間しか降りませんでした。
四国に上陸して、東京でこの風ですから、大型の台風であることは確かです。動きが遅いので予想より大きな被害をもたらすかもしれません。[日本対北朝鮮]
昨夜、ワールドカップの予選が始まりました。終了前2分の劇的なゴールでなんとか勝ちました。初戦は苦労して苦労して結果を出すというのが一番よいスタートかもしれません。[日本対韓国]
今夜は女子サッカーのオリンピック予選。日本対韓国戦。これも、辛うじて2対1で日本が勝利しました。後半は弱いときの男子サッカーのようになっていました。それでも勝ち点3は価値ある勝ち点3です。
ひとりで5時30分。室温28度。台風接近中。今はまだ雨は降っていません。空模様を見る限り、すぐに降ってくるような感じはありません。お昼過ぎに次の本が届きました。
前嶋信次
『アラビアの医術』
平凡社ライブラリー、1996(新書1965)
古い本ですが通覧できるものが欲しくて発注しました。著者の前嶋さんは、台北帝国大学の助手をいきなり放り出され、満鉄東亜経済調査局が敗戦により消滅し、ながい浪人生活を余儀なくされたとあります。(かなり年をとってから慶応に拾ってもらったようです。)
参考書として次をあげています。
イブン・アル・ナディーム『目録書』988頃完成
イブヌル・キフティ『学者年代記』 Ibn al-Qifiti (1172-1248)
イブン・アビー・ウサイビーヤ『医師の階層についての情報の泉』 Ibn Abi Usabi'a (1203-1269)
サーイド・イブン・アフマド・アル・アンダルーシー『諸民族の類別』 (1029-1070)
イブン・ジュルジュル『医師と哲人の諸階層』 Ibn Juljul (ca. 943-994以降)
ニザーミー『四つの講話』
ひとりで4時50分。室温28度。台風接近中。今の瞬間は雨は降っていませんが、台風の雲が空を動いているのが窓から見えます。5時10分の前後、みごとな朝焼けでした。不気味なほどの見事さです。天気が崩れていくしるしでしょう。
6時過ぎ、雨が降ってきました。降ったり止んだりの台風接近時の雨降りがしばらく続くようです。
→ILL で次の本が届いたという報せが来ています。ちょうどよいので小学生達が出た後、大学に行くこととしました。幼稚園児にはお友達が来てくれます。9時から2時。
Robert Halleux
Les textes alchimiques
Brepols, 1979
(アルー『錬金術のテキスト』1979)8時50分、多磨駅に着きました。ILL が受け取れるのは9時から。駅前のコンビニでいくらか買い物をしてから、9時に図書館につきました。前に借りた本を返却し、ILL の本を借り出しました。
それから、階段を1階あがり、『技術の歴史』のなかから2巻を借り出しました。
研究所で一仕事してから、研究室へ。2学期開始に向けて、部屋の片づけをしておこうと考えていました。たまっていた書類のゴミ箱に捨てる作業に着手しました。量が多いのでけっこう大変です。途中ネットの動画サイトでしんすけがらみのものを見ました。週刊誌に多くの情報が出ています。山口組と相当深い関係があったようです。11時半、生協食堂で昼食。さすがに人の数がすくない。10名に達していなかったと思います。
アルーの本は基本です。基本の整理のために貴重です。文献表では個別の著者として、つぎの者を取り上げています。
Abulcasis
Albert de Grand
Arnoud de Villeneuve
Artéfius
Avicenne
Bacon
Basile Valentin
Bernard le Trevisan
Petrus Bonus
Flamel
Geber (et Jabir ibn Hayyan)
Hermes
Ibn Umail
Khalid ibn Yazid
Liber claritatis
Liber sacerdotum
Liber trinitatis
Raymond Lulle
Marie
Morienus
Norton
Platon
Razi
Rupescissa
Michel Scot
Tabula smaragdina
Thomas d'Aquin
Turba philosophorum
Nicolas Valois
Walter d'Odington
第一章は、「錬金術とは金属の変成の学と術である」とする定義をギリシャ語からはじめてルネサンスまで紹介しています。
Alfarabi et Gundisalvi, "scientia de alquimia, que est scientia de conversione rerum in alias species, "
Petrus Bonus, "Alchimia est scientia, qua metallroum principia, causae, proprietates et passiones omnium radicitus cognoscuntur, ut que imperfecta, incompleta, mixta et currupta sunt, in verum aurum transmutentur." (Petrus Bonus, Pretiosa margarita novella, 3, dans Manget, III, pp.22-23.)
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