ひとりで5時35分、室温21.3度。集中講義「くらしと健康A」の最終日。次の時間割となります。
2時限 渡辺守教授(消化器病態学)「人体の機能3 消化器」
3時限 山岡昇司教授(ウィルス制御学)「感染症」
4時限 西川徹教授(精神行動医科学)「精神科疾患」
5時限 最終レポート作成&提出
無事、「くらしと健康A」の集中講義が終了しました。お出でいただいた東京医科歯科の先生方に感謝します。外語の学生たちにはほんとうに勉強になったと思います。私もとても勉強になりました。講師としてきていただいたドクターの方は、純粋の研究者(医学研究だけをやっておられる方)と、臨床も研究も同時にこなされている方に分かれます。お話する機会があったドクターの方には直接聞いてみましたが、午前中病院で診療をしてから講義に見えられた方、講義が終わったらすぐに病院にもどって診療に当たられる方もすくなくありませんでした。字義通り、お忙しいなか、外語の教養教育に協力してくれたことになります。
十分以上の価値があったリレー講義だったと言えます。
ひとりで5時50分、室温21.5度。
ちいさいちびは11時半すぎに友達の誕生会にでかけていきました。帰りは夜の7時半ごろになるということです。ちなみに、小学2年生もでかけますが、こちらは4時頃。帰りは同じになります。夕刻次の本が届きました。
磯部光章『話を聞かない医師 思いが言えない患者』集英社新書、2011
金曜日に大学に来ていただいた磯部医師が最後に宣伝されていた著作です。医療現場だけではなく、話を聞かない○○、思いが言えない××、という組合せはすくなくないと思われます。
親子もこういうことになりがちだと思います。子どもから子どものほんとうの思いを聞き出すのには、結構手間暇がかかります。2学期に向けて机の上の片づけを続行中です。昨日着手して今朝やっとデスクトップが見えました。すると次の論文が放置されているのに気付き、2学期への助走として読んでみました。
生田省悟「氾濫するObservation:王立協会とサー・トマス・ブラウンにおける自然研究」『金沢法学』46(2)(2004): 43-68
着眼点としてはおもしろい所をついていると思いますが、あまりにもはやく一般的結論に辿りついています。
ストレートに表現すると結論は無理だと思われますが、おもしろい材料を提示してくれています。
なお、トマス・ブラウン卿にとりくむ日本人の(英文学者の)研究者として、この生田省悟さん、岡田典之さん、宮本正秀さんがいるようです。
生田さんと宮本さんは、共同で Religio Medici の翻訳を紀要に発表されています。
生田省悟・宮本正秀(訳)「サー・トマス・ブラウン著:医師の信仰(その一)[翻訳]」『金沢大学教養部論集.人文科学篇』32(2)(1995): 194-163
生田省悟・宮本正秀(訳)「サー・トマス・ブラウン著:医師の信仰(その二)[翻訳]」『金沢大学教養部論集.人文科学篇』33(1)(1995): 220-192
生田省悟・宮本正秀(訳)「サー・トマス・ブラウン著:医師の信仰(その三)[翻訳]」『金沢大学教養部論集.人文科学篇』33(2)(1996): 314-290
たぶん、この翻訳に基づき邦訳が出版されています。
サー・トマス・ブラウン『医師の信仰・壺葬論』生田省悟・宮本正秀訳、松柏社、1998
この訳書は買っています。部屋中を探せばどこかから見つかる筈です。
生田さんと宮本さんは共同でブラウンの次のものも翻訳されています。
生田省悟・宮本正秀(訳)「サー・トマス・ブラウン著:ハイドリオタフィア(その二)[翻訳]」『金沢大学教養部論集.人文科学篇』32(1)(1994): 272-256岡田典之さんには次の研究があります。
岡田典之「薔薇とザリガニ―パリンゲネシスと復活をめぐる十七世紀の論争―」『龍谷紀要』第34巻(2012): 1-14
邦語では、これが最初の「パリンゲネシス」をテーマとする論文かもしれません。少なくともグーグルスカラーでヒットするのはこの1点です。
せっかくなので、すぐに読みました。公表されているサマリーをそのまま引用します。
「パリンゲネシスとは、植物や動物を苛焼し、そこで得られた灰に何らかの化学的(錬金術的)操作を加えると、その灰から元の植物や動物の姿が現れるという現象である。 … 本稿では、主に十七世紀英国でこのパリンゲネシスに言及している三人の著作家を取り上げ、それぞれがパリンゲネシスと復活をどのように関連させているのかを考察する。 …」 三人の著作家とは、トーマス・ブラウン、ケネルム・ディグビー卿、アレグザンダー・ロスです。冒頭には、ボルヘスの小説に現れるパラケルススの姿が引用されています。
ガファレルの名前は言及されます。しかし、ディグビーがパリンゲネシスを紹介するときにまず名前を挙げているケルケタヌスの伝える話(ポーランド人の医師が尋ねてきて・・・)がスルーされているのはちょっと残念です。→実は、このサイトで一度 Palingenesis を扱っています(2010年1月2日)。ネットで検索してもヒットしないと思ったら、私は「パリンゲネシス」(ラテン語読み?)ではなく、英語読みでパリンジェネシスと表記していました。まあ、正確には英語読みではパーリンジェナシスでしょうが、英語をカタカナ表記するときの習慣に従えばパリンジェネシスでしょう。そこでは同時代の証言を翻訳しています。せっかくですから、再掲します。
「もっと顕著な例は、自然の奇跡、すなわちガラス容器中で原子から植物の全体を再生したヘルメスの木によって与えられる。ヘルメスの木は、ポーランドの医師がガファレルの臨席する機会に示したものであり、ガファレル自身が(『前代未聞の驚異』において)記録し、ケルケタヌスが(Ad veritatem hermeticae medicinae ex Hippocratis...adversus cujusdam anonymi phantasmata responsio)で主張し、さらにブランデンブルクで長く哲学と医学の教授であったHierem.コルナリウスが偉大なるリバヴィウスに宛てた手紙中で記述した伝記でも紹介されている。この手紙は、リバヴィウスの著作(Sintagm. Arcan. Chymic第1書第22章)に添えられた(「植物の灰からの形相の再生について」)。」チャールトン、pp.109-110.
そしてこの証言のもとがゼンネルトであることも記しています。関係する一次資料は次です。
ケルケタヌスのパリンジェネシスの説明は、Ad veritatem hermeticae medicinae ex Hippocratis veterumque decretis ac Therapeusi, nec non viuae rerum anatomiae exegesi, ipsumque naturae luce staliliendam, adversus cujusdam anonymi phantasmata responsio (Frankfurt, 1604; 1605), pp.228-238, esp. on pp.233-5.
キルヒャーでは、『地下世界』(2 vols, Amsterdam, 1665), Vol.2, p.414.
ガファレルの英訳(London, 1650) では、pp.135-8.
ファン・ヘルモントの批判については、Ortus Medicinae, pp.459-60.
マイネルが挙げる2次資料は、次の4点です(p.81, note 39)。
Jacques Marx, "Alchimie et Palingenesie," Isis, 62(1971): 274-289
Allen G. Debus, "A Further Note on Palingenesis," Isis, 64(1973): 226-230
Joachim Telle, "Chymische Pflanzen in der deutschen Literatur," Medizinhistorisches Journal, 8(1973): 1-37
Francois Secret, "Palingenesis, Alchemy and Metempsychosis in Renaissance Medicine," Ambix, 26(1979) : 81-92.
