ひとりで4時、室温9.2度。外は2度とか3度だと思われますが、室温は9度台を保っています。午前中に1点、午後に1点、原稿を仕上げました。午前中のものは、純粋に編集だけです。4人の方の原稿と3点の写真をひとつの原稿にまとめました。午後は、刷り上がり1頁(400字詰め原稿用紙換算4枚)の短いエッセイです。
どなたかのつぶやきで 八耳 俊文 「青山学院女子短期大学における 教養教育科目「科学史」」http://www.agulin.aoyama.ac.jp/opac/repository/1000/17047/N22U071_086.pdf の存在を知って、ダウンロードし、画面上で読みました。故筑波先生が青山にいらしたことを知りませんでした。筑波常治さんは、駒場の学生時代、授業を受けて、最も印象深かった先生の一人です。たぶん昔の図書館の4階、20人キャパのゼミ室で、400人教室でも十分マイクなしで通る声で講義をされたのを聞きました。専門は日本農学史です。日本の栽培植物の話をされていたように記憶します。古い時代のおおねとかはくさいとか。今日本の伝統食材になっているものも、外からきたものが少なくないということがわかった気がします。植物をイメージしてでしょう、服は全部緑。スーツもネクタイも緑系。特有の愛嬌のある顔と倍音の入ったよく通る声が聴衆に大きな印象を残す先生だったと言って良いでしょう。
[雪の朝]
ひとりで5時15分、室温8.9度。予報とは違って、雪は積もっていません。雨が降ったようで、地面が濡れています。気温がそこまで下がらなかったということだと思います。雪に変わる可能性はあるのでしょうか。
→7時25分、資源ゴミ(紙とペットボトル)を出すために外にでました。雪に変わっていました。積もる雪かどうかはわかりません。雪を期待していた息子は喜んでいます。
→雪は積もり始めました。雪が積もると、近所の方のどなたが出かけられたかが足跡ではっきりします。しかし、それも半時間もしないうちに消えています。息子には待望の雪ですが、雪遊びをするにはちょっと水分が多いように思われます。[中学卒業生]
昨日研究室で作業をしているとき、休憩時間に和歌山の新聞のサイトをみていました。和歌山県全体の中学卒業生の数は、1989年がピークで1万8014人、それから減少を続け、2014年度卒業見込み者が9700人、現在の小学1年生が卒業する頃には7960人となるそうです。ピーク時から25年でほぼ半減です。
どうなる、わかやま? です。
ひとりで3時50分、室温8.4度。空気が冷たい。冬の寒さが舞い戻っています。時間から考えれば、暖房をつけなければ、もうすこし室温が下がっていくと思われます。昨日の時点で今月の100枚を突破しました。
午後に授業。今学期の終末処理に入っています。
→8時42分武蔵境発の電車で大学へ。残っている仕事を一個ずつ片づけます。午前中はずっとデスクワーク。
午後は、3限4限5限。いつもの怒濤です。
本日の4限の発表は、「コンフリクト耐性プロジェクト」に参加した旅行の報告と、「福島第一原発と福島県浜通り」の2件でした。我々教員はもちろん、文科省から支援を受けた(申請してお金をもらった)プロジェクト「コンフリクト耐性プロジェクト」について、概要の説明を受けていますが、実際の実施例については何も知りません。大半の学生諸君は、そもそも存在を知らないと思われます。運営に難しさはあると思いますが、参加した学生たちには意味のある体験になっているようです。簡単ではないことは承知していますが、こういう経験を学生全員が受けられると、すばらしいと思います。
次のものは、福島県出身の学生によるもの。学生諸君は地元の状況に絶句していました。福島第1原発の事故で被災者を苦しめているのは「社会の分断」だとまとめてよいと思われます。日本にメディアは存在する。しかし、ジャーナリストは少ない。5時54分多磨駅発の電車で帰ってくることが出来ました。疲れました。
明日は雪が降り、最高気温が3度という予報。おお。
夜半に目覚めてすこし仕事。そろって7時5分、室温10.7度。昨日は最高気温が16度を超えましたが、今日はまた冬に戻るそうです。予報では、最高気温9度。雨戸を開けると、冬の空気が見えました。
[洗濯機取り替え]
朝一番で電話がありました。昨日購入した洗濯機は、9時半から10時半の間に来るそうです。通路の整理は、子どもたちがまだでかけないうちから行っていました。ぎりぎり階段を通りますが、ぎりぎりなので、極力、通路はまっさらにしておく必要があります。
9時半が過ぎたら、すぐに来てくれました。いつも作業されているのでしょう。迅速です。新しい洗濯機をトラックの外に出し、古い洗濯機を外し、トラックに積み込み、新しい洗濯機を持ち上げ、設置します。古い洗濯機を外したらすぐに洗濯機設置台を清掃してくださいと頼まれました。けっこう汚れています。清掃が終わったころ、新しい洗濯機を2階まで持ってきてくれました。
設置終了後、排水溝がけっこうつまっていて、排水がすこし漏れています。後で掃除しておいて下さいというアドバイスがありました。リサイクル費用(¥2592)の支払いを終了し、作業員のお二人を見送ってから、掃除にかかりました。
ついでなので、風呂の排水口の掃除を先に行い、それから洗濯機設置台の排水溝の掃除。前に一度やっています。前は相当苦労したことを記憶しています。2回目はさすがにもうすこし素早くこなすことができました。びっくりするぐらいゴミ/泥がたまっていました。
前の洗濯機よりもいくらか低い感じです。内容量(70L)はそのままに装置全体はわずかにコンパクト化できたのではないかと思われます。無事に動くことを確認して、私は、仕事に向かうことにしました。午後に会議です。11時6分、私の乗っている中央線が駅に滑り込むと同時に、西武線が発車していました。駅の外にでるには最適のタイミングです。駅前のいつものパン屋さんでいつもと同じ昼食のパンを買って西武線に乗り込みました。
デスクワークをすこし。12時40分から会議。会議は短く終わったので、すぐに帰途に着きました。家で仕事をします。13時16分多磨駅発の電車に間に合いました。今月締切の仕事がもうすこしあります。
しかし、まず、その前に明日の授業の準備です。
→明日の準備はすぐでした。それから最後に残っていた卒業論文を読み通しました。修士論文2点、卒業論文7点は読了です。
たぶん、明日とか明後日とかで、別に読むべきものが降りてくると思います。こういうのは淡々とこなしていくしかありません。
ひとりで5時20分、室温12.5度。昨日よりも室温が上がっています。しっかしとした雨足の雨が降っています。
我が家の受験生は、昨日と同じ時刻に起こし、昨日と同じ時刻にでかけます。普通の小学生が家をでる頃には雨が上がっていました。雨の上がったなか、25分の散歩。天気がよくなりそうな空。雨上がりの明るい青空が期待できます。
[我が家の洗濯機]
散歩して帰ってくると、妻から、洗濯機がとうとう壊れたという報告がありました。寿命だと思われます。→調べてみると、壊れた洗濯機は、2010年12月に購入しています。クリスマスの前です。本体で4万5千強、リサイクル費用2千5百円強がかかっています。おおよそ5万弱です。日々の必需品ですから仕方ありません。長女も連れて、洗濯機の買い出しに。吉祥寺のヨドバシ。けっこう遅くなっていたので、まず昼食。長女の選択で寿司屋。
その後洗濯機売場で物色。一度決めておにいさんに相談すると、それだとこちらがおすすめですの声がありました。また相談しなおして、今のものよりワンランク上の機種にしました。Toshiba AW-7D2-L です。洗濯機設置料金を含めて、\63,440。お金はあらかじめ銀行で降ろしていたのですが、妻に1万円借りて支払うことになりました。
