ひとりで5時40分。まだ晴れています。小学校は創立記念日で休み。つまり、幼稚園だけがあります。ちびどもはママに美容院に連れていってもらいます。夏に向けて伸びた髪を切ってもらった方がよいというママの説得を聞いたようです。
ずっと作業していた草稿ですが、お昼過ぎに送り出しました。必要な量の倍程度となっています。
子どもたちが帰ってこないうちに、次の本が届きました。
Cesare Vasoli,
Il pensiero medievale. Orientamenti bibliografici
Bari, I971
私が手にするはじめてのヴァゾーリです。中世思想の文献案内。日本の新書とほぼ同じ大きさです。午後6時、科学史通信が届きました。2010年4月26日発行(通号第397号)です。5月末に東京海洋大学品川キャンパスで開かれる学会(日本科学史学会第57回年会)のプログラムが掲載されていました。それによれば、私の発表分を昼間に完成させたシンポジウム「新しいベイコン像を求めて:神話、宗教、物質理論」は、日曜日の午後に割り当てられています。
日時:5月30日(日曜日)14時10分から17時10分
場所:東京海洋大学品川キャンパスB会場2階22番教室代表者は、駒場の坂本邦暢氏。5人でやります。
今月は120枚。
ひとりで6時半。晴れて気持ちのよい朝です。休みなので、ゴミの日だということをすっかり忘れてしまいました。燃えるゴミを出し忘れました。
ちびどもは、お昼にはたこ焼きがよいと言います。昨日ママと約束したようです。セイユウに3箱買いに行きました。用意ができていなくて、10分待たされました。帰宅して、子どもたちはたこ焼き、親は普通のご飯の昼食。
11時45分。ピーンポーン。幼稚園児待望のテントが届きました。室内で子どもが遊ぶためのテントを一昨日妻が発注したものです。子どもにはうれしいようです。幼稚園児とちいさいちびがずっとなかに入って遊んでいます。おおきいちびはさすがにちょっとだけ入ってから出てきました。そしてママといっしょにロフトにお買い物。
発表草稿の執筆ですが、量的には一応100%に達しました。しかし、もうすこし気になることがあるので、150%程度のものを作っておこうと思っています。
その気分転換に、都甲幸治さんの『偽アメリカ文学の誕生』が右手の本棚にあったので、数カ所読みました。フォンテ『塵に訊け!』の所と、村上春樹を論じた節等々を読みました。
6時50分。幼稚園児はよく寝ています。ちびどもと妻は起きていました。雨。本格的な雨降りです。外に出るのが嫌になるぐらいよく降っています。草稿執筆にかかりました。8割程度はできたでしょうか。そのとき、最初のゲラが届きました。刷り上がりで約70枚(400字詰め原稿用紙換算で140枚弱)。読み通すだけですこし時間がかかります。
校正作業は、ひととおり終わりました。提出までにもう一度見直します。草稿執筆ですが、一度作業を止めて、先に全体を見直しています。発表のときにはそこまで話す時間はないかもしれませんが、自分のために、きちんとした結論を作っておきたい。
6時10分。ちいさいちびは今日遠足。おおきいちびといっしょに起きていました。帰りは雨にあうようです。→結局行き先が雨ということで、小3の遠足は取りやめになりました。
→雨は、午前中(12時前)に降り始めました。遠足の中止の判断は正しかったことになります。
妻は、幼稚園児を送っていった足で、歯医者。どうなることかと心配していましたが、今回は平気だったということです。ひと安心。
午前中に、火災・ガス検知器の設置をしてもらいました。給湯器を交換するときに東京ガスの方から提案があり、リースでつけてもらうことにしたものです。火災、都市ガス、一酸化炭素の3種類に対応しています。
さて、気がつくと、次の授業は5月6日(木曜日)となります。今日から9日間、授業はなし。その間に、ゲラの処理が2件、草稿執筆が1件、待っています。ともにまったなしのものなので、気合いを入れて片づけたいと思います。
本間氏が次の本の出版情報をアップされています。
今道友信『中世の哲学』岩波書店、2010年5月、¥11550
手にとって見てからその後の行動を決めますが、この値段は何とかならないのでしょうか?昨日のNordica mediaevalisで、グレゴリーの次の論文が取り上げられています。
トゥッリオ・グレゴリー(飯尾都人・近藤映子訳)
「アリストテレス自然学導入以前の中世哲学における自然観 12世紀(正)(続)」
『イタリア学会誌』17巻(1969年)、108-129頁、19巻(1971年)、114-133頁
もとは1964年の論文ですが、今読んでも感動ものという私の判断が間違いではわかりほっとしました。私の関心は、グレゴリーが指摘したモチーフがアリストテレス哲学の覆いにすっぽりと覆われたあとでも、はっきりと継続しているということです。そうした点を解明することは思想史としてもっともスリリングな仕事だと思われます。
商業出版として出してもまったく遜色のないきれいな仕上がりとなっています。
ひとりで4時40分。晴れ。ちびどもは元気に出ていきました。妻は(たぶんPTAの)部会があるということで、私が幼稚園児を自転車に乗せて幼稚園まで。幼稚園児が後ろの荷台から降りたあと、自転車を片づけている間に、幼稚園児は園のなかに走り込んだようです。別のおかあさんがそのように教えてくれました。
私はまず郵便局で大きな郵便を一通出しました。それから、駅前の区役所の出張所で住民票を1通取得しました。カードの右肩が欠けていてどうなることかと思いましたが、問題なく取得できました。
あとのことを考えて、スイカに3千円をチャージしてから大学へ。
9時30分武蔵境発の電車となりました。大学では印刷センターにまず駆け込むと誰もいなくてびっくり。え? 先生方はもう連休モードに入っているのでしょうか?よくわかりません。出席する学生は、20名程度出入りがあるようなので、多めに配布物をコピーして、研究室へ。プリンターで別のものを80枚プリントアウトして、2限の授業の見直し(予習)をしているうちに時刻に。
咳がかなり残っているので、声の調子はまだまだですが、85分程度話しました。急いでお弁当を食べて、ミカンを一切れ残した時点で、ノックの音が。午後の大学院の授業は移動教室になります。(前後に用事があって動けない方は仕方がないとして、動ける方は)駒場で授業となります。12時52分多磨駅発の電車に間に合うよう、12時40分前に研究室を出て、遠征の途に。乗換案内にでている通り、ほぼ1時間で駒場に着きました。308号室に向かうと、すでにKN君、SB君は見えていました。
今日は埼玉大学の伊藤博明先生も来てくれます。雑談をしているうちに、伊藤博明先生が入って見えました。実ははじめてお会いしますが、はじめてという感じはしませんでした。なんやかやと40分ほど話してから、SB君の発表。9000字超を20分強で話しきりました。ベイコンの物質理論に関する興味深い内容です。その後の議論で、ベイコンの思想の特質と問題点をかなり浮き彫りにすることができたと思います。
伊藤先生は、その後も用事があるということで、3時半過ぎに部屋を出られました。発表者のSB君は、4時からアルバイトということです。3時55分に終了しました。
駒場の図書館をごく簡単に案内して、今日の遠征授業は終了。
なお、伊藤先生からは次の本を全員分頂きました。ありがとうございます。
ピーター・M・ディリー
『英国のエンブレムと物質文化 シェイクスピアと象徴的視覚性 』
伊藤博明訳編、埼玉大学リベラル・アーツ叢書3、2010
咳のせいで夜半に目覚めたので少し仕事。編集委員会の仕事をこなしました。2回目の起床は、ひとりで7時10分。快晴。
昼食後、おおきいちびの要望で、荻窪の100円ショップへ。子ども3人全員を連れていきました。100円ショップでは、幼稚園児ひとりがおもちゃを買いましたが、おねえちゃんたちは結局何も買いませんでした。1階降りて、幼稚園児はプラレールのコーナー。おねえちゃんたちは文房具屋さん。おねえちゃんたちは、合計630円の買い物。幼稚園児は、プラレールに飽きた後、運転ゲームを2回やりました。その後しばらく遊んでから、おねえちゃんたちとも相談して帰途へ。まず、地下1階。夕食の材料を買うことにしました。魚。子どもたちの要望により、シラス、蛸、それにカマス4匹。
西荻の駅についてから最寄りのコンビニでおやつを買ってよいというと、3人ともアイス。気温が上がってきたしるしです。
妻はいつもの薬で何とか激痛だけは止めることができたようです。やれやれ。
ひとりで6時15分。雨上がりの晴れ。さて、気温は上がってくるのでしょうか?妻はずっと歯痛があり、薬で我慢していました。9時半に予約をとって歯医者さん。何と、11時頃よれよれになって帰ってきました。麻酔をかけて化膿していた神経を抜こうと歯医者さんが何度も試みたが成功せず、あまりの痛さに泣いたので、途中で打ち切りになったということです。そのままダウン。
今日の午後は、3時からWG、4時から編集委員会です。WGは休ませてもらって、4時の編集委員会だけ参加(私の手元に材料があるので私が行かないと成り立ちません)することとしました。