夜半(3時50分)に目覚めてすこし仕事、室温19.9度。とうとう20度を下回りました。ベストを探して来ました。寒く感じます。2回目の起床は、4番目で8時20分、室温20.8度。昨日は顔が白かったおおきいちびの顔色も戻っています。昨日は明らかに疲れていました。まだまだ、一晩寝るともとに戻る年齢です。快晴。昨日から続く、秋の快晴です。
ひとりで5時20分、室温20.1度。20度を割りそうになるぐらいまで下がりました。秋の空気。
天気予報を見てみました。17度〜23度。秋晴れの好天が続くようです。本日の「暮らしと健康A」は4限のみです。せっかくなので、今日も早めにでかけて研究室の片づけを続行しようと思います。
10時6分に武蔵境に着きました。中央線がホームに入るとき、西武線が出ていくのが見えました。12分もありますから、やはり一度外に出て、パン屋さんによりました。今日は塩バターパンを2個とスコーンを買いました。
電車は、10時18分武蔵境発となります。10時半ぐらいに大学に着きました。2階に寄ってCD-R を借りました。それから、教室に行って様子を確認しました。
4限までには時間があります。研究室の片づけを私の基準ではずいぶん進めることが出来ました。整理は、情報、紙、ものの3重です。今日やろうと思っていたことは全部できました。
医科歯科の先生方ははやく見えます。4限は、2時20分スタートですが、2時前には教室に入っていました。学生たちもちらほらと来ています。
本日は、循環器内科の磯部光章教授。日本心不全学会の理事長だと挨拶されました。心臓の動きを正確に教えてくれました。医学生に見せるための動画を見せてくれました。さすがによくわかります。
心臓そのものの血管の配置と電気系統も図でよくわかりました。
疲れが蓄積しないように、簡単な片づけだけして、すぐに帰ってきました。ちょうど息子が歯医者に行く前でした。帰ってくると、散髪もすませていました。坊主ではありませんが、昔は角刈りといった短い髪になっています。
小学2年生と同時に6時30分、室温23.9度。妻も同時。曇っていますが、雨の音はしません。あがった雰囲気ではありません。本日の集中講義は、2限3限5限。
さて、今日の2限は医科歯科大学の病院長の方です。
おおきいちびがでて、すぐあと、でました。私が家族のなかで最後でした。武蔵境についたのは8時54分。12分間隔の電車が出たばかりです。改札を出て、昼食のパンをパン屋さんで買っていくことにしました。駅前のアンデルセンの塩パンがけっこうおいしくて気に入りました。
9時6分武蔵境発の電車で大学へ。留学生の入学式があるようです。プロメテウスホールの前に10人近い留学生諸君がいました。
印刷センターでコピーをしてから、3階により荷物を受け取りました。それから研究室へ。医科歯科の先生方が割とはやく見えることが多い(はじめての場所でのはじめての仕事ですから、誰でもそうなります)ので、私もはやめに行って待機。2限の病院長田中雄二郎先生の話で、東京医科歯科大学医学部付属病院の規模がわかりました。全職員数2000人、看護士750人、医師550人という大きな組織です。ちなみに、マサチュセッツ総合病院は、病床数ではほぼ同じ規模(800と893)ですが、むこうの方が医師数で9倍、全職員数で19倍という差があるそうです。
相当に大きな病院です。
ちなみに、歯学部は別組織のようです。歯学部付属病院は、薬剤師・放射線技師・検査技師等が57名、看護師が56名で、総職員数が151名です。歯学部病院が医学部病院より小さくなるのは当然ですが、規模として1割以下ということになります。3限は、免疫アレルギー学が専門の烏山一教授。外科医としてスタートしたが、今は免疫学の研究者となっているというお話でした。免疫の基本を話してくれました。
今日は4限が空きました。すこし休憩してから、部屋の片づけに着手しました。全部がすっきりと片づいたといえるほどではないのですが、お客さんが来ても机がない(机はあるのですが、空いている場所がない)という状態だけは脱しました。
5限は、臨床腫瘍学の三宅智教授。要するに普通の言葉では、がんの専門家です。ただし、がんと癌は区別しているのだそうです。そのあたりは専門的な内容になってきます。
私自身はアテンドをして、授業を聞いているだけですが、2限から5限まで来ると疲れます。レスポンスシートの整理は後回しにして帰ってきました。
疲れはしましたが、今回のドクターによる講義はほんとうに勉強になります。
ひとりで6時40分、室温23.5度。妻はもう起きていました。夜半から雨。しっかりとした雨が降っています。体感的にはもっと寒い。本日は、午前中に会議がひとつ、そして午後に会議がひとつ、さらに、昨日から始まった集中講義(「くらしと健康A」)が3限と4限にあります。午後の会議は授業に重なります。午後の会議に出るのは長くて10分、基本は教室に張り付くつもりです。
昨日と同じ時刻(9階42分武蔵境発)の電車に乗りました。
午前中の会議は、11時から。1階の教室に資料をおいてから、会議室に向かいます。廊下で卒業式に出席した学生とすれ違いました。私のゼミでは3人が9月卒業します。そのうちのひとりです。NEDO に就職が決まったということです。仕事は4月から。半年何をしているの?と聞くと、お金をためて海外に行っているということです。ゆっくりと海外を回れる最後の機会になるでしょう。
11時の会議は、12時過ぎまで。研究室には戻らず、101教室に直行しました。
3限の先生は、ああ、関西出身の方という話し方をされます。学生たちには見たくなければ見なくてよい(あるいは気分が悪くなったら席をはずしていてよい)というノーティスをしたうえで、病院での死体解剖のビデオを放映されました。一般の方相手に放映すると何人かの方は気分が悪くなるのだそうです。ほんとうの死体解剖の様子を見るのは、私もはじめてです。たしかに、実際に見てはじめてわかることもあります。
4限の先生は、呼吸器の専門の稲瀬直彦教授です。肺と肺の病について基本を話してくれました。教壇にはたたずにフロアーで学生たちと応答しながらの授業でした。
4限終了後、学生たちがレスポンスシートを提出するのを待って、レスポンスシートの整理を TA の院生といっしょにやりました。
整理を終えて研究室に戻るとドアをノックする音が。お隣の倉石先生でした。倉石先生は、教育社会学が専門です。10月1日から母校である京都大学に戻られます。お別れの挨拶でした。私が出席できなかった研究院教授会でも、柳原先生、桑田先生と3人で挨拶をされたそうです。しばらく四方山話をして、長い間(11年とおっしゃったと思います)ご苦労様と言って、お別れしました。
ひとりで6時30分、室温21.6度。夜中から雨の音がしていました。新聞を取るためドアを開けると雨はもう上がっています。空の感じからすれば、もう降らないように思われます。東京医科歯科の先生方に来ていただく、集中講義が今日から始まります。「くらしと健康」という科目で、医学についての基本を話していただきます。いろんな医学の分野の専門家の方がひとり一こまで講義をしていただきます。学内の事情があり、私が成績管理者です。火、水、木、と来週の月曜日と4日間にわたり集中講義が行われます。
どういう服装にするのか決めるのに必要なので、天気予報を見てみました。火、水、木はほぼ同じ天気です。曇り時々雨。気温が18度-27度、22度-27度、21度-24度です。大半の学生はまだ夏休み中です。配布物の準備等もあるので、早めに家をでました。9時42分武蔵境発の電車に間に合いました。印刷センターで1000名近いコピー(リソグラフ)を取りつつ、気になるので101教室に足を運んでみました。教室の前に待機している学生がいます。質問を受けました。2限から始まると思っていたのですが?(教室に照明がついておらず疑問になったようです) 日常的に学生向けの掲示は我々は見ません。掲示を確認してもらえますか? と応えました。しばらくして帰ってきた学生は、3限からでした、という返答。学生の言葉では以前の掲示は見たけれど9月17日の新しい掲示は見なかったということです。
仮にそのこのほかに2限に来た学生がいても、掲示を確認してくれれば納得して3限から来てくれるでしょう。教室の入り口でカウントしたわけではないので、現実に最初の学生と同じ思いこみをした学生がどのくらいいたのか不明です。授業は12時40分から。12時半に教室に入ると、東京医科歯科の先生はもうお見えでした。理系の先生は、授業では基本パワーポイントを使われます。杉原先生に挨拶したあと、授業で必要なことを伺いました。マイクはハンドマイクがよい、やはりパワーポイントを使われるということです。ちょうど見えた教育情報化支援室の方に手伝ってもらい、プロジェクターの準備。教室の後ろ側用にある補助のテレビ画面がひとつ映っていませんでしたが、前がきちんと見えれば問題ありません。
