幼稚園児がひどい咳をして、5時半。室温13度。幼稚園児は昨夜何度も咳で起きました。そのうち、2度ほどはもどしました。前と同じお腹の風邪というよりも、咳がひどくてもどしている感じです。昨日は連れていくことができなかったので、今日は病院に連れていくと妻は言っています。→朝一番で連れていきました。咳はひどいのですが、顔は比較的元気です。しばらく様子見ということでした。
熱は一時39度まで上がりました。9時過ぎの郵便で次の本が Amazom.com から届きました。
J. R. Partington,
A History of Chemistry
4 vols., Originally published by MacMillan, London, 1970; Reprinted by Martino, Masnfield, 2009
機会があれば、全巻そろえておこうと思っていた化学史の基本的レファレンスです。10月24日に注文し、今日届きました。値段は、358.98ドル。妻が小学校の面談から帰ってくるのを待って、出張校正へ。今日は、池袋から歩いてみました。池袋の地理は頭に入っていません。立教のある方向というだけの情報で探してみました。出るところを一度間違えました。しかし、一度出てしまうと道なりにまっすぐ要町に着きました。約15分。
校正そのものは、予定通り、1時間で終えました。
帰途にあったうどん屋さんでうどんを食ってから帰宅しました。この時間帯に山の手線に乗るのは久しぶりだったのですが、恐れたほどのラッシュではありませんでした。もうすぐ12月というのに電車のなかは暖かく、途中でコートを脱ぎました。そもそもコートを着ていない人も少なくありませんでした。
ひとりおくれて7時。幼稚園児は苦しいようで、昨夜、何度も起きました。身体が暑いときは毛布を蹴飛ばします。しばらくしてまた毛布をかぶり寝ています。授業の日。
2限、3限、4限、5限。あっというまに5時。5時45分頃帰ってきました。すぐにおおきいちびがママに連れられて病院へ。足の治療です。かなり状態はよくなってきているようです。幼稚園児は、見るからに風邪という顔をして、ずいぶん咳をしています。
ひとりで6時15分。幼稚園児は風邪気味です。こほん、こほん、よく咳をします。幼稚園で流行っているようです。もらったのかもしれません。編集委員会の宿題に苦労しました。
夕方からだがあついなと思ったら、幼稚園児は熱が出ていました。8時前に自分で2階に上がってすぐに寝付きました。
幼稚園児が目覚めて、5時半。幼稚園児は、夜中、布団と毛布を何度も蹴飛ばしたせいで鼻がつまったようです。まだ暗いが、雲の少ない薄明の空が見えます。昼食後、ふと Discovery Chennel をつけると、「忘れられた朝鮮戦争」という番組をやっています。最後まで見ました。タイムリーな番組です。勉強になります。
午後遅くから編集委員会。東工大にでかけます。
→編集委員会終了後、残った4人で夕食をとってから帰宅。9時20分。次の本が届いていました。
橋本毅彦
『<科学の発想>をたずねて:自然哲学から現代科学まで』
(放送大学叢書)左右社、2010
ご高配いただいた橋本毅彦さま、ありがとうございます。
106,131,151。昨日の夜測った子どもたちの身長です。おおきいちびは遠からずママを越えそうです。ちいさいちびは、ちょっと背が高くなったかな、と感じていたところです。幼稚園児といっしょに6時。幼稚園児は昨日の夜、べろを噛んでしまって、そのショックではやく寝てしまいました。8時に寝ていますから、6時起床で10時間睡眠。睡眠時間は足りています。朝からべろを気にしています。
夜半に降り始めた雨は上がっています。
お昼に次の本が届きました。
Dorothy Stimson ed.,
Sarton on the History of Science
Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1962
サートンの論集です。中心的な目的は、次です。
"Acta atque Agenda", pp.23-49
From Archives internationales d'Histoire des Sciences 30(1951): 323-356
Moritz Cantor, pp.25-27
Paul Tannery, pp.27-29
Karl Sudhoff, pp.29-32
Johan Ludvig Heiberg, pp.32-33
Pierre Duhem, pp.33-36
Sir Thomas Little Heath, pp.36-38
中心としては、以上6人の科学史の先駆者を扱っています。
ひとりで4時。室温は14度。薄曇りの晴れ。こどもたちは、6時半過ぎに、幼稚園児、おおきいちび、ちいさいちびの順番で起きてきました。
連合音楽会があるということで、おおきいちびは7時半に家をでました。ちいさいちびはいつも通り、8時前。幼稚園児は9時前。妻は幼稚園の行事・仕事があって、今日はずっと幼稚園です。
木曜日の授業の日。外語祭があったので、2週間ぶりです。
[海外ILL]
大学では、まず、図書館に寄りました。次の本を借り出しました。H. D. Scheperlern ed.,
Olai Borrichii Itinerarium 1660-1665 : the journal of the Danishpolyhistor Ole Borch I
The Danish Society of Language and Literature, Reitzels Forlag Copenhagen and Brill London, 1983ウェブキャットが把握している日本の図書館のどこにも所蔵されていなったので、海外ILLで10月29日に発注したものです。11月19日に到着したという報せがありましたが、外語祭期間に重なり、図書館が閉館となっていました。やっと本日受け取ったものです。送料で5千円(機関によっては5千円以上)かかるがよいかという質問があったのですが、かまわないと回答したところ、現実には、1575円となっています。
世界中のどの大学からでも取り寄せ可能ということはありませんが、日本の大学が提携している国(たとえばアメリカ)の図書館であれば、可能です。
この海外ILL (InterLibrary Loan) がいつ始まったのかはしりません。システムが存在していることは知っていました。今回初めて利用してみたものです。
日本の図書館が所蔵しないものは数多く、これはとても便利な制度です。まだ十分には知られていないようですが、活用の価値大です。
ひとりで5時45分。室温は15度。曇り。日射しがないせいでしょうか、部屋のなかにいても寒く感じます。
→すぐに晴れてきました。お昼前にはすっかり好天です。会議の日。
いつまでかかるのか心配だったのですが、5時40分頃終了しました。あまりはやく終わるのも逆に心配なのですが、個人的にははやく終わってくれた方がたすかります。
幼稚園児が泣きながら起きて、6時半。幼稚園児はママにとんとんしてもらって再び寝付きました。昨日もはやく起きています。睡眠時間が足りないと、必ずどこかでぐずったり泣き虫になったりします。
室温16度。外は雨。我が家の敷地に生えているプラタナスの落ち葉がお隣さんの庭と屋根に積もっています。前に一度掃除しましょうか、と言ったときにはお言葉だけでけっこうです、という返事だったのですが、ほんとうに積もっている状況なので、再度問い合わせて、清掃に向かいました。お昼前に妻が始めました。途中から私も手伝いました。私が力を入れたのは、屋根に積もっている落ち葉を落とすことです。我が家にあるもっとも長い棒で届く範囲は落としました。樋にたまるのがもっともよくない。がんばって掻きだしました。
全部でゴミ袋4袋となりました。嵩もあり、それなりの重さもあります。木にはまだ葉が残っているで、もう一度清掃する必要があります。
我が家の分の一袋をあわせて、5袋。
今月は、この時点で100枚に達しました。ひとりで4時35分。室温17度。土曜日から暖かくなったと思っていたら、実際に室温が上がっていました。床暖房を切った状態で、室温が先週末と比べると2度上がっています。天気予報ではまた今日から気温が下がり目ということです。
おおきいちびは久しぶりの登校です。連合音楽会の練習があるということで、7時半にでかけました。練習は父母に公開です。見に行ってきた妻は、みんな正装をしている、(スカートは昨日買ってきたが)上のシャツも必要だということで、買ってこなくっちゃ、となっていました。
