ひとり遅れて8時。2月の最終日は、冷たい雨が降っています。本格的に片づけに着手しました。食卓のまわりに避難してあった資料の整理に取りかかりました。そのための紙(製本表紙)、製本テープ、それに普通のリングファイルがもうすこし必要です。子どもたちは、ずっと家のなかにいると、スーパーマリオブラザーズばかりやっています。昼食後、文房具をすこし買ってやるということで、上の二人は外に連れ出しました。幼稚園児は家に残るというので、3人ででかけました。ちびどもの要望も聞いて、新宿の高島屋。ちびどもは9階のお店、私は11階のユザワヤ。私個人の用件はすぐにすみました。ちびどもは、結局ユザワヤでずいぶん迷って自分のものを選んでいました。シールと鉛筆を買ったようです。外はかなり寒く、高島屋のなかは乾燥していて暑く、喉が渇きました。5階で水を買ってから、帰途へ。西荻窪の駅には、3時3分に着きました。
帰宅すると次の本がアマゾンから届いていました。
大黒 俊二
『声と文字 (ヨーロッパの中世 第6巻)』
岩波書店、2010.2.25
これでこのシリーズ全8巻の完結です。[Alsted]
片づけを行っていて、グーグルに次のアルシュテットがあることがわかり、ダウンロードしておきました。Alsted, Johann Heinrich
Ioan. Henrici Alstedii Scientiarum omnium Encyclopaediae
Tomus Primus et Secundus, 1649Alsted, Johann Heinrich
Physica harmonica
1616このPhysica harmonicaは、なかなか面白い。フルタイトルをとると、次のようになります。
Physica harmonica, Quatuor Libellis Methodice Proponens
I. Physicam Mosaisam.
II. Physicam Hebraeorum.
III. Physicam Peripateticam.
IV. Physicam Chemicam.[Analysis]
書類を整理していると、ファイルに綴じているサバドバリーの『分析化学の歴史』(内田老鶴圃)が出てきました。前にも読んだのですが、関係するところを読み直しました。p.60 にボイルが今日の意味での analysis 分析という用語をはじめて使ったとあります。指摘されてみると、たしかに、この時代の化学者は一般的に今の化学的分析に、analysis という語はあまり使っていません。
さて、ボイルが使っているかどうかを調べるのは比較的簡単です。サバドバリーも引用する "An Experiment about the Chymical Analysis of Pearls" という部分がボイルにあります。他にも何カ所かでボイルは "Chymical Analysis" というフレイズを使っています。つまり、ボイルが(化学)分析の意味で、analysis を使っていることは簡単に確認できました。難しいのは、ボイルが最初であるという部分の確認です。これは直ちにはできないことなので、すこし気にかけておいて、調べてみます。(100%確実だと言えるためには相当調べないといけませんが、ある程度の目処をつけることはたぶんできます。)ささいなことですが、その次のページに(たぶん訳者によると推定される)ボイルの小伝がついています。「彼は考えられ得る最良の教育を受けることができ」という表現があります。単純に訳者の作文です。貴族の子弟として標準的な教育は受けていますが、最良かどうかを判断する材料は残されていません。また、「後に王立協会の会長となった。」という記述もあります。前に記したように、選挙で一度選ばれましたが、宣誓を拒否するがゆえに会長就任を拒否しています。日本語の百科辞典にはこの記述があるので、何かそうした邦語の2次資料または3次資料に依拠したものだと思われます。
ただし、サバドバリーのこの前後の記述には、分析化学の歴史という観点から重要な事柄が記されています。
グーグルブックで、N. Baily, An universal etymological English dictionary (London, 1675)というのがダウンロードできます。時代的にもぴったりなので、その記述を見てみましょう。
ANALYSIS: Resolution, the Art of Discovering the Truth or Falsehood, Possibility or Impossibility of a Proposition: The reducing of any Substance to its first Principles: Considering anything in Part.
ANALYSIS [in Anatomy]: an exact Division of all the Parts of a human body.
TO ANALYZE Bodies [among Chymists] is to dissolve them by Fire, in order to find out the several Parts of which they are composed.
1675年の辞書で、化学の分析の意味がちゃんと出ています。ボイルの用法をちゃんとピックアップしたのかもしれませんが、これはもうすこし広く使われていたことを示唆するように思われます。ただの推理ですが、ボイル以前にも用法はあったように思われます。(ともかく調べてみます。ボイルが最初でないことは、ボイル以前に一つ用例を見つければよいので、むしろ簡単です。)
ひとり遅れて7時20分。家の中にいても、屋根をたたく雨音がはっきり聞こえます。大雨というほどではありませんが、しっかりとした雨が降っています。お昼過ぎにアマゾンから『ミクロコスモス 初期近代精神史研究 第1集』が届きました。アマゾンでも動き始めたしるしです。
[『科学革命の百科辞典』]
せっかくなので、『科学革命の百科辞典』で関連する項目を拾っておきましょう。「宗教と自然哲学」は、561-567頁を占めます。執筆は、Chiara Giuntini. 文献としては次のものを挙げています。Brooke, John Henry. Science and Religion: Some Historical Perspectives. Cambridge: Cambridge University Press, 1991.
Burtt, Edwin A. The Metaphysical Foundations of Modern Physical Science. New York: Harcourt and Brace, 1932.
Cohen, I. Bernard, ed. Puritanism and the Rise of Modern Science: The Merton Thesis. New Brunswick, NJ: Rutgers University Press, 1990.
Dillenberger, John. Protestant Thought and Natural Science: A Historical Interpretation. Garden City, NY: Doubleday, 1960.
Funkenstein, Amos. Theology and the Scientific Imagination from the Middle Ages to the Seventeenth Century. Princeton, NJ: Princeton University Press, 1986.
Hooykaas, Reijer. Religion and the Rise of Modern Science. Edinburgh: Scottish Academic, 1972.
Lidberg, David C., and Ronald L. Numbers, eds. God and Nature: Historical Essays in the Encounter Between Christianity and Science. Berkeley and Los Angeles: University of California Press, 1986.
Richard S. Westfall. Science and Religion in Seventeenth-Century England. New Haven, CT: Yale University Press, 1958.
White, Andrew D. A History of the Warfare of Science with Theology in Christendom. 2 vols. New York: Appleton, 1896.
実は、今の私の問題関心にとっては、次の項目「分解と複合 Resolution and Composition」の方が重要です。執筆者は、David De Vidi.
ラテン語の術語 resolutio と compositio は、ギリシャ語の分析と総合 analysis and synthesis を意味する語の翻訳語として使われた。そしてそうしたものとして、多様な意味で使われた。そのなかでもっとも重要なのは、demonstrative regress 。
現象(事実)→原因 :分解と呼ばれた。原因は結果よりも単純だと想定されていたから。
原因→現象(reasoned fact): 複合(あるいは合成)ここは、他の意味もきちんと記述しないと、わからないと思います。数学の用法も記述する必要があるでしょう。
→スタンフォード大学の形而上学研究ラボに使いやすい辞書的記述があります。古代には、3つのソースがあった、1)古代ギリシャの幾何学、2)プラトンの対話編、3)アリストテレスの分析論。そして、ガレノスが医学の領域でそれ以前の方法論をアマルガムにしたこと、さらに、ネオプラトニストがプラトンの分割の方法を神学的に変容したことが事態をより複雑にした。
最近の研究では、トマス・アキナスの resolutio には、3つの観念がある。第1は、分類の序列で上から下への運動、すなわち類が種に分割されること。第2は、第1の逆行 regress。第3は、体系的な証明(総合)の前の問題解決。
ビュリダンのSummulae de Dialecticaにもっとも豊かで興味深い記述がある。
ルネサンスにおいては、ラムスとザバレッラが両極。ラムスの単一の方法(より一般的なものがより特殊のものの前にくる)(アリストテレス主義の文脈における分析を不要とする)。ザバレッラの方法は、アリストテレスの区別、事実を理解することと、どうしてそうなのかその理由を理解することに基づいている。methodus resolutiva (analysis)とmethodus compositiva (synthesis). ザバレッラは、数学における分析と総合をつかみ損ねている。
結論としては、現在に至るまで、混乱がある、とあります。まあ、その通りです。まあ、なんといっても、分析哲学の分析がありますから。
→数学史に関して、私はプロではありませんが、ぼんやりとした記憶はあります。ウェブに高橋秀裕氏の「ニュートンと幾何学的精神―エウクレイデス『ポリスマタ』の復元―」『数理解析研究所講究録』1257巻(2002): 48-63 があるので、そこからニュートンがパッポス(コマンディーノのラテン語訳)を引用する箇所を孫引きしておきましょう。
p.55 「総合と解析は、古代の幾何学者の学科と並んで、パッポスによって次のように定義されている。
「分解」(Resolutio)―すなわち、解析(Analysis)―とは求められていることから、あたかもそれが確かめたれているかのように見なし、[順々に]それから従うものを通して、合成(compositio)の結果として確かめられている事柄まで行く道(via)である。というのは、分解[解析]においては、我々は求められていることを成し遂げられているように仮定し、それが何から従ってくるかを調べ、そしてさらに、出てきたものの前のものを調べ、こうして遡行をおこない既に知られている事柄に我々が達するか、もしくは第1原理の状態を得るまでおこなって行く。そして、このような種類の手順を、逆向きの解法のようにとり、我々は分解[解析]と呼んでいるのである。
しかし、合成[―すなわち、総合(Synthesis)―]においては、分解において最後に残されたものを既になされているとし、そこからそこでは前提であったものを帰結とする自然の順序に従って、それらを互いに連結して、我々はついにもとめられているものの構成[作図]に到達する。そして、この方法は合成[総合]と呼ばれるのである。」
上の Resolutio et Compositio と共通性がないわけではありませんが、数学のディシプリンにおける用法として扱った方がよいでしょう。
この解析は、一応辞書的にも「結論が得られたものとして逆に推論を進め、仮定と結論との関係を分析する操作」と記述されています。おなじく辞書では、哲学・論理学の分析を「複雑な概念・命題等をその構成要素であるより基礎的でより単純な概念・命題等に解体・還元する哲学的方法」とあります。総合(Synthesis)の方は、「一般原理からの個々の事例の演繹的推論」とあります。
ひとり遅れて7時。わ、あ、いきなり、春真っ盛りに突入した暖かさです。今日はこの暖かさのまま、雨がやってくるようです。ちょうど女子フィギャースケートのハイライトの頃、雨が降り始めました。妻は雨のなか自転車で幼稚園に向かいました。
今日は、ちいさいちびのお友達が3人わが家に来て、遊んでいました。DSをやっています。幼稚園児はおねえちゃんたちの仲間入りしようと2階に上がりましたが、ほどなく降りてきて、おおきいちびといっしょにゲームオーバーをやっていました。理由は不明ですが、おおきいちびは帰ってきてずっといらいらしています。ゲームのやり方に関して、幼稚園児にやつあたり。幼稚園児はあんまり口答えせず、付き合っていましたが、5時過ぎに自分はリタイアし、ソファーに横になってテレビを見ていました。毛布にもぐったな、と思ったら、寝ていました。こういうところがまだ幼稚園児です。
しばらくしてから妻が着替えさせて、本来の布団に寝かせました。よく寝ています。
暖かくなったので、やっと片づけに着手しました。食卓の隣と廊下に荷物を出しています。妻には、新学期が始まるまでと釘をさされています。新学期が始まると途端に忙しくなるので、私の方もそれまでには何とかするつもりではいます。
今月は、ここでやっと200枚。さすがに来月はペースダウンすると思います。
ひとりで5時20分。最近では非常にはやい朝です。階下に降りると、居間の室温が16度。着実に暖かくなっています。ちいさいちびが帰宅したとき、半袖でした。外で遊ぶと相当に暑く感じるようです。私は、幼稚園児に付き合って、家の前に出ただけなので、外の様子はあまり体感できませんでしたが、春一番が吹いて、暖かくなったようです。午後床暖房をすべて切りましたが、夜10時現在室温はまだ20度を保っています。
[『1640から1700までの英国における哲学、科学、宗教』]
昨日の書物『1640から1700までの英国における哲学、科学、宗教』ですが、マイケル・ハンターの論文の直前が、マーガレット・オスラーによる「ロバート・ボイルの自然哲学の知的起源:ガッサンディの神学的主意主義とボイルの自然神学的プロジェクト」です。オスラーの主張は他で読んで知っているのですが、直接、ボイルとガッサンディを扱っているので読んでおくこととしました。Margaret J. Osler, "The intellectual sources of Robert Boyle's philosophy of nature: Gassendi's voluntarism, and Boyle's phyiso-theological project," in R. Kroll, R. Ashcraft, and Perez Zagorin (eds.), Philosophy, Science, and Religion in England, 1640-1700 (Cambridge: Cambridge University Press,1992), pp.178-198.
彼女の主張が明確に打ち出されています。内容的に間違っているとは言いませんが、今となっては古い歴史記述です。(マイケル・ハンターの仕事、ニューマンやプリンシーペの仕事、クレリクチオの仕事がまったく言及されていません。1992年の出版ですが、1980年代の仕事と位置づけるべきでしょう。図式が明確に提示されているので、読む価値はあります。)
たとえば、p.182 でチャールトンによるガッサンディの英訳に触れています。そして、「ボイルはガッサンディ自身の著作とチャールトンの翻訳に慣れ親しんでいた。ボイルの著作にはガッサンディに対する数多くの言及がいろんな箇所にある。言及の多くは、ガッサンディの科学的著作、とくに天文学の著作に対するものである。・・・ボイルはガッサンディをエピクロスの著作の最良の解釈者としている。カーゴンは、テキストの詳細な比較から、ボイルはガッサンディの知識をチャールトンから得たと議論している。しかしながら、興味深いことがらとして、ボイルはその全集において50回以上ガッサンディの著作を直接引用しているのに、ボイル全集におけるチャールトンへの言及はたった一度、他者がボイルに宛てた手紙においてのみであることを注記しておこう。」と記述しています。え?
根拠として注(p.194, note 30)であげているのは、カーゴンの著作の第8章と、彼女の同僚J.J.マッキントッシュがボイルの著作集から作成したname index です。
無理筋でしょう。
p.186 では、ボイルの『形相と質の起源』(1666) における「従属形相の起源と教説の検討」を引用しています。それはよいのですが、ボイルの検討している「従属形相説」がゼンネルトの説であることはまったく触れていません。
p.187 でマッガイアーの研究によって、『形相と質の起源』(1666)を出版した1666年に『自然の観念』(1685/6)の執筆に取りかかったと記しています。わおー、懐かしい名前です。マッガイアーの論文は、院生時代によく読んでいました。取り上げられているのは「ボイルの自然の概念」です。このマッガイアーの「ボイルの自然の概念」はアイディアとしてはとても面白いのですが、資料の扱いが乱暴です。(私の修論でさえそのことを指摘しています。)安直に依拠することはできないと思います。
もう1点、懐かしいのは、J.R. ジェイコブの仕事を批判していることです。ジェイコブの仕事も学生時代によく読みました。一世を風靡していたことは確かです。奥さんのマーガレット・ジェイコブの方はいまでも論文や本を出し続けていますが、ジェイムズの方はほとんど新着論文や著作を見ることがありません。ほとんどシーンから退場した科学史家と言ってよいでしょう。マイケル・ハンターのしっかりとした仕事が退場に追いやったと言えます。
せっかくなので(どうもウェブにないようなので)、R. Kroll, R. Ashcraft, and Perez Zagorin (eds.), Philosophy, Science, and Religion in England, 1640-1700 (Cambridge: Cambridge University Press,1992)の目次をとっておきます。
1. Richard Kronn, "Introduction,"
2. Allison P. Coudert, "Henry More, the Kabbalah, and the Quakers,"
3. Sarah Hutton, "Edward Stillingfleet, Henry More, and the decline of Moses Atticus: a note on seventeeth-century Anglican apologetics,"
4. Joseph M. Levine, "Latitudinarians, neoplatonists, and the ancient wisdom,"
5. Alan Gabbey, "Cudworth, More, and the mechanical analogy,"
6. Perez Zagorin, "Cudworth and Hobbes on Is and Ought,"
7. Richart Ashcraft, "Latitudinarianism and toleration: historical myth versus political history,"
8. Margaret J. Osler, "The intellectual sources of Robert Boyle's philosophy of nature: Gassendi's voluntarism, and Boyle's phyiso-theological project,"
9. Michael Hunter, "Latitudinarianism and the "ideology" of the early Royal Society: Thomas Sprat's History of the Royal Society (1667) reconsidered,"
10. G. A. J. Rogers, "Locke and the latitude-men: ignorance as a ground of toleration,"
11. John Marshall, "John Locke and latitudinarianism,"
[Ralph Cudworth]
ついでなので、グーグルでカドワースを調べてみました。グーグル・スカラーで検索をかけると、新しい研究があまりないことがわかります。院生時代読んでいた論文以外に目新しいものは見つかりませんでした。研究対象として人気がなくなっているようです。グーグルブックには、それなりの数あります。
Cudworth, Ralph
The true intellectual system of the universe
2 vols., London, 1837-38Cudworth, Ralph
A treatise concerning eternal and immutable morality
London, 1731カドワースの少なさに対して、ヘンリー・モアはかなりありました。
7時15分。幼稚園児は、朝方寝言で、「いたちょこたべたい、いたちょこたべたい」と叫んでいました。起きているときもよくしゃべる子ですが、寝ているときもはっきりとしゃべります。
最低気温が7度ということで、ずっと暖かくなったように感じます。[『ミクロコスモス:初期近代精神史研究 第1集』到着]
おお、とうとう『ミクロコスモス:初期近代精神史研究 第1集』が到着しました。アマゾンからではなく、出版社からです。月曜社編集者の小林浩さん、ありがとうございます。この出版状況のなかで、こうしたチャレンジングな書物の出版に踏み切られた編集者の見識に拍手&感謝です。平井浩編『ミクロコスモス:初期近代精神史研究 第1集』月曜社、2010。
A5変形判並製368頁 本体3,000円 ISBN978-4-901477-72-7
見た目は、欧米のペーパーバックの論集のようになっています。本棚に同じ装幀のシリーズを10冊並べることができれば、格好良い。月曜社のサイト、
ウラゲツ・ブログ
で、来る3月13日(土曜日)、紀伊國屋書店新宿本店 9階で開かれる出版記念イヴェントの告知がなされています。また紀伊国屋書店のサイト
紀伊国屋書店のイベントのコーナー
にも告知が出ています。(ちょっと下の方まで捜す必要があります。)
会場のキャパシティに限界があるので、入場は予約制になっています。関心のある方は上記のサイトからはやめに予約を入れて下さい。平井浩「ルネサンスにおける世界精気と第五精髄の概念:ジョゼフ・デュシェーヌの物質理論」pp.37-69.