リサイクル料金は、明日業者の方に直接支払います。
私は支払いが終わったらそのまま駒場へ。駒場の授業の最終回です。妻と長女は、まず長女の眼鏡の調整、それからちょっとした買い物をして帰るようです。
駒場には2時半に着きました。いつものルートを辿ったあと、図書館で雑誌を読んでいました。私の研究テーマで読んでおきべき新作論文というものはあります。全部はフォローし切れていませんが、こういう機会にできるだけしっかりと読んでおこうと思い、読んでいました。4時過ぎて、科哲研究室へ。今日は火曜日なので、メンバーはいつもと違っていました。みなさん急がしそうです。1分だけ事務の方と打ち合わせすることが出来ました。7時前に帰宅することができました。ちいさいちびも帰っていました。
[2014駒場医学史]
すこし役に立つこともあるかと思い、今回の「2014駒場医学史」の授業の進行を全体として掲げておきます。初回:10月10日 打ち合わせ 20人の自己紹介
2回目:10月17日 S君「ハーヴィ研究の現状と展望」
一般参考文献 月澤美代子「ハーヴィとデカルト―17世紀オランダにおける血液 循環論の受容とカルテジアニズム」村上陽一郎編『知の革命史4 生命思想の系譜』 (朝倉書店,1980): 65-963回目:10月24日 Aさん「デカルト解剖学」
一般参考文献 山田弘明「デカルトと医学」『名古屋大学文学部研究論集. 哲学』50(2004): 1-394回目:10月31日 H君「18世紀におけるデカルト派生理学の展開」
ホール『生命と物質』第4部(とくにミクロ機械論)5回目:11月7日 S君「自然発生論」
ジャック・ロジェの著作の最初(第1部)
Cf. 逸見龍生訳「ジャック・ロジェ「17世紀前半における医学と科学の精神(一)」『新潟大学言語文化研究』 6(2000): right 13-256回目:11月14日 K君「カンギレム『反射概念の形成』」
7回目:11月28日 H君「フーコー『臨床医学の誕生』」
8回目:12月5日 Kさん「生体の基礎ユニットとしての線維」
◎Hisao Ishizuka, "The Elasticity of the Animal Fibre: Movement and Life in Enlightenment Medicine," History of Science, xliv (2006): 1-349回目:12月12日 Sさん「細胞学説」
◎ホール『生命と物質(下)』第40章「シュヴァンにおける細胞」&第41章「シュヴァン以降の細胞(1840-1860)」
参考文献:林真理「細胞概念の展開―科学史研究における比較の事例として―」出口顕・三尾稔編『人類学的比較再考』国立民族学博物館調査報告 90(2010): 57-7510回目:12月19日 Iさん「パスツール」
◎田中祐理子『科学と表象:「病原菌」の歴史』(名古屋大学出版会、2013)第3章「パストゥールと胚種」11回目:1月9日 S氏「コッホ」
◎田中祐理子『科学と表象:「病原菌」の歴史』(名古屋大学出版会、2013)第4章「コッホと細菌学的方法」12回目:1月23日 S君「ペストの衝撃」
◎飯島渉『感染症の中国史』(中公新書、2009)第1章13回目:1月27日(振替で火曜日となっています) M君「コレラ・マラリア・日本住血吸虫病」
◎飯島渉『感染症の中国史』(中公新書、2009)第3章
+S君『感染症の中国史』第2章「近代中国と帝国日本モデル」おまけの回:1月30日(金曜日)同じ時間帯(4時半〜)、同じ教室(14号館308室)にて。
齊藤響氏修士論文「ウィリアム・ハーヴィにおける知覚、感覚、運動の生理学」
公開討論会。関心のある方はどなたでも自由に参加して下さい。第3章の最後、飯島さんの主張のポイントとなるところをそのまま引用しておきます。「戦後の日本は、近代日本の植民地医学をほぼ継承しました。しかし、戦後の感染症や寄生虫の研究の基礎に植民地医学があったことは、封印されています。そして、中国も日本住血吸虫病対策に日本の植民地医学が関係したことはこれを封印したのでした。」(p.187)
→1月27日の授業のときに、対策が原因が寄生虫、原虫、細菌、ウィルスによって異なるだろうという話がでました。日本住血吸虫病は寄生虫、マラリアは原虫、コレラはコレラ菌によります。いくらか確認しておきたいことが生じたので、ネットで検索して、いろいろ読んでいました。
その際に次の論文にヒットしました。
瀬戸口明久「医学・寄生虫学・昆虫学:日本における熱帯病医学の展開」『(京都大学)科学哲学科学史研究』1(2006):125-138
さすが瀬戸口氏。好論文です。
熱帯病医学の制度化の最初は、英国で、19世紀末であった。1899年、ロンドン熱帯医学院とリバプール熱帯医学院が設立された。ついで、ドイツ、オランダ、アメリカ等、熱帯に植民地をもつ国々で研究体制が整っていった。ロンドン熱帯医学院とリバプール熱帯医学院では、既存の医学研究機関とは完全に独立した形で設立され、既存の医学分野との差異化をはかるため、「当時の医学界の主流だった細菌学をほとんど無視して、寄生中学や昆虫学などの動物学を重視している。つまり英国における「熱帯医学」は、実験室医学とはまったく異なるフィールドの医学として構想されたのである。」(p.137)→15.1.29 柴田氏がちょうど次の論文を引用していました。(柴田和宏氏ブログ)
瀬戸口明久「『自然の再生』を問う:環境倫理と歴史認識」鬼頭秀一、福永真弓編『環境倫理学』(東京大学出版会、2009年)、160−170ページ。
こちらも好論文ということです。
ひとりで4時30分、室温12.2度。年が明けてからもっとも高い室温です。天気予報を見てみると、本日の最高気温が14度、明日が16度です。2日間、暖かい日が続くことになります。水曜日は一転して最高気温が5度。体調管理に気を付ける必要があります。我が家の受験生のはじめての受験があります。妻は6時10分、おおきいちびと小さいちびは6時20分に起きる/起こすことになっています。
午後に授業。大学に着いてから、本日締切の書類を1点提出します。
→書類は、朝一番で自宅から送信しました。10時半武蔵境発の西武線で大学へ。研究室へ行って、図書館で借りていた本を2冊もち、まず図書館で返却、それから生協食堂が開店と同時に昼食。昼食後、生協購買部で簡単な買い物をして研究室へ戻りました。
午後の授業はすぐでした。[西荻丼]
昨日外を歩いているとき、西荻のフリータウンペーパー「西荻丼」を見つけて、一部もらってきました。2015年冬第42号です。特集は、西荻の暗渠:幻の松庵川探検。いかにも西荻らしいお店が紹介されていました。「りげんどう」と「食とセラピーていねいに。」です。こうした種類のお店に関心のある方は、ネットで検索をして一度行かれるとよいかもしれません。私は西荻丼ではじめて知ったお店です。
もちろん、関心があるのは、暗渠の方です。松庵川と名づけられていますが、もとは、用水路です。田舎には、この種の用水路(地元の言葉では溝)がいっぱいありました。西荻も昔は田舎だったので、こういう用水路が一定数諸所を走っていたのでしょう。
ちなみに、こういう水路、溝は、クリーク creek と呼ぶようです。
ひとりで4時40分、室温9.0度。
妻は7時半、ちいさいちびは7時40分に起こすよう言われていました。午前中に仕事があります。
→9時54分武蔵境発の西武線。同僚の方と電車でいっしょになりました。同じ仕事です。その方は電車を降りてからかなり早足。9時スタートが当たっていたようです。わずかに遅刻です。
私は10時半スタートなので、余裕がありました。
12時前に帰宅することができました。スケジュールを見ると、金曜日まで休みなく仕事が続きます。2時過ぎにちいさいちびが帰宅。バスケの見学で駒沢体育館に行っていました。1分後ぐらいに妻が帰宅しました。吉祥寺に行っていました。