朝一番の郵便で、次の本が届きました。
Antoine-Laurent Lavoisier,
Essays Physical and Chemical; By M. Lavoisier, Translated From the French, With Notes, and an Appendix, By Thomas Henry
1776, Reprinted by General Books, Memphis, 2010
英訳のリプリントです。グーグルブックでオリジナルは簡単に入手できますが、本の形態の方が使う/読むには便利だと考えて、ペーパーバックでバインドされた版を購入したものです。
日本円で \2,519. General Booksという会社は、自動読みとりロボットとOCR ソフトを活用して、この種の本を提供する会社のようです。pdf ファイルそのものは、www.gereral-book.net でダウンロードできるとあります。
pdf をダウンロードして、自分で印刷し、それからバインド(製本)するよりも使いやすい形態になると思います。値段的には、自分でやった場合と比べてどっこいどっこいかもしれませんが、きちんと普通のペーパーバックの形で綴じられていた方が便利だと思います。
OCR ソフトは完全ではなく、多くの typos (typographical errors 誤植)や missing text があるかもしれないので、注意して使って欲しいと裏表紙にあります。
事業のイメージとしては、グーグルがスキャンした本を OCR を利用してペーパーバックにしている、という感じでしょうか。ちなみに、トーマス・ヘンリー (Thomas Henry, c.1734-1816) は、ヘンリーの法則で有名なウィリアム・ヘンリー (William Henry, 1774-1836)の父です。職業としては、外科医-薬剤師。マンチェスター文哲協会の創設メンバーの一人であり、後に会長をしています。ヘンリー親子の科学的(特に化学的)活動は歴史的に非常に興味深いものがあります。英語圏では、ファーラー(Wilfred Vernon Farrar, 1920-1977)によりマンチェスターのヘンリー一族に関する興味深い研究がありますが、管見するところ、日本語の研究はありません。モノグラフがほしいところです。
ひとりで6時。室温15度。快晴。私の次の起きてきたのは、ちいさいちびで7時10分。いつもははやくおきるおおきいちびですが、怪我のせいなのか、病気のせいなのか、よくねるようになっています。
朝一番でおおきいちびと妻が連合音楽会のための服を吉祥寺に探しに行きました。ちいさいちびにいっしょにでて、井の頭公園に行くかと聞くと、お団子だけ買ってきて欲しいという回答。ちいさいちびと幼稚園児は家で遊んでいることとなりました。
2〜3日前から幼稚園児は自分の部屋の片づけ・清掃に意欲を燃やしています。ちいさいおねえちゃんに手伝ってもらって、部屋の片づけをしていたようです。私は、プラタナスの落ち葉を拾っていました。ゴミ袋ふたつ分。けっこうな量になりました。おおきいちびは、居残り組が昼食を食べ終わってから20分ほどして帰ってきました。焼き芋と団子とエビフライを買ってきていました。
ひとりおくれて7時15分。昨夜起きてすこし仕事をしていたせいです。午前中(なんと9時半から)に会議。午後は、大学院の説明会。丸一日の拘束となります。
絶好の大学祭日和となっています。1限の授業が間に合う時間帯にでかけました。学生たちはもう学祭の準備をしていました。
最初の会議(打ち合わせ)は、9時半〜11時半。次は大学院説明会の司会。11時45分〜12時45分(1回目)。1時50分〜2時50分(2回目)。
帰宅すると、次の本が届いていました。
新 睦人・大村英昭・宝月誠・中野正大・中野秀一郎『社会学のあゆみ』有斐閣新書 C 52、1979
入手したものは、2008年初版第33冊です。社会学は販路がおおきい。新 睦人(編)『新しい社会学のあゆみ』有斐閣アルマ、2006
ブルデュー、フーコー、ルーマン、ハーバーマス、ギデンズ、ウォーラースティンに一章が当てられています。章の名前にはあげられていませんが、シュッツ(現象学的社会学)、ガーフィンケル(エスノメソドロジー)も取り上げられています。大学にいる間に、次の論考を読みました。
佐々木力「科学史の興隆」『学問論』(東京大学出版会、1997)、151-191
数学的諸科学の歴史ということであれば、おおよそこれでよいでしょう。クーンの写真(p.177)につける著者のキャプション「20世紀科学史のヒーロー」がもっともよく示すように、著者にとって20世紀科学史の到達点は、クーンです。(クーンが一つの到達点であることは、私も賛成します。クーン以後科学史の研究に携わるものの出発点は今でもクーンだと私も考えます。)
問題点は、基本的には2点あげることができると思います。ひとつは、ディーバスのサートン的科学史に対する批判がそのまま当てはまることとです。科学史の世界において、独自の伝統を有する化学史と医学史(それに生物学史)が視野からはずれていることです。
もう1点は、「科学の深層構造」なるものの無批判的な前提です。廣松渉であれば、そんなものはない、と切って捨てるのではないかと思われます。章のタイトルでは、「科学の深層構造の照射―近代科学の思想的・社会的背景」とあります。「思想的・社会的背景」であればよくわかります。しかし、それを「深層構造」としてしまうと、超歴史的基盤を科学に認めることになります。
もし「深層構造」と呼べるものがある時期、ある特定の(諸)科学に認められるのであるとすれば、その歴史的形成こそ、科学史家の探究すべき対象となるでしょう。それにしても、歴史研究には適合しない概念だと思われます。
夜半に目覚めてすこし仕事。この時間に仕事できるということは、風邪はなおったということです。
おおきいちびも風邪はなおったようです。風邪がなおると、今度は怪我をした足がずきずきするといっています。そういう子です。午前2時40分、室温は15度。外の気温はわかりません。
2回目の起床は、7時45分。ちいさいちびはすぐに出ていきました。室温15度。快晴。私の勤めている東京外国語大学では今日から「外語祭」です。屋外企画が多いので、天気が重要となります。好スタートです。
昨日の夕刻、速達で届いた編集委員会の仕事を昨夜から今朝にかけて行い、10時前に投函してきました。これだけ天気がよいと、いつも見慣れた街が違った街に見えます。実際、この周辺では、どこかで建て替え工事が行われていて、すこしずつ変化しています。
元気が回復したら、昨夜届いたもうひとつの仕事にかかりたいと思います。体力の面では風邪の影響が残っています。
→体力云々のまえにともかく取りかかりました。1時間ほどで基本的な部分の対応はできました。時間をおいて、もういちど見直したいと思います。3時過ぎに、東京ガスの方が見えました。あの寒かった日、私の部屋の床暖房のコントローラーが故障していることがわかりました。電話をすると、部品の取り寄せに2ヶ月ぐらいかかりますとの返事。え?2ヶ月?なんとかなりませんか、と聞くと、では探してみますということで、結局2〜3日で探し出してくれました。
今日実物が入荷したので、取り替え工事に来てくれたものです。私の部屋は全面本棚です。本棚そのものを移動する必要が生じると面倒だなと思っていたのですが、棚を一枚はずすだけですみました。部品が1万8千円、出張費が1400円、技術料が3900円、税金を入れて、24,465円です。
家族5人の家庭では、維持費だけでもけっこうかかります。ウェブでコントとスペンサーを調べていると、教科書的な記述によく出会います。何かと思ったら、公務員試験でした。「コント、スペンサーは公務員試験で頻出の人物です。」とあります。
そうでしたか。
せっかくですから、そうした教科書的記述も読んでみました。科学史家としては、?や??の記述はままありますが、そもそも教科書とはそういうものでしょう。むしろ、結構勉強になることがあります。
?の例としては、たとえば次のような記述。「実証とは、実験や観察などを行い、確認された内容に基づいて結論を出す方法である。実証科学には数学・天文学・物理学・化学・生物学などがある。コントは社会学を、このような実証科学のひとつとして確立しようと考えていた。」
実証科学の最初、古代ギリシャに成立した「数学(幾何学)」は、どういう実験や観察に基づいているのでしょうか?
