ひとり遅れて7時45分。室温11度(電波時計)。朝食の準備をしている間に、ちびどもは小学校に出かけました。新聞を開くと、21世紀に入って1〜2番の寒さだとあります。さもありなん。私の部屋で仕事をしているとあまりに寒いので、昨日、電気毛布(電気しき毛布 電気かけしき兼用毛布)というのをアマゾンより取り寄せました。使用電力は50W。昔の100W白熱電球の半分です。ちょうどよいかと思い、この商品を選択しました。膝の上にかけるのにはちょうどよい感じです。
子どもたちがまだまだ小さかった頃、電気カーペットは買っています。今も部屋に敷いていますが、カーペットとしてだけ使っていて、電源は差し込んでいません。睡眠中に使うと体によくないと感じたからです。その代わりに寝室は、デロンギ(オイルヒーター)にしています。ほんわか暖かい程度ですが、就寝時にはその程度がちょうどよいと思われます。
[プルトニウム]
『新潮45』2012年2月号に、次の記事があります。有馬哲夫「原発秘史発掘 正力の狙いはプルトニウムだった」pp.64ff.
特集「原発を考える補助線」のひとつです。特集を全部挙げると次です。
駒村吉重「六ヶ所村エレジー」
添田孝史「一律「40年制限」は非現実的! 全原発54基総点検」
大河内直彦「石炭が輝いていた昭和」
小出裕章vs佐伯一麦「対談 「反原発」という人生」
有馬哲夫「原発秘史発掘 正力の狙いはプルトニウムだった」最後の文を引用しましょう。「「日本原子力の父」は米英を天秤にかけ、商業用原発の導入と、プルトニウム獲得という二正面作戦を戦い抜いたのである。」
ちなみにプルトニウム獲得作戦の結果は、有馬さんによれば、「ささやかながら勝利」とされています。つまり、正力は、岸信介の「核武装自衛合憲論」(1957年5月国会演説)に呼応する形で、「自前のプルトニウム」を獲得しようと戦い、部分的な勝利を得た、という評価です。
有馬さんはきちんと資料を追いかけているので(十分な裏付けかとなるかどうかはおいておいて)正力がプルトニウムも欲したということは事実だと認定してよいと思います。不明なのは、その先です。コルダーホール型原子炉から生まれるプルトニウムを仮に英国から買い戻したとして、その先いったいどうするつもりだったのかということです。ともかく、ただもっていたかったのでしょうか? あるいはその先を本当に考えていたのでしょうか? 有馬さんの論考からはそこがわかりません。さて、ここで、金曜日に駒場の日本物理学史の専門家に聞いた話です。吉岡斉氏の『原子力の社会史』に欠けるのは、電力産業の観点である、ということです。確かに、戦後日本社会にとってクルーシャルであった電力事業・産業の観点は、ほとんど追究されていません。
この観点を加味すると、産業規模としては電力の方が圧倒的に大きく、正力はなるほどプルトニウムも欲したかもしれませんが、ねらいはやはり電力=原子力だったように思われます。プルトニウム問題に関しては、河野太郎氏が1月24日のブログで貴重な指摘をされています。韓国の再処理問題です。韓国は今、米韓原子力協定のしばりがあり、自前で使用済み核燃料の再処理を行うことはできないが、2014年の協定満了に向けて、韓国国内でも日本と同じように使用済み核燃料の再処理を行いたいという気運が原子力関係者の間で盛り上がってきているということです。それはやはりまずいでしょう。
まず日本が再処理から撤退すべきだ、というのが河野氏の主張です。その通りだと思われます。
今月は、ここでやっと78枚。30日を除くと、いつもの半分程度のペースです。今日明日でどこまで挽回できるでしょうか?ひとりで6時50分。室温9度(電波時計表示)。もっとましな温度計では、7.8度。低温が続きます。
外語で教壇に立って話す授業は今日が最終日。あとは、試験や期末レポートに関わる仕事が残っています。
金曜日の東大駒場の授業は、日曜日にうちに成績評価を行いました。ウェブ入力はよいのですが、アクセスする url 、アカウント、パスワードが面倒です。非常勤採用の書類は間があくと再提出させるくせに、そうした情報は、最初に一度きりです。我が家の環境ではそれを探し出すのに手間がかかります。東大事務は民主党政権でしょうか?
