ひとりで7時15分、室温27.8度。何という高温でしょうか。昨日の暑さで疲れたのでしょう、まだ誰も下に降りてきません。おおきいちびは午後部活ですが、お昼頃からお腹が痛いとうずくまっていました。結局休ませることにしました。ソファーで横たわっているうちに寝てしまいました。1時間以上。この腹痛は仕方ありません。
今日は執筆作業そのものは一休みして、いろんな記事を読んでいます。比較的多くの方に関係すると思われる点だけ注記しておきます。
トーマス・S.クーンは有名な論文「ニュートンの疑問「31」と金の劣化」の注1で、次のように記述しています。金が強水に溶けないことはアグリコラが挙げる金と銀の分離法のひとつとして利用された。アグリコラのアメリカ人編集者、フーバー夫妻は、この酸の利用の明かな記述はゲーベルにあると指摘した(フーバー編アグリコラ、pp.458-461の注)。アグリコラは強水と王水の作用を区別していないが、17世紀のボイルは、王水が金を溶かすが銀を溶かさないことをまるで常識であるかのように書いている。
ひとつのポイントはゲーベルです。確かにゲーベルに鉱酸の利用の記述があります。そして、ウェブで簡単に読める日本語の記述は多く、硫酸は8世紀にジャビール・イブン-ハイヤーン(ゲーベル)によって発見されたと記述しています。英語でもそう書いたものが多く見つかります。
割と古くから、ゲーベルの名を冠する著作は、ゲーベル自身の執筆ではなく、後世の著作家が伝説的錬金術師ゲーベルの名を借りて著したものが圧倒的に多いことは知られていました。そして、20世紀後半になってアメリカ人ウィリアム・ニューマンが『完成大全』がヨーロッパ人の筆になることを発見します(13世紀の修道士タラントのパウルス。ただし、パウルスが数多いゲーベル文書のすべてを著したというわけではない。確かなのが『完成大全』)。
つまり、ラテン語のゲーベルに記述があるからと言って伝統的に8世紀のアラビアに帰されていたことは、多く、13世紀以降のヨーロッパ錬金術に帰されなければならないということです。
私が読み得た範囲では、アラビア錬金術が鉱酸を利用したということは可能性としては相当低いと言ってよいと思います。体系的に利用していれば、ラーゼス(アッ・ラージー)の明晰な記述に記されているはずですが、鉱酸そのものは挙げられていません。ただし、ヴィトリオル・明礬・塩・硝石・ろ砂の混合物を蒸留して抽出した「鋭い水」に言及しています。体系的には利用しなかったかもしれませんが、実験室に酸が存在したことは存在したようです。
ともあれ、確かなこととして言えるのは、鉱酸の利用は13世紀以降だということです。もう1点は、中世の伝説的錬金術師バジル・ヴァレンティヌスです。確かに実在したが実際に残っている著作がごくわずかのゲーベル、また17世紀初頭にルドルフ2世の宮廷で活躍したセンディヴォギウスとは違って、バジル・ヴァレンティヌスは創作上の人物です。ちゃんとした研究者がはっきりと述べているように、バジル・ヴァレンティヌスの著作内容は明らかにパラケルスス以降のものであり、パラケルスス主義のひとつです。多くの研究者はバジル・ヴァレンティヌス文書に編者として名前のでてくるヨハン・テルデそのひとがバジル・ヴァレンティヌスそのものではないか、あるいはバジル・ヴァレンティヌスの創作者ではないかと見ています。
つまり、(たとえばウィキのように)バジル・ヴァレンティヌスに記述があるから、14世紀に存在したという記述は、修正の必要があるということです。16世紀末から17世紀初頭にまで引き下げなければなりません。→ 気になるので、この問題の調査はもうすこし継続します。
『科学史技術史事典』(弘文堂、1983)の「酸」の項目には次のようにあります。
「・・・古代の錬金術師たちは、酸としては酢酸や果物汁しか知らなかったが、中世に入ってゲーベル(Geber)は硝石、硫酸銅、明礬を加熱して硝酸(aqua fortis)を得る方法を、また明礬を熱して硫酸を得る方法を述べている。塩酸(spiritus salis)の製法を最初に記述したのはヴァレンティン(B. Valentine)である。彼もゲーベルも、硝酸と塩酸の混合物である王水(aqua regis)とその働きを知っていた。近代に入ってグラウバーは当時の酸の製法のいくつかを改良し、また酸と塩やそれらの相互関係を広く調べた。ボイルはリトマスゴケやスミレの花汁をはじめて指示薬として使い、酸とアルカリとの関係を調べた。・・・・・・。」
わおー。今ならとても専門辞典に載せられる記述ではありません。1983年の時点ではどうでしょうか? 1983年の時点で許されるかどうかは調べてみないとわかりません。『科学史技術史事典』(弘文堂、1983)の「塩酸」の項目は次です。
「・・・中世において錬金術師により硫酸、硝酸、王水などは知られていたが、王水の成分である塩酸は知られていなかった。王水は塩酸そのものを経ることなく、硝石と硫酸銅、明礬との混合物を乾留して得られた硝酸に塩化アンモニウムを加えて製造されていた。純粋な塩酸は15世紀にヴァレンティヌス(B. Varentinus, 1394-1450頃)により食塩と緑礬、明礬との乾留によりはじめて得られ、塩精(spiritus salis)と呼ばれた。16世紀の終わりにはリバヴィウスにより食塩と粘土とを加熱することに得られ、また17世紀にグラウバーにより食塩と硫酸から製造する方法が発明された。・・・」
これは明らかに「酸」の項目よりいくらかましです。『科学史技術史事典』(弘文堂、1983)の「硝酸」の項目は次です。
「酢酸、硫酸のつぎに古くから知られていた酸で、硫酸よりも強いという意味で強い水(aqua fortis)と呼ばれていた。紀元前エジプトにおいてすでに用いられていたともいわれている。しかし硝酸の製法は、アラビアの錬金術師ゲーベル(Geber)により8世紀にはじめて記述され、その方法は硝石と硫酸銅、明礬を焼くものであった。13世紀にルルスは硝石と明礬とから、1648年にグラウバーは、ガラスレトルト中で硝石と硫酸の混合物を加熱分解する複分解式製造法により硝酸を製造した。・・・・・・・・」『科学史技術史事典』(弘文堂、1983)の「硫酸」の項目は次です。
「もっとも古くから知られた無機酸で、8世紀にすでにアラビア人ゲーベル(Geber)とを蒸留したり、明礬を乾留して製造していた。それ以降多くの人々が硫酸塩(礬類、vitriol)の乾留により硫酸が得られることを記録し、礬類の油(oil of vitriol)などと呼んでいた。15世紀ヴァレンティヌス(B. Valentinus, 1394-1450頃)は硫黄と硝石とを燃焼して硫酸を製造した。この燃焼をガラス鐘中で行い、底部にためた水に吸収させる製法が広く実施され、1740年英国のウォード(J. Ward)はリッチモンドで容量66ガロンのガラス鐘を用いて工業的に製造した。・・・・・・・」
現時点で端的に表現すれば、これは歴史記述ではなく「神話」です。代表的な2次文献を見ます。ブロックとリヴィアは鉱酸は13世紀末からだと書いています。最新の研究によれば、こうなると思います。
古いものではホームヤード『錬金術の歴史』(原著、1957)は、ジャビール・イブン・ハイヤーン自身とジャビールの名のもとにアラビア語で著述したイスマイール派、そしてラテン・ゲーベルをきちんと区別して書いています。
p.61 硝酸に関しては、ジャービルは「『知恵の箱』で、硝酸の調整のための最初に知られた方法を書いている」としています。