時間になってから成績評価法について私の方から必要事項を説明し、杉原先生にバトンタッチしました。
途中、インスリンの分子構造の解明された年に生まれたという話をされました。おお、私と同い年です。そのぐらいの感じかなとは思っていましたが、同じ年齢とは。終了後の挨拶でそのことに触れました。大学の同級生で医者をやっている者はそれなりの数います。共通の知人がいるように思いました。(もちろん、そこまで話をする余裕はありませんでした。)すぐに次の先生が見えています。病態代謝解析学が専門の畑裕教授です。畑先生は、3コマ分ぐらい話せるだけの材料をもってみえました。与えられたテーマが「ヒトはなぜ生きられるのか」ということなので、いわば医学哲学に近いような講義内容でした。
5限は、臨床解剖学が専門の秋田恵一教授。発生(比較解剖学)の視点から、人体の構造の基本を話してくれました。聞き手は全員医学の専門家ではありません。医学の専門的知識に欠けるのは当然ですが、しかし、人体は我々の人体です。こういう知識がほんとうのところ人間であれば(人間の人体をもつものであれば)全員に必要なのではないかと感じながら話を聞いていました。
今回の授業は、予想通り、非常に啓発的で有用な内容でした。
ひとりで6時30分、室温23.3度。ゴミを出すためにすぐに外に出ましたが、ほんとうに涼しくて気持ちがよい。おおきいちびは今日は試合見学だということで、7時40分ぐらいに出ていきました。
昨日のことです。 隠岐さや香さんのtwitterで、冷戦研究会が10月11日(金曜日)に『 原子力と冷戦 ― 日本とアジアの原発導入 』(花伝社、2013年)の公開合評会を行うことを知りました。
『 原子力と冷戦 』は1学期のゼミ(月曜日4限)で取り上げ、一部を学生に発表してもらっています。ちゃんとした書評を書いた方がよいな、書かないとな、と思いつつ、他の仕事にかまけて放置していました。10月11日(金曜日)は駒場の授業の初回です。ちょうどよいので、出席することにしました。
世話役の方にメールをして、外部の者でも参加してよいかと質問すると、どうぞ、という歓迎のメールを頂きました。ということで、大手を振って出席します。
1学期にゼミに出ていた学生諸君にも案内メールを送りました。1人でも2人でも出てくれるとよいなと考えています。夕刻、次の本が届きました。
若杉 冽『原発ホワイトアウト』講談社、2013
小説です。帯には「現役キャリア官僚のリアル告発ノベル!! 原発はまた、必ず爆発する」とあります。諸所で話題の小説です。昨日、もんじゃ焼きを食べるのに失敗しています。ちいさいちびの希望で今日の夕ご飯家でもんじゃをやってみることにしました。セイユウでもんじゃ焼きの袋を買ってきました。ちいさいちびがママに手伝ってもらいながら、説明を読んで準備し、焼きました。私も我が家の誰ももんじゃ焼きは食べたことがありません。これでよいのかわかりませんが、一応、それらしきものはできました。これなら大丈夫です。おいしく食べることができます。
ひとりで5時15分、室温25.5度。まだまだ秋の快晴。おおきいちびは昨日とほぼ同じ6時45分過ぎに出ていきました。やはりバスケの練習試合があるということです。予定表では3時にあがるとありますが、実際に何時に帰ってくるのかは不明です。
実際に3時にあがったようです。3時過ぎに帰ってきました。前から時間があえば、高校の文化祭を見に行きたいと言っていました。都立西校が近所にあります。ネットで調べると4時半までに入ればよい、ということです。当初は自転車で行こうと思っていたのですが、自転車は置き場が不明です。長女の意見ですぎ丸を使うことにしました。駅に急ぐとちょうどすぎ丸が停まっていました。全線100円。すぎ丸に乗るのは私ははじめてです。ちいさい。普通のバスの半分ぐらいに感じました。
バスに乗ると風景をみます。わおー、狭い道を進みます。大きな普通のバスだと通ることのできない路線を行きます。10分ほどで西校の西門というのに着きました。
文化祭は昨日からやっていて、今日の5時終了だということです。着いたのが4時頃。もうそろそろ終わりという雰囲気がぷんぷんでした。受付で上履き(スリッパ)を借りて校舎のなかに入りました。出し物をみたいというより、長女は、校舎と高校生の様子を見たいようです。ぐるーっとまわってみました。ひとつぐらい展示をみようかということで、美術部の部屋には入ってみました。よしもとさんがいました。珍しい。
バスケのときにはあまりしっかりと昼食をとることができないことが多い。お腹が空いたといいます。食事の場所はありますが、行ってみると、売り切れで終わっていました。時間が時間ですから、仕方ありません。
体育館を見たいと言います。運動場も広く、体育館も中学の倍程度の床面積があったように感じました。
ふつうに生きていて高校にとくに用はなく、そもそも高校の校舎に入るのは、すこしだけ大げさにいうと40年ぶりです。私の通った田舎の高校よりはずっと立派でしたが、でも、高校は高校です。すぐには言葉にできない感慨を覚えました。長女も来年のこの時期は受験勉強に専念しているはずです。親には中学も高校もあっというまだといわれています。3年間というのは、ほんとうにあっというまという感じです。
全部ではありませんが、校舎を一通りみて満足したようです。30分ほどで帰ることにしました。
すぎ丸は、杉並区のコミュニティバスです。全部で3路線あります。ひまなとき、ほかの2つにも乗ってみようと思います。帰宅して、試合の疲れがでたようです。顔が白くなっています。妻の発案で、長女の食べたいものの希望をいれ、夕食はもんじゃを食べに行くことにしました。行ったら、前にあったお好み焼き屋さんがもうない。駅前のお好み焼き屋さんももうありませんでした。駅の向こう側に広島焼きのお好み焼き屋さんがあることは知っています。しかし、小学2年生がもう歩きたくないと言ったので、駅前のいつもの焼き肉屋さんに行き先変更となりました。いま一番たべるのはちいさいちびです。お肉娘ということもありますが、よく食べます。おおきいちびは疲れすぎて食欲が減退しているようです。小学2年生もマイペースでゆっくりとよく食べました。
帰ってきて、おおきいちびはソファの上で落睡。半沢さんの最終回には間に合うよう目覚めお風呂にはいって見たようです。私は息子といっしょに寝室で見ていました。年齢を考えれば当然ですが、息子にはあまり面白くないようです。あとで聞いたところでは、ちいさいちびも見ていなかったようです。半沢は、おおきいちびと妻のブームです。
4番目、室温23.6度。おおきいちびは、6時50分過ぎに出ていきました。一日中練習試合があるそうです。
昨日は2学期のスケジュールを確認しましたが、今日は、授業内容を考えています。シラバスはもちろん出しているのですが、シラバス通りではちょっと面白みに欠けます。まず、簡単なもの(3回のリレー講義)からはじめました。
これを書いていて思い出しました。来年は、学部再編に伴い、新しい授業をひとつ行う必要があります。それの授業計画も同時に考える必要があります。
→正確に書いておいた方が自分のためになるので、夏に事務に提出した書類によって記しておきます。
2014年の春、木曜日3限に「思想文化概論B」を新規に開講します。旧学部には開講しないと書類には書きましたが、まだすこし残っている外国語学部の学生のために「専修基礎科目」として開くのも悪くないかと考え直しています。
1学期の授業は15回です。15回を考えればよいですが、私が今すぐにできる授業をリストアップしてみました。90分の授業で、110回分のストックがあります。自分でもう話す意欲がなくなっているものもありますが、眠らせているだけのものもあります。すこしチューニングすればそのまま使えるものもあります。(大学というシステムの歴史等)。磨きなおせば15回分を用意することもそれほど難しくはありませんが、すくなくともいくつかは新しい話を準備しようと思います。
90分の新しい話をするためには、読むべきものを読み、テーマを決めてから、丸一日準備に時間がかかります。
読むべきものを読むのにどれだけ時間を費やすかで、総体としてかかる手間暇が変わってきます。→こういうのは具体的に行うのが一番です。新学部発足の前に教職に必要だとしてつくったシラバスがあります。(結局いろいろあってこの授業はやらなくてすみました。)それを残しておきます。
授業の到達目標及びテーマ:思想史の方法と課題について概要を理解することを目標とし、学問の成立の背景にある思想の流れをテーマとして取り上げる。
授業の概要:自然科学だけではなく、「人間の科学」「社会の科学」「有機体の科学」の形成を思想史的アプローチによって概観したい。
授業計画
第1回: 序論:思想史とは何か?
