ひとりおくれて7時5分。今日から学校。全員起きていました。真夏の暑さがすくなくともあと一週間は続くようです。ちょうどよいので、ちびどもといっしょにでて、大学へ。この時刻にでると、8時半武蔵境発の電車に間に合います。郵便物を確認し、わずかに処理をして、帰宅。
ちびどもは引き渡し訓練ということで、12時前に幼稚園児を連れて妻が小学校に行きました。幼稚園児は、走って帰ってきて、つまらなかった、の言。当然つまらないでしょう。
お昼過ぎに次の本が届きました。
東 浩紀・宮台真司
『父として考える』
NHK出版、 (生活人新書)、2010
ひとりで6時45分。居間の室温は29度。日は明らかに短くないっていますが、気温は真夏のままです。子どもたちはまだよく寝ています。ちびどもは、今日はママといっしょに立川に行きました。おおきいちびのパスポートの更新のためです。ちいさいちびは自分からは行きたいとは言わなかったのですが、ずっと外に出ていないので、妻が連れだしたものです。幼稚園児は行かないと言って留守番をしています。工作をしてひとりで遊んでいます。
まわりで工事があると付随していろいろあります。3時過ぎに J-COM さんが来て、電灯の移設工事に伴い、ケーブルの付け替えをしたいという話でした。何と、ケーブルそのものを全部交換するのだそうです。私道の整備工事に伴う急な話ですが、9月2日木曜日、午後1時から1時半の間ということで日程が確保できました。
そして、金曜日は、私道の整備工事。今のところ我が家には直接影響はありませんが、いろんな工事車両がやってくることとなります。昨夜、次の2点の本が届いていました。(朝確認しました。)
岡部雄三
『ヤコブ・ベーメと神智学』
岩波書店、2010
岡部雄三氏は、故人です。2009年2月22日に亡くなられています。この本は、岡部氏の生前の論文を(おそらく解説を書いている中井章子氏が中心となって)選んで、まとめて出版されたものです。序章 ヨーロッパ神秘思想における「乙女ソフィア」
1 ヤコブ・ベーメの神秘思想
第1章 神秘体験
第2章 創造と悪
第3章 メルクリウス―『デ・シグナトゥラ・レールム』を中心として
2 ヨーロッパの神智学
第4章 ライデンへの道―Q・クールマンの神秘体験
第5章 ヘルメス学と神秘学との結合―J・ポーディジの『知恵の石』について
第6章 人間の聖化と天界について―マルセの神秘思想
3 啓蒙思想との闘争
第7章 『ベンガルの虎』―エッカルツハウゼンの動物寓話について
第8章 ラーヴァター観相学の理論背景と愛の理念―『観相学断章』を中心として
終章 詩と歴史から神秘神学へ―アーノルトの思想的特質について
付論 歴史と再生―アーノルトの神秘思想について岡部さんは、駒場でのbh の会合のときに一度だけお会いしたことがあります。駒場で「古いドイツ語で書かれた」テキスト群をしっかりと読まれていたことは聞いています。おそらく、解説を書かれている中井章子さんはそのおひとりなのだと思われます。個人的には、何をどのように読まれていたのかを知りたい。そして、岡部さんの授業に集まった方々がいまなにをどう研究されているのかを知りたい。
岸野久
『西欧人の日本発見―ザビエル来日前日本情報の研究』
吉川弘文館、1989
第11章が「フランシスコ・ザビエルとギョーム・ポステルの異文化理解について―ニコラオ・ランチロット編「日本情報」の利用を通して―」と称して、ポステルを扱っています。ポステルの『世界の驚異』の先行研究にも触れています。山内昶「ポステルの『世界の不思議』を読む」『甲南大学紀要 文学編54 独文学特集』1984, pp.24-51&山内昶「日仏関係の皆目」『甲南大学紀要 文学編55 社会科学特集』1984, pp.77-99。
岸野久氏の本そのものは、ジョルジュ・アルヴァレスとニコラオ・ランチロットを扱っています。私は不案内な領域ですが、しっかりとした研究だと思われます。せっかくなので、サイニーにでポステル研究を見てみました。いくつか見つかります。
渡辺一夫「昔の或る気違ひ学者の話―ギヨーム・ポステルの例」『文芸』第7巻第3号、1950-03, pp.85-89
京戸慈光「フランス人が見た日本仏教(上) 十六世紀フランス、フランソワ一世の治世に現れた東洋学者・ポステルが見た日本の神仏とは?」『大法輪』第70巻第5号、2003-05, pp.28-35
岸野久「ジパングとジャポンの同定者ギョーム・ポステル―フランスにおける日本研究の端緒 (キリシタン文化と日欧交流) 」『アジア遊学』第127号、2009-11, pp.18-31
7時45分。ちびどもはおきて、24時間テレビを見ていました。幼稚園児はよく寝ています。昨夜寝付くのがとても遅かったせいです。
夜半に目覚めて、すこし仕事。夜の間に、金森修編著『科学思想史』を読み切りました。最後に読んだのは自分の論文です。69頁ありますから、それなりの時間がかかります。7時45分。
数日前に家のまわりに張り巡らしていた足場をはずした道向かいの新築工事ですが、地面の作業にも着手したようです。昨日は、水道工事屋さんが来ていました。内装はまだのようなので、もうしばらく時間がかかるようです。
と言っていたら、お隣さんがピンポン。私道の整備をするそうです。10時に区役所の担当者と業者の方が来るそうです。総勢10人ぐらいが立ち会いました。来週末には工事を実施すると言っていました。夏休み終了前の親の苦労を味わっています。
ちいさいちびは小3ですが、読書感想文がはじめて夏休みの宿題として出されました。はじめての読書感想文には苦労するようです。おねえちゃんのときも、どう書いたらよいのかわからないと泣かれて妻は読書感想文お助け本を買ってやっていました。
本人にとってはちょっと難しく長い本を選んでしまったので、悪戦苦闘しています。300ページの本で200ページを超えるところまでは来ました。5冊読むことになっているようです。すでに2冊は読んでいるので、読んだ本のなかで書きやすいもので書かせることとしました。
ともかく、机に座らせて、原稿用紙を広げさせました。あらすじだけだと先生に叱られそうだとぶつぶつ言いながら、でも、2時間程度で一応書き上げました。
残るは、あと2.5冊の読書と日記です。数日前本人は間に合わないと言っていましたが、なんとかぎりぎり間に合いそうです。
ちなみに始業式は8月31日。9月1日から普通に始まります。
そして、妻も闘いの日々が始まります。給食室の建て替え工事が進行しており、9月から12月まで4ヶ月間子どもたちはお弁当になります。9月に入ったらお母さん達の話題は第1にはお弁当になるでしょう。お昼過ぎに次の本がアマゾンから届きました。
東 浩紀編
『日本的想像力の未来: クール・ジャパノロジーの可能性』
(NHKブックス163)、2010
東浩紀:はじめに
キース・ヴィンセント:「日本的未成熟」の系譜
村上隆:アート界における“クール・ジャパン”の戦略的プロデュース法
黒沢清:日本映画と未成熟
宮台真司:「かわいい」の本質
(討議)キース・ヴィンセント+黒沢清+宮台真司+村上隆+(司会)東浩紀:日本的未成熟をめぐって
ジョナサン・エイブル:クール・ジャパノロジーの不可能性と可能性
ヘザー・ボーウェン=ストライク:プロレタリア文学のクールさの可能性
シュテフィ・リヒター:ヨーロッパにおける「クール・ジャパノロジー」の兆し
宮台真司:一九九二年以降の日本のサブカルチャー史における意味論の変遷
毛利嘉孝:トランスナショナルな「理論」の構築に向けて
(討議)東浩紀+ジョナサン・エイブル+ヘザー・ボーウェン=ストライク+宮台真司+毛利嘉孝+シュテフィ・リヒター+(司会)クッキ・チュー:もう一つの日本学
河野至恩:ポップカルチャー言説の「視差」から考える夕刻、次の本がアマゾンより届きました。
ウィリアム・J. ブースマ
『ギヨーム・ポステル:異貌のルネサンス人の生涯と思想』
長谷川光明訳、 法政大学出版局、(叢書・ウニベルシタス)、2010
ポステルについてのモノグラフを日本語で読めるとは思ってもいませんでした。→10.8.29 訳者あとがきの冒頭を引用してみましょう。「本書は異貌のルネサンス人ギヨーム・ポステルの生涯と思想の全貌を包括的体系的に論じた唯一の研究書である。」続けて、「著者のウィリアム・J・ブースマは、1924年ミシガン州アナーバーに生まれ、1950年ハーバード大学で博士号を取得、1957年から1991年まで、カリフォルニア大学バークレー校史学部教授として14世紀から17世紀のヨーロッパ文化史を担当しつつ、アメリカ歴史協会会長、イタリア歴史学会会長、アメリカ芸術科学アカデミー特別会員、アメリカ哲学協会特別会員を歴任した。2004年3月死去。」
この本は「モノグラフの模範」と呼べるぐらいよくできた書物だということです。しかし、ブースマはこの本のあと、関心を移し、ポステル研究そのものは、とくにフランソワ・スクレに受け継がれたとあります。(他に、マリオン・クンツ。)