山田俊弘「ニコラウス・ステノ、その生涯の素描:新哲学、バロック宮廷、宗教的危機」pp.236-253.
菊地原洋平「記号の詩学:パラケルススの「徴」の理論」pp.7-36.
小川浩史「ハプスブルク宮廷におけるディーとクーンラートのキリスト教カバラ思想」pp.165-202.
東慎一郎「伝統的コスモスの持続と多様性:イエズス会における自然哲学と数学観」pp.203-235.
田窪勇人「ノストラダムス学術研究の動向」pp.330-347.
澤井直「ルネサンスの新しい身体観とアナトミア:西欧初期近代解剖学史の研究動向」pp.348-365.
桑木野幸司「ルネサンスの建築史:ピタゴラス主義とコスモスの表象」pp.94-140.
桑木野幸司「百科全書的空間としてのルネサンス庭園」pp.94-140.
坂口さやか「アーヘン作《トルコ戦争の寓意》シリーズに見られるルドルフ二世の統治理念:《ハンガリーの解放》考察を通して」pp.141-164
平岡隆二「画家コペルニクスと「宇宙のシンメトリア」の概念:ルネサンスの芸術理論と宇宙論のはざまで」pp.70-93.
クルト・ゴルトアマー(岩田雅之訳)「初期近代の哲学的世界観、神秘学、神智学における光シンボル」pp.254-289.
マルシリオ・フィチーノ(平井浩訳)「光について」pp.290-319.
この順に読みました。リースはどうして「ベイコン主義」の項目に、次の本を挙げているのか気になって、部屋の中から探し出しました。
Kroll, R., R. Ashcraft, and Perez Zagorin, eds. Philosophy, Science, and Religion in England, 1640-1700. Cambridge: Cambridge University Press,1992.
第1部がケンブリッジプラトニストを扱い(Alison P. Coudert, Sarah Hutton, Joseph M. Levine, Alan Gabbey, Perez Zagorinが書いています)、第2部が王政復古期の状況(中心的には広教主義)を扱います(リチャード・アシュクラフト、マーガレット・オスラー、マイケル・ハンター、G.A.J. ロジャーズ、ジョン・マーシャルが書いています)。第2部に、ハンターの次の論文があります。
Michael Hunter, "Latitudinarianism and the "ideology" of the early Royal Society: Thomas Sprat's History of the Royal Society (1667) reconsidered," op. cit, pp. 199-229.
私が必要としていた論文です。ハンターは、ウッドのものにもっとも多くを負うと明言しています。Wood, P.B. "Methodology and Apologetics: Thomas Sprat's History of the Royal Society," BJHS,13(1980):1-26.
7時10分。ちびどもは起きていました。幼稚園児はすぐに起きてきました。薄曇り。気温はたしかに上がってきています。妻は、PTAの仕事。朝からです。幼稚園児を送ってから、PTAの仕事にとりかかり、幼稚園児といっしょに帰ってくるということです。
[え、もう、改装?]
午後、駒場でシンポジウムの打ち合わせ。
→駒場は久しぶりでした。打ち合わせ&合評会は、3時から始まり約3時間。帰りは、ガード下を通って来ました。新しくできたスーパーが改装をしていました。え、もう、改装? 最近はお店の入れ替わりがはやい。商売が成り立たないとなると、すぐに変わります。
その近所の洋食屋さんも、改装工事の真っ最中でした。でかけるときには、駅の真ん前のお店も改装工事をしていました。→そういえば、駅ビルそのものも改装工事中でした。
7時10分。幼稚園児は起きていました。ちびどもは着替えている最中でした。どんよりとした曇り。ちいさいちびはとくに朝方咳をします。まあでも大丈夫そうだったので、今日は小学校に行かせました。幼稚園児は、(土曜日のリズム参観の)振替休日で休み。ママにどこかに遊びにつれていってもらうようです。
→10時過ぎに、吉祥寺の東急にバスででかけました。私はその間、泥縄ですが、明日の打ち合わせの準備。捜し物とそれに伴う片づけで2時間近くかかりました。そして、これまた泥縄ですが、伊藤博明氏の「詩と哲学―地中海文化圏からの視座」『岩波講座 哲学14 哲学史の哲学』(岩波書店、2009)所収を読みました。よくわかる記述です。
ひとりで7時半。幼稚園児は起きていました。ちびどもは部屋でトランプかカルタをしていました。晴れ。久しぶりに強い日射しが入ってきます。気温はまだそれほど上がっていませんが、ひだまりはあたたかい。もうすぐ春です。[Joseph Glanvill]
グーグルブックに次の2点。Glanvill, Joseph
Sadducismus triumphatus
1701Glanvill, Joseph
Philosophia pia
1671archive.org に次の2点。
Glanvill, Joseph
Essays on several important subjects in philosophy and religion
1676Glanvill, Joseph
Scepsis scientifica : or, Confest ignorance, the way to science ; in an essay of the vanity of dogmatizing and confident opinion
1885私の手元にポプキンの序文付きの『哲学と宗教における様々な重要な主題に関するエッセイ』(1676)のリプリントがあります。「グランヴィルは、おそらくヒューム以前の英国の哲学的伝統におけるもっとも興味深い懐疑論者である。」というポプキンは序文を書き起こしています。
日本語の先行研究ですが、0とまでは言えませんが、ほとんどありません。サイニーでは次のものだけがヒットします。
青木滋之「実験哲学の認識論:フック、グランヴィル、ロック」 (名古屋大学情報科学研究科情報創造論講座)『Nagoya journal of philosophy』7(2008): 55-83
Rees Simon, "Joseph Glanvill and Some Restoration Climates of Opinions," Review of English literature,54 (1987/10): 26-44 . (京都大学教養部英語教室)
グーグル・スカラーで調べたところ、英語圏ではそれなりの研究の蓄積があります。ウィキペディアの記述もちゃんとしています。(1次文献、2次文献をきちんと提示している。そして、pdf で入手できるものに関してはちゃんとリンクを張っている。)
そのなかで、私の手元にあるものとしては、次があります。
Krook, D., "Two Baconians: Robert Boyle and Joseph Glanvill," The Huntington Library Quarterly, 18(1955): 261-278.
これはカードにとっています。それによれば、1985年2月6日にコピーを入手し、同年9月23日に読んでいます。
pp.275-6 グランヴィル対T.ホワイトの因果性に関する論争
グランヴィルは、2現象の同時生起を条件とする。
ホワイトは、定義の問題だとする。
「事実」の意味の変化。「事実」は、経験的に検証可能なものでなければならない。
pp.273-4 ビールのボイル批判:あまりに仮説構築に慎重。短いものですし、せっかくなので、読み直しました。25年ぶりです。今の思想史であれば、こういう議論の立て方はしないでしょう。それでも、何点か有用なところはありました。
p.267 王立協会のベイコン主義は、ベイコンの単純化だとしています。ベイコンの合理主義的側面を最小化し、経験的側面を最大化する単純化を王立協会の30年間は行ったとあります。(やはり、スプラットの『王立協会の歴史』を見ています。)
しかしながら、その傾向には名誉ある例外が存在する、そうしたなかでボイルがもっとも顕著な例外だとしています。「ボイルはベイコンが科学の方法で意味したすべてを理解し、師の輝きはないにせよ、真のベイコン的な教説を真の熱意でもって伝えることができた。」とあります。そして、この点でボイルは、グランヴィルやヘンリー・パワーのような王立協会の極端な経験論者とは分かれるとしています。1955年の論文です。この時代にはこういう見方が典型的だったと言ってよいでしょう。王立協会の科学をスプラットの『王立協会の歴史』だけで見るのは、間違いです。少なくとも、オルデンブルグの『王立協会哲学紀要』の内容も見てみるべきでしょう。ごりごりの経験主義とは別種の、数学的、あるいは理論的な論考も含まれます。
この論文で役に立つのは、ビールがボイルに宛てた論文でしょう。Old RBW, 5, 483ff.
→クルックは、ボイル全集の初版(1744)から引用しています。この引用は確認してみたいのですが、1744 版を使われるとその作業が難しくなります。せめて手紙の日付があれば、楽なのですが、それもありません。しかたがないので、ちょっと頑張って、新しいボイル書簡集を繰ってみました。
この手紙は、1666年8月10日付ビールからボイルに宛てられたものです。Correspondence, V.3, pp.197-210.
バーチ版全集のどこに収録されているかもきちんと記載されています。
Previously printed in Birch (ed.), Works (1744), v, 483-8 and Birch (ed.), Works (1772), vi, 410-18.
ビールはストレートにボイルの著作のメリットとデメリットを語っています。一言では、貴方の著作には体系が欠ける、「秩序は、すべての仕事に便宜と光輝を与える。」若き学生には、順序正しく配置された命題あるいは何らかの体系が必要です。それがなくしては、我々の大学で人気を得ることはできません。こういうふうに非常にストレートに語っています。
ボイルの返答ですが、(直接この手紙に対して返事したわけではなく、仕事と他の著作のなかでという意味ですが)そうした教育的配慮に基づくものは若者の教育に役立つことは認めるが、自分ではやらないというものです。確信犯という言い方はおかしいのですが、確信犯的に体系書の執筆を避けています。この辺りをベイコン主義と呼ぶのであれば、ボイルはまがいなきベイコン主義者です。 .
[リズム参観]
幼稚園児に続いて、7時40分。ちびどもも起きたばかりでした。幼稚園児は、今日は頑張ると言っています。一度行かないと言いましたが、気を持ち直して、幼稚園に行ってくれました。リズム参観と言っても、10時から10時20分の20分だけのリトミックです。(それでも、C組、B組、A組と順番にやるので、だいたい午前中かかります。)
9時50分に家をでて、おおきいちびはひとりでピアノのお稽古、残りは幼稚園に向かいました。私は撮影係。最近のデジカメは、望遠レンズ(拡大レンズ)がついています。日常的には十分なレベルの動画がとれます。ずっと動画でとっていたら、ちょうどメモリーが切れたところで、終了。C組さんは、まだ着替えに時間がかかります。おおきいちびが10時45分頃着いて、そのしばらくあとに、出てきました。みんな来ていると言って、ぴょんぴょんしていました。お友達と遊ぶのは楽しいようで、幼稚園の先生にはもう一度やりたいと言っていたようです。しばらく園庭で遊んでから、荻窪へ。セイユウの上の階で昼食。
同じ階にある100円ショップを回ってから、幼稚園児だけ、階をひとつ下り、プラレールのコーナーへ。ずっとプラレールに行きたいと言っていました。しばらく遊んでからもう帰る。上の階に戻ると、ちょうどおねえちゃんたちも帰るところでした。久しぶりの外出で疲れたようです。
西荻の駅についてから、子どもたちはママとの約束によって、駅前のコンビニでアイスクリームを買って食べていました。その間を利用して、ママは、携帯ショップへ。前に帰ったものの電池ユニットが寿命のようです。どれだけ充電してもすぐに電池切れになります。ちょうどよいので、お店で相談してみるということでした。
お店でアイスを食べなかったおおきいちびはママの方に行きました。
アイスのすんだ下の二人も、携帯ショップに行きましたが、もちろん邪魔です。私が先に子どもたちだけ家に連れ帰りました。幼稚園児は、「ゲームオーバー」をやりかったのでおとなしく帰ってくれました。
そうこうしているうちに、電話。今、妻とおねえちゃん2人が使っている携帯は、セット(ソフトバンクの家族割)で購入しています。一台変えるのであれば、3台同時に変えた方がお得だと言うことで、ちびどもも各自の携帯をもってママのいるお店に向かいました。幼稚園児は、「ゲームオーバー」にはまっています。1時間ぐらい諸々の手続きにかかりましたが、ちょうど幼稚園児が「ゲームオーバー」を切ったころ、3人揃って帰ってきました。幼稚園児には、古くなった携帯電話をおもちゃとしてもってきました。
[隣地]
わが家の隣の敷地で家を建てる工事が昨日から始まっています。まず、基礎。昨日土を掘って、不要な土をどこかに運んでいました。今日、朝から、砂利を敷き、その上にコンクリートをうっていました。4時前には完了していました。施工主の不動産業者の方からは、2月中旬以降工事をはじめ、4月下旬に完成すると挨拶を受けています。この調子だと予定通り3ヶ月で建つのではないでしょうか。不動産と住宅の価格について、去年必要があって詳しく勉強しました。おおよその見当はつきます。経費(土地の値段と住宅建築費)と販売価格の差もおおよそ見当がつきます。建売住宅の価格で、不動産業界の人は、買うことはないだろうということは言えます。
昨夜の11時頃、ちいさいちびが寝た状態でもどしました。枕の近くにべったり。急いでシーツと枕カバーを取り替え、パジャマを着替えさせました。お腹も痛いと言っています。顔色も悪く、朝のが直っていなかったようです。
今日も休ませるしかないようです。その話を聞いて、幼稚園児も咳のまねごと。まあ、幼稚園児はいいのですが・・・。どうも休みたいようです。わが家の正常化は来週に持ち越しかも知れません。
曇り。明日からやっと暖かくなってくるということです。
幼稚園児の明日は、リズム参観。2日間休みましたが、明日は行く気になったようです。(おおきいちびはピアノのお稽古がありますが)みんなで見に行くことになりそうです。覚えてはいるようで、ひとりですこしだけやってみせてくれました。
[Philosophical Transactions]
Iordan Avramov, Michael Hunter and Hideyuki YOSHIMOTO, Boyle's Books: The Evidence of his Citations, Robert Boyle Project, Occasional Papers No.4, 2010
リストの28番目で、Chappuzeau, Histoire des joyaux(Geneva, 1665) というかなり珍しい書物を挙げています。ボイルは引用の際に名前を「匿名の、探求心旺盛な著者」としか述べていませんが、『王立協会哲学紀要』第2号(1666-7): 429-32 で名前が明示されていると、注記しています。私自身は、この作業をやっているときに、 『王立協会哲学紀要』を見ることを忘れていました。当然のことですが、ボイルの通信窓口役を務めたオルデンバーグが『王立協会哲学紀要』の編集者兼出版人です。ボイルへの情報伝達と『王立協会哲学紀要』は一部重なっていると見ておく必要があります。
『王立協会哲学紀要』の目的は、科学者(自然哲学者)の間の汎ヨーロッパ的な情報交換なので、紹介部分で深い記述はありませんが、どういうテーマが王立協会の周辺の関心だったかという輪郭がわかります。
トマス・スプラットの『王立協会の歴史』とは違って、科学の方法論に関する議論は編集方針にはありません。ベイコンの名前さえ、目次にはまったく出現しません。(デカルトもほとんど出現しません。)当時の第一線の研究者は、ベイコンのことはほとんど念頭になかったと言ってよいと思います。組織化の理由・目的を述べる際、そして、第一線から離れて新哲学の達成や営みをメタのレベルで論究するときに、ベイコンは持ち出されたと見てよいでしょう。
もちろん、これは、ベイコン主義の影響が皆無という意味ではありません。リースのまとめにあるようなベイコン主義の要素は存在します。しかし、それは、いわゆるベイコン主義とはちょっと違う場所にあったと言ってよいでしょう。
(ボイルの名前が出てくる所では、それは、探究項目の列挙と配置にあったと言えます。自然誌・実験誌において、何をどういう観点で探究・調査するのか、その項目表の提示にあったとまとめることができるでしょう。典型的には、次の2点。
Mr. Boyle, "General Heads for a Natural History of a Countrey, Great or Small, Imparted Likewise by Mr. Boyle" , Phil. Trans. Vol.1(1665) :186-189
"Some Directions and Inquiries with Their Answers, Concerning the Mines, Minerals, Baths, &c. of Hungary, Transylvania, Austria, and Other Countries Neighbouring to Those", Phil. Trans. Vol.5(1670):1189-1196. Answered by Edward Brown(e).