p.116で、ラテン・ゲーベルの強水、硝酸の言及について触れています。現時点で辞典類では、プリースナーとフィガーラが編纂したドイツ語の『錬金術:ヘルメス的学問のレキシコン』(1998)がもっとも安心して使えます。
次は原典を見ます。ニューマンの編纂した『完成大全』に鉱酸の記述はありません。テオフィリスにも鉱酸の記述はありません。アルベルトゥス・マグヌスの『鉱物論』にも鉱酸の記述はありません。
→ 思い出しました。マルソーフにこのテーマに関する博士論文があります。
Robert K. Multhauf, The Relationship Between Technology and Natural Philosophy, ca. 1250-160, as Illustrated by the Technology of Mineral Acids , Ph. D. dissertation, University of California, 1953
入手しようと思って、そのままにしています。最近の研究者では、チェコのカルペンコがこの問題を追いかけています。内容から判断すると、カルペンコは古き良きケミスト-ヒストリアンのようです。(あとで確かめます。)
ひとりで4時30分、室温27.3度。何という高温でしょうか。東京で最高気温が36.8度まで上がったそうです。九州の西の海にいる台風による広義のフェーン現象だと言えるでしょう。
ひとりで5時50分、室温25.9度。夏が戻っています。小学校は普通に授業が始まります。すなわち、給食があります。ただし、今日は引き渡し訓練で、2時頃には二人とも帰ってきます。
ひとりで5時35分、室温24.6度。小学校の始業式。いろんな方に話をしましたが、われわれの子ども時代からは考えられないことです。まだ8月なのに、もう2学期が始まります。
ひとりで4時55分、室温24.9度。今日まではこの気温だそうです。いつものように窓を全開すると寒く感じます。明けるのは小窓だけにしました。
ともあれ、仕事のために涼しいのはたすかる。中学校の始業式。おおきいちびは朝練もあります。6時半頃でかけていきました。
私は11時から出張校正。要町。いつも15分程度早くつきます。まわりをうろうろしてみています。いろんなお店があり、便利な場所です。
帰りは池袋まで歩きます。昼食の時間だったので、ラーメン屋さんに入りました。
ひとりで6時40分、室温24.9度。雨上がりのきれいな青空。秋の空気が流れています。この空気が続いてくれるとうれしいのですが、また夏が戻るのでしょう。午後1時から会議があります。11時過ぎに家をでました。駅前のコンビニで昼食を買ってから、図書館へ。次の本を借りました。
トメ・ピレス『東方諸国記』(生田滋他訳、大航海時代叢書5、岩波書店、1966)
訳者の生田滋さんが書いている解説が目的です。ピレスが1511年以降、1515年までに執筆した『スマ・オリエンタル』は、1944年に初めて出版されます。それを翻訳しています。とても貴重な仕事だと思われます。個人的には『東方大全』の方がよいように思いますが、『東方諸国記』でも問題はないでしょう。会議は1時スタート、終わりの時刻はまったく予告されていませんでした。延々とやるのかと思ったら、4時頃には終了しました。
帰宅すると次の本が届いていました。
小葉田淳『鉱山の歴史』日本歴史新書、至文堂、1956
日本の鉱山史のサーベイです。
ひとりで5時50分、室温27.3度。地面が濡れています。夜、わずかに雨が降ったのかもしれません。朝練のあるおおきいちびが降りてきて、朝食をとっている間に、雨が降ってきました。しっかりと降っています。
雨のおかげで気温が下がってきました。7時前で26.7度。8時前で25.7度。7時半頃下に降りてきた小学2年生は涼しいというよりすこし寒いと言っていました。エアコンをかけても室温は27度ぐらいです。ちょっと肌寒く感じるのかもしれません。
ひとりで5時30分、室温26.3度。雨は上がっています。空は秋。短い間しかもたないのかもしれませんが、涼しくなりました。再び、事典の項目の執筆に入りました。よく知っていること、まあまあ知っていること、すこし知っていること、ほとんど知らないこと、まったく知らないことに出会っています。
3番目で6時10分、室温28.0度。地面が濡れています。夜に雨が降ったようです。これは予報通りです。ちいさいちびは友達とタカシのお祭りに行く予定でしたが、集合時刻の1時間前に、雨が降り始めました。雷鳴も轟いています。すぐに連絡があって、明日に延期ということです。
夜半また雨が降るようですが、今は止んでいます。すこし空気が涼しくなりました。このまま気温が下がってくれるとおおいにうれしいのですが、予報では、今日より2度高いということです。
おおきいちびのケガですが、痕は残っていますが、まあケガそのものはなおったといってよいでしょう。半ばこじつけですが、治癒祝いということで、近所のケーキ屋さんでフルーツケーキを買ってきてやりました。ちょっともめそうなフルーツの配置だったのですが、妻がうまく、切り分けてくれました。おおきいちびには洋なし、ちいさいちびには苺、そして小学2年生にはリンゴとブドウというふうにです。大人にはイチジク。
昨日届いた『歴史のなかの金・銀・銅』の一部を読み、ざっと全体を眺めました。ちょっと気になったことがあったので、ネットで検索をかけて次の論文をダウンロードし、読みました。
瀬原義生「中世末期・近世初頭のドイツ鉱山業と領邦国家」『立命館文學』(立命館大学人文学会編) 585(2004): 137-96(42-83)
これは、「中世末期から近世初頭にかけてのドイツ鉱山業について概観」したものとして、とてもよくできています。ドイツ語の文献を広く漁り、信頼できる整理をしてくれています。
ドイツ鉱山業について基本を押さえたい方は、まずこの概説論文を読まれるとよいのではないでしょうか。山崎美恵・村尾智・山本真司「イタリア中部モンテ・アミアータ地区の水銀工業史概観」『地質ニュース』580号(2002): 50-56
オリジナルな論文とは言えませんが、これはこれでよいのではないでしょうか、
ひとりで6時30分、室温27.7度。昨日の雨のおかげでやっと少しですが気温が下がりました。ただし、雨の降らない梅雨のような空になりました。むしむしします。朝一番で次の本が届きました。
竹田和夫(編)
『歴史のなかの金・銀・銅』
勉誠出版、2013
比較的短い総説論考が16本収められています。サーベイにむく書物です。
藤本大士氏のブログ(8/21)で見て発注しました。ヨーロッパのことも触れられていますが、日本が中心です。[はじめての水泳]
ちいさいちびが午前中お友達といっしょに下井草スポーツセンターの温水プールに行きます。お友達のおばあちゃんが車で連れていってくれるということです。昼食を食べて帰ってきます。
それを聞いた小学2年生が自分も行きたいと言います。これは仕方がありません。昼食後連れていくことにしました。
バスで行く、自分の自転車を漕ぐ、という行き方も考えたのですが、結局昔通り、自転車の後ろに乗せていくことにしました。久しぶりです。
とくに遠くはありません。温水プールでは水泳キャップが必要です。レンタルしました(50円)。2時間の券を購入して、1時間半ぐらいいました。
私は子どもプールで1往復だけ泳ぎました。あとはただプールサイドで見ていました。
以上、この夏はじめての水泳でした。
ひとりで5時50分、室温28.6度。夜に雨の予報でしたが、地面は濡れていません。空は雲におおわれ、むっとした湿気があたりをおおっています。朝、妻が家の裏手でたぬきを見たそうです。我が家の敷地からお隣さんの方に抜けていったということです。えさを捜しに来たのでしょうか?