子どもたちにはよく言い聞かせて、2時50分に出発。3時50分に東工大に着きました。事情を説明して、1時間で終わると宣言し、実際1時間で終わって帰ってきました。6時10分。駅前の総菜屋でおかずを買って帰りました。
ご飯は炊飯予約をしたつもりだったのですが、動いていません。早炊きのスイッチを急いで押しました。子どもたちは、食卓を囲んで待っています。ご飯が炊けるのを待つというので、その間に私はお風呂に入りました。
自分たちでおにぎりを作ってわりとよく食べました。
妻の歯痛はひどいようです。明日の早朝にでも痛み止めの薬を買いに行こうと思います。
風邪なのか、花粉症の復活なのか、昨日から咳がひどい。喉が相当に不調です。咳のせいで、3時半に目覚めてしまいました。仕方がないので、すこし仕事をします。2回目の起床は、7時15分。
今月は、ここで100枚を突破しました。仕事が始まってしまえば、こんなものでしょう。
予定では、給湯器の付け替え工事日。雨でもやるのでしょうか。
→朝一番に工事の方が見えました。このぐらいの雨ならば問題ないようです。そして、同時に、新築工事をしていたお隣さんが家を覆っていたシートをはずしてから、組んでいた足場の解体に取組はじめました。にぎやか!→思っていたより、工事には時間がかかりました。9時から始まって、完了したのは12時15分頃です。壊れていた床暖房のコントローラーも取り替えてもらった(これが実は意外に高い)ので、しめて36万7千800円となりました。
正確にはよくは理解していないのですが、エコ器機ということで、国から2万、区から2万補助金が出ると言うことです。両方申請が必要です。(国の方は、東京ガスの方が代理申請してくれます。)いつ入ってくるのかは不明ですが、その分を引くと、32万7千800円。
(参考までに、給湯器そのものの値段ですが、20万円前後です。上は、古い器機の撤去費等の工事費・諸費をあわせた金額です。)今年は他に割と多額の税金(不動産取得税。去年の春底地を購入したことに対するものです。課税標準額に対して3%かかります。)が待っているので、のっけからきつい財政状況となりますが、給湯器は、お風呂と台所で日々使うものなので、仕方ありません。
工事の間に、次の2点の論文・論考を読みました。ともに埼玉大学の機関レポジトリーからダウンロードしたものです。
伊藤博明「ヘルメスとシビュラ ――シエナ大聖堂舗床に関する一考察――」『イタリア学会誌』38(1988): 77-103
(書評)伊藤博明「Eugenio Garin : Ermetismo del Rinascimento Roma : Editore Riuniti, 1988, 79pp.」『イタリア学会誌』41(1991): 256-263.
両方ともにとても勉強になりました。
ひとりで6時過ぎ。まだ気温はそれほど下がっていません。これから下がっていくのでしょう。午前中に、駒場のオシテオサレテ氏に送ってもらった
イエイツ「ルネサンス科学におけるヘルメス的伝統」『ルネサンス研究』1号(1994): 189−216頁
を最後まで読み通しました。私もイエイツの主張には賛成できない点があるのですが、しかし、そうした見解の不一致を越えて、なんでしょう、これは感動的です。
伊藤和行氏の邦訳の208頁を引用しておきます。
「ルネサンスと17世紀初頭の文献は、それを独力で取扱うことはいかなる学者の能力をも超えた大著に満ちている。それらは図書館の本棚に静かに眠っているか偶然覗かれるだけであって、人々はルネサンスと17世紀に関する小品を著すといういっそう容易で有利な仕事へ向かい、そして偉大な名前―ケプラー、ニュートン、ガリレオ―を我々の筆はすらすらと書いていく。だが我々は何が起こったのかを本当に理解しているのだろうか。ケプラー、ニュートン、ガリレオがどこから来たのか、誰が本当に説明しているのだろうか。」→オシテオサレテ氏は、本棚に眠っていたスカリジェの大著を日の本に引っ張りだす仕事をされています。(私は共同研究によって)ボイルに関しては、どこから来たのか、かなりの程度明らかにすることに成功したと思っています。
もとの英文は、次。Frances A. Yates, "The Hermetic Tradition in Renaissance Science," in Art, Science, and History in the Renaissance , 1967, pp.255-274.
木曜日の授業の2回目。咳がひどくて苦しい。咳には介入されつつも、何とか授業は行いました。2回目の授業で新しく見えた学生が意外に多くいました。(3限で20名、4限で3名、5限で1名。合計では、3限が107名、4限が13名、5限はいまいち不明。)
そういえば、来週の木曜日は、休日です。4限の授業中にやっと気付きました。
ひとりで5時。雨上がりの好天。気温も上がってきました。まるで初夏のような、暖かくて気持ちのよい日となりました。髪の毛が気になるので、幼稚園児を送っていったあと、散髪屋さんにでかけました。
明日はまた冷たい雨という予報です。[年中さんでいっぱい]
今日は幼稚園の引き渡し訓練。11時半頃、帰ってきました。妻の自転車の前には、仲良しの女の子が座っています。それから、人数がすぐには数えられないほどの、年中さんとそのお母さんがやってきました。お友達をお家に呼ぶと言っていたのは、こういうことでした。年中さんの数で7〜8名ぐらいでしょうか。
→あとで、なおに聞きました。全員の名前を挙げてくれました。5人でした。ちいさいのがわらわらとやってくるとどうしてもいっぱいという感じになりますが、我が家の年中さんを入れて、総勢6名でした。私は、準備はできていたので、ともかく挨拶だけしてそそくさと出かけました。
[はじめてのヴァゾーリ]
大学には12時過ぎに到着しました。事務処理をしたあと、 Reason, Experiment and Mysticism in the Scientific Revolutionが大学図書館にあるかどうか調べてみました。ありました。せっかくなので、図書館に行って、次の論文のコピーを取りました。Cesare Vasoli, "Alchemy in the Seventeeth Century: The European and Italian Scene" in M.L.R. Righini Bonelli and William R. Shea (eds.), Reason, Experiment and Mysticism in the Scientific Revolution (Science History Publications, 1975), pp.48-58.
研究室に帰ってすぐに読みました。このヴァゾーリの論考は、論文ではなく、直前のディーバスの論文に対するコメントのようなものでした。注も付けていません。1975年の時点で考えると、非常に的確なコメントだと言えます。
17世紀末のナポリの医師2名における、パラケルススとファン・ヘルモントの影響を記述しています。パーゲルの研究も、ディーバスの研究もきちんとフォローしています。さすがです。会議の日。午後、教授会が3つ続きます。
会議は2時から。3つあって、終了が6時過ぎ。帰宅は7時。
研究院教授会では、新しいメンバーの紹介がありました。はじめて顔を見る方がかなりいました。私は新しくはありませんが、特別研修明けということで、挨拶をしました。
夜半に目覚めてすこし仕事。幼稚園児がおしっこもれた(おしめからあふれる、またはおしめがずれてもれること)と言って6時過ぎ。ちびどもも6時25分頃起きてきました。昨日とほぼ同じ気温の曇り。
[大家の不在]
Tullio Gregoryトゥリオ・グレゴリーの記事に対して、さらなるコメントを頂きました。コメントをくれた方々に感謝します。さて、トゥリオ・グレゴリーだけではなく、(大橋さんの)ナルディ翁、すなわちブルーノ・ナルディ Bruno Nardi にしても、あるいは大家ヴァゾーリ Cesare Vasoli にしても日本語の世界ではほとんど扱われていないことがわかりました。
(詳しい方、違っていたら是非教えて下さい。)
ナルディ翁も大家ヴァゾーリに関しても、邦訳は存在しない模様です。ナルディの研究を使ったものも、ヴァゾーリの研究を使ったものも、ごくわずかのようです。(サイニーによる限りでは、ナルディに関しては1点、ヴァゾーリに関しては0点。もちろん、サイニーが全部を掌握しているわけではありませんが、グーグル・スカラー邦語でもほぼ同じ結果となります。)
この状況で必要なことを考えてみました。
1.誰かふさわしい方が、ナルディの研究とヴァゾーリの研究に関し、展望・解説を書く。
2.邦訳の出版。
3.資料の収集。ナルディの出版物、ヴァゾーリの出版物を可能な限り1箇所にまとめて収集しておくこと。
(個人的に収集されている方はおられると思いますが、ここではすべての研究者に開かれた公的機関を考えています。大学図書館がやはり使いやすいと思います。)4.研究会の組織化。
『イタリア学会誌』がどういう組織なのか私は全く知りませんが、可能であれば、こういうところが基盤になってくれるといいのではないかと思います。日本人でも、中世の思想や文化、ルネサンスの思想や文化を研究されている方はかなりの数いると思います。誰かが取り組まないといけないのではないでしょうか?