ひとりで4時40分、室温9.2度。久しぶりに誰も起こす必要のない朝。みんなゆっくりできます。私はちょうどよいので、ノルマを果たしたいと思っています。まず、シラバスを完成させることができればと思います。息子が6時15分過ぎに起きてきました。女性陣はゆっくりだと思います。吉本家の男性は朝が早い。
シラバスの作成を頑張っています。大学当局からの指示で、英語のシラバスもつくれということです。これはこれで時間がかかります。
同僚の先生方とは、日本語でやっている授業の英語のシラバスを出して、そのシラバスを読んで授業にやってくる学生というのは考えられないよね、という話をしていました。ですから、英語のシラバスの効果というのは、英語でもどういう授業をやっているのかわかるというそれだけです。SGU で約束したことなんだそうです。仕方ないなと言いつつ、去年から全部英語バージョンは作っています。もちろん、日本語のものより簡略化しています。
→ここまで時間がかかるとは思っていませんでしたが、ちょうどおやつの時刻に何とか一通り完了しました。かなり、えいや、で、つくっている部分があります。とくに英語。余裕があれば、ブラッシュアップを試みます。締切は、1月30日です。JST のサイトに、 学会年鑑 というのがあるのがわかりました。結果は基本的事項だけですが、日本の学会に関する検索がかけられます。
[ドラゴンボールがやってきた]
2週間前の連休中、ひとりで留守番をしていたとき、The Karate Kid(1984), & The Karate Kidリメイク版(2010)を見ていました。疲れたなと思い、チャンネルを適当に変えているとオリジナルの『ベストキッド』をやっていたのです。ちゃんと見た記憶がないので、見ることにしました。最後まで見てしまいました。
息子は、カンフー版カラテキッドの最後の方に戻ってきて、すこしだけ一緒に見ていました。ジャッキー・チェンが老師役を演じているところはけっこう気に入ってよく見ていました。何かでドラゴンボールを知っていたようです。ドラゴンボールの漫画が欲しいと言います。
その週の後半から、『ドラゴンボール』をすこしずつ買ってやっています。
今だいたい半分ぐらいまで行ったでしょうか。カメカメハーと叫びながら、家のなかをぴょんぴょんしています。腹筋や腕立て伏せもやってみています。
なんと、受験生の長女も手をだして、面白かったようです。弟といっしょにカメカメハーと叫んで、ああ、受験生なのに、と言っています。
ちなみに、鳥山明さんは、1955年生まれですから、私の3歳年上です。デビューは1978年で、最初のヒット作『Dr.スランプ』は1980年連載開始です。私は1981年に大学を卒業し、院に入っています。ちょうど学生時代に鳥山明さんはメジャーデビューしたことになります。知ってはいましたが、きちんと読んだ記憶はありません。『ドラゴンボール』の連載開始は、1984年です。
ひとりで5時10分、室温10.3度。長く降っていた冬の雨ですが、止んでいるのでしょうか、すくなくとも雨音は聞こえません。→子どもたちが出かける頃には、雨上がりの青空となっていました。寒さもすこし緩むようです。日曜日に入った仕事の準備をこの金曜日・土曜日には行う必要があります。→準備作業そのものは、午前中の早い時間帯に終えることができました。もうすこしやっておいた方がよいことはありますが、基礎作業が終わっていると安心です。
午後遅く、久しぶりに駒場の授業。
そう言えば、駒場の来年度のシラバス入力の連絡は来ていたのか、来ていなかったのかと思い、ちょっとだけ調べていましたが、いずれにしても記憶がありません。と思ったら、昨日、3月2日締切です、という通知が来ました。本務校外語の1ヶ月以上後になります。まあ、10月からの授業ですし、もうすこし遅くてもよいのかもしれません。駒場には3時半過ぎに着きました。判子を押してから生協へ。生協購買部で卒業生のT君に会いました。5限にフランス語の試験だそうです。四方山話。おおきいちびが文房具、文房具と言っていたのでクリアーファイルをすこしだけ買いました。4時過ぎに科哲教室へ。ここでもしばらく雑談してから、4時半に教室へ。
ほぼ6時に終わり、帰途。急いで夕食を食べてから、テレビをつけました。アジアカップの決勝トーナメントが始まっています。日本は、UAE に先制されて前半を終わりました。ハーフタイムに息子といっしょに急いでお風呂に入り、寝室で後半を見ました。柴崎の見事なゴールで同点にはしましたが、2点目をとることができず、結局PK戦。本田と香川が外して、日本はここで敗退。負けるときはこういう感じです。目指しているサッカーは、よいと思います。中心選手に衰えがあるのでないかと私は感じています。[僕はソ連を知らない]
昨日、5限のTA をしているロシア文学専攻の院生と授業終了後しばらく話していました。スロベニアの成立は、1991年です。ユーゴスラビアの崩壊した年です。もちろん、旧ソ連の崩壊の年でもあります。ユーゴは6つの国に分かれたそうです。
彼が言うには、ぼくはソ連時代の作家を扱っているが、生まれたときにはもうソ連はなく、実感としてソ連を知らないそうです。我々世代だとユーゴと聞くと、チトーという名前が自動的に出てきますが、今の学生諸君にとっては、そうしたものすべてが歴史的過去に過ぎないということです。
言われてしまえば、そうです。
そして、今年は、神戸の大震災や地下鉄サリン事件から20周年となります。個人的には、1994年に在外研究でロンドンに留学していて、大震災はロンドンでニュースを聞き、帰国して、日本社会への再適応に苦労しているときに地下鉄サリン事件は発生しています。何かが変わった年としての印象がとても大きいのですが、いま大学にいる学生諸君にとっては、生まれた前後の話で、もちろん、こうした出来事を体験はしていません。歴史的感覚が異なるのは当然なのですが、上の世代は、なかなかにこうした体験の不在を想像するのが難しい。
学生諸君と話しながら、ああ、そういえば知らないんだよね、きちんと説明したうえで紹介する必要があるな、というふうなことになります。
ひとりで5時20分、室温9.1度。
朝食を食べてすぐに昨日の会議で発覚した仕事をカレンダーに書き込みました。この時期は、なにやかやと忙しい。間違いなく大学教員の仕事ですが、不定期に不規則に入ってくる仕事なので、ばたばたします。昼休みに面談、その後3限4限5限。
9時54分、中央線が武蔵境に滑り込むと同時に西武線が出発していました。こういう場合は駅の外。まず、パン屋さん。次いでヨーカードーの1階へ。扉の前で1分待ちました。入ると1階は今月で売り尽くしとあります。それなりに便利だったのですが、なくなるものはなくなるで仕方ありません。
雨のなか、改札を通り、電車に乗り込みました。10時6分武蔵境発の電車です。大学に着いて、まず入試係によって書類を受け取りました。それから2階へ上がり、印刷センターで約400枚の印刷。けっこう重い紙をもって研究室へ。デスクワーク。
11時過ぎに I 先生がお見えになりました。お昼休み、学生が面談に見えました。もしかしたら難しい話かと心配したのですが、とても簡単な話で、大丈夫です、問題ありませんの回答ですみました。
3限がスタートすると例によって怒濤です。
4限は、フランスの風刺漫画の伝統とダーク・ディズニーの話でした。タイムリー。
5限は、スロベニアのドキュメンタリー。「SLOVENIJA -moja dezela-」「スロベニア 私の故郷」上映&解説。スロヴェニアに1年留学していた学生によるものです。こういうのがあるのが外語ならではでしょう。