ちいさいちびの、ままゆきふっている、の声で起きました。7時10分。早朝に降り始めた模様。うっすらと積もり始めています。幼稚園児は、ママのいないあいだ我慢していたのでしょう、すっかり甘えん坊になっています。ママ、おんぶ、まま、だっこ。ちいさいちびの体調がいまいちです。昨日の夜も床にべったりとなっていました。朝から気分が悪いと言って、7時半頃もどしました。軽い風邪かもしれません。今日は学校を休ませることとしました。当然、幼稚園児も休むと言います。こっちは甘えたい病です。まあ、仕方ありません。
外に出てもそれほど寒く感じるわけではありませんが、家の中が寒い。室温がなかなか上がらず、ひんやりした空気を感じます。
ということで、わが家の正常化は明日に持ち越しです。
ひとりで6時50分。と思ったら、幼稚園児がすぐに降りてきました。朝焼けですが、寒さはまだ続いています。幼稚園児は、寒いとき、自転車はいやなようです。歩くと言って、半分走っていきました。水曜日は、お弁当がなく、午前中でお帰りです。妻がいつも言っていますが、おくって家に帰ってきても、ほんとうに余裕がない。すぐに迎えにいく感覚です。
お昼も歩いて迎えに行きました。予想通り、いつもとは違ってほとんど園庭で遊ぶことなく帰ると言いました。お昼は、コンビニでおにぎりを買わせました。いつものシャケ。仲のよいお友達とそのお母さんも来ていました。その子はイクラ。いっしょに途中まで走っていました。ぜいぜい。ついて走るのが大変です。
[妻の帰国]
妻からは1時半頃、1時45分東京行きの成田エクスプレスに乗るという電話がありました。乗換案内で調べると、西荻窪到着は3時26分です。おおきいちびは小学校から帰って、すぐに飛び出しました。友達といっしょに遊ぶんだそうです。それから自分でお絵かき教室に行って、いつも帰りは6時前。ちいさいちびは、帰ってきてすぐに友達と遊びたいと言っていましたが、そのお友達の都合がつかなくなりました。しばらく幼稚園児につきあったあと、自分で宿題を始めました。幼稚園児は、ママが待ち遠しくて仕方がないようです。駅に迎えに行くか?と聞くと行くと言います。ちいさいちびはでかけたくないということで、ちいさいちびを留守番にして、駅まで出かけました。駅には、7分ぐらいまえに着きました。幼稚園児は、ママを呼ぶと言って、ママ、ママ、声を出しています。乗換案内は正確でした。26分過ぎにママが出てきました。改札口に駆け寄って行きました。
今回の妻の帰省は、かなり強行日程です。あまり寝ていない、あまり食べていないということで、疲れ果てていました。
幼稚園児とちいさいちびはお土産が楽しみ。家に帰って荷解きしてから、お土産の袋を二人で開けて、はしゃいでいました。
6時頃帰ってきたおおきいちびは、さすがに、もうこういうお土産はそれほど関心がないようです。それよりも大好きな食べ物がうれしいようです。花巻(中華パン)とマンゴーがあれば、それでよいとのこと。
明日からは、いつも通りに戻れるでしょう。
[Philosophical Transactions, table of contents]
クローニンのハイパーオーサーシップが気になったので、『王立協会哲学紀要』の目次を調べてみました。18世紀の途中までは全巻 pdf で入手しています。初期の巻を見てみました。同時に、もう今となっては、目次がウェブにあるはずだと思い、検索をかけてみました。王立協会のサイトにありました。
Royal Society, Philosophical Transactions, Table of Contents1665; 1 (1-22)
最初の頃は、オルデンブルグの個人的事業です。(途中から王立協会の公式の認可を得る。)そもそも、専門雑誌に掲載される、個人の業績となる論文という形態はまだ出現していません。(『王立協会哲学紀要』とパリの王立科学アカデミーの『ジュルナル・ド・サヴァン』は科学雑誌そのものの嚆矢です。)いつ頃、『王立協会哲学紀要』が論文の形態を明確にとるようになったのか、現時点ではわかりません。
この種の雑誌が出現する以前、情報交換の媒体は手紙でした。オルデンブルグの『王立協会哲学紀要』は、それを一冊にまとめるものとして出現しています。科学の分野における発見・発明・新刊情報等ニュースに値する事柄を定期刊行物の形で、収集し出版していくものであり、まさに雑誌です。最初に目次はありますが、著者名は新刊情報以外にはとられていません。(論文の著者という概念はまだなく、手紙の送り手の名前もまだ記されません。)第1号で例を示せば、次のようです。
The Introduction to this Tract. An Accompt of the Improvement of Optick Glasses. Of the Observation made in England, of a Spot in One of the Belts of Jupiter. Of the Motion of the Late Comet Praedicted. The Heads of many new Observations and Experiments, in order to an Experimental History of Cold; together with some Thermometrical Discourse and Experiments. An Account of a Very Odd Monstrous Calf. Of a Peculiar Lead-Ore of Germany, and the Useful for Essays. Of an Hungarian Bolus, of the Same Effect with the Bolus Armenus. Of the New American Whale-Fishing about the Bermudas. A Narrative Concerning the Success of Pendulum-Watches at Sea for the Longitudes; and the Grant of a Patent thereupon. A Catalogue of the Philosophical Books published by Monsieur de Fermat, Counsellour at Thelouse, lately dead.
このなかに含まれているボイルの『冷の自然誌』の記事も、本文では次のようになります。
An Experimental History of Cold
そして、説明文でやっとボイルの名前が出てきます。
第2号の目次は次。
Extract of a Letter, Lately Written from Rome, Touching the Late Comet, and a New One. Extract of another Letter, Written from Paris, Containing Some Reflections on Part of the Precedent Roman Letter. An Observation concerning Some Particulars, Further Considerable in the Monster Mentioned in the First Papers of These Philosophical Transactions. Extract of a Letter written from Venice, concerning the Mines of Mercury in Friuly. Some Observations made in the ordering of Silk-Worms. An Account of Mr. Hooks Micrographia, or the Physiological Descriptions of Minute Bodies, made by Magnifying Glasses.
すこし飛んで第3年目のもの。第23号。
A Preface to the Third Year of These Transactions, which is begun with this. An Account of the Enlargements of Philosophical Correspondencies: together with an Invitation to contribute Inquiries and Directions. Inquiries for Suratte, and Other Parts of the East-Indies in general; for Persia, the West-Indies, and there particularly, for Virginia, Bermudas, Guaiana, Brasil. Those for other Countries referred to another opportunity. Of a Considerable Load-Stone Digged Out of the Ground in Devonshire, weighing 60. pounds. Some Observables about Load-Stones, and Sea-Compasses. Proposals to Try the Effects of the Pneumatick Engine Exhausted, in Plants, Seeds, Eggs of Silkworms . An experiment porposed of Grafting Pears upon Spina Cervina (Buckthorn.) Observations Concerning Emmets or Ants, Their Eggs, Production, Progress, Coming to Maturity, and Use. Account of a Book in French, intituled HISTOIRE DES JOYAUX.
第24号。
Directions for Observations and Experiments to Be Made by Masters of Ships, Pilots, and Other Fit Persons in Their Sea-Voyages; Printed with Enlargments and Explications of what was formerly published of this Kind; suggested partly by Sir. R. Moray, partly by Mr. Hook; as the several wayes of Observing, both at Sea and Land, the Declinations and Variations of the Needle: Some ways of knowing the different Gravities of Sea-water: A form of a Schemi, representing at one view, to the eye, Observations of the Weather for a whole Month, &c.
81号(第7巻、1672年)。
A Preface to the Eighth Year. An Accompt of a New Kind of Telescope, Invented by Mr. Isaac Newton. A Breviat concerning Dr. Wallis's two Method of Tangents. A Letter of Monsieur Hevelius about a New Comet lately Seen by him at Dantzick: confirmed by Observations made in France. An Account Concerning Eggs to be Found in All Sorts of Females. An Accompt of Some Books: I. Plantarum Umbelliferarum Distributio nova per Tabulas Cognationis & Affinitatis, ex Libro Natura observata & detexta; A. Rob. Morison. II. Pestis nuperae Londeni grassantis Narratio Historica, A. Nath. Hodges. III. A Philosophical Essay , concerning the probable Causes of Stones in the Great World, &c. by D. Thomas Sherley. IV. Carolus Claromontius, De Aere, Solo & Aquis Angiae, depus Morbis Angelorum verinaclulis; una cum ejusdem Observationibus Medicis Cambro- Britannicis.
これは、ニュートンの反射望遠鏡の説明が載った号です。目次においても著者名をかなりの割合で挙げるようになってきています。実は、この号は、図版が傑作です。冒頭にニュートンの反射望遠鏡の正確な図があり、つぎにケルケリンクの卵子のなかにホモンクルスを見たという報告に対応する図があります。胎児の骸骨が踊っています。
目次ではケルケリンクの名前は挙がっていませんが、本文では次のようにきちんと挙げられています。An Account of What Hath Been of Late Observed by Dr. Kerkringius Concerning Eggs to be Found in All Sorts of Females.
つまり、本文中では割と早くから著者名が上がるようになっていき、すこし遅れて目次中では著者名が上がるようになっていった、という順序がわかります。
ひとりで6時半。幼稚園児は、寝るときにはそれほど問題なく寝入りましたが、朝方何度か目覚めて、ママと泣いていました。なんといっても4歳なのでまた寝付きましたが、人が少なくて淋しい、のだそうです。そういうふうに言っていました。幼稚園児は、私の作ったお弁当をもって問題なく幼稚園に行ってくれました。自転車ではなく歩き、そして途中からおんぶ。けっこう腕が疲れました。
ちいさいちびが宿題だと言って、自分が生まれたときのことを調べています。生まれて最初の写真を印刷してやりました。それから、体重と身長を母子手帳で見ました。私のこのサイトで前後を読み直してみました。都会でしか暮らしたことのない妻は、実は田舎の夜が怖かったと言っていました。慣れていないと怖いかもしれません。夜は暗いし、虫を含め、いろんな生き物がいます。
繋がりをすっかり忘れていましたが、9.11のほぼ1ヶ月後のことでした。個人的には自分の体験した第2子出産と帰京しての泥棒さん事件の方が記憶に鮮明です。いいもわるいも、9.11は私にはメディア上の事件です。
幼稚園児に続いて7時。曇り。子どもたちが帰ってくる頃には雨が降っていそうです。[旧正月の帰省]
今日の夕刻の便で、妻が旧正月(今年は、ヴァレンタインデーに重なっています)の台北に帰ります。妻の世話になった祖母(子どもたちのひいばあちゃん)が先月腸閉塞で入院したお見舞いです。妻は、幼稚園児は連れていくつもりでしたが、本人はいいと言いました。ちいさいちびもいっしょに行きたいというのであれば仕方がない、つれていこうと言っていたら、ちいさいちびは小学校に行くという返事でした。ということで、妻が一人、2泊3日で里帰りすることになったものです。今日の午後11時に台北に到着し、明後日の午前9時の便で帰途に着きます。実質は、火曜日の一日の滞在となります。お見舞いをして、挨拶をしたら終わりです。小学生はこのぐらいは平気でしょう。幼稚園児は、起床時と寝付くときにいくらか泣くかもしれませんが、なんとかなるでしょう。
[都甲幸治『偽アメリカ文学の誕生』]
小学生が家をでたあと、幼稚園児が出かける前に次の本が届きました。都甲幸治
『偽アメリカ文学の誕生』
水声社、2009
[作者の消滅?]
一昨日、ハートリッブを調べていたら次の論文がヒットしました。早速読んでみました。Blaise Cronin, "Hyperauthorship: A Postmodern Pervation or Evidence of a Structual Shift in Scholarly Communication Practices? " Journal of the American Society for Information Science and Technology, 52(7)(2001): 558-569.
普段手に取ることのない雑誌ですが、これが意外に勉強になりました。最近のビッグサイエンスでは、100人を越える共著者が並ぶことも珍しくないとあります。こうなると共著者という枠では収まらなくなり、貢献者のリストに変化しつつあるそうです。
過去を調べてみると、科学雑誌が出現した17世紀後半(まさに私のフィールドです)では、論文の著者名に特権性が与えられていない、むしろ一般的には項目表示に著者名が記されていない(オルデンブルグが創始した『哲学紀要』の場合)。(Katzen, M.F. (1980) The changing appearance of research journals in science and technology: an analysis and a case study. In A.J. Meadows(Ed.), Developmento of scientific publication in Europe (pp. 177-214). Amsterdam: Elsevier.)
別の人が調べた結果によれば、科学における共著論文は、18世紀以来、フランスで一番進んでおり、これは制度化・職業化の進展の度合いを示すと考えられる。
そして、20世紀に出現したビッグサイエンスでは、著者の古典モデル(一つの論文・モノグラフを一人の著者が著す。責任と報償はすべてその一人に属する。孤独な作者の想定)は成り立たない。ビッグサイエンスだけではなく、この論文が主たる調査対象とする生医学(biomedical)の分野では、むしろ新しい形態が通常化している。
シェイピンの研究を引用しています。17世紀に始まった実験室研究は、基本的に共同作業の産物である。(たとえば、ボイルに見られるように、著者は一人であったとしても。)(クラインが説得的に示したように、18世紀までそもそもラボラトリーとは、錬金術=化学の作業場・作業室に他なりませんでした。それが助手や技師を使うリサーチ・ラボラトリーに変貌するのは、たとえばボイルのような人物の営みを通してです。そして、ボイルのラボラトリー・リサーチの結果である論文では、特段の事情がない限り、助手・技師・写字生の名前が言及されることはない。)
・・・・・片づけをすこしずつ進めています。次のものが出現しました。
Bernhard Fritscher and Fergus Henderson, eds.,
Toward a History of Mineralogy, Petrology, and Geochemistry,
( ALGORISMUS: Studien zur Geschichte der Mathematik und der Naturwissenschfaten, Heft23)
Munchen, IGN, 1998.
おお、2003年のクリスマスに平井さんから受け取っています。私にとって必要な論文も含まれます。本を見ると思い出しましたが、見るまでは忘れていました。[ベイコン主義の起源?]
別の流れで、ベイコン主義の形成について、疑問が生じました。王立協会以降の話は常套句です。しかし、ベイコンの死後から、市民革命期にかけて、だれがどのようにベイコン主義を形成したのでしょうか?
頭のなかには、昨日話題に取り上げた3人の外国人がすぐに浮かびます。「ハートリッブ、デュアリー、コメニウス。」ベイコンのなかには強くなかった社会変革と知の大革新(Great Instauration)を結びつけ、人間と社会のトータルな変革のヴィジョンを彼らが提示したことはわかります。しかし、いわゆる科学におけるベイコン主義と、彼らのヴィジョンはスコープが違います。1660年前でベイコン主義の主唱者として大きかったのは誰でしょうか?どういう著作でしょうか? うん?
