ひとりで6時。室温19度。雨は上がっています。ちびどもは、土曜日の学校公開の振替休日。私と幼稚園児だけふつうにでかけます。今月はここでやっと100枚を突破しました。
[恐怖の歯医者]
実は半月以上前から、歯痛があります。激烈な痛みではありませんが、夜寝ているとき、ふと緊張がほぐれたときに、虫歯のときの痛みに近い痛みが左の頬のあたりを襲います。1時間もせずに収まりますが、あまり体験したことのない痛みなので、怖い。ほんとうはもっとはやく歯医者にいくべきだったのですが、その怖さのせいで、ずっと引き延ばしていました。しかし、あまりいかないのも怖い。
今朝、家をでるときに妻に頼んで、予約をとっておいてもらうことにしました。帰宅してしばらく休んでから行ける時間帯です。
いつもよりいくらか早めに帰宅すると、4時半で予約が取れたということです。歯では怖い思いをいっぱいしています。しばらく食べられなくなることを予想して、簡単にカップ麺のスパゲッティをお腹にいれてからでかけました。
ちょうど4時半に名前が呼ばれました。痛みの様子を説明し、最近思いついた仮説、すなわち、20代の終わりに入れた差し歯(ブリッジ)のあたりに変調を来しているのではないかという仮説も説明しました。
ともかく診てみましょうということで、口の中を診てくれました。ブリッジの片方の歯の歯茎がおおきく後退しています。その部分がしみるのではないか、という見立てでした。コーティングをしてしばらく様子を見ましょう、ということです。コーティングはすぐにすみました。それでもまだ痛みが継続するようであれば、その歯の神経を抜きましょう、でも、まあ、しばらくは様子を見て下さい、で診察は終わりました。
終了したわけではありませんが、ほっとはしました。歯には恐怖心があります。相当ひどいことも想像していましたが、そこまでではなく、ともかく対応可能な感じです。
(なおタイトルは、私のかかっている歯医者さんに問題があるわけではなく、そもそも歯痛で歯医者にいかなければならないという状況を指しています。)
ひとりで4時45分。室温19度。
夜半に目覚めて少し仕事。土曜日午後の会合の準備です。2回目の起床は7時半。ちびどもは食卓で朝食中でした。晴れ。18度。寒さはいくらか緩んだ気がします。
小学校は学校開放日です。ちいさいちびはお昼を食べずに帰ってきますが、おおきいちびは午後別の学校に行って大縄飛びの大会ということで、帰宅はかなり遅くなる予定。午後は東工大で会議。こちらも長期戦の様相を呈しています。
1時からの会議です。12時50分すぎに家をでました。長くなります。駅のなかのコンビニでおやつを買ってから東工大の建物に向かいました。東工大は、土日はカードがないと建物のなかに入れません。(正確には建物には入れることが多いが、エレベーターを出たあとフロアーに進めません。)数名がどうしようもなくエレベーターを出たところで待っていると、中から気付いた方が開けてくれました。
会議室はあらかじめ開いていました。
1時10分頃開始。途中でおやつタイムを挟んで、6時45分まで。最後、疲れたおじさんが集合して写真撮影をし、解散しました。私は、8時前に帰宅することができました。
ひとりで5時55分。室温17度。さむ。気温は順調に下がっています。駒場の授業も4回目。
以前サッカーをやっていたラグビー場は人工芝になっていました。ラグビーに人工芝は似合わない気がしますが、その方がよいのでしょうか。
ひとりで4時。室温18度。とうとう室温で20度をわりました。寒く感じます。晴れ。7時5分現在まだだれもしたにおりてきません。昨日の行事で疲れたのでしょう。
木曜日の授業は2学期の4回目。昨日は木枯らし1号が吹いたということですし、冬が近づいています。
[武蔵境駅で人身事故]
早めの昼食をたべて11時20分頃家をでました。吉祥寺駅でアナウンスがありました。11時37分、武蔵境駅で人身事故があり、しばらく電車が止まります。すぐに、続報があり、運転再開は12時40分の予定です。え? 授業は12時40分スタートです。仕方ありません。三鷹まで総武線に乗り換え、そこからタクシーをつかまえることとしました。12時40分のアナウンスで多くの人が動いていました。三鷹駅のタクシー乗り場の列は数名。すぐに乗り込むことができました。運転手さんは外語ははじめてだそうです。人見街道に出る、という話です。人見街道に出るまでに通った道路はたぶん私がはじめて通る道です。郊外タイプの街並みが続いていました。道路の拡幅を計画しているのでしょうか、道路に沿って広い空き地が続いていました。
たまに車に乗って街の様子を見るのも悪くありません。2150円で裏門につきました。3限の授業で、中央線の事故に遭遇した人がいるかどうか聞いてみましたが、当然のことながら、いませんでした。(遭遇した人は、12時40分に教室には来れてないはずです。)授業の直前にネットで検索したところ、ツィウィターで1件だけ情報があがっていました。グーグルのリアルタイムがなくなったことが惜しまれます。
5限の途中に、来週の木曜日が休日(文化の日)であることにはじめて気付きました。11月は外語祭もあるので、木曜日はあわせて2回休みになります。
ひとりで5時35分。室温21度。等圧線が縦に短く並んだ途端、冷たい嵐のような風が吹きました。室温は21度ですが、もっと寒く感じます。最高気温の予報は19度。そとはもっとずっと寒いということです。今日は午後おおきいちびの連合運動会。杉並区の近隣の小学校6校の6年生だけ上井草スポーツセンターに集まって、午後運動会を行うようです。はじめてなので、様子はつかめていません。子どもたちははやめに給食を食べてから、バスで現地に行くようです。
妻は写真係ということで、見学に行きます。微妙な距離にあり、交通手段に悩んでいます。
会議の日。午後は会議が続きます。3つ。12時40分から始まり、途中あいだを挟んで、終了が6時半ごろ。
[阪大外国語学部]
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201110250043.htmlアダム高橋氏のツイッターに上のサイトが引用されていました。新聞の表題では「外国語学部の非常勤講師3年でゼロ 阪大、リストラ提案」。
今大阪大学外国語学部には、915コマの非常勤の授業があるそうです。それを大阪大学は3年かけて0にする計画を立てたのだそうです。正確には、大阪大の東島清副学長兼理事が10月19日に外国語学部に提案したのだそうです。記事によれば、大阪外大が大阪大学に統合されたのは4年前。ちょうど学生が一巡するのを待って提案されたことになります。
さて、阪大は外国語学部をどうするつもりでしょうか? リストラするつもりなのでしょうか? 記事だけでは、何もわかりません。
記事で読みとれることは、大学側からすれば、非常勤講師の運用については、統合して4年たったことだし、全学の方針に従って下さい、ということでしょう。
(アダム高橋氏のツイッターの流れにある「マルチカルチュラリズムの消失」とは無関係と言えるでしょう。)
(いずれにせよ、4年間はこれまでの経緯を尊重してもらえるが、4年経ってしまうと大阪大学の方針と闘わざるを得なくなるということでしょう。統合によって、大阪外大は生き残ることができたが、しかし4年後にリストラが待っていた、そういう感じでしょうか。)
ひとりで5時30分。室温23度。幼稚園児は風邪気味ですが、今日は青梅鉄道公園に遠足です。ちょっと鼻がつまる、ちょっと咳がでる、そのレベルですから、大丈夫なのですが、転びやすくなっているのも事実なのであまりはしゃぎすぎないでくれるとよい。
[ベイビーアルパカッソ ベリーベリー again]
おおきいちびは朝からやはりベイビーアルパカッソで悩んでいます。妻と相談して、お昼に荻窪でチャレンジしてやることにしました。昼食をルミネ5階の中華料理屋(あの場所にあれだけの席数の中華料理屋さんがあるとは思いませんでした。そして、席についていたのがほとんど定年退職後の世代の方々ばかりでした。もうすでに日本は老人社会となっています)で麺を食べてから、ゲームセンターに向かいました。
私はクマのクレーンの方に行きそうになりましたが、妻に違うと言われて、正しいベイビーアルパカッソのボックスに辿り着きました。とれるでしょうか、とれないでしょうか。ぱっとみてもわかりません。ともかく、五百円玉を1枚いれて、やってみました。最初のうちはうまくいかなかったのですが、途中から2体を一度につかむことができることに気付き、5回目か6回目で2体を同時にゲットできました。ついでのことにもう一枚五百円玉を入れてチャレンジ。離れた場所にある茶色いのとピンクのものを狙いました。やっているうちにいろんなテクニックを思い出します。それも6回のなかでゲットできました。しめて4体が入手できたことになります。
私はとったらとったで終わりですが、妻が、タグについている説明を読んでいます。どうも4体セットがセットとしてとれたようです。茶色いのは男の子ということです。え?
