[Flu Week]
幼稚園児が目覚めて、5時過ぎ。熱は37度4分まで下がりました。まず、おちゃがほしいといっておちゃを飲みました。それから、コマーシャルでウルトラマンを見た、とちゃんとしゃべっています。熱の峠は越えたようです。やれやれ。幼稚園児にとっては生まれてはじめての本格的な風邪でした。39度を超えるとさすがに苦しいようです。ことばもはっきりしませんし、うまく言えない苦痛があるようです。さて、あとはちびどもですが、まだ寝ています。どうなっているでしょうか。
雨。昨夜から雨が降っています。
幼稚園児は、もうだいたい大丈夫なようです。朝のうちに、37度を下回りました。元気になったのでしょう、よくしゃべっています。ちいさいちびは、どうもだいじょうぶ、おおきいちびは、他の子達とおなじ症状のようです。頭が痛いと気分が悪い。そして、10時ぐらいから熱が上がってきました。昨日の幼稚園児と同じ経過をたどるものと予想されます。
朝のうちに、幼稚園児はお医者さんへ。なおっているのに判定する必要はない、としぶっていたようですが、幼稚園と学校の要求があるということで、判定してもらいました。やはり、A型インフルだそうです。まあ、あの発熱はそうでしょう。
おおきいちびは、幼稚園児の一日遅れの経過をたどっているようです。お昼過ぎに、37度8分まで上がってきました。夜にはもっと上がるでしょう。ただし、38度前後で収まるかもしれません。
予想外ですが、ちいさいちびは平気です。ひとり元気にしています。
妻は、よく咳をして、かなり風邪気味です。夕方になって状況が変化しました。妻も、37度5分の発熱。おおきいちびは、あまり変動がなく、そのぐらいの熱のまま、そして、はやく寝付いてくれた幼稚園児が寝ている間に再度発熱しました。子どもの風邪ではよくあることですが、昼間は平熱までもどっていても、夜になるとまた熱がでました。39度5分。昨夜と違って、すこし体力があります。自分で、ミルクを飲み、お茶を飲みますが、冷やすのを嫌がります。
39度5分はさすがに高い。居間にいるとうえで暴れる音がします。行ってみると、痛い、痛いと言っています。どこが痛いと聞くと、頭が痛いという返事。冷やすと直る、ひやそうかと聞くと、わかったと答えます。こういうところは、こどもでもかしこい。冷えピタ(どうも感触がいやなようです)を貼って、頭の三方を冷やしたタオルで囲んでやると、数分で寝息になりました。この子は、すこし目が覚めるとなにかしゃべっています。元気なときは、明瞭な言葉でしゃべりますが、ここまで熱が高いとなにかをつぶやいています。
おおきいちびの方は、熱が上がっていません。たぶん、37度前後。すやすや寝ていました。妻も37度を大きくは超えていないようです。
下にいる間に、昨日買った、宮台真司+福山哲郎『民主主義が一度もなかった国・日本』(幻冬舎新書、2009)を読んでしまいました。官僚支配と呼ばれることがらの一部がよくわかりました。大元のひとつは、日本の組織ではありがちな、自民党の内部のコミュニケーション不足です。
幼稚園児は7時前。夜中、咳をして何度か目覚めていました。あれだけほっぺが赤いのは熱のしるしです。朝には38度を超えていました。インフルの可能性あり。
ちびどもは7時過ぎ。熱はありませんが、やはり咳をしています。まだ症状は出ていませんが、罹っている可能性があります。まあ、仕方ありません。幼稚園児は、とりあえず朝のうちは元気に遊んでいましたが、昼になる前に38度8分の熱が出て、昼寝をしました。ソファーの上で、いびきをかいて、寝ています。ちびどもはいまのところ元気です。
昼食後、幼稚園児が昼寝をしている間に、おおきいちびを連れて、本屋さん、コンビニ、スーパーと回ってきました。本屋さんでは、宮台真司+福山哲郎『民主主義が一度もなかった国・日本』(幻冬舎新書、2009)を買いました。幼稚園児には、シンケンジャー。ちいさいおねえちゃんには、マンガ、おおきいちびは、何か本。
スーパーで幼稚園児のお気に入りのジュースを買って帰ると、幼稚園児は、目覚めて、『チャーリーとチョコレート工場』を見ていました。たぶん、1年以上前に買ったDVDです。私は、ごく一部しか見ていませんが、よく出来ていました。
夜になると、熱が上がりました。39度を超えて、39度5分まで。39度を超えると苦しいようです。いろいろいっています。
おおきいおねえちゃんも、夕食時から頭が少し痛い、気分が悪いと言っています。ちいさいおねえちゃんもすこし頭が痛いようですが、一番軽度でしょうか。
私の方の原稿は、まだ完成とはいきませんが、一応指定のフォーマットに落とし込み、指定の形式に変換しました。いくぶんか残った箇所はありますが、この形で編集者に一度渡そうと思います。
→指定は、ワードです。日常的には、私は Old Mac のエディターユーザーです。車に喩えれば、100%のマニュアル運転といった感じでしょうか。そういう私には、ワードはフル装備のアメ車の感覚です。最近はワード指定が多いので、だいたいのことは問題ないのですが、たとえば、アクサン、ウムラウトの付け方が知識にありません。ネットで検索をして、キーボードを出す方式で対応しました。
幼稚園児が起きて、7時20分。幼稚園児は、寝ているあいだ、よく咳をしました。熱はないので、昔の咳がぶり返したのかもしれません。ちびどももだいたい同じ時間帯に起きたようです。晴れて暖かい。ちょっとあやしいなと思っていたら、幼稚園児は、お昼過ぎに37度の熱。37度を大きく超えることはなかったのですが、顔が風邪の顔になっています。心配した妻が、医院に連れていきました。混んでいたようですごく時間がかかってから帰ってきました。現状、まだ大丈夫だが、夜発熱したときのために薬を出してくれました。
本人は起きているうちはずっと元気で、37度を上下していました。夜は、はやく眠くなって就寝。寝ている間にすこし熱が上がっています。ほっぺが真っ赤になっています。すごく高い熱ではまだありませんが、本格的な風邪かもしれません。インフルエンザかどうかは、現時点では、まったく不明。
ちいさいちびもおおきいちびも、仲のよいお友達は全員、インフルエンザに罹っています。そういう状況では、罹るときは罹る。罹ったら、必要な対応をとるだけです。
明日の朝、ある程度状況がはっきりすると思います。Noted Cardsのファイルを作成しました。おいおい増やしていきます。現時点で28点。
11.27-28 夜半に目覚めてすこし仕事。
[としをとったら、ウィフィット]
WiiFitPlusを買ってから、ほぼ毎日やっています。体重を毎日測定することだけでも意味があります。3度の食事以外にたとえば夜食を取ると、途端にすこしですが、右方上がりの山ができます。もちろん、1週間2週間のスパンで見ると、上下はあまりないのですが、食べ過ぎは、グラフからすぐにわかります。
子どもたちの体重曲線は、もっと安定しています。もともとの体重が少ないということもあり、変化の量もちいさい。目処として、おおきいちびがわたくしの半分程度、そして幼稚園児がその半分程度です。買ってからほぼ1ヶ月。子どもたちの場合には、非常に小さな傾斜ですが、でも確実に右上がりの線となっています。子どもには、面白いようです。幼稚園児は、ジョギングとサイクリングがお気に入りです。よく運動するので、よく食べるようになったという効果がありました。よく動き、よく食べると、夜すっきり寝付いてくれます。これも助かります。
子どもは、そういうわけで遊びの一部ということでよいと思います。
WiiFitPlusは、しかし、それよりも、一定以上の年齢の大人に対して価値が高いと思います。年齢を重ねると、自分では知覚できない部分で、衰えがあります。私の場合、五十肩を両方やったということもあって、はっきりと腰・肩です。ヨガのメニューで、両手を広げて、身体を左右に90度ずつ計30回ひねるというそれだけの運動がけっこうつらい。頭のなかには若いときのイメージがあります。それからすれば、何でこれぐらいでと思うのですが、たったそれだけのことがちゃんとした負荷になっています。
もう10歳若いときから、始めていれば、五十肩が違っていたかもしれません。(専門家ではないので、適当な数字を言いますが)四〇歳を過ぎたら、WiiFit。こういうモットーが当てはまると思います。
ひとりで6時10分。今朝も居間の気温は17度。曇り。子どもたちは、比較的はやめに起きてきました。妻は、今日も、10時過ぎに出ていきました。幼稚園児といっしょに帰ってくるということです。小学校の他校(いわゆる欧米人の学校)との交流の世話をする、給食もいっしょに食べるという話です。
→いつもより遅く、3時前に帰ってきました。そして、3時15分から先生との面談(4年も2年もあり、妻は連続して小学校の先生と面談するようです)。メールのチェックだけして、飛び出しました。
ママがいないあいだ、幼稚園児は、ドーナッツ作り。ちいさいおねえちゃんが何にせよ工作系が好きです。ちいさいおねえちゃんが何かおやつを作るときには、なおも、と言っていっしょにやります。今日は、玉のドーナッツ。箱に二袋入っていて、ちょうどよかった。おねちゃんの方は、材料さえそろえてやれば、自分でちゃんとできます。幼稚園児の方は、まだまだですが、小麦粉でこねこねするのが楽しいようです。3つほどちいさい玉を作ったあと、パパやってというので、残りは私が担当しました。
もちろん、揚げるのは子どもにやらせるわけにはいかない。私の担当。あらかじめドーナッツ用に調合された粉です。なかなか美味しくできました。
幼稚園児は、全身粉だらけ。ちいさいおねえちゃんはなんだかんだ言いながら、自分のつくった一袋分全部食べてしまいました。びっくり。
妻は、4時過ぎに帰ってきました。面談は無事終わったと言うことです。今週が一番忙しい週だったということで、やれやれと肩の荷を降ろしていました。あと、すこし大きな仕事は、幼稚園児のクリスマス会です。幼稚園児はもう練習をしているようで、たまに家のなかで歌ったり、踊ったりしてくれます。
ちなみに、昨日仲良く遊んでいた幼稚園のクラスメートは、発熱したということです。あとから、インフルエンザだったという連絡があったそうです。小学校は、2年の2クラス以外は、すべてのクラスが一度は学級閉鎖となっています。学校からは、冬休みを一日削るという連絡がありました。
昨日の作業の見直しをして、まとめを書きました。当然ですが、少なくない数の見落としが見つかりました。乱れはすくなくなってきたと思います。もうしばらく頑張って手を入れます。
夕刻、アマゾンより次の本が届きました。
Thomasius, Jacob & Johann Michael Renelius,
Dissertatio Philosophica De Plagio Literario
Leipzig, 1679. Reprinted by Kessinger Publishing
最初に弁明がありますが、かなり状態の悪いものからのリプリントです。文化的に価値があるので、状態の悪さにもかかわらず、リプリントして出版するとあります。もちろん、ないよりあった方がずっとよい(だから入手した)のですが、こういう書物にとって命のインデックスをつけるとか、工夫があってもよいと思います。→この「剽窃のカタログ」は、思想史だけではなく、文学の歴史としても、ひろく文化史としても非常に面白いテーマだと思います。だれかきちんと研究をする人はいないものでしょうか? 調べ得た範囲では、日本人では0かもしれません。欧米でも、Muslow 以外にはごくわずかの人しか取り上げていないようです。
→09.11.28 桑木野博士から、次の本の存在を教えてもらいました。
Donald Beecher and Grant Williams, eds.
Ars Reminiscendi: Mind and Memory in Renaissance Culture
Toronto: Centre Reformation and Renaissance Studies, 2009Paolo Cherchi,
Polimatia di riuso: mezzo secolo di plagio (1539-1589),
Bulzoni, Roma, 1998.
魅惑的なタイトルです。 トマジウスはアルシュテットの辞典も取り上げています。しかし、百科全書的辞典における、有用な記述の再利用は、狭義の剽窃とは(繋がりは有するにせよ)異なる事象だと思います。再利用または編集的利用、と言えばよいでしょうか。ともあれ、ルネサンスからMuslow 氏の取り上げる18世紀までをひとつの視野に収める研究が欲しいところです。もちろん、シンポジウムを開くのが最適かもしれません。今月は、ここまで205枚。大きな意味はありませんが、200枚は越えるようにしました。
[(一部)カードの公開]
今回古いカードをひっくり返し、古いノートも引き出して、見直しました。自分のために、古い手書きの一部をタイプしました。次のような形です。Debus (1967)
Debus, A.G, 'Fire analysis and the elements in the sixteenth and seventeenth centuries', Ann.Sci. 23 (1967): 127-47, reprinted in Debus, Chemistry, Alchemy and the New Philosophy, ch. 7
p.146 わずかとはいえ、こうした事例からは、火の分析の有効性に関して、『懐疑的化学者』の出版の前にも後にも、実のところ、意見の一致は存在しなかったことがうかがえる。この主題の重要性は理解されていたとはいえ。
p.144 ボイルの後、ルフェーブルは、火による人工的分解物が自然のものかどうかという疑問をなお問うている。彼の結論:確かに手段は人工的だが、art技術は原質を含んだり入れたりする容器にしかきかないので、それら原質は自然だと主張。
p.138 「火による変成でそれらは実は以前に存在しなかったものが作られた、すなわち新しいものとして生み出される」―ボイルの議論と基本的に同一。
p.137 ベイコン「もし我々が物体の真の構造(texture or configuration)に光を当てたいと望むのであれば、ヴァルカンを離れて、ミネルヴァにおもむかなければならない。(Works, IV, p.125 Novum Organum )
Debus (1961) # copy 26/9/94 ULL $ read 26/9/94
Debus,A.G., 'Gabriel Plattes and his Chemical Theory of the Earth's Crust', Ambix, 9(1961), 162-5.
彼の重要性は、地質学的現象を化学の実験室で再現しようとしたこと。ふつうは彼の1世紀後のハットンがその嚆矢とされるが、『地下の宝庫の発見』(A Discovery of Subterraneal Treasure, London, 1639)で、その実験を示している。解釈は、古いスイギン‐イオウ説。自然では、岩石と山々は、瀝青(ビチューメン)とイオウ的実体の蒸気から形成される。鉱脈は、山々の裂け目にできる。
Davis (1931)
Davis,T.L., "Boyle's Coception of Elements compared to that of Lavoisier," ISIS, 16(1931), 82-91.
p.91 結局我々の元素の観念は、ラヴォワジェ、ボイル、アリストテレス、タレスのものと同じ。Davis (1994) # copy 6/12/94,Warburg. $ read 9/12/94
Davis, B.Edward 'The Anonymous Works of Robert Boyle and the Reason Why a Protestant should not turn Papist(1687)', JHI, 55(1994), 611-630.
Reason Why a Protestant should not turn Papist(1687)は、ボイルの 著作ではなく、ボイル晩年の翻訳家David Abercromby(d.1702.スコットランド生まれ、 フランスに渡りそこでイエズス会に入会。スコットランド→ロンドンに帰ってきて、プロテスタントに改宗。ロンドンでは恐らく、医師として開業。ボイルの著作を数点ラテン語訳する。)のもの。
Dobbs (1983) # copy 11/7/94 read 13/7/94
* B.J.T.Dobbs, 'Review of Zev Bechler(ed.),Contemporary Newtonian Research (Dordrecht:Reidel,1982)', ISIS, 74(1983), 609-10.
3人の哲学者(Bechler, McGuire, Rogers)と4人の歴史家(Cohen, Home, Westfall, Whiteside) の論文集。1977年、ケンブリッジのチャーチルコッレジで開 かれたニュートン・シンポジウムの成果。
コーヘンの研究:ニュートンの引力の概念の起源について。
粒子間、あるいは粗大な物体間に働く引力について考察した初期の文書が存在しないように見える事実を引用して、コーヘンは、ニュートンの反機械論的引力について作業する能力を、錬金術からの何か可能な影響というよりもむしろ、彼の数学的抽象力のスタイルのせいにした。ニュートンの錬金術あるいはヘルメス的な背景がそうした能動的で反機械論的な原理の受容に役立ったかもしれないが、「プリンキピア」を書くに至ったときには、ニュートンは、「そうした関心にもかかわらず、実証的な科学の業績を生み出すことが出来るほどまで、錬金術やヘルメス主義への関心を取り除けておくことが出来た。」(p.75)ここで、コーヘンは、うっかり彼の基本的偏見を漏らしてしまっている。つまり、錬金術とヘルメス主義は、その定義によって、実証的科学に貢献しえない、というわけだ。だから、仮にそうした影響がニュートンの心のなかにあるとしたら、それは、打ち負かすべきものとしてあるということになるのだ。
Dobbs (1994) # copy and read 22/3/95,
Dobbs,B.J.T. 'Newton as Final Cause and First Mover', ISIS, 85(1994), 633-643.
1993の科学史年会の講演録。
「科学革命」という見方そのものが、ホイギッシュ。
Thomas Thomson, The History of Chemistry, 2 vols., (London,1830), Vol.1, p.1.