第2回: 近代科学の成立とその思想史的背景(神と自然の形而上学)
第3回: 近代科学の成立とその思想史的背景(機械論哲学の成立とベイコン主義)
第4回: 王立協会の科学(技術的実践と理論)
第5回: フランス王立科学アカデミーの科学(国家の経営と科学)
第6回: 医学的人間学の系譜(ガレノスから近代まで)
第7回: 医学的人間学と人類学の起源
第8回: 身体の科学:計測と骨相学
第9回: ゲーテとモルフォロギア
第10回: 進化論出現の思想史的社会史的背景
第11回: 進化論と社会学の起源
第12回: 人間分類の学:4気質と血液型性格学
第13回: 人間の計り間違い:知能の科学史
第14回: 科学批判と科学の実情
第15回: 総括:自由のための思想史
参考文献
グールド『人間の計り間違い』;チュイリエ『反科学史』;他。すぐわかるように、個人的には、生物学と社会学の起源の問題を扱いたいとずっと考えています。もうひとつは、人間とは何かに関する知識を医学の伝統のなかに位置づけるものです。それが医学的人間学の系譜です。
亡くなった山口昌男の名著『本の神話学』のような話もあってよいと思います。本の歴史、アーカイブの歴史です。
15回ということで言えば、代表的な学問分野15の歴史を語るというのもありだと思います。ひとつの学問の歴史を90分にまとめることで見えてくることもあると思います。
あるいは制度史ということでは、代表的な学部15の歴史を辿ることもありかと思います。科学哲学的にではなく、科学社会学的に擬似科学の問題を取り上げるのも科学的とは何かを理解してもらうためには悪くないと思います。
→ 13.9.22 朝日新聞の日曜版に佐藤俊樹氏が「統計学を知る」(ニュースの本棚というコーナーです)というコラムを執筆されています。個人的には、こういう話も授業で取り上げたいと思っています。佐藤俊樹氏は4冊を推薦しています。
サルツブルグ『統計学を拓いた異才たち』竹内恵行・熊谷悦生訳、日経ビジネス人文庫、1200円
青木繁伸『統計数字を読み解くセンス』化学同人、1575円
日本統計学会編『統計学基礎』東京図書、2310円
J.ベスト『あやしい統計フィールドガイド』林大訳、白揚社、2310円
4番目、室温23.2度。夜、1年に1度の医科歯科の授業があります。朝方大学に行って、本を何冊かとってこようと思っています。妻がでかけてしばらくしてから出発。8時42分の電車にはぎりぎりで間に合わず、8時54分武蔵境発の電車となりました。印刷センターは9時半からという掲示です。先に研究室に行って、すこしだけ事務的用件をすませ、それから印刷センターに行って、夕刻のMMAの資料の印刷を行いました。研究室から持ってきたのは、3冊だけです。MMA に持っていきます。
帰宅してすぐに2学期のスケジュールつくりに取り組みました。わおー、かなり不規則となっています。月曜日の振替があります。10月16日水曜日、11月7日木曜日、12月24日火曜日は、月曜日の授業に振替えられます。私は水曜日も火曜日も授業をもっていないので、関係するのは11月7日だけですが、そもそも月曜日の授業をもっています。そちらからは全部関係することになっています。
駒場の方も1月に入ってから、1月10日、24日、27日というスケジュールになっています。実は、1月31日金曜日はつい役職上引き受けたリレー講義があり、駒場とバッティングするかと思っていましたが、駒場の方が動いたので金曜日5限でのバッティングはなくなりました。
以上、しっかりとスケジュール管理をしておかないと間違ってしまう懼れがあります。
4時半過ぎに夕食をとり、5時前に家をでました。御茶ノ水には5時25分に着きました。駅前の丸善ですこし本を見ました。現実の本屋さんで本を見て歩くのは久しぶりです。部屋がこれまでと変わった、時間が過ぎると入れなくなるという連絡があったので、すこし早めに医科歯科に行きました。
医科歯科はすこし変わっていました。入ってすぐの場所に、スターバックスとセブンイレブンがありました。医科歯科は大学ですが、病院があります。スターバックスとセブンイレブンを入れても商売になると思われます。
いくらか心配したことですが、M&D棟の13階に行ってもそれらしき掲示が見つかりません。人に尋ねました。P2実験室とかが普通にあるので、当然のことではありますが、ドアがいっぱいあります。初めてのものには相当分かりづらい。
でも、まあ、5時50分には部屋に入ることができました。部屋には2名の学生がいました。学生がやってくる様子を見ていましたが、7〜8人に出席者が揃ったところでスタートしました。最終的には、15人程度になりました。(→レスポンスシートを数えました。14人でした。TA の学生を入れて、15人。)9時55分、家に辿り着くことができました。久しぶりと言うこともあって、疲れました。帰り着くとすぐに息子が降りてきて、歯を見せてくれました。夕方歯医者さんに行って、下に歯が生えてきているのに、上の歯がまったくぐらついていないのを歯医者さんと相談して抜歯したということです。
あとから妻に話を聞くと、抜歯となったときにはけっこう泣いたそうです。ですが、麻酔が効いたあとは、比較的おとなしくなったということでした。この子はまだ当分こうでしょう。
ひとりで5時40分、室温22.3度。朝の室温は昨日とまったく同じです。さて、今日は、明日の夕刻の MMA の授業の準備をします。90分2コマの連続です。話す量は相当にあります。しっかり準備をしておく必要があります。
ひとりで5時45分、室温22.3度。台風が秋の空気を連れてきました。さすがに夏の格好ではなく、普通の長袖のパジャマにしました。朝ゴミを出してから、郵便受けを見ると新聞の下に次の本が入っていました。
Ursula Klein and E. C. Spary (eds.),
Materials and Expertise in Early Modern Europe: Between Market and Laboratory
Chicago and London: The University of Chicago Press, 2010
目次は次です。
Ursula Klein and E. C. Spary, "Introduction: Why Materials?"