日本人のポステル研究にも触れています。おそらく最初は、渡辺一夫「ある東洋学者の話 ギヨーム・ポステルの場合」。そして、このサイトでも絶賛した彌永信美『幻想の東洋:オリエンタリズムの系譜』(青土社、1987;1996(新装版);ちくま学芸文庫、2分冊、2005)、そして岸野久『西欧人の日本発見―ザビエル来日前日本情報の研究』(吉川弘文館、1989)。3番目の岸野久氏のものは知りませんでした。早速オーダーしました。(彌永信美氏も岸野久氏も残念ながら、ブースマ氏のこの本を読まれていないようだとあります。うーん。)
他に、故岡部雄三氏の『ヤコブ・ベーメと神智学』が岩波書店から今年の春出版されていることを知りました。これも買わざるを得ないでしょう。早速発注しました。
訳者の長谷川光明(はせがわみつあき)氏もポステルを専門としているとあります。2002年都立大学で博士論文『ギヨーム・ポステル「世界の驚異」(1553)研究―東西インドの発見と万物復元』を書き上げられています。貴重な仕事だと思われます。
ウェブで検索したところ、長谷川光明氏の論文としては、次の2点のみがヒットしました。
長谷川光明「十七世紀後期フランスにおけるヒンズー教の表象-フランソワ・ベルニエを中心に」『(首都大学東京)人文学報』第285巻,1997-03-03, pp.61-86
長谷川光明「ユマニストたちのオスマントルコ遍歴」『(東京都立大学人文学部)人文学報』第355号、2004-03, pp.111-134
ウェブには、博士論文の審査概要があります。的確に整理されていて、非常にわかりやすい文章です。「仏文専攻専任教員一同は、全員一致にて」博士号授与に賛同した、とあります。思想史の仕事ですが、ちょっと雰囲気が違うなと感じたわけがわかりました。仏文の出身だったからです。訳者あとがきの最後のパラグラフの冒頭「なお、訳者はポステルを研究テーマのひとつに選んだ者ではあるが、英語やラテン語の専門家ではない」という不思議なコメントは、〈自分は仏文学出身だ〉というふうに読み解けば、理解はできます。また、この博士論文がスクレにもっとも多くを負うことも概要を読むとわかります。
ともあれ、訳者の長谷川光明氏は、日本でただひとりのポステル研究者です。(もちろんこう言い切ってしまうには若干の危険がありますが、博士論文まで書かれた方としてはただひとりだと見ておいてよいでしょう。)出版物を期待します。
夜半に目覚めて、すこし仕事。7時45分。幼稚園児は起きてご飯を食べていました。ちびどもはすぐあとに起きてきました。まだまだ晴れ。幼稚園は今日もあります。ちいさいちびは夏休みの宿題に取り組みます。(読書感想文。手こずっています。おねえちゃんも最初の読書感想文にはずいぶん手こずっていました。何をどう書けばよいのかわからないと困っていました。個人的には、低学年の「読書感想文」には無理があるように思われます。本を読ませることそのことが悪いわけではありませんが、書かせるのであれば、「読書ノート」あたりがよいのではないでしょうか。)
朝は私を残し全員がでかけました。幼稚園児は幼稚園へ、残りはヨドバシカメラに買い物に行きました。何を買ってくるのかは聞きそびれました。
今月は、ここでやっと100枚。
ジンマシン発症により、部屋の片づけは中断しています。中途半端な状態なので、かえって混乱したように見えるかもしれません。むしろ、いつもそうした中途半端な状態にあると見た方が正確かもしれません。
ひとりで6時。居間の室温は29度。真夏の気温が続きます。幼稚園児は7時50分に起きてきました。今日、明日と幼稚園があります。ちびどもはプール。
[夏の終わりに、金森修編著『科学思想史』を読む]
体調のこともあるので、しばらく外出を控えます。ちょうどよいので、金森修編著『科学思想史』(勁草書房、2010)を読んでおくこととしました。本の順序とは違い、古い方から読むこととしました。今井正浩「ギリシア医学における批判と論争」pp.433-501. (69pp)
今井正浩氏は、古代ギリシャの専門家です。とくに医学史でしょうか。学会(日本科学史学会)で発表は何度か伺っています。しかし、きちんと読むのは今回が初めてです。
結論部における解釈について若干の異論がありますが、全体としてはよくわかる論考です。専門性の成立、論争史に対する着目という点で私の問題関心と共通することが見えてきました。山内志朗「中世における占星術批判の系譜」pp.371-431. (61pp)
山内志朗氏は、たぶん、『普遍論争』(平凡社、2008)や『天使の記号学』(岩波書店、2001)、『ライプニッツ』(2003)ですでに十分有名な方です。
私は必ずしも山内氏のよい読者ではありませんが、今回、山内氏が「占星術批判」を主題に取り上げられたのはちょっと意外でした。本間栄男「デカルト派生理学と図像表象」pp.325-369. (45pp)
本間氏の博士論文、ならびにこの論考に関わる諸論考は、読んでいます。しかし、この「デカルト派生理学と図像表象」はそれらとは別個に読む価値があります。まだまだいろんな広がりがあるテーマです。単純に自然学的著作に使われた図像そのものの、整理と分類の仕事も残されています。(個別的な比較はありますが、体系的な調査は着手されていないように思われます。)
吉本秀之「ロバート・ボイルの化学――元素・原質と化学的粒子」pp.255-323. (69pp)
1 はじめに
2 ボイルとは誰か?
3 元素概念の〈系譜学〉
(1)ボイル元素観の通念
(2)四元素
(3)二原質
(3)三原質
4 ボイルの化学的世界
(1)『懐疑的化学者』―草稿と第二版
(2)ミニマと粒子
(3)ボイルと化学的原子論
(4)ボイル化学の概念的ブロック
(5)元素・原質概念の前提に対する批判
5 ボイル化学の射程
(1)ボイル科学の探究の次元
(2)スイギン学派の錬金術
6 おわりに
400字詰め原稿用紙に換算して140枚の長尺の論文です。井田尚「啓蒙と迷妄―『百科全書』の科学項目に見る〈誤謬理論〉の歴史」pp.187-253. (67pp)
井田氏のものは、発表をきちんと聞いています。私自身今でも関心をもっているテーマです。
隠岐さや香「数学と社会改革のユートピア―ビュフォンの道徳算術からコンドルセの社会数学まで」pp.127-186. (60pp)
あらかじめ、私が科学史家であるということを断った上での発言になりますが、この隠岐さんの論文は非常によくできています。文学的な表現をすれば、忘却の淵に沈んでいた「コンドルセを甦らせる」立派な科学史の仕事だと位置づけることができます。私が人事委員会の一人として、新任人事の選考に当たった場合、数量的条件(単純に出版された論文の数のことです。今の状況で大学に定職を得るためには、ある高さの条件が存在します)をクリアーしてくれていれば、この一本の論文で隠岐さんを推すことになる、そういうレベルの仕事です。ああ、そういうことだったかと、蒙をひらかれる思いをしました。
佐藤恵子「発生生物学の黎明―ヴィルヘルム・ルー試論」pp.67-125. (59pp)
佐藤恵子氏は、この論集の企画ではじめて知りました。佐藤氏が依拠しているグールドの『個体発生と系統発生』は(大昔に)読んではいますが、ルーのことはほとんど何も知らないに等しい。発生生物学の前史がとてもよくわかるように記述されています。
今のことばでいえば、発生生物学前史は、科学と哲学の間に位置するような領域と内容をもちます。カント哲学の基本概念(カテゴリー、因果性、機械論)が生物学の方向を左右するという事態は、実験科学として確立された今の生物学ではありえないことだと思われます。思想史というアプローチ・手法がもっとも適合する領域のひとつだと言えるでしょう。
この点は、隠岐さんの論文にもあてはまります。社会科学成立前史の沃野を対象にされています。
サイニーによれば今井氏の論文は次の通りです。(網羅はしていません。邦語論文を集めてみました。)
今井正浩「ポリュボス「人間の本性」(De Natura Hominis)とヒポクラテス医学派―古代ギリシア医学の思想史的考察の試み」『科学史研究』第30巻、1991-10、pp.170-179
今井正浩「古代ギリシア医学とその思想史的展開 ― ヒポクラテス『古来の医術(De Vetere Medicina)』 における「哲学論(フィロソフィアー)」批判をめぐって ―」『科学史研究』第31巻(通号183号)、1992-09-22、pp.147-155
今井正浩「医学思想と「哲学論(フイロソフイア-)」―古代ギリシア医学論考-1-」『明治薬科大学研究紀要 人文科学・社会科学』1992, pp.1-13
今井正浩「『エピデミアイ』とヒポクラテス医学派 ―古代ギリシア医学論考 ―」『科学史研究』第32巻(通号186号)、1993-06-25, pp.65-74
今井正浩「「技術者」とロゴス : 「古代ギリシア技術」論考」『(弘前大学)哲学会誌』,第32巻、1997, pp.33-53
今井正浩「ノモス」と「フユシス」 : 古代ギリシア医学思想における「人間」観の一局面」『東北哲学会年報』14号、1998-04-30, pp.1-13
今井正浩「ギリシア医学と技術(1)」『(弘前大学)人文社会論叢. 人文科学篇』第3巻、1999、pp.1-26