ともあれ、こういうふうに神経を緊張させることは最近はあまりありません。慣れない緊張のせいで疲れました。
(クレーンゲームは、つかみ方がわかったら、あとは、狙った位置でクレーンをぴったりと止めることができるかどうかにかかっています。緊張はそのためのものです。)帰宅したおおきいちびによればこれでよいのだそうです。ひとつ懸案が片づきました。
ひとりで5時45分。室温24度。昨日上がった気温が室温の上昇として残っています。どんよりとした曇り空。[ベイビーアルパカッソ ベリーベリー]
月曜日は今日が3回目。おおきいちびがまゆゆがもっているベイビーアルパカがほしいといきなり言い始めました。連合体育会が水曜日にあります。その朝練でいつもより30分ほどはやく家をでるくせに、その朝の忙しい時間帯に言い出します。
ネットオークションで買えるということですが、オークションは面倒です。あまりにうるさいので私の方でも調べてみました。原則、UFO キャッチャーの景品です。(すこし大きめのアルパカのぬいぐるみはふつうに売っていますが、UFO キャッチャーの景品なので、特別な場所にしか置いていません。ネットで販売しているのは何らかの裏ルートかと思われます。)
土曜日か日曜日にママと買い物に行ったときに、パルコの地下のゲームセンターにあったのを見たのだそうです。UFO キャッチャーはいっときはまっていたのである程度の知識もあり、見立てもできます。パルコの地下のゲームセンターは、クレーンのバネが緩く、ゲームセンターのなかではもっとも難しい部類に入ります。あまりにうるさいので、ふと、武蔵境のイトーヨーカドーの子ども売場にゲームコーナーがあったことを思い出し、仕事の前または後にチェレンジしてやることにしました。イトーヨーカドーは年中無休です。ただし、仕事前に寄ってみるとさすがにまだ開店していませんでした。
授業を続けたあと、寄ってみると、それらしきものがあります。その箱のなかには、アルパカは2つだけ入っていました。これが求めるものかどうかわかりませんが、ともかくこれを取ろうと思いました。
最近UFO キャッチャーは触れていません。腕が鈍っていることを配慮して、500円玉を投入しました。6回やれば1つぐらいはとれるでしょう。1回目は機械の状態、とくにアームの様子を確かめることに使います。アームの幅がものに対して非常におおきいので、つかみあげることはできません。どちらかのアームにかけて落とすというやり方になります。6回でちょうどその2体がとれました。
ネズミ除けの金属たわし(詳しく説明しないとわからないでしょうが、おってまたとします)を1階上のフロアーで購入してから帰宅しました。
たいしたことをしたわけではないのですが、仕事のあとに、追加でこういうことがあると疲れます。おおきいちびが帰ってきて喜んではいますが、正確に欲しいものではなかったようです。もうひとしごと必要になってくるかもしれません。
[クマネズミ]
ネズミのことも記録しておきます。ちょうど1週間まえの月曜日のことです。最近ベランダに動物の糞が落ちていることが多いと妻が言います。ベランダの手すりのところに、ちいさな糞とおしっこのあとがあると言います。我が家の裏の家は廃屋で、猫たちの活動場となっています。時期がくると、けんか(おいかけっこ)をよくしてます。
ネットで猫だとした場合の対策を調べてみました。猫の場合なかなかやっかいです。とくに猫は一度トイレの場所と決めたところに執着をもち、なかなか別のところに移ってくれないとあります。
糞の実物を見たからといって、動物学者ではない私は識別できるとも思えませんが、ネットで調べているうちにやはり現場をきちんと確認しようという気になりました。糞はちいさい。妻は猫にしては小さすぎないかといいます。そうかもしれません。でも、何の糞であるかはわかりません。
懐中電灯をもってきて、ベランダからまわりをみていました。ベランダの水をうける、雨樋の水受けのところにネズミが顔を出しているのが見えました。妻は動物と昆虫は大の苦手ですが、やはり実物をみておくにこしたことはない。もちろん呼んだときにはもう中に引っ込んでいました。しかし、しばらく見ていると、中から飛び出してきて、パイプを伝って下のほうに走って逃げました。
ハツカネズミではない、ドブネズミではない、ネットの写真を見る限りクマネズミでしょう。ネズミだとするとすべて辻褄があいます。糞の状態もおしっこの様子も、そして、ここ半年ぐらい夜屋根の上でばたばたばたばた動物の走る音がしたのも、このネズミだと考えると辻褄がぴったりあいます。
妻はいずれにしても嫌い(気持ちが悪い)ようですが、私個人としては、猫よりは対応が楽です。家のなかに入られた形跡はまだありません。
まずは、家のなかに入らせないこと、つぎはベランダへの侵入を防ぐことです。
これもネットで調べると、何とおりか方法が挙げられています。最初は超音波で寄せ付けない装置を考えたのですが、次にはちくちくがよいかなと思うようになりました。
いろいろ考えて、ひとまずは、使わないでしまっている洗剤と金属たわしで対応することにしました。100%防御する力はないと思いますが、嫌がらせることはできると思います。
とりあえず、今のところ、以前来ていたクマネズミはやってきていないようです。人間に光を当たられて見られているので、身の危険を感じて近づかないだけかもしれませんが、こちらとしては来なければそれでよし。
ひとりで5時55分。室温22度。夜中また雨が降ったようです。地面も自転車も濡れています。[ノラン編『一次性質と二次性質』]
朝一番(9時前)に次の本がアマゾンより届きました。
Lawrence Nolan (ed.),
Primary & Secondary Qualities: The Historical and Ongoing Debate
Oxford: Oxford University Press, 2011目次、Table of Contents は次の通りです。
Introduction by Lawrence Nolan
1. "The Distinction between Primary and Secondary Qualities in Ancient Atomism" , by Mi-Kyoung Lee
2. "Scholastic Qualities, Primary and Secondary" , by Robert Pasnau
3. "Gassendi and the 17th-Century Atomists on Primary and Secondary Qualities ", by Antonia LoLordo
4." Descartes on 'What We Call Colour' ", by Lawrence Nolan
5. "Sensible Qualities and Material Bodies in Descartes and Boyle" , by Lisa Downing