ちなみに、金曜日に古川先生ご苦労様の会(25年にわたり非常勤をつとめられたそうです。私とはちょうど入れ違いでした。)で、駒場の教員に聞いたところでは、9月入学は、やるそうです。旧帝大と東工大、一ツ橋等であらかじめ申し合わせて実行するのは、国内帝国主義です。
長期的に見れば、昔の日本も9月入学でした。(東大の専門家によれば、大正時代に4月入学に変わったそうです。大正何年という具体的な数字を聞いたのですが、忘れました。)慣れの問題なので、しばらくすれば、慣れると思います。
しかし、日本人学生の留学する意欲が低下しているまさにそのときに、留学のために9月入学を導入するというのは、皮肉です。こういう政策的アイロニーは、停滞社会日本が引き受けなければならない必然なのでしょうか?半年に一度大学は、大きな不要物を引き取ってくれます。私の部屋では、プリンターが2台死んでいます。ずっと使っていたものは、紙送りの部分の爪が壊れてしまいました。1枚だけであればプリントできるのですが、2枚目から必ず紙詰まりが発生します。そこだけを取り替えるということは企業(エプソン)は考えていないと思います。
つまり、ここしばらく、私は大学ではプリントできない状態が続いていたわけです。さすがにそれでは仕事に差し支えると考えて、先週残った研究費で購入できる9千円以下のインクジェットプリンターを発注しました。つなぎです。
その壊れたプリンターは、重く大きい。部屋を片づけないと外に出せません。昼食後、まず入り口のテーブルの上を片づけ、台車が通るように、そのテーブルをはしによせました。それから奥でプリンターを載せている机のまわりを片づけました。
まわりを片づけてから、用意した台車の上に、たぶん20キログラム近くあるプリンターを動かしました。ほんの数メートルだからよいのですが、長く運ぶと腰を壊します。同時にその下にしまっていた昔の PS2 プリンターも運びました。そうすると、壊れたモニターも見つかりました。それも同時に廃棄してもらうことにしました。さらに、プリンターを載せていた机の向こう側に3.11のときに落ちた本が多数見つかりました。3.11のあと、目に付くところに落ちていた本は片づけたのですが、手の届かないところ、目に付かないところはそのままにしていました。地震からほぼ1年、やっと全部を片づけようという気になりました。新学期を迎える前、会議の合間に落ちている本の片づけだけは100%にしたいと思います。
普段からきちんと片づけている方、整理の行き届いている方からすれば信じがたい話かもしれませんが、私と同じタイプの人間も世の中には一定割合で存在するのではないかと思っています。
日曜日、妻は4月に中学に入学する長女を連れて、新宿に行っています。友達が卒業式に服を買うから私も同じようなものが欲しいと前から言っています。相手しなくてもよいことでもあるのですが、自分の目で実物を見てみると、納得するだろうと妻が長女だけを連れて、新宿のコムサに行っています。
コムサは不調のようです。店舗は以前と比べると店舗数で半分ぐらいになっています。
ちょうどよいものがあったと、次女の携帯に試着した写真が送られてきました。確かにちょうどよい。本人も気に入っていて、妻もそれでよいということです。だったらいいんじゃないということで、一式購入して帰ってきました。今はもう妻よりも明らかに背が高くなっています。しっかりとした服を着て、しゃべらなければ、高校生だといっても信じる人は信じると思います。今後、ちゃんとした服を着た方がよい状況は出てくるでしょう。
さて、帰宅すると妻は、その写真を探しだして、顔がパパに似ていると言います。このあたりは私にはあまり分からない点です。このサイトに載せている旧い写真の私(10年以上も前の写真)に似ているのだそうです。
午後8時過ぎ、私はもう今日の仕事はしないことにして、リラックスしていました。幼稚園児がたけしの出ているテレビを付けて遊んでいます。台湾のテレビ番組の紹介をしていました。すると、いきなり妻の弟が数秒顔を出しました。見たのは、私と妻だけです。ちいさいちびは宿題をやっていました。幼稚園児は床の上で遊んでいました。
妻の弟がテレビ関係の仕事をしていることは知っていますが、こういうところに顔を出すとは思っていませんでした。妻が地元に電話して確認したところでは、番組を紹介したそうです。ニッテレを知らないようで、インタビューを受けたことは覚えていましたが、ゴールデンのニッテレという意識はまったくないことがわかりました。
夕刻、次の本が届きました。
ナオミ・オレスケス+エリック・M.コンウェイ
『世界を騙しつづける科学者たち』上
福岡洋一訳、楽工社、2011
アマゾンは、上巻だけを手配できたのでしょう。今回は、上だけが届きました。遠からず、下巻も届くでしょう。日本語のタイトルはあまりよくありませんが、STSのよい教科書となると期待して購入しました。
ちょうどよいので、今年度冬学期の期末レポートについてアップしておきます。授業に配った資料をウェブ用に整形しただけのものです。
[「科学技術と社会」後期 期末レポート]
2011年度総合科目III「科学技術と社会」後期 期末レポート *実施日:2012年 2月 6日 (授業時間帯にて)