今井正浩「「ハルモニア」と実体―初期アウグスティヌスにおける「魂」論の思想的典拠」『明治学院大学キリスト教研究所紀要』1999-01, pp.155-192
今井正浩「学から「心身」の科学へ : ヒポクラテス『神聖病論』第14-17節の解釈を中心に」『(弘前大学)人文社会論叢. 人文科学篇』第7巻、2002, pp.45-65
今井正浩「「自然」(フュシス)と身体 : ポリュボス『人間本性論』における医学的「自然」観」『科学史研究』第44巻(通号233号), 2005-03-25, pp.13-22
今井正浩「ポリュボス『人間本性論』におけるエンペドクレスの影響 : 前5世紀ギリシアの医学思想と同時代の自然哲学についての一考察」『科学史研究』第45巻(通号237号), pp.11-22
今井正浩「ヒポクラテス『伝統医学論』第20章における反哲学的人間観 : 前5世紀ギリシアの医学思想における人間理解をめぐって」『日本科学史学会』第46巻(通号242号), pp.78-90
今井正浩「ギリシアの医学思想における発生の問題―『生殖について』第6章-第8章の議論の分析を中心に」『西洋古典学研究』2009, pp.41-52
今井正浩「ギリシアの医学思想における「パンゲネシス」の系譜」『日本科学史学会』第48巻(通号249号), pp.22-33
佐藤恵子氏は、同姓同名の研究者がどうも何名か(3名以上か)おられるため、サイニーで調べても、絞り込みが難しいのですが、生物学史家でヘッケルの専門家だと言ってよいようです。金森論集に収めたルー論考に関係すると思われる論文としては次のようなものが見つかりました。
佐藤恵子「一元論的自然発生―ヘッケル試論」『津田塾大学紀要』1988, pp.239-259
佐藤恵子「ヘッケルの根本形態学と形態の美」『モルフォロギア』第22号,2000, pp.23-34
佐藤恵子「エコロジーの誕生 : 背景としてのE・ヘッケルの学融合的な思想」『東海大学文明研究所紀要』第21巻, 2001, pp.57-71
佐藤恵子「優生思想と生殖医療技術」『文理シナジー』第6巻第1号、2001-10, pp.45-53
佐藤恵子「ヘッケルの優生思想」『東海大学紀要. 開発工学部』第10巻, 2001-03-30, pp.1-12
佐藤恵子「「前成説」の再評価」『生物学史研究』第70号、2002-12, pp.113-115
佐藤恵子「ES細胞から卵母細胞を誘導する研究―その可能性と倫理的な問題」『生物学史研究』第72号、2003-12, pp.147-150
佐藤恵子「ヘッケルとピテカントロプス : 自然人類学の揺籃期」『総合教育センター紀要』第25巻、2005-03-30, pp.85-96
佐藤恵子「ユクスキュルの環世界説と進化論」『総合教育センター紀要』第27巻、2007, pp.1-15
佐藤恵子「「ビオトープ」はヘッケルの造語ではない! : ヘッケルとダールの原典に基づく「ビオトープ」という言葉の由来についての検討」『総合教育センター紀要』第28巻、2008, pp.33-43
佐藤恵子「ヘッケルとヘンゼンのプランクトン論争(1890-1891)」『総合教育センター紀要』2010, pp.1-16比較で博士号を取得されているようです。上のリストでは同一人物のものかどうかわからなかったので、はずしたのですが、なるほど比較出身だと思わせる論考もあります。Read では、フリードリヒ・フーフ『マオ』やリカルダ・フーフ『ルードルフ・ウルスロイの回想』を扱った論文がヒットします。もちろん私はフーフについては何も知りません。
ひとりで7時20分。ちいさいちび、おおきいちび、幼稚園児と順番に起きてきました。まだまだ暑い。天気予報によれば、9月の第1週まではこういう暑さが続くそうです。今日は、おおきいちびが一番目のプール、ちいさいちびが3番目のプールです。
[ジンマシン]
幼稚園児が今日もヨドバシに行きたいと言います。今日は私が連れていくこととしました。ヨドバシの開店は9時半です。開店してすぐ後あたりに着くように動き始めました。西荻のプラットホームに着いたあたりで私に異変です。ジンマシンの先駆症状。頭の後部が痒く、手も何カ所かなんとも言い難い痒さを感じます。ともあれ、約束なので、途中のコンビニでカルピスを買ってやってヨドバシへ。Wiiのデモのところで、マリオカートで遊んでいます。まだまだあまり上手とは言えません。そうこうするうちに、ジンマシンがひどくなってきました。両手の内側の8割程度と、膝の裏側の手のひら程度の面積がジンマシンに覆われてきました。数回遊ぶのを待ってから、状況を幼稚園児に説明して、もう帰ろうと言いました。すぐにというわけではないのですが、納得しました。ガチャポン一個買ってくれれば帰ってもよいとの返答。ポケモンのガチャポンを一個ゲットして帰途へ。見た目にはひどい状態ですが、休めば直るというのが自己診断です。西荻の駅に着いて、妻に電話し、自転車をもってきてもらいました。幼稚園児はママを見ると甘えたくなるようです。ママといっしょに自転車で帰りたいと言いますが、そのあたりの対応はママに任せて、自転車で帰りました。ちびどもがいました。ひどい状態にびっくりしていました。ともあれ、私は、涼しくして、ソファーの上に寝転がりました。1時間でなんとかなるだろうというのが私の予想。30分程度で赤みが引いてきました。腫れそのものは残っています。駅で妻は、医者に行くことを勧めました。あの状態を見ると誰でもそう言いたくなります。しかし、見た目はひどいが1時間で収まるというのが私の判断でした。(医者に行って筋肉注射を打ってもらうと確かにすぐに収まりますが、たかだか1時間の差です。)
結局、後頭部、首、両手両足、下腹部に発疹がでました。5時間以上経った今でも、特に右手に(膨らみは消えましたが)発疹のあとは残っています。
自己診断ですが、根本的な原因は、蓄積疲労。引き金(きっかけ)は、蒸し暑さだと思われます。
こういうひどいジンマシンの最初の発症は、2005年2月10日です。このときは、駅内で失神して救急車で運ばれています。
2回目は、ほぼ1年後、2006年2月18日にロンドンの大英博物館のなかです。初回のことがあるので、このときはかなりびびりました。
3回目が、同年5月17日。そして、4回目が同年6月7日。5回目は、(翌年)2007年2月25日。6回目、7回目、8回目は、2008年3月、4月、6月。
2009年は発症していないので、2年2ヶ月ぶりということになります。ともあれ、今日明日は静養につとめます。
→昼食後、2時間昼寝をしました。引き込まれるように寝入りました。夜も子どもたちよりも先に寝床につきました。
ひとりで7時過ぎ。幼稚園児がすぐに起きてきました。気温計は、ひとまず31度を指していました。1時間換気をして、30度。外の気温が高いしるしです。次女のプールカードを見ました。第1グループが9時から10時15分、第2グループが10時50分から12時5分、第3グループが13時15分から14時30分となっていました。これがサイクルします。次女は昨日は、第1グループでプールに入り、今日は第2グループでプールに入ります。そして明日は第3グループ。
我が家のちびどもは、ちいさいちびが第2グループでプールにでかけました。おおきいちびは、第3グループ。幼稚園児はママとの約束で10時に東急(本当はヨドバシカメラ)に出かけていきました。ママは、昼食の用意はしています。11時半におおきいちびといっしょに昼食をとりました。12時15分頃帰宅したちいさいちびは、12時半頃昼食をとりました。幼稚園児はよく遊んで、2時半に帰ってきました。駅で幼稚園の同級生大勢といっしょになり、吉祥寺駅で下車するところで、最後の方のベビーカーの車輪がホームと電車の間に挟まって大変だったということです。ちょうどホームのベンチにいた男性の方も手伝ってくれたせいで、なんとか運転手と連絡が着き、ことなきを得たようです。その時点で妻はへなへなになったということです。幼稚園児は、ヨドバシカメラのゲームのデモができるコーナーでずいぶん遊んだようです。4歳児にしては、とても上手だと後ろに並んだおにいちゃんに誉めてもらってずいぶんうれしかったようです。
私の着手した片づけは、まだ机の本来の面が見えていません。積み重ねたままにしている資料が数多くありました。もう不要になったものは棄てています。紙は重なると重い。木曜日のゴミも重くなりそうです。
気分転換に『新潮45』(9月号)を細かいところまで読んでみました。老人の繰り言と新鮮な記事と、両方ありました。
ひとりで5時半。室温は31度。昨日より1度高い。→窓を開けていると6時過ぎには、29度まで下がっていました。昨日のテレビ報道によれば、本日の東京の最低気温は26度(予測)ということですが、今現在、27度ないし28度といったところでしょうか。→7時前のニュースを見ました。28.2度だそうです。この地点での正確な数字はわかりませんが、ほぼその前後の数字でしょう。最高気温の予報は34度。今日から小学校のプールが始まります。ちびどもは参加すると言っています。
私は、午後に出張校正。池袋(正確には要町)に行ってきます。