「化学は、他の諸科学とは違って、もともとは欺きと迷信から生じたものだ。その出発 点においては、魔術や占星術と正確に同じレベルのものだった。・・・18世紀半ばに なってやっとこの欺きから抜け出ることができたのだ。・・・」
古代ギリシャには、「事実」にあたる言葉はなかった。
ニュートンが錬金術から得ようと望んだのは、ミクロコスモスにおける不活性な物質 粒子を組織化し活性化する神の働きの正確な知識だった。
錬金術はけっしてそれ自身のための物質研究であったことも、そう目されたこともな かった。あるいはそれ自身のための自然世界の探求。後に化学が目指すようなこの人生 の有用性を、錬金術は目指したのではなく、物質の完成あるいは完成の知識を求めたの である。彼らは、自然と人間性の両方を完成させる作用者、哲学者の石、を求めたので ある。彼らが言うとおりそれは、人間と金属にたいする医薬品であった。そして錬金術 師の哲学者の石は、キリスト教におけるキリストと緊密に結び付けられた。両方ともに、 結局、完成と救済の作用者であった。
Boas [Hall] (1950) 1982.5.29
Boas, Marie, "Boyle as Theoretical Scientist," ISIS, 41(1950), 261-268
p.264 若いボイルは、ベイコンの『森の森』の続編を書こうとした。
p.266 ボイルはまず化学者であった。その実験の多くも物理的なものよりも化学的なものだった。最初、化学は自然哲学の一部と見なされるべきと考えた。理論的自然哲学と実践的化学の橋渡しをしようとした。
p.267 化学を自然哲学に結合したことにより、ボイルは、物理的化学の概念を確立した。
ベイコンが望んだことが、ボイルが取り上げたことだった。ボイルが機械論的アプローチの必要性を十分に言ったので、続く者たちはもう言う必要がなかった。
→My: これだけ見事に古い歴史観と歴史記述に基づいていると、むしろ誉めたくなります。Boas Hall (1954) 1982.6.14
Hall, Marie Boas, "An Early Version of Boyle's Sceptical Chymist," ISIS, 45(1954), 153-168.
1651-1657 の間に書かれた "Reflexions on the Experiments vulgarly alleged to evince the 4 Peripatetique Elements, ot ye 3 Chymical Principles of Mixt Bodies" (H. Oldenburgがそのコモンプレイスブックに1660年代後半に写し取った草稿が、今、王立協会ボイルペーパーズのなかに、M.I.として登録されている。)
両者の違い: "Reflexions"の実質部分(substance)は、『懐疑的化学者』の1部~4部に含まれる。
"Reflexions":アリストテレス派、化学派、ヘルモント派の元素理論を順番に扱う。 『懐疑的化学者』のその一面だけを各々の章で扱う。
『懐疑的化学者』の第6部では、「真の不変の元素の存在を主張するあらゆる理論の有効性を否定している。これは、"Reflexions"にはない。
両者の最も大きな差異:元素理論を代替する代案が"Reflexions"にはないこと。熱の扱いにおいてもっとも顕著。("Reflexions"弱い:『懐疑的化学者』明確)
"Reflexions"すこしもデカルトの痕跡を示さない。
"Reflexions"ファン・ヘルモントの水の元素理論に最も共感を示す。『懐疑的化学者』では。ファン・ヘルモントの水元素論を攻撃している。
→My comment: このボアズの論文の出版は、私の生誕以前ですが、はじめて『懐疑的化学者』の初期草稿「考察」を活字化したものです。ボアズの解釈がどうであれ、必要な論文であり続けています。Boas Hall (1967)
Hall, Marie Boas, "Robert Boyle," Scientific American, 217(1967), 97-102.
p.102 ボイルの化学は simple substances (単体)の観点に立っていた→この観点は18世紀に普遍的に受け入れられた。
ボイルの以外の化学者は、仮説的元素の観点に立っていた。
MY Comment: 以上、信じがたい図式を描いている。Kim (1991)
Kim, Yung Sik, "Another look at Robert Boyle's acceptance of mechnical philosophy: its limits and its chemical and social contexts," Ambix, 38(1991), 1-10.
よく書けている。若きボイルが原子論の受容をためらった理由:1)宗教的次元(原子論は無神論的);2)ボイルの厳密な経験主義 →My:rigorous empiricist はkim の作文であろう。
III 化学の社会的地位の部分は有用。
化学者キミストに関する偏見:「錬金術師ではない信頼出きる人」(RBW, III, 94);「古代の化学者、しかもまったくもって哲学者ではない」(RBW, III, 102);「多くの[粒子論者]はスパギリストをただの不合理な工人(mere and irrational operator)の仲間だと見ている。そしてその無知は、薬剤師や医師には役立つかも知れないが、哲学者には役立たないと思っている。」(RBW, I, 358) ;「化学について報告によってのみ聞き知っている知識人には、化学の技量を誇るあまりにも多くの化学者の学のなさ、傲慢さ、詐欺を見て、その術に対しても、その術の専門家に対しても、非常に低い評価しか与えない者が多い。」(RBW, I, 354)
Kuhn (1951) 1983.6.29
Kuhn, Thomas S. "Newton's "31st Query" and the degradation of Gold," ISIS, 42(1951), 296-8.
p.296 →インサイトのある論文である。『光学』邦訳、疑問31,p.238 「王水は銀のなかへも入れるほど微細だが、引力の不足のゆえに銀のなかに入れない」→本当は「王水は、銀のなかに貫入する引力をもつが、銀に浸入する微細さをもたない。」(推測)
p.298 つまり、溶媒の力(溶解力)を決定するのは、引力と溶媒粒子の大きさである、というのがニュートンの考え。
邦訳,p.237 硝酸の酸性粒子の引力の強さ 亜鉛>鉄>銅>銀>(金) 錫、鉛>水銀
王水粒子は大きすぎて、銀に入れない。
ボイルの実験の熱(水銀に溶かした金)の理由:ボイルの言うように透入(水銀が金のなかに透入)のせいではなく、金属粒子の(硝酸中の塩粒子に比べての)粗大さのせい。これらの粒子は、ふつうの水銀よりも粗大だから金と強くは結合せず、かわりに溶かされた粒子をより強く揺り動かすのである。
p.296 note 1 ニュートンがこのこと(王水は金を溶かすが、銀を溶かさない)を知ったのは、たぶんベイコンの N.O. 2巻、アフォリズム12,実例28からであろう。(用語法とコンテキストのパラレルが示すように。)Kuhn (1952) 1982.5.22
Kuhn, Thomas S., "Robert Boyle and Structural Chemistry in the Seventeenth Century," ISIS, 43(1952), 12-36.
ボイルとニュートンの機械論化学は、実践的化学者の伝統とはならなかった。ボイルは、いわゆるエレメントは、エレメントの名に値しない(分解できる、変成できる)ことを実験的に立証した。→そこから、エレメントそのものの存在を疑う。全ての実体は、別のいかなる実体にも変成しうる。例示:水栽培による水から油の生成;(閉じられた空間における)卵の発生;金属酸化物の生成。
エレメント:分解によって得られ、さらには分解されない。(他の元素に変成されない。)「全ての物体は、同一の物質からなる。違いは、機械的性質(形、大きさ、位置運動、構造)の違いのみによる。従って、全ての物体は、ほとんど全ての物体に変わりうる。(これらの機械的性質―とくに運動と構造―を変えることにより。)
ニュートンも元素的粒子の特殊性を否定していた。あらゆる反応において不変の元素が存在することを信じなかった。
(p.36)ラヴォワジェの化学革命は、化学的元素の実在を信じるボイルの反対者たちの間で勧められていた。
→My Comment: 意味あるインサイトとずれた観点が混じっている。Leicester (1967)
Leicester, Henry M., "Boyle, Lomonosov, Lavoisier, and the Corpuscular Theory of Matter," ISIS, 58(1967), 240-4.
ボイル→ラモノソフ→ラヴォワジェ
ラモノソフは、ボイルに対して全く批判的に言及しているが、彼自身の粒子論哲学は、本質的にはボイルのものと同じであった。彼は物理的性質に主として興味を持ち、ボイルは化学反応を考察した。→My:何というカテゴリーの虜であろうか。
ラヴォワジェは、ラモノソフを知っていたかもしれないが、物理的ラモノソフは化学的ラヴォワジェに大きな影響を与えなかった。
Meinel (1988)
Meinel, Christoph, "Early Seventeenth-Century Atomism," ISIS, 79(1988), 68-103.
p.101 見えるものから、視覚下に潜む見えない実在を外挿することは、よくいって認識論的に疑わしい。蒸留、蒸発、結晶の成長などの現象は、何か物質的なものが一つの場所から別の場所へ移されることを示すにはふさわしいが、それが粒子的なものだということは証明しない。さらに、ほとんど全ての場合、言及される経験は、古典的テーマのヴァリエーションにほかならない。真の実験が行われたときでさえ、それらはしばし、文学的パラダイムの共通庫からとられた実践的パフォーマンスにすぎなかった。
それゆえ、化学において勝利したのは機械論哲学ではなかった。特別正確な理論にコミットしない、元素的粒子やsmall amount of substance にむしろ近い粒子という substance-oriented な観念が勝利したのである。
p. 102 ボイル、ロックの後、新しい関心は「原子と運動」ではなく「元素と親和力」であった。化学テキストの著者は、その本文ではほとんど粒子理論に依らず、粒子はただ前提された。その存在論的・認識論的身分は、論争の種となることさえなかった。More (1941)
More, Louis Trenchard, "Boyle as Alchemist," JHI, 2(1941), 61-76.
ボイルは元素の転換を信じていた。それゆえ、ボイルは錬金術師と呼べる。→MY:この推論は疑問。哲学的前提が錬金術とは異なる。機械論仮説の当然の帰結。
例示1:ボイルの逆エリクシル
例示2:水→土
例示3:動物(サンゴ虫)→石(サンゴ石)
例示4:動物→植物 (根の虫と植物。虫が木になり、木が虫になる)
Walton (1980)
Walton, Michael T., "Boyle and Newton on the Transmutation of Water and Air,from the Root of Helmont's Tree," Ambix, 27(1980), 11-18.
ヘルモントの柳の木の実験:水栽培→ボイルの水の変成の理論→ニュートンへ
ボイル、主として水のみから実体substance を引き出す。 ヘルモントの実験は用いるが、その極端な理論は採用せず。
water as primary matterは、ヘブライに起源を有する
ボイル、創造の水をその科学思想の支えとなした
でも、この水は、simple & elementary ではない。様々な粒子 seminal principlesの集積である。さまざまな原子を含んでいる故、変成しうる。他の実体についてもそうである。空気は、たぶんもっとも多様な粒子を含む物体である。most heterogenious body. 配置換えできる原子がすべての物質対象の基礎である。
→セミナル・プリンシプルを除き、ニュートンに影響。(彗星の尾理論、神学的利用)
Webster (1966)
Webster, Charles, "Water as the Ultimate Principle of Nature," Ambix,13(1966), 96-107.
p.96 ボイルは、ファン・ヘルモントの哲学的教説よりは、その理論の厳格な実験的証明に心ひかれた。
・ファン・ヘルモントの柳の木の実験
・水栽培実験
(1)フランシス・ベイコンが『森の森』(1627)に記述している。「栄養 norrishment のためには、水は almost all in all である。水は植物の基本的養分だと見ていた。
(2)トーマス・ブラウン、Garden of Cyrus(1658) 水は植物の必須の養分
(3)ロバート・シャーロック(1630-1684), The Propagation and Improvement of Vegetable by the Concurrence of Art and Nature (1660) :おそらくこのシャーロックの著作が、ボイルの水栽培実験のソースであろう。1)友人関係、2)シャーロックの用いた植物の全てをボイルも用いている
『懐疑的化学者』の草稿"Reflexions" は、1658年の夏に書かれたと推測できる。
→My Comment: さすがにウェブスター。結論に賛成するかどうかはともかく、提示する資料は有用である。シャーロックは別の意味でも、ボイル理解に重要である。West (1961)
West, Muriel, "Notes on the Importance of Alchemy to Modern Science in the Writing of Francis Bacon and Robert Boyle," Ambix, 9(1961), 102-114.
→My Comment: ベイコンとボイルを同列に比較するという変わった論文。ただし、ガラス工業・製造過程に関する部分は役立つ。
p.110. 「鉛のスイギン」とはガラスのこと。living と呼ばれるのは、quick と同じく溶解されたものという意味。
p.111 金-紅玉(ルビー)ガラスが「金」と呼ばれている場合もある。職人のいうメタルは、 mass of colliquoted ingredients のことである。鉛ガラスが。鉛ガラスが base metall と解釈され、gold(金色のガラス)に変成されたのであろう。金-紅玉ガラスを作る製法に通じていたのであろう。
p.106 『懐疑的化学者』では、一度もベイコンの名前を挙げていない。他の箇所では、ボイルはベイコンに great Verulam としてリップサーヴィスを行っている。
p.104 ベイコンは、(公然と非難しているにも関わらず)多くの錬金術の概念やキャッチフレーズを用いている。「知識の息子」「自然の迷宮をさまよう」
p.105 「自然の光」、「実験の強調」
ボイルは、ファン・ヘルモントにもルルスにも敬意を払う。
以上、比較的古い論文ばかりです。手書きのカードからの転写なので、当然かもしれません。ヒストリオグラフィーの点でも内容的にも本当に古くなってしまったものが大半ですが、当時の資料をきちんと読んでいるディーバスやウェブスターの研究は、現在でも価値を有しています。いくつかは今となっては、議論だけの論文と評価しなければなりません。
幼稚園児が起きて、6時20分。夢を見て、泣きべそをかきながら、一度目覚めました。ママによしよししてもらって再度就寝した模様。居間の室温17度。今朝も暖かい。
→再就寝した幼稚園児は、なんと8時半まで寝ました。よく寝ると、元気です。妻はやはり9時半過ぎに家をでて、3時前まで出たきりでした。小学校と幼稚園の仕事がいろいろ忙しいようです。
ちいさいちびは、2時半頃、友達2人と走って帰ってきて、ランドセルだけ置いて、走って友達の家に遊びに行きました。荻窪なので、車で送迎してもらいます。
おおきいちびは、3時半前に帰宅して、ただちに歯医者さん。フッ素を塗ってもらうことになっていましたが、詰め物をした乳歯の下から永久歯が生えてきている、抜いた方がよいという判断で、急遽、麻酔をして抜歯しました。2年前までは、麻酔の注射を見ただけで泣いたでしょうが、今回はじっとおとなしくしていました。成長はするものです。待ち時間と処置にいくらか時間がかかって、帰宅できた頃には暗くなっていました。念のためということで、処方箋をもって薬局で痛み止めの薬をもらいました。帰宅して、5時前。幼稚園児は、女の子のお友達と仲良く遊んでいます。
5時前後で、その子のお母さんが迎えに来る、ちいさいちびが帰ってくる、とばたばたしていました。妻は、いろいろかかってくる電話と、子どもの相手と、夕食の準備でてんてこまい。
私は、頑張って、全体にわたり、注をつける作業をしました。完成ではありませんが、一応最後まで通しました。注を付けていると、文献表にいろいろ落ちが見つかります。必ずしも引用箇所をきちんと記さずにどんどん文章を書いた箇所があります。そういう箇所に関しては、引用箇所を探し出す必要があります。もちろん、ある程度わかるようにノートには記していますが、完璧ではありません。精神力が要求される作業です。
幼稚園児が起きて、6時40分。階下に降りると、すぐにちびどもも起きてきました。昨日の夕刻から降り始めた雨ですが、ほぼ止んでいます。室温は17度。冬の寒さではありません。子どもたちが出かける頃には、晴れてずいぶん暖かくなりました。時計の針が一ヶ月戻った暖かさだということです。
今日は、文献表の作業。注まで行き着かない感じです。→文献を細かく書式まで見ると、やはり時間がかかります。細かいタイプミスがけっこう見つかります。きっちり見ないと見過ごしてしまいがちです。
おや、おや。
東京外大生を大麻密輸容疑で逮捕
今の状況だと、ありえることだと思っていましたが、とうとう現実になりました。大学のえらいひとたちは、これでしばらくたいへんでしょう。
ひとりで6時20分。今朝の朝日新聞に、昨日下から見た、神宮外苑の銀杏並木の空からの写真が出ていました。確かに見事です。ちょうどよいので、全員が出払ったあと、大学に行って来ることとしました。荷物を背中に背負い、郵便ボックスに入っている書類や資料を仕訳し、必要なものを持って帰ってきました。9時に出て、2時半に帰ってくると言っていた妻が帰宅していました。子どものお友達がインフルエンザにかかり、そのお母さんとの打ち合わせができなくなったということです。午後の会議で、そのお母さんのピンチヒッターをしないといけないということで、ずっと作業をしていました。昼食もそこそこに、12時半に出ていきました。
[『化学と教育』2009年11月号、特集「実験および実験機器の化学史」]
3時過ぎの郵便で、『化学と教育』の最新号(第57巻第11号2009)が届きました。ヘッドラインは、「実験および実験機器の化学史」。次の4点の論考からなります。吉本秀之「錬金術から化学へ:器具と実験室の図像表示」 『化学と教育』Vol.57, No.11, 2009, pp.498-501.
河野俊哉「ボルタまでの電気および電気実験の歴史」同上, pp.502-505.
梶雅範「ギーセン大学のリービヒと有機分析装置」同上, pp.506-509.