社会学の人には、今でもコント流の学問分類観、すなわち「数学・天文学・物理学・化学・生物学・社会学」というのがあるようです。勉強になった例としては、私自身の立ち位置に関するものです。卒論のときには、「ウェーバー=マートン・テーゼ」と呼べるものの論争史の分析をしています。そのとき、コントとスペンサーは読みませんでしたが、ウェーバー、デュルケーム、マンハイム、マートンは読みました。マンハイムの知識社会学の観点は、私の身についています。そのときは読まなかったのですが、ジンメルはとても面白そうです。
幼稚園児、ちいさいちびといっしょに6時半。全快とはいきませんが、昨日のような痛みはありません。ちいさいちび、幼稚園児と元気にでかけました。おおきいちびはまだぴーぴーいっています。気分の悪さがまだ残っているようです。
統計局のサイトに人口ピラミッドの図があります。
将来予測として、2050年のものがあります。77歳の方の人口が最も多く、それから見事な逆ピラミッドを描き、人口が減っていく様子がはっきりとわかります。出生数は50万程度でしょうか。
人口には、慣性がありますから、ただちに半減ということではありませんが、50万は現在の半分以下です。現在の出生率のままだといずれ人口は半減することがわかります。今年2010年の人口ピラミッドでは、62歳のところにピークがあります。次のピークが37歳。いわゆる第1次ベビーブーマー(団塊の世代)と第2次ベビーブーマー(大開の子どもの世代)です。ポイントは、第3次ベビーブーマーはなかったことです。
37歳以下は逆ピラミッドです。私の生まれる直前のもの(1955年)もみてみました。
基本的には、きれいな正立のピラミッド型をしています。ただし、6歳から下は、逆ピラミッドです。そのときから出生数がどんどん減ったことがわかります。つまり、日本社会は驚きの速度で人口学的に変化しているということです。
[ノロウィルス第4号・5号]
6時半。おおきいちびの世話をしていた妻がやはり嘔吐感と下痢に見舞われたと報告に来ました。私も昨夜から同じ症状。あとからくるのかもしれませんが、今のところ、私が一番軽くすんでいます。嘔吐感と下痢感以外は、風邪のときと同じ症状です。身体の痛みで何度も目が覚め、ぐっすりと寝ることはできませんでした。これで、ノロウィルスにより、我が家は全滅ということになります。
昨日妻がおおきいちびの足の怪我の薬をもらいにいったとき、お医者さんには、もしほんとうにノロウィルスだったら、お父さんもお母さんも気をつけてください。一般家庭では防ぎようがないと言われています。まさに、そのとおりになりました。今日は幼稚園児の5回目の誕生日ですが、お友達とのパーティはキャンセルし、復活している幼稚園児とちいさいちびだけでバースデーケーキとなるでしょう。
お誕生日プレゼントに本人が前から欲しがっていたウィのマリオギャラクシー(最初のもの)はずっと前に用意しています。
お友達が迎えに来て、ちいさいちびはいつもの時刻にでかけました。→幼稚園児は、風邪ではないのですが、親がダウンしたことにより幼稚園を休ませました。新しいマリオギャラクシーを大喜びでやっています。我が家でマリオが一番上手なのは幼稚園児かもしれません。ともかく気に入っています。
10時半すぎ、なんとかなりそうだという判断のもと、買い物にでかけました。丸焼きチキン、ケーキ、おむすびを買って帰りました。帰宅するとちょうど幼稚園児がご飯を食べているところでした。幼稚園児の場合、おむすび1個+αでちょうどです。
ちいさいちびは2時半に帰ってきました。幼稚園児待望のバースデーケーキ。寝込んでいるママも呼び出して来て、ハッピーバースデー。ほとんど自分で歌っています。
今日は会議の日ですが、さすがに欠席です。出席すべき会議では、今年はじめての欠席になります。
ひとりおくれて6時50分。ちびどもは元気に朝ご飯を食べていました。昨日の夕刻から降り始めた雨は止んでいます。今日は幼稚園の落ち葉拾い。妻は休ませるつもりだったようですが、本人は行く気満々です。はやおかえりということで行かせることとしました。8時まえ、ちいさいちびは、5日ぶりにでかけていきました。
幼稚園児は、そのときからリュックを背負っています。
本日の最高気温は12度だそうです。12月なみの寒さのなか、幼稚園児ははりきってでかけていきました。
12時頃、無事はやおかえりで帰ってきてくれました。ちょっと疲れた様子ですが、まず問題はないでしょう。[ノロウィルス第3号]
午後3時。小学校から電話がありました。養護の先生からです。おおきいちびが保健室で気分が悪いといってもどしたそうです。迎えに来て欲しいとのこと。妻がすぐに迎えに行きました。
結局、我が家の子どもは、全員、ノロウィルスにやられたことになります。新種なのかなんなのかよくわかりませんが、感染力が強いようです。
2〜3日は休ませるしかありません。[スペンサー]
スペンサーですが、もとの著作が何時発行されたものかは重要です。翻訳の底本としたのは、Everyman's Library の Essays on Education and Kindred Subjects(1991)ということです。年表によれば、「科学の起源」の初出は1854年です。ちなみに、生物学 biology という語の出現は、1803年です。コントが、社会学 sociologie という語を使ったのは、1839年ということです。科学史の世界ではよく知られているように、科学者 scientist の語は、1837年です。(ヒューエル『帰納科学の歴史』)
この近さは何かを物語っています。当然先行研究もあると思います。直接ではないのですが、手元にカンギレームの『科学史・科学哲学研究』があることを思い出し、繙いてみました。
オーギュスト・コントについて、次の論考が収録されています。
「オーギュスト・コントの生命哲学と一九世紀フランスにおけるその影響」
「オーギュスト・コントからみたモンペリエ学派」
「オーギュスト・コントのフェティシズム論における宗教史と科学史」
この三点をまず読みました。いろいろ勉強になります。生物学の起源と社会学の起源が相当程度重なっています。スペンサーの場合も含めて、この辺りの先行研究も当然あるはずです。ちなみに、ダーウィンの『種の起源』は1859年の刊行です。
幼稚園児がもうあさだよと叫んで7時。本人はもうなおったと言っています。下に降りると、ちいさいちびもばたばたと降りてきました。6時に目が覚めたといっています。ということで、今日は3人とも休み。私がひとり仕事にでかけることとなりました。
8時20分、おおきいちびといっしょに家をでました。小学校の近くの西荻クリニックに。朝早くから満席でした。ただし、ひとりひとりの治療には多くの時間がかからず、ちょうど9時におおきいちびの番になりました。治癒にはすこし時間がかかるということです。傷が深かったようです。
おおきいちびはジュースを買って帰らせました。私はそのまま大学へ。図書館で2冊本を借りました。いつもより早く帰ると、幼稚園児はソファの上ですやすや寝ていました。やはりちいさいちびの場合と同じ経過を辿っています。寝るのが一番です。