→ちょうどよいので、ちいさいちびがプールにでかけるのとあわせて大学に行くこととしました。小学校の校庭にはけっこうな数の子どもがすでに集合していました。ちいさいちびは50メートルぐらい手前から走っていきました。このへんがまだまだ子どもです。
大学には、9時過ぎに着きました。教務に成績表を渡しました。これで1学期の教務関係の仕事は(たぶん)終わりです。
その後、研究室で片づけ。ともかく紙の片づけに取り組みました。大きなゴミ袋を1つまとめました。これもちょうどよいので、『化学史研究』バックナンバーのpdf 化、即ち、スキャンに取組ました。今日は、10号までとしました。
情報の整理を始めましたが、すぐには終わりそうにありません。2時に間に合うよう、12時半には大学を出ました。
駅のホームというのはどうしてあのように暑いのでしょうか。三鷹で特別快速に乗り換えました。あっというまに、新宿に着きました。結局、要町には20分前に着きました。有楽町線の構内は割と涼しい。ベンチで15分間、仕事のための読み物をしていました。ほぼ2時ぴったりに印刷所に到着。1時間半ほどで最終校正をすませました。
出版に関し私の仕事はこれで終わりです。あとは、印刷所と事務局の仕事となります。
8月の公的な仕事は、以上で終了です。
社会復帰のために。
HMV渋谷が8月22日に閉店したそうです。開店は1990年。え、日本にHMV!と思ってびっくりしたのを覚えています。音楽CDの生産額は10年前の半分になったとあります。20年の歴史でした。
すぐに音楽CDがなくなることはないと思いますが、10年後、昔のLPのようになっている可能性はあるでしょう。
時代の変化の速さ!7月17日に改正臓器移植法が施行されています。その施行後、3例目となる、「家族承諾」承諾のみによる脳死判定があったそうです。毎日の記事は、「法改正で増加とするのは尚早」と解説していますが、この3例は、旧臓器移植法ではありえなかったものです。増加は事実と認定すべきでしょう。
難しいのは子どもの臓器移植。
ひとりで6時10分。室温はやはり30度。30度であれば何とかエアコンなしでいけます。32度になるとちょっとむりです。子どもたちは疲れたようです。起きてくるのが相当遅くなっています。明日の月曜日から正常化に向けて、すこしずつ調整していきます。
妻は約束によって幼稚園児をドングリ公園に連れていきます。久しぶりに豚骨ラーメンを食べたくなった私が提案して、昼食は、駅前のラーメン屋。
食後、妻と幼稚園児は自転車でドングリ公園へ。残りは、本屋さんに。ちびどもには1冊ずつ本を買ってやりました。私は、総合雑誌を2冊(『中央公論』と『新調45』の9月号)買って帰りました。ちびどもは帰ってきてから本を読んでいます。
幼稚園児は、帰宅してお風呂に直行。
落ち着いてからちいさいちびは夏休みの宿題(たぶん自由研究)に取り組んでいます。田舎で取りためた写真を相当数プリントしてやりました。なかなか手間のかかる作業です。しかも、とったはずのものがないと言います。念のため、カメラを見てみると、メモモードでとった写真が残っています。つまり、パソコンに取り込まれていません。そちらも取り込んでプリントアウト。
おおきいちびは吉祥寺の小学校の夏祭りにお友達二人とでかけました。送り迎えをすべてお友達のママがやってくれます。
幼稚園児といっしょに7時。薄曇りの晴れ。
7時の時点の室温は30度、8時には、32度になっていました。耐え難いとまでは言えませんが、それでもとても暑い。お昼過ぎに、おおきいちびは友達といっしょにプールへ。幼稚園児とちいさいちびは、ママに連れられて東急へ。
3時半にちいさいコンビは帰ってきました。それからちいさいちびは友達とプールへ。
夕刻になって、(体調かいくらか回復してきたので)放置していたこの部屋の片づけに着手しました。データの整理から始めています。
成績。
科学思想史(講義)。登録者数122名中、優56名、良18名、可11名、不可37名。不可の37名中、一度も授業に出ていない人数が24名です。
ということで、実質的な母数は98名ということになります。総合科目の「科学技術と社会」。登録者191名中、優81名、良24名、可29名、不可55名。不可の55名中、一度も授業に出ていない人数が34名となります。
同じく、授業の実質的母数は、148名です。[今は昔]
紙の資料の片づけも開始しました。
1995年のマック関係の決算書が出てきました。ハードとソフトを含めて、85万円使っています。1995年は、私がマックにはまった年です。パソコン本体とモニターという基本セット(PowerMac 7500 + 三菱17インチブラウン管モニター)だけで40万円かかっています。今では信じがたい価格だと思われます。ソフトもどんどん買っています。ひととおり試してみた感じがあります。ワープロソフト(ナイサスライター)に3万2千円、ドローソフト(マックドロープロ)に4万6千円と、今ではとても腰が引けてしまう価格のものも買っています。雑誌も月に1万円以上平気で買っています。常套句を使えば、隔世の感があります。
同じく、1995年授業中に学生達のパソコン、ワープロ所持率をアンケート調査した結果もでてきました。(1995年10月5日結果配布。)
アンケート総数79名中、何ももっていない20名(25.3%)、ワープロをもっている49名(62%)、パソコンをもっている24名(30.4%)でした。
1995年は、まだワープロ(ワープロ専用機のことです)の時代であったことがわかります。今は、全学生に聞いてもおそらく0だと思われます。
ワープロのなかでは、オアシス13名、ルポ10名、書院8名、文豪5名、カシオ5名、パナソニック3名、リコー2名、キャノン2名、WithMe1名です、
パソコンのなかでは、NEC PC98シリーズ12名、マック6名、IBM3名、FMV2名、X-1 Turbo1名です。(最後の機種がどういうものであったかすぐには思い出すことができません。)
(ワープロとパソコンの両方を持っている者が14名いた。)1998年の「20世紀表象文化の世界」の成績もでてきました。登録者数439名、試験の受験者数336名、というすさまじい数でした。
今日は、朝から次の行事に参加します。
化学史研修会 at 理化学研究所
当日参加でも大丈夫ということなので、理研を見てみたい方は是非この機会に足を運んで下さい。理研は、和光市にあります。池袋から10数分です。駅からは15分歩くようです。ひとりで7時5分。幼稚園児は、7時半頃起きてきました。ちびどもは不明。
和光市ですが、乗換案内によるとルートがいくつかあります。どのルートにするのか迷ったのですが、乗換案内による最速で行ってみることとしました。1時間15分を見込み、8時半に出発しました。
中央線は、混んではいましたが、ぎゅうぎゅう詰めではありません。
新宿からは埼京線を選択しました。なんとすきすきで簡単に座れます。
池袋からは、東武東上線。乗ったことのない路線です。池袋構内の配置もちょっと不思議な位置にありました。しかし、こちらも空いています。余裕で座れました。
和光市駅からは徒歩になります。あまりに暑い(数日前のように35度を超えている)場合は、タクシーも考えていたのですが、暑さは問題になりません。普通に歩きました。比較的わかりやすい。途中のセブンイレブンでお金を降ろし、水分を補給して、理研へ。
理研は、部外者が来ることを想定していないようです。入り口に案内板がありません。警備のおじさんに場所を聞きました。はじめてのものには、理研は迷路です。
私自身は予想よりずいぶんはやく着いたのですが、もっとはやく着いていた方が相当数いました。参加者を2つに分けました。私は、最初に、記念史料室見学の方に入りました。理研のもっている資料・史料は貴重です。その貴重さには釣り合わない場所に押し込められていました。ちゃんとした展示室を作る計画はあるのだそうです。しかしまったく実現の兆しがないということです。もったいない。
次は、理研概要説明のビデオを見ました。もっとお金と手間をかけなくっちゃ。理研の食堂で昼食を頂いたあと、場所を移りました。
午後は、統合支援施設大会議室という部屋で化学史研修会。隣には、ちいさいな本屋さん、ちいさなコンビニがありました。1階は食堂です。理研のスタッフがちょうど昼食に集まっていました。研究員なのでしょう、大学院生ぐらいの若い人も大勢いました。
以下の3人の方の講演を聴きました。聴衆は20人程度。
金城徳幸(東京工業大学): 科学者の写真を用いた理科教育に関する一考察
北田 薫(北海道大学) : 組換えDNA技術の歴史を活かした科学技術社会論の教育
田中浩朗(東京電機大学): 戦争と化学
終了して、ほぼ5時。
学期中にもほとんどないことです。この暑さの真っ最中に、4日連続して仕事をしたこととなります。
幼稚園児が起きて7時20分。おお、予報通り、気温が下がっています。これは助かる。昨日より1本遅い電車で大学にでかけました。8時30分多磨駅発の電車です。アメリカンスクールの高校生達が大勢乗っていました。朝から何か行事でもあるのでしょうか?