**定期試験と同じルールで行う!* 条件: 文章は必ず自分で書くこと。
・きちんとレポートの形式に従うという条件で、あらかじめ準備してきたものを 提出するのも可とする。
・学籍番号、氏名、専攻語、学年は、レポートの上部に明記せよ。
・ただし、ウィキペディア等、インターネット上の文章の無断借用は剽窃と見な し、0点とする。
・自分の文章に使ったものは、必ず、典拠・ソースを明示すること。課題は次の通り
次のうちから、一つを選び、記述せよ。
1. アメリカの科学技術のあり方について、その歴史的形成過程の特殊性をふまえた上で、批判的に論ぜよ。
(上記の「アメリカ」を君の専攻する地域・国家に変えて、解答するも可。
例:「中国」「旧ソビエト連邦」「韓国」「台湾」「インド」など。)
あるいは、アメリカンシステムのはらむ問題点を批判的に考察してもよい。2. 大学と科学技術の関連について、歴史的に展望せよ。
(大学と学問の関連について、歴史的に展望してもよい。)3. オバマ大統領になったと想像して、公正な環境政策を発想してみよ。あるいは持続可能な資源・エネルギー政策を発想してみよ。
4.2011年3月の福島第一原子力発電所の事故について、現時点で問題点を整理し直しなさい。
5. 科学技術の観点から、日米関係を考察せよ。
以上が月曜日2限のものです。提出は来週です。
以下は、木曜日3限のものです。すでに終了しています。
[「科学技術と社会」後期 期末レポート]
2011年度 2学期 科学思想史期末レポート *日時:2012年1月26日(木曜日) 授業時間帯において提出
* 条件: 文章は必ず自分で書くこと。
・きちんとレポートの形式に従うという条件で、あらかじめ準備してきたものを 提出するのも可とする。
・学籍番号、氏名、専攻語、学年は、レポートの上部に明記せよ。
・ただし、ウィキペディア等、インターネット上の文章の無断借用は剽窃と見な し、0点とする。
・自分の文章に使ったものは、必ず、典拠・ソースを明示すること。課題は次の通り
次の課題のうちから、一つを選び記述せよ。
0.思想史または科学思想史のテーマをひとつ取り上げて、自由に論ぜよ。
1. 適当な道具・機械・技術を一つ取り上げ、その起源・発展(発明・発見・改良)を記した上で、その持つ科学史上または文化史/社会史上の意義を述べよ。
2. 科学史または思想史の1冊取り上げ、きちんとしたエッセイレビューを書いてみよ。
3. 科学の専門分野をひとつ取り上げ、その形成(起源と展開)を論ぜよ。
4. ひとりの科学者(または技術者)を取り上げ、その活動・業績を論ぜよ。
ひとりで6時40分。室温10度(電波時計表示)。もっとましな温度計では、8.9度。昨日の朝とまったく同じです。
妻によれば、日本に来てこんなに寒い冬ははじめてということです。寒い日は昔もあったが、寒い日がこういうふうに連続した記憶はないそうです。そうかもしれません。夜に次の本が届きました。
Anthony Grafton
The Culture of Correction in Renaissance Europe (Panizzi Lectures)
London: British Library, 2011
ハードカバーで¥ 3,860です。ブリティッシュライブラリーから出ているとは思いませんでした。坂本くんのサイトに紹介があります。
ひとりで6時50分。室温10度。この室温は、電波時計の指示する温度を記しています。もうすこしましな温度計で計ると、8.9度でした。感じる寒さから言ってそのぐらいでしょう。雑誌の表関係を完成させた以外には、少しずつ片づけと整理を行っていました。ちいさいちびと私は一歩も外に出ず。そもそもちいさいちびはお友達と遊ぶことがなければ、土日はパジャマのまま家のなかで過ごすことが多い。こんなにうちっこになるとは思ってもみませんでした。おおきいちびはたいてい中学受験をしないお友達と午後いっぱい遊んでいます。ちいさいときに感じていたものとは逆になりました。
夜半に目覚めてすこし仕事。ぎりぎりの状態は脱したと思いますが、2月半ばまではなかなかに忙しい状態が続きます。2度目の起床は8時15分。ちびどもはもう小学校に行っていました。幼稚園児はそのあと8時20分。居間にばたばたばたと降りてきて、朝遊ぶ時間が少ないと泣いています。まだまだ泣き虫がなおりません。昨日もよく泣いていました。
おお、もう、27日です。
さて、今日は、駒場の授業の最終日。長年駒場で非常勤をされていた古川安先生への慰労会を開くということです。春から役職者の橋本さんから話があり、私も参加します。こういう日は、普通に仕事ができるようになるまでしばらくかかります。お昼ご飯を食べ、一休みしてからやっと通常に戻った気がします。机の上には、処理できていない仕事が山をなしています。
5限の授業のあとは、5人で下北沢へ。駅前に新しいビルが建っていました。去年の12月に開店したということです。昔ピーコックのあった場所です。ユニクロやダイソーが入っていました。飲み屋は8階。
9時半に散会。10時15分に帰宅しました。全員が就寝していて静かでした。自分のために、重要なスケジュールを記しておきます。
2月14日 修士論文の面接。2名あります。