内田正夫「アーノルド・ベックマン:pHメータの発明者」同上, pp. 510-503.
私のものですが、図版がひじょうに鮮明に出ています。こいつはありがたい。図版が命の論考なので、図版の鮮明さはたすかります。
原稿でも読んでいたのですが、河野俊哉氏、梶雅範氏、内田正夫氏の原稿も再度きちんと読みました。とても勉強になります。日常的に化学装置に触れる機会のない私には、化学装置の丁寧な説明と意義の記述は、とても啓発的です。
私の方は、ここのところ集中して執筆していた原稿が最終段階に達しました。比較的長い文章なので、ともかく完成させるまではいますこし時間がかかりますが、ゴールは見えたというところでしょうか。今週中には一度ゴールを通過したいと思います。手直しすべき箇所は、もちろん、少なくない。
→子どもたちが寝静まってから、赤ペンを手に通しで読みました。その日の書き始めの部分に息の乱れがあります。通しの赤ペンで、おおよそその乱れは修正できたと思います。あとは、結論(まとめ)を書き、書式を整えれば、本文は完成です。
ひとりで6時半。曇っているせいかもしれませんが、まだ暗い。午後からは晴れる予報。朝のうちに、晴れて暖かくなってきました。子どもたちとの約束もあり、天気もよいことですから、昼食後、でかけることとしました。神宮外苑の銀杏並木を見に行くこととしました。代々木乗換、都営地下鉄大江戸線で青山一丁目から歩くのが一番近いとあります。青山一丁目の駅を出て、7~8分といったところでしょうか。私ははじめてです。人手の多さに驚きました。みんなカメラを構えて、ぱちくりしていました。何かと思ったら、銀杏並木の黄葉を撮っていました。銀杏祭りというのも開催していました。お店がかなり出ています。お店の場所に着くと、ちいさいちびは、すぐに綿アメが欲しいと言います。道行く誰か子どもが持っていたようです。捜すのに結構苦労しましたが、端っこの方に一台綿アメ機がありました。子どもたちに人気のようで、長い列。20分ほど待って綿アメを3本買いました。驚いたことに、3人ともぺろっと全部食べてしまいました。さらに、その近くで売っていた焼き芋もみんなでわけて食べました。
どうも子どもにとっておもしろい場所ではないようです。神宮球場、国立競技場の脇を通って、やはり大江戸線の国立競技場前駅で電車に乗り込みました。新宿で降りて、サザンテラスのイルミネーションを見るのが目的ですが、なにぶんまだ明るい。高島屋の11階に11月1日にオープンしたユザワヤを見に行くこととしました。布地関係は、ずいぶん充実しています。文具・画材も十分にあります。ちびどもと私は、そこで文具を見ていましたが、幼稚園児には面白くない。ママとおもちゃ売場に出かけました。
最後は、ちびどももおもちゃ売場に合流しました。4時半頃、お腹が空いたと言います。ちょうどよい、早めの夕食を食べることとしました。高島屋のレストラン街にはお店はたくさんありますが、子どもたちが入って喜ぶ店は案外少なく、いつもオムライスの食べられるレストランを選びます。ちびどもは二人とも大人用の普通のオムライス、私はスープスパゲッティ、妻と幼稚園児は、いっしょにクリスマス・プレート。
これも驚いたことに、ちびどもは二人揃って大人用のオムライスを平らげました。そして、幼稚園児。私のスパゲッティとクリスマス・プレートのスパゲッティを混ぜて、よく食べました。自分でこんなによく食べるのははじめてかもしれません。本人も満足したようです。
食べ終わって、5時過ぎ。ちょうどよいタイミングです。サザンテラスのイルミネーションは5時点灯とあります。そのまま、イルミネーションの場所へ。子どもにはとても楽しいようです。イルミネーションに近づくと走り出します。幼稚園児は妻が追いかけました。ちびどもは二人であちこち見て回ったようです。私は、わかりやすい場所に座って待っていました。30分ほど見て、帰途へ。
駅前で買い物をして、7時15分頃帰り着きました。暖かく、子どもたちにはちょうどよい外出でした。
ひとりで6時40分。雨かもしれないとの予報。子どもたちは、ぴかぴか(イルミネーション)を見たいと言っています。雨でなければ、と答えています。雨は、結局地面を濡らした程度で、量としてはあまり降っていません。今日、ちいさいちびと幼稚園児は一歩も外に出ませんでした。私とおおきいちびは昼食後、本屋さんに行き、帰りにスーパーでミルク3本と小麦粉を買ってきました。妻は、夕食前に、夕食の材料を買い出しに出ました。今日のわが家の外出はこれだけでした。
子どもたちが寝静まったあと、ふとNHK教育をつけると、ツジイ・ノブユキ氏がヴァン・クライバーン・コンクールに挑戦したドキュメンタリーが放映されていました。つい最後まで見て(聞いて)しまいました。耳の力を感じました。
幼稚園児が寝言で、ママ、ママ、ちゃんと見て、と泣いて、4時45分。わが家の4歳児は朝方寝言を言って、えーんえーんすることが多い。寝言はほんとうにはっきりと言うので、起きているのかと間違えるぐらいです。起きていない証拠に、たいてい2~3分でまたすやすやしています。土曜日ですが、学芸会を親たちに見てもらうために、学校があります。おおきいちびは昨日とは別役ということです。
幼稚園児のために、妻は、今日も学芸会に出かけました。私は、仕事の関係で、留守番をして待機。ちいさいちびの演目は、なんとか最後まで見たようです。しかし、そこで幼稚園児の忍耐力は尽きたようです。校庭に出て、遊んでいる、という電話を受け、急いで小学校に出ました。小学校の校庭に着くと、幼稚園児は、お友達と遊んでいます。私が幼稚園児の相手をすることにして、妻はすぐにおおきいちびの演目を見るため、体育館に入っていきました。幼稚園児は、校庭を走り回って遊んでいましたが、仲のよい子のお母さんがおうちで面倒を見てあげようと提案してくれます。幼稚園児に聞くと、かしこくするというので、いっしょに世話をお願いすることとしました。その子(女の子)と仲良く手をつないで、校門を出ていきました。私は、体育館には入らず、校庭で待機しました。おおきいちびの演目が終了すると真っ先に出てきた妻に事情を説明し、そのまま帰宅しました。
ちいさいちびは1時前、おおきいちびは1時半前に帰ってきました。今日は給食がありません。お腹を空かせて帰宅しました。昼食後、ちいさいちびはお絵かきをしたりしてひとりで遊んでいます。おおきいちびは、お友達を呼びました。4人。
幼稚園児は、5時前に迎えに行きました。ずっとかしこく、一度も泣かずに遊んでいたということです。かしこくした場合には、その反動で帰宅するとしばらく泣いたり、ぐずったりしていましたが、すぐに落ち着きました。いつもよりほぼ1時間近く早く就寝しました。ちびどももいつもの時刻に就寝。
ひとりで5時過ぎ。咳き込んで目覚めました。寒さは昨日よりはゆるんだようです。今日の金曜日と明日の土曜日は、子どもたちの学芸会です。本来、金曜日は子どもたちが自分たちの劇を見る日、土曜日は親が観劇する日だったのですが、インフルエンザの影響で、日程が変更になっていることもあり、親は金曜日でも土曜日でもどちらを見てもよいことになりました。劇を演じ、劇を見るのは、子どもたちにも楽しいようです。
明日は、幼稚園児がいます。落ち着いて見るのなら、今日です。午前中をすべて使い、前半と後半にわかれて6学年すべて演じるというスケジュールです。うちの子たちは、ちょうど後半の開始に出演します。2年生が先、それから4年生。インフルエンザ対策ということで、観劇者全員にマスクの着用を義務づけていました。たいして意味はないと思いますが、仕方ないでしょう。また、インフルエンザ対策ということで、各回完全入れ替え制をとっていました。終了毎に換気を行い、人も入れ替えるということのようです。ウィルス対策に換気がどの程度効果があるのかはよく知りませんが、こちらはすこしは効果があるような気がします。
10時45分から後半が開始ということで、10時半に出かけました。予想通り、少しずつ延びて、後半の開始は11時。あわせて15分延びたことになります。挨拶は、校長先生。なかなか芸達者な校長先生です。子どもたちは、喜んでいました。
本人達も満足だったようです。
さて、明日はどうなりますことやら。ちいさいちびは、明日、普通に勉強の時間があることを嫌がっています。土曜日なのに、そしてせっかく土曜日の勉強するのに振替休日がない。もちろん、親にとってはその方がたすかります。
ひとりで5時10分。まだ暖房というほどではありませんが、朝方はかなり寒く感じるようになりました。室温では13度。おおきいちびは社会科見学で、バスに乗って、千葉の方に行くようです。幼稚園児は、落ち葉拾い。幼稚園からはすこし遠い公園までみんなで歩きます。
7時半に学校集合ということで、心配性のおおきいちびは、昨夜目覚ましをふたつも頭の回りに起きました。6時といっていたので、6時に起こしに行きました。目覚ましのなる数分まえでした。おおきいちびはそれからママを起こして、お弁当(サンドウィッチ)を作ってもらっています。
天気が悪く、寒いなと思っていたら、あらあら、11時頃雨が降ってきました。幼稚園児が心配です。他のお母さんと打ち合わせをしていた妻が自転車で走って帰ってきて、あるだけの傘を持っていきました。幼稚園からはかなり遠い公園に行っています。道の途中で雨宿りしているということで、傘を持っていくことにしたようです。
結局、後から聞いた話では、妻と打ち合わせをしていたお母さんが、最近人気の大きなボックスカーを出してくれたので、年少さんだけは、その車に乗せて、幼稚園に帰ってきたということです。大人の傘を幼稚園児に持たせるのはかえって危険だとベテランの先生が判断して、傘は使わなかったそうです。
雨は結局それほど強くは降りませんでしたが、なにぶん、今日は真冬の寒さでした。最高気温でも10度をかなり下回ったようです。朝方机に向かっていても寒くて仕方がないので、それに雨に濡れて帰ってくるちいさな息子のことも考えて、今年になってはじめて床暖房を入れることとしました。いつもの帰宅時刻よりかなり遅く、4時半すぎにおおきいちびも帰ってきました。寒かった、バスで酔った、気持ち悪かったとの弁。
大学の行事日程を見てみると、今日から外語祭です。19日・20日・21日・22日・23日の5日間開かれます。5日連続で開かれる大学祭は極めて異例です。(もともとは、語劇の発表のためのスケジュール上、どうしても5日必要だったようです。それが定着したということのようです。)他の大学の学園祭とは異色なところがあります。お時間に余裕のある方は、一度行ってみられると面白いと思います。(もちろん、天気の良い日がよいでしょう。)
ちびどもといっしょに7時10分。新4歳児は、7時半過ぎ。雨は上がっていますが、まだ曇り。昨日は、わが家の幼稚園児の誕生日、今日は、わが家の幼稚園児の大好きなミッキーの誕生日です。[クルジウス Clusius, Carolus (1526 - 1609)]
Clusius, Carolus (1526 - 1609)
Aromatum, et simplicium aliquot medicamentorum apud Indos nascentium historia
Antwerp, 1557
Botanicus.org.Clusius, Carolus (1526 - 1609)
Curae posteriores
Antwerp, 1611
Botanicus.org.Clusius, Carolus (1526 - 1609)
Rariorum alioquot stirpium per Hispanias observatarum historia
Antwerp, 1576
Botanicus.org.Clusius, Carolus (1526 - 1609)
Rariorum aliquot stirpium per Pannoniam, Austriam, & vicinas quasdam provincias observatarum historia
Antwerp, 1583
Botanicus.org.Clusius, Carolus (1526 - 1609)
Rariorum plantarum historia
Antwerp, 1601
Botanicus.org.Clusius, Carolus (1526 - 1609)
Svmmi Botanici Caroli Clvsi[i] Galliae Belgicae Corographica Descriptio Posthvma
1619 Leiden
HAB
ひとりで6時50分。ちびどもは、7時頃起きてきました。わずかに雨。今日4歳の誕生日の幼稚園児は、まだよく寝ています。最近は朝もよく寝ます。よく寝ると気持ちが安定します。
当の幼稚園児は、7時半に元気に起きてきました。おシッコがもれて、ずぼんと服が濡れています。そのせいで、咳こんでいます。寝ている間によく動く子は、おしめをしていても、ずれることがままあります。そうすると外に漏れてしまいます。
雨のなか、元気に幼稚園に出かけていきました。今日は一日雨模様です。今日予定されていた落ち葉拾いは、木曜日に延期されました。月曜日の天気予報での決断です。正しい判断法です。
ケーキと夕食の鳥の買い出しは、私の役目です。銀行の用件を兼ねて、駅まで行って、別のルートで帰ってきました。雨の中、荷物が多いとやはりちょっと面倒です。
雨のなか、元気に走りながら帰ってきた幼稚園児ですが、ケーキをすぐに食べたいと言います。プレートとマスコットを先に食べさせました。まだ、欲しいと言います。諦めて、クリームの部分だけ食べさせてやりました。ちいさいちびが帰ってくるまでに、上に乗っている花形クリームをほぼ半分食べてしまっていました。
ちいさいちびがいつもより10分遅れで帰ってきてから、ローソクとハッピィバースデとカッティング。お歌が終わったあと、ふたりですぐに食べ始めました。幼稚園児は、結局、スポンジの部分はまったく口にせず、クリームだけ食べていました。ここにきてやっとしっかり食べるようになってきました。
おねちゃんは4時過ぎ。残っていた4割近くをひとりで食べてしまったようです。
こういうふうにして、わが家の幼稚園児の4回目の誕生日は過ぎていきました。
ちびどもに続き、7時。曇り。寒いというほどではありませんが、昨日よりは気温が下がる模様。→と思ったら、時間の経過とともに晴れてきました。気温もそれほど下がるわけではないようです。いろんなわけがあって、今日から、ゴミ置き場が変更になりました。回収も、ほぼ朝一番となりました。わが家にとっては、朝が早いのは問題がない、というより、むしろありがたい。
居間の照明はさすがにこのままではまずい、というよりくらい。妻といっしょにヨドバシに見に行きました。二人だけで動くのは、もしかしたら10年ぶりぐらいでしょうか。あらかじめアマゾンで、どういう商品がどのくらいの値段かは見ています。プリントアウトしたものも持参しました。でも、どれがよいのかはなかなか難しい。私はファンのついているものにひかれていたのですが、妻と話して、今回はシンプルなものがよかろうということになりました。問題は、取り付けです。係のお兄さんを呼んで、話を聞きました。わが家の現状は、デジカメで撮って、持参しています。デジカメの画像を見せながら説明しました。取り外しと取り付け工事だけで、7千円を超えます。聞くと、自分でもできます。ただし、向き・不向きがあって、簡単にできちゃう人とそうでもない人がいて、一概にどうとは言えません、の返事。それは、そうでしょう。やったことがないことなので、判断に迷いましたが、ダメだったら近所の電機屋さんに頼み込もうということで、自分たちでやってみることとしました。
ということで、その場で買って、持ち帰り。とくに重くはありませんが、段ボールが大きい。大きな段ボール箱を抱えて、帰宅しました。妻は、スーパーで買い物をしてから帰宅。昼食を食べてから、トライすることとしました。お店のお兄さんに話では、取り付けは簡単です。取り外しが、場合によっては、大変かもしれません、ということでした。実際にやってみると、取り外しは、いたって簡単でした。ネジを二つはずし、ソケットをはずしただけでした。
取り付けも、簡単でした。前のは蛍光灯でしたが、今度は、電球です。電球を5つセットして、点灯。これまでは白系だったのですが、今回の電球は冬仕様、すなわち暖色です。部屋の雰囲気が一変しました。
それから、取り外した照明器具の解体と片づけ。これが一番大変でした。分解しているといろんな虫の死骸がでてきました。ヤモリの乾燥標本がでてきたのには、驚きました。子どものヤモリがたぶん天井伝いに虫を捕りに行って、動けなくなったのでしょう。ゴミに出せるまで、分解しました。ただし、現実にゴミとして出せるのは、月末になるようです。
ひとりで7時10分。子どもたちは、7時35分に降りてきました。久しぶりの快晴。しかも暖かい。居間の明かりは、5つのうち、2つまで死んでいます。お昼頃、3つ目が死んでいく場面を目撃しました。おおきいちびが気付き、声を出したので、私も見ることが出来ました。変な臭いがしたので、どこかの接触点が焼け切れたのでしょう。さすがに、取り替える必要が生じました。仕組みがわかれば自分でやるのですが、どうもあまり見ない型です。お店の人に頼まなければならないでしょう。
みんな少しずつ咳をしていますが、暖かいので外に連れ出すことにしました。クリスマスカード作りが気に入ったようなので、もうすこしの材料の買い出しに、今度は、新宿の世界堂へ。幼稚園児は、もうすぐ4歳です。ベビーカーに頼ってばかりではいけないということで、妻が歩かせることとしました。つまり、ベビーカーを持っていかない。
新宿駅から世界堂までは、すこし距離があります。どうなることかとおもいましたが、ともかく行きは問題なく歩きました。ちびどもはシールと紙。幼稚園児は、手紙セット。幼稚園児はまだ文字は書けませんが、お友達のなかにはちゃんとひらがなの書ける子がちらほら。お手紙の交換が流行っています。幼稚園児の描けるのは、模様と絵だけですが、おねえちゃんたちが他を手伝ってくれます。選んだのは、やっぱり、ミッキー。ミッキーの本当に好きな子です。
他には何もせず、直帰。幼稚園児は、途中で何度かくじけそうになりましたが、何とか帰り着くまで歩きました。新宿駅の中のドーナッツショップで買ってもらった、アメリカ人が食べるような大きくて甘いドーナッツを電車のなかで食べていました。ちびどもはさすがに帰宅してから。[Martin Mulsow's Studies in der Frühen Neuzeit]
片づけが、コピーをとっただけでそのまま箱にしまわれているものにまで及んできました。なかに、次のものがありました。ポリヒストールに触れています。ともあれ、読んでみることにしました。(調べてみると、コピーをとったのは、2007年1月23日駒場にて。)Martin Mulsow, "Practices of Unmasking: Polyhistors, Correspondence, and the Birth of Dictionaries of Pseudonymity in Seventeenth-Century Germany," JHI, 67 (2006), 219-250.