おおきいちびは本屋さんに買い物に行っていました。ちいさいちびは自分の部屋で何か工作をしているようです。そして4時前にお風呂に入っていました。たぶん、幼稚園児は3時間ほど昼寝してから起きました。ちょうどちいさいちびがお風呂から上がってくるときになりました。ぼけています。
[スペンサーの科学史]
『世界の名著 46 コント スペンサー』に収録されている「科学の起源」は、科学史の論考です。スパンサーがいったい何を書いているのかという興味で読んでみました。実際読んでみると、なかなか意外な記述になっています。「科学的知識が普通の知識と性質を異にするということは、昔から漠然と考えられてきた。」という書き出しからはじめ、「科学的知識」と「普通の知識」の差から探究しています。スペンサーの結論は、考えられているような差はない、存在する差は程度の差であると言っています。
そして、次のように起源・出発点の探究が重要だと指摘します。「科学の起源の初期段階を考慮せず、明確な体裁を具える段階の科学だけから始める科学史には、必ず重大な欠陥があるに違いない。」(p.342)
この点は私も同意できます。ただし、逆に起源・出発点にあまりに拘泥すると、後の重大な変化を捉え損ねる恐れも同時にあると思われます。
「科学とは一つの成長ではないのか。科学にはその発生学があるのではないか。科学の発生学の無視は、科学の進化の諸原理と現存の組織の諸原理の誤解に通じるのではないか。」(p.353)こういったあと、科学の分類を検討しています。まず、オーケンの分類。オーケンのものは、「仮定に基づく創造の秩序に従う知識分類の企てであることがわかる。似而非学問的な宇宙創成論で」あって、無茶な不合理によっている。(p.344)
「イギリス人の目から見れば、[ヘーゲルやオーケンのように]こうしたドグマを重々しく述べるに留まらず、疑いのない真理として述べるということはかなり面白い。」(p.345) 「このドイツ的方法は、誤ったア・プリオリな方法と呼べる。」(p.345)
ヘーゲルに関しても、その「無茶な結論は、自ら亡びるに任せておけば良い」と手厳しい批判・否定がなされています。この辺のスペンサーはなかなかの切れ味です。
いってしまえば、19世紀版「サイエンス・ウォーズ」と言えるでしょう。この対立に関しては、スペンサーに軍配をあげるべきです。ヘーゲルやオーケンは無意味な発言をしています。最後にコントの見解を検討しています。コントは、「オーケンやヘーゲルの図式とは異なり、丁寧な研究を要する科学の図式を披露している。」(p.348)
コントの分類は、「数学、天文学、物理学、化学、生理学、社会物理学。」(p.349)
医学の不在がおおきな問題でしょう。
7時50分。昨夜起きていたせいです。どんよりとした曇り。[ノロウィルス2号]
元気な幼稚園児だけ外に連れ出すことにしました。ほんにんはおにくぼにいくといっています。おもちゃやさんにいきたいようです。
昼食後、出発。いちばん近いコンビニでポテロングを買い、食べながら歩いています。どうもお昼ご飯をきちんと食べなかったようです。
日曜日なのでプラレールのコーナーには子どもたちが大勢集まっています。すぐに間に割って入り上手に遊んでいます。飽きると別のオモチャで遊びます。
2時間以上遊んでから、もうかえる。夕食のときにもう眠そうにしています。しかも、びっくりするほど食べました。8時前にもう休むといって上に行きました。布団にすわってげほげほしていると思ったら、そのままもどしました。食べ過ぎでしょうか。
30分ほど顔色が悪いままでしたが、またもどしました。今度はボールを用意していたでそのなかへ。ちいさいちびがかかえっていたノロウィルスにやられたようです。子どもはどう気をつけても、接触します。仕方ありません。
お腹も下ってきました。夜中に何度かもどし、したもくだしました。最後のおしめがそれでパー。
本人は苦しいようで、眼が覚めたときに泣いています。
ひとりで5時50分。室温17度。この時期でこの温度であれば、寒さを感じません。今日は小学校の学校開放日。ちいさいちびは大事をとって休ませます。おおきいちびは行く気満々です。朝一番で病院に寄ってから行くことになったようです。
8時15分、妻とおおきいちびがふたりででかけました。おおきいちびの怪我は痛くはなったようですが、発熱という事態にはなっていません。ちいさいちびは体力はまだ十分には回復していないようですが、病気はなおったようです。外にでることなく、家のなかで工作やらなんやらをして一日過ごしました。
幼稚園児はとくの問題はありません。最近自転車が気に入っています。私は歩き、幼稚園児は自転車で100円ショップまで買い物にでました。買ったのは、画用紙と色紙。それとケーキの材料。
夕刻、アマゾンより次の本が届きました。
『中公バックス 世界の名著 46 コント スペンサー』清水幾太郎責任編集、中央公論新社、1980,1999
実証主義、実証主義といいますが、本家本元を読んだことがないことに気付き、まずはもっとも入門的なものを入手したものです。
夜半に起きて、まず冒頭の清水幾太郎氏による「コントとスペンサー」を読みました。社会学 sociologie という言葉を作ったのはコント、明治の日本でもっともよく読まれたひとりがスペンサーです。スペンサーの著作としては、「科学の起源」「進歩について」「知識の価値」の3点がとられています。これは科学史といってもよいものです。コントでは、「社会再組織に必要な科学的作業のプラン」「実証的精神」「社会静学と社会動学」の3点。[続サートン ii ]
ディーバスは、19世紀の科学史家として、Moritz Cantor, Paul Tannery, Karl Sudhoff, Johan Ludvig Heiberg, Piere Duhem, Sir Thomas Little Heath, そしてAlso Mieli をあげます。Also Mieli がわからなかったのですが、Aldo Mieli のタイプミスだとわかりました。コインブラ出版の英語の本では、この辺がすこし甘い。校正が100%までには行き届いていません。せっかくなので、日本でどの程度読まれているのかざっと調べてみました。
数学史のモーリツ・カントールですが、モーリツ・カントール (Moritz Cantor, 1829-1920)を研究したものも、モーリツ・カントールに依拠する研究も、見つかりませんでした。数学史家の村田全氏が『数学史散策』で「19世紀数学史―数学史の歴史をめぐって―」という章をたてています。その記述によれば、村田氏は、モーリツ・カントールの数学史(『数学史講義』全4巻、1880-1908)をすくなくともみているようです。
三上義夫氏や小倉金之助氏も使っているのではないかと想像されます。数学史は、科学史のなかで独自の伝統をもっています。
次は、ハイベルクをみてみましょう。
ハイベルクでは、1920年の次の書物が翻訳されています。
Johan Ludvig Heiberg, Naturwissenshaften,Mathematik und Medizin im klassischen Altertum, 1920.