6. "Primary and Secondary Qualities in Locke's Essay" ,by Michael Ayers
7. "Locke's Distinction between Primary Primary Qualities and Secondary Primary Qualities" , by Edwin McCann
8. "Primary and Secondary Qualities in the Phenomenalist Theory of Leibniz" , by Martha Bolton
9. "Qualities and Simple Ideas: Hume and his Debt to Berkeley ", by Alan Nelson and David Landy
10. "Hume and the Sensible Qualities" , by Kenneth P. Winkler
11. "Reid on the Real Foundation of the Primary-Secondary Quality Distinction ", by James Van Cleve
12. "Kant and Helmholtz on Primary and Secondary Qualities" , by Gary Hatfield
13. "Are Colors Secondary Qualities? ", by Alex Byrne and David Hilbert
14. "Color Eliminativism" , by Barry Maund
Bibliography文献表だけざっと見ました。基本、哲学史、あるいは形而上学の歴史に属する論集です。科学史であれば、もうすこし違った研究伝統の論文もあがっていたと思います。もちろん、接点にある概念なので、重なる部分も大きい。
→気になるので、まずは、私には有用であることが明白な第2章(パスナウ?発音不明「スコラ哲学の1次質と2次質」)を読みました。スコラ哲学における1次質-2次質を知るためには読んでよい論文です。私自身にも裨益するところがありました。
すこし驚いたのは、もっとも重要な引用のひとつとして、タラントのパウルスを使っていることです。ニューマンの影響はこういうところにまで及んでいます。その引用は私にとってももっとも意味ある引用でした。ニューマンの博士論文から、パウルスのpp. 7-13 を使っています。Paul of Taranto, Liber tam theoricae quam practicae veritatis in arte alchimica, ed. W. R. Newman, in Summa Perfectionis and Late Medieval Alchemy: A Study of Chemical Traditions, Techniques, and Theories in Thirteenth-Century Italy (Ph.D. dissertation: Harvard University Press, 1986).
この問題に関しては、私の昔の論文を読んでもらってもよいと思います。
吉本秀之「ロバート・ボイルの質の理論:一次性質−二次性質の区別の分析」『化学史研究』1986年第3号(No. 36)、31−48頁実は、スコラ哲学における一次質-2次質の区別にはよくわからないところがあります。Pasnau, p.43 によって基本的な区分を整理しておきましょう。
1. 1次質:温、冷、乾、湿。4つの基本的で原初的な質。
2. 重さ、軽さ、かたさ、やわらかさ、ねばりけ、もろさ、あらさ、なめらかさ、粗さ、細かさ等の基本的ではない可触的質 (アリストテレス『生成消滅論』II.2, 329b20)
3. 色、音、匂い、味といった他の感覚的質
4. 磁気のような隠れた質
5. 媒体あるいは感覚器官に存在する限りでの光や色のような、精神的あるいは志向的質
6. 思考や意志のような、まったく非物質的な質。
一般的には、2. と3. を2次質とみなす。2.はアリストテレスに直接的に由来する。
コインブラの哲学者は次のように述べる。「色、香り、匂いのような他の感覚に属する感覚的質は、純粋の元素には属さない。なぜなら、そうした質は、可触的質の一次質の組合せから生じるからである。」
音に関しては明らか問題がある。すなわち、温、冷、乾、湿をどう組み合わせても音は出てこない。しかも、スコラ哲学においてさえ、音が運動(空気の振動)であることは理解されていた。
2次質は、1次質から派生する、由来する、1次質の組合せから出来するといって、具体的にどのように出来するのかは多くの2次質において不明である。
また、2次質は、ガリレオの有名な区分のように、ただ感覚のなかにだけ存在する主観的性質といったものではなかった。
タラントのパウルスがその基本的前提をよく示している。
「自然におけるすべての力power は何かの質である。」(p.7)
「前述の2次質は、偶然によるのでなければ与えられた自然にたいして本来的に作用するものではない。・・・味は、何か別のもの、すなわち味わわれる物体のなかにある温、冷、乾、湿、を通してのみ自然に作用する。いやそれだけではなく、そもそもどんな2次質も一次質によってでなければ、事物の自然と本質において作用することはできない。・・・そうではなく、温、冷、乾、湿がいわば自然の働き手 nature's handsであって、自然がすべての生成可能な事物を変成し、生み出すおおもとの力 principle power である。」(Liber veritatis, pp. 8-9)
アリストテレス自身は、乾、湿はただ受動的だとしたが、多くのスコラ哲学者は、1次質は4つとも能動的なものだと見なした。
ここがアリストテレス主義哲学の1次質-2次質の考え方を理解するポイントです。決して主観-客観図式がポイントであったわけではありません。(ガリレオの提示の仕方が誤解を招いているということは言えると思います。)
ひとりで5時45分。室温22度。雨音が室内にいてもはっきりと聞こえます。この雨で秋が一段と深まるのでしょう。[ちいさなタツノオトシゴとおおだこ]
予報とおり、お昼ご飯のあとは、雨が上がり、一部ですが晴れ間も見えました。おおきいおねえちゃんは友達の家、ちいさいおねえちゃんは児童館のお祭り、ママはそのお祭りの手伝い、幼稚園児だけお遊び相手がいなくて、ぐだぐだしています。
私もずっとやっていた作業を続けるのは精神衛生上よくないと考え、幼稚園児に水族館に行くかときいてみました。いくといいます。ほんとうはまだぐだぐだしたい気持ちもあったようですが、おおきいおねえちゃんが家をでてから、新装なったサンシャイン水族館にでかけることとしました。電車のなかでなかなかじっとしていることが難しいようですが、もうすぐ小学生です、この程度の移動は問題ありません。