朝一番で大学に行くことにしました。8時42分武蔵境発の電車。コピーをとってから研究室へ。事務的用件をためないようにしています。簡単に処理したあと、ふと思い出して、次の論文をダウンロードし、その場で読みました。
ANA MARIA ALFONSO-GOLDFARB and MARCIA H. M.FERRAZ, "Gur, Ghur, Guhr or Bur? The quest for a metalliferous prime matter in early modern times," British Journal for the History of Science, 46.1 (Mar 2013): 23-37.
前に一度私もやろうと思ったことのあるテーマです。悪くもありませんが、よくもありません。分析の焦点は、18世紀の化学史をリードしたブールハーヴェとゲオルグ・シュタールです。ブールハーヴェとJohann Baptist Bassand との書簡におけるグルの分析は意味があります。(ブールハーヴェは出版されたものでは一度もグルに触れていないが、グルにあつい関心があったことは、この手紙のやりとりでわかる。)
→ 13.8.22 もうすこし詳細に紹介しましょう。
シュタールのテキストは、『イオウ論』です。その3分の1は、鉱物生成論を扱っています。アナとマルシアは、ドルバックによるフランス語訳(Traité du soufre, Paris, 1766, esp. on pp.209-213)を使っています。
ブールハーヴェの書簡集は次です。
Gerrit A. Lindeboom (ed.), Boerhaave's Correspondence, 3 vols., Leiden: Brill, 1962-1979
(このブールハーヴェ書簡集は、日本では駒場、東北大学、広島大学の3館が所蔵しています。
Lindeboom の編纂したAnalecta BoerhaavianaのIII が書簡集のPart 1(1962)、 V が書簡集のPart 2 (1964)、です。アナとマルシアが使うのは Part 2です。
HATHI TRUST のデジタルライブラリー www.hathitrust.org で書簡集の検索がかけられます。それによれば、GUR は4箇所、pp.304, 305, 312, 313 で出現します。 )
ブールハーヴェは、ソースとしてウェブスターと同様、マテジウス、パラケルスス、ファン・ヘルモントの名前を挙げている。しかし、ウェブスターと違いグラスホッフの名前は挙げず、かわりにゲオルグ・アグリコラの名前を挙げている。
アナとマルシアによれば、パラケルススはグルに触れていない。ゲオルグ・アグリコラもグルには触れていない。それのみか、錬金術のスイギン-イオウ説に反対していたアグリコラは、金属の起源に油状の湿気 fatty humourを立てる必要性を認めていない。→ 13.8.23 冒頭でアナとマルシアは次のようにいいます。
鉱物生成論は地質学または化学の歴史にのみ意味があるとこれまで信じられてきた。しかしながら、より詳しくこのテーマを調べてみると、すくなくともアリストテレスのときから18世紀まで、鉱物の発生は、自然の3界の境界ならびに連結にかかわってその全局面を覆う議論の中心であった。この点に関し、関心のひとつの焦点は、種と支配的原理がどれかひとつの界に限定されるのか、あるいは3界をめぐるものなのかということであった。
この理由により、金属の起源と生成の問題は、物質の本性そのものに関して直接的な関連を有し、そして医学や薬学から哲学や自然誌までの伝統的知識分野だけではなく、初期近代に出現しつつあった新しい分野の理論と実践のあり方を教えるものと言えるのである。
>直感的には私もこのように思います。しかし、自然の3界にわたる物質種の発生の問題をアナとマルシアは正面から取り上げているわけではありません。ほぼ、マテジウスからクラープロートまでの「グル」の概念・用法史を扱っただけと言えます。
>>上に訳出した最初の2段落の問題領域の上に、論究を展開すると、本質的は論文たり得たのではないかと愚考します。
すくなくとも議論の土俵を元素・原質からの物質種の生成としておけば、もうすこしインパクトのある深い議論となったように思われます。実は、アナとマルシアは注2で、平井さんと私の共著論文(Hiro HIRAI and Hideyuki YOSHIMOTO, “Anatomie du Chymiste Sceptique: Robert Boyle et le Secret de ses premières Sources sur la Croissance des Métaux”, in Charles Ramond et Myriam Dennehy (eds.), La philosophie naturelle de Robert Boyle (Paris: Vrin, 2009), pp.91-116)を Charles Ramond et Myriam Dennehy, La philosophie naturelle de Robert Boyle Paris: J. Vrin, 2009, pp.111-112 と引用しています。これだと現物をしらない方/確認しない方は、シャルルとミリアンの仕事だと誤解します。
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午前11時過ぎに生協の方が見え、新しいスキャナーを納品してくれました。受け取ってから、帰途へ。4時前にぱたぱたと音がして雨が降り始めました。雷鳴はしばらく前から聞こえていました。やっと降ったか、という感じです。
なんと30分もしないうちに降り止みました。しかし、就寝前にまた降り始めました。しっかり降ってくれるとよいのですが。
ひとりで4時50分、室温28.4度。雨の気配はまったく感じられません。夕刻、ちいさいちびと小学2年生を近所の図書館に連れていきました。ちいさいちびの図書カードは失効しています。更新ではなく、再発行となりました。係の人に言われた通り、図書館のなかのコンピューターで情報を入力してから、窓口に行きます。自分で問題なく入力していました。
2階の子ども本のコーナーで、ちいさいちびは伝記と色の本、小学2年生は昆虫の本を借りました。
ひとりで6時半、室温28.3度。今日も好天。朝一番で大学にでかけることにしました。8時42分多磨駅発の電車に間に合いました。大学には9時前に着きます。郵便物を受け取るために事務によると、見えているのは3人でした。この時期のこの時刻であれば、そのぐらいのものでしょう。
たまったメールを処理し、すこしだけ書類の処理をして、午前中に帰途に。10時4分多磨駅発の電車で帰ってきました。時間に余裕があったら、武蔵境駅のガード下の新しいお店(立川方面に今年パン屋さんとスーパーができています)を見てこようと思っています。夏休み中に一度と考えています。