Pamela H. Smith, "Vermilion, Mercury, Blood, and Lizards: Matter and Meaning in Metalworking"
Hanna Rose Shell, "Ceramic Nature"
Christoph Bartels, "The Production of Silver, Copper, and Lead in the Harz Mountains from Late Medieval Times to the Onset of Industrialization"
Adrian Johns, "Ink"
Ursula Klein, "Blending Technical Innovation and Learned Natural Knowledge: The Making of Ethers"
Barbara Orland, "Enlightened Milk: Reshaping a Bodily Substance into a Chemical Object"
Matthew D. Eddy, "The Sparkling Nectar of Spas; or, Mineral Water as a Medically Commodifiable Material in the Province, 1770−1805"
E. C. Spary, "Liqueurs and the Luxury Marketplace in Eighteenth-Century Paris"
Marcus Popplow, "Economizing Agricultural Resources in the German Economic Enlightenment"
Seymour H. Mauskopf, "The Crisis of English Gunpowder in the Eighteenth Century"
Agustí Nieto-Galan, "Between Craft Routines and Academic Rules: Natural Dyestuffs and the “Art” of Dyeing in the Eighteenth Century"
私自身ずっとやってみたいと思っていて、着手の手懸かりがうまく得られない分野です。一言では、物質文化の歴史、とまとめることができるでしょうか。12時40分から、コース会議。私が資料を用意し、私が司会します。難しい議題でした。1時間ですみましたが、疲れました。
ひとりで5時25分、室温22.9度。これは涼しい。まだ夏の格好をしています。はっきりと肌寒い。
台風一過の秋晴れの空気を味わおうと思い、6時過ぎに外に出てみました。雲一つない快晴に、涼しい風が吹いています。近所のコンビニですこし足りなくなっていた朝のパンを買ってきました。今週は水曜日に会議、金曜の夜に MMA の講義があります。来週は、 MMA の逆となりますが、東京医科歯科の先生方に来ていただく集中講義があります。火、水、木、翌週の月曜日の4日間。
そういうわけですから、片づけをちゃんとしないと仕事になりません。諦めて整理に着手しました。行方不明になっていたマルソーフの論文(化学の実践と概念)が見つかりました。もう1点、東大駒場の2学期に日程表も見つかりました。すこし前に橋本さんに送ってもらったものです。なんと東大駒場の2学期は10月7日スタートということです。私にはスタートが遅いにはたすかりますが、こんなに遅いスタートでよいのかと他人事ながら心配になります。
ひとりで7時10分、室温26.4度。雨。昨日は天気予報がなければ台風接近に伴う雨とはわからなかったのですが、今日は夜半から強い風が吹いて台風接近中を感じることができます。昨夜のうちにおおきいちびの練習試合は中止と決定しています。2番目に降りてきたのは、小学2年生で7時50分。連休の3日目です。女性陣は全員のんびりモードです。
台風は正午には去ったようです。吹き返しがたまにありましたが、ほぼ大丈夫ということで正午過ぎに雨戸を開けました。昨日の編集委員会の宿題はこなすことができました。2時過ぎにおおきいちびと妻が吉祥寺に買い物にでました。ちいさいちびはクッキーを作りたいと言っていますが、たぶん買い物が間に合わないでしょう。その代わりというわけでもありませんが、『進撃の巨人』を読み始めていました。
ひとりで5時25分、室温27.9度。雨。台風接近に伴う雨が降っています。しっかりとした雨足です。6時20分、朝練(試合があるそうです)のあるおおきいちびが起きてきました。相手校来れるかな?と心配しています。
姪っ子が台北に帰ります。→吉祥寺からリムジンバスに乗るということで、9時45分に妻が送っていきました。長い会議から帰ると無事着いたという連絡がありました。
午後、編集委員会ならびに科研費の会合。東工大。
編集委員会は2時から。1時前に出ました。すっかり晴れています。台風の雨ですから、空白な部分は空白です。長い会議のあいだずっと晴れていました。ちなみに編集委員会は、予定通り、1時間で終わりました。次の会議が長引いて、終了が7時45分。私は急いで帰ってきました。
ひとりで5時10分、室温25.9度。6時35分、息子が、iPadやってよい?と言いつつ起きてきました。普段は7時前に起床しています。休みになると早く目覚めるタイプだったのでしょうか。
ちなみに、今日の夕刻、荻窪八幡宮のお祭りがあり、子どもたちは行くと言っています。明日の午後、編集委員会があります。午前中に準備をすませました。普段机のまわりを整理していれば、たぶん1時間以内ですむ作業ですが、私の場合机の上、机の下、椅子の横、椅子の後ろの整理が必要です。2時間まではかかりませんでしたが、1時間半はかかりました。見失っている資料の捜索もしたいのですが、それに着手すると恐らく半日仕事になります。
→2学期(秋学期)開始まではまだすこし時間がありますが、集中講義は来週始まります。懸案の片づけに着手しました。ただ箱に突っ込んだものがたくさんあります。いちいち整理に手間が必要な資料です。時間はかかります。一気にではなく、少しずつ進めていくことにします。
ひとりで6時10分、室温25.7度。昨日の夜、前に完成した原稿の英文レジメを作成していないな、と気付き、すこし案を考えていました。子どもたちがでかけてから、早速書き下してみました。短く簡潔にと心掛けて、ほぼ1頁分を10時ぐらいまでで仕上げました。
姪っ子は今日はお台場に行きました。地元の人からお土産をお願いされたようです。
『進撃の巨人』第11巻。おおきいちびが部活から帰ってきて、『進撃の巨人』第11巻を買いに行きたいと言います。アマゾンで一応発注していますが、アマゾンに在庫がなく、いつくるのか不明です。駅前の書店にあるというので、お金を渡しました。実際おいてあったということで買って帰ってきました。アマゾンのオーダーはキャンセルしました。
[『化学史研究』2013年第3号]
朝一番で『化学史研究』2013年第3号が届きました。目次は次です。[論文]尾崎利彦「中部に設立された国立工業試験所の果たした役割IV.