現地につくと、列。30分程度待って頂きますのプラカードがあります。30分なら待てるでしょう。1階で30分待ってエレベーターへ。チケット売場でもたぶん10程度の列がありました。チケットを購入して、なかに入ると、大混雑。でも、体の小ささをいかして、展示ガラスの前に入っていきます。私は後ろの方から見失わないようにするのが精一杯でした。土日は、家族連れには向かないと思います。展示そのものはよくできていると思います。おおきな蛸、大きな蟹、ちいさなタツノオトシゴ、マンボー、等々見所があります。幼稚園児も人混みをわけて喜んでみています。
本人としては、満足したようなしてないような感じでした。疲れたからもう帰るというので、アシカのショーはほんの1分ほど見ただけで帰途につきました。サンシャインの入り口のところにあるアイスクリーム屋さんでソフトクリームを買ってやりました。途中でもういいと言います。奥歯がしみるようです。なかは私が食べ、外のコーンだけ幼稚園児が食べました。
私は隣の東急ハンズでネズミ対策グッズを買いたくて、ともかくアイスクリームの力で上にだけ上がりましたが、探して回る余力はないと判断してすぐに1階に降りました。歩けないというので(疲れたのも疲れたのでしょうが、このあたりは甘えています)地下道の入り口までおんぶしてやりました。
池袋駅のなかでメロンパンを5つお土産に買ってから電車へ。西荻窪の駅からはゆっくり歩いたり走ったりで、先に家に入っていきました。
[『リヴァイアサンと空気ポンプ』]
水曜日か木曜日の日に、『リヴァイアサンと空気ポンプ』Steven Shapin and Simon Schaffer, Liviathan and the Air-Pump: Hobbes, Boyle, and the Experimetal Life with a New Introduction by the Authors, Princeton and Oxford: Princeton University Press, 2011. (First published in 1985) を受け取っています。すでに科学史家の坂本氏がブログで新しい序についてレビューされています。
私はあまりにも大学の仕事が忙しく(週末にまだまだこなさないといけない仕事が残っています)、ここに注記することもできないでいました。
版としては、最初のペーパーバックが1989年に出版(一部修正)されています。今回は、新版ペーパーバックということになります。背表紙には、ジェームズ・セコード氏の「『リヴァイアサンと空気ポンプ』は、我々の分においてはトーマス・クーンの『科学革命の構造』以来もっとも影響力の大きかったテキストである」(ISIS) やオウェン・ハナウェイ氏の「これは、まさに最近科学史において出版された最も独創的で読むのが楽しく、そして重要な書物のひとつである」といった評が載せられています。(もうひとりは、イアン・ハッキングです。)この書評を書いた顔ぶれだけでも、この本の持つ、重要性あるいはインパクトが伺えます。
ひとりで6時10分。室温21度。新たな問題が発覚してあさからばたばたしています。
駒場の授業も今日が3回目。日程がいまいちはっきりしなかったのですが、非常勤講師室の出勤簿によって、11月25日は駒場祭にて全学休講であることがわかりました。1月は、1月10日(火曜日)、1月20日(金曜日)、1月27日(金曜日)であることもわかりました。東大以外は、2単位のためには15回の授業が義務づけられています。駒場は13回でよいようです。文科省の対応、あるいは東大の対応もなかなか不思議なものがあります。一言で言えば、迷走です。
ひとりで4時35分。室温20度。ここで表示している室温は、電波時計に付属する温度計の表示です。刻みは0.5度。テレビ台の上(J:COM さんの機器のとなり)においています。0.1度刻みのもうすこし正確な温度計で計測すると、20度をわっています。ちょっと寒く感じます。木曜日の授業は、今日が3回目。
怒濤のように進行して、6時前には終了しました。ふー。
ひとりで5時10分。室温21度。やっと10月はじめの気温(室温)に戻ってきました。今日は本格会議の日。午後、会議が続きます。
4つ。お昼休みの会議は、私が下作業をして、私が司会をしました。なかなかやっかいで大変な作業でした。
1時間ほど休憩してから、公式の会議。今度は下作業は別の方にお願いして、私は司会に徹しました。
3つ目はごく短くすみました。
4番目は4時20分スタートです。それから7時前まで。会議の連続は今の私にはほんとうに疲れます。
帰宅して、迎えてくれた幼稚園児の顔の2箇所におおきな絆創膏がはっています。今日は幼稚園の芋掘りで朝から契約農家の方の農場に行っています。芋掘りのあと、お友達といっしょに近くの公園の遊具で遊んでいて顔から落ちたということです。ケガをしたのは目の真横と頬のあたりです。まだ残っていた幼稚園の先生に応急手当をしてもらったあと、ママ友達の車で病院に連れてもらったそうです。本人の弁では、落ちたときは痛かったので大泣きをし、車のなかでも泣き続けたそうです。
目でなくてよかった。みんなそう言っていたそうです。前日も幼稚園でドングリ公園にでかけたとき、2回転んで腕に2箇所擦り傷をつくって帰ってきています。風邪の前触れでしょうか、あるいは軽い風邪ですんでいると言えばよいのでしょうか、日曜日あたりからあまり元気がなく、家のなかにいて「つまらない」ということが多かったのは、こういう不調を示していたと考えれば納得がいきます。
自分のこともすこしやっておかないと来年度に混乱を来します。
大学院後期(博士後期課程)授業。
月曜日4限「思想文化論」1学期&2学期 研究室 (両専攻共通、旧カリも共通)大学院前期(博士前期課程)授業。
月曜日4限「人類文化研究」(言語文化専攻) 「社会文化研究」(地域・国際専攻)
月曜日3限「ヨーロッパ歴史文化論」1学期&2学期 研究室 (地域・国際専攻)
月曜日5限「(修論指導)専門特殊研究」(両専攻共通、旧カリも共通)3限は欧米における核の歴史、4限は日本における核の歴史を扱うつもりにしています。
この件は、3.11の前、冬から取り組んでいた課題です。このサイトで取り上げるのは途中で投げた格好になっていますが、サイトへの書き込みが中断しただけです。本日の朝日新聞朝刊に大江健三郎氏の「定義集」が掲載されています。太字で【原発が「潜在的抑止力」とは】前例なき民主主義無視の論 とまとめられています。大江さんの文章そのものには、新しい材料の提示も新しい思考の提示もありませんが、この長さに整理されていること(そしてやはりマスメディアに掲載されていること)には意義があります。
よく知られているように、讀賣新聞は9月7日「展望なき「脱原発」と決別を:再稼働で電力不足の解消急げ」という社説を掲げ、そのなかで「日本は・・・核兵器の材料となり得るプルトニウムの利用が認められている。こうした現状が、外交的には、潜在的な核抑止力として機能していることも事実だ。」と主張しています。