作業は、9時前に着手し、1時40分までかかりました。転記までは終えました。あとは、確認(チェック)と事務への提出が残っています。(提出締切は、来週の水曜日。)
おおざっぱに数えて、14時間程度かかったことになります。私自身もここまでかかるとは予想していませんでした。レスポンスシートの功罪の罪の部分です。処理に手間と時間がかかる。
作業の合間に、今日は、つかわなくなったスキャナーを事務に提出しました。平成8年取得とタグにはあります。もう12年前のものです。帰宅して、シャワーを浴びて、2時40分。気温的には昨日よりはいくぶんかましです。曇り空のおかげです。→テレビ報道によれば、これで平年並みということです。
私が帰宅するまで誰もどこにも出かけなかったと言うことです。妻とおおきいちびが4時前に買い物に出かけました。
夜半に目覚めて少し仕事。エアコンを切った居間の室温はやはり32度。外は28度ぐらいまでは下がっているのでしょうか。
もう一度、今度はお腹が空いて、目覚めました。活動したしるしでしょう。朝の起床は、5時50分。
昨日より1時間ほどはやく大学に出かけて、作業の継続。8時半からはじめて2時まで。採点そのものは終了しました。合算作業も、1つの科目については終わりました。残りは、もう一科目の合算と成績表への転記です。明日やれば、完了すると思います。
作業の合間に、壊れていたパソコンのモニターを事務にもっていきました。8月25日まで、PC等の用済み処分を行ってくれます。壊れたもの、要らなくなったものはこの機会にできるだけ処分しておこうと思っています。
3時前に帰宅。駅のプラットフォームは、なんとも言えず暑い。体温よりも高い気温は、さすがにどこかおかしくなりそうです。
午後6時前に雨が降り出しました。久しぶりのにわか雨。これですこし冷却されるとよいのですが、この場所ではすぐに止んでしまいました。遠くから雷鳴が響き、空は真っ暗ですが、雨はけちけちとしか降ってきません。こういう時にはスコールこそ望まれます。
ひとりで5時。また寝ると思います。→編集委員会の仕事をすこしこなしてから居間のソファで横になりました。知らない間に寝入っていました。7時20分、幼稚園児が起きてきて起こされました。まだ日常業務が残っています。しかし、この暑さです。根を詰めるとばてます。朝一番ででかけて数時間作業をし、もどってくるというリズムで行こうと思います。
(日常的業務とは、一学期の成績評価です。レポートの採点・評価がまだ残っています。そして、合算と成績票への転記。)ということで、ちびどもの顔を見ないまま、家をでました。事務に寄った後、研究室に着いて、9時半。3時間作業をしました。12時40分頃大学を出て、12時52分多磨駅発の電車で帰ってきました。
家はもぬけのから。幼稚園児がうるさく言っていた東急にも出かけたのでしょう。室温32度。エアコンをつけて、2時間ほどで28度まで下がりました。
猛暑の東京に無事帰ってきました。日本全体の気温の変動のせいもありますが、和歌山よりも圧倒的な暑さです。妻はぐったりしています。今日は、列車の接続がすべてうまくいって、3時頃、家に帰り着きました。室温が32度でした。外は36度から37度でしょうか。→翌日の新聞報道では、38度まで上がったということです。息が苦しく感じたのもうなずけます。
8月5日から8月16日の間にリムネット以外のアドレスに連絡をくれた方で、もし、返事をもらっていないという方がいたら、お手数ですが、再送をお願いします。リムネットのアドレスだけは、3日に2日ぐらいは見ていましたが、その他に関してはネットから切り離された生活をしていました。
おじいちゃん家に着いてしばらくは荷解き作業。昨日送った荷物は正午ごろに着いたということです。5人分ですからこれがなかなかに重い。落ち着いたあと、おじいちゃん、おばあちゃんと相談して先に温泉に行くこととしました。どこかに大きくて新しい温泉ができたということで、田舎の温泉は閑古鳥が鳴いているということですが、我々にはすいている方がありがたい。
幼稚園児はさっさと服を脱いで露天風呂に向かいましたが、熱すぎるということで入ろうとしません。これも仕方がないので、頭と体を洗ってやり、足の先だけ浸からせました。私も体を洗い、並んで足湯をしていると、おしっこしたい! 急いで服を着させて、自分でトイレに走らせました。私もさっと着替えて、待合室へ。お風呂に滞在した時間は5分でしょうか。
鶴の湯の帰り道、きれいな虹。足元が両方とも地面に接するほぼ完全な半円形の虹。
これだけ見事なものはほんとうに珍しい。沈みかけていた西日にちょうどにわか雨が重なってできたものです。帰りついて急いでデジカメを取り出して撮影しましたが、上手には撮影できませんでした。
ちいさいちびは早速日記につけていました。
私のほうもデジカメの画像をもってきたノートパソコンに送る作業をしました。なんと、HDの空き容量が足りないため途中で切断されました。買ったときに30Gでは足りないと思ったことは覚えていますが、もう30Gに近づいているとは思いませんでした。調べてみると残り1G程度。仕方がないので、ちらかりほうだいのデスクトップの整理と同時に不要なファイルの削除作業を開始しました。空き容量をどうにか6Gまで確保しました。ちなみに、持ってきたのは Panasonic Let's Note CF-W4 です。
夕食時には、弟が来ていました。幼稚園児は、途中からたこおばちゃんと呼んでいました。
8月6日
幼稚園児が起きて、5時半。近所の人が飼っている鶏を見に行きました。鶏ではなく、チャボでした。朝のうちはまだすずしくて気持ちがよい。この辺りが東京都の差です。昼間の気温はたぶん差がありません。
今回、東京にいる間にダイヤルアップの接続ができることは確認しています。しかし、メールの接続は確認しないまま来ています。その余裕がなかった。設定方式は印刷して持ってきています。記憶によれば、台湾に行ったときも、このパソコンでメールの送受信をしたはずです。設定はどこかに残っているはずだと考え、古いファイルを探しました。知らない間にメールソフトもアップグレイドされていましたが、以前のバージョンに戻したところ、やはりそのまま接続できました。リムネットだけの接続なので、他のアドレスでの連絡は途絶えますが、夏休みなのでその程度がちょうどよいでしょう。
お昼には田辺に住む弟夫妻が来ました。お寿司と串揚げ。こどもたちもよく食べました。食後は幼稚園児が木琴をでたらめにたたきながらお歌を披露。一生懸命に歌っていました。
初めてのプール
子どもたちとの約束によって、ロイヤル・ホテルのプールへ。おじいちゃんの昼寝のあとにでかけることとしました。空が曇っています。案の定、にわか雨が降ってきました。10分程度で止んだので、晴れて出発。幼稚園児はもうふくらました浮き袋を持っています。ちいさいちびは車のなかでふくらませていました。
着いて、着替えて、外に出ようと思ったら、強い風をともなうにわか雨。もともとプールに入っていた人たちが寒い寒いと戻ってきます。やはり10分もせずに雨はあがりました。プールの水は温まっています。しかも、すでにプールに来ていたのはひと組だけです。思う存分、遊ぶことができました。幼稚園児は、幼児用のプールを最初独占していましたが、しばらくすると一般プールの方に行きたいと言います。あきらめて付き合ってやることとしました。一般プールの水深は120センチから130センチ。身長105センチには立てるところがありません。ひたすら浮輪にぶら下がって、あっちにふらふらこっちにふらふらしていました。
おねえちゃんたちはふたりで、平泳ぎの訓練。学校のプールで平泳ぎを覚えたおおきいちびがまだのちいさいちびに泳法を教えていました。キックがどうもうまくつかめないようでした。
1時間を過ぎたころ、幼稚園児はもうあがると言います。急いで着替えさせました。アイスクリームが食べたくなったようです。ホテルのなかの喫茶コーナーでソフトクリームを食べさせました。食べ終わるころ、おじいちゃんとおばあちゃんが温泉からあがってきました。ホテルの中で、こどもたちはプール、おじいちゃんおばあちゃんは温泉とわかれていました。
最近幼稚園児はひとりでどんどん走ります。みなべ駅に着いて、おばあちゃんが改札に待っているのを見つけたときも、ひとりでどんどん走っていき、階段を上り下りして、おばあちゃんのところに行っています。ホテルに着いたときも車から降りたらもう走っています。さすがに入り口のドアのところで待っていました。
ソフトクリームを食べ終わったあとは、ひとりでどこかへ駆けて行きました。荷物を片づけているあいだに見失いましたが、しばらくすると戻ってきました。温泉の出口にゲームセンターがあったことを思い出し、ひとりで探しに行ってきたようです。階段を下りるのでさすがに見つけられなかったようです。ゲームセンターはまずいので、2階に連れて行きました。子どもの遊び場がありました。近くのおねえさんに聞くと、遊んでもよいということです。ほんのちょっとだけ遊ぶと、おねえちゃんたちがプールからあがってきました。睡眠不足の幼稚園児は、まだ帰りたくないと泣きましたが、おばあちゃんにつかまって泣いたまま車中へ。しばらく泣いていましたが、数分後、明日ゲームセンターに連れてきてほしいということで落ち着きました。ぐずってもこの子は立ち直りがはやい。
駅前のうどん屋でうどんのスープをもらってから帰宅。帰ってすぐに夕食のうどん。幼稚園児は車のなかでも寝そうだったのですが、復活してほぼいつもの時刻に就寝しました。睡眠不足のせいで何度もごねていました。おねえちゃんはいつもの10分後ぐらいに就寝。
この夏はじめてのプールで疲れました。
8月7日(土曜日)
ひとりで6時半。幼稚園児はよく寝て、8時10分前。リズムが崩れたせいでしょう、ママ、ママ、と大の甘えん坊になっています。朝の間は、網戸で十分に過ごせます。薄曇り。