ちょうど私の関心にフィットしました。面白い。中心的主題は、Vincentius Placcius の『匿名と偽名の劇場』Theatrum anonynorum et pseudonymorum, (1708)ですが、こう書物が現れる知的・文化史的背景をきちんと描いています。
プラキウスには、他に、『抜き書き術』Ars excerpendi (1689) なる書も著しています。17世紀末から啓蒙の時代にかけて、とりわけドイツ語圏で活躍したポリヒストールの世界が垣間見えます。
ポリヒストールとして有名な人物には他に、Hermann Conring (ヘルマン・コンリング)がいます。ヘルムシュタット大学の自然哲学、医学、政治学教授。
剽窃の問題も扱っています。ライプツィヒ大学哲学教授にしてライプニッツの教師であるヤーコプ・トマジウス (Jacob Thomasius, 1622-1684)が「剽窃のカタログ」を作成しています。「剽窃のカタログ」というアイディアはとても面白いと思います。偽名作家の本当の名前を知ることも、匿名作品の真の著者を割り出すことも、探偵的な知的ゲームとして面白い(だから、この時代のドイツで大ブームとなったわけですが)が、そうした作業の中では、「剽窃のカタログ」作成がもっとも面白いと思われます。
Placcius, Vincentius
De morali scientia augenda commentarium in F. Baconis ... De dignitate et ..
Frankfurt am Main, 1677Placcius, Vincentius
De arte excerpendi
Hamburg, 1689Heumann, Christoph August & Vincentius Placcius
De libris anonymis ac pseudonymis schediasma ...
1711ドイツ語圏の研究に非常に強いなと思って、注をきちんと読むと、この論文はもともとドイツ語で書かれたもの("De-Autorisierung. Die Entstehung von Anonymen- und Pseudonymen-Lexica im 17. Jahrhundert," in Autoriät der From-Autorisierung-Institutionelle Autorität, ed. Wulf Oesterreicher et al. (Münster: LIT Verlag, 2003), 219-32. ) をグローチェの手助けを得て、英訳したものだとあります。最後の所属には、ラトガーズ、ニュージャージ州立大学とありますが、もともとはドイツ語圏の学者のようです。興味深い著作もありますし、編集本に面白いものが多い。
英語読みすればたぶんマルソー、ドイツ語読みすればたぶんムルゾウ氏の仕事は、どう考えても重要です。この1編の論文と出版物を見れば、十分にわかります。調べなおしてみました。私のもっている本Historiaにも論文を寄せています。"Antiquarianism and Idolatry: The Hisoria of Religions in the Seventeeth Century," pp.181-210.
この論文も注1に、英語訳に当たっては、ウルリッヒ・グローチェとトニー(アンソニー)グラフトンの世話になったとあります。
著者紹介には、やはり、ラトガーズ大学歴史学教授とあります。どこかでドイツからアメリカに移住したのだと思いますが、そのあたりはおいおい調べます。
これだけ重要であれば、誰か日本の研究者が扱っているかと思いましたが、ウェブでMartin Mulsowの名前を挙げているのは、ほとんど私の知っている方ばかりです。えっ?一体どうしたことでしょうか?仕方がないので、ざっとしたリストだけ作っておきます。
Martin Mulsow, Frühneuzeitliche Selbsterhaltung : Telesio und die Naturphilosophie der Renaissance, Tübingen : M. Niemeyer, 1998
Martin Mulsow, The Three Rings. Tolerance and Clandestine Scholarship: Mathurin Veyssia]re La Croze (1661-1739), 2001
Martin Mulsow, Das Ende des Hermetismus : historische Kritik und neue Naturphilosophie in der Spätrenaissance : Dokumentation und Analyse der Debatte um die Datierung der hermetischen Schriften von Genebrard bis Casaubon (1567-1614), Mohr Siebeck, 2002
Martin Mulsow, Moderne aus dem Untergrund : radikale Frühaufklärung in Deutschland 1680-1720, F. Meiner, 2002
Martin Mulsow, Socinianism and Arminianism: Antitrinitarians, Calvinists, and Cultural Exchange in Seventeenth-Century Europe, 2005
Martin Mulsow, Late Renaissance Philosophy in Germany 1570-1650, Nov. 2009
Martin Mulsow und Helmut Zedelmaier eds., Skepsis, Providenz, Polyhistorie : Jakob Friedrich Reimmann (1668-1743) , Niemeyer, 1998
Helmut Zedelmaier und Martin Mulsow eds., Die Praktiken der Gelehrsamkeit in der Frühen Neuzeit, M. Niemeyer, 2001
Martin Mulsow and Richard H. Popkin eds., Secret conversions to Judaism in early modern Europe, Brill, 2004
Martin Mulsow and Jan Rohls, Socinianism and Arminianism : Antitrinitarians, Calvinists and cultural exchange in seventeenth-century Europe, Brill, 2005
(もともと、私の関心に重なる領域を研究されています。科学史的に言えば、次の2点は重要でしょう。『テレジオとルネサンスの自然哲学』並びに『ヘルメス主義の終焉』。Historiaの著者紹介では、『テレジオとルネサンスの自然哲学』『地下世界からのモデルネ』『ヘルメス主義の終焉』の3点を挙げています。代表的著作ということで選んだのでしょう。)09.11.16
ウェブには、Martin Mulsow(Munich) ; Privatdozent Dr. Martin MULSOW (München)という記述と、Martin Mulsow (Philosophie und Wissenschaftsgeschichte; Erfurt-Gotha)というのがありました。ミュンヘンで勤めていたことがあるのは確かなようです。
→1987年、ミュンヘン大学で博士号(哲学)。2000年、『地下世界からのモデルネ』でハビリタチシオン。ミュンヘン大学私講師。こういう記述がありました。プラキウスのサークルについて、ざっと調べたところ、日本語での研究はほとんどないようです。私には相当面白い世界だと思うのですが、どなたか着手される方、いませんか?
私のような関心をもつものには、『学問の世界をマッピングする:ダニエル・ゲオルグ・モルホッフのポリヒストール』Mapping the World of Learning: The Polyhistor of Daniel Georg Morhof, (2000)が必要かも知れません。
ひとりで4時15分。雨。冷たい雨が降っています。2回目の起床は、8時10分。子どもたちは、ウィをやっていました。天気予報によれば、また気温が上がるということです。最高気温が21度の予想。
午後2時、子どもたちをユザワヤに連れていきました。ちいさいちびがクリスマスカードの材料を買いたいと言います。ちょうどよいので、3人いっしょに連れていきました。葉書大の紙のセットと、B5の紙、それにシール。ちいさいちびは、シールではなく、もうすこし違ったものが欲しかったようですが、見つかりませんでした。シールでも代用できそうなので、シールで選ばせたものです。幼稚園児は、おねちゃんといっしょに紙を2枚選び、それで満足したようです。その後はおとなしくなり、駅のエスカレーターに乗るあたりで、ことりと睡眠に落ちました。久しぶりです。そのまま昼寝。家に帰り着いてもしばらく寝ていました。ここんところ、昼寝はしなかったのですが、ほんとうに久しぶりの昼寝です。
ひとりで6時20分。室温が16度。昨日より4度ぐらい気温が下がるということです。雨も降り、冷たい冬の一日となりそうです。新幼稚園児は、おねえちゃんたちが出かけたあと、8時過ぎに起きてきました。昨日はしゃぎすぎて疲れたのでしょう。
[2週間遅れのハロウィーン・パーティ]
おおきいちびは、いつも友達のお家でやっているハロウィーン・パーティを今年はわが家でやりたいということで、10月に入ってからずっと準備をしていました。ゲームを作り、飾り付けをつくり、ママのコンピュータで解説文を書きました。嗚呼、しかし、インフルエンザの流行がすべてをおじゃんにしました。
友達がみんなインフルエンザに罹患した状況では、さすがに、諦めました。
しかし、ほとんど大丈夫となったようなので、今日、ママの許可が出ました。4時過ぎからお友達が4人集まり、パーティ。わが家のちいさいちびと幼稚園児もまぜてもらっています。もともと、幼稚園児の面倒をよく見てくれる子も来ています。
友達が集まって遊ぶのは楽しいようで、絶叫しつつ、遊んでいます。ちょうど私の部屋の真上です。音がよく聞こえます。
ひとり遅れて、7時10分。雨はやっと上がりましたが、まだ空はどんよりとしています。ちいさいちびと幼稚園児と妻は咳をしていますが、元気にそれぞれの場所に出ていきました。寒いというよりも、ひんやりとしています。最高気温が16度程度ということです。
[モルホッフ『ポリヒストール』 Morhof, Polyhistor]
今月は、ここまで、118枚。モルホッフがふくらんでいます。
17世紀末の視点から、17世紀の自然哲学の内容と変化に関して、とても貴重な証言をなしてくれていると思います。『ポリヒストール』という書名は、我々には馴染みがないものですが、自然学を扱う第2書第2部は、17世紀末における科学思想史と見ればよいのでは、と思われます。
以前、このサイトで、ゼンネルトの自然哲学の教科書を大学の授業で読む話を紹介しました。17世紀初頭としては、よい選択だと思われます。そして、17世紀後半のものとしては、『ポリヒストール』の第2書第2部がふさわしいように思われます。ごく少数、あるものとないものを確認しておきます。
アルシュテットの『百科全書』は、I,2,7,74. seq. として挙げられています。ちゃんと視野に入っています。
ゼンネルトは、視野には入っているものの、事項索引のなかで、たった一箇所、Sennerti Physica in quibus ab Aristotele differat II,2,15,7 とだけ挙げられています。重視はされなかったと言えるでしょう。医学史は、自然哲学とは分けられています。
Polyhisotoris Tomi III. Sive Polyhistoris Practici, Liber VII. Medicus, De Scriptoribus Medicis. pp.601ff.
最初に挙げられるのが次。私は知りません。
Hermannus Conringius, Introduction ad Artem Medicamp.603, note (c) Joh. Antonidae a Linden, Libros de Scriptis medicis duos, Amsterdam, 1637, & 1651 in 8vo, Amsterdam, 1662 in 8vo Notibergae, 1686.
このリンデンをグーグルブックで調べてみました。1637年版と1662年の第3版はすぐに出てきました。Johannes Antonides van der Linden
De Scriptis medicis ... libri duo
Amsterdam, 1637; 1662
医学書のリストです。医学史家は手元においておいてよい種類の本でしょう。そして、当時錬金術=化学の本を書いた者は職業としてはほとんどが医師です。化学史家も手元においておいてよいでしょう。
パレの部分を紹介しましょう。AMBROSII Paraei
Opera, à Iac. Guillemeau elimata, novis Iconibus elegantissimis
illustrata, & latinitate donata. Parisiis, apud Iacob. Dupuys, 1582.
in fol. Francof. apud Iac. Fischerum, 1612, in fol. apud Feira-
bendium, cum novis iconibus, 1593, in fol.
Sunt autem his operibus contenta.
Introductio, seu via ad Chirurgiam compendiaria.
Lib. 1. De Animantibus, & Hominis praestantia.
****
XXI. De Peste
****
XXVI. De Destillarionibus.
現代の基準によっても、これだけ記述してくれていれば合格です。著者名(リスト項目)、著書名、出版地:出版社、出版年、版型、挿画等。著作集的なもののついては目次。これだけあれば、書誌情報としては十分です。
ただし、我々からすればもっとも困るのは、ファーストネームのアルファベット順に配置されていることです。おお、調べようと思えば、いちいちファーストネームを思い出す必要があります。この時代のこういう書物(書誌)を利用するためには、ファーストネームをきちんと覚えておかないといけないことになります。
それにしても、書誌を記述する形式としては、(特別な用途・目的がない限り)これで十分です。私の関心から言えば、この書誌記述形式がいつごろからどのような程度でどのような広がりで、文献注に取り入れられていったかということが知りたい。こういう使い方がモルホッフに関してはできます。「グーグル・ブックの時代に、思想史の方法を再考する」という企画があってもよいでしょう。(もちろん、思想史にとどまらず、プロパーの歴史の方の意見も聞きたい。)
ガレノスは、Caludius Galenus, pp.117-134 in 1662 edition.
項目列挙の部分は2段組です。130頁からはインデクスです。
最初に、イタリックで7行略歴があり、それから全集版の版を列挙しています。Venetiis, apud Vincentium Valgrisium, 1562, in fol. からはじまり、Paris, 1639 の版まで、11の版が挙げられています。
実は、これが困る。私のように、当時の人間が使った版を特定しようと思っている人間にとっては、これだけ数多く出ていると、その特定作業がとても難しくなります。もちろん、致し方のないことではありますが・・・。
ちびどもとほぼ同時に、6時50分。幼稚園児は7時10分。昨夜からの雨が降り続いています。部屋のなかにいても屋根をうつ雨音で、降っていることがはっきりとわかります。
天気予報の雨は当たりましたが、寒くなるはまだ当たっていません。時期が時期ですから、これから寒くなっていくのかもしれません。→結局、11月11日の間には寒さはやってきませんでした。幼稚園児なんか、汗をかいていました。今本格的に分析している余裕はありませんが、モルホッフの『ポリヒストール』は、第2書第2部だけでもきちんと読んでみる価値がありそうです。アルシュテットは浩瀚に過ぎますが、モルホッフはもうすこしコンパクトです。しかも、図書館史(history of library) で扱われるだけあって、文献情報が貴重です。17世紀末の時点で、どういう著作がモルホッフの視野に入っていたかは、貴重な情報源となります。
錬金術=化学の分野では、Olaus Borrichius, Libro de orto & progressu chymiae を重宝しているようです。
たとえば、硝石に関しては、グラウバーのNova Mundi Miraculo とWilliam Clarke, Naturalis historia Nitri (Frankfurt & Hamburg, 1675) 、次に、John Mayow を挙げています。クラークの『硝石の自然誌』は英語からのラテン語訳のようです。クラークの名前は知識になかったので、早速ダウンロードしてみました。グーグルにあります。
さて、もとの英語は次です。
Clarke, William, The natural history of nitre, or, A philosophical discourse of the nature, generation, place, and artificial extraction of nitre, with its vertues and uses, London, 1670.
そして、驚いたことに、ヨハン・ゲルハルトの著作に合冊されたものの情報がWorldCat に上がっています。
Gerhard, Johann
Johannis Gerhardi D. Exercitationes perbreves in Gebri arabis summi philosophi chemici libros duos summae perfectionis.