すこし待って10時19分武蔵境発の電車でした。
妻の次で6時半、室温28.2度。まだまだ好天。おおきいちびは今日は試合。ベンチを温める役目ですが、行くと言っています。
本日は2回外出しました。1度は、近所のピザ屋さんに昼食のピザを買い出しに、2度目は、本屋さん(池井戸潤『ロスジェネの逆襲』ダイヤモンド社、2012;『中央公論』2013年9月号)、スイカのチャージ、セイユー(牛乳、ヨーグルト、チャーシュー、香菜)と回ってきました。
おやつのあと、買ってきたばかりの『ロスジェネの逆襲』を読んでしまいました。半沢直樹シリーズの第4弾になります。
ひとりで5時半、室温28.1度。吹く風には秋を感じますが、気温そのものはまったく下がっていません。[抜糸]
朝一番で、長女が近所の整形外科医で抜糸をしてもらいました。妻が付添。
帰ってきて、傷の状態が傷をしたときと大きく変化しておらず、軽いショック状態。長女は、自分では傷を見ておらず、状態を把握していないようです。整形外科医は今日大混雑で、直接医師にじっくりと話をしてもらう時間がなかったようです。リスクを受け入れられるのであれば、ご自身とご家族の判断でバスケットはやってもらってもけっこうです、という医者の言葉を長女はバスケの練習も試合もOK というふうに受け取っていました。看護士の方が語ってくれた内容と医師の言葉を総合すれば、傷の部位に接触することがなければ、バスケットをやっても大丈夫という判断のようです。
妻と長女で話をしているうちに、長女の目から涙が。バスケットをしたいようです。しかし、接触プレー0のバスケットボールというは、ありえないと思います。1週間もすればかなりよくなるようです。妻は、1週間は休ませたい。
医師に直接ちゃんと説明してもらっていない長女は納得していません。ならば、ちゃんと話をしてもらった方がよい。今日の整形外科医は忙しすぎて無理。前に足のケガをしたときに世話になったお医者さんがいます。そこで話を聞くことにして、再び二人で出かけました。途中で電話。そのお医者さんは今日は休診だそうです。
やはり、次女が世話になった皮膚科のお医者さんが駅前にあります。皮膚科の医師に診てもらうのはどうかという相談です。われわれに専門的な知識はゼロです。ともかく、相談したほうがよいということで、皮膚科に向かってもらいました。
ほどなく帰宅して、整形外科医はきちんと仕事をしてくれた、皮膚科の医師としては、いつどの程度まで直るかは確約することはできない、状態によって人によってずいぶん差がある、そしてこうなったら直ったと思えるかどうかは本人次第だ、という返事だったようです。衝突・接触しなくても、顔面の大きな運動によって傷口が再び開くことがないとは言い切れない(確率としては大きくないが、現実にそうした事例が少数とは言え、あったということでしょう)、ともかく、紫外線に気をつけろ、ということでした。すぐに日焼け止めは塗ってもまったく問題なくなるので、紫外線を浴びる可能性があるときには日焼け止めを塗ってから外出してください、ということでした。
知らない知識でした。傷がなおっていく経過に紫外線が具体的にどう作用するのかははっきりとはわかりませんが、マイナスがあるのでしょう。
ともかく、直接しっかりとした説明を受けて、納得できる材料が見つかったようです。しばらくめそめそしていましたが、多くのことはできなくてもともかく今日の練習には行く、また出場できなくても明日の試合にも参加すると心を決めました。
そして、正午に出かけていきました。私の解釈ですが、普通にどこも悪くなくてもケガのリスクが1万分の1あるとすれば、今普通にプレーした場合、そのリスクが千分の1から百分の1になっているということではないかと考えました。リスクの数字は、ただの例示で、現実に対応するものではありません。1週間は、練習にも試合にも行くが、フルには参加しない、その後は様子をみて判断するという結論になりました。
[半沢直樹]
妻と長女がテレビの半沢直樹にはまっています。私も2話ほどおまけで見ました。午後、テーブルの上に、池井戸潤『オレたち花のバブル組』(文春文庫、2010)がありました。ちょっと手に取り、読んでみました。結局最後まで読んでしまいました。ちょうどテレビドラマでは、次に取り上げられるところです。
[帰京日]
できるだけゆっくり寝ようと考えて、6時。室温、28度。
荷物の片づけがある妻は6時半に起きてきました。それに続いて、小学2年生も。もうすこし寝た方がよいような顔つきでした。昨夜のうちに宅急便で送る荷物は、いつものスーツケースのほかに、ダインボール箱をひとつつくっています。集荷をお願いしたのですが、時間があいません。タクシーに積んでもらい、途中でクロネコヤマトで降ろしてもらうことにしました。
あまちゃんと見終わってから、さっさと準備しました。タクシーは、電話でお願いしたとおり、8時に来てくれました。古い型のおおきめの車です。われわれ5人と荷物が問題なくのりました。
クロネコヤマトは、車だとすぐです。運転手さんに手伝ってもらって、受付に荷物を出しました。
そこから駅まではすぐです。乗車30分前に到着しました。時間が余ったわけですが、まず、駅前のパン屋さんに入って朝ご飯のパンを買いました。それから待合室で待っていましたが、カメムシも出現したことですし、ホームに入り、妻と小学2年生がお手洗いに行きました。トイレから息子の声が。蜘蛛がいるということです。蜘蛛を追い払っているうちに、メスのクワガタムシを見つけ、ちびどもが座っているベンチのところまで持っていきました。ほとんど動きません。小学2年生がうれしそうに触っています。
しばらくして、改札口のすぐ左側の駅舎の壁にスイチョンを見つけました。昆虫採集モードにはいっている小学2年生がやはり喜んで見ています。駅員さんに話しかけています。たぶんたったひとり南部駅を切り盛りしている女性の駅員さんは、笑ってくれていました。クワガタもスイチョンもデジカメに収めてから、8時44分南部発のくろしお10号に乗り込みました。
(注:スイチョンですが、田舎ではスイーチョンと発音していたと思います。正確な名前を知りたくて、帰宅してからネットで検索してみると、スイッチョンと表記している人が多くいました。どうも「ウマオイ」というキリギリス科のバッタのようです。子どもの頃調べたときに、ウマオイという名前には出会っているのですが、日常的に使う用語ではないので、忘れていました。)時刻表通り、10時50分に新大阪着。そこから27分の乗換時間でのぞみ124号11時17分新大阪発に乗車します。すこし多めに乗換時間をとったのは、お昼ご飯やらお土産を買うためです。こどもたちは、たこ焼きが気に入っています。妻は自分にはサンドイッチ、私には蛸飯を買ってくれました。