→ヴァゾーリのリストですが、次のものはかなりよいかもしれません。
Publications by Cesare Vasoli in RI-Opac: Literature Database for the Middle Ages - Listing over one million titles
著作を18点、論文を219点、計237点を挙げています。同じ、Regesta Imperii のOPACで検索すると、ナルディに関しては51点がヒットします。
Publications by Bruno Nardi in RI-Opac
"Gregory, Tullio" で検索をかけても、やはり51点がヒットします。
このサイトは、かなり使えるサイトのようです。
→ヴァゾーリの邦訳がないのは、さすがに不思議です。いろいろ手持ちの資料を含め、探してみました。私がまだ学生だった時代に、次の論集の邦訳が出版されています。
ボネリ&シエイ(編)『科学革命における理性と神秘主義』(新曜社、1985)
もとの論集は次です。
M.L.R. Righini Bonelli and William R. Shea (eds.), Reason, Experiment and Mysticism in the Scientific Revolution, Science History Publications, 1975
この論集のなかに、実は、次の論文が収録されていました。
Cesare Vasoli, "Alchemy in the Seventeeth Century: The European and Italian Scene"
わー、もったいない。どうしてこれを邦訳の対象からはずしたのでしょうか?
さて、このもとの論集ですが、持っていたのか持っていないのか記憶がはっきりしません。部屋の中の本棚を探してみました。
わおー、意外なものが見つかりました。
Marta Fattori ed.,
Francis Bacon: Terminologia e Fortuna nel XVII Secolo,
Rome, 1984
去年駒場のベイコンゼミのときに、持っているのは間違いないが、見つからないと学生諸君に語ったものです。私の今座っている場所から1メートルと離れていない所で見つかりました。Lessico Intellectuale Europeo のシリーズはかなりもっています。このフランシス・ベイコンだけカラフルなカバーがかかっています。他のシリーズの本とは雰囲気が違うので目に止まらなかったもののようです。捜し物というのは、得てしてこういうものです。探しているものが見つからず、思わぬものが見つかります。目次は次の通りです。
1 T. Gregory, Premessa
5 F. Abbri, Bacon, Boyle e le "forme" della materia
29 A. Clericuzio, Le trasmutazioni in Bacon e Boyle
43 J.M. Cocking, Bacon's view of imagination
59 D. Deleule, Experientia-experimentum ou le mythe du culte de l'expérience chez Francis Bacon
73 E. De Mas, Scienza e creazione. Studio sul tema trinitario e sulla terminologia biblica nel corpus baconiano
91 P. Dibon, Sur la réception de l'oeuvre de Bacon en Hollande dans la première moitié du XVIIe siècle
117 M. Fattori, Phantasia nella classificazione baconiana delle scienze
139 P.M. Gouk, Music in Francis Bacon's natural philosophy
155 M. Le Doeuff, Bacon chez les grands au siècle de Louis XIII
179 N. Malherbe, L'induction baconienne, de l'échec métaphysique à l'échec logique
201 J.-M. Pousseur, La distinction de la ratio et de la methodus dans le Novum organum et ses prolongements dans le rationalisme cartésien
223 G. Rees, Bacon's Philosophy: some new sources with special reference to the Abecedarium novum naturae
245 P. Rossi, Ants, Spiders, Epistemologists
261 M. Torrini, Il topos della meraviglia come origine della filosofia tra Bacon e Vico
281 B. Vickers, Bacon's so called "Utilitarianism": sources and influence
315 D. P. Walker, Spirits in Francis Bacon.
『科学革命における理性と神秘主義』では訳出されなかったものを挙げておきます。
Guglielmo Righini, "New Light on Galileo's Lunar Observations,"
Owen Gingerich, "Dissertation cum Professore Righini et Sidereo Nuncio,"
Pierre Costabel, "Mathematics and Galileo's Inclined Plane Experiment,"
Willy Hartner, "Terrestrial Interpretations of Lunar Spots,"
Cesare Vasoli, "Alchemy in the Seventeeth Century: The European and Italian Scene,"
Luigi Belloni, "Marcello Malpighi and the Founding of Anatomical Microscopy,"
→上にヴァゾーリの邦訳は存在しない模様と記述しましたが、駒場のKN氏から、『ルネサンス研究』の創刊号に「ブルーニの項目」が訳出されているという連絡を受けました。
[無神論の歴史]
大学院のゼミで次の本を取り上げることが決まりました。Micheal Hunter and David Wootton eds.,
Atheism from the Reformation to the Enlightenment
Oxford: Oxford University Press, 1992目次を取っておきます。
1. New Histories of Atheism
2. Unbelief and Atheism in Italy 1500-1700
3. Pierre Charron's `Scandalous Book'
4. The `Christian Atheism' of Thomas Hobbes
5. The Charge of Atheism and the Language of Radical Speculation 1640-1660
6. Jewish Anti-Christian Arguments as a Source of Irreligion from the Seventeenth to the Early Nineteenth Century
7. The First edition of the Traité des trois imposteurs and its Debt to Spinoza's Ethics
8. `Aikenhead the Atheist': The Context and Consequences of Articulate Irreligion in the Late Seventeenth Century
9. Disclaimers as Offence Mechanicms in Charles Blount and John Toland
10. The Atheism of d'Holbach and Naigeon
→作業の間に、http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~kito/Works.htmlのサイトで、次の論文を見つけ、ダウンロードして読みました。
伊藤和行「ガリレオの数学的原子論」『ルネサンスにおける自然観の総合的研究』(平成12年度科学研究費補助金:基盤研究(B)(1)研究成果報告書),2001年,65-74頁
伊藤和行「落下法則―古典力学の誕生と数学」『人文知の新たな総合に向けて』,京都大学文学研究科,2004年,45-53頁.
伊藤和行氏には、次の翻訳があります。全然知りませんでした。
ナンシー・G・シライシ「中世およびルネサンスのヨーロッパにおける疾病史への新しいアプローチ」,『科学医学資料研究』,248号,1−12頁.
イエイツ「ルネサンス科学におけるヘルメス的伝統」,『ルネサンス研究』,1号,ルネサンス研究会,1994年,189−216頁.
2010.4.21 →こちらは、駒場のオシテオサレテ氏にファイルを送ってもらいました。もとの英語を少なくとも2度読んだ記憶があります。日本語訳されてものを読むと、ずいぶん印象が違いました。
ひとりで5時5分。月曜日では2回目の授業日。幼稚園児といっしょに家をでました。幼稚園児は妻の自転車の後ろ。
[パパどこに行っていたの?]