Tubingen ,1652別の流れですが、次の本がグーグルにありました。
Gerhard, Johann Conrad
Tractatus practicus chymiatria: id est de aquarum, oleorum, salium, essentiarumque extractione, et de thermarum probatione
1631Borrichius, Olaus
Hermetis Aegyptiorum, et chemicorum sapientia ab Hermanni Conringii animadversionibus vindicata
Hafniae: Sumptibus P. Hauboldi, 1674モルホッフに関しては、アン・ブレアの論文がなかなか面白い。
Blair, Ann, "Reading Strategies for Coping With Information Overload ca.1550-1700," Journal of the History of Ideas 64.1 (2003): 11-28
本人のまとめによれば、次の通り。「初期近代の学者が本の過剰として認識した事態に対してどう対応したかをサーベイする。より勤勉に読書しノートを取るというだけではなく、より多くの本を所蔵し、選択する、ということのほかに、彼らは、一部は中世の慣習に由来するショートカットを発明した。このショートカットには、アルファベット順の索引(印刷されたものも手製のものも)を利用する、レファレンスブックを利用する、写字生を利用する、省略を利用する、ノートを取る手間を省くために、印刷本またはMSからのカット&ペーストを利用することなどが含まれた。」
p.21 他人の手を借りてノートを取る。1)そのために雇った写字生に抜き書きを作らせる。2)その種の印刷物を利用する。すなわち、エピトーム(梗概)、コモンプレイス・ブック、詞華集、を利用する。
ベイコンのエッセイにおける読書について。(Francis Bacon, "Of Studies"(1612))。(既存の邦訳を使います。中公,p.215)「書物の中には味わうためのものもあれば、のみこむためのものもある。少数の噛んで消化するためのものもある。すなわち、書物の中には、ただ、部分部分だけを読むべきものもある。また読んでも深く注意しなくてもよいものもある。また少数だが、全体を読んで、勤勉に注意して読むべきものもある。書物の中には人に代理で読ませ、それについて他人に書き抜きを作らせてもよいものもある。」(成田成寿訳)
モルホッフは、『ポリヒストール』のなかで2回、ベイコンのこの文章を引用している。(Morhof, Polyhistor(1732), I,I,2 #9, p.14 and I,II,8 #20, p.409)
pp.21-22. モルホッフは、「Saumaise がその他の著名人が行ったように、できるのであれば、抜き書きを集めるために、教育を受けた写字生を雇う」ことを勧めている。(Morhof, Polyhistor(1732), I,1,21 #12, p.239)
p.24 ニュートンに特徴的な方法として、耳折りは有名。爪の指でページを引っ掻くやり方も記録されている。
私(アン・ブレア)の知る範囲で、最初にカット&ペースト(実際に鋏でページを切り、原稿に張り付ける)を使ったメジャーな著作家は、コンラート・ゲスネルである。彼は受け取った手紙を鋏で切って、テーマ毎に分けたことを記している。
p.27 ツヴィンガーの『人生劇場』。1565年1400フォリオページで始まり、1604年までに5倍にふくれたこの書物について、ハートリッブは1641年の日記で次の証言をなしている。「ツヴィンガーは、抜き書きをするにあたり、古書を使い、それを完全にばらした。もしすべてを手で書き写していたら、それほど浩瀚なものを記すことは不可能であったろう。」
ひとりで5時20分。寝た時刻からすると早すぎます。まだ暗い。とても11月の早朝だとは思えない暖かさですが、明日から天気が下り気味で、それにあわせて気温も下がるようです。目覚めてからちいさいちびの咳がひどい。身体は元気そうですが、咳は収まっていません。私は睡眠時間がまったく足りていなかったので、妻が起きてくるのを待って、もう一度寝ました。再度目覚めると、ちいさいちびの咳の音が聞こえます。今日も休ませたようです。幼稚園児が元気に出かける音は、布団の中の耳に聞こえていました。
ちいさいちびのお友達が連絡袋と学校からのインフルエンザ通知を持ってきてくれました。それによれば、区内の中学校ではやっと学級閉鎖が0になった、ちびどもの通っている小学校では、1年2組と6年1組が明日から3日間学級閉鎖になるとあります。
幼稚園でも、必ずしもインフルエンザではありませんが、風邪が流行っているようで、休んでいる幼児が多いと言うことです。わが家の幼稚園児はやっと咳も収まって、元気です。今週に入ってからは、毎日土を持って帰ってきます。まるで宝物のように保管しています。ちびどもが寝付き、市橋容疑者逮捕の報道がなされた頃、強い雨足が聞こえてきました。天気予報の通りです。この雨が冷たさを連れてくるようです。昨晩は、室温が25度もありましたから、やはりとても11月の気候とは思えませんでした。
夜から朝にかけて、日曜日に駒場で入手したノリスの2点の論文を読みました。書かれるべき論文です。
液状態からの鉱物の生成:(サマリ)「鉱物の生成は、前近代の化学のもっとも重要な問題の一つと認識されている。石状の鉱物と宝石は、少なくともヘレニズム時代から水に起源があると信じられてきたが、金属の生成は、アリストテレスによってはじめて唱えられた鉱物的蒸発物 (exhalations)を含むと考えられた。蒸発物理論は、中世のアラブの著作家により金属組成のイオウ-スイギン説と組み合わされたあと、17世紀に至るまで、様々な形態において、金属生成論の中心的理論となった。この背景から見ると、あらゆる鉱物は水状のプロセスから生じるという16世紀にフルに展開した理論は、突然の出現に見える。私はここで、初期の液体状鉱物発生論の3者を比較しようと思う。ゲオルギウス・アグリコラ、パラケルスス、ベルナール・パリッシの3者の理論である。・・・・」(p.69)
(序の冒頭)「組成に含まれる湿気は、少なくとも古典古代からほとんどすべての形態の鉱物物質にとって本質的だと見なされた。プラトンやアリストテレスにとって、元素的湿気は、金属の可融性と展性を説明すると考えられた。プラトンとテオフラストスは、湿気が石の形成において道具として働くとした。」(p.69)まず、出発点となるアリストテレスの説。『気象論』(全集第5巻、泉治典訳、岩波書店、1969)pp.124-5
377 a10- 「ではつぎに、それ[二種の蒸発物=分離物]が大地の諸部分のなかに閉じこめられているとき、大地それ自体の内部でもたらされる働きについて論じられなければならない。
この蒸発物は空中におけると同様に本性上二種であるから、それによって異なる二種の物体が作られるのである。すなわち、われわれが主張するように蒸発物は二種であり、それは霧状のものと煙状のものであるが、大地のなかに生じるものの種類も二種であって、一つは鉱物、一つは金属である。ところで、乾いた蒸発物はものを燃やすが、その働きによってすべての鉱物、たとえば溶解しない石の類、すなわち鶏冠石、黄土、紅土、硫黄その他そうしたものが作られる。鉱物の大部分は、土の色か、あるいはそうした類の成分からなる石の色をしていて、たとえば辰砂がそうである。しかし、穴から掘り出されるもの[金属]は霧状の蒸発物によって作られたもので、たとえば鉄や金や銅のように、溶かされたり延ばされたりしうるものである。これはみは霧状の蒸発物が凝結するときに作られるが、とくに石のなかで作られるのである。すなわち、これらのものは、露と霧が[空中の水蒸気から]分離されると凝結するように、[石は乾いているので]乾によって一箇所へ押しやられて凝結するのである。ただし、金属のばあいには分離が行なわれる前に、すでにそのようになっている。それゆえ、これらの金属は或る意味で水のようであるが、或る意味ではそうでない。というのは、その物質は可能的に水になりえたが、まだ水になっておらず、また味のように、すでにあった水が何らの変化をこうむって生じたものでもない。なぜなら、銅や金はそのように生じたのではなく、むしろ水となる前に、それぞれが蒸発物の凝結によって生じたからである。(p.125)それゆえ、すべての金属は火の作用を受けて土が混ぜられている。なぜなら、それは乾いた蒸発物を内に持っていたからである。しかし金だけは火の作用を受けることがない。」この辺りは、古いノートによっています。マルマンのファイルノートというものに鉛筆で手書きしていました。ノートを記した日付を記入していない(最近は必ず日付を記入します)ので正確にいつ取ったノートかはわかりませんが、ニューマンの1989年論文からのノートが同じファイルに綴じられていますから、1990年代のものでしょう。大学院後期から就職してすぐの頃かと思われます。
ちなみに、ノートは、次の構成となっています。
1.11枚。William R. Newman, "Technology and Alchemical Debate in the Late Middle Ages," ISIS, 80(1989): 423-445
2.それに添付して、「金属の発生・生成について」・古代哲学者の見方;・古代神話の見解:・鉱山・冶金技術者の民間伝承の世界、を付録しています。
その付録の最初が、上の『気象論』からの引用です。後の展開のためのテーマは、ほぼ提示されています。
その次が、クロンビーとダンネマンからノートを取っています。
(クロンビー、1962, p.123) ゲーベルの集成は、金属は土の中の蒸発気から生成するというアリストテレスの理論に基づいている。この蒸発気は乾いたもの、湿ったものと2種類あって、乾いた蒸発気からはイオウが形成され、湿った蒸発気からはスイギンが形成される。そして次いで、これら2つの原理(精spirit)が化合して金属が出来る。金属の種別はその化合比による。比の完全な調和が金。他の金属は、2成分の純粋さの不良か、比率の欠陥による。
ダンネマンは、訳者によるリップマンの研究の紹介です。
(ダンネマン、第3巻、p.129)
最後に、エリアーデからの抜き書きがあります。3.8枚。ジョーダン『金属の発生について』 Debus(1969) より。
4.6枚。トーマス・シャーリー Debus(1980)より。
5.8枚。スターキー Wilkinson(1963)より。
6.15枚。コメニウス、デューリー、ハートリッブ、他。
これだけ日付を記しています。1992年4月10日。大学に着任してまだ初々しい時期です。ですから、これらのノートは、1990年代初期と見ておいてよいでしょう。鉱物的発散気の理論(序文)(p.43)「金属を合成物質としてみる前近代の見解は、その可融性に由来する。金属は通常では固体だが、(可融性故に)固体的構成要素と液体的構成要素を持つと推論された。初期の金属生成論の多くは、アリストテレスの二種の発散気の理論に始まり、18世紀まで生き延びるが、この複合性を鉱物的蒸気または発散気(mineral vapors or exhalations) からの生成で説明した。」
このアリストテレスの二種の発散気説がとくにイスラーム圏のスイギン-イオウ説と結びつく複数のあり方をノリスは丁寧に説明しています。
ゲーベル派の説明(ノリスは、ホームヤードの論文「ジャビール・イブン・ハイヤーン」(1923)の採録された『説明の書』を使っています。p.56)を1例。
「金属はすべて本質的にスイギンと結びつき凝固したイオウ[イオウは土的で煙状の蒸気として上昇してくる]からできている。金属は、その付随的性質においてのみ異なる。そしてその差違は、イオウの差による、そしてイオウの差は、土壌の差違と太陽の熱に対する位置の差違による。」(p.47)さて、グル。ノリスの論文の流れ・展開は、この分野に関心を持つものにはよくわかります。グルについては、古くはアダムズ、ついでディーバスがまとまった文章を発表しています。
この「鉱物的発散気の理論」論文でノリスは、p.55, note62 でごく簡単に、「蒸気を発する、内部にイオウ的性質を有するこの先駆液体は、グル理論の先行者であるかのように響く。これについては、後続の論文で詳しく論じる。」ということで、「液状理論」論文です。
まず、ノリスは、浸出現象に注意を促します。
「ある種の鉱物のグループと水溶液との関係は、古代の鉱物産業において知られていた。古代から、硫酸(ヴィトリオル)、明礬などの鉱物とその他の数多くの塩類は水溶液を用いた(solution-driven manufacturing) 製造、すなわち、浸出の対象であった。これらの鉱物とその製造・利用については、プリニウス、ディオスコリデス、ガレノスが記述している。こうした操作が石の形成のモデルとして働いた。」(p.70)
グル理論に関しては、p.71 から。
『ピロテクニア』(1540) の次の言葉。「私は、鉱山のなかを行ったり来たりして、上からの水、下からの水で、浸されたことを思い出します。それはまるで、ひどい雨のなかを進むかのようでした。しかし、私はこのことに驚いたわけではありません。なぜなら、水が鉱物の第1の特異な随伴者であることであることを理解しているからです。実に、水は、おそらく鉱物実体の生成のまさに根拠であるのでしょう。」
そして、ビリングッチョは、豊富な水が湧き出す山々が同時に鉱物に富むという鉱山業に関わる通則を記している。「湿っていて、冷たく、泥のような物質がまるで汗のように地面からしみだす。」(p.71)「そして、イオウと結びついて鉱物の原鉱が作られる。(p.72) この過程は、ねばねばした鉱物液を含むが、これが後にグルとして知られるようになる。おもしろいことに、ビリングッチョは、この「湿っていて、冷たく、泥のような物質」をスイギンと同一視している。
p.72, note 11 でノリスは、グルという語について詳しく注釈している。「グルという用語は、金属の硫化物が腐食して、金属と硫酸に分離するときの、鉱物物質の液体の塊を指している。」文献は、Adams, (1938), pp.283-84;Oldroyd, pp.145, 151。ただし、アダムズは、錬金術師の間でのグル理論の広まりをあまりの大きく取りすぎている。そしてアダムズもオルドロイドも、発熱を伴う鉱物学的反応の重要性を見逃している。それは、鉱物の発生における発酵過程の観念に繋がる。ヨハン・グラスホッフ(グラセウス)は、『化学の劇場』第6巻に採録された『秘中の秘』において、この語の起源をマテジウスに帰している。マテジウスについては、アダムズのpp.196-98, 283を見よ。
ファン・ヘルモントのブルは、グルであると簡単に位置づけています。(p.85, note 89)。また、ウェブスターの『鉱物誌』も取り上げています。おそらく、ニューマンのグラセウスはここによるのかもしれません。そして、平井さんにレーデレルの論文と博士論文を教えてもらい、レーデレルの博士論文(ドイツ語)を迅速に読んだのでしょう。
(ボイルもグルに触れています。平井さんのボイル著作集の書評ならびに私との共著論文でも指摘があります。)「発散気理論」の方でノリスが記しているように、グル理論は、18世紀まで生き延びます。ノリスが取り上げるのは、ヘンケルです。ヘンケルの『パイライト学』がグルを使っています。
ノリスは、取り上げていませんが、18世紀の化学と医学の巨匠ブールハーヴェもグルを使っています。ドイツ語圏ではかなり広く長く使われたと言えそうです。日本語では、ディーバスの『錬金術の歴史』が最良の案内でしょう。ファン・ヘルモントのブルについては、p.316 from "Imago" in Ortus, pp.116-7; Oriatrike, p.116。グラウバーのグルについては、p.395。(Glauber, Mineral Works, (English, 1689), pp.122-123; German, 1658, pp.357,361)ウェブスターのグルについては、p.418 。ウェブスターの記述 (Metallographia, pp.51-2) は、もとのマテジウスの感覚をよく伝えています。
なお、ディーバスは、ウェブスターの『金属誌』の評価として、モルホッフの『ポリヒストール』を使っています。今ならGブックでおそらく簡単にゲットできると思いつき、ディーバスの記述を確認してみることとしました。予想通り。『ポリヒストール』の第2巻第2部は、当時の自然哲学の総合的学説史として、なかなか使えそうです。
Morhof, Daniel Georg
Polyhistor, literarius, philosophicus et practicus
4th ed., 3 vols., Lubecae, 1747→09.11.11 気になるので、まず版を確認しました。初版は、1688年リューベックで出版されるが、1707年まで完成されなかったとあります。人間の全知識と学問の百科全書と称されています。そうであれば、アルシュテットの後継者ということになります。
the 1st edition, Lubecae,1688: [16], 557, [2] p ; 20 cm.
the 2nd edition, Lubecae,1695: 556. 4シ.
the 3rd edition, Lubecae, 1732: 3 v. in 2
the 4th edtion, Lubecae, 1747: 3 tom. 4シ.
チェコの百科辞典のサイトによい目次がありました。
Tomus I: Polyhistor literarius (1688/92)
I. Bibliothecarius
II. Methodicus
III. Paraskeyastikos
IV. Grammaticus
V. Criticus
VI. Oratorius
VII. PoeticusTomus II: Polyhistor philosophicus (1704)
I. Philosophico-historicus (古代、中世、近代の哲学史)
II,1: Physicus I. (ベイコンのプログラム:異なる哲学システムのLoci Communes)
II,2: Physicus II.(いわゆる自然哲学の内容)
III. Mataiotechnos. (予言と魔術)
IV. Mathematicus.
V. Logico-metaphysicus.Tomus III: Polyhistor practicus
I. Ethicus.
II. Politicus.
III. Oeconomicus.
IV. Historicus.
V. Theologicus.
VI. Iuridicus.
VII. Medicus.
Index autorum et rerumもちろん、私には、巻2のなかで、2の1の自然学1と2の2の自然学2が関心をひくところです。
また、2の1の自然学1のcap.2 "De locorum communium in philosophia naturali scriptoribus" と題されているのも非常に興味深い。pp.150ff.
10. Polygraphi physici, Hier. Cardanus, Uli. Aldrovandus, Athan. Kircherus, Fort. Licetus, P.Gassendus & c.
文献としては、Mapping the World of Learning: The Polyhistor of Daniel Georg Morhof, (2000) だけが上がっています。ハブの論集です。関心があるので、ちょっと見てみたいのですが、日本の図書館には所蔵しているところが見あたりません。うーむ。すこしですが、中身を見てみましょう。
Lib. II. Part. II. Cap. I. De principiis corporis naturalis secundum Aristotelem et Recentiores. pp.270-277.
Cap. II. De causis externis, et de iis, quae illuc pertinent, nec non de monstris. pp.278- 282.
Cap. III. De affectionibus corporum communibus, et primo quidem de quantitate. pp.282-285.
Cap. IV. De loco, uvi et de vacuo, variisque circa vacuum experimentis. pp.286-290.
Cap. V. De tempore. pp.290-293.
Cap. VI. De motu corporum et particularum in corporibus. pp.294-299.
Cap. VII. De Qualitatibus. pp.299-302.
Sect. 1. Motus Qualitas est non tantum externa, sed etiam interna. 2. Peripateticorum doctrina de Qualitatibus exploditur. 3. Pleraeque Qualitates a situ, figura, motu & mistione, oriuntur, quod diversis ostenditur exemplis. 4. Divisiones Qualitatum Peripateticeae. 5. In specie agitur de Raritate & Densitate. 6. De Humiditate, Siccitate, Fluiditate, Firmtate, Mollitie, Viscositate, Flexilitate, Rigiditate, Levitate, Asperitate.Cap. VIII. De Qualitatibus Occultis. pp.302-312.
Cap. IX. De Magia. pp.312-314.
Cap. X. De principiis in nartura Mechanicis. pp.314-315.
Cap. XI. De Mundo. pp.316-324.