J.L.ハイベルグ『古代科学』平田寛訳、SD選書、鹿島研究所出版会、1970
しかし、中心的著作『ユークリッド全集』全8巻(1883-1916) 『アポロニウス円錐曲線論 I - IV』(1891-1893) 『プトレマイオス全集』(1898-1907)『アルキメデス全集』全3巻(1910-1915) 等は、翻訳されていません。ただし、ハイベルクの編纂したユークリッド原論は邦訳されています。(中村幸四郎他訳、共立出版、1971)。
もちろん、古代ギリシャの数学史を専門にしている人がこれを使わないということはありえません。ヒースは、ギリシャ数学史が訳出されています。
Sir Thomas Little Heath, A Manual of Greek Mathematics, 1931
T.L.ヒース 『ギリシャ数学史I,II』平田寛訳、共立全書518,521、1959
ヒースによる英訳『ディオパントス』(1885)『アポロニオス』(1896)『ユークリッド原論』(1908)『アルキメデス全集』(1912)は、世界中の多くの研究者が利用していることでしょう。タヌリに関しても、邦訳はないようです。
タヌリの研究がどのぐらい使われているのか、ちょっとわかりません。デュエムは、どうでしょうか?
邦訳は次の1点です。
ピエール・デュエム『物理理論の目的と構造』小林道夫, 熊谷陽一, 安孫子信訳、勁草書房, 1991
デュエムの自己認識は、物理学者であったそうです。『世界の体系』全10巻は、宇宙論の歴史の金字塔です。さて、どのぐらい利用されているのでしょうか?医学史も科学史において独自の伝統をもっています。
カール・ズドホッフですが、邦訳はマイヤー・シュタイネックとの共著『図説医学史』(小川鼎三他訳、朝倉書店, 1982)の1点のみです。これは、Illustrierte Geschichte der Medizinの第5版の訳とあります。
数学史家の知り合いは相当数います。医学史家の知り合いは、数が少なく、友人達の研究状況からは、日本における医学史の様子がよくはわかりません。
このあたりは教えを請いたいと思います。どういう状況なのでしょうか?アルド・ミエリは、日本では(もしかしたら日本だけではなく)ほとんど読まれていないのではないでしょうか?
桑木あや雄氏は、「科学史の研究」で Brunet et Mieli, Histoire des sciences antiquité(1935) を最初にあげています。ですから、桑木さんはミエリを読んでいたと言えます。しかし、その後はどうでしょうか?
ひとりで5時50分。妻はすぐに起きてきました。ちいさいちびは12時ぐらいまで気分が悪いと泣いていたようです。ちいさいちびですが、朝方はまだ気分が悪いようでした。一度下に降りてきたのですが、2階の布団に帰しました。よく寝ています。顔色も回復してきています。
今日は不調が残るかもしれませんが、おそらく今日中にほぼ回復するでしょう。昼食後、ソファの上で休んでいると小学校から電話がありました。おおきいちびがハードルでこけて膝の上に怪我をしたのだそうです。念のため、病院に連れていって診察させて下さいということでした。妻がすぐに走りました。
しばらくして電話があり、縫う必要はないが、深い傷がついているので、化膿すると微熱が出てくるかもしれない、という話でした。本人は泣いていない(!)ということです。痛みが出るとすると、今夜からでしょうか。理由は別々ですが、二人ともしばらく休みということになりました。
[続サートン]
サートンからの引用を続けます。
(p.88)「「イシス」刊行と本書の準備とは、外観こそちがっているが、おなじ究極の目的をもっている二つの緊密に関連ある仕事であることは留意してよい。両者は新ヒュマニズムの理想を守り、科学史を、それ自身の道具と方法とをもった独立の立派な学科として組織し、たとえば芸術史や宗教史とおなじ水準にするという目的をもっている。」
サートンのこの点での仕事は、賞賛されなければなりません。ISISを創刊し、国際科学史学会を組織したのは、いちにサートンの功績です。(p.56) 「ことに、数学、化学、医学については、すぐれた歴史がある。」
ディーバスによれば、19世紀後半ならびに20世紀初頭の科学史のパイオニア( Moritz Cantor, Paul Tannery, Karl Sudhoff, Johan Ludvig Helberg, Piere Duhem, Sir Thomas Little Heath, Mieli)に関するもっとも興味深い概観は、サートンの“Acta atque Agenda”にあるということです。(Sarton on the History of Science, 1962, pp.23-49 にリプリントされた。)
つまり、サートンの判断では、数学史、化学史、医学史という個別科学史(科学の特定分野の歴史)には19世紀においてすぐれたものがある。しかし、一般科学史(科学全般を対象とする科学史)には満足できるものはない、ということです。ダンネマンに対する評価もけちょんけちょんでした。サートンは、諸科学の間にヒエラルキーを設けています。ディーバスがもっとも批判するのは、この点です。とくに医学史に対しては、敵視に近いものを表明しています。
Sarton, "The History of Science versus The History of Medicine", ISIS, Vol.23, 1935, pp. 313-320
p. 317 に次の明確な表現があります。「科学史は、いつも人間性の歴史の核心を形成しなければならない。なぜなら、それが記述し説明するのは、事物の一般スキームにおける人間のもっとも明白な合理的、進歩的、累積的要素なのであるし、また事物の一般スキームにおける人間の機能と目的を最良の仕方で説明するものだからである。同様に、科学史の核心部分は、医学史ではなく、数学史と数学的諸科学の歴史でなければならないことは容易に証明できる。・・・宇宙の根本的説明でさえ、そうしたものが可能であるならば、必然的に数学的であり、非数学的言語によってはまったく不可能である。同じく、人間の進歩の根本的説明は、必然的に科学史に焦点をあわせたものでなければならず、またその科学史は数学史に焦点をあわせたものでなければならない。」
p.318「数学は人間の思考のまさに核心をなし、それゆえ人間の生活の核心でもあるが、しかし、それは隠れた核心なのである。」この医学の位置付けには、サートンが医学を「科学」ではなくむしろ「技術」とみていることが関係しています。p.315 で次のように記します。「医学がどの程度まで「科学」の名前に値するのかここで論じることはしない。というのは、医学がどれほど科学的であっても、あるいは科学的になったとしても、医学はこれまでいつも「技術 art 」であり、これからも「技術」であり続けるからである。」
これは、ヨーロッパに伝統的にある、Science に対して、Art を低くみる見方です。
この観点からは、化学もある時期までは、Art と位置づけられており、サートンにより低くみられています。ディーバスは、こうしたサートンにおける医学史軽視(敵視)へのアンティドート(解毒剤)として、医学史家パーゲルを推奨しています。
さて、Debus on Sarton を調べていたら、ディーバスの次の論文にヒットしました。
Allen G. Debus, "Islamic Scientific History: Where to Next?"
(おそらく「健康:イスラームの展望」という会合での読み上げ原稿だと想われます。すこしですが、タイプミスが見受けられます。)
ディーバスの年来の主張と、けっこう意外な事実が併置されていました。意外な事実とは、科学革命に対するイスラーム圏の対応です。イスラーム圏は、科学革命の成果にほとんど関心をもたなかったが、ひとつだけ例外が存在する。それが、パラケルススの著作とその後継者達の仕事である。例としては、Ibn Sallum (d. 1669/1670) が1640年前に著した著作をディーバスはあげています。その第4章が「パラケルススによって発明された新しい化学薬剤」。補遺は、クロルのBasilica Chymica(1609)の翻訳だとあります。
おお、そうですか。
ディーバスが指摘するこのテーマは非常に興味深いものだと思われます。どなたか本格的に取り組む人がいないものでしょうか。夕刻、アマゾンより次の本が届きました。
トクヴィル『アメリカのデモクラシー』第二巻(下)、松本礼二訳、岩波書店(岩波文庫)、2008
訳者の松本氏は、三〇年以上前に翻訳を依頼されたとさらっと書かれています。おお、三〇年前!