ということで、先行研究として真っ先に頭に浮かんだウェブスターの古典的名著『大革新』を捜しました。ちょっと時間がかかりましたが、いつもは使わない本棚に発見しました。次です。
Charles Webster, The Great Instauration: Science, Medicine and Reform 1626-1660, 1975, 2nd edition, Frankfurt a. M. : Peter Lang, 2002
1626年はベイコンの死去した年です。私が問題とする年代にぴったりはまっています。目次には、ベイコンの名前もベイコン主義の言葉もでてきません。索引では、ベイコンとベイコン主義あわせて、ほぼ1頁を占めます。→前にも読んだ、ケンブリッジの『ベイコン必携』におけるAntonio Pérez-Ramoz, "Bocon's Legacy" を見てみました。名前としては、コメニウス、ハートリッブ、ジョン・ウェブスター、ウィリアム・ペティ、ジョン・ウイルキンズがこの順に上がっています。次に王立協会とトマス・スプラットの『王立協会の歴史』が取り上げられています。
デカルト主義とは明らかに異なる展開です。デカルト本人は、1596-1650。デカルト主義者(カルテジアン)とは、Jacques Rohault(1620-1675), Pierre-Sylvain Régis (1631-1707), Luis de la Forge (1632-1666), Nicolas Malebranche (1638-1715), Geraud de Cordemoy (1626-1684), Nicolas Poisson '1639-1710), Jean-Robert Chouet (1642-1731).思いついて、手元にある『科学革命のエンサイクロペディア』を繙いてみました。デカルト主義は、有用で穏健な記述となっています。グレイアム・リースによるベイコン主義の記述がなかなかすごい。「ベイコン主義。そんなものはなかった。」という文から書き始めています。私がなんとなく疑問に思い、感じていたことを表現力豊かに(あるいはいくらかレトリック過多に)記述してくれています。単数のベイコン主義は存在しなかったが、ベイコンの名を利用する人の数だけの複数の(多数の)ベイコン主義があったと言うことはできよう。
1640年代以降、ベイコンの評判はむしろ、大陸の方で高かった。フランスでは1620年代からベイコンは読まれ、賞賛され、批判されていた(ガッサンディ Gassendi, 1592-1656やメルセンヌ Marin Mersenne, 1588-1648)。オランダでは、コンスタンティン・ホイヘンス(有名なホイヘンスの父、Constanijn Huygens, 1596-1687)やイサーク・ベークマン(Isaac Beeckman, 1588-1637) がベイコンをしっかりと読んだ。
英国国内で、ベイコンの名声を称揚した人物は、中央ヨーロッパからやってきた。コメニウス、デュアリ、ハートリッブ。(3人の外国人)。
イギリス人のベイコン主義者と言えるのは、次のような人々。
Ralph Austen (d.1676), John Evelyn (1620-1706), William Petty (1623-1687), John Graunt (1620-1674), Robert Hooke (1635-1702), Robert Plot (1640-1696).出版に関して私の頭にインプットされていない事実も記されています。Philippe Fortin de la Hoguette (1585-ca. 1668) がベイコンから盗んだ草稿を守ったのが、ピエールとジャックのデュピィ兄弟( Pierre Dupuy, 1582-1651; Jacques Dupuy, 1586-1656)。 Hoguetteによるベイコン『学の進歩 De augmentis scientiarum』1623コピーは印刷されたばかりのものを、ペレスク(N-C. Fabri de Peiresc, 1580-1637) が中断させ、1624パリ版に繋げた。
(1624パリ版とは次。Francisci Baronis de Verulamio, Vice-Comitis Sancti Albani, De dignitate et augmentis scientiarum libri IX.Parisiis, : Typis Petri Mettayer, Typographi regii, M.DC.XXIV
同じ年にフランス語訳も出版されている。 Le progrez et avancement aux sciences diuines & humaines.Paris, 1624 )もともと英語で記された『森の森』(1626)は、グルテル Jacob Gruter, 1614-1652 の手でラテン語訳され、1648年出版された。その兄のイサーク Isaac Gruter ,1610-1680 は、英国の外交官ウィリアム・ボズウェル卿 Sir William Boswell, ca. 1580-ca. 1650 から譲り受けた重要な草稿を後に出版している。
(1648年オランダ版とは、次。
F. Baconis ... sylva sylvarum : sive Hist. naturalis, et novus Atlas., Leiden, 1648
Fr. Baconis de Verulamio. Sylva sylvarum (nunc Latio transscripta a Jacobo Grutero), sive Hist. Naturalis et Novus atlas (cum praefatione W. Rawley), Amsterdam: Elzevirium, 1648
1648年には他に『風の自然誌&「熱の形相について」他』も出版されています。
Francisci de Verulamio Historia naturalis et experimentalis de ventis, etc., Lugd. Batavorum : Apud Franciscum Hackium, 1648.
This contains Historia naturalis et experimentalis de forma calidi .& De motus, sive virtutis activae variis speciebus., both extracted from book 2 of the Novum Organum. )ベイコン主義の一般的イメージを形成する上で大きな役割を果たしたのが、トマス・スプラットの『王立協会の歴史』です。この書物は、しばしば間違って王立協会の公式の見解だと理解され、王立協会のベイコン主義を極めて単純化して(ひとつのものとして)見る大元となった。
まったくリースの言うとおりです。わかりやすい表現をとれば、スプラットに騙されている科学史・思想史・哲学史があまりに多い。リースの指摘の通り、スプラットは、仮説主義の役割を軽視し、自然誌データの収集を誇張している。リースの表現をもうすこし紹介しましょう。「17世紀のベイコン主義の範囲の広さが一般化を困難にする。ベイコンの影響を語るよりも、ベイコンに対する反応を語る方が望ましいと言えよう。ただし、次のような特徴は指摘できる。閑暇 otium よりも仕事 netotium;自然科学に対する実験的、自然誌的、広く帰納的アプローチ;科学の制度化、知識の集め、保管し、伝達する手段の制度化;合理的な効用と社会的問題に対する技術的解決。そして次のような事柄への反対。無用な博識;性急な体系構築;形而上的思弁;迷信;神学的論争;補助のない理性に対する不当な信頼;アリストテレス主義;そして何であれスコラ哲学のにおいのするもの。」
→以前、次の論文によって、イギリス経験論の神話をこのサイトで紹介しました。
David Norton, "The Myth of 'British Empiricism'", Hist.Eur.Ideas, 1(1981), 331-344
ノートンの主張は、次のようにまとめることができます。ベイコン、ホッブズからロック、バークリー、ヒュームへと繋がる「イギリス経験論」という一つの伝統はない、そして、ロックの経験論は、フランス起源(ガッサンディに多くを負う)である。
この言い方を借りれば、ひとつのベイコン主義といったものはない、そして、イギリスのベイコン主義の大きな柱は、大陸起源(亡命ドイツ人)である。こういうふうに言い表すことができるでしょう。
すくなくとも、ベイコン主義を英国の範囲内だけで見るのは間違いであるし、またスプラットのベイコン主義を真に受けるのも間違いである、と言ってよいでしょう。もっと正確に言いましょう。スプラットの『王立協会の歴史』は、客観的な歴史書ではもちろんなく、王立協会の存在と活動を社会に向けて正当化するための書物です。イデオロギー的と言ってもよいですし、弁明的と言ってもよいでしょう。いずれにせよ、王立協会の設立5年後に書かれた『王立協会の歴史』は、今の言葉でいう客観的な歴史であることはできない相談になります。→10.2.24 再びリースの記述に戻りましょう。「ベイコン」の項目では次の文献を挙げています。
Bacon, Francis. Letters and Life of Francis Bacon. Ed. James Spedding. 7 vols. London: Longman, 1861-1874.
Bacon, Francis. Philosophical Studies, c.1611-1.1619. Ed. Graham Rees, Oxford: Clarendon, 1996.
Jardine, Lisa. Francis Bacon: Discovery and the Art of Discourse. London and New York: Cambrige University Press, 1974.
Martin, Julian. Francis Bacon, the State, and the Reform of Natural Philosophy. Cambridge and New York: Cambridge University Press, 1992.
Peltonen, Markku, ed. The Cambridge Companion to Francis Bacon. London and New York: Cambridge University Press, 1996.
Pérez-Ramos, Antonio. Francis Bacon's Idea of Science and the Maker's Knowledge Tradition. Oxford: Clarendon, 1980.
Quiton, Antony. Francis Bacon. Oxford: Oxford University Press, 1980.
Sessions, William A. "Recent Studies in Francis Bacon." English Literary Renaissance 17(1987), 351-371.「ベイコン主義」の項目では次のものをあげています。
Greengrass, Mark ,Michael Leslie and Timothy Raylor, eds. Samuel Hartlib & Universal Reformation: Studies in Intellectual Communication. Cambridge: Cambridge University Press,1994.
Hunter, Michael. Science and Society in Restoration England. Cambridge: Cambridge University Press,1981.
Kroll, R., R. Ashcraft, and Perez Zagorin, eds. Philosophy, Science, and Religion in England, 1640-1700. Cambridge: Cambridge University Press,1992.
Le Doeuff, Michèle. M. "Bacon chez les grands au siècle de Louis XIII." In Francis Bacon: terminologia e fortuna nel XVII secolo, ed. marta Fattori. Rome: Edizione dell'Ateneo, 1984, pp.155-178.
Webster, Charles. The Great Instauration: Science, Medicine and Reform 1626-1660. London: Duckworth, 1975.
ひとり遅れて8時半。久しぶりの日の光。気温はたいして上がらないようですが、しっかりとした日射しが射し込んできます。[友チョコ配送人]
14日、すなわち、ヴァレンタインデー。ちびどもは友チョコを配って回ります。おおきいちびは、仲のよいお友達と二人で自転車に乗って配って回るようです。
ちいさいちびがひとりで動くにはちょっと遠い子がいます。私が自転車の後ろに乗せて、回ることとしました。4〜5キロまわったでしょうか。去年のことは記憶にありませんが、今年は、友チョコ配送人が増えています。わが家にも5〜6人、友チョコ配送人がやってきました。
こうして、男の子にあげるヴァレンタインデーは廃れていくのでしょうか?[ヒルとトレヴァ=ローパー]
朝が遅くなったのは、昨夜いつもよりかなり遅くまで起きていたせいです。『イギリス革命論の軌跡:ヒルとトレヴァ=ローパー』の一部を読んで、日本語の研究論文がどうなっているか気になり、サイニーで調べて、入手できるものは入手(ダウンロード)し、読んでいたせいです。読んだのは次。
浜林正夫「サミュエル・ハートリッブの生涯と著作」『(小樽商科大学)商学討究』11(1961): 103-120
本人が記している通り、G. H. Turnbull, Hartlib, Dury and Comenius, gleanings from Hartlib's Papers, London, 1947 の紹介です。田村均「所与を越える道―ジョン・ロックとベーコン主義―」『名古屋大学文学部研究論集 哲学』40(1994): 65-85
これはよい論文でした。王立協会のベーコン主義そのものについては足りないと思う点がありましたが、ロックの解釈としてこれはまったく正しいと思われます。ロック哲学の解説には満足できないことが多いのですが、これは時代の背景のなかにロックの哲学をしっかりと位置づけており、好感です。ハートリッブ・サークルについての先行研究。第1には次。
相馬伸一『教育思想とデカルト哲学:ハートリッブ・サークル 知の連関』ミネルヴァ書房、2001
なお、私のこの書物に対する書評、吉本秀之「 相馬伸一『教育思想とデカルト哲学』」『化学史研究』第29巻第3号(2002), pp.201-204は、研究史を整理しており、有用だと思います。関心のある方は、目を通して下さればと思います。
私がトレヴァ=ローパーを評価するのは、1969年という時点で、次の論考を発表しているせいです。
H.R. Trevor-Roper ( Lord Dacre), ' Three foreigners and the philosophy of the English Revolution', Encounter, 14 (1969), 3-20.
『イギリス革命論の軌跡:ヒルとトレヴァ=ローパー』のような、左対右の位置付けはまったく無用だとは思いませんが、そういう対立図式に拘泥する人たちにはあまり関わりたくないというのが本音です。(関わりを100%避けることはできません。だって、いますから。)ハートリッブ・サークルに関する新しい研究(といってもう15年以上前のものになりますが)として、次のものをまず入手すべきでしょう。
Mark Greengrass, Michael Leslie and Timothy Raylor (eds.), Samuel Hartlib & Universal Reformation: Studies in Intellectual Communication, Cambridge: Cambridge University Press,1994.また、オランダにいて、ハートリッブ・サークルと密接な繋がりを有したヨハン・モリアンについてのヤングの研究書も有用です。
John T.Young, Faith, Medical Alchemy and the Natural Philosophy: Johann Moriaen, reformed inteligencer and the Hartlib Circle, Ashgate,1998.ヤングの本と同じ年に出版された次のものも有用です。
Michael Hunter (ed.), Archives of the Scientific Revolution: The Formation and Exchange of Ideas in Seventeenth-Century Europe, Woodbridge: Boydel Press, 1998.
このなかにはグリーングラスによる論文が採録されています。
Mark Greengrass, "Archive Refractions: Hartlib's Papers and the Workings of an Intelligencer," in Michael Hunter (ed.), Archives of the Scientific Revolution: The Formation and Exchange of Ideas in Seventeenth-Century Europe (Woodbridge: Boydel Press, 1998), pp.35-48.ウェブで調べてみましたが、21世紀に入っておおきな研究は出版されていないようです。このグリーングラスの論文は以下の研究を引用しています。
Mark Greengrass, "Samuel Hartlib: intelligenceur européen," in Diffusion du savoir et affrontement des idées, 1600-1770 (Montbrison, 1993): 213-34.
Mark Greengrass, "Samuel Hartlib and Scribal Publiation," Acta Comeniana, 12 (1997): 47-62.
Stephen Clucas, "Samuel Hartlib's Ephemerides, 1635-59, and the pursuit of scientific and philosophical manuscripts: the religious ethos of an inteligencer," The Seventeenth Century, 6(1991): 33-55.
次のサイトに、サミュエル・ハートリッブに関する1次文献・2次文献がまとめられています。
Samuel Hartlib Bibliography
ほぼこんなところでしょうか。せっかくですから、ジョン・デュアリ John Dury, 1596-1680 についても情報をまとめておきましょう。
John Dury Bibliography
このサイトは、3点の本を挙げています。J. Minton Batten, John Dury: Advocate of Christian Reunion, University of Chicago Press, 1944. 227pp.
Thomas H. H. Rae, John Dury: Reformer of Education N. G. Elwert, 1970. 466pp.
G. H. Turnbull, Hartlib, Dury and Comenius: Gleanings from Hartlib's Papers, University Press of Liverpool, 1947. 477pp.
ウィキペディアの記事はよくできています。
John Dury apud WikipediaGreengrass(1998) は、ポプキンの仕事も挙げています。
R. H. Popkin, "The end of the career of a great seventeenth-century millinarians: John Dury," Pietismus und Neuzeit, 14(1988): 203-20.
R. H. Popkin, "Hartlib, Dury and the Jews," in Grenngrass et al eds., (1998), pp.118-36
私の次のスピノザ論文でも、この辺りの人物を扱っています。
吉本秀之「ボイルとスピノザ」『スピノザーナ』第3号(2001/2002): 23-45.