Cap. XII. De Coelo et Stellis. pp.324-331.
Cap. XIII. De Elementis. pp.331-338.
Cap. XIV. De Luce. pp.338-344.
Cap. XV. De Coloribus. pp.344-346.
S.1. Colores propago licis. Distinguuntur in Reales & Emphaticos. Reales certe quodam sensu dari, contra Cartesianos, ostenditur. 2. Aristotelici ab Elementorum mixtione, & Chymici a sulphure suo, colores omens derivantes, refutantur. Scriptores de coloribus, Frenc. Maria Grimaldus, Is. Neutonus, Rob. Boylius. 3. Ratio albedinis, nivis exemplo illustrata. Censula de Gothr. Vogitii Diss. contra nivis albedinem. 4. Ratio nigredlnis & Colorum midiorum.Cap. XVI. De Igne. pp.346-349.
Cap. XVII. De Frigore. pp.350- 354.
Sect 1. Calor et Frigus ad omnes naturae operationes concurrunt. 2 Frigus non solum ut qualitas & privatio, ex mente Aristotelis, Cardani & Cartesii, est considerandum, sed etiam ut positivum aliquid. 3. Joh. Mayow frigos a particularum Nitro-aëearum motu languidiori, J. Bpat. Hamelius & Seb. Wirdigius a Spiritibus frigorisicis, derivant. Experimentum de congelatione Boyleanum. Congelatio per pulveres certos antificialis. Vera causa Frigoris sunt corpuscula salina. 4. Thom. Hobbesii sententia, frigoris & congelationis causam ventis tribuens, refutatur, liberque Rob. Boylii de Frigore commendatur. 5. Frigoris effectus varii, praesertim aquae attenuatio. Censura de J. Am. Comenii Lib. de Frigore. Frigus & Glacies arte possunt produci. Insecta, birundines, ciconia, imo & homines nonnulli, post diuturnam congelationem, reviviscunt. J. Nic. Lib. hujus argumenti commendatur.Cap. XVIII. De Aere. pp.354-360.
Cap. XIX. De Aqua. pp.360-362.
Cap. XX. De mari, eiusque inprimis fluxu et refluxu, fontibus item, Fluviis et Thermis. pp.362-371.
Cap. XXI. De Terra. pp.372-376.
Sect. 1. Terra, imo Sabulum quoque, non est Elementum, sed corpus Compositum. ........Cap. XXII. De usu primorum corporum seu elementorum. pp.376-379.
Cap. XXIII. De meteoris aereis, praecipue De Ventis. pp.380-382.
Cap. XXIV. De meteoris igneis. pp.382-386.
Cap. XXV. De Iride, ac reliquis meteoris Emphaticis. pp.386-387.
Cap. XXVI. De ignibus subterraneis et terrae motu. pp.388-390.
Cap. XXVII. De Meteoris Aqueis. pp.390-399.
Cap. XXIIX. De alteratione, generatione et corruptinone corporum. pp.399-400.
Cap. XXIX. De mineralibus, in genere, et autoribus, qui illorum historiamm scripserunt. pp.401-404.
Cap. XXX. De variis terrarum Generibus. pp.404-405.
Cap. XXXI. De lapidibus, eorumque generatione, petrefacitione et corporibus patrefactis. pp.405-409.
Cap. XXXII. De Magnete. pp.409-412.
Lib. II. Part. II. Cap. XXXIII. De lapidibus prestiosis. pp.412-414.
宝石については、主として、ボイルの『宝石の起源と効能』ならびにステンセン(ステノ)を使っています。 )Cap. XXXIV. De Vitro et Gemmis Artificialibus. pp.414-416
Cap. XXXV. De metallorum generatione. pp.416-418.
Sect.1. Materia Metallorum proximam non esse aquam, aut salia, ostenditur. 2. Nec argentium vivum vulgare, sed longe probalilius Chymicorum Mercurium ( cujus ab isto differentia explicatur ) ac sulphur. Generationis metallorum diversorum ex hisc ratio. 3. Quantam sit inter sulphur auri, argenti, & metallorum impurorum, sicut & vulgare, differentia?Cap. XXXVI. De metallorum transmutatione. pp.418-419
Sect. 1. Plumbi in stannum, ferri in cuprum, transmutatio. 2. Metallorum imperfectorum in aurum transmutatio propugnatur, Chymicique Graeci MSti, a Thom. Reinesio emendati, & Ol. Borrichii atque Autoris de **** historia scripta, commendatur.Cap. XXXVII. De Mediis Mineralibus. pp.419-421.
Cap. XXXIIX. De Salibus, et Primum Quidem De Nitro. pp.421-422
Cap. XXXIX. De Sale Communi, Vitriolo, Ceterisque Salium Speciebus. pp.422-424.
Cap. XL. De Plantis et Vegetatione. pp.424-427.
Cap. XLI. De Propagatione et Melioratione Plantarum. pp.427-428.
Cap. XLII. De Agri-Viti-et Horti-Cultura, vino, et Variis Potuum Generibus. pp.428-430.
Cap. XVIII. Miscella Quaedam de Herbis, Plantis, et Arboribus, Exhibens. pp.431-432.
Cap. XLIV. De Zoophytis ubi et De Sensu Plantarum. pp.433-435.
Cap. XLV. De Generatione Animarum et Primum Quidem De Insectis. pp.435-440.
Cap. XLVI. Miscella Quaedam De Animalibus Ceteris Exhibens. pp.440-445.
Cap. XLVII. De Homine. pp.445-447.
Cap. XLVIII. De Sensibus Animalium. pp.447-450.
Sect. 1 Cartesii sententia, bruta sensibus spolians, improbatur. Motus sensationis celerrimus vix pervestigabilis. Joh. Alph. Borelli Scripta de motu commendantur. 2. Visum, & cognatas de coloribus, oculis, speculis, lumine, doctrinas, sibi vindicat Optica. 3. Auditum Acustica. Instrumenta eum adjuvantis. Soni natura & diversitas. Autores huc spectantes. 4. Odoris & Odoratus natura. Cur plus e valeant bruta, quam homines? Doctorina ejus neglecta. 5. Gustus & sapori ratio atque orig a papillis linguae nerveis. Scriptores de inedita quorundam prodigiosa. 6. Tactus natura. 7. De sensibus internis rectiu Cartesiani docent, quam Aristotelici. Scriptores de imaginatione, qua Pet. Pompanatius & Jul. Caes. Vaninus contra religonem sunt abusi.Cap. XLIX. De Sede Animae Rationalis. p.450.
09.11.13 インデクスも充実しています。本文は、604頁まで。605頁(当時の慣習に従い、インデクスにはノンブルがついていません。グーグルブックのpdf では、640th pdf page)から714頁(679th pdf page) まで、著者索引。715頁から882頁まで、事項索引。事項索引ですが、書名も入っています。モルホッフがどういう著作を使ったかはこちらを見ればよいことになります。
せっかくですから、ボイルの部分を紹介しましょう。次の著作が取り上げられています。
Chimista Scepticus II,2,16,4 13,3
historia fluiditatis & firmitatis II,2,7,6
lib. de Coloribus II,15,2
lib. de formarum Origine II,2,1,7
lib. de frigore commendatur II,2,17,4
lib. de igne, cunsumtus est ige II,2,16,2
lib. de infido Experimentorum successu II,2,1,18
maris historia naturalis affecta desideratur II,2,20,7
Of the Seraphic love, or motives and incentives to the love of God I,6,4,20
hujus libri occasio ibid.
de usu Philosophiae naturalis II,2,1,8
de fundo maris II,2,20,6
de qualitatibus rerum Cosmicis II,2,1,24
『神的愛』のみ、ラテン語訳ではなく、英語で記しています。ウィルキンズの『実在文字と哲学言語』も英語で挙げています。英語も読めたしるしでしょう。09.11.12 ここで、グルに戻ります。上記の研究者たちは、誰もグリムの辞書を引いていないようです。OED にも記述があります。ドイツ語のgähren (発酵する)に由来する言葉だとあります。"gur" の形では、ferment 、"guhr"の形では、a loose earthy deposit from water found in the cavities of rocks (岩石の隙間に見出される水に由来するゆるやかな鉱床・沈積物・鉱物のおり)とあります。
グリムの辞書は、1) Mathesius Sarepta (1578) ; 2) P. Albinus meiszn. bergchron. (1590); 3) Präorius wünschelruthen (1667); 4) G. Junghans auszgeklaubte gräublein ertz (1680) の4者から引用しています。なかでも、マテジウスから3点の文章を取り上げています。もとは、マテジウス、ただし、ほぼ同時代のアルビヌスの『マイセンの鉱山年代記』からも引用しています。17世紀では2点ですが、捜せばもっともっとあるでしょう。グリムの定義は、「どろどろした泥状の液体、現在では、鉱夫の専門用語」です。マテジウスからの引用をまとめると、次のような感じになると思います。グルは、鉱山のある場所に湧き出てくる。それは、鉱山のある場所で流れていて、ブッターミルヒのように白くどろどろしている。鉱物が多く含まれる。
高濃度で鉱物を含む、どろどろねばねばした液体、ということでしょう。マテジウスの場合には、白い液体を指したようですが、ほどなく、もうすこし広く、鉱山のなかに見出される鉱物を多く含むどろどろねばねばした液体という意味で使われたようです。
液体状のものからの鉱物の生成という考え方にとっては、絶好の実例と捉えられ、注目されたと見てよいでしょう。あるいは、むしろ、マテジウスのグルは、鉱物の生成に興味を持つ鉱物学者の関心を引かないわけがないと言うべきでしょう。
こう見てくると、ヴィトリオル、金属硫化物の溶液、としたノリスの定義は、ずれている、あるいは狭すぎると言えると思います。広い意味では、ヴィトリオル溶液も含みますが、ブッターミルヒにように白いという点にこだわれば、鍾乳石のような炭酸カルシウム系のものも視野に入れる必要があるでしょう。ともあれ、広い用法では、鉱山にしばし見られる、鉱物を多く含む故に、どろどろした、ねばねばした液体、を指していたと見ておいてよいでしょう。
すぐに鉱物や金属が析出・浸出してくる直前の溶液というニュアンスの他に、ferment の意味、すなわち、パン種の種の意味での、鉱物・金属の種というニュアンスでもグルは使われたのでは、と思われます。ちなみに、平井さんとの共著論文(p.472, note 44) にマテジウスが guhr を使う箇所を4箇所挙げています。
ひとりで6時20分。晴れ。ちびどもは6時半に起きてきました。ちいさいちびは咳をしています。11月にしては暖かい朝。昨夜もかなり暖かく感じました。駒場には着ていったカーディガンは、駒場の図書館のなかからずっと脱いだままでした。咳がひどいので、妻はちいさいちびを休ませると言っています。熱はないので、わが家の中で反射している喉・鼻の風邪でしょう。
私は、アルコールを摂取すると疲れが出る体質になったようです。量は多くなくても、次の日に疲れが来ます。いつもより休みを多くとりつつ、作業を進めています。
昨日取ったコピーでは、まず、ニューマンを読みました。山田さんにわざわざ論集をもってきてもらったのは、一義的にはニューマンの論文を読みたいとおもったからです。
本人は、エッセイと称しています。新しいテーゼ・内容を立証するものではなく、見通しを提示するものという意味で、エッセイと言っているのでしょう。
事柄の理解のためには、これが非常に有用です。このエッセイは、ニューマンのメリットがもっともよく発揮されている文章です。このテーマに関するもっともわかりやすい明解な解説となっていると思います。
扱っているのは、ニュートンの二つの草稿です。ひとつは、故ドッブズがトランスクライブした若きニュートンの草稿「自然の明白な法則と生長作用の過程」(Dibner MS. 1031B)です。もうひとつは、その裏に記されたラテン語の短いMS「鉱物の蒸気 Humores minerales continuo decident」です。
2つの草稿は関係しています。ニューマンは、この両草稿における「金属と鉱物の生成」のソース(典拠)を、3点、分析によって明らかにしています。
1.ヨハン・グラッセ(グラセウス)の『秘中の秘』
2.センディヴォギウスの『化学の新しい光』
3.ヴァレニウス(ファーレン)の『一般地理学』
ヨハン・グラッセに関しては、平井さんに教えてもらったレーデレルの博士論文によったと記しています。平井さんとの共著論文で扱っていますが、そちらは言及してもらえていません。(ちなみに、『化学の劇場』に採録されている『秘中の秘』に「グル」の語があることは、大橋さんに教えてもらっています。)
ヴァレニウスの『一般地理学』は、ニュートン自身が編集して1672年にケンブリッジ版を出版しています。同じ論集のスペイン人の論考は、日本語の論考を読むようでした。有用な情報もすこしは含みますが、必要のない概説が多く混じります。素人の聴衆に話すような内容になっています。
問題は、専門家を読者として想定できるかどうかです。専門家を読者として想定できなければ、本当のところ、専門論文というのはなかなか難しいと思います。
そして、日曜日に坂本君にも言ったのですが、読者を作り出すつもりで書くという気持ちが必要な分野もあると思います。
読者を作り出したものは、時を越える命をもつでしょう。
ひとりで6時15分。今日は、午後から上記のミニシンポです。久しぶりの外出となります。シンポの前に図書館ですこし資料を捜します。
[11月8日ミニシンポのお知らせ]
次の要領で、ミニシンポを開催します。日時:11月8日(日曜日)15時から18時。
場所:東京大学駒場キャンパス14号館3階307号室講演:桑木野幸司「自身の思想論文「建築的記憶術、あるいは魂の究理器機―初期近代の創造的情報編集術とムネモシュネの寵児たち」『思想』2009年第10号:27-49をめぐって」
坂本邦暢「ユリウス・カエサル・スカリゲルの自然哲学」
小澤実「ルーン学の黎明 Olaus Wormius, Danicorum monumentorum libri sex(1643)の周辺」来聴歓迎!
ちなみに、当日の建物への入館ですが、日曜日なので誰でも自由に入れるようにはなっていません。(今はどこの大学もそうなっていると思います。)正面入り口に張り紙をしておきます。張り紙をご覧下さい。[講演者紹介]
以下の講演者紹介は、ウェブで簡単に得られる情報から、ひとりあたり5点に絞って私が勝手に選出・編集したリストです。3人の研究者の研究分野を概略図程度で知ってもらおうという趣旨です。発表をよりよく聞くための手助けになればと思います。桑木野幸司氏:建築史家
「知の編集空間としての初期近代イタリアの庭園」 『地中海学研究』32(2009):�3-28
「初期近代の百科全書的ミュージアムと情報処理システムの空間化」『科学史研究』 第II期�45(240)(2006):�251-255
(翻訳)ロイ・ストロング『イングランドのルネサンス庭園』(ありな書房、2003)
「アニムス(心)教育の普遍的劇場あるいはコモンプレイスの展覧 : ザムエル・クヴィヒェベルク『広壮なる劇場の銘あるいは標題…』(1565)における理想のミュージアムと書記情報処理システムの空間化」『日本建築学会計画系論文集』590�(2005):�195-200
「初期近代イタリアにおける博物コレクション空間の特質について : ピサ植物園付属ギャラリーの収蔵品目録(1626)の分析から」『日本建築学会計画系論文集』�561(2002):�279-284坂本邦暢氏:科学史家
「『ヘラクレス』を継ぐ者- ピエール・ガッサンディによるケプラー受容」『哲学・科学史論叢』第10号(2008): 147-173
"The German Hercules's Heir: Pierre Gassendi's Reception of Keplerian Ideas," Journal of the History of Ideas 70 (2009): 69-91.
"Eclecticism as Seneca's Heritage: Evil and the Cosmic Cycle in Justus Lipsius," in Justus Lipsius and Natural Philosophy, ed. Hiro Hirai (Brussels, Royal Academy of Belgium, forthcoming).
「セネカと折衷主義:ユストゥス・リプシウスにおける悪と世界周期」『哲学(日本哲学会編)』第60号(2009): 185-200
"Creation, Trinity and prisca theologia in Julius Caesar Scaliger," Journal of Warburg and Courtauld Institutes, forthcoming.
小澤実氏:中世史家
小澤実・薩摩秀登・林邦夫『ヨーロッパの中世3 辺境のダイナミズム』(岩波書店、2009年3月)
「北欧中世史研究の道具箱」『クリオ』17、2003年5月、57-74
「エーリク勝利王と紀元千年直前のバルト海世界」『史学雑誌』113(7)、2004年7月、1-36
「コンテクストの中のルーン 書評:T. Spurkland, Norwegian Runes and Runic Inscriptions. Woodbridge: Boydell & Brewer 2005, ix+206 p.」『北欧史研究』23、2006年7月、91-99
「From Runic Stone to Charter: Transformation of property confirmation in 11th and 12th century Denmark(ルーン石碑から国王証書へ 11・12世紀デンマークにおける土地所有確認の変容」佐藤彰一(編)『ピエール・トゥベール教授招聘事業報告書』2007年、3-17早めに昼食をとり、駒場へ。12時前に着きました。人が多いな、と思ったら、留学生試験を行っていました。中国語の渦。
図書館の地下で次のコピーをとりました。
John A. Norris, "The Mineral Exhalation Theory of Metallogenesis in Pre-Modern Mineral Science," Ambix, 53(2006): 43-65
John A. Norris, "Early Theoris of Aqueous Mineral Exhalation Genesis in the Sixteenth Century," Ambix, 54(2007): 69-86
Steven Shapin, "Who was Robert Hooke?," in Michael Hunter and Simon Schaffer (eds.), Robert Hooke: New Studies, Woodbridge: The Boyldell Press, 1989, pp.253-286
Lynn Thorndike, A history of magic and experimental science, 8 v., 1923-1958, Vol.3, passim.