月曜日2限の講義は、先週出ていなかった学生がかなり多数出席しており、持っていった紙が足りなくなりました。余るように用意したつもりだったのですが、こういうところが予想の難しいところです。(正直言って、まったく予想がつきません。)授業がはじまってしまうと、なんやかやと忙しい。ばたばたしているうちに、4限が終了し、5時半頃帰宅できました。
まだ身体は慣れていないので、帰宅すると、子どもたちより先に寝てしまいます。先週は、幼稚園児とちいさいちびに、パパどこに行っていたの?と聞かれてしまいました。半年間仕事に行っていなかったので、不思議だったようです。
ひとりで5時45分。今日からやっと春にもどるようです。雨も降っていません。ちびどもは友達といっしょにコナンの映画。妻がアテンドします。ということは、私は幼稚園児の相手をする必要があります。どこか公園で遊ばせようと思っています。
→ちびどもは10時半に友達と待ち合わせしているということです。10時15分に幼稚園児を自転車の後ろに乗せて、動物園に出発しました。個人的な関心から、ドングリ公園の隣に今日オープンするという公園を見てから、井の頭動物園に向かうこととしました。とくに子どもの好きそうな遊具があるわけではなく、おおきな木が一本保存されていました。
井の頭動物園には10時40分ぐらいに着いたでしょうか。切符の販売所に人が並んでいました。人出が多いしるしです。
恒例のおもち(正式には三福団子というようです)を買ってから、左手の遊具のある公園に向かいました。私はベンチでおもちをもっている役目。幼稚園児は勝手に遊んでいます。知らない子どもとシーソーで遊んでいました。
それから、遊園地へ。子どもが子どもなのは、移動のときに走ることです。10メートルほど遅れながらついていきました。メリーゴーランドも回転ゾウさんも、「4歳未満の子どもには大人の付添が必要」とあります。幼稚園児は4歳になっています。つまり、付添が必要ないということです。助かる。ティカップだけ「5歳未満の子どもには大人の付添が必要」ということで、諦めて付添ました。実は、回転系が大の苦手です。しかし、幼稚園児はクルクルするのが大好きなようで、思い切りハンドルを回しています。
ひとしきり遊んだあと、熱帯の鳥園を見つけました。子どもたちは入ったことがありません。幼稚園児はジャングルみたいな雰囲気が気に入ったようです。鳥はあまり見ずに、あっちに走り、こっちに走りして、鳥園を数周しました。
それから、サル、リス、と回って、彫刻のコーナーへ。建物になかは無人でした。彫刻よりも階段が好きなようで、階段があれば、上がったり降りたりしています。アトリエも見ました。やはり無人。
次いで、遊具のある公園のとなりにある、図書コーナーのある建物のなかでひとしきり遊びました。その後、遊具のある公園でしばらく遊んでから、入り口の売店にもどり、おむすび一個とカルピス。アイスクリームを食べたがりましたが、これ以上の長居は、よくないだろうと思い、自転車の後ろに乗せて帰ることとしました。鳥園で服を2枚脱がせています。自転車の荷台は寒かろうと途中で止めて、服を元通りすべて着せました。そのあたりから眠くなったようです。ことり、ことりする様子が背中に伝わってきます。
家に着いて、2時20分。ちびどもはまだ帰ってきていません。幼稚園児は、服のポケットに両手を突っ込んでよく寝込んでいます。起こさないようにソファーに運びました。20分ほどしてからちびどもが帰ってきました。幼稚園児は、結局2時間程度昼寝をしました。
ちびどもが見た映画は、コナン。やっとちいさいちびにも理解できたようです。(去年だか一昨年だかに行ったときには、途中からわからなくなったと言っていました。)
[Tullio Gregoryトゥリオ・グレゴリー iii]
一昨日のTullio Gregoryトゥリオ・グレゴリーですが、(いくらか予想していたことですが)反応がありました。私の方でも動いてみようと思っています。大橋さんのサイト(ヘルモゲネスを探して)で、トゥリオ・グレゴリー「十三世紀の危機における哲学と神学」の邦訳を読み直しました。感動です。大橋さんの言うとおり、どうももとのイタリア語はかなり難しいようですが、提示されているテーゼは明晰です。もとは1964年の論文ですが、トゥリオが論文の最後で指摘している「メタ歴史的統一総合性」を哲学の歴史に押しつける歴史記述は、まったくもって今日まで(トゥリオの指摘などなかったかのように)生き続けています。我々の表現では、そうした「メタ歴史的統一総合性」の想定と利用は、非・歴史的アプローチである、ということになります。
(トゥリオの言葉使いが特殊なのだと思います。「メタ歴史的統一総合性」というのは、一般には、超歴史的な本質を哲学や神学に前提することです。歴史学の文脈ではあまり使いませんが、歴史的存在に関するエッセンシャリズムをトゥリオは批判しています。)
ひとりで5時5分。雨はまだ降り続いています。夜明け前の居間の室温という点だけをとれが、下がり続けています。確かに、春のなかに真冬が割り込んできた気温となっています。
→窓の外が白いので、もしやと思い、窓を開けてみると、雪でした。昨日の天気予報では雪になるかもしれないと言っていましたが、本当に3月17日の東京に雪が降りました。びっくり!
→牛乳が切れそうだったので、まだ誰も起きてこないうちに、近所のコンビニに買い出しにでました。ついでに朝方処理した郵便を一通ポストに入れてきました。雪は早朝には積もっていましたが、雪から変わった雨が朝の遅い方が目覚めたころにはほとんど流し去っているでしょう。道路の雪も全面的に溶けているところと、いくらかザラメ状に残っているところが混在していました。[Tullio Gregoryトゥリオ・グレゴリー ii ]
昨日の「Tullio Gregoryトゥリオ・グレゴリー」についての記述に対して、「ヘルモゲネスを探して」の大橋さんがコメントを付けてくれています。言うまでもなく、大橋さんの方がトゥリオの仕事に関してはずっとずっと詳しいので、大橋さんの記述も是非お読み下さい。私は、人間としてトゥリオを見たことは全くないので、晩年に保守化しているとか貴重な情報を教えてくれています。
(知らない人間の強みとして勝手なことを言っておくと、老害というのは、古今東西、どこのだれにでも生じることだと思います。過去の偉大な仕事への敬意を失うことなく、しかし、老害かもしれないと疑ってかかることも必要なことではないでしょうか。とくに日本社会は構造的に「老害」を生みだしやすい社会ですし、もしかしたらイタリアもこの点似ているのかもしれません。)
ひとりで5時25分。まだ冷たい雨が降っています。今日も昨日と同じような天候の模様。ちびどもはいつも通り、6時半に起きてきました。子どもの場合、こういうふうにリズムが一定になるのがよい。幼稚園児は最近は8時前後です。→昨日疲れたようです。起床が8時半過ぎになりました。幼稚園にも歩こうとはしなかったので、無理矢理妻の自転車の後ろに座らせました。
妻が自転車で出発してからすぐに私も、郵便局や銀行を回る用事があり、外出しました。寒い。雨は、動いている最中に止みましたが、寒い。最高気温7度の予報は当たりそうです。
[Tullio Gregoryトゥリオ・グレゴリー]
朝からメールを4通、郵便を1通処理しました。この時期は何かと忙しい。アリストテレスの異聞集を調べていると、次の論文に出くわしました。(検索をかけると簡単にヒットするはずです。)トゥッリオ・グレゴリー(飯尾都人・近藤映子訳)
「アリストテレス自然学導入以前の中世哲学における自然観―十二世紀―」
『イタリア学会誌』17 (1969), 108-129トゥッリオ・グレゴリー(飯尾都人訳)
「アリストテレス自然学導入以前の中世哲学における自然観(続)―十二世紀―」
『イタリア学会誌』19 (1971), 114-133
訳者の飯尾都人(広島大学)氏の付記をそのまま引用します。「本論は第三回国際中世哲学会(1964.8.31〜9.5.)での一般講演を基とした同紀要論文であり、その性質上補論の役割をも含む原注も全部訳出した。多少旧聞に堕する嫌いがなくもないがなお斯方面での水準をうかがうに足る。当時学会に御出席の広島大名誉教授松本厚先生からのtextの御貸与に謝意を表したい。」
もとは次。
Tullio Gregory, "L’idea di natura nella filosofia medievale prima dell’ingresso della fisica di Aristotele. Il secolo XII", in " Atti del terzo Congresso Internazionale di Filosofia medievale (Passo della Mendola, 31 agosto-5 settembre 1964)", Sansoni, Firenze 1964, poi in La filosofia della natura nel Medioevo, Milano 1966, pp. 27-65さすが、Tullio Gregoryの論文です。とてもよくできています。ほんとうに感心しました。『ミクロコスモス』の巻頭論文&栄えある第一回ミクロコスモス大賞を受賞した菊地原洋平氏の「記号の詩学―パラケルススの「徴」の理論」に感動した方は言うまでもなく、すべての思想史家の必読論文だと言えるでしょう。(昨日まで存在を知らなかったくせに、えらそうなことを言ってすみません。)
Tullio Gregoryの代表的な著作と論文は次のサイトにリストがあります。
http://w3.uniroma1.it/corrispondenze/progetto/gregory.shtml
それによれば、この論文は原子論論文の前に発表・出版されています。もとの発表が1964年、『中世の自然哲学』の出版が1966年、邦訳が1969年&1971年。基本的な仕事なのに、たぶんほとんど存在を知られていないのは、訳出媒体の問題だと思われます。最初は『イタリア学会誌』でも仕方がありませんが、次にもうすこし人目につく媒体に出してもらいたかった。ほとんど眠っていたのではないでしょうか。→まあ、でも、逆に考えることもできます。私の調べ得た範囲では、これがTullio Gregoryの唯一の邦訳です。(大橋さんのブログにおける貴重な仕事、トゥリオ・グレゴリー『十三世紀の危機における哲学と神学』がありますが、ここでは、印刷物に限定しておきます。)『イタリア学会誌』ならば、『イタリア学会誌』でもよいので、Tullio Gregoryの貴重な仕事をもうすこし頑張って邦訳しておいてもらえないでしょうか。重要さに比して、ほんとうに読まれていない研究者の一人です。
→また同様に私の調べ得た範囲で、トゥリオ・グレゴリーTullio Gregory の仕事に触れている日本語のサイトは、BHの平井さん、前記の大橋さん、駒場のKNくん(オシテオサレテ)、あのMR・アダム・タカハシ、中世史家小澤氏と、私の知っている方ばかりです。
本として訳出してもらうのが一番ですが、媒体は何にせよ、アクセスできるものでグレゴリーを邦訳(出版)してもらうと、日本の人文系の学問に対する貴重な貢献となると思います。だれか志のある方、頑張ってみませんか?