午前中は、庭にプールを出しました。ちいさいちびと幼稚園児二人で遊んでいました。
白浜ワールドサファリ
薄曇りで涼しい。おばあちゃんの発案で、昼食後、白浜のワールドサファリに行くこととなりました。
到着すると、駐車場には車がたくさん。しかし、チケット売り場に人は並んでいません。比較的空いていました。幼稚園児が走ること、走ること。しばらく動物を見させようと思っていましたが、きちんと見たのはペンギンだけです。このままではみんなばてます。まずは、サファリのなかを巡回するケニヤ号(電車状の乗り物)に乗せました。暑さでただ寝ている動物も多かったのですが、虎はちょうど通り過ぎるときに、真横で散歩してくれていました。
その後は遊園地に走りました。幼稚園児があまりに走るので、グループに分かれました。幼稚園児は子ども用のゴーカートのところへ行きました。係の方に聞くと、アクセルを踏むことができれば乗れますということです。喜び勇んで乗りこみました。コースの途中でよそ見をしたせいで、一度つまってしまいましたが、ほかはなかなか上手に乗っています。
小銭を多くはもっていなかったので、おねえちゃんたちのところを探しました。おねえちゃんたちは、ジェットコースターに乗りこんでいました。ママはベンチで待機。役割を交代して、幼稚園児はママを連れて、屋根の下のゲームコーナーへ。わたくしはちびどもを待っていました。ちびどもがお手洗いを探しに行って帰ってくるのを待ってから、ゲームコーナーに合流。ちいさいちびと幼稚園児は、遊戯タワーで遊ぶことになりました。おおきいちびは身長制限にひっかかって入れません。ひとりでお友達のお土産を探すこととなりました。
おじいちゃんとおばあちゃんは休憩場でお茶をしていました。
幼稚園児は興奮状態です。ママを連れていろんな乗り物に乗りました。ちびどもは、二人でお土産物探し。ちょうどよいものを見つけたようです。
幼稚園児は、まだまだ遊びたかったようですが、クレーンゲームで「優勝賞品」をゲットして、次に行ってもよいとなりました。
次は、西日本最大級を謳う「とれとれの湯」。最近新しくできて、大人気ということです。とれとれ広場の上(山の上)にありました。確かに大人気のようで、たぶん関西圏一円からお客さんが来ていました。幼稚園児はママの方について行きました。
もうすこし大きな浴槽があるかと予想していましたが、浴槽自体はあまり大きくはありません。ただ、いろんな種類がありました。寝湯が人気で、ずっと埋まったままでした。あまり長く入っているとのぼせそうだったので、私は比較的はやめに出て、外で待っていました。
幼稚園児も比較的よく入ったと言って、女性陣が出てきました。
昨日からずっと言っていたゲームですが、1台クレーンゲームがありました。幼稚園児がやってもなにもゲットできませんでしたが、ちいさいちびがやりたいと言ってやると、最初3つ、つぎに4つが取れました。2〜3センチのちいさなぬいぐるみです。子どもたちでわけていました。おなかがすいたというので、そこで夕食。レベルは平均的。
食後しばらく休んでから帰途へ。疲れて寝るかと思った幼稚園児ですが、目がランランとしています。
みなべに着くころ、また虹が見えました。おじいちゃん家についてもまだ消えていません。デジカメで写真に撮りましたが、虹をきれいに撮るのは難しい。
幼稚園児のせいで疲れたのでしょう、おじいちゃん、おばあちゃんはいつもより1時間以上早く床につきました。ちびどもはいつも通り。
8月8日(日曜日)
ひとりで6時。室温は26度ですが、ひんやりとした空気が入ってきて涼しい。
午前中はお墓参り。近所の来迎寺。本堂では法事が行われていました。
午後は、田辺の大浜へ。イルカのプールがあるということですが、今回は見送ることとなるでしょう。おじいちゃん、おばあちゃんは市内で用事があるということで、我々を下してから市内へ。我々は、荷物一式、すなわち、レジャーシート、パラソル、勝玄号、空気ポンプ、着替えをもって浜へ。ざっと見た感じでは砂浜の半分が埋まっています。砂が熱い。裸足になると、レジャーシートに乗っても熱い。その場で着替えて海へ。
ちびどもは浮輪につかまってぶらぶら。幼稚園児は、ボート勝玄号に乗って、本人の弁ではサーフィン。海は前に来た時よりも、ゴミが目立ちます。誰かが捨てたのでしょう、食パンが浮いています。それに数多くの木屑。清掃をしていてほしかった。
途中でクラゲを一匹見つけました。近くにいた男の子たちが木屑で捕まえて陸上に。おおきいちびはそれで怖がってしばらく海に戻ることができませんでした。幼稚園児は、気にせず、自分の浮輪で海に入ったり、波打ち際で遊んだり。
空に黒い雲がかかり、にわか雨かもというころ、おばあちゃんが現れました。ちょうどよいので、引き上げることに。ちびどもはもう自分たちで着替えることができます。私は幼稚園児だけ面倒をみました。冷水シャワーを浴びさせてから着替え。先に服を着せて外に出しました。妻が待機しています。私はまたシャワーを浴びに戻るのも面倒なのでそのまま着替えました。しばらくするとちびどもも出てきました。荷物をもって、おじいちゃんの車のところへ。
まっすぐ帰宅はせず、帰途にあるおいしい焼きサンドのお店にいくということです。国道沿いにありました。おばあちゃんがエビ天サンドを4皿頼みました。子どもたちはそれぞれに、ミックスサンド、ハムサンド、ハムチーズサンドを頼みました。エビ天はその場であげているようです、時間がかかりました。驚いたことに、7人で7皿を完食しました。子どもたちは、自分の皿の分よりも多めに食べていました。海で泳ぐとおなかはすきます。しかし、幼稚園児まで自分の皿の分を食べてしまうとは思いませんでした。
A-Coopによって各自の夕食のカップラーメンを選んでから帰宅。
日が暮れてから、幼稚園児のたっての要望で、ゲームのできる温泉、すなわちロイヤルホテルの温泉へ。部分的にですが、虹がまた見えていました。ごくせまい場所でにわか雨が降ったのでしょう。幼稚園児は全身をきちんと洗わないとゲーム出来ないよと釘をさされていました。まず頭をシャンプーし、次いで体を洗ってやりました。私がシャンプーし、体を洗う間、待たせておきました。それから、露天風呂の探検。露天風呂も幼稚園児には熱過ぎます。かろうじて紀州備長炭黒湯というのに入ることができました。しかし、それも膝から下だけ。なんとか露天風呂にも入れようとしましたが、つま先も入れません。あきらめてなかの風呂へ。水風呂があります。ここだと入れると喜んではいっていますが、せっかくお風呂に来て、体を冷やすわけにもいかない。しばらくして、外に出して、シャワーを浴びさえ、脱衣所へ。 先に着替えさせてやりました。おお、自分でヘアドライヤーを見つけて、髪を乾かしています。私もその間に、髪を乾かし、ひげそり。普段は電気カミソリですませています。しかし、電気かみそりは田舎にはもってきていません。備え付けのふつうのかみそりで久しぶりにひげをそりました。ちょうどよいので、幼稚園児に点検させました。 脱衣所を出て、待望のゲーム。お姉ちゃんたちが出てきてから、エアホッケー。まったく得点にはなりませんが、うれしそうにやっています。ちいさいちびが7点目をゲットして終了。本日のゲームはこれにて完了。本人はもっとやりたかったようです。
8月9日(月曜日)
ひとりで6時。夜の間に雨が降ったようです。物干し竿が濡れていました。
虫コレクション
昨日の海水浴の片づけものをしていると、庭のボックスにナナフシを発見しました。幼稚園児に見せると、ななむし、ななむし、と大喜び。そして、虫取りに行こうという話になりました。いとこのおにいちゃんたちの虫かごがいっぱいあります。もっとも大きなかごにすでに芋虫とコオロギを入れています。ナナフシを入れたあと、近所の公園に行くこととしました。ちいさいちびもいっしょに来ました。
公園では、バッタを2匹ゲットしました。ちいさいちびがもう帰るというので、一宮神社のトトロの木(しめなわをしたおおきな年代物の楠)を見に行きました。近くの木に蝉がいました。そのセミをゲットして本日の虫取りは終了。
家に帰りついて、おおきな虫かごに移してやりました。
おじいちゃんとおばあちゃんは二人で、上洞のお墓参りに行きました。おばあちゃんの実家です。おばあちゃんの実家は旅館で、家の前がバス停になっていました。そして、道を渡ったところに小学校がありました。おじいちゃんが先生になってすぐに勤務し、我々兄弟が夏休みになると遊んでいた場所です。それがすっかり更地になってしまっていたということです。おばあちゃんによれば、すっかりさびしくなっているということです。さもありなん。田舎で小学校がなくなると、まさにひがきえたようになるでしょう。
朝からいかにも雨が降りそうな空模様です。お昼前に一度すこし降りました。ほとんど雨量はなし。その後またすこし晴れ間が見えましたが、雲は残っています。夕刻にかけてまたにわか雨の可能性があります。昨日の海で疲れたので、休むにはちょうどよい一日です。曇っているせいで、気温もそれほど上がっていません。風があるので、クーラーがなくてもまったく大丈夫です。
昼食時、仕事明けのたこおじさんが来ました。たこおじさんの高校時代からの趣味がバイク。オフロードです。しばらく、ぶおーん、ぶおーんとエンジンを鳴らしてから、どこかへ行きました。私はバイクにも車にもほとんど関心をもったことがなく、どういうところで何をしているのか知りません。
夕食はバーベキュー。子どもたちはおじいちゃんと一緒に焼き網を買いに行きました。雨は上がるかと思ったのですが、バーベキューの準備を始めたころから本格的に降り始めました。バーベキューは庭ではなく、軒先で行うこととなりました。
火が燃えるのが面白いようです。子どもたちは焚き付けをどんどん投げいれていました。