哲学史家ポプキンの仕事を中心にしています。『懐疑主義の歴史』を筆頭に、ポプキンの仕事は私にはとても重要なポイントをついていると思われますが、奇妙に無視されているように感じられます。
ヒルについては、次があります。
クリストファー・ヒル『17世紀イギリスの宗教と政治』(小野功生訳、法政大学出版局、1991)第13章「ユダヤ人の改宗するまで」[カールスルーエ大学化学史デジタル・ライブラリー]
化学史ML: CHEM-HIST MAILSERVERによって、 カールスルーエ大学のデジタル・ライブラリーを案内されました。リービッヒ、ケクレ、マイヤー、フレゼニウス、ベルツェリウス、グメリン等々があります。私は、バジル・ヴァレンティンの『化学的著作集』(2巻、1677)をダウンロードしておきました。 Basilius Valentinus, Chymische Schriften, 2 vols., 1677
幼稚園児に続いて、7時10分前。みぞれらしきものが降っています。空気がひんやりしています。幼稚園児が起きてすぐに発した言葉「今日、バレンタインデー?」昨日、仲のよい女の子にチョコをもらったのがうれしかったようです。もらいたいのか、あげたいのか、はたまたその両方でしょうか。みぞれらしきものは、雪にかわりました。小粒の雪です。今日も寒い。妻は、洗濯物が乾かないと叫んでいます。
今月は、昨日の時点で100枚を突破していました。
おおきいちびが誕生日プレゼントのお礼を買いたいと言います。外は、2度までしか気温が上がっていないということです。二人で、吉祥寺に買い出しに行きました。ユザワヤの2階にちょうどよいものを見つけていたようです。ちいさいちびがチョコが欲しいと言っていたので、チョコ(材料)といっしょに買いました。
それから、やはりおおきいちびの要望で、ロフトへ。自分のものを含め、シール他を買っていました。さらに、東急にも行きたいと言います。子ども売場にあるブランドショップを見たいのだそうです。10分ほど見ただけで満足したようです。
帰りはガード下のスーパーで、牛乳を買って帰りました。
ずっと家のなかにいてすこし飽きてきたちいさいちびと幼稚園児がチョコを作りたがります。生クリームとバターを入れる柔らかいチョコを作らせました。湯煎の直前まで私が用意し、あと混ぜる(溶かす)のはちいさいちびに任せました。溶けたチョコは、スプーンに盛ります。それぞれ5本ぐらい盛って満足しました。冷凍庫に入れるとすぐに固まります。たぶん、10分もかかりません。早速食べていました。
夕食後、テレビでお餅を見たちいさいちびが今度はお餅を食べたいと言います。去年買ったおもちゃの餅つき器を使えば、たぶん1時間でできます。ささっと餅米を炊いてやりました。チョコ餅がよいというので、昼間作ったチョコの余っているものを小さく砕いて、つく(ハンドルを回す)ときに入れました。こういうのは量がわかりません。茶色のお餅ができあがりましたが、チョコの味はほとんどしません。それでも、ちびどもは喜んで食べていました。
外出する直前に、ちいさなゲラが届いていました。ごく短い書評。帰宅してすぐに処理しました。(赤字なし。)しばらくしてから郵便局に行って、ゲラを印刷所にもどしました。
お昼過ぎに、アマゾンのマーケットプレイスから次の本が届きました。
岩井淳・大西晴樹編著
『イギリス革命論の軌跡:ヒルとトレヴァ=ローパー』
蒼天社、2005
編著者を含め、10名による共著です。
はしがき、あとがきについで、私の関心にもっとも近い次の2点をまず読みました。
山田園子「第8章 トレヴァ=ローパーと「虚構のスペクトル解体」」pp.164-185.
末廣幹「第9章 トレヴァ=ローパーと一七世紀文化の全般的危機」pp.186-206.
山田園子さんの論考は、ニコラス・ヒル(イングランドの原子論者)、アーマー大主教ジェイムズ・アッシャーを扱っています。
幼稚園児に続いて、7時半。かすかに雨が降っています。
幼稚園児が出かける頃には止んでいました。途中まで歩いていた幼稚園児が帰ってきて、自転車に乗り直して、でかけました。買い物をすませて帰ってきた妻が、もうチョコをもらってきました。帰りにこっそりすでに用意してあった逆チョコをお返しとして渡すそうです。へんなものです。
ちなみに、ちびどもの友チョコは、日曜日にポストに配って回るそうです。わー、さむ。気温が上がってきません。正午の気温が朝と同じ4度ということです。部屋のなかもひんやりしています。
今回の研究に欠けるもの。
H. D. Schepelern ed. with introduction, Olai Borrichii itinerarium 1660-1665: the journal of the Danish polyhistor Ole Borch , 4 vols., Copenhagen : Danish Society of Language and Literature, and London, 1983
日本の図書館で所蔵しているところが見つかりません。また、古書としても売りに出ているところが見つかりません。今回は諦めて、また科研費等のお金が取れたときに入手を考えたいと思います。
Olaus Borrichius (1626-90) は、コペンハーゲン大学の哲学、詩学、化学、植物学の教授です。1660年から6年間ヨーロッパ中を旅して回り、当時の多くの知識人と会っています。重要なのはその日誌(journal)を残していることです。これは、H. D. Schepelern が編纂した貴重な仕事です。編者のSchepelernは化学・錬金術にあまり関心がないようですが、ボリキウスの『化学の歴史と発展』De ortu et progressu chemiaeは、Bibliotheca chemica curiosa(J. J. Manget ed., 2 vols., 1702)の冒頭に採録され、18世紀の化学者によく読まれたものです。オルデンブルク書簡集と同じような意味で貴重な資料です。すくなくとも、日本の大学図書館で数館は所蔵していなければならないと思います。寒いと片づけに着手する気になりません。発掘した本のなかから、必要だと思われる次の論文を読んでみました。
Victor D. Boantza, "Reflections on Matter and Manner: Duclos Reads Boyle, 1668-69," in Lawrence M. Principe ed., Chymists and Chymistry: Studies in the History of Alchemy and Early Modern Chemistry (Sagamore Beach, 2007), pp.181-192.
Samuel Cottereau Duclos (1598-1685) は、最近になってやっといくらか研究されるようになってきたパリの科学アカデミーの化学者です。著作としては2点、『フランスの鉱水の観察』(Paris, 1675)と『自然的な混合物の原質についての論考』(Amsterdam, 1680)です。後者の方は、アカデミーによって出版を拒否されたので、『鉱水論』に遅れること5年オランダで出版されています。Boantza のこの短い論文は、デュクロがどのようにボイルを読んだのか・批判したのかを焦点に据えています。デュクロが読んだのは、『いくつかの自然学的エッセイ』(1661)の1667年ラテン語版です。化学者としてデュクロは、ボイルの実験とスキルを問題にしています。
デュクロは、明らかにボイルとは異なる学派に所属しています。スイギン学派という呼び方に対して、イオウ学派とで呼べる立場です。Boantzaは、3つの前提を指摘しています。1)「すべての金属がスイギンとイオウからなるというヘルメス主義的教説」。パラケルススの『アルキドクシス』によっている。デュクロは、パラケルススの『アルキドクシス』の第4章「金属からクインタエッセンスを抽出すること」を引用している。「金属は二つの部分、すなわち、クインタエッセンスと本体body に分けられる。」この色つきのクインタエッセンスはデュクロによればイオウに他ならない。そして、白い本体とはスイギンに他ならない。スイギンは物体(身体)であり、イオウは非物体である。2)「ある金属の溶解は、他の金属の溶解を容易にする。」3)金属変成の原因は、そのイオウに求められる。デュクロにとって変成は日常茶飯事である。たとえば、鉄を銅に変成する、辰砂を銀に変成する、といったことは、多くの手で実行されている。
イオウには2種類があると考えた。内的イオウと外的イオウ。内的イオウは金属のスイギンと結合して金属の実質を作っている。外的イオウは、金属的実体に外から働いて金属の種を決める。
この観点からは、金属の変成は外的イオウへの働きかけとして理解できる。しかも、比較的簡単に生じる。→こんな短い論考ではなく、デュクロに関しては本格的な研究を読みたい。→といって検索してみたら、この人の博士論文がウェブにありました。次です。
Victor Dan Boantza, Styles of Experimental Reasoning in Early Modern Chemistry, Ph.D. dissertation, University of Toronto, 2009
第1章は、短い論考を発展させた(あるいはもととなった)デュクロに関するもので、「化学哲学とボイルの哲学的化学:ボイルを読むデュクロ」。
第2部は、プリーストリーのカーワンに関するもので、第2章が「空気と思想を集める:プリーストリーの実験的推論法のスタイル」。
第3章が「リチャード・カーワンの『フロギストンの理論に対する巧妙なる変容』」
そして第4章が「統一性と単純さというまちがった見世物」となっています。第1章は100頁程度です。どうしましょう。ちなみに、著者は何人だろうと思っていたら、イスラエル出身でした。カナダに来て、ルヴィアさんのところで博士論文を執筆しています。
ウェブにあった次の論文も読みました。デュクロ繋がりです。
Lawrence M. Principe, "Transmuting Chymistry into Chemistry: Eighteenth-Century Chrysopoeia and Its Repudation," in José Ramón Bertomeu-Sánchez, Duncan Thorburn Burns, Brigitte Van Tiggelen (eds.) Neighbours and Territories: The Evoling Identity of Chemistry, (Louvain-la Neuve: Mémosciences, 2008), pp.21-34.
どうして1720年前後に、化学は、クリソポエイア(金造り=錬金術)を失ったのか、その理由を探っています。プリンシーペは、それだけとは言わないが、パリの科学アカデミーの態度が大きな要因だったと主張しています。代表的なイデオローグが、フォントネル。
Lawrence M. Principe, William Hombert and the Transmutations of Chymistry at the Académie Royale des Science, forthcoming 2009.
とあります。まだ本としては出現していませんが、今年から再来年ぐらいの間には出版されるのでしょう。化学の制度化(職業化)ということで言えば、パリの王立科学アカデミーのポストはもちろん重要です。デュクロ、ホンベルクが前景化してくれば、レムリのような化学教科書派だけではない、17世紀フランスの化学の様子がよりよく見えてくるでしょう。次のものもありました。
Luc Peterschmitt and Rémi Franckowiak, "Hombert's Chemistry: a Certain Truth into a Disputable Physics," in José Ramón Bertomeu-Sánchez, Duncan Thorburn Burns, Brigitte Van Tiggelen (eds.) Neighbours and Territories: The Evoling Identity of Chemistry, (Louvain-la Neuve: Mémosciences, 2008), pp.115-121.
これは、次の論文の縮約版とあります。
Luc Peterschmitt and Rémi Franckowiak, "La chimie de Homberg: une chimie certaine dans une physique contestable," Early Science and Medicine, 10(2005): 65-90.
→この短い英語論文は、論点を簡潔に提示してくれています。こういうものが(変に議論を展開されるよりも)ありがたい。
物理学(自然学)の原理は、機械論的な、粒子の大きさ、形、運動、配置。化学の原理(原質)は、第1にイオウ、第2にエン、第3にスイギン。
第1の原質、イオウは、光の物質であり、これだけが真に能動的な原理である。第1に光の物質は常に作用している。第2にこの物質は他の原質のなかに入り、その形を変え、その重さと嵩をまし、それらと異なる仕方で結合することで異なる混合物体を生み出す。
第2の原質、エンは、鋭い点であり、見えない。現実に手にすることのできる塩の差違は、それの含むイオウの差である。
第3の原質、スイギンが原質であるのは、分解できないからである。これは金属の原質(原理)である。
こういうふうに、リュックとレミはまとめてくれています。イオウ(=光の物質)派と呼んでよいでしょう。3原質とはいえ、物質の作用も種差もイオウによると考えています。
幼稚園児に続いて、7時。地面は濡れていますが、今は降っていません。休日。おおきいちびはチョコレートのことで頭がいっぱいです。11人分作ると言っています。[チョコづくりの弟子]
10時過ぎに、ダイソーに、袋を買いに行きました。私とおおきいちびのみ。お仲間がすこしいました。チョココーナーには売り切れが続出していました。昼食後、すぐに作り始めました。ちいさいちびも作りたい、幼稚園児も作りたい。ちいさいちびはおおきいちびの11人分を手伝わせました。ちいさいちびが作ったときには、レシピに従い、生クリームと無塩バターを混ぜましたが、柔らかくなりすぎます。今回は、何も混ぜずにそのまま溶かして型に入れることとしました。
最初にホワイトチョコ。次に普通のブラックチョコ。溶かすのは私が担当しました。盛りつけをちびどもが二人で行いました。型に流し込み、トッピングします。幼稚園児はすこしだけ分けてもらい、食べています。トッピングに使う銀色の丸くて小さいチョコが気に入ったようで、ちっちゃい粒を一粒一粒とって食べていました。生クリームとバターを使っていません。室温でもきちんと固まります。しばらくしてから固まったものを袋詰め。ちいさいちびも前に作って冷蔵庫に入れていたものを袋詰め。幼稚園児もやりたいというので、おおきいちびの余ったのを分けてもらって袋詰め。女の子二人にあげるのだそうです。あれ、あれ。ちびどもは友チョコ。幼稚園児は逆チョコ。なかなか迷惑な事態になってきています。
ちなみに、ケーキはレシピ通りに作れば、それなりのものができます。しかし、チョコは難しい。整形が難しい。時間をかけた練習が必要だと思われます。
[中央公論ののやさん]
昨日、外出したときに、新しい『中央公論』(2010年3月号)を買ってきています。昨日の間に読むべき所は読んでいます。今回の最大のヒットは、「私の仕事場58 野矢茂樹」です。逍遙学派としてののやさんが木立のなかを散歩する姿が掲載されています。私の大学の後輩にも、野矢茂樹のファンがいます。過去をばらしたくなる誘惑に駆られますが、文字にするのはやめておきましょう。「佐藤優の新・帝国主義の時代」は、リアル・ポリティクスというのが正確かどうか知りませんが、政治の世界の実相をかいまみることができます。私の細い繋がりから言っても、新聞記者の行動に関しては、佐藤優氏の記述が正鵠を得ていると思います。
日本のメディアのいわゆる報道にうんざりしている人には、「世界展望」(タイトルは、ゲっではありますが)が面白いと思います。今月号は、グレゴリー・クラーク「沖縄基地問題はアメリカ軍の派閥抗争?」とロバート・フォーゲル「GDP123兆ドル!中国経済が覇権を握る日」が掲載されています。(後者は、Foreign Policyからの翻訳です)
グレゴリー・クラークさんの書き出しは次の通りです。「沖縄の普天間にあるアメリカ海兵隊基地の将来をめぐって戦わされている議論は、まったくもって不可解である。長らく日本に住み、たいていのことには驚かなくなっていた私だが、この件に関しては、あらためて首をひねるばかりである。」まったくです。
ロバート・フォーゲル氏の論考の結論を日本と引き合わせて考えれば、日本はEUとともに相対的地位の低下の道を(できれば歩調をうまくあわせて)歩むしかない、ということになります。やはり書き出しを引用しておきましょう。「2040年。中国の経済は、2000年における全世界の経済生産のほぼ3倍となる123兆ドルに達するだろう。また、一人当たり国民所得も8万5000ドル台に乗る。この数字は、EU諸国の2倍を超え、インドや日本と比べてもはるかに高い。」
人口減は、日本と同じくすでにヨーロッパの国でも始まっています。2000年の時点で、ドイツとイタリアは、すでに自然減の状態になっている。イタリアの出生率をこのまま推移すると考えれば、人口は50年間で半減する。
全体的に、2040年までに西欧人口の3分の1近くが65歳以上になっているであろう。
6時50分。曇り。まだ暖かい。でもすぐにまた冬に戻るそうです。ちびどもは、先に起きていたようですが、私の後で階下に降りてきました。ぼちぼちと、片づけを続行しています。すこしはましになってきましたが、まだまだです。
出てきた本のなかのひとつに(本の山を片づけているのですから、本が出てくるのは当たり前なのですが)、次があります。
Lawrence M. Principe ed., Chymists and Chymistry: Studies in the History of Alchemy and Early Modern Chemistry, Sagamore Beach: Watson Pub., 2007
ニューマンのものをまず見てみました。読んでいます。というよりも、2009年11月8日に山田さんに借りてコピーを取って読んだ論文 (William R. Newman, "Geochemical concepts in Isaac Newton's early alchemy," in Gary D. Rosenberg (ed.), The Revolution in Geology from the Renaissance to the Enlightenment (Geological Society of America, 2009), pp.41-50)とほぼ同じです。(ということは、気付かずに2度読んだことになります。)
次には次のものを読みました。
Gabriele Ferrario, "Origins and Transmission of the Liber de aluminibus et salibus," in Lawrence M. Principe ed., Chymists and Chymistry: Studies in the History of Alchemy and Early Modern Chemistry (Sagamore Beach, 2007), pp.137-148.