英語の出版物もほとんどないようです。(比較的短い論文だけのようです。)英訳して出版する意義もあると思います。
ひとりで5時20分。3月半ばだというのに、冷たい冬の雨が降っています。天気予報では最高気温が7度。真冬の寒さ、と言っていました。今日は木曜日の授業の開始日。
3限、4限、5限の授業。はじまってしまうとなんやかやと忙しい。
3限の講義、「科学思想史」は113教室にて87名でした。教室のキャパに対してちょうどよい感じです。
4限のゼミ、「科学思想史演習」は422室10名。ほぼ去年と同じ人数です。こちらもちょうどよい感じです。
5限の卒演は、予想通り、就活の真っ最中(面接)の人が二人いて(つまり欠席)、昨日決まったという学生が一人いました。(留学中が3名)
ひとりで4時45分。いろいろあって、やはり昨日子どもたちといっしょに寝てしまったせいです。夜半から強い風が吹きはじめました。この春は、こういう風が吹くことが多い。寒いというほどではありませんが、空気がひんやりしてきました。明日はまた最高気温が11度の世界に戻るということです。東京ガスの方は、壊れた給湯器の点検・修理のために9時半に来てくれました。やはり漏電ということです。しばらくあっちこっち調べてから、温度調整(低温になったときにヒーターのスイッチを入れる)ためのサーモスタットが錆びて故障していたと報告してくれました。3箇所ではっきりとした錆びがでて、かなりひどい状態だということです。15年目なので、新調の時期ではあります。説明をよく聞いたうえで、諦めて、新しいのに交換することとしました。33万円。実は床暖房のリモコンも故障しています。そちらの交換してもらうこととしました。しめて35万程度。げ、げ、ですが、仕方ありません。妻とふたり、今年1年節約するしかないね、ということになりました。
会議の日。12時半から打ち合わせ&雑談。2時50分から4時半まで大学院の会議。それから卒業生と懇談。
前にこのサイトでアリストテレス偽書De mirabilibus auscultationibusについて触れました。アリストテレス全集の翻訳(岩波版)は研究室に置いています。作業の途中で思い出して、前の台を動かし、『問題集』と『小品集』を引っ張り出しました。
『小品集』にきちんと訳出されていました。「異聞集」と訳されています。日本語では、こう訳すのが的確だと思います。短いもの(『アリストテレス全集10 小品集』 岩波書店、1969,pp.107-158)なので、会議を待っている間に読んでしまいました。日本語での研究はほとんどないようですが、なかなかチャレンジングな内容だと思います。
ぱっと読んだ感じでは、プリニウスの『自然誌』に近い。雑多な内容に見えて、関心の焦点と呼べるものが確実にいくつか指摘することができます。その一つは、鉱物に関するものです。鉱物の生成と再生に関する、情報です。
「(42)マケドニアのピリッポイ付近には鉱山があり、そこから棄てられた廃物が増えて黄金を生み出すと人々は言う。そしてこれは明白な事実であるということである。」(117頁)
「(43)キュプロスのテュルニアスと呼ばれる所でも、銅が同じように産出されるそうである。というのは、それを細かくくだいて播き散らしておく。雨が降るとそれは大きくなり、にょきにょき伸びていく、そこで集められるということである。」(117頁)
「(48)カリュプスとアミソスの鉄の生成は極めて独特であるといわれている。というのは、人々が言うには、河川によって運ばれてきた砂から生ずるのである。ある人々はこれをただ洗って、炉で溶かすだけであると言うが、また或る人々は次のように言う。すなわち、最初に洗ったあとで残されたものを何度も洗って熱し、この地方に豊富にある耐火石と呼ばれる石を挿し入れておく、と。この鉄は他のいかなる種類の鉄よりもすぐれている。しかしもしもそれが炉で熱せられなかったら、それは銀と余り違わないものになるだろうと思われる。人々は、その鉄だけは錆びにくいが、余り多くは産出しないと言う。」(118頁)
「(93)テュルレアにはアイタレイアと名づけられる或る島があり、この島では以前に、或る鉱山から銅が掘り出されて、それからすべての銅の容器がつくられたという。そしてその後は、もはや何も発見されなかったが、かなりの時がたってから、その同じ鉱山から鉄が産出された。この鉄を、ポプロニオンと呼ばれるところに住んでいるテュルレア人は今でも用いているということである。」(130頁)
動物誌、植物誌の話題も豊富です。
「(11)亀はマムシを食べた時、それに続けてオリガノス[マヨラナ草]を食べる。・・・・」(110頁)
「(13)キツツキという鳥は、ヤモリのように、逆さまになったり、腹ばいになったりして木に登るといわれている。なおそれは木から虫を食べて生き、虫を探して木々を倒してしまう程に木の中を深く掘るのだと言われる。」(110頁)
→20 10.4.16 次のサイト、
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/cicada/aristoteles.html
に福島保夫訳(岩波版『アリストテレス全集』(10)小品集)の異聞集 Mirabilium auscultationes が注釈付きで全文収められています。すばらしい。
6時20分。ちびどもは6時半頃着替えて下に降りてきました。ちょうどよい時刻でしょう。今日は日が昇るにつれて、気温が上がり、20度を越え、23度に達するということです。なんとも乱れた春先の気候です。雨上がりの明るい日射しのなか、子どもたちは元気に小学校と幼稚園に出ていきました。新3年生は保護者会があります。今日は2時に帰宅するということです。
→新3年生は1時45分に帰ってきました。妻は、保護者会のために2時前にでかけました。お隣の新築工事のために、ガス工事を行っています。見た感じでは外回りは完成したようです。→新3年生は友達から電話があり、遊びに出ました。新5年生は、4時頃帰ってきました。幼稚園児は、一度ママのところへ行きたいと泣きべそをかいていましたが、しばらく毛布にくるまって復活しました。妻は、予想よりずっと遅く、5時過ぎ。今年はやらないと決めていたPTAの役員を、誰も引き受け手がないまま時間だけが経っていくのに耐えられずに引き受けた、との弁。そういうことはあります。
妻がお風呂から出た頃、お風呂と台所にお湯を供給している給湯器の電源がつかなくなりました。外に出て、コンセントをはずして再度差込み、かちゃっとまわすと家中停電になるというのを2度繰り返しました。電源系統の故障であろう、ということがわかりましたが、それ以上はわかりません。明日の朝、東京ガスの人に来てもらうこととしました。
夕刻次の本がアマゾンより届きました。
ノーマン・サイクス
『イングランド文化と宗教伝統:近代文化形成の原動力となったキリスト教』
野谷啓二訳、開文社出版、2000
サーベイするのに便利かと思い、注文しました。
ひtりで6時10分。室温はまだ18度。予報を信じれば、これから寒くなるのでしょう。私の新学期のスタート。幼稚園児は入園式で今日は休み。ちびどもが出かける頃に、雨が降り始めました。雨とともに気温が下がっていくようです。
最高気温が11度では仕方がない、冬の間一度も袖を通さなかったコートを出して、雨のなか出かけました。8時40分。やはり、9時6分武蔵境発の電車に間に合いました。
大学では、メールボックスをチェックし、印刷室で、2限の配布物を印刷してから、研究室へ。まだまだ片づけが残っています。ともあれ、午後研究室で授業ができるようにしました。2限の「科学技術と社会」の初回の出席者は112名。最終的にもこの前後で収まるでしょう。学生諸君に手を挙げてもらって、昭和生まれが絶滅危惧種であることを確認しました。
朝食後、生協に寄ってみました。総合雑誌2冊(『中央公論』と『文芸春秋』の2010年5月号)ならびにAA研が出している新雑誌『Field +』2010 01 No.3 を買いました。
午後の授業ですが、3限が3人、4限には学部学生が2名加わって5人。ちょうどよいぐらいです。
帰りに教務課で一仕事をして、帰ろうと思ったら、すっかりモンゴル人になったF君に入り口で声をかけられました。わおー、なつかしい。西ヶ原時代の学生です。今は一ツ橋で博士の最終学年に在籍しているということでした。「モンゴル人の友人」です、と紹介しても通用する雰囲気でした。
帰りの電車では、『Field +』2010 01 No.3 を読んでいました。これが意外に(失礼!)面白い。私は文化人類学や社会人類学の分野はあまり詳しくありませんが、面白い特集(とくに、追悼「イスラーム人類学の先駆者 社会人類学者 大塚和夫」が秀逸です)でした。500円で、マーケットに出ています。関心のある方はどうぞ。