お土産は、自宅用の八つ橋とおおきいちびのバスケ部用です。のぞみ号は満席でした。お盆帰りでしょう、ちいさな子どもの姿が目立ちました。そのせいで、トイレが混んでいて、東京駅について息子といっしょに新幹線ホームの下のトイレに行くことになりました。
中央線は空いています。
2時40分、酷暑の西荻窪駅に無事つきました。この夏は関西の方がずっと暑いようですが、東京もなかなかの酷暑です。
留守中に次の2冊が届いていました。
橋本毅彦『「ものづくり」の科学史:世界を変えた標準革命』講談社学術文庫、2013
『<標準>の哲学:スタンダード・テクノロジーの三〇〇年』(講談社、2002)の第六章とエピローグを大幅に改稿し、第七章を追加したとあります。
橋本さん、いつもご高配、ありがとうございます。Leo Lionni, Between World: The Autobiography of Leo Lionni, New York, 1997
こっちは、レオ・レオニの自伝です。展覧会カタログに、レオ・レオニの出発点が二〇世紀の前衛芸術にあったことを知り、どういう作品をつくっていたのかという興味から発注しました。自伝ですから、それほど多くの作品が紹介されているわけではなかったのですが、カラーの図版もそれなりの数ありました。感じとしては、シュールレアリスムのものに一番近いでしょうか。
2013年帰省
8月9日
新幹線は、東京駅11時10分。東京駅のなかでぶらぶらすることにして、9時半前に家を出ました。暑い。東京にも関西の暑さがやってきています。予想通り、東京駅では1時間以上の余裕があります。まず、エスカレーターを降りてすぐの場所にあった本屋さんに入りました。こどもたちに1冊ずつ本を選ぶように言いました。小学2年生はまだ自分で探すのは難しい。川崎悟司『オールカラー ミョ~な深海生物大百科』(廣済堂文庫、2013)を選んでやりました。ちいさいちびはけっこう迷いましたが、『告白』を選びました。
それからおみやげさがし。最近ブームのマカロンにしました。1個200円とかなりお高い。まあ、お土産ですから、それでもよし。千円のものと2千円のもののふた箱。
それからおひるごはん。私はカレーパンにしたかったのですが、すぐには見つからなかったのであきらめて、チキンサンドとクロワッサン。こどもたちはコンビニのお弁当がいいと言っています。新幹線乗り換え口の前にある紀伊国屋でオムスビを選びました。ちいさいちびが3つ、小学2年生が2つ。ほかにおやつのおもちをふた袋。
まあ、このぐらいでよいでしょう。新幹線のホームに向かいました。10時50分、待ち時間20分、ちょうどよいぐらいでしょう。
私は電車のなかではともかく眠い。こどもたちは、iPadで遊んだり、ゲームをしたり、本を読んだり。新大阪着13時43分、くろしお15号に乗り換え、新大阪14時発。2時間10分の乗車です。小学2年生はDS、ちいさいちびはさっき買った本を読んでいます。
御坊を過ぎると昔は電車の揺れでよくもどしていました。しかし、今回、ちいさいちびは夢中で本を読んでおり、小学2年生はゲームに夢中。そのままにしておきました。
4時10分、南部駅着。大阪程ではありませんが、暑い。8月10日
ひとりで6時5分前、温度計を探すのは苦労しましたが、室温28度。こどもたちは7時をかなり過ぎてから起きてきました。
ちいさいちびは最近 NHKの朝ドラ「あまちゃん」を見ています。地上波では、8時から、BSでは7時半から。BSを見ました。
さて、今日は白浜の花火祭りにでかけます。おばあちゃんが白浜にホテルの部屋を取ってくれました。地元民たこおじさんの情報によれば、過去最大の込み具合だそうです。昼食後すぐに出発しました。全部裏とおりでホテルまで行くそうです。白浜のことはあまり知りません。山に沿った裏道が複雑に入り組んでいます。熱海のような温泉街はもしかしたらこういうものかもしれません。ホテルには3時前につきましたが、部屋に入れてくれました。ベッド二つの部屋が2部屋。
車で移動中に妻からたこおじさんの携帯に電話がありました。バスケの試合・練習中におおきいちびがけがをしたそうです。目の下の部分に穴があいているという連絡があったそうです。電話のあと、妻が病院に行くそうです。直接見ないとはっきりしたことはわかりません。
ホテルのロビーには、ワイファイの表示があります。
荷物の片づけを済ませてから、iPadをもってロビーに行きました。部屋のなかには電波が来ていないようです。WiFi接続はロビーだけのようです。ともかく接続してみました。
しばらくして妻のiPhoneとスカイプが繋がりました。おおきいちびのけがの状態も顔を見るとだいたい把握できます。目の下に絆創膏を貼っています。何があったのかはわかりませんが、目の下に裂傷があったということのようです。
妻によれば、そこの病院の先生の応対が信用できないので、おおきいちびがいつもかかっている病院にもどってもう一度診てもらうそうです。それがよいでしょう。地元の医院がなにかと便利です。
こどもたちは、部屋で遊んでいます。テレビを見たり、ゲームをしたり、本を読んだり。夕食は6時からということです。夕食の前にもう一度妻とスカイプで連絡をしました。地元の医院では、状態を診て、すぐに麻酔し、傷を縫ったそうです。痕を残さないようにするには、そのほうがよいという判断です。おおきいちびは泣いていたそうです。お医者さんと看護婦さんの全員に慰めてもらいながら、オペを受けたそうです。
あとは、お医者さんの話をよく聞いて、できるだけ痕を残さないように気をつけることです。顔を水につける種類のことは、この夏は無理でしょう。夕食は、時間通りに6時。部屋ごとにテーブルがあらかじめ用意されていました。小学2年生だけお子様セット。それがちょっと不満だったようですが、好きなものをいろいろわけてもらってすこし不満が和らいだようです。ちいさいちびも小学2年生もよく食べました。昼間は動こうとしなかったのですが、夕食を食べて、すこし元気になったのでしょう、浜に行ってみると言います。花火大会は8時から。7時前には坂を下って浜に着きました。たしかにすごい人出です。すでに場所をとって待っている人が浜を埋めています。これは待つしかないと考え、岩の階段のところに4人並んですわり、1時間待つことにしました。夜になっても気温が下がりません。30度を超えたままだったのではないでしょうか。小学2年生はすわっているだけで汗が噴き出しています。おばあちゃんの指示で服を脱ぎました。何もしないで1時間待つのはこどもには大変ですが、途中から砂遊びを始めました。すっかり暗くなってから花火の打ち上げが始まりました。
私も白浜の花火を白浜で見るのははじめてです。音の大きさに全員がびっくりしました。ちいさいちびは、デジカメをもっていっしょうけんめい花火をとっています。どのぐらい撮れたかは、あとで確認しないとわかりません。ほんとうにせっかちな性格の小学2年生は、15分ですっかり満足したようです。15分経つと、あと何分あるのと繰り返し聞きます。花火の趣向は、飽きないように工夫されています。見たことのない種類の花火が上がるので、それでも最後まで興味を切らさず、見ていました。最後は、プラネタリウムのように満天の光に包まれる花火でした。浜を埋める観客の称賛の声でフィナーレ。