ひとりで4時35分、室温9.4度。朝のうちに冷たい小雨が降り始めました。どんよりとして肌寒い冬の一日となります。会議の日。午後、3つの会議が連続します。すべて大学院関係の会議です。
→走ると10時6分発の電車に間に合ったかもしれませんが、走ることもなかろうと考えて、駅前のパン屋さんで昼食のパンを買ってから10時18分武蔵境発の電車に乗り込み大学へ。メールボックスの書類を受け取ってから、研究室へ。
デスクワーク。受け取った書類により、25日の日曜日に仕事があることがわかりました。急いで準備をしなければなりません。残っている採点は、終わらせることができました。得点の分布もほぼ OK でした。
会議は1時40分スタート。30分程度の休憩を挟んで、2番目の会議は、3時10分スタート。2つの会議はほぼ連続して、終了が6時20分過ぎでした。そのまま帰途。雨は小雨です。私は傘をさしませんでした。駅で同僚の先生3人といっしょになり、そのまま6時40分多磨駅発の電車で帰ってきました。中央線では私が最初に下車します。
ちいさいちびも帰っていて、夕食を食べていました。私は先にお風呂、それから夕食。
ひとりで4時40分、室温11.1度。室温レベルでは寒さがすこし緩みました。天気予報を見ていると、明日の午後にはまた冷たい冬の雨が降るようです。東京でも奥多摩や八王子あたりは雪になるかもしれません。
シラバス作成作業に取りかかっています。来年度、まるまる新しくする部分がまだ残っています。まあ、でも、終わりが見えてきました。
[フィリピンの原子力発電]
昨日4限の授業で、フィリピンの原子力発電の現状について質問がありました。手元にネットに繋がったものがあれば簡単に検索できたのですが、持参していなかったので、その場では、ホワイトエレファントのことを考えると、そう簡単にできたとは思われないという推測を述べました。
気になったので、調べてみました。知らなかったのですが、フィリピンは、地熱、水力、石炭、天然ガス等の資源が豊富であり、2011年時点でエネルギー自給率が59.1% だとあります。日本には望み得ない数字です。
原子力に関しては予想通りでした。ホワイトエレファントのあと、計画はあったが、原子力発電所は設置されず、現状、稼働している原子力発電所は0です。また、2011年の福島第一原子力発電所の事故を受け、原子力電源開発を断念したそうです。
2012年では、石炭38.3%、天然ガス26.9%、石油5.8%、水力14.1%、地熱14.1%、再生可能エネルギー0.4%、です。
地熱の大きさが目立ちます。東南アジアについても調べてみました。ウェブに、松尾雄司・河野誠司・村上朋子「東南アジアにおける原子力発電導入の見通し」 IEEJ, 2008年5月、があります。これによれば、マレーシアは必要がなく当分導入はない、インドネシアは計画はあるが環境が整わず大幅に遅れるであろう、ベトナムとタイは推進体制が整備されているので若干の遅延はあっても比較的順調に原子力計画は進捗するであろう、とあります。
ひとりで5時、室温8.8度。月曜日は、午後の授業。3限4限。
10時18分武蔵境発の電車で大学へ。駅前のパン屋さんで昼食のパンとちびどものおやつのパンを買ってから電車に乗り込みました。
デスクワーク。採点をすこし進め、卒論を2点読みました。そして、シラバスを1科目作成しました。4時16分多磨駅発の電車で帰ってきました。息子がひとりママと家にいました。ちいさいお姉ちゃんは公園へ遊びに行ったそうです。おおきいお姉ちゃんは討論の練習だそうです。
いくらか寒さが緩んだ気がします。お風呂に入るのが楽でした。
ひとりで5時30分、室温8.1度。寒波が東京上空にも居座ったようです。ちびどもはふたりとも今日は朝から出動。お弁当をつくる妻を6時半に起こし、朝から練習のあるちいさいちびを6時45分に起こしました。おおきいちびは自分で起きてくるのを待てばよい。
テレビをつけると北海道が猛吹雪に襲われているとあります。センター試験、北海道ではどうするのでしょう?私のセンター試験は終わったので、今日からシラバス作成に取りかかろうと思っています。どの授業もテーマは決まっていますが、進行をまだ確定させていません。休み半分、シラバス準備半分というふうに今日は過ごそうと思います。
[ちいさいちびの新しいバッシュ]
ちいさいちびは2時半ぐらいに帰宅しました。去年の春、バスケット部に入部して買ったバッシュはもうぼろぼろです。前から新しいバスケットシューズを買いに行こうと言っていたのですが、今日がちょうどよい日です。吉祥寺のスポーツ用品専門店に買いに行くことにしました。
バスケ部員達は、久しぶりの日曜日午後の休みなので、みんなおでかけのようです。駅でひとり、プラットホームで上級生の集団とあいました。
トキワスポーツは、駅から5分でしょうか。まず、足のサイズを測ってもらいました。22.3センチ。23センチから23.5センチの靴がよいということです。3足ほど試着してみて、結局、最初選んだものにしました。
靴をリュックにつめて、お友達集団との待ち合わせ場所へ。コピスのムーミン・・・といっています。20〜30メートル先からちいさいちびはお友達集団を見つけました。ここでよいというので、見送ってから私は戻りました。西荻窪のセイユーで頼まれた買い物をして帰宅。
以上、本日のパパの仕事でした。
ひとりで5時50分、室温10.6度。[例年の業務]
この土日はセンター試験。土曜日は出動、日曜日は私は休みです。
→本日、中央線快速電車は西荻窪に止まりません。が、朝早い総武線の電車は、一部、三鷹で止まるのではなく、中央線のように高尾や八王子まで行きます。その最後の電車に乗ることができたので、三鷹で乗り換えることなく武蔵境まで。武蔵境7時半の電車で大学に着きました。さすがに受験生はまだほとんど来ていません。
センター試験の体制は、今年からかなり変わりました。我々は8時半集合ですが、仕事は1時間後からでした。午前中は社会。午後は、国語と英語(筆記とリスニングは別々に行います)。英語の頃から、冷たい風が吹くようになりました。寒波の接近でしょう。リスニングの試験の終了は、6時10分。片づけにけっこう時間がかかります。大会議室に戻った頃には、そとはまっくらで、寒くなっていました。7時4分多磨駅発の電車で帰ってくることができました。私はこれにて終了。
ひとりで5時、室温10.8度。日本の多くの大学は、センター試験の会場準備で休みです。
アジアカップ終了後、就寝前にキンドル版、ヒロ・ヒライ&アダム・タカハシ新春対談「危険な物質主義の系譜:アレクサンドロス、アヴェロエス、アルベルトゥス」を読みました。実は、キンドルの操作が久しぶりで、ちょっと苦労したのですが、アダム君らしい話になっていました。彼は、ぼくは世界観(の思想史)にしか関心がないと言い切っています。そうであるのならば、日本では、only one かもしれません。
ひとりで4時50分、室温11.9度。この気温だとそれほど寒くは感じません。
ちびどもは6時20分に起こします。ちいさいちびは朝練、おおきいちびはラジオの英語講座。木曜日ですが、大学は月曜日の授業日程となっています。
→昨日より1本遅い電車、すなわち武蔵境10時18分発の電車で大学へ。武蔵境に中央線が到着したのが10時6分だったので、昨日と同じく駅の外にでて、昼食のパンを買ってから電車に乗りました。
大学についてからはばたばたでした。帰宅してからもばたばたでした。
朝から雨が降り始め、気温が上がらず寒い日でした。最高気温で6度〜7度ぐらいだったでしょうか。
ひとりで6時45分、室温9.2度。おおきいちびはもう起きていました。最近はこういうふうに6時半前に起きることもあります。小学生は7時1分。ちいさいちびは7時半すぎです。今日も正午前から会議が2つ。