こういうのは勉強になります。Liber de aluminibus et salibusのアラビア語原本は、12世紀の執筆(製作)であろうと推定しています。さらに作者は、ルスカに従って、ラーゼスではないとしています。オリジナルな著作か、すでにあったテキストの編纂本かという問題を立てて、すでに存在していた実践的化学マニュアルの編纂であると結論付けています。さもありなんと思われます。p.140「Liber de aluminibus et salibusのテキストは、様々なテーマを平明でテクニカルなスタイルで記述している。そうしたテーマとは、
明礬(アルム)に関する操作
塩の異なる種類とその特性:錬金術の操作におけるアルカリ塩とアンモニア塩の使用
アルセニック(砒素)と実験室で砒素を使うための準備の操作
砒素と硫黄の比較。硫黄の記述。
銀とその特性:白色、すなわち銀を得るためのエリクシル。銀の細粉化と苛焼。
錫とその特性:鉛に行うべき操作
鉄とその特性:その熔解と他の操作
銅とその特性:銅を変成し、重さを増すための操作:銅によって銀の重さを増すための操作:銅を金に変じるための準備
ガラスとその特性:ルビー、エメラルド、滑石を得るためのレシピ。
幼稚園児といっしょに6時50分。ちびどもは起きていました。今日は最高気温が18度まで上がるということです。季節の変わり目。朝のうちはそれほどでもなかったのですが、お昼をすぎるとほんとうに暖かくなってきました。ちびどもが帰ってくるころには、暖房が不要になり、床暖房を切りました。それでも、室温は20度以上あり、寒さをまったく感じなくなりました。
ちょうどよいので、私は部屋の清掃と片づけに着手しました。資料もある数を超えると忘れます。こういうのもプリントアウトしていたんだ、あるいはプリントアウトして読んだ(または目を通した)というのが数多く出てきます。本棚も少しですが、もう少し使いやすいように本をすこし入れ替えました。なかに、アダムズの『地質学史』がありました。
Frank Dawson Adams, The Birth and Development of the Geological Sciences, Dover: New York, 1954 (first pub. 1938)
黄色に赤の図版の表紙です。私が読んだのは、青です。青を買ったときにはまったく気付きませんでしたが、黄色表紙バージョンを持っているのを100%失念して買ったわけです。やっといま気付いたことになります。状態は黄色の方がずっとよい。2冊あれば2冊あったで、壊れることを気にせずに使えるわけですが、本の地層から化石を掘り起こした気分です。もちろん、片づけは途中で終わっています。地層の中から必要な本が出現するので、こらばかりは仕方なし。
[シラバス入力]
何にせよ、来年度の授業は4月12日から始まります。シラバス入力の締切が12日です。来年度の授業計画を作成してみました。本格的な準備は4月に入ってから取り組みます。
2010年度授業計画
→完璧とは言えませんが、シラバスの入力も行いました。今はびっくりするぐらい入力しないといけない項目数が増えています。12日までにもう一度見直して、この作業はフィニッシュとします。[科学と学習]
昨日の夜、おおきいちびがママに通信講座をやりたいと相談していました。一番仲のよい二人が中学受験をします。受験勉強の真っ最中です。その影響が大きいのだと思いますが、自分も何かをしたくなったようです。
話を聞いて、ああ、そういえば、私の子供時代、学研の科学と学習を定期購読してもらっていたことを思い出しました。少年少女世界文学全集というのもたぶん月2冊配本のような形で講読していました。昭和の時代の家庭では、たぶんよく見られた風景だと思います。
思い出したので、受験するわけではないのだからそういうのでもよいのではと提案してみました。それから、実際にまだ続いているのかどうか調べると、おお、なんと、『学 習』は2009年度冬号(2010年1月1日発行)、『科学』は2009年度3月号(2010年3月1日発行)で休刊という通知がありました。『学習』はちょうどなくなったところ、『科学』はなくなる直前でした。
ウェブで調べると他にもニュースはあります。『学習』は1946年(昭和21年)創刊、『科学』は1957年(昭和32年)創刊とあります。『科学』が創刊になった翌年私が誕生しています。最盛期の1979年(昭和54年)には両誌あわせて670万部を発行したようです。それが10分の1以下になったらしい。そうか、とうとう休刊か。
昭和30年代の子供時代をおくった者には、感慨深いものがあります。
妻の話によれば、ベネッセの展開している通信講座は、そうしたもののよい部分・人気のある部分を取り込んでいるようです。つまり、おまけがいっぱい。
ないのであれば、仕方がない。朝また妻とも相談して、ともあれ、まずは、本人のやりたいというのをやらせようか、という話になりました。
7時半。急いでゴミを出しました。ゴミの収集場所を変えてもらってから、ほぼ8時過ぎに収集に来てくれます。わが家には小学生がいますから、はやいほうがありがたい。
幼稚園児はすぐに降りてきました。ちびどもは布団のなかでマンガでも読んでいるのでしょう、8時になっても下に現れません。[長女の10歳の誕生日]
おおきいちびの10歳の誕生日。妻の体調によって、遠出は取りやめて、近所の買い物ですますようです。生まれた頃は、まるまるころころしていました。今は、クラスで2番まで身長が伸びて、見た目ほっそりしています。予定がまた変更になって、おおきいちびはママと新宿の伊勢丹に行くこととなりました。ちいさいちびと幼稚園児は、私といっしょに井の頭公園。駅のホームで分かれました。ちいさいちびと幼稚園児は、お昼を食べたばかりなのに、公園につくと定番のお団子。食べ終わってから、ボート。足漕ぎボートに3人で乗り込みました。ハンドルは、幼稚園児とちいさいちびがじゅんばんこ。池を一往復して、すぐに遊具のある場所へ。滑り台、ブランコ、滑り台と遊んで、もう帰ると言います。言ってからもすこし坂で遊んでから、帰途へ。
2時前に駅に着きました。幼稚園児は、仮に幼稚園に行っていたら帰る時刻です。家に帰り着いてからまた「ゲームオーバー」。時間があるので、幼稚園児に提案して、昨日ユザワヤで買ってきた粉でガトー・ショコラを作ることとしました。あれ、タマゴがない。タマゴだけ急いで近所の99ショップ(今はローソン100ですが)で買い出しに行ってから、攪拌。ちいさいちびにやらせました。
実は、スプーン一杯のミルクを入れるのを忘れましたが、かなり慣れてきているので、そうとう上手にできました。幼稚園児とちいさいちびはまだあつあつのガトー・ショコラを食べていました。そうこうするうちに、妻とおおきいちびが帰ってきました。夕ご飯とバーゲンで買った服を戦利品として持ち帰りました。ずいぶん安かったということです。
[カーンの仕事]
駒場のNK氏に次のコピーを送ってもらいました。ありがとうございます。
Didier Kahn, Alchimie et Paracelsisme en France à la fin de la Renaissance (1567-1625), (2007), chap. 2.2. "Le "renouveau paracelsien" en acte: la publication des grands recueils de texts alchimiques médiévaux en Europe (1541-1622)"
本そのものが、806頁とあまりにでかいので、入手を逡巡していたものです。『化学の劇場』でひとつのピークに達する中世の錬金術文書の集成本の系譜をきちんと整理して、記述してくれています。助かります。
『化学の劇場』の出版は次のように記されています。
1602年最初の3巻本が出版される。
1613年第4巻を付加して、再編集されたものが出版される。
1622年第5巻出版。
1659年、再度編集し直して5巻までが出版される。第6巻の出版は、1661年に持ち越される。第6巻には、17世紀になって俗語で出版された重要な錬金術文書がラテン語訳されて採録されている。前に記したデ・ローシャの「鉱水論」もそうですが、同じく第6巻(pp.143-162)にラテン訳が採録されたJean Collessonを プリンシーペは使っています。
L'idee parfaicte de la philosophie hermatiqve, 1631.
ラテン語訳は、次。
Idea perfecta philosophiae hermeticae, in Theatrum Chemicum, Vol. 6 (1661), pp.143-162.すなわち、いわゆる中世の錬金術文書(といって一様でも一枚岩でもありませんが)とは異質な化学文献が第6巻には採録されていることとなります。ボイルが利用した『小農夫』(もとドイツ語)のラテン語訳も採録されています。第6巻は17世紀の化学の展開を(全面的というわけではないでしょうが)一部証言するものとなっていると言ってよいでしょう。
なお、プリンシープがコレソンを使うのは、17世紀前半のスイギン学派の一人としてです。彼らにとって、木とは「金の種子」の成長 vegetation を意味していた。コレソンは、賢者のスイギンの力は、金を成長させ発芽させることにあった。p.67
スイギン学派に属するのは、とりわけ、リプリー、コレソン、ズフテン、ガストン(クラヴェウス)デュクロ、フィラレーテス(スターキー)、ボイル。p.68→ 10.2.10 すこし調べてみましたが、Jean Collesson に関する研究はほとんどないようです。プリンシーペは、未開拓の領域に切り込んでいっていると言えるでしょう。Jean Collessonと De Rochas はフランス語から、Johann Grasse はドイツ語からラテン語訳されて『化学の劇場』第6巻に採録されたわけです。
『化学の劇場』第6巻のもとの論考をきちんと調べてみる価値があるように思われます。
手の及ぶ範囲で調べてみました。
1. Blasius Vigenerius, "Tractatus de igne et sale", pp.1-139.
この第6巻の最初に収められた『火と塩の論考』は、 BL の記述によれば、J. J. Heilmannus によるラテン語訳ということです。Blaise de Vigenère, Traict&egarave; du feu et du sel, Paris : chez la veufve Abel L'Angelier, 1618
Blaise de Vigenère, Traicte du feu et du sel excellent et rare,Paris : Chez C. Cramoisy, 1622.
Blaise de Vigenère, Traictè du feu et du sel excellent et rare opuscule du sieur Blaise de Vigenère, (Derniere edition reueue & corrigee.) A Rouen : Chez Jacques Caillové..., 1642英訳もかなり素早く出版されています。
A discourse of fire and salt, discovering many secret mysteries, as well philosophicall, as theologicall, London : [s.n.], 1649.2. シャルチエのアンチモン論。Johannes Chartier, "Scientia plumbi sacra sapientum seu cognitio rararum potestarum et virtutum animonii", pp.569-599
Chartier, Jean, 15th cent. La science du plomb sacré des sages, ou de l'antimoine, où sont décrites ses rares et particulieres vertus, puissances, et qualitez. Paris : [s.n.], 1651.
やはり、BL の記述によれば、 J. J. Heilmannusに手でラテン語訳されたということです。
3. ポレマンの『医学の新しい光』。Joachim Polemann, Novum Lumen Medicum, apud Theatrum Chemicum, vol.6 (1661), pp.600-674.
JoachimusPolemann, Novum lumen medicum, in welchem die Lehre des Philosophi Helmontii von dem hohen Geheimnüs des sulphuris philosophorum erkläret wirdt, Amsterdam, 1659
後ろから4つ目に採録されています。1659年出版のものを1661年にラテン語訳して『化学の劇場』にとられているわけですから、迅速な仕事と言えます。
この書物はすぐに英訳も出版されています。
Novum lumen medicum; wherein the excellent... doctrine of the... philosopher Helmont concerning the great mystery of the pholosophers sulphur. Is fundamentally cleared. London [s.n.], 1662.4. [Johann Harprecht], Annagramista "Harr gewiss Trost von Gott", Mysterium occultae naturae. Anonymi discipuli J. Grassei Chortolassei dicti, etc., apud Theatrum Chemicum, vol.6 (1661), pp.523-542.
[Johann Harprecht], Mysterium occultae naturae. Das ist: von der herrlichen und edlen Gabe Gottes, der sternflüssigen Blumen dess kleinen Bawerss, oder universal Brunquels der Metallen... , Hamburg, 1657.
お騒がせ者、ハープレヒトによる、ヨハン・グラッセの弟子を称する作品です。もとはドイツ語。アオドレアス・オルテリウス『ポーランド人ミカエル・センデイヴォギウスの新しい化学の光に対する注釈』
この形では、『化学の劇場』に採録されたものが最初のようです。ファガソンによれば、『新しい化学の光』は1604年プラハで出版されたのが最初です。ベガンが編集した版が1608年パリ。1614年ケルンの版もあり。1644年ヴェニスの版もあり。フランス語訳もあり(1618年パリ)。英訳は2種類(1650年ロンドン;ジョン・ディグビーによる18世紀の訳(1722年ロンドン))。
クリスフォフォロス・パリシエンシスは、中世の人です。13世紀の、伝記的詳細については何も知られていない人物です。ボリキウスの評価によれば、何の価値もない、ということです。(ファガソンは、おそらく修道士であろうと推測しています。)
ほぼかぞくそろって、6時50分。ちびどもは何をしているのか、階下に降りてきません。寒い。[パティシエ入門]
ちいさいちびがすこし前からモール、モールと言っています。モールってなに?と聞いても、私にわかるような説明はできません。昨日も近所のいくつかのお店に連れていってやりましたが、置いていませんでした。
おおきいちびは、友チョコのラッピングを買いたいと言います。
昼食後、吉祥寺に買い出しに行くこととなりました。疲れ果てている妻と、幼稚園児はお留守番。ちびどもと3人で出かけました。気温が非常に低いわけではありませんが、強い風が吹きます。わー、さむ。できるだけ風の来ない場所を通って行きました。最初は、ロフトに行く予定だったのですが、閉店間際とはいえ、こういうものはユザワヤの得意分野であろうと思いついて、吉祥寺駅から外に出なくてすむユザワヤに入りました。
チョコのコーナーは、入ってすぐの所にありました。賑わっています。チョコの材料は親が買ってやるが、ラッピングは自分たちのお小遣いで買いなさい、という話になっています。ちいさいちびはやっぱり工作系、おおきいちびはちいさな箱を買いました。
モールですが、同じ階でぐるっと回ってみているとありました。アマゾンでも調べていましたが、こちらの方が安い感じがします。(一袋に入っている数がわからないので、正確な比較ではありません。)一袋100円ちょい。おおきいちびも幼稚園児も欲しがるかもしれないので、5袋買ってやりました。
おおきいちびが東急に行きたいと言います。お友達の間で流行っている子供用のブランドがあります。そのコーナーが東急にあります。買わないけど、見たいということです。連れていきました。
文房具でかわいいものがあれば買うつもりもあったようですが、決断までには至らなかったようです。
2階上の書店に行って、ちいさいちびはモール工芸の本、おおきいちびはノートを捜しました。モール工芸の本を探すのはすぐに諦めました。ノートはすぐに見つかりました。
東急からはバスが便利なのですが、おおきいちびが車を嫌います。やはり駅まで戻って電車で帰ってきました。
ガード下の本屋さんでいつもの漫画雑誌を2冊、スーパーでチョコの材料の生クリームと無塩バターを買いました。けっこうな買い物となりました。
ちいさいちびはすぐにチョコを作りたいと言います。小学2年生がひとりでつくるには少々難しい。手伝ってやりました。一度作ってみると、ポイントはわかります。箱に印刷されているほどきれいにはできませんでしたが、手作りはこんなものでしょう。
自分も一本食べると言っています。
おおきいちびは11日(木曜日)の休日に作ると言っています。
実は、幼稚園児がわりとケーキを作りたがります。おねえちゃん(ちいさいちび)の影響でしょう。仕方がないので、作ってやります。ケーキ用の枠はあります。レシピ通りに作ると、ふわふわのケーキができます。成分比も重要でしょうが、私の見るところ、粉をよく篩にかけて粒を揃えておくこと、よく混ぜること(泡立て器を使っていましたが、さすがに手が疲れ果てます。ハンドミキサーはずっと昔に買っています。ハンドミキサーを攪拌機として利用します)だと思われます。
説明書には、オーブンが必要とありますが、トースターでもワット数が切り替えられるものであれば、何とかなります。上から強熱しないように気をつけてやれば、トースターで十分ちゃんとしたケーキとなります。
子どもたちの相手をしてやっていると、いろんな手の技が身につくこととなります。こうやってパティシエ入門をはたすと、もうすこしうまく作りたいという欲求も目覚めてきます。ちょっと難しそうですが、個人的にはシフォンケーキも作ってみたい。
[ラムズサイト]
ウェブで検索をかけていると次のサイトに行き着きました。
Restorers of Alchemical Manuscripts Society (R.A.M.S.) Digital Library
R.A.M.S.カタログ
もしかしたら、使えるかもしれません。(まだ何も試していません。)私には必要かと思い、『化学史における器具と実験』の第1部のものは、全部読むこととしました。次。
Robert G. W. Anderson,"The Archaelogy of Chemistry," in Frederic L. Holmes and Trevor H. Levere (eds.), Instruments and Experimentation in the History of Chemistry (Cambridge, Mass., 2000), pp.5-34.
Lawrence M. Principe, "Apparatus and Reproducibility in Alchemy," in Frederic L. Holmes and Trevor H. Levere (eds.), Instruments and Experimentation in the History of Chemistry (Cambridge, Mass., 2000), pp.55-74.