また、前防衛大臣である石破さんが雑誌『サピオ』で「私は核兵器を持つべきだとは思っていませんが、原発を維持するということは、核兵器を作ろうと思えば一定期間のうちに作れるという「核の潜在的抑止力」になっていると思っています。逆に言えば、原発をなくすということはその潜在的抑止力をも放棄することになる、という点を問いたい。」と発言されています。
この回答を引き出す際、質問者は次のように質問しています。「日本以外の多くの国では、原子力政策と核政策はセットとなっており、本来、切り離すことができない問題です。しかし、日本においては、核アレルギーもあり、これまで論争自体が避けられてきました。」
「原子力政策と核政策はセット」という前提が明示されたことは進歩だと思います。歴史的現実として、「原子力政策と核政策はセット」でした。この点を曖昧にするのは、虚偽です。そして、そうであれば、日本の原子力政策がその虚偽に基づいていたことは拭いようのない事実です。さらに、日本でその虚偽意識(イデオロギー)を形成する上でもっとも大きな積極的役目をになったのが讀賣新聞(正力松太郎)であることも、すこし調べてみればわかる明白な事実です。
しかし、「原子力政策と核政策はセット」ということと、「原発が潜在的核抑止力」ということは別の事柄です。核兵器保有国以外で原発を運用している国で、「原発が潜在的核抑止力」と見ている国が日本(議論の流れの上でここは讀賣新聞と石破さんの主張に従っておきます)以外に存在するのでしょうか? ただちに思いつくのは、存在するとしたら北朝鮮です。「原発=潜在的核抑止力」論とは、北朝鮮的発想だということは確認しておいてよいでしょう。
また、プルトニウムを大量に保有することと「潜在的核抑止力」とも別の事柄です。プルトニウムを大量に保有することが海外から脅威と思われること、あるいは疑いの目で見られることは、むしろ当然のことです。しかしそのことを指して「核抑止力」とは言えません。冷戦時代の常識では、「核抑止力」は、MAD (Mutual Assured Destruction) とまとめられていました。これはアメリカやソ連の核ミサイルのように実用性が実証された実戦配備された核兵器に対してだけ言えることです。
個人的には、ここにも「敗戦を抱きしめて」国際社会に通用しない勝手な妄想を抱いている事例を見るべきだと考えます。
虚偽にかえるに虚偽をもってする、こうまとめてよいのではないでしょうか。(不要かもしれませんが、もうすこし丁寧に表現すれば、核政策と無縁の原子力政策が存在しうるという虚偽にかえて、原発を運用することが潜在的核抑止力として機能するという虚偽をもちだしている、と言えるでしょう。)
ひとりで6時25分。室温23度。午後7時現在、送り出したメールの数が17通。実際手を付けてみると、ほんとうにややこしい仕事です。
次の情報をご本人からお教えいただきました。
2008 平成20年3月25日 神戸大学 博士(学術)
野村恒彦「チャールズ・バベッジの数学記号に関する研究」
ひとりで6時20分。室温24度。よく晴れた朝です。月曜日の授業は、今日でやっと2回目。授業が続くと相変わらず、ばたばたします。お昼休みにゼミ選択に関する面談1件。
ひとりで5時半。室温25度。10月に入ってから室温が徐々に上昇してきています。不思議な気候です。10月のはじめの頃はだいたい室温21度で推移してきています。私の次に起きてきたのは、幼稚園児で7時25分。休日の朝となっています。
→結局、2階で音がしたのは8時10分でした。ほぼそのころに我が家の女性陣が目覚めたようです。仕方がないので、残されたもうひとつの仕事に取り組んでいます。わー、むずかしい。関連する書類を3つ探し出して、それらを照合しながら、当事者に問い合わせメールを出しました。
現時点(午後4時半)で計18通のメールを出しています。純粋に受け取り通知も含まれますが、それにしても少なくない数です。メールのやりとりをしているうちに、新たな問題が浮き彫りになってきました。すでに目の前のある課題でさえも対応が難しいのに、ほんとうに頭の痛いことです。夕刻、次の2冊が届きました。
テッサ・モーリス・スズキ
『北朝鮮へのエクソダス 「帰国 事業」の影をたどる』
朝日文庫、2011(初版、2007)金森修編著
『昭和前期の科学思想史』
勁草書房、2011
『昭和前期の科学思想史』は授業で使うことを考えているので、2冊目を購入しました。実際に使うのは、来年になるかもしれません。
幼稚園児といっしょに6時50分。室温24度。外の気温はわかりませんが、室内は暖かくなっています。幼稚園児は夜中毛布を蹴飛ばしていました。宿題が目の前に山積しています。なんとか土曜日・日曜日の間に処理できるとよいのですが・・・・。
朝割と強い雨が降りました。幼稚園児がヨドバシに行きたがるので、雨が小降りになったころに連れていってやりました。やはりポケモンカード。店員さんは新しい箱を開けていました。そのせいでしょう、幼稚園児は新しいカードがいっぱいあったと言ってしばらくエレベーターの前でカードを見ていました。
それから、お菓子のまちおかでお菓子を買ってから帰宅。帰り道は傘が不要でした。→上記の仕事ですが、なんとか2点はこなしました。もうひとつは、明日です。
午前中に次の本が届きました。献本の対応をしていただいた、金森修さん、岡本拓司さん、坂野徹さん、慎蒼健さんに感謝します。
金森修編著
『昭和前期の科学思想史』
勁草書房、2011年10月20日序章 <科学思想史>の来歴と肖像 金森修
第1章 原子核・素粒子物理学と競争的科学観の帰趨 岡本拓司
第2章 眞島利行と日本の有機科学伝統の形成 梶雅範
第3章 日本人起源論と皇国史観 坂野徹
第4章 日本漢方医学における自画像の形成と展開 慎蒼健
第5章 生物学と歴史哲学 板橋勇仁
―京都学派における<生物学の哲学>―まず、金森さんの後書きと序章を読みました。「高速の展望」が面白い。(コメントはいろいろ考えたのですが、時間があるときに記すことにします。)
→東大の院生が中心となって、合評会を開催する予定になっているそうです。日程を教えてもらったら、ここでも通知します。おそらく、関心がある者であれば誰でも出席してよい会合にしてくれるでしょう。
ひとりで4時。昨日疲れて子どもたちより先に寝たせいです。室温23度。朝一番すなわち小学生達がでて、幼稚園児がまだ家にいる時刻に、次の本が届きました。来年度にむけて残されている課題です。
専修大学出版企画委員会
『(改訂版)知のツールボックス:新入生援助(フレッシュマンおたすけ)集 (ワークブック付き)』
専修大学出版局、2009、2011
泥縄でもなんでもかたをつけなければなりません。駒場の2回目の授業。
図書館に行きたかったのですが、閉館でした。生協を見て回ってから、科哲事務室へ。今日は駒場の橋本教授の部屋を尋ねて挨拶しました。かなりきれいに荷物が整理されていました。相当数は捨てたのだそうです。科哲の教員は英語の授業(G30) をもっているのだそうです。軸足が半分そちらに移っているというお話でした。意外な展開です。授業そのものは出席している学生たちが積極的に発言するのでむしろやりやすいということでした。