書庫を出た瞬間、山田さんと出会い、次の本を借りました。
Gary D. Rosenberg (ed.),
The Revolution in Geology from the Renaissance to the Enlightenment,
Geological Society of America, 2009この書物からは、次の2点の論文をコピーしました。
William R. Newman, "Geochemical concepts in Isaac Newton's early alchemy," pp.41-50
Joaquín Pérez Melero, "From alchemy to science: The Scientific Revolution and Enlightenment in Spanish American mining and metallurgy," pp.51-62
山田さん自身の論文もあります。2006年にフィラデルフィアで開催されたステノ・シンポジウムの論集だということです。
(山田さんの下の論文は、前にもらっています。)
Toshihiro Yamada, "Hooke-Steno relations reconsidered: Reassessing the roles of Ole Borch and Robert Boyle," pp.107-126図書館作業が終わって、2時半。外から見える方もいるかと思い、建物の正面にすわって、コピーの整理をしていました。しばらくすると、坂本氏が建物から出てきて、桑木野氏は突然風邪でダウンして、実家から出られない(出たけれども、駅に行って、実家に戻った)という連絡を受けました。長旅の疲れか、インフルエンザに感染したか、ともかく病気であれば仕方がありません。
参加者は7名。打ち解けて、ゆっくり話すにはちょうどよい人数です。
桑木野氏の突然の病欠はありましたが、会合は会合なので、ほぼ予定通り進めました。なんと、桑木野氏の読み原稿を小澤氏が代読してくれました。その後、ディスカッション。論文の出来ではなく、記憶のあり方について何点か疑問が出されました。
坂本氏と小澤氏の発表は、予定とおり。
6時5分に終了しました。5人で渋谷に繰り出しました。駅前の天狗。久しぶりです。20年ぶりぐらいでしょうか。
いろいろ興味深い話を聞いて、9時前に散会。桑木野博士は、残念でした。十分静養して、次の長旅に備えて下さい。
坂本さん、小澤さん、発表ありがとうございました。
また、桑木野博士の発表を聞くためにわざわざ足を運んでくれたSWさん、ありがとうございます。
山田さん、出席と本の貸与、ありがとうございます。
ひとりで7時10分。昨夜遅かったちびどもはよく寝ています。曇り。おおきいちびが階下に降りてきたのが、7時45分。ちいさいちびは、その3分後。
晴れてきました。
子どもたち3人揃って、今日は午後歯医者さん。妻が1時15分に3人を連れていってくれました。おおきいちびは治療、あと二人は検診です。日射しがあった暖かい日なので、近所の公園で遊んでから帰ってきました。とくに問題はないということです。
ひとりで5時40分。就寝した時間からすると早すぎです。人声で目覚めました。裏のお隣さんです。ちびどもは6時40分ぐらいにふたりそろって起きてきました。子どもの起床にはちょうどよい時刻でしょう。さすがにそのぐらいの時間になると、外は明るさを増しています。[涙目で片づける]
本格的な執筆活動に入りました。と思ったら、8年のつけを支払うこととなりました。ほったらかしていた部屋の片づけをきちんとしないと、進めない箇所にすぐにさしかかりました。ほとんど、涙目で一個ずつ片づけを進めました。
8~9割方、(終わったわけではありませんが)目処はつきました。目処というのは、資料の所在の目処です。どこにあるのかわからないと永遠に捜していないといけません。所在がわかったひとつは、アグリコラです。『デ・レ・メタリカ』の邦訳は一部コピーをした記憶があります。それを探し出しました。解説部分は、1冊に綴じていました。本文は、一部を2穴式ファイルバインダーにただただ綴じ込んでいました。このやり方は臨時の対応として綴じ込んだまま、ちゃんと整理するのを忘れたものです。臨時の対応で終わったものが非常に数多くあり、そのため、泣きながら作業するはめになったわけです。
おねえちゃんは、二人揃って、6時~8時で、シュークリームを作る教室に行きます。こうしたものつくりは、ちいさいちびが大好きです。おもちゃも2種類買っています。駅前の(実はけっこう有名な)ケーキ屋さんがこうしたケーキ作り教室を行っています。声をかけてくれる人がいて、二人で参加することとなったものです。
ふだん、この時間帯に子どもたちが外にいることはありません。妻が送り迎えをしました。その間、私は幼稚園児の相手。ありがたいことに、Wii で遊んでいてくれました。Mii の仲間を増やすことと、ジョギング&自転車が気に入っています。ちびどもは、予定よりすこし遅れて、帰ってきました。それぞれシュークリームを6個ずつ持ってきています。クリームそのものは先生が作ったということで、なかなかよく出来ています。さっそく3人揃ってぱくぱく食べていました。幼稚園児は、クリームがおいしいとクリームだけ食べました。
子どもたちの就寝は、いつもより30分以上遅くなりました。
[片づけの成果]
涙目になりつつも、片づけを強行していると、いいこともあります。作業を途中で放棄していたことに出会い、忘れかけていた仕事を甦らせることができます。そのひとつが、11月4日付でグーグルからダウンロードして次の書物に関してです。De Boodt, Anselmus
Gemmarum et lapidum historia
3rd edition, Leiden, 1647
In this 3rd edition, the following works were added.
Ioannis de Laet, Antvverpiani, De gemmis & lapidibus libri II
and
Theophrasti liber De lapidibus発掘で出てきたのは、2006年11月23日ロンドンのウェルカム図書館で行った作業のノートです。出発点としては、新しいボイル著作集に付された編者注があります。ボイルは、De Boodt, Gemmarum et lapidum historia の第3版(Leiden, 1647) に付された De Laet, De gemmis & lapidibus libri IIを利用したのであろうという推測が記されています。
まず、この種の書物の場合、書誌学的な記述が重要となります。書物の状態記述は次の通りです。(University College London のものを引用します。)
6, 576, [22] p., 2 f, [60], 210, [6] p. : il., fold. tables ; 19 cm.
De Boodt, Gemmarum et lapidum historiaが最初の576Pp を占めることは容易に推測できますが、De Laet とテオフラストスがどのように採録されたかは、これだけではわかりません。
グーグルでダウンロードしたpdf をじっくりとみてみました。
最初は予想通りでした。617th pdf page までDe Boodtです。それから、De Laet ですが、表紙(挿入されたタイトルページ)に次のようにあります。
Ioannis de Laet, Antvverpiani, De gemmis & lapidibus libri II. Quibus praemittitur Theophrasti liber De lapidibus Graece & Latine cum brevibus Annotationibus.つまり、Ioannis de Laetの本文の前に、テオフラストスの『石について』をギリシャ語とラテン語でおいているということです。実際、634th pdf page から681st pdf page までは、ノンブルなしのテオフラストスです。そして、682nd pdf page からDe Laet のテキストが今度は新しいノンブルで始まります。210頁まで。そして、最後にノンブルなしで、6頁分のインデクスがついています。
こういうことは、現実の書物をみないとなかなかわかりません。わかってしまうと、もちろん、上記のphysical description も理解できます。ついでのことにグーグルからDe Laet の別の本もダウンロードしました。
Laet, Johannes De
Notae ad dissertationem Hugonis Grotii De origine gentium Americanarum...
Amsterdam, 1643
Laet, Johannes De
Mundo Nuevo, o, Descripción de las Indias Occidentales
1640ボイルは、『空気の隠れた質』において、正確なる記述者De Laet からメキシコのXilotopec の泉についてラテン語で引用しています。(Works, vol.8, p.140) そして、欄外注に、Amer.Liv.5. cap.7. と引用箇所を明示しています。
編者はこれを、Notae ad dissertationem Hugonis Grotii De origine gentium Americanarum(1643) からとしています。
これを確認することとしました。
しかし、ガリカからダウンロードしたばかりのこの書のどこを捜しても、該当個所が見あたりません。そもそも、この書には、Liv の表示も、cap.の表示もありません。
これは、この編者にありがちのゲスワークです。たぶん、違う著作をボイルは使っています。
まず、タイトルから。
De Laet には次の著作があります。
Novus orbis, seu, Descriptionis Indiae Occidentalis, libri XVIII (Leiden, 1633)
このタイトルには、アメリカという語は出現しませんが、Half-titleに"Joannis de Laet Americae utriusque descriptio." と著者名のすぐあとにアメリカという語が出現します。これは、この書の可能性が高い。
残念ながら、グーグルブックにこの著作(『東インドの記述』)のラテン語版はありませんが、上記の通り、スペイン語訳があります。
スペイン語訳をみてみました。書、章、表記です。しかも、該当の第5書第7章は、メキシコを扱っています。ほぼ最後の文章がボイルの引用しているパッセージに該当します。(スペイン語は読めるわけではありませんが、辞書は引けます。)(p.339)これで確定です。ボイルは、編者注とは違って、ラテン語版の『東インドの記述』(Leiden, 1633)から引用していたわけです。
かぞくほぼそろって7時前。幼稚園児だけすこし遅れました。昨日の朝の寒さが消えています。幼稚園児は、幼稚園に行く前にまたウィ。まだ文字が読めないのでつきあわされます。ジョギングにはいっしょに走れ。えー、朝からつかれるんですけど・・・。
子どもたちはかなりの時間ウィをやっています。効果はあります。よく食べるようになっています。幼稚園児は夜バナナを1本半食べました。これまで、そもそも1本を食べきることがなかったので驚きです。ちいさいちびは、焼き芋をまるで「ジャガバター」のように食べていました。おおきいちびはちいさいころからよく食べましたが、ちいさいちびは2年生になってから、明らかによく食べるようになっています。顔は伸びてほっそりしてきましたが、体つきはすこし丸みを帯びてきました。もうすこしでほぼ平均・標準体型です。
上記のミニシンポの講演者の一人、坂本氏に桑木野氏の思想論文を送ってもらいました。家族と外出する以外はほとんど外に出ていなかったので、『思想』そのものに接する機会がありませんでした。(というか、坂本氏に頼めばゲットできるだろうと安直に考えていたせいもあります。)
非常によく書けています。桑木野博士は、建築畑出身ですから、論考のピークを記憶術と建築(現実のものも、想像上のものも)の交差する情報空間にもってきていますが、それこそ純粋にテキスト・文字だけを追いかけている人文学徒にとっても実は意味ある論点が詰まっています。
そして、私自身は、そちらに関心があり、2006年5月白山でのシンポジウム(「近代における知とその方法:宮廷,サロン,コレクション」)では、桑木野氏といっしょにパネリストをつとめました。
おそらくここ10年間くらいのこの分野に関する集中的勉強・研究の成果の見事な結晶と言ってよいでしょう。
是非、一読、二読、三読を!
夜半に目覚めてすこし仕事。今日はやっと通常のこの時期の気温に戻るようです。一昨日と昨日は寒すぎです。11月4日、2回目の起床は7時前。幼稚園児がよく咳をしています。おしめに替えるのをわすれて、朝方もらし、おしりまわりが冷えたせいだったことが判明しました。それはさむかろう。
朝はまだ寒い。
ウィは大人気です。大人は子どもがいない時間帯にしか触ることができません。しかし、なんたることか、幼稚園児は12時過ぎ、ちびどもは1時半過ぎに帰宅します。
私は昼食前に30分ほど試してみました。
ヨガは、効果があることがすぐにわかります。ほんのすこしやってみるだけで、ふだん使わない筋肉が動き、長くやっていると疲れや軽い痛みを感じるようになります。あ、こんなところに筋肉があったんだという自分の身体に関する発見です。
ゲーム系もすこしやってみました。なかなかへたくそです。夕食後は、子どもたち3人がかわりばんこでやっていました。幼稚園児ですが、一生懸命になりすぎて、おしっこが間に合いませんでした。便器のところまでは辿り着いたのですが、ズボンを降ろすのが間に合いませんでした。トイレから、おしっこ、もれた、の叫び声。嗚呼!
妻が疲れる理由がこういうときによくわかります。夕食後、リラックスしているときに、こういう事件があります。重くなった腰を上げ、頭を抱えながら、後かたづけ。100%元気なときでも、心理的な負担は残ります。幼稚園児のおしっこにはじまり、おしっこに終わった一日でした。
ウェブで検索をかけていて、次の2点の論文にヒットしました。
Somnath Ghosh,
"Development of Proto-chemistry in the Greco-Arabic-European World and, in East and South-East Asia: A Comparative Analysis"
ダウンロードしたファイルには、掲載誌の情報はありません。著者は、西ベンガルの大学で化学と化学史を教えているそうです。伊東俊太郎流の壮大な比較文明論に近い内容です。Pabst, Willi and Renata Koranova
"Prehistory of Clay Mineralogy - From Ancient Times to Agricola," Acta Geodyn. Geomater, Vol.6(2009): 87-100
チェコ人のようです。チェコ語の文献とドイツ語文献を中心的には使っています。アグリコラのチェコ語訳があることをはじめて知りました。(あることがわかると、あっても当然という気がしてきますが、存在を知らないときには、存在を想像もしなかった。)クレイですから、もちろん、(陶磁器の材料の)粘土を扱っています。古い時代における陶器(土器)の重要性を考えれば、このテーマはありですが、そういえばあまり扱われていなかったな、と気付きます。取り上げられているテキストは、アリストテレス(もちろん、『気象学』)、テオフラストス、カトーとコルメラ、ストラボン、ディオスコリデス、ガレノス、ウィトルウィウス、プリニウス、アグリコラです。
パブスト(?)さんたちの主張の中心は、鉱物学のシステムのなかに「土」を含めたのは、アグリコラの独創ではなく、セヴィリアのイシドールが最初である、ということです。実は、私にはけっこう有用な論文でした。アグリコラが何を読んだのかを探究しています。著者たちは、直接的証拠はないものの、内容の類似度において、アグリコラはイシドールを(直接的にか間接的にか)利用したと結論付けています。可能性はあると思います。ただし、いかんせん、証拠が少ない。
Aristotle,(384-322 B.C.)
MeteorologyTheophrastus, (372-287 B.C.)
De lapidibusVitruvius, (1 st century B.C.)
De architecture
Written after 27 B.C.Dioscorides, (40-90 A.D.)
De materia medica
Written about 77 A.D.Pliny, (23-79 A.D.)
Naturalis Historia
Written before 77 A.D.Isidore of Seville (Isidorus Hispalensis, 560-636)
Etymologiae
Written between 621-636
First printed edition, Augsburg: Zainer, 1472 16th book is entitled De lapidibus et metallis.Agricola
De natural fossilium
1546ということで、今一度グーグルブックを見てみました。次のものを新たにダウンロードしました。
Bacci, Andrea ,
de gemmis et Lapidibus pretiosis tractatus
Frankfurt ,1603Gesner, Konrad (ed)
De omni rerum fossilium genere, gemmis, lapidibus, metallis...
1565Gesner, Konrad (ed)
De omni rerum fossilium genere, gemmis, lapidibus, metallis...
1566De Boodt, Anselmus
Gemmarum et lapidum historia
Leiden, 1636De Boodt, Anselmus
Gemmarum et lapidum historia
3rd edition, Leiden, 1647
In this 3rd edition, the following works were added.