2月15日 シラバス入力締切日。
1月13日から入力可となっていましたが、意図して入力を遅らせています。2月に入ってから入力するつもりです。2月20日 4年生 成績提出締切。
2月24日 1年〜3年生 成績提出締切。ちなみに木曜日3限の「科学思想史」は、4年生54名、2年生と3年生で92名、合計146名が登録していました。
月曜日2限の「科学技術と社会」は、4年生が37名、1年生〜3年生が322名、合計359名が登録しています。実際に授業に出ているのは、200名〜2百数十名といったところでしょうか。→今日授業の終わった東大駒場は2月3日成績締切(4年生)とあります。早い。びっくりするぐらい早い。4年生でなければ、3月2日締切です。これはうっかりするとすぐに過ぎてしまう締切です。元気になったらすぐに対応しようと思います。
夜半に目覚めてすこし仕事。何だかぎりぎりで回しています。2回目の起床は、6時50分。室温11度。ちびどもも7時を過ぎてすぐに起きてきました。妻と幼稚園児は、7時20分。風邪は悪くはなっていないが、良くもなっていないということです。
午前中に打ち合わせ。10時半から。二人でつめの作業のために、準備をしていました。その方は11時から会議が入ったということで、11時15分から別の方と二人でやはり続きの作業。もともとは三人でやるつもりだったのですが、それぞれに都合があって、二人の打ち合わせ×二回という形になりました。
九州大学のミヒェルさんのサイトが以前の場所にないことにはずっと前に気付いていましたが、ブックマークの更新はできていませんでした。大学で時間があいたときにちょっと調べると、ミヒェルさんは九州大学名誉教授とあります。サイトは次の場所に移っていました。
九州大学名誉教授ミヒェルさんのサイト
ひとりで6時半。室温10度。新聞を取るため玄関のドアを開けると、昨日の雪がまだ残っています。しばらく寒い日が続くようです。会議の日。昼食を食べてから出かけました。間を挟んで3つの会議。
教授会は、学部教授会も、研究院教授会もともに(いつもの大会議室ではなく)プロメテウスホールにて。学部長は、ロメテウスホールは音響がよく、つい自分の声に興奮して演説調になってしまう、と言っていました。私は、他の部屋と違って、ちゃんと暖房が効いているのが辛かった。
私はひとつの長の仕事がありました。7時過ぎに帰宅すると妻が風邪で半ばダウン中でした。幼稚園児→おねえちゃん→妻とうつったようです。ちいさいちびと私はかかったのかもしれませんが、ごく軽くすんでいると見ることもできるようです。
夜半に目覚めてすこし仕事。外が白いと思ったら、雪が積もっています。ただし、気温はそれほど低くなっていないようで、明日の朝までどの程度もつかは疑問です。
もっていると幼稚園児はうれしいでしょう。2度目の起床は、ひとり遅れて7時15分。軽く風邪気味の幼稚園児は毛布にくるまって床の上でごろごろしていました。雪は残っています。裏庭には猫の足跡、玄関前の道路には朝の早い人の足跡と新聞配達の自転車の跡が付いていました。
幼稚園児の帰りを迎えに行く以外は、外出せず、家のなかでゆっくりと残っている仕事に向かっていました。
ひとりで7時。室温11度。曇っていますが、雨は上がっています。3限の大学院の授業は発表者から延期要請があり、1週延期となりました。つまり、2限に「科学技術と社会」の最後から2回目の講義、3限4限5限があき、6限に新学部準備室会議というスケジュールになりました。
ちょうどよいので、3限の時間帯にはレスポンスシートの整理を行いました。連絡メールを読まなかった院生がひとり現われたので、30分ほど手伝ってもらいました。
レスポンスシートの全部ではありませんが、木曜日の講義のレスポンスシートの整理はできました。他に何かやろうと思ったのですが、あまりに眠くなったので30分ほど机のつっぷして昼寝。それから生協にいくらか買い出しに行き、帰ってきてから、修論・卒論をどんどん読むことにしました。
5時40分から準備室会議。8時前まで。8時半に帰宅できました。
記述が淡白になっているのは、あまりに忙しいせいです。ここ数年という範囲では一番忙しいと思います。大学で3つの長をやっています。その仕事が重なりました。ひとつの長は今月中で解除されると思います。
ひとりで6時20分。室温11度。[桑木野 幸司氏 日本学術振興会賞受賞]
第8回(平成23年度)日本学術振興会賞受賞者
我等の桑木野 幸司氏が、第8回(平成23年度)日本学術振興会賞を受賞したというニュースがありました。桑木野さん、おめでとうございます。
「近代イタリアの記憶術と建築空間における視覚的表象の問題」
賞を出した側の受賞理由は、上のサイトにあります。
むすこといっしょに7時。室温11度。雨は上がっていますが、地面は濡れています。頭痛が残っています。疲れが抜けていないせいです。
雨の音が聞こえます。いつ以来でしょうか?ほんとうに久しぶりに雨が降っています。ひとりで4時5分前。室温13度。昨日の朝に続き、疲れているのではやく目覚めました。軽い頭痛もあります。疲れが残っているときの徴候です。
新聞を取るために玄関のドアを開けてみると、みぞれまじりの雪に変わっていました。いくらかつもるでしょうか。