たこおじさんには、降りるのは10分だが戻るのは30分以上かかると聞かされています。終了を確認してすぐに帰途へ。ホテルが西の端でした。したがって、浜も西の端に陣取りました。中央から東のほうはひどい混雑だったようですが、西の端はそうでもありません。人は大勢いますが、スムーズに動くことができました。ただし、坂を登ります。20分近くかかったでしょうか。途中の自動販売機で水分を補充。
花火そのものには満足だったようです。全員汗まみれだったので、浴場に行ってシャワーを浴びてから部屋でリラックス。(ホテルの部屋に風呂の設備はついていませんでした。)
ちいさいちびは斎藤さんを見てから消灯。最初はパパと同じベッドに寝ていた小学2年生は、消灯してすぐにぼくおばあちゃんの部屋に行くと言って、おばあちゃんの部屋にまくらをもって向かいました。こういうところは小学2年生の楽な点です。人を気にしません。
8月11日
ホテルの朝食は、7時半から。7時25分にロビーに集合し、昨日と同じテーブルで和食の朝食。たこおじさんは、9時半に来てくれました。そこから、アユ釣り&流しソーメンの場所へ。途中あばあちゃんが新しくできた大型スーパーに寄りました。ドラッグストアから発展したエバーグリーンという名前のスーパーです。たこおじさんの説明では、田辺の人間はこういう広すぎるスーパーは好まないが、富田の人間は平気なのだそうです。
白浜からアユ釣り&流しソーメンの場所まではすぐです。
こどもたちは釣りの記憶はあります。おじさんに釣竿を借りてすぐに釣り始めました。年齢差がきいたのでしょうか、明らかにおねえちゃんのほうが上手です。結局おねえちゃんが8匹、小学2年生が4匹釣りました。
おばあちゃんはその間に流しソーメンの席をとっていました。合流。ちいさいちびと小学2年生ふたりで流れるソーメンあいてに遊んでいます。朝しっかり食べていて、午前11時の昼食ははやいのですが、楽しいのでしょう、よく食べています。途中で先ほど釣りあげた12匹のアユを炭火で焼き上げたものを係りのおじさんが持ってきてくれました。養殖のアユなので天然ものにはない脂の乗りです。さらにあばあちゃんがてんぷらまで注文してくれていました。食べきれるか心配でしたが、なんとか5人でほぼ完食しました。
食べ終わって帰途へ。駐車場に車が入りきらないほど混んできています。この夏一番込む日だとおばあちゃんは言っていました。途中、パン屋さんによりました。こどもたちは動物パンを選んでいました。
おばあちゃんちに帰ってきて、あまりに暑いので、クーラーのない部屋の室温をみると、38度。わおー。新聞には、40.7度の数字が踊っていました。
8月12日
ひとりで6時半、室温30度。テレビでニュースをつけてみると、猛暑のニュースばかり。お昼前おばあちゃんちの温度計は38度を示していました。 午後、負傷したおおきいちびとママがきます。われわれと同じ4時10分南部着のくろしお号できます。おばあちゃんが途中で買い物をする時間を入れて、4時半に帰りつくかと予想していたらその通りでした。小学2年生は飛び出して迎えに行きました。
おおきいちびは、話を聞いていなければ、目の下に絆創膏を貼っているだけです。よく見ると右目の下に腫れが残っており、すこし赤みもあります。とりあえず、日常生活には支障がないようです。
夕食時におおきいちびに詳しい話を聞いてみました。覚えていないと言います。ボールを追ってお友達とぶつかったが、その時は特別な痛みを感じず、あとから周りの人が気づいてくれたそうです。
顧問の先生、別のチームの高校の先生が駆け回ってくれたそうです。その高校の先生は、2回、病院まで往復してくれたということです。
妻によれば、病院の当直医は、若いお医者さんで、態度が悪かったそうです。たぶん、まだ研修医または研修医上がりで、経験値が低かったのでしょう。要するに知識と技能が足りず、的確な処置をする能力がなかったのでしょう。
顧問の先生の連絡を受けた妻が電車を乗り継いで病院で合流し、地元の医院に連れ帰る決断をしたということです。いつもお世話になっているその医院での手術そのものはすぐ済んだそうです。麻酔をかけて、一番細い糸(3号)で縫ったそうです。
水曜日までは傷口が化膿しないように絶対注意ということでした。おおきいちびにはいろいろしたいことがあるようですが、今日をカウントしないと火曜日と水曜日のたった2日間だから我慢しなさいと言い聞かせました。みんなに言われて、納得/諦観したようです。8月13日
ひとりで5時50分、室温29度。新聞を読むぐらいならば平気ですが、パソコンに向かうと体が熱くなります。わずかでも運動すると暑いということでしょう。7時現在、あばあちゃんが一度起きた以外には動きがありません。
朝一番でお墓参り。鍬を3本持ちました。おばあちゃんによれば、おじいちゃんのところだけ掃除が済んでいないということです。上のお墓の草を抜いていませんでした。8割から9割までやって終りにしました。
夕ご飯は、お庭で焼き肉。たこおじさんが1時間前に来てくれたので、おばあちゃんとママは買い物にでました。おおきいちびと小学2年生はついて行きました。私とちいさいちびで留守番。留守番の間に、焼き肉(バーベキュー)の準備をしました。
車庫に一式があります。それを探しだして、庭に設置しました。椅子はコンテナを使います。顔のけがをかかえているおおきいちびは今回は家のなかにいさせます。
焚きつけ、炭をセットしてあるところに、買い物組が帰ってきました。たこおじさんが火の係をやってくれました。炭がいこるまでやってくれました。様子を見て、網をのせ、袋にいっぱいはいっていた鶏肉(田舎ではカシワと呼びます)をのせました。
前より、炭の量がすくなく、網も火から遠くしました。ゆっくり焼くことができます。そうこうしているうちに、妻が参加し、牛肉も焼き始めました。牛肉はすぐに焼けます。ちょうどよいぐらいの量でした。最後は台所にあるトーモロコシをのせました。ついでに初日に収穫したすかすかのトーモロコシものせておきました。
食べ終わってすぐに迎え火の準備。同時にお風呂の準備。7時に宿題で月の観察をしなければならないちいさいちびが先にお風呂に入ると言います。望遠鏡か双眼鏡がほしいと言います。古い双眼鏡はすぐに見つかりました。新しいのはおじいちゃんが起きそうな場所をすべて当たりましたが、見つかりません。またいつか出てくるかもしれませんし、誰かがもっていったのかもしれません。
同時に、おばあちゃんの要求で玄関灯の交換。ずっと切れたままだったそうです。おばあちゃんがどこかから新しい電球を探しだしてきました。はずすのは見えなくてもできますが、つけるのは見えないと難しい。ソケットの位置を妻に見てもらって何とか交換に成功しました。