→10時6分武蔵境発の電車。今日は久しぶりに駅前のパン屋さんでお昼ご飯のパンを買ってから西武線に乗り込みました。大学では、採点ほかのデスクワークに着手。途中気分転換で、お渡しする準備ができたという通知のあった修論を2点もらいに行きました。修論は、審査があるので、この時点ではタイトルを出しません。
11時45分から会議。12時まで。問題がなにもなければこういうはやい会議も可能です。
採点は半分までを目標にしました。半分で今日は打ち切りにして、修論を読み始めました。会議は4時から。ややこしい事態が生じて、案件の数に対して長くなりましたが、6時40分多磨駅発の電車になんとか乗ることができました。帰宅してちょうど7時。ややこしい事態は、ここで書いてもそのこと自体に問題はないと思いますが、身内の事情になるので見合わせます。修論1点は、読み終わりました。まずまずといったところです。
疲れました。
多磨駅で同僚の先生2人といっしょになりました。帰りの電車では、お亡くなりになった同僚の先生のことを話していました。具体的なことをはじめて伺いました。心から哀悼の意を表したいと思います。
ひとりで4時40分、室温8.8度。本日提出締切の書類があります。午前中に仕上げようと思います。午後は、たぶん10年に1度ぐらい当たる業務があり、大学に行きます。割と時間のかかる業務です。
→10時42分武蔵境発の電車で大学へ。すぐに研究室に行って、書類を用意し、事務棟へ。用意した書類を大学院係に提出しました。それから生協で昼食。ゆっくりめに昼食を食べました。それから101教室へ。2限の授業が終わっていることを確認してから中に入りました。2限の先生はまだいらっしゃいましたが、挨拶をして、先週の集中講義の片づけをしました。書類と黒板。
2階の印刷センターで借りていたボックスを返却してから、研究室にもどり、デスクワーク。業務は2時から。1時過ぎに図書館に借りていた本を戻し、卒論を7点もらって帰りました。5時までかかると予想していた業務ですが、4時半ぐらいに終わりました。4時40分多磨駅発の電車で帰ってくることができました。
この業務は久しぶりでした。[2014年度卒論タイトル7点]
受け取った卒論のタイトルは次です。
「メディアの発展が人間・社会に及ぼした影響」
「レーシック技術の功罪」
「売血制度に関する考察」
「空腹対策から考える最適な減量方法とは何か」
「図書館史から得るべき教訓―現代日本における公共図書館の課題―」
「モスクの建築・装飾に表れるイスラーム思想」
「「喋る」ロボットは必要か」
ひとりで5時45分、室温9.6度。ちいさいちびは大会があります。昨日よりは1時間ほどゆっくりめにでかけます。
→妻が応援にでかけました。1勝1敗ということのようです。おおきいちびは3時から1時間だけ塾。ふたりともパンを買って帰りました。あるサイトで、National Geographics日本版日本版創刊20周年 のことを知りました。早速いろんな記事を読んでみました。エボラウィルスの感染源(虫を食べるちいさなコウモリのようです、正確には自然宿主)の話と、アメリカの原発の廃炉の話、それに睡眠の話がとてもおもしろいものでした。
ひとりで4時30分、室温9.9度。ちいさいちびは男子の大会の応援&練習、おおきいちびは塾。おおよそ学校のある時間帯と同じ時間帯にでかけます。妻はお弁当つくり。7時に起こすよう言われています。
[小学生の眼鏡]
小学生の眼鏡をつくるため妻と小学生は、お昼前に家をでて、吉祥寺に。お昼ご飯を食べてから、はじめての眼鏡をつくってもらいます。私はひとりでお留守番。
4時過ぎに帰ってきました。おお、ぴったりの眼鏡を選んでいます。まるで最初からかけていたかの雰囲気です。裸眼の視力は0.3で、1.0まで見えるようになったそうです。
目が悪くなった原因は、ゲームです。最近の小学生にはとても多い現象です。ゲーム機のちいさな液晶画面が目にはもっとも悪いようです。(本はいくらかましということです。)
これで我が家に目のよいメンバーはいなくなりました。
ひとりで4時45分、室温9.6度。誰も起きてこないうちに、メールを数多く出しました。純粋に連絡が必要なことが立て込んでいました。普段、返信が24時間後というようなことはあまりないのですが、今回は、3日後にやっと返信できたものもあります。ふー。意識できたものは全部返信したと思いますが、もし、まだというものがあれば、遠慮なく催促して下さい。この状況では忘れてしまうものは忘れてしまいます。
ちびどもは土曜日学校。午前中で終了します。ちいさいちびはお弁当をもっていって、午後に部活。
[東京女子大前「アテスウェイ」]
おおきいちびのお友達には受験のストレスで泣いてしまった子が何人かいるようです。感染したのでしょうか、おおきいちびもぴーぴー、きゃーきゃー、うるさい。もともとそういう性格ではありますが、気分転換に東京女子大前のケーキ屋さん( à tes souhaits! という名前です。私のフランス語能力ではこのスペルはうまく発音できませんが、日本語表記ではアテスウェイです)に連れていってやることにしました。散歩としてもちょうどよい。
クリスマスのときに発見した最短ルートで行くことにしました。途中、ここは誰々さんち、この家は誰々君のお家、という説明をしてくれます。
アテスウェイはとても人気にケーキ屋さんのようです。店内に10人以上のお客さんがいて並んでいました。おおきいちびはショーケースをよく見ていましたが、結局一番スタンダードなショートケーキを3つ選びました。ちいさいちびの大好きなマカロンも置いていました。これはいずれまた買ってやることになるでしょう。
帰途はちょっとだけ違うルートをとりました。大学周辺にはカフェとレストランが割とありました。少なくとも外語の周辺よりはずっと多い。
帰宅すると、ちょうど妻が PTA にでかけるところでした。今日の PTA は長引くそうです。帰りは、6時を過ぎるということです。[2015外語クオーター制]
さて、本務校のクオーター制も確認しておきます。
2015年度春学期:4月6日〜7月10日
2015年度夏学期:7月13日〜10月1日
2015年度秋学期:10月2日〜1月22日
2015年度春学期:1月26日〜3月31日私の授業は、月曜日と木曜日です。月曜日と木曜日は次のようになります。
2015年度月曜日:4/6, 4/13, 4/20, 4/27, 5/11, 5/18, 5/25, 6/1, 6/8, 6/15, 6/22, 6/29, 7/6 ; 10/5, 10/12, 10/19, 10/26, 11/2, 11/9, 11/16, 11/30, 12/7, 12/14, 12/21, 1/7(木), 1/18
2015年度木曜日:4/9, 4/16, 4/23, 4/30, 5/7, 5/14, 5/21, 6/4, 6/11, 6/18, 6/25, 7/2, 7/9 ; 10/8, 10/15, 10/22, 10/29, 11/5, 11/12, 11/26, 12/3, 12/10, 12/17, 12/24, 1/14, 1/21
休日(祝日)に授業をするのは、4月29日(水曜日)と10月12日(月曜日)、
振り替えるのは、1月7日(木曜日)には月曜日の授業、
こんなところでしょう。→15.1.13 他大学のクォーター制(このカタカナ表記が多いようです)も調べてみました。有名大学では早稲田が先陣を切ったようです。個人的に外語のクォーター制は、変則2学期制だと思います。第4クォーターはほとんどの学生にとってはただの春休みです。第2クォーターもショートビジットに出ない学生(率としてはそちらの方がずっと多いと思います)にとっては夏休みです。いずれも集中講義が入っていますが、集中講義をとるとならいないは学生の自由に完全に任されており、ショートビジットに出る学生にとってさえ毎年毎年ショートビジットに出るわけではないので、大学生活を通算すれば半分以上が休みです。