―東京工業試験所名古屋支所の戦後復旧と復興研究―」第40巻(2013): 113-159[追悼] 新井和孝「金城徳幸さんとの思い出 」第40巻(2013): 160-161
[追悼] 宮寺博「金城徳幸さんへの感謝」第40巻(2013): 161-163
[追悼] 「金城徳幸氏の略歴・活動歴・主要業績」第40巻(2013): 163-165
[資料]和田正法「博士論文概要」第40巻(2013): 166-167
[資料]川村範子「博士論文概要」第40巻(2013): 168-170
今週は3日会議がありました。数は相当数にのぼります。私が責任を負わなければならない事柄もあり、余裕がなくなっていましたが、もとの作業に戻りたいと思います。
まず、水曜日に受け取っていたカルペンコの2論文のうち、未読の次のものを読みました。6頁のごく短いものです。
Vladimir Karpenko, "On the Origin of Metals: Theories of a Rudolfian Alchemist," Hamdard Medicus, 36(1993): 5-10
カルペンコが「ルドルフ2世の錬金術師」のひとりというのは、有名な魔術師エドワード・ケリーです。ケリーの論考の最後の版(1691)を取り上げ、簡単に分析しています。分析の部分は3頁なので、深い記述はもとより無理ですが、興味深い内容を含んでいます。このアイディアの系譜学を書くと非常に面白いものになると思います。
カルペンコの記述はもともとまとめのようなものですが、ポイントとなる部分をさらにまとめてみます。
錬金術師の利用した物質の構成に関する理論には3つがあった。1)アリストテレスの4元素説。2)ゲーベルのスイギン-イオウ説。3)パラケルススの3原質説。
ケリーの説は、基本アリストテレスの4元素説である。ただし、そこにわずかにゲーベルのスイギン-イオウ説が加味されている。
アリストテレスの4元素が能動的元素(水と火)と受動的元素(土と空気)の2組に分けられる。鉱物は、「粘液的」水と二種の土(不純な土=イオウと純粋の土)の結合から、スイギンが生じ、そのスイギンに対する熱の作用の差によって多様な金属が生じる。
火による金属の熟成の思想が見られる。
全体としては、ゲーベル説もパラケルスス説も受け入れていない。
私の評価です。金属と鉱物の生成(起源)に関しては、これはスイギン1原質説に分類してよいと思われます。
さらに、2)ゲーベルのスイギン-イオウ説に基づいたものとして、ニューマンが『完成大全』の研究(博士論文の単行本化)で"Mercury alone"説を追いかけています。(pp.204-208) ファン・ヘルモントの水一元説と並べて、いまいちど概念史(の再構築)が必要なのではと感じます。
→実は、2010年の論文「ロバート・ボイルの化学―元素・原質と化学的粒子―」『科学思想史』(金森修編、勁草書房、2010): 255-323 の後半部分で私は「スイギン学派」を扱っています。もとは、シュタールの錬金術学派の分類によりますが、このスイギン学派は、ニューマンの言う"Mercury alone"説と深い繋がりを有します。2010年論文ではそこまでは扱うことができませんでしたが、シュタールの分類をもうすこししっかりと追いかける必要があります。ヴィトリオル学派(パラケルススが中心)もニトロ学派(センディヴォギウスが中心)も当時の錬金術の系譜を正確に位置づける上でとても重要です。同時に、ラテン・ヨーロッパの錬金術の技術的・思想的基盤についても、もう一度整理しておいた方がよいように思われます。基本として言えることは、鉱酸を工房の基本装備として(徐々に)使うようになったことが、非常におおきいと言えるでしょう。(逆に言えば、ギリシャにもアラビアにも基本装備として鉱酸はなかった。)
ひとりで5時10分、室温24.1度。予報によれば、お昼に向かって気温が上がり、また30度を超えるそうです。今日も午前中に会議。他大学の方が見えるので、久しぶりにしっかりとした服装で行きます。
→10時からです。すこし早めにでました。武蔵境駅のパン屋さんで昼食のパンを買ってから、電車に乗り込みました。11時ぐらいまででした。
実は、同じ案件ですが、今日は午後にも会議がありました。私は勘違いをしていました。午前中は、大学のなかでの会議。午後2時からは、お客さんが見えての会議です。午後の会議も約1時間で終わりました。気温が32度まで上がったそうです。スーツを着ていきましたが、これは暑い。
午前中と午後の会議に間に、わずかですが、書類の片づけを進めることができました。姪っ子は今日は鎌倉、江ノ島をまわってきたそうです。足が疲れたと言っていました。さすがにまだ若い。元気に東京周辺を観光しています。
ひとりで4時半、室温24.9度。昨日の朝感じた肌寒さはありません。体感としても25度前後が変わり目のようです。会議の日。ほぼ一日中会議です。
10時前に家をでて、まず図書館に寄りました。ILLで届いている2点の論文を受け取りました。
Vladimir Karpenko, "From Jabir Ibn Hayyan to Rudolfian Alchemists," Hamdard Medicus, 35(1992): 31-46
Vladimir Karpenko, "On the Origin of Metals: Theories of a Rudolfian Alchemist," Hamdard Medicus, 36(1993): 5-10午前の会議は11時から。こちらはすぐに終了しました。
お昼休みの間に、カルペンコの最初の論文を読みました。概念の明確化のための論文です。
1時から打ち合わせ。4人で研究所に集まって、なんとか下案だけつくることができました。
1時半から教授会が連続します。研究科教授会、研究院教授会、外国語学部教授会、言語文化学部教授会。予定より1時間近く遅くなりました。
帰宅すると、息子が『進撃の巨人』を読んでいました。え? ストーリをどれだけ追えるかは疑問ですが、ひかれるところがあるのでしょう。なお、『進撃の巨人』はふれあいで読んで面白かったというおおきなちびの要望です。すこし前に話題になっているのを見て、私も読んでみたいと思っていました。今週あたまから2冊ずつ取り寄せています。
夜半にめざめてすこし仕事。夏の格好で寝ていると、肌寒く感じます。3時半現在室温23.6度。ぐんと下がりました。姪っ子は、今日は富士急ハイランドのお化け屋敷に行くそうです。台北でチケットを予約したということで、新宿西口からバスに乗ります。それが一番わかりやすいでしょう。6時40分頃でかけていきました。
そして、お化け屋敷は怖かったと言って、7時前に帰ってきました。日本対ガーナ戦。
時間帯がよかったので、キリンチャレンジカップ日本対ガーナ戦をテレビで見ました。全部負けたコンフェデレーションカップのときもそうですが、攻撃は以前と比べると見違えるばかりです。どんな相手でもある程度得点できるという、そういう能力を身に付けたと言えると思います。それに比べて、守備は不安です。監督は、攻撃の能力を保持しつつ、なんとかバランスを整えて、守備力もアップしようという発想でしょうか。
ひとことではリスクを背負いつつ攻めるということでしょう。
チャレンジの方向としては正しいと思います。
妻のあとで6時25分、室温24.2度。おおきいちびがまずでかけ(朝練です)、次に小学2年生がでかけ、すこしあとに6年生がでかけ、その後しばらくして妻と姪っ子がでかけました。
私は、昨日録画した Person of Interest を見てから、大学へ。会議の日です。武蔵境駅についたとき、ちょうど西武線の電車が出たばかりでした。武蔵境駅の新しい出口が気になっていたのですが、一度も使う機会がありませんでした。12分の待ち時間はちょうどよい。新しい改札から出てみました。神戸屋というパン屋さんだけがありました。イートインがあります。朝ご飯のパンを買って、大回りして西武線の改札に向かいました。それで電車発車の2分前。大学では ILL で届いていた次の論文のコピーを受け取りました。
Multhauf, Robert K., "Operational Practice and the Emergence of Modern Chemical Concepts," Science in Context, 9 (1996): 241-249.