Ioannis de Laet, Antvverpiani, De gemmis & lapidibus libri II
and
Theophrasti liber De lapidibus09.11.6
私にとってとくに有用だったのは、次のアグリコラからの引用です。"Pliny gives credit openly and frankly to those whose writings he uses and likewise I shall give credit by name to those whom I quote." (p.92)
しかし、著者達は、この英文をどこから引用したのか示していません。前後の内容から『発掘物の本性』であろうことは推測できます。グーグルで検索をしてみました。英訳がファーロングのサイトにあり、そこにただちに行き着きました。
両バンディ氏による1955年の英訳からでした。この英訳はもっています。部屋中を家捜しして、見つけました。p.2 の下側(最後のセンテンス)です。
そして、確かに、アグリコラは、プリニウスに倣って、巻末に著作において利用した著者の名前を列挙しています。アエリウス・ランプリディウスから始まり、アルベルトゥス、アリストテレス、アヴェロエス、アヴィセンナ、プリニウス、コルメラ、『石について』を著したデモクリトス、ディオスコリデス、ガレノス、ヒッポクラテス、プルタルコス、テオフラストス、ウィトルウィウス、ゾロアスターの名前が挙がっています。(全部で、2段組でちょうど1頁分に収まる量です。)プリニウス自身の言葉は、邦訳を使えば、次です。「誰の助けによって仕事をなすことができたかを告白することは、寛大なことでもあるしまた高貴な謙遜を示すことでもある。」(序文21)
この序文は、私の論文「ロバート・ボイルの読書/引用/執筆―ボイルのマージナリアの分析」『東京外国語大学論集』第68号(2004)において冒頭に掲げたものです。論文執筆時にアグリコラのこのセンテンスを知っていたら、当然、論文中で言及したはずのものです。09.11.8
家捜ししていたら、プリニウスの邦訳の一部コピーが出てきました。序21から22は、次のように訳されています。
「わたくしが、作品の冒頭に、利用した権威者の名前の表を載せていることをご覧になれば、それがわたくしの道義心の証しであることがおわかりいただけるでしょう。わたくしがそうしたのは、自分の業績の手段となった人々のことをすっかり公表することは寛大な態度であり、また高潔な謙遜を示すものだと思うからであります。わたくしが参照しましたほとんどの著者がそうしていないので、わたくしは彼らのようにはすまいと思ったのであります。種々の権威のある書物を対照しているうちに、公然と信頼されている現代の著述家たちのほとんどが、謝辞を述べることもなく、古い著述家たちの一語一語を写しているのを発見しましたが、貴方はこのことをお知りにならなければなりません。・・・
確かにこのようなことは、借金を返すよりも窃盗の現行犯で逮捕される方がよいというさもしい不毛な精神を現わしています。」(邦訳,p.7)09.11.10
さらに、アグリコラの序文は、関心と知識の状況を明らかにしてくれます。
「事物の起源、原因、本性を扱う哲学は、聡明なる王子よ、多くの部分に分けられ、非常に難解な事柄を説明しなければなりません。たとえば、それは、神性や神の実在から始まり、天、星星、元素、こうした事物の間の原因、と相互関係、大気の変化、生命体や地下の事物とその起源といったぐあいです。・・・
しかし、我々の関心の中心である地下の事物は、それを主題として扱われることはありませんでした。
我々はすでに地下の事物の起源と原因について考察しています。それらの一部は、土から流出し、他の部分は、掘り出されます。前者の本性について私は前の論考で論じました。次の十書において我々は、地中から掘り出されるものの特徴、物理的形態と有用な性質を論じよう。第1書では、あらゆる鉱物の特徴とその起源を考察する。第2書では、土を扱う。第3書では、凝結汁を、第4書では、凝結汁、琥珀、瀝青から構成される石を扱う。第5書は石を、第6書は宝石類を、第7書は大理石と岩石を、第8書は金属を、第9書は金属質の物体を、そして第10書は混交物と混成物を取り上げよう。
ギリシャ人は、あらやる鉱物体の起源を論じたが、誰もその本性を論じなかった。同様に、医師と農業を論じる著述家は、彼らの分野に関係する土だけを論じ、その他のものを論じなかった。医師は、凝結汁について著述し、テオフラストスは、塩、ソーダ、明礬について1書を著したが現存しない。」(p.1)
「プリニウスだけが、その著作の最後の5書とその他の部分で、鉱物をまとまった長さで論じた。」
→鉱物や金属の起源を論じるのは、ひとつの知的伝統としてあった、ことがこの記述からも伺える。それに反して、アゴリコラの表現では鉱物や金属の本性、言い換えれば、鉱物や金属の分類とそれぞれの種の特徴を正確に記述することはおろそかにされてきた、という趣旨でしょう。スイギン一元論(Geberian theory of "mercury alone")
Newman, The Summa perfectionis of Pseud-Geber, pp.204-208
The "Mercury Alone" Theory
Thorndike, HMES, III, p.58
「スイギンは金属の医薬であり、外的あるいは通常の硫黄はその不完全性の原因である。スイギンのみが金属の完成であり、イオウをそのなかに含む。これが14世紀、15世紀に流行した変成理論、すなわち、金と銀は、―反応を進行させるためにわずかの金や銀を使用するが―、スイギンのみから人工的につくられる、そして他の方法ではつくられえないとする理論であった。そして、ソーンダイクは、John Dastin, ペトルス・ボヌス、Nicolaus de Comitibus, Bernardus Trevierensisの名前を挙げている。
ニューマンの主張は、スイギン一元説は、ソーンダイクのいうように『賢者の薔薇園』にオリジナルな説ではなく、偽ゲーベルの『完成大全』に起源をもつ、ということです。スイギンがとりわけ金属の質料(材料)であると『完成大全』は明白に述べている。イオウは、金属の組成に役割を持つがそれは主として不純物としてである。そして、実に、スイギンそのもののなかにも不純物としてその合成の最初のときに密閉されている。金においてのみ、イオウはポジティブに働く。非常に精妙なイオウがその本性から変質し、金に黄色を与える。→09.11.9 これは、やはり、ソーンダイクも読むべきでしょう。
p.160 「ヴィラノヴァのアーノルドと同じく、ボヌスもスイギンが賢者の石の唯一の質料因であり実質(whole material cause and substance) だと主張した。それ以前の錬金術文献の常套句では、スイギンが質料であり、イオウが賢者の石を形成する作因であった。この点を彼は次のように説明する。水銀のなかにはもっとも内密で精妙なイオウがあり、これがその白さを与えるが、錬金術の過程においては、それは金のような赤色を与える。他の金属の多様性は、スイギンに混じるイオウの混合率に由来する。イオウは、金属の不完全性の原因である。金においてのみ、スイギンは完全にイオウを取り去られている。(Zetzner, V, 509)」
p.184 「オルタヌスは、スイギンは本性的にそのなかにイオウを含む故に、エリクシルはイオウを付加することなくスイギンのみからつくられるとする14世紀に流行した説をよく知っていた。」
p.185 「オルタヌスは、当時流行していたスイギンのみ理論 mercury-alone doctrine に決然と反対した。」p.624 「ベルナルドの返答における中心的アイディは、アーノルドの『ロザリウス』による。金は、動物的、植物的あるいはその他の物質によってではなく、また水によってでも、劣った鉱物によるのでも、あるいは占星術的影響によるのでも、さらにイオウとスイギンの混合あるいは相互作用によるのでもなく、ただスイギンだけによってつくられる。ただし、そのプロセスは、わずかの金をスイギンに混ぜることで速められる。」
ひとりで6時。朝新聞を取るために玄関を開けると、自転車が倒れていました。夜も強い風が吹いたようです。木枯らし1号が一気に冬を運んでくるのでしょうか。おお、今日も寒い。天気予報では、12月上旬の寒気と言っていました。
妻は疲れていますが、ちびどもは昨日の遠出の疲れをまったく感じさせません。
[ボイル・プロジェクト最終段階]
昨日、マイケルからメールがありました。マイケルと私とブルガリア科学アカデミーのボイル研究者の3人で行っていた共同研究ですが、最終段階に進みたいということです。いろいろ事情があり、当初の予定より1年ちょい遅れたことになりますが、あとは時間の問題です。ギャスケルさんが最後の面倒を見てくれるということです。マイケルから、マイケルとギャスケルさんとの間のやりとりのメールを転送してもらいましたが、非常に的確なやりとりがなされていました。
ギャスケルさんは安心して任せられる人です。
私の方は、自分の研究の方向に戻ります。[Wii Day]
妻も私も肩凝りがひどい。もうすこししっかりと毎日運動をした方がよい。人気の機械の助けを借りることとしました。ちびどもの希望とも一致したWii本体とWii Fit Plus を買い出しに行くこととしました。寒い日なので、一番暖かい時間帯に子どもたち3人を連れて、吉祥寺のヨドバシに行きました。
幼稚園児をヨドバシで遊ばせると大変なので、ヨドバシに着くとカウンターに直行して、Wii本体、Wii Fit Plus 、リモコンをもうひとつと欲しいものを口頭で伝えました。おおきいちびがぬんちゃくがもうひとつ絶対に必要だと言うので、それも追加しました。電池セットは強く推奨されましたが、財布と相談して、それはまた考えることとしました。ポイントを使って、合計33,636円。おお、今月はこれで、給料日まで私の使えるお金がほぼ消失しました。ちょうどよい、執筆に専念します。
帰宅してすぐに取り付け。わが家のテレビの設置状況が最大の問題です。ともかくまずは動かしてみたい。テレビ側の赤・白・黄色の端子はすでに満杯です。諦めて手前のものを引き抜き、その空いた場所へWii本体の端子を接続しました。
全員のmii を作成し、基本的なプロファイルを作成しました。左右のバランスを調べるソフトがいきなり起動したときにはすこし緊張しました。テストをうける気分になったものです。私の結果は、年齢通りの51歳。自分の感覚では、かなりひどい、だったのですが、ちょうど年齢通りとなりました。つまり、51歳というのは平均的にはみんなこれほどひどいということになります。私の運動能力は、バランス感覚と柔軟性と俊敏性に依拠していました。そのメリットがほぼそろって消失したことになります。嗚呼!
子どもたちですが、幼稚園児と2年生は、二十歳前後の数字が出ました。単純にまだ指示通りに動くのが難しい。おおきいちびはプラス2歳の結果。妻だけマイナス5歳の数字です。その後は、順番と回数でもめながらいろいろやっています。
このソフトは、こうやって遊ぶためのソフトのようです。
妻の目的はヨガです。私の目的は(ヨガも可能であればやってみたいのですが)単純に身体運動です。今の凝りを解きほぐさないことには、日常生活にも支障を来す恐れがあります。10月のはじめよりはましになっていますが、せめて手をまっすぐ伸ばせるところまでは回復させたい。
今肩の運動をすると、幼稚園児にこうやるんだよ、と指導されてしまいます。指導されても子どもたちのように身体は動きません。→実はテレビとの接続は、もうすこし苦労しました。実は Wiiをつけるために抜いてしまった接続端子は、J-COMのものでした。これは、幼稚園児のためには絶対必要です。ミッキーをみている間はおとなしくしてくれます。
ちびどもが風呂に入っている間に、妻に手伝ってもらって、すくなくともJ-COMとWii は映るようにしたかったのですが、なかなかうまくいかない。
うーんと考えて、そういえば、VHSビデオプレーヤは、分配機でつないでいることを思い出しました。分配機のポートがひとつ空いています。そこにつなげば、今あるすべてを生かしつつ、Wii も使えるようになるのでは、と気付きました。この接続は、今空いているポートに繋げるので簡単です。OK. うまくいきました。
テレビの端子から言えば、J-COM、VHSビデオプレーヤ、Wii は同じ端子に繋がっていることになります。それを分配機で切り替えます。左がVHSビデオプレーヤ、真ん中がJ-COM、右がWiiです。
私自身風呂上がりなのに、汗をかきながら作業を完了。ふー。妻は、パパがいつまでこうした作業ができるのか心配と言っていましたが、私も心配です。子どもたちの誰かに得意になってもらうしかありません。
幼稚園児に遅れて、7時半。昨日よく動いた幼稚園児は、予想に反して、いつもより早く目覚めました。[ディズニーでは、ただただ並ぶ]
妻の体調、子どもたちの状況を見て、今日、ディズニーランドに連れていくこととしました。予報では寒くて曇り。俄雨が心配される、とあります。しっかりと服を着て、10時過ぎに出かけました。東西線を使いました。東西線のメリットは乗換なしで行けることです。
入り口は割と空いていました。しかし、なかには大勢の人。平日なので、すこしは空いているかという期待は見事に裏切られました。子どもたちの希望のモンスターズ・インクは200分待ちの表示! げーげー。無理です。ということで場所を移動して、白雪姫。40分待ちの表示。200分の表示を見た後には、短く感じます。子どもたちはポップコーンの入れ物を持ってきています。(3つ分)。しかし、ポップコーンも2週回っています。妻がポッポコーン係、私が子どもたちをトロッコに乗せる係と役割分担。
その後、湖の畔にベンチを見つけて昼食。駅前でおにぎりとお肉を買ってきていました。途中でママがお手洗い。全然帰ってきません。お手洗いがすごく混んでいたということです。ついで、ちいさいちびがおしっこに行きたいと言います。私が連れていきました。女性トイレにはあまりにも長い列。車椅子優先のトイレに並ばせてもらいました。それでも数人。感覚的にはもどるまでに15分かかった気がします。
食事が済んでから、別の場所へ。リトルワールドに行ってみましたが、閉鎖中(閉鎖中の場所はけっこうありました)。仕方がないので、ピーターパン。110分の表示。今日はどこへ行っても並ぶことになるでしょう。諦めて並びました。
そうこうするうちに、ちいさいちびがおしっこと言います。何がどうというのはわからないのですが、2年生の途中からちいさいちびは頻尿症です。へたをすると30分おきにトイレに行きたがります。先ほどの女性トイレの列があるので、私が連れて出ました。やはり長蛇の列。男性トイレは比較的空いています。2~3人待てば個室を使えます。女の子を連れてきているお父さんの姿はけっこう目立ちました。数分で終了。列に並ぶと15分以上はかかる感じでした。
戻ってしばらくは大丈夫でしたが、一度出るともうもとの位置に戻るのが難しいというところでちいさいちびがまたおしっこといいます。しばらくがまんしなさいと言うと、涙を流しています。仕方がないので、係のおねえさんに相談すると、いいですよといってお手洗いに連れていってくれました。なんとか間に合うように戻って来られました。その後は、カート。並んでいる途中で俄雨が降り始めましたが、10分もしないうちに上がりました。カートに並んでいる間に、たぶん2回、ちいさいちびをトイレに連れていきました。レストランのなかのトイレに行きましたが、女性トイレにはやはり30名以上の列。やはり男性トイレに連れていきました。3つの個室があり、3人並んでいます。並んでいる8割以上は、私と同じ事情のお父さん。
レストランもひとつの窓口に10人以上並んでいました。カートが終わって4時。幼稚園児がどうしてもバズに並びたいといいます。2時間半ということです。ベビーカーは入り口に預けるのですが、途中から取り戻して、幼稚園児を座らせました。私はひたすらトイレ係。3回か4回、トイレに連れていきました。日が沈んでからやっと入り口が近づいてきました。6時前。ゲームは、バズライトイヤーのスターコマンドが敵のザーグを電子銃で撃って、得点を競うものです。
なかに入ると瞬時に終わります。
外に出て、6時過ぎ。まっすぐ帰ることとしました。ちびどもはお土産を買いたかったようですが、説得して、すぐに場外へ。電車に乗り込んで、6時50分。電車に乗る前に泣いて座り込んだ幼稚園児が電車に乗るとすぐにママの膝の上で寝てしまいました。すごい汗。この子は寝入りばな、玉のような汗を出します。電車のなかは暖房が入っていて、暑かったのでしょう。
西荻窪について、7時半過ぎ。とても抱っこしたまま帰ることはできない、ということで妻とちびどもはタクシーで帰りました。私は荷物をベビーカーに乗せて、駅前のコンビニで簡単な夕食の買い物をして帰宅。帰ると、自転車が2台倒れていました。強風のせいです。まず、自転車をなおしてから、自宅に入りました。幼稚園児はぼけてはいましたが、目覚めています。毛布にくるまったソファーに座っていました。
ちびどものためには買ってきた焼きそばをチーンして、大人のためには、急いでインスタントラーメンを2食分作りました。焼きそばが子どもの舌に合わず、ちびどももラーメンを分けて食べました。
ちいさいちびが風呂に入って、9時。
ちびどもは、ディズニーに行った気がしないと言っていました。ほとんどの時間並んでいただけなので、当然の感想かもしれません。
ひとりで4時50分。とうとう11月。さて、子どもたちは、日、月、火と休みになります。月曜日は、学校開放(授業参観)日の振替休日です。学校参観に見られる側として参加したのはおおきいちびだけですが、ちいさいちびは学級閉鎖なので致し方なし。幼稚園児は、もちろん、関係ないのですが、風邪を完治させるためにたぶん休ませることとなるでしょう。
休みが続くと(子どもたちは喜んでいますが)親の立場からすると大変です。3日ありますから、少なくとも1日はどこかに連れ出すことになるでしょう。しかし、インフルエンザの流行を考えると、室内で人の混んでいるところ、とくに子どもの多い場所は避けなければなりません。特別研修期間がスタートして、1ヶ月が経ちました。まずは何よりも片づけと整理と思ったのですが、まだ机まわりの整理も完了していません。昨日のダイム論文のように読み必要があるものが出てきた場合には、読むということをしているせいです。ただ読むだけなら、それほど時間を取らないのですが、研究上は、ノートを取らなくては意味がない。ノートを取ると、半日ぐらいの時間をとることは稀ではない。
連休期間中、天気がよく暖かいのは今日だけの模様。ちいさいちびは、金・土と一歩も外に出ていません。親の運動も兼ねて、公園に連れていくこととしました。急いでおにぎりをつくって、井の頭公園の運動場へ。動物園よりすこし先に、芝生の大きなグラウンドたあります。
着いて、11時半。すぐにレジャーシートを敷き、お昼ご飯。幼稚園児は、家をでる前にすこし食べました。ひとりで走り出しました。
上の子たちも昼食後、グラウンドのコースを走り始めました。おおきいちびはさすがにしっかり走ります。おねえちゃんに負けないようにと、ちいさいちびもどうにか走っています。
日射しがあって、暑いぐらいでした。幼稚園児はすぐに汗まみれになったので、下着だけにさせました。
そうこうするうちに、いきなり、強風が吹いてきました。私が乗っていないとレジャーシートが吹き飛ばされるぐらいの強い風です。気温が高いので、大丈夫ですが、気温が低いと風邪の心配をしなければならないほどの風でした。
私も肩の運動をしながら、コースを1週。
最後は、カマキリを見つけて、3人で遊んでいました。
3時間程度で帰宅。
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