どの大学でも教員は指摘していると思いますが、このレベルのものをクォーター制と呼ぶのは、大げさだと思われます。
東大の場合も、配布文書から明かなように、セメスター制とクォーター制の併用です。一部の授業がクォーター制に変わるということです。全体としてクォーター制と呼ぶためには、大多数の授業がクォーター制で運営されている必要があると思いますが、その点はまったく明示されていません。
ひとりで5時20分、室温9.3度。昨日の朝の室温との差はわずかですが、すこしだけ寒さが緩んだように感じられます。このあたりは身体の慣れの問題もあるのでしょう。
息子は7時に起こしました。女性陣は7時半でしょうか。本日は、3限4限。そして、5限に駒場。今日の駒場はコッホです。コッホは明治の日本に来ています。途端に論文・エッセイが増えます。現在の医療に繋がる感覚は、コッホあたりからということになるようです。
→10時18分武蔵境発の電車で大学へ。101教室に行くと、今日はもう照明がついていました。研究室に行ってデスクワーク。11時半に生協で昼食をとってから再び研究室へ。教室には15分前に入りました。TA の院生は来てくれていました。教壇で準備をしていると担当の中村先生がお見えになりました。月曜日に続き、2回目です。コンピュータをTAにとりにいってもらい、私は中村先生が月曜日に事務に渡したと言われた資料をとりに教務課に。前と同じ場所に積んでいました。今日は、卒論と修論の提出最終日。もうすこし教務課の前に卒論提出の列が並んでいるかと思ったのですが、列はありませんでした。午後に集中するのでしょうか。
開始の挨拶だけして、教室を出ました。
終了10分前に帰る準備をして101教室に入りました。3限終了時、水野先生がお見えになりました。授業アンケートをとりたいということです。学生たちに協力をお願いしました。4限がスタートしてしばらくしてから教室をでました。あとは、TA の方に任せました。[2015東大クオーター制]
3時40分頃、駒場につきました。学生が少なく感じられます。はじまったばかりなのでしょうか。1号館で判子を押し、生協でノートを買ったあと、事務室へ。なんと橋本先生の部屋に柴田君が見えているということです。橋本先生の部屋に挨拶に行き、ふたりを事務室にひっぱって来ました。四方山話。柴田君は、選管の仕事で上京したそうです。
なお、橋本先生には、来年度のスケジュールの確認をしてもらいました。用件ということではこれがもっとも大事でした。2015年度から4学期制(クオーター制と呼びます)を導入することと、これまでの90分授業を105分にする(15分すなわち6分の1延長する)ことはすでに聞いていました。しかし、来年度の予定をつくろうとすると、日程(学事暦)が必要です。ネットで検索をかけると、「4ターム制の実施」について、「学生・教職員、並びに本学関係者の皆さんへ」宛てた文書が見つかりました。コンセプトは半分ぐらいわかりますが、詳細が不明です。その点を橋本先生に尋ねました。
橋本先生は、学事暦を探し出してくれました。その書類でやっとわかりました。2015年度から東大のはじめる「4ターム制」は実は、セメスター制とクオーター制の併存です。2単位科目は、セメスター制ではこれまでのほぼ同じような形態で行い、クオーター制では国際基督教大学のやり方に似て週2コマ(月・木と火・金の2セット)授業を行います。
非常勤教員に週2コマというのは基本ありえないので、我々は、東大の用語では<セメスター科目>に該当します。私の関係する2学期の金曜日では、9月18日(金曜日)にはじまり、11月24日(火曜日)にも追加で授業を行って、12月11日(金曜日)に最終回(第13回)を迎えるというスケジュールです。
これだと、半月前倒しになり、1回が15分増える、という変更になります。
私の授業に関しては、変更は、おおきいとは言えないと思います。
ただし、全体の時間割、学生個々人の時間割という点では、複雑になるのは間違いありません。
気になっていたのは、2015年度から医科歯科ではじめる「医療思想史(医学史)」との兼ね合いです。こちらは夏に「9月7日(月)から9月10日(木)」まで毎日2コマ×4日が決まっています。これは集中講義形式ですから、同じ週に別の仕事は入れたくありません。東大の非常勤とはうまくずれてくれたので、ほっとしました。
もう1点、リレー講義で金曜日6限に1度だけ本務校でやっている授業があります。これは、一昨日昨日と担当者(調整役)の先生とメールでやりとりをして、今年度から別の方に替わってもらっていることが判明しました。去年はコース長として穴埋めをしたのですが、今年度に関しては、連絡網からはずれていて、状況がつかめていませんでした。
ともかく、バッティングはすべて避けることができました。ほんとうにやれやれです。4時半になる直前に教室に入りました。
6時2分頃終了し、7時前に帰宅しました。なんとちいさいちびが帰っています。いつもは私の方が先に帰宅するのですが、最近はすこしだけはやく帰してもらえるようです。
ひとりで5時40分、室温8.7度。記録更新には遠いのですが、体感としては、さむーくなりました。本日は1限2限3限4限5限。
朝練のあるちいさいちびを6時半に起こし7時前に送り出しました。その後しばらくしてから私も家をでました。7時42分武蔵境発の電車。わずかですが、大学の職員の方の顔が電車のなかにちらほら。101教室の照明をつけ、配付資料を準備してから、研究室へ。わずかに片づけをしてから、再度教室へ。8時を過ぎると学生たちはちらほらと集まり始めます。TA の院生が来たので、ノートパソコンをとりに2階に行ってもらいました。私も、教室に持ってくるのをわすれた資料をとりに研究室へ一度戻りました。教室につくと、河原先生はもうお見えになっていました。
医科歯科の先生方はともかく早くお見えになります。パワポを投射する設定はとくに難しいものではありません。そこはまかせて、河原先生が開いていなかったとすこしご立腹の事務によって、あらかじめお願いしていたプリントアウトをとりに行きました。教務課には2名の方が来ており、すでに仕事をされていました。けっこう不思議な場所に置かれていた配布物を受け取って教室に戻りました。
学生の集まりは、冬の1限なので、よいとは言えなかったのですが、時間が来たので始めてもらいました。学生諸君にとっては、8時半から5時半まで、長い一日になります。
私は無事スタートしたのを確認してから、とってかえしました。キャンパス内で、学部執行部の先生お二人とすれ違いました。一人の先生とは仕事の打ち合わせになりました。以上、まだ朝の9時前です。この時間帯だと中央線は満員電車というほどではありませんが、混んでいます。三鷹駅で総武線に乗り換えることにしました。三鷹駅構内のお店はもう開いています。ちいさいちびが欲しがっていた唐揚げを昼食の一品として購入してから総武線に乗り込みました。
帰宅して、お昼ご飯の準備、洗濯とばたばたしました。
子どもたちは全員が始業式です。12時過ぎて、大きい順に帰ってきました。帰ってきた順に昼食をつくってやりました。ちいさいちびは部活があるので3時半にでかけました。息子は4時から歯医者さん、5時からダンス教室です。3時50分、徒歩で歯医者さんに連れていきました。早く終われば一度家に戻るつもりだったのですが、終わったのが4時35分。息子は早くつきたいようなので、急いで児童館に向かいました。たぶん、おおよそ1キロです。急いだので5時10分前ぐらいにつきました。
息子を残して帰宅し、5時30分過ぎにまた迎えに行きました。ママに言われた通り、帽子、ネックウォーマー、手袋をして入り口から出てきました。
ひとりで3時30分、室温11.6度。本日は2限3限4限。