もちろん、ともに参考になりました。
アンダーソンの「化学の考古学」ですが、日本語でランビキ、もとの言葉ではAlembic という由緒ある蒸留装置の考古学です。注意を払われなかったことと、もとのものが壊れやすい・廃棄されやすいという理由で、製作年代・使用年代が確定できる残存物は驚くほど少ないとあります。また、吸い玉と呼ばれる器具 sprouted cupping glassesが一時期 alembics と呼ばれたこともあり、この器具と混同される恐れが十分あることも指摘しています。そして、テキスト内の証拠としては、やはり、ノートンがかなり明確に記述していることが特筆されています。
プリンシープの「錬金術における器具と再現可能性」ですが、途中から議論の流れが予測できました。錬金術の文書によく描かれる「ヘルメスの木」「賢者の木」「ヘスペリデスの木」(マイヤーの『逃げるアタランタ』のエンブレム9がもっともよく目にするものでしょうか)ですが、銀樹に代表されるデンドライト・フラクタル(樹板状結晶)という実験事実を指していると主張しています。プリンシープもすべてのヘルメスの木がデンドライトであるとまでは主張していません。少なくとも、スイギン学派で描かれるヘルメスの木は、デンドライトという実験事実に基づくものがある、という主張です。鉱物のvegetation ということばが錬金術文書にはよく現れますが、これも、デンドライトを指していると考えれば、すっきりと理解できるものが少なくない。典型的には、アカデミーの化学者ホンベルクの「金属のさまざまな植物成長についての考察」(1692年に報告される)がこれだというわけです。
銀樹は、日本の宇田川榕庵をも虜にしたものです。はじめて目にしたときの驚きは大きいと思われます。人間の認識に対して鉱物の結晶型がもつインパクトは軽視するわけにはいかないと思います。(学生にいろんな鉱物の結晶を見せると、人間が作ったものだと思うようです。自然に結晶するんだよと教えると多くの学生は、信じられないといった感じで驚きます。うちの大学の学生が、ほぼ完全に文化系ということもあるでしょうが、一般人の感覚を代表していると見てよいでしょう。)
ひとりで5時25分。いきなり調子がよくなったわけではなく、頭痛により昨夜7時半頃寝てしまったせいです。いつものように夜に起きて仕事をするつもりでしたが、そのまま朝まで寝てしまったわけです。風邪ではなく、眼精疲労でしょうか。今日はちびどもの学校開放日。妻は、いろいろ仕事があると言って、8時45分頃そっと出ていきました。それからお昼過ぎまで息子と二人きり。いいのかわるいのか、最近は「ゲームオーバー」(幼稚園児は、スーパーマリオのことをこう呼んでいます。子どもには絶妙の名前でしょう)をやらせておくと、しばらくひとりで遊んでくれます。私は自分の部屋ではなく、食卓の上で別の作業をしていました。「ゲームオーバー」をあまり長くやらせると、変調を来します。途中で、ウィフィットに変えて、しばらく運動をしていました。幼稚園児はジョギングが好きです。しかも、ひとりではなく、私にもついてこいと言います。運動だと思って付き合っていました。
私はお腹が空いたので、11時過ぎに先に昼食。幼稚園児はミルクをたくさん飲んでお腹がよいこともあったのですが、ママを待つと言います。ママを待って、12時半。疲れたと帰ってきました。あっちこっち飛び回っていたようです。
いろいろな作業の最中に読んでおいた方がよさそうだと思い出して、次のニューマンの論文を読みました。
William R. Newman, "Alchemy, Assaying, and Experiment," in Frederic L. Holmes and Trevor H. Levere (eds.), Instruments and Experimentation in the History of Chemistry (Cambridge, Mass., 2000), pp.35-54
短いものなのですぐに読みました。私は読んでおくべき論文でした。むしろ、化学史家であれば、ニューマンとプリンシーペのものは読んでおいた方がよいですし、中世、ルネサンス、初期近代を専攻している化学史家には必読かと思われます。錬金術に対する根強い偏見が実際に錬金術のテキストを読むことを妨げてきたと言ってよいでしょう。逆に言えば、ニューマンやプリンシーペの仕事がそのひとつですが、きちんと読まれていない錬金術文書はまだまだ数多くあると言えます。私の研究に引きつけて言えば、ボイルでさえあまりきちんとは読まれていません。いまだに無邪気に「ボイルの元素観」とか言っている人は、いったいボイルの何を読んだのか疑問です。『懐疑的化学者』ぐらいは目を通したのでしょうが、読んだとは言えないと思います。内容紹介をすこし。
Rhazes, al-Razi( c. 854-925) の秘密の書、Liber Secretorumとしてラテン語訳される。pseudonymous work, Liber de Aluminibus et Salibu で有名になる。塩の分類を行っている。岩塩(rock salt sal gemma)、食卓塩(table salt, sal panis)、苦い塩(sal amarus)、ナバテン塩(sal Nabateus)、アルカリ(sal alkali)、アンモニアック(sal ammoniacus)、等々。
13世紀のミカエル・スコトス Michael ScotusのArs Alchemiaeは、一般的なタイトルにも関わらず、大部分は塩とアルム(明礬)についての論考である。サル・ニトルムを区別するために、赤熱する炭の上に乗せる方法を記載している。区別しているのは、中心的には、ナイター硝石とナトルム(炭酸ナトリウム、天然ソーダ)。ものとしても、名前の点でも混同されていた。
ランドグレインの主張。「化学天秤は、17世紀・18世紀の実験室のイラストに出現しない。化学者は日々の作業で化学天秤を用いなかった。商業的な鉱山業においてのみ、化学天秤は使われていた。」
3つの点で間違えている。1.図版の点。エリアス・アシュモールの『英国の化学の劇場』(1652)に掲載されているトマス・ノートン(Thomas Norton, ?1433-1513 or 1514)の挿絵には、精緻な化学天秤のイラストがある。この絵は、中世の写本でも確認されている。2.化学天秤の使用。つまり、すでに中世においても化学天秤は使われていた。1343年フランスのOdonanceが天秤の使用を義務づけている。3.天秤が使われたのは、鉱山業(試金)の分野に限定されない。
アヴィセンナ(Avicenna, d. 1037)に間違って帰されているDe Anima in Arte Alkimae。ロジャー・ベイコンの錬金術の中心的ソースとなった。大部分は、分留法による、動物体、植物体、鉱物体の分解にあてられている。リンゴ、チーズ、ミルクといった物体から、4元素を分離するレシピに富んでいる。まるで、16世紀17世紀の医化学派の文献のようだ。偽アヴィセンナ『錬金術の魂の書』については、次の大橋さんのサイトに第3章までの邦訳があります。いつもながら、すばらしい。
擬アヴィセンナ『錬金術の業における魂(アニマ)』
これが日本語で読めるのは、ほんとうに幸いなことです。→ 10.2.7 読んでみて、驚きました。ニューマンが指摘するとおり、ほんとうに16世紀17世紀の医化学派の文献のようです。もちろん、まったく同じというわけではありませんが、基本的な議論の組立(枠組み)は同じです。どこに進歩があったのかと思うほどです。(基本的前提、概念化のもとにある基本的前提は、基本的前提であることで、長く生き続けます。トートロジーになりますが、そのように長く生き続けるアイディア・ものの見方を、基本的な前提と呼ぶことになります。)まさにそういう意味での、火を用いた苛焼や蒸留のひとつの基本的前提だったと位置づけることができます。
大橋さんの訳から、一例をとってみましょう。
「牛乳を例にとる。」「それを凝固させるなら水があらわれる一方、他の三つはバターとして得られる。チーズはその土から得られるが、バターを火に投じるなら炎と化し、それが火の糧たる気であることを明かすだろう。乳清はその水であるが、火を含んでもいる。なぜなら乳は煮詰めた血であり、血は熱であるから、乳も熱である。しかしそのうちには熱は僅かばかりしかなく、ほとんど感知されないほどである。しかしそれがない訳ではないことは、ここに証示したとおりである。林檎になしたようにこれを四元素に溶解(解体)しようと思うなら、搾りたての暖かい(熱ある)牛乳を蒸留用鶴首(アランビキ)つきの受皿(ククルビタ)に容れ、薔薇水のように蒸留せよ。すると、最初に蒸留されるのは涙のように透明なもの(実体)。これが水である。つづいて透明さに劣り、黄色を帯びた別のものが蒸留される。これが気である。そして底に黒く焦げた土と火が残るだろう。ここに汝は水、気、土を得る。一方火は煙と化して蒸気のうちに消えたのであり、この煙は水と化したのである。」(大橋さんのサイトの、2008年01月04日擬アヴィセンナ『錬金術の業における魂(アニマ)』 18より)
搾りたてのミルクをランビキに入れて、蒸留していることがわかります。最初に分留される透明なものが水、次に分留される黄色いものが気、そして蒸留残査が土と火とされています。
ここの基本的前提は、「火を用いた操作(苛焼と蒸留)による元素の分離」です。今となっては逆に不思議ですが、(ファン・ヘルモント)ボイルの根本的な批判にも関わらず、啓蒙の時代までの化学者(の多数派)はこの基本的前提を共有していました。17世紀に入ると、5元素・5原質説が化学派の流行となりますが、基本的前提は変わっていません。
マルソーフがうまく記述しているように、もう一つの前提概念が「蒸留による不純物からの純粋なものの分離」です。植物材料を蒸留することによって得られる揮発性の油を「エッセンシャル・オイル」と呼ぶのは、この概念によります。ワインの蒸留によって得られるアルコールを「第5エッセンス クィンタエッセンス quinta essentia」と呼ぶのも同じ考えに基づきます。そのエッセンスのなかに(医学的)効能がある。その他の成分は、その医学的効能にとっては無駄な・あるいは効能を妨げる不純物であるというわけです。この考えによれば、何度も何度も蒸留を繰り返して、純粋な成分を得れば得るほど、高貴な本質を得ることができるわけです。
もちろん、効能という考え方を保持するとしても、それが残査の方にあると見ることも、あるいは、成分のある組合せによると見ることもできますが、蒸留主義派はそういう可能性を考えていません。ここに、基本的前提の働きの強さを見ることができます。再びマルソーフによれば、残査、すなわち塩がきちんと注目されるようになるのは、パラケルススの弟子達の間では、リバヴィウスあたりからということになります。
そして、塩そのものに対する注目は、これもニューマンの指摘の通り、ラーゼス、ミカエル・スコトス(英語読みすれば、マイケル・スコット、あのリン・ソーンダイクにモノグラフがあります。研究室の棚の上に置いています)、偽ゲーベルにあったものです。
ひとり遅れて7時10分。[Theatrum Chemicum once more]
『化学の劇場』がどういう集成なのか気になってきました。以前ここで紹介したポーランドのサイトにある目次をプリントアウトして目を通しました。大きく目に付くのは、第1巻の10.から16.(数字はポーランドのサイトによる)を占めるゲラルデゥス・ドルンです。偽アリストテレス、偽トマス・アクィナス、偽ルルスも目立ちます。リプリー、フラメル、アルテフィウス、ベルナルドゥス・トレヴィサヌス、ホーランドゥス、アルベルトゥス・マグヌス、ヴィラノヴァのアルナルドゥス、センデイヴォギウス、アヴィセンナ、等々もあります。第3巻で、28.から33.までを占めるのは、ドーフィネー出身の医師、パラケルスス派の錬金術師、ユグノーパンフレット執筆者のNicola Barnard (c. 1539-1604?) です。そのうち、4点は編纂本です。Triga Chemica (Leiden, 1599), Quadriga aurifera (Leiden, 1599), Auriga Chemicus, De occulta philosophia epistolaです。ないものに注目すれば、パラケルスス自身の著作(パラケルスス派のものはある)、ファン・ヘルモント、リバヴィウス、クロル、ベガン等の実践的化学教科書、下に挙げたアンチモンに関するモノグラフ、(そもそもモノグラフは少ない)、サラ、Untzer もありません。ゼンネルトももちろんありません。
ストラスブルクの出版業者(編集者)、Lazarus Zetzner (1582-1616)は、1616年に没しています。最初の4つの巻が、ウルゼル 1602年、1613年にストラスブルクでリプリントされ、第5巻が1622年、6巻揃いが1659-1661年。
つまり、ツェツネルの死後に出版された第5巻と第6巻は、最初の4つの巻とすこし違っていても不思議ではないわけです。第6巻の最後は次です。
Henri de Rochas, Tractatus de observationibus novis et vera cognitione aquarum mineralium et de illarum qualitatibus et virtutibus antehac incognitis. Item de spiritu universali (1634)
これは、もともとフランス語で出版されたものが、ラテン訳されて『化学の劇場』最終巻の最終論考として採録されたものです。オルデンブルクは、1659年4月11日付のボイル宛の手紙で、De Rocha について次のように報告しています。"he had good skill in mines and minerall waters, and his treatis de l'Esprit universell, is the handsomest, I ever read of that subject, though I suspect him to have borrowed much out of Nuyseman de Sale."「 デ・ローシャは、 鉱山と鉱水に関して熟達しており、彼の論考「普遍的精気」はその主題について私が読んだもののなかではもっとも便利なものです。ただし、多くをNuysemanの「塩論」から借用しているように思われます。」デ・ローシャの出版物は次。
Henri de Rochas, La physique reformée, 1638
Henri de Rochas, Physique demonstrative, 1644
これは、オルデンブルクが引用した次のパッセージで記述しているように、des Eaux Minerales, de l'Esprit universel, Des observations et guerisons de plusieurs grandes maladies の論考を含みます。ボイルは、デ・ローシャのフランス語を(おそらく自分で英訳して)『懐疑的化学者』(1661)のなかで引用しています。フランス語版はウェブで見つからないでの、『化学の劇場』に採録されたラテン語版で章を紹介しておきましょう。
Caput I. De aquis sulphureis
Caput II. De aquis vitriolatis
Caput III. De aquis aluminosis
Caput IV. De aquis nitrosis
Caput V. De aquis ferruginosis
Caput VI. De spiritu universali
これは、普遍精気の章を含みますが、全体としては、化学のモノグラフと呼べるでしょう。もとのツェツネルの編纂本とはちょっと異質なものが採録されたと言ってよいでしょう。ちなみに、ファーガソンは、この種の錬金術集成の最初は、次のものであろうと記しています。(数字はファーガソンの指摘する順序です。)
1. Jabir ibn Hayyan,
De alchemia... De investigatione perfectionis metallorum. Liber I. Summae perfectionis metallorum, sive perfecti magisterij. Libri II... Eiusdem De inventione veritatis seu perfectionis metallorum. Liber I. De fornacibus construendis. Liber I. Item. Speculum alchemiae, Rogerij Bachonis. Correctorium alchemiセ Richardi Anglici. Rosarius minor, de alchemia, incerti authoris. Liber secretorum alchemiae Calidis filij Iazichi Iudaei. Tabula smaragdina de alchemia, Hermetis Trismeg. Hortulani philosophi, super Tabulam smaragdinam Hermetis
Norimbergae : apud Ioh. Petreium, 1541. 1545.2.
De alchimia opuscula complura veterum philosophorum, quorum catalogum sequens pagella indicabit
Frankfort : C. Jacobus, 1550
3. Gratarolo (ed.),
Verae Alchemiae Artisque Metallicae...
1561, reprinted by Perna at Basel in 15724. Perna (ed.),
Auriferae artis, quam chemiam vocant antiquissimi authores sive Turba philosophorum
2 vols., Basle : P. Perna, 1572, reprinted by Waldkirch at Basel in 1593
New Editon appeared in 1610.
昨日に続き、ひとり遅れて7時半。好天。ノート取りに追われているうちに、さすがに紙の山を整理しないと次のステージで苦労すると思い、食卓に作業場を移して、中心的作業のノート整理に当たりました。
軽い頭痛がします。おそらく風邪ではなく、すこし睡眠のリズムが崩れたせいだと思われます。
4時頃、おおきいちびが帰ってきて、今日しかお友達が来られる日がないということで、誕生日ケーキは、今日ということになりました。話を聞きつけて、幼稚園児が自分も自分もと言っています。急遽テーブルの上を片づけ、幼稚園児を自転車の後ろに乗せて、ケーキの買い出し。ちょうど二人のお友達がわが家につく直前でした。お友達の一人が生クリームとチーズがダメと言うことです。いつものケーキ屋さんではなく、西荻駅前で一番由緒正しい(詳しいことは知りませんが、どうもそのようです)こけしやに行ってみました。お店の人に事情を説明すると、チョコとバターのがあるということです。それにしました。文字を入れてもらってから、帰宅。
おおきいちび、そのお友達二人、わが家のちいさいちび、幼稚園児の5人がテーブルに座り、ハッピーバースデー。いちばん騒いでいたのは、わが家の幼稚園児。チョコケーキ、チョコケーキと言っていた割には、5分の1も食べませんでした。椅子の上でピラメキーノを踊っていました。はんにゃの金田が女装して歌う、あれです。(はんにゃは子どもたちには面白いようです。喜んでいます。)あれ、あれ。
おおきいちびの誕生日は、来週の月曜日です。その日は、小学校の振替休日なので、天気が許せば、スケートに行く約束になっています。
ひとり遅れて7時半。好天。日陰には雪がまだ薄く残っています。寒い。雪が残っていて、気温が上がらないせいでしょう、室内にいても寒い。寒いと仕事の効率が下がります。つい席をたって、うろうろしてしまいます。
ちいさいちびは、帰宅後、お友達二人とやはり雪で遊んでいました。わずかに残った雪でも楽しいようです。
ファン・ズフテンの作業をしている間に、次の論文の pdf がゲットできました。
Wilson, William Jerome, with introduction by C. A. Browne, "Robert Child's Chemical Book List of 1641," Journal of Chemical Education, (March, 1943): 123-129.