西荻駅についた頃には、雨が降っていました。天気予報の通りです。
7時。室温22度。妻とちびどもはもう起きて朝食中でした。幼稚園児はまだよく寝ています。ちいさいちびは今が歯の生え替わりの時期です。(もちろん幼稚園のころからずっと続きますが。)犬歯が3本ないし4本同時にぐらついています。たぶんもうすぐ抜けます。どうもそれが痛いようです。朝一番で歯医者さんに診てもらうことにしました。
上下2本を抜いてきました。簡単に抜けたものと、簡単な麻酔をかけたものとがあったそうです。本人がつらがっているので、本日は休ませることとしました。木曜日は2学期2回目の授業。お昼休みに2回目のコース選択・ゼミ選択のガイダンス。その後は、授業が続きます。木曜日の午後は怒濤のように過ぎていきます。
ひとりで5時30分。室温23度。会議の日。午後会議が続きます。
開始は1時50分。そこから4つの会議が連続しました。5時45分終了。いつも同じことを書いている気もしますが、疲れました。
最後の会議では、参考資料として日経新聞の10月2日版が配られました。28面に外語大の改編に関する全面広告が掲載されています。改編そのものにはまだ解決されていない問題が残っていますが、趣旨としてはわかりやすいプレゼントなっていると思います。
ひとりで5時5分前。室温23度。ちびどもはいつもの時刻に小学校に行きました。幼稚園児は今日は運動会の振替休日。10時にまたママといっしょに吉祥寺に買い物にでかけました。自分のお小遣いでポケモンカードを一袋買うと言っています。
5時半から会議。結局8時15分ぐらいまでかかりました。
ひとりで4時40分。室温23度。体育の日で休日。朝一番でおおきいちびと幼稚園児が吉祥寺に買い物にでかけました。私とちいさいちびはお留守番。お昼前妻と子ども二人が疲れたと言って帰ってきました。
私は残された宿題をひどい肩凝りのなかで可能な範囲でこなしていきました。授業に関するものは最優先です。なんとか処理できたと思います。
年末調整のための書類も完成しました。科研費(研究分担者)の書類も作成しました。こうした書類は明日大学に提出します。
[科学史分野 日本人の博士論文(海外) 追加]
2009 山本浩司 Ph. D. ヨーク大学
Koji YAMAMOTO, ‘Distrust, Innovations, and Public Service: “Projecting” inSeventeenth- and Early Eighteenth-Century England,’ Ph. D. thesis, University of York, 2009.金曜日の朝、アダム高橋氏のツイッターで、ハートリッブ・サークルについて博士論文を完成された日本人の Koji Yamamoto 氏がいることを知りました。
ツイッターをフォローすると次のサイトに行き着きました。
http://edinburgh.academia.edu/KojiYamamoto
いまはエジンバラにおられるようです。Koji Yamamoto, "Reformation and the Distrust of the Projector in the Hartlib Circle", forthcoming in the Historical Journal がダウンロードできるようになっています。早速ダウンロードして駒場への往復の電車で読んでいました。実は前日の木曜日の授業で projector の話はしたばかりでした。(スイフトの揶揄する王立協会の姿を紹介しました。) projector に関しては以前からもうすこし正確なことを知りたいと考えていたので、ありがたい論文でした。
ハートリッブ・サークルですから、駒場の授業で使えるかもしれません。早速、サイトからKoji Yamamotoさんに連絡をとってみました。びっくり。なんと、ちょうど日本に帰国していて、日曜日の日に立教大学で「2011年度近世イギリス史研究会例会」において、「市民戦争期イングランドにおける「脱プロジェクター」と「改革」―転換期の改革運動失敗についての一考察―」という発表を行われたそうです。所属にエジンバラ大学人文科学高等研究所とあったので、まさか日本に滞在されているとはまったく想像しませんでした。
経済史と科学技術史の接点のようなお仕事だと拝見しました。
おおきいちびといっしょに7時。室温21度。晴れ。おおきいちびは原宿に行きたいと言っています。今日は妻が連れていくことになりました。アイドルショップではなく、買い物に行きます。カーディガンが欲しいのだそうです。朝一番ででかけました。
残った組では、えびすやが開く頃を狙って、ポケモンカードを買いにでかけました。ちいさいちびはお留守番。こういう日、ちいさいちびは一歩も家の外に出ようとしません。幼稚園児といっしょにポケモンカードとAKB48のくじとお昼ご飯のおむすびを買って帰りました。
おでかけ組は、1時頃帰ってきました。ちょうどよい服が見つかったということです。しかし、妻には疲れる場所だったようです。
[科学史分野 日本の博士論文 追加]
医学史家の石田さんより次の博士論文の刊行を教えてもらいました。
ミヒェル ヴォルフガング Michel Wolfgang
カスパル・シャムベルゲルとカスパル流外科の誕生について : 南蛮人の医学から紅毛人の医学へ
岡山大学, 博士(文化科学), 2009(平成21年3月25日)
ミヒェル・ヴォルフガング氏は九大におつとめです。この件を含め、午前中にやっと先週の日曜日にあった編集委員会の宿題を終わらせることができました。大学でも宿題が残されています。来週中にはこなしたいと思っています。
ついでのことに、金曜日に届いた第4号のゲラの処理も終わらせました。表の仕事も私にできることは全部終わらせました。仕事がひとつ片づくとやはりほっとします。
ひとりで4時15分。室温21度。[幼稚園では最後の運動会]
今日は幼稚園児の運動会。小学校の校庭を借ります。妻と幼稚園児は、8時40分ごろ家をでました。開始は9時です。ちびどもと私は、その10分後にでました。
我が家の幼稚園の運動会は、今日が最後になります。天候に恵まれたのが一番でしょうか。
ちびどもはなおが出場していないときは持参した本とマンガを読んでいました。さすがに知らない子の競技には関心をもつことができないようです。
白組と赤組にわかれておこなった玉入れは完敗でした。ほぼダブルスコアの差がつきました。
かけっこは、隣のレーンにはみ出して、それを気にして、よそ見をしたせいで、4位です。かけっこの最中に毎年きょろきょろよそ見をする子です。
綱引きは白組の先頭で完勝でした。年長さんだけが行うリレーも、第1走者の子がしっかりとした差をつけてくれたので、第2走者のなおも差を2回ともちゃんと守ってチームとして1位でした。けっこううれしかったようです。