焼いたのは、牛肉、猪肉、かぼちゃ、しいたけ、トウモロコシ、アユ、そして最後にサツマイモ。カボチャと芋がおいしかったようです。サツマイモはうまく焼けるかどうか心配だったのですが、ちいさい芋だったのでおいしく焼けました。芋が好きな子どもたちです。3人とも競ってよく食べました。おじいちゃんも芋好き。
バーバーキューでこんなに疲れるとは思いませんでした。
私はお風呂からあがってからはじめてアユとサツマイモを食べましたが、たしかにさっぱりとしていてうまい。
夜勤明けのたこおじさんは、眠いといって夕食後すぐに帰って行きました。
8月10日(火曜日)
幼稚園児が起きて、7時50分。どんよりとした雲。遠くの山の上には雨のカーテンが見えます。この地では7時40分ごろしっかりとした雨が降り始めました。かなり強い雨脚です。
たぶん、今日はこのまま雨模様でしょう。
と思いましたが、強い雨脚は1時間でした。お昼には雨はあがっています。朝のどんよりとした雲もすっかり消えて、青空さえも見えます。
昼食後、田辺のオークワ(パビリオンシティ)に買い物に。子どもたちは、マンガ/本/雑誌のいずれか、幼稚園児はゲームが目的です。現場に着いて、私が幼稚園児の相手、妻がちびどもの相手と役割分担。私はゲームセンターで幼稚園児とポケモンのゲーム機を探しました。ありません。幼稚園児はまずレースゲームを一度やりました。アクセルを踏むとハンドルが首のところに来るということはありますが、明らかに上達してきています。あまりに大変そうだったので、アクセルを踏むのは私が分担してやりました。それから、ポケモンゲーム機を再度探しにまわりました。と思ったら、走って、滑って、転びました。泣いています。落ち着かせるために、一度ママのところに合流しようと言って、本屋さんを探しました。本屋はツタヤが経営しています。場所も以前のコンピュータ店に変わっています。すこし手間取りましたがすぐにママを見つけることができました。幼稚園児の相手はママにチェンジ。
おおきいちびは子ども用の小説、ちいさいちびはマンガ、私は雑誌(『文芸春秋』)、幼稚園児はポケモンの小さい図鑑、妻はやはり雑誌を選びました。
幼稚園児はポケモンのゲーム機にまだ未練があるようです。おもちゃ売り場に置いている可能性があります。本を買ったあと、おもちゃ売り場にも探しに行きました。あるには、あった、しかし、なんと故障中です。幼稚園児は今日はついていないようです。どうも故障中という事態が飲み込めないようです。妻は代わりに、ポケモンのDSソフトを見つけました。おねえちゃんたちにも相談して、一本のソフトを選びました。さて、向いているかどうか。
おじいちゃん、おばあちゃんとはマクドナルドの前で待ち合わせをしています。向かうと、アイスクリーム屋の前の席に座っています。おやつの時間ということで、子どもたちはアイスクリーム。おばあちゃんがマクドナルドからポテトを買ってきてくれたのでそれも食べています。名前をなんというのかわかりませんが、袋入りのチキンも買ってきました。おやつには十分な量を食べました。
8月10日は白浜の花火大会の日ですが、車で来る途中に「花火大会延期」の掲示がありました。渋滞のなか、車はとれとれの湯に向かいました。とれとれの湯は、若い世代にも人気のようです。明らかに20代前半の若者の姿が目立ちました。幼稚園児はやはりママに着いていきます。
ちびどもが「炭酸湯」と言っていたので、今回は、炭酸湯を含め、ほぼすべての湯に入ってみることにしました。炭酸湯が子どもたちに人気の理由がわかりました。熱くない、むしろかなりぬるい。これだと幼稚園児でも十分入ることができます。電気ぶろはピリピリが私には合いません。1分で出ました。寝転がっている時間がもっとも長かったでしょうか。
お風呂からでたあと、いろいろ探検するのが面白いようで、幼稚園児はどこへでもととととと走っていきます。お子様御断りの表示もお構いなし。(まだ文字は読めません。)すぐに外に出ることとしました。おじいちゃん、おばあちゃんは京都の王将に行くと言います。5時過ぎに、弟夫妻の住んでいるアパートのすぐ近くにある、王将に着きました。すごい人気です。入ってみて、理由がわかりました。量が多く、安い。しかも、注文してすぐに出てきます。おなかがすいていないので店内に入らないと言っていた幼稚園児も、餃子の皮とおばあちゃんにわけてもらった皿うどんの麺をよく食べています。時間帯もあり、食べきれるかと思った量がでましたが、ほぼ完食してお店を出ました。お店に着く前にはほとんど寝そうだった幼稚園児も復活しています。目がランランとして自分で作詞した替え歌を歌っています。
家に帰り着くと、それぞれが買ってきたものに飛びついていました。親は幼稚園児を追いかけるだけでぐったりです。
幼稚園児も疲れたようです。8時過ぎに寝ると言って、横になりました。
ちびどもはいつも通り、9時就寝。
8月11日(水曜日)
ひとりで5時50分。私の今の体調からするとはやすぎます。
夜また雨が降ったようですが、朝は晴れています。ただし、南から黒い雲がやってきています。今日も雨が降るようです。
南から雨のカーテンが近づき、7時半に強い雨が降り始めました。強い雨は15分程度で降り止みました。今日はずっとこんな感じでしょう。
昨日延期になった白浜の花火ですが、新聞によれば、順延とあります。この天気では今日も無理だと思われます。天気予報によれば、金曜日から夏の暑さが戻ってくるということです。金曜日に、すなわち3日順延というのが順当なところかと思います。
ちいさいちびがおみやげを買いたいということで、夕刻ロイヤルホテルへ。幼稚園児は、飛行機の形をした風船をもっていっていました。これですっかり上機嫌。いつもは入らない露天風呂にも入っています。肩までつかることはしませんが、足までは入る。
お風呂から出た後も、かなり長い時間、ドライヤーで髪を乾かしていました。本人の弁ではふわふわにしたいのだそうです。
約束により3回だけゲーム。最後はちいさいちびがお風呂から出てきて、二人でエアーホッケー。しかし、幼稚園児は途中で飽きました。上にあがると、おばあちゃんがソファの下にカニが隠れていると言います。捕まえてやりました。おばあちゃんが箱を持っていたのでそのなかに入れました。この時期になると大量に出てくる沢ガニです。
幼稚園児がお風呂場を出たところにあるアイスクリームが食べたいというので、子ども3人を連れて、アイスクリームの自動販売機へ。3人分買うと所持金が尽きてしまいました。先ほどのソファーのところに戻って、のんびりアイスクリームを食べています。
カニを逃がしてやろうということで、カニの入った箱を幼稚園児に持たせると、ぱたぱたと駆けていってパタン。またこけています。逃げたカニを捕まえて、ホテルの外に逃がしてやりました。予想通り、数匹のカニが集まっていました。ホテルの建っている場所は、昔沢ガニが大量に発生した場所だと思われます。今でもどこかにかなりの数生息しているようです。
帰宅して、しばらくすると幼稚園児は、花火、花火と言います。おばあちゃんのお風呂場に相当数の花火がストックされていました。もらったものだということです。まだうす明りが残るなか、花火を始めました。大興奮。飛び回っています。花火は大量にありました。終わるころには、すっかり暗くなっていました。30分ですが、ずいぶん長くやった感じがしました。
興奮が残ったのでしょう、その後は、幼稚園児とちいさいちびふたりでギャグをつくるのだと言って、へんなおどりをはじめました。ぺんぎんおどりなんだそうです。クールダウンに苦労しましたが、いつもの時刻に就寝させました。
8月12日(木曜日)
ひとりで5時55分。昨夜強く降った雨は一応あがっていますが、空はどんよりとして雲に覆われています。今日もこういう天気が続く模様。
コンピュータにむかっている間にも雨が降ってきました。雲の状態から言って、ある程度の雨量が記録される雨となるでしょう。
お昼は、よってってのバイキング。大人1200円、小学生800円、幼稚園児500円の食べ放題ですが、品数が少ないと不評。おばちゃんによれば、縮小再生産のサイクルに入ったということです。
その後、よってってのお店(スーパー)に入りました。ちいさいちびと幼稚園児は、お店の前の、金魚、ザリガニ、カブトムシの方に魅入られています。そこはスルーして、向かいのオオクワ(パビリオンシティー)ヘ。若干の買い物のあと、ゲーム。しばらくコインゲームに夢中になっていました。
やはり、マクドナルドの前で待っているおじいちゃん・おばあちゃんと落ち合って帰途へ。
台風は、東北に再上陸したようです。台風のせいなのかどうか、今日はずっと蒸し暑い。
おじいちゃんがコメリに用事があるということです。幼稚園児もついていって、花火一式を買ってきました。お風呂に入り、暗くなってから、昨夜に続きお庭花火大会。据え置き式のものが3つ入っていました。これが人気でした。
8月13日(金曜日)
ひとりで5時25分。雨は降っていませんが、台風一過の青空にはなっていません。薄曇り空。7時前に雨が降ってきました。すぐに止みましたが、湿度の高さが一日中継続しました。
ちいさいちびのたっての希望で、新庄総合公園へ。夏に行くのであれば、こういう曇りの日に行くしかありません。おむすびをもって、11時前に着きました。幼稚園児は早速走りだします。滑り台のお尻の部分が熱くて遊べないことを危惧していましたが、そこまでは熱くなっていませんでした。しかし、この暑さで走りまわられると、大人はついていけません。30分ほどで食事休憩としました。木陰はまずまず涼しい。幼稚園児もよく食べました。
もういいというと再び走りだします。噴水で霧をふきだしている方向へ。ちいさいちびも合流して、海賊船の遊具で遊んでいました。しばらくして、おおきいちび、そして妻が合流しました。子どもたちは嬉しそうに遊んでいますが、大人にはきつい。とれとれがすぐ近くです。新しい遊び場に行って、アイスクリームを食べようと提案すると、すぐに戻ってくれました。12時前。