5限に駒場の授業。今日を含め、あと2回です。
ひとりで4時30分。室温12度。いきなり朝がはやくなったのは、元気になったせいではなく、疲れのせいです。昨日は、ああ、ほんとうに疲れたという感じでした。9時過ぎに息子といっしょにすーと寝てしまいました。木曜日の授業に日。3限の講義も、4限のゼミも、ほぼ無事に終わりに来ています。
ひとりで6時30分。室温11度。まだまだ寒い日が続きます。会議の日。
12時15分から、続いたり、間があいたりして、5つの会議がありました。2つ目は、私が資料を用意し司会する打ち合わせ。時計を見るのを忘れて、次の会議に10分ほど遅刻しました。
大学に着いてすぐに卒論を受け取っています。9人。全員無事に提出してくれていました。会議の間に、2点までは目を通しました。
ひとりで3時10分。室温12度。
昨日は最高気温が5度台で、この冬一番の寒さだと言っていました。今日は8度の予報。2度目の起床は、幼稚園児以外がほぼそろって7時。さすがに3時から床暖房を入れていると室温は14度あります。室温は上がっても17度ぐらいです。
金曜日締切の仕事が一応最後まで行きました。完成ではありません。委員の方々に目を通してもらって、コメント・意見をもらってから金曜日に提出します。
夜半に目覚めてすこし仕事。目覚めたのは疲れのせいです。普段していない種類の仕事で1日拘束されるとこういうこともあります。2度目の起床は、幼稚園児といっしょで、7時10分。妻と小学生たちは起きて朝食中でした。そのときの室温は12度。
月曜日の授業は、今日が新しい年の最初となります。1月も半分以上過ぎてからの開始となります。
→仕事に追われているので、3限の大学院のゼミが終了してすぐに帰宅しました。一休みし、息が落ち着いてから、締切のある仕事にかかりました。火曜日中には完成させたいと考えています。
ひとりで6時。とおもったら幼稚園児がすぐに起きてきました。室温11度。季節的業務の日。早朝からでかけ、恐らく6時過ぎに帰宅。
大学としては危機的状況はあったものの、無事に切り抜けて、4時20分頃には完了となりました。従って、予定よりはやく、5時過ぎに帰り着くことができました。これで明日授業があるのは負担ですが、今日考えるのは止めて、明日のことは明日にします。
幼稚園児といっしょに6時50分。室温11度。起床時間としてはちょうどよいぐらいでしょう。事務的な仕事をしていました。
ひとり遅れて8時5分前。ちびどもはでかける直前でした。ちびどもがでかけたあと室温を見ると、11度。床暖房をつけたにしては低すぎます。床を直に触ってみても温かくありません。我が家の床暖房はこの冬になってから大きな音を出すようになっています。もちろん、音を出しているのは、室外の燃焼器です。すぐに着替えて見に行きました。止まっています。そろそろ寿命かなとは思っていたのですが、一番寒い時期に止まるとは。でも、止まるとすれば、この時期でしょう。
東京ガスに電話が繋がるのが9時から。待つしかありません。
→電話はすぐ繋がりました。午後1時〜3時に来てくれるということです。私は1時から3時にふたつの会議。妻に任せることとしました。昼食をとって12時過ぎに家をでました。大学では研究室によらずに直接会議室へ。司会をする必要があるので、開始までの時間で準備をしていました。
会議そのものは順調に進行しました。会議終了後、事務の方に電話連絡することになっていましたが、電話が出ません。諦めて事務室に直接行きました。もうひとつの会議がまだ終わっていないようです。こちらも事務の方と相談して、途中からですがとりあえず出席することにしました。
もちろんしばらくは何の話をしているのかわかりませんが、15分も経つと内容が把握できました。私の任務のためには意味のある資料が出されています。
こちらは予定を40分ほど超過して終了しました。床暖房が心配なので急いで帰宅。妻に話を聞くと、業者の方は、ぱっと機器をみて、どこも悪くないと言ったそうです。それで、大きな音がでる症状を伝えたところ、ポンプであろうということになり、実際、60度の温水を送りだすポンプが老化している、すなわち耐用年数に達しているということがわかったそうです。とりあえず、ポンプを交換してくれるということです。朝はまったく動いていませんでしたが、業者の方が来たときにはすこし動いていて、ポンプは弱っているものの死んでしまったわけではなかったようです。たすかりました。一番寒い時期に、暖房なしだとほんとうに寒い。
あとは、はやく部品の交換に来てくれるのを待つばかりです。
ひとりで6時50分。室温11度。天気予報はこの冬一番の寒さになりますと注意していました。燃えるゴミを出すために外に出ましたが、なるほど、寒い。木曜日は今日が年明け最初の授業です。
夜半に目覚めてすこし仕事。寒さがすこし緩んでいます。水曜の夜から木曜日にかけてまた気温が下がるようです。2回目の起床は、遅れて、7時35分。幼稚園児といっしょでした。夜中起きていたのがきいたようです。ちびどもと妻は6時半ぐらいに起きたのでしょうか。
今日は会議の日。お昼休みから続きます。
すこしだけ用事があるので、10時頃家をでました。事務に1点書類を提出してから研究室へ。メールの対応にいくらか時間がかかりました。それから生協2階におもむき昼食。11時だったので学生もまだわずかでした。