ひとりで5時50分。昨夜疲れて子どもたちといっしょに寝てしまったせいです。
居間に降りて、室温が19度。今日の最高気温が22度ということです。暖かい春の朝となりました。[イケア来る]
昨日イケアで購入した品物は、配送サービスを使いました。妻がネットで調べると、配達中と出ていました。と思いきや、玄関でピンポーン。荷物が来ました。かなり大きめの段ボール箱。11時前でした。
それから1時間半、妻を中心に、ちびどもが手伝って片づけ作業。主に台所の整理用品でした。整理用品以外で大きかったのは、幼稚園児の掛け布団。車の模様付きのカバーを選んでいます。しかし、幼稚園児は布団よりも段ボール箱に関心があります。段ボール箱を家にして遊びはじめました。まるで犬小屋みたいにして段ボール箱にもぐっています。私は明日からいよいよ2010年度の授業が始まります。天気予報によれば、明日の最高気温が10度。寒すぎです。
ほぼそろって7時半。ちいさいちびがおねえちゃんのできるスーパーマリオができないと言って暴れていました。新しい環境で緊張しているのでしょう、春先はいくらか情緒不安です。晴れ。[はじめてのイケア]
妻とちびどもが話し合って、イケアに行くこととなりました。船橋のイケアであれば、電車で行って帰ってくることができます。
子連れの場合、朝できるだけ早く動くことが大切ですが、今日はおおきいちびのピアノのお稽古があります。お稽古が終わって、昼食をとってすぐに出かけることとしました。ルートはいろんなルートがありえますが、総武線で西船橋まで行って、そこで武蔵野線に乗り換え、南船橋というルートを第1ルートに出発することとしました。
地下鉄の東西線を使った場合にも、結局、西船橋で総武線にもう一度出会います。東京駅乗換京葉線のパターンもありえます。
今日の総武線は窓から花見ができました。それで時間がもちました。西船橋から南船橋は到底一駅とは思えない遠さでしたが、一駅は一駅。船橋のイケアは駅のすぐ近くにあります。幼稚園児と新3年生は、入ってすぐ右手にある子どもだけの遊び場(1時間、買い物をする親のために子供を預かってくれる)に行くと言います。順番をすこし待たないといけないので、私が順番が来るまでアテンド。妻と新5年生が二人で買い物に出発しました。待ったのはおそらく10分程度。幼稚園児と新3年生はうれしそうになかに入っていったので、私もぶらぶらと順路に沿って見て回りました。家具が安い。ものは同じではありませんが、普通のたとえば百貨店においてあるもとと比較すると、半額という感じです。15分ほど歩くと、妻と新5年生に追いつきました。私はどうしても机やソファーといった家具類を見てしまいますが、妻と新5年生には欲しい雑貨があったようです。黄色い袋にいろいろ入っていました。2時51分に子どもたちの預かりの時間がタイムアップします。たぶん2時50分に受付に声をかけました。幼稚園児は楽しかったようです。喉が渇いたといってペットボトルの水をごくごく飲んでいます。休ませるために、スナック売場へ。ソフトアイスクリームを買ってやりました。1個50円。やはり半額といったところです。お手洗いに一度走ったあと、子供用の遊具で遊んでいました。そうこうするうちに買い物をすませた妻と新5年生が我々を見つけました。
お腹が空いたということで、2階のレストランへ。食べ終わってから帰途へ。帰宅して、6時半過ぎ。
JR を使うと、往復で1400円近くかかります。(地下鉄を使うと、片道510円、JRだと690円です。JRの方が1.35倍です。大きな差と言えます。家族5人で往復すると、地下鉄で3060円、JRで4140円。)授業の準備をしています。月曜日の2限はほぼできました。
午後の授業のために、論集の目次を取っておきます。
G. コイン他編『宇宙理解の統一をめざして―物理学・哲学・神学からの考察―』南窓社、1992
ジョージ・V・コイン 序文
ヨハネ・パウロ・2世 本書へのメッセージ
1 科学と宗教に関する歴史的、現代的考察
イアン・G・バーブ 科学と神学とはいかにかかわるか
エルナン・マクマレン 自然科学と創造神の信仰―歴史的考察
マイケル・J・バックレイ ニュートン・パラダイムと無神論の起源
W・ノリス・クラーク 自然神学は今日なお可能か
リチャード・J・クリッフォード ヘブライ語聖書における創造
2 認識論と方法論
ジャネット・ソスキス 科学と宗教における知識と経験―われわれは実在論者でありうるか
マリー・B・ヘッセ 物理学、哲学、神話
ニコラス・ラッシュ 観察、啓示、ノアの子孫
3 哲学的、神学的見地より見た現代の物理学と宇宙論
ウイリアム・R・シュティーガー 現代宇宙論から科学と宗教の対話へ
ジョン・C・ポーキングホーン 量子世界
クリス・J・イシャム 量子的過程としての宇宙の創造
もとの本は次。
Robert Russell et al. eds.,
Physics, Philosophy, and Theology: A Common Quest for Understanding
University of Notre Dame Press, 1988デイビッド・C. リンドバーグ (編集), R.L. ナンバーズ (編集), David C. Lindberg (原著), Ronald L. Numbers (原著), 渡辺 正雄 (翻訳)
『神と自然―歴史における科学とキリスト教』みすず書房、19941 科学と初期のキリスト教会 デイヴィド・C・リンドバーグ
2 中世における科学と神学 エドワード・グラント
3 コペルニクス主義者と諸教会 R・S・ウェストマン
4 ガリレオと教会 ウィリアム・R・シェイ
5 カトリック思想と初期近代科学 W・B・アッシュワース・Jr
6 宗教改革の神学と機械論的な自然の概念 ギャリー・B・ディーソン
7 ピューリタニズム、分離主義、および科学 チャールズ・ウェブスター
8 科学の勃興と正統キリスト教の衰退―ケプラー、デカルト、ニュートンの研究 リチャード・S・ウェストフォール
9 キリスト教とニュートン主義的世界観 マーガレット・ジェイコブ
10 ラプラスと機械論的宇宙 ロジャー・ハーン
11 生命の機械論的概念 ジャック・ロジェ
12 地球史の形態と意味 マーティン・J・S・ルドウィック
13 十九世紀における地質学者と「創世記」の解釈者 ジェームズ・R・ムーア
14 ダーウィン時代のキリスト教と科学者共同体 A・ハンター・デュプリー
15 十九世紀プロテスタント神学に対するダーウィン進化説の影響 フレデリック・ グレゴリー
16 創造論者 ロナルド・N・ナンバーズ
17 現代物理学とキリスト教信仰 アーウェイン・N・ヒーバート
18 プロテスタント神学と二十世紀の自然科学 キース・E・ヤンデル
原著は次。
David C. Lindberg and Ronald L. Numbers eds.,
God and Nature: Historical Essays on the Encounter Between Christianity and Science
University of California Press, 1986
OU科学史
創元社版, 1983
『OU科学史1 宇宙の秩序』C・ラッセル編、渡辺正雄監訳、成定薫・大谷隆共訳、1983
『OU科学史2 理性と信仰』 R. ホーイカース編、藤井清久訳、1983
『OU科学史3 創造と進化』J.H.ブルック他、鈴木善次・里深文彦共訳、1984すぐ書房版、2007
『宇宙の秩序―科学革命とキリスト教〈1〉』C. ラッセル、D. グッドマン、R. ホーイカース、 J.H. ブルック
『理性と信仰―科学革命とキリスト教〈2〉』R. ホーイカース、D. グッドマン、G. ロバーツ、 C. ロウレス
『創造と進化―科学革命とキリスト教〈3〉』J.H. ブルック、R. ホーイカース、C. ラッセル、 A. リチャードソン
ひとりで6時10分。おおきいちびは6時半に起きてきました。ちいさいちびは6時40分。曇り。やっと幼稚園児の始業式。
流れで、幼稚園児は私が連れていくこととなりました。途中で出会った男の子は走っていました。うちのB組さんも、幼稚園に着くと、走ってなかに入っていきました。今日は10時半に終わります。11時過ぎに帰ってくるでしょう。
→予想通り、11時5分頃帰ってきました。これで晴れて年中さん。ちいさいちびは、今日は3時半過ぎに帰宅しました。他のクラスよりも遅かったようです。帰ってきてすぐ、友達のうちに遊びに行くと言っています。
はじめての家なので妻が送っていきました。しばらくしておおきいちびが帰宅。ママに会ったとのこと。妻が忙しそうなので、ちいさいちびの出迎えは私が行くこととしました。近くのマンションの一室。なんとそのお隣は、幼稚園児のお友達のお家です。