→9時30分武蔵境発の電車で、大学へ。印刷センターで書類をとってから教室へ。一番目の学生といっしょになりました。一度研究室へ戻ってから再び101教室に入ると、なんと田邊先生がもう見えています。田邊先生は、外科医です。外語ははじめてということでした。妻がダウンしたままなので、TA の院生に必要な指示をして帰宅することにしました。ちいさいちびが部活にでる直前でした。朝方準備した鶏ガラスープでお昼ご飯のうどんをつくってやりました。12時までに自分の分を含めて4食、別々につくりました。タマネギを丸々1玉入れたことか、あるいはちょっとしなびてプライスダウンになっていた白菜を丸々入れたことがきいて、おいしいスープになっていました。
締切のある書類作成があります。完成はしませんでしたが、進めることはできました。
夕刻、もう一度、買い物。セイユーへ。
ひとりで5時30分、室温10.3度。
本日は、全員ゆっくりめです。ちいさいちびは午後練。おおきいちびは試験ですが、はじまりが遅い。妻には7時半に起こすように言われています。集中講義の2日目。今日は3限と4限。
→武蔵境9時54分発の電車。10時過ぎに大学につき、印刷センター、教室と回りました。さすがにまだ誰も来ていません。教室の準備を整えてから研究室へ。忘れていたものを含めて、デスクワーク。いざ着手するとけっこう量があります。
今日の講師の方は、本学出身者の方ですが、やはりお見えになるのが早い。TA の方との打ち合わせが完了し、簡単に講師紹介だけ行って、私は研究室へ。教室のことは講師の先生と TA に任せることにしました。
お昼前から外はすごい風。研究講義棟のなかでも風の強さが感じられました。雨はわずかに降りましたが、帰宅する頃には止んでいました。帰宅すると、妻が再度ダウンしていました。息子によれば、また熱がでたそうです。はやく快復してくれるとよいのですが。
ひとりで5時5分、室温8.4度。妻、おおきいちび、ちいさいちびは6時半に起こすように言われています。ちいさいちびは8時から一日練。妻はお弁当作り。おおきいちびは宿題でもするのでしょうか。
例年とは違って、私は、今日から普通にスタートします。準備があるので、おおきいちびの前後に家をでることになるでしょう。
ちなみに今日からはじまる集中講義の授業題目は「くらしと健康B」。授業科目名としては、新学部の学生には「世界教養科目」、外国語学部の学生には「総合科目」です。4年生の学生へ。卒業論文の提出は、1月8日(木曜日)と9日(金曜日)の2日だけです。窓口は9時から17時まで開いていますが、それ以降は閉まります。まれにまちがえたり、遅れたりして、卒業ができなくなる学生がいます。気を付けて下さい。
天気予報を確認しました。明日雨が降り、気温が上がります。明後日からは、最高気温7度の日が続きます。寒波がまた日本列島を覆うようです。
→おおきいちびより先に家をでました。8時54分武蔵境発の電車。9時過ぎに大学に着きます。まず、印刷センター。9時半開室とあります。仕方がないので研究室に先に行って、デスクワークをすこしだけ行いました。9時半ちょうどぐらいに印刷センターにつくよう、書類を1点もって階下へ。3階でその書類を手渡してから、印刷センターへ。7枚×110部の印刷。今日必要な2枚×100部をもって教室へ。数名もう来ていました。
東京医科歯科の先生方は早い。10時15分前に河原先生がお見えになりました。挨拶をして準備。医科歯科の先生方は全員パワポを使われます。2階の教育情報化支援室でレッツノートを一台借りだしました。部屋にもどると TA の院生が来ていました。
事務的な事柄を学生たちにすこし説明してから河原先生、よろしくということで、私は研究室に戻りました。
11時前に生協によってみると、どこも開いていません。購買部は11時開店、食堂は11時半開店とあります。11時まで待って購買部で必要となった USB メモリーを購入し、駅前の3Fでおむすびを買って研究室に戻り、おむすびを食べてから、再び教室へ。出席している学生は、登録者の7割前後でしょうか。
午後も同じく、最初と最後だけ顔を出しました。3限終了後、体調を考え、そのまま帰宅しました。
帰宅後しばらく休んでからポストを見ると、年賀状が入っていました。返事をすぐに書いて、近所の郵便局に行って投函。帰りにちいさいちびの夜食(候補)を買いました。夕食はそれほどの量食べることができず、夜になるとお腹が空いてくるということです。おおきいちびの場合もそうでした。[『科学革命の先駆者 シモン・ステヴィン』]
大学のポストに次の本が入っていました。献本頂いた訳者の中澤聡さん、ありがとうございます。
Jozef T. Devreese & Guido Vanden Berghe『科学革命の先駆者 シモン・ステヴィン―不思議にして不思議にあらず―』山本義隆監修、中澤聡訳、朝倉書店、2009
監修の山本義隆氏は、pp.367-442、すなわち76頁もの解説「シモン・ステヴィンをめぐって―数学的自然科学の誕生―」を書かれています。p.376でゴチックで宣言されるとおり「本訳書は日本ではじめて天才ステヴィンの全身像を明らかにしたものである。」
ほんとうに、ステヴィンに関する貴重な一冊です。ステヴィンに関心をもった方はまずこの書を入手し繙くのがよいでしょう。
ひとりで6時10分、室温7.6度。ちいさいちびは今日から部活。10時集合です。おおきいちびは今日から通常の塾。普通に起きて、8時半前にでかけました。ちいさいちびはおおきいちびがでかけたあと、8時半に起こしました。うーん、わかった。
私も明日からは通常営業です。天気予報を見ると、明日からは、すこし寒さが緩むようです。
さて、明日からはじまる集中講義の確認をしました。登録者数は、51+54=105名です。ちょうどよいぐらいです。月、火、水、木、金と5日連続ですが、時間帯には不規則性があります。本日は2回年賀状の買い足しにでました。午前中に一度、セイユーに買い物をしにいった帰途、10枚インクジェット用年賀状を買い足しました。3時前にポストに新しい年賀状が入っていました。急いで同じお店に10枚インクジェット用年賀状を買い出しに行きました。帰り道、伊東俊太郎先生と出会いました。新年の挨拶だけしました。伊東先生はお買い物だそうです。
妻とちびどもはあとで返事を書くことになるでしょう。
あけましておめでとうございます。ひとりで6時45分、室温7.3度。この冬の居間の最低記録更新です。
昨日に続き、おおきいちびは8時、ちいさいちびもいっしょに起こして欲しいと言っています。今日は自分で起きてくるかどうか微妙です。
→8時におおきいちびを起こし、同時にちいさいちびも起こしました。おおきいちびは右目が充血しています。本人はきゃーきゃー騒いでいました。そのせいで家をでるのが昨日より20分遅れて8時40分。塾に間に合うかどうか心配していましたが、私の計算ではぎりぎり間に合います。それにかりに5分遅刻してとして、遅刻や欠席回数が問題になる学校ではありませんから、それだけのことです。そう言い聞かせておくりだしました。ちいさいちびは午前中に残りの宿題。目処がついて、11時過ぎママといっしょにでかけました。昼食とパンケーキを食べに行きます。小学生と私が留守番。
留守番の間に、秋尾沙戸子『ワシントンハイツ―GHQが東京に刻んだ戦後』(新潮社、2009 ;新潮文庫、2011)をほぼ読み終わりました。「ワシントンハイツ」そのものの話はそれほど多くはありません。占領期、GHQが東京に刻んだことが中心テーマです。