たいしたことはしていませんが、疲れました。
8月14日
ひとりで5時45分、室温28度。ちいさいちびは、あまちゃんを見ています。そのために7時ぐらいに起きてきます。そして、BSの7時半からのあまちゃんを見ます。おばあちゃんは、普通に8時からのあまちゃんを見ています。
たこおじさんが10時半に来てくれました。おばあちゃんの指示により、買い物。ちいさいちびと小学生がママといっしょに同乗しました。1時間ほどかけていろんなところを回ったそうです。梅博物館にも行ってきたと言っていました。
おやつは、さつまいもを見つけて、素揚げ。最初の1本は、ざく切りに。次の1本は薄くスライスしました。さつまいもはおじいちゃんが大好きだったそうです。おおきいちびも大好きです。
夕食は、ちいさいちびがママに手伝ってもらってハンバーグをつくりました。
暗くなってから花火。こどもたちは各自一袋ずつもちました。おおきいちびは途中でもう飽きた。小学2年生だけが最後までやっていました。動いてもいないのに汗まみれ。着替えがなくなって、昼間の服装で横になりました。
8月15日(木曜日)
ひとりで5時30分、室温28度。たこおじさんは、今日入院、明日手術。おおきな手術になります。
小学2年生が虫取りをしたいと言ったので、お昼ご飯の前に外に連れ出しました。遠くに行く必要はありません。下に降りて、車庫の隣の梅林の道に行けば必ず数匹以上のバッタに出会います。虫取り網は、去年まりおばさんが買ってくれています。小学2年生はすでに車庫のなかにあったそれを見つけて取り出しています。
梅林の道で、網を草につけるだけで、ショウリョウバッタが網についています。偶然ですが、ラッキーです。甥っ子たちが残していった虫かごに入れてやりました。すぐにもう1匹ショウリョウバッタが見つかりました。こちらは苦労してゲット。ショウリョウバッタ以外が欲しいというので、捜して、取ろうとしたときに、虫かごの開け閉めがうまく行かず、2匹とも逃げられてしまいました。
ばったはけっこう数多くいる様子です。逃げたバッタは気にせず、行ったり来たりしていると、これもすぐに2匹ゲットすることができました。ショウリョウバッタは網にくっつく習性があるのでしょうか、簡単にゲットできます。家にある大きい虫かごに移しました。
家のなかにずっといて飽きていたのでしょう、おおきいちびとちいさいちびも外にでてきて、運動をしています。小学2年生のもってきたサッカーボールでバスケットをしていました。
昼食後、しばらくしてから、まだ取りたい、こんどはショウリョウバッタ以外のものがよいと言います。自分で庭の花にきていたシジミチョウはつかまえていました。
先ほどの場所だと、ショウリョウバッタばかりをつかまえることになりそうです。すこし出かけることにしました。一宮神社から公園の方へ網をもって歩きました。とんぼをつかまえようと思ったのですが、数が少なく、なかなか網の届く範囲に来ません。
神社について、木を捜しました。小学2年生が蝉をすぐに見つけました。もう弱っています。簡単につかまえることができました。小学2年生はしばらく歩いてからこれでよい、もうよいと言います。公園まで行かず、戻りました。ショウリョウバッタ2匹、シジミチョウ1匹、クマゼミ1匹。上出来です。
夕刻、息子は採取した昆虫を観察日記に書いていました。
夕食後、外に出ると、おばあちゃんが世話をしている花の上で、カマキリがバッタを捕食しているシーンにでくわしました。早速小学2年生を呼びました。デジカメの動画で撮影すると言っています。捕食してしまったあとは、ゆらゆらしている程度でほとんど動きませんが、しばらく動画撮影をしていました。
以上、今日は、虫の日でした。
ひとりで4時5分、室温28.3度。[先陣隊]
本日、小学2年生とちいさいちびを連れて帰省します。おおきいちびは土日のお盆カップに出たいということで、3日後となります。
急ぎのご用件のある方は、リムネットのアドレスまでお願いします。→13.8.16 リムネットの送信サーバーの設定が変更になっていたのを忘れていました。普段使うものに関しては、設定を変更していますが、たまにしか使わないレッツ・ノートの設定までは手が及んでいませんでした。変更になったことは覚えていても、どういうふうに変更になったのかは記憶がありません。
田舎に帰ってすぐに送信を諦めました。
緊急に返信すべきものだけ、妻の携帯から送りました。というわけで、もし返事をもらっていないという方がいれば、遠慮なく言って下さい。明日からは普通に返信します。
ひとりで5時30分、室温27.2度。曇り。暑さは居残っています。おおきいちびは午前中は練習試合、午後は練習。一番きついスケジュールだと言っていました。
ひとりで5時30分、室温27.4度。昨日の雨は上がっています。[葛西臨海水族館]
今日はおおきいちびの宿題のため、家族そろって水族館に行きます。
サンシャインかとも思ったのですが、ウェブで調べると夏休みは大混雑だそうです。時間的にも大きく変わらないので、葛西臨海水族館に行くことにしました。
全員の準備ができたら出発。現地には、10時半頃着きました。朝ご飯をちゃんと食べていない小学生がちいさいちびがお腹が空いたといいます。駅前の食堂は、11時営業開始。あらかじめ調べていた、園内のホテル(シーサイドホテル)のレストランに行ってみることにしました。
やはり11時開始。ホテルのなかですから、冷房が効いています。20分ほどレストランの前で座って待つことにしました。
当然ながら1番目のお客さん。スープとサラダの取り放題(サラダバーと表現されています)がついていました。
ゆっくり食事をして、12時前に葛西臨海水族館に入りました。昔来たときは、小学2年生は弾丸のごとく走り抜けています。本人はもうおおきくなったからと言っていますが、三つ子の魂百までもでしょうか、性格はそう簡単にはかわらず、実際に展示を目にするとどんどん先に行きます。結局二手に分かれました。
たしかに昔よりはすこしましですが、すべての展示を駆け抜けて、出発点に戻りました。入り口でスキップしていた蛸の展示コーナーを見ましたが、おねえちゃんたちはまだ来ません。おおきいちびは観察をする必要があります。とてもそんな早くは終わりません。一度すこしだけもどって、アイスクリームの自動販売機を見つけ、カップのアイスクリームを展示の一番最後のコーナーにあるソファで食べさせました。固いカップのアイスなのでちょうどよいかと思い、ゆっくり食べさせました。食べ終わってもまだおねえちゃんたちは見えません。前は時間の関係で触れなかったエイとサメのコーナーにもう一度行くと言います。ちょうどそのコーナーのところをおねえちゃんたちは歩いているのに遭遇しました。ママとおねえちゃんと見つけると、エイとサメはよくなったようです。先ほどの蛸のコーナーに戻り、蛸を触りたいというので、出発点に戻りました。並んで蛸に触りましたが、ちいさいちびはうまく触れなかったようです。実は、小学2年生は、もう帰りたいと言っています。ゲームをしたいそうです。スタンプラリーを完成させてから、一休みして、かき氷。でもおねえちゃんたちが食べ終わるのを待たずに、私と小学2年生だけ先に帰途に着きました。