ひとりで5時55分。新聞を取るため、ドアを開けると、ひんやりとした空気が流れ込んできました。昨日の暖かさから、また一月近く季節が戻るようです。ちびどもは6時40分頃着替えて降りてきました。ちょうどよい時刻でしょう。
4時前にまずおおきいちびが、そしてすぐあとにちいさいちびが帰ってきました。おおきいちびは、友達と電話で話をして、お友達が二人来ることとなりました。ちいさいちびは、お友達のお家に遊びに行くこととなりました。はじめて行くお家です。連絡で、あっちゃこっちゃ。妻は形態で、ちいさいちびは固定電話で同時に話すという状況でしたが、いっしょに無事にでかけていきました。
幼稚園児は、大きいお姉ちゃん達の間にわって入りました。
見事に、めぐるましい。私は、朝から7件の連絡をしました。仕事始めです。郵便局にも2回行きました。2回目の帰りに、『サイト Sight』2010年春号を買ってきました。特集が「ありがとう小沢一郎 僕たちは卒業します」。山口二郎氏、佐藤優氏、上杉隆氏、対談(内田樹×高橋源一郎)からなっています。とても面白い特集です。
ひとりで5時半。昨夜子どもたちといっしょに寝てしまったせいです。新3年生、新5年生の本格始動。曇り空のなか、新3年生と新5年生は、無事出かけていきました。なんと、幼稚園児はまだ寝ています。幼稚園の開始はまだですが、せめて8時には起きてもらわないと。(何と、今日は9時まで寝ていました。)
私の今日は会議。あまり気乗りしない会議ですが、仕事復帰の第一弾として行ってきます。事務的用件がすこし待っているかもしれません。
隣家の新築工事ですが、今朝、家をすっぽり覆っていたシートをはずし、足組も取り払いました。あとは、内装系です。遠からず完成するでしょう。→と思ったら、またシートを取り付けていました。外壁を取り付けるために一時的にシートをはずしただけでした。足場も取るかと思いましたが、まだ残っています。外が完成してからはずしのでしょう。
幼稚園児が遊びに行くのを見送ってからでかけました。武蔵境11時6分発の西武線。大学に着く頃、雨が降り出してきました。まず、図書館へ。2冊寄贈。それから、郵便物を受け取り、できたばかりのアゴラ・グローバルの1階に入った喫茶店へ。もうお腹が空いていたので、サンドイッチとコーヒーを頼みました。来週月曜日に授業が開始です。学生達はまだまだすくない。ほぼ貸し切り状態でした。サンドイッチは量があるので、昼食になります。
それから、印刷室で書類の処理をして、研究室へ。授業をはじめるための体勢はほぼできたと思います。
1時から会議。2時半まで。次の会議は、場所もメンバーもほぼそのまま、15分程度。15時4分多磨駅発の電車に間に合いました。武蔵境駅で10分、三鷹駅で数分待ったので、予想より15分程度遅れて帰宅することとなりました。
3年生は、早速お友達と遊んでいます。幼稚園児も勝手に交じっています。5年生は小雨のなか、お絵かき教室。
7時10分。ちびどもは起きてちゃんと着替えていました。幼稚園児は、まだよく寝ています。ちびどもの始業式。教室には入らないということなので、学校滞在時間は1時間もありません。今日からやっと暖かくなるということです。
二人とも、9時15分過ぎに帰ってきました。二人揃ってクラス替えの年です。新しい友達、新しい担任の先生のもとで新学年が明日から本格的に始まります。(どういう理由でそうなったのかわかりませんが、登校時刻が5分だけ繰り下げになっていました。)おおきいちびは帰ってきてすぐにお友達のうちに遊びに行きました。昼食をご馳走になり、夕方まで遊んでくるようです。
ちいさいちびは、明日から学校で必要な文房具に欠けているものがあるということで、昼食前に、私と二人でユザワヤに買いだしに行きました。左利き用のハサミです。これまで幼稚園のものを使っていたが、さすがにもうすこし大きいものが欲しいということでした。あとは、ビーズと、鉛筆。
帰宅してすぐに昼食。幼稚園児は、金曜日に始業式ですが、本格的に始まるのは来週の火曜日からです。どうも自分だけ取り残された気がするようです。明日お友達のお家に遊びにいく約束をしたそうです。
ひとりで6時。夜半から雨。ちびどもの春休みは今日が最後。といって、明日は、クラス替えの表をもらって教室にも入ることなくすぐに帰ってきます。部屋のなかにいると昨日よりも寒く感じます。正午で外の気温が9度前後の模様。最高気温も12度までしか上がらないようです。気候が1ヶ月前にもどった感じです。子どもたちに聞くと、雨なので出かけたくないということです。明日、小学校から帰ってきてから外にでると言っています。
ちょうどよいので、私は新学期に向けての下準備をできるだけ進めておこうと思います。特別研修の半年の間に、大学のなかで私の関わる部分は割と変わっている様子です。
夜半に目覚めて、すこし仕事。私以外はすやすや寝ています。朝の起床は、6時50分。幼稚園児はよく寝ています。ちびどもは起きているようです。ちいさいちびの咳の音が聞こえます。
ちびどもに聞くと、今日も家にいると言います。天気予報では寒いとは言っていませんでしたが、いくらか時計の針がもどったかのような寒さを感じます。外出時には冬のコートが必要でした。
久しぶりに、次のページを全部見直してアップデートしました。
『化学史研究』創刊号からの全目次
今回の目標は、どういう本を書評(紹介欄)に取り上げているかということです。1974年3月に創刊号が発行されています。単純にそれ以前の著作で取り上げられているものはゼロではないかもしれないが、ほとんどありません。大事な本ほど落ちているというと言い過ぎになりますが、化学史の基本書で書評の対象になっていない本が数多くあります。今期はそうした書物をできるだけ取り上げていきたいと考えています。取り上げるべき書物にご意見があれば、是非、お寄せ下さい。ウェブで次の論文を見つけて、読みました。
芦名定道「近代/ポスト近代とキリスト教―グローバル化と多元化―」『キリスト教と近代化の諸相』(現代キリスト教思想研究会、2008)、3-18頁。
トレルチは、古いプロテスタンティズムと新しいプロテスタンティズムを区別している。新しいプロテスタンティズムは、啓蒙主義とともに始まる。そして、厳密な意味での近代は、啓蒙主義から始まる、と捉えているということです。
ティリッヒは、啓蒙主義の近代の特徴を、「数学的自然科学、技術、経済」の「3重の活動性」とその担い手としての「市民社会」と捉えたとあります。
テオドール・ウォーカーは、近代のメルクマールとして、「大西洋を横断した近代奴隷制の成立」に求めます。「近代性のしるし、科学と奴隷制、あるいは正確には近代科学と奴隷制」という表現ととっています。人間と土地の商品化という観点からすれば、こういう見方もありえます。(欧米とアフリカと言うことで言えば、これでよいかもしれませんが、アジアは、どうなるのでしょうか。視野から落ちているように思われます。)
個人的にはもっとも共感できたのは、ギデンズの「再帰性」概念によるものです。もちろん、思想史のなかではすでに指摘されていることです。「制度的再帰性」という概念により、社会制度に組み込まれた再帰性を問題にしています。
[お知らせ]
何点かお知らせをします。1.『化学史研究』の投稿先ですが、4月1日から外語大に戻っています。投稿原稿は、次の住所にお送り下さい。
〒183-8534 府中市朝日町3−11−1
東京外国語大学 吉本秀之(気付)
『化学史研究』編集委員会 宛
(ものによってはメールでも受け付けます。問い合わせてみて下さい。)2.東京外大、木曜日3限、(講義)「科学思想史」ですが、今年から113教室に変更になっています。お間違えなきように。
(といって、間違える可能性が一番高いのは、私本人のような気がします。)ひとりで4時半。昨日疲れて、子どもたちよりも先に寝てしまったせいです。疲れはしましたが、一応研究室で授業ができる体勢は整ったので、安心ではあります。
新聞を取るために郵便受けを開けると次の本が入っていました。川島さん、ご高配いただき、ありがとうございます。
川島慶子
『マリー・キュリーの挑戦:科学・ジェンダー・戦争』
トランスビュー、2010、210頁、本体1800円、
昨日メールボックスで受け取ったシラバス類のうち、カバンに入れて持ち帰ったのは、授業時間割だけです。(他のものは持ち運ぶのには重すぎます。)
つらつら見ていて、野間秀樹氏の名前がないことに気付きました。調べてみました。サイトに「退職しました」とありました。私よりも5歳年長です。定年にままだまだ遠い。その後のことは書かれていなかったのでわかりません。どうされたのでしょうか?