会議は、12時10分から15分、13時40分から15分、13時55分から15分でした。つまり、出席すればよい会議でした。私は明日以降のことを考えて、会議終了後直ちに帰宅しました。
帰宅すると幼稚園児が4人いました。つまり、お友達が3人来ています。にぎやかです。
ちびどもも帰っていました。ちびどもは3時前後にお絵描き教室に向かいました。北風が強くなってきており、寒さの到来を告げています。
ひとりで6時30分。室温12度。子どもたちは、今日からスタート。冬休み中はいつもよく寝ていたちいさいちびが真っ先に起きてきました。6時40分頃。私と同じ頃目覚めたようです。
開始といっても、幼稚園児は10時半、ちびどもは12時過ぎに終了します。つまり、昼食時には全員そろうことになります。
私の駒場の授業も今日から再開です。金曜日に行っていますが、振替で今日行います。いつもであれば会議があって出講できないのですが、会議そのものが金曜日に引越したため、駒場の授業に出講できることになりました。
→ほぼ1時間前に駒場に着きました。非常勤講師室の隣にある印刷室でコピー。A3 表裏で4枚、すなわちA4 で16頁をコピーしました。そのうち12頁は文章化したもの、残り4頁はレジメ+文章化の引用です。
実際の授業のときには、スキップしながら話しました。
ひとりで6時30分。室温12度。こどもたちにとっては、冬休みの最後の日。幼稚園児ははやく幼稚園に行きたがっています。小学生達は、休みが終わるのを惜しんでいます。
ひとりで6時30分。室温12度。予報によれば、昨日より気温が低くなるということです。室温は、いつもより遅くまで起きていたせいでしょう。[ヴェスタ]
金曜日に大学に出たとき、沼野先生より、次の雑誌をいただいていました。沼野先生、いつもご高配ありがとうございます。『文化誌ヴェスタ Vesta』2012 Winter No.85
味の素食文化センターが出している雑誌です。特集は「はじまりの酒」沼野恭子さんは、責任編集です。文化人類学系の方が多く執筆されています。全部は目を通していませんが、なかなかに面白い特集です。
伝統的酒造法の類型と分布 (石毛 直道)
蜜酒は髪をつたわって流れてしまい・・・―ロシア文化における蜜酒と馬乳酒 (沼野 恭子)
ブラジルの国民酒カシャサとインディオの口嚼酒(くちがみしゅ)カウインの製造法 (田所 清克)
アフリカの森の酒カシキシの魅力 (山極 寿一)
ワインのふるさとから (児島康博・児島メデア)
マルコポーロが飲んだヤシ酒 (濱屋 悦次)
今日も飲まれている「はじまりのビール」 (田村 功)
四杯のマッコリ―韓国の濁酒の味わい方 (太田 心平)
酒造り集団「杜氏」 (小泉 武夫)
本格焼酎の楽しみ (江口 まゆみ)
海を渡った「はじまりの酒」―アメリカにおける日本酒の今 (鈴木 基子)
必要があって次の論文を読みました。
菅原国香「明治初期の化学」『化学教育』第22巻第4号(1974): 247-254
有用な概説になっています。個人的には1冊の本になっていてほしいと思います。
ひとりで7時5分。室温11度。今日は幼稚園児と2度外出しました。1度目は、マックチャンに昼食を買い出しに、2度目は、おおきいちびが小学校の宿題(?)でエビ天を作るというのでエビ天の買い出しです。寒い。外を歩いていて、寒さが身に滲みました。1年で一番寒い時期ですから、当然かもしれませんが、ほんとうに寒さがこたえました。
夕刻、アマゾンより次の本が届きました。
高田 純
『世界の放射線被曝地調査:自ら測定した渾身のレポート』
ブルーバックス、講談社 新書、2002
今回の原子炉事故にあたってのリプリントは、2011年4月27日です。事故の状況を盛り込むには早すぎるリプリントですが、むしろ、2002年の時点での状況調査と防護法と理解すべきでしょう。第1部が核災害やそれによる被爆の概要、第2部が現地調査に基づく放射線被爆地のレポート、第3部(特別章とあります)が一般人のための放射線防護方法です。
→最初と最後だけまず目を通しました。「一般人のための放射線防護方法」は、しっかりと基本がまとめられています。この本のメリットは、第2部の現地調査でしょう。
→「1ミリシーベルトと等しいリスクの例としては、紙巻きたばこ50分の喫煙、自動車5千キロメートルの走行」とあります。さらに「もし毎日20本喫煙し、それを30年間続けたならば、放射線被曝換算で、4300ミニシーベルトの半致死線量に相当するリスク」となる、とあります。
ひとりで6時10分。室温12度。外はこの冬一番の寒さだそうです。室温がそこまで下がっていないのは、昨夜いつもより遅くまで作業をしていたせいです。卒論・修論の最終提出日。
卒論を書いている・書いた諸君、修論を書いている・書いた諸君、提出までは緊張を切らさず、作業を進めて下さい。12時前に家をでました。1時過ぎに研究室で判子を一人分押して、片づけ作業に着手。疲れましたが、レスポンスシート1回分は整理できました。
4時から会議。6時までの予定でしたが、6時まではかかりませんでした。