さっと読みました。私には有用な情報が記載されています。珍しいところでは、私がよく世話になっているリストに、Harold Jantz Collection of German Baroque Literature (Reel Listing) というのがあります。ハロルド・ヤンツ氏ですが、名前からてっきしドイツ人だと思っていました。文中に、プリンストン大学の学識あるハロルド・ヤンツ博士の協力を得た、とあります。ドイツ系かもしれませんが、プリンストンの人だったわけです。このリストは、pdf でダウンロードした状態で検索がかけられるんで非常に重宝します。(ウェブで簡単に入手できます。)関連する論文として、古いアイシスから次のものをダウンロードしました。
C. A. Browne, "Scientific notes from the books and letters of John Winthrop, jr., (1606-1676)," ISIS, 11(1928): 325-342.
雪、雪、雪。こどものゆき。おとなのゆき。
今日、小学校の教室では何回「ゆき」ということばが使われたのでしょうか。ひとりで7時。ちびどもは起きていました。幼稚園児はぐっすり寝ています。積雪はたぶん1センチ。0時の時点から増えなかったようです。
ちびどももうれしそうに小学校に出かけました。そして、誰よりも、幼稚園児。待ちきれなかったようで、幼稚園の始まる30分前に外に出て、雪遊び。妻が昔買った雪かき用のスコップがあります。私も2階のベランダからそのスコップを持ちだして、通路だけ確保しました。あまり多くかいてしまうと幼稚園児に叱られます。一本の筋だけつけました。30分弱雪かきをしましたが、とてもいい運動になります。
気温が上がってきました。雨音がします。屋根から雪が溶けて流れ落ちる音です。子どもたちは喜んでいましたが、道路の雪はすぐに溶けるでしょう。日陰の土の上や、草むらだけにしばらく雪が残るでしょう。
→ちいさいちびは帰宅したあと、お友達といっしょに残っている雪で雪だるまを作っていました。妻によれば、道路のそこかしこにこのようにして作られた雪だるまがあったそうです。
次のものをダウンロードしておきました。
Kieser, Franz and Alexander von Suchten
Cabala Chymica, Concordantia Chymica, Azot Philosophorum Solificatum
1606
GoogleBookSuchten, Alexander von
Liber unus de secretis antimonii
Strassburg, 1570
MDZ本日の作業の一端。
ボイルに次の言葉があります。
「印刷された化学のプロセスを信じる気にさせないものとして、術者その人達に見られる失望について言及しておきましょう。有名で経験を積んだアレキサンダー・ヴォン・ズフテンは、その時代のどの化学的医学の教授よりも化学的医学の実践から稼いだと言われていますが、その『アンチモンの秘密の書』(その論考で彼は秘密を何も明らかにしていません。)の終わりの方で、謎めいた著述法について説明をしています。
Quod in hoc Tractatu nullum Recipe proposuerim ob id factum est, quod vos seducere nolo, Recipe enim illa seducunt juniores Medicos: sed neque a Theophrasto ullum Recipe Scriptum est, quod ad Medicinam, quin occultum seusum habeat, & in quo nihil vel deerit, vel abundet; & hoc non sit sine magnis causis.
この論考で私がレシピを明らかにしていないのは、読者を待ち伏せさせたくないからです。というのは、レシピは若い医師を道の途上に呼び止めるからです。テオフラストスは医薬に関して意味を隠すことなくしては一度もレシピを与えていません。そして、与えられたレシピにおいて、重要な点が欠けているかあるいはふくらまされすぎています。これは理由なきことではありません。」
書名ですが、ボイルは英語で、"towards the end of his Booke of the secrets of Antimony" とだけ記しています。これには欄外注はまったく付けていません。
私の問題は、ボイルはどの書物からこのパッセージを引用したかということです。ズフテンのLiber unus de secretis antimoniiは、最初ドイツ語版が1570年ストラスブルクで出されます。ミュンヘンデジタルセンター(ドイツ語圏の人は、デジタルらいぶらりーではなく、デジタルセンターという表現の方をよく使います。)にある上の版は、このドイツ語初版です。ただし、このドイツ語版はラテン語混じりです。段落の内容を示すマージェントと一部の文章はラテン語です。ボイルはこれを使ったのでしょうか?
まず、この引用がないかどうか、ドイツ語版『アンチモンの秘密の書』で捜します。p.97 にドイツ語で、"Das ich in disem taractat kein recept fürgestelt, ist derhalben geschehen, das ich euch nicht verfüten will, denn die Recept sein verfürung der jungen artzt. Es ist auch kein recept von Paracelso je beschreiben, betteffend die heimlichkeit der artzney das mit occultum sensum hab, darin mit zu wenig oder zu vil ist, und geschicht solches mit on grosse ursachen." とあり、欄外に"Recepta Paracelsi non ad ** intelligenda." とあります。
ボイルはドイツ語が読めませんから、このドイツ語からラテン語訳をつくったということはありえません。したがって、ドイツ語版の5年後に出版されたラテン語版を使ったとみてよいでしょう。(ラテン語版が入手できれば一気に解決しますが、ラテン語版を見つけることはできていません。)さて、アンチモンですが、これはいわゆる錬金術師の元素とされます。錬金術師達によって発見あるいはその性質が徐々に明らかにされたからです。(砒素、アンチモン、ビスマス、燐の4つ)。
古代においても、輝安鉱(Stibniteアンチモンの硫化物)は知られていたが、鉛と区別されていなかった。金属アンチモン(アンチモンという言葉は、18世紀ぐらいまでは、輝安鉱を指していた。金属アンチモンは、アンチモンのレグルスと呼ばれた)は、印刷術の勃興とともに、鉛に混ぜて活字に使われた。
化学物質としてアンチモンが注目を浴びるようになるのは、17世紀に入ってからです。15世紀のベネディクト会の修道士バジル・ヴァレンティヌスに帰される『アンチモンの凱旋車』が1604年にドイツで出版されてからです。(最近の化学史家は、この書物の編纂者として名前の出てくるヨハン・テルデ Johann Thölde が現実の著者だと見ています)。その後の研究に関しては、ボイルの証言を聞いてみましょう。
「(最も知識に富み、誠実な著作家のひとりである)バジル・ヴァレンティヌスは、ずいぶん前にアンチモンに関する好著、『アンチモンの凱旋車』Currus Triumphalis Antimoniiと題される論考を出版しました。彼は他の著作でもアンチモンに関し多くを教えましたが、アンチモンに関しては多くが未発見のまま残されました。それゆえ、その後アンゲルス・サラが大胆にも『アンチモンの解剖』Anatomia Antimoniiを出版し、さらにハメルス・ポピウスが、そして(そしてもしそれが本当の名前であるとすれば)ヨハネス・テルデが、さらにまた経験に富むアレキサンダー・フォン・ズフテンがこの鉱物について一冊の著作を著すのがよいと考えたのです。」Basilius Valentinus, Currus Triumphalis Antimonii, 1604
Angelo Sala, Anatomia antimonii, 1609
Hamerus Poppius, Basilica antimonii , 1618
Alexander von Suchten (c.1520-90?), Liber unus de secretis antimonii, 1570
ズフテンに関しては、『アンチモンの秘密の書』(1570 in German; 1575 in Latin)では時代があいません。編者は、Antimonii mysteria gemina (Leipzig, 1604)だろうと推定しています。しかし、これだって、時代があいません。1604年よりもはっきりと後でなければなりません。もちろん、この後の版 ([Leipzig] : J. Apel, 1613)があるので、その可能性もありますが、これだけでは確定的なことは何も言えません。しかも、 直後に使っているLiber unus de secretis antimonii(Latin ed., 1575) は、どう捜しても1575年版しか見つかりません。
幼稚園児がおしめが気持ち悪いと起きて、6時半。昨日は5時前に寝ています。6時半なら上出来でしょう。雨模様の空。この時間にはまだ薄暗い。→15分後外に出てみると、朝焼け。現時点ではまだ晴れています。しかし、天気予報では午後から関東地方に大雪。東京はわかりません。→天気予報が当たっているようです。晴れ間はどんどんなくなり、午後には空が真っ暗になりました。新宿に行った妻が帰ってくる頃にはぽつりぽつりと雨が降り始め、幼稚園児を迎えに行く時間には、本格的な雨降りとなりました。子どもたちは、雪に変わってもらうと、うれしい。夜に向けて気温が下がっていけば、明日の朝は積もった雪を見ることができるかも知れません。
→夜に入って雨音が消えたな、と思ったら、雪に変わっていました。積もり始めたのを妻が見つけて、子どもたちに教えると喜んでいました。幼稚園児は明日は幼稚園を休んで雪遊びをしたいとまで言っています。この様子だと、明日の朝には数センチ積もっているかも知れません。
→日付が変わる頃には、何センチか積もっていました。夜遅く帰ってみえたお隣さんの足跡がくっきりと残っています。その足跡も夜のうちに消えているでしょう。
[Verae Alchemiae]
ツェツネル編『化学の劇場』に繋がる錬金術集成をコンパクトにまとめられたウィキの記述によってさらに整理しておきます。1475年、ゲーベルの著と信じられた論考群と錬金術詩をまとめたものがはやくも出版された。*
1541年ニューレンベルクで、Johannes Petreiusが編纂したDe Alchemiaが出版された**。10点の錬金術論考を含むものであった。もっと大きな論集を企画して材料を集めていたが、実現の前に死す。材料は、親戚のHeinrich Petri の手に渡る。Pietro Perna の協力を得て、53点の論考を含むものが1561年に出版される。そのタイトルが、Verae alchemiae artisque metallicae, citra aenigmata, doctrina. さらに、Pernaは1572年、80点以上を含む錬金術集成を出版する***。義理の息子Konrad Waldkirchのコレクションを含むものも出版しようと意図するが、結局、それらをLazarus Zetznerに売却した。ツェツネルは、新しく入手した80点のテキストとWaldkirchのコレクションを『化学の劇場』の第1巻に採録する。
* Jabir ibn Hayyan,
Summa perfectionis magisterii. Liber trium verborum a Khalid ibn Yazid al-Umawi. Epistola Alexandri imperatoris. Liber investigationis magisterii per Geber. Et carmina latina et italica Cicci de Ascoli et fratris Heliae et anonymi carmina
[Rome] : [Eucharius Silber], [1475?]** Jabir ibn Hayyan,
De alchemia... De investigatione perfectionis metallorum. Liber I. Summae perfectionis metallorum, sive perfecti magisterij. Libri II... Eiusdem De inventione veritatis seu perfectionis metallorum. Liber I. De fornacibus construendis. Liber I. Item. Speculum alchemiae, Rogerij Bachonis. Correctorium alchemiセ Richardi Anglici. Rosarius minor, de alchemia, incerti authoris. Liber secretorum alchemiae Calidis filij Iazichi Iudaei. Tabula smaragdina de alchemia, Hermetis Trismeg. Hortulani philosophi, super Tabulam smaragdinam Hermetis
Norimbergセ : apud Ioh. Petreium, 1541.*** Auriferae artis, quam chemiam vocant antiquissimi authores sive Turba philosophorum
2 vols., Basle : P. Perna, 1572.
Reprinted at Basle in 1593 as Artis auriferae錬金術集成本については、ニュートンの蔵書で整理しています。
Auriferae artis(1611) の目次は次にあります。
Gratarolo (ed.) Verae Alchemiae Artisque Metallicae...(1611; 1st ed., 1572) 目次
パラケルススの『アルキドクシス』も気になります。ゲッティンゲンデジタルライブラリーにラテン語版があります。ドイツ語版のタイトルは、Archidoxorum. X. Bücher(Basel, 1572)。十書とありますが、現実には十書はないということです。
Archidoxorum Liber Primus. De Mysteria Microcosimi.
Archidoxorum Liber Secundus. missing in text.
Archidoxorum Liber Tertius. De Separationibus Elementorum.
Archidoxorum Liber Quartus. De Quinta Essentia.
Archidoxorum Liber Quintus. De Arcanis.
Archidoxorum Liber Sextus. De Magisteriis.
Archidoxorum Liber Septimus. De Specificis.
Archidoxorum Liber Octanus. De Elixiriis.
Archidoxorum Liber Nonus. De Extrinsecis.
10書はもともとない、2書は目次には"Secundus & Tertius De Separationibus Elementorum" とあるので、2書と3書は合体ということでしょうか。マルソーフの言うとおり、パラケルススは、ルペシッサのヨハネスの名前をまったく出していませんが、ルペシッサの伝統に繋がる書物であることは、書名からも伺えます。
さて、このラテン語版ですが、Paracelsi Operum Medico-Chimicorum Sive Paradoxorum, Tomus Genuinus Sextus, Francfurt, 1605, pp.1-94 です。これは実は、ボイルが使ったパラケルススです。こんなところで、デジタル化されているとは。
→目次をとっておきましょう。
Paracelsi Operum Medico-Chimicorum Sive Paradoxorum, Tomus 6(1605)
Table of Contents = Elenchus Omnium Librorum in Sexta Parte Operum Paracelsi contentorum.I. Archidoxorum Liber decem, pag.1.
II. De Renovatione Et Restauratione, 94
III. De Vita Longa, 106
IV. De Praeparationibus Mineralium & Metallorum, 169
V. Processus & Praeparatio Spiritus Vitrioli, 197
VI. De Natura Rerum Libri Novem, 198
VII. De Tinctura Physicorum, 271
VIII. Coelum Philosophorum sive Liber Vexationum, 279
IX. Thesaurus Thesaurorum Alchimistarum, 293
X. De Metallorum Transmutationibus , & De Cementis, 297
XI. De Gradationibus, 304
XII. De Proiectionibus, 310
XIII. Manuale De Lapide Philosophico Medicinali, 311
XIV. Ratio Extrahendi Ex Omnibus Metallis Mercurium Paraclesica, 322
XV. Sulphur Metallorum, 323 & Crocus Metallorum, seu Tinctura, 374
せっかくですから、Opera Omnia (1658) で対応箇所を捜しておきましょう。
Opera Omnia, Vol.2 (1658), pp.1-142.
順序もOperum, Tomus 6 (1605) にまったく同じです。つまり、Opera Omnia(1658)は、(論考の掲載順序はそのままに)Operum (1605) を組み直した版であるということです。整理すると次のようになります。Operum, Tomus 6 (1605) = Opera Omnia, Vol.2 (1658), pp.1-142.
Operum, Tomus 7 (1605) = Opera Omnia, Vol.2 (1658), pp.143-238.
Operum, Tomus 8 (1605) = Opera Omnia, Vol.2 (1658), pp.239-372
Paracelsi Operum Medico-Chimicorum Sive Paradoxorum, Tomus 7(1605)
Table of Contents = Elenchus Omnium Librorum in Septima Parte Operum Paracelsi contentorum.I. De Gradibus & Compositionibus Receptorum ac Naturalium, Libri VII, 1
II. Herbarius Theophrasti De Virtutibus Herbarum, Radicum, Seminum, &c. , 50
De Elleboro Albo.52. De Persicaria.59.
De Sale & eius viribus.63. De Carduo Angelico.67.
De Corallis.70. De Viribus Magnetis.75.III. De Naturalibus Rebus liber Primus, 80
De Terpenthina. 81. De nigro & albo Elleboro. 88.
De Persicaria. 95. De Sale & sub eo comprehensis. 103.
De Perforata seu Hypericone. 111. De Sulphure. 119.
De Vitriolis. 132. De Arsenico. 144
De Terpentina. 150. De Melle. 159.
De Xylohebeno. 166. De Mumia Libellus. 167.IV. Liber Principiorum, 168
V. De Naturalibus Balneis, 180
VI. De Thermarum Piperinarum
Paracelsi Operum Medico-Chimicorum Sive Paradoxorum, Tomus 8(1605)
Table of Contents = Elenchus Omnium Librorum in Octava Parte Operum Paracelsi contentorum.I. Philosophiae Ad Athenienses Libri Tres. 1.
II. Fragmenta librorum Anatomiae Theophrasti. 32
III. Philosophiae Theophrasti, de generationibus Elementorum, Liber Primus de elemento aeris. 36.
De elemento ignis liber secundus. 43.
De Elemento terrae liber tertius. 68.
De Elemento aquae & fructibus eius quartus. 87IV. De generatione hominis. 113
V. Liber Meteororum. 124
VI. De Meteoris libri quinque alii. 176.
VII. De Meteoris ex elemento aeris lib. I. 197.
Ex elomento ignis & impressionibus eorundem. 208.VIII. Fragmenta Meteorica. 226.
IX. De Mineralibus. 233.
X. De Naturalibus aquis libri quatuor. 255
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