私と同じく、2010年度の特別研修の方は、ほぼわかりました。(100%正確にではありません。)
1学期には、根岸雅史氏と澤田ゆかり氏。2学期には、関口時正氏と****氏。(4人目の方については、はっきりしません。)3月末に定年退職された方は、3名、谷川道子さん(1946年7月生まれ)、小林二男さん(1947年2月生まれ)、工藤浩さん(1947年3月生まれ)です。
子どもたちを東京タワーに連れていこうという計画を立てましたが、幼稚園児の様子を見るとまだ遠くまで動く体力がもどってないような気がします。妻と話して、吉祥寺の丸井のユザワヤにビーズを買い出しに行くこととしました。お花見のピークです。信号が一度では渡りきれないぐらいのすごい人出です。ちびどもは3点ずつ選びました。幼稚園児は5点選びましたが、そのうち4点までは共有です。
買い物をすませ、丸井の外にでると、幼稚園児が歩こうとしません。もう帰るこことしました。駅までは私がおんぶ。西荻窪の駅から最寄りのコンビニまでは妻が抱っこ。一度熱がでると、体力が回復するまでいくらか時間がかかります。明日もまだ無理だと思われます。夕刻、アマゾンより次の本が届きました。
C. ラッセル、R.ホーイカース、D.グッドマン、J.H.ブルック著
『宇宙の秩序:科学革命とキリスト教1』
渡辺正雄監訳、成定薫・大谷隆昶 訳、2003、すぐ書房。昔出ていた本の(別の出版社での)リプリントです。授業で使おうと思い、2冊目を購入したものです。古い版にはなかったものとして、渡辺正雄「歴史のなかの宗教と科学」(岩波講座宗教と科学2『歴史のなかの宗教と科学』(1993年初出)が採録されています。それはまったく問題ないのですが、どこにもリプリントの経緯が書かれていません。一言あるべきだと思います。
ちなみに、もとの版は、『OU 科学史』(創元社、1983)として3巻で出ています。もとは、Open University の教科書です。
Science and Belief: from Copernicus to Darwin Part 1, (Open University Press, 1974).さらにちなみに、成定薫氏は1946年生まれです。どうも2010年3月に広島大学を定年退職されたようです。高橋憲一氏もこの春九州大学を定年退職されました。先輩方の定年退職の報を聞くことが多くなりそうです。
ひとりで7時半。幼稚園児は夜中何度も起きて泣いていました。幼稚園児は幼稚園児なりにストレスがあります。おねえちゃんたちといっしょに「マリオ・ブラザーズ」をやるとなかなか自分の思ったようにはやらせてもらえません。しかしまだ幼稚園児ですから、しばらく泣いたあと、ママによしよししてもらってすぐに寝付きます。昨日と同じく、8時過ぎまで寝ています。
ちびどもは7時頃起きていたようです。昨夜は、春の嵐でした。気温が上がり、なま暖かくて強い風がずっと吹いていました。[新学期始動 2 ]
さすがに1割ではまずい。おおきいちびは今日も手伝ってよいというので、昨日とまったく同じ時間帯に大学に向かいました。(ちいさいちびも昨夜は行くと言っていたのですが、朝からは嫌だということで、取りやめになりました。)9時6分、武蔵境発の電車。メールボックスでシラバスを受け取り、コピー室で、カッターを使わせてもらってから研究室へ。おおきいちびは今日は床の掃除を担当してくれました。私は、テーブルの上。ほとんどは別の場所に移動しただけですが、何とか授業をできるところまでは来ました。やれやれ。10時40分ぐらい。それから、吉祥寺丸井の上の方の階にできたユザワヤに行ってみることとしました。一応ひととおりは揃っているようです。おおきいちびは、好きな鉛筆がないのが不満なようです。オープン特価のビーズだけ買って、昼食へ。居酒屋で昼間うどん屋をしている店に入りました。女性客の姿が目立ちました。もちろん、子連れは私ぐらいです。けんちんうどんを食べてから、再度中央線。今日は、昨日の強風の影響でしょうか、ダイヤが乱れているようです。驚くほどの人が固まりになっているところがありました。西荻の駅に着いてから、区役所の駅前出張所へ。昨日テレビで子ども手当の申請のニュースをやっていました。どんなものかと思い、ネットで検索すると、5分で書き上げることのできる書類を提出するとあります。(保険証の写しを添付する必要があります。)その場で書き上げて、カバンに入れていました。まだ申請書を提出に来る人はさすがに少ないようです。(普通は、書類が区役所から送られてきて、それに記入して、もどすという手続きになるようです。)支払いの仕方がちょっと独特です。ニュースの解説では私も理解できなかったのですが、ネットの説明でわかりました。年に3回振込、それぞれ過去4ヶ月分をまとめて支払うとあります。支払い月は、6月、10月、2月。もちろん、今年は初年度なので、6月には、4月分と5月分の2ヶ月分が支払われるとあります。申請書類の郵送が始まったら、区役所や市役所の担当窓口には問い合わせの電話が押し寄せるのではないかと予想されます。
[やっと春]
やっと春。大学から武蔵境に向かう電車を待っているときに、着ていったカーディガンを脱ぎました。すこし掃除をして身体が暖まったせいもありますが、気温も高くなっていました。やっと春の気温です。このあと冬物が必要になることは、たぶんないと思われます。[新学期始動]
ひとりで5時55分。幼稚園児は、予想通り、夜中に熱を出しました。お茶とミルクを飲み、ひとしきり自分の病気について説明してから、アイスノンを枕に寝付きました。就寝前はまだ熱は出ていませんでしたが、顔の下部にいつもとは違う赤みがありました。様子を見て、医者に連れていきます。こういうふうに、私の2010年度は始まりました。今日から通常営業に復帰します。
通常営業のためには物置と化している研究室を片づける必要があります。おおきいちびがヨーカドーに行きたいというので、ほぼ朝一番ででかけました。私はかなり重いリュックを背負いました。おおきいちびは一番数多く大学に連れてきていますが、武蔵境の高架化ははじめて目にしますし、今日開所式(?)を迎える異文化交流施設(「アゴラ・グローバル」と名付けられました)も見たことがありません。(もちろん、完成した形態は私もはじめてみます。)新鮮なところと記憶にあるところの両方があるようです。
多磨駅の駅前のロータリーに降り立ったおおきいちびは、わかやまみたいだと発言しました。いなかっぽい雰囲気とひととおりのすくなさがそういう印象を与えたのでしょう。
研究室は、とくに机の上がひどい。まあ、でも、掃除からはじめることとしました。おおきいちびは学校で掃除をしているので、昔よりはずっと働けます。ガラス窓がひどく汚れているのを見つけて、外から拭き掃除。私は、ほんとうにひさしぶりに掃除機をかけ、床の拭き掃除。完成はしていません。おおきいちびの買い物もあるので、たぶん1割程度の時点で放棄し、武蔵境駅前のヨーカドーに。3階の文房具コーナーへ。お目当ての「ピラメキーノ」のコーナーは見つけることができませんでしたが、品数は揃っています。(ただし、昨日のユザワヤが鉛筆1本57円、ヨーカドーが63円です。ユザワヤが1割引をしていたせいですが、全体的に安くはないと感じました。種類は揃っています。)おおきいちびは、妹の分も含めて、6本の鉛筆を買いました。選んでいる間暇だったので、久しぶりにクレーンゲーム。最初は1発でゲットできたのですが、3台目は、せっかくとれたものが落ちたときに壊れていました。幼稚園児には、コマのガチャポンにしました。昼食のおかずを買ってこいという妻の指令により、西荻のいつもの総菜屋さんで5点ほどおかずを買って帰りました。11時35分。
幼稚園児とちいさいちびはふたりともパジャマのまま、なかよくおかゆを食べていました。幼稚園児は微熱ということですが、顔は元気です。軽い風邪ですんだようです。我々が大学に行っている間に、妻が台所を片づけたうえで、模様替えしていました。私の書類で埋まっていたコーナーがずいぶんすっきりしました。
私の書類そのものの整理は残された課題です。少しずつ進めているという以外に表現の方途はありません。娘達にも手伝ってもらって、新学期が無事迎えられるよう、かなりぽんこつ化したきた身体に油を注ごうと思います。
2009年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2008年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
春休み
3月
2月
1月
2007年
台北滞在記2007
(台北滞在記2004)
田舎にて2007
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2006年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2005年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2004年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2003年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2002年
12月
11月
10月
9月
7月〜8月
5月〜6月
3月〜4月
1月〜2月
2001年
11月〜12月
9月〜10月
7月〜8月
5月〜6月
3月〜4月
1月〜2月
2000年
11月〜12月
9月〜10月
7月〜8月
6月
4月〜5月
1月〜4月
1999年
10月〜12月
6月〜9月
4月〜5月
1月〜3月
1998年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
春(1月から5月)
1997年
97年度
最初のページ=
HomePageに戻る。