とれとれもすごい大混雑。幼稚園児は幼児の遊び場に直行。ちびどもはママといっしょに買い物。一番大きな車をゲットした幼稚園児はひとりでよく遊んでいます。私は途中から端っこに座ってただ見ているだけにしました。
買い物が終わったお姉ちゃんたちが来る前に、遊びはもういいと言って遊び場の外に出ました。すぐに合流して、建物の外へ。アイスクリーム休憩。食べ終わって車に戻るとすごい熱気です。
今日はこのまま帰途へ。途中で田辺のA-Coop により夕食をゲットし、みなべのVショップで花火をゲットしました。
花火で興奮した幼稚園児は、おじいちゃん家に帰り着くと、すぐに丸裸になっていました。お風呂に入ると、花火ができると思ってすぐにお風呂に入ることにしたようです。急いでお風呂をいれてやりました。自分では体も頭も洗わないので、私もお風呂に入って身体と頭髪を洗ってやりました。幼稚園児はしばらく湯船につかってから飛び出しました。
私もさっぱりしてからしばらく湯船につかり、外に出ました。
部屋に入ってぐったり。横になっているとすぐに昼寝をしてしまいました。
ちいさいちびの気は済んだようです。
夜になって花火。
8月14日(土曜日)
幼稚園児が起きて6時35分。曇り。天気予報では終日雨です。→結局この場所では雨は降りませんでした。
午後、ちいさいちびがプールに行きたいと言います。おじいちゃんが昼寝から起きてからロイヤルホテルのプールに連れて行ってもらうこととなりました。幼稚園児は、プールはいい、花火だけ買ってほしいと言います。何度か確認しましたが、プールには入るつもりがないようです。
おじいちゃんがコーナンでカメムシ退治の薬を探すというので、ロイヤルホテルに行く前にコーナンによりました。幼稚園児はお気に入りの花火をすぐに見つけました。ロイヤルホテルでは、ちびどもとママだけをおろして、そのままとって帰りました。おお、なんと、幼稚園児がすぐに寝入りました。花火を買ってもらって得心したのと連日の遊びで疲れていたのでしょう。そのままずっと昼寝。車から布団に移す時に一度目覚めましたが、すぐに寝入りました。2時半から5時まで2時間半の昼寝。
ちびどもは4時45分ごろ帰ってきました。そのままお風呂に入れました。
8月15日(日曜日)
幼稚園児が起きて6時過ぎ。今日も曇り。
予定では、下の妹と二人の息子が正午過ぎに東京から来ます。
→予定通り、12時過ぎに、南部駅に着いたようです。
夕食は、甥っ子二人(おじいちゃん、あばあちゃんからすれば、男の子の孫二人)のために、バーベキュー。妻、私、おおきいちび、ちいさいちびで準備をしました。ちびどもは野菜を切って、下ゆでしておく役目。
4時前から、炭火の準備。今回は我が家が総出でやりました。炭の様子がいまいちわからなかったのですが、何とか備長炭に火がついたようです。
4時半ぐらいから焼き始めました。前回より、一段網を火から遠ざけました。我が家の要望で、鶏肉も用意してもらいました。牛肉は、最初の一切れ二切れは美味しいのですがもたれます。
さつま芋は、前回よりも高いものをおばあちゃんが買ってきてくれたようです。全員が食べ終わったあと、芯に火が通るまで転がしていましたが、かなり美味しく焼けたようです。お風呂から出てきたおおきいちびがクーラーの効いた台所で、むしむし、むしむし、ずっと食べていました。
幼稚園児は、いとこのうち、弟の方がよく面倒を見てくれました。大喜び。大騒ぎと言った方がよいでしょう。いっしょにゲームをやってもらい、水掛をし、かくれんぼをしていました。疲れすぎるのが心配ですが、まあ、仕方ありますまい。
8月16日(月曜日)
5時50分。おじいちゃん、甥っ子のひとりは起きていました。
電車は、8時43分南部発です。途中で荷物を送る手間を考えて、8時過ぎに家をでます。朝は、忙しい。
幼稚園児が6時半頃、そして、ちびどもも続いて起きてきました。いくらか緊張感があるのでしょう。
おばあちゃんは、お寺で施餓鬼があるということで、8時前に出かけていきました。おばあちゃんのかわりには、なおのめんどうをよくみてくれたげんちゃんが車に乗り込みました。
直射日光の当たる駅のホームで列車を待つのは、なかなか辛いものがありました。しかも、(私は子どもの頃からそういうもんだと思いこんでいましたが)帰省本線の特急が揺れる。おおきいちびは薬を飲んで寝たようにしています。妻は気持ちが悪くなったようです。
ひとりで6時20分。幼稚園児が5時過ぎに一度目覚めたのですが、ミルクを待っている間に、再度寝付きました。助かります。抜けるような青空が続いています。猛暑再来。昨日の幼稚園児の熱ですが、結局、もっとも上がったときで37度でした。熱が上がったときには、ほっぺが赤くなっていたので、リンゴ病の最終段階かという説が出ましたが、正確にはわかりません。医者に行って疲れさせるよりも静養させた方がよいだろうという判断により、医者にも行っていません。本人は行きたがっていました。
今日帰省して、しばらく留守にします。
みなさま、猛暑のなか、ご自愛下さい。
[金森修編著『科学思想史』]
金森修編著『科学思想史』勁草書房、2010
ですが、献本が届いたという報せがありました。勁草書房の編集者の方からは、8月2日に献本を発送したという連絡を受けていました。今回の献本者のリストはちょっと珍しいものになっていると思います。著者のリストが珍しい組合せになっているせいだと思われます。昨日の昼間、おおきいちびがお腹が痛いと言っていました。夜、寝付いたと思ったちいさいちびがやはりお腹が痛いと言って、トイレでしばらく座っていました。テレビでもやっていましたが、気温が非常に高い状態が続くと、食中毒を起こしやすくなるそうです。ちょっとした腹痛も増えているのでしょう。
ちいさいちびが起きた影響で、眼が覚めてしまいました。ちいさな仕事をすこし進めています。
ひとりで6時40分。抜けるような青空。猛暑がしばらく居座るようです。
幼稚園児は7時15分に起きてきました。理由は不明ですが、両方のほっぺが赤い。触ってみましたが熱はありません。→微熱が出てきました。経過を見る必要がありますが、けっこう微妙なところです。明日帰省します。場合によっては延期せざるを得ないかもしれません。難しい判断になります。→ほっぺが赤くなると微熱が出ています。赤みがとれると熱が下がる、その繰り返しになっています。ただの風邪なのかその他別の病気なのか判断がつきません。
ちびどもは起きているのかまだ寝ているのか、ともかく居間には降りて来ません。
幼稚園児の様子はただ見るしかありません。朝一番で私は散髪屋さんに行ってきました。このまえ幼稚園児といっしょに切ってもらおうと思っていたのですが、いっしょはさすがに無理でした。
[アマゾンの『科学思想史』]
金森修編著『科学思想史』勁草書房、2010.7.28
私自身まだ全体を読み通す時間的余裕ができていませんが、アマゾンにきちんと出ています。落ち着いてから読み通します。幼稚園児がお腹すいたと叫んで5時に目覚めました。最近の起床時間からすると2時間早すぎます。5時20分に居間に降りると、ソファーの上で寝ていました。このままいつもと同じ時刻まで寝てくれると助かります。
→一応、いつもと同じぐらいは寝てくれたようです。私にとっても5時は早すぎる時刻です。すこし連絡事項をこなしてから、もう一度布団に横たわりました。私は目覚めて8時。真夏の空になっています。
幼稚園児は今日は行くというので、自転車で送っていきました。友達と遊ぶことはほんとうにうれしいようです。帰省に向けての準備。妻は、昨日からの作業でほぼ準備をすませたようです。幼稚園児が出たあと、ちびどもを連れて、酔い止めの薬を医院にもらいに行きました。買い物も済ませて帰ってくるようです。
お医者さんは夏休みでした。代わりに薬屋で酔い止めを買ってきました。
暑さがパワーアップした感じです。子どもたちはみんな午後はずっと家のなかにいました。私は用があって外にでましたが、熱中症にかかる人が増えるのも当然という暑さでした。
原稿を1点、送り出しました。残るは、あと1点。
ひとりで6時25分。いまにも雨がこぼれてきそうなどんよりとした曇り空。と書いたら、雨がこぼれてきました。ただし、まだまとまった雨量にはなっていません。もうすこし仕事があります。まずは、昨日の編集委員会の宿題。
幼稚園が今日明日とあります。ちょうどよいので、幼稚園児を送っていったあと、大学に出て、すこしだけ事務処理をしてきます。
ちいさいおねえちゃんに遊んでもらっていた幼稚園児は、今日は幼稚園行かないと言います。ということで私一人で大学に出かけました。まず、(採点した分のみ)成績表を教務課に渡しました。その後、研究所でスキャン。この暑さですから、5点にとどめました。その後、研究室の片づけ。できる範囲で採点をしました。
12時前に生協食堂に行って、昼食。まだ学生達が大勢います。試験が残っているのでしょう。私は沖縄そばを食べて、すぐに研究室にもどりました。採点は木曜日3限の講義の答案。4割程度すませたでしょうか。
お盆の期間中大学は停電が一度あります。不要な電源はすべて落としてから、帰宅。2時前に帰り着きました。
ちいさいちびはすぐにお友達のおうちへ。幼稚園児は約束ということで、今日も東急。
ひとりで6時20分。曇り。まだまだ仕事があります。こどもたちは7時過ぎにちいさい順に起きてきました。猛暑がまた襲ってきます。
午後3時から、東工大にてWG、午後4時から同じ場所で編集委員会。
編集委員会は、5時10分に終わりました。私は久しぶりに渋谷で降りて、豚骨ラーメンを食べてから帰りました。家はもぬけの殻。マックかカラオケに行ったのでしょう。
7時半頃、帰ってきました。やはりカラオケに行っていたそうです。楽しかったようです。
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