ひとりおくれて7時5分。今日も好天が続くようです。見事な快晴となっています。授業の日。来週から外語祭です。学生たちには、お尻が落ち着かない雰囲気が感じられます。
いつもよりはやく帰宅すると、ちいさいちびがソファの上で寝ていました。顔がまっしろ。風邪かもしれません。気分が悪いと言っています。しばらくするともどしました。お腹に来る風邪でしょう。小学校で流行っているようです。もう一度もどし、気分が悪いと泣きながら寝ました。おなかもくだしたようです。
小学校からの通知によれば、お腹に来る風邪は流行っているようです。2年生のひとつのクラスがそのせいで学級閉鎖になっていますし、全学年を通して、同じ症状の子が一定数います。まだノロウィルスと確定したわけではありませんが、感染性であることは確かなようです。
夜半に目覚めてすこし仕事。考えるところがあって、グーグル・ブックで“ラヴォワジェ”を検索してみました。(著者検索)。約 63,200 件がヒットしました。そのすべてが、Antoine Laurent Lavoisier というわけではないのですが、それにしても6万件を越えているのはすごい。
ディーバスが取り上げるジョージ・サートンでも著者検索をかけてみました。全文表示では0、限定表示で4点でした。著作権がまだ残存します。公開はされていませんが、スキャンだけは相当広範囲に実施されているようです。
Biatrix Potter (1866-1943) も調べてみました。日本の場合、著作権は死後50年。イギリスやアメリカは、死後70年です。ポターの場合、2013年まで著作権がかかります。さすがにダウンロードできる版はありませんでした。
個人的に死後50年は長すぎると思います。著作権は本人のみとした方がすっきりすると思いますし、遺族の方を配慮するにせよ、高々30年でよいのでは、と思われます。
2回目の起床は、ひとりおくれて7時20分。快晴です。
会議の日。
図書館で本を2冊返却してから、サートンを借り出しました。サートンをまともに読むのははじめてです。
G. サートン『古代中世科學文化史 1 : ホメロスからオマル・ハイヤムまで』平田寛譯、岩波書店、1951
本書の目的に次のようにあります。「実証的知識の獲得と体系化こそは、眞に累積的で進歩的な、唯一の人間活動力である。」(p.2)このことばに傍点がついています。
さらに次のようにあります。「われわれの主な目的は、単にばらばらの諸発見を記録するだけではなく、むしろ、科学思想の進歩、人間の意識の漸進的な発展、宇宙進化におけるわれわれの役割を理解し増加しようとするあの慎重な傾向、を説明することにある。しかし、そうした進歩を正しく説明するためには、当然、われわれの前進をしばしば遅滞させたり脅迫して回避させようとした知的迷想について、少なくとも簡単な説明をしなければならない。もしこれができなければ、われわれの概観は不完全、虚偽、詐欺となるであろう。さらに、既述したように、ある民族の科学的理念を正しく理解するには、それをわれわれの立場から考察するだけでなく、たとい間違いであろうと、かれら自身の立場から考察しなければならない。そこで占星術、錬金術、人相学、夢判断のような似而非科学の発展を略述することが必要になってくる。注意すべきことは、似而非科学を、正当だが不完全な科学から区別することが、かならずしも容易ではないことである。」(p.7)
"Our main object is not simply to record isolated discoveries, but rather to explain the progress of scientific thought, the gradual development of human consciousness, that deliberate tendency to understand and to increase our part in the cosmic evolution." (Sarton, Introduction to the History of Science 3 vols. in 5 (Baltimore: Published for the Carnegie Institution of Washington by Williams and Wilkins, 1927-1947), 1, p. 6.さらに次のようにあります。「科学史家は、迷信や呪術のような不合理なものの研究に、多くの注意を払うことはできない。こういう研究をしても、人類進歩の理解には大して役に立たないからである。呪術は元来が非進歩的で保守的であり、科学は元来が進歩的である。前者は後退し、後者は前進する。おそらくわれわれは、両者の不断の闘争を指示せずして、ただちにこの両者の動きを取り扱うことはできないであろう。だがこの闘争さえも、それがどの時代にもほとんど変りがないため、そう有益ではない。人間の愚行は非進歩的であり不変であり、同時にまた際限がないから、その研究は期待のもてぬ計画である。不確かなものを取り入れたり、発展しなかったものの歴史を研究することは、あまり気乗りのしないものである。」(p.34)
"The historian of science can not devote much attention to the study of superstition and magic, that is, of unreason, because this does not help him very much to understand human progress. Magic is essentially unprogressive and conservative; science is essentially progressive; the former goes backward; the latter, forward. We can not possibly deal with both moments at once except to indicate their constant strife, and even that is not very instructive, because that strife has hardly varied throughout the ages. Human folly being at once unprogressive, unchageable, and unlimited, its study is a hopeless undertaking. There can not be much incentive to encompass that which is indefinite and to investigate the history of something which did not develop." Ibid., p.19.専攻会議は3時半から。4時に終了しました。次の会議は、4時半から。こちらも順調に進みました。
今日もまた6時からの会議がありました。ただちには合意することが難しい問題です。会議を開催した人たちは、一応8時までという目処をたてていたようです。
8時16分多磨駅発の電車に間に合い、なんとか9時前に帰宅できました。小学生は起きていました。幼稚園児は寝ていました。お風呂から上がると、全員が寝ていました。
6時15分。妻はお弁当の準備をしていました。子どもたちはまだ寝ている模様。昨日とほぼ同じく薄曇りの晴れ。→昨日より気温が高くなり、風も吹いています。ちょうど落ち葉が落ちる日のようです。風たまりというのでしょうか、我が家の玄関の前に落ち葉が集まっています。一応掃除をしましたが、あとからあとからおちてくるので、風が止んでから仕上げの掃除が必要になります。→午後風は止みました。昼食後、妻とふたりで落ち葉の片づけをしました。もちろん、風がなくてもおちるははおちる。また掃除は必要になりますが、ともあれ、道路はきれいになっています。午後、編集委員会の仕事が届きました。1時間ほど集中して作業して、私の担当分はほぼ終了とすることができました。
[ディーバスの仕事]
せっかくですから、ディーバスの仕事をまとめておきましょう。著作(編集本は除く)としては次のようなものがあります。
The English Paracelsians, Oldbourne Press : History of science library: New York, 1965
Alchemy and Chemistry in the Seventeenth century, W.A.C.M.Library , U.California: Los Angeles,1966.
The chemical dream of the Renaissance, Heffer, 1968
Science and education in the seventeenth century: The Webster-Ward debate, Macdonald, History of science library, primary sources: London, 1970
The chemical philosophy: Paracelsian science and medicine in the sixteenth and seventeenth centuries , Science History Publications: New York, 1977, 2nd ed., 2002
Man and nature in the Renaissance, Cambridge, 1978
Robert Fludd and his "Philosophical Key", Science History Publications: New York, 1977
"Science vs Pseud-Science: The Persistent Debate" The Morris Fishbein Center for the Study of the History of Science and Medicine, Publication No.1 (1979).