ということで、幼稚園児にとってははじめて泣かない運動会となりました。親子ダンスもニコニコしながら元気に最後まで踊っていました。
最後の挨拶はさすがにパスします。親子ダンスが終わったところで、おおきいちびといっしょにコンビニに行ってお昼ご飯のおむすびを買い、それからちいさいちびの誕生会のために予約していたケーキを受け取り、帰宅しました。
幼稚園児は、運動会終了後、写真撮影があって、我々が校門をでてから1時間後ぐらいに帰ってきました。
実は、ちいさいちびの誕生会は2時からです。幼稚園児はみんなでケーキを囲んでいると確実に邪魔に行きます(自分も参加しようとします)。昼食がすんだあたりを見計らって、今日は頑張ったから吉祥寺に連れていってあげるというと、すぐに東急に行くと言います。自転車で行きたいと主張したのは予定外ですが、自転車に乗せて、ゆっくり行くのも悪くないでしょう。1時40分頃、自転車の後ろに乗せて出発しました。
東急について2時5分。幼稚園児は、ポケモンのバトリオを3回しました。それから地下に行き、アイスを食べさせ、いくらかお土産を買って帰途につきました。
復路は往路と別にしようと思い、吉祥寺から西荻に向かうバスが通るルートにしました。歩道が狭く、かならずしも子どもを乗せて走るのは簡単な道ではないのですが、ちょうど車の通行が少ない時間帯に当たりました。荻窪中学の前で右折して、ドングリ公園に寄りました。案の定、遊ぶと言います。遊びたいように遊ばせました。途中から知らないおにいちゃんたちのグループに混ぜてもらいました。
そのおにいちゃんたちが4時過ぎに帰宅すると、すぐに帰ると言い、4時半前には帰り着きました。おねえちゃんたちのパーティはちょうど終わっていました。こうして、幼稚園最後の運動会もちいさいちびの誕生会も無事にすみました。
妻と同時に6時40分。妻はちいさいちびのお弁当を作るためです。私は、いつものように夜半一度目覚めましたが、何もせずにそのまま就寝したせいです。室温22度。ゴミを出すために外にでると、気持ちのよい朝。ちょうどよい気温です。2011年度東大駒場冬学期「科学史特論 V」第1回目の授業があります。駒場は久しぶりです。早めにでかけて図書館ですこし仕事をすることにしました。
妻が幼稚園児を迎えに行くすこしまえに家をでました。まず、1号館2階にある非常勤講師室によりました。なんと、目の前に飛嶋さんがいます。4限5限の授業ということです。挨拶をしていると、今度は挨拶されました。外語の同僚の山口さんです。やはり4限5限の授業があるということです。山口さんとは水曜日にいっしょに仕事をしたばかりです。それから、図書館へ。まず、窓口で附属図書館利用証をつくってもらいました。10分ほどでできましたが、有効になるのは明日からということです。
ともかく中にいれてもらって、書庫へ。うーん、暗い。私のように老眼で目が弱いとあの暗さはつらい。もうすこし目の弱い人間に対する配慮があってもよいのではないでしょうか? あまりにも東電的ではないでしょうか。コピーをとったのは、次。
Adrian Johns, "Science and the book," in John Barnard and D.F. McKenzie 8eds.), The Cambridge history of the book in Britain, vol.4: 1557-1695 (Cambridge, 2002): 274-303
かなり前から欲しかったのですが、今度駒場に行ったときにと思っていたものです。生協で別件のコピーをとってから、科哲事務室へ。金曜日は、3限が駒場の廣野氏、4限が化学史学会会長の古川氏、5限が私と同じ教室で授業が続きます。事務室でしばらく休んでいると古川さんがでてきました。初回なのではやく終わります。古川さんは橋本さんのところに挨拶に行ってから、どうも図書館に行かれたようです。私とは順序が逆です。
いくらかコピーをお願いしてから、教室へ。11名。暗くなっている道を帰ってきました。
夜半に目覚めてすこし仕事。7時15分。室温20度。ただし、ゴミを出すために外にでると暖かく感じます。雨が上がって気温も上がるようです。
木曜日は今日が初日。3限4限5限の連続です。
3限の講義は、1学期とほぼ同じような感じでした。
4限の演習は、留学からの帰国組が3人いました。1学期よりもいくらかにぎやかになった感じがします。
5限の卒演は、まあ、こんなところでしょうか。訳者の柳原孝敦氏から次の本を頂きました。柳原孝敦さま、いつもご高配ありがとうございます。
カルロス・バルマセーダ 『ブエノスアイレス食堂』
柳原孝敦訳、白水社、2011
夜半に目覚めてすこし仕事。メールを含めて、書類の処理の仕事です。幼稚園児以外ほぼそろって7時前。地面が濡れています。夜すこし雨が降ったようです。室温21度。外は気温が上がらないようです。(J-COM の練馬の予報によれば、今日の最高気温が16度、明日の最高気温が26度です。寒暖差が大きいので体調管理には気を付ける必要があります。世の中に風邪を引いていたり、風邪気味だったりする人は多いようです。→興味があるので、外の気温を計ってみました。15.5度。最高気温が16度の予報ですから、今日は一日小雨-曇りが続いて、気温がほとんど変化しないということでしょう。→3時の外の気温は、15.8度。朝から1度も変化していないことになります。)
今日は会議の日ですが、実は会議はなく、お昼休みにコースガイダンス(正しくは、 第2年次学生用「卒業論文・卒業研究ゼミ・ガイダンス」と言います)があり、15分程度説明をする必要があります。
すこしはやめにでて、明日の配付資料をコピーし、それから教室に向かいました。教員は、私と担当の先生ともうお一人。着任して1年の新しい先生ですが、挨拶だけしてもらいました。
残った資料を印刷室に戻して(しばらく保管してもらいます)、私の今日の仕事は終了。雨のなか、すぐに帰途につきました。今日はちいさいちびの10歳の誕生日。誕生会はお友達の都合で土曜日に延期しましたが、三鷹で電車を乗り換え、駅構内のクイーンズでお菓子をすこしだけ買ってやりました。
この家には、そのちいさいちびが2ヶ月の時点で引っ越してきています。我が家の場合、家の年齢とちいさいちびの年齢が一致します。どの親も持つ感慨でしょうが、子どもはおおきくなるときにはおおきくなります。午前8時半、アマゾンより次の本が届きました。
チャールズ・C・ギリスピー
『科学というプロフェッションの出現:ギリスピー科学史論選』
島尾永康訳、みすず書房、2010
去年の冬の発行です。入手を忘れていました。訳者あとがきによれば、「C. C. Gillispie, ESSAYS AND REVIEWS IN HISTORY AND HISTORY OF SCIENCE, American Philosophical Society, 2006 の序論と二〇篇のエッセイから一〇篇を選び、確率に関する新たなエッセイ(2009)を加えたものである。」