来たのと同じルートで帰りました。3時1分帰り着きました。おねえちゃんたちは、1時間すこしで帰ってきました。パンだけ買って帰ってきました。おおきいちびは雑貨屋さんに行きたいと言っていたのですが、東京駅のなかに適当なお店がなかったようです。
炎天下の行軍です。さすがに疲れたようです。おおきいちびは、帰ってきてから、友達と映画に行きたい、夜阿佐ヶ谷の七夕祭りに行きたいと朝は言っていたのですが、諦めたようです。すこしだけ宿題に着手していました。
ひとりで5時30分、室温27.6度。晴れ。午後は、荒れ模様との予報。
ひとりで5時55分、室温27.2度。晴れ。やはりお昼ご飯の時間帯に歯医者。やっと最終回でした。今回は長かった。正直、ほっとしました。
午前4時に目覚めてすこし仕事。=ひとりで4時、室温25.4度。
ほんとうにすこしだけ仕事をして、すぐにまた寝ました。今日は千葉の方に行きます。
1時に集合して、11時前に帰宅しました。
ひとりで5時5分、室温25.3度。曇り。外はもっと気温が下がっていると思われます。
7時半現在、まだだれも下に来ません。室温は24.7度まで下がりました。約束により、小学二年生を仮面ライダーの映画に連れていきました。12時開演。今日から上演ですから、初演です。
混むことを考えて、10時45分に家をでました。それでも昨日セブンイレブンで買った前売り券を窓口で渡すと、前から2列目しか空いていませんということです。あと2時間待つのはばかみたいですら、2列目の席にしました。
小学2年生は、劇場の前で待つと言います。「シアター9」の前に行きました。しばらくそこで待機かと思っていたら、割とすぐに中に入れてくれました。ただし、前回のようなライダーの出迎えはなし。
まず、キョウリュウジャーの30分ものがあって、それから「仮面ライダーウィザードインマジックランド」。息子は、キョウリュウジャーの上映がはじまると、仮面ライダーがなくなったのかとけっこう心配だったようです。大人からすると、今回のストリーは??だったのですが、小学2年生はおもしろかったと言います。それならそれでよし。劇場を出て、1時50分。何か食べるかと聞くと、よいというので、そのまま自宅まで直行で帰ってきました。
日が暮れる前に、次の本が届きました。
クレール・ヌヴィアン
『深海 ABYSS』
普遊舎、2008
感じとしては、ヘッケルの写真版でしょうか。深海に住む生き物については、人類はまだ何%も知らない。深海生物のおもしろさは、 グーグルの画像検索で「深海生物」と入力すれば、おおよそは見ることができます。
中学生には、中学生の夏休みの宿題があります。去年は、美術館に2度連れていった記憶があります。今年の夏はどうもひとつでよいようです。オフが少ないので、オフに合わせてきちんと考えておくように言ってあります。
こちらですこし調べてみたところ、レオ・レオニ展が渋谷のBUNKAMURAであります。レオ・レオニの絵本は、我が家に10冊近くあり、小学2年生が朝全部を持ち出して読んでいました(こっちも宿題です。)おおきいちびもレオ・レオニは小さい頃よく読んでいました。面白かった記憶があるのでしょう、レオ・レオニ展なら行くと言います。
調べて分かったことは、8月4日までということです。明日までです。時間がないかと思ったのですが、金曜日と土曜日は9時までやっています。バスケから帰ってきて、すぐに行けば十分間に合います。7時半に家をでれば、見る時間も十分とれますが、おおきいちびは、7時15分頃出ていきました。朝方の話では全員で行くということになっていたのですが、まず、小学2年生がいい、そしてちいさいちびが途中からいい、となり、妻とおおきいちびの二人だけで行くことになりました。鑑賞するにはそれがよいでしょう。
10時半頃帰ってきました。明日は、また朝練です。6時起きということです。バスケの練習は、はんばありません。
ひとりで5時35分、室温25.9度。曇り。外はもっとすずしい感じがします。9時6分武蔵境発の電車で大学に着き、成績表を事務に渡し、9時28分多磨駅発の電車で帰ってきました。今学期の成績関係はこれで終了です。
しばらく休んでから、昼食の時間帯に歯医者さん。右上の奥歯のかぶせものをかぶせてもらいました。終わりかと思ったら、もういちどあるそうです。次ははまり具合をみて、まわりをきれいにしてくれるようです。
久しぶりに練習が午前中(それでも帰ってくるのは2時頃です)だけだったおおきいちびが外でご飯を食べたい(オーシャンビューのレストランで食事をしたいと言っていました)と言ったので、相談して、まず食べ放題、それから電車のことも考えて、立川のルミネに行くことにしました。バケットルミネというパンの食べ放題ほお店です。
他のお客さんのことも考えて、5時半には現地に着くように、5時前には家をでました。立川は新宿よりも7分遠い。
5時半頃はまだそれほど混んでいません。
バスケ選手のおおきいちびだけがパンをたくさん食べていました。パンだけ数えると私の数倍食べました。
ゆっくり食事をしたあと、同じ階にある本屋さんへ。ひとり1冊は買ってやることにしました。小学2年生は、目玉商品でしょう、一番目に付く棚においている『深海生物』という本をすぐに選びました。残りは、いろいろ捜して、文庫本を1冊ずつ選びました。
『深海生物』の書誌は次のようになります。
沼津港深海水族館 シーラカンス・ミュージアム石垣幸二執筆・監修
『深海生物~奇妙で楽しいいきもの~』
笹倉出版社、2013
DVD がおまけでついています。みんなが風呂からあがってから、見ました。普段自然ものはほとんど関心を示さないおおきいちびでさえ、おもしろい、かわいい、きもい、と声をあげています。子どもたちの一番のお気に入りは、「メンダコ」です。かわいい、飼いたい、お誕生日プレゼントにほしい、と無理を言っています。
これで九九九円はお買い得だと思います。沼津港深海水族館には、たぶん三時間もあれば行けます。いつか行ってみたいと思います。
おおきいちびは夏休みの宿題で、動物園(水族館も可)に行ってこないといけません。沼津に行くかと聞くと、さすがによい、という返答です。小学二年生は行きたいそうです。
ひとりで6時5分、室温26.8度。小雨が降っています。おお、8月です。
一日練のあるおおきいちびと、妻もすぐに起きてきました。成績の転記を完了しました。明日、事務にもっていきます。
4時ぐらいになってから、息子といっしょに散歩とお使い。駅まで行って、ツタヤでちいさいちびのためにCDを2枚借り、ちいさいちびが夕食によいと言っていた鳥の手羽先を捜しました。最後にはいった鳥一にありました。
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