Science and History: A Chemist's Appraisal, Coimbra, 1984
Chemistry, Alchemy and the New Philosophy, 1550-1770: Studies in the History of Science and Medicine, Variorum Reprints: London, 1987
The French Paracelsians, The Chemical Challenge to Medical and Scientific Tradition in Early Modern France , Cambridge: Cambridge University Press, 1991
Paracelso e la Tradizione Paracelsiana, Naples, 1996
Paracelsus and the Chemical Factor in the Scientific Revolution, Lisbon, 1996
Chemistry and Medical Debate: van Helmout to Boerhaave , Science History Publications, 2001
The Chemical Promise: Experiment and Mysticism in the Chemical Philosophy, 155-1800, Science History Publications: Sagamore Beach, 2006
The chemical dream of the Renaissanceやイタリア語で出版されたものを除きさすがにすべて持っています。『ルネサンスの化学の夢』は古書で安いのが出ているときに揃えようと思います。
編集本としては、1968年版の『科学者フーズフー』やら『ジャズの起源:1897-1942の完全ディスコグラフィー』(1982)といったものも編纂に加わっています。さすがにこうしたものは収集の対象からははずれます。
科学史関係の編集本としては、次のようなものがあります。
Medicine in Seventeenth Century England , University of California Press: Berkeley, Los Angeles and London, 1974
Ingrid Merkel and Allen G. Debus eds., Hermeticism and the Renaissance: Intellectual History and the Occult in Early Modern Europe , Folger Books: Washington, 1988
Allen G. Debus and Michael Thomson Walton eds., Reading the Book of Nature: The Other Side of the Scientific Revolution , Thomas Jefferson University Press: Kirksville, Missouri, 1998
Alchemy and Early Modern Chemistry: Papers from Ambix Jeremy Mills: Huddersfield, UK, 2004
ちなみに、ディーバスは、1926-2009 です。昨年亡くなっています。ウェブでは何点か追悼記を読むことができます。論文は、数が多いのでリストアップを試みるかどうかはわかりません。
買ったときに読み始めて中断していた、ディーバスのScience and History: A Chemist's Appraisal (Coimbra, 1984) ですが、読み通しました。いろいろな発見・再発見がありました。科学史家はときにこの種のものを読むべきだと思いました。
ひとりおくれて7時。階下に降りると、こどもたちはそろって朝食を食べていました。薄曇りの晴れ。授業の日。
土曜日に仕事をしていると、なにか変な感覚です。
授業ははじまってしまうと余裕がありません。ばたばたばたと仕事が続いて、あっというまに授業の終わりになります。疲れがあったので、今日はさっさと帰ってきました。[ディーバスの最後の論文集]
帰宅すると、次の本が amazon.com から届いていました。Allen G. Debus,
The Chemical Promise: Experiment and Mysticism in the Chemical Philosophy, 155-1800
Science History Publications: Sagamore Beach, 2006ディーバスの論文集です。もとのものをもっているのも多いのですが、ディーバスのものはきちんと集めておこうと思い、発注したものです。円高の影響で、日本のアマゾンよりも今の瞬間は amazon.com の方が安く買えます。
目次は次の通りです。
Introduction
Chap.1. Chemists, Physicians, and Changing Perspectives on the Scientific Revolution 1
Chap. 2. Alchemy 23
Chap. 3. Myth, Allegory, and Scientific Truth: An Alchemical Tradition in the Period of the Scientific Revolution 39
Chap. 4. Chemical Medicine in Early Modern Europe 63
Chap. 5. The Chemical Debates of the Seventeenth Century: The Reaction to Robert Fludd and Jean Baptiste van Helmont 99
Chap. 6. Guintherius, Libavius, and Sennert: The Chemical Compromise in Early Modern Europe 129
Chap.7. Chemistry, Pharmacy, and Cosmology: A Renaissance Union 145
Chap.8. Quantification and Medical Motivation: Factors in the Interpretation of Early Modern Chemistry 159
Chap.9. Chemistry in the Universities in the Seventeenth Century 173
Chap.10. From John Dee to the Royal Society: Scientific and Medical Influences Between England and the Continent 197
Chap.11. The Paracelsian Compromise in Elizabethan England 215
Chap.12. Noah Biggs and the Problem of Medical Reform in England 249
Chap.13. The Webster-Ward Debate of 1654: The New Philosophy and the Problem of Educational Reform 265
Chap.14. John Woodall: Paracelsian Surgeon 285
Chap.15. Thomas Sherley's Philosophical Essay (1672): Helmontian Mechanism as the Basis of a New Philosophy 301
Chap.16. Edward Jorden and the Fermentation of Metals: An Iatrochemical Study of Terrestrial Phenomena 319
Chap.17. Van Helmont and Newton's Third Law 343
Chap.18. Scientific Truth and Occult Tradition: The Medical World of Ebenezer Silby (1751-1799) 353
Chap.19. Alchemy in an Age of Reason: The Chemical Philosophers in Early Eighteenth Century France 387
Chap.20. French Alchemy in the Early Enlightenment 413
Chap.21. Chemistry and Iatrochemistry in Early Eighteenth Century Portugal: A Spanish Connection 427
Chap.22. Paracelsus and the Delayed Scientific Revolution in Spain: A Legacy of Philip II 447
Chap.23. The Rise and Fall of Chemical Physiology in the Seventeenth Century 463
Chap.24. Hermann Boerhaave and the Problem of Medical Chemistry in the Early Eighteenth Century 487
Chap.25. Iatrochemistry and the Chemical Revolution 497
Chap.26. History of Chemistry: Key to Modern Science 515
以上の通り、26本の論文を収録しています。
個人的には読んでいる論文もあり、存在を知らなかったものもあります。たとえば、最後のものは、1991年ヴェニスで開かれた化学史のコンフェランスで発表したものとあります。Atti del IV Convegno Nazionali di Storia e Fondamenti della Chimica: Venizia, 7-9 Novembre 1991, Memorie de Scieze Fisiche e Naturali, "Rendiconti della Accademia Nazionali della Scienza detta dei XL," serie V, vol. XVI, Parte II(1992), pp.117-131. この種のものを日本で入手するのは難しい。「この論考の目的は、『科学革命』について論じるにあたり、新哲学の基礎としての化学の役目についての広範な関心と議論を視野に入れない論は、不十分だという私の年来の考えに立ち戻ることであった。」
ひとりおくれて7時50分。疲れのせいです。曇り。昨日帰ってきてから、ずっと気になっていたことがあります。研究室の窓を閉め忘れたのではないか、ということです。目覚めて布団のなかにいるときに、窓を閉めたシーンをはっきりと思い出しました。仕事がおわって気が緩んだせいで、すっかり忘れていました。
妻はやはりイケヤに行きたいようです。子どもたちに聞くと、おおきいちびだけ行くというので、ふたりででかけました。
私は、ちいさいちび、幼稚園児とお留守番。ちいさいちびは、昨日の夜からお餅を作りたいと言っています。くるりんもっちというお餅を作るおもちゃを以前買っています。朝方しかけて、10時頃つくりました。半分は普通の白い餅、半分はチョコレート餅(ココアの粉と砂糖を混ぜます)。ふたりとも満足したようです。
昼食はマクドナルド。幼稚園児は、外で食べると言います。ちいさいちびは外へ出たくないと言います。幼稚園児と二人で駅前のマックに行きました。
おもちゃがもらえるので、こどもたちはほぼハッピーセットです。ハンバーガーを4分の3、チキンナゲットを半分、ポテトをたくさん食べました。帰りに持ち帰りでちいさいちびようのものを買いました。
ちいさいちびもよく食べました。ちいさいちびはお友達から電話があり、午後2時から学校開放に遊びに出ました。
途中から幼稚園児は、ママたちいつかえってくるの?いつかえってくるの? となっていました。イケアはここからはかなり遠い。まあ、4時半かな、と幼稚園児には行ってありました。現実には4時10分過ぎに帰ってきました。いろいろ買ったようです。その荷物は明日着くということです。
昨日も今日も、日本シリーズを最後まで見てしまいました。流れはロッテにあり、ロッテが延長戦を制して、優勝を決めました。中日が決めるべきところを決めきれなかったということでしょうか。
ひとりで6時30分。晴れ。室温16度。子どもたちにはゆっくり寝るように言い聞かせています。さて、今日も仕事。責任者の何人かの方は、明日も仕事。休みなしで月曜日を迎えることとなります。
→なんとか無事に終わり、4時頃帰宅できました。子どもたちは一歩も家の外にでなかったということで、クリスマスの飾り付けを完了していました。これまでツリーは、3人ででたらめに飾り付けていました。今回ははじめて統一的な飾り付けになっています。
ひとりおくれて7時10分。晴れ。アマゾンのマーケット・プレイスより次の本が届きました。
Colin A. Russell and Gerrylynn K. Roberts, eds.,
Chemical History: Reviews of Recent Literature
RSC Publishing, 2005.