2009年12月18日に読んでかなり丁寧なノートをこのサイトに挙げています。部屋を探し回れば(たぶん3時間あれば)探し出せると思いますが、今の部屋の状況を考えてもう一度入手することにしたものです。
マルソーフのこの論文はある種の記述には必須と言えます。基本的事項が正確にまとめられています。それから研究室に向かい、朝ご飯を食べつつ、連絡事項の処理。
会議は10時半から12時40分ぐらいまで。メンバーはほぼ同じまま、同じ部屋で3つの会議が続きました。ちょっと面倒な宿題をもらったと言えます。
再度図書館によってから帰宅。次の2冊が届いていました。
Robert K. Multhauf, The Origins of Chemistry, London, 1966
もともとは AVILA College Library の蔵書です。たぶん借りられたのは1度きりのようです。Ralph Waite (ed.), The Rosicrusian Enlightenment revisited, Lindisfarene Books, 1999
タイトルから明かなように、イエイツの『薔薇十字の覚醒』の見直し/再訪です。秘教の専門家と、錬金術、薔薇十字運動、西欧の秘術思想の研究者をチェコに集めて討議したとあります。
Joscelyn Godwin, "The Deepest of the Rosicrusians: Michael Maier (1569-1622)," The Rosicrusian Enlightenment revisited, pp.99-123
まず、邦訳もあるジョセリンのマイヤー伝だけ読んでみました。Karin Figala and Ulrich Neumannの新しいマイヤー研究をしっかり取り込んだ、マイヤー伝を読むのであればたぶん今一番手頃で信頼できる記述になっていると思います。序でジョセリンも言うとおり、マイヤーの本格的伝記本が望まれるところです。
カルロス・ジリーの研究もきちんと踏まえています。
ひとりで6時、室温25.9度。地面が濡れています。夜中すこし雨が降ったようです。葉っぱの濡れ方を見ると、朝方に降ったようです。
姪っ子は無事着いていました。今日はスカイツリーから浅草方面に行きたいということです。妻もすぐに起きてきました。おおきいちびは朝から一日練。おお、小学2年生も起きてきました。おおきいちびも起きてきました。ウェイウェイも、ちいさいちびも起きてきました。ちいさいちびは眠いと言っています。
話し合いの結果、ちいさいちびはお留守番、小学2年生はともかくいっしょにスカイツリーに行く、ということになりました。
9時前に家をでました。総武線の浅草橋で乗り換えて、都営浅草線。押上は4駅目です。10時前に現地に着きました。小雨。まず、駅を出てすぐの場所にあるトトロの森(お店)を見てから、スカイツリーの方へ歩いていきました。
小学2年生はスカイツリーにのぼりたい、ウェイウェイは買い物をしたいと言います。その時点で二手に分かれました。スカイツリーの展望台は、大人2千円、小学生900円でした。あわせて20分ほど待ったでしょうか、比較的すぐにあがることができました。なるほど。一見の価値はあると思います。しかし、小学2年生はエレベーターを出てすぐの場所にある画像パネルが気に入って、そこでずっと遊んでいます。現実に外を見たのは、数分。それで満足したようで、家に帰ってゲームをしたいと言います。そのまま帰途に着きました。下りエレベーターも列に並びます。やはり10分ぐらいでしょうか、今度はスカイツリー駅から浅草、浅草から神田、神田から中央線、最後は荻窪で乗換というルートで帰ってきました。ちいさいちびのお昼ご飯もあります。小学2年生がお寿司がよいというので、セイユウのなかでさびぬきを2箱作ってもらって帰宅。12時半過ぎでした。子どもたちは、1時過ぎにお昼を食べました。買ってきたものは、3人で完食。妻と姪っ子は、買い物をして5時過ぎに帰ってきました。疲れた、と妻は言っていました。これも姪っ子の要望で、7時前に駅前の焼鳥屋さんに行きました。ともあれ外で食べるのは楽しかったようです。楽しければよし。
ひとりで5時10分、室温24.9度。室温が25度を下回っているのを見るのは久しぶりです。今日は中学校の学校開放日です。同時に、来春入学する小学生のための説明会があります。妻は一日仕事です。
→ 妻は、夜も用事があります。台北から姪っ子が来ます。妻のお姉さんの長女です。大学生になっています。1週間東京に遊びに来ます。夜10時羽田に到着ということで、妻が迎えに行きます。たぶん、帰り着くのは12時頃でしょう。
ひとりで5時40分、室温25.9度。やっと秋らしい気温になりました。朝一番の便で次の本が届きました。
シンガー、ホームヤード、ホール、ウィリアムズ編著『技術の歴史』全14巻、平田寛ほか訳、筑摩書房、1978-81
古書で全巻セット購入しました。これまではいちいち図書館に行って必要な箇所を調べていましたが、手元にあった方が便利だと考え、購入しました。段ボール箱1箱分でした。ちょうどよいので、大学に行くことにしました。10時半に到着。
まず、ILL で着いたと連絡のあった次の本を借りました。
硫酸協会編集委員会編『硫酸ハンドブック』硫酸協会, 1977.12
ある程度覚悟はしていたのですが、歴史の項目はまったくありません。硫酸工業のハンドブックです。次に書庫2層という場所に行って、ディオスコリデスの邦訳を借り出しました。
『ディオスコリデスの薬物誌』鷲谷いずみ訳、エンタプライズ、1983
手元に欲しいのですが、今は古書のマーケットにもありません。しばらく図書館の本を借りておくことにしました。私にとくに関係するのは、最後(第5巻の最後「すべての鉱石類」)です。これではっきりわかったこともあります。しかし、ここは丁寧な訳注が欲しいところです。
なお底本は、17世紀のイギリス人植物学者ジョン・グッディヤーです。ジョン・グッディヤーの英訳MS(1655)をガンサーが20世紀にはいって校訂の上出版しています。(The Great Herbal of Dioscoribis, New York: Hafner, 1934)。意外な底本でした。研究室でいくつかの片づけを行ってから、帰宅しました。
妻より30分程度はやく帰ることができました。
3番目、6時35分、室温27度。朝練のあるおおきいちびと妻は起きていました。昨日から断続的に降っている雨がまだ降っています。子どもたちが就寝する時間帯から雷も断続的に鳴っています。台風が消滅し、前線が消えるまでは、こういう天候が続くでしょう。
小学生達がでかける直前に雨は強くなり、雷鳴も遠くからですが、響いています。小学校の方針では、警報が出た場合には自宅待機、注意報の場合は親の判断で待機しても登校させてもよいとなっています。今朝は大雨注意報です。
待機させていましたが、小学6年生はお友達が迎えに来たのでいっしょにでかけました。小学2年生はもうしばらく待機させましたが、雨が小降りになったので(雷鳴が怖いと言っていましたが)そのタイミングで登校させました。
ひとりで3時、室温27度。外は雨が降っています。この雨でやっとすこし気温が下がるようです。→天気予報をみてみました。台風が九州南端に上陸しています。その影響で日本全体に雨が降るようです。今降っている東京の雨は、雨雲の様子を見る限り、たいした雨量にはならないようです。→子どもたちが起きて学校にでかけるころには雨はあがり、きれいな青空が見えました。台風が日本列島の端にいます。不安定な天候といったところでしょう。お昼過ぎに次の本が届きました。
硫酸協会編『硫酸入門 (改訂版)』硫酸協会、2012
私が使いたかった部分(歴史、すなわち「1.硫酸工業のはじまり」)以外は有用性があり使える本だと思います。
そこには次のようにあります。
「硫酸がはじめて製造されたのは8世紀頃で、ゲーベルというアラビア人のアルケミストが明ばんを乾留して製造したといわれる。