第15章から読み始め、終章のあと、序章から第14章まで読みました。第14章は、ジャニーズの話です。ジャニーズの生みの親、ジャニー・キタガワ氏は、ロサンゼルス生まれのアメリカ人(日系2世)です。父は、高野山米国別院3代目主監の喜多川諦道師。おそらく米軍との何らかの繋がりがあって、ワシントンハイツに住んでいたジャニー・キタガワが近所の子どもを集めて、ジャニーズを結成するところで、第14章は終わっています。こういうふうに、興味深い話が満載です。以上、占領下の日本に関するおおきな2冊を2015年のお正月には読み通したわけですが、1)秋尾沙戸子『ワシントンハイツ―GHQが東京に刻んだ戦後』はやさしく書かれているので、高校生の一般読書にむいていると思います。歴史に関心のある高校生は、秀吉や家康だけではなく、こうした書物を読んでほしいと思います。2)青木冨貴子『731:石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く』は、いくらか難しいと思います。731部隊についてあらかじめ一定の知識が必要だと思われます。その難しさは、大学生の課題図書にちょうどよいと思われます。
あけましておめでとうございます。ひとりで5時5分、室温7.5度。一気に気温が下がりました。日本列島に大寒波がやってきているということです。元旦の朝、母に電話すると和歌山でも雪が舞ったそうです。ちなみに、12月18日以来の数字でこの冬一番低い室温です。低温記録更新とはなりませんが、並びました。
おおきいちびは8時に起こしてほしいと言っていました。8時なら自分で起きるでしょう。→たぶん8時10分前ぐらいに自分で起きたようです。8時20分に出かけていきました。
ちいさいちびはかなりゆっくりめに起きてきて、すぐに年賀状の返事を書き、書写(書き初め)を行いました。ちいさいちびが起きてくる直前、本日届いた年賀状の返事を私も妻も終わらせることができました。
→1つの教科を除き、ちいさいちびはほぼ宿題を終わらせました。そのひとつは明日の午前中にやると言っています。午前中に、青木冨貴子『731:石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く』(新潮社、2003;新潮文庫、2005)を読み終わりました。全部で534頁の大冊ですが、勢いがあって、読み始めると最後まですっと読めてしまいます。731部隊の基本を知るには、常石敬一さんの著作がよいと思いますが、石井四郎の戦後と731部隊の現在への繋がりを知るにはこの本を手に取るのがもっともよいように思われます。
アメリカ側の対応のピークを示すものとして青木さんは、SWNCCの調査作業グループの次の結論を引用しています。(pp.435-4)
「米国にとって、日本の細菌戦データの価値は、“戦犯”訴追より、国家の安全保障としてはるかに重要である。
国家の安全保障のために、日本の細菌戦専門家を“戦犯”にかけて、彼らの情報を他国が入手できるようにすることは、得策ではない。
日本人から入手した細菌戦の情報は、諜報チェンネルに留め置くべきで、“戦犯”の証拠として使用すべきではない。」解説の佐藤優氏は、「時代状況が異なっていれば、評者が石井になったかもしれない。」と結ばれています。そういう性向が佐藤優氏にはあると思われます。ということは、佐藤優氏の言葉は一般論としては正しいように見えても、個別的には石井四郎の言葉と同様に受け取る必要があるということだと思われます。
もう1点、佐藤優氏も解説で踏襲している見方ですが、「戦後の石井は、驚くほど普通で小市民的な人間だった」(p.468)という青木さんの見立ては違うと思います。戦後の石井の青木さんによる記述によって、そうではないと思います。通俗のマスメディア的見立てに陥ったように思われます。
あけましておめでとうございます。小学生に起こされて7時5分、室温10.5度。昨夜小学生は布団に入ったまま途中まで紅白を見ていました。もうすこし寝るかと思ったのですが、僕はこの時間に起きるリズムがついていると言って起きました。それはそれでよいことです。
ちびどもはゆっくり寝ているでしょう。午前中はみんなで年賀状書き。食卓の上で返事を書きました。ちいさいちびだけがプラスアルファで書いています。あとは返信のみ。
昼食後、おおきいちびが今日しか外出できる日がない、どこかに行きたいと言います。明日からまた塾がはじまります。合格祈願に行きたい、でも近所は嫌だというので、御茶ノ水の湯島聖堂に連れていくことにしました。朝はちいさいちびも行きたがっていましたが、昼食後はすっかりお休みモード。おおきいちびだけを連れていくことにしました。
湯島聖堂は、御茶ノ水駅のすぐそば、医科歯科の道向かいです。孔子廟にお参りするというのは私もはじめてです。おおきいちびは鈴や柏手がないことに驚いていましたが、賽銭箱は遺産を守るための寄付金箱として正面に置いています。ほぼ神社と同じなので、そこで列に並んで祈願。
おおきいちびは参拝後、お守りを買いました。帰ろうかというとまだ帰りたくないというので、相談して本屋さんをともかく見てみることにしました。本屋さんでお正月営業というのはあまりないと思いますが、見に行くのは問題ありません。医科歯科の方から坂を下って、書泉グランデの方へ。マンガ屋さんだけが空いていました。あとは飲食店を除き、ほぼ閉店。しばらくすずらん通りを歩いて、あいているカフェでお土産のチョコクロワッサンを買い、地下鉄の神保町の駅から帰途へ。おおきいちびは地下鉄は嫌いというので、飯田橋で乗り換えて総武線。
2時過ぎに出て、4時頃帰ってきました。妻は年末の風邪からまだ快復していません。
2014年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2013年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2012年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2011年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2010年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2009年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2008年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
春休み
3月
2月
1月
2007年
台北滞在記2007
(台北滞在記2004)
田舎にて2007
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2006年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2005年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2004年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2003年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2002年
12月
11月
10月
9月
7月〜8月
5月〜6月
3月〜4月
1月〜2月
2001年
11月〜12月
9月〜10月
7月〜8月
5月〜6月
3月〜4月
1月〜2月
2000年
11月〜12月
9月〜10月
7月〜8月
6月
4月〜5月
1月〜4月
1999年
10月〜12月
6月〜9月
4月〜5月
1月〜3月
1998年
12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
春(1月から5月)
1997年
97年度
最初のページ=
HomePageに戻る。