イギリス化学会(the Royal Society of Chemistry) の出版界の出版です。菊池博士の学んだイギリスの放送大学のコンビ(化学史研究グループ)が編集しています。
主たる読者層を化学教師にしぼり、中心的目標を最近の化学史の発展結果をまとめて示すことにした、とあります。
この書物については、内田正夫氏による書評が『化学史研究』に掲載されています。(第34巻(2007): 191-192)ちなみに、この『化学史:最近の研究文献のレビュー』は、20年前に出版された『化学史における最近の展開』Recent Developments in the History of Chemistry(1985) の続編という位置付けになっています。
Chemical History: Reviews of Recent Literatureの構成は次のようになっています。
第1章は、編者の二人が書いています。「化学史を知るために」
第2章は、コーリーColeyによる「1800年以前の化学」
第3章は、キャンベルによる「無機化学」
第4章は、編者の一人ラッセルによる「有機化学」
第5章は、ショーターによる「物理有機化学」
第6章は、Arabatzis と Gavroglu による「物理化学」
第7章は、ハドソンによる「分析化学」
第8章は、コーリーによる「医化学と生化学」
第9章は、アンダーソンによる「機器と装置」
ぱっとみて、たとえば、読者層に合わせて、もっとも適切な化学史書を指定している箇所は、面白い。ラッセルとロバーツは、次のように指定しています。
初心者には、コブとゴルトシュミット Creations of Fire, New York, 1995
化学教師には、ハドソン The History of Chemistry, Macmillan, 1992
化学者には、Mierzecki The Historical Development of Chemical Concepts, Kluwer, 1991
人文系の学者には、ナイト Ideas in Chemistry, London, 1992
化学史家には、バーナード−ヴァンサン/Stengers Histoire de la chimie, Paris, 1993, Eng. Trans., Harvard U. Pr., 1997
一般的には、ブロック The Fontana History of Chemistry, 1992ナイトとブロックのものには、邦訳があります。
ひとりで5時50分。この時刻だともう明るい。室温17度。ひんやりしています。外の気温はわかりません。午後に授業。
3限、4限はいつも通り。5限は、卒論演習ですが、3人に続けて発表してもらいました。4人の予定でしたが、4人目の方は就活にあたりました。おわって7時過ぎ。そのままコンパへ。駅前のプロペラ・キッチンへ。
遠くの学生もいるので、10時15分で切り上げました。帰宅すると次のものが届いていました。
Allen G. Debus, Science and History: A Chemist's Appraisal, Coimbra, 1984
トクヴィル『アメリカのデモクラシー』第二巻(上)松本礼二訳、岩波書店、2008
ひとりで5時10分。まだくらい。はやすぎるとおもいます。夜になるのは、とてもはやくなりましたが、この時期でも6時頃には明るくなり、鳥の鳴き声が聞こえます。こういうのは早起きしているものにしかわからない感覚です。
おおきいちびがコピス吉祥寺で買い物をしたいというので、私が付き合うこととしました。まずは、B館の子供用雑貨売場に向かいました。空いています。それから、ジュンク堂へ。吉祥寺では一番充実した本屋さんとなったでしょうか。私が2冊マンガを買ってやり、おおきいちびは自分で一冊買いました。
それから、連絡通路と通って、キャラパークへ。こちらは一転混んでいます。おおきいちびはスヌーピーのお店に行きました。スヌーピーがまた人気になっているのでしょうか、大勢入っていました。
それから、エキナカ(アトレ)の粉屋さん(クオカ)で粉を買い、西荻に帰り着いてから、これも高架下のスーパーで牛乳を買って帰りました。おおきいちびは、昼食後、友達と遊ぶため、公園にでかけました。妻はイケヤに行きたかったようですが、ちいさいちびが行かないということで、下の二人はずっと家のなかで過ごした一日となりました。
ひとりで4時半。まだくらい。
はやすぎました。妻が起きてきてから、交代で、ふたたびふとんにもぐりました。次に起きたときには、小学生はもうでたあとでした。幼稚園児が、スヌーピーがあたったといってよろこんでいました。学部教授会は午後6時10分から。妻は、PTAの会合にでかけています。妻が帰宅するのを待って、家をでました。5時20分ぐらいです。
大学に着いて、5時55分。研究室に行ってもとくに何かをする時間はありません。そのまま会議室に入りました。13番目。はやく来ている人ははやく来ています。
今回は、ほんとうにどう言葉にすればよいのかほとんどのメンバーにはわからない、深い混迷のなかで事態は進んでいます。執行部案を採決して解散。8時半前には帰宅することができました。
遊び疲れたのか、幼稚園児も眠そうにしていますし、ちいさいちびもとまっています。私がお風呂からでたときには、寝入っていました。明日は休みなので、ゆっくり休んで、木曜日はやはり遅くまで、そして土曜日にまた仕事が待っています。
先週の土曜日の宿題は、私の手元で処理できるものはすべて処理しました。残りは、資料の到着を待ちます。事柄の性質上、はやく進めたいのですが、こればかりはいかんともしがたい。
6時10分。妻はお弁当の準備をしていました。子どもたちはまだ全員寝ています。雨。幼稚園児は(幼稚園の都合で)今日はお休み。ひとりででかけました。2限、3限、4限の授業。
3限にスタートした大学院の授業が終わったのは、4時35分。さすがに私も疲れましたが、発表した院生も疲れたようです。しばらくしてから、生協へ。ノートとペンと次の書物を購入しました。
ブルデュー『科学の科学:コレージュ・ド・フランス最終講義』加藤晴久訳、藤原書店、2010
ピエール・ブルデューが最終講義のテーマに、科学社会学を選ぶとは予想していませんでした。どういう議論になっているのか楽しみです。6時10分から会議です。特別食堂ではやめの夕食をとっておくこととしました。そもそも特別食堂が夕方の時刻開いているかどうか知らなかったのですが、5時から8時の営業とありました。
6時10分開始の会議は、8時過ぎに終了。8時50分頃家に帰り着くことができました。幼稚園児がむかえてくれました。
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