15世紀頃には硫黄と硝石から製造されるようになり、1740年頃イギリス人ワードが、硫黄と硝石をガラス器内で燃焼して半工業的に製造した。その後、1746年にイギリス人レーバックはガラス器を鉛室に換え、その鉛室の原型を完成した後、1827年にはゲーリュッサック塔、1859年にはグロバー塔が発明され、当時の硝酸式製造法の形態が確立された。」(p.16)
最初の文章です。歴史家をひとり外部から登用してくれればよかった。
ひとりで5時、室温27.2度。まだ秋は遠い。今日は全員出かけることになります。妻は午前中新宿方面にでかけます。私は午後会議が2つあります。
実は昔コピーをとりけっこう丁寧なノートをとったマルソーフの論文を捜そうと思って、この部屋がたいへんなことになっています。頑張って掃除と片づけを開始しました。ばてない程度にしました。
昼食後、妻が帰ってくるのを待って、大学にでかけました。図書館でプリニウスを受け取ってから研究室へ。
会議は2時半から始まり、4時で別室に移って別の会議。5時半には終わりました。
この暑さで仕事をすると、かなり疲れます。8月31日にはじめた作業を続けます。
日本の硫酸工業史の基本文献は、鎌谷親善『日本近代化学工業の成立』(朝倉書店、1989)です。最初の部分(1.1.1))で、酸・アルカリ概念を扱っています。『遠西医方名物考』(1822-25)をまず取り上げ、「緑礬油」や「緑礬精」という用語の起源を記述しています。その記述は、ヨーロッパの文献を見ていないせいで、ずれています。
「緑礬油」については次のようにあります。「『遠西医方名物考』についてみると、代表的な酸である硫酸は、そのラテン語あるいはオランダ語からの訳語として緑礬油と名づけられており、それは緑礬(硫酸第1鉄)を乾留してつくられる「粘ル油ノ如ク稠厚」な液体から意訳して付けられた用語といえた。」(p.10)
ここの記述のずれは、「意訳」です。もともとヨーロッパの言語で "oil of vitriol" と呼ばれています。それを直訳すれば、「緑礬油」となります。ですから、ここの記述は、ヨーロッパの用語をすなおに訳して「緑礬油」と名づけられた。「油」というのは、中世以来の用法で、今の油ではなく、どろどろした液体を全般として油と呼ぶ習慣によった、とぐらいに表現しておけばよかったところです。
「精」については次のようにあります。「「精」はラテン語のspiritusに対応する用語の訳語として使われ、それらは「可燃精」、「尿質精」、「塩質精」などに分けられ、そのうちの「塩質精」はさらに「揮発性のアルカリ塩精」、「酸精」などからなっていた。この「酸精」は酸性物質であることから、酸類を示す用語に「精」が転用されたものと推測され」る。(p.10)
ここのずれは、「転用」です。"spiritus"は容易に蒸発する物質の意味です。ですから、その溶液が酸性かアルカリ性かは関係ありません。今もっとも代表的なスピリッツはアルコールですが、これは "spirits of wine"です。ここも単純に ラテン語の"spiritus"(英語の "spirit")を「精」と訳したといっておけばすみます。ここに「転用」はありません。鎌谷親善氏は、日本化学史の今でももっとも重要な研究者の一人です。その鎌谷氏にして、この記述です。クロスランドの『化学言語の研究』(Dover, 1962)を思い出して下さい、と言えば、私のここでの趣旨は本人に伝わると考えます。
基本から進めましょう。アルカリも見ておきたいと思います。『科学史技術史事典』(弘文堂、1983)に「アルカリ」の項目はなく、その代わりに「アルカリ工業技術」の項目があります。そこには次のようにあります。
「アルカリ工業はもっとも古い工業の1つで、18世紀ごろまでは天然ソーダ、海草灰、木灰などから、炭酸ナトリウム、炭酸カリウムを採取して、洗剤、漂白、ガラス原料に用いていた。現在では、アンモニアソーダ法(ソルヴェー法)および食塩水電解による苛性アルカリ、炭酸アルカリの製造工業を指す。前7000年ごろには、すでに中東で石灰石やある種のアルカリが精製されていたようである。古代ローマ末期には、ギリシャ人、ローマ人、ゴール人が石鹸を造っており、ポンペイの遺跡からは石鹸製造工場が発見されている。イスラーム諸国が古くからこの方面の技術をもっていたことは、アラビア語に由来することからもうかがうことができる。・・・・・・(ルブラン法)・・・(ソルヴェー法)・・・」(p.30)(冨田博行執筆)
「ソーダ」と「塩基」を参照せよとあります。
「塩基」をみます。次のようにあります。
「狭義には「酸と反応して塩をつくる物質」をいう。「塩基」の語をはじめて提唱したのはルエル(G. F. Rouelle, 1703-70)であり、1754年から用いられるようになった。それ以前はアルカリといわれ、古くは al Qili(木灰の意味)として10世紀の錬金術書に出てくる。その後1663年、ボイルは指示薬としてすみれの花のシロップやリトマス苔の液を使って、それらを青変する物質と定義した。1883年、アレーニウス・・・・・・」(pp.123-4)(岩田敦子執筆)私は、2009年のエッセイで次のように書いています。
「13世紀に鉱酸(塩酸、硫酸、硝酸)が使われるようになった。鉱酸を使うためには、鉱酸に侵されずリークのないガラス容器が製造されていなければならなかった。金属を溶解する鉱酸の使用は、化学者の扱う反応の範囲を大いに広げ、化学そのものの進展に大きく寄与した。」(p.499)
「また、中国に遅れること数世紀、ヨーロッパ人は1100年前後にアルコールの蒸留法を見出した。アルコールの発見は蒸留の歴史のターニング・ポイントとなった。装置の発展に繋がっただけではなく、薬局方を向上させ、ひとつの産業をもたらした。」(p.499)
[ヘッドライン]吉本秀之「錬金術から化学へ:器具と実験室の図像表示」『化学と教育』Vol.57, No.11, 2009, pp.498-501
ひとりで4時20分、室温27.7度。真夏の暑さからいつになったら解放されるのでしょうか。朝練のある大きいちびは、6時50分前に家をでました。近所の同じバスケ部の子がいます。その子は5分前にでて、お友達を迎えに行っていました。ちょうどゴミをだしに外に出たとき遭遇しました。
学生に推薦書を渡す仕事が発生しました。ちょうどよいので、9時過ぎに大学に行って、いくつか事務用件をこなすことにしました。まず、図書館で本を返却しました。次に事務棟4階まで階段であがって書類を提出しました。われわれのような職にあるものには必要な書類です。
それから研究室へ行って、メールの処理と、ILL での資料の請求。昔は現地に行って文献を複写していましたが、ILL で取り寄せてもらえるのであれば、それが便利です。ほぼILL になりました。
それから、帰り際、研究講義棟の3階の研究院事務室という場所によって、ここにも1枚書類を提出しました。
蒸し暑い。風が吹くのですこし楽ですが、ともかく蒸し暑い。3時前に、おかーさん、と叫びながら息子が帰ってきました。3時15分頃、午後の部活がオフの長女が帰ってきて、そのままシャワーに直行しました。
午後、次の本が届きました。
Walter W. Woodward, Prospero's America: John Winthrop, Jr., Alchemy, and the Creation of New England Culture, 1606-1676, Chapel Hill: The University of North California Press, 2010
ハートリッブ・サークルの米国支部長とでも呼べる人物の伝記です。父は、アメリカ史では有名なジョン・ウィンスロップです。 いますぐには無理ですが、ハートリッブ・サークルの理念・活動を英国だけではなく、大陸・新大陸にまで広げて、祖述する作業をいつかやってみたいと思います。
ひとりで5時、室温28.3度。朝の室温が昨日よりあがっています。台風からのフェーン現象がまだ続いています。おお、もう、9月。昨日聞いた話ですが、杉並区の公立学校がいっせいに8月末から2学期をスタートしたわけではないようです。神明中学校は9月スタートということのようです。
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