ひとりで6時45分。室温11度。やっと7時前に起きることができました。燃えるゴミの日。3袋できています。年末からもち越した懸案の歯医者ですが、朝一番で電話をして11時の予約が取れました。
大幅に崩れていて、やり直さないといけなくなる可能性が高いが、ひとまず応急処置をして様子を見ましょう、ということでした。
やり直すというのは、ブリッジをはずすことです。数回はかかる大仕事でしょう。選択は微妙なところですが、私の歯は応急処置、応急処置で来ていますから、しばらくのつなぎということで腹をくくるしかないでしょう。
30分ほどで今回は完了しました。昨日記したネットワークの遅延ですが、ちびどもも文句を言っています。歯の治療を受けているときはなかなか前向きな気持ちになれないのですが、やることは簡単です。まずは、モデムの再起動。おおきいちびがお風呂に入っている間に行いました。
10秒もしないうちにもとにもどりました。J-COM さんに電話してきてもらうのは面倒だなと思っていたのですが、その必要はなくなりました。やれやれ。[open access to back issues of Bulletin for the History of Chemistry]
[CHEM-HIST] 化学史MLで流れた情報を備忘のため、そのまま引用しておきます。
The ACS Division of the History of Chemistry (HIST)は、その発行する雑誌Bulletin for the History of Chemistryに関して、2008年以前の号は Open Access とするという朗報が編集委員のCarmen Giuntさんより挙げられています。
サイトは、次。
open access to the Bulletin for the History of Chemistry[中川保雄『<増補>放射線被曝の歴史』を読む]
生物学史研究会のサイトに次のお知らせがありました。
年末に増補版が出版された中川保雄『放射線被曝の歴史』の合評会を開くそうです。
日時:2月11日(土・祝) 午後15時〜17時45分
場所:東京大学駒場キャンパス14号館3階308号室
タイムリーな企画です。コメンテーターとして、上田昌文さん(市民科学研究室・低線量被曝研究会)、高橋博子さん(広島市立大学広島平和研究所・アメリカ史)、瀬戸口明久さん(大阪市立大学・生物学史)の3名の名前があがっています。適役でしょう。
参加はオープンなようですが、本書を読んだ上でご参加くださいとあります。
ひとりで7時20分。室温11度。一度5時に眼が覚めましたが起きることができませんでした。ゴミの収集は今日からです。プラスチックと缶・瓶。起きてコーヒーを飲んでから外に出ましたが、刺すような寒さではありませんでした。
朝からネットが遅くなっています。また(昔もこういうことがありました)、機器のトラブルなのでしょうか? 一日回復しませんでした。
台所の水道の蛇口の出口の部分がおかしくなっています。水がびちゃびちゃ飛び出します。確かセイユウに部品があったように思われます。昼食後、暇にしている幼稚園児を連れて、荻窪のセイユウに探しに行くことにしました。
まずポケモンのパックゲームを2回。寄ってきたお友達といろいろしゃべっています。それから部品探しに。部品そのものはポケットに入れて持ってきています。どうやら、水栓補修用品の節水泡沫器というのがそれのようです。呼び13水栓用とあります。見た目では大きさが違うように見えます。レジに持っていって見てもらいました。レジのおばさんはノギスを持ち出して、内径を測っていました。見た目の大きさは違うが内径は同じだということです。なら OK です。その商品を購入しました。
それから再びおもちゃ売場に行きました。立て替えでポケモンカードを1パック欲しいと言います。新しいセットをみつけて、10分以上迷っていました。いつもの5枚入りのパックを一袋購入してから、おもちゃの電車のコーナーでしばらく遊んでいました。私はすこし遠くの階段に腰掛けてみていました。
遊んでいるうちに新しいセットが欲しくなったようですが、ママと相談してから、ということで説得し、地下1階でおやつを買って帰途へ。
購入した節水泡沫器で問題はありませんでした。水の出が見違えました。まっすぐにスムーズに出ています。
予定通り、仕事を再開しました。仕事に関わる多くのメールがやってきました。
ひとりで7時25分。室温11度。お正月はわりと寒さが緩んでいました。また北風が強く吹いた昨夜から寒くなっています。[赤坂サカス スケートリンク]
今日は約束によって、ちびどもをスケートに連れていきます。幼稚園児はスケートが好きではないということで、ママと東急&ヨドバシに行きます。
→ちいさいちびの起床が遅くなりました。待ちきれなかった幼稚園児が先に東急に行きました。スケート部隊は予定より1時間遅れて11時頃家をでました。乗換案内では、原宿で地下鉄千代田線に乗り換えるのが一番はやいとでました。その通りに動きました。原宿はすごい人出です。まだ初詣の人たちが大勢見えていました。
赤坂の駅にはちょうど12時に着きました。お腹が空いたというので、先に食事。BIZ ビルの地下1階です。うどん屋さんにしました。ちびどもは親子丼、私はエビ天うどん。場所からしてこんなものでしょう。