目次は次の通りです。
第1部 科学と国家
1 科学というプロフェッションの出現――アメリカ科学の成熟 1910-1970年
2 科学というプロフェッションの出現――フランス科学の繁栄 1770-1830年
3 社会科学と物理学における確率的分析
4 産業の博物誌
5 科学と文学的想像力――ヴォルテールとゲーテ
第2部 科学史の探究者たち
6 ある物理学者の見たギリシア科学
7 ディクステルホイス――世界像の機械化
8 アレクサンドル・コイレ
9 トーマス・クーン――科学の特質
10 マートン・テーゼ
11 ギリスピー自伝
購入したのは、週はじめに届いた新しい『科学史研究』で次の「研究動向」を読んだせいです。
有賀暢迪「アマチュアと科学者のあいだ―隠岐さや香『科学アカデミーと「有用な科学」』に見る18世紀の学者像―」『科学史研究』No. 259(2011年秋): 150-153
隠岐さや香さんの著作『科学アカデミーと「有用な科学」』のエッセイ・レビューです。有賀暢迪さん自身18世紀の物理学史の専門家です。
まず、『科学史研究』でエッセイレビューというジャンルが認知されたことが喜ばしいと思います。ISIS と同じになる必要はありませんが、欧米の科学史専門雑誌のよい部分は、どんどん取り入れてよい、取り入れることに躊躇すべきではないと私は考えます。「研究動向」という区分でもよいのですが、個人的にはISIS やその他多くの雑誌と同じくエッセイレビューをジャンルとして独立させて、できれば毎号毎号掲載してほしいものです。
ひとりで4時25分。室温20度。外はかなり冷え込んでいる模様。授業の準備ならびに日曜日の宿題、それから大学の多々ある事務的な仕事をこなしていました。全部処理することはできませんでした。
[SIGHT]
事務処理ばかりしているといやになってきます。昼食後一度町を半周して、『SIGHT』2011年秋号を買ってきました。表紙の言葉が「私たちは、原発を止めるには日本を変えなければならないと思っています。」2号続けて、原発特集です。小出裕章氏に原子力を目指し、原子力に反対するようになった経緯をインタービューしています。
原発特集ではありませんが、斎藤美奈子氏の「J-POP文学論」の連載に感心しました。さすが、斎藤美奈子。ほんとうに批評の切れ味が鋭い。1990年代前後から歌謡界を席巻した「人生応援歌」を見事にさばいています。
ここに書くことはできませんでしたが、少し前の朝日新聞に文学の世界の老害を正確に記述した文章も見事でした。
ひとりで5時55分。室温21度。寒く感じます。いよいよ2学期の開始です。ちびどもは運動会の振替休日で休み。私と幼稚園児だけが普通にあります。
→初回なので、早めに(8時20分頃)でました。9時過ぎに印刷室で配布物のコピー。1学期のことがあるので、多めにとっておきました。
学生たちの動きには不規則な点がありましたが、まあ無事にスタートが切れたと思います。月曜日の授業そのものはほぼ2ヶ月半ぶりです。学生たちも不慣れと呼べる状況にあるのでしょう。
ひとりで5時15分。室温22度。金曜日だけ暖かくなったことがわかります。私の次に起きてきたのは、幼稚園児と妻。8時前でした。ちびどもは運動会で疲れたようでよく寝ています。
午後2時から東工大にて、編集委員会、理事会、科研費申請に関する打ち合わせ。7時終了。疲れました。
ひとりで6時。室温25度。昨日暑くなった熱がまだ室内には残っています。曇り。小学校の運動会はたぶん大丈夫でしょう。幼稚園児はすっかり元気です。ちいさいちびは2日間学校を休みました。昨日の時点ではもう熱は下がっていました。しかし喉の腫れが痛いと言っています。飲み込むときに痛みを感じるようです。運動会には行きたいと言っていますが、喉は完治しないまま参加することになりそうです。
そして、妻も昨日のお昼過ぎ、熱が出ました。微熱です。ずっとつらそうにしていました。→運動会当日。天気はちょうどよい感じになりました。運動会にとってはこれが一番です。
妻は風邪気味、ちいさいちびは病み上がり、幼稚園児と私は蓄積疲労といった状況ですが、まあ、なんとかなりそうです。
小学生2人は定刻に出かけていきました。幼稚園児がどういうふうに動いてくれるのかまったく予想しがたかったのですが、ほぼ開始にあわせて応援に行くと言ってくれました。3人揃って小学校へ。幼稚園の先生方が見えていました。さっそく懐いていました。
午前中のメインイベントは、6年生のかけっこ。昨日は練習で負けたとずいぶんぶいぶい言っていましたが、気合いを入れたのでしょう、本人の希望通り、差をつけての1位。
来年小学校に入る幼稚園児にも出番があります。ママといっしょに順位をつけないかけっこ。本人はそれで終わった気持ちになったようです。帰るというので、いっしょに帰りました。昼食は、おむすびに豚カツ。細かくした豚カツをよく食べました。子どもたちのお弁当は実は手渡しになっています。幼稚園児がお留守番できるというので、ささっとお弁当を持っていくことにしました。ちょうど5・6年生の騎馬戦が始まっていました。妻のもっていたデジカメでビデオをとってから、帰宅。
お昼休みに短い PTA の会議のあった妻は、12時過ぎに帰ってきました。
午後は、12時半スタートですが、我々は1時で十分です。と思っていたら、(午後はおうちにいると朝は言っていた)幼稚園児がはやめに行きたがって、午後1番目のプログラムに間に合いました。4年生のかけっこは、病み上がりの体ではきつかったのでしょう、4位。
応援だけでは幼稚園児はもちませんが、幼稚園の仲のよいお友達がいました。お友達と遊んでいました。午後のメインイベントは、高学年のリレー戦。おおきいちびは赤組、ちいさいちびは白組と別れました。ちいさいちびは第2走者、おおきいちびは最終走者。ちいさいちびのチームは第1走者が1位で走ってきて、ちいさいちびも1位でバトンをつなぎました。おおきちびは最終走者なので、バトンをもらった時点で順位がはっきりとついていました。3位で引き継いで3位でゴールイン。
よくがんばってはしったでしょう。幼稚園児の様子を見ると、はやめに帰るのが賢明です。終わりの挨拶をきかずに、まずケーキ屋さん(おお、私の53歳の誕生日ケーキです)、ついでマック(幼稚園児はハッピーセットについてくるポケモンのおまけがほしい)によってから帰宅。
4時前には、最後のおおきいちびも帰ってきました。おおきいちびは5時半から井草八幡のお祭りに行くと言って出かけていきました。6年生、もうすぐ中学生は体力がついてきています。4年生にも遊ぼうという誘いがあったのですが、病み上がりなので断るように言いました。
そして、暗くなるとポケモンの本を見ていた幼稚園児がそのままソファーの上で寝入ってしまいました。疲れがでてきました。
こういうふうに、私の53歳の誕生日は過ぎていきました。
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