食後1階に出て、リンクへ。いつもよりいくらか混んでいますが、問題はないレベルです。ちびどもの分だけチケットを購入し、靴を借りました。たぶん1年ぶりです。最初はこわごわと滑っていましたが、そのうち体が思い出したのでしょう、ふたりで上手に滑っています。
私はしばらくは、リンクサイドの太陽の当たる場所でリンクの上にある大画面を見たり、ちびどもを見たりしていましたが、日が当たる場所がなくなってからは、室内に退避し座っていました。室外で風が吹くと寒いが、室内で風がないと耐えられる寒さでした。
2時間ほど滑って、リンクの氷の清掃による休憩。ちびどもはもうすこし滑ると言います。といって、再開したら、すぐに戻ってきました。温かいココアがほしいと言っています。リンクの隣のスターバックスはとても混んでいます。隣のTBSの社屋に入ることにしました。スケート靴を一度返して、TBSの社屋の前に行くと、なんと閉まっています。「計画停電のためにこの扉は閉めている」という掲示。通用門からは入れるようですが、なかのお店が閉まっているのに入っても意味がありません。
ちびどもと相談して、リンクに戻るのではなく、原宿に行くことにしました。
原宿は竹下通りもすごい人混みです。それでもちびどもは3点のアイドルショップに入り、合計3点の買い物をしました。
できるだけ人混みを避けるため、竹下通りからまず明治通りにでて、ラフォーレの方から帰途につくことにしました。
意外や意外。表参道にも屋台が並んでいます。初詣も参拝ですから、屋台が出ても不思議ではないといえ、あの通りに屋台が並んでいると通行の邪魔ですが、出ているものは仕方がない。新宿方面行きの乗り場は、初詣客のために、いつもと異なっています。明治神宮の中にはいってから臨時のホームに向かいます。
ちいさいちびは久しぶりの外出で運動もし長距離歩きもして疲れたようです。席をひとつ見つけて座らせました。
帰りの総武線も混んでいましたが、ひとつの席はありました。途中からふたつあき、ちびどもは並んで座らせました。
ひとりで7時50分。室温12度。明後日から通常モードに戻します。まだお正月モードです。妻とおおきいちびは10時過ぎにバーゲンにでかけました。新宿です。どういう結果になるでしょうか?
[1年のはじまりは?]
年末からぼちぼちとどうして Janus の月の1日が新年のはじまりとされたのか調べています。
1月1日だから当然だと思われる方もいるかもしれませんが、Janus の月は、現在の暦法では1年の最初に当たられているから1月と訳されますが、本来「1月」の意味はありません。ヤヌスの月です。
私の疑問としているのは、季節との兼ね合いです。たとえば、改暦する前のヨーロッパでは、1年は多くの国では、春分の日に始まっています。春分の日が1年の始まりというのは理解できます。(日本の挨拶でも、「新春」と言います。そういう表現には、春分はじまりがぴったりです。)
そういう意味では、冬至というのもひとつの理解できる選択肢です。(もちろん、この考えの延長線上には、夏至や秋分というのもありでしょう。)しかし、Janus の月の1日(正確には第1日目)が新年とする季節上(太陽と地球の位置関係上)の理由はただちには思いつきません。
ネットで検索をかけると、ウィキにはわりとよい説明があります。ヨーロッパの多くの国では、16世紀の間に、1年の始まりをJanus の月の第1日に変更したとあります。きちんとした表がありますから、その情報は信用してよいでしょう。
(グレゴリオ改暦の前にすでにこの変更はなされているようです。)
事実としてはそれでよい。しかし、私の知りたいのは、その変更の季節上の理由です。全部を見たわけではありませんが、日本語のサイトではすぐには理由が見つかりません。考えられる理由としては、冬至(クリスマス)のあとの最初の月を1年の始まりとしたという説明だと思います。
もしこの点に関して詳しい方がいたら、ご教示下さい。(個人的には、東アジアでは一般的な旧正月、旧暦のお正月の方が季節の変化には対応していると思います。)
(また個人的には、新学期が4月始まりというのも、合理的な理由があると思います。春分のあとの最初の月からスタートはちょうどよい。日本の場合には桜の季節にも合いますし。
今日本の多くの大学で導入が検討されている9月入学ですが、昔の資料を見ていると日本でも昔(おそらく第2次世界大戦前か)は9月はじまりだったようです。欧米の習慣にあわせて、9月スタートもとくに不合理というわけではないと思います。暑い夏が終わって、頭がもとにもどったところから新学期がはじまるのもありだとは思います。)
あけましておめでとうございます
ひとりで4時40分。室温14度。ちびどもが紅白をずっと見ていたことだけでは説明のつかない室温の高さです。実際気温がいくらか上がったのでしょう。
自分のために、年初の予定を記録しておきます。
1月5日夕刻 会議
1月10日 駒場の授業(火曜日ですが、午後は金曜日の授業の振替)
1月12日 年明けの外語の授業の開始
1月13日 午後 準備室会議
1月14日&15日 センター試験
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